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BUT NOT FOR ME in TOKYO - 01

Posted by 高見鈴虫 on 01.2012 旅の言葉
朝から何度目かの犬の散歩の後、
不安げな顔でしきりにじゃれついてくる犬を避けながら
荷造りを済ませ、
じゃあな、言ってくるよ、の代わりに、
そんな犬の顔にIPHONEを翳してパシャリとシャッターを押した。
なんだよ、お前、泣きそうな顔して、
と笑いながら、泣きそうな顔をしていたのは俺の方だったのかもしれない。

かつては世界中を飛び回っていた俺が、
こいつと暮らし始めてからつくづく腰が重くなった。
旅をする気がさらさらなくなってしまった。
どこに行ってもなにをやっても、
つくづく、こいつと離れたくない、と思ってしまうのだ。

そんなことではいけない、とは思いながら、
それが正直な気持ちというやつなのだからしかたがない。

アパートの前でタクシーを拾い、
面白くもない、という風に、JFK、と一言。
タクシーの運転手も、
なんにも楽しいこともない、という風に、
無言で頷いた後に、
タクシーのメーターをJFK一括料金の53ドル、に切り替えて、
そして、なんにも面白いことがない、という風に車を出した。

アッパーウエストのシナゴーグの角を曲がって、
セントラルパークウエストからイーストハーレムへ。

くそったれ、ニューヨーク、
世界中探したって、こんなに面白い街はないっていうのに、
なんでわざわざこの街を抜けだして、
よりによって東京なんてところに行かなくてはいけないのだ。

あ~あ、ニューヨークを離れたくないぜ、
と一言つぶやくと、
それまで音楽もかけずに無言のままだった運ちゃんが、
途端に、くそったれ、と舌打ちをした。

くそったれ、
空港にはこれまで100万回でも来た気がするのに、
自分が飛行機に乗ってこの街を出たことは一度もない、と来る。

この街にやってきてからというもの、
なにからなにまで金がかかって、金を貯めようと思えば思うほどに金を使わされ、
稼ごうと思えば思うほどに稼ぎが減って、
いつのまにかこの体たらくだ。

100万回も空港までの道を行ったり来たりしながら、
自分自身は一度もこの街を抜け出せたことがない。

この街は俺にとっては監獄だ。

逃げ出そうと思えば思うほどに絡め取られていく。

このままこのタクシーを飛ばしてそのままどんどん南にいってしまおうか、と、
なんど思ったことか。

くそったれ、この街から出してくれ。

いかにも感極まった、という感じで、
ばん、とハンドルを叩いたまま、そして再び静かになった。

やれやれ、やっぱりリムジンにすれば良かったかな。

トライボローブリッジの橋桁の向こうに
マンハッタンの影に向けてもう一枚写真を撮った後、
ふと、夕日の眩しさに目をとじたまま、
俺もそのまま寝てしまった。


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BUT NOT FOR ME in TOKYO - 02

Posted by 高見鈴虫 on 01.2012 旅の言葉
というわけで日本への出張だ。

出張というだけあって当然の事ながら仕事クラス。
つまりビジネス・クラスだ。
俺はビジネス・クラスに乗ったことがなかった。
なので当然の事ながら、
ビジネスクラスに乗る人が、いったいどんな人々かも知らなかった。

まあ、まるで鶏小屋のような格安席に比べて、
多少席にゆとりがあったり、
あるいは、もう少しシートが後ろに倒れたりとかするんだろう。

飯がちょっと良かったり、
頼めば酒も飲み放題、なのかな?

が、しかし、
だからと言って、
それぐらいのことでわざわざ格安クラスの10倍もの金を払うやつは一体どういう奴らなのか。

多少席が狭くても、その分沢山行けた方がいいじゃないか、
飯がうまいと言ったって、所詮は機内食だ。たかが知れているだろう。
映画などDVDでいくらでも見れるし、
PC用の電源アダプターはたとえそれがファーストクラスでも、
用意は無いと聞いている。

と言うわけで、
果たしてこの差額、
つまり、
ニューヨークー東京、往復で6千ドル、という価格が、
果たしてなにに所以するものなのか、
そして、
そんなぼったくりのビジネスクラスなんてものに乗って、
なぜにわざわざ無駄金を使わされるバカがいたものなのか、
まったくもって、不思議でならなかった訳だ。

というわけで、
世界の謎、ビジネスクラスの乗客たちとはいったいどんな人々なのか、
その謎に迫るため、
まず手始めにビジネスクラスの特権たる、アドマイヤーラウンジ、という場所に侵入して見たのだが、

果たしてここは静かだ。
金持ち風だ、というのではない。
言ってみればただのラウンジだ。
窓から滑走路が見えて、ソファが並んでいる。
機内持ち込み用のバッグを持った人々が、
何をするでもなく時間を潰している。

ただ、下の一般用ゲート口に比べると、
とても静かだ。

別に壁に防音処理がされている訳でも、
ふかふかのカーペットに音が吸収されているわけでもない。
ただ、そこにいる人々の物腰が、
とても静かなのだ。

ガキが走り回ったり、
野球の応援にでも行くような派手なシャツを来た人々がいる訳でもない。
ただ憂鬱そうに空を眺め、あるいは膝の上に広げたLAPTOPに目を凝らし、
あるいは、つまらなそうに手の中のIPHONEをのぞき込んでいる。

なんというか、
元気がないというか、
そうつまりは、
旅行客特有のはしゃいだ雰囲気がないのだ。

そっか、つまりはビジネスクラス
仕事で旅行をするひとびと。
つまり、
行きたくもないのに嫌々に旅行をさせられている人々、
という訳なのか。

そう考えると、ビジネスクラスの人々に元気がない理由というのも頷ける。

そんな気分を払拭しようと、
そうだ、飲み物だ、食べ物だ、
ただで貰えるものならなんでも貰ってみよう、
と、のこのことバーに出かけ、
入り口でもらったドリンク券を出してみる。

何になさいますか?というとってつけたような愛想笑い。
だが、それもアメリカ人の、それもおばはんなわけで、
つまりそんな微笑みを返されても嬉しくもなんともない。

という訳で、思い切りの皮肉のつもりで、
試しにシャンペーン、と言ってみたが
果たしてそれは出てきた。

いや、ごめん、スコッチアンドソーダにしてくれ、
と言ったら、はいどうぞ、とそれも出てきた。

ブランディーは?
はい、どうぞ、と。

ビール、はい、こちらに、と、まあ出るは出るは思いのままである。
果たして、このまま行ったら飛行機に乗る前からベロンベロン。
つまみも取り放題、と言っても、スナックにオリーブぐらいしかないのだが。

と言う訳で、ふん、ビジネスクラスか。なかなかやるな、

とは思っても見た。
が、しかし、だからと言って、
別に嬉しい訳でもはしゃいだ気分になるわけでもない。

この場所では、
そんなこと、当然、という顔をしていることが、
義務付けられているからだ。

という訳で、
ほろ酔い気分のアドマイヤーラウンジ、
だからと言って、
おい、DJ、そんなチキチキテクノなんかかけてないで、
もっと威勢のいいやつ、
そうだ、ガンズとか、ストテン、とか、
そうだ、ストーンズかけろ、一緒に歌ってやるから、

なんてくだをまける訳でもない。

という訳で、静まり返った出発前のひととき。

ああ、こんな中で犬の写真など見ていたら気分が沈んできた。

ビジネスクラスの特権だと、知ったことか。
俺は俺らしく格安貧民ラウンジに戻るとしよう。

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BUT NOT FOR ME in TOKYO - 03

Posted by 高見鈴虫 on 01.2012 旅の言葉
という訳でビジネスクラスだ。
確かに椅子は凄い。
座席というよりはコックピット、
そう、なんとなく、
WALL-Eに出てきた宇宙船で生活する人々の乗っていた
空飛ぶ座席を思わせる。

そこかしこになにのために使うか判らないリモコンがある。
なにのためのリモコンか。どう使うべきなのか。
一切説明がないまま、まあ探せばどこかにあるのだろうが、
もともとマニュアルを読むのがキライなタイプ。
面白がってむちゃくちゃに動かしているだけでも割りと暇が潰せる。

ともすると、矢印をウイーンとやっているうちにあれよあれよと座席が倒れ、
おっとこれはまるで床屋の椅子、とばかりにいつのまにかほぼフラット。
おっと足元のステップに足が届かず、そのままずるずると滑り落ちてしまいそうだ。
おいおい、これはもしかして、飛行機の座席で寝返りが打てる、
という事ではないのか。

