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犬と暮らして、変わったことはあるか?

Posted by 高見鈴虫 on 01.2012 犬の事情
購読している犬雑誌から、電話のインタビューを受けた。

以下、内容

Q:犬と暮らして、変わったことはあるか?
A:出張ができない。
Q:その他には?
A:残業ができない。
Q:つまり?
A:出張と残業ができないのであれば、ある種の職はそれだけで通常の業務ができなくなる。
Q:で?
A:つまり仕事か犬かの選択を迫られる。
  仕事が変われば収入も変わる。生活スタイルも変わる。それだけでも十分だ。

Q:他には?
A:週末の朝にも早起きしなくてはいけない。つまり夜遊びができない。
  つまりは、社交・交友が極端に狭くなる。

  ついでに、バケーションにも行けない。
  確かに金を払えば飛行機には乗れるが、
  轟音響く暗い密室の中、
  何時間もケージに閉じ込めたまま水も餌も与えず、
  なんてそんな扱いにうちの犬が耐えられるとは思えない。

  ドッグデイケアや獣医等に預けることも可能だが、
  なにか起こった時のことを考えるとやはり他人の手にゆだねるわけにはいかない。
  それに高い。
  旅行に掛かる額と同額が犬のデイケアにも飛んでいく訳で、
  そこまでして行きたい場所など思いつかない。

  仕事中にも犬のことが気になる。
  朝に下痢をしていたが大丈夫だろうか、机の上に置いてきた小物を飲み込んだりしてないだろうか、等。
  できれば電話で話したいのだがそれもできない。
  なので、家に帰って来たときに、犬が元気に生きているのを見るとほっとする。

  週末に予定があって出かける時にも、
  犬を残して外出することに罪悪感を感じる。
  本当は犬と一緒にいてあげたいのに、
  こんな気持ちを押してまで外出する理由はなにか、と考えてしまい、
  極力、犬を残しての外出を避けるようになる。

  友人からも付き合いが悪くなった、犬バカ、相手にしてもらえるのは犬だけ、
  等の陰口を叩かれる。

  つまり、半社会不適応者の扱いを受けることになる。

Q:それまでしても、犬を飼ってよかったと思うか。
A:もちろん。犬の居ない暮らしはもう想像がつかない。

われながら、やれやれ、だな。

馬鹿犬矯正講座 そのいち

Posted by 高見鈴虫 on 01.2012 犬の事情
馬鹿犬矯正講座 そのいち

馬鹿な犬はいない。
馬鹿は飼い主だ。

犬もきっとそう思っている。

いなせでやんちゃなキャトルドッグであるが飼い主にはまさに絶対服従

Posted by 高見鈴虫 on 02.2012 犬の事情
いなせでやんちゃなキャトルドッグであるが
飼い主にはまさに絶対服従である。

本当にバカかこいつはと思うぐらいになにをしても決して怒らない。

例えばいまもこうして、ベッドの上に寝転がって
iPhoneで慣れぬタッチで書いているのだが、
その頭の下には枕がわりにされたキャトルドッグ、
迷惑げに溜息をついている。

寝ているところを呼ばれて喜んで馳せ参じたところが、
いきなり枕がわりにされているという訳で、
犬も楽じゃないぜという顔をしている。

しかしながらいまさらながら、
このキャトルドッグの忍耐強さは一種驚嘆に値する。
主人の命令はほぼ絶対である。
動くな、といわれた以上、
例え頭の上に、クッキーやらビールの缶やら灰皿やらをおかれても、
よし、と言われぬ以上は決して動かない。

頼めば自身のおもちゃは言うにおよばず、
靴下からタオルから新聞からを持って来てくれるし、
最近では、あれIPHONEどこいった?IPHONEどこだどこだ、
などと一緒になって探してくれたりするわけで。

どうです、キャトルドッグ、便利な犬でしょう?
なんて言ったとたん、

ふとみるとソファーの上に粉々に噛み砕かれたテレビのリモコン。
借りたDVD、本、耳かき、眼鏡、ティッシュペーパーにスリッパサンダル、
カミさんのヴィトンのバッグにフェラガモの靴。
すべてこなごなちりじりである。

が、怒らない怒れない。

何故ならそれは俺のキャトルドッグだからであある。

金で買えるものなどは所詮はその値札程度の価値くらいでしかありえない。

こいつは世界でたったひとつの俺のキャトルドッグ。
つまり正真正銘のプライスレス。
どっちが大切かと言えば決まっている。

が、俺が元々そんな悟り切ったようなやつだったかというとぜんぜんそんなことはない。
俺にだって大切な「物」ぐらいあった。

これまで度重なるどころか数えきれないほどに、
よりによって俺が大切にしているものに限って、狙い済ましたように徹底的に破壊しつくされた結果、
ついにそのような境地に達っさざるを得なかった、ということだ。

つまりおあいこさまというわけか。
ともに悟りの境地に達することができればよいのだが。

がしかし、
やはりできることならその破壊活動だけはちょっと控えて欲しくもある、

なんてことを書いていたら、
いきなり肩先を後ろ足でぐいと押しのけて、
大きく伸びをしてあっちに行ってしまった。
クソ、と軽い舌打ちをひとつ。

深夜のドッグラン・パーティの謎

Posted by 高見鈴虫 on 04.2012 犬の事情
ここアッパーウエストサイドに越してきて以来、
夜の11時近くになってから近所の公園に集まる犬仲間がいる。

夜の11時。
夜の仕事をしているわけでもあるまいし、
なんでわざわざそんな時間に犬の散歩に集まるか、
と言えば、
そんな時間にならないと集まれない事情があるからである。

