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レッツ徒労!

Posted by 高見鈴虫 on 04.2010 今日の格言
徒労であったが徒労を徒労と知った上で徒労に終わることもたまには必要なのである。
LET’S TORO!

デブが世界を滅ぼす

Posted by 高見鈴虫 on 05.2010 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
アメリカ、は言うに及ばず、

いまや世界中、ぶばかりだ。

が、理由はわかりきっている。

コーラとビールとハンバーガーとドリートス、

この世界からたった1週間だけでもこれらのものを禁止するだけで、
平均体重が10lbは落ちる筈だ。

金のために太り殺されているのだろう。

文明が進歩すれば、工場で食料が生産出来て遂に人類は飢えの恐怖から解放される、
などといっていたのは前世紀の夢ものがたり。

工場生産されたチープなジャンクを食い続けた結果がこれだ。

誠意がない、というか、嫌な奴、というよりも、ただたんに徹底的に想像力が欠けているだけのだと思うよ

Posted by 高見鈴虫 on 07.2010 技術系
あのさ、回りに学歴の良い人たちが沢山いるんだけど、
そんな学歴の良い人たちが、そろいも揃ってまったく仕事に使えないという事実に驚かざるを得ない。

で、改めて考えるに、



芸術で飯を食うということ

Posted by 高見鈴虫 on 09.2010 今日の格言
仕事はいやでもやらなくてはいけないこと。
趣味は嫌ならやめてもいいこと。
がしかし、
仕事は嫌であることを前提として愚痴のひとつも出たり出したりしても許されるが、
好きでやっていることに愚痴を言うわけにもいかず、
つまり、
趣味を仕事にしてしまった人ほど、とてつもなく辛い人生を歩むことになる訳で。
がしかし、そういう仕事ほど、ペイが安かったりもするわけだ。

芸術で飯を食うとはつまりはそういうことなのです。



よりによって、イヌメンだとさ

Posted by 高見鈴虫 on 11.2010 犬の事情
イヌメンだとさ。

犬を連れたおしゃれなニューリッチな男がブームだと?

あのなあ、と。

犬を女をひっかける小道具扱いするなどふざけるなと思う。

ANIMAL COPに通報してやろうか、と思ってしまった。

気が滅入ってる時にはいい女を捜すこと

Posted by 高見鈴虫 on 11.2010 今日の格言
疲れきって凹みきった夜、呆然と地下鉄に乗っていて、
ふと顔を上げたら目の前にちょっと夢のような黒人の美少女が座っていた。
一瞬で気が晴れた。
気が滅入ってる時にはいい女を捜すことだ。
その子と目が合って笑いかけられたりしたら、
世の中そうそうと捨てたものじゃない、と思えるだろ?



BUTCHが死んだそうだ

Posted by 高見鈴虫 on 11.2010 音楽ねた
BUTCHが死んだそうだ。
なんか呆気ないな、と。
この豪傑さ、ROCKに生き、そして見事にROCKらしく無頼の限りを尽くして死んだ、という訳で。
ただ、
まったく事情をしらないIZZYから、
なんかそれってただの犬死じゃないですか、と言われて、
ああそういう見方もあるな、と素直に思う。
夢、儚し。

犬を毛嫌いするひとびと

Posted by 高見鈴虫 on 12.2010 ニューヨーク徒然
仕事から帰ってから、
犬の散歩がてらリンカーンセンターの野外コンサートへ出かける。

ああ、黒人ばかり、というか、ああ、イスラム系の人々?
宗教上の問題なのか、犬を毛嫌いするひとが沢山いて驚く。
噛んでやろうか、と思う。


ユダヤ人の謎 その1 ~ ここはユダヤ人の街。なにがあっても絶対に徹底的に相手が悪いのである

Posted by 高見鈴虫 on 13.2010 ニューヨーク徒然
夜の散歩がてら、セントラルパークのニューヨークフィルを見に行く。
犬連れだからあまりがんばらずに後ろの方で、と思っていたわけだが、
いきなりとなりの芝生にいるヘルメットを被った奴に、
おい、てめえ、変な頭してるんじゃねえ、と犬が騒ぎ始めて大顰蹙。

