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チャーリー・ホースは真夜中に疾る そのいち チャーリーホースがやって来た

Posted by 高見鈴虫 on 02.2013 チャーリーホースは真夜中に疾る   0 comments   0 trackback
夜中の4時にいきなり激痛に目が覚めた。
いてててててて
左足の脹脛がガチガチに固まっている。
俗に言うこむら返りという奴。
こちら米国では「チャーリー・ホース」と言う。
んだこれ、まじいってえ、
あまりの激痛にのたうちながら、
石のように固まったふくらはぎの筋肉を握りしめて、
恐る恐るともみもみ。
そしてただひたすらに悪魔が去るのを待つばかり。

隣りで飛び起きたかみさん、
あれまた足が攣ったの?とまさに鬼のような迷惑顔。
あのなあ、人の非常事態にその顔はないだろう、
などと文句を言う余裕もなく、
頼むから日本から買ってきた芍薬甘草湯取ってきて、
と頼むが精一杯。
がしかし、
そう、なんかこの特効薬、
最近になってその効き目がどんどん薄くなっているような気がするのだが。

あまりの騒ぎにブー君、ふざけているのかと飛び掛って来たのだが、
事態に気付いてからは、今度は大丈夫?大丈夫?と盛んに顔を嘗めてくる。

判った判ったブー君ありがと、判ったからちょっとそこどいて、
と言っても身体にのしかかったまま動こうとしない。
ブーはブーで必死な訳である。
そのブー君のてんぱった表情に思わず笑ってしまうのだが、
笑った途端にまた足が攣ってとその繰り返し。

くそったれなんだよこのこれは、と思わず舌打ち。
俺の身体はいったいどうしちまったっていうんだ。
舌打ちした途端に再び襲う緊縛。
ようやくほぐれかけていた痛みが再びガツンと突っ張ってしまって、
またまた元の木阿弥。

と言う訳でチャーリー・ホースである。
本当の本当にこいつにはほとほと困りきってしまう。
いったい俺がこいつのためにどれだけ苦労をしてきたか。
そして俺が、いったいこいつのためにどれだけのものを諦めてきたのか。

チャーリー・ホースは真夜中に疾る そのに 元はといえばテニスのやり過ぎ

Posted by 高見鈴虫 on 02.2013 チャーリーホースは真夜中に疾る   0 comments   0 trackback
と言う訳でこのチャーリー・ホースである。

付き合いは長い。

この厄介な疫病神に取り付かれたのはかれこれ10年も前。

元はと言えばテニスのやりすぎであった訳だ。

テニス・・・
そもそも俺はテニスをやりたくて始めた訳ではない。
暇で死にそうであったため、死ぬぐらいならテニスでもやってみようか、
とまあそれぐらいの理由であった。

ニューヨークやLAやサンフランシスコ、つまりは観光地、
それ以外のアメリカをご存知の人は、
そこがいかに、清潔な砂漠であるか、
ご存知のことと思う。

青い空、緑の芝生、白い家。

一見まるで夢のような風景であるのだが、
果たしてそれ以外はなにもない訳である。

ほとんど大抵の人々のごく一般的なアメリカ人は、
ほとんど大抵の時間をテレビでフットボールを見ながらビールを飲んで過ごしている。
彼らがあれだけぶくぶくと太るのは実にそれが理由である訳で、
アメリカ人はそれを、幸せ、と呼ぶのである。

そんなアメリカのど田舎に居た時代、
そんなアメリカの幸せに飽きたらなかった俺は、

くそったれ、退屈で死にそうだ、と発破ばかりやっていたのだが、
ふと、アパートの片隅に、
誰も使っているのを見たこともない荒れ果てたテニスコート、
ねえ、らりってばかりいないで、たまにはテニスでもやろうよ、
と誘われるまま、近所の雑貨屋で10ドルもしないで買ったおもちゃのラケット、
と、そんな感じで始めたテニスではあったのだが。

なにより田舎である。徹底的にやることがない。
結果的に暇つぶしに毎日テニスをやることになり、
いつの間にかそれなりに打てるようにもなっていたのだ。

が、しかし、晴れてニューヨークへの転身を遂げた後は、
わざわざこんなところでテニスなどやることもない、
と夜遊びばかりしていたのだが、
ふとした拍子に週末だけの遊びのつもりでかみさん相手にちょっと打ち始めた途端、
あれよあれよと、あちこちから声がかかって、
誘われるままにダブルスだ、シングルだ、ラダーだ、トーナメントだ、と大忙し。

まあなにより友達も増えるし、なまった身体も元通り、
そしてやはりなにはなくとも面白い。

テニスラケットひとつ持ってコートに行けば、
見ず知らず、名前どころか、
どこから来たのか、何人なのか、
いったい何語で喋っているのか、
さえも判らない者同士が、
いきなりコートを挟んでボールを打ち合う。

としたところ、
一言の言葉を交わすこともなく、
まるっきりそのままにその人物の人となりと、
その性格から強さから弱さから、
良いところ悪いところ、
すべて手に取るように判ってしまうのである。

それはまさにこのニューヨークという人種のジャングルの中にあって、
そこに暮らす人々の知る上ではまさに最高の方法だったのだ。

という訳でニューヨークでテニスである。
何故にわざわざテニスなのか、と首を傾げながら、
しかしいつの間にか、誘われるまま、
まさにテニス以外なにもないニューヨークライフになっていた訳である。

という訳でテニスである。

土日は言うに及ばず、
平日でも、仕事の前の朝練から仕事後の夕暮れ前。
下手をすると仕事中にちょっと抜け出して1~2時間、
そのまま帰って仕事、なんてことをやり続けていた訳だが、
ほとんどの場合、ろくにウォーミングアップもやらないうちからコートに直行。
そのままがっついて打ち続けては誘われるままに時間が許す限りは一日中でもプレイ。
その日の疲れが抜けきらないままに朝起きてすぐにテニスコート、
とやっているうちに、そんなこんなで身体中が慢性疲労状態。

始終足がコチコチ状態で鉛のよう。
しまいにはコートにいる連中はみんなペンギンのような歩き方をしていて、
そんな俺たち中年テニサーにとっては、
生きるということはまさしく筋肉痛であった訳だ。

という訳でそう、テニス、ではない、チャーリー・ホース。

そんなテニサー暮らしが5年も続いた頃であろうか、

その暴れ馬はそしていきなりやってきた訳である。

チャーリー・ホースは真夜中に疾る そのさん パンゲアの呪い

Posted by 高見鈴虫 on 02.2013 チャーリーホースは真夜中に疾る   0 comments   0 trackback
元はといえば、
俺のもとにチャーリー・ホースを連れてきたのは
パンゲアと名乗る謎の爺さんであった。

それは真夏のまっさかり。
いつのもように朝6時に起きて、思い切り重い身体、
ミシミシと音がしそうなほどの筋肉痛に呻きながらなんとかベッドを出ると、
まだ目も冷め切らぬうちに自転車にのって近所の公園へ。

そこでストレッチがてら壁打ちを30分。
フォアで百回、バックで百回。
ボレボレーからオーバーヘッドを含めて今日の調子を確かめてから、
川沿いの自転車道をすっとばしてテニスコートへ。
まだ7時も前だと言うのに12面あるテニスコートはすでに一杯。

開いた時間にいまがチャンスとばかりにストレッチを始めるのだが、
すぐにおーい、と声がして向こうのコートからこっちのコートから、
ダブルスにはいらないか?と声がかかる。

うっしゃあ、肩慣らし代わりにとダブルス。
1セット、2セット、3セット、タイブレーカーの後は、
メンバーを交換してもう一試合。

そんな試合の途中から、
おーい、そこ終わったらこっちでやらないか?
と誘われて、うっしゃあ、待っとれ、すぐに終わらしちゃる、
と本気サーブ一発、15-30-40 マッチポイントでGOODBY!

既に真夏の太陽はツムジの上でギラギラと輝き、
ハードコートの上はまさにフライパンの上。
シャツを脱いだままの肌にはすでに叩けばパラパラと塩の結晶が落ちる。

さすがに暑いな、と頭から水をジャブジャブとやっていたら、
おいにいちゃん、と異様な黒人の爺さんから声がかかった。

娘にテニスを教えてやろうとしたんだがな、
この暑さで来たがらない。
金を払ってコートを借りてしまったんだが、
いっちょうお相手してもらえんか、と来た。

おう、いいよ、願ってもねえ、とは言いながら、
はてな、こんな爺さんがこの俺とシングルス?
しかも12時から1時。一番暑い時間帯だ。

俺はとりあえず、じいさん大丈夫か?
と思わず顔を伺うと、
そうか、こんなジジイは不足か。
なら金賭けよう、と来た。
金?いくら?
7ドル、でどうだ。ここのコート代。
7ドルでも70ドルでも俺は結構だが。
よし、なら7ドルで勝負だ。
おいおい、爺さん、そんなに気張って大丈夫かよ、である。

7月のニューヨークである。
気温はすでに35度を越え、コートの上は優に40度を超えているだろう。
さすがに素人のカップルなどはネットにラケットを立てかけたまま
木陰で水ばかり飲んでいる。

という訳で謎の老人である。

ウォーミングアップもなしにいきなりコイントス。ヘッズ オア テイルス、と来る。

おお、爺さん、やる気じゃねえか、さては、
もしかして元ランキング選手であったりするのか、
と思えば、実際にサーブを打たせてみれば、ヘロヘロである。
ファーストサーブからまるでハエの止まりそうな山なりの弾。
ここぞとばかりにステップインして思い切りサイドに引っぱたいてやろとしたら、
いきなり弾んだボールはラケットのスイートスポット、どころか顔に向かって飛んできたのである。

ツイスト・サーブ、おいおい。いきなりかよ、と。

という訳でこの爺さん。

打ち方だけみればまるでなっていない。

とりあえず右も左もスライスである。

どんなにサイドを突いても、ヘロヘロと倒れこむようにスカッとスライスで返す。

その弾がシュルシュルと滑るようにコートに落ちて、
それが右のコーナー、左のコーナー。
コーナーからコーナーにようやくボールに追いついて返した、
というところで次にはお決まりのドロップショットである。
こな糞、もうその手は食わねえ、と頭から突っ込むと、
してやったり、とばかりのムーンボールが頭の上を越えてゆく。
と言うわけでこれが永遠と続くわけである。
いい加減に息が切れてきたところで、目の前にチャンスボール、
いただきとばかりにぶっ叩くと、アウト、と一言。
馬鹿野郎、どこ見てんだよ、ラインかすってるだろ、
と怒り狂う俺を、抜けた前歯を晒してカラカラと笑う爺さん。

それでもファーストセットを6-3で終えて、
はい、お疲れ様、とやったところ、
お前、何いってんだ、コートチェンジだ、と。

ええ、2セット?ちょっと暑過ぎないか?
という俺に爺さん。ははは、俺は黒人だからな、暑いのは平気なんだ。

という訳で2セット目。
今度はいきなりムーンボールばかり。
すべての弾をスコンスコンと天高く打ち上げては、
俺のバカ打ちを誘ってくる。
思わず自滅して2-6。

さすがにこのままでは終わるわけには行かない。

すでに1時を過ぎて夏まっさかり。
新しくやって来た人々も5分も立たない内から、
これはさすがに無理だ、とベンチに引き上げておしゃべりばかりしている。

誰もいなくなった陽炎の立ち上るテニスコート。

さすがにここまで来ればバカ打ちはしない。

この魔神のようなおっさん。がしかし、やることと言えば、
ちょん切りとむーんしょっとばかり。
つまりウィナーを必要がない限り、
俺もその手でポンポンとゆるく入れ弾ばかりを返しながら、
ここぞここぞにドロップショットを繰り返してやればいい訳である。

が、しかしである。ここで外野からチャチャが入る。

老人を相手にドロップショットとは何事か、と。

暑さにやられて引き上げたものの、
暇を持て余して見物している連中が、
つまらねえぞ、もっとバシバシ打て、と好きなことを言い始める。
挙句に、
俺のフラットのサーブが入る度に、そりゃないでしょ、とブーイング。
ボーレに出たところをロブで頭を抜かれる度にヤンヤヤンヤの喝采、

あのなあ、と、と思わずブチ切れそうになっていたら、
またまた悪いクセでバカ打ちを連発。
思わずラケットを叩き折りそうになりながら、
うるせえ、てめえら、黙って見てろ、と怒鳴り続け。

あのなあ、なんで俺がこんなジジイを相手にフルセット。
しかもこのオヤジ、まともな球を一発も打たない。
変える球はすべて強烈なクセ球。
一体全体どっちに跳ねるか判ったものじゃない。

おちょくってんのか、この野郎、とボレーに出る度にロブ。
追いついたところでうりゃ、とぶん回す度に、
まっすぐに伸びた球はしかしバチンとネットを叩く。

この野郎。。。

歯ぎしりしながら、やばいな、これはまたまた自滅モード、
落ち着け落ち着け、と言い聞かせながら、
ここまでボールが走らないラリーが続くとついつい苛立って来てしまう。

とそんなこんなでタイブレーカー。
さすがにジジイも疲れてきたのか得意のへなちょこツイストサーブもダブルフォルト連発。

もうここまで来たら手加減はなしだ、とばかりに、
Tを狙ってフラットサーブを連発。

もうここまで来たら一度もボールを触らせねえぞ、
と気張りまくってサーブを叩きこもうとしたところ、

あれっ!?と思った時に右足のふくらはぎがガチンと鳴った。

なんだなんだ、と固まった筋肉を抑えようと身を屈めた途端、
左の太ももがまたガチン。
やばい、と思った瞬間に右のふくらはぎがピキーンと張り切って、
ついに本格的なこむら返り。
あちっちっち、とやりながら、途端、いきなり身体中の筋肉が跳ね始めた。

という訳でいきなりのチャーリー・ホースである。
しまいには腹筋から二の腕から両手のひらにまで波及。
まさにこれは全身緊縛である。

その時にはとりあえず、ベンゲイのスポーツクリームを全身に塗りたくっては、
水だバナナだ、冷やしてみようか、いや暖めるべきだ、
まずはストレッチだ、いや、動かすな、と大騒ぎ。

そんな騒ぎをケラケラと笑って見ている爺さん。

マツオカ!と一言。

なんだって?

