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絶対見なけりゃよかった映画 「隣の家の少女」

Posted by 高見鈴虫 on 01.2013 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback

秋の夜長、ふとしたことで、嫌な映画を観てしまった。

「隣の家の少女」

その手の人々の間では、それこそ知る日とぞ知るの
超グロ映画、らしい。
晩飯の後に野球のプレイオフを見ながら
日本のニュースでも、と手元のIPADをつつくうちに、
ふと何の気になしに迷い込んでしまったYOUTUBE。

トラウマ必至、ぜったいに見ないほうがいい、
という謳い文句に吊られて何の気なしに観始まったのだが。。

いやはや、まさに、見なけりゃ良かった、に尽きるな。

まあストーリー的にはアメリカ版のコンクリ殺人事件な訳だが、
日米を問わず、
あるいは、時代を問わず、
人間っていう種ははなんとも業の深い生物であるのか、
という、まさに無力感に打ちひしがれる訳である。

で、そう、

俺が何が嫌だったかって、
この映画に出てくるこのキチガイ婆。

実はこういう人、つまり、
意味もなくやたらとサディステックな仕切りたがりの婆。

実は俺が働く米系企業にもごまんといる訳で、
そのもったいぶった口ぶりから、
いかにもサディストを絵に描いたような歪んだ口元から、

と、正直、ありい、俺、この人知ってる!と思わず。。

そう、女性上位のアメリカ。

実は、こんな、まさになにか完全に間違えてしまった女性の方々が、
どこにいっても、ごまんといたりするんだよねえ、と。

で、そんな大ボス気取りのサディスッテックな婆の周りで、
ナイト気取りの腰ぎんちゃく野郎たち。

うっぷす、これ、まさに、俺の周りの現実そのものなんですが・・

と言う訳で哀れな美少女。嬲られるままに嬲られ続けて、
純真な少年はその惨状をなす術もなく凝視するばかり・・・

そう、それも、まさに、俺の日常であまりにあっけらかんと繰り広げられている風景。

と言う訳で、そう。

教訓は、と言えば、

この世に正義はない。

苛められている人はかわいそうだが、本人が自力で逃げ出すまでは、誰もなにもしてはくれない。
あるいは、正義の味方をして嘴を挟んでも、同じように袋叩きに会って吊るされるのが落ち。

そう、そんな不条理。あなたの周りにだってあるでしょ?

まあ殴られ蹴られ蹂躙の限りを尽くされた挙句にバーナーで焼かれる、なんてことはないにしても、
それに勝るとも劣らぬ精神的な暴力にされるがままになっている人々。

日米、あるいは世界を問わず、時代を問わず、
実はどこにでもある風景であったりもする訳だったりするのだな。

と言う訳で、

いじめだなんだ、とそれをあたかも、いま始まったことであるかのように考えるのは良くないんだよね。

そう、人間って、そのまま野放しにしておくと、ついついそういうことをやってしまう生物なんだよ。

無力感、あるいは、人として生まれた業、と考えるべきなんだろうな。

リバーサイド・パークの通り魔事件

Posted by 高見鈴虫 on 02.2013 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback

なんと我が家のお散歩コース、
つまりは、アッパーウエストサイドのリバーサイド・パークで、
通り魔事件が起こったらしい。

よく晴れた秋の朝の8時過ぎ、
ジョギングするおねえさんや犬の散歩の人々に向けて、
ホームレス(やはりコクジン)が、いきなりはさみ!で切り付けたらしい。

そのニュースを聞いたのは夜になってからなのだが、
ええ、8時?わたし、そこ通ったよ、7時半ごろ。

と言う訳で、まあなんの幸いか、かみさんと我が家のブーは、
そんなとばっちりに巻き込まれずに済んだ訳だが。

この平和を絵に描いたようなアッパーウエストサイドで、
まさかそんな事件が起ころうとは。

と言う訳で翌日さっそく現場検証とばかりにその場に向かったのだが、
みなニュースを知って尻込みして、今日はたぶん誰もいないだろう、
と思いきや、いやはや、まるで何事もなかったかのように、
ピチピチのスポーツウエアの上から尻も乳も丸出しのようなお姉さんがたと、
大小のこれ以上なく幸せそうな犬達を連れたドッグラバー。
普段となにひとつとして変わらない風景。

昨日ここで通り魔があったんだよ、とは言いながら、
ああ、そうらしいねえ、やら、怖いわねえ、とかと言いながら、
しかしニコニコと笑っているばかりの人々。

いやあまったく、恐れを知らぬというか、罰当たりというか、
この図々しさがまさしくニューヨーカーな訳である。

と言う訳で、通り魔事件のアッパーウエストは今日も平和な訳であった

満員電車でスタバの珈琲が凶器と変わる

Posted by 高見鈴虫 on 03.2013 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback

朝の地下鉄のラッシュ。

東京ほどではないにしろ、
ニューヨークでも朝夕には通勤ラッシュというものがある。

で、このニューヨークの地下鉄で最早名物にもなっているのが、
閉まりかけたドアに飛び込んでのこじ開け、無理やり乗車。

ま、俺もよくやる訳で、
下手をするとドアに挟んだカバンをそのままに走り初めてしまったり、
あるいはつっこんだ足をそのまま引きずりながら、なんてこともありえそうで、まじこわいのだが、
まあしかしこの無理矢理乗車。
まさにどさくさニューヨークにはさもありなん、というまさにニューヨークの地下鉄の名物でもある。


で、そう、その日の朝。
閉まりかけたドアに無理やり身体を捻じ込んできた白人のおばはん。

おいおい、このババア、よくやるぜ、とは思いながら、
問題はその手に持ったスタバのコーヒー。

ドアの間から突き入れられた腕、
身体を捻るたびにそのコーヒーの飲み口から、ジャバジャバと珈琲が弾け飛ぶ。
思わず手に持った新聞を翳して飛び散る黒い飛沫から身を守ったのだが。

そうやって乗り込んできたおばはん。
肩のカバンにはちきれそうな書類の束を抱えてるとこからみても、
そうそうとバカには見えないのだが、
いやあ、間に合った間に合った、とカバンをたくし上げるたびに、
これでもかとあふれ出る珈琲が床に落ちて飛び散るわけで。

思わず、あのなあ、おばはん、ちょっとは人の迷惑考えんかい、と小言を一発。

え?なに?迷惑、考えてるわよ。それを言うならこのMTAの地下鉄のバカが、

と言い訳を並べながら、

そういうそばから溢れ出た珈琲がばしゃばしゃ。
下手をすると子供の頭から降り注ぎそうで、
思わず濡れた新聞を翳して子供を守ろう、
としたとたん、

俺のカバンにもろにそんな珈琲がびしゃとぶっかかった。

いう訳で朝から思わずぶち切れて、好い加減にしろ、と怒鳴り声。

あんたねえ、本当に人のことなんかこれっぽっちも考えてねえんだろ。

え?なんだって?と言い返す婆。

あんたさあ、自分さえ良ければ、あんたに珈琲をぶっかけられた人のことなんか
まったく関係ねえってことなのか?
どうしてくれんだよこれ。好い加減にしろよ、バカたれが。

なに?だれがバカだって、と言い返す婆。
避けないあんたがのろまなのよ。バカはそっちじゃない。死ねばいい。

はあ?なんだと、と言おうとしたところ、

黙れ!と地下鉄の乗客。

あんたが一方的に悪いんだろが。珈琲かけられた身にもなってみろよ。

そうよ、あたしの子供も火傷しそうだったのよ。それをこのチャイニーズの人が守ってくれたんじゃない。

この人にお礼を言いなさいよ。バカ女。

あのなあ人の迷惑考えろよ。好い加減にしろ。

と一斉に非難ごうごう。

なによなによ、なんでみんなチャイニーズの肩を持つのよ。
あたしだって失敗したなとは思ってるわよ。でもしかたがないじゃないの。
ちょっとは私の立場にもなってみてよ、ヒステリックに叫ぶ婆。

わたしの立場?あんたの立場になってなに考えろってんだよ、バカ、

と思わず言い返そうとしたところ、

なによ、みんな大嫌い、と怒鳴った途端、おっと、ほら、まただ、と飛び散る珈琲に後ずさる人々。

おい、気をつけろよ、その珈琲。
なんだよこいつ。
頭悪いんじゃないのか?
死ね、バカ、と罵倒の限り。

あまりの迷惑にまだ読んでいない新聞を、これで珈琲カバーしろよ、と差し出すが、
それを受け取ろうとして左手に持っていたカーディガンを床に落としてしまって、
その上から自分の珈琲を振り掛ける始末。

あんた、何するのよ、と俺に向かって八つ当たり。

駄目だこれは、と思わず肩を竦めて知らぬ顔。

した途端、
ちょっと、この糞ビッチ、なにすんのよ、と子供を抱えたコクジンのおばはん。
好い加減にしないと警察呼ぶわよ。

と、いきなりおばはん、
なによ、あんたたちみんなで。わたしのことがそんなに嫌いなの?なによなによ、
と地団太を踏み始める。

あんたねえ、と思わず。
嫌いなのはあんたじゃなくてあんたの手に持ったその珈琲だよ、と。

と言う訳で、ほとほと呆れ返った人々。思わず顔を背けてむっつりと黙り込む。
のだが、おっと、そんなときに必要な俺の新聞。
いまやぐっしょりと珈琲に濡れて床に散乱するばかり。