しかしながら、NYCも長くなるとそんなことでおずおずと引き下がったりはしない。

そうここはユダヤ人の街、なにがあっても絶対に徹底的に相手が悪いのである、
ということを知ってしまってるから気分は楽である。

という訳で、
ヘルメット男から犬がうるさい、と文句を言われる前に、
おい、そこのあんた、うちの犬が吠えるからその馬鹿みたいなヘルメット脱いでくれないか、
と言ってしまってから、まじでユダヤ人みたいで面白いな、とひとりでほくそえんでいた途端、

いきなり隣にやって来た奴が
おいあんた、俺は犬のアレルギーだからその犬をそっちにやってくれないか、と来たものだ。
あのなあ、と。遅れてやってきたのはお前だろ。
犬がダメならお前がが向こうに行けよ、というか、わざわざ犬のいるところに来るんじゃねえよ、
と思うが、
そこはユダヤ人。徹底的に相手が悪いわけである。

あまりに馬鹿馬鹿しくて返事をする気にもなれず。

THE COVEを観ることのできない水銀頭の人々へ

Posted by 高見鈴虫 on 14.2010 読書・映画ねた
市立図書館でDVDの貸出=ただ、
で、
ザ・コーブってな映画を見た。

日本で上映許可の禁止の、良いの悪いのと、
話題になっていたらしいまあ例の奴らしいのだが、
ぶっちゃけ、
あなたは、イルカを殺すのが良いと思いますか悪いますか、
と聞かれたとすれば、
悪いにきまってるじゃねえか、あたりめえだろ、と素直に思う。

だってさ、
イルカ見てかわいいと思わねえか?
思わねえのかな?
俺は昔、一緒に泳いだことがあるので素直にかわいいと思うし、
カリブでダイブ中にみたあの姿には素直に美しい、とため息が漏れた。
まあね、確かにサメと間違えてひやっとさせられることがあったりもするので、
時として迷惑であったりもするのだが、
だがね、そう、かわいいし、美しいし、とそれがまったく素直な気持ち。

で、そう、
そんな、かわいらしく、美しい、と思えるものを、
しかも、自分に懐いて近寄って来る生き物を、
わざわざ殺すことが気分が良いわけがないだろう、と。

そんな俺の感情は、間違っているのか?

子犬を殺して嬉しがっている奴がいたらそいつはただの病気だ、と思うだろ?
良いの悪い、というより、ただ不快だろ、と。

この映画のことをああだこうだ、と言ってる奴は、
まるで、
子犬を殺して喜べ、と強要されたので、
子犬を殺してもなんとも思わない、あるいは、それが喜びに感じられるように努力しました、
などと、ただ言わされているだけの大馬鹿小心者、
というような気がしてならないがどうだ?

この映画を、
日本が攻撃された、やりかえせ、と過剰反応を起こしたり、
あるいは、
ならさー、イルカを殺すのが良いの悪いの言うなら、
牛を殺してるおまえはのはどうなんだよー、

となどと言い返す幼稚な論法がまかり通っているらしきことにも、
あのなあ、
お前ら、本当の本当に水銀で頭ぱっぱらぱーなのか?
とつくづく呆れ返る、というより、その馬鹿さ加減に恐ろしささえ感じる。

気持ちの悪いこと、不快なことにを前に、
なら、も、どっちもあるか、と。
そんな馬鹿な比較論ってのはいったいどこから来てるんだよ、と。
まるで、
バカって言ったら自分が馬鹿、と言い返すガキの喧嘩、
というより、
ただバカ犬の遠吠え。あるいはそれ以下だ。

牛だってイルカだって、
生き物を殺してる姿を魅せられて気持ちがよいやつが居るわけがないだろ、と。
それは子犬も子猫も一緒だろ、と。
牛であろうがヤギであろうが、
鶏でもうさぎでもイルカであろうが、
生き物殺すことが不快でない訳がない。
なんで素直に、
牛かイルカか、などと言う前に、
どっちも気持ち悪くない?
と思えないのか、と。

