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そいつ、金持ってるか? その2

Posted by 高見鈴虫 on 06.2011 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
中学1年生の時、
クラスのお友達たちと初めて、友達同士で街にお出かけ、した時、
玉虫色のシャツにサテンのドカンに白いエナメルでバシバシに決めた白石君、
サングラスを鼻の先にひっかけて、きょろきょろと回りを見ながら、
ねえねえ、あいつ金もってるかな?と妙にはしゃいだ声でそればかりを繰り返す。
挙句に、うっし、と走りだすや、
今すれちがったばかりの奴に、ねえねえ、と声をかけ、
お金貸してくれない?いつ返せるか判らないけどさ、ははは、とかなんとか。

と言うわけで、初めてのお出かけ。

映画が見たかったやつ、お買い物がしたかった奴、
喫茶店でタバコを吸ってみたかった奴、女の子をナンパしたかった奴、
とさまざまな思惑を抱えながらも、

いつのまにか、
メンチ切ったり切られたり、しめたりしめられたりを繰り返した挙句、
自販機で買ったワンカップ大関に悪酔いした末に、
公園のベンチでゲロを吐いて深い深いため息。
まったくよお、と愚痴りながら見上げた新宿副都心の夜景。

綺麗だったな、と今でも思い出す。

トーデンの奴、まだ殴られてないの?

Posted by 高見鈴虫 on 06.2011 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
へえ、まだトーデンの奴が殴られた、というニュースがないんだね。

またマスゴミがフィルターしてるのかな?
あるいは、怖くて飲みになんかいかないのかな?
まさに鴨鍋(笑

ちなみに俺が座るテーブルの隣りにトーデンの社員が座っていたら、
いやあ、お疲れ様ですねえ、ご苦労お察ししますよ、まあ、いっぱい、と話かけた末に、
んだと、俺の酒が飲めだと、とどうしようもない因縁つけては、
片っ端からぶん殴ってやるんだけどな。

そういう人ってもう日本にはいないのかな?
平和なんだねえニホンジン。
物分りが良すぎる、というより、
ただもう、どうしようもなく意志薄弱、というだけなんじゃない?
あんたら人間腐りすぎだぜ。

大親分に会った日のこと

Posted by 高見鈴虫 on 06.2011 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
ひょんなことから
「大親分」ってな方にご紹介いただく機会を得た。

大親分とは言いながら、
大親分は実は俺と同い年で、
似たような奴等と似たような話題で似たような歌を歌って育った手前、
やはり話が合う。

でその大親分と身内の方々に囲まれて、
まったりとした時間をすごした訳だが、
いやああ、と改めてため息。

いい奴らだった~!

で、改めて思ったこと。

大親分は、人の気持ちのわかる人だった。

相手がどんな立場の者であっても、
男でも女でも、どれだけ年下でも、なにをやっている人でも、
あるいは、この俺のような、どれだけ失礼な客人に対してでも、

まずは、第一に相手のことを考える。

それはまさに、すさまじいばかりの「気配り力」だった。

この馬鹿やろうが、手間かけさせやがって、
と苦笑いしながら、
実にこまごまとした気配りの集大成を、
ほらよ、とばかりに無造作に放ってよこす。

そのさりげなさが、実に、実に、実に、憎い。
格好よい。良すぎる!

これをやられたら、
いやあ、たまらないだろうな、としみじみと思った。

これまでに出会ってきた自称なんちゃらたち、

ただただ偉そうにえばり腐った親分ぶりっこや、
ただただ恫喝と恐喝を繰り返すサディストやら、
ただただ欲に汚いだけの動物霊のような、
つまりは、そんなチンカス親分どもとは、
この「大親分」
やはり、一味も二味も、どころか、
もう根本からして、まったく違う。違いすぎる!

この人のためになら死ねる、と思わせるなにかとは、
そんな細々とした「親心」の積み重ね、
その結果としての、まさに「魂の絆」なんだよな。

いやはや、素晴らしい経験をさせて頂いた。

改めて、ココロのボス、と呼ばせて貰おう。

>そろそろ9.11から10年になるのか~?

Posted by 高見鈴虫 on 07.2011 アメリカ爺時事
>そろそろ9.11から10年になるのか~?