マツオカ・ルール。つまり棄権。
馬鹿野郎、5-0じゃねえか。
5-0もクソもあるか。立てないんだろ?もう終わりだ。さあ7ドルだせ。

チャーリー・ホースは真夜中に疾る そのよん 試合中は水を飲め

Posted by 高見鈴虫 on 02.2013 チャーリーホースは真夜中に疾る   0 comments   0 trackback
パンゲアのじいさんとの試合の後、

身体中にこれでもかとスポーツクリームを塗りたくった
泥人形状態でコートの隅のベンチに寝かされたまま、
ポカンと広がる青空を見ながら、やれやれ、とため息をついていたのだが、

果たしてこれはいったいなんなのか、とつくづく首をかしげた。

これまでどれだけ無茶をやっても、
まさか足が攣った経験など一度もない。

勝ちの見えてきたここぞ言うところでのいきなりの痙攣。
これはさすがに、ちょっとこたえた。

まさか俺があんなジジイに負けたなんて。
この痙攣さえなければ。くそったれ、7ドル返せ。
と舌打ちするたびに、いてててて、とどこかが攣る。

やれやれ、だな、と思わず溜息しか出なかった。

おまえ、水飲まなかっただろ?
あんな糞暑い中で水も飲まずにぶっ続けでやっていたら、
そのうち本当に死ぬぞ、と口々に言われ、
馬鹿野郎、テニスコートで死ねれば本望だぜ、
と憎まれ口を叩きながら、
痙攣の最中には実はまじで、
このまま心臓まで痙攣を起こしたらどうなるのだろう、
なんてことを考えていたのだ。

これで学んだろ?
試合中は水を飲む。飲みたくなくても飲む。
コートチェンジの時にはバナナを食う。これも食いたくなくても食う。
どうだ、プロみたいだろ。忘れるなよ。

が、しかし、だ。
憎きはあのパンゲアのジジイだ。
もしかしたら水を飲まない俺をみて、
走るだけ走らせて痙攣を起こさせるという作戦だったのかもしれない。
ろくでもねえ疫病神め。

くそったれ、次に会った時にはただじゃおかねえ、
とか、なんとか思いながら、
いつの間にかそのままベンチの上で寝てしまっていた。

とそれがきっかけ、というのではないのであろうが、
どういう訳か俺はそのチャーリー・ホースにすっかり気に入られてしまったようだ。

パンゲアのオヤジとの例の全身痙攣の名残りで、
いまだに身体中のそこかしこに疼痛が残ったまま、
しかし次の日も朝の7時を過ぎると電話が鳴り続け。

やろうぜ、と言われれば断るわけにも行かず、
という訳で再び来る日も来る日もテニステニス。

がしかし、どういう訳かあのパンゲア以来、
足の指やら脹脛やらが始終ピクピクと不穏な動きをするようになっていた。

まさかまさか、もしかしこんな時にまたチャーリー・ホース?
そう思うと無性に恐くなってきて、
試合を焦り初め、ダッシュに迷いが生まれ、
バカ打ちが減ったお陰で自滅は減ったがその分、
ゲームに精彩を欠くようになった。

プレイの後、まさに筋肉の中を馬が走り回っているような、
ピクピクという不気味な痙攣の予兆に耐えながら、
そんな状態で無理に整理体操を始めると、
いきなりガチン、と来る。

とりあえず、ゆっくりゆっくり、やさしくやさしく。
力を入れず、急がず、そうそう、ゆっくりゆっくり。

これまでにも筋肉疲労の蓄積でまるで石のようだった筋肉が、
ここに来てまるで罅が入りそして亀裂が入ってしまったような気がしていたものだ。

その後、何度かの痙攣を繰り返しながら
筋肉の硬直化がますます進み、
そしていざと言う時の突如の緊縛がすっかり癖になり、
ここに来てさすがにこのチャーリー・ホース、なかなか侮れないぞ、と悟った訳だ。

という訳で、言われるままに、思いつくかぎりの痙攣防止方法を試し始めた。

水分。
バナナ。
ストレッチ。

それでも足りずに、ビタミンショップに飛んでいき、

マグネシウム。
カルシウム。
ビタミンE
の錠剤を買い揃え。

朝な夕なにエプソムソルトを入れて長湯。

食事の量を減らし、肉食を断ち、
一日中暇さえあればストレッチばかり。

と思いつく限りのことを試したのだが、
果たしてどうにもこうにも目立った効果がない。

と言う訳で、薦められるままにジムに行くことにした訳だが、
そのうちにジムでも足が攣り始め、
一度などバーベルを上げたところで両足が攣ってそのまま動けなくなり、
と恥の上に恥を重ねる醜態の数々。

そうこうするうちに、会社へ向かう自転車で太ももが攣り、
挙句の果てにぎっくり腰にやられて敢え無くダウン。

ここに来て、心の底から辟易することになった。

ぎっくり腰の静養中、ふと妙なことを考えていた。

もしかしてこれは、
一生分の運動エネルギーを使い切ってしまったのか、
ということなのだろうか。

が、しかしだ、
なまじ筋肉があるから痙攣など起こすのだろうか。
もし、筋肉をそぎ落としてしまえば痙攣する筋肉もないではないか。

ギックリ腰から立ち直った後も、さすがに朝練夜練は控えるようになったのだが、
それでも休日は朝から晩までテニスコート。
そしてその度に、帰りの道筋で度々に足が攣って自転車を転げ落ち、
とやっているうちに、果たしてこれはもうテニスどころではないな、
と思い始めていた訳である。

チャーリーホースは真夜中に疾る そのご 子犬を貰い受けたのを境に

Posted by 高見鈴虫 on 02.2013 チャーリーホースは真夜中に疾る   0 comments   0 trackback
子犬を貰い受けたのを境に、
いつの間にかテニスともご無沙汰になり、
それまで暇さえあればテニスをやっていたところに、
その後は暇さえあれば犬の散歩をするようになって、
いつしか俺もすっかりと犬のおじさん。

年間を通じてどこにいっても誰にあっても、
メキシコ人、下手をすると黒人に間違われるほどに
焼けに焼けまくっていた真っ黒だった顔が、
見る見ると醒め始めると同時に、
身体中の筋肉がすっかりと脂肪に変わっていた。

若い頃からシャツを脱ぐとあたまりまえのようにそこにあった腹筋のシックスパックが
いまや風船のようにぷーっと膨らんでいやはや、と思わず苦笑い。

まさかこの俺の腹が膨れるとはとそれはそれで面白がっていた所のあるのだが、
さすがにかみさんの嫌味が気に障りはじめて、
いよいよこのみっともない身体はどうにかならないか、
とは考えてはいたのだ。

そうこうするうちにどうも腰の当たりに疼痛が走り始め、
それがみるみる悪化してしまいには腰が痛くて歩くことにも不自由するようになり、
これは果たして運動不足が原因なのか、
果てはテニス時代の悪影響なのかと首をひねっていたのだ。

腰痛の悪化にさすがに日常生活、
つまりは犬の散歩にも支障をきたすようになった。

知り合いに教わったアルマジロ体操でなんとか凌いで来たのだが、
それも朝夕だけでは足りず、ああどこかに横になれる場所はないか、

アルマジロ体操が必要だ、といつも思っていたのだ。そしてそれは起こった。

久々に顔をだしたスタジオで2~3時間軽く叩き込み、
まあ今日はこのぐらいでやめとくか、とウォーミング気分での帰り道。
夜更けの地下鉄の中でいきなり足が攣ったのである。
さすがにこれには唖然とした。
これでも一応プロのドラマーだった俺は、物心ついたときから
それこそ毎日毎日、盆暮れ正月もクリスマスもなく、
一年中一日中のほとんどのドラムを叩いてすごしてきたのである。

何日も徹夜をして何日もスタジオに篭りきりでも、
さすがに耳がバカになったようなことはあったがまさか足が攣る、
なんて無様なことが起こった試しはない。

タイムズスクエア駅のベンチで酔っ払いに囲まれながら、
いたたたた、と足を揉みながら、くそったれ俺も歳か、と。

これにはさすがに凹んだ。
俺はこれまでの人生のほとんどの時間をドラムを叩いてきた男である。
食える食えない、バンドに入る入らないは別として、
例えなんの仕事をしていても誰と過ごしていようとも、
いついかなるときでもドラムというものが目の前にあった。

その俺がである。
こんな俺からドラムを取ったらいったいなにが残るのか。
ついに年貢の納め時か、とため息をつきながら、
また攣るのが怖くていくつもの電車を見逃してはため息ばかりついていた。

このくそったれチャーリー・ホースのお陰で、
俺はテニスはおろかドラムまでも取り上げられることになるのか。
これはさすがに寂しかった。
老化とはなにか、とつくづく考えた。
もう生きていてもなにも楽しいことはないな、とまで考えてしまった。

土曜の夜の江ノ島大集会と新宿のツッパリオリンピックと
アフガンの地雷原とサパティスタのメキシコと
そしてここニューヨークの激動の15年を生き抜いてきた俺が、
まさかこのチャーリー・ホースなんてもの、
つまりは自分自身にここまでしてやられることになるとは。

まさかこれはなにかの呪いではないのか、とも考えた。
いったい俺に呪いをかけたのはどの女だ、と思った。
あいつか、こいつか。どいつもこいつも虫も殺さないような顔をしながら
この俺に呪いをかけるとはちょこざいな。

そうこうするうちにテニスもせずドラムも叩かず、
そうなればもうこれまで物心ついた時から既に日常化していたスティックコントロールの練習どころか、
もうすっかり音楽そのものを聴くことさえやめてしまっていた。

と言う訳でここニューヨークという世界の中心に暮らしながら
何一つとして何にも興味を失ってしまった自分がいた。
まあこの後はブッチを相手に犬の散歩をして暮らせばいいか、
とドッグランのベンチでため息ばかりついていたのだ。

とそうこうするうちにそのドッグラン。
いつものように集まった犬どもを相手にボール遊びをしていたところ、
信じられないことにいきなり足が攣った。

いてててて、としゃがみこんだドッグラン。
一瞬虚をつかれた犬たちがいきなり飛び込んできてじゃれ付いて来て、
おいおい、やめろやめろ、と言いながら顔中を嘗められまくり。

テニスやドラムはまあ俺だけのこと。
犬の散歩ができない、となるとこれはまさに俺のライフラインの倒壊を意味する。

痛む足を引きずりながらの散歩の帰り。
ねえ、なんでそんな変な歩き方してるの?
とさかんにじゃれ付いて来るブー君を見つめながら
これはいよいよ、医者に行くべきだろうか、決心することになった。

チャーリーホースは真夜中に疾る そのろく という訳で医者である

Posted by 高見鈴虫 on 02.2013 チャーリーホースは真夜中に疾る   0 comments   0 trackback
と言う訳で医者である。

俺は医者が嫌いである。

俺は大人なので、注射が怖い、なんて言うのでは勿論ない。

下手をすると俺の知り合いには、
自らの腕を縛っては自分で注射をしていた奴もいるぐらいで、
まあそういう奴らと過ごしてきた経験から注射そのものにはなにも抵抗感はない。

そんな俺がなぜ医者が嫌いか、と言えば、
まさにその仰々しさ。
男たるもの、己の身体なんてものをそれほど大切に扱うのは恥な訳なのだ。
それほどの大病でもなく、まさか死にかけている訳でもないのに、
日中にわざわざ医者などに行く、というその仰々しさ自体が嫌いなのだ。

