Loading…

テレビ電話システム、なんてものが

Posted by 高見鈴虫 on 03.2012 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
テレビ電話システム、なんてものが設置され、
さっそく奥の会議室で接続試験、なんてものに付き合わされたのだが、
世界各国の支店を結んだ映像の中で、
どういう訳か声だけが、妙なエコーを起こして堂々巡りを始めた挙句、
自分の声の山彦が、2重3重になって響き始めたりもしたものだ。

事前に着慣れぬジャケットなんてものを羽織って、
ちょっとおめかししてみたりもしたものなのだが、
いざテレビ会議の中にあって、
どこからともなく響いてくる、このチンピラ特有の甲高いだみ声、
いったいこの耳障りな声は誰だ、と思いきや、
それはまったくまさしく俺。
え~、これが俺の声?まるっきりただのチンピラじゃねえか、と、
あらためて唖然。
で、さすがにびびって、ちょっと改まってみようとしているのだが、
山彦になって帰ってくる声は、気張れは気張るほどにドスが聞き始めて、
これではまるで、
借金取りに来たサラ金業者の厭味な口調そのもの。
困りましたねえ、俺に死ねというんですね。ではこれからはヒトゴロシと呼ばせてもらいますよ、みたいな。
と思えば、
そうそう、
そういえば、もううん十年前だが、俺まじでそういうバイトしてたことがあったような。
いやあ、背中は男の人生、じゃないけどさ、
その人の経歴って、やっぱりいろんなところに出てくるものなんだな、と、しみじみと思い知った訳で。

つくづく自分というこのものが嫌になった気がした。
悔い改めなければ・・・

SUPERBOWLが終わってようやく年が明けたという感じ

Posted by 高見鈴虫 on 05.2012 ニューヨーク徒然
あれまあ、GIANTSが勝っちゃったよ。
あのくそチームがなあ、信じられないが、
前回もこんな感じでSUPERBOWLを取ってたから、
まあ、そんな感じなんだが。

当のNYKERでさえ誰も予想してなったわけで、
これにはちょっと驚いた。

試合が終わってすぐに犬の散歩に出たら、
酔っ払いの犬の散歩人で公園はいっぱい。
超ご機嫌の飼い主たちに比べて、
犬たちは一様に迷惑げで面白かった。

やれやれ、これでようやく2012年のカタがついた、という感じ。

今年こそ転職しよう。

ジレンマ

Posted by 高見鈴虫 on 05.2012 技術系
毎回ながら、
うちのかみさんにアメフトのルールを説明するのと
頭の悪い担当者に仕事の説明をするのと、
そのジレンマの種類がとても似ているなあ、と思った。


ニューヨークのアパートに換気扇がついていないのはなぜなのか

Posted by 高見鈴虫 on 05.2012 ニューヨーク徒然
不思議な話なのだが、
ニューヨークのアパートのキッチンには換気扇がついていない。
相当古いタイプのアパートには、キッチンの脇に小さな窓がついてたりもするが、
油まみれでロックがかかり、ここ数年、というより、数十年、開けられた後がない、
という感じ。
この状態で、フライパンなんて使ったりすると、
それこそ簡単な玉子焼き程度でも、
部屋中が油煙でむんむん。
下手をすると火災報知器が鳴り出すのではないか、と戦々恐々。
下手に魚なんて焼いたりすると、
異臭がする、と警察を呼ばれるのが関の山。

ニューヨーカー、ほんとうに徹底的に家で料理をしない、ということなのだが、
それが外食産業を助けて景気を循環させる、ということなのだろうか、
余計なお世話だ、とちょっとした悪意さえも感じるのだが。

というわけで、
常日頃から
たまにはちゃんとした飯が食いたいな、とは思っていながら、
今日もFAIRWAYのお惣菜をレンジでチン。

ワープロが日本語を滑らせた

Posted by 高見鈴虫 on 05.2012 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
日本語が乱れてるな。
ギャル系からのメールは言うに及ばず、
WEB上の中途半端な文を読むたびに、
なんだこの文章は、と思わず絶句を通りこして、
頭うねうね、吐き気がするほどにひどい文章があふれ返っている。

とはいいながら、
俺自身の書いた文章を読んでみても、
なんだこの知恵足らずのような日本語は、と思わず首をかしげてしまうことが多々ある。

なぜか、といえば、それはまさにワープロだ。

タイプがあまりにスムーズすぎるため、書く速度が速すぎる、ってゆーか、
思考のスピードとほぼ同一、つまり、筆が流れに流れて、流れすぎるため。

それに加えて、IPHONEのタッチ式のタイプがもうやたらと面倒くさくて、
もう多少の誤字脱字ならそのままゴーという場合が多く、
IPHONEユーザはすでにそれをある程度、許容の範囲としてしまっているのだろう、
という甘い認識から、
もう、この日本語、誤字脱字誤訳に誤植にと誤誤語続きである。

たぶん、文筆家、といわれている人々もそんな感じなんだろうな。

そういえば、最近古い作家のものばかり読んでいるのは、
正しい日本語にほっとできるから、かもしれない。

やっぱ、ワープロが日本語を滑らせてしまったのだと思うよ。

UP IN THE AIR

Posted by 高見鈴虫 on 06.2012 読書・映画ねた
DVDで、UP IN THE AIR を観る。

一年中を出張して暮らす、
外注のHR、つまりは、リストラ宣告人の話。

予想はしていたが、とてもよい映画だった。

俺も昔、一年中のほとんどを出張をして暮らしていた時代があるのだが、
目が覚めれば空の上、地に着いたと思った途端にレンタカーでジェット走行。
で、さっさかさっさかさっさかと仕事を終わらせて、
で、ふと気がつくとまた空の上。
まさに、地上でバウンドしては空になげげられるボールのようで。
出張して暮らすあの投げやりなJET気分をまざまざと思いだした。

