Loading…

音楽が嫌いな人というのがこの世に存在している、という事実を わすれてはいけない

Posted by 高見鈴虫 on 01.2011 今日の格言
音楽が嫌いな人というのがこの世に存在している、という事実を
わすれてはいけない
そして彼らにだって生きる権利もあれば
彼らなりの幸せの形だってある筈なのだ
相互理解と言うよりは、
よくわからないものは
よくわからないものとして
放っておくいい加減さこそが
心のゆとりなのではと思う。


俺は漫才が嫌いだ

Posted by 高見鈴虫 on 01.2011 ニューヨーク徒然
俺は漫才がきらいだ、
と大きな声で言える日本人がいるだろうか。

だったら俺が言ってやる。

俺は漫才が嫌いだ。
昔から嫌いだった。
そしていまも大嫌いだ。

日本にいたときには、漫才が嫌いなのでテレビは極力見ないようにしていたのだが、
それでも漫才を避けることはできなかった。

バラエティはもとより、ドラマから歌番からニュース番組から、
ラジオから新聞から雑誌から、
どっちを向いてもまるで末期的な癌細胞のように漫才芸人ばかりが繁殖をしていて、
そうこうするうちに日本そのもから徹底的に目をそらすようになった。

断っておくが俺のそんな偏屈は漫才嫌いにに始まったことではない。
もともとテレビは嫌いだった。
その音がうるさくて、額縁代わりにテレビは点けていても普段は音を消していることが多かったのだが、
それにしても漫才番組の芸人達は無音にしていても煩わしかった。

と言っても、
俺がお笑いや冗談や悪ふざけが嫌いな訳ではない。

ただバラエティ番組や漫才の芸人たち、
とくにこれ見よがしにオーサカベンをがなりたてる
百姓面があまりに醜悪で見るに耐えなかっただけの話だ。

見るに耐えないぐらいに醜悪な面をしたバカに親和性など持ち得る筈もない。
そんなよく判らない奴らの和気あいあいを見るのはそれほど楽しいものではない。

という訳で、
日本のメディアがヨシモトに乗っ取られてこのかた、
日本にいればいるほど日本が煩わしくなり、
溜まらず日本を飛び出して、
そして帰り着くたびになおさら煩わしくなっていった。

いつしか俺は本気で日本に帰ってこなくてもよい方法というやつを考えるようになっていた。
貧乏に貧乏を重ねた末に、それでも金がなくなって日本に帰らなくてはいけない時、
憂鬱やら辛いやら悲しいやら腹が立つやら胃が痛いやらをすべて通りこして、
思わずさめざめと泣けてきてしまったものだ。

俺は帰りたくない、あんなところに帰りたくはない。

売れ残りの娼婦が酔ったついでに慰めてくれたとしたら、

なにがいやか、と聴かれれば、俺は迷わず答えただろう、

テレビがうるせえ、と。


という訳で、
俺は日本を出た理由を聞かれるたびに、
漫才が嫌いだから、と答えることにしていた。

それを冗談だ、と取る奴もいたが、
そういう奴は、ゲットーのニホンジン宿で、軽くヤクを試して安い女に病気を染され、
街中でぼられまくった後に満足して日本に帰った。

極まれではあるが、
まんざい、ああ、そういうのもあったなっけな、という奴。
鼻で笑って、そうそう、という奴、
とは不思議にすぐに気が合った。

漫才が嫌いだ、の一言は、まさにこれから日本を捨て去ろうという者のリトマス紙でもあったわけだ。

つまりそれほどまで、日本は漫才毒に侵されきっていたわけで、
漫才嫌いを口にしているたびに、
自然と漫才に象徴される戦後日本の繁栄に後ろ足で砂をひっかけたへそ曲どもが、
俺のまわりに集まってきていたのかもしれない。

がしかし、
世界旅行に出た、と言ってはみても、
その大半は、
ニホンジン宿を泊り歩くばかりでいつまでたっても英語がしゃべれず、
白人を恐れ、媚び、そしてきまって陰口を叩き、
それに比べてアジアの女は、なんてことが、実は己の劣等感と、
腐った優劣意識の反面教師であることにも気づかないアフォ、
今日も今日とてニホンジンばかりのテーブルに固まってフジテレビの話ばかりしているのだろう。

