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「心の傷」

Posted by 高見鈴虫 on 01.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback


今だからこそ笑っても言えるが、
俺は心に傷を持つ少年だった。

内的なものと外的要因が絡み合って、
自分と世界が45度の角度ですれ違っている、
というぐらいの違和感を感じて生きていた。

いまもその違和感がなくなった訳ではない。

違和感は消化するどころかますます広がり続け、
いまだにその軋轢の中でため息をつきながら生きている。
がしかし、
だからと言って、
いまにも身が張り裂けそうな苛立ちに呻き苦しんだり、
夜更けの街を自殺バイクでぶっ飛んだり、
気に入らないサラリーマンの脛を安全靴で蹴り上げたり、
あるいは、ほとんど自殺行為ともとれる危険の中に身をおかないと精神の安定が保てない、
などはしなくても生きていけるようにはなっている。
ただ違和感を抱えて生きることの術を学んだというよりは、
違和感を違和感として許容して生きることに慣れた、
というべきなのだろうか。

心の傷は消そうと思っても消えることはない。
消そうとすればするほどに余計な傷を増やすことになる。
心に傷を負ってしまった以上は、その傷を抱えて生きざるを得ないのだ。
その現実を容認することこそが必要なのだ。

心の傷とのバランスを保つために、
これまでどれだけ馬鹿げた徒労を繰り返してきたことか。

そして今、俺はそんな心の傷を抱えた子供達に囲まれている。

生まれた時から殴られ続けてきたもの。
頭から熱湯をかけられたもの。
身体を焼かれたもの。
手足を切られたもの。
餓死寸前まで放置され続けたもの。
金のために子供を生まされ続けたもの。

まさに、心の傷のオンパレードである。

そんなハードコアな傷に比べたら、
俺の抱えた問題などはまったく屁のようなものだ。
そんな傷を抱えながらも、懸命に生きようとする姿には、
まさに尊敬を感じる。

そんな子供達に囲まれて、俺は妙に幸せに生きている。
ボランティアの優越感に浸っているつもりはまるでない。
強いて言えば、それは俺自身の癒しなのだ。

心に傷を抱えたものと一緒にいると妙に気が落ち着くのである。
それはまさに、
少年の頃、帰る場所もない夕暮れ時に、
同じような境遇を抱えた子供達と過ごしたあの侘しさの中の親和感なのである。
心に傷を負ったものは同じように心に傷を負った者しか受け入れない。
心に傷を負ったものを癒せるのは心に傷を負った者だけなのだ。

と言う訳で、
ドッグランに集うそんなレスキュードッグに囲まれながら、
俺は妙に満たされた気持ちでボール投げにこうじている訳である。

大丈夫。判ってる。お前達を見捨てはしない。
おいで、身体を撫でてあげるから。痛いところはないか?痒いところはないか?
ほら、なんでも言ってみろよ、聞いてやるから。なんでも話してみろよ。
初めて心を開いたレスキュードッグたちに囲まれながら、
俺はそんな傷を嘗めあい、満ちてくる親和感の中で愛の記憶を導き出すのだ。

どうだ、生きているってそれほど悪いことじゃないだろ?

俺が捨て犬達に妙に人気があるのは、実はそういう理由なのである。

今日も俺の膝の上には、そんな傷だらけの犬達が甘えて腹を見せて寝転がっている。
思い切り甘えさせてやるつもりである。
思い切り甘えさせてもらうつもりである。
心に傷を負った者を癒せるのは心に傷をもった者だけなのだ。

「ORAPUP」

Posted by 高見鈴虫 on 02.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback

今更ながらレミーの口が臭い。
大抵の犬にはどこを嘗められても大して気にすることもないのだが、
このレミーにだけはちょっと辟易である。

露骨にうんこの匂いがするのである。

さてはこいつ、また変なもの拾い食いしたな、
とは思う訳だが、犬に聞いても答える訳もなく。

がしかし、である。
この露骨なうんこ臭。
これはまさに。。。そう犬のうんこの匂いな訳である。

レミーは高級犬である。
純潔のスタンダード・プードルでそのオーナーは実を言えば某長名人であったりする。

アッパーウエストサイドの3ベッドルーム、
リバーサイドパークを臨むまるで美術館のような超高級アパートに暮らすこの高級犬レミーが、
まさかうんこを食っている!などと言うことはあまりにも考えにくいのではあるが、
俺の嗅覚を信じる限り、その口臭は明らかにうんこの匂いでる。

そんなレミーに、下手に顔など嘗められような物なら、
どれだけ石鹸でごしごし洗おうともその匂いを払拭するのがかなり大変なぐらいに、
その唾液の中に明らかにうんこ臭がするのである。

人も羨む高級犬である筈のレミーではあるが、しかしその言動にはかなり問題がある。

何不自由ない環境で毎日毎日旨い物ばかりをたらふく食らっては
なんの躾けもされることもなく育ってしまったこのスポイルド・ドッグ。

三歳を前にした今となっても、吠えまくり暴れまくりとやりたい放題。
まさに野生児そのもの。
ブリーダーの牧場を跳ね回っていた時からまったく変わっていない訳である。

困りきった飼い主から躾指導を頼まれた事情から、
とりあえず呼んだら来る、お座り、ぐらいまでは教えたものの、
その先、となるともはや成すすべも無くと言ったところ。

その超野生児ぶりからして、ことによるとちょっと目を離した隙に、
そこかしこで妙なものを拾い食いをしているのであろうことは十分に予想ができる。

そんな超野生児・レミーである。

俺の躾指導の成果で、とりあえず呼べば来る、ぐらいな所までは持ってきた。

これまでのレミーの超野生児ぶり、呼んでも来ない、どころか、
何を言っても叫んでもまったく反応を示さず、好き放題に逃げ回っては公園の柵を飛び越えて、
その挙句に通りの向こうの高速道路の真ん中に飛び出したり、なんてことを繰り返していたのだ。

そんな超野生児・レミーが、今では俺が一声呼んだとたんに一目散に駆け寄って来る。

がしかし、ここで、さあ、おいでおいで、などと暢気に膝など叩いていると、
いきなり1-2ジャンプでそのまま飛び蹴りをくらわしてくるのが判っているので、
とりあえずは座って目線を合わせ、そして息を切らしてやってきたレミー、
ご褒美の代わりによくできました、と撫で回す訳なのだが、
犬に取っては撫でるも嘗めるも同じこと。
レミーは褒められた喜びを全身に炸裂させながら、
これでもかとばかりに俺の顔中を嘗め回すのである。
犬にとって、これはまさに親愛の表れ。
鼻先から始まって口から目から額から頬から顎から首から、と、
まるで何かに憑かれたかのように夢中になって嘗め回す。

あの超野生児レミーが、まさかこれほどまでに人を受け入れるようになった、
というのはまさしく目覚しい進歩な訳である。

なので、レミーが嘗めたい、という以上は、好きに嘗めさせてやりたいのは山々な訳なのだが、
果たしてその口臭である。

その唾液に溶け込んだ露骨なうんこ臭さ。。。。

可愛いレミーの為ならうんこを顔中に塗りつけられたって、
とはちょっと簡単には思えないぐらいの露骨な臭気な訳である。

ねえ、あんたの顔がうんこ臭いなんて知ったことじゃないけどさ、
そのうんこ臭い顔をブッチに嘗めさせたりしないでよね、
ブッチに変な病気がうつったらどうする気?

な訳である。

いやはや、たかが犬、されど犬、まさに大変である。

と言う訳でレミーである。

思わずそのうんこ臭さに顔を背け、やめろ、嘗めるな、とやってみた所、
ふと見ると、そのつぶらな瞳に、まるで少女漫画のようにうるうると涙を潤ませて、

なんで?ねえあたしのことが嫌いになったの?
と氷りついていたかと思えば、

見るのも哀れなぐらいにがっくりと肩を落とすや、
とぼとぼと公園の隅に隠れてしまった。

このレミー、飼い主のピーターが死んでしまってからと言うもの、寂しがっているのはよく判る。

ピーターの死後、その亡夫であるアリーンはしかし、犬のことにはまったくの素人。
亡夫のその犬馬鹿ぶりに辟易していた関係から、
そんなレミーの暴れん坊ぶりには完全にお手上げ状態。

レミーはレミーで、最愛のピーターを失ってしまったその心の傷が癒されぬまま、
散歩に出れば吠えるな、暴れるな、と怒鳴られては、
この馬鹿犬だ、猛犬だ、狂犬だ、と眉をひそめられる毎日。

くそったれ、みんなあたしのこと馬鹿にして。
へん、知ったことか、あたしはあたしでやってやるわ、

とばかりにその野生児ぶりにますます拍車がかかった末に、
まったく手の付けられないじゃじゃ馬犬に変貌を遂げてしまった訳だ。

そんな中、ピーターの亡夫であるアリーンから、
もうここまで来たらシェルターに引き取ってもらうしか方法がないか、
などと飛んでもない相談を受けるに当たって、

判った、とりあえず、超基本的な躾ぐらいは俺が引き受ける、
となった訳である。

と言う訳でレミーである。

人からなんと言われようが、レミーは可愛い。
ましてや、馬鹿犬でも猛犬でも狂犬でもない。
ただ、その、
ちょっと野生児過ぎる、つまり、犬として犬然、としすぎている訳である。
そうやってレミーをかばってやれるのも俺一人なのである。

