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「いけ面であることはもはや死活問題」

Posted by 高見鈴虫 on 24.2013 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
ボストンの爆弾犯の生き残りの19歳は公開された写真が可愛かったことから
女性を中心に同情票が集まりそうだなとは思っていた。

で案の定、彼の写真が公開されるやいなや、悪いのはあの兄貴のせいでという大方の見方。

女性の社会進出の結果、女性の裁判官なんてのが出てきたとしたら、
このボストン・ボンバー、確実に免罪されていただろうな、と思うわけだ。

という訳で、
やはりいけ面は得というよりもこうなるとまさに死活問題だな。
いけ面であったがために同情票が集まって刑が減刑されたりでもしたら
もはやいけ面は司法をも超越する訳だ。

と言う訳で我が身を振り返ってみる。

もし俺の写真が公開されるとなれば、と改めて考えるに、
そうなればまさにこないだのバンド騒動の際にいやいや撮らされた上に、
これでもか、と嫌味なぐらいにまでPHOTOSHOPされた
あの最悪のピンナップ写真、それであろう。

本人の希望はさておき、
少なくとも寝起きのこの顔の写真よりは、やはり化粧でもPHOTOSHOP加工でもなんでも、
化体裁を繕った写真のほうが良いに決まっている。

つまり、偽物はやはりあなどれないなと思い知った訳だ。

と言う訳でPHOTOSHOPである。

誰だって汚いよりは綺麗なほうがよい。

女性が化粧した顔をオフィシャルな真顔として通している以上、
PHOTOSHOPで多少の修正を加えるぐらいがなんだという気になる。

FACEBOOKやらLINKEDINのプロファイル写真から始まって
履歴書の写真からなにから、とりあえずPHOTOSHOPするに越したことはない。

この表層の時代だ。

男も美形であらねばならぬ必然性があり、それはまさに、そう、死活問題なのだ。
女性がすっぴんの顔で表にでることを非常識だと考えるように、
男もPHOTOSHOPされていない写真を公開することは常識はずれと考えるべし。

と言う訳でボストン・ボンバーである。
19歳なのである。切ない歳だな、と思う。
自身の19歳の頃と重ね合わせるとまさにその切実な勘違いに哀れを通りこしてヒロイズムさえ感じてしまう。

そうか19歳だったのか。
19歳とはまさにそういう歳であったのだ。
子供の純真さで大人の世界に戦いを挑みそして敗れ去る歳でもあるのだ。
そしてその根本にあるのは大いなる間違いとそして悲しいぐらいの独りよがり。
そして誤解なのである。
世の中そうそうと悪いことばかりではない、と気付くのは30を前にしてからだろう。
まったく聴くに忍びない切ない話である。
と言う訳でボストンボンバー。
息を吹き返したその意識の中でいったい今なにを考えているのだろう。
もしかして子供の頃に父親に連れられて行ってもらった村祭りで、
初めて氷を触った日のことを思い出しているのかもしれない。

「生活の決まりごと」

Posted by 高見鈴虫 on 25.2013 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback

最近ちょっと靴がきつくなったな、
と思っていたら足の爪が伸びきっていた。
で、週末の朝、散歩から帰ってようやく一息ついた時、
この機会にとえいやあと足の爪を切ったのだが
思ったとおりまた深爪をした。
いてて、また深爪した、という俺に、
あんた、バカじゃないの、とかみさんの冷めた声。
だから、伸びるだけ伸ばしていっぺんに切ろう、
っていうそのがっつきが原因なんでしょ。
ちょくちょくちょっとずつ切ればそんなことにはならない訳。
うーん、そうか確かにそうだ、と今更ながら目が覚めた。
あんたさあ、とかみさん。
髪の毛もそう。伸びるだけ伸びてもう限界ってところで床屋に行って、
で、切れるだけ切っちゃって。わーい、別人だ、なんてバカみたい。
爪もそう、髭もそう、ご飯もそう。この間までお風呂だってそうだったじゃない。
貯めるだけ貯めて一挙にっていうの辞めたほうがよくない?
なんで、月にいっぺん、とか、週にいっぺん、とか毎日何時に、とか
そういう規則正しいテンポを作れない訳?