なので、そう、良いの悪いのじゃねえ、と。

牛を食って死にたくない奴は、勝手に食わなければよい。
食って死ぬかも、と判った上でも食いたい奴は勝手に食えばよい。
だから、
騙されて殺されたイルカを食っても罪はねえと思っているなら、
勝手に水銀食ってイタイイタイ病で死ね。
水銀の含有量が致死量だ、でっちあげだ、
と言っているなら、勝手に食っていればよい。
あるいは、
良いの悪いのと言う前に、てめえのガキに食わせてみろ、と思う。
他人のことなら何でも言える。
自分のことでさえ何でも言えたりもするがね。
ただ、
なら、自分のガキに食わせてみろ、と思う。
それをくってもしなないと言い張るなら、
まずは自分のガキに食わせてから言え、と。
自分のガキに食わせられないものを、
いや、あんたのガキなら問題はない
なんて言っているヤツがいたらそいつは人間以下だ。
つまり、そう、つまりそう言う奴の嘘こそ、
みやぶる必要があるのだぞ、と。

俺は、いままで、
イルカ殺すな、ニホンジンは鬼か、という輩に囲まれながら、
バカヤロウ、イルカ殺さなくっちゃ生きていけない善良な漁師たちのことも考えてやれよ、
ふざけるな、と言い返して来たんだぞ、と。

で、いいから黙って観てみろ、反論はそれから言え、と説得された見てみたら、

あのなあ、
この映画のどこ「善良な漁師さん」なんてのがいるんだよ、と。

ただ欲に目がくらんで、ブッ殺したイルカを鯨だって嘘ついて売ってるだけじゃねえか、と。
イルカ殺さないと生きていけない、なんて切実感はどこにもねえじゃねえか。
ただ、金の為かよ、と。
そのあさましさを、人につつかれて、
なにをとち狂ったか、日本がどうのだ?笑わせるな、と。

日本が避難されたわけじゃねえ、
ただ、この太地という街のくさった漁師、
それも
ろくに漁もできなくなった、
いや、より楽な方法でおいしい金が欲しいと思っていた奴が、
また欲に目の眩んだ地方の成金と、
それに金をたかる田舎政治家と、それに金をたかる田舎やくざと、
それに金をたかるちゅーおーの役人と、政治家と、マスゴミと、と。

ただの、腐った強欲の、腐った羞恥心の、腐ったゴミ以下の連鎖
とただそれだけじゃねえか、と。
日本を守るためにただ一人言い返してきた俺はどうなっちまうんだ、と。

アメリカ人にもいろいろいるように、
日本にもいろいろなやつがいる。
同じアメリカ人だからと言って、その色々なアメリカ人全ての責任をとらされる、
なんてことが土台無理だし、言う方からして馬鹿げているように、
この映画の上映がどうのこうのと言っている奴、
騙して水銀食わせている奴、騙されてくわされている奴、
みんなまとめて俺の知ったことか、と思う。

俺はいまだにタバコを吸うが、
それは自分で、これは毒だ、と知りながらそれを覚悟で吸っているつもりだ。
ただ、タバコが害ではない、タバコが害だというバカもいるがだまされるな、それは嘘だ、
と、国家規模で信じこまされている奴らがいるとすれば、
そいつはつくづく哀れだと思う、だろ?
そう、まるで例の北の人々のようにね。

あの映画を見てつくづく、
騙されている、という意味では、
日本も北も中も変わらねえな、と思う奴が多いだろうし、

テメエらが騙されているという自覚のある北や中よりも、
なんだかもしかしてちょっとはましな暮らしをおくっているように錯覚している、
つまりより根深く騙されている日本の方々が、
つくづくバカバカしく思えてくる奴も多いだろうが、
まあ、それも知ったことか、とは思う。

ただ俺はそんなニホン人ではない、俺は俺だ、とはっきりと言うと思う。

あのなあ、ニホンジン、
いいかげん気づけよ、と。

まあな、でも・・おれまじで、
いまさら日本がどうなろうと、
ぜんぜんまったくどうでもよくなっているってのはあるんだけどさ。

壊れたロケット

Posted by 高見鈴虫 on 14.2010 犬の事情
夏の朝、6時に起きてセントラルパークへ。
リーシュを離したとたんにあの丘からあの山へと無茶苦茶に走り回る犬ども。
まるで壊れたロケットのようだ。

ユダヤ人の謎 その2 - まあとどのつまりはイスラエルを肯定しなくてはいけない、という大矛盾からすべてが滅茶苦茶になってしまった訳なのです

Posted by 高見鈴虫 on 14.2010 ニューヨーク徒然
ああ、ユダヤ人、
あんたらのその独善の根拠はいったいどこにあるのか、かとつくづく不思議に思うことが多いが、
今更そんなことを言っている場合でもない。