あの空港やホテルの投げやりな清潔さと乾いた空気。
新しい町についたとたんに乗り込むレンタカーの新車の香り。
閑散としたフリーウエー。
まったくもってどこにでもありそうでどこにでもあるマクドナルドの看板。
そんな中、妙にハイパーなJET気分で車を走らせ、
たどりついた訪問先の人々が、妙に薄汚れて見えて。
ああ、
俺が世界中を飛び回っている間、
こいつらはずっとこの退屈な風景の中に閉じ込められていたんだな、
かわいそうに、
という、そんな完璧なすれ違いの中で、
やはり、土着民らしく、ぐじぐじとどうでもいいことを並べ立てる田舎者たちに、
はいはい、あんたらそこで一生座っていなさいな、と適当にうっちゃりながら、
心のそこでは、馬鹿やろう、世界なんかどうにでもなってしまえ、
とそんな自分自身さえもせせら笑ってしまっているような、

そんな、出張の乾きを実によく表現していたと思う。

出張する人は、狩猟民の気楽さなのだな、と思った次第。
つまり、
日本人でこの映画が判るひとってあんまりいないだろうな、と思っていた。

どうしてニホンジンはそんなにボサノバが好きなんだ?

Posted by 高見鈴虫 on 11.2012 音楽ねた
ブラジル人の友人に、
俺はボサノバが好きだ、と言ったら、
ああ、判る判る、と嬉しそうにうなづいた。
調子にのって、
やれ、
JOAO GIRBERTがどうの、
GAL COSTAがどうの、
SILVIA TELLISがどうの、
と話を続けていたら、
すごいすごい、とただ関心して笑うばかり。
で、
実は俺、ボサノバとかぜんぜん聴かないんだ、と。
ブラジルでは、
ボサノバを聴くのはニホンジン、とみんな言ってる。
で、質問なんだが、
どうしておまえらニホンジンは、そんなにボサノバが好きなんだ?
と聞き返されて、思わず言葉につまった。
へえ、そうなんだ。ニホンジンだからなのか。
ただ、なとなく、肩透かしの気分。

そういえば、
ブルースを聴くのは白人だけ、と黒人ブルースマンが言っていたし、
BLUE NOTEの1St STAGEはいつもロシア人で一杯なのだそうで、
ついでだが、いまやロックで食っていけるのは世界中でも中国だけ、だそうだ。

ふーん。

なんか、妙なクロスカルチャーだな。
その国民性の琴線の秘密ってどこにあるのだろう。



朝に水を2杯

Posted by 高見鈴虫 on 12.2012 チャーリーホースは真夜中に疾る
朝に目を覚ましたら、まずはコップに2杯の水を飲むことで
お前の体調の悪さは一変する。
とりあえずそれを信じて初めてみろ。


WHITNEY HOUSTONが死んだ夜

Posted by 高見鈴虫 on 13.2012 ニューヨーク徒然
土曜日の夜、
UPPER WESTの中華料理屋で友人夫妻と飯を食った後、
近くのCAFEでお茶をして別れるところを、
いきなり、友人の電話に、
WHITNEY HOUSTONが死んだ、
ってなメッセージが入った。
途端、店中の人間がスマートフォンを持ち出して、NEWSをチェック。
結局、
SPRINTの4GのHTCよりも、
3GでもVERIZONのIPHONEが一番早かった。
結局、値段の違いはそういうことだな、と。

しかしながら、
当のアメリカ人が、WHITNEYのスペルってどうだったけ?
と首をかしげる姿はさすがに面白かった。

あんた馬鹿ねえ、IPHONEで検索すんのよ。
あんたこそ馬鹿じゃない。SPELLがわからければ検索もできないでしょ?だから、W-H-I-T NYだったっけ?
だから、それをIPHONEに向けてしゃべればいいのよ、
あっそか、
と、素直に、WHITNEY HOUSTON でSIRIが認識してくれるなんて、
やっぱ馬鹿でも発音はいいんだな、
つまり、SIRIというのは、果たしてこういう人達の為にあるのだな、

TYPEが打てなくても、つまりは、SPELLが判らなくても、検索できる、という訳で。
ほうほう、4GSが売れた理由は結局そういうことなのか、と。

NEWARKのGETTO育ちのWHITNEYが、自分の名前のSPELLが綴れたか、
怪しいものではあるが、まあ、そう、そういうところからしても、
彼女はやはり、NEW YORKの顔であったわけだったのだな。

というわけで、
あらためて追悼・ホイットニー・ヒューストン

WE WILL ALWAYS LOVE YOU!! FOREVER WHITNEY.

おお、あのころの情景が駆け巡るぜ。

馬鹿な犬の飼い主は大抵馬鹿である、ということのその意味 1

Posted by 高見鈴虫 on 13.2012 犬の事情
馬鹿な犬の飼い主を見ると、大抵は飼い主も馬鹿だ。
というよりも、
飼い主が馬鹿だから、その飼い犬も馬鹿なのだ。

飼い主同士でべちゃくちゃとおしゃべりばかりして、

いやあねえ、わたしがハーバードで教えていたころには、
なんて話をしているすぐ後ろで、
その飼い犬が、好き放題にウンコを食べていたりするわけだ。

逆に、例えどんな馬鹿な犬でも、
飼い主がしっかりと責任を持ってルールさえ教えれば、
それなりに外したことはしなくなる、という物。

犬の飼い主の皆さん。
飼い犬はあなた自身の正直なバロメーターですぜ。

馬鹿の弊害

Posted by 高見鈴虫 on 13.2012 技術系
この一年、ずっと派遣先に駐在していたのだが、
いきなり古巣のオフィスから連絡があり、
俺の給料の査定をやる、という。
この一年間、なにも連絡もしてこなかいどころか、
俺の駐在している客先にさえなんの挨拶もしてこなかった馬鹿な上司。

俺がなにをやってきたか、なぜやってきたか、どうやってきたか、

なにひとつとしてなにも知らない、知ったところで理解できる能力もないであろうこのアニメおたくが、
いったい、どうやって俺の仕事を「査定」なんかできるのか、
とはなはだ疑問だったのだが、

