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流浪の果てに そのいち ~ 「コイの祟り」

Posted by 高見鈴虫 on 18.2018 旅の言葉   0 comments
俺がコイに祟られたって話はしたよな?

そう、前に話しただろ、
高校の時に家出して辿り着いた奥飛騨の温泉旅館で、
住み込みのアルバイトをしていた時のこと・・・

そこは北アルプス山渓に抱かれた秘湯の里の、
明治時代から続く老舗旅館。
さすがに長い歴史を刻み続けてきただけのことはあって、
そこで過ごしたひと冬の間、
いやはやまったく、本当にいろいろなことがあったものだ。




いまだに全米で沸騰中のナオミvsセリーナの一件についての付け足し

Posted by 高見鈴虫 on 12.2018 テニスねた   0 comments
え?俺が、セリーナを冒涜してる?
あ、あ、あの、いや、そういう意味で言ったんじゃなくて、
なんて言い訳をするのもしゃらくせえ。

だったらそーゆーあんたがどれだけテニス知ってるのか、と。
言わせてもらえば俺なんかなあ、
セリーナがデビューした時から、
ずっとずっとUSOPEN、生で見てんだぜ、
とか、言ってしまうとまた面倒になるので、
ってか、ははは俺だってそれほどテニスのこと良く知ってるわけではない、
ってか、もっともっと凄い人、テニス以外になにもない人生送っているツワモノたち、
いくらでもいるのも知ってる訳でさ。

なので、俺ごときがうだうだと薀蓄ならべるぐらいなら、
そうだね、手っ取り早く証拠映像。

今回のあの、俺のちょっとした自虐的暴言
(なにより俺はセリーナのデビュー以来の大ファンなのである:)
その根拠になったのが、忘れもしない、
ってもう誰も覚えてないからこういうことになっているのであろうが、
そう、ここに、証拠映像がある。

はい、どうぞ。
2009年のUSOPENのセミ・ファイナル。
キム・クライシュテルスとの一戦。








あの日から17年目のチキンパイタン

Posted by 高見鈴虫 on 11.2018 ニューヨーク徒然   0 comments
あの日から17年目のメモリアルの日、
ニューヨークシティは霧に包まれている。

そう言えばあの時も、火曜日だったよな。
なにかこう、ぐるっと一回り、してしまった気分だ。

いまとなっては俺の周りに、あの日のことを知る人は極僅か。
それはすでに歴史上の出来事としてすっかりと封印されてしまった感があるのだが、
ただあの日をこの米国で過ごした者は、
あの一日のことだけはいまでも脳裏にしっかりと刻まれたまま色褪せることはない。

そしてあの日からいったい、なにが、どう、変わっていったのか。
それが現代のこの社会に、どう繋がっていくのか、
その漠然として複雑に絡み合った糸を解きながら、
改めてあの日の、あまりにも強烈な影響力を思い知るばかり。

そしてなにより、あれがどうして起こったのか。
そしてなぜ、それを防げなかったのか、
誰が損をし、そして誰が漁夫の利を得たのか、
それを改めて思い耽りながら、
だがしかし、
そんなことを露も知らない幼気な若者たちは、
自らの現実が、実はそんな歴史の仕掛けた罠の中にしっかり絡め取られたまま、
再び同じ轍を辿り続けるという事実を、知る好もない。

そしてあの日から17年目のメモリアルの日、
ニューヨークシティは霧に包まれている。

この不穏な霧に包まれたまま、人々は往く宛を見失い、
そして道を見失った人間は、その本能の赴くままに、
同じところをぐるぐると周り始めることになるのだろうか。

老兵は死なず、ただ消え去るのみ、であってはいけない。
老兵は、その生命の尽きるまで、語り続けなくてはいけない。
あの大いなる過ち、その真実を。

とそんなことを思っていたその時、
ふと見れば、手元のIPHONEにメッセージがひとつ。

元気か、おい、昼にラーメンを食わねえか?