お察しの通り、この11時のパーティに集まる犬たち、
揃いも揃ってまったくの問題児ばかりな訳である。

まずは猛犬・サリー。
ピットブルとマフティスの雑種。
言わずと知れた大型犬マフティスに、闘犬魂のかたまりのようなピットブルの血の混じった、
まさに猛犬の中の猛犬。
視界に他の犬が横切っただけで、飼い主の手を振り切るどころか、
飼い主を引きずったまま猛然と襲い掛かかるという、
近所で知らぬものはないぐらい、つまりこれまで近所中の犬、そのすべてに襲い掛かった札付きのなかの札付き。

次に知障ブルドッグのジョージ。
犬というよりはイノシシに近いぐらいに、もうやることなすことが徹底的に直情的。
その行動のすべてが常に破壊に向かってしまう。
公園のゴミ箱から始まって、ドッグランのプール、
掃除置き場の用具一式と置き場のロッカーそのものを、
徹底的に破壊しつくした札付き中の札付き。
手ごろな棒を見つけると、闇雲に人の膝に向けて突進してくる性癖があり、
公園の枝ぐらいならまだ良いが、下手をすると、
シャベル、鍬、穴掘り用の槍のようなもの、さえもを咥えたままいきなり背後から猛然と突進してくる訳で、
危ないにも程がある。
一度などは工事現場のオレンジ・コーンを頭に被ったら抜けなくなり、
そのまま目くら滅法に走り回っては通行人の誰かれお構いなしに突撃しては追い回したというツワモノ。

キチガイプードルのレミー。
一応血統証付ではあるのだが、どういうわけかブリーダーの元で半年近く売れ残った末に、
大バーゲン、の言葉に吊られて引き受けたらしいのだが、
残り物には福がある、どころかしっかりと理由がある訳で。
このレミー、もうやることなすこと徹底的に野生児そのもの。
呼んでも来ない、止めろといっても止めない、どころの次元ではない。
リーシュを離したとたん、鹿のようにぴょんぴょんと跳ね回ったかと思うと、
あっちの山からこっちの山まで、徹底的に走り回り暴れまわった挙句、
柵を飛び越えて公園の向こうのフリーウエイの上に踊り出たことも一度や二度ではない。
挙句に玉突き事故を巻き起こし、警察は来る救急車は来る消防車は来るの大騒ぎの中を、
奇跡的に逃走に成功して無事生還を果たしたラッキー・ドッグ。

これに、ティグレ=虎、というなのまさに虎のようなアナトリアン・シェパードやら、
ロットワイラーのオスカーやらジャーマン・シェパードのデクスターやらグレートデンのアーサー、
なんて奴らが加わるのだが、
いずれにしろこんな仲間に向かいいれられるとうだけでその素行に想像がつく。
どいつもこいつも徹底的になんの躾も受け入れなかったツワモノ中のツワモノ、
騒ぎ始めたが最後誰にも手がつけられず、まるで催涙弾の霧のように舞い上がった砂埃の中、
地鳴りのような唸り声をいっせいに響かせながら徹底的に暴れまわる訳で
ここまで来るともう、ドッグランというよりはサファリパークに近い。

それに加えてこんな無法者連中、普段、通常の犬とは相容れる筈もない。
普通の犬たちが集うドッグランなどに解き放たれたが最後、そこは素敵なおもちゃ箱。
それこそ、犬という犬を徹底的におもちゃ代わりにした挙句、
目にも止まらぬ速さですべての犬を噛み殺しているだろうことは想像に難ない。

が、そう、ここまで来て、ひとつの謎がある。

いったいぜんたいどういったわけで、そんなサファリパークの中に、
我が家の愛玩犬、オーストラリアン・キャトルドッグのブッチ君が加わっているのだろうか。

まあ確かに、
オーストラリアの牧場で牛を追いかけているぐらいだから、まあいくら大型犬と言っても牛にはかなわないだろう、
と、まあそんな気楽さなのか、一体全体何を考えているのか、我が家のブッチはこの11時のパーティが大好き、
というよりもほぼ生きがいとなっている感がある。

オーストラリアン・キャトルドッグと言えば、サイズとしてはまあ中型犬にあたるわけなのだが、
こんな超大型犬ばかりの中にあっては、まるで小型犬というよりは、野うさぎ同然。
虎やライオンやらが暴れ狂うドッグランの中を、まるでピンボールのように跳ね回っている訳で、
見ている俺としてはまったく生きた心地がしない。

がしかし、このブッチ、実はひとつ、とても大切な仕事がある。
フィルタードッグたるオーストラリアン・キャトルドッグ、
気が触れたように無我夢中に走り回りながら、
それでも始終周囲に目を光らせ、それこそドッグランに近づこうとするものを見つければ、
とたんに火のついたように吠え立てるわけで。

つまり、ここがそんな無法者どもの乱痴気騒ぎの場所であることを知らない、
いたいけな普通の犬のオーナーが、
ちょっと遅くなっちゃったけど、お友達がたくさん居てくれてよかったね、
なんて具合に間違って扉を開けないようにと、しっかりと見張っていてくれるのだ。

ブーが吼えはじめたと同時に走り出すのは飼い主だ。
両手を大きく広げて駄目だ、駄目だ、駄目だ、と叫びながらドッグランの入り口に殺到する。
駄目だ、開けるな、開けるな!
入ったら死ぬぞ、こいつら猛犬なんだ。あんたの犬は確実に食い殺されるぞ。

まあ大抵のオーナーはそれを聞いて震え上がり、すごすごと夜の道を引き返す訳だが、
場合によっては、いや、大丈夫だよ、なんてバカが必ずいる。

これ見よがしに鋲付きの首輪をしたピットブル。
ふん、聞いたようなことを抜かしやがる。言わせて貰えば家の犬も割りとやるほうなんでね、面白いじゃねえか、
なんていう刺青者のアホ。

