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夜更けのドッグランで思わず口が滑った

Posted by 高見鈴虫 on 01.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback

あのねえ、中東の問題はね、あのひとたちがいまだに国家や民族というよりも部族、
なんてもの単位でしか物が考えられないからなのよ、判る?

という話をされて苦笑い。

部族単位でも物を考えるのがなにが悪いってんだよ、
と思わず言い返してしまって、

それが伝統って奴なんだよ。アメリカは移民の作った国。
つまりそこそこ200云十年の歴史しかない国が、世の成り立ちなんてものに
良いの悪いの言うことからして間違い。

そう言ってしまえばだ、と思わず・・・口が滑った。

あんなあ、

元はといえば、中東の石油をアメリカやらイギリスやらが独り占めして
世界のパワーなんていっているのからして間違い。

で、そう行ってしまえば、

元の元はといえば、中東の土地に伊豆らえーる、なんて国があることからして間違い。

その間違いを脇に置いておいて、まずは現実問題だけ討議しましょう、なんてのがそもそもまったく虫が良すぎ。

そんな虫の良い話ばかりするから、てめえらいつも勝手にてめえの事情ばかり言いやがって。
そっちがそうなら俺らで勝手にやっていくから、という姿勢の象徴が部族制とイスラム主義への固執なのであって。

と言ったとたん・・・
やば、っと思った時にはすでに遅し。
一同がまるで凍りついたように沈黙。
犬達のはっはっは、という吐息だけが響く、
夜更けのドッグランにままるで似合わない張り詰めた空気。

ふん、と不機嫌に鼻を鳴らす人々。

普段はにこやかなこの人々が、
まるで大魔神がうむ、と顔の前で腕を振ったように、
むっつりと黙りこくりながらまさに鬼のような形相である。

さすがに・・やばかったかな・・

がしかし、だ。

そう、そんなときこそが犬の出番だ。

ほら、しもべたちよ、

得意の舐め舐め攻撃で、機嫌の悪い奴等を舐め倒せ、行け!

といったとたんに、いきなり飼い主に飛びつく犬犬犬。

怒っちゃやーよ、怒っちゃやーよ、とどこもかしこもいきなりの舐め舐め攻撃である。

どうだ、恐れいったか。

と言う訳で、犬達の活躍によってなんとか命だけは保っていられているようだ

やふじゃとサンケーってなんか業務提携とかしてんの?

Posted by 高見鈴虫 on 01.2013 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
素朴な疑問なんだが、
やふじゃとさんけーって業務提携とかなんか、してるの?
ってか、
やふじゃのニュースみてると
いつの間にかサンケーの記事読まされてる、ことが多すぎてさ。

ってのも、
記事読んでるうちにつくづくおバカだなこいつら、とか、
うへええ、なんか不必要に浅知恵杉、とか、思い初めて、
なんかなんか・・・
この記事、目的がはっきししすぎね?とか思ってみれば、
まさに、サンケー(笑

なんかさあ、どうでもいいけど、
レベルとしてまさに女性週刊誌というか、
そう、つまりは、おばさんが書いたおばさん向けの記事、
ってことで、つまり俺にはぜんぜん関係ない世界。

で、つくづく嫌気が刺してきたところ、
ふと、欄下のこめんとなんかみると・・・
まさにあの敷石の下の便所虫みたいなねとうよがうじゃうじゃ。

正直、えんがち、というか、なんかすっげえぞぞぞと薄気味悪い気分にさせられる。

というわけでまじで日本、不快な国になりつつあるみたい。
すくなくともネット上はそう。
なぜかといえば、ひとえに、そういうさんけー的なご意見さいとがうぜえからである。
なぜうせえかと言えば、まじで、さんけーのこのやりかた、
中国の情報操作と半日煽動にすごく似ているからなんじゃね?

なので、嫌ならまあ見なけりゃいいわけで、と思いながら、
ついつい見てしまうといつのまにかむかむか、俺もバカだよね。
ああもうみねえ、やふじゃなんか一生見ねえ、と思いながら、
いつのまにかここにたどり着いているこの不思議。

ちゅうわけで、なんだ、ぶっちゃけ、これ、工作だろ?
つまり、良い悪いの、好きだ嫌いだ言う前に、
つまりはおかみがそういう方向に行きたがっている、
つまり、大衆煽動要員としての一億総ねとうよ化、
あるいは浅知恵おばさん化、つまりしいては国民の便所虫化、なのだが、
そういう方向に行かせてくれるように、と、一番現実的な方法、
つまりは、世界で一番えげつない人たちにどかんと税金をつぎ込んでいる、
なんてことをしている以上は、
日本というものかかわる限り、どうあがいてもそういう方向に連れて行かれてしまう、
というわけで、
まああらがうのもバカばかしくなるのであまり触れないようにしたい、とは常々思っていたのだがな・・

まあはっきり言ってどうでもよいが、ちゅうか、
連休中暇に任せて日本語サイトなんてみちまったのが間違いだったわけで・・(笑

うっかり井戸のそこをのぞいたら猫の死骸の山にごきぶりがたかってた、
という気がして、これってなんとなく・・・例の「隣の家の少女」を見たときと、
印象そっくりだったりするのだが・・

げげげまじみなきゃよかった、にほん・・

「乞食の死体を写真に撮るということ」

Posted by 高見鈴虫 on 01.2013 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback

石井光太を読むがなんとなく後味が悪い。

いかにも貧民九歳、なんてことをやりながら、
実は死体やら乞食やらライ病患者やらを思いきりガン写するひとであるらしい。

まあそれはそれでやる気であろうし、強さでもあるのだろうが、
似たようなことをやっていた俺としては、よくもここまでできるなあ、
と思わず首を傾げてしまいたくもなる。

まあ藤原新也もデビュー当時は死体写真家、と言われて居た訳で、
この人もそのうち化けるのかな、とも思うが・・・

が、なんとなくそのあまりにもあっけらかんと割り切りすぎた姿勢には、
あのダルバール前に打ち捨てられた乞食少女の死体を、
写真にとっていた大学生旅行者の姿を思い出してしまった。

ジャーナリズムって本質的に「晒し」なんだよな、と思うのだが、
そうすっぱりと割り切られてしまうとそれはそれで後味が悪い訳だ。

「夜更けのドッグランで座頭市」

Posted by 高見鈴虫 on 01.2013 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback


夜更けのドッグラン。はしゃいだ犬達にボールを投げながら、
日本マニアを自称するエレンに、歌舞伎はなにが好き?と聞かれて、
え?俺、歌舞伎なんかみたことないぜ、と言われて驚愕された。
なんでなんでなんで、なんで歌舞伎みたことないの?
だってさ、と俺。
日本の俺の世代で歌舞伎ファンなんてひとりもいなかったぜ。
という俺に、思わず眉を潜めるエレン。
あんた・・・日本人の風上にも置けない、という感じ。

だってさあ、ティーンエイジャーの頭の跳ねたガキに、
ストーンズと歌舞伎、どっちがいい?と聞いて、歌舞伎、と答えたらそいつはなんかおかしい、
と思わない?
と本気に言えば、まあねえ、と苦笑い。

だってさあ、セックス・ドラッグス・ロックンロールを前に、
歌舞伎だ、能だ、伝統芸能だ、なんて、ばかばかしくて話にならねえだろ。
つまり俺はそれだけ健全だったってことな訳さ、と。

えええ、でも・・とやはり憤懣やるかたなし、という感じのエレン。

と言う訳で、思わず、

ジャンピング・ジャック・フラッシュのリフをかき鳴らすキース・リチャーズと、
俺は嵐の夜に生まれたんだぜ、ばかやろう、と歌うミック・ジャガーと、

そして、

赤城の山も今宵限り、可愛いこぶんのお前達とも、別れ別れに~

となんちゃって歌舞伎風の国定忠治。

おおおおお、とエレン。

なになに、それなに、もう一度、もう一度やって、といきなりアンコール。

いや、これは国定忠治だろ、歌舞伎でもねえよ。

だから、なんでもいいからもう一度やって、と言われて、

おもわず、

あんたがた・・あっしを斬ろうってんですかい・・・ おもしれえ、やってやろうじゃねえか。
てっめら人間じゃねえ、叩き切ってやるからそう思え」

といきなりの座頭市。

おおおおお!と雄たけびをあげるエレン。拍手拍手のやんややんや。

その声に集まってきた犬達が、もっとやれ、もっとやれ、と一緒になって騒ぎ立てる。

と言う訳で、夜更けのドッグランで犬達を前に、
座頭市の物まねを何回もやらされる羽目になった。


「牛挙げ、るのか?」

Posted by 高見鈴虫 on 02.2013 今日の格言   0 comments   0 trackback
連休明けにいきなり目に飛び込んできたこのメール。

「宜しくお願いも牛挙げます」

まあ意味は伝わるのでぜんぜんOKなのだが、
朝からちょっとくすっとさせてもらた。

「印度人の必殺・殺人超音波」

Posted by 高見鈴虫 on 02.2013 とかいぐらし   0 comments   0 trackback
印度人が、あの声の裏返ったおかしなアクセントで
殺人超音波みたいな話かたするのって、、
もしかして、わざと変な話し方して相手を笑わせて和やかな雰囲気を作りだすってのが礼儀になるからなのかな?
ってことは笑ってあげなくちゃ失礼にあたるのかな?
とか思ってしまった国際間電話会議。

「飽食疲れ」

Posted by 高見鈴虫 on 02.2013 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
連休中、徹底的に喰っちゃねばかりを繰り返した関係で、
食べる、ということにほとほと嫌気が差した気がする。
食べる、という行為そのものよりも、満腹した状態、
つまりは腹がぼてっとくちくなり身体がすんと重くなってとたんに眠気が押し寄せる、
つまりはあの満ち足りた幸せ一杯の飽食状態につくづく嫌気が差したのである。
案の定、連休明けの朝、さあ久々の出社だ、とずぼんに足を通した途端、
腹から尻から足からがぴっちぴちである。
うーん、仕事用のずぼんはジーンズよりもちょっと大きめ、にしてある筈なのだが、
それでもこの圧迫感なのか、と思わずげんなりである。
一週間のぐーたらでこれだけ急激に太るものかと
あらためて生命の神秘に感じ入る思いがする。
という関係からしばらく朝と昼を抜いてみることにした。
朝はバナナを食べ昼の時間はGYMに行く。
夜もなるべく肉食は控えてご飯も一膳。
腹が減ったら水を飲めばそれで足りる。
なあにこんなオフィス仕事、飯ぐらい食わなくても十分にやってける筈だ。

「連休明けのいないいないばぁ」

Posted by 高見鈴虫 on 02.2013 とかいぐらし   0 comments   0 trackback

一週間の連休の後の月曜の朝、
ちょっと早めに出社して、そして澄み切った空気の玄関ロビーで、
ちゃっと社員証をスキャン、そして赤から緑に変わるライト。
ふふふふ、と思わず不敵な笑い。
なあに、ちょろいもんだぜ、とまさに怪盗気分。
と言う訳でまた何の気なしにたどりついた一週間前までの現実。
一週間分のメールに目を通す、というより読み始めるのは無駄なメールを消してから。
で、さてさてなにがあったのやら、と始めたところいきなりボスから電話。
なぬ?オフィスの移転が決定?で半年後?じぇじぇじぇ、と今更驚くには足りず。
そう、もともとそいうことになっていたものな。
逃げるダチョウが砂の中に頭を突っ込むように、忘れたふりをして日常業務に埋没していた、だけ。
という訳で、連休明け早々に再び熾烈な現実に直面することになったのだが、
しかしながら、連休明けのこの頭、水で薄まったようにまったく動いてくれない。
はあ、まあ、半年以内にまた職探しってことですね、了解です。はははと笑ってしまったり。
ちゅう訳でなんだ。このホリデーシーズンの狭間にいきなり職探し?ありえないだろう。
まあいいや、とりあえず年が明けたら考えよう、とふたたび砂の中に頭をつっこんでいないいないばあ。

