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「海外在住非英語生活」

Posted by 高見鈴虫 on 01.2013 アメリカ爺時事   0 comments   0 trackback


アメリカに生活している以上、その生活のほとんどはもちろん英語、
というと実は全然そんなこともなくて、
こうしてニューヨークに暮していると、
日系食料品屋であたりまえのように日本食材を購入し、
そこでピックアップした日本語のフリープレスでニュースを仕入れ、
IPHONEは日本語仕様で、ニュースもメールも日本語環境。
家に帰れば日本語放送でNHKのニュースやら大相撲やらをやっていて、
あるいはインターネットで日本のドラマがそれこそ見放題。

そんなことをやっていると、
住んでいるのがニューヨークであろうがLAであろうが、
ほとんど英語などまったく縁がなくとも十分に暮していける訳であって、
で、それに加えて日系の会社に勤めていたりすると、
一日中英語を一言も喋らない、ということも十分過ぎるぐらいに十分に可能。

ニューヨークなんていう人種のサラダボール、
お祭り好きのパーティフリーク揃いの街においては、
世界中から集まった物好きたちの坩堝という関係で、
なんだかんだ言いながらも英語を話す機会も多いのだが、
友人の暮すLAやらホノルルなどというと、
もう最初から最後まで完全に日本語どっぷり。

下手な英語など話そうものなら、
格好つけて英語なんて話すなよ、
など嫌味を言われたりもするわけで、
いやはや、とんだアメリカ暮らしもあったものだ、
と思い知らされる訳である。

つくづくおかしな海外在留もあったものなわけである。

「海外在住非英語生活 その2」

Posted by 高見鈴虫 on 01.2013 アメリカ爺時事   0 comments   0 trackback


とまあそんな俺も、海外在住云十年とは言いながら、
なんだかんだ言ってやはり日本語は楽。
流されるままにいつのまにかほとんどただの日本語浸りの生活を続けていた関係で、
ここに来ていきなり米系企業でアメリカ人に混じって生計を立てる、
という、まあアメリカにいるんだから当然、
の生活をする際になって初めて、
おっと、英語か、と今更ながら己の英語力にタジタジしてしまったり、
なんてことも起き得るわけである。

問う訳で、そう、米景気行勤務。
なにはなくとも英語である。

当然のことのようにこの米系企業、
メールから同僚との会話から上司からの指示からが、
全てまったくの英語。
メールのやりとりも電話での会話も上司からの指示も報告書も給料査定書も全て英語。

下手をすると最初から最後まで誰がなにを言っているかさっぱり判らない、なんて会議に参加することもあって、
それが半日、下手をすると連日、なんてことにもなって、
だがしかし、今更ながら、なに言ってるか判らない、では済まないわけである。

そんなこんなで、今回も研修の為の出張先で缶詰。

朝から晩まで徹底的に英語英語英語漬けで、
気晴らしで眺めるIPHONEのヤフージャパンのニュースが唯一の気晴らし。

がしかし、そう、俺はもう既に日本人でもなんでもなく、
とりあえずはこの人種の坩堝のアメリカ合衆国の中の、
ただのアジア系市民のひとりに過ぎない訳で、
日本人だから、なんて言い訳など誰も相手にしてくれない。

まあそんなこんなで英語、そう英語なんだよ、と痛感した結果、
なるべくの日本語断ち。
日本語を読まない書かない喋らない、
という健気な努力を続けている訳なのだが。

以前友人から聞いた話では、
多言語を学ぶ上での最近道は、
自己との対話を英語で行うこと、
であるそうで、
つまり自己の脳内での思考そのものを英語に切り替えろ、
という訳なのであるが、いやはやこれが割りと大変な訳で。

ってな感じで、この地獄の研修旅行。

お蔭様で、これまでペイパーバックのページを開くだけで眠くなっていた俺が、
必要に駆られててんぱりまくっているうちに、
まるで辞書のようなマニュアルをスラスラと読み始めては、
いつの間にか日本語吹き替えの映画が気持ち悪くて観れなくなって、
字幕付きの映画の文字が邪魔臭くなる、なんてことも起こり始めた訳だ。

と言う訳で、いまもカバンの中にはBOOKOFFで買った文庫本の代わりに、
図書館で借りたペーパーバック。
日本語訳のおかしな文章を読むよりは原書で読んだ方が判りやすい、
なんてことを、普通に話せるようにまでなってきている。

が、しかし、である。

改めて言おう。

日本語が恋しい、のである。

いけないいけない、と思いながら、
どうしてもどうしても、
日本語が読みたい書きたい喋りたい。

と言う訳で、資格試験に合格するまでは絶対に、
と封印していた筈の日本語ドラマサイトで 思わず「半沢直樹」を検索。

観てはいけない。いまは、いまだけは・・・

いま「半沢」など観始めたら、それこそこれまでの苦労が水の泡だ・・

たかが日本、されど日本。

ああ、日本が恋しい、と、まさに狂おしいばかりの週末である。




人的資産とよく言われているが、いったいなんの資産か

Posted by 高見鈴虫 on 02.2013 とかいぐらし   0 comments   0 trackback
人的資産とよく言われているが、
いったいなんの資産か、とつくづく首を捻るこの現代社会。

