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いかれたティーンエイジャーが趣味で身体売るのは

Posted by 高見鈴虫 on 04.2006 旅の言葉   0 comments   0 trackback
ベネズエラのチャベスと仲良くなって、
ちょっとは羽振りが良くなったようなキューバだけれど、
だからと言ってあの娼婦達がみんないなくなっちゃったり、
って絶対にないと思う。
いかれたティーンエイジャーが趣味で身体売るのは
なにも日本に限ったことじゃないって。

天国にテニスコートってあるのかな

Posted by 高見鈴虫 on 14.2006 旅の言葉   0 comments   0 trackback
むかし、南海の孤島のヒッピーコミューンみたいなところで
暮らしたことがあったんだけどさ。
来る日も来る日もビーチでハッパ吸いながら、
ここはこの世の楽園、
輝く海と太陽と山のようなフルーツと取りきれないぐらいの魚、
これ以上何が必要だ、
なんて、間の抜けた会話を続けていたとき、
いや、テニスコート、と言った奴がいてさ。
どこの馬鹿か、こいつは、と思ったけど、
今からだとちょっと理解できるな。
天国にテニスコートってあるのかな。

まるでアルバムの中に生きているような

Posted by 高見鈴虫 on 01.2006 旅の言葉   0 comments   0 trackback
カフェのテーブルでジョイントを巻きながら、
丘の上の木陰から遠い海を眺めているジャックの姿が、
まるで完璧な風景だ、とため息をついている時、

「ねえ、まるでアルバムの中に生きているような気がしない?
目の前のこの風景がすでに遠い昔の思い出になってしまっているようなきがして」

とつぶやいたアリスの言葉に、
なんかみんな、思わず、深く頷いてしまったポカラの昼下がり

うちゅうごくじん

Posted by 高見鈴虫 on 23.2006 旅の言葉   0 comments   0 trackback
今は昔、お友達から聞きかじった話。

通っていたアリゾナの大学に、
短期的に中国からの留学生が一挙に送りこまれて来たことがあったのだが、
正直いってあの時期、
学校どころか、町中がちょっとした大混乱をきたしたものだ。

授業の最中、静まりかえった教室で、
いきなりブリッと音を立てておならをする女子学生、
を手始めに、
試合中のテニスコートを横切りながらフン、と手鼻をかむ青年
顔をつき合わせながらげぇぇぷ、と大きなゲップをする少女
カフェテリアで盛られたばかりの料理に
顔をつきつけて匂いを嗅ぐや、
いきなりぺっと唾を吐いて着き返してみせたり、
ドミのトイレはどれも糞だらけ、
夏だと言うのに風呂にも入らず、
コップの水を浴びた体をベットのシーツでごしごし擦ったり、
床は水浸し、部屋中がごみだらけ、
で、掃除婦がまだ来ない、と苦情の電話を入れ来て、
街で唯一の寿司食い放題が売りの日本食屋に
大挙として押し寄せては、
頼んだ寿司のネタだけ剥がしてシャリのピラミッドを作り上げ、
店の人が溜まらず文句を言うと、
何が悪い、どこに書いてある、貴様こそ失礼だ、
と食い残しの巻物を掴んで投げつけるう始末。
ついには深夜の喫茶室で、
缶詰を丸ごと電子レンジで温めて爆発騒ぎ。
と、
なにかにつけてあまりにぶっ飛びすぎた中国人留学生。

挙句の果てに、
どこで覚えたのかレンタカーを借りてきたが最後、
信号は無視する、パトカーの制止は無視する、
サイレンを鳴らされて追いつかれ、
免許証を求めた警察官に、
歯茎を剥きだしてこの世も終わりとばかりに罵倒を始める始末。

任意同行を求められた警察署無いから、
中国大使館を呼べの一点張りであわや大立ち周り。

短髪痩身に仮面のような顔をした子供たちの
そのあまりのご蛮行振りに、
普段は無法者でならしたバイカー・アウトローの連中も、
ビッチで鳴らした行け行けチアガールズも、
黒人も白人もラティノもネイティブ・インディアンも、
世界各国から津々浦々からの留学生一同も、
思わず一目置く、というよりは、辟易して頭を抱える始末。