で、しかたなく会社の書類でも読むか、とカバンに手をかけると、
べっとりと絡みつく砂糖たっぷりのミルク珈琲の雫。

やれやれだな、と思わず舌打ち。

と、そんな人々の間に、くすんくすんと鼻をすする音。

なによ、なによ、わたしがなにをやったって言うのよ、ひどいわ、ひどすぎるわ。

ふと見ればおばはん、鼻中を真っ赤にしてすすり泣いていたかと思うと、
いきなりびえーん、と漫画のような声を上げて泣き始めた。

なんだこいつ、と振り返った人々。
頭おかしいんじゃねえのか?から、
まさしく、やば、こいつまじで行っちゃってる人だったんだ、
と思わずのドン引き。

と言う訳で、そんな婆の隣りに立つ俺。
いつ手に持った珈琲を頭からぶっかけられるかと思うと気が気じゃなく。

と言う訳で、バカとキチガイには近寄らないに限る訳だ、
と判っていながら、くそついてねえなあ、と聴こえないように舌打ち。

とそんなとき、ふと泣きじゃくる婆のカバンから、今にも床にぶちまけそうになっている書類の束。

こんなキチガイでもそれなりにいい給料を貰っているんだろうな、とふと覗き込むと、
そこには・・・
まさに世界制覇を目論む巨大金融会社の名の印刷されたレターヘッドの束。

まさか!と思わず。

もしかして、この世界中の大混乱は、こんなぶっ壊れたおばはんたちの差し金なのか!

とふと振り返った婆。

さっきまでの泣き声から一転、いまやふてぶてしくガムを噛んでいる。

へん、このバカどもが。いまに観てなさい、この貧乏人どもが。全員地獄に叩き込んでやるから、
とかなんとか、呪いの言葉をぶつぶつと呟いている。

と言う訳で、そう、
かのウォール・ストリートの方々。

またに、この彼女の姿、それこそが、ここ数年にわたって世界中に巻き起こっていること、
その象徴的なことであることに気づいたのだ。

こういう人々、規制しないと、本当にとんでもないこと、
つまりは、とばっちりに頭から珈琲ぶっかけられる、なんとことじゃ済まなくなるぞ、
と思っていた次第。

印度人とキス

Posted by 高見鈴虫 on 04.2013 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
明け方、なぜかベッドに潜り込んできた印度人の男。
てめえ、なにすんだよ、と身を捩るが金縛りにあったように身体が動かない。
そうこうするうちになんとそのゴワゴワした口髭の唇をむにゅっと押し付けられて、
思わず顔を背けようにも身体が動かない。
そのねっとりとした口、そしてちくちくと痛い口髭。
ああ、やはり髭は生やすべきじゃないな、などと考えながら、
こんなゴワゴワちくちくした髭を押し付けられる身にもなってみろ、と。
で、こいつ。いったいどうしてくれようか、と思っていたところ、
ふとその印度人、グルグルと喉を鳴らし初めたかと思うや、
いきなり鼻からほっぺたからをべろべろと舐め始めた。
何だよ、ブーか、と思わず苦笑い。
が、しかし、その口先に残った露骨なキスの感覚。
ぐえええ、俺、まじで男は嫌いだ、といまにも吐き気がこみ上げてくる。
という訳でブー君。おまえ、もしかして印度人だったの?
寝ぼけたブーをなだめすかし、腕の中に抱き込んで再び眠りの淵。
寝ぼけたブーの鼻先が口元にくっついて、
ツンツンと伸びた髭がこそば痒い。
なんだよ、印度人のキスの正体はやはりお前か。
まあブー君ならいいけどね。だがしかしなんでよりによって印度人だったんだろう。
まったく胸糞の悪い夢であった。

絶対見なけりゃよかった映画 「隣の家の少女」 その2

Posted by 高見鈴虫 on 04.2013 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback


映画を観終わってからもう3日も経つというのに、
いまだに心の底にしこりになって離れない。

これをトラウマといわずしてなんと言おう。

いやはやまったく、
今更ながら、観なければ良かった映画の筆頭に上げてみたい。

で、そう、
あの凄惨な話が、アメリカだから、あるいは、時代だから、
という言い訳で済まされないのはいまや誰もが知る事実。

つまり、そう、今日も三面記事を賑わしている、
LINEで悪口書かれた落とし前で、という例のあれである。

いやはや、人間ってのはまったく、東西を問わず、時代を問わず、
あの手この手で苛めのきっかけを探してくるというもので。

まったくこれを「業」といわずして何といおう。

つまり、あなたの隣の家のその少女が、兄ちゃんが、おっさんがおばはんが、
つまりは、人間である以上、そういう「業」を背負って生きている生物だ、
ということを忘れてはならない訳である。

殺す殺されにいたらなかったにしろ、
それに似た経験、あるいは、その類の話を聞いたことなら誰でも身に覚えがあるだろうし、
古くは村八分から始まって、けつバットから、リンチ殺人なんたらから、女子高生コンクリから、
あるいは、
歴史上繰り返される戦争も、あるいは文化大革命も、
そして、いま現在、シリアで、ソマリアで、メキシコで、
まさに、こんなような話が山ほど繰り返されているではないか。

この映画の題名、つまり、隣の家の少女、
ちなみに、英語の題名である、GIRL NEXT DOOR、というのは、
まさに、PLAYBOY的な、隣りのおねえさん、的なさわやか系エロな題名でもある訳だが、
まさに、その一見平和な日常の風景を、一枚めくれば、
まさか、と唖然とするようなそんなグロテスクな残酷話が、いくらでも出てくる訳だろう。

と言う訳で、
ふと、アニマル・レスキュー・シェルターに勤める友人から聞いたことばを思い出した。

本当にここに居ると、人間というものがつくづく判らなくなる。

つまり・・そう、そのアニマル・レスキュー・シェルターに運び込まれる犬・猫達の、
その虐待の現状な訳である。

熱湯をかけられた。
ナイフで切られた。
火で焼かれた。
風呂場で溺れさせられた。
餓死寸前まで放置。
無理やり妙な物を食べさせられた。
硫酸を欠けられた。

まさに、目を覆うような凄惨な状況にある犬猫たちが、
毎日毎日これでもかと運び込まれるらしい。

人の姿を観るだけで心臓が止るほどに怯えきった犬達。
そんな姿を見るたびに、さすがにもう慣れたけど、とは言いながら、まさに、奥歯を噛み砕くほどの怒りを覚えるのだそうだ。

が、しかし、それは生きているだけでもラッキーなんだよ、と友人がいう。

そうやって発覚しないうちに、つまり闇から闇へ、
バックヤードで、あるいは、地下室で、あるいはどこかの部屋の片隅で、
残虐の限りを尽くされて嬲り殺される犬猫。
そしてそのまま闇から闇へと、生ゴミシューターや、海や川や、公園や、
あるいは、フリーウエイの上に投げ捨てられて始末されてしまった
哀れな犠牲者たち。

その数、推定するだけで・・・・たぶん聞かないほうがいいよ、という話。

これは、と思わず息を呑む。

まあ、人間は別として、と、いきなりとんでもないことを言うが、
しかし、俺にとってみれば、
これだけは、どうしても、がまんならない。

キチガイといって頂いても結構だが、
俺的には、動物を虐待した人間は、動物愛護法などと言わず、
もろに極刑、つまりは、死刑を持って購っていただきたい、というのが正直なところ。
あるいはこの俺が天に代わって、とまでも思いつめてしまったりもする。

俺に言わせれば命に重いも軽いもない。
人間の命が大切なら、犬猫の命だって同じように大切なのだ。

あるいは、もしもそんな法の不条理をかさに来て、
無抵抗な犬猫をいたぶるようなやからがいたとすれば・・・

あるいは、もしも俺の犬が、そんな目に会わされた、と知ってしまったら。
俺はたぶん、正気を失うのではないか、と思ってしまう。
つまり、思わず衝動的に超法規的な処置を取ってしまうのではないかな、
たぶん、取ってしまうだろう、と思うのである。

と、そう書きながら、われながら、いやあ、俺は危ないな、と思うわけである。
そう、
なので、お願いだから、俺の前で犬猫、女子供、老人達をいたぶるようなまねはしないほうが良い。

それを観たとき、俺はまじで自分を制御できる自信がない。
そんな風景は見たくない。観てはいけない。
なのでその予防措置である。
観ないようにするためにはどうしたらいいのか、
という訳で、妙な具合から改めて初心に返ることにことになった。

俺がいま生きているのは、犬の殺処分をなくすためにあるのではないか?