従業員の負荷軽減あるいはリスク分散の意味もあって、
一個人の担う仕事の分散化と冗長化が進むわけで、
つまりは、まあいつでも休みが取れるぞ、と同時に、
俺一人がいなくなってもこの会社は困らない、
となる訳で、まあ仕事、あるいは会社はそういうもの、
そうあるべき、とも思うのだが、
過去、たったひとりアドミンやら、
仕事の全てをひとりで引っかぶって、
的な修羅場を過ごしてきた俺にとっては、
この安全かつ機能的な職場がなんとなく手持ち無沙汰でもある。

その昔、中規模の会社において、IT何でもかんでも屋、
つまりは、ヘルプデスクから始まって、サーバ、ネットワーク、
セキュリティからスマフォからアプリ開発からと
なんでもかんでもを一人で引っかぶっていた時には、
風邪を引こうが槍が降ろうが決して休めない、
という状況にあった訳で、
まったくこの会社どうにかしてる、俺に何かあったらいったいどうするつもりだ、
とは常々思っていた訳なのだが、
いやいや、IT足るもの、休みは自分で作り出すもの、と心に決めて、
バックアップの自動化、およびデータの多重化から始まり、
障害の対応よりは障害を未然に防ぐには、
あるいは、未然に察知した障害を自動的に治すバッチファイルの作成やら、
と、自身の仕事をどんどん自動化せねば、とやっていた訳だ。

とそんなことを続けながら、つまりはITというのは、
行く行くはITスタッフの必要のない世界に向けて進歩を続けているのだな、
とは理解していた訳だがな。

テニサー根性

Posted by 高見鈴虫 on 03.2013 今日の格言   0 comments   0 trackback



テニスにおいて、自分よりも確実に強いものから、徹底的に痛めつけられると、
やっているときには死ぬほど辛く、終わった後にははらわたがねじ切れそうではあるのだが、
しかし、そうやってきつい思いをした後、自身が確実に上達していることに気づく。

道を目指すものは、辛い思いを敢えて喜んで受け止めるべきだ。

より強い相手から、より手酷い仕打ちをもって痛めつけられることによって、
自身は確実に育つ。成長する。伸びる。

道を目指す目的は、苦労しないことや、痛めつけられないようにすること、ではなく、
恥をかかないことでも、嘲笑われたり、陰口を叩かれないようにすることでもない。

つまりは道を目指すこと、その究極の目的は、自身が成長をすることなのだ。

苦労は買ってでも、というのはそういうことだ。

きつい思いこそが財産なのだ。それを恐れてはいけない。

全ての苦労はいつかなにかの役に立つ。

そのためには虐めを虐めととってはいけない。

個人的な感情やら、やっているやつらの性格やら意図やらを気にかける必要はない。

目的は、自分自身が成長すること。そのために、人の善意も悪意も利用する、ということなのだ。

ちんけな感情に足を取られるな。もらえるものは、たとえ相手がどんなやつでもどしどし貰え。

それがテニサー根性というものだ。

この世でもっとも大切なもの

Posted by 高見鈴虫 on 04.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback


六時を過ぎたのにまだ仕事が終わらない。
犬が待っていることは判っているのだが、
そう思うと気持ちばかりが焦ってつまらないミスばかり。

今晩のうちにこの報告書を出しておくかおかないかで、
この先の展望がかなり変わってくるはずだ。

それは判っているのだが。

くそ、と思う。

犬さえいなければ、朝までかかったって完璧な報告書をあげてやるのに。

がしかし、7時を過ぎたところで諦めた。

もう今晩はここまでだ。

いくらなんでも12時間、部屋に置き去りにしておく訳にはいかない。

と言う訳で、気ばかりが焦って辿り付いた部屋。

ドアを開けたとたんに飛びついてくる犬。

満面のこの笑顔。まさに幸せの全てがこの瞬間にあるといったところ。

ごめんな、遅くなって悪かったな。

と頭を撫でれば、口を目一杯に広げて大きなあくび。

なんだよ、お前寝てたのか。

犬は身体を弓なりにそらせて、うーんと伸びをする。

そして改めて顔を上げて、にかり、と笑う。

がそんな笑顔を見る限り、犬はそれほど煮詰っていた訳でもなさそうだ。

なんだよ、あれだけ焦って損をした。

と言う訳で、取るものもとりあえず、犬を連れて公園に急ぐ。

既に誰もいなくなってしまったドッグランで、ボールを咥えたまま、盛んにあたりを見渡している。

ああ、ちょっと遅すぎたな。もうみんな帰っちゃったみたいだな。

気を取り直してボール遊び。暗いドッグランでボールがすぐに見えなくなってしまう。

まったくなあ、とため息をつく。

あんな糞仕事、と改めて思う。

砂だらけのボールを掌において、これ以上なく幸せそうな顔で笑う犬。

そんな手放しな喜びようを見ていると、なにもかもが間違っていたことに気づく。

そう、俺はこの犬を幸せにするために働いていたのではなかったのか?