と言う訳で、人々、思い切りうんざりした顔で、
似たような人種、つまり、日本人をたずねては、
同胞のよしみであいつらにちょっとだけでも、
エチケットをわきまえろ、と言ってもらえないだろうか、と。
挙句には、
ボーイフレンドから、君も僕の前では猫かぶってるうだけで、
本当の所はあんななのかい?と別れ話を切り出されて、
正直言って迷惑至極。
顔を赤くして激昂する韓国人も、
見ざる聴かざるで頭を抱える台湾人、
口をゆがめてこれ以上無い皮肉な顔でねめつける香港人、
うへえ、凄いね、と口笛を吹くフィリピン人、
まあまあ、彼らには彼らの事情があるんだから、と平静を装いながら、
その視線の先にあからさまな侮蔑を宿したタイ人、
と言う訳でさまざまな反応を見せていたアジア人連合、
ではあったが、
いつしかそんなアジア人でさえも一同に白い目で見られ始めた
そんな村八分状態にはめっぽう弱い集団志向村社会育ちの日本人、
ついについに堪忍袋の緒が切れて、
人の失せた教室に一人、そ知らぬ顔で鼻くそをほじる女子学生の眼前につかつかと歩み寄って、
ちょっとあんた、いい加減にしなさいよ、の一言。
なによ、日本人。
迷惑なのよ、あんたらと一緒にされて。こっちのやり方を尊重する気がないなら早く帰れば良いのに。
なにさ、アメリカの奴隷の分際で。貴様こそ恥を知れ、売女め、
と取り付く島もない。

まあしかし、人間、たいていのものには慣れる。
不快だとは言っても、
気に入らない、目障りだ、という以外には、
実害がある、という訳でもなし、
そんなわけで、まあ自由主義のお国柄、
割り切ったほうが勝ち、とばかりに、
鼻くそ食いたければ食えばいい。
糞にまみれた便器が好きならそうすればいい、
好きにさせればいいさ、と。
いつしか、中国人学生専用のトイレと専用の流しと、
専用のテーブルと机と、が出来上がり、
学生から教師から、彼らの存在は一切無視。
質問どころかオナラの音もゲップの音もそ知らぬ顔。
残りの在学中を、まったくの無視、と言うよりは、
ごみ扱い、汚物扱い。

そんな訳で中国人留学生の帰国前の別れの言葉。

資本主義の豚ども。地獄に落ちろ。腐った死肉を食らって暮らせ。

なんか、パンクなんてぜんぜん目じゃねな、こいつら、とちょっと関心。
人間、というよりはまるで、宇宙人。
つまり、うちゅうごくじん、と呼んでやろう、
なんて、下手なしゃれにひとりで笑っていたものだ。

毒入りの点滴、
毒入りキャットフード、
毒入りうなぎに毒入り漬物
火を吹く電池、
のこぎりの刃が宙を舞う芝刈り機、
ダンボール入り肉まん、
あ、それ、間違いでした、の誰の目にも明らかな隠蔽工作
農薬漬け野菜
破綻したダム工事に押し流される村々、
無規制の公害垂れ流し、
生き埋めにされる公害病患者、
サーズ、ではないが、
中国のこのうちゅうごくじんぶりのおかげで、
世界中が大混乱、
というよりは、
大病気になる可能性がぜんぜんしゃれにならなくなって来て、
ますます、
おお、こいつら、パンクなんか目じゃねえな、
とあの時の感動が再びよみがえる、と。