そう、こうしては居られないのである。

「IPHONEポートのない車」

Posted by 高見鈴虫 on 05.2013 アメリカ爺時事   0 comments   0 trackback



出張のたびにレンタカーのお世話になる関係で、
ちょくちょくと色々な車に乗ることになる。

嘗ては知らない拠点に向かう際には
ロードマップを睨みながら、Interstate何番を西に東に、
その後何番をどちらにそして、とやっていた訳で、
次に来る時のために道を覚えて、
と運転しながらもそれなりに頭を使っていたように思うのだが、
時代は最早21世紀。

片手に持ったIPHONEが電話・メイラー・カメラ・音楽に加えて、
GPSに早代わりしてしまうわけである。

と言う訳で、
初めて乗った車で知らない街を知らない場所に向かって走り始める際にも、
手元のIPHONEをUSBのポートに接続さえすれば、
普段の音楽を聞きながら、
なにひとつとしてなにも考えないまま、
IPHONE GPSの言う道順通りに走ってさえいれば、
いつの間にかまるで魔法のように、
その目的が目の前にこんちにわ、となる訳である。

と言う訳で、出張にはIPHONEはかかせない。

出張と言わず、すでにIPHONEに仕事、
あるいは人生のほとんどの機能を任せてしまっているところがあって、
まさに、便利なツールというよりは身体の一部、
それが当然となってしまっている。

が、しかし、である。

そんなこんなでレンタカーを借り受けた際、
ふと見るとまさか、
IPHONE接続用のUSBのポートがない車にめぐりあうことがある。

ちなみにこのIPHONEのGPS機能。
便利この上ないのではあるが、
電池を食いすぎるという弱点があって、
長い行程をたどる際には、下手をすると目的地に達する前にIPHONE電池切れ、などという事態が発生する。

ガス欠ならガススタに寄れば良いのだが、
このIPHONEの電池切れ、特に旅先においての電池切れは、
GPSどころか電話も使えずメールも見れず、
つまり心機能不全状態。
そうなるとかなりの修羅場が予想される訳で、
場合によっては、IPHONEが接続できないことを理由に、
車を交換してもらう、なんてことさえも必要になって来るわけだ。

と言う訳で、改めて不思議に思うのは、この車。

あのなあ、この21世紀。
スマフォを持たずに生きている人間を見たことがないような、
まさにスマフォ全盛の時代に、
果たしてどこのバカがIPHONEの接続できない車、など作ってしまったのだろうか、
とあらためて首をかしげたくもなるわけだ。

ってことはなにか、つまりこの車を作った人間は、
自身がスマフォを使用していないってことなのか、
とも思うが、現実問題としてそんなことは絶対にありえない訳で、

と言う訳で、そう、つまりは、この車を作った設計者、
あるいは製造者、あるいは、この車を貸し出しているこのレンタカー会社の人々は、
自身も含めてこの時代スマフォなしには人間は生活ができない、
ということを重々知りながら、
それをあえて顧客に供給しなかったということで、
しいて言えば、
相手の立場にたって物を考える、という人としての基本姿勢が、
徹底的に欠落している、ということを意味する訳ではないのか。


まあ確かに、頼みのしない機能やらスイッチやらボタンが満載で、
あるいは、そのいちいちにオプショナルの値段設定、
なんていうのを押し売りされるのもうざったいのだが、
しかしながら、おいおい、この時代に、IPHONEをつなげない車?
ありえないだろう、となぜ考えなかったのだろうか。

IPHONEポートのない車、
そのあまりの知恵のなさ、心の不在、悪意さえ感じる投げやりさの中に、
思わず脱力、そしてこの現代を生きる人という生き物に絶望さえも感じてしまう訳である。


「そして雨が降り始めた」

Posted by 高見鈴虫 on 06.2013 今日の格言   0 comments   0 trackback

世界の雨にまつわる小話。

「マイクロソフト・ファイナンスの悪夢」

Posted by 高見鈴虫 on 07.2013 技術系   0 comments   0 trackback


明け方に妙な夢を見た。

アフリカやら被災地やらで貧乏な子供たちに囲まれるビルゲイツの映像に乗せて、
マイクロソフトは世界の貧民救済の為に尽力してます、てなCMが流れ初めて、
見るからに胡散臭いなあ、と思っていたら世界の子供たちに奨学金制度を広げましょうと出る。

世界の慈善家から寄付を募り、貧民の子供にPCを貸与しONLINE教育をするってものだが、
インターネットどころかライフラインのインフラさえ整っていない地域においては、
インターネット回線への接続のために遥々20キロも歩かなくてはならず、
それはまさにアフリカ救済番組でよくみる、例の水がめを頭に乗せて砂漠を行くあの水汲みの風景なのである。

でこのマイクロソフト流の慈善活動。
蓋を開けてみればPCの貸与代とONLINE受講費はしっかり奨学金ローンとして組み込まれ、
晴れて卒業となった直後から返済義務が始まり、
結局ようやくありついた仕事、つまりはMS系の系列子会社孫会社において給料天引きのローン縛りが入る訳で、
結局ろくなことにならず。

グローバル企業の慈善活動?
それってまさに被災地救済活動にしゃしゃりでたヤクザたちが、
いつのまにか救済援助資金に集る寄生虫と貸していたってのと同じ理屈じゃねえか。

「マイクロソフト・ファイナンスの悪夢 その2」

Posted by 高見鈴虫 on 08.2013 技術系   0 comments   0 trackback


と言う訳で、皮肉な夢から覚めた朝、
白濁した意識の中で夢の残像がいつのまにか本ちゃんの悪夢の映像を形づくって行く。

PCを使っていたらいきなりマイクロソフトからの通知がPOPUPして、
お使いのPCのイリーガルアプリの料金がいくらです、との表示。

んだこれ、また糞SPYソフトか、と無視していたら、
未払いの料金を払わないと利子が付きますよ、と出る。

だからうるせえってよ、と無視していたら、
いきなり、マイクロソフト・ファイナンスから、
ご契約ありがとうございます、と出て、
なんだこれ、とさすがにだらだらとやたらと長い契約書なるものを目で追えば、
利子がなんといきなりのトイチ。
なんだこれ、サラ金の広告かよ、と思っていたら、
マイクロソフトファイナンスからのお知らせ、なんて訳で、
いきなり利子がトニからトサンで返済額がどんどん上がっていく。

さすがに薄気味が悪くなって、POPUPの内容を見てみれば、
ご登録いただいた銀行の口座から自動引き落としになりますが、OK CANCEL なんてボタンがついている。

おっと、これなんだよ、と上端のXで消すには消すのだが、
立ち上げどころかブラウザを挙げるたびにそんなPOPUPが乱立を始めて
もはやPCが使えない状態。

くそ、妙なSPYが入ったな、そろそろ再インストールか、などと思っていたら、
いきなりありがとうございましたのメッセージと共に、
なんと元金の30倍近くの額が勝手にカードにチャージされた領収書の控え。

あのなあ、と思わずその悪質さに苦笑いやら怒りを通り越して、
いったい世の中のどんなバカがこんなたちの悪い悪戯を考えだしたんだ、
と思いきや、そう、それはマイクロ・ソフトだった訳である。

クソッたれ、好い加減に死に腐れ、と毒づきながら、
なんとなく気になって銀行口座を照会サイトにアクセス、と思いきや、
もしやそれが目的では、と思いとどまって、電話してみることにした。

マイクロソフトファイナンス?そんな会社ありませんが、
と言われて一安心。

やれやれ、グローバル企業、まったくなにをしでかすかわからないな、と思っているうちに夢の中。

「インターネット業界のその後」

Posted by 高見鈴虫 on 08.2013 技術系   0 comments   0 trackback


まずは重工業が普及を始め、
コンピュータなるものが工場でせっせと作られた。
でそれに乗せるソフトウエアなるものを販売する会社が暴利をむさぼり、
ついでインターネットなるものが世界に広がり始める。
までわずか5年。
で、
そんな降って湧いたようなインターネット世界で、
まず金持ちになったのが広告屋、つまりチラシ屋。
次に動画屋。つまりTV局。
いまはまとめ屋、つまり代理店。
でまとめ屋が自分ではなにもしないくせに
他人の記事にただ乗りするだけで仕切りを始めている。
なぜインターネット上の記事にコピーライトがつかないのか、
その笊法にただ乗りしてまとめやの乱立時代。

とくれば
次にくるのはまさにサラ金ではないか、と思い当たった。
ワンクリでいきなりクレジットカードからがんがんチャージされてしまって、
しかもそんなワンクリ詐欺やらスパイウエアが政治家を買収した挙句に
国家がそんな企業を奨励してしまったり、
なんてことが起こったらまさにコイズミ時代の再来だな。