仕事と仕事と言っても、突き詰めればつまりはこの犬のための仕事であった筈なのだ。

と言う訳で、夜の公園でひとしきりボール遊び。

さあ、もうお腹減ったろ、家に帰ってご飯を食べよう。

仕事をしていれば仕事が世界の中心、犬を前にすれば犬こそが最も大切なもの。

まあ世の中そんなものなんだろうなとは思うのだがな。

と言う訳で、二つの世界をきちんとバランスを取らなくてはいけない。

しかし忘れてはいけないことは、仕事がどうなろうと
この犬になにかあったら俺はもう仕事どころか生きている意味さえも失ってしまうだろう。

さかんに振り返る犬の笑顔の中に、ようやく幸せを取り戻したような気がするのだ。



ハーディング・ドッグ

Posted by 高見鈴虫 on 15.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback
相変わらずいくつになっても悶着の耐えない我が家の馬鹿犬君。

散歩の途中にすれ違った酔っ払いのちんぴらにいきなり飛び掛り、
ドッグランでは喧嘩ばかり。

挙句に火災報知器のチェックに訪れたアパートのハンディーマンを、
一歩も家に入れることもなく追い払ってしまう始末。

つくづく困りきってしまったかみさんに、
それはね、この子がハーディング・ドッグだからなのよ、
というエレン。

ハーディング・ドッグ?

そう、ハーディング・ドッグ。

ブッチはオーストラリアン・キャトル・ドッグ。うちのチェスはボーダーコリー。
どちらも典型的なハーディング・ドッグなの。

ハーディング・ドッグはね、牧場で羊やら牛やらを追う労働犬なのよ。
狩猟のために作られた命知らずのハンティング・ドッグはね、
主人が命じればなにも考えずに獲物に突進するのが常なんだけど、
このハーディング・ドッグ。
人間にできない仕事を犬としての能力によって可能にするまさにマジックドッグ。
広大な牧場で羊や牛の群れを束ねながら、敵から群れを守り、喧嘩を仲裁し、
時として人間の指示を無くしても、
独自の判断で群れを移動させながら仕事を完遂するのがその指名なのよ。

つまりね、ハーディング・ドッグは自分で考え自分で行動する犬なの。

それが為にね、人間社会では色々と問題を起こすことも多いんだけどね、
それはそう、この子たちがハーディング・ドッグである、ということを
よく理解してあげる必要があるのよ。

と言う訳で、改めてハーディング・ドッグである。

エレンの言う通り、
ハーディング・ドッグとはつまりは牧羊犬のことで、
コリーやシェパードと並んで、
我が家のオーストラリアン・キャトル・ドッグは
オーストラリアの牧場で牛を追う為に改良された品種であるらしい。

牧場犬に求められるさまざまな能力、
山野を駆け回る運動能力と、
巨大な家畜や敵と渡り合う戦闘能力
また人の指示に従う知力に加え、
番犬としてテリトリーと家族を守る意思の強さ。

そのどれをとっても我が家の犬にこれ以上なく当てはまる訳で、
我が家の犬、つまりはオーストラリアン・キャトル・ドッグ、
まさに典型的な牧羊犬気質。
まさにハーディングドッグとしては最高の才覚に恵まれた
と言っても良いはずなのだが、
問題はここがオーストラリアの牧場ではなく、
ニューヨークのマンハッタンである、という点である。

と言う訳で、この見るも見事な牧場犬が、
果たしてその才覚をマンハッタンにおいて発揮した場合、
それはちょっと困った状況を生みだしたりもする。

山を駆け回る運動能力を満足させる為に日夜一日最低4時間の運動が必要になる。
巨大な敵と戦う攻撃性は、こともあろうに酔っ払いやホームレスや道路工事のおっさんなどに向けられ、
人の指示に従う知力は、下手をすると、飼い主のこの指示は正しいか?という反芻の後の自己判断を伴うことが多く、つまり一度言い出すとなにを言ってもなにをやってもいう事を聞かない頑固者に豹変する。
番犬としての能力はまさに筋金入りで、彼の許しなくしては何者たりとも一歩も我が家に足を踏み入れることはできない。

おまけに我が家の犬種。
巨大な牛の群れを吠えることなく操ることを持ち前としているらしく、
その武器はと言えば、まずはその視線。相手の瞳の奥をじっと覗きこむようなきっとした視線をしていて、その強烈ながん見をそれこそすれ違う通行人の一人一人にバチバチと放って行く訳で、
勘違いした人々が一瞬のうちに一目ぼれ。思わず頬を赤くして、あらやだわ、と瞳を潤わせたり、
なんてことになる。
とそして、この犬のもうひとつの武器、はと言えば、物も言わさずに突然繰り出されるその眼にも止らぬ強烈なジャブ。
先のがん見とこの一刺しを受けた犬達はそれが例え闘犬と言われるピットブルであってもロットワイラーであっても、大抵はそれだけで尻込みをしては、すごすごと引き下がることになるのだが、
しかし中には気の短い輩もいる訳で、そんな失礼な挨拶に肝を冷やされた腹いせに、やいやいやいやい、なにしやがんだよ、と改めて喧嘩腰しで向かってくる奴らもいる訳で、
そのときにはまさに、猛牛をもものともしないその攻撃性を発揮して、んだよこのやろう、やるのか、おい、とばかりに完全に臨戦態勢。
身体は小さいもののその敏捷さとタフさはまさにハーディング・ドッグの中のハーディング・ドッグ。
たちまち鼻の先から耳から手足やらを齧られて悲鳴を上げることになる。
と言う訳で、口の先に絡みついた相手の毛の塊を忌々しげに振り払いながら、
へん、どんなもんだ、とばかりのしたり顔。
かみさんの前でいつもの鼻の下を伸ばした様子では決して見せることのない、
男の子の顔がその表情に凛として刻まれている訳だ。
が、しかし、改めて言えば、ここは牧場でも砂漠やジャングルでもなく、
つまりはニューヨーク。そしてこのドッグラン。全ての犬のその背後には飼い主という輩がいる訳で、
そしてどんな飼い主でさえ、たとえそれがどんな犬でさえ、自身の犬をまさに自分以上にも可愛がっている者ばかり。
つまり、我が家の犬にこともあろうに喧嘩を売った不貞の輩でありながら、
キャンキャンと尻尾を丸めて飼い主の下に逃げ帰った途端、
やいやいやい、うちのわんちゃんに何しやがるんだ、と怒鳴り込んでくる訳だ。
俺は俺で、なんだと、このやろう、なにしやがるじゃねえ、てめえがその眼でちゃんと見てただろ。
ばかも休み休み言え。喧嘩売ったのはてめえの犬で、うちの犬はそれを叱り付けただけ、の話じゃねえか。
バカやろう。先に噛んだのはお前の犬だろ。俺はこの目でよく見たぞ。
だから、喧嘩はその前に始まってたんだよ。お前の犬が俺の犬に喧嘩を売ってくるから、うちの犬は喧嘩はしたくない。がそれでもかかってくるなら容赦はしない、とちゃんと言っていただろ。
お前の犬はそれを承知でチャレンジして、案の定してやられた、って訳だ。
大丈夫。そんなちんかすの犬にまじ噛みなどしない。ちょっともみ上げのあたりを毟っただけだ。
なんだと、このやろう。うちの犬がちんかすだ?こう見えても血統証つきの、