「ミアキャットの島」

Posted by 高見鈴虫 on 02.2013 とかいぐらし   0 comments   0 trackback
改めて言わせて貰えばこの仕事は屁つまらねえなあ。
まあいまさら仕事がつまるのつまらねえのと青臭いことを言うつもりもないのだが、
やはり久々にやってみるとはいつまりませんといってしまってよろしいかと思われ。
まあ酷使されている、疲労させさせられている、摩滅させらている、という気がしないのは良いのだがな。
がしかし、うん、確かに、つまらない、と改めて思う。
面白いけど金の安い仕事か、つまらないけど待遇の良い仕事か、という選択であれば、
迷わず待遇を取るのだろうが、ここまでやりがいがないと果たしていやはやである。
でこの会社での一番の恐怖はまわりがみんなそんな人、やりがいをなくしても待遇に甘んじて寝ぼけてしまった人、
で一杯なのでいまさらやりがいやら能力やらを語るのがばかばかしくなってしまう訳なのだが、
言ってみればそれは罠。つまりここはミアキャットの島だ、というのはまさしくそれが理由。
ちゅうわけでまた職探しな訳だが果たしてなにをやるべきかなにをやったらよいのかなにができるのか、
すっかりと見失ってしまったのもまさしくこのミアキャットの島でのほほんとしていたせいだ。
果たしてこの歳になっての転職。これが日本であったら完全にOUTだった訳で、
つまりは日系は完全にOUTとなることを覚悟すべし、と言ったところなのか。
がいまさら米系のどこでなにをするべきなのかい?
バイリンガルで探しなさい、とJENNYに言われたが果たしてなんのバイリンガルか。
まあどうにかなるさと思っているのもまさにミアキャットの毒にやられてしまった結果ではないのかな。
果たして安息の地にたどり着けるのであろうか。たぶん大丈夫だろと思っているその根拠はなにか。


「ホリデーシーズンの空白」

Posted by 高見鈴虫 on 05.2013 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback

サンクスギビングの長期休暇から戻って12月。
果たしてなにもやることがない。

まあこの季節、クリスマスから年末に向けてのいわゆるホリデイ・シーズンで、
家族から親戚を抱えている普通のアメリカ人にとっては、
やれパーティだ、クリスマスの贈り物だ、バケーションの予定だ、
となにかと慌しい訳で、仕事どころではない、といったところ。

がしかし、この日系移民の俺としては、
家族も居ず、会社のパーティも無く、
そして年末の予定も犬の散歩以外にはなにもない俺としては、
まさに手持ち無沙汰である。

と言う訳で、朝から暇である。
休暇から復帰して月曜火曜とがーっと仕事を片付けてしまい、
報告書からメールからをいっぺんに出してしまった途端、
まるで穴に落ちたようにやることがなくなった。

その昔、テックだった時には、
このホリデーシーズンと言えばまさにかき込み時で、
下手をすれば連休中はずっとサーバールームで徹夜、やら、
クリスマスの間などはこの時とばかりに大技を連発しては、
なんとなくやりとげた気分、なんてのが通例だったのだが・・

このなんとも手持ち無沙汰のホリデー・シーズン。
暇なのは良いのだがなんとなく、根っからの貧乏性である俺としては、
この静寂の中で妙に落ち込んでしまったりもする。

で、近所の人々の見回りに出てみれば・・・

家から持ってきたLAPTOPで映画を観ているやつ。
下らないゲームをやっている奴。
ペーパーバッグを読んでいる奴。
新聞のクロスワードパズルをやっている奴。
山と積み上げたXMASカードを書き殴っている奴。
ホリデイショッピングのサイトを観てはため息ついている奴、
と、まともに仕事をしている奴は一人もいない。
ただ一人、殺気立っているアミールは、
来週から三週間の休暇で故郷に帰るのだそうで、
まあその準備に追われているだけの話。

と言う訳でこの年末の手持ち無沙汰。
この空白を素直に享受するべきなのだろうか、
とちょっと途方に暮れてしまったりもする訳だ。

この休みの間に資格でも取ろうかな、とも思いながら、
俺ってまったくつくづく貧乏性なんだよな、とまた凹んでしまうわけだ。

引き出しの小銭

Posted by 高見鈴虫 on 05.2013 とかいぐらし   0 comments   0 trackback

大掃除にはちょっと早いが、
暇に任せて机の引き出しを整理することにした。

で、隅に積もった小銭を掻き出して数えてみたところ、
なんと16ドルにもなったわけである。

16ドルかあ。小銭と言えども割と大した金額である。
なんとなくほくほくした気分になって、

さっそく、カフェに下りてベーグルをひとつ。1ドル。
で、外の通りのベンダーでバナナが5本で1ドル。

ついでにタバコ屋に寄って、ナットシャーマン・MCDを一箱。これがなんと14ドル。

と言う訳で、引き出しの小銭が一瞬にして掻き消えた訳である。

十年前のあの頃

Posted by 高見鈴虫 on 06.2013 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
昨夜、ハードドライブの整理をしなくては、
などと余計なことを思い立ったがために、
思わず徹夜することになった。

お掃除やら引越し中に必ずはまる例のあれ。
つまりは、昔の写真、なんてのを見させられる羽目になるわけである。

という訳で、いきなりですが10年前の自分らとご対面。

こちとら、内面的には、10年前、どころか、17、18歳の頃からしても、
ちっとも変わった、なんて思ってはいなかったのだが、

そのいきなり現れた10年前の自分の姿に、
思わず、唖然としてしまったわけだ。

痩せてんなあ、と思わずため息が出てしまう。
こいつ元気ありそうだな、と苦笑い。

全身、日に焼けてまさに黒人かラティノかネパール人か。

ぼさぼさの髪、つまりは持て余し気味のふさふさの髪と
腹のシックスパックにこけた頬。

まさに都会の野生児、あるいは原始人、と言った風情なのだが、
その隣りのかみさんは、逆に頬っぺたがもっとふっくらしていて、
笑顔の瞳にも輝きが点っている。

そっか、10年間と言えば
毎日テニスやってドラム叩いて、
四六時中頭の中には音楽が鳴り響いていて、
ちゃりんこでぶっ飛ばしながら、
金はないが次の休みはどこに冒険に行こう、
なんてことを考えていた、あの頃。

中南米の貧民街をほっつき歩いたり、
あるいは、カリブでスキューバ三昧。

俺たちって実は、
無茶苦茶やんちゃそうな好青年と、
好奇心の強そうな優等生の女の子、
というところだったんだな。

つまり・・・俺たち歳をとったってこと?

あるいは・・もしかし・・いまの俺たちがとても老いぼれ果てた、
ということなのだろうか。

そしてそれはいつから、どんな理由でここまで老け込んでしまったのだろう。

あらためて見上げた天井の中に遠くを見てしまった。


「49 DAYS」

Posted by 高見鈴虫 on 06.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback

ピーターが逝ってから早3週間。

夜更けの公園をひとりで散歩するピーターパパの姿が見える。

やあどうもどうも、と挨拶をする。
相変わらず元気そうで、と足元のブー君に目を細める。

首になにか小さな水筒のようなものを提げているピーターパパ。
写真でも撮っているのかと思えば、ピーターの遺灰なのだそうだ。

散歩に行く、というと奥さんから、これも連れて行ってあげて、って手渡されるのだそうだ。
そしてポケットには亡きピーターの黄色い首輪。

見るからに、辛そうである。

やっぱり似ているな、とブーをじっと眺めているピーターパパ。
いやいや、でも、やっぱり色々なところが違うな、と苦笑い。

ボールでも投げてみる?と渡せば、
ピーターパパの投げたボール目掛けて突進するブー。
そして見事なダイレクトキャッチ。
うへえ、これは凄い。良く躾けましたね。
いやいや、こいつが勝手にやってるんですよ。そのうち歯を折るんじゃないかって気が気じゃなくて。
息を切らして帰って来たブー君。ボールをピーターパパの足元において、さあ、次だ、と身構えている。

いやあ、うちのピーターはここまでできなかったなあ。
いや、若い頃にはやっていたでしょ?
まあ、そうだね。そう、子犬の頃はもうやんちゃでやんちゃで。

とやっているうちに、いきなり乱入してきた黒い弾丸。まさしくボーダーコリーのチェシー。
ブー君とふたり、いまにも目が回るぐらいに無茶苦茶に走り回っては転げまわっている。

いやあ、凄い凄い。本当に元気がいいなあ。健康そのものってところで。

実はね、この間のピーターの話を聞いて、次の日には獣医さんの健康診断の予定を入れたんですよ、と俺。
で、いつものやつ。まったく問題ありません、の一言のために300ドル取られました。

ああでもね、健康診断、いっておいた方がいいよ。お金の問題じゃない。本当に、あとで後悔しても始まらないからね。

と言う訳でかなり遅れてやってきたチェシーの飼い主のエレン。
改めてピーターパパをご紹介。

まあ、3週間。一番辛い頃よねえ、とエレン。
でも大丈夫よ。いずれは時間が解決してくれる。それはほら、私を見れば判るでしょ。
これまで何匹の犬と泣き別れて、そしてこうしてしぶとくも復活してきたことか。

ペットロスとか無かったの?

あったわよ。そりゃもちろん。いまだってペットロスよ。八匹分のペットロスを背中に背負って生きてるわ。
私の人生ってそれこそペットロスとの戦い明け暮れたようなものよ。

なんて話をしているそばからプロレスごっこを始めたチェシーとブッチ。
あっという間に身体中が泥だらけで、やれやれ、と肩を竦める俺とエレン。

実は死んだピーターとこのブッチ君はよく似ていてね、とピーターパパ。
それでブッチ君を見るとついついピーターを思い出しちゃって。

それを言ったら、とエレン。
このチェシーの前に飼っていたフレックルもブッチそっくりで、
わたしなんか今でも毎晩、ブッチを見るとフレックルがまだ生きてるって気になっちゃうもの。

ええ、そういうつもりだったの?と俺。

そりゃそうよ。これだけ似ているんだもの。だからそう、私としては、フレックルは死んでいないの。
ただ、ちょっとこの人のところに貸し出しているだけってつもりなのよ。

フレックルが死んでからどのくらい経ってチェシーをアダプとしたの?とピーターパパ。

実はね、とエレン。

ほら、私の家の部屋の窓からドッグランが見えるでしょ?
で、フレックルが逝ったあと、見ないように見ないようにとは思うんだけど、
ついつい癖でドッグランを見ちゃうわけ。そうするとね、OMG!フレックルがいる!帰って来た!って凄く驚いちゃうわけ。
で、思わず下に降りていくと、そう、正体はこのブッチ。本当、遠目でみたらまったく瓜二つでしょ。
で、なんだ、ってがっかりして。
そんなことを繰り返していたら、やっぱりどうしても犬が欲しくなっちゃって。

そりゃ確かに溜まらないな、とピーターパパ。

49日、と俺。

なに?フォーティーナイン デイズ?

そう、49日。日本では人が死ぬとその魂は49日の間はまだこの地上にいるって考えられてる。
で、その49日の間に色々なことを整理して、で、天国へと旅立つ訳。
なので、人が死ぬと49日間は、その死者の弔いを続けるんだよ。
で、50日目からはもう泣かない。それ以上泣いていると逆に死者を引き止めることになって、
いつまで経っても天国にいけない、って言うんだ。

ああ「おくりびと」って映画観たわよ。あの俳優のこ、すごくセクシーだったわね。

49日か、とピーターパパ。

もう21日経っちゃったんだな。ピーターの魂はいまごろどこに行っているやら。生まれ故郷のケンタッキーにでも帰ってるのかな。

そう言えば、チェシーがうちに来たのはちょうど3ヶ月後だったわね。

そう、フレックルも天国で幸せにやっているってことだよ。

49日か。まだまだそんな気にはなれないな。

まああと28日あるじゃないの。その間に泣くだけ泣きながら3ヶ月後にどんな犬を飼おうかって考えておいたほうがいいわよ。

いまこうしているこの瞬間にも、世界中で引き取り手の無い犬が殺処分にあっているって事実を忘れないことだね。

なんて話をしていたら、あれ、ブーとチェシーがいない!

途端に慌てて名前を呼ぶエレン。

あ、ほら、あそこ。

広大な草原の彼方。闇の中から赤い舌を躍らせて走ってくるチェシーとブッチ。

なんだよ、お前らどこに行ってた?

またねずみでも追いかけて居たんだろ。

と思えば、その後ろからぴょこぴょこと着いて来る子犬が一匹。

そのすぐ後ろから、肩で息をしながら追いかけてきた飼い主。

やあどうもどうも、とぜーぜーと荒い息。

と言う訳で、いきなり登場したラッキー君。6ヶ月のジャックラッセル・テリア。

先週レスキュー・シェルターでアダプトしたばっかりで、まだ自分の名前も覚えてないようでねえ。
リーシュを離したとたんにいきなりすっ飛んで行っちゃって呼べど叫べどぜんぜん着いてこなくて。

と言う訳で、ラッキー君にはじめまして、のご挨拶。

ラッキー、と名前を呼んで、はい、こっちおいで、トリート。
お座り、お手、はい、ラッキー、いい子だね、と頭を撫でれば、
じぇじぇじぇじぇ、と飼い主。
この犬がこんなことできるって知らなかった。

いやあ、かわいいですねえ、とピーターパパ。ジャックラッセルもいいなあ、と思わず。

ボーダーコリーもいいわよ、とエレン。

オーストラリアンキャトルドッグだけは辞めた方がいいよ、と俺。

あらどうして、とエレン。私はキャトル・ドッグを探したけど見つからなかったんでこいつ、ボーダーコリーで妥協したのに。

キャトル・ドッグかあ、とピーターパパ。やっぱりキャトル・ドッグがいいなあ。

だってね、と口を開いたピーターパパを見上げる、キャトル・ドッグとボーダーコリーとそしてジャックラッセル。

いや、そうだね、ああ、犬ならなんでもいいや。どれも可愛いしね。

犬種じゃないよね、と俺。最初に目があったその瞬間にはもう運命が決められているんだから。

なんだかロマンチックよね、とエレン。

いや、と声をあげるラッキーパパ。
ジャックラッセルだけは辞めた方がいい。だってね、ともう怒涛のように流れ始めるラッキーのやんちゃ自慢。

この間まで飼っていたビーグルとは大違いで。吠えないのはいいんだけど、もうやんちゃでやんちゃで。
飛び掛る噛み付く引っ張る、家具は齧る、カーテンは引きずり下ろすで、一週間で部屋の中を滅茶苦茶にしてくれた。

そのビーグルはいつまで?