そんな奴らを見るたびに、
俺は独断的にフジテレビがニホンをクズにしたと、思ってしまう。
あるいはフジテレビを見ていた奴はクズなのだ、とはっきり言ってしまう。

それは今でも変わらない。
ちょっとでも気に入った女には、あらかじめ、よくフジテレビを見ていたか?と聞くことにしている。
もしフジテレビをみていたような女であれば、ゆくゆくは愛想がつきて憎みあうことになるだけなのだ。

という訳で、せっかくこうして日本を出てきたのだ。
頼むから俺の前でフジテレビの話をするのだけはやめてくれ。

ピードラの弊害 その1

Posted by 高見鈴虫 on 02.2011 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
“成果を上げる人は、最も重要なことから始め、しかも一度にひとつのことしかしない”
(ピーター・F・ドラッカー)

それらしき解釈:
成果を上げるための秘訣を1つだけ挙げるならば、それは集中である。
成果を上げる人は、最も重要なことから始め、しかも、一度に1つのことしかしない。
いかなる成果も上げられない人の方がよく働いている。

耳が痛い言葉だな。これは・・

俺的にはこれは、ながら仕事をやめなさい、という事だと勝手に解釈させて頂く。

つまりは、この状況、
英語の勉強とヘッドフォンで音楽を聞きながら、
右にリサーチ左にレポート真ん中にはやりかけの障害対応が1-2-3-4
戸棚の上に試験勉強用参考書と読みかけの雑誌。
で、その背後には、モニターが2台とLAPTOPが2台、
そのそれぞれにEXCELとOUTLOOKの書きかけメールとVBAがそれぞれ20っこづつ開いて、
ついでに、ITUNEとYOUTUBEとCONSOLEとLOGとがわらわらと走り回り、
FIREFOXとIEとSAFARIのいつ読んだか判らないニュースページでは
FLASHがチカチカとネオンサインのよう。
で、最近ではそれでも足りずに手元にIPADでその脇にはIPHONE。

これを同時進行に進めるというのも至難の技で、
予てより、ああ、プライオリティを絞ってひとつづつ潰していかねば、
と思っているのだが・・・やれやれ、である。

そうだよなあ、一個づつ潰していかねばならないのだが、
と思いながらも、探すのをやめた時に見つかることもよくある話でさ。
などと言い訳をひとつふたつしながら、そうだ、思いついた、あれってこれだ!と。

が、しかしながら、そう、現実的に無理っぽくない?ひとつひとつなんて。

つまり・・なんというか・・・
そう、この仕事、別に成果を上げるためにやっている訳じゃないんだよね。

つまり、なんというか・・・

ただもう、仕事に追い立てられながら、がむしゃらになってとりあえずできるところから潰して行っているだけ。
つまり、唯の浪費。徒労。つまりは、やっつけ仕事な訳だ。

あああ、成果の上がる仕事なんてのをやってみたいよ、ドラッガーさん。

という訳で、とりあえず、座右の銘っぽく、机の前、
STEVE JOBSの遺影の隣りにその言葉を貼り付けてみた。


ピードラの弊害 その2

Posted by 高見鈴虫 on 04.2011 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
“成果を上げる人は、最も重要なことから始め、しかも一度にひとつのことしかしない”
(ピーター・F・ドラッカー)

という訳で、この座右の銘なんだけどさ、

これって、つまりはシングルタスクに徹せよ、ということかな。

確かに米国では、教育の基本はこの、シングルタスクってのが原則になっているようだ。

まあ学ぶことが高度になるほどそうそうとシングルタスクばかりはしていられないので、
つまりは、学歴の低いやつほど、シングルタスク信奉者。

特に低学歴ながらも生真面目そうな奴ほど、このシングルタスクに固執するところがある。

一つのことを始めるとそれが終わるまで他のことをしようとしない。

ということで、まあ真面目なのは良いのだが、
つまりはまあ、融通が効かないといったらない。

例えば、レジの後ろに人が詰まっているというのに、
スキャンできない一つの商品を、執拗にスキャナーに翳しては剥きなっている、
やら、
あるいは、
電話中に後ろから誰かに呼ばれても反応を示さず。
よくあるように、受話器を手で塞いで、判ったから、かけなおすって言って、
とジェスチャーで示したり、ということが、できない。

融通のきくマルチタスクの人々が中心のこの職場では、
この態度はまさに独善的というか、まあつまりは厄介なのである。

やっぱりね、シングルタスクってさ、
まあつまり、成果とされるゴールが、実に限定されたものである場合にのみ、
つまりは単純労働者にだけ当てはまることで、
一日中部品組み立ててたり、穴掘ったり埋めたり、とか、
一日中そこに立って旗振ってろ!余所見すんじゃねえぞ、とかさ。
そういう人々向けって感じがするんだよね、とくにここアメリカでは。