最近、テレビはほとんど見ねえんだが、
なんかテレビを点けるたびに、
911の10周年のことをやっているようだな。

が、

こないだの日本の地震もそうだが、
実際の当事者は、部外者から「そのこと」に触れられることを嫌がる。

俺にとっても、911のことはできることなら思い出したくはない。

あの時は悲しかった。

これ以上なく途方にくれて、
無力でやるせなくて、
じっとしているだけでも涙がこぼれて来た。

出張先から戻た夜、
それまで軟禁状態だったかみさんと気晴らしの散歩に出て、
同じように部屋で軟禁状態にあった友達たちを、
ひとりひとり呼び出し誘い出し救い出しながら、
宛てもなく夜のミッドタウンの街を彷徨っていた訳なのだが、
ふと足の向いたユニオンスクエアに辿り着くと、
同じように、
ひとりで部屋にいることがいてもたってもいられなくなった人々が、
誰に言われたわけでもなく自然に集まって来ていた。

花壇に並んだろうそくの灯りを前に、
身を振り絞るようにして泣き崩れる消防士たちの姿を見た。
呆然と空を見詰めたまま動かない父を失った家族や、
唇を噛み締めながらただ歩き続ける人々が、
互いに物も言わずに抱擁を繰り返し、
そして何も言わずにすれ違った。

そこには、ブッシュも、オサマも、テロも、憎しみも、なく、
ただただ深い深い悲しみと、心にぽっかりと空いた風穴があるばかり。

そんな中、ふとどこかで声が聞こえた。

生ギターを持ち込んだ誰かが、ふと爪弾き始めたメロディーが、
いつのまにか、誰ともなく、ボブマーレーのNO WOMAN NO CRYを歌い始めていた。

それが、見る見ると、まるで潮が満ちるように、ユニオンスクエア中に広がりはじめた。

ある者は泣きながら、ある者は見つめあいながら、
ある者は抱きしめ合い、支え合い、
この先、どうなるか判らない絶望の淵にぶら下がりながら、
EVERYTHINGS GONNA BE ALRIGHT と繰り返していた。

それは一種、壮絶な光景だった。

音楽なんてものに携わりながら、
音楽なんてものが、どうしてこの世に必要なのか、
と常々思っていたのだが、

このときばかりは、音楽の持つその力に、まさに叩きのめされ、
包み込まれ、そして、洗い流された気がしたものだ。

音楽は必要なんだ、とつくづく思った。

音楽は、まさに、このためにあったんだ、とようやく気がついた。

金やら名声やら才能の発揮やら、
俺はうまいだ下手だとか、
音楽に対してそんなことばかり考えていた俺は
そんな俺がつくづく嫌になった。

音楽なんてやめよう、と思った。
ここにこうして「音楽」が存在する以上、
俺なんかがわざわざ音楽をやる必要などねえな、思った。

と言うわけで、
俺はあのジョージブッシュの8年間、
テレビも見ず、音楽も聴かず、
ただひたすらにテニスばかりをしていた。

今から考えると、まるで馬鹿のように、まさに物に憑かれたように、
朝起きてから仕事中から家に帰ってから、
朝から晩までテニスばかりやっていた。

世界を包み込んだあの人間の澱の全てを吐き出したようなEVEILの霧の中で、
黄色いボールを引っぱたきながら、
世の中でなにがあろうと知ったことか、
俺はどこにいっても誰とでも、テニスコートと黄色いボールと、
そして、「相手」がいれば、なにがどうあろうと知ったことではない、
と思っていた。思い込もうとしていた。

911からのその後の10年間、俺はそのように過ごしてきた。
なので、その後の10年、と言われても、
不思議なことに何の記憶もない。

今行われているUSOPENの会場で、
その頃、共にテニスをしていた奴等と久々に顔を合わせた。

もうみんなテニスはあまりやっていない、そうだ。

まさにブッシュが去って、魔が落ちたように、
俺たちはいつのまにかテニスをやめてしまっていたようだ。
おかしな話だ。

と言うわけで、911とブッシュが去った今、
俺がなにをしているかと言うと、
犬の散歩と、そして、なんとROCKだ。

普段からROCKなんて音楽はほとんどまったく聴かない癖に、
LIVEが決まるとなると必ずROCKだ。

昔は、やれCLICKに合わせろ、やら、裏だ表だ、キメだ、
などとやっていたのだが、
近頃、端的に言ってしまえば、311、つまり日本の地震以降、
そういったことさえもが、うざったくなった。