と言う訳で、我が家の雑種である。
ドッグランでもすっかり古株で、余程のことが無い限り他の犬達とじゃれ付いて遊びまわる、なんてこともないのだが、
いつもあたりに睨みを利かせては、やれ喧嘩だ、不審者だ、と見れば、いの一番にすっ飛んで行って、
やいやいやい、と仕切りを利かせるわけだ。

そんなとき、下手をすると俺自身が、お前はすっこんでろ、と怒られたり、
あるいは、逆切れした俺を、まあまあ、そんな怒ることないじゃないの、と慰められたりもして、
となかなか気の聞く奴ではある。

と言う訳で、親ばかながら我が家のハーディング・ドッグはなかなかできた輩である。
その夜目にも白く輝く見事な毛並みと、そして高く掲げた自慢の白い尻尾。
朝もやのセントラルパークをボールを追って疾走する姿や、
ジャンプ一発でキャッチしたフリスビーを、まるで捕らえた獲物に止めを刺すように振り回す様は、
まさに惚れ惚れするほどに犬の中の犬、そのものである。

こんな格好よい犬、世界中どこを探してもいないだろう、
と親ばかの限りを尽くしても尽くしきれない大バカ犬である訳だ。

ZABERSのコーヒー

Posted by 高見鈴虫 on 16.2013 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback

水曜日はZABERSで珈琲豆を買う日である。

ZABERSってのはつまりはまあうちの近所にあるデリ、
つまりはスーパーで、肉野菜から惣菜から皿からフライパンから、
とまあそんな感じのなんでも屋スーパーなのだが、
実はこのなんでも屋スーパーで扱っているのが、
ZABERS ORIGINLのコーヒー。

肉野菜屋であるはずがどういう訳か超のつくぐらいの珈琲通の店長、
独自のロースターを仕入れて、独自のブレンドの豆を独自の製法で炒り上げて、
というこのZABERSコーヒー。
これが実は、やけに、上手いのである。

煎りたての豆が1パウンドで8ドル。
豆ごと購入したものを飲むたびにコーヒーミルで挽くのがおいしさの秘訣。
数年前に胃をやられてからカフェインはご法度なのだが、
デカフェの珈琲であってもZABERSの豆なら十分に味わえる。
毎朝シャワーと歯磨きと髭剃りの合間に珈琲を煎れ、
それをポットに詰めて会社に持ってゆく。
朝一番、まだ誰も居ないオフィスでEMAILをチェックしながら、
カップに注いだ珈琲。
その見事な芳香がうすぐらいオフィス中にぱっと広がり、
一口啜るごとに、うーむ、と思わず唸ってしまう。
この珈琲は苦くてちょっと酸っぱくてほのかに甘い。
そして口に含むたびにまた違う味がする。
この揺らぎこそがおいしさの秘密である。
やはりスタバのあの舌全体にべっとりと張り付くような珈琲とはひと味もふた味も違う。
朝一番のおいしい珈琲。これはやはり誰にもいえない密かな愉しみである。
ZABERS最強だなと思うわけだ。

温もりの代償

Posted by 高見鈴虫 on 17.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback

ニューヨークは秋である。

街が妙に静かである。

誰もが靴音さえもしのばせるように、
そっとそっと秋の息吹の中に身を潜めている。

今年は夏が短かった。

8月の初頭から涼しい日が続いて、
まさかこのまま夏が終わってしまうのかな、
と冗談めかしているうちに、いつの間にか9月を過ぎていた。
週末のセントラルパーク。朝のシダーヒルにトンボが舞って、
そしてまさかまさかと首を傾げるうちに夏は既に行ってしまった。