これまで風邪をこじらせてなんどか医者の世話になったことはあるが、
熱で倒れそうなときにも、咳の発作で身をよじりながらも、
その道すがら、いや、まてまて、もう一日寝ていれば治るのではないか?
ほら、そういう今でさえなんとなく治ってきたような気がするではないか、
というまあさに大変なためらい道な訳である。
そうこうするうちに最後の健康診断からすでに4年。
まあこれだけ溜め込めばまあなんらかの理由付けにはなるかもしれず、
と言う訳で休日出社の代休がてら、健康に行って来たわけである。

が、しかし、健康診断はまさしく内科だ。
足が攣る、というこの問題について、
果たして内科の先生に話してもどうにかなるものなのか。
と言う訳で、まあ、せっかく来たのだから、
なにもありません、さようなら、ではなんとなく損をしたような気にもなって、
なにか気になる点は?と聞かれた際に、
そう言えば、足が良く攣る、と言ってみた訳だ。

まあねえ、あなたもそれほど若くはないし、
昔と同じような感覚で、一日中テニスなんかやってればそれはもう足ぐらい攣るでしょう、
というまあ、なんともなお言葉。
いや、そういうのじゃなくて、テニスじゃなくても例えば犬の散歩で、
といえば、
犬の散歩って言っても、あなたみたいに毎日2時間も3時間も歩いていれば、
まあ体調によっては足が攣ったりもするんじゃないですか?
と、取り付く島も無い。

それならば、と俺なりの見解、
まさか糖尿病では?と思うのですよ。糖尿病の人ってよく足が攣ると言うし。
まあ血液検査の結果を診れば判りますが、足が攣るからと言って糖尿病か、
というとまったくそんなことは無いですし、
もし糖尿病であったら、もっと違う形で症状が出ると思いますよ。

と言う訳で、すべてが曖昧なままに血液検査の結果を待つことになったのだが、
数日して病院から電話があり、まったく問題ありません、の一言。

血圧、血糖値、なにからなにまで、なにも問題なし。あ、それからエイズも大丈夫でした。

と言う訳で、頼みの綱でもあった糖尿病説はもろくも崩れ去り、
考え付くところと言えば、この腰痛、つまりは坐骨神経痛の関連で、
足が攣る、ということか、と考えざるを得なくなった。

チャーリーホースは真夜中に疾る そのなな 坐骨神経痛である

Posted by 高見鈴虫 on 02.2013 チャーリーホースは真夜中に疾る   0 comments   0 trackback
と言う訳で、坐骨神経痛である。
英語ではサイアティカと言う。

この腰痛とも実はかなり長い付き合いである。
テニス、自転車、ドラム、全てが腰に悪い。
まあこれは宿命のようなもので、
例のアルマジロ体操にてなんとか凌いでいたのであるが、
それが足の攣りに関連しているのであれば、
もうこれは早急に対処する必要がある。

と言う訳で、一大決心の末に鍼に行った。
聴くところによると世界的な名医とかなんとかで、
まあ一回の治療で90ドル。まあ騙されたと思って、
と出かけた訳だが、これはこれは、ちょっと相当に怖い思いをした。

が、しかし、その怖い思いの恩恵か、
その後少しはまおともなって、
とりあえず、最近では頼みの綱であるアルマジロ体操さえもが
難儀であったところが、ちょっとばかり腰がまがるようになり、
そしてアルマジロ体操も再び始められるようになったという訳だ。

もしかして、あの鍼で完治したのだろうか?
と思わず天にも昇る思い。
これでチャーリー・ホースの悪霊が追い払われたとすれば、
またテニスを始めてドラムを始めて、
自転車通勤を始めて、ブー君との散歩も2倍3倍に増やそう。

ってなことを考えて、
よし、それならば徹底的に腰痛を治してしまえ、
とばかりに喜びいさんで会社のフィットネス・クラブに加入した訳だ。

まずはストレッチと腹筋背筋から始めよう、と思ったのだが、
どうもジムを終えた後に両足がピキピキするのである。

まあそうとう長いこと運動をしていない手前、
そういうこともあるのか、とは思っていたのだが、
念のため、足の痙攣を抑えるために極力下半身の筋トレは避けていた。
にも関わらず、一週間を終えても足のピクピクは治るどころか酷くなるばかり。
下半身の運動などなにもしていないのに、である。
これにはつくづく首をひねるばかり。

とそんなこんなでのある日。
今日はちょっと調子が良いか、と思って、
セントラルパークへの犬の散歩をちょっと長めに取ってみた訳だが、
その途中から足がピクピクが止まらなくなり、
うーん、これはまいったぞ、と首をかしげながら、休み休み。
そのたびに犬からは、どうしたの?と首を傾げられ、
挙句に退屈そうにあくびをされる始末。

昼のジムの効果か腰の痛みは徐々に消えているものの、
そうであればこの足のピクピクはいったいどうした訳だ。

チャーリーホースは真夜中に疾る そのはち つまりはCATCH-22という奴

Posted by 高見鈴虫 on 03.2013 チャーリーホースは真夜中に疾る   0 comments   0 trackback
と言う訳でその夜更け。
いきなりのチャーリー・ホースである。

これには参った。

まず眠れない。
ようやく痛みが治まって寝入ったところが再び痙攣の発作に襲われる。

水からアミノバイタルから芍薬甘草湯から、
マグネシウムからカルシウムからビタミンEからと、
手当たり次第に口の中に放り込んではみたが、
一度始まった痙攣は収まったかと思えばまた始まって、
まさにおちょくられているようである。

と言う訳で、ようやく寝入ったのは夜明け前、
ふと目が覚めればいきなり遅刻してしまって大顰蹙。

いやあ、フィットネスに行き始めたらいきなりチャーリー・ホースで
と笑っていたのだが、
いよいよこれが続くとなればまさにどんづまり。
つまりは、CATCH-22 という奴である。

と言う訳でついにここに来て、このチャーリー・ホース。
どうにかせねば日常生活が立ち行かなくなって来たわけである。

改めてグーグルで検索をかければ、
痙攣の原因は、
水分不足、マグネシウム不足、カルシウム不足、
そしてカリウムの不足、とそして運動不足。

馬鹿か、と思う。

そんなことは百年も前から先刻承知なわけである。

がしかし、そう、カリウムである。

バナナにはカリウムが含まれているからバナナが推奨される訳で、
それならば、カリウムの錠剤を飲んでみれば、と思った訳である。

減点法式に行けば、もう可能性はそこにしかない。

痛む足を引きずりながら近所の薬局を回ってカリウム、
つまりは、PotassiumGluconateという奴を探し回って飲んでみた。

そらどうだ!この魔法の薬で、チャーリー・ホースよさようなら~

とやってみたが、
いやはやこれがまったく効果がない。

と言う訳で、いやはやである。
もう既に万事窮すである。

これはもはや栄養不足、やら、運動不足やら、
そういった次元の問題ではないのではないだろうか、
と考えはじめた。

例えば、パーキンソン氏病であったり、白血病であったりするのか、
となれば、すぐにでもMRI等の専門的な検査が必要になる訳で。

とここに来て思わずいやいや、と首を振ってしまう。

もう残り少ない人生。今更生きさらばえたところで、
バンドでデビューを飾れる訳でもなければ、
彩る美女に囲まれて酒池肉林なんて機会もないであろう。
となれば、もうこの辺りできれいさっぱり諦めてしまってはどうだろうか、
などと考えはじめても、
そう言えばブー君である。

この犬を置いてはいけない。

ブー君はまだまだ若い。日々十分な運動が必要な訳で、
飼い主が老いさらばえたからと言って彼の人生を無駄にする訳にはいかない。

それならばどうするべきか。いったいどうしたら良いのか、とまさにCATCH-22、
まさしく途方に暮れていた訳である。

チャーリーホースは真夜中に疾る そのきゅう ユダヤの母

Posted by 高見鈴虫 on 03.2013 チャーリーホースは真夜中に疾る   0 comments   0 trackback
そんな時、きっかけはまさにまたしてもユダヤの母であった。

夜更けのドッグランで、
ユダヤの母どもを相手に、
いやあ、足が攣っちゃってさあ、と苦笑いをしたところ、
あれまあ、チャーリー・ホースならアップル・ヴィネガーよ、
とぽろりと言われたのだ。

アップル・サイダー・ビネガー。つまりリンゴ酢?

そうそう、あたしも妊娠中に毎晩毎晩のチャーリー・ホースで眠れなくてね。
そしたら、そう、リンゴ酢。これをあしたのおばあちゃんに聞いてね。
で、飲んでみたら、一撃よ。
チャーリー・ホースにはアップル・サイダー・ヴィネガー。
アメリカでは知らない人はいないわよ。

という訳で、アップル・サイダー・ビネガー。つまりリンゴ酢である。

俺はアメリカ人でもないし、妊娠中ではない訳だが、
仕事中にふとそれを思い出し、
試しにアップル・サイダー・ヴィネガーとチャーリー・ホース、と検索を駆けたところ、
出るわ出るわ、おばあちゃんの豆知識。

それによるとやはり、ユダヤの母の言う通り、
アメリカでは、古くから妊婦=チャーリー・ホースにはリンゴ酢、
という習慣があるそうなので、
妊娠中はいつも枕元にリンゴ酢を置いて、という記事が多数並んでいる。

で、ためしに、うちのかみさんに、
ねえ、リンゴ酢って知ってる?と聞いてみたところ、
うちにあるよ、と一言。

なんでそんなものが家にあるのか、と言えば、
前にリンゴ酢ダイエットっていうのが話題になって試してみたが効果がなかったから、
との事。

ならばそのリンゴ酢、家にあるのならば試してみようか、と。

と言う訳で仕事帰り。
夜にチャーリー・ホースに襲われた左の脹脛はいまだにコチコチ。
鈍い疼痛をもたらし続け、
ふとするうちに地下鉄の中でまた足の指がピクピクと引き攣り始め。
72丁目の駅の階段ではすでに新たなチャーリー・ホースの予兆。
家まで持つだろうか、とは思いながら、
家に帰ったからと言ってなにができよう、
と途方にくれたままの帰宅。
いきなり、おかえり!と飛び掛ってくるブー君。
はいはい、お前のその笑顔だけが俺の余生を支える唯一の礎。

スーツを脱いでとりあえずベッドに横になり、
ブー君の嘗め嘗め攻撃を受けながら
下半身を跳ね回るチャーリー・ホースの予兆を耐え忍ぶ。
まあしばらく寝ていれば収まるだろう、
と犬に嘗められたあとをぽりぽりと掻いていたら、
ようやく帰宅したかみさん。

あれまあ、また足が攣ったの?
ああ、なんかまたおかしくて。
ああ、そうだ、リンゴ酢、ほら、これ。

と言う訳でそのリンゴ酢である。
そのあたりのスーパーで、2ドルそこらで売っているやつ。
日本の米酢のように、アメリカの家庭では極一般的なただのリンゴ酢である。

まさかこんなのが効くのかな、とは思いながら、
もうここまできたら毒でもなんでも食らってやる、
というつもりで、半ばやけくそになったまま、
手渡されたアップル・サイダー・ビネガー、
キャップを外してそのままラッパ飲み。

ぐええ、酸っぱい!
と咽ながら、ふとその瞬間、あれ、と思わず。

アップルビネガーが胃袋に降りた瞬間、
一瞬だが、左足の先の痙攣の痛みがすっと和らいだのである。

ねえそんなの直接飲んで大丈夫?またお腹痛くなるんじゃない?
とは言われて差し出された水をまたがぶ飲み。

そうしたところ、まさにあれあれあれ、である。

あれ、なんかなんか、といっているそばから、
なんと両足で跳ね回っていたチャーリー・ホース、いつのまにか、
まるで紅茶に浸した角砂糖が溶けるように、
みるみるうちに掻き消えて行く。

あれあれあれ、と思わず。
なんだこれは!

と言う訳で、かみさんがあらたに作ったリンゴ酢ジュース。
つまり水で薄めて砂糖を加えた奴を改めて一気飲み。

効いた!これは効いた!

