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ROCKを葬り去る前に その24 ~ 元日早々掟破りのチーズバーガーデラックスを食ってやった

Posted by 高見鈴虫 on 01.2014 ROCKを葬り去る前に ~ 大人のダイエット奮戦記   0 comments   0 trackback
歳も押し迫ってから、いきなりかみさんが、部屋の模様替えをする、と言い出した。
この本棚をこっちに移動して、この机をこっちに動かして、となると、
いちいち本棚の本から机の上の物やら中の物を一度外に出さねばならない訳で、
当然の成り行きから、これは要るのか要らないのか、という断捨離的な選択を余儀なくされることにもなり、
という訳で、正月のカウントダウンを挟んで我が家はもうひっちゃかめっちゃか。
本の半数はBOOKOFF用に売りに行く用の箱に詰める羽目にもなり、
元日は半日をかけてジェニーから借りてきたシュレッダーで古い書類の処理作業。
まるで新年早々に夜逃げの準備か来る2月の税金申告に向けての証拠隠滅か、
という大騒ぎをしていた訳で、まあいずれにしろろくな正月ではなかった。

がそんな中、実に去年のこの年末年始に量った体重測定の結果シートなるものが出てきた訳だ。

ちなみに2014年新年早々の体重はと言うと、134.2LB。

で、去年の1月1日はと言えば、実に146LBであったらしい。

11.8LBか、と思わず。

いまから思うと信じられない気もするが、たしかに29のJEANSがきつかったのも判る気がする。

という訳で、まあそう、今年もこの調子でがんばるか、というところな訳だ。

で、そうそう、それに悪乗りしてもうひとつ自分をいじめてみることにした。

つまりはそう、あまりにも月並みながら、禁煙である。

実は年末になってからタバコを買いに行った際、普段から愛飲しているナットシャーマンMCDってな奴が売り切れ。
で代わりにアメリカン・スピリットの黄色箱か、というとこになるのだが、そうなると新年をこの代替タバコで迎えることになる訳で、
それはそれでなんとなく嫌な気がした訳だ。
で、そう言えば、E-CIG売ってる?と言ってみたところ、ああ、これ、と出されたのが最近話題のエレクトリック・シガレット。

一本10ドルで400本分になるらしいこの電気タバコ。

そう言えばあいつもこいつも電気派に乗り換えたなんて話は度々聞いていたのだが、
部屋の中でも仕事中でも、下手をすればジムで走りながらでもタバコが吸えるんだぜ、
という訳で、ものは試しに、と買ってみたわけだ。

正直言って微妙な味である。
これならば吸わないほうがまし、というぐらいにまずい、とも思うがこの煙の薄い曖昧な電子タバコの蒸気、
であってもしっかりニコチンの禁断症状は抑えられるらしく、試してみると確かになんとなくタバコは吸わなくても良いようでもある。

でどうせなら、今年はこれで禁煙でもしてみっか、ということになって、そんなこんなでなんとなく禁煙をスタートすることになった。

今年のリゾリューションはダイエットと禁煙かあ、と思えば、あのなあ・・・と改めて苦笑い。
そんなことよりも今年は転職、そして引っ越しってのも控えている訳で波瀾万丈の一年になることは必至。

ダイエットだ禁煙だ、なんてことよりも先に、まずは元気を出さねば、と思う訳だ。

ちゅうわけで、元日早々に誓い破り。

フェアウエイの二階のカフェで、思い切りチーズバーガーと山盛りフレンチフライを食ってやったぞ。

ぐへえ、美味い、美味すぎる!

これをギルティ・プレジャーと言わずしてなんと言おう。

ってな感じに、お正月だぜ、うっしっし、と妙に幸せな気分になっていたのでした。

「The Best of Youth」 邦題は「輝ける青春」というらしいwww

Posted by 高見鈴虫 on 02.2014 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
この年末年始の休みを利用して、長らく宿題になっていた映画を観ることにした。
英語名で「The Best of Youth」

これまでざまな方面からお薦めされていたのだが、
イタリアのTVシリーズが元になったファミリードラマとのことで、
連ドラ嫌い・TV嫌いの俺にとってはまさに鬼門的な作品であった。

しかもその長さ6時間、とある。
大切な友人から薦められた映画は最初から最後までみっしりと見切る!ことを心情としている俺としては、
6時間まるまる集中できる機会というのは早々とある訳ではない。

という訳、この何も予定のない年末年始、
この機会を逃しては、とばかりにえいやあとNETFLIXで取り寄せてみることにした。

てな感じでこの6時間の長編である。
DVDで言えばまさに3時間づつの2枚分。
でありながら、まさに見始めた途端に完全に持って行かれてしまい、
見終わった途端に思わずまた最初から見始めてしまったりを繰り返し、
結果、この年末年始はすっかりこの作品にどっぷりと浸りきって過ごすこととなった。

という訳でこの「The Best of Youth」
作品としてはもう、映画はこれでしばらく打ち止め、というぐらいにとてもとてもすばらしい。
まさに重厚な長編小説を一本丸々読みきった後の満足感に匹敵するものがあったのだが、
実は物語の中の超重要なファクターの意味が判然としない部分がいくつか。

こちらのDVDで観た関係で、つまりはイタリア語のセリフを英語訳の字幕で観た訳なのだが、
それが字幕を読み過ごした為なのか、あるいはその翻訳に問題があったのか、
と、2度3度と見直すことにもなって結果的に非常に後を引く作品となった訳だ。

しかしながら、解説によれば元々は膨大な長さのTVシリーズであったところを、
劇場公開用に大幅に編集にをくりかえしたとのことで、
作品の中の不明瞭な部分は実はそれが原因なのかな、とも思い返し、
と同時に検索の過程でこの作品が日本でも岩波ホールでの6時間のマラソン上映も含め、
公開時には相当に話題になっていた作品であることが判明。
その邦題がなんと「輝ける青春」であったらしい。
おっとっとwww
この題、もうちょっとなんとかなんないか、とも思ったが、さすが日本、やる時はやる。
ってことは、俺の抱えた謎について、もしかして日本語訳だったらもうちょっとましな解釈もあるのかな、
とWEB上でレビューを漁ってみたのだが結果としては、まあ何語で読んでも判らず仕舞い。

その謎とは、まあぶっちゃけ、マテオの自殺の理由である訳なのだが、
この主人公の自殺の理由という一番重要なことが、この映画では明確に描写されていない訳で、
それは字幕なしのイタリア語で見ても同じらくし、つまり作品としてそのことは明らかにされていないのである。

なんだそういうことか、なのだが、それってちょっとあまりにも???でない?
という訳で、これだけの作品でありながら米国サイトの評価がいまいちなのは、
つまりそれなのではないかな、とも思う訳だ。

が、しかし、まあそう、その判然としないマテオの自殺の理由なのだが、
なんとなく判るよな、と思ってしまうと、そうなんとなく判る。
と言うか、まあ言ってみれば判る過ぎるぐらいに判る。
つまり、俺もお前も、餓鬼の頃ってそうだったろ?と、そうつまりは共感指数なのである。

身近な人間に自殺された経験のある者なら判るであろうが、
つまりあいつがなぜ自殺なんかしやがったのか、というその理由に関しては永遠の謎であることが多い。

遺書があろうがなかろうが、わざわざ自殺をせねばならなかった理由はいつも判然としないものであって、
と同時に、じゃあなぜ俺達が(こんな状態でありながら)いまだに生きさらばえていなくてはならないか、
という明確な理由さえも存在しないことにも通じるものがある。
とそんなような曖昧な生を、そして死を生きている俺達にとっては、
生きる理由がはっきりしないのと同じように自殺の理由も判然としないもの、
結局は、自殺した当人さえその理由が判っていたのかな?
なんていう曖昧なところで落ち着いてしまって、
結果、その答え永遠に見出せぬまま、残された人々の心の中で堂々巡りを繰り返すことになる。

先日どこかの誰かが、
すべての自殺は、何物かに対する抗議、つまりはあてつけである、
なんてことを言っているのを読んだ覚えがあるのだが、
いきなり唐突に、大した理由もないままにそういう当て付けをされた人々、
つまりはこの世にとり残された人々にとっては、
事あるごとにそのことを思い出しては永遠に解けぬ謎についてまさに一生に渡って苦しむことにもなるのだがな。