と言う訳で秋である。

これだけ夏が短いとこの青空にも吹き抜ける冷たい風にも
あまりありがたみがない。

ああこのまままたあの長く辛い冬に突入するのか、
と思うと今からうんざりでもある。

今朝も夜更けに寒さに眼が覚めた。

夏用の薄手のタオルケット一枚では夜明け前にはさすがに寒い。

がしかし、この時間にわざわざクローゼットの中から
冬用のコンフォーターをひっぱり出すのも面倒で、
と言う訳で、寝ぼけた犬を揺り起こしてゆたんぽ代わりに抱いて寝るのだが、
すっかり寝ぼけた犬もみすみすただで湯たんぽ代わりにされてなるものか、
と仕返し代わりにぺろぺろぺろぺろ顔中を嘗め回して来て、
これではとても眠るどころではない。

わかったわかったもういいから静かに寝てくれ、となだめすかして、
胸の中に抱いて眠りについたとたん、
いきなり腹のあたりをボンと蹴られる。

ついでに、顔に両足をあててグイグイと押しはじめ、
日頃のお散歩三昧に鍛えられたそのざらついたパウはまるでやすりで、
そんな調子で顔中をこすりあげた挙句またすっかり眼が覚めてしまう。

という犬は、しかし白眼をむいてぐっすりと寝ている訳で、
つまりはこの犬、湯たんぽにするにしてはあまりに寝相が悪い訳である。

しまいにはグルグルの喉を鳴らし初めて、不穏な寝言が始まる訳で、
いきなりワンワンと騒ぎ始める前にやはり元の寝床に帰って貰おうとするのだが、
ここまで来ると犬の方も動かない。

と言う訳ですっかり俺の寝る場を占領された形で、
すごすごと足元の方に毛布をまとって丸まっていると、
いつのまにか犬はかみさんの隣りでお腹を見せて、
これでもかと身体を伸ばしては爆睡状態。

寝ぼけたかみさんに背中から抱きしめられながら、
むにゃむにゃと寝ぼけてはかみさんの鼻の頭なぞを舐めている。

やれやれと寝ぼけた髪を掻き揚げながらトイレで小便をし、
寝静まったリビングに脱ぎ捨てられたスエットを探して暗いソファに身を沈める。

街の灯りの差し込む薄明かりの窓辺に浮かぶビル街の残影を眺めながら、
ふと、俺はこんなところでなにをしているのだろう?と首をかしげてしまう。

明日は朝から会議のアレンジ。昼の会議の案件を並べて
あれやってこれやってなにやってそれやって、
がしかし、それがいったいなんだというのだ。

そして俺は、なぜか唐突に、まったく途方に暮れてしまっている訳である。
くそ、タバコが吸いたいな、と思っていると、
ふとみしみしと床を踏む音が近づいて来て、
いつのまにか悪戯そうに上目遣いの犬がソファの隣にひらりと飛びのって来る。

なにやってたの?とにやにやと笑いながら悪戯そうな眼で人の顔をのぞきみて、
そして前足で膝のあたりに乗せては、ねえなんか頂戴よ、とおねだりモードである。

お前なあ、こんな時間におやつなんかないよ。
と頭をなでるとそのまま膝の上に顎を乗せて眠りの続きを始める。
寝ぼけた犬の身体を撫でながらやれやれとため息をひとつ。

俺はこんなところでなにをやっているのか。

がしかし、
少なくともこいつがいるかぎりはとりあえずいまやっているなにかを
いきなり放り投げる、
という訳にもいかない訳だ。

犬の身体から滲み出してくるようなぬくもりを感じながら、
この温もりの代償の重みをひしひしと感じてしまう秋の夜な訳である。

会社のGYM日記 その一

Posted by 高見鈴虫 on 21.2013 とかいぐらし   0 comments   0 trackback
昼休みの時間を利用して会社のGYMに顔を出している。
まあGYMといってもたかが昼休み。
まあストレッチをやって肩こりと足の浮腫みをほぐし、
でついでにとばかりに腹ぼて解消の腹筋運動、
ぐらいなもので、まあラジオ体操と大して変わらないぐらいの
運動量でしかないのだが、
まあそれにしても、なにもやらないのとでは大違い。
腹ぼても肩こりも相変わらずのままなのだが、
ふと気づけば慢性的であった腰痛からは開放されたようだ。

と言う訳でこの昼のGYM。なんだかんだ言って、
なんとなくちょっと得をした気分にさせてもらえる。

犬の禁じ手 その1 「犬と一緒に寝てはいけない」

Posted by 高見鈴虫 on 24.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback
生後三ヶ月の我が家の駄犬を迎え入れた際、
ドッグ・シェルターのスタッフから念を押されたことがある。

なにがあっても、決して子犬と一緒に寝てはいけない。

その際には、OK、了解了解、と軽く答えたのではあるが、
実際、子犬の寝顔を見ていると、ついついずっと見ていたくなって、
がしかし、そう、決してベッドには上げてはいけない訳で、
そしてついつい犬小屋の前の床の上で添い寝、なんてことにもなる。

その後、夜になって犬小屋に寝かしつけようとすると、
一緒に寝ようよ、あんあんあん、とやられると、
ついつい可愛そうになって、どうしてもベッドに入れてやりたくなるのだが、
いやいや、子犬と一緒に寝てはいけないのだ、と肝に念じて、
駄目!ぜったいに駄目!とやっていたのだが、
夜な夜なこのアンアン泣きをされるたびに、
ああ、これではうるさくて眠れない、仕方が無いからベッドに入れてやろうか、
とも思うが、いやいやいや、それは禁じ手であるからして、
と夫婦して耳栓をして寝たり、としていた。