そうなんだよ、飛行機で一番いやだったのが、この座った姿勢で寝ることであったのだ。
本来、うつ伏せで寝るタイプの俺は、この座った姿勢で寝ることがどうしても苦手で、
膝を折り曲げたまま右に左に姿勢を捻っているうちに、
ついつい面倒くさくなって通路で寝たくなったりもしていたものなのだ。

うーん、たかがビジネスクラス、されどビジネスクラス、
この違いはやはり大きいかもしれない。

とそうこうするうちに飯。
ビジネスクラスというぐらいだからなにが出てくるのか、と思っていたが、
まあ米系というだけあって、やはりは米系、つまり所詮の機内食だ。
が、どういう訳か俺は機内食をどんな時にもいつもすべて平らげる。
ヘタをすると、すいません、余っていたらもっとください、
とまで言ってみたものだ。
パン、水、コーラ、スナック、
保存できるものはさっさとカバンの中に詰め込み、
と、これ、つまり、つまり、ヒッピー時代の癖なのだ。
次に降りた土地で、何が出てくるか知れたものじゃない。
美味しい不味いは別として、とりあえず衛生的に問題のないものをキープしておくのは死活問題。
が、しかし、待てよ、
そう、今回のこの旅行、目的は仕事、つまり俺はビジネスクラスの人なのだ。
そして、これから俺が行くべきところは、実に日本なのだ。

俺の母国である筈の日本が、
まさか衛生面で問題があるような無茶苦茶な国とも思えない。
思えないのだが、しかし、心のどこかに不安が残るのだ。
日本は果たして大丈夫だろうか。

おいおい、と改めてため息をついた。

頭では判っているのだが、果たして俺の身体は、
日本に帰る、ということに対してまったく気を緩めていないようだ。
身体中が、これから向かう新しい土地に、
なにがあるかわからないぞ、と妙に緊張を残している。

そうか、俺はやはり、もうアメリカ人なのだな、と改めて思う。
俺はもう日本のことはなにも知らないのだ。

改めて12年という月日の長さを思い知るようだ。

気分転換に映画を観てみることにした。
改めてろくな映画はひとつもない。
ないのだが、見ないと損、のような気もする。
米系というだけあって、すべてアメリカ映画だ。
改めて、映画というのは国策の一部、
国家のイメージ宣伝の道具なのだな、と思い知らされる。
スパイダーマン、やら、ミッション・インポッシブルやらを、
試しに日本語の吹き替えで観てみたのだが、
どういう訳か言葉がまったく頭の中に入ってこない。
日本語で語られる米国の風景が、
まったく完全にずれてしまっているのだ。
そうこうするうちに、イライラを通り越して吐き気がしてきたので、
ついに諦めて寝ることにした。

ああ、日本の友よ、悲しいことに俺は、
もう身も心もアメリカンになってしまったようだな。

180度のフラットシート、思いの外に快適で、
毛布を被った途端に驚くほどぐっすりと寝てしまった。

目が覚めると機内の灯りが落とされていた。
真夜中、と言ったところか。
トイレに立つついでに、どうせなら、とエコノミークラスを見物に行く事にした。

仕切りのカーテンを開けた途端、
むっと立ち込めた空気に思わず息が詰まった。
家畜小屋とはよくも言ったものだな、と思う。
ぎっしりと敷き詰まったシートに重なりあうようにして眠る人々。
まるで奴隷船だ。

ふと肩を叩かれ、スチュワーデスから、ちっちっち、と指先をふられ、
そして慇懃にカーテンを閉められた。
ビジネスの方はあちらのトイレを、と指さされながら、
思わず顔を合わせて笑ってしまった。

くそったれのビジネスクラス。
いけすかねえな、と舌打ちまじりに小便をしながら、
が、しかし、
うーん、もう一度あのカーテンの向こう、
つまりはエコノミーの奴隷船に戻りたいか、
と言われれば勿論、NO と言うだろう。
そうか、人間、こうやって絡め取られていくのだな。
とシートに身体を投げ込んで、
あーあ、と手足を広げて思い切り伸びをして、
再び寝入ることにしたわけだ。

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グランドハイヤットの窓から眺める12年ぶりの東京

Posted by 高見鈴虫 on 02.2012 旅の言葉
グランドハイヤットの窓から眺める12年ぶりの東京。

どうしたわけか、あまりにも色あせて、干からびて、寒々として映るその光景。

まるで昔別れた女の落ちぶれた様を見るのに似て、

この姿だけは、見たくなかったなあ、と思い知ってた。

これほどまでにうらぶれた気分というのは、ここしばらく味わったことがなかった。


BUT NOT FOR ME in TOKYO - 04

Posted by 高見鈴虫 on 02.2012 旅の言葉
12年ぶりの東京があまりにもあっけなく目の前に広がっていた。

最初からどうも調子が狂った、と思ったのは、
それが成田でなく羽田であったからだ。
驚く程にあっさりと入管を抜け、驚くほどにあっさりと12年ぶりの帰還がなされた訳だ。

寝ぼけ面のままのトムとお互いのボケた格好に苦笑い。
重い荷物をゴロゴロと転がしながら、
さあて、と思うが果たしてどうやって街に出れば良いのかさっぱり判らない。

取り敢えず、表に出てみると外は雨。
なにげに咥えたタバコにトムが顔をしかめる。
おい、ここ禁煙じゃねえのか?と頭上の禁煙サインを示すのだが、
バカタレ、知ったことか、と鼻で笑ってやる。
笑ってやりながら、なんとなく悪いことをした気にもなっている。

もしゃもしゃ頭に赤い目を腫らして生欠伸を繰り返す外人と一緒の俺、
目の前を通り過ぎる人々、空港の警備員から、なんらかの係員から、警察まで、
素知らぬ顔でタバコを吸う俺に、誰も何も言わない、どころか、目を逸らして行くような。
こいつら、痩せてるな、と思う。
どいつもこいつも、まるで栄養失調の子供のように華奢で弱々しく見える。

タバコを一本吸ったのちに、
目の前を通りかかった警備員にタクシー乗り場の場所を聞いてみる。
あの、タクシー乗り場は、と言いながら、なんか少し緊張する。
つまり、俺の日本語、果たして通じるのだろうか。

あ、はいはい、えーと、そこの出口から、一度通路を戻って、
で、右手のエレベーターで改めて2階に上がって、そこでなにが見えますので、
あれで、これで、とくどいぐらいに説明をしてくれるのだが、
はいはい、と恐縮しながらも、
ニューヨークの投げやりな対応からするとその異様な親切さがまさしく異様に思えてしまう訳だ。

という訳で、あそこでサインを見逃した訳だよ、とトムと苦笑いして通路を戻りながら、
ふと目の前を通り過ぎた女の子の一団。

へえ、噂には聞いていたが、日本の女が綺麗になったってのはまじで本当だな、
と思わずニヤニヤしてしまうわけだが、
ふと横を見るとトム、寝起きで腫れた顔のまま、そんな少女たちに恍惚として魅入っている。
なんだよ、と肩を小突くと、え?と我に帰った風。
やれやれ、先が思いやられるな、苦笑いをうかべるどころか、
どうしたわけかそんなトムに本気でとちょっといらっと来る。

という訳で乗り込んだタクシー。
グランドハイヤットまで、と言うが、それはどこですか?と聞き返される。
え、だから、六本木のグランドハイヤット。
ああ、六本木、か。はいはい。
とダッシュボードのGPSをつついている。
えっと、六本木、六本木。

どうしたんだ?とトム。
さあ、と肩をすくめる俺。

機内で見た映画のことやら、
明日からの予定のことやら、
会議の要点から、と話しているのだが、
どういう訳だかまったく頭に入ってこない。

火曜日の夜、雨の東京。
12年ぶりか。なんか暗いな、と思う。
首都高の向こうからようやく街の灯りが輝き初め、
嘗て知った東京の風景が目の前に広がり始めたというのに、
心が踊るどころか気分は沈む一方だ。

出張だからだろうか。
ビジネスクラスなんてものに乗ったからだろうか。
あるいは、このトムがこの東京という風景の中にあまりにも異質だからだろうか。

ようやくホテルに着いて、
予想した通りにそれはまるで成金の成金による成金の為のホテル、
全てが過剰で、全てがわざとらしく、全てが他人行儀で、全てが気に入らなかった。