そこのけそこのけ、うちゅうごくじんが通るの21世紀。
いまのうちにどうにかしないと、
大変なことになる、と思ってるのは、俺だけではないはずです。

「メキシコ人アパート」  テキサスダイアリーより

Posted by 高見鈴虫 on 29.2006 旅の言葉   0 comments   0 trackback
「メキシコ人アパート」
 友人の一人に、メキシコ人アパートの住人がいる。
 メキシコ人アパートと言うのが具体的に何かと言うと、低所得者の中でも、もうほとんどギリギリと言う人達の為の、半ばシェルターに近いアパートの事である。
 ちなみに友人は、家族併せて12人でワンベッドルームに住んでいる。俺が泊まる日には13人になるのだが、縁起が悪いという事でか、その時には誰かが他に泊まりに行く。
 リビングと寝室、それぞれ一部屋6人づつ。ドアを開けるとリビングにまず3つの二段ベッドが並び、そこが子供部屋となる。奥の寝室は夜に便所に行く時に通っただけだが、そこに二夫婦と二人の赤ん坊が寝ている。
 キッチンのスツールに置かれたテレビと、食事用の傾いたテーブル以外、机も本棚もソファさえも無いのだが、そこは考えたもので、身体をずらせばどこのベッドからもとりあえずテレビだけは見れるようになっている。
 一応、今年12歳になった友人の妹のクラウディアと、親戚夫婦の連れ子の今年16歳になるパトリシアが、二段ベッドの上を使っていて、申し訳程度にカーテンで四方を囲っている。
 ちなみに親戚夫婦の連れ子であるパトリシアは俺のファンだ。夜、いい加減酔っぱらって寝ていると、上のベッドのカーテンの隙間からブラジャの紐などを垂らしては、釣りを仕掛けてきたりする。
 そんな時、部屋の全員が俺を見ている。
 陽気なメキシコの子供達は、枕に頬杖をつきながら、そんな俺ににやにやとウインクしたりする。

 このメキシコ人アパートで素晴らしい事はと言えば、草が半ば公然だと言う事だ。
 この友人の家庭に置いても、11歳と7歳の小僧どもを除いて、住人のほとんどは大抵の時間、酔っぱらっているか、さもなくばラリっている。
 日中はアパートのほとんどの階段が住人達で鈴なりになり、のべつまくなしビールを飲んではおしゃべりをして過ごしている。
 俺はよく、そのアパートの階段にガッドギターを持って出かけては、ポットを回しながら、友人とそのご近所さん達の歌に合わせてギターを弾く。
 このアパートの住人は実に陽気だ。
 まあ働かなくても、毎月毎月の生活保護でどうにかなってしまうからなのだろうが、とりあえずの所、俺のギターを見れば、入れ墨だらけのにいちゃんから、下着姿の叔母さんから、車椅子の爺さんまで、誰の彼のと集まっては、何のてらいもなく一斉に声を張り上げて歌う。
 住人達の歌の上手さはまったくピンキリで、オペラ歌手の様に胸を張って喉を震わすものから、最初から最後までまるっきり別の音階で歌い通す者から種々様々だが、取りあえず全員が思いきり歌う事だけは確かだ。
 一曲終わる毎にそこいら中で乾杯の嵐が繰り返され、火のついたジョイントがホイと差し出される。
 夏の夜など、月明かりの中、時には二時過ぎまでギターを弾いている時がある。何人かには簡単な曲を憶えさせてあるから、指が疲れた時には、気軽にギターを隣に譲って、俺はポットを吸いながら、隣に座ったねえちゃんと軽くキスをしたり、受けを狙ってランダバなどを踊って楽しむ。
 別に俺はそれ程ギターが上手いわけではない。
 明星の付録でローコードをいくつか憶えた程度だ。
 それでも俺は取りあえず、このアパートではギターの先生として重宝されている。
 と言うわけで、俺はこのメキシコ人アパートにちょくちょくお邪魔する。ギターの先生はいつも、おみやげに袋一杯のポットを貰えるからだ。