ふたを開けてみると結局はまあ、予想通りそういうことだった。

つまり、なにひとつとしてなにも判らない人間がそれしかできないこと。
つまり、据え置きです、だとさ。

あのなあ、

こいつら、ほんとうに、つくづく馬鹿なんだな、と、あらためて染み入るように感じたわけで。

ものはついでに、

会社の収益から、方向性から、他社の動向から、を聴いてみたが、
なにひとつとしてまともに答えられない。
答えられるのは、社内の人事異動のことばかり、そればっかり。
つまり、あたまにあるのは、誰がえらい、だれが左遷だ、とそれだけ、なわけで。

ってなかんじで、当然のことから、
誰も本当に経営実態をしらない。
なぜか、資料、つまり数字がないから。
数字の残すためのデータベースも数式も存在しない、という訳で。
つまり、
そんな状態だから、社員の給料の査定さえもが、気分しだい、つまりは、印象でしかないわけで。

あのなあ、と。
馬鹿な親会社に買収してから、ほんと、まったく、こんなのばっかりになってしまったんだよね、うちの会社。

おまえら・・・ 本当の本気で馬鹿なんだな・・・ かわいそうに・・
と言いながら、思わず哀れみに涙がにじんでしまった。

馬鹿に罪はない、というのは嘘だな。

馬鹿こそが社会の悪だ。

といいながら、一番の馬鹿はそんな馬鹿がいる会社にいる俺なんだけどね。

いやはや。


中年の心得 ~ 格好よい中年が存在しないその理由

Posted by 高見鈴虫 on 15.2012 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
いつの間にやら40を過ぎていた。

10代20代と、なにをやってきたのか、割と鮮明に記憶をしているのだが、
こと30代となると、果たしてなにをやっていたのかさっぱり記憶がない。

多分仕事をしていたのだろうが、
日々の仕事に追いまくられるばかりで、
なにをした記憶もないままに、いつのまにか10年が過ぎていた。

40代と言えばこれはもう立派な中年である。
40代を中年と言わずして誰を中年と言おう。
40代こそが中年の代名詞であるわけなのだが、
果たしてここに来て、さっぱりと中年の自覚がない。

自覚がない、というよりも、
いったいぜんたい中年とはなんなのか、
どうあるべきなのか、なにをするべきなのか、
まったく検討がつかないでいるのだ。

まあ別に、無理して大人にならなくてもいいんじゃない?
で、10代のまま20代をやり過ごしてしまい、
何の記憶もないままに30代をすっ飛ばしてしまった以上、
自分としての自覚がかすかに残るのは、
そろそろまともに銭を稼がなくてくてはな、
いつまでたってもその日暮らしではさすがに疲れる、
と思った20代後半のいくの日か。


子供の頃に親に叩かれたことがあるだろうか

Posted by 高見鈴虫 on 16.2012 犬の事情
子供の頃に親に叩かれたことがあるだろうか。

もし叩かれたことがあるとすれば、
どんなに幼かったとしても、
不思議なことに、いくつになっても、それを覚えているのはないだろうか。

いつしか叩かれた理由を忘れてしまったとしても、
いつしか自らが親の年齢になり、子を叩く親の気持ちに気づいたとしても、
やはり心のどこかに、
あの時、親に叩かれたな、という思いは以前として残るものだ。
それはつまり、
叩かれることの痛みとともに、恐怖と、そして怒りを覚えているからだろう。

気持ちの上ではいくらその理由を納得しようとしても、
身体はそれを忘れたりはしない。

という訳で、犬、である。

犬を叩いてはいけない。
犬は叩かれたことを覚えている。
恐れとともに、痛みとともに、悲しみとともに、そして怒りとともに。
犬はそれをいつまでもいつまでも覚えている。
気持ちの上ではいかに整理をつけようにも、
身体がそれを忘れてくれないのだろう。
それはまさに人と同じだ。

親に叩かれた時の悲しみを、犬はその小さな身体に蓄え積み重ね、
そしてそれはいつか、形を変えて暴発することになる。

心あるものは、
やられたことはやりかえそうとする。
愛を受ければ愛を、怒りには怒りを、
そして、殴られれば当然、殴り返そうとする。

理不尽に殴られた痛みを抱え込み自浄できるほどに心の機能は強くはない。

やられたことはやりかえすのは、心が痛みに潰されてしまわないための自助行為なのだ。

がしかし、そこには立場というものが存在する。

子供が家を追い出されては生きていけないように、
犬も飼い主に刃向かっては飯の食い上げ、
下手をするとシェルター行き、あるいは、あの世行きだ。
それぐらい、子供にだって犬にだって判っている。

ちなみに俺は、
親に叩かれた怒りを、学校で晴らしていたところがあるのかもしれない。
いじめっ子であったつもりはないのだが、
いざ、となったときには徹底的にやった。
人には言わなかったが、それが楽しみでさえあった。
他人の喧嘩の仲裁を建前に、他人の喧嘩さえにも口を出しては、
英雄気取りで女の子の前で格好つけたりしたものだ。

ピアノの練習の代わりに空手を習いたかったが親は許してくれなかった。
習字のお稽古の代わりに野球をやりたかった。
塾など行かずに死ぬまでサッカーをしたかったのだが、
学費を払ってあるのだから、と叱られた。

学業的には優等生で通っていたのだが、
がり勉の癖にラフなスポーツが大好きで、
はしゃぎ過ぎた挙句に乱闘になって鼻血を出しても、
ゲラゲラと笑っていて他の仲間にも気味悪がられたりもした。

家では馬鹿になるから、という理由でテレビを見せて貰えなかった。
その代わりに本を読め、と言われた腹いせに、死ぬほど、寝不足で倒れるまで本を読んでやった。

俺はそんな餓鬼だった。

傍目にはいい子で通っていることを知っていたが、
それはまだ俺が餓鬼で、一人で生きていく力がないせいだ、と思っていた。
一人で食えるようになったら、黙っちゃいねえぞ、といつも心の底で思っていたのだ。