いや、だから、そうじゃなくて、という静止も聞かずに扉を開けたとたん、
待ってました!玩具が来た!いただきまーす、という具合に、
虎やらライオンやらがいっせいに襲い掛かって怒涛のスクランブル。
あわわあわわ、と指を咥える飼い主の前で、
自慢の闘犬が一瞬のうちに腹を見せて助けて助けてと泣きじゃくっている始末。

そら言わんこっちゃない、とは言うのも野暮。
だから言っただろう、と口々に吐き捨てるように。
このアホ、まったく迷惑な奴だ、
と血気止まない我が犬の首輪を必死に引っ張ることになる。

怪我はないか?
いや、わからん、多分大丈夫、と言いながら、飼い主は茫然自失。
自慢のピットブルは腰のぬかして歩くこともできず。
いったいなんだったんだ、今のは。こいつらはいったい何なのだ。

だから、こいつら特別なんだ。普通の犬じゃないんだよ。
つまり、と判りやすく言えば、超大型犬でありながら、躾という躾をまったくされていない、ってことで、
あれよあれよという間にすっかり化け物になっちまったという奴で、
というとすぐに納得。

という訳で可愛そうな飼い主、やってきた時のマッチョぶりもどこへやら。
自慢の闘犬ちゃんを胸に抱えてすごすごと帰ることになるわけで。
くれぐれもお大事に、とは言いながら、頼むからもう来ないでくれ、と手を振って。

やれやれ、自分の犬の喧嘩自慢ができるだけおめでたい証拠だ。
こっちは、もう、犬の喧嘩だけには心の底からうんざりしているのだ。
それが証拠にみろ、この11時のパーティ。
こんな時間にしか集まれない犬を持つ身にもなってみろ。

と、言うわけで再び扉を閉めて省みるドッグラン。
いやはやまさにサファリパーク、まったくご盛況なことで。

という訳で、改めて謎なのは、果たしてどうして我が家の野うさぎ、じゃないキャトルドッグ、
いったいぜんたいどんな理由でこんな無法者たちとつきあっているのだろうか。

まったく謎は尽きない。

日本でもっとも求められている食品

Posted by 高見鈴虫 on 06.2012 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
こと、食品、という観点において、
アメリカで絶対的に求められているのは、
間違いなく「太らない食事」である。
アメリカの肥満度は凄い。
ここニューヨークでさえ2人に一人は確実にデブ。
デブでないニューヨーカーは実はヨーロッパからの旅行者だったりもするので、
アメリカ人という意味で言えば、賭けてもいいが、4人に3人はデブだ。

という訳で、この国ではデブは非常に深刻な問題だ。

原因は、と改めて考えてみるに、
まあぶっちゃけ、コーラとピザとハンバーガーとアイスクリームな訳だ。
で、それを助長しているもの、と言えば、
言わずと知れたテレビなのである。

これだけ肥満が深刻な社会問題で、といいながら、
そういっているそばから、CMが入ったとたんに、
じゅーじゅーと肉汁を滴らせたハンバーガーに、
どろりととろけるチーズに、
すかっとさわやかコカコーラに、
ビールに、山盛りのアイスクリームと、
もう目くるめくままに、実においしそうなファーストフードのCMが目白おしな訳だ。
やれやれ、といまさらながr。
つまり、
アメリカの広告料のほとんどが、
この肥満の元凶たるファストフードのチェーンから捻出されている訳で、
この欲望煽情社会において、
もっとも手っ取り早く己の欲望を満たす方法は、
マクドナルドに行って、いまCMで見たばかりのなんとかステーキバーガーを買って来ることな訳で。
これでなんとかテレビとつながることができた、と安心するわけだ。

という訳で、
同じ観点から、日本において絶対に求められている食品は、
といえば、
俺はひとえに、アトピーの治る食事、だと思う。

わが社の製品のみ食べていれば、ぜったいにアトピーが治ります、
と歌えば、それこそ藁にでもすがつ気持ちの人々がわんさか訪れる筈。

とどのつまりは、
味の素の入っていない食事、ということなんだがな。

日本の食品業界のジャイアント・味の素。

まさに、食の東電となっているわけで。

広告宣伝費にものを言わせて、都合の悪いニュースはすべてマスゴミの札束でひっぱたいて口封じ。
賭けてもよいが、味の素の社員は自社製品を自分の子供には食べさせてはいないと思う。
さもなくば、味の素社員の家族は100%がアトピーだ、と知れ渡ってしまう筈だから。

銭金の損得ばかりを優先させて嘘八百並べ立てるばかりじゃなく、
そろそろ本当のことを言ったほうがいんじゃねえのか?

アトピーの原因は、味の素。
切れやすい若者も、なにもかも、
ふたをあけてみろ、みんなカップラーメンやらレトルトやら、
添加物と保存料と、そして味の素山盛りの食品ばかりを食べている筈。

ジンルイ、

テレビを消して、ファストフードやらインスタント食品をきっぱりとやめてみろ、
一週間もしないうちに、自分たちがどんなにバカバカしい世界に生きているのか、
すぐに判るぞ。

テレビこそはすべての元凶なのだよ。

誰かが見ている

Posted by 高見鈴虫 on 09.2012 大人の語る怖い話
会社のレセプション席に座る女性が、
どういう訳だか離職率が高い。
先日も、非常に感じの良かった方で、
社内でも評判の良かったにも関わらず、
いきなりふい、と辞めてしまった。

で、代わりに派遣されてきた方も、
相当に良い条件を提示されたにも関わらず一日を終えた後に断って来た。

で、その後、社内の候補を当たって、
若い女子社員に頼み込み、
まあ、それほど来客があるわけでもなく、
自身の机でやる仕事を、レセプション席でやっていただければ、
なんて感じでお願いをした訳だが、
レセプション席に移ったその日のうちに、
天井に開いた隙間を塞いで欲しい、と訴えてきた。

天井の隙間?