 俺がこのアパートで気に入っている事がもう一つある。
 安全なのだ。
 ほとんどの家々が一日中ドアも窓も開けっ放しで暮らしていることでもそれが判る。
 夜でさえ、そこかしこのドアが開いている。
 中にはドアのノブから電柱まで、洗濯用のロープを渡してきつく縛り付けてある所さえある。
 ここまで貧乏なのだから、誰もガンなど持っていないし、ビールばかり飲んでいたとしても、ビール以上にきつい酒は手に入らないから、アル中もそれほどひどくはならず、同じ理由でポット以上に凄いドラッグも手に入らない。
 ガンとPCPさえ無ければ、貧民街と言ってもそれほど恐れる理由などない。
 しかしながら災難なのは年頃の女の子達で、時として着替えも寝乱れ姿も何もかもが外から丸見えと言う状態なのだが、住人の全てが互いに知り合いである以上、下手に手を出すとそのまま結婚か、あるいは村八分のつまはじきになってしまう為、予想した程レイプ事件も少ないようだ。
 そんな訳で、ここでは何もかもがあからさまだ。
 ギターを弾きながら歌っている間にも、そこかしこの窓から、あからさまなよがり声がオーラーオーラーと洩れて来る。
 まるで近所の人々に、その心地よさを誇っている様な向きさえある。
 さっきまでそこで濁声を張り上げて歌っていたテンガロンハットのおっさんが、自宅の窓から奥さんに呼ばれて退場すると、途端に灯の消えた部屋の奥から、オーラーオーラーの声が響き出すと言った具合だ。
 正直言って、その声が凄ければ凄いほど、あのおっさんやるなあ、などと思ってしまう。
 しばらくして、おっさんは再び登場する。
 俺達は目配せしあって、それとなくおっさんの肩先を小突いたりする。
 そしてその後ろから、風呂上がりの奥さんがおごそかに下りて来る。
 シャワーに濡れた髪の先から、水滴などを垂らしながら、バスタオル一枚を胸に巻いて、サンダル一丁で階段の途中に腰を下ろす。
 休み無く子供を生み続けて、今や樽の様に太った奥さんは、しかし汗の滲んだ肌から噎せる様に石鹸の匂いを立ち昇らせ、その力の抜けきったトロンとした表情はまるで菩薩の様にも見える。
 そんな奥さんは実に幸せそうだ。
 幸せそうだと言うよりも、幸せの極致と言う風にも見える。
 シャワーを浴びずにそのまま出てきたおっさんは、やはりちょっと匂う。
 たまにそれと無く指先の匂いなどを嗅いでいて、そう言う動作をめざとく見つける俺と目があっては、照れて肩をつぼめて見せたりして、実に可愛い。
 そんな時、しかし必ず、ふと、顔を上げるとパトリシアがいる。
 パトリシアはいつも俺を見ている。俺のほんの些細な仕草さえ決して見逃したりはしない。
 俺と目が合う度に、それとなくTシャツの胸元をずらしたり、膝の間を少しづつ広げていったりして、なんとも艶かしい。
 16歳のパトリシアは、しかし実に美しい。
 長い黒髪を横に流し、顔はちょっとグロリア・エステファンに似てない事もない。
 ノーブラでもおっぱいの先がツンと上を向き、肩手で抱いても剰るぐらいに細い腰をしている。もちろん尻は凄い。尻だけはまるで風船の様だが、しかしその下に伸びる足はまるでカモ鹿。足首など今にも折れそうだ。
 シャワーの後など、下着姿のパトリシアをよく見かけるが、ちょっと大きめのお尻の下、深く食い込んだ赤いパンティの端から、柔らかそうな栗色の陰毛がちょっとはみ出てたりしていて、頭がクラクラする。
 彼女は呆然と見つめる俺の前に立ちはだかり、お臍を目一杯に見せつけながら、よっこらしょと二階のベッドによじ登ったりする。
 きつい体臭を含んだ空気が、あとからむっと追いかけてくる。
 香水と若い脂肪と石鹸と髪の油と汗とバニラアイスクリームと尻の穴の匂いが一色たになった、実に刺激的な匂いだ。
 パトリシアは体臭がきつい。
 しかし俺はこの匂いが嫌いではない。
 たまに何の前触れもなく、この匂いがふっと鼻をかすめたりする。
 俺はもうそれだけで、所構わず勃起してしまったりもする。
 オナニーの時には必ず一度は脳裏に登場する。たまに夢に見たりもする。
 俺ははっきり言ってパトリシアに夢中だ。
 やってしまったら、もう逃げられないだろう。
 それは友人からも言われている。
 ご両親は俺との結婚に賛成だそうだ。
 ここに住む限り、生活に問題は無いだろう。まだクローゼットが空いているからだ。
 子供でもできれば生活保護の金額も増える。
 俺は朝からビールを飲んで、日がな一日ポットを回しては、下手なギターをかき鳴らして毎日を過ごす。
 窓から手を振られる度に、いやはや参ったな、などと照れ笑いを浮かべながら階段を登り、奥の部屋であのはちきれそうな肉体を無茶苦茶に楽しんた後、再びギターを抱えた俺の前に、濡れた髪を束ねたパトリシアが、あの刺激的な体臭をむんむんとかぐわせながら登場する。
 俺達は並んだ男達の、今にも切れて弾け飛びそうな嫉妬と羨望の眼差しの中で、舌を絡めてはビールを煽る。
 こう考えるたびに、それはそれほど悪いもんでもないのじゃないかと、ちょっと真剣に考え込んでしまう。
なに、大丈夫。
 パトリシアが太り始めた時には、そのままふっと姿をくらまして、日本なりどこなりにとんづらしてしまえばいいのだ。
 友人一家がその事実を、面倒な書類にいちいち書き込んで、わざわざ遠く離れた役所に持って行かない限り、俺の分の生活費さえ、そのまま猫ババし続ける事ができる。
 そう言う今も、パトリシアのブラジャー紐が目の前にするすると降りてくる。強く引っ張ると、薄く開いたカーテンの間から、赤いペニキュアを光らせた足がダランぶら下がる。弓の様に反り返った指が、おいでおいでと蠢いている。
 この折れそうな足首をそっと掴むだけで、夢の暮らしがすぐにでも転がり込んでくるのだ。
 メキシコ人アパートの暮らしも、それほど悪い物でもないような気もする。