という訳で改めて、マテオの自殺の理由である。

彼がゲイであったから、やら、自分を責めすぎる内向的な性格の、やら、少年期の潔癖さの、やら、
挙句の果てに、重度中二病の為に社会と上手くやっていけなかったから、などともっともらしいレビューが多かった訳だが、
それは全てあまりにも共感指数に欠けた、あまりに優等生的、つまりはニコラ的な見方だ。

実は俺自身、多分にマテオ的なところがあった、と感じていた。
さすがに大学に入ってからはすでにもう少しこなれていたように思うが、
中学、そして高校時代はまさにあんな感じであったように思う。
そんな俺自身、ゲイでも自分を責めすぎているつもりも、
それほど潔癖な訳でも中二病をこじらしているつもりもなかったのだが、
しかし変人あつかいされることの方が多かったのも確かだ。

今になってみると、その理由さえも判然としないのだが、
確かに何に対しても苛立っていたような気がする。

敢えて言えば嫌なものはいやであって、
そうでないものを押し付けられそうになったり、
あるいは妥協して代替案をったりするぐらいなら、
何もないほうがましだ、と突っぱねてしまうところがあった。
学校の勉強には疾うの昔に興味を失っていたが、
だからといって自分がバカだと思ったことは一度もなく、
むしろこんな下らない勉強を続けさせられている奴らは、
余程頭が悪いか、ただのへたれだ、と思っていた。
その割に、妙にいつもなにかに追い立てられるような焦燥感を感じていて、
そしてそうでない者たちをみると無性に腹が立った。

そんな俺の焦燥を共有できない人間達と、
面白くもないテレビの話題で空騒ぎをしたり、
どうでもいい女とどうでもいいおまんこをやっているぐらいなら
むしろ一人で本を読んだり音楽を聞いたりしている方がなんぼかまし、
と思っていたのも確かだ。

そんな青春時代を送っていた俺にとっては、
つまりはマッテオのあの偏屈ぶりはむしろとても自然に思える。

それが為に、あの始めて恋に落ちた女・ジョルジアを救い出せなかったこと、
その徹底的な無力感と挫折の中で何もかもを放り投げてしまい、
自分自身を全面否定した末に、まったく今までの自分の逆を打つ、
という暴挙に走った気持ちも判らないではない。
というか、俺自身、割りとそれと似たような状況に自分を追い込んでしまった覚えがある。

という訳で、作品の中で俺の関心はまさにマテオに集中する訳で、
こいつ、いったいどうするつもりなんだろう、と他人ごとではなかった訳なのだが、
そのあまりにあっけない最後を目の当たりにするに当たって、
あっちゃあ、やっちまった、とまさに、口があんぐり、頭真っ白の状態に放り込まれた訳だ。

まあつきなみな理解で言えば、
「体制側の番人として生きることの自己矛盾に押し潰された」と言うことである。

自己矛盾とはぶっちゃけやっていることと思っていることが違う、ということで、
そんなことを続けているうちに顔の右側と左側がまったくちぐはぐになってしまったりするわけだが、
俺も含めて回りにいるほとんどの人間が右と左の顔が違っているということは、
つまりはほとんど全ての人間達がそんな自己矛盾との葛藤の中で、
その不条理とある時は迎合し、ある時は敗北感を感じながら、
しかたがない、と諦めて生きている、ということなのだが、
俺も含めてある種の人間はそれがどうしても許せない訳だ。

がしかし、そんな人生のちぐはぐさは実に誰に話しても判って貰えるものではない。
説明しようにもしきれないまさに自己内のドグマ。
それを上手く説明できればそもそも矛盾になど陥らないだろうし、つまりは自分でさえもがその正体が良く判っていなかったりもする訳だ。

がしかし、そんなマテオであっても、
もしあの雨の夜、それを誰か、つまりはニコラに対してそれを伝えることができれば、
その後の彼は、腑抜けた、しかし幸せな落伍者として、ただの人の人生を生きることが可能であった筈だったろうし、
それはそれで妥当な選択であったのではないか、と思う訳だ。

と同時に、最後の夜にももしもミレラが電話を取ってくれていれば、
もしかしたらそんな弱音を吐くことによって生涯の伴侶を得たかもしれないのにと、
そのすれ違いの不運が悔やまれるばかり。

まあそうやって落伍を繰り返した俺的には、落伍すれば落伍したなりにその先も大変だ、
ということも判っているつもりなのだが、
幸か不幸かこれまで窓から飛び降りることもなしに生きさらばえていられるのも、
なんだかんだで誰かがどこかで上手い具合にガス抜きをしてくれていたということなのだろう。

という訳で、6時間もありながら、その抱えたテーマから人物描写からがあまりにも壮大過ぎて、
結果としてはあまりにも多くの事柄を詰め込み過ぎてすべてが中途半端、
下手をすると支離滅裂な構成にならざるを得ず、
通常の安い映画に見られるようなお手軽ななご都合主義とは程遠い、
言ってみれば現実そのものにとっちらかった物語展開にならざるを得なかったこの作品。

がしかし、現実がそうそうとご都合主義的にすんなりと片付けられるか、
というとそれはまったくそんなことは無いわけで、
その判然としない現実をできるだけその通りに映画に詰め込もうとした結果がこの収集のつかない展開になったわけなのだが、
まあ人生はそんなもの、とばかりにそのまま放り投げてしまったところもまたイタリア人的でとても好感が持てる。

がしかし、そんなあまりにもすっきりとしない、つまりは答えの出ない、出さないような映画でありながら、
このストーリーになぜにここまで感銘を受けるかと言えばつまりは登場人物たちの魅力である。

ぶっちゃけ、イタリア人ってほんとうに素敵だな、に尽きる。
あるいは、自身の人生を彩るその魅力的な脇役の方々を、そうやって素敵に思い描けることこそがまさにイタリア人の魅力なのだろう。

という訳で、正直この正月はほんとうにへたりきっていた。
まるで正月早々に魂の友を失った、というか、
年賀状メールの返信に古き友人が自殺を遂げていたことを伝えられたような、
そしてそんな魂の友の弔いの為に一人で悪酔いしているような、まるでそんな気分にもさせられた。

あの野郎、俺に一言もなしに、とは思いながら、がしかし、まあそれもあいつらしいよな、とも妙に納得もしてしまうわけで、
つまりはこの俺も、そういう終わらせ方もありなのかな、と正月早々縁起でもないことを考えてもいたのだ。

がしかし、
ああ、あいつか?なんか「輝ける青春」ってな映画を見てついに踏ん切りがついたみたいでよ、
などと言われることだけは避けたい、という気もしないでもない。


蛇足になるが、
もしかすると俺が今まで生きてこれたのは、あの憎んで止まなかった高校時代の、
その唯一信頼できた教師から言われたこの言葉であったのかもしれない。

いいか、嫌なことがあったときはな、宝くじを買うんだぞ。
少なくともそれでちょっとはやり返せた気がするだろうが。

マテオは宝くじなんか買わなかったんだろうな、とふと思った。
あのバカ、たかが宝くじ一枚買わなかったが為に、と笑ってやって欲しい。

MET OPERAでシュトラウスの「Die Fledermaus~こうもり」を鑑賞

Posted by 高見鈴虫 on 04.2014 音楽ねた   0 comments   0 trackback
正月モードの抜けきらない土曜日、
またいつもの奴でかみさんがメットオペラの当日格安券なるものを手に入れてきて、
シュトラウスの「Die Fledermaus ~ こうもり」をみることになった。

と言うのも、
昨夜降った雪にやられて犬が下痢をして、それを言い訳にああ寒い寒いとソファでごろごろしていながらNFLのWILDCARDを眺めていたら、
いきなしかみさんから、はい起きて、これからオペラに行きましょう、と言われたのだ。

オペラ?