じゃな、明日、8時にここで、とトムと別れ、
ゴロゴロと重い荷物を引きずって部屋に入る。

暗い部屋、灯りを付けぬままたばこを咥え、
17階の窓に広がる東京の夜景を眺めた。

12年ぶりか、と改めてその言葉をかみしめてみる。

驚く程に気分が晴れない。
晴れないどころか、沈み込む一方だ。
そんな自分に苛立ちを感じる。
どうしたんだ、と思う。

12年ぶり、と言っても、前に来た時も、
その前も、忙しくバタバタと親類知人友人を訪ね歩いては、
なんの感慨も持つ間もなく、
感慨をもつどころか、連日連夜の徹夜の大騒ぎで、意識は朦朧、
帰りの飛行機どころか、成田に着くそれ以前からすっかり意識がなくなっていて、
気がついたらタクシーの窓の向こうにマンハッタンの風景が浮かんでいた、
という具合。

という訳で、そう、俺にとって、こうやって一人で東京の街を眺めるのは、
俺が東京を旅立ってから、つまりは、1989年の10月以来。
つまり・・・23年ぶり、というやつなのか・・

あの頃は狂乱バブルの末期症状の時期で、
街中がコムサデモードの黒服でびっしりと埋まり、ジャパン・アズ・ナンバーワンと、
24時間働けますかを合言葉に、東京中それ自体がまるで巨大な生物であるかのように、
ざわざわと蠢きながら発光を続けていた記憶がある。

もちろんその頃には、この六本木ヒルズもグランドハイヤットも、
ジュリアナ東京さえもまだ出現していいなかった頃だ。

ちょっとアメリカに行ってくるぜ、と言う俺に、
ああ、行ってこい行ってこい。
アメリカでわんさかコネクション作って来てくれ。
あと2・3年すればビルのひとつも建ててやるからよ、だから帰った後のことは心配すんな、
と、誰もが口を揃えた。誰もがそんなことを真面目に信じていた、そんな時代だった。
ヤクザがよ、とお互いにお互いを笑い、バブルやくざの根性こそがその頃の俺たちの全てだった。
そして俺も、そんなバブルやくざの根性を背負ったまま日本を後にしたはずだったのだ。

そして23年後。

一応ビジネスクラスだ。そして、グランドハイヤット。
米系企業のエグゼクティブの一人として、吸収合併された日本企業にアメリカ的運営方法を伝授しに来た、
という筋書き。
これは言うなれば、凱旋というやつなのか、とも思うが、
そんな凱旋を祝ってくれる筈が、眼下に広がっている東京からは、なんの息吹も感じてはこない。

東京よ、俺の知らない所でいったい何があったのだ。

バブルの崩壊、
阪神大震災からオームから、
失われた10年から20年から、
そして東北の震災と東電の原発騒動。

という訳で二重幾年の歳月の後、七転八倒の末に帰り着いた東京は、すでにもぬけの殻だったって訳か。

ため息をつく気にもなれずに、暗い部屋の中で闇雲にタバコをふかし、
そしてあらためて、思い切り低い声で呟いた。

この風景だけは、見たくなかった・・・

それが偽らざる23年ぶりの東京への言葉だった。

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BUT NOT FOR ME in TOKYO - 05

Posted by 高見鈴虫 on 03.2012 旅の言葉
あまりのやるせなさに一人で街に出て見ることにしたんだがな。
さしもの六本木と言えども平日の深夜過ぎ、ということもあってか、
閉店したあとのパーティのように、なんとも間の抜けた雰囲気だ。

茶色に髪をした少女たち。ミニスカートから覗く足が驚く程にか細く見える。
元気の良いのは客引きばかりで、それも正体不明の黒人ばかり。

諦めて部屋に戻ったのだが、
思った通りなかなか寝付けなかった。

東京は変わったな。
当然だ、20年ぶりだ。
がしかし、20年ぶり、と考えると、ならばもう少し変わっているべき筈ではないのか、
と思う。

確かに変わった。
外人向けの表示は確かに増えた。
が、肝心の外人が減った。

Welcome!
Bienvenidos!
歡迎光臨
어서 오세요

誰も省みることのない筈なのに念入りに磨き上げられた看板。
それはまるまるで誰もやってこなかった誕生パーティのようだ。

改めて、東京を包むこの静けさはなんだ。
まるで養老院
あるいはサナトリウムのようだ。

東京からニューヨークに来て、
神経症になってしまった犬の気持ちが今になってよくわかる。
この全てが大人し過ぎて物静か過ぎる街からすると
ニューヨークはまるでジャングルのようだろう。

久々の東京でまず面食らったのは、
まさにその静けさ。

東京育ちの犬がニューヨークで神経症になったように、
ニューヨーク育ちのうちの犬が東京に来たら、
やはり欲求不満で神経症になってしまうだろうな。

という訳で、改めて、
果たしてこの静けさはなんだ。

もともとそういう所であったのだろうか?
俺がニューヨークの騒々しさに慣れきりすぎているからだろうか。
いや、違う。
俺の知っている東京はまさに街そのものが生きているように発光を続けていた筈だ。
不況のせいか、あるいは・・・

これは、もしかして、失敗感なのだろうか。
しくじったなあ、しばらくは大人しくしておこう、
という奴、なのか。

静かな理由はその人々の存在感の無さによるものだ。

まるで滑ったライブ。
白けきった観客をステージの上から眺めるように、
客席にもステージにもまるで疎通がなされていない。

そしてこのいらだちはなんだろう。
静か過ぎることに身体が拒絶反応をしめしているのか?

この街に浸るな、と身体が騒いでいる。
侵されるな、この街は毒だぞ、
と身体からびりびりとアラームが上がり続けている。
この街を受け入れれば、ニューヨークに帰れなくなるぞ、
と恐れているのだ。
身体中から肉と骨を溶かしつくし、
血を薄めて乾かしてしまう東京という街の毒素をまざまざと感じる。

だから言ったじゃねえかよ。

俺はここには帰って来たくなかったんだ。

つまり、ここにだけは、
そう、

この東京という街にだけは、帰ってきたくなかった。

なぜなら、

俺はこの街が、世界で一番キライだからだ。

そう、改めて思い出した。

俺が日本に帰らなかった理由。

俺は、日本という国が、嫌いだったからだ。

もしこれが出張でなければ、
できることなら、東京と飛び越えて、

上海でもバンコックでもジャカルタでもカルカッタにでも行っていた方が
精神衛生上にはずっと良かった筈だ。

東京?知ったことかよ。もう構わないでくれ。

そう、つまり、昔の女。過去、ずっとずっと昔に捨ててしまった女。

そしてこの姿。やつれきり、輝きを失ったこのうらぶれた姿。

あまりにもグロすぎるな、と思う。
見たくなかったな、と心から思う。

くそったれ、罠か、と舌打ちをする。

米系だ、給料倍額だ、と調子のいいことばかりぬかしやがって、
結局は俺をこの場所に叩きこむ為の罠だったってことか。

馬鹿野郎、東京なんて、いっそのこと燃えてなくなってしまえばよかったんだ、
とまじめに思っていた。

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BUT NOT FOR ME in TOKYO - 06

Posted by 高見鈴虫 on 05.2012 旅の言葉
ここに来て急速に国際化する日本企業。

まさかそのへんのおっさん連中が、
いきなり会議室に呼び出された挙句、
HELLO EVERYONE
とやられた日には、と20年前なら、考えられない、どころか、
ドッキリカメラのネタにでもされそうなぐらい冗談でしかなかったことが、
日本の企業では実にごく日常的に起こりつつある、起こっている。

俺も確かに、中学高校大学と英語英語と英語ばかりやらされてきたにも関わらず、
いざアメリカ人を相手にしてみると、
そんな日本の英語教育が、
まったく、ぜんぜん、はっきり言って、なんの糞の役にも立たないことに改めて唖然とした訳だが、
ここに来て日本企業、
いきなり外国からの皆様をお迎えするにあたって、
いきなり、そんな現実にぶち当たったまま脳停止状態。

あわわと口を開けたまま途方に暮れるか、
えへへへ、と照れ隠しの笑いを浮かべたまま氷りついているか、
まるで石になったかのように瞳を閉じて動かなくなってしまうか。

そんな中、外人の回りでまるで水を得たなんとかのようにひらひらする人々。

自称、アメリカ通、という訳なのだが、聞いてみるとつまりは留学生崩れ、というやつ。
口先も軽く態度も軽く、存在そのものが恐ろし軽い。
外人を前にむっつり押し黙ったおっさん連中の中で、
この時とばかりのそのはしゃぎぶりが妙に鼻いてしまう。