「メキシコ人アパート」終わり

テキサス 強気でやる男

Posted by 高見鈴虫 on 30.2006 旅の言葉   0 comments   0 trackback
  「テキサス・強気でやる男」

 俺はわりと強気でやっているほうだ。
 強気でやっていると言うのが具体的にどういう事かと言うと、やられたらいつでもぶっ飛ばしてやるぜ、という気概をもって生きていると言う事だ。
 俺はこの街に来て三年になるが、恐るべき強運と言うべきか、まだやられた事がない。
 この街のことはもうほとんど知っているが、はっきり言ってここはヤバイ。
 10分おきに前の通りをパトカーが走り抜けて行く。
 近所が毎週ニュースに出る。
 知り合いがやられる。
 はっきり言って、外に出たくなくなる。
 友達のメキシコ人はここよりももっとヤバイ所に住んでいるが、そこはもうほとんどお巡りさえもいないそうだ。
 お巡りがいなければ、ニュースなどになるはずもない。
 「危ない事はねえな」と奴は言う。
 「ただどこかに消えちまうってだけの話でよ」
 ほんとうにヤバイ所というのは果たしてこういう所かとちょっと関心もするのだが、まあそう言った意味から言えば俺の住んでいる所はテレビに出る分まだましなのかも知れない。
が、しかし、
 そう言っていたメキシコ人の友達も、信号で止まっていた所をいきなり石で殴られた事があると言っていたから、やつの強運もそう長くないような気もする。
多分、俺の住んでいるのは、まともな人間の住める最後の境界線とも言えるかも知れない。

 しかしながら、
 だからと言って、俺が弱気になっているかと言うとそんな事はない。
 俺は空手も柔道もやっていないが、はっきり言ってこの街ではそんな物できたからと言って何の役にも立たない。
 振り向いたらいきなりズドンの世界だからだ。
 振り向いたらいきなりズドンの世界で、いくらブルースリーをやってみたからと言って、結果はほとんどたかが知れている。
 かと言って俺が銃刀器の扱いになれているかというと、もちろんそんな事はない。俺は日本を出るまではまったく普通の日本人だったのだ。まったく普通の日本人が銃刀器の使い方に慣れている訳がない。
 と言うわけで、俺がどうしてやってこれているかと言うと、それは強気でやっているからに他ならない。
 なめられてはいけない。
すこしでも弱気を見せたら、奴らはすぐにやってくる。
やってきて袋叩きぐらいならまだ可愛いが、いきなりズドンではあまりにも出番がなさ過ぎる。
 強気こそが最初で最後の武器なのである。