とりあえず、最初と最後とアクセントさえ合わせておけば、
後は何でも言い訳でよ、できるならもう、それだけに徹しちまおうぜ、とかなんとか。

全ての予定調和、つまり練習の成果を、LIVEのステージの上でわざとぶち壊し、
いきなり滅茶苦茶な中から、アクセントに向けての気合だけでなんとか持ち直し、
なんてことをやっている訳だ。

これまで、
どうも世の中が俺とあわねえ、俺がおかしいのか、
と思い続けていたさまざまなものが、もう本当にどうでも良くなった。

俺は俺で俺が正しいと思ったことを勝手にやろう、と思っている。

つまりは、気合と真心だ。

昭和回帰だ、時代遅れだ、と言われるが、

いろはの意味が、色は匂えど、にあるように、
無常を理解して初めての世界だ。

911と311の後に、ここに来てようやくすっきりして来た気がする。

先週末のGIGの熱が残っているのか、幼稚な文になったね。

ご拝読グラシアス。

2001-09-17 Union Sq008

とーでんの捏造疑惑ですべてのメディアの信憑性が怪しくなって、つまりはメディアの信頼性の根本が腐らされているわけで

Posted by 高見鈴虫 on 08.2011 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
とーでんの捏造汚染、まじで原発放射能と同じぐらいにうぜえな。
世論操作だ?ただの嘘八百だろうが。
つくづく、こいつらという人々は、人間を舐めきっていたのだな、と思う。

とーでんの捏造汚染を目の当たりにし、
あらためて、インターネットの、というよりは、
テレビも新聞も含め、
つまりは、メディア、というものの真偽性が、根本から腐らされているような気がする。

まあ確かにね、
所詮は広告主から金をもらって広告主のおべんちゃらを載せる、というのがメディアである以上、
そこに情報操作はつきものな訳なのだが、

そう、たしかに、そうなんだが、もちろんそうなんだが、

しかし、だ。

そこにはやはり、人は真実を語るべきだ、というよりも、
つまるところ、

嘘をついてはいけない。

それは、メディアがどうの、法律がどうの、というよりも、そのずっと前、
つまり、躾=しつけ、の問題なのだよ。

嘘をついたら泥棒の始まり、じゃないのかよ、と。


泥棒は、先進国ではお回りさんに捕まる。

がしかし、
おまわりさんのいない後進国では、

道端で袋叩きにされるんですよ。

とーでんの捏造汚染なんかやってるやつら、
いくらもらってるかしらないが、
道端で袋叩きにしてやればいい。

あるいは、

メディアの人々、

とーでんから金をもらって嘘をついていた人々、

たった一握りの誇りが残っているとしたら、自ら率先して袋叩きにされなさい。

恥を知れ!

911のことはできることなら思い出したくはない

Posted by 高見鈴虫 on 08.2011 ニューヨーク徒然

>そろそろ9.11から10年になるのか~?

最近、というよりも、まあ、例の911以降、
テレビはほとんど見ねえんだが、
なんかテレビを点けるたびに、
911の10周年のことをやっているようだな。

が、

こないだの日本の地震もそうだが、
実際の当事者は、部外者から「そのこと」に触れられることを嫌がる。



仕事の成果

Posted by 高見鈴虫 on 11.2011 今日の格言
なにも言わずに5ドルを投げ渡されるのと
ありがとうございました、
と心からのお礼を言われるのと
どちらがいいか
ということだ。


フルーツバスケット食堂

Posted by 高見鈴虫 on 12.2011 アメリカ爺時事
昼飯時にごった返すカフェテリアの中で、
だれかが、
フルーツバスケット!
と叫んだとたん、
いっせのせ、で、席を変わらなくてはいけない、なんて店があったら面白いな。