年齢的には、自分たちに仕事を教え、
育ててくれたであろう中間管理職世代の人々に対し、
露骨な程に己の英語力をひけらかしては、
これみよがしに外人連中に媚を売る態度、
なんとなく、進駐軍に身体を売るパンパンのようだ。

おらおら、おっさんたち、
あんたらの時代は終わったんだよ。
これからは英語の時代だ。
英語が喋れてなんぼ。
新たにやってきたアメリカ人のボスに媚を売れる奴だけが生き残る時代だ。
あんたらのその陰気な仏頂面につきあわされるのはもうゴメンだ。
とっととこの社会から消えてなくなってくれ。

つまり、そんな訳で、
これまで地道に黙々と働き続けてきたお父さんたちが、
いまになっていきなり外人ボスに呼び出され、
英語が喋れないお前らはもう要らない、
これからは、英語の喋れる若い世代がお前らの上司だ、
なんてことになって、
そんなヒラヒラのぱんぱん連中がのさばり始めている、
と、そんな訳なのか。

言っちゃなんだが、もう日本の時代は終わりなんですよ。

シャープを見てください。
パナソニックが、ソニーが、NECが、
嘗て日本の超一流企業がこのザマですよ。

いいですか、いまそんな日本企業の株を、
米英系の会社がどんどん買い占めているです。
そのうちどんどん会社の経営権が奪われて、
日本の企業はどんどん外国企業に買い取られていくことになる、
そうなった時、勝負になるのは英語によるコミュニケーション能力です。
つまり、私のような人材が必要とされるのは時代の必然なんです。

やれやれ、と肩をすくめる。

確かにその通り、
かもしれないが、
いや、その意見が当たっているからこそ、
だからと言ってわざわざそれを口にするのはあまりにも下衆。
腰に日本刀があれば、有無を言わさず、ゴメン、と一言で斬って捨てていたところ。
なんて、思わずジャパネスクしてしまうわけだ。

しかしながら、と改めて思う。

まったく何をやらせても器用にソツなくこなすこの日本人という人種が、
外人が一人入っただけでなにからなにまでがぎくしゃくと不器用この上ない。

日本の国際化、まだまだいろいろ難儀だよな、と改めて思う。

なぜかな、とふと思う。
つまりこれも、日本人特有のバランス感覚の一つなのだろうか、とも思ってみたりもする。

が、しかし、どうも今回、その日本のバランス感覚に狂いが出ている、
としか思えない。

それはつまり、端的に言って、日本社会の土台、
つまりは、終身雇用制の消失によるものだと思う。

それまで日本社会の背骨であった筈の終身雇用を、
これほどあっけなく撤廃してしまって以来、
まさに日本社会はその背骨を失ってしまったのだ、
というのが、米国側の日本識者の人々の意見なのだが、
果たしてその事実、あるいはことの重要性に、
当の日本の人々が気がついているのであろうか。

会社が家族であり、家庭であり、人格の全てであった日本の会社人の、
その鉄のチームワークと蟻の勤勉と不死身の特攻精神のすべては、
つまりは、終身雇用を土台としていた、という事実に気づいているのだろうか。

終身雇用とは、つまりは「お家」制度だったのだ。
これまで、徹底的に宮使えの作法、のような教育しかしてこなかった日本が、
いきなり「お家」取り潰しの上に、黒船は来る、蒙古は襲来する、
というこのご時世をいったいどう対処するつもりなのか。

いいか、日本という国はこれまで、
おめでたくも単一民族国家である、なんてことを学校で教え、
日本語という、世界でも徹底的に訳の判らない難解な言語を操り、
外からの外人は、お客様、としてお迎えする、ぐらいしか接したことがなく、
しかも、学校で英語を教えていた教師は、
誰一人として誰も英米人と会話すらしたことのないインチキ教師で、

そんな馬鹿げた国の唯一の支えであった密室的集団パワーのチームワーク、
その源であった筈のお家制、つまりは、終身雇用の後ろ盾を失ってしまった以上、
雇用、あるいは就労という制度そのものへの信頼がゆらぎつつある、
ということの重大さに気がついているのだろうか。

という訳で、そう、日本に来てからというもの、まったく気分が晴れない訳だ。



東京の人、すっげえ無理してね?

Posted by 高見鈴虫 on 05.2012 旅の言葉
なんか久しぶりに東京に帰ったんだけどさ、
あらためて、東京の人、すっげえ無理してね?

無理して外国の真似して、
無理して仕事して、
無理してめかしこんで、
無理してゆるくしたり、とか。

なんでこんなに無理するのかな、
と、つくづく不思議に思ったわけだ。

そっか、無理するのが嫌な人は、
みんな家から出ないのか。

そう言ってしまうとニューヨークは楽チンだな、と改めて思う。
あんたがあんたでいられるなら
それはそれでいいんじゃない?
っていうのか、
こっちがその気が無ければいくらでも放っておいてくれて、
でも話し相手には事欠かない。
ただ、日本でつるんでいたダチたちのように
すべてをさらけ出して甘え合ってけなしあって支え合って、というわけにはいかないな。

東京の無理さはつまりはその内面甘えと
外面のギャップにあるのかな、
とも思った訳だ。

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BUT NOT FOR ME in TOKYO - 07

Posted by 高見鈴虫 on 06.2012 旅の言葉
という訳で12年ぶりの東京だ。

最初のうちは見るものすべて物珍しく、驚きの連続であったが
三日もしないうちにそれはすでに見飽きた風景。
どれほど珍しくて、
ひとたびでもそれを確認するだけでみるみるうちに学習し、
二度目からはそれがすっかり普通と化してしまう、
この人間というものの学習能力の凄まじさにつくづくと辟易しているうちに、
いつしか東京にもすっかり慣れ切っていた。

という訳で、改めて東京だ。
着いたばかりの頃はあれだけ綺麗に見えていた少女たちも、
いつしかひとりひとりが遊離し個人個人をパーツとしてみてみると、
すっかりアラばかりが見えるようになってくる。
つまり、目が慣れた、ということなのだ。

がしかし、それを差っ引いてみても、可愛い子が増えたのは確かなようだ。

長い足をこれ見よがしに晒したスレンダーな少女たち。
ブスもいるにはいるが、可愛い子は多い。格段に多い。

まさか、適者生存ではないが、
たかだか20年の間に、人種そのものがその流行の美意識に合わせて
体型そのものを変化させ進化させてしまう、なんてことが本当にあり得るのか、
と改めて思う。

まあ確かに、椅子の暮らしが多くなり、正座がなくなり、
食生活もご飯に味噌汁からグラタンにピザに代わり、
とまあそういう理由もあるのだろうが、
しかしだ、それにしても、この足の長さ、ちょっと異様に思えるほどだ。

がしかし、取り敢えずのところ、
街の女が美しいっていうのは良いことだ。

例えそれが、俺には全く関係のないものであったとしてもだ。

BUT NOT FOR ME を改めて口ずさんで見る。


という訳で、改めて見回す東京。

確かにな、
こうして見ると、まあ、女が綺麗になった、というだけでも、
日本は良くなった、ってことなんだろうな、と思い返してみる。


それは、過去の制服ファッションのように
単一化没個性化したマス的流行への盲従から、
自身の体系、個性を冷静に分析判断した上で、
良いところを強調し、悪いところを隠し、あるいはそれを長所に変じ、と、
つまりはある意味まっとうな自愛的個性尊重主義が十分に浸透した結果だろう。

という訳で、この見知らぬ故郷、

そう、悪いことなんてなにもないじゃないか、とも思う。

街が清潔であることも、
柄の悪い連中が姿を消しても、
人々の営業用の笑顔が完璧で、
少年達がお肌に気を使い、
ちょっとは身なりに気を使い、
人々が酒やタバコを控え、
ゴミを区分し、
コンパ帰りの学生が通りをブロックすることもなく
酔っ払いのサラリーマンが駅のホームでゲロを撒き散らすこともなくなり、
地下鉄同士が縦横無尽につながり合って地方までの乗車時間が大幅に短縮され、
美味しいものが安く手に入るようになり、
それは実にとても良いことなのだ。

終身雇用がなくなっって雇用が不安定になった代わりに、
上下関係も横並び人事も無益な教育的指導も、
その他、高度成長時代の負の産物もいつしかなりをひそめていた訳だろう。


性が開放されて割と気軽に安価でセックスが手に入るため、
逆にセックスへの熱情さえ薄れた末に、
そこには男たち、そしてたぶん女たちにとっても、
その行動原理の全てのエネルギーの源泉であった性への瞳孔も熱情も、
悲喜劇さえもなくなった。