まさにてき面、という奴である。

なんだよ、頼みの綱はうちのキッチンの戸棚の中に寝ていたのか。

と言う訳で、ここに来て新たな展開である。

アップル・サイダー・ビネガー、つまりリンゴ酢。
フェアウエイのオーガニック売り場で、
1PT(473ML)で、まさに3ドル99セント。

これにはまさに大驚愕である。

その夜、ふとブー君の寝相の悪さに起こされた夜更け。
あれ、と思わず。
まさに、足が、この糞足が、まさに軽いのである。
普段からそれほど足の重みを感じていた訳でもないのだが、
ここに来てこのすっと軽くなった足。
まさに、汚れが洗い流された、という感じ。
で、ふと思えば、左足の先の痙攣の痛みも掻き消えている。

なんとまあ、と思わず。

とりあえずこのリンゴ酢。もしかしたらチャーリー・ホースの天敵、
ともすれば俺の人生を変える特効薬になるやも知れず。
思わず会社用のバッグに入れて普段から持ち歩くベースになりつつある。

チャーリーホースは真夜中に疾る そのじゅう 奇跡のリンゴ酢

Posted by 高見鈴虫 on 03.2013 チャーリーホースは真夜中に疾る   0 comments   0 trackback
ああ、奇跡のリンゴ酢効果でとても調子がいい!筈!
と、朝一番から気張ってセントラルパークに行ったのだが、

家をでる前からなんとなく
また太腿のあたりがピクピクしているな、
あれあれどうしたことかな、
まあ気のせいであらう、
などと思っていたら、

チェリーヒルの上に差し掛かったところで、
なんとまたもや足が攣った。

今度は両足の指先。
人差し指と中指である。

その瞬間、思わず、痛がるのも忘れて、
ああ、とへなへなと崩れ落ちそうになった。

奇跡のりんご酢のヌカ喜び、わずか一晩の効果であったか。

ちょっとこれは猛然と途方に暮れてしまう事態である。

もうここまで来ると何一つとして打つ手はない。

となるともうMRIか、或いは神経外科しかないではないか。

あるいは、とちょっと嫌な予感。

これまさかもしかして精神的なものか。
だとすれば、この俺がまさか抗欝剤でも処方されることになるのか。

この俺がうつ病?まさかまさかである。
この世で俺ほどいい思いをしてきた者はいない、
という顔をして生きてきた、この俺が、である。

が、しかしだ、
そう、
そう言えば、
最近まわりに良い女がいねえなあ、
とは思っていたのだがな。

が、しかし、それが原因で足が攣る、
とはどうしても思えない訳である。

とすると、その逆!?

つまりなんとなくこれは、
もしかしてたぶん。。。祟りなのでは、と思ってみた。
 
まさか・・・・ だったら、誰の?。。。。

のだが、しかし、
それが誰であったにしろ、
俺にいったいなにができたのか。
つまり俺のせいではないだろう。
だから頼むから下手な冗談は止めて貰いたいものだ。

だ、が、な、
まさかこんな俺にそれほどの恨みを残すような暇人もいる訳がなく、
あるいは、こんな俺にこだわるようなタマは、
はなから俺のようなタマにはひっかからなかった訳で。

つまり、その線もなし。

だったとしたら・・・いったいこれわなんなんであるのか・・

なんてことを考えているうちに、いつのまにか痛みも痙攣も収まっていた訳なのだが、

今更ながら果たして、である。

リンゴ酢、駄目だったか・・・

だがよ、と今一度。

だが、あのリンゴ酢をくっと行った瞬間、それまでの痛みが掻き消えたのは事実なのだ。

リンゴ酢に鎮痛の効果があるのだろうか。

あるいは、りんご酢が五臓六腑に染み渡る仮定で、
なにか大きな化学変化が起こったのであるか、
しかしそれも夜の間にすべて消費されてしまったのか、
と思う訳である。

さてさてこのリンゴ酢、これはいったいなんであったのか。

がそう言えばリンゴ酢を飲んでから、顔や身体が痒いのが治ったような気がしないか?
顔のボツボツが減ったでしょ?

その代わりにお尻が辛い辛いではあるのだが。

とりあえず原因解明よりも治すのが先決であれば片っ端から試してみるのが良い。

まずはトラブルシュートが先決。
原因究明はその後でも十分だろう。

チャーリーホースは真夜中に疾る そのじゅういち マテ茶の弊害

Posted by 高見鈴虫 on 03.2013 チャーリーホースは真夜中に疾る   0 comments   0 trackback
そう言えば最近、会社ではマテ茶の人である。

それまで、お前の汗はコーヒーの匂いがする、と云われるぐらいに
朝から晩までコーヒーばかり飲んでいたのだが、
一昨年の胃潰瘍ER事件をきっかけに、
あれほど好きであったコーヒーが、
いっさい受け付けなくなってしまったのである。

俺からタバコとコーヒーを取ったら、もうなにも残らない、
と自分自身がそう思っていた訳だが、
なんとなんと、コーヒーが無くても割りとそれなりに生きていけるものだ、
という事実は、割りと真剣に驚愕だった。

という訳で、コーヒーを辞めた俺が代わりになにを飲んでいるか、
と言えば、マテ茶、である。

日本では、太陽のなんたら、で大ブレークしているらしいが、
こっちではラテン系のスーパーやら、ちょっとオーガニック入った高級店などでは、
必ず、というよりも、普通に売っている。

で、このマテ茶、ご存知のようにビタミン満載である。

腹に貯まるか貯まらないかも判らないような、
サラダなんてものに金を払うぐらいなら、
このマテ茶一発で野菜分はすべて完了、
あとは肉しか食わねえぞ、というつもりだったのだが、

最近になってはこのマテ茶、
まさに太陽、というよりは、雑草の香りのするお茶がないと
朝が始まらない、ようにもなっていたのだ。

という訳でこのマテ茶である。
朝一番からビタミン満載。
なんとなくそれだけでとても良いことをしたような気にもなる訳である。

で、今朝ほど、このマテ茶を炒れたまま、
ふとメールなど見だしたら、や、やばい!ってな案件にひっかかって、
で、気がついた時にはすでに真っ黒になるぐらいに濃厚に、
マテ茶が出きってしまっている。

まあよいよい、この一口で野菜一皿分、が、一山分、に変わるだけの話だ、
とばかりに、
そのとてつもなく濃厚なマテ茶を、一気にくーっと飲んでしまった訳だ。

としたところが、それはいきなりやってきた。

なんと胃がむかむかするのである。

それも、なんとなく、どこかで知ったむかむかの仕方なのである。

つまり、そう、忘れもしない、あの一昨年のサンクスギビングの、
あのER事件のあの、そうつまり、胃潰瘍である。

胃潰瘍、こっちでは、オウシャーという。
ストマック・オウシャー。
綴りでいうと、ULCER なので、
ウルシャー、ウルシャーと言ってもまるで通じない、
ので、
いててて、ここがとても痛い、とやったら、はいはい、わかってるよーん、
とそれだけでモルヒネ入りの点滴を打たれてらりぱっぱ。
で、夢から冷めた夕暮れ時には完全に治っていた。

が、そう、そのERに担ぎ込まれるその前々日、ぐらいの時に、
この胃のむかむかが始まっていたのだ。

なんだよ、また胃潰瘍。

がしかし、解せないのである。

だって、理由がないもの。

ここ最近、曲がりなりにもダイエット中である俺が、
まさか食べ過ぎ、ということもない。

で、ストレス?と思うのだが、
上司も部下も誰もいないところで、
一人でカタカタと調べ物しているだけの仕事で、
まさか人間関係のストレスもクソもないだろう。

であれば、なんなのか、である。

で、考えられるとすれば、そう、このマテ茶。
太陽のお茶、列記とした健康飲料の筈である。

がしかし、ここまでくるとそれはもう、この超濃厚マテ茶、
が原因としか思えない。

が、そう、ここだけの話、
胃潰瘍は水を飲んでいれば治るわけなので、
とりあえずは水をがぶ飲みして、だ、

と立ち上がったところ、いきなり両足が、ピキピキピキ、である。

な、な、なんだこれは!

と思わず驚いた。

なんで朝から足がピキピキかな、と。

まだ運動どころか、目覚めてさえいないというのに、である。

で、ふと思い出した。

そう言えば、前のER事件の前にも、このピキピキが始まっていたのである。

あの時は、そう、毎朝毎晩、BMWだ、MINIだ、とごきげんなドライブ出社だったんで、
そんなピキピキもぜんぜん気にならなかったのだが、
そう、そうだそうだ、あの時にも胃がムカムカして足がピキピキだったのである。

で、そう、その後、胃潰瘍だ、と診断されて、胃酸を抑える薬を処方されてから、
足のピキピキのことなどすっかりと忘れていたのである。

が、そう、そう言えばそうだ。
たしかこの終末にもそんなようなことを書いた覚えさえあるのだ。

胃潰瘍をやったときの薬を飲み始めたら足の攣りもなおった、のである。

これはまさに目からウロコだった。

胃潰瘍とチャーリー・ホース、あり得ない、あり得ないのだが、それが事実のようなのである。

なんて思っていたら、
なんとなく身体が痒くなってくる。

あれあれあれ、である。

もしかして、このアトピーもどきも、じつはアトピーなどではなんでもなく、

つまりは全て、胃から来ているのではないか?

という仮説にもとづいて、
仕事用のPCで、すかっと検索をかければ、

なんとなんと、である。
胃潰瘍十二指腸と攣りの関係。
驚いたことに世の中には似たようなことを言っている人々がまさにゴマンと居たわけである。

という訳で、その説明を信じるならば、

1.胃をやられていると栄養素を吸収できない
2.ためにいくらサプリを飲んでも無駄。
3.なぜかといえばすべて胃を越えられずに、よって腸で吸収できないから。

が、しかし、ではなぜ、この健康飲料のマテ茶を飲んで胃が荒れたのか。

とふと調べてみれば、そう、このマテ茶にも豊富にカフェインが含まれていた訳である。

つまりマテ茶か、そうなのか。

でついでを言えば、
かのニコチンも胃液の過剰分泌の原因になる。

ということは、である。
前回の胃潰瘍の時、そう言えば全体会議の準備に忙してタバコが吸えず、
朝から晩まで二コレットを常用してたのだが、
じつはあれが胃潰瘍の原因、ということになる。

そう言えば、
あの時の胃潰瘍のうえ、あれこそはまさに、
ニコレットを噛み続けているとたまに襲ってくる、あの、胃からうえ、のあの激しい奴であった訳だ。

つまりは胃?そういうこと?

と思わずなんかまた閃いてしまったような気がするわけである。

悪意の地雷原を突破するには

Posted by 高見鈴虫 on 04.2013 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
所詮さあ、
誰がなにを思っているかなんて、
誰にもわからないわけで、
実はその本人でさえ
自分がなにを思ってるかなんて
わかってなかったりする訳なんだからさ、
なんで、そう、
んなこと気にするほうが馬鹿だぜ、と思うんだよね。

そう、最前線を突破せねばならないときには、
とにかく闇雲にでも、
俺は地雷を踏まない、俺に弾はあたらない、と思って、
口笛吹きながらでも、渡りきらなければいけない訳でさ。

という訳で、気の持ちようひとつだぜ。

俺に弾はあたらねえ。
俺は地雷を踏まないんだよ。
例え踏んでも、気にしない気にしない。

という訳で、
面と向かって、
てめえ気にいらねえ、ツラかせ、言われるまでは、
誰にどう思われようが、
影でなにを言われようが、
平気のへの字で、馬鹿を通させて頂くつもり。

もちろん、いざ、ツラ貸せ、と言われた時には。。
望むところよ、そうこなくっちゃ、と
逆にこっちから腕引っ張ってやる、
ぐらいの気はいつでも持ってるけどな。

という訳でよろしく

したいけどあなたとじゃないの

Posted by 高見鈴虫 on 05.2013 嘗て知った結末   0 comments   0 trackback
女って実はそのことばっかり考えてる、
というのはよくある話。

ではなぜ、この俺のお相手をしてくれないのか。

つまりは、

したいけどあなたとじゃないの

ということなんだろう

早起きは$$の得

Posted by 高見鈴虫 on 06.2013 とかいぐらし   0 comments   0 trackback
朝起きたら寒い。

枕元の目覚ましがわりのIPHONEを手にしてみれば、
なんと30度である。

摂氏で言えば…マイナス1℃。
あのなあ、もう4月だぜ。ありえねえ、
と思いながら、
急いでシャワーに入ろうと思ったら、おっとお湯が出ねえ。

ああ、そう言えばエレベーターにそんな張り紙がしてあったっけな。

それが今日か。くっそうやられたなあ。
昨日の夜のうちに入っておけば良かった。

と、寝癖で髪の毛つんつんにおっ立てたまま、
まあ、昼のジムの時についでにシャワーに入ればいいか、
と軽くいなしてそのまま地下鉄。
無人オフィス、そういう所は楽だったりもする。

でシャワーをスキップした分、普段よりも15分も早く出社。

誰もいないオフィス、いきなり寒い。

そうだよなあ、もう4月なんだし、暖房切っちゃってるよな、
とコートも脱がずに椅子にどかり。

で、開いたPCでなにげにメールを開いたら、

なんと、大ボスから直接のメール!!!