と言う訳で、そう確かにその通りである。
が、なんとうか、そう、その劇的な変化が楽しい訳で、
つまりその、そういう決められたことが嫌いな訳で、

と言ったら完全に呆れられた。

紐育で聴く「飛べない翼」

Posted by 高見鈴虫 on 26.2013 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
なんの間違えか、
仕事中にふとした間違えで、サティのジムノペティの代わりに、
サリューの「飛べない翼」をかけてしまった。

と、その途端、
いきなり目の前には、あの高校時代のどうしようもなく鬱屈した、
あのドロドロと苛立った風景がわっと広がったかと思うと、
瞬く間にあの頃のフラッシュバックの中にどっぷりと持っていかれてしまった。

いやあ、やられたなあ、と思わず。
改めて凄い曲だな、と溜息をついてしまった。

これほど克明にあの時代のやるせなさを表現した曲があるだろうか。

例えば矢沢永吉にしたってカルチャー・クラブにしたって、松田聖子にしたって、
あの頃に巷に流れていた曲を何万回聴いたとしても、
これほどまでに克明にあの高校時代そのものを音として幻出せしめる曲を、
俺は他に見つけることができない。

その幻出した風景とはまさにこれだ。









俺はミスが嫌いである

Posted by 高見鈴虫 on 27.2013 技術系   0 comments   0 trackback
俺はミスが嫌いである。

作業の前には徹底的にシュミレーションを繰り返し、
一挙一動ごとに緻密なTo DO LISTを作成する。
それはまさに、馬鹿馬鹿しいと思える程に詳細なもので、
作業をする自分自身を思い浮かべながら、
コマンドの内容から確認事項1-2-3は勿論のこと、
ここで10秒5回の深呼吸から、ここで1分肩揉み、から、
と一見余計なことまで含めて、ありとあらゆることを書き込んで行く。

例えば、

項目#X: ここで日本側に確認の電話

とあれば、

相手先の担当者、電話番号、は勿論のこと、

->どの電話を使うか
->自身の電話番号は何番か
->充電器はあるか
->充電の取り口のOUTLETSはどこにあるか
->サーバ室の電波の入りはどうか
->HEADSETは必要か
->相手先担当者の連絡先緊急連絡先1,2
->相手先が捕まらなかった時の緊急連絡先・バックアップの担当者1.2
->それらの人々の連絡方法一覧
->それらの人々のEMAILアドレス
->CHAT使用の可不可
ー>連絡先の天気は?最近の重大ニュースは?

まで。まさに止めどもない。

本件である「確認内容」に至るまでに、まさにこれだけのチェック項目を挿入していく訳だ。

そしてそのようにして、本件である確認の内容も、
ありとあらゆる可能性を考えて行く。

それはまさに相手先の心の奥底までも考察することを意味する。

タイトルは?技術力は?経験は?性格は?前回の作業時の行動パターンは?
シングルタスク型かマルチタスク型か、出身大学は?
自宅はどこか、何線を使って通勤しているか、奥さんの名前は?子供の有無、
愛人の有無、好きな女のタイプ、よく行く店、好きな食べ物、和系か洋系か、犬派か猫派か、

そんな馬鹿馬鹿しいぐらいの確認必要事項を考察しながら、
自身は勿論のこと、相手先の思考回路を読み、その行動パターンをシュミレートして、
事前に確認事項への答えさえも予想できる限り予想していくのだ。

YESならどうか、NOならどうか、
こう答えたらどうか、なぜそうなるか、その時はどうするか、

これだけでも数限りないリストが出来上がっていく。

それをまさに、前作業、全行動においてピックアップしていく訳だ。


が、しかし、そこまでしてもミスは起きる。

予めそのミスを予測し、そして同時に相手側のミスをも計算に入れ、
起きてしまってからどうするか、に関しても次から次へと予測・対策を
網羅していく訳だ。

が、しかし、そこまでしても予測できなかった事態は起きるものなのだ。

それが起きてしまった時、やはり愕然とする。
ここまでやってもそれでもミスが起きるのか、
と自身の考察力の無さに腹を立て、
ミスをした作業員のその余りの間抜けさに
思わず膝が挫けそうになるのである訳であるが、