ああ3ヶ月前にね。16歳で。まあ大往生だったんだけどね。

やっぱり49日だよね、と俺。

なにが?とラッキーパパ。

そう、この人、ピーターパパ。2週間前に犬を失くしたばかりで。

ああ、とラッキーパパ。

で、一人で思い出めぐりのお散歩だろ。そう俺もついこの間までそうだったよ。がしかし、と遠くを見やる。

おい、こら、ラッキー、駄目だ、何食ってるんだ。こっちこい、早く、駄目駄目、そっち行っちゃだめだ、といきなり走り始める。

49日かあ、そうね。最初の2ヶ月間はもう悲しくて悲しくて。ご飯も食べれないし、仕事も手につかないし。
目が覚めると家の中にまだフレックルが居るような気がしてね。
夜中に目を覚ましてなんども探しちゃったり。
そうやって泣き暮して、でそのあとになると泣くのにも疲れちゃって。
で、そんな時、なんかもう新しい犬が欲しくて仕方なくなるのよ。

まあそんなものみたいだな、とピーターパパ。

犬を失くした悲しみを癒すは新しい犬しかないってことよね、とエレン。
だからいまのうちは泣くだけ泣いておいたほうがいいわよ。
いずれにしろ、新しい犬がやってきたとたんにほら、と顎をしゃくれば、

暗い草原の彼方にまで、ラッキーラッキー、と叫びながら走っていくラッキーパパの姿。

いずれにしろ、ああなるんだから、と大笑い。

人間にとって犬は必要なもの。空気や水と同じように、犬は絶対に無くてはならないものなのよ。
そしてそうやって、次から次へと、性懲りもなくまた新たな犬を迎え入れて、
そうやってペットロスの歴史を積み上げて行くものなのよ。
つまりは人間ってそういう生き物なのよ。

なんか説得力あるなあ、と思わず顔を見合わせる俺とピーター。

つまり人間ってそういうものなんだよね。うん。

と言う訳で、夜も更けたアッパーウエストサイド。

今日も今日とて犬と人間のどたばた悲喜劇が繰り返されていく訳である。

「Incredible Dog Jesse the Jack Russell」

Posted by 高見鈴虫 on 06.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback

Incredible Dog Jesse the Jack Russell だそうだ。


そのいち
そのに
そのさん

おまけ


ジャックラッセルかあ。

俺のまわりのジャックラッセルは手のつけられないやんちゃ坊主ばかりだが、
こんなの見るとうちの犬なんてまだまだだなあ。

いちにちじゅう臍出して寝てないで、
掃除洗濯皿洗い、とまでは言わないまでも、
せめて自分が撒き散らした床の無駄毛の掃除ぐらいはしておいてほしいものだが・・

ちゅうわけで、このお利口な犬のビデオをUPLOADしただけで、
なんともものすごいアクセス数だよな。

こんな仕事なんかしてないで、
犬に芸をしこんでYOUTUBEにUPしたほうが、
金がもうかるのではないだろうか、と考えてしまう金曜の午後

「なぜか欝 なぜなんだろうと考えて 更に欝」

Posted by 高見鈴虫 on 06.2013 とかいぐらし   0 comments   0 trackback
 

クリスマスを前にした雨の金曜日。
日に日に華やいで行く街の風景を尻目に
何故か欝である。

どうしてだろう、と考える。

昨日夜更かしして本を読んでいたから疲れているのだろうか。
ホリデーシーズンに突入し仕事が暇になったせいだろうか。
あるいは来年5月に予定される異動が気になっているのだろうか。

なんかどれもしっくりこない気がする。

なぜなんだろう。うつにならなくてはいけない理由などなにもないのに。

もしかしたら、と思う。

もしかしたら先に控えている年末年始の二週間の大型休暇、
この過ごし方について途方に暮れているのではないだろうか。

今年一杯ほとんど休みを取らなかった関係で、
年末を控えて有給休暇がだぶつき、
結果、11月12月の連休にひっかけて立て続けに休みを取らされる羽目になった。

先のサンクスギビングの休暇も前後の土日を含めて合計9日間。

が、なにをするでもなく、ずっと犬の散歩をしながら本を読んでいた訳なのだが、
なんとなく満ち足りたような気分にはなりながら、どことなく、とてももったいないことをしたような、
自責の念に駆られているのも確か。

バケーションが必要なのは判っている。

三日とは言わず、たった3時間でもいいからカリブのビーチで寝ていたい、
とは口癖のように言っているのだが、犬が居るとなかなかどうして自由にならず、
そして踏ん切りがつかない。

またレンタカーでも駆ってどこか田舎の海岸にでも行くか、とも思うのだが、
出張やら研修やらでたびたび向かうアメリカの田舎は、
どこもかしこも気を滅入らせる茫漠とした風景ばかり。
とても羽を延ばすなんて気分とは程遠い景色な訳で、
あんなところを三日も四日も走り続けるなんて、
考えただけでもうんざりである。

と言う訳でまたニューヨークに缶詰か。

まあそれはそれで良いのだが。

アルバイトでもしようか、とも思っている。

アッパーウエストサイド・ストーリー ~ 10023

Posted by 高見鈴虫 on 07.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback
聞くところによると全米においてすべてを含めた上でも、
ここアッパーウエストサイドのZIP CODE:10023のエリアは、
なんと犬の比率が全国で断トツでナンバーワンなのだそうだ。

つまりこの地域こそが全米のドッグラバーの聖地、と言ったところ、であるらしい。

このご近所、確かに犬は多い。
街を歩けば次から次へと犬の散歩の人々に出くわす。
公園に下りればそれこそ24時間、いつ何時でも犬の散歩をする人々をみかける訳で、
まったくこの辺りに住んで犬を飼っていない人がいるのか、
というぐらいに犬ばかりである。

がその理由も頷ける。
なにはなくともニューヨークを代表する2大公園、セントラルパークとリバーサイドパークに挟まれたこのエリア。
ドッグランの数も多く、お散歩には事欠かず、
そしてそんなエリアに住んでいる犬も、若干の例外はあるにはあるが、
たいていがよく躾けられた、優等生ばかり。

ざっと見渡すだけでも、グレートデンから始まってセントバーナードのような超大型犬から、
ラブラドル、ゴールデンリトリバー、サイベリアンハスキー、
プードル、ボクサー、ロットワイラー、ジャーマンシェパード、
ポメラニアン、ジャックラッセル・テリア、
チワワからポメラニアンからアキタからシバイヌまで、

まさに毎日がDOGSHOWといったところ。

と言う訳でこのエリア。
ニューヨークで犬を飼うものたちの間ではまさに垂涎の地、ということになる。

西にワンブロックでリバーサイドパーク。
72丁目から始まり、ハーレムの125丁目まで四季を通じて見事な街路樹の続く公園の中には
そこかしこにドッグランから犬用の水のみ場からとまさに至れり尽くせり。
ハドソン川沿いには、ジョガーやサイクリングの人々が集う遊歩道がマンハッタンの果てのブロンクスまで永遠と続き、
早朝から夜更けまで、そんな人々が絶えることがない。

東に行けば言わずとしれたセントラルパーク。
この広大な公園が、早朝と夜の9時以降は犬が離し放題。
観光客の一団が訪れる前までの間は、緑の芝生を駆け回る犬達の姿がそこかしこで見受けられる。

治安的にもニューヨークの中では安全な地域で、たとえ夜更けに下痢だ、と起こされて、
あわててサンダルひとつつっかけて公園に駆け込んでもなんの問題もない。
24時間、いつどんなときでも必ず犬の散歩をする人に会うことになるからだ。

そんなドッグラバーの聖地に暮す人々。
犬同士が友達ならば人間同士も友達。
アパート中のドッグラバーと顔見知りで、通りを歩いても次から次へと知り合いが、そしてその犬が挨拶に訪れる。
どの犬達もまさに幸せ一杯。そんな犬を連れた人々の表情も当然のことながらいまにも溶け出してしまいそうなほどに和やかだ。
まさに街中が犬たちの愛に満ち溢れているといったところ。

休日の午後、犬を連れて公園を散歩する人々。
三頭の見事なアフガンハウンドを連れた、シャーロックホームズ張りにパイプをくゆらせた紳士。
カラフルなスポーツウエアに身を包んでブラックラブラドルと共にジョギングをするカップル。
片手に5頭づつの犬たちを引き連れたドッグウォーカー。
この辺りの人はリッチなんで金払いはいいし、犬も良く躾されているから何頭連れていてもまったく問題ない。
まさにドッグウォーカー天国だね、とホクホク顔である。

と言う訳で、連休の間は今日も今日とてそんな公園を一日中散歩して過ごす。

犬を置いてはバケーションにも行けず、たずねて来た友人も犬の散歩につき合せるこの犬狂いの人々の聖地。

ここアッパーウエストサイドは、その住人たちから言わせれば、まさにドッグラバーのための街、なのである。


アッパーウエストサイド・ストーリー ~ 犬の事情で引越し

Posted by 高見鈴虫 on 07.2013 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
そういう我が家も、実はこのエリアに引っ越してきたのは犬を迎え入れてから。
つまり、犬の事情によってこの地域に移ってきたわけだ。

それまで10年以上にも渡って住み慣れたミッドタウンのマレーヒル。
各国の大使館が並ぶ簡素な住宅街。
アジア系の人口も多く、安くておいしい世界各国のレストランも多く、
交通の要たるグランドセントラル駅にも徒歩5分。
勤務先のウォール街には電車一本で15分。
セクシーな女の子たちが群れるバーからクラブが軒を連ねるパーティエリアも目と鼻の先。
と言う訳で、このニューヨークで都会暮らしを楽しむ上ではまさに最高の場所であった訳なのだが、

しかしながら、なにを間違えたか「犬」なんてものを貰い受けてしまった途端、
このマレーヒルがこと「犬」にとってはそれほど住みやすい場所ではないという事実に愕然とした訳だ。

つまり、近所にドッグランがない。
犬を放せる場所まで最低でも30分。
夜中まで酔っ払いたちが騒ぎまわるストリートでは、
はしゃぎ回る女の子のハイヒールに足を踏まれそうになったことも一度や二度ではない。
窓の外から流れてくるシティーノイズ。
仄かにハッパやクラックの香りの漂って来たり、
宵っ張りの住人たちは深夜どころか明け方まで鳴り響く大音響の音楽を気に止めもせず。

そのどれもこれもがニューヨークという都市生活を送るパーティフリークスには最高の場所、
であたはずなのだが・・

犬を迎え入れて一年を迎えようとしていた秋の午後。
いきなりかみさんから、あたし明日引っ越すから、と言われた。

あたし?引っ越す?どこへ?俺は?