そう、そんなことは誰でも判っているではないか。

他人の庭に勝手に上がりこんで、
ここは俺の土地だ、お前らが出て行け、
と言ってしまってから、
当然のことながら大喧嘩が始まり、
で、喧嘩が始まった以上、後には引けなくなってしまったユダヤ人。

その無茶苦茶な理屈を肯定しなければいけない、してしまえ、
とやってしまったがために、
全ての善悪の基準が徹底的におかしくなってしまった、とただそれだけの話なのだ。

ユダヤ人が徹底的に嫌な奴らなのは、つまりはそういうこと。

と言ってしまえば、

人の土地に勝手にやってきて、
略奪と虐殺を繰り返しては星条旗をぶっ立てたアメリカはそれこそ、
まったくとんでもない大悪人なわけで、
そんな奴らが、他人様に良いの悪いのと口を挟む姿勢からして、
まったくなにがなんでも絶対におかしい訳なのだよ。

そうか、だからアメリカはイスラエルを擁護するのね、
なんていまさら馬鹿なことに納得していたりもする。

ブエナビスタとキューバ革命

Posted by 高見鈴虫 on 15.2010 音楽ねた
連日熱帯夜の続くニューヨーク、
このところ、どういう訳か、
何年ぶりかにブエナビスタ・ソーシャル・クラブが聴きたくなって、
で、探してみたらどうしても見つからない。
そう、昔あれだけ熱くなったサルサブームもいまやすっかり下火モード、
ドラムの練習用にルンバやティンバは聴き続けていると行っても、
週末ごとにラテンクラブに出かけては朝まで踊り狂った、
なんてまるで遠い昔のことのようで。

という訳でブエナビスタソーシャルクラブ、
ようやく見つかったのは、なんと会社の破棄対象のノートブックパソコンの中。
危うくスクラップとなるところでした。

で、改めて
いやあ、凄いね。
ルーベン・ゴンザレス大先生のしなびた音に、一瞬のうちに目の前にハバナの街角が広がって、
オーマラさんも、イブラハム・フェレールの歌声はもうまさに神業、というか、神そのもの。
コンパイ・セグンド、オルランド・ロペス、マヌエル・ミラバル、エリディエス・オチョア、バルバリート・トレス、そして、そして、そして、ティンパレスの偉人・アマディート・バルディス大先生!

すべてこれ、天然記念物というよりは、人間国宝、というよりは、もう人類の文化遺産そのもの。

水なしパンなし石油なし、
まったくの忘れられた廃墟と化していたカリブの裏通り、
すでに墓場に片足をつっこんでいたこの巨人達を、
見事掘り起こして蘇生させてライクーダも凄ければ、
水、じゃなくて、たぶんラム酒、をかけたとたんに、
まるで魔法のように起き上がった巨人達のこの珠玉の名演。
まさに、まさに、これを文化遺産といわずしてなんと言おう。

祝祭に満ちたキューバ革命から、
その後の迷走と地獄のような粛清と閉塞、密告と裏切りと飢えと焦燥と、
そして重く重くのしかかる諦め、そして敗北感。

キューバの現代史のこの身をすりつぶす様な葛藤の後、
21世紀の世界にいきなり蘇ったこの歌声。

いまとなってはカストロもゲバラも知ったことではないが、
少なくともその地獄図が、この名作を生み出したのだとしたら、
それはそれで、もしかして、
あの気の遠くなるような膨大な徒労は、
実はそうそうと無駄ばかりであった、とは言い切れないのか、
などと、不謹慎なことを考えてもみたくなる。

ニューヨークの熱帯夜、
開け放った窓から流れる生暖かい風の中に、
オマーラのイブラハムの歌声が、悲しく美しく溶け込んで行くようで。
聴け、聴いてくれ世界の人よ、これがキューバだ、どうだまいったか、
と叫んでみたくもなると言うもの。

VIVA CUBA!

ハバナから帰って以来、一度たりとも口にすることのなかったこの言葉、
いま改めて言おう。

VIVA CUBA! CUBAここにあり!