なんだなんだ、ついにクビか、と思ったら、
おはよ~、なんか日本からこんなメールが届いているんだけど、
日本語オンリーでさっぱり意味が@#$。訳してちょんまげ、
ってな話。

で、内容を見れば、明らかに間違いメール。
と言うか、日本人が日本人向けに出したメールに、
たまたまうちの大ボスのアドがCCで入ってた、って感じ。

ところでこの大ボス、いったい何時にこのメール出したのか、
と思えば5時半だよおい。
この人いったい何時から仕事してるのか、と改めて驚愕。

とりあえずアメリカの管理職。本当によく働く。
誰よりも働き者で誰よりも仕事ができて、
というのが当然のことのようにここアメリカでは管理職の条件。
しかもこの大ボス。仕事処理能力が半端じゃない。
いついかなる時にもどんなメールにも目を通し、
その敏速な判断力と処理能力のすばやさ的確さは
まさに超人に近いものがある。

アメリカなんかデブのバカの怠け者ばかりだ、へへん、とタカを括ってた俺に、
いやはや、アメリカやってくれるなあ、と痛感させたのはまさにこの人。

で、アメリカにおいてはこういう時に一番大切なのはスピード。
で、取り急ぎ、こりは間違いメールでござります。
内容はこんな感じですが、ってなメモでささっと返信。
もしもご興味があれば内容を訳しまして候、と付けたし。
おお、送信時間は、始業8時の5分前!
とりあえずセーフ。
地雷撤去成功!
おおお湯が出なくて本当に良かった~、
とこのときばかりは胸を撫で下ろし。
一挙に落ち着いて改めてクローゼットのハンガーにコートをかけて、
でついでにキッチンに寄ってお茶入れて帰って来たら、
なんとまた大ボスから返信。
えええ、あの文章全部訳すの?
と慌ててあけてみれば、

おっまえ、すっげえなあ、あの記号みたいな文字の意味がすぐ判るんだねえ、
凄い凄い!ありがとうねえ、優秀な部下を持って光栄です!
ってなお褒めの言葉。

まあねえ、いちおう日本人なもので、と頭を掻きながら、
いえいえ滅相もございませんでございます。
しかしながら頂きましたお褒めの言葉、誠に光栄にてございます。
あなた様のお力になれることが至極の幸福にて存じますです候
なんてことはダラダラ書かずに、
My pleasure でピッと送信。
おおこのフランクさがまたアメリカだっち。

で、調子に乗って、DRAFTに溜まっていた懸念案件のご躊躇メール、
こなくそ、と一挙に送信。
おお、やっちまった、どうなるだろう、と思いながらも、
そう言えば糞もし忘れた、とトイレで一発。
なんだよこの髪、まるでパンクだな、と苦笑いしながらも、
いいか、どうせオフィスは印度人ばかりだし、
と机に帰ったらなんとメールの山。

さっき出したご躊躇メール、
いやあ、お偉いの方々にこんなの出したらやばいかな、失礼かな、
もっと差し障りの無い書き方できないのかな、
あるいは、文法間違ってないかな、
などと思い悩んで出さずじまいだったメール、

のその返答がまさにどどどどっと津波のように。

で、恐る恐る中身を読んでみれば、
なんともざっくばらんな了解メール。
しかも誤字脱字満載。つまりこれ外からBlackBerryで打ってるんだよね。
そうそう、この時代、そんな畏まったメールなど誰も必要としていない。
求められるのはとにかくスピード。スペルチェックも文法チェックも後回し後回し。

なあんだ、と一安心したとたん、
え!?と思わず。
もしかして・・・ ということは、この一週間の仕事が、
なんと飛躍的に大躍進を遂げたのではないか!?

と保留案件を紐解けば、おおお先のメールで、こいつもこいつもこいつもGO-AHEADじゃねえか!
と改めてこの国のビジネスのやり方に驚愕をこく。

つまりはスピードなんだよねえ。敬意敬称尊敬語謙譲語も二の次三の次。
上司にWssapはないが、Hi で十分だったりもするわけで、
それが敏速であれば、NP Tky だけで一丁上がりな訳である。

いやはやである。

と言う訳で、さかさかるんるんと懸念案件を終わらせて、
で、はい、DRAFT完成だす、ちょっと目を通して、とボスに丸投げ。

と言う訳で昼を待たずして今日一日の仕事がすべて終了してしまったのでありました。

やはり早起きは$$の得だ、と実感した次第。

犬の言語力

Posted by 高見鈴虫 on 07.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback
犬を飼っていると、
知らない間に、というか、日常的に犬に対して話しかけている。

傍から見れば、なんとも馬鹿馬鹿しい光景と目に映るのだろうが、
実はそれがそうとも言えなかったりする、というのは、
犬を飼う者なら誰でも知っていることなのである。

つまり、犬との間に会話は成立する。

おーい、お散歩行くよ、と言えば、すぐさま玄関でスタンバイ。
その前にあの赤いボール持って行こいよ、と言えばおもちゃ箱から持ってくる。
ちがうちがう、緑のやつ、あのトゲトゲの、と言えば、
OK、とまたおもちゃ箱に走る訳である。
ねえ、ならかあちゃんも呼んでおいで、と言えばかみさんを呼びに走る。
どこ行く?ドッグラン?天気良いからセントラルパーク行こうか?
と言えばもうやる気まんまんである。

散歩の途中でも、ああ腹減った、帰ってごはん食べよう、
と言えば、OKと来た道を引き返し始めるし、
途中でなんか買っていこうか?と言えば、
さっさと角を右に曲がってスーパーへと向かおうとする。
良く行くペットショップの名前を言えばすべて道筋を覚えているし、
お友達の犬の名前もその飼い主も判っているようだ。

あれ、靴下どこかな?と言えば、ベッドの下から探し出してくるし、
IPHONE見なかった?と言えば、ここだここだ、と本棚の上を鼻先で示す。
ジェニーさんにこのボール持って行って、と言えば、はいはい、と届けに走るし、
ねえ、おやつあげるからレミーを呼んでおいで、
と言ったら本当にレミーを連れてきたのには驚いた。

と言う訳で、犬と会話をする人は、別に地蔵に話しかけている訳ではなく、
それが普通に会話が成り立つから話かけている訳なのである。

と言う訳で犬の会話能力である。

まあ確かに、言葉遊びに近い込み入った話は無理なのだろうが、
物の本によると、犬は200語ぐらいの単語は理解するらしい。

これは下手をすれば、俺の英語、とは行かなくても、
うろ覚えのスペイン語やら、フランス語、よりはずっとずっと行けてる。

元々うちの犬は子犬の頃からどういう訳か人の話に耳を傾けるところがあって、
会話をする人々をじっと見詰めながら、その声にまさに、
ビクターの犬がするように、首を傾げながら熱心に聞き入っていたりした訳だが、
そうこうするうちに、大抵の言葉は聞き取れるようになり、
下手をすると、あまり聞いて欲しくない言葉までも察知するようになってきた。

つまり、じゃあブー君にはお留守番してもらって、
なんてこぼそうものなら、いつの間にか玄関の前でがんばっている。
今日帰りちょっと遅くなるよ、と言えばとたんにしゅんとしてハウスに篭ってしまうし、
出張で、などと言えば、とたんにそわそわと落ち着かなくなり、
下手をするとスーツケースを入れてあるクローゼットの前でがんばり始める訳だ。

いったい人間の言葉をどこまで理解しているのか、
ちょっと恐ろしくもなったりする訳だが、
下手をするとあまりかみさんに聞かれたくないようなたぐいの話も、
知らぬ間に聞き耳をたててこっそりちくっていたりするのか、
なんて気にさえなってくる。

が、しかし、そう、犬には会話の能力がない。
つまり、言っていることは判っても、それを言葉で表現する能力がないのだ。

やっぱりな、犬との会話は無理かな、と思うと実はそれは間違いである。

犬は言語での対話を使用しないかわりに、
ボディーランゲージでの対話が主になるのだ。

尻尾の上がり下がりはまさに感情の生き写しであるし、
口の周りを嘗めれば腹が減った、
尻尾がくの字に曲がればうんちが近い、
そうこうするうちに表情だけ見れば大抵のことは察しがつくようになって、
話しかければ、ジェスチャーで返す、のやり取りから、
大抵の日常会話は成り立つのである。

と言う訳で、犬に言葉を覚えてもらうにはどうしたら良いのか。

それはすなわち、犬に話かけること、である。

いやあ、仕事が大変でさあ。安い給料でこき使われて、
なんていう愚痴でさえ、話しているうちにいつのまにか、
片手を肩において、ほっぺたなどを嘗めながら、
まあまあ、そういうこともあるさ、なんて慰めてもらったり、
なんてことが日常的になんの違和感もなく普通に行われていたりする訳だ。

これを人生最高の友、と言わずしてなんと言おう。

がしかし、
そう、うちの犬、賢いのは良いのだが、
なんだかその顔つきを見ているとちょっと末恐ろしくもなってくる。

つまり、こうしてIPADを覗きこんでいるときに、
ねえ、なにやってんの?退屈だから散歩に行こうよ、と耳元で囁かれたり、
あるいは、
夜更けに、おいおい、と起こされて、
なんか腹が減ったんだけど、ソーセージでもないかな?
などと普通に話しかけてしまうような気がしてならない訳だ。

お前、まさか、本当は言葉喋れるんじゃないの?

この目を見ているとそうそうと否定はできないような気もしてくる訳だ。

草原のふたり

Posted by 高見鈴虫 on 08.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback
週末の朝、靄に煙ったセントラルパーク。

緑の芝生の丘のそのずっと向こうから、
なにやら黒い点が物凄いスピードで近づいて来る。

なんだあれ、と指差した途端、まるでロケットのように走り出すブッチ。

緑の草原の真ん中で鼻を合わせて、やあやあ、と飛び跳ねてから、
また丘から丘へとひとまわり。

そして赤い舌を躍らせて帰って来たふたり。

なんだ、誰かと思ったらチェシーか。

普段はドッグランで顔を会わせているこの二人。

ドッグランで互いの姿が見えないと、来るまで待つ、
と言い張るぐらいに、いまや大の仲良しである。

そら、行っておいで、と言った途端に、また夢中で走りだす二匹。

とそしてしばらくして、ようやく丘の向こうから飼い主のエレンが顔を見せる。

まったく、いきなり走り出して、どこ行ったかと思ったら、
ブッチを連れて帰って来たのね。

と言う訳で、早朝のセントラルパーク。

やがて集まり始めた寝ぼけ眼の人々の間を、

これでもかとはしゃぎまわる犬たちの姿。

まさに、幸せ一杯である。

夏の最初の一日目

Posted by 高見鈴虫 on 09.2013 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
先週の火曜日は確か真冬だった気がするのだが、
ここにきていきなりの真夏日である。
朝家を出る時に思わず先週までのスタイル、
つまりはヒートテックにカシミアのvネックのセーターの上に
ウルトラライトのダウンジャケットを羽織ったりもしたのだが、
午後に入って気温は30度に迫る勢い。

まったく夏に向けての気構えが出来ていなかった人々。
脱ぎ捨てたコートとジャケットを肩に担いでカバンにぶら下げて、
そのうちはだけたシャツも脱いでしまって、肌着がわりのtシャツ一枚。

冬の間、まったく陽にさらされていなかった生白い柔肌に、
たわわな胸がぼわんぼわんと揺れる揺れる。

思わず目のやり場に困ってしまうのだが、
当の本人たちはまったく意にも止めない風で、
そんなぼわんぼわんを、やれやれと言う感じで持て余している風。

そっか。
冬の間、セーターやコートの下に隠れていたおっぱいは
言うなれば無用の長物だった訳だね。

という訳で夏近し。
おぱいたちも出番が間近。

かわいがり

Posted by 高見鈴虫 on 10.2013 嘗て知った結末   0 comments   0 trackback
やっぱねえ、男も女も、
この人を喜ばせたい!
と人に思われるような、
かわいい人にならなきゃね、
と思うんだよね。

あるいは、上手な可愛がられ方を学ばなくては、
というか。

が、そういえば俺って
そういうかわいがられ方を
されたことがないような。。

が、そういう人をかわいがるのは大好きです。
誰か可愛がられてくれませんか。

と、ふと見ると、膝の上に顎を乗せて、
ニカニカと笑っている奴がいる。

なんだよ、と言うと、

えへへ、と笑いながら、上げた右手で、
ポンと膝頭を叩く。

だから、なに?
え?へへへ。

という訳である。
そう、我が家の犬、可愛がられことに関しては天才的。

思わず頭を撫で撫で、そしておやつの一つもあげようか、
という気にさせられてしまう。

まさにこれな訳である。


アメリカのDEADEND

Posted by 高見鈴虫 on 11.2013 とかいぐらし   0 comments   0 trackback
アメリカの田舎は、
どこに行ってもDEADENDの香りがする。

フリーウエイと広い空と山、川。
しかしどの風景を見てもなぜか鬱々としてくる。
と言う訳で田舎だ。
例え通りに人がいないからと言って、
そこで都会的な視点で駄目だしをしてはいけない。
田舎には田舎の美学がある。
つまり田舎に行ったのであれば、
思い切り田舎を楽しむべきなのだ。