ヨガから帰ってからどうも姿が見えないと思っていたらメトロポリタン・オペラの格安当日券をGETしてきたとのこと。

聞くところによるとこのメトロポリタン・オペラ。
パーシャルビュー席やらのチケットを当日になって格安で販売しているらしい。
しかもこのなんの予定もない大型連休。これ幸いとかみさんは午後になるといそいそとメトロポリタンに出かけてはこの格安券を仕入れてくる。
近所に住む特権という訳で、買い物の途中にちょっと立ち寄って列に並び、小一時間ほど周囲の人々とおしゃべりをしてる間に今夜のチケットをGET、
となるらしく、そんな事情からここのところ、訳も判らず立て続けにオペラを鑑賞をすることになったのだが。

もともとパンクロッカーであった俺がオペラ鑑賞など笑わせる、とも思うのだが、
楽器の演奏技術という職人芸的なところで言えばこれはもう最高域、というか、
少なくとも俺たちが新宿ロフトやらウエブスターホールなんてところでやっていたそれに比べると、
まさに名人・国宝クラス。
その一部の隙もない演奏というか、ぶっちゃけ、チューニングのずれていない楽器の音にまるで心を洗われるような気がする訳で、
普段の言動はいざ知らず、実は俺は隠れオペラファンであったりもするのである。


という訳で、この「こうもり」

この演目は言ってみれば大晦日の夜の定番となる訳だが、
この年明けも犬の散歩以外なにもしていなかった後ろめたさから、
NFLのWILDカード第一戦・CHIEFS VS COLTSの激戦を途中をあきらめて
昨夜降った雪が凍り付いてぐしゃぐしゃになった舗道をリンカーンセンターへ。

先日の魔笛と同じく、この演目も「英語」でやるらしい。
はあ、シュトラウスを英語で?
なんとなくあのドイツ語の響きがないと有り難味が失せるな、
とは思ってみたものの、確かにこのオペレッタ、
音楽そのものに加えてその演劇性というか、台詞回しも魅力のうち。

ちゅう訳でこの数日遅れの「こうもり」なかなか、というかとても面白かった。

がしかし、改めて思うにこの「こうもり」である。

今回の英語版の設定では、舞台は「1899年」のウィーン。
19世紀最後の、そして20世紀への幕開けを記念する大晦日の夜、
ロシア大富豪のお屋敷における大舞踏会に招待された伯爵貴族の方々の茶番劇を題材にした痴話話。

その豪華絢爛たる舞台設定からいかにもブルジョワジーな方々のなんとも能天気なお話し振りからして、
いやあ、貴族っていいよなあ、と思わず垂れよだれ、な訳であるのだが。。

最近、暇に任せてまた例の読書中毒の再発している俺。
ついつい余計な屁理屈が多くなってしまって困る。
で、このこうもりにおいても、、1899年?。。なんかおかしくないか。。
といらぬ口を挟むことになる。

だってさ、と思わずうろ覚えの世界史の知識を紐解けば、

この記念すべき夜が1900年だったとすると、その僅か15年後には、かのオーストラリア皇太子の暗殺事件を発端に、第一次世界大戦が起こるわけで、
ロシアの大富豪に至っては17年後の1917年にはロシア革命なるもののために、ロマノフ王朝は滅亡。一族郎党は揃いも揃って鎌と槌を前に皆殺しの憂き目に会う筈。
ということはこの喜劇の登場人物たち。シャンパン!シャンパン!もっとシャンパーン!なんて浮かれ騒いでいるうちに、
その数年後にはまったくとんでもない運命が待ち受けている訳で、それを言ってしまえばこれに勝る悲劇はなし、と言ったところ。

が、そう、そう言ってしまうと、
1881年にはすでに皇帝アレクサンドル2世の暗殺があった訳で、
この舞台の僅か5年後には血の日曜日事件が勃発。
ということは、時代はすでに舞踏会どころではないとんでもない状態であった筈なので、
その情勢を知っていながらのこの能天気ぶりというのはちょっとありえないのでは、と要らぬ気を回すことになって、
つまりこの時代設定を1899年にしたってのは、ちょっとあまりに無理があり過ぎないか?とも思ったわけだ。

ちなみにシュトラウスがこの作品を書いたのは1874年。初演も同年。
ものの本によれば各登場人物には微妙にその背景としての象徴的な意味が含められていて、
いまや没落を始めていたオーストリアの名家ハプスブルグ家と新興勢力であったプロイセン、後のドイツ。
そしてハンガリーの併合というわけで、もともとこのこうもり。
実はその時期の国際情勢を揶揄する実に政治的な意味合いが強いものであった、筈。

がしかし。。それはつまり初演であった1874年でのこと。
今回の舞台設定である25年後の1899年にはすでに国際情勢はますますのっぴきならない、ほとんど泥沼化の状況にあった筈なのだ。
という訳であらためて、1899年にウィーンのロシア富豪が大パーティ?ありえねえ、と思った訳なのだが。。。

がしかしである。
そういえばかのドクトルジバゴの中にもセント・ペテルスブルグで血の日曜日事件が勃発したその夜にも
ロマノフ王朝家では毎夜毎夜の舞踏会が開かれていたなんていう象徴的なシーンがあった筈。

かのマリーアントワネットではないが、パンをよこせ、という群集に向けて、パンがないならなぜステーキを食べないのかしら、
と言ってしまうぐらいに、特権階級の人々というのは世事に対して実はまったくなんの関心も持ってはない。
彼らがなぜ飢えているのか、どころか、なぜあんなに薄汚い格好をしているのか、と眉を顰めたりもする訳で、

そう、確かに、ドアの外一枚でなにが起こっていようが、まったくどこ吹く風で踊りを踊っている、というほうが、逆にリアリティがあったりもするのか。

という訳でそう、この貴族な方々である。

パンクロッカー上がりの俺もいつしか歳を取り、
幸か不幸か、そんな特権階級上がりのひとびと、つまりは自称勝ち組の人々に囲まれて過ごしているわけだ。

つまりは、飢えて汚い格好をした人々がなぜそれほど意地汚く汚れきっているのか、
さっぱり理解できず、知りたくもない、と言ったタイプの人々がほとんど。

格差だなんて信じられない。
富めるものがより富み、ルーザーが惨めになるのは当然のことじゃないか。
そうじゃない世界を知っているか?と俺の肩を叩く。
心配するな、お前はもう俺たちの仲間だ、とでも言いたげだ。

少なくとも俺がいままでいた世界からすると、いまにも目ん玉が飛び出そうなぐらいの高給を稼いでいる彼らが、
しかしまったくがっついた印象がないのは、上には上がいる、ということをしっかりと弁えているからだろう。

なあに俺なんかぜんぜん大したことない。世の中には俺よりもずっとがめつく意地汚い奴らがいくらでもいる、という訳だ。

という訳でそう、この世界大不況の真っ只中である筈の今日の今宵も世界のどこかで秘密の舞踏会が開かれている筈だ。
スポンサーは、中国のあるいはロシアの大富豪。
まったくうらやましい限りであるが、その存在をしらない俺には痛くも痒くもない。

あるいは、オペラの帰り道。この深夜の雪道の途中ですれ違った酔っ払い。
一日のうちファストフードの職場を二つも三つも掛け持ちし、
クリスマスも正月もなく働き続けてもろくにアパートの家賃すら払えない。
そんな奴らがこの街にはうんざりするほど居る、あるいは、ほぼ50パーセントの人々が実はそんな人々だとも聞く、そんな人々が、
くそったれ、こんな夜にオペラの帰りか、ふざけやがって、とくだを巻かれたとしても返す言葉もない。
あんたが大変なのは判るが、しかし、俺にいったいなにができるというのだ。
5ドル札でも恵んでやればいいのか?これでビールでも飲みな、とでも言って二コリと笑ってやれとでも言うのか。

という訳で、見上げる深夜の街。この週末が終われば来週からまた仕事に復帰だ。
あれをやってこれをやって、また胃がひっくり返るようなストレスを抱え込まされる日々が始まろうとしている。
がしかし、いやいや、まだまだ俺は休暇中なのだ、と必死の思いで頭のシュトラウスのボリュームを上げる。
そう、俺はそれどころではないのだ。
舞踏会もホームレスも知ったことか。俺は俺だけでももう精一杯なのだ。


「世界最速のインディアン」 まじ面白かった

Posted by 高見鈴虫 on 05.2014 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
古いダチから、すっげえ元気の出る映画観たよ、ってな話を聞いて、
さっそくNETFILXでDVDを取り寄せた。

「The World's Fastest Indian」 邦題は「世界最速のインディアン」

ニュージーランドのど田舎に住むスピード狂の爺さんが、
自作の改造バイク、それも年代物のジャンクマシンを担いで遥々アメリカに遠征に出かけ、
世界最速記録をおっ立てるってな話。