ずうたらと生きる事の権利

Posted by 高見鈴虫 on 15.2010 ニューヨーク徒然
ニューヨーク
誰もがコマ送りのように、せせこましく動き回るこの街で、
図体のでかい黒人が、
いかにも仕事にあぶれましたと言う風情で、
道の真ん中をこれ見よがしにずうたらと歩く様は、
どこかしらこの末期的な資本主義世界に対する、
なんらかのアンチテーゼのようにも見えて、
その思い切りの良さが逆に爽快にも感じるのだが、

そんなどうしようも無いはぐれものが、
はしゃぎながら記念写真を撮る観光客達を
まるで全く目に入らないかの様にぶちあたり押し退けて行く様には
なんというかちょっと拍手を送りたくもなる。

それが、ずうたらと生きる事の権利、と言う奴であるのなら、
そうだ俺も、どうせならできる限りゆっくり歩いてやろうじゃねえか、
とも思ったりもするのだが、

これが実はいざとなるとなかなか難しいことに気づく。
やはり人間、それなりの生き方しかできないのだな、と思い知らされる訳だ。

「富」や「豊かさ」に興味がない、などと言えるのは

Posted by 高見鈴虫 on 16.2010 今日の格言
「富」や「豊かさ」に興味がない、などと言えるのはその環境に一定の富が既に潜在的に備わっているからである ~ ジプシー・ミュージックの真実―ロマ・フィールド・レポート関口義人

俺はテレビが欲しいばかりに娼婦宿に売られてしまった少女を知っているし、
その少女が実はとても素直で良い子だった、ということも知っているので、
貧乏人の言う「富」がいったいいなにを注すのかはなはだ疑問である。

億万長者でも癌が治せない以上癌で死ぬことは貧困が理由ではないのだが、
抗生物質が買えないために風邪で死ぬことは貧困なのか?
金持ちの言うことが信用できないのはまあ当然としても、
貧乏人の肩を持つ奴の言うことも信用できないね、と思う。

ユダヤ人の謎 その3 ~ んなことは犬に聞け

Posted by 高見鈴虫 on 21.2010 ニューヨーク徒然
先日、ドッグランで、うちの犬のボールを取った犬の飼い主に、そのボールを返してくれないか、と言ったら、
んなことは犬に聴け、としらっといわれて苦笑いをしたのだが、
そのまったく同じ飼い主から、
お前の犬がうちの犬のボールを取ったから弁償しろ、15ドルだ、とやられた。
やれやれ、と。

苦笑いしながら、あんた先週、立場が逆だったときには、犬に聞け、といったじゃねえか、忘れたのか?
だから同じことを言ってやるよ。犬に聞いてくれ、とやったら、
警察を呼ぶぞ、と来たもんだ。
おいおい、と。

お前ら、徹底的に自己弁護の屁理屈以外は口にしない気なんだな、ユダヤ人。

どこの神様でもいいから、こんなユダヤ人たちの根性をもうちょっとどうにかしてやってくれないか?

SALSAに比べたらJAZZなんて子供の遊びのようなものだ

Posted by 高見鈴虫 on 21.2010 音楽ねた
「SALSAに比べたらJAZZなんて子供の遊びのようなものだ」 ~ 坂本龍一

確かに、サルサを聴きこんだ後にJAZZを聴くと、こいつらなんて適当なんだ、ぜんぜん合ってねえじゃないか、
と不思議な気がする。
つまり、なんというか、
JAZZの摩訶不思議さが、実は、下手さのために出ていた偶然の産物である、
という事実に気がついてしまうわけで。

というわけで、
これまで、この曖昧さこそがJAZZの醍醐味、などと思っていたビートのずれに、
こいつらふざけているのか? とさえ思えてしまって、

つまり、JAZZの化けの皮がペロリと剥げてしまったりするのである。

SALSAに比べたらJAZZなんて子供の遊びのようなものだ その2

Posted by 高見鈴虫 on 22.2010 音楽ねた
改めて、
サルサは厳密な16分に基づいた厳格な形式美の世界なので、
タイム取りのニートさは下手をするとクラッシックというか、
ほとんど伝統芸能の域に近い。

まずは16分をベースにしたクラーベを固めないと駄目だ。
スネアも適当にいれているだけでは駄目だ。
なぜ3拍目のスネアを入れないのか、についてよく考えねばならぬ。
何故か、置いてはいけないのです。
特に1周りめの3拍目のスネアはとても耳障り=曲をぶち壊す。