広い家。
緑の芝生。
青い空。

なにも悪いことはない。

そこに文化やら芸術やら人の営みを期待してはいけないのだ。

山があれば山で、
川があれば川で遊ぶ。

テニスをやって、フライフィッシングをやって、
キャンプをしたり山登りをしたり、川原でBBQをしたり、
裏庭でショットガンを撃ったり。

まあそれぐらいしかないのだが、
それをすればなんとか田舎でも間がもつではないか。

という訳で田舎を思い切り楽しむには。。

自宅にスタジオを作ってしまうことかと思っている。

夫婦げんかに犬さえもが迷惑がっている

Posted by 高見鈴虫 on 13.2013 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
朝からまたまた大喧嘩である。
喧嘩したとたんにまた胃が痛くなって吐き気がし始めた。
なんか胃潰瘍もこの足の攣りもすべてこの欲求不満、つまりかみさんが原因なのではないかと思い始めた。

つまり、なにもかもの原因は、実は人生がつまらないからなのよとJENNYに言われたからだ。

恋をしている人は病気になんかかからないという訳なのだろう。

そう言えばそうかなとも思う。

したとたん、あのひらひらした娘たちのことから始まって色々な人々の顔が浮かんでほとほと悲しくなる。
祟りとはつまりはそういうことだ。
エンドルフィンが激減して鬱状態から色々な病気になるのだろう。
と言う訳でこのかみさんともそろそろもう終わりにしたほうがいいのかなとまじめに思い始めた。
このままではそのうちに本当に脳溢血でも起こしそうである。
こんなことを続けていたらまじめに殺されてしまうだろうと思い始めた。

思えば喧嘩ばかりだったよな。この二十幾年間ずっとずっと喧嘩ばかりだった気がする。
もう終わりにしたほうがいいのだろうか。

前の会社と同じで一生懸命しがみついていたものから離れたとたんに
恨みしか残らないという状況がありありとイメージできるようになってきた。
問題は犬だなと思う。
新しい女でもできたら犬のことも忘れてしまうのだろうか。
あるいは犬をどうしたらいいのだろうか。
この犬がいたら新しい女どころではないからな。
あるいは女ができたら犬のことなどどうでも良くなってしまうのだろうか。
つくづく八方塞がりな気分である。

ああもう遠いところに行ってしまおうかとも思うが、
アメリカの田舎なんてところで一人暮らしをすることは考えただけでぞっとするな。


アメリカの片田舎で新しい犬を飼って新しい女と新しい暮らしを始めるとか、とも考えるのだが。

そうしたらもしかしたらこの奇病からも開放されるのかもしれない。

ああ頭が痛い。なんか吐き気がしているのだがまじ脳溢血だろうか?気持ちが悪くなってきた。

独りになる、と考えるといつも途方に暮れてしまう

Posted by 高見鈴虫 on 14.2013 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
何度目かの夫婦げんかの後に、
この歳になって改めて独り身になるということについて考えている。

独りになる、というのは、自分の為だけに自分の為だけの人生を生きるということか。

そう思った途端に、なぜか果てしなく途方に暮れてしまう。

これまであまりにも自分をないがしろにしてきたせいで、
果たして今になって自分なんてものが心底どうでもよいものに思えてしまう癖がついてしまっているのだろう。

先日読んだニュース、離婚して一人暮らしをしていた老教師が孤独死して
その部屋から山のようなAVが出てきたってな話。

その孤独死した男は、
遺族たちから、恥ずかしい、やら、情けない、やらと罵声の限りを浴びせかけられていたが、
改めてその遺族の奴ら、まさに鬼だな、と思った訳だ。

村上龍ではないが、男は消耗品なのだからしかたがないということなのだろうが、
それはあまりにあんまりである。

離婚をしても惨めにならない方法をまじめに考えるべきだろう。
あるいは惨めな暮らしを楽しむ方法だろうか。
いずれにしろろくなことならない気はするが、
今の生活を続けながら夫婦げんかの果てに、脳溢血やら胃潰瘍で倒れたとしても同じ結末だろう。

だったらひとおもいに、と思う訳で、そう思うといきなり3面記事の中高年の自殺のニュースが
実に身近なものに思えてきたりもする訳だ。

仕事もせずに失業保険と生活保護を貰いながら酒びたりで睡眠薬がぶ飲みするのも一種の自殺だしな。
ニューヨークを一歩でも離れれば、アメリカ中、そんな奴らばかりだ。

そうならないためには旅に出ることだろうと思う。

旅に出てどうするのか。
いまさらこの歳でガキどもの泊まるゲストハウスのベッドの上でいったいなにをしようと言うのか。

仕事を辞め離婚して旅に出た元いけいけの中年男同士が、ふとしたことでバンコックの安宿で出会う。
中年男特有のさまざまな困ったを満載したこの二人が、憎みあい罵り合いながらも
何故か頼りあって旅を続けていく、という話はどうだろう、

なんて話を考えてもみた。

男たちよ、そろそろ肩の力を抜いて、互いに慰めあうのもいいんじゃねえのか?

「デッドエンド・モーテル」

Posted by 高見鈴虫 on 15.2013 旅の言葉   0 comments   0 trackback
独り身になる、と思うといつも、
ラーレイ・ダーハムの街道沿いのモーテルの前でタバコを吸いながら
フリーウエイの灯りを眺めていた時のことを思い出す。

あれほど惨めな気持ちというのも早々とあるわけではないのだが、
つまり独りになるということは、
あんな気分がずっと続くのだろうと思ってしまって、
ついつち離婚に踏み切れないでいるのだろう。


悪銭

Posted by 高見鈴虫 on 16.2013 とかいぐらし   0 comments   0 trackback
と言う訳で悪銭である。
悪銭と聞く度にくっそたれこいつら気にいらねえと思う。
なぜ悪銭がこれほど気に入らないかと思うたびに
うーんどうしてなんだろうと考えこんでしまう。
つまりはぶっちゃけ俺の考えていたことそのものだからなのではないか
という結論に至る訳で
そしてそれはやはりとてつもなくえげつないわけだ。

悪銭を思うと同時に胸のうちにむらむらと芽生えるのは
日本人意識あるいはベンダー意識な訳だが、
つまりそれを相対すると弱者の怨念なのである。

つまり悪銭は弱者を鞭打つものなのだ。

弱者の怨念を総括して巨悪に立ち向かうという
いかにも昭和的な桃太郎美学はたしかにヒロイックではあるが
俺にはもうそんな力はないだろうとも思いはじめている。

まあ自分的ポリシーというか美学の問題なのだがやはり悪銭は気に入らない。
気に入らないとは言いながらやはり悪銭を意識しない訳にはいかない。

悪銭の言うことは判る。
十分すぎるぐらいに判る。
悪銭がいなければたぶん俺がそれをやりたかったからだろうことだからだ。

一人の天才、あるいは超プロ意識を持った鉄人=強者が弱者=ベンダーを淘汰し
奴隷化した上で全ての仕事を分解しシステム化し可視化した上で
第三国にアウトソーシングしてしまう訳だが、
これは限りなくえげつなく、
しかしそれはまさに俺がやってきたことなのだ。

悪銭の口からも聞いたように、
いずれにしろ日本は外資に買い取られる。

買い取られた結果、選ばれた者が全部取りをする壁通り型の超格差社会になる。
がそれは自然の摂理なのでしかたがない。
悪銭は悪銭の中の超階級差別的格差待遇に囚われるあまり
世界中がきっとそうなると思い込んでいるのだろうが
それは違うだろうと俺の桃太郎根性が机を叩く訳なのだが、
しかし今こうして巨大企業=悪の中枢の中に入ってしまうと
そういうちんけな桃太郎野郎がうざくてしょうがないという気持ちも判る。

悪夢の白日夢

Posted by 高見鈴虫 on 17.2013 とかいぐらし   0 comments   0 trackback
米系に転職して早6ヶ月。
文句無い待遇に左団扇かと言うと実はそうでもない。
なんというか、そう、なんというかもの寂しさというか、
そう、一言で言って物足りないのである。

ジムに入ってから友人も増えて、
廊下やトイレやカフェテリアでも挨拶で言葉を交わす機会が増えた。
毎日必ず挨拶に俺のQUBEを立ち寄る人もいて、
なんだかんだと邪魔にはなるが、
そうつまりそれが普通の会社という奴なのだ。

がしかし、なんだろうこのスカスカ感は。

確かに上司に一挙一動を見張られていることも無ければ、
うるさく絡んでくる同僚もいない。
どうでもいいことばかりを聞いてくる後輩もいなければ、
尻拭いをしなければいけない部下もいない。

なんと言ってもこの会社は人も羨む超一流企業なのだ。
給料の最低限でも6っ桁を下らないこの企業では当然のことながら
その社員はすべてその道の歴戦の勇士。
バリバリのプロフェッショナルばかり。
業界の中で選ばれたものだけが集められたこのまさしく理想的な環境。

朝から晩まで仕事に没頭できて人間関係のストレスは皆無。
朝8時出社がたまに傷ではあるが、
毎日5時まで誰にも邪魔されることなくばりばりと仕事をこなし、
5時になればすかっと帰宅。

犬を連れてまだ日の残った公園を散歩できるというのは
まさに極楽以上の何物でもない。
改めて神様に感謝したくなる、というものなのだが。
どうしてだろう、この心の隙間は、と思っている訳だ。

もしかして日本語に餓えているのであろうか?

確かに一日中目にするものは英語ばかり。
もしかしてドラマ性に餓えているのだろうか?
確かに早々とドラマチックな事件は起きない職種ではある。
もしかして変化に餓えているのだろうか?
確かに派手さには欠けるよな。
がしかし、多分そういうことではないのではないのだろうか、
とは薄々感づいてはいた。

と言う訳で春爛漫である。
タバコを吸いに下に下りるたびにさんさんと降り注ぐ春の日差しの中を
ムチムチピチピチの女の子達がこれでもかと身体中の脂肪を揺らしながら闊歩している。

もともとデブや大女は嫌いのはずであるのだが、
あの見るからに柔らかそうな脂肪のかたまりがゆさゆさと揺れる様は
見ているだけでお腹一杯胸一杯に気持ちが満たされてきてしまう。

あんな巨大な尻をしていたら下手をするとちんこが届かないのでは
と思うぐらいのばぶるばっとなお嬢様たちの中で
しかしその華やいだ空気に触れられるだけでもめっけもの。

と思いながら、そう、それは実に唐突に気がついた訳である。

そう、そうなのである。つまり女である。

女かあ。。女ねえ。。。
そう思ったとたん、なんとなく自分の浅はかさがとことんに嫌になった訳である。

ボストン・マラソンの事件

Posted by 高見鈴虫 on 18.2013 アメリカ爺時事   0 comments   0 trackback
月曜日。
仕事の終わった5時。その後の8時からの日本向けの電話会議までの間、
軽く身体を動かそうかとジムに行ったのだが、
入り口を入ってすぐのテレビでBREAKING NEWSのテロップとともに、
万国旗がはためく遠影の映像が映っていた。

まさか国連が?と目を凝らしたのだが、どうも違うようだ。

すぐに後から入ってきた奴に、なんだよこれ、と聞いたところ、
知らなかったのか?ボストン・マラソンで爆弾事件があったんだぜ、
との話。

マラソンで爆弾?なんで?
さあな、知るもんか。誰にも判らないさ。狂ってるとしか思えん。

という訳で、ジムで二時間、ウエイトやらトレード・ミルやらをやりながら、
永遠と映し出される爆発現場の映像を観させられた。

それはまさに911の時と同じ。

取り敢えずそれ関係で何かを映しておかなくてはいけない事情からか、
同じ映像が何度も何度もこれでもか、と流され続けている。

という訳でなんだ。
まあ犯人と言えば、あいつらとしか思えないんだよな、
とは誰もが思っていながら、どうしても口にできないその言葉。

それこそは、まさにアメリカ中に蔓延する狂気の中枢部分。

まさか、とは思う。
が、まさに、とも思う。

つまり・・・銃規制法案への脅迫って奴なのか?