と言う訳でこの超野生児レミー。

レミーにとって信じられる人間は俺ひとりなのだ。
それは判っている。判ってはいるが、なのである。

公園に背を向けて柵の向こうの暗がりを見つめながら、
ふと振り返った肩越しにじっと見つめるその視線。
いじらしら、というのはまさにこのことを言う、ばかりの哀れさで、
上目遣いに潤ませた瞳でじっと俺を見つめては、
ため息をつきながらがっくりと頭を垂れる、を永遠と繰り返す。


ねえ、どうしたの?と息せき切って駆け寄ってきたブッチ。
口にくわえたボールを俺の手元に押し付けて、はい、投げて!投げて!と繰り返す。

ブッチのこの天真爛漫さに比べて、
レミーのあの心に傷を負った者の翳りをいったいどうすればよいのだろう。

レミーもなあ、子犬の頃からちゃんとしつけていれば、
今になってこんなことに悩まされることも無かったのに、
とは今になってはまさに後の祭り。

まあそのうち、歳が経てば落ち着くんじゃないのかな、
などと言われて放って置かれたら、
いつしかそのまま、野生児のままで既に3歳を迎えてしまったのだ。

おい、レミー、どうした?と声をかけても、
ふん、と横を向いたまま返事もせず。

顔を嘗めるな、と言っただけでこれだけすねてしまうのである。
やれやれ、本当に年頃の女の子は難しい訳である。

と言う訳で、気分転換にブーとのボール遊びを始めたところ、
すっかりいじけてしまったレミー。
いきなり公園の隅で猛然と穴を掘り始めた。
途端に、駄目!やめて!なにやってんの!と怒鳴られては、

くそったれ、こうなれば、とばかりに再び気の触れたように公園中を飛び回り始めては、
犬という犬を見つけては飛び掛り襲いかかり、を繰り返す。

やめて!やめて!と怒鳴り続ける飼い主のアリーン。

ねえ、いったい何があったの?レミーはどうしたの?

あのなあ、と俺。思わずため息なわけである。

と言う訳で、ついに根負けして、
おい、レミー、やめろ、と声をかけた途端、
いきなりはじかれるように振り返ったと見るや、
まさに棒高跳びの要領で、1-2-3とジャンプの後に、
いきなり顔に向けて飛び込んでくるわけである。

このじゃじゃ馬、と身体中撫で回しながら、
まあこれだけ懐いてくれた、だけでもめっけものなんだよな、と思い返して、
そして、思わず、そのうんこくさい口で、
顔と言わず首と言わず胸と言わず、
と好き放題に嘗められてしまう訳である。

そしてDOGRUNの帰り道。
夜更けの公園を歩きながら、
まったくなあ、と、振り返るブッチ。
まあお前にも問題が無い訳じゃないけどさ。
ねえ、ねえ、と呼ぶブッチになんだよ、と顔を近づけると、
クンクンクン、と顔中の匂いを嗅いで、
二マーっとスケベ笑い。

なんだよ、臭いか?
へへへ、うんこ臭い。
やっぱり?やっぱうんこだよな。
うんうん、うんこ臭いうんこ臭い、
と妙にはしゃぎ始める訳である。

いやはや、あのレミーには困りきってしまう。

と言う訳で、帰ったとたんに風呂に飛び込んで、
石鹸からタワシからで顔中を擦りあげて一息。

どうだブー、もう臭くないか?
とやってみるが、
うーん、どうかな、とぶー。
くんくんくん、なんかまだ髪の毛がうんこ臭いかも。
やれやれだな、そのうち、身体中がうんこ臭くなるんじゃないのか?

と言う訳で、濡れ髪も乾かぬうちに再びシャワーに入りなおし、

ソファーの上、ブーを枕にIPAD。

犬 口臭 うんこ臭い 拾い食い うんこ、

なんてやっていたら、
ふと、ひっかかったYOUTUBEの広告に、犬の口臭消しの秘密兵器、なるものを見つけた。

その名も、ORAPUP (http://www2.orapup.com/)

普段ならば、このYOUTUBEの糞広告、死んでしまえ、と思っているのだが、
その口臭消し、見れば見るほどになんとも興味をそそられる。

ちょうどスーツの埃取りの要領で、
ざらざらしたヘラの上に口臭消し用のゼリー上の薬を塗りつけて、
それを犬に嘗めさせるわけであるが、
もしかしたらこれをレミーに試してはどうか、と思った訳で、
思わずそのままオーダーしてしまった。

なんとBACKORDERとある。
つまり注文に製造が追いついていない、らしい。
まさに大ヒット商品な訳だ。

で、待つこと2週間。
ちょうどレミーの飼い主であるアリーンの誕生日ということもあって、
届いたばかりのORAPOPを誕生プレゼント代わりにご進呈した訳なのだが。。

と言う訳で夜のドッグラン。

俺の姿を見つけたとたん暗闇の中からいきなり飛び出してきたレミー。
思い切り飛びついて抱きついて、
とそのあまりに過剰な喜びを受け止めながら、
挨拶代わりに鼻から口からほっぺたからと嘗めまわされる訳だが、

あれ、おい、おい、どうした?おまえ、うんこ臭くないぞ!

そうなのである。
まさにORAPUP効果なのである。

遅れてやってきた飼い主のアリーン。

いきなり抱きついてきて俺の顔をべろべろ、ではないが、キスキスキスの嵐。
元女優、とは言ってもいまは70に近いおばあちゃんである。
がそんなおばあちゃんでもまさか喜びのキスをはねつけるわけにも行かず。
右はレミーから左はアリーンからでもうもみくちゃである。

どう?ORAPUP。どう?臭くないでしょ?
ああ、確かにね。ぜんぜん臭くないね。いやあ当たったなあ。

ほら、おいで、とアリーン。
途端に飛びつくレミー。
アリーンの肩に両足を乗せてまさにキスの嵐。顔中を嘗め嘗めである。
うんうん、これならいくら嘗められても平気だわ。

そう言えば、アリーンがレミーに顔を嘗めさせているのを始めてみた、訳である。

つまり、もしかするとアリーン、レミーがうんこを食っているのを薄々感づいていたのではないか・・?

がしかし、そう、このORAPUP、
これはただの口臭消しであって、レミーが隠れてうんこ食べてる可能性は変わらないんだけどね。

が、まあ、ちょくちょく呼びつけて口臭チェックをしてやれば、
いつどこで変なもの食べたか、ぐらいは調べがつく訳で。

と言う訳で夜更けのドッグランのベンチ。
俺とアリーンの間に挟まれてちょこんと座ったレミー。
目が合うたびに、にかーっと笑ってキスキスキスの嵐。

俺の顔とアリーンの顔と、まさに心行くまで嘗め嘗めできて、幸せ一杯な訳である。

「読書の姿勢」

Posted by 高見鈴虫 on 03.2013 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback

本を読んでいるとかみさんの機嫌が悪くなる。
そんなことをしている暇があったら、
部屋の掃除とかお皿洗ったりとか、
あるいは、もうちょっとましな仕事でも探したらどうなの、
という訳なのであろう。
そうこうしているうちにかみさんの怒りは、
3年前から10年前からと遡り始める気配で、
そんな時にはへいへいとしながら、
犬の散歩に出かけてしまうことにしている。

で、ドッグランやら公園で本の続きを読むか、
と思うのだが、実はそういう訳にもいかない。
犬は犬で俺が本を広げて目を離した途端に、
妙なものを咥えてみたり、
他人のバッグの中を物色し始めたり、
あるいは他の犬とじゃれ合って、ならいいが、
時として喧嘩を始めたり、となる訳である。

という訳で本が読めない。

まあ確かに本が読めないからと言って死ぬ訳ではなく、
あるいは、いま本を読まなければ大変なことになる、
という訳でもない。
が、しかし、そう、
本ぐらい読んだっていいじゃないか、とも思う訳だ。

果たして何故に本を読むことがそれほどに人の気に障るのだろう。

と考えながら、犬の散歩から帰って見ると
かみさんは机に向かってモニターを睨んでいる。
その横顔はなんとなく話しかけ辛い雰囲気である。
休日に仕事か、と思えば、
イヤフォンをつけているところをみると、
つまりは、日本のテレビドラマを見ている訳なのだろが、
むっとして机に向かわれると、なるほど、
邪魔をしてはいけないのだな、という気にさせられる。

と言う訳で読書である。

つまり、読書が悪いのではないのだ。
ソファーに寝転がって、のその姿勢が悪いのだ。
おまけにソファに寝たとたんに飛び込んで来た犬が、
散歩の続きとばかりに涎まみれのボールを臍の上に置く。

ねえ、そんなことしている暇があったら僕の遊びにつきあえ、

ということなのだろう。

と言う訳で、読みかけの本を持って机に向かうことにした。

どうせなら、とモニターを消してキーボードを片付け、
本を机の上に置いて姿勢を正して本を読むことにした。

として、ふと見ると、
ボール遊びを諦めた犬が、ソファーの上で長々と足を広げ、
腹を出して寝転がっている。

あのなあ、お前その格好は犬としての本性を忘れすぎていないか?