もちろん基本は4分ONだが、そこに音を入れてはいけない!
それはJAZZも一緒でしょ。3拍目にアクセントを持ってきてはいけないのです。
それができるのはROCKだけ!
曖昧なおかずを排除しベースよりもコンガを聴かねばならない。
うーん、俺をサルサを舐めていたようだ。
サルサの主役はドラムではなくコンガなんだよ。

バンコック・ヤワラーのジャーマンシェパード

Posted by 高見鈴虫 on 22.2010 旅の言葉
珍しく仕事が早く終わって夕暮れの街。
犬を連れてセントラルパークへ。

シープスヘッド・メドウに着いて犬を放した途端、
どこからともなくやってきたジャーマン・シェパードが、
俺に引っ付いて離れなくなってしまった。

なんだこいつ、とまじまじと見つめても、あの茶色い瞳できょとんと見つめ返すばかり。

そんなシェパードと見詰め合っていたら、
そう言えば、俺は初めての旅の間、
どこに行ってもこんな犬たちに引っ付かれていたっけかな、
と唐突に思い出した。

旅の初め、
バンコックの空港から辿りついた明け方のヤワラーのロータリー。
馬鹿でかいバックパックを担いだ俺に最初に近づいて来たのが、
あのジャーマン・シェパード。
それ以来、どこに行くにも一緒。

朝起きてホテルの階段を下りたときにはすでにその下で待っていて、
飯を食うときにも買い物に行くときにもいつも一緒。

バスで出かける時にはバス停まで必ず着いて来て、
帰ってきたとたんに一番最初に足元に駆け寄ってくるのが
あのジャーマン・シェパードだった。

なんかそんなシェパードの献身ぶりが妙に照れくさく、
同時にちょっと気味が悪かったの気もしないでもないのだが、
しかしやはりそうこうするうちに姿が見えないと心配になって来るもので、
という訳で、いつのまにかいつでもどこでも犬と一緒。
まるで二人三脚、ならぬ、六脚。

そんなジャーマンシェパードと一緒の俺を、
タイの人々はとても優しく暖かく接してくれた訳で、
俺が初めての旅で辿り着いたあの街で、
なぜあれほどのびのびとして過ごせたかの理由が、
実はあのジャーマンシェパードの守り神がついていてくれたせいだったのだ、
と改めて気づかされた。

そうなんだよ、あいつどこに行っても着いてくるから、
なので、俺はどこに行ってもあいつの入れる場所でしか飯が食えずに、
結果、俺はタイにいる間、いつも屋台でしか飯が食えなかった。

茶室に女を買いに行っても、その間中ずっと店の前で待っているもんだから、
出てきたときには街中の人間に知れ渡っていて恥ずかしくてしょうがなかった。

が、部屋でヤクを決めている時におまわりがやってくると、
いの一番に吠え立ててくれたので、いつも安心。
街中でチンピラやら物売りやらがやってくると、
決まってあいつが間に入って睨みをきかせていた訳で、
まさに用心棒代わり。

ただ、あいつを連れているとさすがにバスには乗れないから
結果移動はいつも徒歩。

暑さにへばって買ったコーラも、氷が溶ける前に一息に飲み干して、
で、ビニールに残ったかき氷を食べさせてやったりしてて、
昼の日中にあいつが先にへばってしまったときも、
近所の寺に避難しては庭の木の下で一緒に転寝をしたり。

そのうちサムロの隣に乗って一緒に出歩くようになったものだから、
いつの間にか中華街どころか街中で有名になっていて、

パッポンのテーブルでも女のことなんかよりも、
外で待っているあいつのことが気になってしかたがなく、
せっかくひっかけた女をサムロに乗せたのはいんだけど、
あいつの座る場所がなくなって、
だったらごめん、また今度、なんて言った日にはオンナの方が怒りはじめて、
あんた、犬と私とどっちが大切なの?なんてどこかで聞いたような言葉。
結果、俺たちの間に気まずそうに身を捩っているあいつの姿がおかしくておかしくて。