と目を丸くする俺に、かみさんは断固として言い放つ。

あなたは好きにすればいいわ。ここに居たいなら居ればいい。
でもあたしたちは引っ越す。わたしとブー君。あんたのような人たちは知らないけど、
とにかく犬にとってはこのエリアは最悪だわ。

でよくよく聞いてみれば、夜な夜な近所のドッグラバーが寄り添っていた裏の公園のバスケットボールコート。
はしゃぎまわっていた犬達が、またいつもの奴でちょっと羽目を外してしまったらしい。
ドアのない公園の入り口からいきなり走り出てしまった犬達。そこには大通りの3車線をびっしりと埋め尽くしたタクシーの群れ。

もうねえ、飼い主達みんな死に物狂いでタクシーの前に立ちはだかって大騒ぎ。
いっせいにクラクション鳴らされて、その音にまた犬達が驚いて走り回って。
犬どころか人間まで轢かれかけて、まさに地獄の沙汰よ。もう沢山。もうこんなところ沢山よ。

で、よくよく聞いてみたところ、その羽目を外した犬達のその筆頭がブッチ。
ブー君がまたいつものやつで手当たり次第に喧嘩をふっかけては走り回って。
で、逃げ出したブー君をおっかけて犬たちがみんな外に走ってちゃったのよ。
それももうこれが始めてじゃないんだから。これまで何度もやってるのよ。
そのうちきっと車に撥ねられて死ぬことになるわよ。絶対よ。
それが判ってるから、レキシーとか、ルーカスとか、ブレイザーとか、
もう私たちが行くとすごく迷惑そうで。もうここには来ないほうがいいんじゃない?って。
あそこにいかなかったらもう犬の行ける公園なんてないし。
運動不足で欲求不満になったらますますこの子おかしくなっちゃうし。
もう沢山。

でも・・と俺。
ほら、この辺り、知り合いも多いし。テニスコートも近いし、便利だし、おいしいレストランも多いし。

だったらあなたはここに居ればいいわよ。わたしはブッチにみすみす死んで欲しくないから引っ越すだけ。

で、どこに?と聞けば、もう決めてある、とのことで、ほら、と差し出されたWEBページのコピー。

ニューヨークで一番犬にやさしいアパート そのTOP10とある。

アパートにドッグラン?犬用のスパ?獣医が24時間待機?なんだこれ。犬用の高級ホテルじゃねえか。

そんなところ値段が全然手が出ないから、しょうがないからその番外編に載ってたところにしたの。
レンタルのボロアパートだけど、そこの住人の半分以上が犬を飼ってるんだって。
地方から出てくるひとも犬と一緒の人はみんなここにするそうよ。
値段的にもそこだったらなんとかやっていけると思う。

ええ、でもそれにしたって、家賃・・・ここよりかなり高いぜ。

倍よ。とかみさん。ここの倍。しかも広さは半分。

じぇじぇじぇじぇ、なんでいまさらそんなところに。

こんなところにいてブー君の身になにかあったらどうするの?ブー君の命はお金じゃ換えられないでしょ。

そんなバカな・・・

と言う訳で、一度言い出したら梃子でも動かないかみさん。そしていたいけな顔をして見上げるブッチ。

やれやれ、と頭をかいたとたん、で、あなたはどうするの?とかみさん。

まあそう言われたらしかたがないじゃないか、と返事を下途端、だったら引越しの準備。
まずは要らないものは一切合切、全部捨てて行って。もうこんなゴミの中で暮すのは沢山。
次に行くところここよりもずっと狭いんだから、こんなもの全て持っていったらそれこそゴミ屋敷になっちゃうわよ。

と言う訳で、あまりに突然の引越し宣言から、一週間寝ずの苦労の末にようやく辿り付いた新居。

引越し用のトラックから、さあ着いた着いた、とアパートに入ったとたん、
ドアマンから、はい、よくいらっしゃいました、名前は?と聞かれながらトリートを差し出され、
いや、こうしておくとね、たとえ迷子になったときに必ずここに帰って来ることになるから、という話。

まさにアパート中がドッグラバーのためのドッグアパート。

そうしているそばから、開いたエレベーターの扉の中から、さあ散歩だ散歩だ、と綱をひっぱる犬たちが走り出てきて、
お、新入り、誰だお前は、よしよし、はいはい、判った判った、今後ともよろしくね、ちゅっちゅ、とご挨拶。

で飼い主同士も、いやあ、はいはい、ここはいいところですよ、特に犬にとってはね。人間にとっては、と悪戯げにウインク。
まあ家賃は高いけど、まあ犬が元気なんでね、と苦笑い。

そう、つまりは、そういうところであった訳だ。

と言う訳で、辿り付いたアッパーウエストサイド。
まさに、犬のための街。

家賃は高いが、まあ犬が元気でいてくれるんだから、という訳なのだが、
果たしてこの高すぎる家賃、いったいどうして暮していけるやら、と引っ越したそばからたちまち頭を抱えてしまった訳である。


アッパーウエストサイド・ストーリー ~ 犬の恩恵

Posted by 高見鈴虫 on 07.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback


このアッパーウエストサイド。
言わずとしれた高級住宅街である。

古くからのジューイッシュの人々のコミュニティーで、その住人にもやはりジューイッシュの人々が多い。

はるか昔、イスラムゲリラとして彼の地の戦場を駆け回った記憶のあるこの俺が、
なにを血迷ったかそんなジューイッシュの人々のど真ん中に暮すことになった訳だが、
まあ犬を介しての付き合い、という訳で、そんなジューイッシュの人々の間でも瞬く間に知り合いが増えた。

が知り合いと言っても、まさに犬を介して、という訳で、
その飼い主がなにをしているか、どんな服を着ているか、などはまさに二の次。
犬の名前は覚えても人の名前は覚えていない、とはこの地域では良く言われることで、
人種、年齢、性別からの垣根をすべてすっ飛ばして、
まさに、犬同士の仲が良いから、という理由で毎日毎晩顔を合わせるご近所さんが一杯。

ドッグランに足を踏み入れたとたん、待ってましたと駆け寄ってくる犬たち。

やあやあ、元気だったか、とやりながら、さあ、行くぞ、ボール投げ、と初めて、
少し遅れて、やあ、どうもどうも、とやってくる飼い主達。

そんな飼い主の人々との会話も、
愛犬自慢から始まって、獣医の良し悪しからパークポリスの同行から、
ドッグランでの喧嘩から、新しく来た犬の名前から、与えているドッグフードの種類、
犬のおもちゃの貸し借りから、時として互いの犬のうんちを拾い合う、なんてこともある。

そんなアッパーウエストに暮し始めてから数年。
今ではほとんどの犬、そしてその飼い主が顔見知り。

地下鉄の中で見知らぬ美女に声をかけられて、
え?失礼ですが、と声を詰らせていれば、
あらやだ、ブッチのおとうさん、私はデキシーのママですよ、と改めて自己紹介。

あれまあ、互いに普通の服着ているから判らなかった。
そうですよねえ。ドッグランではいつも犬用の汚い格好ばかりだから。
本当にそう。犬を連れていないと互いに誰かさっぱり判らなかったりしますからね。

と言いながら、いやはや、正直、あのずたぼろのジャージ姿のデキシーママが、
実はこんな美人だとは知らなかった、と改めて見返してみれば、
いやはや、あのてっきりホームレスかと思っていたブッチパパがまさかカタギの勤め人とは知らなかった、
という表情。

確かになんか犬がいないと変ですよね、とお互いに大笑い。

で改めて自己紹介すれば、さすがアッパーウエストサイドの住人。
かの金融ジャイアントやら、世界に名だたるなんたら、やらの超一流企業の名前が目白押し。
なんか気後れしてしまいそうにもなるのだが、
がしかし、そう、犬を連れている限りその人はまさに犬の付き人に過ぎない訳で、
なんの仕事をしていようが、幾ら稼いでいようが、社長だろうが部長だろうが、
犬の前では皆全てただのドッグラバー。

ましてや犬である。
飼い主が果たしてどんな輩であれ、犬は犬。犬に罪もへったくれもない訳で、
そしてそんな人々は、犬とあればやはりたとえどんな飼い主に飼われている犬でも可愛かったりもする。

我愛犬の友達たちはすべて押しなべて俺の愛犬でもあるわけで、
そうやって全ての犬を分け隔てなく可愛がっているうちに
いつの間にやらドッグラン中の犬に顔を覚えられてしまった関係で、
いまではすっかり有名人。
ドッグランでの喧嘩の仲裁から、飼い主同士の諍いの仲裁から、
怪我の手当てから、時として拾い残したうんちの掃除まで。
そんなこんなで、いつのまにか犬のしつけ問題の相談なんてものを持ちかけられるようになって、
近所で手のつけられないやんちゃ坊主がいる、とあればだったらうちの犬と一緒に遊ばせましょう、
とお友達づきあいが始まり、ぎっくり腰で散歩にいけないおばあさんの犬を迎えに行っては散歩に付き合い、

なんてことをしているうちに、どういう風の吹き回しか、
あるいは、どこかの犬の飼い主が裏で手を回したのか、
いつの間にやら俺の元にもそんな話が舞い込んで、
そしていつの間にやら、
給料は二倍で残業なし。必要と在れば自宅勤務もOKなんて会社から声がかかることになった訳で、
少なくとも来月の家賃の支払いやら犬の餌代、などに頭を悩ます必要だけはなくなった訳だ。

これもまさに、犬の恩恵、という奴なのだろうか、といまだに首を捻っている次第。


アッパーウエストサイド・ストーリー ~ アッパーサイドのドッグ・ウィスパラー

Posted by 高見鈴虫 on 07.2013 犬の事情   0 comments   0 trackback
72丁目のドッグラン。
リバーサイドドライブの公園の入り口を入っただけで、
響いてくるその吠え声から誰が来ているのかたいていは察しがつく。
生垣の間から目を凝らすと、ラリーにローリーにディディーにダーダー。
いつもの面子が顔をあわせては、
おっ、誰か来るぞ、と首を伸ばしてこちらの見ている。

ドッグランに足を踏み入れたとたん、そんな犬たちが、待ってましたと一斉に駆け寄って来て、

やあやあやあ、元気だったか、とやりながら、
尻尾だけでは足りないとばかりに腰そのものをくねらせては、絡み付いてくる。

そんな犬たちを前に腰を下ろして犬の目線にあわせると、
どいつもこいつもこれ以上なく甘えた顔で、耳を伏せて瞳を輝かせては、
これでもかとばかりに顔中を舐め始める。

そうか、そうか、元気だっか、よしよし、良い子良い子。
囲まれた犬たちにもみくちゃにされながら、そうそうに挨拶を終えて立ち上がると、
さあ待ってました、と身構える犬たち。
かばんの中からボールを取り出した途端、
もう我慢ならない、と言った風に、ぴょんぴょんと飛び跳ねるもの
くるくると回り始めるもの、興奮を抑えきれずにワンワンと吠え始めるもの、
あるいはすでにドッグランの彼方まで走り去っているもの、
とまさに大騒ぎである。

がしかし、そこでひとつの流儀がある。

全員、お座り、と号令をかける。

はい、あんたもあんたも、お前もお前も、君も僕も、そこの奴、そっちの奴も、おい、お前、気が早すぎる、早く戻って来い。

という訳で居並ぶ犬たちを一同にお座りさせて、ひとりひとりの顔を見渡す。
まあまあ、どいつもこいつもまるで弾けるようなその笑顔。
たまにちょっと落ち着きのない奴、気の強そうな奴弱そうな奴、
あるいはお座り、を知らない奴、なんてのがいると、
お前、そう、お前、お座りしないとみんな待ってるよ、とやれば、
たいていの犬はそれで、え?ぼく?と周りを見渡して、
そして、うれしそうにみんなに合わせてお座り、をしたりするのだ。

はい、お座り。そう、これがお座り、と裏返した手を前に添えるSITのジェスチャー。
判った。これがSIT。いいね。

という訳で、みなさん、そおおおら、取って来い、と投げ上げたボール。
まるで弾かれたように一目散に走り去る犬たち。
立ち上る砂埃と唸り声と吠え声が響き渡り、まさにスクラムになっての争奪戦。
そんな中から、ボールを咥えて得意そうに肩をゆする輩の周りを、
ちぇっと舌打ちをしながら、あるいは、よーし、次だ次だ、と走り回りながら、
あるいは、端からボールをゲットしようなどとは考えてもいないくせに、
みんなと一緒に走り回っているだけで満足、という小型犬まで、
とりあえずは、みんなはしゃぎまわっている。

戻ってきた犬たちに、ふたたびお座り。
と言ったとたん、たいていの犬はそれでボールをぽろり、と落とす。
あるいは、俺の膝に押し付けて、そして撫で撫でを催促する。

そんな犬たちの頭を身体を十分に撫で回して、
さああ、次、行くぞ、と言った時にはすでに犬たちは一目散に走り去っている。

という訳で、少し遅れて、やあ、どうもどうも、とやってくる飼い主達。

まさにウエストサイドのドッグウィスパラーですね、と褒めているのかけなしているのか。
うちの子はもうここに来るとあなたが来るのを待ちわびているんですよ。
うちの犬はあなたにボール遊びを教わったようなものだ。
これだけ遊んでもらえれば家に帰って素直に寝てくれるはず、いやあ大助かり。

いやいや、僕はたた犬たちに喧嘩をしてほしくないだけの話なんですよ、と俺。

みんなで仲良く遊ぶことを学んでもらえば、このドッグランでの悶着も少しは減るかと思って。

とそうこうするうちに、こぼれたボールをかっさらったが最後、ドッグラン中を逃げ回る黒いラブラドル。

おい、それ寄越せ、と追いかける犬たち。
返せ返せ、反則だ、と吠え立てるビーグル。
わけもわからず回りではしゃぎまわっている奴ら。

おい、デキシー、またお前か、と大笑いする飼い主たち。
ああ、ごめんなさい、またうちのが、と駆け出す飼い主のジャネットさん。
いやいや、大丈夫、追いかけちゃダメですよ。それが楽しくなっちゃいますんで。