よく言うことだが、この国では、馬鹿は馬鹿として意図的に生産されている訳でさ。

日本見たく、誰もがみんなひらがなもカタカタも漢字も英語も書けて、
微分積分もできて、デオキシリボ核酸とリボ核酸の違いが判って、
バッハのフーガ ニ短調の楽譜が読めて、セザンヌとピサロの違いが判って、
鴨長明の徒然草と、平家物語の最初の1ページを混同なく言える、
なんて教育は、まったくされていない。

つまり、なんというか、馬鹿として生まれ、一生を幸せな馬鹿として過ごすための教育、
としてシングルタスク教育があるわけで、
はい合格です。さあこれであなたは一生幸せに穴掘ったり埋めたりできますよ、
というレベルでの教育システムがちゃんと確立されている訳だ。

で、そう言えば当IT業界も細分化が進むたびにそういう輩が増えた。
自称スペシャリスト、と言われる人々。
つまり、データベースをやっているのだが、データーベース以外はなにも知らない、なにもやらない、
つまり、なんというか、融通が効かない、というよりも、
これはまあ、統括的な考え方も知識も無いため、
とても偏ったところでの専門知識でしか物を言わず、
お前なあ、もうちょっと常識的なところから物言えや、
と言えば言うほど、
意固地になって統括的な立場に立ってでしかものを考えようとはしなくなる。
という訳で、まあ言うなれば便利な道具、
しかし、使い方を間違えればただの木偶の坊化してしまう。
こういう輩はまさに時計じかけで、
言われたことをしっかり一日中穴掘って埋めて、で5時にきっかり帰る。
言われなければまさしくなにもやらない。
あのさ、暇なら、なにかお手伝いできることありませんか?
ぐらい言ったらどう?と言う度に、
それはマネージャーが俺に言うべきことだ、と一点張り。
やれやれ、と。

つくづくシングルタスクの人って、
そのゴールが単純かつ明確化されている時にだけ威力を発するのであって、
例えば、
その目的が、会社を成功に導く、やら、
イノベーションを上げる、なんて曖昧なものだと、
たちまち思考停止に陥ってしまったり、
あるいは自身の都合の良いように拡大解釈してずるばかりしようとしたり。

この当事者意識の無さ、というか、その視界狭窄ぶり、
俺がいまいるような状況、つまり、ITのすべて、
なんていう状況からすると、なんとなく羨ましくもある。

という訳で、

あの、こないだお願いした例のやつ・・・といわれるたびに、

ほら、ドラッガー、見てよ、これ。

成果を上げる人は、最も重要なことから始め、しかも一度にひとつのことしかしないだよ。

とやってみたら、いきなりその座右の銘を引きちぎってゴミ箱に叩き込んだ奴がいた。

こいつはジューでしかもファイシストだ、最悪だ、なのだそうだ。

ドラッガーは読んだことがないのでよく知らんが、
先生だ神様だ、といわれる割にはまああまり好かれていないようだ。

不眠症の人はオーストラリアン・キャトルドッグを飼えばよい。不眠だなんていってられなくなるから

Posted by 高見鈴虫 on 04.2011 ニューヨーク徒然
自転車に乗ると
帰ってからどっと眠くなるよな。

テニスのあとシャワーを浴びたらもういちころだ。

うちの犬も、ドッグランではあれだけハイパーに走り回っていた癖に、
家について足を洗ったとたんにベッドに飛び込んでそのままことりと寝てしまった。

まさに電池が切れた、という感じ。

こいつ、寝顔だけは可愛いな、などと思っていると、
いつの間にか思わず吸い込まれて、
いつしか添い寝している羽目になる。

ああ、不眠症の奴がうらやましい。

ピードラの弊害 その3

Posted by 高見鈴虫 on 05.2011 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
正直言ってさ、
俺、実は、ピードラ、あんまり好きくないんだよね。

と言うのは、どういう訳か俺の前でピードラを口にした人って、
実は会社、というか組織においては、
あまりに使えないタイプが多かったりする訳だ。

例えばこの、

“成果を上げる人は、最も重要なことから始め、しかも一度にひとつのことしかしない”
(ピーター・F・ドラッカー)