いい子で暮らさざるを得ないこの立場を、
そして自分をそんな立場に閉じ込めているこの大人たちの世界というものを、
心の底から憎んでいたのだと思う。

自称、戦前教育の推奨者であった親父には、
それがいかに理不尽なものであっても、
刃向かったとたんに、鉄拳が飛んで目から火花。
驚いて泣き出したとたんに家を出てけと裸足で放り出された。
そんな具合から、親が嫌いだ、とはいえなかったが、
その分、一歩家庭を出てからは、
ありとあらゆる物に徹底的に刃向かった。
まずは鯱ばった教師は死ぬほど嫌いだった。
威張り腐った先輩や、PTAのおばはんから、偏屈者の近所のおやじから、
それを敵と見据えて標的にさえしていた。

当然のことながら、それは後に対象が隣りのチームになり、警察になり、地回りのやくざになり、
そして知恵をつけた後は、国家権力、や、
鬼畜米英イスラエル、などに摩り替わっていくのだが、
どんな陳腐な理屈をこねたにしても、
元を正せば、それは、
あの時、虫の居所が悪かった親から、理不尽に(多分)叩かれた恨み、
を怨念のように抱え込んでしまっていたからかもしれない。

高校に入り、ついにドジを踏んで警察にぱくられた時、
警察からの電話に出た親父は、
その子、実はガキと言ったそうだが、はすでに勘当しています。親子の縁を切った後だから私には関係がない、迷惑です、と電話を切ったそうだ。
普段は粋がったガキどもが、迎えに来た親に連れられてとぼとぼ帰る様を見送りながら、
馬鹿やろう、せいせいすらあ、と嘯いていた俺は、当然のことながらその後、徹底的に警察のマークにあって、
理不尽とも思われる強引さで家庭裁判所に送られる羽目になった。

六角橋の裁判所に、当然のことながら親父はこなかった。
代わりに付き添ったおふくろが、帰り道に寄った喫茶店で、さっそくタバコを咥えた俺を前に、
昔はあれほどいい子であった筈なのに、とさめざめと泣いた。
あのなあ、といいかけて辞めた。
口で言ったって、殴りつけたって、この親には判るはずもない、と心底諦めきっていたのだ。

高校は出る。
学費を出してもらったからね。
それは約束する。卒業まではダチの家で暮らす。
その後はお互い後腐れなし。
死のうが生きようが俺の自由とさせてくれ。
大学に行くときには自分で学費を払うし、
結婚する時には勝手にする。
いっさい迷惑はかけない。
だから今後、俺の人生にいっさい構わないでほしい。
迷惑をかけたくないんでね、と敬語を使ってなるべく慇懃に言った。
ただ、ただ、
犬のことだけは申し訳ない。連れて行ってあげられないが、
もう年なので散歩の必要もないと思うが、
できれば、もしもほんの少しでもわが子に愛情が残っているのなら、
あの犬のことを、俺の分身だと思って可愛がってあげて欲しい。

その後、七転八倒の末に、
家どころか日本を出ることになり、
世界放浪の中で、やるべきことはすべてやった末に、
そして今、なぞのアジア人としてアメリカに暮らしている訳なのだが。

話が反れた。

そう、犬の話だ。

しかしながら、そんな目に会いながらも、
いや、逆に、
そんな自分の生い立ちの不幸にこじつけるように、
子供を甘やかしてはいけない、
子供の躾けには、多少のゲンコツはやむ終えない、
そうしないと鍛えられないではないか、
弱い子になってしまうぞ、
などと思っていたが、

いまになって犬を育て初めて、その誤りが身に沁みた。

犬を叩いてはいけない。

犬に限らず、動物を、心あるものを叩いてはいけない。
それは百害あったとしても、一部の利さえもない。

それがどんな理由であったにしても、
暴力はペイしない。絶対にだ。
誤解されこそすれ、その意図は絶対に理解されることはない。

そんな犬の例を、これまで山ほどみることになったのだが、
悲しいことに、そして当然のことながら、そんな犬たちを俺はどうしても放ってはおけない。

そしてそんな俺は、当然のことながら、そんな犬たちに死ぬほど人気がある、という訳だ。

うなぎ

Posted by 高見鈴虫 on 16.2012 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
妻の友人たちが日本から訪ねてきている関係で、
ここのところ、夕飯は一人である。

男一人でなにを食っているか、と言えばウナギである。

妻はウナギが嫌いだ。
嫌い、というよりも、食べたことがないそうだ。
そしてこれからも食べる気はない、という。

これだけおいしいものを、とは言いながら、
食いたくないものを無理に食わせてもはじまらないわけで、
そういった事情で、普段の妻との夕食では、
ウナギを食べることがない。

俺はウナギが好きである。
これまで世界中でいろいろなものを食べてきたが、
全人生を通して、俺はこれが大好物だ、と言い切れるものは、
やはり、ウナギ以外にはない、と思っている。

という訳で、一人飯のウナギである。

なぜ一人飯でウナギか、といえば、
それはもう簡単だからである。


馬鹿な犬の飼い主は大抵馬鹿である、ということのその意味 2

Posted by 高見鈴虫 on 17.2012 犬の事情
馬鹿な犬の飼い主が、
大抵において間違えている点は、
まさしく、犬とのコミュニケーションのあり方である。

たとえば、
俺は俺の、私には私のやり方がある、
という奴。
つまり、自分勝手に犬とコミュニケーションをする、しているつもりになっている場合。

犬は大抵において、人間の言葉を理解しない。

言葉が判っている、と思っているのはそのほとんどの場合は人間の勝手な思い違いで、
大抵の人間が犬の発する鳴き声がなにを意味するものがさっぱり判らないのと同じように、
犬も実は、人間の発する言葉など、知ったことではないのである。