 しかしながら、いくら強気でやっていても、俺の強気を良く見ないうちからいきなりズドンと撃ってしまう奴もいるだろうから、やはり銃は持っておくに越した事はない。
 「大丈夫」
 と、下の部屋に住んでいる、ベトナム帰りのクラック・ジャンキーであるビリーは言う。
 「22口径じゃあ、よほど狙っても当たる物じゃねえ。38ならまあ20フィートが限界だ。どうせ向こうだってアマチュアだから、そうそう狙って撃てるもんじゃあねえからな。
 だから最初の一発目はよほどのラッキーショット以外は、まず当たらねえって事だ」
 「撃たれた、と思ったらこうやって」
 と言って、クラックでやたら元気のいいビリーは、アパートの前のパーキンロットで、実演して見せてくれる。
 白い閃光に包まれたアパートの前のパーキングロット。
 影という影のすべてが灼熱の中に閉じ込められたまま、
 渦をまいて立ち上がる蜃気楼の分厚いベールの中に、
 枯れた椰子の木と錆びたキャデラックと割れたビール瓶と、
 マクドの空き袋とタバコの吸殻と潰れた空き缶と、
 投げ捨てられた女物のサンダルと、死んだネズミのように黒く染まったテニスボールと、油まみれでせんべいのように固まったシャツの残骸が、
 とりあえず目に見えるものすべてが灼熱の中に焼かれながらピクリとも動けない。
 つまり、10時を過ぎた後の、この街の典型的な風景だ。

 靴の底を通してさえじりじりと熱に焼かれる溶けたアスファルトの上に、ビリーはいきなり「パーン!」と叫んで頭から飛び込んでみせる。
 時間の死んだアパート。立ち並ぶプレハブ作りの二階屋の、その窓に下がったブラインドはすべてがぴったりと閉められたまま。
 ドアの前に車が停められている以上、部屋の中にいるのはわかっているのだが、ねじが馬鹿になるぐらいに締め切ったブレイドのほんの少しの隙間から、息を潜めてこちらを伺っている気配がするだけだ。
 「パーン!いいか、撃たれたと思ったらこうやって」
 と、オイルの垂れた路面を転がりながら、
 「いいか、すぐに伏せろ。そしですぐに腰のハジキを抜いて、右肘をまっすぐに伸ばして、左手を銃身にしてこうして手首を重ねて、しっかり固定するんだ。いいか、しっかり固定しろよ。相手の足元に寝そべっておいて、カウンターアタックが外れましたじゃ、おまえはその場で、100%のお陀仏だからな。この一発で、相手の身体のど真ん中をぶち抜いてやるんだ。いいか忘れるなよ。肘を固める事だ。そんで固めた途端に、ぶっぱなす。それからは、相手が倒れるまで、こうやって、こうやって、ずっと引き金を引き続けろ」
 頼むとビリーは、これを何回でもやってくれる。5回目当たりになるとさすがに全身に汗をかき始めるが、最高18回も続けて実演してみせてくれた事もある。
 そう言うビリーは、しかし銃など持っていない。銃どころか、車も、ベッドも、机も鍋も靴も、最近では電気さえも止められた。
 暗い部屋の中、リビングにはベッド代わりの破れたソファが一つ。そしてテレビ。
 車を売った金も、その金で仕事もせずにクラックばかりやっていたのですぐに使いきり、家の中の物は全て20ドル札と交換してしまい、家賃用に最後まで残してあった金も、たちまち20ドル減り40ドル減りで、結局なくなってしまい、最後に残ったのは、誰も欲しがらなかった臭いソファと、ガンとテレビ。
 そしてある夜、ビリーはそのガンを持って、俺の所に遊びに来た。
 ドアを開けるなり、にゅっとガンを突き出して、
 「このガンやるから、一晩泊めてくれ」
 とビリーは言った。
家賃を延滞して、部屋のドアをロックアウトされたらしい。
 奴はその持ってきたコルトの45オートマチックで、宿泊費プラス、キャッシュ100ドル貸して欲しいと言った。
 「100ドルはないけど、キャッシュなら40ドルある」と言うと、奴はすんなりそれで承諾して、すぐにディーラーのビーパーに電話をかけ、俺の見ているまえで、その40ドル分の二かけをあっと言う間に吸ってしまった。
 結局それで、テレビと臭いソファを残してクラックジャンキーのビリーは全てを失ってしまった訳だが、しかしながら奴は、最後に残ったテレビだけは決して手放さない。
 どこかからかすめて来たのか延長コードを、階段下の電球のソケットから部屋の中に引き入れて、そして暗い部屋の中で一日中テレビをつけっぱなしにして暮らしている。
 ライトでは本しか読めないが、テレビなら、テレビも観れて本も読めるから、と言うのがその理由である。
 そんな訳でビリーは、日がな一日、昼はアパートの前の階段に腰掛け、夜はブラウン管に瞬く青白い閃光の中でソファに寝そべり、そして来る日もくる日も、クラックでぶっとんでいる。
 彼の所によく友達が訊ねてくる。彼らもやはりみんな裸足だ。靴さえも売ってしまったジャンキーが、このアパートにはいくらでもいる。