という訳で、やんちゃなデキシーは放っておいて、

みんなおいで、と声をかけながら、バッグの中からまた新たなボール。

おおお、まだあった、と驚いて駆け戻ってくる犬たち。

さあおいで、はいお座り。はいお手。よしよし、みんないいか、そら行け。

そうこうするうちに、すごすごと戻ってきたデキシー。

なんだよお前、ボールどうした?とやれば、いきなり駆け戻ってダメ、それはわたしのボール、とがんばっている。
判ったよ。でもそんなことやってるとみんなと遊べないよ。
へーん、いいよ。わたしはわたしのボールで一人で遊ぶから。

そんなデキシーは放っておいて、また別のボールで取って来い。

長いボール、短いボール。右に左に投げ分けて。
慌て者がずるをしないように、のんきな奴や小さい犬にもボールが取れるように、
と公平にボールを取らせてやっていると、不思議と犬たちはいつか自分の番が回ってくる、
と悟って、素直にボールを返すようになる。

ほら、デキシー、お前にだって投げてやったのに。

それが判ると、そんなデキシーのようなへそ曲がりもいつしかみんなの仲間。

そらデキシー、行け、と走り始めたデキシーのちょうど鼻先に落ちるぐらいにボールを投げてやれば、
待ってました、と飛びついたデキシー。
まさに得意満面になって帰ってきて、はいお座り、とやったとたんにぽろりとボールを落とす。

フェアであること。どの犬も分け隔てなくかわいがること。
ボールを投げる前にお座りを必ずやってもらうこと。
さあボールです、とやりながら必ず視線を合わせること。

これだけでも犬の人間とのコミュニケーション能力は飛躍的に伸びる。

そんなみんなのパーティに、ひとりで入れないでいる内気な子供たちにも、
そら、とフェイントでボールを投げてやったとたん、いきなりに慌てふためいて、
くるくる回って大騒ぎしながら、いままでの寂しげな表情が一挙に花開いて大爆発。
喜び勇んで駆け回って、そしていつしかみんなの仲間入り。

普段から飼い主に出来合いされているわがままなスポイルド・ドッグも、
これまで幾たびもの辛い思いを重ねてきたシェルタードッグたちも、
どうにも他の犬となじめない臆病さんも、子犬も老犬も、大きいのも小さいのも、
血統証尽きから雑種から、問題児から自閉児から乱暴者からひょうきん者から、

さまざまな犬たちがまさに一同となってボールを追いかけるうちに、
いつしかみんながお友達。

こうして一緒にボールを追いかけた犬たちの中には、しっかりと仲間意識が目覚め、
ひとつのボールを分け合って遊ぶための社会性を学んでいく。

我が犬のそんな姿にまさに目を輝かせる飼い主達。

いままで一度として笑ったことのなかった我が犬が、はしゃぎまわって泥だらけ。
まるでまぶしいぐらいの溌剌さで走り回る様に、夢中になって写真を撮りまくる飼い主たち。
あるいは、そんな姿に思わず、嬉し涙を流すひともいる。

がしかし、俺は別に犬をトレーニングしている訳でも、なんでもない。
俺はただ、犬たちに喧嘩をしてほしくないだけ。傷ついてほしくないだけ。
他人の犬も自分の犬も、みんなみんなで幸せになってほしいだけ、なのだ。

パピーミルの檻の中で、来る日も来る日も子供を産まされ続けてきたココ。
やせ細った足腰で走るどころか立つことさえもままならず、
腹から長く垂れた乳房が地面にこすれそうで、みるからに痛い痛たしかった。

スタンダード・プードルのトビーはそのでかい図体に似合わない臆病者で、
子犬の頃にひどく噛まれてしまって以来、他の犬が近くに寄るだけパニックを起こして逃げ回るか、
あるいは時としてアグレッシブに、あるいは、腰を抜かして震え始めてしまっていた。

長年をシェルターの檻の中で過ごしてきたバクシーは、ドッグランの入り口で怯えきったまま立つことさえできなかった。

前の飼い主に苛め抜かれて瀕死の状態でレスキューされた過去のあるピットブルのローザ。
フリーウエイの真ん中をさ迷っていたドロシー。野良犬だったバクシー。片足のラッキー、片目のトート。

さまざまな過去を抱えた犬たちが、いまこの72丁目のドッグランで、今にも弾けそうな笑顔とともに夢中になってボールを追いかけている。

そんな飼い主たちに、ありがとう、本当にありがとう、とたびたびに礼を言われる。

うちの子が、あんなに惨めだったうちの子が、こんなに幸せそう子になれたなんて。
まさに奇跡を見るようだわ。それもすべてあなたがトレーニングしてくれたお陰。どれだけお礼を言っても言い切れないわ。

いや、お礼ならこちらの方からすべきです。

あんなにひどいことになっていたこの子をよくぞ勇気を持って引き取ってくれました。
本当だったら今頃殺処分にされて灰になっていたところを、
あなたの勇気によってこの子が救われたんですよ。お礼はこちらから言うべきだ。
この子を救ってくれて本当にありがとう。

俺にとっては他人の犬も自分の犬もない。
血統証付も雑種もない。
すべての犬は俺の友達。
そいつが犬である以上、俺は分け隔てなく愛し尽くす。

なんてことを言っているのだが、実はその理由は他にある。

つまりはなんといっても我が家のブー君である。

このまったく手のつけられない乱暴者であったブー君。

一時はドッグラン中の端つまみで、犬と観れば見境なく喧嘩を仕掛けて大騒ぎをやらかしていたこの超問題児。

この極道者の親としては、俺自身がそうやって他の犬と仲良くすることこそが、
この超問題児を新たなトラブルに巻き込まれることを防ぐ最良の方法なのだ。

という訳で、全身砂まみれ涎まみれのブー君。

さあこっちおいで、とベンチの隣に座らせて、頭を撫で身体を撫でお腹を撫で鼻先にちゅっちゅっちゅ。

そんな様をうらやましそうに見つめる他の犬たち。

そう、ブッチは俺の犬。だから頼むからこの子とだけはトラブルを起こさないでね、と暗黙の宣言な訳で。

という訳で、72丁目のドッグラン。

ウエストサイドのドッグ・ウィスパラーは今日も顔中が涎まみれな訳である。

VAMPS@ROSELAND

Posted by 高見鈴虫 on 08.2013 音楽ねた   0 comments   0 trackback
雪の日曜日、ROSELANDでVAPMSを観たよ。

この時代にまったくありえねえってぐらい、
あまりにまっとう過ぎるぐらいにストレートなROCK。
その心意気に本当に打たれる。洗われる思いがする。

いまさらながらHYDEくん、格好いいなあ。

でも、隣に立った時、ちょっと、えっ!?とするほど小さな人だったのに、
いざステージにあがった途端、まるで巨人!

そう、ことステージの上では
実際の身長とでかく見えるか、はまったく別問題。

つまり存在感、というか、自信なんだよね。
つまりは、人間としてのスケールがそこに映しだされるってことなんだなあ。

ちゅう訳でHYDEくん。

輝きまくっている。

この人のステージ姿を見るだけで、
素直に感動する。格好いいなあ、いい男だなあ、と心底感動する。


で、驚いたこと、HYDE君、痩せてる・・・
もろにSIX PACK。
もう40半ばだろ?ありえねえ。。

というわけで、じつは心底恥じ入った次第。

やっぱさあ、ロッカーである以上、
絶対に必要最低限、痩せてなくっちゃなあ、と思う。

そして、太ってるか痩せているかは、年齢ではない。

つまりは、気合だ。

中年太りは、ただたんに、気合を失った人間の言い訳に過ぎない。

痩せるぞ、と心の底からまじめに誓った訳だ。

これからはHYDEの写真を机の前に張って、座右の銘とすることにした。

くっそ、負けないぞ~!と握りこぶしをあげてしまった日曜日の夜。

HYDEくん、ありがとう。あなたの姿に力を貰いました。

Vamps.jpg



色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 ねたばれそのいち

Posted by 高見鈴虫 on 09.2013 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
へええ、と思った。
で、わりと面白かった、というのが正直な感想。

で、これまでの村上春樹作品の自己パロディ、
あるいは、LITTLE BIT OF EVERYTHING ってとこなんじゃないのかな、と思った。

大筋的には「羊をめぐる冒険」のパロディ。

で、登場人物にまあ色々な作品からの脇役さんたちを茶目っ気まじりに登場させてみました、
という奴で、
映画の中に、その監督やらスタッフやら、あるいは過去の作品からのキャラがちゃっかり紛れ込んでいる、
なんていう悪戯を思い浮かべてしまった。

ただ、羊はそれこそもろにチャンドラーのぱくり、というよりパロディーで、
ロバート・ミッチャムやらエリオット・グールドの代わりに
村上春樹をおいてみたらこんなになっちゃいました、的なところなのだが、
今回のこの「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」において、
主人公は死なない。あるいは、またニヒルに「喪失」の中に戻っていく、ということもない。

つまり、和解、ハッピーエンドな訳だ。

うへえ、っていうか、なんか村上春樹、ついについに、ひよったか、というところなのだが、
まあそう、その程度の軽い作品、ってことにしたかったんじゃないのかな、と。

なので、なんとなく、総集編というよりは、パズル。
あるいは、これまでの作品の種明かし、としてとても面白かった訳だ。

で、もしかして俺とおんなじこと言ってるひといるのかな、
とWEB上で書評なんてのを見てみれば・・・・

なんと、なんと、酷評と、こけおろしの嵐・・・(笑

主人公に感情移入できない
こんなのが売れてるなんて信じられない、
やら。
まあいつもの奴なのだが、ぶっちゃけそれって、
つまりは本がバカ売れで儲けまくっている村上春樹の成功に対する妬み嫉み嫉妬、に過ぎないんじゃない?
という気もする。

で、あらためて、だから違うって、と思わず。

そしてそんな酷評・こけおろしをしている人々に声を大にして言いたい。

あんたら村上春樹なんてひとにいったいなにを期待しているんだよ、と。

少なくとも村上春樹は「先生」でも「教祖」でも「政治家」でも、
「父」でも「友達」でも「恋人」でもない。

彼にとってものを書く、ということは仕事、つまりお金を得るための手段なのである。

商業手段として物を書いているプロに対して、
それ以上のことを求めても無駄だし、
そんな的外れな要求やら期待に応えなくてはいけない義理も責任もない。

ちゅうわけで、

これまで、そのデビュー当時から一貫して「反村上春樹派」でありながら、
不覚にもやはり全ての作品を読まされてきてしまったこの俺が、
なにを血迷ったかこの後に及んで「村上春樹」の援護なんてことを試みてしまったりもする。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 ねたばれそのに

Posted by 高見鈴虫 on 09.2013 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
とりいそぎ、この「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」。

主人公のつくるはまあ相変わらず、というか、
つまり、社長の息子で何不自由ない主人公、ってこの設定。

これだけで現在の自分の設定に不満のある人々、
つまり、親が社長でなかったり、勉強ができなかったり、
専門技術を選択することができなかった人たち、
そんな不満分子の方々のコンプレックスを逆撫でするわけで、

そんな人々はもうこの設定を見ただけで、駄目だこりゃ、
つまり、「主人公に感情移入できない」となってしまうわけで、
つまりは反村上春樹派のほとんどがこれ、
「裕福な主人公」に対する感情的な嫌悪、つまり妬み嫉みなんじゃないの?
と思っている。

が、しかし、そう、この世界には色々な人々がいてしかるべきもの。

つまり、普通の人間である自分らとなんら関係の無いところで暮す人々、
つまりは日々家賃の支払いやら食事代やらローンの払いとかに四苦八苦する人々が、
なぬ?この主人公、金に一度も困ったことの無いんだって?ありえね~、
と思ってしまうわけなのだが、
事実そういう人もこの世にはしっかりと存在している。

で、そういう人々がいったい何を考えて生きてるのかな?
なんてのをちょっと覗き見てみたくないかね、
という、つまりはお話、というか、寓話というか、
御伽噺を御伽噺として楽しむための心の余裕がまずは必要なわけだ。

と言う訳で村上春樹の御伽噺。
村上春樹の原点は、フィッツジェラルドのギャツビーと
チャンドラーのLONG GOODBY。

それに日本的なアメリカ文化のパロディー版である、
アメカジというか、バブル時代のハマトラやらなんちゃってクリスタルに通じる、
銀座の「みゆき族」じゃないが、俗に言う「アイビー」的なおぼっちゃま文化的美意識が加わるわけで、
それが村上春樹の「色」である訳なので、その色=設定に、良いの悪いの言ってもしかたがない。

ちなみに「反村上春樹派」であったこの俺は何を隠そうその対極である裏ドキュン文化の人。
つまりは根っからの反体制気質。
不良の枠に嵌められることにさえもむかついた、まったくどうしようもない天邪鬼のひねくれもので、
周りを囲んでいたダチといえばご多分に漏れず暴走族やらヤクザ半分のチンピラやら、
行動派右翼やら過激派崩れやらとまったくろくなもんじゃない。
おまけに自身はパンカー気取りで革ジャンの襟立てて鋼鉄入りの安全靴。
ライブハウスで夜な夜な下手なドラムを叩いては
それがなにか特別なことであるような勘違いをしていた。

そんな俺のようなどきゅん系のアイドルはと言えば、
ストーンズとルーリードと矢沢と萩健とゲバラにウイリアム・バローズ。

セックスドラッグスロックンロールがこの世の至上という、
まったくどうしようもない溝鼠のような連中。

がしかし、誰になんと言われようがそういう美意識が変えられないのと同じで、
いまさらそのあたりのねとうよだ引きこもりだなんて奴らにどきゅん中年だ人間の屑だ、
と謗られようがまったく気にしない。

ましてやあの丘サーファーやなんちゃってクリスタルな糞がきども。
かつあげの餌にもならないお坊ちゃま系などはこの世に存在しないも同じ。
便所虫か、あるいはクラゲのような程度の人々であった訳だ。

なので、いまさらそんな相容れない美意識の持ち主に対して良いの悪いの言うのはもうそれだけでナンセンス。

だってさあ、とここで思わず拳を握り締める。

いいか、良く聞け。
村上春樹は少年ジャンプを読んでいなかったんだぞ。
男一匹ガキ大将どころか、明日のジョーだって読んでいたか知れたもんじゃねえ。
ってことは、だ。
缶蹴りだ銀玉鉄砲戦争だ、バスの窓から爆竹放り込んだり気にいらねえ餓鬼のちゃんりこ溝に落としたり、
どころか、ことによるとサッカーだって野球だって、やっていなかったに違いない。

ほら、クラスに一人はそう言うのいたろ?