「ぶろおどきゃすと」

Posted by 高見鈴虫 on 09.2013 技術系   0 comments   0 trackback


いまやインターネットなしでは仕事も遊びもできない時代。

でクッキーに秘されたクレジットカードの情報から、
なにからなにまでが筒抜けでその気になれば、
個人情報などいくらでも完全に筒抜け。
IPHONEの写真から住所録から位置情報から
アクセス履歴からメールから位置情報からが
勝手にCLOUDに吸い上げられ、
それがどこにどうコピーされ拡散されていくのか誰も真相は知らず。
でいつのまにかWEBCAMがONになって部屋の中が丸見え。
ついにでMICもONになって盗聴し放題。
居間での会話も観ているテレビも電話の内容もEMAIもMSGも
ついでに夜の営みもその後の枕語りもすべて筒抜け。
がしかし、
そうなってしまった以上はすでにそういうものということになって、
つまり世の中にプライバシーは存在しないことを前提とする社会が生まれる訳であるが、
それを嫌がってIPHONEの電源を切るようにしていたら
いきなり警察が乗り込んできて不穏分子扱いされると、
これはまさに、ブラジルをはるかに超えている。超えすぎている。

「アイランド・ビーチ・ステイトパーク~島浜州立公園」

Posted by 高見鈴虫 on 13.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback
秋の日曜日、
ブーと大の仲良しのボーダーコリー・MIXのチェシーの飼い主であるエレンから、
天気も良いしまたドライブにも出かけない? と誘われた。

で、どこへ?と聞けば、
またいつもの奴で、ドッグランの常連同士のお喋りから、
車で2時間ぐらい走ったニュージャージーの海岸で、
犬放し放題の最高のビーチがある、ってな話、を聞いた、という訳。

と言う訳で、ドライブ、と聞いてもう居ても立ってもいられないブー君。
用意もできないうちからドライブだドライブだ!出発出発!と部屋中を走り回っている。

で、取りも直さずとりあえずとエレンのアパートに向かえば、
待ってました!と待ち構えていたチェシー、
もうブー君の姿を見て早くもはちきれモード。
二人して勝手に車に乗り込んでしまって、
さあ、出発!とやる気満々。

という訳で、で、行き先ってどこだったっけ?と改めて。
それがね、アイランド、ビーチ、パークって言うらしいんだけど。。。
なにそれ、それが名前?
そう、そう言われたのよ。アイランド・ビーチ・パークって。
なんかいかにもとってつけたような名前だな。聞いたこともねえや、
と言いながら、3人が3人して手元のIPHONEで検索をかけて、

おっ!あった!
あたしも、あった。ここだ。
ほんとだ、アイダンド・ビーチだって。本当にあるんだ、そんなところ。

と互いに見せ合ったIPHONE.
確かに、アイランド・ビーチ・パークとある。

なんともなげやりなネーミングもあったものだ、とは思いながら、
よし、とばかりにMAPQUESTにアドレスをセットして出発進行。

で、快適なニュージャージーターンパイクをぶっ飛ばす間、
いつものようにおしゃべりが大全開。

やれニューヨークの市長選の話から、デフォルトの話しから、
バカ共和党の悪口から、近年の不動産市況の話しから、
なんてやってるうちにすっかり高速の出口を間違えて、
まあしかし、この時代、IPHONEがある限りなにがあっても大丈夫!
とばかりに、よしまかせとけ、と取り出したIPHONE。
合計3つのIPHONEが並び立って、
それぞれが勝手に独自の道案内をするものだからまたまた滅茶苦茶。

おいおい、いったいどのIPHONEを信用していいやら、と大笑いである。

と言う訳で、すったもんだの果てに辿り着いたまさしく
「アイランド・ビーチ・ステイトパーク~島浜州立公園」

季節外れの誰も居ない駐車場を下りて、
砂に埋もれたボードウォークの階段の登ると、
まさに視界いっぱいに、どわーっと海である。

誰もいない白い砂浜。足跡ひとつなく、
そして海である。

真っ青な、どでかい海。
幾重にもなって打ち寄せる雄大な波
吹き荒れる潮風。

これぞ「海」といったところである。

どひゃーっと飛び上がったブッチとチェシー。

いきなり弾かれたように飛び上がった途端、

あっという間に遥か彼方。

グルグルグルグルと砂浜を縦横無尽に走り回っては、
波打ち際に走りこんで穴を掘り、打ち寄せる波に足を取られて大驚き。
うひゃああ、濡れた濡れた!とまた走り回って転げまわって、
ともう大変である。

いやあ、ブー君のこんなはしゃぐ姿、まったく久しぶりに見たね。
ほんと、子供のころは毎日こんな感じだったけどね。
ねえほら、見て、チェシーのあの幸せそうな顔。
そうだね、あんな幸せそうなチェシー、始めてみるね。




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「お化けの秋」

Posted by 高見鈴虫 on 14.2013 大人の語る怖い話   0 comments   0 trackback
ニューヨークは秋である。

日に日に枯葉の積もる公園。
その上を吹き抜ける冷たい風。
夏の間にあれほど華やいでいた町並みが、
いまは高い空に音を吸い込まれてしまったかのようにしんと静まりかえり、
街行く人々もどこかひっそりと息を潜めているようなところがある。

と言う訳で、ここアメリカでは秋と言えばお化けである。

日本では食欲から始まって読書からスポーツからと、
なんでもかんでもな秋である訳なのだが、
ここアメリカでは秋と言えばハロウィン。
つまりは、お化けの秋 な訳である。

と言う訳で、なんとなく怖い話が読みたくなったのだが、
かと言ってアメリカの怖い話、どういう訳だか全然怖くない。

アメリカの怖い話というと、ついつい血潮が飛び散り、とか、
ゾンビーの大群が襲い掛かってきて、やら、
そういった物理的な方向に走ってしまうわけで、

日本のようなあのじっとりと重く湿った、
親の因果が子に報い、やら、先祖の祟りの、因縁の、呪いの、
なんていう、そんなおどろおどろしい深みのようなものが、
徹底的に足りない気がするのである。

と言う訳で、
ふとそんな日本の陰気な怖い話が無性に読みたくなって。
トイレに座ったついでに、ちょっとIPHONEをつついて見れば、
出るわ出るわ、怖い話のオンパレード。

おお、盛り上がってるねえ。
日本人、怖い話好きだよなあ。
やっぱねえ、怖い話、と言えば日本。
これはまさに日本の伝統。
幽霊話は立派な日本文化なんだよね、確かに。

と言う訳で、つらつらと斜め読みを始めたのだが。。。。

が、しかし。。。。

読めども読めども、ひとつも、たった一つとして、
怖い気分させてくれるような話ってのが、まったく見当たらない。

何が「霊」だ。
見える人?見えない人?
友達と肝試しに行きました?
有名な心霊スポットで?

なんかこれ、ファンタジーというか、はなから受け狙いというか、
まあつまり、最初から最後までただの妄想、あるいは作り話。
下手をするとただのメンヘラ薬中の病気自慢か。

しかもその話の設定そのものが、
どいつもこいつもあまりにもいくらなんでも
まったくもってちょっと陳腐すぎねえか?

しまいには出だしを読むだけでパターンというか、
後の落とし所さえも見えてきてしまって、
まったくどれもこれも似たような話、
どこで聞いた話の焼き直しばかり。

読み始めたとたんに、
んだよまたこれかよ、という訳で、
思わずそこに描かれた怨霊やら悪霊やらにむけて、
だからどうしたってんだよ、と怒鳴ってしまいたくもなる。

まあね、そう、幽霊話なんてそもそもその程度のもの。
つまりははなから子供を驚かす子供だましに過ぎないわけでさ。
がしかし、それにしてもだ、と、
そのつまらなさに思わず首を傾げるどころか、悲しくさえなってくる。

と言う訳で、改めて、
なぜこの幽霊話がこうも面白くないのだろう、と考えてみたのだが。。。

まあ言ってみれば、そう、つまりはそこに描かれた話が、
テレビででっちあげられた再現VTRの焼きなおしの域を出ていない、
TVで作られた世界をただただ堂々巡りしているだけ。

人々の想像力がすでにテレビを超えられないどころか、
テレビの前に完全に屈してしまっているわけである。

これはまさに、あまりの興ざめであった。


で、改めてこのクズ幽霊話の山を前にして、

現代において本当に恐ろしい話、というのは、
つまりはこの氾濫する糞のような怖い話に見られるような、
想像力のあまりの欠如、及び、妄想の陳腐化、思考のTV化、にあるのではないのだろうか。

だって見ろよ、
まったく、これ書いてる奴、ほんと、なんというか、
蚤程度の想像力もないんじゃねえのか?
というこのくずのような怖い話ばかりじゃねえか。。。まるでそれこそお経のよう。

はなから洒落まじりの作り話ならまだ笑えるが、
もしもそれを本人が実際に体験している、と勘違いしているのだとすると、
それはまさに、テレビで見た世界が現実を侵食してしまっているわけで、
そんな浅はかなキチガイがうろうろしているような世界。
まさにそこらの怪談以上に気味が悪いよな。

というわけであらためて、

おいおい、日本中、こんなのばっかりかよ・・・

想像力の枯渇してしまった国・・

これはまさに、本当の本気で怖い話、なわけである。

振り出しに戻る

Posted by 高見鈴虫 on 15.2013 大人の語る怖い話   0 comments   0 trackback
高校の時に、同じ学校の友人から聞いた話。