とも思うのだが、飼い主を見習っているのだと言われたら返す言葉もない。

と言う訳で、そう、つまりは姿勢なのである。

机に向かって姿勢を正していれば、
例えなにをしていようが、外目にはOKという訳か。

が、しかし、休日に机に向かって読書、とは。
なんとなく仕事をしているような気にもなってきて、
肩が凝り始めてさっぱり内容が頭に入って来ない。

やれやれだな、まったく。

窓の外は曇り空。もう4月だと言うのにまだ木枯らしまじり。

春になれば、とふと思う。

公園の芝生の上にシートを広げ、ビキニのお姉さん達に囲まれながら、
転寝半分に本が読めるのにな。

とため息をつきながら、よっこらしょ、と犬の隣りに寝転がり、
やれやれ、とお腹をさすっているうちに、いつの間にか寝てしまった。

KON-TIKI

Posted by 高見鈴虫 on 04.2013 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
土曜の朝、犬の散歩から帰って後、
ヨーロッパもの専門の映画館であるパリス劇場にKON-TIKIを観に行った。
KON-TIKIとは言わずと知れたノルウェ-人の探検家トール・ヘイエルダールによる
コンチキ号漂流記を主題にした劇映画版であった訳だが、
今更ながら何ゆえに今更のコンチキなのか、とは思っていた。

がしかし、である。
この時代、ゲバラやらカストロを知らない歴史家や
ビートルズを聴いたこともないミュージシャン、
アンディー・ウォーホルを知らない芸術家もいるご時世、
コンチキ号漂流記を知らない人々も多いのであろうか。

という訳でコンチキ号漂流記である。

こんなことをわざわざ書くのも馬鹿バカしいのだが、
昔むかしヘイエルダールというノルウェイの学者が、
南太平洋の文明は西のポリネシアからやってきたのか東の南米からやってきたのか、
ってな論争の中で、自説の南米起源説を証明するため、
古代インカ帝国の設計図に従って作成した筏に乗って、
ペルーから漂流してみました、という話な訳だ。

「自説の正しさを証明するために仲間を集めて冒険の旅に出る」
というこの姿勢が、昭和の時代にはまあ新たなる元気な若者像の理想とされていた訳で、
遅れてやってきたパンク世代であるこの俺も、
いたいけな少年時代には児童図書館に並んだコンチキ漂流記を読んでは、
幼い胸を高鳴らせたものであったのだ。

がしかし、である。

この時代な訳である。

冒険野郎もいまやすっかりYOUTUBEのダシなわけである。
この時代になにゆえにこの大時代的な冒険物を、
しかもなんのひねりもせずに、ただただ溌剌とした大時代的青春冒険物として描く必要が
どこにあったのだろうか。

と言う訳で、ふと気がつくと劇場はガラガラ。
しかも見ているのは全て腰の曲がった老人達ばかりである。
つまりそういうことなのか、と妙に納得してしまった訳だ。

つまりそう、端から復古主義。
つまり、コンチキを知らない人々向けに、こんな人もいたんだよ、
という紹介などではなく、
コンチキを知っている世代、
若き日にコンチキに胸を踊らせた世代の人々向けに、
昔は良かったよねえ、と懐かしむ為のお懐かし映画であった訳だ。

おうおう、そういうことならば、とここに来て妙に吹っ切れた俺。
ということな無駄なことは考えずに、
思う存分その懐古主義を懐古主義として楽しんでやろうじゃねえか、
とばかり、思わず2回立て続けに見てしまった。

という訳で意地っ張りのヘイエルダール青年のしかけた一世一代の大冒険旅行。
書を捨て街に出ろ。研究者よ、研究所を出て野に出よ。現場こそが全てなのだ。さあひろい世界に飛び出そう。

このあまりにもフィジカルな姿勢は、今の2次元だ3次元だの世界にも通じる訳だが、
リア充至上主義と言う意味ではまさにリア充の中のリア充。
ここまでとっぱずれてくれるのであればそれはそれでとても心地良かった。

実はさ、と俺。
俺子供の頃、探検家になりたかったんだよ。

でもね、アマゾンは大きな蛾がいるから駄目だろ?
エベレストは高所恐怖症だから駄目。
なんで、それだったら無人島に漂流だったらどうだろうと思ってさ。
という訳で、夏休みの読書感想文やらなにやらでコンチキ号漂流記を読んだ時から、
俺もいつかは仲間を集めて筏に乗って漂流の航海に出ようと思ってたんだよね、

などととかみさんに言ってしまってたが最後、
なにそれ、ガンバの大冒険?と鼻で笑われてしまった。

くそったれ、いまに見てろ、本当に筏に乗って旅に出てやるからな、と毒づきながら、
帰り道にUNIQLOで臭くならない靴下を2足買って、
その足で寺川ラーメンでラーメンに半炒飯も食べてしまったら腹いっぱい過ぎて動けなくなり、
結果、犬の散歩にも出ずに寝てしまった。

その昔、インカの筏に乗って大西洋に旅立った冒険者達がいたんだよ。
そして俺もいつか、仲間たちとともにそんな旅にでるもの、と信じていたんだ。
そしていまも、実はいつかそんな旅にでたい、と思っているんだぜ。

おかげさまでいい夢を観させてもらった。
それはとてもとても甘い夢だった。

KON-TIKI その2

Posted by 高見鈴虫 on 05.2013 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
今だから言うが俺は海が好きだった。
いつでも海に行きたい、と思っていた。
高校の頃から暴走族の連中とつるんでいたのも、
不良だったからでも集会が楽しみだったからでもなく、
ただただ江の島の海に行きたかった、それだけな訳である。

そしていまこうしてニューヨークなどという、
海的な暮らしから最も遠い場所で、
海の男とは程遠い、サラリーマンなどをしながらも、
海を思う気持ちはなにも変わっていない。

海が好きだった俺は海の話ばかりを読んでいた。

コンチキ号漂流記から始まって、
クストーの海の世界からガンバの大冒険から戦艦大和から。

子供文庫でメルビルの白鯨を読んだ時には思わず興奮しすぎて熱をだしてしまったりもした。

その後いまのかみさんと知り合ってから、世界の究極のビーチを探そうとばかりに、
東南アジアのヒッピー島やらカリブの島々を巡って過ごしてきた訳だが、
いまこうしてニューヨークに沈没してしまった今も、
ああ今こうしている時にも世界のビーチにはやさしい風が吹いているのだろうな、
と思うことが多々ある。

と言う訳でコンチキである。

ああそう言えば、とふと思い出した。

俺は子供の頃から、いつかこうして筏に乗って漂流することになるのだろう、と思っていたのだ。

その時のために知識を貯めて勉強やら練習をしておかなくては、と思っていたのだ。

俺にとって勉強とはつまりはいつか出航するであろう漂流旅行のためのものであって、
よって学校での勉強はさっぱりその意図がつかめなかった訳だ。

そして今、この歳になって、ふと不思議な気がした訳だ。

いまだに筏で漂流していないのだが・・

果たしてあの確信はなんだったのか。

あるいは、この先にまさか筏で漂流するような目に巻き込まれることもあるのだろうか?

と言う訳でコンチキであった。

今になっても世界中には、いつかコンチキ号に乗って大洋を渡ろう、
と思っているご老人たちが沢山いるに違いない。

アクアク ~ イースター島の邪悪

Posted by 高見鈴虫 on 06.2013 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback

週末に観たKONTIKIからなぜかヘイエルダールが読みたくて仕方がない。

が、コンチキ号漂流記は映画で見たばかりであるし、
原作そのものもまさに暗記するぐらいに読みつくしてしまっている。

と言う訳で、なんとなくアクアクの方に興味が出た。

そう言えばこのアクアク。買った直後に読みきってからは一度も手にとっていない。

まさか既にブッコフに持っていってしまったか、と焦って探したら、
なんと開高健の全集の間に紛れ込んでいた。

という訳でアクアクである。

コンチキ号からの生還の後、家族と共にイースター島に渡り、
一年かけてフィールドワークをした際のものなのだが、
その大時代的な訳文に慣れてくると、これはこれでなかなか面白い。

が、しかし。。。

なんと寝入りにこのアクアクを読んで寝ると、妙な夢ばかりを見るようになった。

果たして何ゆえに青春溌剌冒険物を読んで寝ると不吉な夢を見るのか。

それはまさに、この舞台であるイースター島に原因がある。

本来イースター島は邪悪な島である。

ヘイエルダールがいったいどういったつもりで家族ぐるみでイースター島を訪れたのか、
と思わず首をかしげてしまいたくなるほどに、
イースター島は邪悪な島な訳である。

人口増加から宗教狂いを暴走させた末に民族間の殺し合いに発展し、
島の資源を全て浪費し食いつぶし挙句に、
互いを殺し合いっては食い合った末に文明は滅亡。
哀れ石器時代に逆戻りした島な訳である。