確かにね、その通りではあるんだけどさ。
確かに耳障りの良い言葉ではあるんだけどさ、
こう言われてしまうと、いろいろと耳が痛いことも出てくる。

以前、高学歴が売り物で入社した新人、
入社2日めにして、いきなり業務拒否。

あ、だって、これ、僕向きの仕事じゃないんと思うんです。
僕って割りと合理的なものの考えかたをするタイプなので、
こういうあんまり成果の上がらない仕事はあまりやる気にならないというか。。
それにそんな仕事をやらされても僕のモチベーションは上がりませんしね。
もっと、短期間に効率よく成果の上がるタイプの仕事、
つまり、もっとも僕自身の為になる仕事をやらせてください。

つまり、この文の中にある、「一度にひとつのことしかしない」、ってのは
その方法論であってさ、
一番大切なのは、「最も重要なことから初め」、なんだよね。

で、その「最も重要なこと」ってのはなにか、っていうと、
これが、一元的、限定的に明確化されたもの、であれば判りやすい訳なんだけど、
そうそうとそういう簡単な仕事って無いわけでさ。

日本の受験技量者、つまりは学歴エリートの方々、

この教科書のこのページをまるごとノートに書き写しなさい、やら、
この電話帳のあ行の項目をすべて暗記しなさい、やら、
このパズルの解き方をすべて暗記しなさい、やら、
そして一番重要なこと、
この問題の中に隠された意地悪な落とし穴を見抜きなさい、
なんていう、
現実問題ではぜんぜん使いものにならない狭窄的な専門知識
ばかりを身につけさせられた人々って、
最初からもっとも大切なところ、つまりは「成果」を上げるにはどうしたら良いか、
というところから入るから、
で、その入り方も、もっとも自身にとってコスパの良い方法、
つまりは楽して答えのでること、しかやろうとしないから、
結果、一番短絡的で打算的で一元的な方法で、その仕事を「やっつけちゃう」わけなんだよね。

成果を上げればいいんでしょ?はい、上げましたよ。え?その後のこと?それは知りません。聞かれてませんから、
と来るわけだ。

お前、揚げ足とってんのかよ、とも思うが、まあ指示、つまりは、こちらの設問に問題があったわけなんだろう、と。

という訳で、
まあ、言ってみれば、

会社が、
“成果を上げる人は、最も重要なことから始め、しかも一度にひとつのことしかしない”
ような社員ばかりだったら、いやはやとても面倒くさいことになるだろうな、とは思う。

つまり、誰も簡単には成果の上がらない仕事、つまり「損な仕事」はしたがらなくなるだろうし、
成果を上げることだけを目標としてしまった人々は、
周りの「バカ=お人好し」を利用しては、
成果を上げるためには、どうやって成果の上がらない仕事をお人好しに押し付けるか、
なんてことばかり始めるので、なおさらタチが悪い。

という訳で、待てよ、となんとなく考えてしまう。

そう、この”成果を上げる人は”、って、もしかしてドラッカー流の響くなんではないのかな、と。

つまり、なんというか・・
ここにある文章をそのまま字面で受け取ってしまうと、

“成果を上げる人は、最も重要なことから始め、しかも一度にひとつのことしかしない”

つまり、より効率的直接的方法によって成果を得るためには、って方向に爆進してしまう訳であって、

短期的な利益追求の為の大幅値下げ、やら、効果的なコスト削減の為の大規模なリストラやら、
エネルギー問題を解決のための原発増設やら、

つまりは、短期的な成果にばかり目を取られるがあまり、長期的なリスクを担保にしてしまう訳で、
これはまさに、目先の穴埋めにサラ金から金を借りてしまって雪だるま、
あるいは、活断層の上にばんばん原発建てちゃった馬鹿、
とまさに同じこと、な訳なんだよね。

なので、ドラッカーがもしそんなことを本気で言っているのだとしたら、
この聖人、実は底が浅そう、あるいはただのファシストなんじゃないの?って。

だってさ、この、もっとも効率よく成果をあげようとするあまり、
成果以前に、人間である道を踏み外してしまった人々、
つまりは、ドラッカーの生涯の宿敵であったナチスの人々を連想させるわけでさ。