休みに単車乗りの友人とふたりで箱根にツーリングに出かけ、帰り道に雨に降られて道に迷った。

林道のなんでもないコーナーでコケた時には、何かの間違えと何の気なしに通り過ぎたのだが、
その後、友人ががいきなりUターンをするや猛スピードで走り去った。

慌てて後を追えば、さっきこけたその場所で意識朦朧として転がっている。
聞いてみればUターンをしたところから記憶がないという。

気を取り直して再び走りだしたのだが、走っている最中になんとなく眠くなってきて、
ふと気がついた時には雨の林道に転がっていた。
友人に揺り起こされても意識が朦朧としている。
聞けばいきなりUターンをして猛スピードで走り去った後、この場所でこけたらしい。

そしてそれはさっきとまったく同じ場所。

さすがに気味が悪くなって、エンジンを切ったまま峠を下り、なんとか麓の寂れたラーメン屋に辿り着いた。

事情を察したラーメン屋の主人が警察を呼び、やって来た駐在に連れられて駐在所に一泊させられたのだが、
その夜は駐在の宿泊室で悪夢に苛まれた。

翌朝、警察官に連れられて寺でお祓いを受け、寺に単車を残したまま、御札を渡され電車で帰らされた。

なにが会ったかは最後まで知らされないまま。ただ暫くは御札を肌身離すなと言われる。

その後、寺まで単車を取りに戻った友人が、寺の住職からはタンクに貼った御札を剥がすな、と言われるが、
あまりに気味が悪くて剥がしてしまう。
その直後、トラックの後輪に巻き込まれて瀕死の重傷を負う。
命は助かったものの単車は大破。

見舞いに行った際に事故の顛末の顛末を聞かされ、実はあの箱根の夜以来、二人が同じ夢を見続けていたことを知る。

それは雨の林道で恋人の運転する単車の後部座席に乗っていたところ、はっと気がついた時には辺りに人影は無く、一人林道の曲がり角に取り残されている少女の話だった。

退院後、改めて二人で寺に向かい、住職に事情を話してお祓いを受けた二人は、
事故現場に花を添え、その後二度と単車に乗ることはなかった。

「あ・うん」

Posted by 高見鈴虫 on 16.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback
あうん、こま犬、ではないが、まさに、犬と飼い主との間には、
あ・うん、としか言い表せないような、微妙な、しかし明確な、
しかし、声にも形にも示せない、
そしてそれはまさに、飼い主と犬との間でしか知ることのできない、
まさに、絶妙な「あ・うん」が存在する訳である。

もちろん犬は言葉を喋らない。
人間は犬の持つ嗅覚も聴覚も尻尾さえもない。
そんなコミュニケーションの方法のまったくちがう二つの種が、
しかし、視線を合わせただけでお互いの心の内が手に取るように判ってしまう、
それはまさに「あ・うん」な訳なのである。

ねえ、ぶーくん、散歩行くか、から始まって、
お腹すいた、から、下痢みたいからおしっこしたいから、
下手をすると、おい、俺のIPHONE見なかった?から、
朝ですよ、起きて起きて、から、今日は土曜日です、パークの日です、から、
まあまあ、怒らない怒らない、から。
そう、それはまさに、言葉ではない会話。
どころか、会話など必要としないぐらいにまで、
まさに絶妙の「あ・うん」なわけである。

ふとした拍子にかわす目と目。
なんだよ、どうした?
なんだよ、笑って、なにがおかしい?え?俺?俺が?俺がどうした?
笑ってる?俺が?笑ってないだろ。え?俺が笑ってるから笑ってる?
お前が笑ってるから笑ってるんだろ。だったらお互い様だな。
Hi FIVE!YEY!

飼い主と犬とは似てくる、とは言うがいやはや。
まさにこれ、ベスト・バディどころか、いまや立派な分身である。

え?なに?今度の休み?おお、どこ行きたい?またドライブ?また車借りて?
混んでるかもよ、でもいいか。天気良かったらね。え?晴れ?週末?本当に?
だったらいいよ、どこか行こう。OK OK,判った判った、約束な。なら約束のチュッチュ。
それより今日のご飯どうする?え?あ、そうかそれはかみさんとの話しだ。

と言う訳でそう、この犬との「あ・うん」
まさに長年連れ添った夫婦が、なにも言葉を交わすことなく
全てがつつがなく収まってしまうような、
そんな絶妙な間合いと呼吸と目配せによってなりたっているのである。

そんなまさにテレパシーのような犬との付き合い。

いやしかし、
これだけはどれだけ説明しても、飼い主とそして犬との間でしか判らないこと。
まさに、二人だけの秘密、な訳である。



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「メールを失った21世紀」

Posted by 高見鈴虫 on 17.2013 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
朝会社に着いてPCを開くと、
なんとデスクトップにある筈のOUTLOOKのアイコンが消えている。

さてはさては、どうもこれは、
昨日頼んでおいたACCESSのUPGRADEの作業中の手違いだろう。

11月の頭から始まる新しいシステムに向けてACCESS2010へのUPGRADEが必要になり、
で、社内HELPDESKにリクエストした訳なのだが、
いやあそんな糞仕事は人間がやる必要なし。
所定のサイトにリクエストを登録しておけば、
夜中の間に自動的に終わらせてくれる、ってな調子のよい話。

でそう、よくよく見れば確かにACCESSは2010はインストールされている。
ので、かねてよりの目的であったACCDBファイルも無事開くことができたのだが。。
だがしかしである。
よりによって、OUTLOOK、つまりメールを引っこ抜くことねえじゃねえかよ、と。

で、まあ、俺もPC周りぐらいなら判らないでもないので、
昔とった杵柄とばかりにまあいろいろと調べてみたのだが、
まあ結果としてはとどのつまり、OFFICEのUPGRADEの最中に、
誤ってOUTLOOKを引っこ抜いてしまった、という訳なのだろう。

と言う訳で、チームのメンツには愚痴がてら、携帯のテキマを使って、
いやあそんな訳でメールが使えなくて困った困った、
と送っておいたのだが、
で、さっそくサポートデスクに電話して、
いやそんな訳でメールが使えずに弱っている、すぐに助けて、
と障害チケットをOPENした訳なのだが、
まあでもさ、障害対応といっても、やることと言えば、
OFFICEのCDからインスト用のファイルを叩くだけ。

簡単な作業だろう、それぐらいちゃかちゃかっと5分ぐらいで終わらせてちょんまげ、
と思っていたのだが、これがこれが、
待てど暮せど一向になんの音沙汰もない。

まあ確かにね、この会社はなににしてものんびりモード。
社員同士の中が良いのは誠に結構なことなんだけど、
まあ友達どうしなんだから多少のミスは笑って許してくれるはず、
とばかりに、なにかにつけて、そう、間が抜けている訳だ。

と言う訳で、メールの使えな朝。

あまりに緊急な案件は、電話でなんとか用を足した訳だが、
で、そう、メールなんだよ。
つまり、メールがないとなにも仕事ができない訳だよ。

改めて、この現代の職場におけるメールの占める位置、というか、
その重要度について改めて再認識をさせられた訳だ。

つまり、そう、メールがないと、なにひとつとしてなにも仕事が進まないのである。

なあに、ほんの20年前には、メールどころか、携帯電話さえもなかった筈。

それでも人間はちゃんと仕事をして暮していたはずなのに、である。

と言う訳で、メールを失った21世紀。

その無力感に、思わず打ちひしがれて過ごしている訳である。


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「犬がヨガ?」

Posted by 高見鈴虫 on 19.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback
朝の散歩の最中に、かみさんから電話。
これからヨガのクラスに行くから、
ブーにごはんあげといてね。
おっけー、と答えて電話を切った途端、
うっしゃあ、判った!とばかりに走り始めるブー。
で、辿り着いたのは予想通り、ヨガ道場の前・・・
なんだよ、お前、と苦笑いの俺に、
満面に笑みを称えたブー君。
見るからにどんなもんだい!といった感じ。
で、そのまま押しても引っ張ってもガンとして動かず。
なんてことをやっているうちに
スポーツウエアにヨガマットを背負ってやってきたかみさん。
あれ、どうしたの?
だから、あの、と言い訳する間も無く、
やっほーとばかりにかみさんにじゃれつくブー君。
ねえ、なによこれ、こうならないようにと思って電話したのに。
だから、その電話の話をこいつが聞いてだなあ、
電話の話?ブーに電話の話が判る訳ないじゃない。
だから・・判っちゃったみたいでさ。いきなり走り出してここに来ちゃった、と。
と言う訳でブー君、もうなにがなんでもかみさんとヨガに行くと行って聞かない。
どうするのよ、ヨガに犬が入れる訳ないじゃない。
だから、それはブーに言ってくれよ。俺だってこいつに引っ張られてここまで来たんだから。
ブー君、あんたヨガは駄目よ。
いやだ!とブー君。絶対に行く。一緒に行く!行くと行ったら行く!
とそうこうするうちにヨガの人々が続々と集まってくる訳で、
そんなお姉さんがたにいちいち尻尾を振ってラブコール。
あらあ、かわいい!一緒にヨガやるの?いいわよ、おいでおいで。
犬がヨガ?無理だろ。
ブー君、あんたただでさえ身体柔らかいんだからヨガなんて必要ないでしょ?
嫌だ!行く!一緒に行く!
あのなあ、お前・・・