それはまさに目から鱗。

そっかあ、老後にはこういう生き方があったのだな。

あるいは、こういう生き方をするべきなのでは、と思ったわけだ。

つまりそこで描かれていた主人公の爺さん、むちゃくちゃ格好よかった。

生き方、というか、その生き様に美学を示してくれる、というタイプの作品を久々に見たような気がする。

また禅寺を復活するべきなのだな、と思い知った次第。

これで死んでやる、というものを見つけることがつまりは人生なのだ。

そしてそれは死ぬまで続く、死ぬまでになにかをやり遂げるということ。

俺はなにをやって死んでやろうか、と思わずわくわく。

ここ数十年袖を通すことのなかったダブルの革ジャンなんてものを引っ張り出してきてしまったぞい。

元気をなくしている人、騙されたと思って観てみてね。

国を問わず人種を問わず酷いものは酷い

Posted by 高見鈴虫 on 06.2014 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
なんたらYOUTUBEなんてサイトにリストで並ぶ日本の映画を観るたびに、

なんて酷い映画なんだろう、と辟易させられる。

まず脚本がおそまつ過ぎ。
なにが言いたいのかまったく判らず。
そしてその演出、というか、ぶっちゃけ役者の演技があまりにも下手すぎ。
編集のテンポが悪すぎて、
なにもかにもがすべてどしろううとの文化祭映画の枠を出ない。

もう日本は映画なんて作らなくてもいいんじゃないか、とまで思う。

なんてことを思っていたのだが、

最近、どういうわけかケーブルテレビにSHOWTIMEなんていう映画専門チャンネルが映るようになって、
で、このSHOWTIME。次から次へと一日中アメリカのB級C級映画が繰り返し流されている訳なのだが、
いやその酷いっていったら酷すぎる。

まず脚本がおそまつ過ぎ。
なにが言いたいのかまったく判らず。
そしてその演出、というか、ぶっちゃけ役者の演技があまりにも下手すぎ。
編集のテンポが悪すぎて、
なにもかにもがすべてどしろううとの文化祭映画の枠を出ない。

こりゃアメリカは映画なんて作らなくてもいいんじゃないか、とマジで思うことになった。

つまりそう、国を問わず言語を問わず、役者の人種を問わず、酷い映画は酷い、ということなのだろう。

どこぞのライブハウスでやっている糞バンドのそれとまったく同じということ。

つまりここアメリカでも糞バンドはやはり糞バンド。

白人だから黒人だから、上手い、なんてことはまったくぜんぜんない。


NEW YEAR NEW YORK! 2014年のニューヨークはシベリア日和

Posted by 高見鈴虫 on 07.2014 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
明けまして2014年。
今年は歳明け早々から大吹雪。
それが終わっていきなり春のようなぽかぽか陽気、
かと思えば次にきたのは極限のシベリア日和。
IPHONEの気温を見ればなんとマイナス15度!!

さしものブー君、この無敵のお散歩魔王でさえ、
アパートの玄関を出たとたん・・・むむむむ、と首を傾げて、
やばい、帰ろう、とそのまま回れ右。
あ、でも、おしっことかうんちとかして貰わないと会社行けないんですが、
とやれば、ちぇっ、しょうがねえなあ、とばかりに
アパートの前の舗道に出て、ちょーっと長い長いおしっこ。
で、ぶるぶる、と身体を震わせて、
はいはい終わった終わった、とそのまま逆戻り。
凍りついた舗道の上で足をぴょこたんぴょこたんといかにも冷たそう。
これを見てさすがに、今年の冬は寒い!と気がつくことになったのだが、
そんな中、いきなり吹き込む氷りの竜巻。
飛び込んで来たサイベリアンハスキーのワイリー。
もう身体中からハッピー光線びしばしでアパートのロビーを飛び回っている。
で飼い主のビリーさん、
まさにエベレスト山頂から帰ってきました、というぐらいに、
全身がうっすらと氷りに覆われ、髭からは真っ白なツララがいくつも垂れているではないか。
うへえ、どこ行ってきたの?と聞けば
もう朝も早くからセントラルパークだリバーサイドだと連れ回されて・・まじ殺されてしまう。。
とへなへなとそのままロビーのソファに崩れ落ちる。
で、ワイリーは、と見れば、まさに元気一杯!
いきなり飛びついて来て顔中を舐め舐め。
見れば身体中に氷の粒をぶら下げている。
この天気でもやっぱりワイリーは大丈夫なの?
ノオオオオ・プロブレム!だそうである。
まったく問題なし。寒くなればなるほど喜び勇んでそこら中を駆け回っているそうで、
そのうち馬の代わりに馬車でも引っ張りはじめそうな勢いだそうで。
さすがはサイベリアン・ハスキー。
南極北極お構いなしに元気一杯である。

としたところ、いきなり飛び込んで来た熊、じゃなくてセントバーナードのロージー。
ひゃっほー!とばかりに飛び掛って来るが全身まさに雪と氷の塊。
で、飼い主のブレンダさん。
ビリーさんの隣りにどさりと倒れこんで、寒かった~、死ぬかと思った・・と声まで震えている。
そんな気も知らずにいきなり始まるワイリーとロージーの行け行けダンス。
あのなあ、、と呆れて眺める凍死寸前の飼い主二人。

としたところ飼い主二人に抱えられたピットブルのジャック。
道の途中で動けない、ってしゃがみ込んじゃって、ここまで抱えて来たそうで重たいのなんの。。
見るからに気の毒そうに身体中をブルブルと震わせているジャック。
やれ心臓マッサージだ、水を飲ませろ、とまさに遭難者そのもの。
で続いて飛び込んで来たマリアンさんはダウンジャケットの首元からパピヨンの  を覗かせて
顔中が真っ赤っか。
駄目だった。がんばって公園まで連れてったんだけど、
下に降ろすどころか顔さえも出したがらなった、そうである。

まったくやれやれである。

そんな大騒ぎをちとーっと醒めた目で眺めていたブー君、
なにを間違えたかいきなりボールだ!とやり始めたかと思えば、
元気復活したピットブルのジャックと共に
カーペットの上をドッグラン代わりに飛び跳ね初めて大騒ぎ。

と言う訳でアパートのロビーは俄かに遭難者の避難キャンプと化し、
呆けた顔の飼い主達はそんな犬たちの狂乱をただ呆然と眺めている訳である。

「ROCKを葬り去る前に その25 ~ 王様ダイエット」

Posted by 高見鈴虫 on 07.2014 ROCKを葬り去る前に ~ 大人のダイエット奮戦記   0 comments   0 trackback

と言う訳でこのぺリオダイエット。
なんだかんだ言いながら着々と進んでいる。

今朝の計量ではついに131LBを記録。
目標だった120LB台も目前である。

がしかし、だからと言ってなんの苦労もしているつもりはない。
ただ、ご飯やらパンやらの代わりに肉やら魚やらのおかずばかりをたらふく食って、
デザートはアイスクリームやアップルパイの代わりにフルーツの盛り合わせ。
食事の前に飲む脂肪燃焼スープ。これが割りと腹に溜まって、
さしたる不足感もなく、至って健康そのもの。
なんだ、つまりはそういうことなのか、と思わず大納得。

つまりは、そう、肥満の原因とはぶっちゃけお米のご飯とパンだったのである。

確かにこれまでの俺は大飯ぐらいだった。
食事とはつまりはご飯を食べるものであって、
おかずはいかにご飯を食べるか、のための道具。

学生時代の貧乏暮らしの延長で少ないおかずで飯ばかり掻き込む癖がついていて、
今でも通常どんぶり二杯。
お米の一粒一粒にはお百姓さんたちの命が篭っているとばかり、
ご飯こそは日本人の魂、と言う訳で飯ばかりをがつがつと喰いまくっていた訳だ。

がしかしこの21世紀。
科学的な観点から見ればその少ないおかずで飯ばかりという清貧の美学。
実はその慎ましやかな姿勢こそが肥満の元凶であったというも皮肉な話である。

そしていま改めて思う。
ご飯ってのはまさに、エネルギーの塊りであったのだ。

つまりこれまで、苦しい食費をいかに抑えるか、という観点において、
いかに少ないおかずでこのエネルギー効率のやたらと良い魔法の栄養食・ご飯を身体に詰め込むか、
にばかり重点を置いていた訳で、つまりご飯とは究極の貧乏飯であった訳なのだ。

と言う訳で、この肉食ダイエット。
俺的には快適、というよりも、まさに珠玉である。
これまでダイエットと言えば、空き腹を抱えて始終惨めな思い。
力も出ずに今にもへなへなと風に飛ばされそうな、というイメージであったが、
このダイエット、まさに、連日連夜、肉を喰いまくり。
昨日はビーフ・ステーキ。今日はBBQリブ。明日は鶏の腿肉でその次にはハンバーグ・ステーキ。
飯もパンもしゃらくさいとばかりにそんなおかずばかりをまさに喰いまくっては王様気分である。