超猛犬矯正講座

Posted by 高見鈴虫 on 14.2012 犬の事情
という訳で11時のドッグランの無法者パーティ、

あまりの犬どもの素行の悪さにいい加減どたまに来て、
で、おい、お前らちょっと来い、とばかりに餌で釣りながら、
トレーニングなんて奴を始めていたのだ。

とりあえずは基本中の基本。

自分の名前を覚えること、
と、
人の目をちゃんと見ること。

大抵のバカ犬はこれができない。

人の声が聴こえない、
出しているサインが見れない、
では、トレーニングもクソもない。

で、
おい、なんとか、と呼んでは、
こっちこい、と呼びつけて、はいご褒美、とおやつをやって撫で撫で、
とそればかりを繰り返していたのだが、

その甲斐あってか、1ヶ月もするうちにとりあえず、
呼んだら来る。
来たらお座り。
ぐらいはできるようになった。

これだけができただけで、飼い主たちはまるで魔法を見るよう。

あれまあ、なんてこった、あのバカ犬がちゃんとしたもんじゃないか、と言った具合。

だから、とここぞとばかりに声を張り上げる。

バカな犬なんていない。
飼い主がバカなだけだ。

という訳で、この辺りで飼い主に引渡し。

超猛犬サリーも、知障ブルドッグのジョージも、キチガイプードルのレミーも、
ついこの間までの、喧嘩放題、騒ぎ放題、吼え放題、の大騒動が嘘のよう。

いまでは、飼い主の投げたボールを喜び勇んで取りに行って、

ボールを投げたら持って帰ってきて、
足元に置いては、さあ、もう一発、わんわん、早く早く、
とおおハシャギである。

そうなると飼い主も面白くなったのか、
ポケットにおやつを詰め込んでは、
はい、とってこ~い、とそればかりをやっている。

ほほえましい風景だ。
なんとなく、やりとげた気分である。

4月14日 メトロポリタン・オペラでトラビアータを観た

Posted by 高見鈴虫 on 16.2012 音楽ねた
土曜日の朝6時
犬の散歩そこのけに明け方の街をリンカーンセンターのメトロポリタン・オペラ・ハウスに直行。
今日の演目はナタリー・ディッセのラ・トラビアータ。
この公演はHD放送を通じて世界40カ国に同時中継される。
まさに上物揃いのメトロポリタン・オペラの中でも極上の日。

まさかと思った朝7時、すでに待ち人がちらほら。
くそ、一等賞ならずか、とは思えども、
無事、当日立ち見席の整理券をGETした後、
この整理券を持って9時に再集合ってなことで、
それまでの間、犬を連れてセントラルパークを滑走。

ついでに、CENTRAL PARK POWクラブ主催の、
早朝DOG PARTYに顔を出す。
犬用のビスケットと、人間用のベーグルやらコーヒーやらをGET。
晴れ渡った公園の木立の中で、犬も飼い主もスーパーハッピー。
テーブルの上に足をかけて思わずテーブルごと転がしてしまいそうなラブラドール。
誰彼構わず愛想を振りまいておやつのねだるゴールデン・リトリバー。
ボールを投げてくれるひとを探してうろうろするボクサー。
闇雲に吼え続けるビーグル。
物騒な顔付に笑顔満面で伸し歩くピットブル。
飼い主のかばんの中から顔を覗かせるミニチュア・ダックス。
で、人の投げたボールをこれみよがしにかすめとって逃げ回るオーストラリアン・キャトルドッグ。
おーい待てーと追いかける人々。それを追う犬たち。喚声と吼え声と。
毎度ながらこのパーティはひっちゃかめっちゃか。
で、無茶苦茶楽しい。

という訳で、時間ぎりぎりまで粘った後に、
やばい、遅れた、と全力疾走でリンカーンセンター。
閉じられたドアの前にすでに整理券を手にした人々がうろうろ。
まさにダイ・ハードのオペラファンたち。
そんな人々が今日のこの日を逃すはずもなく。

その後、9時にドアが開き、10時の当日券開始まで窓口前で行列。
リンカーンセンターの噴水で待たされたブッチ。
次から次へと観光客に写真をせがまれてはしゃぎまくり。
ついでにドイツの著名な写真家、なんて人から、
これほど完璧なシェイプの犬を見たことがない、やらなんやらと煽てられて、
はい、ここに座って、こっちにたって、向こうを向いて、上を向いて、足をあげて、
と注文の嵐。
さすがに嫌になったのかフイ、と横を向いて寝転がったまま微動だにせず。
やれやれ、イッカクセンギンのチャンスをまたも逃してしまったのか。

で、そうこうしているうちにかみさんの姿。
オーケストラ席の後ろの立見席を25ドルでゲット!
うっし!よくやった!と訳も判らず犬も大はしゃぎ。

で、そのまま家に戻って犬にちょっと遅めのご飯を食べさせ、
部屋の掃除をしてシャワーを浴びてとやっているうちにあっという間に12時半。
いざ出かける段になって
オペラに行くのにさすがに泥だらけのスポーツウエアはまずいだろう、と、
一張羅のジャケット、あれどこしまっていたっけ、
なんてやっていたら、
我が家のバカ犬、これは置いて行かれると察知するや、
玄関のドアの前にごろりと横になったまま、
呼んでも怒ってもおやつでつっても見向きもせず。
おいおい、こいつだんだん物分りが良くなった分、聞き分けが悪くなって。

なんてことをやっているうちにおっとすでに開演15分前。
いきなり走り出たドアの向こう、外はすっかり真夏日。
ジャケットを羽織ったシャツにみるみると汗が染み始め、
さすがにこれは失敗したか、としたうちしながら、
夏の装いに華やいだ人々でごったがえすブロードウエイを全力疾走。
1時開演のぎりぎりセーフで会場へ駆け込んで。
おっとここだここだ、と立ち見席にもぐりこんだ時に、開演を告げるチャイムの音。

という訳で、ラ・トラビアータ。
実は、今シーズン、これを観るのは実は2度目。

前回の金曜日、仕事の予定をすべてぶっちして必死の思いで出かけた公演。
いざ、と固唾を呑んで演奏に聞き入ってみるが・・・・
あれ・・・
この演目の大主役たるソプラノの歌姫、ビオレッタ嬢の歌がぜんぜん聴こえないじゃない。

おいおい、椿姫で椿姫の声が聞こえなくてどうすんだよ、と。

やっぱなあ、売れ残りの安い席はやっぱ駄目なんだな、と落胆しながら、
ふと目を凝らすと、あれ、この人・・・違う・・!?