俺は俺の、私には私のやり方がある、という飼い主は、
大抵において、言葉でコミュニケーションが取ろうとしている、
取れている、と思いたがっている。

が、しかし、そう、それは幻想である。

逆に言えば、人間が犬のやり方を尊重せずに、人間のやり方で押し通そうとする以上、
犬は犬の流儀で押し通そうとする筈だ。
そこに悲しいすれ違いが生まれる。

アイ・コンタクト、つまり、視線、と、ハンド・シグナル、つまりジェスチャーと、
そして、明確な言葉、
この三つが揃わない限り、犬は人間の、人間は犬の、言葉はいつまで経っても届かないのである。

そのひとつでも抜けると、その皺寄せは必ず別の形となって現れる筈だ。

馬鹿な犬の飼い主は大抵馬鹿である、ということのその意味 3

Posted by 高見鈴虫 on 17.2012 犬の事情
各なる俺も、
ブーがやって来たばかりの頃、
つまり、生後三ヶ月の子犬だった頃、
犬の躾けについて、かなり甘く見ていた。

まあそのうち、とか、躾けなどしなくても犬は勝手に、とか、
犬は本来そういうもの、とか。

なんだかんだと、曖昧な持論を言い訳にしながら、
可愛い可愛いとじゃれ回したり、
或いは、おい、馬鹿やろう、なにすんだよ、と一方的に叱り付けたり、
とそんなことばかりしていた。

これまで、犬を飼った経験の無かった妻は、
そんな俺の言葉をそんなものか、と首をかしげてばかりいたのだが、
ある日突然、犬の躾けの教科書、を買って来て、でんとキッチンのテーブルの上に置いた。

なんだこれ、と俺。
こんな参考書通りに、すべてが上手くいくものか。
まったく、がり勉の優等生はいくつになってもがり勉の優等生のままだな。

と言いながら、
ふと見ると、それまで、寝ている時以外は徹底的に暴れまわる以外なにもしたことのなかった筈のブーが、
いつのまにか妻の足元にしおらしくお座りをしているではないか。
はい、いい子、とトリートを一欠けら。
はい、遊んでらっしゃい、と同時に部屋中を走り回り初めて、
おお、それでこそ野生児、わんぱくでもいいたくましく育て、と言っているそばから、
ブッチー、おいで、の妻の一言に、
パタリ、と動きを止め、一目散にキッチンの妻の足元に馳せ参じる。
お座り。はい、お手。はい、伏せ。はーい、よくできました。はい、ご褒美です。

あのなあ、と俺。
そんなことをやってると、おやつがなかったら何もしないような卑しい奴になっちまうぞ。
とちょっと不満げに舌打ちしながら、しかし、そう言えば俺が呼んでも、来たことがねえなあ、と。

そうこうするうちに、
いやに散歩が楽になったぞ、あ、そうか、ぐいぐい引っ張らなくなったせいか、とか、
他の犬とすれ違ってもいきなり飛び掛ったりせず、
黒人やら老人やら工事中のおっさんにも吠えかからなくなったし、
赤信号にかまわず通りに飛び出そうとしたり、交差点の真ん中で座り込むこともなくなっていた。

やれやれ、
お前もずいぶんと飼いならされたものだな、と訳の判らない皮肉を言いながらも、
いつしか、拾ってきたボールをいつのまにか足元に落とすようになって、
さすがにがり勉の優等生的な「教科書どおりの躾け方」に一目置かざるを得なくなった。

あのきかんぼ三昧の野生児がなあ。

散歩の途中、何度も目を合わせながら、
なんだよ、とあごをしゃくると、二カッっと口を開けて笑う。
またトリート、なにかいいことしたのかよ、と首を傾げながらおやつを一粒。
で、交差点で、おいちょっと待て、と言う前にすっとお座り。そして二カッとひと笑い。
これじゃあおやつがいくらあっても足りねえな、と思いながら、
もしかし、これが一生続くわけじゃねえだろうな、とちょっと不安にもなりながら。
目が合う度におやつ一粒。ボールを持ってきて一粒。喧嘩を思いとどまって一粒。
吼えるのを止めて一粒。こっちこい、と名前を呼んで帰って来たら一粒。

そうこうするうちに、
いつしか散歩の時には綱があってもなくても俺の足元を離れないようになり、
いつしか自転車と一緒に遠出にも出れるようになり、
いつしかテニスコートでボールボーイも務まるようになり、

そしていつしか、

おいブー、悪い、そこのシャツとってくんね?
どれ?これ?
いやちがう、その向こうの、
これ?それともこっち?
いや、そうその、そっちの、そうそう、それそれ、サンキュー。

ぐらいのことができるようになって、

そしていつしか、
おい、この封筒、マミータのところにもってって、
あれまあ、ブッチ、ありがとう、探してたのよ、どこで見つけたの?

なんてことまでできることもできるようになっていた。

という訳で、
いつの間にやら、アパートでもご近所でも、そしてドッグランでも、
誰もが認めるおりこうさんナンバーワン。

犬の躾けに手をやく人々から、口々に、
あれまあ、おりこうさんねえ。
どうやって躾けたんですか。
から始まって、
できればうちの犬の躾けもやって貰えませんか、
とまで言われるようになっていた。

まさか、と俺は仰天してみせる。
マジ顔で、あんたは世界で一番おめでたいアホだ、という顔で目を見張ってやる。

こいつがおりこうなんて、とんでもない。
子犬の頃はとんでもない暴れん坊で、ドッグランに来るたびに喧嘩ばかりしていた。
まだまだ、俺はこれっぽっちもこいつを信用してないぜ。
一皮剥けばただの野獣。犬を信じちゃいけませんぜ。

まさか、と人々。
ほら、こんなに可愛くて、おりこうさんで、
と言っているそばから忍び寄ってきた間抜け面のシェパード、
甘えた振りをしてブーの咥えたボールにちょっかいを出そうとした瞬間、
おい、やめろ、の声の一瞬早く、
目にも止まらぬ先制攻撃の一撃を受けてびっくり仰天、とたんに尻尾を丸めて泣き叫び始める。