あの日をともに生き抜いたニューヨークの古参たち。
なあ、折角生き残ったと言うのに、
性懲りもなくこんなクズのような人生を、
ただただ浪費するばかりの俺たち。

ただ、そう、このラーメン。
これ、これ、これ、これが食べれて、本当に良かったよな。
そうそう、こんな美味いラーメン、あの頃には無かったものな。
生きる喜びって、結局その程度のものであるべきなのかもしれねえな。
味わおう、このラーメン。
911の日のその日に。
死んでいったものの思いも込めて、
味わい尽くそう、このラーメンの残り汁の一滴まで。
おい、メガネ曇ってるぞ。
そういうお前も、鼻水垂れてるぜ。
愚者共はそうやって人は生きていく。
逝ってしまったものの想いを背負って。

「2018・9・11 鳥人拉麵 にて」



悪い、久々に日本語で文章書いたら、思ったとおり無茶苦茶になった

Posted by 高見鈴虫 on 08.2018 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments
実は最近になってまた、妙なドグマの底を這いずっていた。

ぶっちゃけた話、ここニューヨークにおけるプロフェッショナル・ミュージシャン、
あらゆるジャンルの、音楽という音楽、その酸いも甘いも噛み分けて来た、
筋金入りの糞ミュージシャンの藻屑たちとの間で、
世界最高のリズムセクションを誇るのは誰なのか、
なんて話から、そりゃやっぱり、エルヴィン・ジョーンズでしょ、から始まって、
ジョー・モレロからトニー・ウィリアムスからバディ・リッチからガッドから
ストーンズからレッド・ゼッペリンからロキシー・ミュージックから、
フランク・ザッパからパンテラからラッシュからACDCからストテンから初期のガンズから、
オールマン・ブラザーズからダブル・トラブルからTHE BANDからカルロス・サンタナから、、
そしてJAMES BROWN&JB’Sからパーラメンツからアース・ウィンド・アンド・ファイアーから、
果ては、セルメンからロス・バンバンからフェラ・クティから
とまあいろいろいろ、考えうる限りの名演という名演を並べ上げた末に、
やっぱり、音楽史上、最高最上のリズムセクション、
カールトン・バレットとアストン・ファミリーマン・バレットのバレット・ブラザーズ、
言うまでもない、ボブ・マーリィ・アンド・ザ・ウェイラーズの、
必殺のワン・ドロップ、これを置いて他にはない、と相成った・笑





という訳で、今更ながらここに来て、
俄にレゲエ・ブームの熱狂が再燃する我が家において、
YOUTUBEで発掘する山のようなボブ・マーリィ存命時の海賊版の数々。

このドラム、このベース、まさに、一糸乱れぬ、というよりは、
まさにこれ、語りかけるような、蠢くようなのたうつような、
トーキング、というよりは、有機的なまでのリズムの立ち方、踊り方、謳い方。

でさ、改めてこのレゲエのリズム、
その核となるのは、実にベースのライン、なんだよね。
で、その完璧なまでにダウナーでグルーヴィなベースのラインに、
ワン・ドロップで落とし込む、そのバスドラとリムショの溜めの凄まじさ、
と実はそこばかり気になっていたのだが、
いや、実はそれ、違う、と。

実はレゲエはダウナーの音楽に非ず。
このワン・ドロップの切れ味、そのビートを支えるのは、
実は、ハイハット。
このハイハットのレガートを、跳ね上げるだけ跳ね上げて、
そのアッパーの突き上げがあって初めて、
あの、ズドンというばかりのバスドラのワンドロップが効いてくる。

で、改めて、このカールトン・バレットのドラム、
ライブにおけるそのハイハットの切れ味、
その凄まじさと言ったらまさにカミソリのようで、
ああ、そうか、つまりはそういうことか、と。

レゲエにおいて、実はちょっとした脇役となりがちのギター、
実はあのギターのカッティングが、このハイハットとの間で絶妙のシンクロを醸し出し、
そしてベースのうねり、その隙間を鍵盤の裏音がみっしりと埋めていく。

そう、このレゲエという、一種スカスカのリズム。
でありながら、すべての音を、全ての楽器が、まさに絡み合って支え合って埋め会って、
初めてあの凄まじいばかりのグルーヴが生まれてくるのだ、と。