ラーメンどんぶりを持って走り回る奴。
自分の飯はさっさと諦めて、
あるいはより豪勢な皿めがけて殺到するやつ。
テーブルに飛び乗る奴、
皿の上をのし歩く奴、
椅子を抱えて逃げまわる奴。
どさくさにまぎれておかずだけかっさらって口の中に押しこむ奴。
お魚加えたどら猫のごとく、焼き魚を咥えてテーブルの下に隠れる奴。
うどんを頭からかぶるやつ。
カレーの皿の上に尻もちを着く奴。
転がるテーブル、宙を舞う椅子。
飛び交う皿、コップ、箸。
味噌汁の飛沫が達、おにぎりの爆弾が走り、お新香が雨あられと降り注ぐ。

で、食事が終わったら、みんなで仲良く床掃除。

これぐらいしなければ、いまの日本に元気は戻らない、と思うがどうだ。

まあ、大学の頃、毎日似たようなことをやっていたのだが、
それを今やろうとしたら、それはそれで中々面白いか、
と思った次第。

ただ、アメリカでこれをやると、
フットボールやら、イラクの戦場と間違える奴らが出てきて、
マジで死人は出ないまでも、鎖骨、肋骨をへし折られる奴は出るに違いない。

昼飯を喰いに行ったら、鎖骨を折られて・・・

これは笑える。

「バックギャモン」

Posted by 高見鈴虫 on 13.2011 旅の言葉   0 comments   0 trackback


昔、アジアから欧州まで旅をしていた頃、
よくカフェのテーブルでバックギャモンをやって過ごしていた。
ポカラに居たときに、西からきたヒッピーに教わったのだが、
その後、ヨーロッパへ抜ける過程で、
このバックギャモンを通じてバスの出発時間待ちやら、
チャイハナのテーブルなどで、ちょっと一番ってな感じでお近づきになると、
情報集めやらなにやらになにかと役に立った。

という訳で、トルコに居た時などは、観光などをしている時間よりも、
このバックギャモンをしている時間のほうが長かったほどで、
いやあ、爺さん、強いな。
ははは、なんてったって、もう60年もこればっかりやってるからな、
と笑われたりもした。

という訳で、なんだかんだと旅を続けるうちに、
俺のバックギャモンの腕前も相当に上がりつづけ、
アテネにつく頃には、金を賭けてやっても負けることなし。
ワンショットを賭ければ勝ち続けてしまったが為に
ただ酒でへべれけになってしまったり、
あるいは、娼婦を相手に、倍額がただマンか、
の大勝負にも奇跡の大連勝。
その店の女はほとんどただで頂いたりもしたものである。

という訳で、
旅行中はまさに、「無敵のバックギャモン師」を名乗っていた訳で、
こんなことなら、もしかしたらプロのバックギャモン師として
世界を又に駆けて暮して行けるかも、
などと思っていたのだが、それは甘かった。

つまりこのバックギャモン。
つまるところ、賽の目次第、というか、そう、結局はすごろくの亜流。
どれだけ戦法を熟知していようがさいころの目が出ないことには
なにも出来ない訳で。
つまり、そう、これは博打かゲームか、と言われれば、
強くなればなるほど博打の要素が増える、つまりは、運次第という訳で、
ここぞ、というときにかなり手痛い負けを続けて、あわや帰りのチケット代もパー?
なんてところまで追い込まれたりもしたものだ。

という訳でこのバックギャモン。
日本では知っている人いないよな。
やはりヨーロッパが主流らしく、
アメリカでもそれほど盛んではないし、
南米に行くと、ドミノが主で、
バックギャモンをしている人は一度も見なかった。

ああ、次にバックギャモンができるのはいつの日か、
などと思っていたら、
そういえば、IPHONEアプリである。

で、思わず無料アプリをダウンロードして
はじめてみるとこれがなかなかである。

で、地下鉄の中でやらトイレの中で、やら、
下手をすると寝る前に、とやっていたのだが。。。

という訳でこの無料版IPHONEバックギャモン。

機械の癖になかなかやるじゃないか、とは思うものの、
やはり、この無敵のバックギャモン師の敵ではなく、
つまり、連戦連勝。
賽の目が狂って、思わずなんてこともあるにはあるが、
まあ十中八九は俺の勝ち。
そうこうするうちに面白くなくなって、
と思っていたら、なんだこれ、UPDATE?
とやってみたところ・・・