で、この肉食ダイエット。
さぞかし身体が重くなるかと言うと、実はそうでもない。
確かに食ったばかりにはズドンと胃袋に溜まってる、という気もするが、
食後の犬の散歩から帰ってみれば不思議と腹は収まっている。
が、空腹という感じでもない。
ご飯のおかずとしなければおかずはそれほどどぎつい味付けをする必要もなく、
ケチャップやらマヨネーズやらドレッシングなどという天敵の必要もまるで感じなく、
つまり後を引かないのであって、これまで食事の後になってもいつも感じていた口寂しい感も、まるでなし。

さすがにステーキ二枚やらを平らげた翌日は1LB2LB戻したりもするが、
翌日の昼飯を脂肪燃焼スープだけに抑えれば夜にはすでにすっきりとしている訳で、
体重計を見ればぬぬぬ、減っている、となる訳である。

こんなうれしいダイエットであれば一生続けてやる、という訳で、
いまとなっては、飯だパンだ、なんてそんな貧乏臭い物、食ってられないぜ、という訳で、
金が続く限りはこの調子でがんばろう、という気にもなってくる。

と言う訳で改めて、肥満は貧困の持病なのだな、と思う。

金持ちは肉ばかり食べているから太らない。
貧乏人は飯とチップスばかり食べてるから太りまくる、というこの悪のスパイラル。
改めてその縮図の残酷さを思い知る訳なのだが・・

てな感じでこの王様ダイエット、貧乏なデブどもには誠に申し訳ないが、
まさに絶好調な訳である。


「ROCKを葬り去る前に その26~ 132LBの壁」

Posted by 高見鈴虫 on 08.2014 ROCKを葬り去る前に ~ 大人のダイエット奮戦記   0 comments   0 trackback
さてさて、休暇が終わり再び出社生活。
とどじに昼休みのGYM通いも再開した訳だが、
改めてGYMの壁一面の大鏡に映った自分自身の姿、
え!?誰だこいつ!というぐらいにまで印象が変わって見える。

まず、顔が小さくそして細くなった。
そのぶんちょっと目鼻立ち、つまりは目や鼻の大きさの比重が変わり、
正直ちょっと若々しい感がある。
Tシャツの下からうっすら影が盛り上がっていた「ぼて腹の輪郭」も消え、
胸から下、Tシャツのすそまですとんと落ちている訳である。

そう、これだけでもかなりの進歩。
で、半ズボンの下から伸びた足。
なんか。。筋張って立て横に走る筋肉が良く見える。
つまりは細くなっている訳である。

まあシャツを脱げば、その下腹部及び脇腹のだぶつきは相変わらずなのだが、6PACKと言わないまでもどうにかこうにか真ん中の縦線が、臍を越えてパンツの中に消えていくところまではつながり始めたようだ。
GYMでえいえい、とやっている間にも、ことあるごとに、あれ膝が小さくなっているやら、脹脛が細くなっているやら、太腿の間に隙間ができたぞ、と色々なことに気づかされ、なによりも身体が軽い。
階段だって二段抜かしである。

まあ体重的にはたかだか15LB減な訳だが、俺の総体重との比率から言えばまさに十分の一にあたる訳で、そうか俺はこの1ヶ月で10分の一小さくなったのか、と思うと、なんだか変な感じである。
ということは、その15LB。つまり俺の十分の一はどこに行ったのだろう、と改めて思う。

が、そう言ってしまえば友人のアミール。
いまでこそ長身痩身のロマンスグレーおやじなれど、
その昔の写真を見ればまさに黒だるま。どこぞの力士と変わらぬ体系をしていたそうである。
それを食事制限とGYMでのジョギングによって、6ヶ月間になんと50LBの減量を成し遂げた男である、とのこと。
50LBの減量?
彼の体重比で言えば、まさに四分の一。
自分の身体が四分の一になるというのはいったいどんな感覚なのだろう。
それこそまさに週刊誌に載っているBEFORE AFTERそのもの。
事実雑誌の取材やらもやってくるほどのまさに奇跡的なダイエット成功例だったらしい。

そんなアミールの話と比較すれば、俺の15LB。十分の一、なんてぜんぜんまだまだだな、と思い知る。

そうとなれば俺も行けるところまで行ってやろうか、とも思う訳だが、
しかしここに来て、ちょっとした壁にぶち当たっている。

どういうわけだか会社に行くようになってから体重が増え始めた、
というか、132LBを前後として、いきなり進捗が止まってしまった訳だ。

一日座り仕事とは言え、朝6時に起きて地下鉄乗り継いで、という毎日は、少なくとも一日中家に居るのに比べて運動量は多い筈なのだが。

休暇時と変化があったと言えば、
家に居てはなかなか進まなかった筋トレを、会社に行き始めてから再開。
昼休みの時間を使って、腹筋から始まって胸筋背筋脇腹筋のトレーニングに加えて、時間が許す限り緩いジョギング、あるいは早歩きをやっている。
で、昼飯はと言えば脂肪燃焼スープにリンゴ。

食べている量からすると出勤ライフ時の方が量も少ない筈。
がしかし、ここに来て体重が132LB前後で行ったり来たりを始めた。

休暇時は朝夕の犬の散歩でほぼ3時間。
その代わりに昼休みのGYMとなる訳だが、
つまりはそう、犬の散歩の方が昼休みのGYMよりも運動になっているということなのか。

あるいは、筋トレによって圧縮された筋肉がつくために、
脂肪は減るが体重は逆に増える、という状況なのだろうか。

がしかし、休暇中に密かな楽しみにしていたGYM仲間との再会。
つまりはお披露目会な訳だが、これはまさに大成功。

あれえ、お前なんか顔が小さくならないか?から始まって、
年末年始にダイエットするぞ、ってなことを宣言していた連中からは、
凄い凄い、痩せてる痩せてる、と手放しを賞賛を頂きちょっと報われた気がしないでもない。

とそしてもうひとつ。

実はここのところ、ことあるごとに「青春が終わったな」と言うか、
俺のROCKはもう終わってしまったのだが、と諦め勝ちに鏡を避ける、という行為が習慣づいていたのだな、という事実に気づいた。

朝の歯磨き時から始まって、トイレの手洗いからGYMの鏡から、
鏡を見る機会があるたびに、やれやれ、なんだこのみっともない男は、と呆れていた、とのだな、という事実に気づかされた訳だ。

それがいま、鏡を見るたびに、え!?と思う。
あれ、痩せてる、やら、あれ、顔つきが違う、やら。

すっかりと負け犬根性のしみついていた俺、あるいは、その染み付いた負け犬根性に気づかされた、という意味でもこの減量はなんらかの役に立ったのではないか、とは思っている。

つまりROCKが嫌いになったというのは、自身が醜い中年太りである、という事実を思い出させるトリガーとなるためにあえて避けていたのではないか、という気さえもしてくるのだ。

嘗て、その無尽蔵にも思えた元気、やら性欲やらを持て余し気味であった少年達は、ROCKが無くては生きていけねえ、下手をすれば刑務所に入るようなことにもなりそうな程に元気一杯であった訳で、そしてROCKはそんな元気者たちのまさに必需品と同時に生命線でもあった訳だ。
ROCKが鼻につき始めた理由はつまりはその問答無用の元気さに対してであったのでは、と今になって気づかされる。

と言う訳で、どういう訳か無性にCLASHが聴きたくなる。
STONESが聞きたくなる。GUNSが聴きたくなる。
全て元気者たちのエネルギッシュな音楽。
その元気さを持て余した者たちが精神安定剤代わりに聴いていた、
聴かざるを得なかった、まさに元気の塊り的な音楽。

15LB体重を減らしただけで、そんなROCKが再び耳に馴染み始めたようだ。

春までには少なくとも学生時代の体系に戻したい。
道のど真ん中をジャケットの襟を立てては思い切り顎を上げて、
おらおら、どこ見てるんだ、PUNK ROCKERのお通りだぜ、そこのこそこのけ、などと粋がった様をまたやってみたいものだ、とまたまた年甲斐もなく不逞なことを考えている。