で改めて、ジョン・ボーナムのリズムが実はバディ・リッチのジャズテクと86に支えられていた、
その秘技に気づいた時と同じように、
このウェイラーズのカールトン・バレットのプレイ、
その極意が実は、音には拾われていないスネアのシャドウ、
そしてなにより、その裏打ちのハイハットのレガートにあった、というこの事実。

そのキレッキレのドラムがあって初めて、
あの、波長の長いベースのリフが、
そしてなによりあのボーカル、あの伸び伸びとしたどこまでの広がる大海原のような歌声が、
最高最強の威力を発揮することにもなる得る、と。

という訳で、嘗てのジャズ浸りの日々から一転、
クーバのサルサに目覚めた途端、いままで聴いていたフリー・ジャズのリズムが、
なんとも、曖昧でちゃらんぽらんでスカスカに聴こえて来た、というあの魔術的な開眼と似て、
一度このウェイラーズの秘技に触れてしまったが最後、
スライ&ロビーの名声は愚か、ロックがブルースがそしてサルサが、
どうしても、どことなく、微妙にズレて聴こえてしまう、そんな宿命を背負い込むことにも相成った。

という訳で、そんな筋金入りのレゲエの達人たちを連中に、
おさん、目を覚ませ、この時代、世界一はなんと言ってもベビーメタル、
と力説に力説を繰り返して来たこの俺が、ふとすればすっかりミイラ取りのミイラ。

いまになって、ベビーメタルと1970年代のボブ・マーリィと比べて、
我らがベビーメタル、いったいどこまで対抗しうるか、と思った時、
正直なところ、ちょっと背筋に冷たいものが走った。








ナオミ・オオサカ 世界の頂点! ~ 日本テニス界百年の執念がいま結実を見た!

Posted by 高見鈴虫 on 08.2018 テニスねた   0 comments
おおおおおおお!!のオオサカ・ナオミ、
あまりにもあっさりというかなんというか、
二十歳にしていきなり、
TOP OF THE WORLD!!
極めちゃったよ、おいおい。

世界の頂点の表彰式に立った日の丸一本!
百年以上の長きに渡って夢の夢のまた夢とされていたグランドスラム ・チャンピオン。
この偉業がなんともまあ、これほどあっさりと実現してしまおうとは、誰一人として予想だにしなかったのではなかろうか、と。

いやあそう、ナオミ・オオサカ、
その実力のほどは昨年のUSOPENにおける快挙から、
-> 2017年USOPEN雑感
そして先日のインディアン・ウェルスの優勝でも立証されている訳で、
いつでもグランドスラムを取れる!とは確信していたのではあるが、
だがそう、今日に限っては初めてのグランドスラムのファイナルだしさ。
で、相手はまたあのセリナだし、
今回はまあ、予行練習というところで、
スコアとしては、6-3 6-2 ぐらいでも十分かな、
とかと思っていたのだがだがだが、

蓋を明けてみれば試合開始直後からいきなり、
実力そしてメンタルともに、女王セリナを圧倒に次ぐ圧倒!

まさにグウの音も出ないほどの、完璧な大勝利だったと思う。




ベビーメタル-LEGEND-S-BAPTISM-XX 鑑賞直後LOG ~ アブソリュート・すぅめたる:信仰の生まれる瞬間・・

Posted by 高見鈴虫 on 03.2018 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments

つまりは、神は試練を与える、と、そういうことなんだろう。

改めてベビーメタルは試練のバンドである。
伝説に刻まれたそのすべてのステージが、
この絶体絶命の逆境の底からの奇跡の大逆転ホームラン。
それはアントニオ猪木のプロレスの美学にも通じる、
逆境からの奇跡の大逆転。
その試練に打ち勝つことこそが、
ベビーメタルのドラマ性のその真髄。

そしてこのヒロシマであった。

鳴り物入りで発表されたこのすぅめたる20歳のバースデイ。

全ての終わりであり全ての始まりである、
そんな意味深の謳い文句とともに告知されたこの公演が、
しかし、奇しくも、あるいは、下手をすれば宿命的なまでに、
その直前になって、未曽有の危機を迎えることになった。

ユイが出演できない・・

公演直前に発表されたこのユイ欠場のニュース、
いきなり寝耳に水の青天の霹靂の中にあって、
この会場を埋めた観客の誰もが、
とてつもない不安と混乱のどツボの底に叩き込まれていた筈だ。