いつも教室の片隅で皮肉な面をしてそんな俺たちをニヤニヤしてみていたやつ。
で、話しかけるとどもったり、とかする奴。

で、いたずらの相談なんてのを盗み聞きして先公にちくったりとかする奴。

こいつはつまりはそういう奴だったわけさ。

なのでそう、普通のがきども、つまり俺らのような健康優良悪餓鬼軍団にとっては、
本当の本当に嫌な奴だったと思うわけさ。

で、そんな嫌な奴に、隣の学校のやつらが攻めて来るがどうやって立ち向かうか、
なんてことを相談したって始まらないのと同じように、

いまさら、社会的問題に対するご意見だ、やら、シンパシーだ、責任だ、
やらいっても、なにひとつとしてなにも始まらない。

ああ、でも、ほら、僕はお坊ちゃまの秀才だから、つまりチミタチとはそもそも出来が違うわけよ、
と鼻で笑われるのがおち。

んだよあいつ、と男どもに舌打ちされながら、
そしてそんな俺達取り巻きの女の子たちからだって当然つまはじき。
クラス中から、なにこいつ、と眉を潜められていたそんな嫌な奴が、
が実はその女版、つまりはまたまたクラスの片隅で、誰からも省みられず、
化粧けもなく、まったく女として諦めきっているとしか思えない
地味系ダサ系のみるからに処女のようなおかっぱ頭の毛糸のパンツ、
みたいのと、ふふふ、と目配せしあってたな、なんてまさにげーもんである。

そんなどうしよもない究極的なダサ坊だった村上春樹に、
なにを問いかけたってまともな答えなど返って来るはずがないし、
そんなダサ坊のでっちあげるストーリーに、
クラスのアイドル、健康優良不良少年だった俺達が共感できなくても当然のこと。

そこをぜったいに間違えてはいけないのである。

ましてや、
そんな、嫌な奴に対して、
なにを間違えたか、人生相談を持ちかける、などまったくもってナンセンス。

あるいは、文学作品などに人生のマニュアルを探すように、

ねえ先生、で、俺はどうすればいいわけ?
やら、
あにき、俺に生き方を教えてくれないか、やら、
ましてや、
こうしてああして、って事細かに判りやすく教えてくれないか?
なんていう人々にとって、
この村上春樹本はもはやグロテスクなほどに徹底的に的外れ。
挙句に、
こいつの言ってることぜんぜん判らない。
意地悪すんなよ、もっと簡単に答えをくれよ、
ということになって、ますます欲求不満を募らせる、となるんだろうな、と。

と、そのように、今現在実際に不満や疑問の答え探している人々にとって、
この本は最悪だ。

なぜなら、この作者は誰も話しかけてこない教室の片隅で、
「喪失」なんていう自分のつくったイメージに勝手に酔いながら、
草原の真ん中の誰も知らない井戸の底で真上の青い空を眺めていた、
なんて風に思っちゃってた困ったちゃんなんだから。

そんな村上春樹に、
で、井戸の底に住んでいる人って、ご飯はどしているわけ?
トイレは?風呂は?寝るときは?雨降ったときは?

と現実的なことを言い始めるときりがない訳だが、
つまり、そう、その現実的なことを言い始めるきりがない設定の「謎」、
その謎を、まあまあ、そういうことはおいておいて、とやってしまうところが、
まさにこの人の持ち味な訳だ。

つまり、そう、繰り返すが、今、現在実際に切羽詰った不満や疑問を抱えてその答えを探している人々、
その答えは少なくとも村上春樹の中にはない(笑

もし今現在、そうした悩みを抱えているのであれば、
迷わず村上龍を読むべき。

全ての男は消耗品やら、55歳のハローワークではないが、
村上龍はそういった悩める子羊の人たちに対して、
それがまるっきり的外れであったとしても、
とりあえずはなんらかの答えを提示をしようと努力してくれている。
その答えに対して、同調したり、反発したり、と色々あるだろうが、
少なくともそういった直接的なリアクションがなんらかの原動力となる筈。

そんな親切丁寧な村上龍を人生の説教士、とするならば、

村上春樹作品はなんとなくコンピューターゲームに似ている、と思っている。

コンピューターゲームをやる人が、
そこに己の進路選択や、明日の食い扶持や、
あるいは、津波の被災者や、原発問題の答えを求めないように、
村上春樹の作品にそんなものを求めることからして間違いなのである。

すごくよくできたゲーム、
あるいは、愉快なパズル、
まあ頭の体操という奴で、というのが妥当なところ。

政治からも経済からも解き放たれた井戸の底の住人。
まあ坊主の孫の考えそうなところである、という訳で、

よって結論から言えば、この人の作品に腹を立ててはいけない、
ということなのである。

だって、僕はお金持ちの人々のためにお金持ちの人々の話を書いているんだよ。
お金持ちは怒らないものでしょ?で終わってしまうわけだ。

そうだよねえ。人間は不平等にできているんだからさ(笑

そんな作家に、少なくとも「責任」なんて求めることからしてナンセンス。

と言う訳で、改めてそういうスタンスから村上春樹の作品を読んでみる。

つまり、純粋にゲームを楽しむ感覚で、ということで。

そう割り切ったとたん、へへへ、この人の本は実はとてもおもしろいんだよーん、
ということに気づかされる訳だ。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 ねたばれそのさん

Posted by 高見鈴虫 on 09.2013 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
というわけで、ぶっちゃけ種明かしである。

一言で言ってしまうと、と一言で言ってしまえばあまりにもバカバカしいので、
その一言に至るまでにもうちょっとだけ薀蓄を並べさせてもらう。


1.「シロ」について。

シロはまあ言うなれば羊でいうところの「死にかけた先生」。
物語の中で唯一発言のない人。つまり実体のない存在。

で、この純真無垢の象徴たるところの白雪姫「シロ」をレイプしたのは誰か。

個人的には、どうせ「アオ」なんじゃないの?と思った(笑

でもアオは「クロ」が好きだったんでしょ?となるわけだが、
こういう絵に描いたようなジョック系が
実はレイプ事件の犯人でしたなんてのはまあ定番系かと。

つまりこれも刷り込みではないかとも思うのだがな。
なので彼の言う「クロ」が好きだったってのはブラフかと。
が、それだとなんとなく安いトレンディードラマっぽいよね。

だったら「アカ」か、ということになれば、
なら動機は?となるわけで、
ゲイである「アカ」が「シロ」を殺した理由が、
「つくる」に横恋慕した結果の嫉妬、だったりするとこれはもう
ただの昼メロネタになってしまうわけで、それも避けなくてはならないか。

と言う訳で、ま、作品的にはこれはもう、「悪魔」でしょう。

つまり、緑川の言っていた「悪魔」
つまりは、背中に星のある「羊」。

この「悪魔」がなにを象徴するか、はいつもの奴で書いてないのだが、
まあなんというか、絶対悪、というか、
人間の認知を超えた根源的悪=原罪みたいなもので、
そんな心の闇れはたぶん誰もが心の底に持ってるんじゃない?
それを適当に当てはめてみて、ってところ。

だとすると、犯人は全員だよ、となるわけで、
観念的には誰もが「シロ」的な純粋無垢な存在を抹消したがっていた、
つまり「シロ」を殺したのは「シロ」も含めた全員。
となるが、それではやはりなんとも落ち着きが悪い


なんて話を親しい女友達にしたら、ええええ、と驚かれた。

あんた・・・見かけによらず本当に鈍いよね、っていうか、
前から思ってたけど、あんたって本当にドンカンっていうかバカというか、
天真爛漫というか、判っているようでなんにも判ってないっていうか、

と、まるで俺がつくるであるようなことを言われた。

じゃあ誰?といえば、判るでしょそんなこと。すぐに判るよ、と。
じゃあ誰だよ、と言えば、言えないよそんなこと、でも女の子ならすぐに判ると思うよ、
だそうだ。

え、もしかして、産婦人科のオヤジ?と言ったとたん、
しらない、バカ、と言われてそっぽを向かれてしまった。

がしかし、
いざ俺の周りで一番身近の女の子であるうちのかみさんにその話をしたら、
じぇじぇじぇじぇ、そんなこと絶対無いよ、と一言。
気持ち悪い、だって家族でしょ?ないよ絶対、だそうだ。

それにもし産婦人科の父親であったとすれば、
それぐらい警察ですぐに判る筈でしょ?

だったら誰?

と聞けば、だから書いてないんだって。
つまり、犯人はこの世にはいないってことなんでしょ?
つまり「悪霊」それが正しいんだろうけど、バカみたい。
答えの出ない問題ばかりなんて、
なんかほんと、おちょくられている気がしない?
だからこの人嫌いなのよ、すごくイライラする、
というのもまあかみさんらしい意見。

つまりはまあ、好きに決めてちょんまげ、ということなんだろうが、
なんとなく、「心理テスト」をされているようでなんとも気味が悪いよな。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 ねたばれそのよん

Posted by 高見鈴虫 on 09.2013 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
2 クロについて

クロはまあよくいる世話焼きのやり手婆あ気質というか、まあ肝っ玉かあちゃん、
つまりは「母性」の人なんだよね、はいはい。

そんな「クロ」が「娘」と言うよりもペットとして可愛がっていた「シロ」が病気になって、
で、あたふたとする訳だが、娘がなぜ病気になったかと言えば、
その原因のひとつに「母役」である「クロ」からスポイルされ過ぎていたってことによるもので、
まあ遅かれ早かればっくれることが必要、
そうしなければ自分も共倒れになる、ことも判っていた。

クロも「母」であると同時に女なので、つまり自己防衛本能が強く、
よって娘を見捨てて自身が本当の「女」であり「母」になること、
つまりは自身の事情というかぶっちゃけ欲望を優先することを選ばざるを得なかった。

それを、あたし、やっぱあのこのこと見捨てたんだよね・・なんていまになって悩んでいるわけだが、
当然のことながら、育児だ家事だ苦しい家計だ旦那の収入がまた減った、やらやらの、
まあ俗に言うところの俗世界、つまりは普通の日常を支えるためのありきたりの修羅、の中に日夜追いまわされるわれる真の母は、そんな村上春樹的なあの頃妄想、というか、過去のたわごとなんてことをいちいち気に病んでいるような暇もない訳である。

そんなところにいきなりひょっこりと間抜け面をさらした張本人の「つくる」くん。
んじゃ、お前は、とはっきりいって口があんぐり、そして心底やれやれ、なんだこの極楽トンボのとっちゃん小僧は、と思った筈。

がまあいい。そうそういうこともあったにはあった。
まあお互いに若かったってことで、じゃね、と一件落着されてしまったわけだな、はい。


3、灰田について

灰田ってのはまあ言ってみれば、ソウル・メイトだよね。

で、男にとっての最高のソウルメイトはホモ、というのも
なんとも友達のいな過ぎた村上春樹的な世界観で頭を抱えたくなる訳だが、
実は正直、これまで何度かそれに類する体験、
つまりぶっちゃけ身近な男からいきなり告られたり、
あるいは酔ったふりして迫られたりなんて経験のある俺としては、
なんとなくあるある系のシチュエーションではあったりもする。