実は、当日になって、主役だったナタリー・ディッセイが病気を理由にドタキャン!!

で、コリアンのおばちゃまが代役、とのことで、ああ、そういうことか、と、変に納得。

なっとくしながら、なんだよ、それって、
ストーンズのライブに行ったら、今日はミックジャガーさんは風邪を引きまして、代わりに誰それが、
なんていわれるようなものじゃねえか、金返せ!と息巻いていたものの、
インターミッションを挟んでの二幕目が始まったとたん、ぎょっとするほどの豹変。
実に劇的な立ち直り方を示し、
ソプラノの歌に合わせて、オーケストラがボリュームを絞り、
テンポを自由自在に操る様は、まさに神業。
いやはや、クラッシック界の実力の凄まじさをまざまざと見せ付けられた気分。

と言う訳で、まあめでたし、めでたし、
とカーテンコールを終えて帰途についた訳なんだが、
いやあ、やっぱ、どうせなら、ナタリー・ディッセイで観たかったなあ、と。

と言う訳で、今回はその復活戦。

どうせ復活戦とするなら、ナタリー・ディッセイが絶対にキャンセルしない公演、
つまりは、HD放送予定の土曜日のマティネを狙うぜ、となった訳だ。

実にこのメトロポリタン・オペラのHD中継。
世界指折りの豪華キャストでの公演を世界中の劇場で生中継。
世界中でまさに25万人以上が視聴するっていな訳で、
出演者も本気中の本気。
まさに実力のすべてを出し切るに違いない。
まさにぜったい外れのない、外れの許されない土壇場公演、となる訳で。

で、その目論見は、と言えば、まさに大当たりだった。

普段は格安チケット、つまりはファミリーサークルのずっと上、
まあ俗に言う天井桟敷からしか見ることはないのだが、
オーケストラ席から見ると、思わず、近い!
で、へえ、あの舞台って前傾してたのか、と今更ながら驚いて、
やっぱ金持ちは良い暮らししてるぜ、と舌打ちをしながらも、
3度目のチャイムの後に灯りが落とされるや、
場内はまさに水を打ったようにシーン。
演奏者の緊張が客席を完全に飲み込んでしまっていて、
まさに固唾を呑むとはこのこと。

オーケストラの最終チューニングチェックがやけにあっさりと終わって、
ああ、これはつまり、すでにチューニングぐらいは徹底的に終わっている、ということ。
つまりは、準備万端、気合十分、ということか、と。

耳の痛くなるような静寂の中から、
まさに春の風に漂う椿の花の香りのように悠然と流れ始めた前奏。
この揺らめき、この優雅さ、この旋律、凄い、すご過ぎる。
これぞ完全なるアンサンブル。
まさに、足元が揺らぐよう。

と言う訳で、始まった演奏。
それはまさに怒涛。
息を飲むような旋律の洪水にまさに圧倒されまくり。
そのスピード感、その音圧、表現力から緊張感から開放感から、
音楽という表現形態のすべての完成品がここにある。
JAZZだROCKだHIP-HOPだ、とか、
そんな次元は遥かに完全に超越している。
音楽とはまさにこれのこと。
考えうる限り徹底的に絶対的な演奏というものを、
これでもかとばかりに全身に叩きつけられた気分だった。

で、目を見開き口をあんぐり状態のまま見入るステージ。
前回にひょんなことかオーケストラ席を手に入れた時にも思ったのだが、
オペラは上から見るとただの芸術なのだが、
下からみるとそれは演劇なんだよね。
ステージの上の面々、各自思い切り演技をしている訳で、
自然そのストーリの内容もぎりぎりと締め付けるように身体中に浸透をしてくる訳で。

これまで退屈に思えた二幕目、ヴィオレッタとアルフレドと、そしてその親父、との掛け合いのシーン、
ああ、そうか、これはつまりは、まさにその掛け合いであった訳で、
その緊張感漲る掛け合いの応酬がまざまざと胸に染み入り、
怒涛のようにつながる円舞会のシーンから絶望の破局まで、まさにドラマ。
ドラマティックとはまさにこのこと。

以前までのゼッフェレリのあの豪華絢爛なケバケバしい舞台とは違い、
この新演出の真っ白い中に赤いドレス。
最初見たときにはなんだこれは、前衛か!?とも思ったのだが、
このシンプルすぎる舞台。
余計なものをいっさい削り落とした舞台はまさにリングの上。
出演者以外にはなにもない、つまりは出演者の存在そのものを完全に浮き立たせることになる。
つまりは、2幕目、そして3幕目と追うごとに、
ビオレッタの苦悩の悲しみと悶絶が、まさにギリギリのところにまで迫ってくる。

一幕目、動きが多いせいもあり、ついつい尻切れになりがちだったビブラートが、
2幕目3幕目と進むうちに朗々と伸び伸びとまさに会場中の天井から壁からを共鳴するように響き渡り、
体感とはまさにこのこと。
いくらHDと言えども、この肉声の共鳴と共振の凄まじさまでは伝わるまい。