ベビーメタルのすぅユイ最愛の三姫、
これまでの奇跡のすべてを支えてきた黄金のトライアングル、
この唯一絶対の三位一体の結界なくして、
ベビーメタルはいったいどうなってしまうのか・・

改めて、これだけの大掛かりなセットである。
その舞台装置だけでも数億。
事前には入念なリハーサルが繰返され、
どんなハプニングも許されないほどに、
徹底的なまでの事前準備がなされていた筈である。

そこで訪れた、ユイ不在というこの未曾有のニュース。

これまでのすべてを覆す、このあまりにも致命的なちゃぶ台返し。

波乱に満ちたベビーメタルの歴史の中で、
しかしこれほどまでの試練はかつてなかった。

それはまさに、試練の中の試練。
ベビーメタルの存続そのものが直面した、
絶体絶命の土壇場の危機、であった筈だ。

いやはや、これまでにもなんども、
そんな絶体絶命を経験してきたベビーメタル、
あるいはその歴史そのものが、
そんな絶体絶命の繰り返しであったと言っても過言ではない。

でありながらも、その全ての窮地を倍返しにしてきた、
その逆転劇を可能にしてきたその真髄とは、
まさしくすぅユイ最愛の黄金のトライアングルのパワーがあってこそ。

果たして、ユイ欠場、その究極的逆境の中にあって、
いったいベビーメタルはその試練にどう立ち向かったのか。
そして観客達は、そこにいったい、なにを見たのか・・

この「LEGEND-S BAPTISM XX ~ LIVE AT HIROSHIMA」 は、

その克明な記録である。

すぅめたるの二十歳のバースデイ・パーティ
故郷の地広島での一代凱旋公演、
その祝賀ムードが一転して、
このユイ欠場という絶対絶命に叩き込まれたベビーメタル。
そしてこのユイ欠場という絶対絶命の危機によって、
奇しくもこのあまりにも劇的なドラマを産む事になったその奇跡。

改めて言うまでもなく、
この作品こそは、ベビーメタルの最高傑作である。

あるいは、これ以上のパフォーマンスを、
いかなるジャンルを含めた上でも、
誰も目にしたことはない筈だ。

これはもう、アイドルだ、メタルだ、ロックだ、パフォーマンスだ、
そんな次元のものではない。

神懸かり、とは、ベビーメタルについてよく言われる言葉だが、

この公演、まさに、霊的、といえるほどに、その瞬間のすべてがすべて、
まさに、神の国の出来事・・

そしてこの記念碑的な映像を象徴する瞬間。

すぅが、すぅが、泣いている・・

見開いた瞳の中に、涙を潤ませて絶唱するすぅめたるのその姿、

ああ、これをなんと言ったら良いのか・・

全ての表現、すべての装飾、すべての論評が、批評が、
この映像を前には、何一つとしてなんの力も持ちえない。

ともすれば、称賛さえ、この映像に対しては、
陳腐な枝葉に過ぎないだろう。

これはもう、誰がどう考えても、世のパフォーミング・アートの最高傑作。

或いはこのすぅめたるこそが、人類の産み出した、その種として、最高傑作。

ただこの映像、やばい。
完全にやばい。

つまりはその麻薬性、といよりは、その洗脳性。

これを見て正気でいられる人間は、感受性がちょっとおかしい。

つまりはよほどの知恵足らずでない限り、
この映像を前に、言葉を発せられるやつなど、いない筈だ。

それが証拠に、このヒロシマ公演、
2017年12月2、3日
その時から、時間が停まってしまった、
あのヒロシマに魂を置き忘れたまま、
あの場を、あの瞬間を、いまだに離れることができない、
そんな極度のPTSDに陥ってしまった輩を、
世界にこれだけ生み出してしまったのである。