殺し合いをするぐらいならさっさと逃げ出せばよかったのにとも思うのだが、
悲しいことにいざ逃げ出そうと思った時には、
島にある木という木は全て切り倒してしまった後。

お陰で逃げ場さえも失ってしまった訳だ。

その後、洞窟の中で食うや食わずの石器生活を送っていたところ、
いきなりやってきた文明社会から、奴隷として連行された末に、
命からがら逃げ帰った人々がこともあろうに天然痘を持ち帰り、
あえなく島民は全滅の憂き目。

というまさに踏んだり蹴ったりな島な訳で、
例のモアイ像さえなければもうそのまま島ごと焼き払われてしまっていただろう、
まったくもっていやはやどうしようもない島な訳である。

と言う訳で今更ながらにイースター島の謎である。

モアイ像はまあとりあえず置いておくとしても、
やはり首をかしげてしまうのはその島民の末路である。

木がなくて筏が組めない、のであれば、
なんでまた別の方法でトライをすることを思いつかなかったのか。

互いに殺しあってその肉を喰らいあうぐらいなら、
海で魚を漁っていれば良いものをそれもしなかったらしいし、
そもそも何故に殺しあう必要があったのか。

まさに妄想掛け妄想の中に自分自身を自分自身で地獄の中に封印してしまった訳だが、
その馬鹿バカしさがいかにもこの現代社会の縮図そのものなのがまさしく痛ましい訳だ。

これまでひょんなことから思わず、と言った感じで、
色々な邪悪な場所に足を踏み入れてしまったことも多いのだが、
このイースター島、
まさに島中が邪悪な空気に満ち満ちた場所であるのだろうなあ、と思っていた次第。

ヘイエルダールは学者であったことからその辺りのところに敢えて挑戦を繰り返す訳だが、
子供のいる手前、・・・いやあしまったなあ、という苦笑いが満ち溢れている作品である。

と言う訳で、改めてイースター島の謎である。

相も変わらぬ青春冒険物であるはずながら、
なんとも後味の悪い冒険記であったりもするわけだ。

ドラムの天才児 現る

Posted by 高見鈴虫 on 07.2013 音楽ねた   0 comments   0 trackback
ドッグラン友達のエレインから、
私の友達の子供で本当にドラムの才能のある子がいるんだけど、
といわれていたのだが、
いつものことで相手にしていなかった。
まあ俗にいう「親ばか」という奴だろう、と思っていたのだ。

が、ちょっとしたときに、そう言えばこの間のドラムの天才児、
YOUTUBEにビデオがあるから見てみて、とLINKが送られてきた。

で、見たところ、3歳、とある。

楽器屋のデモドラムにちょこんと座らされて、
巨大なスティックを両手に握って好き勝手に引っぱたいているのであるが、
ちょっと驚いたのはなんと割といけているのである。

さすがにバスドラには足が届かないのだが、
ハイハットとスネアを使い分け、16分でタムを流したり、
となかなかなものである。

こいつ、8ビートが判ってるじゃないか、と思わず。

で、なんか訳の判らないことを始めたぞ、
と思ったらなんとそれはジャズであったのだ。

へえ、と。
こいつもしかしたら本当に才能があるかも。

で、ちょっとその気になって、
良かったら今度会わせろ、と言ってしまった。

と言う訳で、
そのドラムの天才児に会った時に、
果たしてどう相対そうか、と考え始めたら
ちょっとまじめに悩んでしまった。

果たしてなにを伝えるべきか。
俺に何が伝えられるのか。

という訳で、考え込んだ末に俺が提案したのは、
ドラム・サークルである。

ドラマーとしてドラム冥利に尽きる瞬間というのは、
まさに、リズムのコアに入り込む、という現象である。
それをグルーブ、とも表現するのだが、
このリズムのコアに自分自身が入り込む経験こそが、
この若き天才が最も必要としているものだろう、
と判断したのだ。

という訳で、良く晴れた日曜日の午後、
プロスペクトパークで待ち合わせをしよう、と決めた訳だ。

大丈夫。きっときっと、素晴らしい経験をするに違いない。


TOP40に人類の退行を感じる

Posted by 高見鈴虫 on 08.2013 音楽ねた   0 comments   0 trackback
GYMに行くと最近のTOP40がかかっているのだが、
聴き飽きるを通りこして不愉快にまでなる。

なんという幼稚な音階なのだ。
これではまるで童謡ではないか。

なんというおざなりなアレンジなのだ。
どれもこれも過去のヒット曲を切り貼りしただけではないか。

いったいなにが言いたいのだ。
最初から最後まで、金とセックスのこと、だけではないか。

いちから十まですべて機械音ばかり。
歌声にしたってボーカロイドとまったく変わらないではないか。

機械のつくった機械の音。

いったいこんなものに意味があるのか?
いったいどこの知恵足らずがこんなもの聴くのだ。

そこに見るのは明らかに退行である。

大衆化、を言い訳にした人間の浅知恵の行き着いた先に見える、
まさに石器時代的な不毛さえもを感じ取ってしまうわけだ。

つくづくこの時代に10代を生きていたら、
音楽なんてものにはこれっぽっちの興味も持たなかっただろうな
と思う。

あるいは、
すでに音楽は10代の若者用にさえ作られていない。

つまり、そもそもターゲットは小学生以下、
あるいは、知恵足らずの人々だけを対象にする、
という大前提がなりたってしまっているのかもしれない。

という訳で、ここに来てすっかり音楽に興味を失ってしまった。
その昔、音楽が無ければ死んでしまう、と思っていたこの俺がである。

技術の進歩によって、人のアイデアが食いつくされてしまう良い例なのか、
あるいは、これもグローバリゼイションの弊害のひとつなのであろうか。

という訳で、ジムに行く度にちょっと暗澹とした気分になる今日このごろ。

42丁目のウェントン・マルサリス

Posted by 高見鈴虫 on 09.2013 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
朝のラッシュ時、TIMES SQの地下鉄の通路に、
傍迷惑なトランペッターが居る。

朝のラッシュ時の混雑の中に突然現れては、
トランペットを吹くのだが、
いやはや、このトランペットがまさに酷い。

まあ音が出るだけまし、というレベルなのだろうが、
曲を吹こうにも音を探しながらなので、
つっかえてばかりでいつまで立っても曲にならず、
一度間違えたところを何度も何度も
間違えてばかりいて、まるで進歩が見られない。

なぜわざわざできもしない曲を吹くことがあるのか。
練習のつもりなのかもしれないが、
それにしても、その練習の前に、
練習が足り無すぎる。

誰でも知っている童謡のようなスタンダードな曲を、
しかも音を間違えながら吹き続ける訳で、
これはまさに雑音やコメディを通りこして、
いやがらせか、
あるいは、
こいつ本当に頭が大丈夫だろうか?
と気味が悪くさえなってくる。

ふと見ると人の良さそうな黒人の青年。
その丸っこい顔が、どことなくウエントン・マルサリルに似てないこともないのだが。

とすると、知恵たらずなのだろうか。

そうだろうな、とふと思う。

バケツ叩きにしてもジミヘンにしても、
そしてこのウェントン・マルサリスにしても、
まとも音楽をやっているとはまったく思えない。
まさに知恵足らずが適当に音を鳴らしているだけ、程度なのである。

タイやらインドネシアやらのアジアのドブの底のような街角で、
乞食さえもできないようなメクラやオシやツンボやらの、
親にさえ捨てられた身障者たちの楽団が、
ドロまみれの辻裏で素っ頓狂な演奏を繰り広げては失笑を買っていたが、
多分こいつらもその類なのだろう。

そう、この時代、そんな奴でもなければ、
誰も音楽などやりたがらないだろう。
つまり音楽は知恵足らずや身障者の慰みものなのである。

朝のこの時間である。
そんなカタワの余興に気を取られている暇もない。
できることなら耳を塞いで足早にその場を立ち去ることに越したことはない。

ロリコン大国の舌足らず外交

Posted by 高見鈴虫 on 10.2013 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
アニメの影響なのか、
男も女も幼児期の夢の中で赤ちゃん言葉。
それに加えてAVの影響で愛はますます即物化するばかり。

ごめん俺もうこういう人たちの文化、いっさい興味がない。

アベノミクスだか知らないが、
結局はTPPの恐喝外交にあっさりと負けちゃった。

そのご褒美に円高にしてもらったってだけなのにさ。

こんなロリコンおたくの人々がTPPによって津波のように押し寄せる
ピラニアのような人々を相手に、
いったいどうやって戦うつもりか。

あるいは戦うつもりなどさらさらないのだろう。

可愛がって~!ぐらいにしか思っていないに違いない。

馬鹿かとは思うが俺にはもう関係はない。

あるいは下手をすると俺もそのピラニアの片棒を担がされることになりそうだ。

あるいは、なるべきなのだろうか、とも考えている。



ケツの穴を絞って生きる

Posted by 高見鈴虫 on 11.2013 今日の格言   0 comments   0 trackback
いまさら姿勢を正して、とか、
正しい歩き方、
とか、