しかし、ここで最も大切なのことは、
予期せぬ事態は必ず起きる、ことさえも考察に入れ、
まったく予期せぬ事態が起きたときにはどうすれば良いか、
こそが最も大切な要点ともなる訳だ。

考えうる限り最も最悪の状況で、
まったく予想も出来ないような事態が発生した時には、
いったいどうしたら良いのか。

という訳で、俺の作り上げる作業項目の中にはこの一文がある。

☆ ストーンズを聴く。

そしてパニック状態に陥った現場作業の中で、
くそったれ、たかがROCK’N’ROLLじゃねえか、の勇気を得る訳なのである。

俺はこうやって修羅場をくぐり抜けてきた。

いまもストーンズは俺の中に鳴り響いている。

妙な犬の飼い主は決まって妙

Posted by 高見鈴虫 on 28.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback
いまさらながら、であるが、妙な犬の飼い主は決まって妙である。

つまりなんというか、ちょっと偏屈であったり、ひねくれものであったり、
異様にハイパーであったり、喧嘩ばかりふっかけてきたり、

なんていう問題児の飼い主は、
どういう訳かやはり決まって同じように、その言動におかしなところが多かったりする訳だ。

つまり犬は飼い主の生き写しであったりするわけである。

と言う訳でうちの犬である。

似ているのだろうか?たぶん、似ているのだろうな。

思わず、こんな偏屈者の俺なんかに貰われたがために、
偏屈犬にならざるを得なかったこいつには、つくづく悪いことしたな、と思ったりもする訳であるが、

そう思わないためにも俺自身がまっとうな真人間であることを
世間とそして我が家の犬にも見せ示す必要があるわけだ。

犬のためにもいまからでも人格の矯正を続けなくてはいけない。

やれやれではあるが、つまりこれこそが、共に育つ、ということなのだろう。

ブー君、世話をかけるがお互いにがんばろう。

「罰」

Posted by 高見鈴虫 on 29.2013 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback

物心ついた時から徹底的に金が無かった。
タバコを吸い始めてからはタバコ代が、
バンドを始めてからはスタジオ代が、
女を知ってからはホテル代が、
当然のことながら親に相談できる訳もなく、
寸暇を惜しんでバイトに精を出すことになる訳だが、
そうこうするうちに寸暇どころではどうしようもなくなり、
結果学校を休み休み、あるいは、
もっと割りの良い方法を見つけるしかなかった。
もっとも割りの良い資金調達方法はと言えば、
人から借りることな訳だが、
周りにはそうそうと金回りの良い奴は見当たらない。
加えて、そんな俺の事情を知れば知るほど、
借りた金がいつ返ってくるとも判らない状態を、
そうと知って貸してくれるようなお人よしも居らず。
強いてはあまり俺の事情に通じていない人、
あるいは、名前どころかまだ会ったばかり、
のような人から、
凄く悪いんだけど金貸しくれないかな、必ず返すから、
とやると、これは立派なカツアゲな訳だが、
先の事情により、これをせざぬを得ない状況というのが多々あって、
追って俺は地元の鼻つまみとなった。
その後、良き先輩を見習って、
女に借りる、という方法を周到するようになった。
いつか必ず返す。お前しかいないんだ、とやれば、
まあ大抵の女は貸してくれる訳で、
そんな俺に金を貸すことに一種のロマンを感じている輩も居たことから、
いつしかこれが常套化し、
生きること、つまりはバンドを続けることは、
まさに金を貸してくれる女を見つけること、
と直結するようになった。
と言う訳で色々な女から金を借りた。
飯を奢ってもらうことは当然のことながら、
タバコを買ってもらったり、
バンドのスタジオ代を立替てもらったり。
こちとら、好きなバンドを続けるため、
という大義名分があったから、
臆面もなく女とみるや次から次へと声をかけ、
デートしよう、先ずは飯を食いに行こう、
そのまえにタバコ一本頂戴、とやった末に、
悪い、俺これからバンドの練習なんだ、
良かったら一緒に来る?と電車賃をお願いし、
バンドのメンバーに紹介した後はスタジオの外でほったらかし。
終るまで待っていてくれたらそれはそれで覚悟はするが、
大抵の女はその放置の意味するものを感じ取って、
終ったらそのまま消えていてくれたものだ。
と言う訳でバンドの練習が終ったと同時に、
いやあ参ったなあ、帰っちゃったよ、と白々しく頭をかき、
バンドのメンバーの部屋に転がり込むか、
あるいは、今日の空き部屋を探して
片っ端から電話をしていくことになる。
すっげえ悪いんだけどバンドの練習してたら終電終っちゃって、
ちょっと今から遊びに行ってもいい?
というのもまた常套手段で、
あ、そう言えばおまえんち、風呂あったっけか?
なんていうことをさりげなく聞いた後、
じゃね、うん、これから歩くから、1時間以内かな、
おっけ、近くに来たらまた電話するから、とやる訳だ。
で、その夜は、良い匂いのするピンク色のシーツの上ですっぽんぽん、
いやあ極楽極楽と朝まで高い鼾。
朝に起きたら女はすでに外出中。
これ食べて、とお味噌汁とごはんが用意されているかと思えば、
ねえ頼むから起きて、とたたき起こされて、
寝起きの頭をかきながら駅のホームで、じゃね、と別れた後に、
下り線の空いた電車の中で睡眠補給。
がしかし、
さすがにそれを年下の女の子にしてしまうと、
下手をすれば、年少の女の子からカツアゲ、
というどうしようもない不名誉な状態も連想させることから、
さすがに狙いは同級生か、さもなくば年上。
と言う訳で俺がこの歳になっても年下の女とどうして仲良くなれないのは、
つまりはこういう過程にあったことの後ろめたから、
つまりは罰があたったのだ、と自分でも思っている。
と言う訳でバンドを辞めるまでの間、
本当に本当に色々な女の子たちの世話になった。
この罪滅ぼしはいつか売れっこになった時に必ず、
と思っていたのだが結局泣かず飛ばずで俺のキャリアは終った。
と言う訳で
今でもなにか悪いことがあるたびに、
ああ、これはあの時の罰なんだろう、と思ったりもしている。
あるいはそれは、借金の取立てなのだろうか。
まだまだ日本には帰れないな、と思う訳である。