そしてそんなトラウマ的なまでに奇跡的な公演を克明に記録したこの映像。

その衝撃、まさに・・・ 
絶句に次ぐ絶句、唖然に次ぐ唖然、
そして、涙が涙が涙が、止まらなくなる・・・

改めて、あのヒロシマのトラウマ的なまでの究極映像。

これ以上の映像は、この世には存在しない。

つまりは一度この映像に触れてしまっては、
もう何人:なにびとたりとも、魂を取り戻すことができなくなる。

BAPTISM 洗礼の義、とは良くも言ったものである。

ベビーメタルの魔境、その終わりなきDIVINEへようこそ。

もう後戻りは出来ない・・・

ベビーメタルのいない夏 ~ 完璧に勝るなにか、とはなにか:新生ベビーメタルの目指したもの

Posted by 高見鈴虫 on 31.2018 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments
いやあ、旦那、どうもどうも、
なんか久しぶりだよな、
とは言いながら、最後にコメント貰ったのが、
ああ、6月の半ば、つまりは、一ヶ月半前ってことなのか。

へえ、あれ、そうか。
なんか随分とご無沙汰しちまったような気もしてたのだが、
そうか、あの、ドニントンパークのライブが終わってから、
たった一月半しか経って無いんだよな。

なんだよそんなもんなのか。

改めてベビーメタル、
そのツアーが始まった途端、昼も夜も無く、どころか、
寝る間も惜しんでのパイレーツ動画漁り、
なんてことに完全没頭してしまう関係から、
改めてそんな夢から覚めた祭りの後、
そのロス期の空虚感がハンパねえし、
ってのも、まあ今に始まったことではないのだが・・・

だがさ、いや、まあそう、これも実に感覚的、
あるいは印象的なものではあるのだが、

なんかこの今回のロス期、
ちょっとした空白、というか、
失望ではないにしても、
なんとなくも、妙なところで、寂寥感なんてものを感じない訳でもない、
この一種、燃え尽き感って、いったいなんなんだろうな。

という訳で、思わず呟くこの言葉、
だって、だって、だって、すぅちゃん、
せっかくの夏、そう、夏なんだぜ、
夏だ、ロックだ、ベビーメタルだ、
その夏に、なんでなんで、よりによってすぅちゃんが居てくれないのか、と。

という訳で、この夏真っ盛り、これあまりに真っ盛り過ぎ、
という、ともすれば修羅にも近い魔夏の最中にありながら、
果たしてそこに繰り広げられる巨大祭典の数々。
そう、言わずとしれた夏のロックフェス、なのであるが、
その錚々たるラインナップ、なんてものを前にしながら、
そう、どうしてだろうこの拭い切れない寂寥感。

そう、誰もが気がついている筈だ。
なにかが足りない、なにか、とてつもなく大きなものが、
ここからすっぽりと抜け落ちている。
それはまさに、主役の居ない舞台。
あるいは、フェデラーの欠場したグランドスラム、
あるいはそう、まさにそれ、女皇帝のいない七月・八月、
誰もが認めるその不動の王者たるベビーメタルなくして、
いったいどこに、真の祝祭があろうか、
なんてことを思っては、
改めて、ベビーメタルのいない夏
このあまりの空白、このあまりの空虚、
このあまりの、寂寥感は、いったいなんであるのか、と。

そう、ベビーメタル無くしては、世界のロックは成り立たない、
ベビーメタル無くしては、世界のロックはまったくもってただの抜け殻、
改めてこの、ベビーメタルのいない夏、
つまりはその白々しさが、ハンパねえって訳でさ。

という訳で、相も変わらず、
世界がどうなろうと知ったことか、のこの俺。
てやんでい、俺にはベビーメタルがいる、
ベビーメタル以外はなあんにも要らない
と思い切りへそを曲げまくっては、
果なきダークサイドを漂う、
このベビーメタルのいない夏。

で、旦那衆、改めて、いかがお過ごしてですかい、と。



という訳で、
実はあれから、また例によってずっとずっと
先のツアーの海賊音源ばかりを聴き続けているんだが、
その一番のお気に入りのテイクっていうのが、
狂乱と言われたヒューストンでも、
あるいは、暴動とまで言われたナッシュビルでもなく、
実は実は、そのツアー二日目、
オースティン・テキサスでのライブだったりもするんだよね。