そのIPHONEアプリがいきなり強くなった訳である。

嘗てはプロさえも目指したこの天才児を相手に、
ほとんど5分5分、下手をすると連敗を喫する、
なんてことも出てきて、思わずかっとしてしまったりもした。

が、しかし、である。

待てよ、と。

そう、このアプリ、UPDATEして強くなって以来、
どういう訳か、賽の目が異様についていない、のである。

さしもの俺も、終わり直前になって6のぞろ目が5回も連続して出られたら
まさか勝ち目があるわけもない。

で、同じとき、俺はと言えば1・2を連発。
おいおい、と。

なんか、俺、最近、ついてないのかな、と思わず凹んでしまうことも多くなって、
やればやるほどに気の滅入るゲーム、となってしまった訳である。

が、だ。
そう、それにしても、だ。

この賽の目、あまりにも、ちょっと、不公平過ぎないか?
とやればやるほどに、
相手には徹底的に有利、
そして俺には徹底的に不利、な目しか出やがらない。

ここぞと言うときに、ああ、こんな時に1・5が出る、なんて、
いやいや、まさかそんなことはありえないだろう、
と言うときに、まるで狙い澄ましたようにその目が転げ出る。

で、逆に、まさかこんな時に、こんな目がでることはないだろう、
と言うと、まさに、そう、それなのである。

これ、なんか・・・まさに、賽の目をいじってるとしか思えないのですが・・・

つまりそう、このアプリ。
強くなったのは戦術的にということではなく、
つまりは、賽の目をいじっている、だけの話なのである。

あのなあ、と思わず。

まあ確かに、勝負は時の運、とは言うが、
そこで賽の目を操作してしまっては、元も子もないだろう、と。

ゲームの根本には、賽の目が運次第であること、を前提としている訳であって、
それに手を加えてしまっては、まさに神の特権を奪うことにもなりかねない。

で、思わず、ぶちきれて、
IPHONE BACKGYAMMON DICE UNFAIR
とぐぐったところ・・・出るわ、出るわ。

ぶちきれて、同じようなことをがなっている奴らが世界中にごまんといる訳だ。

これはゲームに対する冒涜。つまりは神に対する冒涜だ、という輩までいる。

なんだよ、と思わず苦笑い。つまりそういうことかよ、と。

という訳で、なんだ、俺が思い切りど壺っているって訳でもないんだな、
と判ったところで、えいやあ、とアプリごとアンインストールしてしまった。
つまり、厄払い、である。

なんだけどね、と実は。

そう、最近のカジノって全てがコンピューター管理。

スロットマシンにしたって、電光LEDでは、なんというか、つまり、そう、
これと同じことがまさにカジノで起こっている、ってことなんだよね。

それってつまり・・・

そう、つまり、博打って、つまりは、賽の目をいじってなんぼ、なんだよね。

それ以上でもそれ以下でもないわけでさ。

まあとどのつまり、そういうことなんだよ。

という訳で、この賽の目いじりのバックギャモン。

博打そのものが馬鹿馬鹿しくなってしまった、という訳なのである。

「カルチャーショック」

Posted by 高見鈴虫 on 15.2011 旅の言葉   0 comments   0 trackback


昔々、米国に来たばかりの頃、
すっごく綺麗なポーランド人の子と知り合った。
まさにチアリーダーというか、まあその手の見るからに健康ギャルで、
声をかけたら、オッケーとそのままスキップするようについて来て、
部屋に着いたとたん、なにか飲む?なんて振り返ったら、
すでにTシャツもパンツも脱いですっぽんぽん。
まさに、じゃーん!って感じに大手を広げて満面のニコニコ顔。
で、俺もすべての面倒なことをかっ飛ばして、いっただきま~す、
となった訳なのだが、
シャワーも入らずにそのまま初めてしまったのもあって、
いやはや、その匂いが強烈なのにはちょっと驚いた。
まあよく言われること、というか、まあそれは体質なので、
良いの悪いのいうつもりもないし、
腋臭の匂いもあそこの匂いも盛り上がってくれば
それはそれで乙なもの、であったりもするのだが。
ふと見ると、縮れて丸まったティッシュペーパー。
なんだこれ、と取ってみると、
なんとその丸まったテッシュにうんちが付着しているではないか。
まさかこの子、お尻を拭くときに前からどーんと引っ張ってしまっている、
つまり、後ろ前一緒に拭いてしまっているのではないのか!?
さすがに問いただす訳にも行かなかったのだが、
ちょっと衝撃だったな。
それをカルチャーショックと言えば、言えないこともない。