そんなこと言っても判るわけ無いじゃん。

なんでね、あたしはこういうのよ。

ケツの穴を引き締めなさい!ってね。

つまり、普段からお尻の穴を引き締めてながら生きなさい、
ってことなのよ。

どう、すごく的確でしょ?名言だと思うわ、

とバレーの先生が仰っていた。

その先々で恋の相手を探している

Posted by 高見鈴虫 on 12.2013 嘗て知った結末   0 comments   0 trackback
いつでもどこにいってもその先々で恋の相手を探している、
という姿勢が実は若さの秘訣である。

拘ってはいけない。

一つの価値観に愛を誓ってはいけないのである。

いつも浮わついた気持ちでいることである。

気持ちをポジティブに保つためである。

デブでも婆あでも大女でも意地悪そうなFOXでも黒人でも白人でも東洋人でも。

とにかく片っ端から引っ掛けていこうとすることである。

と言う訳で方法論である。

ぶっちゃけいつもニコニコしていることである。

誰にあっても誰とでもとにかくニコニコしていること。

好奇心にきらめいた瞳でなんでもかんでもとにかく色々な人にニコニコと話しかけることである。

全てはそこから始まる訳である。

特に東洋人は黙っているととても陰気に見える。

陰気な人間とわざわざつきあいたいと思う人はいない。

陰気に見せないことは最低条件な訳である。

とりあえずニコニコしていることなのである。

笑顔こそが最初で最後の武器なのである。

「ボートハウス・カフェ」

Posted by 高見鈴虫 on 12.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback

休日の朝、またいつものようにセントラルーパーク。
9時までは犬を放し放題のセントラルパーク。
そこはまさにニューヨーク中のドッグラバーたちの聖地である。

休日の朝ぐらいはゆっくり寝ていたいものだ、とは思いながら、
ニューヨークの犬達はまさにこの週末の朝のセントラルパークを
生きがいにしているようなところがって、
7時を過ぎた頃にはベッドの上で大騒ぎ。
さあ、公園だ!セントラルパークだ、と大変なはしゃぎようである。

と言う訳で、朝日の中を向かうセントラルパーク。
公園中に着いた途端、芝生に勢ぞろいしたお友達の中に一目散。
やあやあやあ、と走り回る犬達に目を細めながら、
今日もいい天気で、とご挨拶。

そんな早朝の公園はまさにドッグラバーの天国である。

夢中になってかけまわる犬達の間、生あくびを噛み殺しながら、
そこかしこで顔見知りたちを見かけては挨拶を繰り返し、
そんなこんなで目的地であるシーダーヒルに着く頃には既に8時半。
メトロポリタン美術館の裏手にあるこの広大な緑の芝生の丘。
こここそがまさに週末のドッグラバーの聖地である。

湖からの木立の間から、
シーダーヒルの緑の丘が目についた途端、
息せき切って駆け込んだブッチの姿を見つけたとたん、
いつものメンツが勢ぞろい。
よおよお、お前ら元気だったか?と挨拶と同時に、
丘全体を走り回っての大騒ぎである。
生え揃った芝生のカーペットの上に腰を下ろした途端、
いきなり飛び掛ってくる犬いぬイヌ。
思わず押し倒されて顔中を嘗められながら、
こいつもこいつもこいつも、みんな元気だったか?
と身体中を撫で回し。
ふと見ると赤い舌を躍らせたブー君のお友達たちが勢ぞろい。
さあ、ボール投げて!と待ちきれずにアンアンと高い声を響かせる。

9時を過ぎ公園の係員からはーい、終了です、の声がかかると、
皆しぶしぶと犬を呼び寄せて歩き始め、
我々はそのままボートハウスのカフェに立ち寄る。
有名なセントラルパークのボートハウスレストランの
その裏手にあるオープンカフェは犬達を連れた人々で一杯。
朝の日差しのさんさんと降り注ぐカフェのテーブルで、
焼きたてのマフィンや、ベーコンエッグのサンドイッチの朝食。
おなかを減らした犬達がテーブルの脇から、
少し頂戴!とおねだりワンワンが響き渡っては大騒ぎである。
その後、帰りすがりに芝生の上、ハープの演奏に思わず聞き惚れた後に、
再び出くわした近所のドッグラバーたちとおしゃべりをしながら、
家路を辿るわけである。

ああ、なんか朝から満たされた気分。

部屋に着いたとたん、朝のニュースを見るともなく見ているうちに、
そのままソファの上で朝寝をしてしまうわけだ。

大爆笑「民主党公開大反省会」

Posted by 高見鈴虫 on 12.2013 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
民主党の公開大反省会ってなことがあったそうだな。

なんか、一皮剥けました、ってなニコニコ顔を並べて、
反省会、なんてやっちゃうぐらいだから、
もうねえ、この人達、政治家としてはまったくもってドシロウト。
まさに大学のサークル程度の知識しかないまま、
海千山千のバケモノどもが、互いに互いの手足を食い合うような、
とんでもなくグロテスクな魔窟に足を踏み入れてしまった訳で、
まあ、まるで狼の巣に迷い込んだ赤ずきんちゃん、そのもの。

今になって思えばこの素人っぽさを、素人っぽさとして笑って居られる状況であれば、
それに越したこともなかったのだろうがな。
つまり、あの降って湧いたような東北大震災と、
原発事故、というよりは、国賊企業・東電の大ボケさえなければ、
それほど極悪な人々でもなかったのでは、と思うのだがな。

その中で、管直人が、
小沢一郎、噂には聞いていたが、これほどひどい(奴)だとは思わなかったなあ、てへへ
みたいな発言。いやあ、実感篭っていたよな。

その無邪気な笑い顔に、やっぱなあ、このヒトに政治家は無理だわ、とは思いながらも、
そう、管そのものはそれほど悪い人じゃなかったんだろうな、とも思う訳だ。

つまり、そう、小沢、あの顔見れば誰だって判るだろうがさ。
そう、並の人間じゃない、ってよりも、そう、端的に言ってただのバケモノだろ。

かねがね、小沢一郎が実はどんな奴であるのか、
そのさんざんな噂はさんざんさんざんと耳に入っていたのだが、
この管直人の一言は思わず大爆笑。
つくづく正直者のこの管っておっさん。
そのあたりの普通のおっさんのままでいたほうが幸せだったんだろうな、
と思ったりもする。

で、改めて言わせてもらうが、この赤ずきんちゃん政権・民主党を潰したのは、
あの魔窟の中に暮らす、まさにバケモノのように底意地の悪い糞官僚と、
そして魔物と言ったら魔物が怒るぐらいに、とてつもなくどうしようもない
あの政治家と云われるバケモノ達である。

実際に普通の人間として傍から見る限り、あの政治家、という職業の人々も、
そして、
日本を支えている、つもりになっているのであろう、官僚と云われる人種も、
まさに、魔窟に巣食う魔物以外のなにものでもない、このうえなくグロテスクな生物な訳である。

それを知らなかった、やら、驚いた、やら、
そんなバケモノに「いじめられた」などと、笑いながら愚痴る民主党の人々を見ながら、
こんな人達が例えば、腐ったブタの死骸にそれこそうじゃうじゃと
それこそ山のようにうごめく蛆虫のような利権亡者たちと、
いったいどんな話をしていたのだろう、と改めて聞いてみたくもなるわけだ。

ニコ動にいい気になって書き込んでる馬鹿犬のような子どもたち、、
そんな民主党の愚痴ばなしに、かわいい、などと言ってしまうこまったおばさんねえちゃん連中も、
まあそれがマンザイ国家の本音=限界と思われてしまう、というリスクは考えないのだろうか、
とは思うが、まあね、そう、この民主党も、そして多分、あのあべしんぞーも、
けっきょくその程度のひとびとの人気取りをしなくてはいけないという宿命からは逃れられないわけでさ。

という訳で、そう、実は、この「小沢一郎、これほどひどいとは」というニュースでくくって、
小沢を庇う=管直人に罵声を投げかけるメディアを、きっちりチェックしておかなくてはな、とは思う。
そういういじめ体質の白痴メディアのいうことは、いっさい信じてはいけない。逆読みしていかなくてはいけない、
と思うわけでさ、いいバロメーターになるよな。


音楽界はケイブマンたちの石器時代を経て、そしていま再びクラッシックへと向かう

Posted by 高見鈴虫 on 13.2013 音楽ねた   0 comments   0 trackback
つまりさ、
音楽もナマモノである以上は、
青から黄色になって食べごろから熟れ熟れを過ぎて、
そしていつしか腐り果てて行く過程を経る訳でさ。

ジャズがチャーリー・パーカーを経て、
マイルスが息の根を止めたように、

ロックもビートルズだ、ストーンズだ、から、
ツェッペリンだ、メタルだ、パンクだ、
とやった後は、
ガンズとニルバナを最後に、
すでに腐り果ててしまった訳だよな。

まあそう言った意味では、
マイケルというあまりにも偉大過ぎるショービジネスの巨人が、
全てにおいて全てを超越してしまったが為に、
後に残されたものはすでに焼け畑に過ぎない、
ってのが実際のような気がするのだがどうだろう。

という訳で、かのヒップホップも既に世に出て20年。
ブルックリンの黒人による黒人の為のファイザパワウィザビー!は、
いつしか、黒人、というよりは、ケイブマンたちの嬌声に成り代わり、



2001_a_space_odyssey2.jpg



そしていま、
音楽界はケイブマンたちの悪ふざけの中で、
文字通り石器時代に逆戻りしてしまった訳だ。


猿男と猫娘

Posted by 高見鈴虫 on 14.2013 今日の格言   0 comments   0 trackback
改めて言えることは、猫には近づかないことである。
俺は猫にはあわない。猫に調子を合わせようとすると必ず嫌な目に会う。
それはまさにむかつく猿野郎と同じだ。
教訓としては猿男と猫娘には気をつけることだ。
猿男を面白がってからかっていると木の上に逃げられて思い切りムカつくことになる。
猫娘に目を奪われて追いかけると藪の中に誘い込まれる。
どちらもろくなことにはならないだろう。

失敗からなにも学べないというのはとてもとても損なことだぞ

Posted by 高見鈴虫 on 14.2013 今日の格言   0 comments   0 trackback
あのなあ、
もうそろそろ冷静客観的達観的に
自身の過去を見つめなおしたほうが良くないか?