これまで、三幕目、死を目前にしたビオレッタの前に幻想のアルフレッドが登場し、お父さんが許しを乞い、
というシーン、なんだよ、この病人、歌なんか歌ってまるでぜんぜん死にそうじゃねえな、やら、
くどいんだよ、あんた、俺、小便したいんだけど早く死んでくれよ、とか、
ついつい不謹慎なことを思わないでもなかったのだが、
いやはや、このステージになってからは、そんなビオレッタの瀕死の断末魔がまさに身を切り裂くような切実さを持って迫ってくる訳で。

おお、これは凄い、というよりも、思わず呆然、そして金縛り。
こみ上げる涙を抑えるのに大苦労。
前に座った見るからにイタリアンマフィアそのもののおっさん、が喉を枯らして泣きじゃくり。
隣の立ち見席の、これまたホームレス寸前の巨大荷物のおばちゃんも、
一席云百ドルのオーケストラ席に陣取ったタキシードの老夫婦も、
一張羅のドレスを着込んだお姉さん方も、
実はあんたがビオレッタなのか、そのつもりなのか、という、
まさにステージのビオレッタとお揃いのドレスをきたおばあちゃんも、
会場のすべてからまるで地響きのような嗚咽が競り上がり、
がしかし、その瞳はステージのビオレッタに釘付け。
流れる涙をぬぐうこともできず。

ああ、死んでしまう、死んでしまう、もう少し、あと少しだけでもその歌声を、
と天を掻き毟りながら、無常にも、ヴィオレッタはステージの中央に崩れ落ち、
まるであっけない幕切れ。
まさに頭の中がスパークして空白状態。

で、ふと我に帰った時、ステージの上にナタリー・ディッセイがひとり。
まるで少女のような小さな身体で、
まるではにかむようにぴょこり、とお辞儀をひとつ。

おおお、生き返った~!と思わず大喝采。
一瞬のうちに会場中が飛び上がるように立ち上がり、満場から拍手の嵐。スタンディング・オベーション。

すっげえなあオペラ。まじで凄すぎるな。

手が痛くなるほどに拍手を送りながら、もしかしてアンコールとかしてくれるのかな、
だったらどの曲やってもらおうかな、と、考えながら、
うーん、だったらまた最初からやってほしい。
最初からやってくれたらまた最後まで見てしまうだろう、
で、またアンコールをしたらまた最初からやって貰おう。

と言う訳で、
頭朦朧としたまま群集に押され、レッドカーペットから転がり出たリンカーンセンター。
見上げるといきなりあっけらかんとした青空。
おっと、晴れてんなあ、と。
涙でぐしょぐしょの人々の前に、いきなり公園を闊歩する半裸の人々。
記念撮影する観光客。
ビキニのお姉さんと走り回るガキと散歩途中の犬が尻尾を振って赤い舌を躍らせて。
おお、帰ってきたな、と。
思わず旅行から帰った気分だった。

と言う訳で、なんか腹が減ったぞ、と。

で、思い切りなにか、精のつくものが食いたくなって、
劇場前のイタリアンか、左に折れたチャイニーズか、とも思えども、
なんかもっと、ガツンとしたものが食べたくて、
うっし、どうせならラーメン食おうぜ、と。
がしかし、オペラの後にラーメン喰うなんてなんとなく不謹慎か、
などと思いながら、で実際に暖簾をくぐってみるとそこはオペラ帰りの人々で満席(笑
思わず、ラーメン大盛りに半チャーハン、ついでに餃子もつけてしまった。

と言う訳で、この週末、土曜の午後に完全に燃え尽きてしまった。

あれからずっと頭の中で、まさにエンドレスに椿姫が流れ続けていて、
寝ても覚めても夢の中にまで流れ続け消そうにも消えてくれず消す気にもなれず。
音楽なんてものにこれほどの感銘を受けたのはいったいどれぐらいに久しぶりだろうか。
できることなら、消えないで欲しい。消したくない。

と言う訳で、日曜日は一切の予定をぶっちして一日中ずっとセントラルパークの芝生の上で昼寝。

スタジオに行かねばならないのだが・・・ 俺のドラムなんかでこのメロディを汚したくないんだよね、まじで(笑

だったら、あれに負けない音楽、作ってみんかい、とも思っているのだが、
その気力を取り戻すにはまだまだ時間がかかりそうだ。

超猛犬矯正講座 その2

Posted by 高見鈴虫 on 16.2012 犬の事情
俺様のトレーニングのお陰で、
狂気の沙汰だった11時の無法犬パーティが、いつのまにか運動会と化していた。

超猛犬サリーはボール遊びが面白くてしかたがないらしく、
誰彼構わずボールを投げろ、とせがんできては、
ドッグラン中、邪魔なものはすべて蹴散らしながら、
砂埃を立ち上らせて走り回っている。
ああ、サリー、今度生まれてくるときには絶対にフットボールをやるべきだ。
今のうちから神様にお願いしておいたほうがいい。

知障ブルドッグのジョージは、どこでみつけてきたのかサッカーボールが大のお気に入りで、
ひとたびボールをホールドすれば絶対に誰にも渡さない。
四つの足とあごと首とを駆使しながら絶妙のドリブルで所狭しと走り回っては、
天才的なボール裁きでディフェンスどもを次々と抜き去って行く。
という訳で、このジョージからボールを奪うのはまさに至難の業だ。
元小学校の校庭サッカーにおいては天才少年と歌われたこの俺が、
息を切らして汗を流してとまじに必死をこいてもまったくボールを奪えない。
まさに、マラドーナ、そのものだ。
挙句にやけになってジョージの首輪を押さえ込んで無理やりボールをむしりとる訳だが、
そのときばかりは知障ジョージもあきれて笑っていたりするからまた面白い。

キチガイプードルのレミーは己の恐ろしいばかりのジャンプ力に目覚めたのか、
高く跳ね上がるボールをそれこそ2メートル近くも飛び上がっては踊りまわっている。
やれやれ、こいつこんな毛むくじゃらのプードルに生まれなかったら、
今頃はJASON LIの後釜でニックスを支えていただろうに。