「女性にとっておまんまん」

Posted by 高見鈴虫 on 16.2011 嘗て知った結末   1 comments   0 trackback


以前から不思議に思っていたのだが、
どうも女性の方々、
男性人がおちんちんを意識する程に、
彼女たちのそれ、つまりはおまんまんに対して、
それほどの注意を払っていないのでは、
ということである。

理由は、とつらつら考えるに、
それが下、あるいは後ろについている、
つまり、自分の目では見えない、
ということにあるのではないだろうか。

確かにいつも目の前にぶら下がっていて、
一日に何度も、すくなくともトイレに行く際には
必ずお目にかかるおちんちんと比べ、
女性人はすこっと座ってそのまま、
つまり普通の状況ではそれとご対面することは皆無。
なんか足の間にあっておしっこのでるところ、
ぐらいの注意しか払われなくても当然、という状況にあるのは判る。

まあ女性陣はその代わりにという訳でもないが、
その真正面におぱいぱいがどーんと鎮座ましましている訳で、
それとお尻の前と後ろだけでも手一杯。
つまり股下までは注意が届きません、というところなのだろうか。

が、しかし、ご存知なようにこの股下に隠れたおまんまん、
世のほとんど全ての健全男性にとってはまさに生命力の源。
全ての行動原理の源泉ともなりうるこのおまんまん様。
お目にかかれるだけでもありがたやありがたやと
思わず手を合わせてしまうほどに神々しい存在である訳だ。

が、しかし、まあ確かに、
いつも股下に注意の行っている女の子、とか、
あるいは、なにを間違えたか口紅を塗ってしまったり、
穴を開けてリングを通してしまったり、
なんて人はちょっとやりすぎというか、
かなりあちらの世界に行っちゃってる方々という気もするので、
まあそのぐらいがちょうど良いのかもしれないが。

「伝えたい極意に限って伝わらない」

Posted by 高見鈴虫 on 17.2011 音楽ねた   0 comments   0 trackback
知り合いのゴス系のバンドのドラマーのポール。
対バンで重ならないときにもよくギグに来ていてくれていたのだが、
聞いてみるとバンドを辞めたそうである。
バンドを辞めて、ドラムスクールに行くのだそうだ。

つまりは、いつまでもメタルバンドでツーバスどかどかやっていても埒が明かない、
という自己判断らしい。

で、ドラムスクールでなにを学ぶ訳?
といえば、基礎から、つまりは、パラディドルからやり直す、
そうなのである。

パラディドル?つまり、ルーディメントのこと?

改めて、なんで?と。
そんなものいまさらやったって、ロックには使わないぜ、
と言うのだが、どうも、俺がリハの時にたまにやるいんちきジャズ、
あるいは、サルサ、やら、ティンバ、やらのラテンリズム、
それこそがまさに俺の秘密、と思ったらしいのだ。

まあ確かに、リハの時に限らず、本番前の控え室から、
移動中の車の中から、は言うに及ばず、
犬の散歩中も仕事中も、下手をするとなにの時にも、
RLRRLRLLやらRRLRLLRLやらと遊んでいる。
が、これはまさに手癖になっていることであって、
改めて言うがROCKドラムにはそんなものは必要ない。

あるいは、俺は手、あるいは、指先では、RLRLLRLRRとかやりながら、
実は集中しているのは足、つまり、右左の足踏み、なのである。

足踏みをしながら楽器を弾くこと、
これこそがまさに、俺の真髄、である。

メトロノームに合わせようとしても駄目だ。
メトロノームに合わせるのは足。それも足踏みと腰。
そして上半身はそれに乗せるだけ、なのである。

あるいは、下半身とリンクしていない手の動きには、
まさしくなんの意味もないのである。

が、しかし、
俺のところに擦り寄ってくるガキども、
ねえ、ねえ、ジャズのフレーズ教えてよ、
やら、こないだマイクチェックでやってたラテンっぽいやつ、
とか、あるいは、6連やら32連やら、片手ロールやら。