そう言えば、バンコックにおいて、
あいつと一緒に入れなかった場所って確かにどうしようもない所が多かったよな。
つまりはそう、守り神であった訳だろう。

あいつ、俺がバンコックを離れる時、
行くな行くなと甲高い悲鳴を上げてはバックパックに飛び掛っては後ろに引っ張って、
そんな姿を見て、見送りの女たちや道行く人々が泣きじゃくっていたんだよな。

ホワランポーンの駅まで着いて空港行きのバスに乗り込んで、
見送りの人々の姿が見えなくなってから、ふとバスが停まり、
運転手が俺のところにやってきて、
おい、あんたの犬がずっと着いて来て危なくてしょうがない、と言われた。

バスのドアから不安げな顔して覗き込むあいつの目を見た途端、
俺は思わず頭が真っ白になって、そして泣き崩れてしまったのであった。

ああ、このままこいつを連れてヤワラーに帰ってしまったら、
俺はもうあの場所を離れられなくなる、と知っていたから、
俺は空港に着いたら食べようと思っていたお菓子を道端にばら撒いて、
そして行ってくれ、と運転手に叫んだんだよね。

したら運転手がまた泣いてさ。
したら、見れば乗客の全ての人が泣きじゃくっていてさ。

タイの人はやさしかったな。そしてあの犬も。
あんなに優しい人々、そしてあんなに律儀な犬は、
あの後、世界中を探してもお目にかかることはできなかった。

なんてことを思い出してしまった夕暮れのセントラルパーク。

そう思うと、そうだな、俺って実はずっと犬と一緒に居たんだよね。
幸せは犬とともにあり、って感じかな。
それをよく覚えておいたほうがいいね。



SALSAに比べたらJAZZなんて子供の遊びのようなものだ その3 左手発進

Posted by 高見鈴虫 on 27.2010 音楽ねた
ひょんなことから、
左足クラーベの練習かたがた、
どうせなら、
HHも左手発進の16分を試してみたら、
なんと、あの摩訶不思議なスネア入りの秘密が解けたような気がする。

そうか、CUBAの奴ら、16分を左手発進でやっていたのか。

或いは、そう、基本音はすべて左手発進なんだよ。

そう言えば、コンガも左手発進だよなあ。なんでそこに気がつかなかったんだろう。

ピットブルに顔を噛まれる

Posted by 高見鈴虫 on 28.2010 犬の事情
朝からドッグラン。
ちょっと涼しくなってきたからか、犬どもがやたらと元気が良い。
と思っていたら、いきなりピットブル同士が喧嘩を初めて、
慌てて駆け寄って犬たちを放して一安心。
で、
ちょっくら噛まれていた傷でも見てやろうか、と覗き込んだ途端、
いきなり顔を噛まれた。

一瞬で飛びのいたが、顎の先に冷たい牙先の感触がありありと残っていて、
思わず、この野郎!!と思うが、
噛み付いてきた犬はそんな自分自身の大それた行動に今更になっておじけづいて、
尻尾を丸めて飼い主の足の間で縮こまっているいるばかり。

したらなんと、飼い主のおばはん、
あんたのせいよ、頼んでも居ないのにあんたが手を出すから、
と騒ぎはじめて、
やれやれ、あのなあ、やっぱあんたもユダヤ人。
と苦笑いを浮かべたその顎に、
血の筋が一本二本と流れ初めて顎から滴り落ちはじめ。

あれまあ、そんなに強く噛まれた気はしなかったのだが、
犬の歯って実は凄く鋭利なんだな、とちょっとまじめに感動。

したところ、
俺を見つめていたピットブルの目から怯えがすっと消えて、
よりよって垂れた血を舐めようと尻尾をふっては抱きついてくる始末。

ただ、その飼い主の糞婆が俺の流血にびびりまくってか、
いきなりそんなピットブルを引きずるようにドッグランか逃げて行って、
あんたのせいだからね、と一言。
やれやれ、と。
やっぱりね、犬に罪はない。原因はその飼い主なんだよね、ユダヤ人。

ただね、やっぱ、ピットブル、大変だな。
そう思うと、あの飼い主の婆あもちょっと同情してしまった。

BAND VISITというイスラエルの映画を見て

Posted by 高見鈴虫 on 30.2010 読書・映画ねた
BAND VISITというイスラエルの映画を見て、
人間の性について考える。
許すことを学ばねばいけないという話だったかな。
俺もそろそろ許すことを学ばねば、と思いまひた。
  

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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