という訳で、
よし、こっち来い、と全員を呼び集めて、そら、と投げ上げたボール、
訳も判らず突進するサリー、ただ飛び跳ねているだけのレミー、
サッカーボールを離すのが嫌でボールごと走り回るジョージ、
いきなりぶちまけられたサーカスの花形たちの間で、
やはりいつまで経っても最後にボールを我が物にするのは決まってブッチである。

いまさらながらこいつの運動神経はまったく特筆に価する。
まずなによりも足が誰よりも早い。
それに加えて誰よりも知恵が働く。
ボールを投げる方向をいち早く察知したが最後、目にも止まらぬ速さで走り出し、
あわよくばダイレクトで、最低でもワンバウンドするうちにまるで魔法のようにボールをかすめ取ってくる。
おかしなバウンドをした玉を身を躍らせて方向転換を決めては、
果たしてやはり、どうあがいても誰もブッチにはかなわない。

飼い主の俺でさえちょっとこ憎たらしくなってきて、
わざとフェイントをかけたり逆方向に投げたりと策を講じるのだが、
それでもすぐに気が着いて、ボールを投げた瞬間にはすでにブッチがその彼方にかっとんでいる訳だ。

この無法犬パーティの中では一回りも二回りも身体の小さなブッチが、
他の猛犬連中から一目も二目もおかれている理由はまさにここにある。

お前、本当、人間に生まれていたら、ジッターと張り合うぐらいの名ショートになっていただろうに。
と思わず、関心を通りこして、尊敬さえ感じてしまう。

いやはや、おまえ、ほんとうに凄いな、と調子に乗っていると、
やれ言わんこっちゃない、
ボールを取れずに欲求不満の昂じた犬どもが、とたんに吼え始め、暴れ始め。

という訳で、はい、おいで、おやつにしよう、と呼び集め、
並んでお座りをして順々に開いた口におやつを放り込んで行く。

お前ら、本当の本当にいい子になったな、と思わず一人ずつ抱きしめてはキスキス攻撃。

がしかし、そう、ここまでいい子になってしまうと、ちょっと面白くもないような気もするがどうなんだろう。

国家的無理心中が現在進行中

Posted by 高見鈴虫 on 18.2012 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
風評被害に踊らされることなく、
まじめに大らかに暮らしていた人々の間に、
心不全が大流行らしいな。

大丈夫。不明死はすべて心不全。
それほど珍しいことでもないわけなんだろ?

というわけで、あれよあれよとバタバタと心不全。

まさに今年の大流行病。
まあいつもの奴ですから、とばかりに、
死因どころか身体に蓄積された放射性物質のデータを残すこともなく、
あれよあれよと火葬場行き。
後には証拠どころか灰も残らず。

そんな葬式に出た連中もみなさん、どうもお疲れのようで。
免疫力が落ちたのか、いつも身体がだるくて、下痢が止まらず。
風邪が長引いて、くしゃみのたびに鼻血がぶー。

つまりこれ、言わずとしれたセイシウムさんの御効能という訳だが、
いまさらそんなことを知ったからってなにになるんだ、
ってところまで嘘をひっぱれればいいやってことなんだろうが、

あれ、3年から5年じゃなかったのかよ、
と思いきや、
あまりにその訪れが早かったのは、
それだけ、ぶち撒かれた放射性濃度が半端じゃなかった、ってことだろうが、と。

ついでを言えば、
パニック防止とやらを名目に、
原発は大丈夫!の連呼を真に受けてる間に、
頭からストロンチウム入りの灰をこれでもかと被ったシンデレラたちは、
見事、白血病をGETした後に、
一ヶ月で30KGもダイエットに成功、と大喜びすることになるだろうし。

で、こんな不幸、俺たちばかりが食らうのは不公平だ、とばかりに、
それこそ日本中津々浦々に、
セシウムどっさりの瓦礫の山をばら撒いて、
どこで漁れたかごまかしまくったストロンチウム入りの魚缶詰を世界中に輸出するつもりらしい。

これはまあ、言うなれば、毒食わば皿までの、完全な自殺行為。殺人行為。

なんてことを、
テレビも新聞もラジオも「ちゃんとしたインターネット」も、一切載せない、喋らない。
なぜかと言えば、かの電通さんから、スポンサーさんからが、
巨億の金を注ぎ込んで必死の隠蔽工作を続けているから。

で、ここにきて素朴な疑問なのだが、いったいどうして? 

いったい全体、誰が、どうして、こういうキチガイ沙汰を繰り広げているのか。
なんていまさらそんなこと聞くのは間が抜けすぎなのか?
あるいは、そんな疑問を持つこと自体が、反社会的、非国民的行為なのか?

はたからみれば、これはただたんに「国家的無理心中」としか思えない。

つまり、それを強いることは明らかに犯罪行為。
つまり、その嘘つきどもは、立派な犯罪者だ。

これは言うなれば、北朝以下、オーム以下、だぞ、民主党。

頼むから早く国際法規にかけてほしい、と思っているのは俺だけか?

別に、死にたければ勝手に死ねばいい。それも個人の選択。自由意志だろ?

Posted by 高見鈴虫 on 18.2012 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
しつこくも日本の原発心中の話の続きなのだが、

という訳で、という話を、こちらのアメリカ人というよりは、ニューヨーカーにした訳だ。

で、その反応は、と言うと、以外にあっさりとしたもので、
ふーん、そう、の一言。

なんで?

いや、だからさ、と説明すればするほど、うーん、よく判らない、と言う。

だろ?ニホンジン、訳判らないだろ?