まあ確かに、SHOWとしての完成度としては、
ナッシュビル、あるいは、インスブルックでもあるのだろうが、
ほら、俺はご存知のように音源乙、
仕事中の作業用、気つけ薬代わりに聴くことが多いことから、
映像系、というよりは、どうしてもやはり、音源に頼らざるを得ない。
でまあ、そんな極音源的な主観から言わせて貰えれば、
一種、完成を極めた感のあるナッシュビル、
あるいは、その後の欧州小箱よりは、
むしろ、ギリギリな緊張感の中に張り詰めたこのオースティンでの公演、
これこそが、実は先の米欧ツアーの命運を決っした、
その天王山であったのだな、と改めて感じ入る訳だ。





ニューヨークの地下鉄に狂犬の恐怖!

Posted by 高見鈴虫 on 30.2018 犬の事情   0 comments
今日はじめて地下鉄に乗った。
もちろん俺のことではない。
そうこの犬のことである。
実は晴れて我が家のこの狂犬が、
エモーショナル・サポート・ドッグなる資格を認定されることとなった。

果たしてこのエモーショナル・サポート・ドッグと言う奴、
通常のサービス・ドッグ、つまりは盲導犬やらセラピー・ドッグなど、
なんらかの特殊な技能を所持し、人間様のために働く労働犬向けの、
というものでは勿論なく、
このエモーショナル・サポート・ドッグ、
得てして精神面で不安定なる問題を抱えた飼い主が、
この犬がいなくなった途端にいきなりのパニック発作、
不安に駆られて通常の生活もままならない、
とまあ、そんな障害を抱えた飼い主をサポートをする為の犬、
と言うのは勿論ただの建前だけ。

ぶっちゃけニューヨークに於いては、
まだペットを連れての公共交通機関の利用が許可されていない、のであるが、
特例として、正式な労働犬であるサービス・ドッグと、
そしてこのサポート・ドッグなるものに限ってはそれを認める、
つまりは犬を連れて、バスやら地下鉄に乗る為の、
その許可証、ぶっちゃけ免罪符、あるいは、口実、なのである。

というわけでじゃんけんぽんの末に、というよりは、
あなたがメンタル・ヘルスの、なんて言うとマジで洒落にならないし、
ってな理由から、
我が愚妻、不安神経症の発作で片時でもこの犬が居なくては生きてはいけない、
ってな適当な症例をでっち上げては、
先の独立記念日に半額セールのプロモーション期間、
えいやあとお!とばかりに、このエモーショナル・サポート・ドッグなる、
なんともいかがわしい資格を申請した訳だ。

というわけで、ようやく届いたそのエモーショナル・サポート・ドッグなるもの認定書と、
もっともらしいメダル、
そして仰々しくもまったくそれらしくも
「サポート・ドッグ認定犬」と大書きされた赤いベストが届いた訳なのだが、
そんな事情から本日始めて、
晴れてサポート・ドッグとして、
地下鉄に乗り込んではダウンタウンの友人を訪ねる、
なんていう大冒険が敢行されることと相成った。








幽玄の美・幽艶の極 「NINAGAWAマクベス」に無常の光を観た

Posted by 高見鈴虫 on 25.2018 読書・映画ねた   0 comments

いきなりだがまた例の奴で、
突如突然に呼ばれて飛び出てての寝耳に水。
NINAGAWAマクベス、なるものを観ることとあいなった。







というわけでマクベスである。

言わずと知れたマクベス。
つまりはシェークスピアの四代悲劇の、
つまりは古典である。

しかし俺にとってのマクベスとは、
シェークスピアの、というよりは、
ロマン・ポランスキーの、
という意味合いがとてもとても強い。

俺はどうしたことかこのロマン・ポランスキーのマクベスが、
一体全体どういう理由でか、なぜか病的なまでに好きで好きで、
これまで一体何度観たことか。 

このポランスキーのマクベスがきっかけとなっては、
似合わぬとは知りながらも古典としてのシェークスピア、
なんてものにも触手を伸ばしたりもしたのだが、
当然のことながら最後までは読まず終い。

だって、英語であっても日本語であっても、
それってやっぱり16世紀、
つまりは、すべてがすべてこってこての古典であり古語である訳で、
当然のことながらそういう古典を古典として楽しむには、
まだまだ相当に修行が足りねえなあ、とは思ってはいたのだが、
まあ良いじゃねえか、そう、俺的にはマクベスは、
このポランスキーバーションで十分、と、
勝手に即断申し上げていた訳であるのだが・・



Try A Little Tenderness ~ 一難去ってまた一難のが~がらがら狂騒曲 

Posted by 高見鈴虫 on 25.2018 犬の事情   0 comments
つい先日のピーピー騒動も束の間、
今度はよりによって咳である。

いつの頃からか、妙に喉に痰が絡まるような、
そんな嫌な咳をすることが多くなった。

がーがらがら、かーっ、ぺっ!