がしかし、
それによって得たものは、
坊主のような聖霊さ、
つまりは静けさと穏やかさ、
であったのかもしれない。
拝金にさえ倦んだ日本は
もう何も欲してはいない。
日本を包んでいたのは、
何も欲していないものの
静けさなのだ。

これはすべてとてもよいことだ。

という訳でいつのまにか、
俺もこの静かな大都会に身体が馴染んできた。

というわけで、そう、その静かな都会に生きる人々を、
ちょっと真似てみることにする。

瞳を半ば閉じ気味に
ちょっと眠たそうな顔をしながら、苛立ちを胸の奥深くに封じ込め、
急がず騒がずがっつかず、
と思っていたら、
いつしかブッダ、つまりは地蔵か大仏のような顔になっていた。

ぷぷぷ、この顔、ニューヨークの奴らが見たらどう言うだろう、
と、思わず、自画撮り写真をパシャリ。

東京は減点法の街だ

Posted by 高見鈴虫 on 06.2012 旅の言葉
あらためて、東京は減点法の街だ。

都会という檻の中に網の目のように張り巡らされた常識と呼ばれる罠。
この街の心は閉じたままだ。
来る人をジャッジしようとする目に溢れている。
ニューヨークのあのオープンさ、
常識はずれの人間をむしろ楽しもうとするあの大らかさを
なぜ東京は持ち得なかったのか、と改めて考えてみる。
国民性、というやつか。
あるいは・・

東京で息が詰まり始めた。
ますますこの街がキライになり始めている。

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益子 悲しすぎる青空

Posted by 高見鈴虫 on 07.2012 旅の言葉
日本出張中の合間、
益子という村を訪れた。

そこには完璧な青空があり、
完璧な山々と、川と静寂があった。

風のそよぎも子供たちの歓声も犬の吠え声さえも、どこか遠くから聞こえてくるようだ。

こんな街で、
テレビを消してインターネットもメールも電話さえも捨て去ってしまって、
テニスとドラムと陶芸と読書と犬の散歩ばかりして暮らしてしまうってのも手なのかな、
とも思って見たのだが。

今となってはそれも絵空事

忘れてしまうのは勝手だが、
今こうしいるその時にも
目に見えず匂いもしない放射能の粒子が
さらさらと風に舞い陽光にまざり
降り注いでいるわけだ。

悲し過ぎるな。
帰る所などもうどこにもない、
という気にさせられた。

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BUT NOT FOR ME in TOKYO - 08

Posted by 高見鈴虫 on 07.2012 旅の言葉
東京はキレイだ。
あんまりキレイすぎて、
そこに人々がいた痕跡も
すっかりと拭い去ってしまう。

東京のキレイさは、
そこに人間を必要としていないのだ。

つまり東京のキレイさは
過ぎ去って行く者へのキレイさ。
それはまるで空港のキレイさ。
キレイ=清潔ではあるが、
綺麗=美しくはない。
あるいは、愛しくない、ということか。

あどけない仕草を装いながら、
ぞっとするほどに底意地の悪そうな少女たち。
あまりに念入りに磨きあげられすぎて、
人形にように誰に抱かれても、
素知らぬ顔で目をパチクリさせているか、
あまりにもったいぶりすぎて、
誰の手にも触らせることなく
老いさらばえてしまった意地悪なハイミスか。

言葉を忘れた街はどこまで行っても空虚だった。

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BUT NOT FOR ME in TOKYO - 09

Posted by 高見鈴虫 on 08.2012 旅の言葉
日本に来てからというもの、
まったくろくに寝ていないいない。

前に来た時もその前もその前の前もそうだった。

日本に来るといつも決まって、そして徹底的に寝れない。
そしていま、
こうしている今も、
地下鉄の中でいつしか目が寄り始め、意識がすっと遠のいて行く。
と思っていたら、ついたよ、六本木。

なんて感じで、仕事もそっちのけで、
夜な夜な東京の街を徘徊していたのだが、

改めて思うに、
東京の人々は歩くのが遅くなったな。
まるで急ぐことをバカにしているようにも見える。

おっと、地下鉄来てる、ってな時にも、
誰も急がず、階段を駆け下りる姿もなく、
なんて、なんとなく不自然にも思うのだが、
もしかしてそれって、
お作法上、はしたない行い、ってことになっちゃうわけだったりするのかな。

確かに、改めて周りのアメリカ人を見ると、
ああ、この人達は遅れている、というよりも、
後進国の人なんだな、という事実にあからさまに気付かされる。

それはまさに、
ニューヨークにおいて、ロンドンからやって来た奴に会うと、
まったく同じ感想があるわけなのだが、
つまり、ロンドンから来た奴と、ニューヨークのアメリカ人を並べて見ると、
アメリカ人の野獣性、というか、その垢抜けなさが異様に後進国性として目に映るわけで、

つまりそれは、中国、あるいは韓国の人と、日本人を並べてみてもその通り。

まあ良い意味でも悪い意味でも日本人は洗練されている訳で、
そう思うと、この俺自身の姿を省みるのが怖くなってきたりもするのだが。

という訳で、この仕事、まあおいそれとはいかないだろうな、とは思う。
が、しかし、
そんな実はしっかりと先進人、つまり優越民族である日本人が、
アメリカ流のシステムのその本筋に気づいたが最後、
徹底的に、そしてより洗練した形でそれを実行する事になるだろう。

あのなあ、アメ公、あのスキニーたち、なんて馬鹿にしていると、
あっという間にケツの毛抜かれるぞ、とは思っているのだが、
そうやってまんまとケツの毛抜かれるアメリカ人ってのも、
まるでくまのプーさんみたいで可愛げがあったりもするわけなんだがな。

という訳である意味、俺の中でもなんとなくバランスが取れてきたような気がしている。

つまり、
馬鹿だが気の良いアメリカ人、と、
頭脳明晰だが実行力を伴わない日本人。

日本人同士で煮詰まった足の引っ張り合い、つまりいじめを繰り返すよりは、
馬鹿なアメリカ人のボスに、困った奴らだ、と溜息をつきながらも、
せっせと実務をこなして行く、
って図式がなんとなくバランスがとれている気がするのだが。

という訳で日本人、

改めてだが、こいつらは、
良い意味でも悪い意味でもセンチメンタル過ぎるんだよ。

まあ、モノノアワレ、ではないが、感性豊かっても良いが、
それは実は、感傷に過ぎないってことをちゃんと認識すべきだ。

つまりだ、端的に言って、

地震はすでに起こってしまった訳だ。
いくら、ああ、地震など起きなければ良かったのに、
と思ってみても、現実的に地震が起こった、という事実は変えようがないわけだ。
そんな状態で、
地震が起こってしまったことについてうだうだ愚痴や悲嘆を口にしてもなにも変わらない。
と、同時に、
地震がなかったことにする、つまり、地震の前の状態に戻ろうとすることも、もうできない訳だよ。

同じように、
理由はどうあれ、すでに現実問題として放射能は降り注いでしまった訳で、
それを、もしかして放射能は降らなかったんじゃないか?という状態、
つまり、放射能なんて大した被害はない、筈、なんてことをいくら言っても仕方がない訳だ。
それはまさしく、放射能をなかったことにするための口実。
放射能の被害のあった人たちがかわいそうだから、
どうせなら放射能がなかったってことにしちゃいませんか、
そう思い込むことにしちゃいませんか?
なんていうのも、イジケた現実逃避以外のなにものでもない。

まずは現実を認めることだ。
認めるためには現実を認識することが必要だが、
現実を認識する上では、なるべくドライに、つまり、感傷や希望的な推測を排除し、
現実を現実として認める勇気が必要なわけでさ。

中国が憎たらしいだ、アメリカがうざい、というのは判るが、
憎たらしい、は感情、うざい、は感想、であって、つまりは感傷に過ぎない。
現実的には、中国もアメリカも、国力としては日本を遥かに凌駕する力を持っている訳だ。
そういう国に対して、どれだけ感傷で物を言ってもなにも始まらない。
そういう、感情論、つまりは、感傷論は時としてとても耳障りが良い訳だが、
それはただたんに罠だ、という現実をしっかり認めるべきだ。
罠に落ちれば破綻する。
破綻をしたらどうなるのか、という現実をしっかりとシュミレーションしてみればよい。
誰もが、感情論はさしおいても、現実はそれほど簡単にはいかないだろう、と察しがつく筈だ。

過去の例を挙げるまでもなく、
例えば、鬼畜米英、と言ってみるのはいいが、
果たして、米英は本当に鬼畜だったのか、
は、いいとしても、
果たしてそういう鬼畜生が、実は日本よりもずっと国力が上であり、
そういう先進人である鬼畜たちに、
技術力で、資本で、人力でも、国力でも負けている日本が、
いったいどうすれば良いのか、
どうしたいのか、なにが欲しいのか、を果たして現実問題として知っていたのだろうか
欲しがりません勝つまでは、と歌いながら、
なら勝つためには実質的にどうすればよいのか、
と同時に、どういう状態を勝ったことにするのか、つまりはゴールな訳だが、
それを考えて喧嘩をしたのだろうか?