ほらよ、こうやんだよ、とタラっとやってしまいながら、

でもな、忘れんなよ。足!足必ず付けろよ。

小技を小技として小手先でやっちまうとかならずギグで流れるぞ。
まずは、足踏み、足踏みをしながらやることだ。

と必ず言い聞かせるのだが、
やはり奴らの見ているのは小手先、だけ。それだけ。

やれやれ、とは思いながら、まあそのうち気づくだろ、とも思っている訳で。

という訳で、改めて言わせて貰う。

それは、ドラムだけに限らず、

リズムに乗っていない、絡んでいない音は、ただの雑音なのである。
早弾きだかなんだから知らないが、リズム、つまり基本音があって、
その間にどれだけの音数が入るか、というのが問題、
つまりは、基本音のないところにはなにもない訳である。

で、その基本音とはなにか、といえば、まさにリズム。
そしてそのリズムの本体とは、と言えば、まさに、足、なのである。

最近のロック小僧。まさに家ではゲームばかりで、外には出ない、歩かない。
運動なんておかしくてやってられない、ようなガキばかりだが、
それは違う。
歩かない人間にはリズムは判らないのである。

片足でビートを刻んではいけない。
耳でメトロノームを聞いてはいけない。
メトロノームは合わせるのではない。乗せるのである。

とまあ、確かに、おれもそんなこと14・15の時に聞いても判らなかっただろうがな。

と、いう訳で、がきども、爺の言うことはよく聞いとけよ。いま判らなくてもとりあえず覚えておけ。できれば墨で彫ってしまえ。そのうち判るから。

「PAUL THOMPSTON と TERRY WILLIAMS」

Posted by 高見鈴虫 on 21.2011 音楽ねた   0 comments   0 trackback


スネア、スネア、スネアのタメ、
と考えていて、
ふと思いついたROXY MUSIC。

それもアンディ・ニューマークが加入する前の、
オリジナル・メンバーであるポール・トンプソン。
この人、本職のROXYにおいてはあまりにはちゃめちゃなとっちらかりドラム。
後にアンディ・ニューマークにすっかりおいしいところを持っていかれてしまう訳だが、
ふと、その中で、ブライアン・フェリーソロアルバムに収録されたテイク

LET'S STICK TOGETHER





これぞまさに、スネアの中のスネア、という気がする訳だ。

同系統としては、まさにあの巨人、というよりは、化け物、である
テリー・ウィリアムスという人もいる訳で、

ソロだ、おかずだ、という前に、まずはそう、この基本リズムでのグルーブ、
これこそが、ドラマーとしてのドラマーの醍醐味、ロックの真髄、
と改めて言わせて貰う。

という訳で、改めて、ツーバスなんてものがもてはやされるようになってから、
この、ビートそのものがグルーブしている、タイプの人が減ったよな、と思う。

理由としては、
まさに現代人が歩かなくなったから、
あるいは、ロックファンに運動神経の良い奴がいなくなった、
つまり、ロックが内向的なオタクのためのオタク音楽に成り下がり、
世の王道からすっかりと転げ落ちてしまったがため、
この世で一番ホットな、つまりリア充系の人々からすっかり敬遠されるようになったがため、
と思っているのだがどうだろう。

「ドッチーパッチーのスネアとバスドラの被りこそが」

Posted by 高見鈴虫 on 22.2011 音楽ねた   0 comments   0 trackback


その昔ディスコ、という音楽があって、
正直、俺の身体の中には、このディスコ、というリズムが、
まさに血となり肉となっているところがある。

で、改めてこのディスコというリズム。

ドラムで言えば、ドッチーパッチーという奴。

つまり、バスドラとスネアで一拍三泊。
あとは、ハイハットを裏で開け閉め、する訳なのだが、
実は俺、このドッチーパッチーが苦手である。

何ゆえか、と言えば、

まず一拍三拍のバスドラで、三拍目に、スネアとバスドラが被る、
というのが、なんとなく、スネアの音を汚しているようで、嫌、なのである。

それに加えて、HI-HATの開け閉めなのだが、
裏で開け閉め、ということになると、左足のステップそのものは、
まさに、ON、つまり一拍三拍となる訳で、これがバスドラと被るのである。