 それ以来、俺はビリーに貰ったコルトを、決して手放さなくなった。
 ポケットに入れておくと相当に重いが、ラップの黒ちゃんがよく履いているバギースタイルのジーンズなら、それほど目だたないで済む。
 今となっては、コルトはほとんど腹巻き化していて、ないとすぐに風邪を引くどころか、ドアの外に出る気にもならない。
 しかしながら不幸中の幸いか、今だにそれを使った事はない。
 もちろんいつやられてもいいように、弾はいつでもこめてある。

 俺はそのコルトを持って、部屋の中でよく予行練習をする。
 一度間違えて、壁を撃ってしまった事があった。
 幸運にも外に向けていだからよかったものの、このアパートの壁は紙のように薄いから、隣の部屋にでもぶちこんでいたら、お巡りを呼ばれて大変な事になっただろう。
 まずベッドに寝る。ドアで物音。枕元のコルトを掴み、そこで飛び起きる場合。
 すぐにドアに走ってはいけない。マグナムや12ゲージ・ショットガンならばドア越しに撃ってくるだろうからだ。だからそんな時はすぐに、キッチンのスツール陰に隠れる。
 肘を延ばし、左手を添えて、手首を固定し、そしてフリーズ。
 では、既にドアを破られていた場合。
 枕元のコルトを掴み、息を殺して、こうしてベッドの陰に隠れて、下から足首を覗き見て、ベッドごしにいきなり、一発、二発、三発。
 倒れるまで、撃つ。
 もちろん街なかを想定した訓練だって忘れはしない。
 いちばんヤバイのは、やはりパーキンロットだ。
 前から来た場合、後ろから、脇から。
 すぐにその場をはね飛んで、
 横に転がりながらガンを抜き、
 片肘を立てて、
 肩と手首で固定して、ズドン。
 一発。二発。三発。四発。五発。六発。
 息の根を止めるまで撃ち続ける。
 よし最初からもう一度。
 ポットを吸いすぎた夜など、真夜中に突然気配を感じると、俺はもうすっかり本番のつもりで、この動作を繰り返す事がある。
 俺は強気でやっているほうだ。
 やられたら、いつでもぶっ飛ばしてやるつもりだ。
 おそるべき強運というべきか、今だやられた事はない。

  テキサス「強気でやる男」終わり。

 