が、ドラッガーはジューイッシュだろ?ファシズムを嫌悪している筈のこの筆者が、
効率主義的なことを安易に口にするとはどう考えても思えない。

という訳で、うーん、なんか解せないなあ、と。

で、これってもしかして、他に分節があるのではないのかな?と。

つまり、あらかじめ成果主義の陥る罠、あるいは、その至る末路を指摘した中での言葉、
であるのに、

経団連の提灯持ち、のような編集者が、
この前後の文脈に関係なく耳障りの良い言葉だけを抜粋したのだとしたら、
それはつまりはちょっとした内容詐称の犯罪なんじゃないのかな、とか。

この経団連の提灯持ち、のような編集者が、
安易な成果主義、つまりは、〆切りにいかに効率的に間に合わせて敏速にページを埋めるか、
という成果を優先する余り、前後の文脈を読み飛ばしてしまった、あるいは、どこかからまるまるパクってしまった、
ぐらいの馬鹿であっただけならまだいいが、

もしもこれを、経団連の提灯持ちとして、経団連の提灯持ち的としてもっとも重要な事をしたつもり
つまりは、確信犯としての内容詐称であるとしたら、おいおい、これ書いている人々って、
あからさまにファシスト扇動者、つまりは、
故意に将来のリスクを担保にして会社あるいは国家を借金雪だるまの状態に誘い込もうとする悪質金融業者の手先、
あるいは、
目先の利権欲しさに活断層の上にがんがん原発建てて、なあに、地震なんて来ないって、火星人来襲とおんなじだって、
と言い続けた国賊的なバカ、の利権に絡んでおこぼれに与ろうとしている短絡的なアホ、

ということなのかな?もしかして。

でさ、改めて、ニューヨークのユダヤ人と話すに、

えええ、違う違う、ドラッカーって全然そんな人じゃない。
それは逆だよって、て、大笑い。

あらためてドラッガーが言いたかったのは、
人が人を管理することがいかに難しいか、安易な言葉に騙されるな、ってことを言い続けた人だよ、
ってな話。

あんなあ、その、にっけー、なんとかって、日本のWSJ?まさか、日本のマスコミってそんな馬鹿ばかりなの?
とあからさまに馬鹿にされてしまって、ちょっとまじむかついた。

うーん、そっかあ、ちょっとピードラ、自分でも読んでみようかな。

最も成果を上げるために、なにをも差し置いてでも、僕はいまこうして仕事中にピードラを読まねばならんのです、とやってみたいものだ。

フジテレビのドラマ、演技が下手すぎる。

Posted by 高見鈴虫 on 11.2011 ニューヨーク徒然
かみさんがちょくちょく居間のソファの上、
Laptopを膝に置いてインターネットで日本のドラマを見ているのだが、
そのドラマからの音声を聞いているだけで、思わず吐き気がしてくる。

はっきりいって演技が下手すぎる。

まあ映像はみていないので、
どんなバカがどの面さげてこんな間抜けなせりふを吐いているのか、
演技そのものはわからないのだが、
少なくともセリフだけ聞いている限りは棒読み以下。

こいつ本当に台本の意味がわかってるのか?
漢字の意味がわからなくて読み飛ばしているうちに、完全に文脈を見失ってるんじゃないのか、
という次元に思えてくる訳だ。

業界風に言えば、
いやあ、おかげさまで売れっ子でしてねえ、
忙しすぎて忙しすぎていちいち台本読む暇もなくて、
というのもそれなりにステイタスなのかもしれないが、
その程度で仕事が取れてしまうというのもまあ島国の島国たる所以。

つくづく貧しい国なのだなと思う。

こともあろうに、
そんな貧しい国の貧しいドラマの、
学芸会以下のド下手な演技と臭いセリフを、
それこそ丸暗記した後に、
こともあろうに仕事の会議でその振りをしてしまう奴がいるのにもまさに驚かされる。

鼻につく、とか、むかつく、とか、
そんな次元ではない。
つくづくこいつらとは近づきたくないという気になってしまう。

がしかし、とふと思う。

この歯の浮くように超現実離れした公家用語の応酬、
これはそもそも台本にそう書いてあるわけであって、
つまりそれを棒読みする役者も役者なら、
役者そんな不条理なセリフを吐かせる脚本家がとことんノータリンなのだろう。