2-3日もするとすっかり諦めたのか、あんあん泣きは止まったのだが、
静かになると静かになったでちょっと心配になって、
で、そっとドアを開けてみたりすると、
しっかりとドアの前で待ち構えていた子犬、
待ってました!とばかりに寝室に飛び込んでくる。

そう、一緒に寝てやりたいのは山々なのだがな、
と心を鬼にして寝室から追い出すのであるが。

で、そうこうするうちに、なんか下痢気味で、やら、
食欲があるのないの、風邪引いたのかな、と心配になることも増えて、
まあ今日は具合が悪いから、と理由をつけてベッドに入れてやった、
というが運の尽き。

一度一緒に寝てしまうと、もうその寝顔の可愛さから、
あくびの表情から、あれ、寝言言ったよ、から、うへ、おならしたみたい、
から、まあつまりは可愛くてしょうがなくて、
そしてついつい一緒に寝てしまうことになる。

寝入った筈の子犬が、閉じた目の裏で白目をひくひくやりながら、
小さな手のひらを閉じたり広げたり、手足を躍らせて、
どうやら夢の中でも走っているようだぞ、と観察が始まって、
挙句にうんうんとうなされ初めては、あれれれ、具合が悪いのか、
と揺り起こすと、くるりと身体を翻して、へへへへ、と照れ笑い。

なんだよ、夢見てたのか、おいで、と胸の中に抱えてあげて、
この温もり、この匂い。ぺろぺろと顔中を舐められて、
なんだよ、くすっぐったいな、とお返しに鼻先にちゅっちゅっちゅとキスキス。

いやあ、可愛いな。子犬は本当に可愛いな。

たまに夜中に起こされて、なに?おしっこ?と思えば水が飲みたかったのか。
あるいは、肩先をとんとんと叩かれて、なに?と飛び起きると、
ただ夢を見て手足を動かしていただけ。
あるいは、寝返りをするたびに、すわ、潰してしまったか、
と飛び起きると、枕の間でむぎゅーっとひっくり返っていたり。

とそんなことをやっていたら・・・
いつの間にか犬と寝ることがすっかり習慣になってしまっていた。

と言う訳で子犬であった筈の駄犬はあっという間に二倍三倍。
今となっては、体重40パウンド。
手足をぐっと伸ばせば1Mは優に越え、
突き出した鼻先から尻尾も入れればそれこそ人間と代わらないサイズである。

で、そんな犬が毎晩隣り、しかも決まってかみさんと俺との間に割り込んでくる訳で、
はい、お休みお休み、と灯りを消してからも、寝ぼけたのか背中をどんと押されるたびに、
ベッドから蹴落とされそうで、挙句に寝言か、寝ぼけたのか、
いきなりグルグルと喉を鳴らしては、オンオンオンと叫ばれたのでは、
さすがにこっちも睡眠不足になってしまう。

と、そして、最大の問題は、と言えばまさにその毛。
うちの犬はシェッダー、つまり季節を問わず毛が抜け変わるタイプの犬で、
ふとするともう枕の上からシーツの中からこいつの毛が一杯。
そうこうするうちに家中が犬の毛だらけである。

あれ、白髪、と言えば犬の毛。黒い服はもう決してくれなくなり、
なんか耳の中でごそごそ音がする、かと思えば犬の毛、
鼻がむずむずすると思えば長さ5センチの鼻毛が顔の真ん中にぶら下がっていたりする。

やっぱり・・・犬と一緒に寝るのは失敗だったみたいだな、
といまになって悔やんでも後の祭り。

犬用のベッドを作ってあげて、はい、今日からここで寝なさい、
とやってもガンとして聞き入れず。
テレビを消して、さあそろそろ寝るか、と腰を上げた時には、
一足先に寝室にすっ飛んで行ってはベッドに飛び込んで先回りをしている訳だ。

と言う訳で、毛だらけのベッドに潜り込んで、はいお休み。
枕に頭を埋めたとたんに瞼の閉じ始めた犬。
目じりのゴミを取ったり、そっと唇をめくって虫歯を調べたり、
あるいはそのつやつやとした柔らかい毛並みに顔を埋めて全身に頬擦り。
抱きしめていると犬の体温が身体中にしみこんで来て、あああ、気持ちいい。
ああ、これだから犬と一緒に寝ることはやめられない、と思うのだが・・・

ふと5分もすると、いきなりとんとんと肩を叩かれ、
え、なに?と振り返れば、完全に寝ぼけた犬。夢の中で走り回っているのか、
これでもかとつっぱった両手両足を盛んに振り回し始め、
そうこうするうちにいきなり背中をどんと押され、
あるいは耳から口から頬っぺたからをぺろぺろと舐められ尽くされ、
と、おちおち寝ても居られない。

結果、夜更けのベッドをこっそり抜け出してソファに移動、となる訳だが、
あれ、なんか狭いぞ、と思うと、そのソファの背中の間に、
むぎゅーと押しつぶされるように寝ている犬。
あのなあ、なんでわざわざこんなところまで着いて来るんだよ。