がしかし、友情に性欲=打算、を持ち込むのはもちろんご法度で、
5人組みの中に性欲を持ち込んではいけない、というルールになるわけだが、
実は蓋を開けてみたら誰もそんなこと守ってはいなかった。
みんながみんな頭の中はもう性欲でむんむんで恋の鞘当びしばしってことはよくある話で、
そもそも、女は好意、つまりは性欲を感じない男には、
実は一切優しくしない生物、というところが無きにしも非ずな訳であって、
なので、女が寄って来る、なんか妙にやさしくしてくれる、だけで、
実はこの女、やらしてくれんのかな、と考えるのが実は妥当なのだが、
そうずばり言ってしまうと女の顔が立たない、というか、
そこでお調子こくとすぐに、なにさ、ふん、とやられてしまうので、
気がつかないふりしてちゃっかりベッドに引っ張り込むか、
あるいは、引っ張り込まれないように気をつける、
というのも、ガキの時分に学んでおくべき大切な社会学習のひとつ。

なのだが、ここにひとつの盲点があって、つまりは女おとこである。

つまり見た目は男なのだが実は中身は女、つまり全てにおいて性欲が優先する打算系。

で、哲学だ、物理学だ、よく判らない音楽だ、なんてのも、
ホモがよくやる誘いの一典型。

童貞の僕はそれにさえも気づかないわけで、
もしや、と期待をかける灰田を、好き放題に振り回してることも本人はまるで気づかず。
まさに「僕」こそが白雪姫のような純真無垢さ、な訳だ。

で、この灰田。
こいつはもう自分がホモだ、と早々に判っている訳で、その意味するものについても十分に熟知している。
で、登場する灰田の父、と、そして緑川氏。

この緑川と灰田の父、まあ言ってみれば「羊博士」とドルフィンホテルのおやじ。
その論説から行くと、色が見える、ってのはずばりホモセクシャルのことだろう。

え?ってことは、彼の6本指の指とはつまりは「ちんちん」なんじゃないの?
なんてことになるといきなりすっげええグロい展開になるのだが。

で、そうなるとつまり、
緑川も灰田の父も、当然のことながら灰田もそして「アカ」も、
そしてたぶん「つくる」もホモセクシャルの素質むんむんな訳なのだが、
哀れな白雪姫である童貞のつくるはそれにさえも気づかない。

で、そう、灰田に至ってはこれだけ必死に粉をかけながら、
好き放題に振り回された挙句、
勇気を出して寝ている間にえいやあと咥えこんで見るわけだが、
いきなしその夢の中で女の名前を口に出されてしまって大失恋。
なにさ、ふん、と逆切れして大学を辞めてしまった、と。

なんかそう、そういうおんなおとこの弊害が割りと身近にある関係で、
割と笑えない、というか、そういう話、本当によく聞く。
でアメリカで暮らす村上春樹さんもそういう一見親切なホモホモ系に翻弄されているはず。

と言う訳で、そう、友情やらを餌に近づいてくるこのクラゲのようなホモ連中。
いやあ、あの、俺そんなつもりはぜんぜんなかったんだけど、
といったとたんに逆切れしていきなしいじわるモード全開、とか、
そういう自身の傷つきやすさを売り物にする連中ってほんとうにたちが悪い、と思っている次第。

あ、で、
あのなあ、いまさらながらだが、俺はずっと村上春樹ってホモにもてそう、というか、
はっきりいって彼自身、本質的にホモだな、と思っていた。

もともと「ねずみ」あるいは「J'sバー」のマスターにもホモセクシャルな匂いがむんむんであった訳で、
つまい今回の作品はそのカムアウトでもあったのかな、と思ったりもする。

いまさらそれがいいの悪いの言う気もないのだが、
がしかし、「シロ」と「クロ」の合体形であったソウルメイトの「灰田」がホモってのがもうなんともなんとも・・・
つまり、なんというか、村上春樹と言う人って、まったくどうしようもねえなあ、
つくづく少年時代に友達がいなかったんだろうな、と思ったわけさ。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 ねたばれそのご

Posted by 高見鈴虫 on 09.2013 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
4.沙羅

沙羅にはもうひとり男が居た、との描写で、あ、それはね、お父さん、
というのはなんとも陳腐過ぎる読み。

だって、もともとそれがお父さんで後ろめたいものがなにもなければ、
水曜日に返事する、なんて回りくどいこという訳ないし。

まあねえ、そこそこにいい女が40近くで未婚、となれば、
ま、それ、不倫でしょ、というのは世の常識。

なのでこの沙羅もずっとその歳まで生娘であった筈もなく、
つまりはファザコンの不倫女、となるわけだな。

が、この沙羅は、人生の先輩。つまり姉。

シロであり、またクロであり、そしてホモの弟を優しく包む「姉」でもある、という設定。

つまり、この世で一番まともな人、信頼できる常識人、という便利な役割ではある。

ご存知のように女の成長は男よりも早い。
そもそも生理学的にも差をつけられたところを持ってきて、
しかも年齢的にも上、となればその成長差はまさに歴然である。

つまり、年上の女は必ずと言っていいほど年下の男に対しては上から目線である。

既に自分よりもきつい現実にしっかりと向き合ってきた経験があり、
色々な男も見てきているわけだ。

この話で言えば、
シロである時期を行き抜き、クロのような人物も知っていて、そしてクロの役割もそつなくこなせる。
つくるのような男も、アカやアオや、あるいは不動産屋の社長や、産婦人科医のすけべおやじ、のような大人たちも、しっかり「男」として査定してきた経験があるのだ。

そんな自身の経験から、
男が実はそれほど強くもなく、理屈だけで生きている訳でもなく、
女のことだけで頭が一杯な訳でもなく、がしかし、女の子の気持ちについては驚くほどドンカンで、
そして性欲というのはまったく絶対的な力として彼らの存在を牛耳っている、
という現実をしっかりと判っている。

あるいはこれが判っているような女でないと年下の男としっかりと向き合ったりはしないし、できない。

つまりは沙羅はこの物語中唯一のちゃんとした常識人である訳だが、

現実問題としては、
不倫の深みに嵌って焦り始めた年増女が、
ちょろそうな年下の中年童貞もどきのとっちゃん小僧をひっかけてこの辺りで落ち着こうか、
と考えているのは誰の目にも明らか。

と言う訳でこの話。

哲学だ、巡礼だ、喪失だ、傷心だ、と眠たい御託を並べているが、それはすべてはったり。あるいは刺身のツマ。

この本に書いてあることといえば、

「童貞でなんにも知らない僕は高校時代、ホモのだちとおばちゃんねえちゃんに横恋慕されて、
で、本気でやりたかった白雪姫は実はオヤジにやられてすっかり男性不信。
ジョックの友人はくっそお俺はこんなに格好いいのになんでナヨ系に勝てないかな、
とやっかみながらも性欲むんむんでラグビーで発散、という関係を完璧な調和、だと思っていた。
で、そんな地方都市のしがらみにがんじがらめの奴等をぶっちして東京に出た途端、
それを逆恨みした白雪姫からレイプ疑惑をでっち上げられて仲良し友達にハブにされて傷心。
自殺を考えるがようやく立ち直ってできた友達は実はホモで寝ている間に一本抜かれたが、
ホモじゃないと判ったとたんにどっかに消えた。
そんな傷をぐちぐち悩み続けるとっちゃん小僧を、
不倫疲れの年増女が見事にたらしこんでハッピーハッピー、と」

とまあ、その程度の話だった訳だ。

果たしてこれのどこが巡礼なのか、という訳だが、
そうか、色がついてない、のか。

色彩の色とはつまり、色っぽいの色、俺の色が、と小指を立てるなんて表現方法が昭和には存在したわけで、
つまりは色彩の無いとはぶっちゃけ「童貞」ということだったんだよな、はいはい。

青春をはるかに過ぎてから、なああんだ、あんときのあれってそういうことだったのか。
くっそう、そうと判っていればやってりゃよかったな、なんてのは誰もが思うこと。

つまりは、童貞でなにもちんぷんだった少年が、16年も後になってあのときっていったなんだったの?
と聞いて回って、なあんだ、君も僕としたかったのかあ、俺は童貞だったから全然判らなかったよ、で終わる話なのであった。

つまりさあこれ、まあ誰もが通る道なのだろうが、それを40前になるまでくよくよし続けていたこのいたいけなとっちゃん小僧。で、そのとっちゃん小僧ぶりを「喪失」やら「傷心」やらと勘違いしてしまうことこそが、
まさに村上春樹ワールドの真髄であるなあと。

これが村上龍だったら・・・

クラブで知り合った高校生同士がエックス食っては乱パー狂い。
らりらりの陶酔の中でこの俺たちって完璧な調和、とか倒錯してるうちに
穴さえあれば前も後ろもあるいは男でも女でも同じだ、と三つ巴四つ巴。
面白半分のSMごっこが癖になっていまはしっかりその手のお店でがんばってます、
なんて話になるのだろうがな。

と、そんな話がノーベル賞?ありえないでしょ、と細く笑うのであつた。

じゃな

ユダヤ人という人々 そのいち

Posted by 高見鈴虫 on 11.2013 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback

ユダヤ人とは、ぶっちゃけ屁理屈の人である。

ああ言えばこう言うを繰り返してなかなか一筋縄ではいかない。
そしてそれをゲームとして楽しんでいるところがある。
確かにお喋りではないユダヤ人もいるのかもしれないが、
少なくとも俺の周りのユダヤ人は一様におしゃべりである。

いつ何時でもなにかを喋りたくて溜まらず、
なにかを喋りたいが為に、
人種を問わずなんやかやと話しかけてきては、
一度話し始めるとそれが停まらない。
付き合わされる方としては好い加減辟易してくるのだが、
ユダヤ人はそのおしゃべりを止めたくないがために、
白を黒、と言い張って、なぜならば、と持論を展開する、
つまりは話をこね始め、
その論説に自身で酔っている、ようなところがある。

が、そんなユダヤ人の特質は、
こと、私のような単独移民にとっては、
絶好の英語の先生となる訳で、
なんだかんだでユダヤ人の知人ばかりが増えていく。

と同時に、ユダヤ人の特質に芸術への偏愛がある。
文学・音楽・絵画から始まって文化的な憧憬が深いため、
普段はやっかいなおしゃべり野郎であっても
その手の話をするとなかなか面白い。

がしかし、そんなユダヤ人との付き合いの中で、
ガツーンと来るのは、まさに小銭である。
ユダヤ人は小銭の人である。
それが例え1セントであっても、絶対に譲らないところがある。

一緒に飯を喰いに言って、楽しいお喋りのあとに、
さあ支払い、という段になると必ず揉める。
たかだか10セント20セントの違いで、
いちいちウエイターを呼んで、小銭に両替させる、
なんてことも始める訳で、
面倒くさいから俺が奢るよ、と言うと、いやそれも駄目だ、
と言い出す。

彼らにとってはそれがまさしく「正論」なんであろうが、
みっともない、というか、まあ、面倒くさいのである。

この小銭魂こそが、守銭奴だ、ケチだ、嫌なやつらだ、
といわれる所以なのだが、
ユダヤ人の誰もが自ら認めるように、彼らは金への執着心が強い。
つまりそれを止め様にも止められないのであって、
そんな小銭の悶着をやはり楽しんでいるようなところがある。

と言う訳でこのユダヤ人。
金にがめつくてああ言えばこういうを始めると白を黒と言い張り始めるこのユダヤ人。

当然のことながら、のほほんと生きている、
あるいは、生きたい、と望んでいる人々にはなかなか厄介である。

で、思わず、だからお前らは嫌われるんだよ、となってしまうのだが、
それはそれ、そう、ユダヤ人であるのだから仕方が無い、
とニヤニヤされたりする訳だ。

ユダヤ人という人々 そのに

Posted by 高見鈴虫 on 11.2013 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback

ユダヤ人というのは、人種ではない。
ユダヤ人とはユダヤ教を信仰する人、という意味であって、
それは血筋ではない。
なので、見かけからこの人はユダヤ人だ、と判断することはできない。

オーソドックス、と言われる厳格なユダヤ教信者は、
あの黒い山高帽にもみ上げのクリクリから、あの葬儀屋のような黒いコート、
と一目で判るのし、
あるいは、ヤマカ、と言われる旋毛のあたりに乗せるあのコースターのようなもの、
をしているのを見て初めて、ああお前もユダヤ人だったの?
と判ったりもする訳だが。

がしかし、このヤマカ無しには一様に外見だけでユダヤ人を判断することはできない。

アラブ系か、と言えば金髪もいるし、イタリア人かと言えば、南米系にも見える。
鼻がでかくないユダヤ人も眼鏡をかけていないユダヤ人もいるし、
ましてや黒人さえいる。

つまり普通のユダヤ人は一見してただの普通の人なわけである。

つまりはそれ、世界各国に離散した長い流浪の歴史の中で、
流浪先の現地人との混血を繰り返した結果に血が混ざりすぎ、
見た目、つまりは人種では判断がつかなくなってしまった、
というのが理由なのだろうが、