言うまでもなくアメリカは銃の国である。

ここニューヨークでこそそれほどお目にかかる機会はないが、
この街を一歩でもでれば、それはまさにチューインガムと同じぐらいに、
あったりまえの顔をしていたるところにゴロゴロと転がっている。

アメリカ人から銃を取り上げることは、
アル中から酒を取り上げたり、喫煙者にタバコを辞めさせたり、
よりも、ずっとずっと根深く、難しい問題なのだ。

なんといっても、その産業に経済の土台そのものを支えられている人々が、
まさにゴマンと居るのだから。

総称してエヌアールエーと云われる人々。

こいつらは・・まさに・・アルカイダが幼稚園生に思えるほどに、
徹底的にこれでもかというぐらに質が悪い集団である。

案の定、アルカイダからは異例の、俺じゃないもん、宣言。

という訳で、アルカイダの奴らもこのニュースにだけは、
まさに腹を抱えて笑い転げているに違いない。

そう、アメリカの最大の敵はまさにこの内側にいる隣人ヅラしたキチガイたち、
に他ならないのだ。

今更911疑惑を蒸し返す訳ではないが、
この国でちょっとでもまとにも頭の働く奴であれば、
あのテロ事件の後、誰がどうやってしこたま銭を稼いだか、
一目瞭然だろうが。

ケネディ暗殺からベトナム敗戦への坂道を転がり落ちる仮定で、
誰がどこでどうやってあぶく銭を掴んだのか。

テキサス・マフィアをパトロンにした木偶の坊が、
国家最高権力を握った途端、いったいなにが起こったのか。
そして誰がどこで銭をもうけ、そして世界中でなにが行われたのか。

そしていま、その亡霊たちが再び地上に舞い降りて宴会の準備が整いつつある。

踏まずに済ませないわけにはいかない虎の尻尾である、
その人類最大の敵のその琴線に触れた以上は、
亡霊たちの狂宴が再び世界を包もうとしているということか。

隣りで走っているおっさんが、という訳だな、
とこれ以上ない渋面を歪めながら笑って見せる。

なにが?としらばっくれて聞き返せば、これさ、と人差し指を上げてバーン。

おおおお、と思わず大驚愕ポーズ。え、なになに?ってことは、つまりその、エヌアールエーの奴らの仕業?まさか・・・

さあね、俺は知らない、なにも知らない。ただな、まあ絶好すぎるタイミングではあるけどな。

おまえ、度胸あるなあ。ニューヨーク以外でそんなこと、口が裂けても言えないぜ。

だから俺達はニューヨークにいるんだろ?違うか?

という訳で、その翌日。

それはオバマ大統領に届いた毒入り封筒の記事に掻き消されて、
話題にさえならなかったようだが、
つまりはこれだ。

「米上院が銃規制強化法案を否決」

あのなあ、と思わず口があんぐり、を通り越して足元に落ちてしまった。

どこの世の中に、キチガイから刃物をとりあげることに反対する政治家が居るんだよ、と。

この世の中のいったいどこに、好き勝手に自分の子供を撃ち殺されたいやつがいるのかよ、と。

知人隣人を含めてすべての人間が疑心暗鬼と過剰防衛に怯えながら互いに銃を突きつけ合って暮らせ、とでも言うのかよ。

窓という窓、ドアと言うドアに防弾シールドを貼って、世界中にアラーム探知機と隠しカメラを設置して、
すべての車が防弾ガラス、スクールバスは装甲車で、ランドセルの下には防弾ベストに、通学帽は鉄性のヘルメットか?

ああ、そうだそうだ、そうしよう、としゃあしゃあと言うに違いない。

そして、そんなキチガイ沙汰を妨げようとする者には、爆弾と毒入り書簡のプレゼントってやつか?

いい加減にしろ、と言いたい、が、彼らがそれを本当にやる、ことをアメリカ人は知っている。
そして、彼らが、どこに居るのか、誰もわからないながら、
それはまさに、そう、チューインガムのように、いたるところにそこら中にあったりまえの顔をして存在しているのだ。

普段はいたって真面目、絵に描いたような典型的且つ模範的な常識人が、
一度その宝物というやつに手を出した途端に、悪魔に豹変するのである。

そしてそいつらは、まさに至るところに、
つまりは、警察、軍隊、政治家から、会社員から学生から、
と、まさにアメリカ中のいたるところに居るわけなのだ。

彼らにとっては、この銃規制法案は、
ガムを噛んではいけません、と同じぐらいに馬鹿馬鹿しい問題と思っているに違いない。

そんな奴らを相手にしていたら、そのうち本当に内乱が起こるのではないか?
とは思っていたのだが、
否、そう、このキチガイどもの中には、まさにその内乱を望んでいる奴も含まれているに違いない。

アルカイダだ、テロリストだ、で騒いでいるうちはまだまだお子ちゃまだったっな、
いまは国民の半分がテロリストだ、と思わされる時代がやってくるということなのか。

という訳で、お流れになった銃規制法案。

まさに世界最悪のキチガイ集団にしてやられた、というところだろうが、
このまま取り敢えず、踏まれた尻尾のことなど忘れて眠ってしまって欲しいものだがな。

あるいは、彼らを国際テロ組織に認定、なんてね。まさに洒落にならない。


「日曜日のドッグランに来る人々」

Posted by 高見鈴虫 on 19.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback
このところのぽかぽか陽気で、日曜日のドッグランは犬と人で一杯。

嫌な予感はしていたのだが、どうしても、とがんばるブッチに根負けして中に。

普段から顔見知りの連中、
つまりは筋金入りの猛犬に鍛えられた、
これまた筋金入りのドッグラバー同士とは違って、
この「日曜日のドッグランに来る人々」
まあそれが人間としては普通なのであろうが、
我ら犬バカ達の目からすると、
どうも犬の躾が甘い、というか、
ちょっとドッグラバーの常識からは逸脱した人々も多い訳で。

例えば、犬のうんこを片付けない。

公園のゴミ箱と一緒で、どこかの誰かがうんこを掃除してくれる、
と思っているらしく、

あのー、すみません、この黒いラブラドールの飼い主の人、
うんち、片付けてください、と言ったりすると、
はいはい、と明るく笑って無視したり、
なんで私が、とばかりにむっとしたりする訳だ。

あるいは、
人のボールを勝手に使って、
まあ、犬が喜んでいるんだからいいだろう、と思っていると、
そのまま持って帰ってしまったり、
あるいは、ゴミ箱に捨ててしまったり。

どうもドッグランにあるものは全て共有のもの、
と思っている節がある。

で、そんないたいけな飼い主に飼われた犬達。

もう見ているこっちが微笑ましいを通り越して、
痛々しくさえなってくるぐらいに、
ドッグランに連れてきて貰えたことが、
もう嬉しくて嬉しくて嬉しくて、
と、そのはしゃぎ方が尋常じゃない。

そんな犬達の狂騒ぶりを、目を細めている飼い主たち。

あるいは、せっせと写真など撮り始めたり、と、

おいおい、あんたたち、
いったいぜんたいいつこの犬を外にだしてやってるんだよ、
もしかして、ずっと檻に閉じ込めたままで、
散歩にでるのは週末のこのドッグランだけ、
っていうんじゃないだろうな。

という訳で、普段から、
お散歩もドッグランもうんざり、
というぐらいにお散歩三昧で暮らしている常連犬たちは、
ともするとそんな週末デビューの新参者たちが、かなり迷惑そう。

ねえねえねえ、遊ぼう遊ぼう遊ぼう、と絡みつかれるのがうざったいらしく、
ブーはもうずっとベンチの上でボール咥えたままだ。

という訳で、知らない犬達だらけのドッグラン。

中にはまさに「今日買ったばっかり」なんていう子犬も混ざっていて、
もう見るからに可愛い可愛い、ぬいぐるみなような輩たち。

飼い主もさかんに写真を撮っていて、
そんな子犬が大きな犬達にじゃれ付くたびに、それやっちゃえ、やっつけろ、
と犬も呆れる程の大はしゃぎぶり。

で、そんな子犬、走り回って飛びかかって、転がって、と大騒ぎなのだが、
そんな子犬を珍しがって集まってきた犬達。

くんくんくん、おお、こいつはどこの子だ?
やれ可愛いねえ、くんくん、とやっては、
犬は犬でみな目を細めて子犬が可愛くてしょうがない。

子犬にじゃれつかれるままに任せているのだが、
そんな中には、まだ子犬の抜けきれてない輩なんてのもいて、
まるで兄弟のプロレスごっこ、さながらに、
おっしゃ、来い、俺が新しい技おしえちゃる、
とばかりにじゃれかかるのだが、

そんな犬同士の微笑ましい格闘ごっこ。
周りの人々も思わず笑顔笑顔、で見守っていたところ、

いきなり飛び上がったその子犬の飼い主、

わああああ、やめろ、やめさせろ、なんだよ、なにすんだよ!

と騒ぎ始めた。

どうも子犬が押し倒されて、キャンキャンと鳴いたものを、
悲鳴を上げている、と勘違いしたらしい。

周りの人々は、いや、大丈夫、大丈夫、遊んでるだけだから、と
笑っているのだが、
その子犬の飼い主、やおらに犬達の輪の中に飛びこむや、
自身の子犬を抱え上げると、それでもじゃれかかる犬達を、
こともあろうに蹴りつけ始めた。

おい、お前、なにすんだよ、とやにわに殺気立つ飼い主たち。

お前の犬が俺の犬を噛んだからだろ。飼い主のくせになぜ止めないんだ。

馬鹿か、お前は。ただ遊んでいただけだろ。

これが遊びか。噛んでたじゃないか。うちの犬が怪我でもしたらどうするんだ。

そう言って、俺の犬を蹴りやがって。俺の犬が怪我したらどうしてくれるんだよ、この野郎。

と、飼い主同士がいまにも掴み合いを始めそうな怒鳴り合い。

で、まあまあまあ、とやって来た仕切りたがり屋。

だから、大丈夫。おたくの犬も噛まれてないし、この子たちも噛んだりはしないから。

したところ、その新参者の飼い主、

うるさい。お前に何が判る。すっこんでろ、と偉い剣幕。

と言われると、言われたほうも、なんだよお前、いまなにを言った?もう一回言ってみろ、

と売り言葉に買い言葉。

そんな飼い主たちの怒鳴り合いを心配そうな顔をして見守る犬達。

みな一様に耳を伏せて、目を見開きながら、なんだなんだ?と遠巻きに見ているのだが、
当の飼い主の胸に抱かれた子犬、かわいそうに怯えきって身体中を縮こまらせ、
いまにもおしっこをちびりそうな風である。

という訳で、そんな騒ぎをちとーっと見ていた常連達。

まさに、犬のじゃれあいの引き際ではないが、
喧嘩の分け時の呼吸だけは熟知している、と見えて、
あちこちのベンチから立ち上がったのはまさに同時。

おいあんたら、とおもむろに。

喧嘩なら外でやってくれないか?犬を置いてさ。犬が怖がるだよ。迷惑なんだかな。

なんだと、他人事だとおもって、と振り返る飼い主に、

ほら、お前、自分の犬を見てみろよ。そんなに怯えきってかわいそうに。
お前の声に怯えてるんだぞ。ヘタするとトラウマになるぞ。
ほら、喧嘩するならその子を預かっといてやるよ。あとはその辺の野原でいつまでもやってろ。

なあ、と振り返られた途端、いきなり飛びついて来たブッチ、

喧嘩はやめて、喧嘩はやめて、とまさに必死の形相。

それを見た常連達、まさに爆笑である。

ほら、こうなっちゃうんだよ。飼い主が喧嘩ばかりしてると。

判った判った、ブッチくん、喧嘩はしない、喧嘩はしないから大丈夫、と頭を撫で撫で。

さあ、お前ら、喧嘩は終わりだ、さあボール遊びだ、用意はいいか、

と途端に色めきだった犬達。待ってました、とボールの下に全員集合。

あんたの気持ちは判るよ。誰でもそうだ。俺もそうだった。みんなそうだった。そのうち判るよ、としか言えないがね。

みんな自分の犬が可愛いんだよ。だから自分の犬を愛するみたいに、人の犬も愛さなくっちゃだめだよ。犬を蹴るなんて最低だ。次にやったらまじで警察よぶぞ。

あんたはあほなのはいいけど、その犬には罪はないわよ。犬が可愛いならあんたもその臆病でヒステリーな性格を早く直すべきね。犬を不幸にするわよ。

と常連達のそんなこんなの優しいお言葉に、

うるせーばか。お前らもそのクソ犬どももみんな死んでしまえ、と捨て台詞を残して帰っていく子犬の飼い主。

やれやれ、と皆、顔を見合わせて。

俺達にもそういう時期があったよな。ああ確かに、と思わずニヤニヤ。

まあいいじゃないか、誰でも自分の犬は可愛いんだしさ。犬を愛しているってのはまあそれだけでもいい事だ。

まあね。それがいつまで続くか、なんだけどさ。

ああいうのに限ってすぐに飽きちゃったりとかするんだよな。

あるいは、あの犬が飼い主そっくりの性格になって、やれやれ、半年後が目に浮かぶな。

とかなんとか。


改めて言えば貧困は格差なのだ

Posted by 高見鈴虫 on 20.2013 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
改めて言えば貧困は格差なのだ。

貧困が格差を意味するということではない。
格差こそが貧困、つまりはその元凶そのものなのだ。
貧しい国ほどその格差が激しい。
つまり貧しい国がなぜ貧しくなるかと言えば貧しい人々を物ともせずに
一握りの裕福層がその利権を全て独り占めしてしまっているからなのだ。