情報収集能力、と言うよりも、現実的な考えがすぐに感傷論に押し流されてしまうのは、
つまりそれは耳障りが良く、そして楽だからだ。

終身雇用がなくなってしまったことが、いったいなにを意味するのか、
終身雇用の有る無しでいったいなにがどう違うのか。
終身雇用がなくなったいま、企業は、社員は、いったいなにをすれば良いのか、
冷静によく考えてみるべきだろう?
さもなくば、また闇雲に、いや、昔はこういうやり方でやっていた、
だの、もともとそういう物だったから、やら、そういうしきたりで、やら、
と、聞いた風なことを言い出す奴が出るが、
そう言っている奴が終身雇用がない、という現実が判っていないならまだ可愛いが、
終身雇用という保険のないこの時代に、
終身雇用時代の盲従的な従属を求めることがいったいなにを意味するのか、
よく考えたほうが良い、ということだ。

原爆が落ちて、東京が焼け野原になり、無条件降伏に調印したように、
バブルは終わり、終身雇用がなくなり、地震が起きて放射能が降り注いでしまった、
という現実がいままさに目の前にあるわけだ。
そのという現実をまずはよく見極めることがだろうが、と。

という訳で、そう、この国の精神的土壌というは、つまりはセンチメンタリズムなのだよ。

武士道さえもがそれだ。死ぬことと見つけたり、アホか、と言いたい。

食わねど高楊枝、は勝手だが、それは勝手にやっていればいいだけの話。
それは感傷であって現実にあらず。
現実とは食わねば餓死する、まずは食う、そして食えるようになるにはどうすれば良いのか、
考えて実行に移す、ということを弁えるべきなのじゃないのかな。

日本を出てから、まずは生き延びること、と唱え続けてきた俺は、
そんな日本の感傷が、愛しくもあったのだが、
さあ、それをアメリカ人に説明しろ、と言われた時点で徹底的に冷めてしまった訳だ。

という訳で、友達にだけは本当のことを言った。

日本はもう終わりだろうが感傷に浸っている場合じゃない。
この国が遅かれ早かれ終わる、ということを前提にガキを育てろ。
いますぐにでも英語をやらせろ。
女の子はピアノと水泳とバレーを。男の子には空手とテニスとサッカーを。
いますぐにでもIPADをそれぞれに買い与えろ。
つまりは、国に頼らずに世界中どこにいっても一人で食っていける技術を与えておけ、
ということだ。
一人で食ってける技術のない奴の負け犬の感傷論に巻き込まれないために、
なるべく早めに海外に留学させろ。
世界で一人でやっていく、ということがどういうことか、早いうちから叩きこめ。
生き抜く方法はそれしかないぞ。

なんてことを言いながら、
いざ一人になると、なんとなくそういうことがすべてかったるくなってきている自分に気づいた。

そう、ここに入れば、そんな苦労は必要ないわけだろう、という甘い幻想をそのまま信じてしまいたくなるわけだ。

東京のその緩さが、だんだん楽ちんになってきたわけだ。

やれやれ、ニューヨークに戻ってからが思いやられるな、と今から思い始めている。

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BUT NOT FOR ME in TOKYO - 10

Posted by 高見鈴虫 on 09.2012 旅の言葉
友よそろそろゆかねばならぬ
もうあえぬかもしれぬが
それもうんめいだ
われわれは萎えてか弱く声も小さいが
それは
能ある鷹が爪を隠しているまでのこと
悪い風が過ぎるのを待っているだけのこと
チャンスは寝て待ての言葉通りに。
日本は大丈夫だ
きっと大丈夫だ

あらためて、日本はいい国だったなあ。
つまり、
日本もゲストで来ていれば、最高なんだけどなあ、
という事か。
なんて馬鹿なことにみすみす騙されては行けない。

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帰り着くと、ニューヨークはすでに秋だった

Posted by 高見鈴虫 on 10.2012 ニューヨーク徒然
長い出張から帰ると、
ニューヨークは既に秋だった。

薄手のハーフコートに、
枯葉色のマフラーを巻いた人々。
どこからか流れてくる心地良いジャズ。
華やいだアッパーウエストサイドを抜けて
セントラルパークに向かう。

夏の酷暑からすっかり立ち直った
青い芝生のカーペットに寝転び、
ちょっと肌寒い風の中で犬とボール遊び。

やっと帰って来た、と改めてため息をつく。
そのまま身体が風の中に溶けだしてしまいそうなぐらいの
圧倒的な安心感。
いやあ、帰って来たな。
この瞬間をどれほど待ちわびていたことか。

この街のことならなんでも知っている。
何が良くて何が悪いか。
何がクールで何がみっともなくて、
何がGOODで何がNGか。

犬の奴はそんな俺の感慨も素知らぬ顔。
そうだよな、お前はずっとここにいたんだものな。
お前のほうがずっとこの街に馴染んでいる。
羨ましい話だ。

改めて思う。
ニューヨークのその特異性は、
一人であることの心地よさだ。

この街の基本は孤独だ。

誰もがこの街に一人で辿り着き、
そして自分の意志でこの街に残ることを決めた。
一人で仕事を探し、一人で生活を育み、
そんな一人で暮らす人々が、
互いの孤独を癒すために支え会い慰め会い、
そして再び一人に戻っていく。

そんな孤独な人々がすれ違い、
やあ、元気かい?とほほ笑み合う。

やあ、すっかり涼しくなったね。
実は俺、今朝、東京から帰ってきたばかりなんだ。
おお、それはお疲れ様。で、どうだった?
まあね、いろいろさ。ただね、一つ言えることは、この街が世界で一番ってことだね。
ははは、それはそれは。
ニューヨークが一番だよ。良い所も悪い所もあるけどさ。でもこの街が一番だ。
ああ、普段は俺もうんざりしているが、外から帰るたびに確かにそう思うな。
じゃあ。
ああ、しっかり休めよ。ニューヨークがタフな街だってことを忘れるな。

見ず知らずの人々同士が、午後のセントラルパークですれ違って、
そんな会話を交わしてはさらりと別れる。

そしてまたひとり。

秋の風に揺れる街路樹を見上げながら、
ああ、空気が乾いているな、と改めて思う。
街角に流れるジャズとタクシーのクラクションと交差点を行き交う人々。

ニューヨーク、俺の街だ。

もうどこにも行きたくない、とつくづく思っている。

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日本の匂いはどんな味?

Posted by 高見鈴虫 on 10.2012 犬の事情
日本への出張から帰った途端、
抱きつかれたまま30分も顔中を舐められた。
よほど物珍しい匂いがしたのか。

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大人の語る怖い話 その壱

Posted by 高見鈴虫 on 10.2012 大人の語る怖い話   0 comments   0 trackback
俺はすでに大人である。

大人である以上、暗闇を怖れたりはしない。

大人である分、長く生きている以上は
それなりにいろいろな経験もしてきた訳で、
子供騙しの怖い話どころか
本気で死にかけたり殺されかけたり
あるいは本気で人を殺そうと思ったり
つまりはその辺りの下手はお化けの話なんかよりは、
よっぽど怖い思いをしてきている訳である。


あるいは、
ともすると、
もしもこの世に神やら仏やら怨霊なんてものが実在すれば
それこそなんど祟り殺されても足りないいような大悪党が、
平気な顔をしてこの世の春を凌駕している様を何度も目にしてきている訳で、
もしもそんなお化け話なんてものが
実在してくれるならこんなに悪党ばかりが幅をきかせることもなかっただろうに、
などと考えてしまったりもする訳だ。