なんだよ、どうした、それ。
どうでも良いけど、なんか、ジジ臭いにも程があるな。

そう、我が家の犬もすでに十歳も間近。
人間で言えば、つまりは60歳?
それってまさか立派な老犬。
もしかしてお前、いつのまにか俺たちの歳を追い越していたのか?

思い起こせば九年半前のクリスマスを過ぎた雨の朝。
濡れないようにとジャンパーの胸に抱いてはこいつを迎え入れた、
あの日のことが未だに昨日のことのようだというのに。
あの子犬、まるで縫いぐるみそのものだったあいつが、
いつの間にか老犬の域に近づきつつあるこの不思議。

という訳で、この、がーがらがら、かーっ、ぺっ!
聞けば聞くほどに嫌な咳である。
ただその聞こえの悪さは別として、
特にこれと言って具合が悪いというのでもなさそうなのである。
それが証拠に今日も今日とて朝の6時、
目覚ましラジオが鳴り始めるその寸前に飛び起きては、
おい、朝だぞ、起きろ起きろと顔中を舐め回し、
腹の上で胸の上でいつもの大運動会。
ああ、判った判った、もうちょっとだけで良いから寝かせてくれ、
そんな切実な願いも知ったことかと、
俺とかみさん、その双方の健やかなる寝顔を代わり番こに、
舐めて舐めては舐め続けるこの非情の目覚まし野郎。

ただ、そんな時、ぐ、と喉の奥から不穏な呻きを漏らしては、
が~が~が~、が~がらがら、かーっ、ぺっ!

なんだ!?と思わず飛び起きる俺とかみさん。
なんだよそれ、喉になにか詰まったのか?
まさか、また変な物でも食べたのんじゃないの?
あんたが早く起きないからよ。
それならなんでお前が起きない!?
とそんな騒ぎも知ったことかと、
すたすたとひとり玄関に走っては、
おーい、まだかまだか、と繰り返すその不届き者。

という訳で、夜明けのセントラルパーク、
朝露に濡れた草原をこれでもかと走り回っては、
家に帰り着いた途端に、足も拭かないうちから朝食をねだる、
まさにそう、いつもながら元気元気、
問答無用に罰当たりなほどに、元気いっぱいいっぱいすぎる、
この馬鹿老犬、でもでもあるのだが、
ただその朝食を一心不乱に平らげた、その途端、

が~が~が~、が~がらがら、かーっ、ぺっ! 

なんだなんだ?と目を丸くする飼い主の前で、
は?なにが、とあっけらかんと尻尾を振る、
この相変わらずの可愛い老悪魔ぶり。

ただ、なにかなこの咳。
なんだろう、喉になにか詰まっているような。
まるで死にかけた爺さんのような、
言っちゃなんだが、ジジ臭いにも程がある・・
まさか風邪でも引いたのかな。
風邪っていうふうにも見えないけど。
だったら、
だったら?
だったらもしかして
もしかしてなによ。
もしかして、喉になにか詰まっているとか。
魚の骨とか?まさか、小骨のついた魚なんか食べさせてないわよ。
だったら?
だったらなんだろう。

とそんな飼い主の困惑を前に、
まるで嘲笑うように、ソファの上にゴロンと寝転がっては、
よりによって、ぷーっと、おなら一発。

大丈夫なんじゃない?こんなんだし。
どう考えてもこいつが病気だなんて思えないよな。
まあ、そのうち治るんじゃない?
この間の下痢もそうだったし・・
そう言えばあんたの下痢は治ったの?
いやあ、それがさ・・・







  

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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