現在132LB。これは俺にとっての一種の壁なのだろう、と理解している。
がしかし。。まだまだだな、と気を引き締める。
こんなところでこけている訳にはいかない。

少なくともROCKERである限り、普通、で満足してはいけないのだ。
ROCKERである限り、ちょっと痩せすぎ、ぐらいであらねばならない。

と言う訳で、ROCKERである俺のハードルは高い。
少なくともあと10LBだな、と思っているわけだ。

KEEP ROCKIN'

「ROCKを葬り去る前に その27 ~ あらためて脂肪こそは現代社会の最大の超敵」

Posted by 高見鈴虫 on 09.2014 ROCKを葬り去る前に ~ 大人のダイエット奮戦記   0 comments   0 trackback
と言う訳で改めて脂肪って凄いよな、と思い知らされる。
まさにこの現代における最大の強敵。つまりは超敵な訳だ。
それをしっかりと直視し、そして立ち向かう必要がある。

今日、普通のものを食べている限りは必ず太る。

つまり現在、手にできる食品の全てが、農薬と成長ホルモンと抗生物質漬けにされ、
山のような防腐剤と添加物を加えられた工業製品である食品なのである。

不自然な手段によって大量生産された食品は当然のことのようにその捻じ曲げられた歪をその内部に宿している。

つまりいままでのようにいままでと同じものを食べているだけで太るのである。
おばあちゃんの知恵袋はすでに通用しないのだ。

今日のアメリカにおいて最も一般的な食事といえばファストフードである。
このアメリカにおいてもっとも一般的な食事をしていると、死ぬほど太らされることになる。

映画「SUPERSIZE ME」を見るまでもなく、例えばマクドナルドのセット・メニュー、
つまりチーズ・ハンバーガー一個にフレンチフライにコーラー。
この小腹をちょっと満たすぐらいの量しかない安価な定食セット、
がしかし、これのカロリー総量を、例えばジョギングで消化するにはなんと3時間走り続けなくてはいけないそうだ。

そんなまるで爆弾のようなエネルギーの塊りを食事にしてしまった途端、
つまり、ハンバーガーを二つにフライとコーラーをスーパーサイズ、なんてのにしてしまうと、
まさに3時間4時間、全力疾走をしても消費できない超絶的にな糖質を体内に取り込むことになる。

マラソンの選手でもなくして現実的に4時間も5時間も走るなんて無理。
結果、余剰分はすべて脂肪として蓄積されていくわけで、下手をすると一日三食分の余剰エネルギーを次から次へと身体に貼り付けていくことになる。
それに加えて、チップスである。
ポテトチップは言うに及ばず、ドリートスからバター一杯のポップコーンから、まさに・・・・!!!!・・・・。
そしてデザートはアイスクリームである。甘い甘いパウンドケーキ、あるいは、アップルパイがあればもっとよい。
赤青黄色のジェリーも付けて、まさに幸せ一杯。

つまり、このアメリカでは普通に暮していると必ず太る。

高カロリー低価格旨い安い早いの俗に言うファストフード・チェーン。
ぶっちゃけマクドナルド、あるいは全米中の津々浦々にまるでゴキブリのようにはびこるファストフード・チェーン店がその元凶である。
そんなファストフードでの一食ごとに本来人間が必要としているエネルギー分のまさに5倍10倍の余剰脂肪を蓄えることになる訳で、
つまりはこの米系ファストフードチェーン店の進出する土地ではまさに伝染病のように、間違いなくこの肥満という現代病が蔓延していくことになる。


なぜマクドナルドはこれだけ叩かれながら太らない食事を開発しないのだろう。
あるいは、コカコーラにしたって、DIETだZEROだとやりながらその内情はコーンシロップやらなにやらと、まさに毒、つまり肥満を増幅させるものばかりである。
俗に言うTVディナー。冷凍ピザから冷凍ステーキプレートから冷凍ブリトー、冷凍パスタ、
全て安くて手軽で、そしてなにかの間違いか、というぐらいに太る要素がぎっちりと詰め込まれている。

それを少しでも気にした人々は、「LIGHT」やら「LOW」やら「DIET」やら、とその看板にばかり吸い寄せられるのだが、LIGHTにLOWにDIETにするために、いったい何がなされているのか、誰も知る由が無い。
下手をすればそれが逆効果、つまりは表面的にカロリー値は下げているが実際は糖質をはね上げている、なんていうおかしな状況にもなるわけである。

改めて、アメリカの食品業界はなぜそれほど人間を太らせたいのだろうか。

これはなにかの陰謀なのであろうか。

ここにきて、既にアメリカ国民のほとんど全て、
ざっと見、地方都市ではほぼ95%。都市部でも70%が、
押しなべてデブ。
下手をすれば階段を登れない、どころか、自力歩行が無理、
なんていう障害者もどきのやからがごまんといる訳だ。

ここまでしてなぜ食品業界はその現実を直視しないのだろう。

がしかし、このマクドナルドを震源として、

例えば糖尿病の患者が増えれば増えるほどに医者や薬品業界は儲かる。
デブを対象としてオーバーサイズのSUVが売れる。
GAPからバナリパから、アメリカの服は押しなべてそのサイズが曖昧、というよりも1インチから2インチはそのサイズがでかいサイズを規定、と主張している今、つまりは人口のほとんどを占めるそんなデブの人々を普通人の基準とする新規格が必要になるに違いない。

つまり、人間自力で歩けなくて当然。糖尿病は持病で普通。
毎日がばがばと薬を飲み、自分の力では尻も拭けず風呂にも入れず、
そんな人々がまさにグローバル・スタンダードとなりつつある。

これはまさに国中を巻き込んだ狂気と言ってもよいぐらいである。
そしてこの先、この肥満狂騒曲はアメリカを震源にますます響き渡り、いずれは世界中を席巻するはずである。

現にアメリカへの経済依存が高い国ほど肥満度が高い。
メキシコ、コスタリカ、パナマ、
あの中南米の国々が、みるみるとデブばかりである。

そしてこの現象こそがアメリカン・スタンダードになる訳である。

戦い続けなければ、と思う。

この時代において、暴走するグローバル資本主義へのアンチテーゼとなる筈である。

あるいは、この先、世界規模でこの肥満を原因とした病気が蔓延し、
そして、ダイエット産業が必需産業となる筈である。

「電子タバコ」

Posted by 高見鈴虫 on 10.2014 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
そう言えばここ二週間、去年のクリスマス頃から実はタバコを吸っていない。

タバコを吸っていないからと言って別に禁煙中という訳ではなく、
実はタバコを電子タバコに切り替えただけの話なのである。

と言う訳でこの電子タバコである。

タバコの形はそのものながら、金属の筒である。

先端部分、つまり通常タバコの葉がつまっていたところがバッテリーとなり、
フィルターにあたる部分は「テイスト」となるニコチン入りのカートリッジ。

電子的に蒸気を発生させ、その蒸気と一緒にフィルター部分のカートリッジ内の「テイスト」つまり香り付きのニコチンを「煙り」として吸い込む。

その味について美味しい不味いはもう敢えて言わない。

それはまったく別物。
生ピとオルガン、ドラムとシンドラほどの違いがある。
つまり、動作は似ていながら出てくる音は全然まったく違う訳である。

なのでここで良いの悪いのは言うつもりはない。

どちらが良いか、など最初から回答は出ている。
電子化されたとたんにそれはまさに安価な代替品、つまりまがい物に過ぎなくなる。

唯一の良い点としては、タバコを喫うためにいちいち戸外にでる必要が無い。
ニューヨークの冬、とくに今年は大寒波の襲来で窓の外は凍え切った突風が吹き荒れている。
そこにいちいちでかけて身体中を震わせながらタバコを一本ふかし、再びエレベーターにのって自席に戻る、
という馬鹿馬鹿しい反復をしなくても済む。
ぶっちゃけ仕事をしながら机にはりついたままでタバコを吸える、という訳である。

机のPCにはUSBのリチャージャーが刺さっていて、これで電子タバコのバッテリーを充電している訳だ。

なんともおかしな時代になったものである、とつくづく思う。

がしかし、この電子タバコ。
長らくニューヨーク市長の座に居座り続けたブルームバーグの最後っ屁のように、
任期終了直前になってNY市の議会はこの電子タバコも一般タバコと同じように、公共の場所での吸引を違法とする法律が通ってしまった。
施行は4月からになるわけで、今はちょうどその法の抜け穴の時期。

この糞不味い電気蒸気をわざわざ外に出なくてはならないようならば本当のタバコを吸うか、あるいはそのまま辞めてしまったほうが得策な訳である。
つまりはそれをちょっと期待しているところもあるのだが。