まあそういうことを承知したうえでも
なんだかあまりすっきりしないことと言うのはあったりするものだ。

迷信でも都市伝説でもない
本当にあったちょっと妙な話ってやつを
覚えている限りメモってみようと思う。

そのうちどこかの賢者が謎解きをしてくれるか
あるいはなにかの寓話にでもなれば良いと思う。

では

東京を覆っていたあの匂い

Posted by 高見鈴虫 on 11.2012 旅の言葉
東京を覆っていたあの匂いは何だったのだろう。
鉛筆の芯と甘ったるいクリームの匂い。
羽田空港を降りた所から、ホテルのロビーから部屋の中から、
タクシーの座席から地下鉄のプラットフォームから、
どこに行ってもあの匂いがついて来た。
且つて知った下水の匂いともションベン横丁の匂いとも違う。
どこかきな臭くいやったらしい甘みを帯びた匂い
もしかして例の放射能か、とも思うのだが
定かではない。
それだけは東京の人に聞いてもわからないだろう。
東京は臭かった、とそれだけは言っておく。

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もう一度 日本人 してみませんか

Posted by 高見鈴虫 on 13.2012 旅の言葉
もう一度
日本人
してみませんか


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もう誰もどこにも行きたがっていないのかもしれない

Posted by 高見鈴虫 on 13.2012 旅の言葉
奴は正しい。
もう誰もどこにも行きたがっていないのかもしれない。

インターネットが世界をつなぎ、
家で回線につなぐだけで、
情報も物も友達も手に入る。

自分に必要なものだけ手に入れて、
そこにハプニングを期待しないのであれば、
旅はただの徒労。
時間と労力の無駄だ、
ということなのか。

確かにそういう奴は昔からもいたのだが、
そういう奴が増えた、ということなのだろう。

改めて言うが、それは違うぞ。

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もうはっきりいってな 外国にも外人にもうんざりなんや

Posted by 高見鈴虫 on 13.2012 旅の言葉
もうはっきりいってな
外国にも外人にもうんざりなんや
英語もフランス語も知ったことかい。
もうこのまま鎖国してもうてもええと思ってんのや
日本だけで十分
下手すると日本人もいらんかもしらん
海ち山と川だけ
そのまま素のままの日本とな
あとは本があれば十分や
ってことやな。

21世紀を生きていく上で、とても大切なこと

Posted by 高見鈴虫 on 13.2012 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
この21世紀において、
システムに従順であることは
ますます重要な能力のひとつになりつつある。

いまや、システム、つまりは命令にに盲従できる、
という能力は、社会生活、つまりは、仕事をする上で
必要不可欠な条件である。

与えられた指名に、
なぜ、と問うてはいけない。
そして、だから、で?
すべて許されない。
それを問うても辛くなるばかりだ。
答えはない。
いくら、誰にそれを問うても、
答えられることもない。

君には判らないことがたくさんある。
そしては、それは、判らなくてもいいんだ。
それが得られる唯一の答えだ。

例えば君が誰もいな場所に連れてこられて、
ここで立っているように、と告げられる。
いつまで?と問うてはいけない。
なぜ?と問うてはいけない。
ここに立って、なにをするべきなのか、と問うてもいけない。
ましてや、なんのために?などと問うてはそれこそ大変なことになる。

ここに立っていろ、と告げられた以上、
君はここに立っている、ことが仕事であり、
それ以上でもそれ以下でもない。
ただここに立っている。
来る日も来る日も。
なにをするでもなく、ただ、立っている。

通りかかった誰かが聞くかもしれない。
こんなところでなにをしているの?
いつまでここにいつつもり?
退屈じゃない?お腹減らない?トイレはどうしているの?
そんな問いに答えてはいけない。

君はそこに立っているべきなのだ。
通行人と会話をしてはいけない、とも、会話をしてもいい、とも言われていない以上、
会話をしないに越したことはない。

そしていつか、君の上司が訪ねてくる。

立っていたか?
はい、と答える。
なにか余計なことをしたか?
いいえ、と答える。
ただここに立っていたのか?
はい、と答える。それが命令でしたので。

お前は、馬鹿か!
と言われるかもしれない。
なんでバカみたいにここに立っていたのだ。
自分の仕事を考えてみろ。
立っている以上、周りを観察し、異常な動きがなかったのか、
通行人の、住民の態度、音、いろいろな情報を集め、
集めた情報に基づき、なにを行動を起こすべきだろう。

お前には想像力やら思考能力というものがないのか?
判った。お前はもうずっとここで立っていろ。
もうなにも君には期待しない。
と、言われるかもしれない。
ずっとだ、永遠にここに立っていろ。
そして少しは頭を冷やせ。

これはしかし、昭和までの日本のやり方であった筈だ。
周りを観察し、自分で考え、自分の道を見つける、
それが仕事の第一歩であったはずだ。

が、しかし、21世紀は違う。

この場合、君に予めちゃんとした仕事の内容について説明しなかった
上司の落ち度となるはずなのだ。

が、しかし、21世紀においては、
それさえも君にとってはどうでもよい問題なのかもしれない。

少なくともここに立っていれば今の給料は貰える。
出世もしないし昇給もないかもしれないが、
とりあえずいまの暮らしは維持できる。

そう考えて、来る日も来る日もそこに立っていることに越したことはない。

楽な仕事が見つかった。とてもラッキーだ、と考えるべきなのだ。

つまり21世紀における正解はこれだ。

仕事に仕事以上のもの、つまりやりがいや目的や自分らしさを求めてはいけない。

つまり、
なにもせずにずっとそこに立っていた君を、
上司は、非常に評価するべきなのだ。

よくやった。君は服従試験にパスした。
やれ、と言われたことをなにも考えずにやり続けるというのは辛いことだ。
誰にでもできるものではない。
君は命令に従順だ。
命令に盲従できる、というのは、一つの大きな適正だ。
君は合格した。

そう言って大いに評価されるべきだ。

その後、命令に盲従できる君の能力を信頼した上司は、
君にもっと大きな責任あるポジションを用意してくれるかもしれない。
が、
基本的にはなにも変わらない。
やれ、と言われたことを、なにも考えずにやり続けること。
たとえそれがなんの仕事であれ、
君に求められるのはその命令に盲従できる能力なのだ。

そこに立っていろと言われればなにもせずにただ立っていることのできる能力、
つまりはそれだ。

21世紀、システムがより巨大化し、複雑化し、
誰にもその意思が伝わらず、すべての仕事が極度に分業化されてしまった以上、
人々に求められるのは、
つまりは、システムに盲従できる能力、なのである。

そこには余計な思考も気配りも憶測も求められてはいない。

立っていろ、と言われた以上は、ずっと立っていなくてはいけない。
こんなことがなんのためになるのか、などとは一切考えてはいけない。
つまりはそれが、仕事、ということなのだ。
この時代において、思考や考察や推理は一切が二の次なのだ。

まずはシステムに盲従できること、それこそが第一条件なのである。

辛い時代になったな、と思うかい?
いや、違う。
とても判り安く、楽な時代になった、と言うべきだろう。

立っていろと言われたらいつまででも立っていられる能力。

21世紀を生きていく上で、とても大切なことなのでは、と思った訳だ。

日米文化の根本的な違いにいまだに気づかないやつがいるとは驚かされる

Posted by 高見鈴虫 on 13.2012 アメリカ爺時事
日本人は、
もしそれがなかったとすれば、
工夫してなにかで代用をする。

アメリカ人はもしそれがなければ、
それを作る。

ディナーテーブルを見れば一目瞭然。

サラダ用のフォーク。
肉きり用のナイフ、
デザート用からなにから、
ずらりと並んだ、
いったい何のために使うか判らないフォークとナイフを、
次から次へととっかえひっかえ。

日本の食卓には、箸が一揃え。

肉が堅くて切れないのならば、
切れるナイフ=道具を作るのがアメリカ人。
箸でも千切れる肉を作ってしまうのが日本人。

食いきれない飯を豪勢に残してしまうのがアメリカの美学。
茶碗にこびりついたご飯の最後の一粒まで食べるのが日本の美学。

日本人はマルチタスクで
アメリカ人がシングルタスクなのは、
なにも宗教によるものだけとも限らない

限られた国土の中で、
物を大切に使い、使い切り、
人を大切に育て、育て切り、
少ない人材をフルに活用し、
なんでもできる何でも屋に育て上げていくのが日本。

広い国土を渡り歩きながら、焼畑農業を繰り返し、
食い尽くしたらまた次の場所。
労力は海外からの奴隷をとっかえひっかえ使い潰し、
潰れたらまた次を買う。

つまり、使い捨て国家アメリカ、
と、リサイクル国家日本、なわけだ。

これだけ民族性の違う人々に、
そのやり方を強要するなど土台無理な話。

そんなことをいまだに判らないやつがいる、
ということ自体、驚きだ。

その間にあるものを、なぜ誰もまじめに探そうとしないのか。

理由は、と言えば、
アメリカ人には、アレンジの概念がないから、だな。

つまり、日本人の思考回路を理解できない、からだ。

それだったら、最初から作ってしまえ、になるわけだ。

ダイナミックというか、大味、というか。

まあそういう人種も必要ではあるのだが、
わざわざそんな馬鹿のやることに、いちいち調子を合わせる必要もない、
と思っている。






ニューヨーカーとは、つまりは、ニューヨークに帰って来る人のことを言う。

Posted by 高見鈴虫 on 14.2012 ニューヨーク徒然
ニューヨークに帰って来て、
あらためて思うことは、
この街が世界で一番居心地がいい、という事実だ。