いや、そうじゃなくて、まあそれもそうだが、
俺が一番判らないのは、お前はなにに対してそんなに腹を立ててるのかってことで。

何にって、つまりは、民主党と東電と電通と、

いや、だからそれは判るんだが、で、お前はそれに対してどうして腹を立ててるのか、と。

どうしてって、腹立てないほうがおかしいだろ?こんなバカな話はないぜ。

ああ、それも判る。確かに馬鹿げてる。
でもさ。
別にニホンジンにしたって、渡航制限をされている訳でもないし、
強制的にそこに閉じ込められている訳でもないんだろ?
死ぬのがいやなら別の場所に移れば良い訳でさ。
現にお前とか、ここにこうしている訳でさ。
誰だってそうすれば良い訳じゃないか。
なにかそれがそれほど簡単に行かない理由はあるのか?
まあ確かに、
仕事を辞めることになるだろうし、新しい街で仕事を探すのが面倒なのは判る。
でも、
いまの仕事にしがみつくたくても死んでしまったら仕方がないじゃないか。
家のローンやらもあるんだろうが、死んでしまったら家なんかあっても仕方がない。
そんなこと誰でも判ることだろ?
情報なんかその気になればインターネットでいくらでも手に入る訳だし。
誰だってそれぐらいの判断力は持っているはずだろ?

つまり心中じゃない、と。

誰もそこに居てくれてって頼んでいる訳でも銃を突きつけられている訳でもないんだろ?
だったら違うよ。
自分の意思でそこに居ると言って放射能の中でがんばっている以上、そうさせてやればいいんじゃないのか?

つまり死ぬ自由と。

たぶん、ほとんどの人々が、俺はわりと死なないかもしれない、
なんて、都合のよいことを考えているのだろうけどさ。
そう思いたければそれに賭けてみればいいだけの話。
まあそれも個人の選択だろ?
まあそうしたければそうすればいい訳でさ。人それぞれ。個人の自由だろ?
だから、
他人のそういう選択に対して、お前がそんなに腹をたてなくてはいけない理由が判らない。

という訳で、ははは、実にそうだね、と返す言葉もない。
まあ確かにね。
ニューヨーカーらいしいというか。
利己的というよりも冷たいというよりも、つまりは個人の意思を尊重することが第一。
死ぬ自由、殺される自由。プラトニウム喰っても俺は死なないって思ってるならそうすればいい、と。

まあ、つまりはそういうことなんだよね。
世界はニホンジンを見捨てている訳でもないし、あざ笑っている訳でも、不思議がっているわけでもないんだよ。

つまり、そっちの勝手、と言っているわけだ。
セシウム被ってもプラトニウム喰っても、俺は死なない、と思っているならそうすればいい。
死にたければ死ねば?そうしたいんだろ?ということな訳で。

その個人の自由意志による選択、ということが、どうも日本の人々はいまだにわかっていないのだろうが・・

うーん、俺もやっぱそう思うしかないよな。

死にたければ死ねば、じゃね、と。

ただ、ちょっと不愉快で、そして、ほんの少しだけ、寂しかっただけさ。

さらば日本。あんまりバカバカしくも不愉快なのでもうこの話を人にするのはやめようと思う。

あ、で、そうそう、ニホンジン、勝手に灰かぶって勝手に死ぬのは自由だが、
寝る前にガスの元栓、ではないが、
原発止めるのと、あと、瓦礫燃やすのだけはやめておいてくれよな。

飛ぶ鳥、じゃないが、まあ死に際ぐらいはきれいにしておいてくれや。

ROCK THE TRAVIATA

Posted by 高見鈴虫 on 21.2012 ニューヨーク徒然
ここのところいつものミニクーパがガレージに入ってしまって、
仕方なく、という感じで、乗っていたAUDIのA3があまり調子が悪く、
散々文句を言い続けていたら、
ならば、という感じでBMWが回ってきた。

BMWと言っても328xiだし色もシルバーだからぜんぜん偉そうではない。
まあただのお茶の間カーという外見なのだが、
うーん、たかがBMW、されどBMW。
いやはやさすがというかなんというか、
アクセルを踏み込んだときの吹き上がりが違う。
言ってみると、とてもとても、まさに体感的に気持ちがよい。


おまけに、このBMW、カーステの音が抜群である。
重低音の伸びが半端ではなく、
ボリュームを上げ過ぎるとまじめに車体がぶれてケツでも振るのでは、
という気までしてくる。

というわけで、
ここのとこ、このBWMでかっ飛んでいる時、
かけているのはたいていオペラである。

オペラと言っても、実は聞いているのは1枚だけで、
CARLOS KLEIBERのLA TRAVIATAな訳である。

他も色々と試してみたのだが、
曲の善し悪しに加え、演奏、音のバランス、音質、スピードやら、
例によって、なにが素晴らしいか、よりは、
何が許せるか、鼻につくものがないか、という視点から言って、
やはりどうしてもこれが邪魔にならなくて良い。

最近、さすがにフルボリュームで音楽をかけることがなくなったのだが、
このLA TRAVIATAだけは、気がつくいつも限界までボリュームを上げている。
でかい音で聴きたくなるのはROCKだけかと思っていたが。

いや、逆に言うと、このLA TRAVIATAの魅力、
キャッチーな曲と、メリハリの効いたというよりはほとんどガチガチのリフ、
超絶的なスピード感、ほとんどROCKに匹敵する感がある。

事実、LA TRAVIATAを大音響でかけているとついついスピードを上げてしまう。
上げてしまう、というより、ほとんどアクセルを踏み切っていたりする。
窓はルーフまであわせて全て全開だ。

おかげ様でこの状態でBMWをぶっ飛ばしていると、
さすがにどんなドン亀も道を譲ってくれる。
もちろんバックミラーなど必要ない。俺より速いやつなどいないからだ。
まさにフリーウエーの王者気分。

遅れてきた暴走族は LA TRAVIATAなわけである。
  

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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