忙しすぎて自分の書いた脚本を読み返す暇がなかった、ということなのだろうか。

というわけでそんな知恵足らずが作り知恵足らずが演じる、知恵足らず向けのドラマ、
ぶちゃけていってそれはフジテレビなわけなのだが、

こういうのを間に受けて真似してしまう奴がいるのかと思うと、
本当に半端なく気味が悪い。
ムカつくというより幽霊を見るように薄気味悪く生理的に気持ちが悪い。

という訳で、
日本の終焉を背中に聞きつつ、頼むからヘッドフォンで聞いてくれねえかな、
と思うわけで。

で、そうそう言えば、
日本にいると、いったいぜんたい、どこに言っても、
家にいても、駅前の商店街でも、パチンコ屋でも、定職屋でも、
どこにいってもこの耳障りなテレビの音がしていたっけかな。

ニホンジン、つくづく終わったな、いや、すでにもう数十年前に終焉に向けて走り出していたのだな、と思うわけで。

ハーメルンの笛吹きの笛の音、それはまさに、テレビの音であったわけだよ、と。

蛇足だが、
端的に言って日本を終わらせたのはフジテレビなのだろう。

東電と味の素とフジテレビ。

金のためなら、己の命どころか、
誰の命でも売ってしまうまさに地獄の餓鬼そのも。

そんな奴らにだまされ続けるニホンジン、つくづく情けない、
と言ったら、
ドラマの途中でパタンとラップトップを閉じたかみさん、
うるさいな、勝手にすればいい、と向こうに言ってしまった。

へん、この知能障害のテイノウ児、一生フジテレビみてろ、
と言ったら、犬まで向こうにいってしまった。

へん、何があっても誰に言われても、
俺は死んでもフジテレビだけはみねえぞ。

ホームレスとデブにその馴れ初めを聞いてみたい

Posted by 高見鈴虫 on 12.2011 ニューヨーク徒然
地下鉄に乗るたびに
ニューヨークにもデブが増えたな
と実感する。

おぎゃあ生まれた時からそんなに太っていたはずもなく、
いったいどこで分水嶺を超えてしまったのだろう。

ホームレスとデブ、
つくづくその馴れ初めを改めて聞いて見たい。

覆水はもう盆には返れない、という現実をしっかりと見極めるべき

Posted by 高見鈴虫 on 15.2011 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
覆水盆に帰らず、という言葉がある。

英語で言えば、

Its no use crying over spilled milk.

零れたミルクを嘆いても無駄。

起こってしまったことは起こってしまったことなので、
がたがた言っても始まらない、という意味。

思わず中出ししちゃった後に、
英語で言えばさ、零れたミルクが・・・
とやってまじ泣きされたことがあったが、

まあ、そう、良い意味でも悪い意味でも
割と頻繁に使える日常語句的なイディオム。




笑わせるぜ、現代問題。バカか。

Posted by 高見鈴虫 on 19.2011 今日の格言
不眠症、なんて言ったって、
夜にダラダラとWEBを観ているだけじゃないのか?

夜中にだらだらネットを見てるのは、故意に不眠症になりたがっているのと同じことです。
便所の落書きと引きこもりの妄想で頭が一杯になって、
寝不足で不機嫌になり、ますます性格が悪くなる。

ガキ、自由が欲しい、なんて一丁前に、
ただたんにゲームがやりてえだけなんだろ?

引きこもり、
なんて、ただたんに、ネットでスケベ動画みてマスのかきすぎで表に出るのが面倒になっただけだろ?

笑わせるぜ、現代問題。バカか。

大阪の笑いは親和性

Posted by 高見鈴虫 on 25.2011 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
大阪の笑いは親和性。
予定調和の良くある話に皆で笑ったふりをして
あんたもアホやね~と親和を強要する訳だ。

東京は馬鹿や百姓に冷たい。

つまりアホやね~に親和性を感じないのだ。

馬鹿かこいつはで鼻で笑っておわりだ。

東京の笑いはむしろ、
予定調和からどこまで逸脱できるかの勝負だ。

つまり新しさ斬新さを求められる。

こいつぶっ飛んでるな頭いいなあ
と感心しながら笑いこける訳だ
大阪と東京、やはり相容れない。
いれる必要もないと思う。

ホワイト・ハロウィーン

Posted by 高見鈴虫 on 29.2011 ニューヨーク徒然
クリスマスどころか、ハロウィーン前だというのに、雪が降った。

と言うわけで、楽しみにしていた 犬の仮装パーティも延期、になってしまったらしく・・

halloween.jpg


ホワイト・ハロウィーン、ありえねえ・・・

地球さんよ、今年はちょっと悪ふざけが過ぎやしませんか?
  

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

月別アーカイブ

検索フォーム