と言う訳で朝から大騒ぎ。
かみさんにど叱られた挙句に、嫌がるブーを俺が抱え上げて、永遠と家までの道を歩くことになる。
こいつ、体重、前に測った時は38パウンドだったが。。
もしかしてまた増えた?
朝から40パウンドの犬を抱えてすっかり筋トレ気分。

と言う訳で、アパートに辿り着いた時には持病の腰痛がすっかり復活、
を言い訳にそのまま寝てしまったのである。


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失恋整形

Posted by 高見鈴虫 on 19.2013 嘗て知った結末   0 comments   0 trackback
かみさんが髪を切ってきた。
これまで伸び放題のまま、
さて次はいったいどんな髪型にしてくれようか、
と決めかねているうちに、
いつぞやボーボーになってしまった、ということで、
ここまでボーボーになってしまうと、前みたくにしてください、とも言えず。
適当にしてください、なんてのは少なくとも女の世界ではありえない!のだそうだ。
と言うわけで、半日近くどこかに姿を眩ましていた、かと思ったら、
なんと別人のようなショートカットになって帰って来た。
これでまたしばらく美容院に行かなくていいぞ、などと、
まるで誰かさんのようなことを言っている。

がまあ、ああさっぱりした、ではないが、
ショートにしたかみさんも久しぶりになるので、
ちょっと得した気分、でもないか。

そんなこんなで、髪型を変えて会社から帰って来たかみさんは、
やはり薄気味悪いぐらいに機嫌が良い。
失恋したんですか?なんて言われちゃった。どこかの女の子でもあるまいしねえ。
とまったく気味が悪い。

今日日、どこの女の子が一度や二度の失恋でいちいち髪など切るものか。
いや、いや、この時代だ、
もしかして、失恋するたびに美容整形を重ねて、次々と別人になってしまう、
なんてのがいたらそれこそすごいな。

あるいは、髪を切りに出たかみさんが、ついでに整形もしてきた、
と別人になって帰ってきたらそれこそ気味が悪い。

ますます自我が希薄になり、表層の自意識ばかりが暴走する21世紀な訳である。

「チーズ・デニッシュ」

Posted by 高見鈴虫 on 20.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback
朝食に食べたチーズ・デニッシュ。
かみさんと俺でひとつづつ。
で、そのまま残り半分を袋に入れてダイニング・テーブルに残し、
かみさんはそのままテニスへ。
これ片付けといてね、といわれて、ほいほい、そのうち、
とソファでフットボールなどを見ているうちに、
思わずうつらうつら。
で、目が覚めたら隣りに寝ているブー君。
あれ、かみさんは?と聞くと、ふわーっと大あくび。
ああ、そう言えばテニスに行くとか言ってたけど、まだ帰ってないんだ。
と、眠気覚ましに朝の珈琲の残りでも、
とふと見れば、
あり?確かここに食べ残しのチーズ・デニッシュがあった筈・・・
むむむと、振り返ればブー君の小屋の入り口に無残に引き裂かれたチーズ・デニッシュの空き袋。
ってことは・・・こいつ・・
と、思わず二度寝に入ろうとしていたブー君に、
おい、お前、俺のチーズ・デニッシュ喰ちゃったの?
え!?と飛び起きたブー、いきなり目に飛び込んだのは俺の手にしたチーズ・デニッシュの空き袋。
ややや。。やばしびっち!!!
いきなり飛びついて来て顔中を舐め舐め。
これはまさしく、悪さしたときのごめんねモードな訳で・・・
お前、あの巨大なチーズ・デニッシュ、しかも二つも・・食べちゃったの?
いや、あの・・とがっくりと肩を落とすブー。
お前なあ・・テーブルの上のもの食べちゃ駄目ってあれだけ言ってるのに。。
としたところ、
観念しました、降参です、とばかりにとぼとぼと頭を垂れてベッドルームに引き上げていく。
あのなあ、おい、ブー、お前、ごめんで済んだら警察いらねえんだよ、この落とし前、どうしてくれんだよ、
と追い討ちをかければ、ベッドルームの入り口でしゅんとうなだれてじっと見つめているブー。
なに?どこ行くんだよ、とついて行けば、
なんとベッドの枕の下を鼻の先でつんつん。
まさか、と見れば、なんと食べかけの、それも上のかりかりに焼いたチーズの部分だけを
きれいに齧り取られたチーズデニッシュが・・・ふたつ・・
おおお、こいつ、こんなところに隠してやがったのか・・

と見れば、その見るからに申し訳無さそうな顔・・・ごめんちゃい・・
おまえなあ、と思わず絶句、そして、思わず・・・こみ上げる笑いを必死でかみ殺して・・



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「TVジャパンが逝ってしまった」

Posted by 高見鈴虫 on 21.2013 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback

ここのところ、どうした訳か、我が家のテレビが日本語を話していた。
これはつまり、TVジャパンのお試し放送期間ということらしい。

このTVジャパン。

米国在住の日本人向けに、
NHKを中心に民放でも話題のドラマやバラエティを放送する、
有料の日本語放送チャンネル。

まあ子供のいる家庭では、日本語教育の一環、
ってな理由でこの有料放送に加入する人が多いらしいが、
まあ我が家では、日本のテレビごときに金を払うのもバカバカしく、
そもそもテレビそのものをあまり見ない。

なので、日本語放送なんてものに金を払うぐらいなら、
やはりせめてテニス・チャンネルやらESPNやらHBOやら、
どうせならもっと実入りのよいものを、という気になってしまう。



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俺がこれだけ忙しいときに、 よりによって踊り踊ってる奴らがいやがるとは。。

Posted by 高見鈴虫 on 21.2013 とかいぐらし   0 comments   0 trackback
月曜日、朝から超忙し。
電話会議に報告書にメールの返信。
おまけに休んだ社員のデータ入力仕事を肩代わり。
おかげさまで終わったのは昼の1時も近く。
まだまだ電話会議の予定が重なっているのだが、
クソッたれ、やってられねえとそのままばっくれ。
運動靴に履き替えてGYMへと顔を出せば、
エクササイズ・ルームでは、生肌に汗を光らせたお嬢様方がエアロビクス・クラスの真っ最中。
おいおい、俺がこれだけ忙しいときに、
よりによって踊り踊ってる奴らがいやがるとは。。
このあまりの温度差、なんかアンフェアだな、と苦笑い。


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「やせ我慢」

Posted by 高見鈴虫 on 22.2013 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
普段は、ニューヨークが世界で一番、やら、
もう英語の暮らしにも不便さはまったく感じない、
あるいは、日本なんてもうあってもなくても関係ないもんね、
とは言いながら、
日本語を話すテレビ。

あればあったで、見ちゃったりとかしてた訳で、
あぁあ、日本語テレビ終わっちゃったね、と、
ちょっとかみさんも寂しそう。

つまり俺たちって、もしかしてやせ我慢してるってこと?

なんて変なことを考えてみたりもしている。

と言う訳で改めて「日本」である。

米系企業に勤め始めてからというもの、
日本というものがますます遠ざかっている気はしていた。

あの日本人という厄介な人々。
思ったことをはっきり口にせず、
いつもどこかもじもじと陰に隠れるようなところがあり、
話しをすればいつまでぐるぐると同じところの堂々巡り。
その控えめ過ぎる口数少ないその言葉や表情の、
その裏の裏に因が込められたような、
あのしち面倒くさい人々。
まったくあのうじうじ亡者ども、手が切れてさっぱりした、
とは思いながらも、
やはりどこか俺の中にも、
そんな日本のうじうじ文化に対する、
一抹の亡国の念があるのかないのか。


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「ニューヨークの秋、日本の秋」

Posted by 高見鈴虫 on 22.2013 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
季節は秋である。

ニューヨークが秋ならば、
同じ北半球にある日本ももちろん秋であろう。

という訳で、日本の秋、という、
絵葉書的な映像が眼に浮かんでくる。

色とりどりの紅葉に彩られた街並み。
銀杏の黄金色のカーペットの続く並木道
うっそうと枯れ葉の積もる鎮守の森。
連なる山々を真っ赤に染めるもみじ。

ああ、日本の秋。
実は思い切り懐かしかったりする。



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「ニューヨークの秋、日本の秋 その2」

Posted by 高見鈴虫 on 22.2013 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
くっそお、日本の秋が恋しいなあ。

人里離れた山間の秘湯に浸かりながら、
日本もなかなか捨てたもんじゃねえな、
なんてちょっとすかしてみたくもなるぜ、

なんて呟いていたら、
なんと日本は「台風」だそうだ。

台風?この季節に?