それ以外に貧困に理由などないのである。

よって貧困者を貧困から救う方法は、
ボランティアで古着をばら撒くことでもカンパンを配ることでもない。

問題は貧困層にあるのではなく裕福層にあるのだ。
裕福層が民主主義を嘗めすぎているのがその原因なのだ。

貧困をなくしたければ裕福層に対して利権を平等に分配するように働きかけ、
あるいはなかば強制的にその利権を奪取する必要がある、
ただそれだけの話なのだ。

世界中を回ってその結論に辿りついた時、
しかしなぜか貧困の光景に接することがつくづく嫌になった。バカバカしくなった。

道端で埃にまみれた乞食に小銭をやって写真を撮り、
現地の人々の微笑みに触れました、なんてのにはもうほとほと愛想がつきた。

改めて、バカか、と言いたい。

貧困国の人々ほど貧困そのものを腹の底から憎んでいるのだ。
見たくない、と思っているのだ。
自分から貧困に接し貧困を救おうなどと思っている人間はいない。

その貧困が深刻であればあるほどにその憎しみも深刻なのだ。

その辛辣な現実に気付かないかぎりボランティアになどなんの意味もない。

がしかし、
では貧困層を救うためににはどうしたらいいのか。

貧困層を貧困者として甘やかすその姿勢そのものがまた新たな貧困を助長する。
貧困者が貧困から脱出する方法はまさに自助しかない。
その現実を貧困層が直視しなくてはいけない筈であるのに、
安易な人道主義的なボランティアはその芽さえも摘み取ってしまう。

貧困国が貧困である理由は、
貧困国の裕福層がその利権システムに胡坐をかいてまったく働こうとしない様子を見た貧困層が、
労働そのものを蔑み憎みはじめてしまうところにあるのだ。

労働をしない裕福層の姿ほどに貧困を助長させるものはない。

その姿はまさしく人々の労働への意欲を殺ぎ、
追っては労働に支えられるべき経済そのものを腐食させるのだ。

裕福層が労働をしている姿を見せることこそが貧困層から労働に対する侮蔑と憎悪を払拭する方法なのだ。

改めて言う。

貧困を救うために貧困者に古着を巻いてもなにも変わらない。

餓えた貧困者にカンパンをばら撒くことは貧困層の自助努力、自助意欲を根こそぎ殺いでしまう。

ただで配るぐらいなら貧困地域に会社を設立しその労働の代償としてカンパンを与えなくてはいけない。

そしてその貧困の姿を世界に向けて公開し、その貧困の原因が世襲の利権に寄生して、
富を独占する裕福層の堕落にあるという事実を知らしめなくてはいけない。

などと思っていたのだが。。。。

ここに来て、そう、あのグアテマラのインディヘアの人々の、
あの素朴に、徹底的な悪意に満ちた視線に晒された時から、
もうそんなことさえまったくどうでも良くなってしまったのだ。

いまこうしているこの瞬間にも、ソマリアでは持てるものに全てを奪われた、
持たざる者の哀れな子どもたちが干からびて蝿にたかられたまま目を閉じようとしている、
というのにである。

くそったれ。最悪なきぶんだ。ムラカミハルキでも読みなおしてやりたくなる。

物凄く久しぶりに馬鹿に会った

Posted by 高見鈴虫 on 21.2013 とかいぐらし   0 comments   0 trackback
この会社に入って初めて馬鹿に会った。

よりによって、やはり米系企業に働く日本人がいる、
と紹介された日本人であった訳だが、

予想はしたが、予想どうり、やはりそいつは徹底的に典型的な日本人リーマン、
つまりは、馬鹿であった訳だ。

この馬鹿。
馬鹿は馬鹿らしく馬鹿な顔をして馬鹿なことを馬鹿みたいに言う。
そんな馬鹿の姿を見ながら、

俺はまるで不思議なものにでも出くわしたように思わず目を見張ってしまって、
そしていつしか、俺の心はなんとも言えぬ甘いく郷愁に包まれてしまった。

そう、つまり、
なんかこういうバカを見るのはとても久しぶりだ、なんかすごく懐かしいぜ、
と思っていた訳だ。

その馬鹿の馬鹿面によって蘇がらされた記憶の中に、
俺は唐突にこんなバカに囲まれバカと過ごしてきた日々の中で、
俺がどれだけパワーを殺がれ脱力させられてきたかをまざまざと思い出した。

そして新たにこの目の前の現実。

つまり今、俺のまわりにバカはこいつ一人。
つまりこいつ以外にはバカは存在しないのである。

ああそういう訳か、と思わず膝を叩いた。

俺がこの職場を気に入っていた理由は、なによりもつまりは馬鹿と付き合わなくて良かったからなのだな。
この突然やってきたひとりの馬鹿は俺にその幸福を思い出させてくれたのだ。

そう、俺はいままでそんな馬鹿に囲まれて、
そしてどうせどいつもこいつも馬鹿なんだろうと思いながら、
そんな馬鹿に囲まれ馬鹿に同化することを強要され、
馬鹿と妥協して行く自分に対するとてつもない嫌悪感。
ついこの間まで俺の現実とはつまりは馬鹿との鬩ぎ合いそのものであった訳だ。

がしかしいまこの職場は違う。

俺の周りの人間は少なくとも俺よりは徹底的に頭がよい。
頭が良いというのはつまりは合理的であり目的論的であるということだ。
そしてそんな優秀な人々に囲まれる中で、突然出現したこの馬鹿を眺める時、
俺は余裕を持ってその馬鹿の本質を見定めようとしている。

馬鹿とはその論理性の無さ、極度の情緒性、
精神論、と、その感情抑制の欠如、
その思考にゴールが設定されていないことにある。

まあ端的に言ってつまりは甘いのだ。
個人としての方法論を持ちあわせていないわけなのであろう。

改めて言う。

日本の本質はまさに甘え。甘えあいの精神なのだ。
甘えも時には良いのだろうが、しかし甘えていない人間にはそれてとても迷惑なものだ。

やる方も甘え。やらされる方も甘え。
甘えた経営者と甘えた管理職が己の甘えを社員に押し付けては、
会社に甘えろ甘えろとしがみついてくるのだ。

そして改めて思い出したのは、俺はこれまで周りがバカだ、
ということに腹を立て続けていたのだな、と改めて思い至った。

まわりのバカを観るたびに馬鹿だなこいつらと、思わず脱力し続けながら
しかしバカを仕切ろうともバカ同士のせめぎあいで勝ち抜こうともしなかった訳だ。

とそういう訳で久しぶりにみた馬鹿である。

俺を首にしてやる、と言っているが、この馬鹿にそんな力はない。

しかもこの馬鹿はそういっているいまこの時点で、
HRに報告されたらクビどころか刑務所に入りそうな大きな間違いを犯し続けている。

つまりその超感情的な態度、を恫喝的、と判断されればもうそれだけで社会生命はおしまいなのである。
そう昭和の時代にはこんなのばかりだった。
一通り怒鳴りまくって自分のストレスを発散した後に、さあ喧嘩は終わりだ、みんなで飲みに行こう、
とでも言うつもりなのだろうか。

やれやれ、よりによってこいつは、俺に甘えさせて欲しい、と言っている訳なのか。

なんで君は僕を応援してくれないの?
もっとがんばって僕を甘やかさないと駄目じゃないか、という訳だろうか。

その姿はまさにスポイルド・ドッグ、そのものである。

そしてそんな甘えた気持ちのままこのグローバル社会を生きているこの馬鹿が
ちょっとうらやましくもあるのだが。

と言う訳でこの会社に入って始めて遭遇した馬鹿の姿に、
俺は改めて、日本を出て本当によかった、と思ったのである。

悪条件

Posted by 高見鈴虫 on 22.2013 嘗て知った結末   0 comments   0 trackback
馬面
一重まぶた
吊り目
垂れ眉
団子鼻
下膨れ
エラ張り
下駄顏
出っ歯
受け口

デブ
怒り肩
鳩胸
寸胴
腹ボテ
出尻
短足
大根足
扁平足

兎狩りにあったウィペット

Posted by 高見鈴虫 on 23.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback
シャーリーの飼っている2頭のウィペット。

グレーハウンドの身体をそのまま小さくしたような、
全身を肌に張り付くような滑らかな短毛に包まれた、
実に美しい犬である。

白と黒が一頭づつ。
その気品あふれる容姿とは裏腹に、
その二頭が揃いも揃って無茶苦茶にきかん坊である。

ドッグランのゲートが開いた途端、
よーいドンとばかりにドッグラン中を走リ回るのだが、
その足の速いこと速いこと。

ブッチでさえもが思わず目を丸くしてしまう程に、
その俊足はまさに目を瞠るものがある。

で、この二頭のウィペット、
己の足の速さに物を言わせて、
他の犬達の遊んでいるボールというボールを
片っ端からかっさらっては、

おらおら、取れるもんなら取ってみやがれ、
とやる訳で、
その華麗な見た目とは対照的に、
言うなればちょっとした鼻つまみ。

そのこましゃくれた態度が鼻につくのか、
ブッチを筆頭に、彼の友人たちからは、
目の敵にされていたり、
と言うのは知っていた。

と、そんな時、
ねえ、知ってる?あのシャーリーのウィペット、と噂を聞いた。

ああ、あの白黒二頭の。

そうそう。

あれちょっと苦手だなあ。ブッチもあいつらが居ると途端に機嫌が悪くなって。

そう、そうよねえ。そういうところがあったわよね。

サリーもレミーもうちのブッチもあいつらを見ると眼の色変えて怒り初めてさ、ほんとう、ちょっとね・・

そうよねえ、やっぱりね、と妙に意味ありげな表情。

え、で、なにがあったの?

ええ、それがね、と聞いた話。

私も見たわけじゃないんだけどね、どうもひどく噛まれちゃったらしいのよ。

あのウィペットが?

そうなの。

で?

それでね、もう噛まれ方が酷くで、医者に連れて行ったら、なんと2200ドルだって。

2000ドル?なにがあったの?

それがね、私も見たわけじゃないんで詳しいことは言えないんだけど、もう相当に悪かったみたい。

だって2000ドルもかかったぐらいだからね。 で、誰がやったの?

それがねえ、実はね、犯人が誰か判らないのよ。

誰が噛んだか判らない?見てなかったの?

いえいえ、みんな居たそうなのよ、ただね。あんまり沢山の犬が・・

つまり、巻狩りにあったの?

そう、そうなの。もうドッグラン中の犬から追いかけられた挙句に、ベンチの裏に追い込まれてね。

うひゃあ。うさぎと間違われて、狩られちゃったんだ。

そう、まさに、それなのよ。うさぎと間違われちゃったみたいなの。

でね、飼い主のシャリーさんが怒り狂って、でも誰が噛んだかなんて判らないじゃない。

なんか話を聞くだけでも凄惨な話だね。

そう、なんか、酷かったらしいの。首を噛まれちゃって気管支に穴があいちゃったとか・・

首を噛んだ?犬が同士が?それはそれは。まるっきり犬とは思ってなかった証拠だね。

そうなのよ。まさにうさぎ捕まえたぞ~、っていう感じだったらしいの。でね、なんかそれ聞いてドッグランに来るの怖くなっちゃって。

え、まさか。このレミーを噛めるなんて、熊ぐらいなもんだろう。

そうじゃないのよ、だから、その場に居たら、多分この子も一緒になって、ってより、

ああ確かに、先頭切ってただろうね。

それなのよ・・

でね、いまシャリーが、その場に居た犬の連帯責任って言い出してるんだけど、
どうも覚えている犬が一頭しかなくて、大きなジャーマンシェパードが一匹入っていたって、それだけ。

ジャーマンシェパード?この近くで?

そう、あんまり見ないでしょ?

だって、ほら、この辺り、ジューイッシュの人ばかりだし。

そうなのよ。なんで、ほら、

ああ判った。うちのアパートに住んでる奴だ。確か11階のお医者さん。

そう、それらしいの。それ以外は判らないらしくて・・

見分けが着かない?まあ確かにねえ。そう言われて見ればどこにでも居そうな犬ばかり、というか。

でね、ほらうちのレミーとか、ブッチとか、見誤り様がないでしょ。こんな、お腹の真ん中に大きな丸つけちゃったら。

そうなんだよな、うちの犬を見誤る人はいないよな、確かに。

なんでね、気をつけなくっちゃと思って。

逃げ隠れできないね。

そうそう。

でもその場にいなくて良かったね。

そうなのよねえ。本当に。シャーリーには悪いけど。

と言う訳で、その可哀想なウィペット。被害者もユダヤ人なら加害者もユダヤ人で医者もユダヤ人。
治療費2200ドルの支払いから、慰謝料だなんだということになると、これはもう相当なことになりそうで。

まったくな、と振り返ったブッチ。

確かにこのお腹のどでかい黒い丸。こいつをいちど見れば誰でも決して忘れない筈。

用心せねば、と思った次第。
  

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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