失敗からなにも学べないというのはとてもとても損なことだぞ。

日系蟹バケツの悪夢

Posted by 高見鈴虫 on 14.2013 とかいぐらし   0 comments   0 trackback
どうしたのだろう。ここのところ夜更けに目が覚める。

悪い夢を見るせいである。

辞めた会社の悪夢にいまものたうっているのだ。

もう半年以上も前の話だというのに。
そして今の仕事は以前の会社との絡みはいっさいない。
つまり綺麗さっぱり縁が切れたというのにである。

忘れたくても忘れられないあの怒りに悶々として過ごした日々の記憶が、
夢の中でまざまざと蘇ってきてしまうのである。

できることならすべて綺麗さっぱり忘れ去りたい。
ようやく忘れ去れる状況に辿り付けたというのに、
である。

これほどひどいとは な人々

Posted by 高見鈴虫 on 15.2013 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
例の菅直人が小沢一郎を評した
「これほどひどいとは思わなかった」発言なんだけどさ、

菅が言った小沢評。
「自分の政治的影響力が一番大きくなるには何を言えばいいかと、
それがすべての判断基準になっている。傾向は分かっていたけど。。。
いやはや、これほどひどいとは思わなかった」

これはねえ、実に重い。
まさに、本音、なのではないだろうか。


いわゆる二つの脂肪の塊

Posted by 高見鈴虫 on 16.2013 嘗て知った結末   0 comments   0 trackback
それは言うなれば、
いわゆる二つのただの脂肪の塊である。
そのあまりにも当たり前のような顔をして存在する二つの脂肪の塊。

また何時ものようなニューヨークの気まぐれさから
真冬の劇寒、コートを重ね着してまるで雪だるまか関取か
というぐらいに着ぶくれしていた人々が、
いきなり春を飛び越えてやって来たこの突如の真夏日の中、
コートからジャケットからセーターからシャツからをかなぐり捨てたいま、
長らく外の空気にさらされる事のなかったその生白い柔肌。

その中でも一際目を引くのは、
その喉元にまでせり上がるたわわとしたふたつの分厚い脂肪の塊である。
その見るからに柔らかそうなたわわと盛り上がり。
ぼわんぼわんに膨れ上がりぼわんぼわんと揺れるそのふたつの異物。
あまりにもあっけらかんとして存在しながら、
しかしどうしても視線を引いてしまうあるいは
時として釘付けにさえしてしまういわゆるふたつのただの脂肪の塊。
しかも釘付けにされた視線をそれでも足りないとばかりにその谷間の奥の奥にまで引き込んでは
その汗に濡れた産毛の浮いたそのあまりにも無防備でいたいけな様。

いったいこれはなんなのだ。
なにゆえにこんなものが存在しなくてはならないのだ。
どう考えてもまるで無駄ではないか。

がしかし人類の約半数にあたる人々が所有するこの不思議な物体。

所有するその当人たちにはまるであっけらかんと当たり前の顔をして
その存在をなかば持て余しているようにも見受けられるこの摩訶不思議な物体。

その存在意義を説いながらも、
しかしそんな愚問のすべてを一瞬で蹴散らしてしまうような
まさに圧倒的な存在感を前にしたいま、
男たちはなす術もなくただただ息を飲んでしまうわけである。

そしてそんな降って湧いたような真夏日の下、
そのにわかな焦燥のなかに、確実に生命の息吹を感じるのである。

生きていてよかった。
人生はなんと素晴らしいんだ。

そして
夏が来たんだな
と改めて思うわけである。

「犬は飼い主の鏡」

Posted by 高見鈴虫 on 17.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback
最近、散歩中の犬の表情が冴えない、とは思っていた。
あのなあ、この糞忙しい中、わざわざ散歩に連れ出してやっているのに、
もうちょっとぐらい嬉しそうな顔をしてくれても良さそうなものなのに。
などと思っていたのだが。

ふと気付いたこと。
犬の表情はまさに飼い主の鏡なのだ。

つまり飼い主の表情が冴えないから犬の表情が冴えない、ということ。
まさにこれもUR MY MIRROR な訳である。

と言う訳で、素晴らしく晴れ渡った金曜日の午後。

仕事をスカッと終らせて出かけたセントラルパーク。

なんて素敵な午後なんだ、と思い切り伸びをして、
ふと振り返れば犬の表情も輝いている。

改めて犬は飼い主の鏡である。思い知るべきである。



にわかドッグ・ウィスパラー

Posted by 高見鈴虫 on 18.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback
先日、ホームパーティの際、
うっかり、この人はドッグ・ウィスパラー、
などと紹介されてしまった事情から、
それをまじ受けした人々から色々な質問が寄せられてしまった。

が、
俺はTVホストでもましてや金を貰っている訳でもないので、
本当のことを言う必要もなければ、
本当のことを隠す必要もない。

という訳で、
有ること無いこと適当に面白おかしく話していたわけだが、
そんなことを続けているうちに、だんだんちょっと本気で腹が立ち始めた。

あんなあ、と。

なんでそんな簡単なことが判らないのか。

犬の問題のほとんどは、散歩が足りないこと、それに尽きる。

なので、解決策は唯一つ、

面倒くさがらずに犬との散歩を増やしなさい、

その一言ですべてが終ってしまう。

そして飼い主の問題にしても、

つまり、
犬はあなたの鏡なのだ。
あなたの言う問題とは、
つまりは、
あなた自身が抱えている貴方自身の問題、そのものなのだ。
なのでその相談は、ドッグウィスパラーにではなく、
あなた自身がカウンセラーに行くべきなんじゃないのか、

ということであって。

で、極めつけ、
果たしてこれまで言っても、そうではない、と言い張るのであれば、だ。

つまり、自分の飼っている犬にさえ見透かされては舐められる、
なんてことは、
つまり、
それだけあんた自身が己の生き方に手を抜いているからだろう、と。

なんて、

思っていたけどやはり言えなかった。

にわかドッグ・ウィスパラー 犬が言うことを聞かない

Posted by 高見鈴虫 on 19.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback
先日のにわかドッグ・ウィスパラーねた、

そんな中で、いくつか。

犬が言うことを聞かない、
なんていう質問を受けた。

そこでまず聞いたのは、飼い主は誰?

あるいは、本当に聞きたかったのは、
あなたの飼い主は誰?

であったりもした。

つまり、飼い主本人が、この犬は私の犬、という自覚を持っているか。

この飼い主の自覚とは、
なにがあったときはこの犬の責任を自分自身が取る、という自覚があるのか。
あるいは、
この犬になにか危険が迫った時、身を持ってその身を守る覚悟があるのか、
ということである。

犬が言うことをきかない、というのは、
つまりは、
犬からリスペクトを受けていない、という事である。

人間だって犬だって、
はなから舐めているやつから頭ごなしに、
俺を尊敬しろ、と言われたところで、
はいそうですか、という気にはならないもの。

人でも犬でも、
尊敬れたければされるためにはどうしたら良いか、
まじめに考える必要があるのだ。

例えば、
もしもその犬が家族で飼われているのであれば、
その飼い犬の態度は、
家族のあなたに対する態度、
つまりは、ご主人のあなたに対する態度に起因する。

犬にいうことを聞いてほしければ、
まずは、一家の主であるご主人との関係、
強いては家族の中における自分自身の役割について、
考えなおしてみたほうがよい。

犬も家族の一員である以上、
家族の関係を最も明確に示すものなのだ。

例を出して言えば、
口ではなんのかんのと言いながら、
自身がご主人に依存しているという事実を、
犬は敏感に察知し、そして御主人との依存関係の中で、
依存している者同士、つまり同類=対等、と見る事から、
同類からの指図は受けない、という構図ができあがる訳だ。