ほら、言わんこっちゃ無い、目を離すともうすぐこれなんだよ。
だからこいつといる時には無闇に俺に話しかけないでくれ、と。

逃げるようにドッグランを退散しながら、ふと顔を合わせてニヤリ。
馬鹿タレが。俺らのボールに手を出そうなんて十年早いぜ。

馬鹿な犬の飼い主は大抵馬鹿である、ということのその意味 4

Posted by 高見鈴虫 on 17.2012 犬の事情
最近、通りがかりの人にいきなり吠え掛かるのよ、もう怖くて、
と妻がマジ顔で言った。
なんかね、やっぱりこいつ、レイシストだと思うわ。
大きな黒人の人とかが通りかかると、もう気が触れたように吠え掛かっていって、
ほんと怖くて怖くて。

うーむ、と思わず唸る。

確かに、いかれた酔っ払いやら、らりった糞がきやら、を見かけると、
いきなり足元に走りよって、ワンワンワンワン、と吼え始めたりするのは知っていた。

なんだよ、お前、そんなことしてんのかよ。黒人、嫌いなのか?臭いってか?

そのうち本当に咬んじゃうんじゃないかと思って。散歩の時には気をつけてね。

という訳でブーである。

通行人にいきなり咬みつく、というのは困ったもの、どころか死活問題ではある訳なのだが、
その話を聞いて、思わず密かににんまりとしてしまった。

それってつまり、飼い主の心の反映なのではないのか、と。

その証拠に、散歩の途中、向こうから来たへんな奴、なんだあいつは、らりってるのか?目障りな野郎だ、
とふと思ったその時、ふと隣りを見ると、不機嫌そうに顔を顰めるブッチの視線の先はやはりそのおかしなラリパッパ野郎。

おい、ブー、と一言。
なんだよ、と振り返るブーに、
あの野郎、なんか変な奴だな、気にしねえ方がいいぞ、
と言ってやると、
ああ、と一言、肩を竦めて見せて、
まあな、あんなチンカス、いちいち気に障ってたら身がもたねえからな、とウインクをひとつ。
まったくおかしな街だぜ。
まったくな。気にしねえ方がいい。

という訳で、そう、大抵においてそういう物。そういう物なのだ。

なんてことを言っていたら、
今日の散歩の途中、久しぶりにデローレスさんに出くわして、
いやあ、おひさしぶり、とやりながら、
相変わらず可愛いなあ、と鼻のしたを伸ばしていたら、
ブッチ君、なにを思ったか、いきなり尻からロケット噴射したように、
一目散に走り出すや、
デローレスさんの周りをグルグルぐるぐるぐると目にも止まらぬ速さで走り出し、
ふと、立ち止まってデローレスさんを仰ぎ見るや、
再び壊れたロケットのように猛スピードでスピニングスピニング。
あれまあ、と笑い転げるデローレスさんの前で、
どうだ、僕格好いい?僕格好いい?とばかりに走る走る。
ケラケラと腹を捩って笑うデローレスさん。
やれやれ、と、思わず顔を赤くする俺。

という訳でそう、飼い主と飼い犬、大抵においてそういう物なのです。

ニューヨークの休日飯

Posted by 高見鈴虫 on 19.2012 ニューヨーク徒然
休日飯

朝飯
グレープフルーツ・ジュース
りんご


昼飯

フランス・パン
ニューイングランド・クラム・チャウダー
ローズマリー・ハム
スモークド・エッグプラント・サラダ
マカロニ・サラダ
イタリアン・フレッシュ・グリーン・オリーブ
カマンベール・チーズ
オレンジ・ジュース

晩飯
アルグラ・サラダ
フレッシュ・ガーリック・ビザ
ピスタチオ・ソースのスピナッチ・ラビオリ
ロゼのワイン

腹いっぱい、なのだが、なぜか、卵かけご飯が食いたい。

つまるところトリート

Posted by 高見鈴虫 on 20.2012 犬の事情
結局ねえ、犬の躾でしくじってる人々って、
結局、トリートでしくじってるんだよね。

トリート、つまり、ご褒美、と言うが、
実はそうではない。

トリートこそは、つまりはスイッチなのです。

これをやらない限り、
犬にとっては
そもそも自分のやっていることが、
果たして、人間にとって良いことなのか、悪いことなのか、
判断がつかないわけで。

つまりトリートはスイッチと一緒。

良いことならトリート。
悪いことならトリートはなし。

YESかNOか、ONかOFFか、Oか1か、◎かXか。
回路と一緒。実に判りやすい。

で、その回路をつなぎ合わせて、行動ができあがる、という訳。

トリートをやらないで育てられた犬、
つまりは、暴走しまくり、と。

ただ、
普段からトリート、おやつをあげすぎていると、
果たしてなにがOKで、なにがNGか、判らない。
つまり、漏電状態。

で、ふと思うに、人間もそうなのではないか、と。

学習するってのは、つまりは脳の回路をつなげていってるわけでさ。

で、
思うに、
たちがわるいのは、どちらか、というと、
トリートを貰わずに育ってきた奴よりも、
トリートを貰いすぎてきた奴。

つまり、なにをやってもトリートが貰える筈、と思い込んでしまって、
もらえないとぶちきれする訳で、これは始末に負えない。

うーん、実はそういう奴、実はたくさんいるなあ。

カップラーメン

Posted by 高見鈴虫 on 24.2012 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
時たま、まるで魔が射すように、
カップラーメンが食いたくなる。

しかしそれは、
食べたくてたまらない、
というよりは、

ああくそ、カップラーメンでも食ってやろうか、
という、多分に投げやりな気分の時に限られる。

ニューヨークにおいてもカップラーメンは普通に買える。
というか、ニューヨーカーは普通に日常的にカップラーメンを食っている。

アジア系食料品店に限らず、
町中のどんなスーパーにも駄菓子屋にも
雑貨屋から薬局にさえ
決まって奥の隅のほうに、
しかし山と積まれている訳だが、
なかなかどうしてやはり良く売れているようだ。