「プリント度数」

Posted by 高見鈴虫 on 30.2013 とかいぐらし   0 comments   0 trackback

長いドキュメントがあると、
なぜかプリントしてしまう。

WEB上で良い読み物があったり、
重要な案件であったりすると、
それは尚更である。

なぜプリントするのか、
と改めて考える。

プリントはかさばる。
資源の無駄遣いである。
机に放置すれば情報漏洩にも繋がる。
CTRL+Fで検索も出来ず、
暗いところでは読めず
字を大きくしたり小さくしたりもできない。

ではなぜ、これほどプリントに依存するのだろうか。

確かにモニターをずっと見ていると
目が疲れる。
肩が凝ったり、息がつまったりもする。

なので、
ちょっと息抜きに場所を変えて読んでみよう、
なんて時についついプリントICONを探してしまう。
そうやってプリントした書類を、
帰りの電車の中で読もうとか、
昼飯の合間に読もうとか、
あるいは家でゆっくり読んでみようとか、
まあそういう理由であるのだが、
果たしてかばんがかさばるばかりで、
あまり為になった試しもなく、
あるいは外で読んだとしても、
くちゃくちゃになってしまった書類を、
翌日新らたに印刷しなおしたりする。

が、本当の理由は、なんとなく、
プリントで読まないとなんとなく頭に入らないような、
あるいは、
モニター=テレビの画面で見るものは、
すべて流動的、一過性のものであって、
記憶に残らない、ような気がしないでもない。

それは性癖であって仕様ではないのではないか。

確かに、若い世代になるほどプリント度数が減る。

モニターで読んだものをちゃんと理解する。
あるいは、ファイルとしてPCに保存し、
必要な時にはすぐに検索機能で読み出す。

このプリント依存度こそが、IT化、電子化への
立ち遅れ度数であったりもする訳だ。

なるべくプリント度数を減らすべきだな、
とは思いながら、
こう書いた文章を添削しなくては、
と思うと・・・ついついプリントしているのだ。
そして右手にはすでに赤ペン。

やれやれである。
  

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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