どういう訳か、というか、これはまあ、癖、というより宿命的に、
バスドラとハイハットは、交互に踏んでしまうところがあって、
あるいは、実は、
このハイハットの左足、こそがビートの核、というかハートビートになっているところがあって、
ゆえに、裏で踏むハイハットを外してしまったとたんに、
なんとなくビートに張りがなくなるというか、
叩いていてつまらなくなってしまうのである。

で、このディスコのドッチーパッチー、この裏の音の引っ掛けを、
まさに、右手でやっている訳で、
これが、また、どうにも素人臭くて、こっ恥ずかしいな、
なんて思ってしまうのだが。

が、しかし、とふと思ったのは、

実はそれが理由ではないのではないか、という事である。

つまり、本当の理由は、三拍目のスネアとバスドラの被り、
これが、実は、ちょっとずれて聴こえるからなのではないか、
という事である。

やってみれば判るが、普通に、なにも考えずに一拍三拍をやると、
たいていは、スネアが前に来る。
なぜならば、スネアの音は破裂音であり、つまり、高い、軽い、訳だ。
ので、スネアとバスドラを一緒に入れると、かならずスネアが軽く聴こえる訳だ。

つまりはそれなのでは、と。

一拍三拍でスネアの音を安定させるには、
まさに、バスドラの一緒にがちっと踏み込む、あるいは、溜め込む、
必要がある訳で、
アンディ・ニューマーク、テリー・ウィリアムス、ポール・トンプソンに代表される、
あのまさに神業のようなスネアの切れ、
この神業の理由は、まさにこの、ディスコの一拍三拍ではなかったのか、
と思う訳である。

なんか目から鱗が、の気分である。

あれまあ今度は蚤かよ

Posted by 高見鈴虫 on 25.2011 犬の事情
週末の朝6時に起きてセントラルパーク。
9時までの自由時間=オフリーシュ時間一杯まで
思い切り走り回って、
10時近くになってようやくご帰宅。
足を洗ってブラシをかけて、
で、朝飯の後にソファの上でゴロゴロしていたとき、
白いお腹に生えた薄い毛の中に、黒いゴマのような粒々が。
泥でも跳ねたか、と思ってふと指で摘もうとすると、
いきなりそのゴマが、目に向かってぴょんと弾けた。
ノミ!?蚤だ!!

そのまま風呂場まで抱え込んでシャワーとなったわけだが、
やれやれ、アッパーウエストサイドの超高級コンドミが、
ドアを開けたとたんに蚤だらけ、なんてなんだかおかしいね。

かみさんはいきなり部屋中のマットからベッドのシーツから
ソファのカバーからカーテンからを引っぺがして、
洗濯を始めている。

やれやれ休日の朝から大変な騒ぎだ。

観始めるとついつい最後まで観てしまう映画

Posted by 高見鈴虫 on 25.2011 ニューヨーク徒然
日曜の朝、
コーヒーを炒れながら、
ふとケーブルテレビのチャンネルを回していたら、
タイタニックがやっていた。
で、ふと見始めたら、
コーヒーを飲みながら、朝食を食べながら、
部屋の掃除をしながら、古い友達にメールの返信を書きながら、
結局、タイタニックを最後まで見てしまった。

青い海のそこに幻のダイヤが吸い込まれて、ふと時計を見るとすでに2時近く。
おいおい、休日の貴重な4時間があっという間に海の底かよ。

というわけで
慌てて犬の散歩にでかけたら、
いつのまにか雨も上がっていた。

というわけで、
観始めるとついつい最後まで観てしまう映画

タイタニック、こいつで何度失敗したことか。貴重な3時間半がいつのまにかふっとんでしまう。
キングコング(2005版)、これも思わず観いってしまって遅刻したことが何度か。
エクソシスト

ちなみに友達は、ジョーズだ、と言っていた。
しめきりは明日の朝、とわかっていながら、
深夜劇場でやっているとおもわず見てしまって・・らしい。

やれやれ

この時代、悠長に映画なんか見ていられる奴っていったいどういうやつなんだ、
とつくづく思う。
  

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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