そんな風なので、
ここニューヨークにおいてもカップラーメンの扱いは日本と同じ。

カップラーメンでも食うか、
あるいは、
カップラーメンしか、とか食うものねえか、
とか、
まあ、そんな感じ。

一番安上がりに手っ取り早く腹を膨らます方法、であり、それだけに過ぎない、と。

という訳でこの世界の味・カップラーメン。

昔、というか、日本にいた時には、それこそ3日に一度は食べていた記憶がある。
ラーメンは言うに及ばず、
残り汁に冷や飯をぶち込んだり、菓子パンを齧る時のスープ代わり、
殻になったカップは灰皿に山になった吸殻をぶち込んで。

それだけ世話になっていたぐらいだからそれほど不味かったという記憶もないのだが、
そう言えば、そう、
結婚してからはいつのまにかあまり食べなくなったようだ。

最近になってから、カップヌードルを食べるのはごくまれだ。
非常食としてひとつかふたつは必ず棚の奥に買い置きがあるのだが、
それを食することはごくまれ。
つまり、そう、
たまのたまに、
魔が射すように、
(くそったれ、こうなれば)
カップヌードルでも食ってやろうか、という気分に陥った時に限られる。

つまり、
ひどく疲れていて、あまり食欲がなくて、そしてかみさんが外出中とか、
そういう時、
もうなにをやるのも、飯を食うことさえもが面倒くさくなってしまった時、
(ここまでくれば、どうせなら、えーい、くそったれ、こうなれば)
カップラーメンでもなんでも食ってやる、と。

果たしてこのカップラーメン。

お湯を沸かし始めたあたりで、
うーん、やっぱ止めておこうかな、と思い始め、
でもラップを剥がしちまったしな、くそ、早まったな、
と舌打ちをし、
お湯を注ぎ3分経つ頃にはすっかりと食欲そのものを失っている。

で、蓋を剥がしてあっちっち、と食べ始めたカップラーメン。

やはり、思った通り思ったとおりの味。
美味くもない代わりに吐くほどでもなく。
が、そう、決して、ありがたいものではない、程度の味。
つまり、
そう、
言うに及ばず化学調味料による化学調味料そのものの味。

とそして、
食べ終わった後にやたらと喉が渇いて、
中途半端に膨れた腹に、
一杯二杯と水やらオレンジジュースやらをこれでもか、とがぶ飲みし、
それでも口のねちゃねちゃが取れず。
ふとすると、
ずしんと、まるで肩の上に人に座られたような眠気が押し寄せて来て、
やれやれ、なんか気持ち悪くなってきたな、と。

昔はこんなこともなかったのだが、
最近健康食ばかりで化学調味料への抗体が減ったのか、
あるいは、
海外輸出向けのカップラーメンがそうとうに毒素が強いのか。

という訳で、
やっぱり食わなければ良かった、
と、
食い終わってから必ず後悔がやってくる。

くっそお、気持ち悪いな、無理にゲップをしながら、
タバコでも吸うか、と、表に出ると、
なんかなとなくコーラが飲みたくなってきたな、と、
もうそれこそ、
ジャンク・フードの悪のスパイラル、そのものである。

くそったれ、と舌打ちしながら、
今度こそは忘れないぞ、と心に刻み込む。

もうカップラーメンは飢え死にする直前になるまでは、絶対に食わねえぞ。

飢え死にするぐらいなら

Posted by 高見鈴虫 on 24.2012 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
日本で飢え死にする人がいるそうだが、
うーん、なんか、どうしても理解できない、
というより、イメージが沸かないのだが。

飢え死にする前に、なんでもっと他に手を打たなかったのだろう。

俺だったら、どうせ飢え死にするぐらいなら、
なんでもやるけどな。

強盗、強奪、盗難、万引き、ただ喰い、なんでもあり。
ゴミでもドッグフードでもなんでも食って生き延びよう、とするだろうし、
どうせなら、
町一番の寿司屋でたらふくに喰いまくった挙句、
お勘定、の前に、あ、すみません、警察を呼んでください、
なんてね。

つまり、
それさえもを拒否した結果に飢え死にか。

つまり、なんというか、まあ、緩慢な自殺、であるわけなんだな。

ふーん。元気なさ杉にもほどがあるな。

COP KILLER COP

Posted by 高見鈴虫 on 25.2012 ニューヨーク徒然
COP KILLER は必ず黒人
KILLER COP は必ず白人

あぷれんてぃす

Posted by 高見鈴虫 on 27.2012 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
午後のミーティングを終えて席に戻ると、
着音をミュートにしてあったIPHONEに、
犬の散歩仲間からVoiceMailが残っていた。

まさか、この間からの下痢が悪化して、
なんてことかと思い、慌てて内容を再生してみると、

なんとその内容は、
大規模不動産契約に関する内部報告。

世界的なメガバンクがメインオフィスを移転する話で、
その面積から人数から時期から予算から、
なんて話をしている。

何でこんな話を俺に電話してきたものか、
と訝っていたが、
思ったとおり会話の相手は別にいるようだ。

やれやれ、またIphoneをoffにしていなかった為、
カバンの中で間違い電話が勝手にかかってしまったのか、
と思ったがそれにしては録音の声がクリアすぎる。
と、思っていたら、報告を聞き終えた相手が、
おもむろに話を始めた。

むむむ、なんかその声、どこかで聞いたことがあるぞ。

つまり、、その相手って言うのは、世界に名を馳せる
ニューヨークの不動産王その人ではないか。

いやはやである。

テレビでも有名なこの不動産王、
しかしほんちゃん仕事の中にあっては、
まさに冷静沈着としたいかにも紳士然とした話ふり。

報告ありがとうございます。
状況は大変良く判りました。
この件はあなたに一任していますので、
今後も必要な資料、人材、資金、なんでも要求してください。
信頼していますよ。よいビジネスをやりましょう。
だそうだ。
うーん、かっこいい!
俺もボスからこんなことを言われているみたいぜ。

が、しかしだ、
その当事者である人、
こともあろうにそんな電話を、犬の散歩仲間に漏洩してしまっている訳で。
これ、下手をすると機密漏洩でパクられます(笑

やれやれ
頼むから早くスマフォの使い方に慣れてくれ、
またドッグランであった時に
セキュリティロックの設定でもしてやろうか、
と思っていたのだが。
が、そう、・・
今回はまあ、仕事の話、なんで良かったものの、
この相手先が、まさか某国の諜報部であったりなんかしたら、
なんてまさにスパイ小説の世界。
ちょっとぞっとしてしまった。

いかにもアッパーウエストサイダーな話であった。


世界の中心でたったひとりで日の丸を掲げる度胸もねえ奴が、なにをぬかすか。いんちき右翼、バカもいい加減にしろ!