と言う訳で改めてこの電子タバコである。

金属の筒はタバコに比べてちょっと重い。つまり咥え電子タバコ、という訳にはいかない。
で、この先についたライトを見ながら、すぱぱぱーとすう訳で、タバコの葉を燃やして出る煙りのかわりに蒸気を吸引する訳だが、
その煙りをなるべく逃さないがために、割と深く吸引して、肺に溜め込み、そしてうっと我慢してみたりもする。
で、その肺に溜め込んだ煙をうっと我慢をするとき、なんかこれ、前にもさんざんやっていた覚えがあるぞ、と思いつく訳だ。

ぶっちゃけそれはマリハナの吸引方法と同じである。
いがらっぽさを消すために、水パイプなんていうご大層な高級品を使っていたこともあるが、そうこの電子タバコまさにその水パイプの感じ。

これをオフィス内でやるというのはなんとなく、うっしっし、とちょっと悪い子ちゃん気分。
なんとなくやり返した気にもなる。

ローリング・ストーンズにやさしさの本質を見る

Posted by 高見鈴虫 on 10.2014 音楽ねた   0 comments   0 trackback
年明け早々、かさむ仕事につくづく嫌気が刺してきて、
思わず久方ぶりにローリング・ストーンズなどというものを聴いてみた。

なにやらまさに染み入るように聞き入ってしまう。

なんてやさしいバンドなんだろう、と思う。

やさしさは、猫なで声でなよなよと慰めごとをいうことではない。
つまり傷ついた人がまた一人で立てるように元気をあたえてやることなのだろう。

それを言ったらストーンズはまさに元気の塊り。
まごころの塊りだな、と思い知る。
やっぱストーンズだな。
時代がどうあろうが流行すたりがどうだなど知ったことか。
もうストーンズしか聴きたくないなとつくづく思った。

「ROCKを葬り去る前に その28 ~ ダイエットの弊害」

Posted by 高見鈴虫 on 11.2014 ROCKを葬り去る前に ~ 大人のダイエット奮戦記   0 comments   0 trackback
体重的にはここに来て硬直状態。132LBの上下1LBを行ったり来たりしているのだが、ダイエット開始から15LBが減って身体はとても軽くなった。
やれ小顔になった腹がへこんだ、という見た目的な問題もさることながら、この身体がちょっと軽くなったというのはとても嬉しい。身体が軽くなるということは気持ちも軽くなるということ。
頭が軽くなってはまずいのだが、まさかダイエットで脳味噌が軽くなるということもないだろうし、まあ良しとしよう。

がしかし、実はここに来てダイエットの弊害というか、困った問題が起こっている。

ぶっちゃけの「便秘」である。

ダイエットを始めてからと言うもの、大きい方の回数が極端に減った。
下手をすると三日に一度、ぐらいの便通しかない。
以前、発芽玄米を食していた時にはまさに一日3回も快適な便通があった訳なので、
この便通の激減、さすがにちょっと気味が悪い。

がしかし、だからといって始終便意に悩まされているやら、したいのに出ない、という状況ではない。
つまり催さないのである。
ぶっちゃけ食べたものは全てほぼあまりなく完全に消化・使用し切っているという状態なのかな、と思うのだが、
それにしても、である。

水を飲んでいる?とよく聴かれる。
もちろん水は飲んでいる。便秘に気づいてからは普段よりもずっとずっと多く飲んでいる、つもり。
それによって小さい方は下手をすると一時間に一度、あるいは30分に一度も小便に立つことになるのでやたらと面倒だ。
しかもその小便、まさに脂肪燃焼スープのあの玉ねぎエキスそのもの、というような強烈の匂いがする。

これがデトックス効果という奴なのであろうか、とは思うのだが、それにしても強烈な匂いである。
そしておなら。このおならがまた臭いの臭くないのって、つまりはそう腐った玉ねぎの匂い、そのものである。

ということは、とふと考える。
つまり俺の今の体臭、もしかしてこの腐った玉ねぎの匂いそのもののような、
強烈な体臭を発しているということなのだろうか。

とふと、GYMを上がった際、ふと汗に湿った運動用Tシャツなどを拾い上げて見ると・・・うーん、臭い。
そうもろにその匂いがする。
で、もしや、とロッカーの扉を開けてみれば。。。そうやはり仕事用のシャツやズボンからも、
まさにそれそのもののような腐った玉ねぎの匂いが漂っている訳である。
これはもう加齢臭とかそういう問題ではない。

果たしてここがアメリカで良かった、と改めて思う。
日本のあのやたらとセンシティブ自慢のギャル達の集まる職場であったりしたりすると。。
下手をすると人事部から呼び出されて、貴方の体臭について苦情が来ていますが、なんてことをしたり顔で言われてしまったりもするのか、
とそのぐらいに強烈な匂い。
少なくとも俺の隣りの席からこんな匂いが漂って来たら。。苦情を言いつけはしないだろうが、
おい、テメエ臭えぞ、この野郎、ぐらいなことは言ったであろう、そのぐらいに露骨な匂いな訳である。

おまけに最近のパレオ・ダイエットで、やれステーキだハンバーグだ、と肉食ばかり。
当然のことながら肉食系のうんこは臭い。そしておならも臭い、
つまりは体臭そのものが臭いとまさにダブル、トリプルパンチ
うーん、まったくやれやれな訳である。
自分でも臭うぐらいなんだから、回りの人々はたまったものではないだろう。
普段は、回りの奴らの体臭に、くそったれ、ちゃんと風呂ぐらい入りやがれ、と舌打ちすることの多い俺が、
いまや立場が逆転。

という訳で机の引き出しからとっておきのコロンを取り出す。

イッセーの水。

以前、香水ミュージアムに行った際、これぞ一番!としたまさに香水の中の香水。
これをもう頭からシャツからジャケットからとやたらめったらとぶっかけてようやく一息つく訳だ。

という訳でこのダイエット。
なかなか難儀なのである。

そういえばの毬花談義

Posted by 高見鈴虫 on 11.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
マリアナと言えば、そうそう、いまさらながら全米でマリハナが熱い。

コロラドから始まりワシントンやらハワイなどの州では次々とマリハナが解禁となっている。

もうすでにかなり昔からそんな肥やし臭い草などには一切の興味を失ってしまっている俺としては、
いまだにそんなものやってる奴がいるよかよ、とちょっと唖然としてしまうところもある訳なのだが、
この俺自身の経験にそって言わせて貰えば、マリハナの解禁、ことこのNYCにおいては絶対の絶対に反対である。

実は過去、二十代初頭から実はつい最近まで、俺の周りには常時この甘い香りが漂っていた。

タイやらインドやらネパールやらを旅行中には朝からマリハナから始まりありとあらゆるもので朝から晩までのべつまくなしらりっていた。
日本に帰りたくなかったのはつまりはこの素敵ならりらり生活にさよならするのがどうしても忍びなかったというのもその大きな理由で、
よってアメリカに来てからも朝から晩までのべtまくなし当たり前のようにこのマリハナを嗜好していた。
当時アメリカでは法的にはマリハナは違法であったわけなのだが、そんなことを気にしている輩には会った覚えがない。
回りの連中がそんな風であったからアメリカとはつまりはそういうところと思い込んでいた。

まさにビールどころかコーラや珈琲を飲むのと同じ感覚で、朝目が覚めた時にはいつも昨夜のマリハナでぼーっとしていたし、
昼飯時にはジャックインザボックスのパーキングでビールを飲みながら一服。
日が暮れればプールサイドに集まってテニスをしながら、あるいはグレートフルデッドを聴きながらビールを飲み、
そして夜が更けるのを待たずに誰かしらが点けた一服がテーブルを回ってくるという暮らしだった。

という訳でこのマリハナである。

知っている人は知っていると思うが、マリハナの弊害にはとてつもないものがある。

知っている人は知っているとは思うが、マリハナが決まった状態で車を走らせていると、そのうちにセンターラインが天に向かって垂直に立つ状態を経験する。
まさに、夜空に向けての滑走路を大爆走することになる訳で、当然のことながらこれはとても危ない。
そんなことをマンハッタンの街中でやられた日には溜まったものではない。おちおち犬の散歩もできなくなる。