ハバナのピザのトッピングは蝿

Posted by 高見鈴虫 on 04.2006 旅の言葉   0 comments   0 trackback
ハバナにおいて、
唯一まともな食べもの、と言えば、
それはピザ。
で、頼んだピザ、またいつものワンスライス。
したら、オーブンから出したてのピザ、
チーズの上に、ハエが手を擦ったままの状態で、
こんがりと焼かれていた。
トッピングは蝿かよ、と。

いま判った。神は内在するんだよ

Posted by 高見鈴虫 on 10.2006 旅の言葉   0 comments   0 trackback
昼下がり、木陰のハンモックに猫のように丸まって本を読んでいると、浜辺を横切ってきた全裸の若い男が
眩しげな目のまま振り返ってこう叫んだ。

「いま判った。神は内在するんだよ。俺は地球という神の細胞のひとつ。つまり俺が神そのものでもあるんだ」

おめでとう。ようやく気づいたね、と言ってやると、
ああ、と初めて、本気で嬉しそうな顔をして笑って頷いて、
また眩しげに顔をしかめたまま、浜辺の向こうの端に向けて歩き始めたのだった。

15年前に水平線の向こうに消えていった友のことをふと思い出した

Posted by 高見鈴虫 on 12.2006 旅の言葉
むかしパンガン島にいたころ、
ビーチでみんなで、ははは、とやっていたら、
そのうちのひとりが、
いきなり、うっしゃあ、と沖に向って泳ぎ始めて、
それをみんなで、はははは、と見ていたら、
どんどんどんどん泳いで行ってしまって、
そしてついに見えなくなってしまった・・・・
それをみんな、はははは、と見ているばかりで、
ああ、日も暮れてきたし、そろそろ帰ろう、
と、そのままはははは、と帰りました。

貧困の悲しさとは

Posted by 高見鈴虫 on 29.2006 旅の言葉   0 comments   0 trackback
昔、出張先のパナマで知り合ったオペラのプロデューサーのお話。

彼、スペイン語のオペラ(ドンキホーテ)のプロデュースで南米を回ってるって話でさ、
おいおい、オペラって言ったって、
こんな貧民ばかりの国で、いったい誰がオペラなんか観にこれるんだよ、
って言ったら、
それがね、貧しい国ほどオペラのチケットがよく売れるんだって言うんだよね。
つまりね、問題は貧困じゃない。
格差=差分なんだよ、と。
本当に貧しい国、なんてのは存在しなくて、
貧しく見える国というのは、
金持ちが利権から開発援助金からをみんな独り占めしてしまっている国のこと、なんだよって。
つまり、民度の低さこそが貧困なのだ、と。

貧しく生まれた人々は貧困を、運命として諦めているか、
あるいは、大雨や日照りみたいに、まあ天から降ってくるもの、
と思ってるんだろうけど、
実はそれは人災なんだよ、
貧困は作り出されているんだよ、と。

で、んだよ、お前、まるでゲバラみたいじゃねえか、と笑ったら、
逆だ、と。
南米回ってつくづく貧困がいやになった、と苦笑い(笑

なんかやりきれない話だけど、でも気持ちは判るな。

でもね、救いはある、筈なんだよ。

貧民は貧民なりに、金のかからない方法で思いきり楽しむ、ことは可能だと思うし、
金かけなくたって、おいしいものは食べれるし、いい音楽だって作れるしさ。
お金はなくても幸せな家族はたくさんいる。
俺なんか海が澄んでて女の子きれいならもうなにもいらない、って感じだし
と、あいつに言ったら
あんたはつくづく甘い、と怒られた。
南米に来ればすぐに判るわよ、と言われた(爆

ガルシア・マルケスは、
誇りの為なら糞食って生きるさ、と啖呵を切ったが、
そもそも誇りも何も糞しか食えるものがない人間が嫌々糞を食らうのと、
パスタもあるけど誇りのために敢えて糞を食う、
というのでは本質的に違う、と。
そもそもマルケスは糞を食ったことがあるのか、と。
糞しか食えない人間は、糞の象徴するものを
心の底から憎むものだ、と。
貧困の悲しさとはつまりはそれなのだ、と。
うーん、返す言葉もねえな。
  

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
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