とは言いながら、そういえばニューヨークも去年は季節外れの台風に直撃され大被害。
ハロウィンもニューヨークシティーマラソンも中止になったではないか。

そう、つまり、21世紀。この訳のわからない新世界。
現実はそうそうと甘くないわけだ。

という訳で、
故郷は遠くにあって思うもの、ではないが、
そう、思い出の中の映像の方がずっとピュアで美しいまま、
というのがいっちゃん無難かと。

そう、湯煙りに滲む紅葉の山々、なんてね、
本当はそんな世界、テレビのCMやよく出来た絵葉書の中でしか
見たことも無いくせにねさ。

という訳で、そう、
俺が嘗て知った日本の風景などは、
もうとっくの昔に拭い去られた後。
もうそんな場所はこの世界にはなくなってしまったんだよ。
それはまさに、過ぎ去った時間の中にあるだけで、
つまりはすでに幻想。。

という訳でニューヨークもすでに20年か。

俺のこれまで観てきた、と思っている世界。
パリもカルカッタもイスタンブールもマドリッドもカトマンズも、そしてあの日本の山々も、
すでにあれから20年も経っているのだ。
つまり、すでにすべてがあまりにも遠い昔の風景になってしまっていた訳だ。

そして日本。。。日本か。。

俺のなかの日本を、もう一度探しに行きたくもなったりする秋の朝な訳だ。



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「中国産のペットフードで犬が死んでいる」

Posted by 高見鈴虫 on 23.2013 アメリカ爺時事   0 comments   0 trackback
中国産のペットフードで犬が死んでいる、ってなニュースで
またもや近所の犬マニアたちが大パニック。

各自がニュースサイトからFDAのページからを調べまくっては、
それこそ山のようなメールが届く。

もちろん我が家ではこれまでにもいっさい中国製品は買っていない。

買っていないのであるが、なぜそれを言い切れるかというと、
MADE IN CHINA と書いていないから、とそれぐらいの理由でしかない。
あるいは、それぐらいのことでしか判断ができないわけだ。

がしかし、この21世紀。
グローバリゼーションの世の中はそれほど簡単ではない。

製品そのものは100%USDAオーガニック、と唄いながら、
梱包が中国製であったり、パッケージの印刷が中国産だったり、
あるいは、チキンは100%オーガニックでも、添え物の野菜が、
あるいは香辛料がMSGが、中国産、ではまったく意味を成さない。

この製品には徹底的になにひとつとして中国産は含まれていない、
という明確な表示が是非とも必要だ、と思うわけだ。

と言う訳で、相変わらずの中国製品である。
まあいまに始まったことではないのだが、果たして心底、いやはや、である。

俺はネトウヨではないので、中国がどうこうの、ということは極力言いたくないのだが、
やはり家族の生き死にの問題、となるとそうこうと良い人ばかりはやってられない。

中国産、本当に困る。まじで、本当にどうにかして欲しい。

これだけ世界中の人々が悲鳴を上げながら、
しかしなぜそれがなくならないかと言えば、まあ色々あることは知ってはいるが、
つまりは、ぶっちゃけコストの問題だろう。

安い製品には理由があるわけで、つまりは人件費が安く、規制の緩い場所で生産されているから、
というのがその第一の理由、というのも判っている。

が、しかしだ。。。いくら安くても死んでしまってはしかたがないではないか。
あるいは中国製品で病気になってしまったら、その後々のコストはどうなるのだ。

まあ中国産、と言っても、中国産の全てではないだろうし、
いまのところは死んでいないし、
なにより、原因が本当にこの中国製品にあるのか、と特定するのも難しいし、という、
さまざまな言い訳、および、言い逃れ、から、
いまだにこの危険極まりない中国産がまだまだ市場に出回っている。

頼む、と言いたい。心の底からお願いしたい。

もしも中国産を使っていない、と断言できるのであれば、
全ての商品に、「中国産はいっさい使っていない!という明記をして欲しい。

改めて言いたい。
人類は中国産製品から自身を、家族を、そして自国を守らなくてはいけない。

これは金儲けうんぬんの問題ではない。全人類の死活問題だ。
全人類というのには、もちろん中国そのものも含まれる。

このまま中国の似非自由主義を暴走させると、地球上がその巻き添えを食うことになる。

このままでは中国製品はまさに伝染病として世界を席捲してしまうことになる。
いや、いま既になっている。

改めていう。

ディスクリミネーションと言われ様が国家誹謗と言われ様が、
自分の金でなにを買うかは俺の自由だ。知ったことか、と思う。

全ての商品に、「この製品に中国産はいっさい使われておりません」 というマークを表示して欲しい。

俺は、そして世界のほとんどの人々は、
そのシールが表示してあるものしか、買わないに違いない。

別にしなくてもよい。それも自由だ。

ただこの印がない以上は中国製品を使っているのだろうと判断されるとなれば、
その表示がない限り人々は誰も商品を買わないに違いない。

その気持ちは世界の誰もが、もちろん中国人も含めて、同じだろう。

「なぜ中国製品には毒が含まれているのか」

Posted by 高見鈴虫 on 23.2013 アメリカ爺時事   0 comments   0 trackback

実は中国には何度も行ったことがある。

中国は80年代半ばまで鉄のカーテンに閉ざされ、
公的招待を受けたVIP待遇者に個人ガイド=ガード付で
しか入国を許されなかった国だ。

80年代半ばになって、ようやく限定付で開放区域を設定したのだが、
俺が最初に中国に足を踏み入れたのは、ちょうどそのぐらいの時である。

それから数えて、何度あの怒涛の大陸に足を踏み入れただろう。

そして行くたびに思うのは、、正直、「汚い国」である、ということだ。

中国の街は汚い。

どこに行っても汚い。

どこに行ってもゴミだらけ埃りだらけ、そして掃除の後がない。

それは解放直後、つまり中国が世界最貧国であった頃からも、
そしていま、このバブル絶頂にある現代でも、実は変わってはいない。

なぜこれだけ金がありながら、この国はこうも汚いのだろう、
とつくづく考える。

考えた末に行き着くのは、つまりそれ人が汚いからなのだ。

なぜ人が汚いのか、と考えると、
行き着く先は、つまりは、ここが共産主義だから、といわざるを得ない。

俺はネトウヨではないので、共産主義=赤=悪、
などという低脳児的な発想は極力避けたいのだが、

改めて言わせて貰えば、
これまでなんどか訪れたそういった赤い国で感じたことといえば、
そのスローガンに反して、徹底的に人が人を憎む、
つまりは共同体憎悪の図式が染み込んでいる、
ということだろうか。

中国においても、共産国である以上、建前上はすべてが公共、
つまりは他人との共有財産であるべき、ということなのだろうが、
しかしながら、あるいは、だからこそ、
中国の人々は人となにか共有する、ということを極端に嫌う。

なぜならば、つまりは人と共有することの弊害を、
いやというほど思い知っているからだろう。

公共の基本は民意である。

民意の基本といえば、他人を思いやる心である。

人も使うのであるから、尚いっそうに気をつかって綺麗に使わなくては、
と考えるのが日本人である(と信じているが)、
が、しかし、共同生活をしていれば判るように、
早々とそんな良い人ばかりはしていられない状況というのが多々ある。

つまり、誰がやったか判らないのであれば、なにをしたっていいじゃないか、
という輩が必ず中に一人は含まれている訳で、
そしてそんな輩が一人でも存在すると、
夢と希望に彩られるはずの共同体は、
とたんにギクシャクとし始めるのである。

おい、これ汚したのお前だろ?
俺は知らねえよ、なんで俺に言うんだよ。
だったら誰だよ。
だから知らねえって。あ、そう言えば誰々じゃねえのか?
なんだよあいつか。
よし、今度会ったらみんなでとっちめてやろうぜ。

このちっぽけな言い争いこそが、中国全土を覆い尽くした憎悪の元凶である。

こんなことぐらい、誰でも経験がある筈だ。

そして、それが時としてとても厄介な状態を招くことも知っているはずだ。
そう、共同生活はとても難しい。
それは、自称民度の高い日本人でも同じことだろう。

それに加えて中国では、この共同思想に、
革命やら、反革命やら、共同体意識、やら、毛沢東信仰、やらが
尾びれ背びれでついてまわる。

そして民主的であろことをすべての信条とするこの赤い国において、
話し合いで問題を決着せなばならない、となると、
たどり着くのはつまりは泥仕合である。

そんな共同体の本質として、

声のでかい奴、態度のでかい奴、ずるい奴、がめつい奴、
嘘の上手い奴、根性の汚い奴、ばかりが幅をきかせ、

結果、誹謗中傷、ねたみ、ひがみ、嫉妬、悪口、密告、裏切り、虐め、
がたちどころに共同体を包みはじめ、

渦巻く猜疑心、つもり積もった憎悪が見る見ると積もり始める。

そしてしまいには、
立ち回りの悪い奴は悪人取り締まり大衆運動に突き出されて銃殺刑。
おまけに銃殺の弾代が遺族の元に回される。

そんなことをもう半世紀以上にも渡って繰り返してきたのだ。

つまりこれは、個人の民意、なんてもので云々できる問題ではない。

国の構造からして、共同体憎悪、に凝り固まった結果なのだ。

と言う訳で、この理屈が現代の中国に対する謎にすべて回答してくれる筈である。

なぜひと前で痰を吐くのか。手鼻を噛むのか。
ゴミを捨てるのか。トイレが汚いのか。

すべては共同体に対する嫌悪、
そして人間憎悪の結果なのである。

と言う訳で、
なぜ中国製品には毒が含まれているのか。

答えは自然と見えてくる。

それを作っている人々が、
はなから他人がどうなろうと知ったことか、
と思っているからに他ならない。

この投げやりな考えは、そのまま、
先のことなどどうなろうと知ったことか、
という危険な考えに直結し、
自分さえ儲かれば、いまさえよければ、
人のこと、後先のことなど知ったことか。