ニューヨークが世界一だ、もうどこにも行きたくない、
と心底思う。
ニューヨークに帰り着いたニューヨーカーがまず第一に思うことは、実にそれ。

そう思った時に、自身が紛れもないニューヨーカーであることを思い知る訳だ。

ニューヨーカーにとって、ニューヨークは訪れず場所でも、
やってくる場所でも、ハメを外して大騒ぎする場所でもない。
ニューヨーカーにとってニューヨークは実に、帰ってくるべき場所、それ以上でも以下でもない。

という訳で、ニューヨークだ。

この街を出た時には、半袖に短パンにサンダルだった筈が、
慌ててクローゼットからダウンジャケットを探す始末。

まあいい。
とりあえずはニューヨークについた。俺の街だ。

帰って来たぞ、ニューヨーク、
くそったれ、もうどこにも行かねえぞ、と心底思っている。

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スバロピザの敗北

Posted by 高見鈴虫 on 15.2012 旅の言葉
東京では
やはりスバロピザはダメだったそうだ。

ニューヨークの街中ではあれだけ美味しかったはずが
東京ではなんだこれまずっ! 大味!
であったあらしい。

つまり、
モスバーガーも、ニューヨークの街頭に混ざれば、
なんかこのバーガー、味がないね、
で終わってしまうのかもしれない。

やっぱり机上だけではなにも判らない。

その場所でその場所の味を楽しむ、ことこそが珠玉なのだ。

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BUT NOT FOR ME in TOKYO - 11

Posted by 高見鈴虫 on 15.2012 旅の言葉
そしてニューヨークだ。
地下鉄の中の疲れ切った人々の表情。
あいも変わらずか。
東京までわずか14時間。
そのうちのほとんどの時間は寝ているわけで
つまりは映画の1、2本を観ていれば辿り着いてしまうあの不可思議な街。
もはや忘れかけているあの風景が
ニューヨークの地下鉄の中でオーバーラップを繰り返す。
帰ってくるべきだったのだろうか。
まだあの街の人々は
耳障りな甲高い幼稚声のテクノビートに煽られながら疲れ切って足を引きずるように
あの交差点で交錯しているのか。
それにしても
未だに鼻の中にこびりついて離れないあの東京の匂い。
きな臭く甘ったるく生臭く、
あの胸のムカつくいやらしい匂い。
そんな匂いを思い出しながら、ふと目をあげると、いきなり目の前にあの東京の風景が広がっているようで、
まだまだジェットラグの霧の中を彷徨っているきがする。
早く家に帰って、そしてシャワーを浴びよう。
一度でも二度でも、この東京の匂いが消えるまでは。

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今度ばかりは思い切り自分を甘やかしたい

Posted by 高見鈴虫 on 16.2012 ニューヨーク徒然
長い出張から帰った週末。
今度ばかりは思い切り自分を甘やかしたい。
辛い旅だった。
繰り返される会議の中で
これでもかとばかりに
ハムとチーズとステーキとパスタばかり喰わされて、体重が10パウンドも増えた。
ストレスで髪はごっそりと抜け落ち、
運動不足で浮腫んだ足を靴に突っ込むのが至難の技。
英語と日本語が完全にチャンポンで、
スペイン語と中国語がどろどろに混ぜ合わされて、
自分が一体何語を喋っているのかさえわからなくなっていた。
というわけでこの週末だ。
かくなる上は
もう徹底的に発芽玄米ばかり食ってやる。
野菜と魚と味噌汁と納豆とお新香と海苔とそれだけで充分だ。
肉と油物と化学調味料だけは見たくもない。
くっそお、もう片っ端から徹底的に
健康食ばかりを食ってやるぞ。
日本語洋書、片っ端から本を読んで、
誰に何語で話しかけられても絶対に返事などするものか。
こうなったらしばらくは坊主のように過ごしてやる。
どうだ参ったか。

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日本を侵略から救ったのはまさに「芸者」なのだ

Posted by 高見鈴虫 on 18.2012 旅の言葉
今回同行したトムは、
アメリカの田舎者の典型で、
自分の育った田舎町にないものは一切受け付けず、
それが見つからないと
徹底的にバカにした態度をとるという絵に書いたような赤首のステレオタイプ。
寿司にも天ぷらにも大戸屋にもコンビニのスナックにも自販機のドリンクにも一切興味を示さず、
コーラとバーガーキングとドリートスばかり食っていたのだが、
今回、日本側業者からの日本的接待において、
キャバクラだかピンサロだかでちょっとちやほやされた途端、
なんと帰りの機内食で和食をリクエストしていた。
女ってやっぱり凄いんだな、と思い知った気分だ。

日本を侵略から救ったのはまさに「芸者」なのだ。

女の凄みを思い知ったという次第。

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日米文化の差?笑わせるな。それはただたんに、田舎者と都会人の差、に過ぎない。

Posted by 高見鈴虫 on 20.2012 アメリカ爺時事
改めて思ったのは、
世界とアメリカの田舎者との、
あまりに大きなギャップである。

それは、日本語と英語の言語の壁、や、
ニューヨークと東京の違い、
など、まったくお話にならないぐらいに、

まったくアメリカの田舎者たちの狭心さには、
恐ろしいものがある、と思った次第だ。

それは彼らが勘違いしているような、
日本とアメリカの文化の差、
などでは断じて無い。

ただ単に、
田舎者と都会人の差、それだけである。

生まれ育った街から一歩も外に出たことのないまま、
またいつものキリスト教的独善の檻の中で勝手に自己完結してしまった不幸な赤首が、
ニューヨークにさえ受け入れられないまま、
いきなり東京にやってきたらどういうことになるか。

という訳でご想像通り、
彼らは、東京において、何人ひとつ自分自身の目で見ることはなく、
見てもそれがなにを意味するかまったく判らず、
判ったつもりになっているのは、ただたんにその恐ろしいぐらいの浅知恵に基づく、
一元的な視点で勝手に結論づけてしまうために、
なにからなにまでが勘違いばかり。

そんな風なわけなので、
実のところ、彼らは東京滞在中、
東京における唯一の外人保留地、
つまりは六本木ヒルズ近辺から、
いや、たぶん、ホテルの部屋から一歩もたりとも、
外に出ることはなかった訳なのだが、

これも予想した通り、
そんな田舎者たちはアメリカの田舎に帰ってから、
なあに、TOKYOなど大したことはなかった、
やら、日本人は英語が喋れずに馬鹿だ、
やらと触れ回っているらしいぜ、
と、同じ時期に東京に出張していた別セクションの者から聞いた。

ニューヨークオフィスからやってきた彼らは、
我チーム、つまりは、赤首班との接触を極力避け、
別のホテルに泊り、毎日地下鉄で通勤し、
大戸屋で飯を食って、コンビニで買い物をして、
居酒屋でチューハイを飲み、とやっていたらしい。

いやあ、はたから見ていてお前があんまりかわいそうなので、
救い出しに行ったのだが、あの赤首軍団から、NO,彼は今晩も予定がある、
って断られたよ。
おかわいそうに、という訳だ。

つまりは、まあ、そういうことだ。

日米のギャップ?ふざけるな。

それはただたんに、バカと利口、ではないが、

つまりは、赤首と普通の人、との差に過ぎない、と改めて言っておく。

正直言って、もうアメリカの赤首とともに行動するのはご勘弁、という気になっている。



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東京は世界で一番だよ、がはははは、 と言っている奴が日本にいるのだろうか

Posted by 高見鈴虫 on 21.2012 ニューヨーク徒然
いやあ、なんだかんだ言っても、
ニューヨークが一番だよ、
と誰彼となく言っている訳だが、
果たして、
東京は世界で一番だよ、がはははは、
と言っている奴が、日本にいるのだろうか、
とふと思った。

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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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