なので、もしもそれが気に入らない、
というのであれば例えば二つの方法が考えられる。

一つは御主人によく言って聞かせてもらうことである。

つまり、お前=犬よりも、この人=ご自身、の方が上だ。
或いは、俺にとってはこの人が一番大切なのだ、
とよく説得してもらうことだ。

犬が子供に手を出さない理由はつまりはこれである。
犬が本能として子供を可愛がると同時に、
子供を家族で一番大切な存在として認知している訳である。

それと同じように、
ご主人があなたを本当に大切に思っているのであれば、
犬がご主人様の大切にしているお方を粗末に扱うということはまずない。

つまりそう、そう、つまりはそういうことなのだ。

にわかドッグ・ウィスパラー 犬の問題はまさしく飼い主の問題であったりもする

Posted by 高見鈴虫 on 19.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback
犬との付き合いの中で唯一つ言えることは、

犬はまさしく、飼い主の鏡である、ということだ。

犬に問題がある場合、10中八九、
その飼い主がまったく似たような問題を抱えている、
と考えた方が良い。

いやいや、それは絶対にあり得ない、
と思っているのは当の飼い主だけで、
ドッグランの中でたびたび、
あの犬と飼い主、ほんと、そっくりだよね、
なんて話題が上がるのは、、
あなたもよくご存知の筈。

それとまったく同じ事が、
あなたの犬とあなたの間にも起こっている、
と考えるべきなのだ。

良い意味でも悪い意味でも、
犬はあなたの鏡なのである。
心するべきである

にわかドッグ・ウィスパラー 飼い主としての自覚

Posted by 高見鈴虫 on 19.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback
果てさて、
犬の悩み相談、なんてのをしていて、
ついつい馬鹿馬鹿しくなるのは、
まさにその問題が、まったくもって飼い主の問題であることがほとんどだからだ。

自律心のない飼い主の犬はきまってだらしがない。
責任感の無い飼い主の犬はきまってわがままで、
甘えたところのある飼い主の犬は決まって甘えん坊で聞き分けがなく、
自分勝手で常識に欠ける飼い主の犬はきまってその通り。

つまり、端的に言って、当事者意識の無い飼い主の犬は決まって
犬社会においても常識に欠けるケースがほとんどなのである。

そしてそんな犬は、その飼い主がそうであると同じように、
決まって似たような問題を起こすのだ。

そんな中、飼い犬の問題は自分自身の問題、
と認めた上で、自身の犬との関係を修復したい、
と願うのであれば、

答えはただひとつである。

自身が犬に対して飼い主としての自覚を持つということだ。

もしご自身がしっかりと、
この犬は私の犬だ、
なにがあっても、私自身が責任を負う、
あるいは、
この犬になにかあった時には、この私が身を盾にして守る、
という固い決心があれば、
犬はその自覚を感じ取り、
感謝と尊敬の念を持って、
あなたに対することになるだろう。

つまり、犬はその態度によって、
御本人の自覚、そして自立、を促している訳なのである。

にわかドッグ・ウィスパラー 犬にウソはつけない

Posted by 高見鈴虫 on 19.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback
犬のことになるとついつい柄にもなく説教臭くなってしまうが、

まあ端的に言って、

馬鹿な犬はいない。馬鹿なのは飼い主の方なのだ。

その原則をしっかりと心に刻み込んだ上で、

犬が自身の姿を映し出す鏡だと自覚し、

共に学び共に育つ関係を確立して欲しい。

また、犬との愛情をよりいっそうに深めるのはまさに自己犠牲である。

犬が最も欲しているのは、飼い主と過ごすその時間である。

飼い主が自分との散歩にどれだけの時間を費やしてくれるか、

それこそが犬が飼い主を評価する最大のポイントなわけである。

猫可愛がりしておもちゃを買い与えたり、
おいしいお菓子を沢山あげたり、
あるいは気分次第で身体中を撫で回して、

どうだ、あなたは可愛がられているね、というのは大きな間違いである。

どんなに疲れている時でも、
どんなに身体の調子が悪い時でも、
雨の日も風の日も、真冬の木枯らしの中でも真夏の酷暑の中でも、
犬と共に雨に打たれ風に吹かれ寒さに震え暑さにへたり、
その時間を犬と共有した、というその事実こそが、
犬との信頼関係を築き上がるということなのだ。

夜中に起こされて、下痢だ、とやられた日、
パジャマの上からそのままダウンジャケットを羽織って走り出る深夜の公園。

いやあ、間に合って良かった。で、どうした?変なもの食べたか?
とやりながら、その犬の表情には、確かに確かに、心の底からの感謝の念がある。

犬は心の動物である。

言葉の喋れない分、その気持の変化や、そして、飼い主のウソには異様な程に敏感だ。

つまり犬にウソはつけないのである。

そのかわり、心の底から犬を思いやってやれば、何時の日か、犬は必ずそのお返しをしてくれる筈だ。

犬の素晴らしさはまさにそれなのである。

人類がその誕生とともに犬を最大の友として共生を続けてきた理由はまさにそれなのだ。

狐火文体

Posted by 高見鈴虫 on 20.2013 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
なんかちょっと、
普通の日本語、ってのが判らなくなってきてしまったところがあって、
なので、なんとなく、投稿掲示板、なんてところの文章を読んで、
最近の日本語の流れをキャッチアップ、なんて思ってるのだが、
果たしてこれが、
正直言ってなかなかきびしい。

と言うのも、

男の文章は妄想ばかり。

で、

女の文章は主観的過ぎてなにが書いてあるかさっぱり判らない。

単語も文法も滅茶苦茶。
主語もなく述語もなく、

前後の文脈をいっさい無視していきなり話がかっとびまくる、
というのはまあ、俗にいうガールズトークの「狐火」現象であるわけなのだが、
果たして、
掲示板に投稿された文章というのがまさしくこの狐火文型なのである。

という訳で改めて、
この文章を理解できないのは俺の読解力不足、だけではない筈だ。

誰も誰かに読ませようと思って文章を書いていない。
書きたいから書いている、とただそれだけで、
そこにも自我の閉塞の影が色濃く落ちている。

改めて、
この国の人たちいったいどうなってしまったのだ、
とつくづく思う。

日本人である以上、それほど馬鹿な人たちばかりというわけでもないだろう、
とも思うのだが。。

つまり、文章を書く、とか、自己を表現する、
という教育をまるでされていないのだろう。

4択問題でないとなにも答えられない人々が増えているのかな。

なんとなく、日本国中がこの分裂病的な狐火文体の中におどろおどろしく揺れている、
ような気さえしてくるわけだ。

21世紀のネオ・東京音頭 THE TOKYO ONDO

Posted by 高見鈴虫 on 21.2013 音楽ねた   0 comments   0 trackback
良く晴れた5月のニューヨークの朝。

朝7時15分。
72丁目の駅の階段を駆け下りて、
閉まりかけたドアの隙間から混みあった地下鉄の中に滑りこむ。

一様に迷惑そうな客達。響く舌打。ふん、気になどするものか。

臭い黒人、太った白人、ナードと、トラッシュと、そしてWALL街のエリート達。

この地下鉄2番線、通称赤線、

ハーレムを始点にニューヨーク一の高級街であるアッパーウエストサイドを通るルート。
億万長者のユダヤ人とゴミのような黒人たちが一様にひしめき合う車内。

身体をよじりながら駅でピックアップしたフリープレス・AMNEWYORKを斜め読みしながら、
今日オフィスに着いた後の今日のスケジュールを反芻する。

今日も8時半に提出される朝一レポートを下地にして、
インパクト・レコーディングのプロシージャに関してJENからのレクチャーがある。
午前中一杯、また例の長い話に付き合わされることになる以上、
それまでにあいつとこいつとそいつとどいつにメールを出しておかなくては。

その後11時からボスとのミーティング。
アジェンダは昨夜のうちに書いておいたが、
具体的な資料の提出を求められた時の為に、
下準備をしておかなくてはいけない。

昼にGYMに行き、1時に戻って午前中に届いていたメールをチェックしながら遅めの朝食。

午後は2時からは全体会議。まあこれは聞いているだけ、の筈だが。

その後、再びJANとのレクチャー。

その後今日のメールをチェックして、調査資料の提出依頼を、
どいつとどいつとどいつに。

下手をするとまた夜の8時以降に日本との会議があるかもしれない。
その時にはそれまでの間に資料に目を通しておかねばならない。

やれやれ、である。

やれやれである、とは言いながら、つまりこれがニューヨークのごくありふれた朝なのである。

つまりは、おいそこのくせえ黒人、
こう見えてもお前の前で新聞読んでるちんちくりんなチャイニーズは、
実はお前の年収を半月で稼ぐんだぞ。分かったか。分かったら早くそのくせえケツをどけるんだ!

という訳で42丁目で乗り換えて、7番線のホームに降りたとたんに空気が変わる。

そう、ここはQUEENSライン。つまり、貧民街のどまんなかを行く移民列車。

やってきた列車に乗り込んだ途端に、車内は朝からはじけまくった
褐色の少女達の嬌声で溢れかえっている。

8時を前にしてまるで夏の盛りのような気温。

学校へ向かう途中に早々とシャツを脱ぎ捨ててタンクトップ一枚。
ラテン系と黒人とチャドイのイスラム娘とチャイニーズと白人と。
どいつもこいつもこのあまりに無防備なたわわなおっぱい。

高校生にしてはあまりに発育が発育が。

いやいや、そんなことを、と逸らせぬ視線を思わず逸らさねば、逸らせない、
逸らさんでか、とやっていながら、
ふと見れば向かいの席の少女たち。
身を寄せあってはくすくすくすくすと笑い合っては、
これ見よがしに白い歯を剥きだしてスティング攻撃である。

この小娘、見るからに処女じゃないな。
そうなんだな。処女じゃないならもうおじさんは手加減せんぞ!