Posted by 高見鈴虫 on 28.2012 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
君が代に条例だ?
バカか。
そんなものは、個人の自由でやればいいんだよ。
条例だ、決まりだ、なんかで縛り付けるものじゃねえだろ。
そういうことをすればするほどうそ臭くなるってのを判ってやってるとなれば、
それは立派な確信犯。
国家冒涜だぞ、バカ右翼。日本をなめるんじゃねえぞ。

あるいは、そんなバカ右翼に目くじらたてるヒステリックなバカ左翼。
国家や国やらに逆らうポーズをつけてみました、
なんてのは、つまりは、国家や国に対するただの甘えなんだよ。
なんでそんなひねた考え方しかできねえのかな。

俺がてめえの身体を張ってこの国を支えてるんだ、
あるいは、
いつか、世界の中心の表彰台の上で、
この曲を歌うことになるかもしれないから、
そのときのための練習をしておけ、
と、なぜ言ってやれないのか。

そもそもが、だ、
てめえの税金を払って運営されている市やら国やらから、
てめえの嫌なことを強要される筋合いはねえだろう、と。

うるせええ、俺ら税金払ってんだ、
てめえら税金泥棒からがたがた言われる筋合いはねえ、
人の勝手だ、ほっといてくれ、とはっきり言えるしっかりとしただろ。

そもそも、
愛国心なんてものに、おかしな条例をくっつけたり、というのからして胡散臭い。

そんな中途半端なチンピラ右翼の国辱行為はまさに目に余る。

そもそも、
日の丸や君が代におかしな偏見を持ってしまうのは、
日の丸や君が代におかしな偏見を持ってそれを利用とする人々がまことにもってうざったいからである。
ので、日の丸や君が代の条例に反対している人も、
だからといって日の丸や君が代が悪い、と言っているわけではなく、
それを「強要」したり「条例」としたり、
あるいは、
俺のバックには日の丸がついてんだぜ、やら、
日の丸の名の下にやってるんだからなにをやっても正義だ、
なんていう低脳右翼がうざい、気持ちわるい、バカっぽい、
あんなやつらと一緒にされたくない、から、と、
つまりはそう言っている訳なんだろう、と。

つまりは、
日の丸や君が代に、そういう拒絶反応を起こさせるまで嫌がらせを続けたバカ右翼、
日の丸や君が代にかこつけては言い訳こいていたバカカス低脳知障右翼は、
まったくもって、日の丸や君が代に拒絶反応を起こさせるために存在しているようなもので、
つまりは、日の丸や君が代に象徴するもに対する冒涜もはなはだしい。

あのなあ、ふざけるのもいいかんにしろ、といいたい。

原発と原発利権に群がる虫どもがこの聖なる国土をここまで汚染しておいて、
それに命を張って反対をせずにしてなにが国士か、と。
この後に及んで小銭の銭勘定ばかりで餌をくれる奴のためなら、
天皇の頭から死の灰でも何でもぶっかけてやる、
というような輩が、右翼を自称するなどちゃんちゃらおかしい。

お前らが国を憂なかったら、ただのダニじゃねえか、かすども。
バカ右翼はム所で臭い飯食いながらそこでおとなしくお釜掘ったり掘られたりしてろってんだよ。
バカ左翼は穴倉の中で勝手に内ゲバやってろと。

あんなあ、

国を憂う、とか、君が代に起立をする、とか、空に仰ぐ日の丸に涙する、
なんてことは、
自国の中でうだうだやっているような問題じゃないんだよ。

世界の中で、この日本という国が、日の丸という印が、君が代という歌が、
どれだけどれだけ、ニホンジンとしての心を揺さぶるのか、
てめえら、いんちき右翼やバカ左翼に判ってたまるか。

もっと外を見ろよ。
そして、いったいいま、日本がなにをやらなくてはいけないのか、
まじめに考えろよ。
まったく、できることといったらウチワ受けといぢめだけなのかよ、このチンカスども。
この宿命のごとくがんじがらめになった島国根性、つくづく情けないぜ。

世界の中で、たったひとりで日の丸を掲げる度胸、
世界の中で、たったひとりで君が代を歌う度胸、
世界の中で、たったひとりになっても、俺がニホンジンだ、と言える度胸。

てめえらに、あるのか?え!?

世界の中で、たったひとつの日の丸を見たとき、それがどれほどいとおしく見えるものか、判ってるのか?
世界の中で、朗々と流れる君が代のメロディを聞きながら、思わず涙してしまったことがあるのか?
あるいは、
世界の中で、たったひとりのニホンジンとして、世界を相手にタイマン張る、ということが、
どういうことなのか、爪の垢ぐらいでも判ってるのか?
それこそが、国を憂うという気持ちの原点だろうが。

え?どうなんだよ!言ってみろよ、橋本!石原!民社党!自民党!一絡げのちんかすども。

バカ右翼、バカ左翼、いいかげんそんな島国で足の引っ張り合いばかりしていないで、
早く世界の中でというスパンでもものを考えてみろよ。

国を語るのなら、そこまでやってみてからにしろよ。
  

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

月別アーカイブ

検索フォーム