そういった理由から、ユダヤ人は異人種間との結婚にも  がない。
周りの友人で、日本人男子が「外人」と結婚している場合、
その相手が大抵はユダヤ人であったりもする。
あるいはユダヤ人以外のカップルは得てして長続きしない。
つまりなんだかんだ言って、日本人とユダヤ人は気があったりもするのだ。

がしかし、ユダヤ人との結婚。
その行く末は、というと、これが大抵は離婚である。
その理由はと言えば、実は教育問題であったりもする。
子供が成長をするとある時期を境に猛烈なユダヤ教育が始まる。
見た目は日本人でも結構。食べるのは日本食でも結構。
ただ自身がユダヤ人であるということを忘れずに、という奴である。

で、コーシャーも喰わず、ヤマカもクリクリでもない日本人とユダヤ人の混血の子供。
がしかし、なんか知らないがやはりどこかでユダヤ教についての知識がしみこんでいたりする訳で、
そしてしいて言えば、
子供が物心が付いてきたあたりになると、必ず離婚する。
で、子供はユダヤ人が引き取る。
つまり、正式なユダヤ教育を施すため、なのではないか、と思う。

なんかそう考えると、ユダヤ人はとりあえずいろんな人種のユダヤ人のコレクターなんではないかな、
と思ったりもするわけで、これぞ世界戦略、などというつもりはないが、
まあまあおかしな人々であることは確かなようだ。

ユダヤ人という人々 そのさん

Posted by 高見鈴虫 on 11.2013 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
理知的で社交的で芸術に造詣が深く、
がしかし小銭にうるさく、ああでもないこうでもないと屁理屈ばかり並べる、
というこのユダヤ人。

で、そんなユダヤ人の作り出す文化。
映画から文学から音楽から絵画から、
その捻りの効いた作風が割りと好みだったこともあって、

まあ面倒くさくはあるが、しかし飽きない、という意味では、
彼らはまあ絶好の暇つぶしの相手、あるいは、英語の先生である。

ニューヨークを別名ジューヨークというように、
ニューヨークにはユダヤ人が多い。

そのユダヤ人の中にも色々いるのだろうが、
まあ俗に言う、ポーランド系、つまりは東欧系と、
そしてキューバからの移民である、ジューバン系に大別される訳だが、
そんな人々が集まったニューヨークのアッパーウエストサイドに暮すようになって、

これまで俺の抱いていたニューヨークのイメージに、
そんなジューヨーカーの人々からの影響が色濃いことに改めて驚かされる。

俺にとってニューヨークのイメージと言えばこれ、
ウッディ・アレンの映画・マンハッタンのポスターである。

manhattan-woody-allen-dvd-review-poster2.jpg

映画そのものはあまり好きではなかったが、
このポスターにある風景こそが俺が、死ぬまでに一度はニューヨークに住んでみたい、
と憧れた風景でもある。

ニューヨークに来るまで、この景色はブルックリン橋、
つまり、この風景は、ブルックリン側のウイリアムスバーグ方面から、
マンハッタンを遠望している、つまりこの主人公はブルックリンの住人か、
と思っていたのだが、それは違う。

この風景こそはまさに、SIMON & GARFUNKEL に 歌われた、

FEELIN' GROOVY ~ The 59th Street Bridge Song





このタイトルが示す、
アッパーイーストサイドのサットンプレイスにある小さな公園、
そこからクイーンズボローブリッジを眺めた風景なのである。

以前、マレーヒルに住んでいた当時、
チューダーシティーから国連の前を抜けて、
サットンプレイスの坂道を上がって
そしてこの59丁目の公園でタバコを吸いながら一休み、
というのが定番コースであった。

ちなみにこのお散歩コース。
その途中では、各界著名人、音楽家から作家から映画俳優から財界人、
まさに色々な人を見かけてきた訳だが、
一番有名なところでは、まさにあのビル・クリントン元大統領。
友人宅を訪ねた帰りがけで、
さすがにボディーガードたちに囲まれていたのだが、
まだ子犬であった我が家の犬がそんなボディーガードの足元をすり抜けて、
銀髪長身でまるでタンポポのような姿であるビルクリントンの足に飛びついてしまった、
なんてこともあった。
その長身を屈めて、おおおパピーパピーと可愛がって貰って、
ついでに握手もしてもらったりしたのだが、
もしもそれがジョージ猿ブッシュやらカール・ナチおた・ローブやらディック=ちんぽこ・チェイニーであったら、
迷わず、噛み殺せ!と命令してたところだろう。

で、このアッパーイースト、及び、アッパーウエストの川沿いのエリア、
こそがまさにユダヤ人のゲットー街であった訳で、
後にそんなユダヤ人の方々の巧みな宣伝工作に拠って、
このゲットーの地価がみるみる高騰。
いまや世界に誇る高級住宅街地域と変貌した訳で、
世界各国のスーパーVIPさえもが暮す地域。

そんなこんなでユダヤ人はやはり商売が上手い。



ユダヤ人という人 そのよん

Posted by 高見鈴虫 on 11.2013 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
犬の事情でアッパーウエストサイドに引っ越してきた訳だが、
正直言って最初の数年は非常に居心地が悪かった。

まずおいしいレストランがない。
まあ、もちろんあるにはあるのだが、それが全て高い。

そしてことアジア飯、つまり日本食や中華に限って言えば、
全て外人向けのなんちゃって系ばかり。
値段が高いだけでまったく喰えたものではなかった。

で、仕方なく、近所のスーパーに食材を調達に行くのだが、
やはりこの近所で言えば、フェアウェイ。
コーシャーとまでは言わないまでも、
ユダヤ系の色の強い食材を扱うスーパーで、
しかたなしにここに通っては本日のお惣菜なんてのばかりをおかずにしているうちに、
いまでは我が家もすっかりユダヤ飯のファンになっていた訳だ。

がしかし、そんな中、やはり最も気に入らなかったこと、と言えばその住人である。

このアッパーウエストサイド。
なんだかんだ言ってやはりいまだにユダヤ系住民が多く、
新参者のほとんどが金融界系。
あるいは遠方から遊学に来た御曹司あるいはお嬢様。
つまりはお金持ちな人たちであった訳で、
そもそも典型的なダウンタウン人であった俺にとっては、
この金持ち達の鼻持ちなら無い態度がなんとも我慢がならなかった。

その最もたるものがその視線である。
つまりすれ違いざま、あるいは、なんのかんのと話しかけられながら、
その目にあるものはまさに相手を査定、つまりは値踏みする目つきである。

で、いまになってよくよく聞いて見れば、
このユダヤ人という人種。
人と見れば一瞬のうちにその人の年収を言い当てる、
あるいはその能力比べをしているところがあって、
陰口ではないのだが、いまここに居た人、何やってる人かね、
つまりは、どのくらい金もっている人か、
なんて話を始める訳だ。

つまりユダヤ人の間では、自分が何をやっていて、
資産がどれくらいあるのか、をいかにして吹かすか、
あるいは誤魔化すか、あるいは正直に言うか、
がまさにそのスタンスなのであって、
正直、そういう目に晒されるといたたまれなくなるほどの資産しかない我が家にとっては、
その査定視線はまさに茨の筵、つまりいちいち癪に障った訳だ。

がそんなこんなでこの地域にも4年が経とうとしている。

一概にユダヤ人、と言ってもまあ色々いることもわかってきて、
年収の高い人も低い人もなんだかんだで表向きは仲良くやっている。

犬の付き合いから始まってそんなご近所付き合いをする間に、
一生に渡って働く必要の無かった御曹司の方々やら、
政治運動に明け暮れて世界中を放浪した後にいまは亡き親の遺産で喰いつなぐ道楽者。
成功したミュージシャン、成功し得なかったミュージシャン。
舞台役者、自称作家、自称芸術家
一時の興隆からいきなり奈落の底。元バンカーでいまはドッグウォーカーなんてのも居て、
まあユダヤ人も色々な訳である訳だが、まあなんだかんだで面白い。
いかにも一昔前までのニューヨークの立役者たちと、
夜な夜なドッグランに集まっては昔話に更ける、と言ったところか。

ユダヤ人という人 そのご

Posted by 高見鈴虫 on 11.2013 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
お喋り好きのユダヤ人。
人と見ればもうそれが誰であろうと何人であろうとなんやかやと話しかけてくる訳だが、
そんなユダヤ人とも、絶対に話題にしてはいけないことがある。

それこそはまさに、パレスチナ問題である。

ユダヤ人のその陽気そうな外見の裏には、
ヨーロッパをナチスに追われて命からがら逃げてきた人々のその悲喜劇と、
そして、その後、希望の地であった筈の約束の地に辿り付いた時から始まった
この目を覆うばかりの醜い悶着の数々。

まさに憎きナチスから逃れて来たユダヤ人が、
かのパレスチナではすっかりナチ化している、という訳で、
そのうちガザにガス室でも作るんじゃないのか、というのも笑えない冗談である。

つまりこのパレスチナ問題こそが彼らの心の奥底に潜む暗い部分な訳である。

家族のヨーロッパからの逃避行劇がなんとなくドラマチックかつ雄弁に語られるのに対し、
このパレスチナ問題に関しては、まさに現在進行中の泥沼。

そしてその原因がまさにユダヤ人の身勝手なシオニズムにあったことは、
当のユダヤ人も熟知している。

パレスチナ人から言えば、いきなりヨーロッパから逃げ出して来たユダヤ人を、
哀れに思うばかりに軒を貸してやっていたとんに母屋を取られてしまった訳で、
そんなにバカバカしい話はないのだが、
その無茶苦茶な話をまずは肯定しなくてはいけない、というところから、
例の、白を黒と言い張る詭弁に詭弁を重ねることにより、
結果、世界の戦後はまさに茶番的殺戮の巷になって来た訳だ。

その張本人たるユダヤ人。

その心中はいかなるものか、と言えばまさに後ろめたさ、の嵐であるかと思う。

と言う訳で、普段は理知的で社交的で洒落とペーソスに溢れたユダヤ人が、
ことパレスチナの話題となるといきなり豹変。
そしていきなり感情的に持論ばかりを並べ立てては、
ふん、バカたれ、なにも知らないくせに、と横を向いてしまうことになる。

まあ、確かに、パレスチナの人々がそれほどまでに素晴らしい人々、
という気もない訳だが、パレスチナ=悪、という刷り込みもされていない俺としては、
そんなユダヤ人の頑なさこそがこの問題の根源と思えるのだが、
なんど言ってもそこだけは譲らない、譲れないものがある、と言ったところ。

と同時に、かの911に関しても、
ねえねえ、あれやったのは伊豆の人々でしょ?
だって羊追ってる蛮族にあんなこと考えられる訳無いもんね、
といくらいっても絶対に認めない。
やったのはアルカイダに決まってるじゃないか、と一点張り。
だから、と俺。
アルカイダは騙されただけで企画そのものは伊豆の人々でしょ?
で、バカな蛮族にまんまとそれを押し付けただけ、
だってさああ・・・と意地悪な質問を繰り返してもぜったいに真実は認めようとはしない。

普段であればそんな陰謀ネタの話にはいの一番に首を突っ込んでくる筈のユダヤ人が、
こと911の陰謀ネタとなるととたんに口をつぐむ。
しまいには、あんたの話はまったく理論性に欠けている、と怒り始め、
まったくナンセンスだ、なんあら証拠を出してみろ、とやたらとヒステリックになったりもする。

じゃあなんであの日に限ってユダヤ人はみんな事前に逃げ出してたの?
だからユダヤの休日だったからよ。
なんでアルカイダはそんな日をわざわざ選んだの?
馬鹿だからでしょ?
そんなバカがそもそもあんな計画を立てれるわけないじゃない?
そんなこと知ったことか。
じゃああんた911の日なにしてた?と始めれば、
あんたねえ、それは、とまた例の白を黒だ、と言い張る論法が始まる訳だ。

つまりそう、ユダヤ人の人々はあの日になにかが起こることを知っていた、
ということを10中八九確信しているわけだ。

まあどこまで情報を得ていたかは別として、彼らは何かが起こることを知っていた、
なぜ知っていたかというと、ということだけは絶対に言えない訳で、
それはまさに、身内の恥を隠し通そうという姿勢そのもの。
つまり、911のこともユダヤ人に聞いてはいけない。

つまり、そう、このユダヤ人と言われる人々、
あれだけ一日中話し続けながら、一番言わなくてはいけないこと、
についてはなにひとつとして語ってなかったりする訳である。

が、まあそれはユダヤ人に限ったことでもないのだがな。
  

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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