よし、お前たち、おじさんにその電話番号を寄越しなさい!

などとやっていた矢先、

ふと、天啓を受けた。

ONDO = 音頭 ではないのか?

つまりだ、

これまで、日本人はリズム感が悪いの、
音を身体に還元する能力が欠如している、などと
のたまっていたが、

日本のダンス・ミュージックの根源とは、
まさしく、ONDO = 音頭、なのではないか、ということだ。

端的な話、あのこの世でもっとも刺激的なリズム、
8分の6拍子で、音頭を踊ることは、まさしく可能、
というよりも、
音頭こそが、8分の6拍子であった訳なのだ。

つまりは、なんてことはない、これなのだ。

電線マン電線音頭
https://www.youtube.com/watch?v=2bB9v7b20Fg


で、日本人の魂の歌とは、
まさに、

東京音頭
https://www.youtube.com/watch?v=qxEQHNC5osY


そして、極めつけは、これ。

ちゃんちきおけさ
https://www.youtube.com/watch?v=dPPqmkIOSRk

あるいは、これ。

おまんた囃子
https://www.youtube.com/watch?v=s1rFF0FY2E8


どうだ。

これは十分に、というよりは、既に完全に完成されたダンス・ミュージックなのである。

なぜそれに気が付かなかったのだろう。


ドドンガド~ン、ヨヨイノヨイ!のリズムに、
6/8 あるいは、無理やり16分を上乗せしてしまえば、

まさしくこれ、ポリリズムではないか。

そう言えば数年前、
高円寺の阿波踊りに、アフリカのタイコ部隊が乱入して、
とてつもなく面白かった、ってな話を聞いたのをすっかり忘れていた訳だ。

つまりはそうなのである。

つまりは、そう、それはすでにずっとあったのだ。

それを忘れて居たのだ。

なぜか、つまりはPOPSが音頭を淘汰してしまったからである。

という訳で、そう、つまり、ある意味、
POPSこそが、音楽の退化させた、ということにもなりうる訳である。

まあ良い、とりあえずは、そう、日本にだってあったのだ。

つまりは、音頭である。

東京音頭であり、阿波踊りであり、ちゃんちきおけさであり、
そして、電線マン音頭である訳だ。

なぜそれをやらないのだろう。なぜそれにチャレンジしないのか。

ROCKを音頭にするのではない。

音頭をファンクに、ハウス、ポリリズムにするのである。

すぐにでもできる。せねばならない。

ああ、世界をぶっ飛ばす、とてつもない「音頭」が頭の中に広がり初めた。

これは行ける、世界をとれる、21世紀のネオ・東京音頭、TOKYO ONDOである。

という訳で、

良く晴れた5月のニューヨークの朝、
午前8時のオフィスの机についた時には、
すでに仕事頭は完全にどこかにぶっ飛んでいたのであった。

やれやれ、である。

チャーリーホースは真夜中に疾る そのじゅうに 閉塞性動脈硬化症

Posted by 高見鈴虫 on 22.2013 チャーリーホースは真夜中に疾る   0 comments   0 trackback
と言う訳で、チャーリー・ホースである。

やるべきことは全てやった。

毎日山のようなサプリメント、
つまりは、
マグネシウム
カルシウム
ポタシウム
ヴィタミンE
に加え、

毎朝と寝る前にリンゴ酢を一杯。

カフェインを断ち、
毎日昼の時間にはGYMでストレッチ。

姿勢を正し、足を組むのをやめ、
なるべく物事に腹を立てないように
普段から平常心を保ち。

そして毎日それこそ馬のように水を飲み、
30分起きにトイレに行き、

食べすぎを控え、肉食を断ち、

代わりにバナナを毎日5本も6本も食べ、

とやっているのであるが・・・・

ぶっちゃけまったく効果が現れないのである。

つまり、いつなんどきでも両足の脹脛から太ももからが
ピクピクと不気味な躍動を繰り返しては、
ふとした拍子、それは例えば、
駅の階段であったり、
会議の始まる直前であったり、
風呂から上がるところであったり、
犬の散歩の途中であったり、
或いは、
そう、寝ている最中でさえ、
すわっ飛び起きるとまさにチャーリー・ホースの一歩手前。

これではおちおち寝ていられないどころか、
仕事にもならない、という訳だ。

と言う訳で、調べに調べた末に、
ふと、ためしてガッテンのWEBサイトの中に、
こんな記事を見つけた。

「痛ッ!“足がつる”に隠れた危険な病とは?」

http://www9.nhk.or.jp/gatten/archives/P20120425.html

なになに、

「こむら返りが命に関わる病気をいち早く知らせてくれるサイン」


なんと、

「放置しておくと足を切断しなければならなくなる可能性もある」


なんだなんだ、である。

で、その病名は、と言えば、

「閉塞性動脈硬化症」

これまた大層な名前の病気である。

ここまで苦しめられた以上、そのぐらい仰々しい名前であってくれたほうが、
こちらのほうとしてもなんとなく、元が取れたような気もするわけである。

と言う訳で、さすがのNHK。さすが受信料取り立ててるだけではなく、
国民の方々の心の要望にしっかりと対応しているではないですか。

と言う訳で、番組で紹介された治療法は、といえば、

「歩くだけ」

なんだよそれは、と。思わず思い切り腰砕けである。

自慢じゃないが、こちとら痛い足を引きずりながら一日2時間3時間歩き続け。

歩行距離では世界、とまでは行かないが、
ここNYCでは一位二位を争うに違いないこの犬の散歩大王に向かって、
いまさら「歩け」とは何事か、と。

言われなくても毎日歩いとるわい!

と思わずモニターにパンチをくれそうになりながら、

ふと見れば、である。

「1分歩いて3分休む」を10回繰り返すこと。
これを1週間に3回行い、3週間ほどで、
血管の詰まった部分を迂回して新しい血管がでる。

そっか、血管が詰まっていた訳か。

と言う訳で、そう、ここまで来たら藁どころか、
どんなものにでもすがってやろう、とばかりに、

早速この、1分3分を始めた訳である。

チャーリーホースは真夜中に疾る そのじゅうさん ためしてガッテン

Posted by 高見鈴虫 on 22.2013 チャーリーホースは真夜中に疾る   0 comments   0 trackback

と言う訳で、NHK「ためしてガッテン」で紹介されていた、
1分3分歩行である。

一分歩いて、3分休む。

はいはい、とは思いながら、
人間、こう見えても、大抵の時間は歩いている。
で、休む、とはなにを指して休むというのか。

立ち止まるのか。座るのか。あるいは寝るのか。

まあ曖昧な点は良いとしても、だ。
犬の散歩の途中に1分ごとに立ち止まる、
というのはどういうものだろう。

或いは、とその実行方法を考え続けていたのだが、
ふとすれば夜のドッグラン。

このドッグラン、端のベンチから端のベンチに歩けば、
ちょうど1分、になる訳である。

ふむふむ、夜のドッグランでボールボールをやりながら、
ベンチからベンチに移動して3分づつ休む。
これであれば、1分歩行3分休息の条件をしっかりと満たすではないか。

と言う訳で、片手にIPHONE。片手に砂だらけのボールを持って、
さあ始めようと、と始めた訳だ。

ねえ、なにやってんの?
と怪訝そうなジェニーとアリーンに、
つまりは、詰まった血管のサーキュレイションの、
と説明しながら、
お、時間だ、といきなり立ち上がってベンチを移動。

訳も判らず着いて来るジェニーとアリーンに、
だから、1分歩いて3分休む、を繰り返すことで、
足の血液の循環を良くして、チャーリーホースを追い払おう、
という画期的な企画。つまりは日本人の知恵の結晶な訳で。

と説明しながら、それならば、とばかりに、
はい、時間、あちらに移動、とやっているわけだが、

そうなるとボール遊びの途中の犬たち。

訳も判らず面白がって着いて来る訳で、

時計片手に、はい移動、とせかせかと歩く人々の間を、
犬どもがはしゃぎ回りながら追い掛け回す、という、
いやはやなんとも訳が判らない状況が巻き起こってる訳だ。

後からやってきた犬の飼い主、
見るからに怪訝そうな表情で、
あの・・なにを?
と尋ねてくるのだが、

はい、ちょっとそこどいて。一分であっちまでたどり着かなくっちゃなんだから、
と割と必死の形相の1分3分部隊。

だから、こうすると足の血行を良くしてチャーリー・ホースが治るのよ。

それをとりまく犬どもがボールを加えて走り回り、
新らたに参入したラブラドル2匹も訳もわからず仲間入り。

なんか判らないけど、楽しくない?

って感じでまあ、犬はどんな状況でもはしゃぎまわることだけは忘れない。

と言う訳で、夜更けのドッグラン。

なんとも妙なことになっている訳だ。
  

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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