と言う訳で・・・
そう、先駆者たちの助言は真実であったようだ。

犬と一緒に寝てはいけない。心されたし、と言ったところだ。

会社のGYM日記 その二

Posted by 高見鈴虫 on 25.2013 とかいぐらし   0 comments   0 trackback
昼に顔をだしているGYM。
といっても昼休みの時間だけでは、
ラジオ体操と大して変わらないわけだが、
なんだかんだ言って顔見知りも増えて、
そうこうするうちにまるで太鼓のようだった腹も、
それとなくへこみつつある、というのは希望的観測。
が、しかし、
やれ、会議だ、研修だ、出張だ、
とGYMをサボりはじめた途端、
あら不思議、みるみるうちに、というぐらいに腹が膨らみ始める。
で、腹の膨みと比例して、
うつうつと溜まり始める鬱憤、
あるいは、怒り。。。
くっそお、お陰でGYMに行けねえじゃねえか。
つまり、これ、損させられている気分、というやつなのである。
腹の出具合が、損得で測るられている訳だ。

会社のGYM日記 その三

Posted by 高見鈴虫 on 25.2013 とかいぐらし   0 comments   0 trackback
たまに会社のGYMに顔を出して、
いきなりやるのはまさにストレッチである。
ぶら下がり健康法ではないが、
上から引っ張る式の筋トレマシンにぶら下がって、
むぎゅーっと身体を縦に伸ばす訳なのだが、
それが、痛いのなんの・・
ついでに、腕を広げて、足を広げて、
屈伸運動からエビぞり、とやる度に、
思わず、うぐぐぐぐぐぐっと唸ってしまうぐらいに痛い痛い。
で、改めて、
なぜ身体がここまでも収縮してしまうのか。
あるいは、これほど縮こまった身体でよくも生きていられるものだ、
という訳で、そう、人間、その仕事はそれぞれながら、
生きている限りは少なくとも一日一回、ラジオ体操ぐらいはしておいて損はない、
と思い知るわけである。

会社のGYM日記 その四

Posted by 高見鈴虫 on 25.2013 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
と言う訳で昼のGYMなのだが、
GYMというからには更衣室があって、
そこで運動着に着替える訳で、
その更衣室、
着替え用の運動着から、
シャワーからドライヤーからヘアムースからオーディコロンからが常設。
と言う訳で昼に汗を流した人々が、
バスタオル一丁でシャワールームとロッカーを行ったりきたりする訳だが、
そう、ここはアメリカである。
アメリカの更衣室は、基本的に男は割りともろにフルチンである。
と言う訳で、
どこぞのエグゼクティブ・ヴァイス・プレジデントやら、ダイレクターやらが、
ゲラゲラと笑いながらタオル一丁、あるいは、フルチンで闊歩している訳である。

が、そんな全身毛むくじゃらのクマのようなおさんたちが、
バカ話をしている間に、ワイシャツのボタンを嵌めてネクタイをしてジャケットを羽織って、
と、みるみるうちに普通人、あるいは、ちょっといいところの会社員風情に大変身。
あれまあ、普通の人になっちっち。

この豹変振りがなんともおかしかったりもする訳だ。

会社のGYM日記 その五

Posted by 高見鈴虫 on 25.2013 とかいぐらし   0 comments   0 trackback
と言う訳で昼のGYMなのだが、
囚人服という名のGYM備え付けの運動着を着ているために、
誰が誰やらまったくわからない。
この超人ハルク野郎。この怪力から行くとどうせ仕事はメンテナンスだろう、
とたかを括っていたら一風呂浴びて更衣室から出てきたら、
なんとめがねにスーツの一流サラリーマン風情。
と言う訳で、廊下で、やっと挨拶されても誰がだれやら判らず。
下手をすると、会議の席で、あるいはテレカンで、
この人ってもしかして、あの毛むくじゃらお赤熊のおさん?
と目を疑ったりもする訳で、
と言う訳で、昼休時間には毎日、会社の上司たちと裸の付き合い。
なんか笑わせてくれる。


「仕事にドラム・スティック」

Posted by 高見鈴虫 on 26.2013 とかいぐらし   0 comments   0 trackback

嘗てドラマーであった俺は、
今になってもスティックだけは手放さない。

仕事用のカバンの中にも、
ちょっとお出かけ用のバックパックにも
そして犬の散歩用のバッグの中にも、
練習用のちょっと太めのスティックが二本が
必ず仕込まれている。

キーフォルダーには当たり前のようにチューニング・キーがぶら下がっていて、
それはここ云十年に渡って変わることの無かった習慣である。

それに気がつくたびに、なにを今更とは思っている。

まさか仕事の空いた時間を惜しんでドラム練習、
あるいは、ちょっとしたGIGに呼ばれたら、
そのままステージに上がってドラムを叩く、
なんて状況は一切考えられない、にも関わらず、である。

退屈な会議の最中やら、
電話会議、あるいは、同僚との下らないお喋り、
なんかの間にはいかにも、
スティックをくるくる回しながら、
タラララララ、とやり始めたいのは山々ではあるのだが、
当然のことながら会社という組織において、
ドラムはまさに異質、というよりは、
まさに180度まったく逆の世界であったりする訳だ。

と言う訳で、ドラムをやめてすでに3年が経つ。

かつては一日でも練習をしないと、
とたんに両手が浮腫み初めて、
スティックとのフィット感がみるみる失われるような焦燥に駆られて来たのだが、
今となってはスティックを手にすることもまれ。