あるいは、自分以外のすべての人間が、
苦しんでのたうって死に腐ればいい。

そしてこの人間憎悪の姿勢が、
社会の上から下まで、隅々にまで徹底的に浸透しつくしている社会。

作る人も売る人も検査する人も、
上から下まで人という人が徹底的にそんな感じなのである。

そう思えば、
中国人のあの投げやりさ、無茶苦茶さ、
全土を包む公害、毒入り食品等、
そして、世界中に病原菌をばらまきながら、
なにひとつとして反省する姿勢を見せないあの
まさに現代の七不思議のような低脳ぶりに、
明らかな回答が出るはずである。

中国中を埋め尽くすこの人間憎悪。
これはもはや規制や法律や、そんなものでどうにかできる問題ではない、
というのは自明の事実。

と言う訳で、そんなねじくれきってしまった
まさに人間の出がらしのような人々に、
いかにして共同体意識の改善を求めるべきなのか。

やはり人間が憎くてたまらない共産党幹部たちが考えたのは、
まさにこの憎悪の挿げ替えである。

今なお繰り返され続けるあの反日運動の理由がまさにこれだ。

自身の共同体に対する憎しみを、
仮想的に作り上げたスケープゴートに挿げ替えよう、というのである。

と言う訳でなんだ、ここまで書いただけでも本気でうんざりしてくる。

あれほど嫌な国、あれほど嫌な奴らを見たことが無い。
つくづく人間が嫌いになる。
あれが中国人だから、ということであって欲しい。
つくづく日本人だけはああなって欲しくない、

と俺の周りの中国経験者は口を揃える。

つまり、中国とはそういう国なのだ。
嘘だと言うなら自分で行って見てみろ、と言いたい。

こういった人々といったいどうやって付き合えば良いのか。

その答えをもっとも欲しているのは、まさに中国人自身なのではと思う。

という訳でそう、アメリカに勝ち逃げした中国人たちが口をそろえること。

なあに、あんな国、そのうち勝手に自滅するさ、なのである。
まさにそれを待ち望んでいるような口調なのである。

まったくもって・・・やれやれである

赤い世界での生きる糧

Posted by 高見鈴虫 on 23.2013 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
ロシア人の友人と話していたら、
旧ソビエト時代には休日の夜にはアパートの面々で集まっては、
ウォッカばかりをばかばかと飲み続け、
そしてその後は決まって泥酔して雑魚寝、
などをしているうちにいつのまにか
隣の奥さんが誰の奥さんか判らなくなって、
と言う週末ごとの夫婦交換、
あるいは乱パがごく普通に行われていたそうだ。

コミュニストだからな。なんでも共有が美徳とされたんだ、がはははは、
となる訳で、
誰のかみさんになろうがもらえる給料は同じ。
職場も同じ。住む場所も同じ集合住宅。
つまり誰もが似たようなもん、だった訳さ。
相方を間違えたって誰が責められる?
まあ冗談めかしているとは思うのだがしかし、
夫婦の貞操観念という意味ではとてもとても緩かった、
というのは事実らしい。

あるいは、金も宗教も言論の自由も徹底的にむしりとられた結果、
もう生きていることを実感できるのは、まさにおまんこだけ、
というところだったのだろう。

そうでもなかったらやってられなかった、そうなのであるが、
しかし、それがあったらからこそ、なんとかあそこまで持った、
のだそうである。

とそう言えばクーバ人も同じようなこといっていたな、と思い出す。

ラムとサルサ、とそして多分、乱パこそが、生きる糧なのである。

それはそれで楽しそうだ、とも思ったりもするのだが。。

がしかし、
そうそういえば、もうひとつの赤い帝国。
中国ではそういう話はあまり聞かないな。
と思ったところ、そっか、と思わず。

つまり中国のかたがた、
踊りよりも酒よりも愛や性欲よりも、
なによりも苛めが好きだったわけだ。

うーん、あまりに悲しすぎるな。あまり付き合いたい人々でないのは確かである。

「中国産のペットフードで犬が死んでいる」 その二

Posted by 高見鈴虫 on 26.2013 アメリカ爺時事   0 comments   0 trackback

中国産のチキンジャーキーを食った犬が、バタバタと死んでいる!!
ってなニュースが犬キチたちを直撃。
互いにトリートをあげたりもらったりする知り合いたちの間でも、
あんたまさか中国産なんて上げてないでしょうね・・と疑心暗鬼、
どころか取り調べ口調にまでなって、皆さん死に物狂い。

という訳で、家中のドッグフードからトリートからをひっくり返して、
表示内容の確認作業。

で、唯一我が家のトリートでひっかかったのが、かのトレーダー・ジョー。

もしかして、トレジョーのORGANIC CHICKEN AND BROWN RICE、
これ、まさか中国産?

とパニクッていたら、本業はギタリスト、で食えないので仕方なしにアルバイトで弁護士をしている才人。
これがちゃかちゃかとメール一本出したとたん、以下のような返信が届いた。


Hi XXXX,

Thank you for contacting us.
We are pleased to inform you that all of our dog food and dog treats are made in the US.
Our suppliers and vendors source primarily from the US and will source outside of the US for some ingredients.
Having said that, we can confirm that none of our suppliers source ingredients from China.

We hope this information is helpful.

Thanks again,

XXXX
Trader Joe's
Customer Relations


うん、よし!トレジョー大丈夫だ。

ああ、良かった・・と思わず本気で胸を撫で下ろした。

がしかし・・・おいおい、中国!まじで、あんたら・・
このまま行くと、まじ、世界はもう黙っていないと思うぞい。

「聞き流すだけ英語術」

Posted by 高見鈴虫 on 27.2013 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback

英語のヒヤリング能力を伸ばす為に、
のべつ幕なしに英語を聞くようにしているのだが、
英語を聞けば聞くほどに聞き流す能力ばかりがついてしまっているような気がする。


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「追悼・るうりいど」

Posted by 高見鈴虫 on 28.2013 音楽ねた   0 comments   0 trackback
>ルーリードが逝っちまったな

よお、俺もいまちょうどルー・リードのことを考えていた。

実は昨日の日曜日、
コネチカットの友人宅を訪ねて紅葉狩りなんての洒落こんでの帰り道、
ふと帰りの電車の中でIPHONEでニュースを見ていたら、
ルー・リードが死んだ!ってなニュースが飛び込んで来たわけだ。

という訳でルー・リードだな。

別にそれほど影響を受けたつもりもなかったのだが、
しかしやはりいまだに聴き続けてはいる。

で改めて考えてみれば、やはり俺はLOU REEDな人であったようだな。

あるいは、
俺にとってこの人は、リトマス試験紙だったような気がする。

人種年齢職種ジャンルを問わずルーリードが好きかで大抵が判る。

つまり、ルー・リードが好きな奴とはたとえどんな奴でも最終的には気があう。
ルーリードに興味の無い人とはどこかで、あるいはどこまでいってもすれ違う。
あるいは本当のところはなにも話さないで終わる。

俺にとってルーリードとはそういう人だった。

最初に旅にでたときに知り合ったカナダ人のヒッピーに、
好きなアーティストは?と聞かれて「るうりいど」と答えたが通じず、
LOU REED、の「L」と「R」の発音を直されて、
LとRの発音の練習には、LOU REED LOU REED と繰り返したり、とお世話になっていた。

おかげで、NEWYORKで知り合う奴にも、練習のつもりでLOU REEDと繰り返していたら、
いつのまにか回りは変な奴ばかりになっていたが、まあそれが俺がNEWYORKに長居している理由だろう。

実はルーリードその人にはビレッジに行った際、何度か道ですれ違ったことがあった。
ハロー、と声をかけるたびに、面倒くさげながら、よっ!ってな感じで片手を上げて答えてくれた。
気さくでやさしげでとてもよい人だった印象がある。

と言う訳でNEWYORKはICONを失ったな。ちょっとまじ寂しい。

IPHONEにこのあいだの出張の時に聴いていたBLUEMASKが残っていていま聴いている。

秋だしな。家についてら犬の散歩がてら、久しぶりにBERLINでも聴いてみようか。

じゃな


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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