ちょっとした犬の散歩の時に、
ふとそう言えばと持ち出したスティックで、
かつてのようにエア・ルーディメントを始めると、
ものの30分をしないうちに第一間接に違和感が生まれ、
むむむこれってもしかして「マメ」?と思わず、
珍しいものを見たような気にもなったりする。

この俺がスティックコントロールで「マメ」ができるなんて・・
思わず苦笑いである。

そんな状態でありながら、カバンにスティックを入れている、
というのはいったいどうした訳か。

と言う訳で、
ふとした拍子に会社の机の転がり出たドラム・スティック。

異様に場違いな軽やかな音でカラカラと転がる二本のこのスティック。

それはまさにまるで冗談のようにまったく異質なものとして目に映るとき、
つくづく俺が、かなり間違えた場所にいる、という現実を突きつけられる訳である。

スーツの内ポケットにドラムスティック。
あるいは、会社の机の上に転がるチューニングキー。

今更ながらありえねえなあ、とは思うわけである。

子供が犬と共に育つということ

Posted by 高見鈴虫 on 27.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback
近所に住む犬仲間の夫婦に子供が生まれた。

と言う訳で、まあ、大変なのは想像に難くない。
がしかし、育児がいくら大変と言っても、
やはり犬の散歩はしない訳にはいかない。

と言うか、ご主人はいつもどおり、
というよりもいままでにもまして犬の散歩ばかりしている。

この夫婦はやはり無類の犬好きで、
そんな夫婦が飼っている犬はよりによってオーストラリアン・キャトル・ドッグの雑種、
それも二頭。
当然のことながら二頭ともにシェルタードッグ。
まあ問題が無い訳ではないが、
そこは無類の犬好きの夫妻。そんな苦労のなんのそのと暇さえあれば犬の散歩ばかり。
そしてそんな犬好きのカップルに飼われている犬たち。

やはり問答無用にハッピードッグな訳である。

で、ようやく首の据わってきた赤ん坊を連れて、
再び犬の散歩に顔を出したお母さん。

おやまあ、育児と犬で大変だね、と言えば、
え?なにが?とけろっとした感じ。

だってね、とお母さん。

人間は犬と共に育つもの。
この子たちにもしっかりとがんばって貰わなくっちゃ、
と足元でじゃれまくる二頭の犬達に笑いかける。

人間に一番必要なものって、愛でしょ?

それはお金も大切だけど、
でも、愛がなくっちゃお金なんていくらあっても仕方が無い。

そして、子供に愛を学んでもらうのに、
世界で最高の先生といったら、それは犬。

犬の愛こそがこの世で一番純粋な愛。

犬を愛すること、犬に愛されること。

それを知らずに育った子供なんて、私達だって愛せないわよ。
そうじゃない?

と言う訳で、
最早絶対的な貫禄に満ちた母の言葉である。

こいつ、といまだにサルのような皺々顔の赤ん坊。
良い子に育つだろうな、といまから思わずほくそえんでしまう。

元気に育てよ。

と遣っていたところ、そんな俺を見つめる二頭の、
そして、我が家のブー君。

可愛いだろ、と言えば、へっへっへ、と照れながら尻尾を振っている。

子供は世界の宝。そして犬は人間の宝。

愛に満ち満ちた家族。

がんばれ、と思わず心から声援を送るわけだ。

犬と一緒に育った子、とそうでない子

Posted by 高見鈴虫 on 27.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback
なんか最近日本に増えている、まるでロボット、
というよりかは、まさに、爬虫類のような方々。

で、こいつら、いったいなにを考えているのか。
と思うに、つまりは、自分のこと以外考えられない、
というよりも、感情がない、というか、
つまりは、「愛」というものが完全に欠落しているのである。

がしかし、彼らも生物である以上、確かに愛はあるだろう。
だが、そこにあるのは、ただただ「自己愛」ばかり。
頭の中で、あるいは、目の前の指先だけで簡潔してしまう、
どこにも行きようのない鬱屈した愛ばかりなので、
愛する対象に向けての気持ちの変換ができない訳である。

が、いまさらそれが良いの悪いの言うつもりはない。

世の中にトカゲや蛙もいるように、そういう人間も居ることも判るし、
あるいは、
そんなトカゲや蛙に愛を注ぐ人間がいることも知っている。

だからそう、まあいいんじゃない、爬虫類のような奴等がいても。

とは思うのだが・・・

やはり、可愛そうである。

なぜならば・・・こいつら、たぶん、子供の頃に犬を飼ってもらえなかったのだ、
とすぐに察しがついてしまうからである。

生まれつきの好き嫌いもあるとは思うが、
子犬や子猫を見て、かわいい、愛らしい、と思わない子供は、
やはりどこか情緒的におかしい、と考えた方が妥当。

あるいは、そんな子犬や子猫の可愛さ、そして「愛」に触れることの無かった子供。

つまり彼らは、自分以外に愛を見出す機会を持ち得なかった訳だ。

親からPETとして可愛がられていただけで、そうやって受け取った愛を、
外に向けて表現、あるいは発散する方法を学ぶことができなかったのだろう。

やはり、子供は犬と一緒に育てなくっちゃ駄目だな、と思う。

犬と一緒に育った子、とそうでない子。

その表情から、視線から、なにからなにまで、やはり徹底的に違う。

つまりそれは、端的に言って、「愛」の有無である。

そしてそんな爬虫類のような親に育てられた子供達。

やはり、ぞっとする訳だ。

  

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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