時間の感覚が伸びる、というよりは平原的に広がってしまって、無為な時間があっという間に過ぎるのは良いが、
当然のことながら時間にルーズなり、約束から予定からを次々と忘れ、あるいはどうでもよくなっていく。
仕事という仕事が徹底的に心底面倒くさくなり、らりって気持ち良い、以外のことにはみるみると興味を失っていく。

感覚や思考ばかりが研ぎ澄まされるがそれはいつもから周りで同じところをぐるぐると行ったり来たり。
計算能力がぶっとんで小銭の計算も判らなくなり、すぐに道がわからなくなってちょっとしたところに買い物に行くにも道に迷うことになる。
身体が重くなってソファに転がって日がな一日マンチーばかり。
テニスも下手になるし、音楽がとても心地よく聞こえるがだからといって楽器が上手に弾けるようになるということはまずない。
いや、そんなことはない、というやつはただ単にそう思い込んでいるだけ。つまりは自己満足の妄想に過ぎなかったりもする。
試しにそれを録音してみればよい。
しらふでは聴けた物ではない、つまりはらりって聴かないと訳の判らないものが出来上がるだけの話である。
それをアートだ、天才だ、ましてや、一ランク上のもの、などと妙な思い込みをしてしまったがために、
その優れた才能を棒にふってしまった連中をこれでもかと見てきた。

つまりは徹底的に生産性が落ちる。
生産性などというものが徹底的にどうでもよくなるからだ。

そんなやつらがニューヨークに溢れ返ったらどうなるだろう。

ただでさえごった返す地下鉄の通路がますます歩きづらくなる。
ただでさえいい加減な公共システムがますます立ち行かなくなる。
いい加減なやつらはますますいい加減になりただでさえカオス状態のこの街はますます混乱を来たすことになる。

何よりこのご時世、今更マリハナなんて吸っている暢気な輩は居ない筈だ。
つまりこの街でマリハナを喜ぶやつらはつまりは観光客だけ。

日々あくせくと小銭稼ぎに奔走する貧乏なニューヨーカーの狭間を、マリハナで能天気になったらりらりの観光客がへらへらと笑っている訳で、
これではますます勤労意欲が落ちるというものだ。

確かにこの街でもマリハナぐらいいくらでもどこでも手に入る。
マリハナどころかその気になれば、あるいはその気になんてならなくても、ありとあらゆるドラッグというドラッグは簡単に手に入る。

がしかし。。。あらためて言わせて貰えば今更そんなこをしている連中は少なくともこの街の住人にはいない筈だ。
いまだにそんなことをやっているのは、観光客と学生とそして生活保護で暮らすゲットーの住人ばかりだろう。

あるいは、そう言えばこのアパートのすぐ近所にも実は朝からマリハナでらりらりの連中がいる。
ぶっちゃけ老人ホームの方々である。
近所にある高級老人ホームの方々。まさに朝も早くから開けた窓から下界を達観しながら、これみよがしにぷかーっとマリハナを吹かしてはへらへらとご機嫌である。
聞くところによるとアルツハイマーの方々が薬として使用している、とのことなのだが、果たしてこのマリハナのらりらりがアルツハイマー病に対してどのようか効果があるのか。

あるいは、ぶっちゃけマリハナのあのぼーっとした状態とはまさにこのアルツハイマーの方々の境地の疑似体験ではないのかな、と思う訳だが、
つまりはそう、マリハナなどはその程度、アルツハイマーの惚け老人を疑似体験して喜んでいるだけの話なのだろう。

がしかし、ヘロインが母体回帰、あるいはもろに死の疑似体験に似たものがあるのに比べれば、こんな肥やし草などぜんぜん大したことない訳で、
なので、ありとあらゆるハードドラッグの経験のあるこの街の住人たちは、いまさらマリハナと言われても、ははは、と鼻で笑って、いいんじゃない?別にマリハナぐらい、で済んでしまうとは思うのだが。


がしかし、敢えて言わせて貰えば、マリハナはその先に続くヘロインを終点とした自己倒壊への道、のまさにそのドアである。

マリハナに嵌った人間は必ず最終的にはヘロインの中にその回答を見出す。
マリハナを嗜好する全ての人が全てヘロ中になる訳ではないだろうが、しかしマリハナをきっかけにあの悪魔の粉に向けての道のりが一挙に狭まるというのも事実。

と言う訳でヘロインか、と思う。
そう思うだけで、なにやら身体がずとんと重くなったりもする。
それぐらいに身体に、つまりは身体的に重く重く作用することになるこの悪魔の粉。

実は何ゆえか最近このヘロインのことを思い出すことが多く、これはなにやらの暗示であろうか、などとかんぐっていたのだが、
原因はといえばなんてことはないこの電子タバコである。

この電子タバコ。
前述したようにその形状的には金属製の筒。

でこの金属の筒を手にしてすぱぱーとやっていたりすると、なんだかこの経験も以前したことがあるぞ、と妙にフラッシュバックが起きる。
ぶっちゃけ、この金属筒の手触りというかその感覚に覚えがあるのは、まさにそれクラックである。

その動作だけでみれば、ライターを使う使わないの違いだけで、電子タバコ吸引とクラック吸引はまさに同じ。

当然のことながらマリハナはとりあえず公共の場でさすがにクラックはまずい。
その破壊力というか、ぶっちゃけ中毒度と身体に及ぼす影響が違いすぎるし、クラックに手を出した人間は全てと言わないまでも、99%は人間を辞めることになる。

そう言ってしまえば、その他、さまざまな悪魔の一片。

シャブ=スピードは言うに及ばず、ヘロインも最初の頃はこんな感じで吸引していたこともあって、
まさにこの電子タバコ、この金属の筒。あの若き日の苦い記憶がまざまざと蘇って来る訳である。

がしかし、この電子タバコ。まさにいま始まったばかり。

これからどんどん開発が進んで、もっともっと色々なバリエーションが出てくるに違いない。

つまりは、ちゅうことはもしかすると、
近い将来、こんな電子タバコみたいなやり方で、まさにお気楽にあの悪魔の粉、クラックやらスピードやらヘロインなんてものも、
仕事中に机に座って、すぱぱぱーとできるようになったり、

下手をすれば、ヘロインをWEBでオーダーして、PCでリチャージして、
パイプの精度を上げるために、ファームウエアのアップグレード、なんてことが必要になったり。
あるいは、コードを書き換えて、ヘロインをクラックやらアシッドやらに変更してしまったり・・・・

考えるだけでもまさに人類が崩壊する足音が聞こえる訳だ。

まったくおかしな時代になったものである。

そしてこれからますますおかしなことになるだろうなあとその先の展開を思って思わずニヤニヤしてしまう訳なのだが。。。

おら知らねえ、と言わせてもらう。

「反射的なツブヤキに対する極反射的な反論」

Posted by 高見鈴虫 on 12.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
どこぞの知恵足らずが、新幹線内で泣く赤ん坊には睡眠薬を飲ませろ、とのたまったらしいが、
そもそも赤ん坊は泣くものだろう。犬は吠えるのが仕事。餓鬼は騒ぐのが仕事。
それが嫌ならばこの地球に暮さなければ良い。
つまり文句があるならお前が人間やめろ、ってところだ。

それを言わせて貰えば、
迷惑なのは泣く子供などではない。
俺から言わせればぶっちゃけ糞迷惑なのはデブだ。
太った奴は表に出るな。
邪魔臭い。
見る苦しい暑苦しい。臭い。その存在からして不愉快だ。

がそう思いながら口に出さないのは、デブにだっていい奴はいるし、有能な奴もいるだろう。
つまり一概に表層の印象だけでは物事は判断できないからだろうが。

人にはそれぞれ、あるいはその時の受け手の気分によって印象はさまざまに変わる。
なので、
いったんは印象や感覚による反射を抑え、いったんそれを心に貯めて、そしてよく考える、ということだ。

つまり、自分の赤ん坊に無理やり睡眠薬を飲まされたらどういう気がするか。
睡眠薬を常用させられた子供にこの先どんな成長障害があるか、

ちょっと考えても判るものだろうが。

TWITTERというつぶやき、つまりは反射や印象の呟きが世界中を汚している気がするが、
そんなものをいくら世界にばらまいても、反射的な人間の反射的な人間ばかりを対象に反射的な印象操作に悪用されるだけだ。

馬鹿か、といいたい。

かっと、したり、むっとしたり、はっとしたり、おっとしたり、
その反射行動は人間にとっては当然の反応だ。
がそれをいったん胸に留め、そこに思考を加えるのが人間の理性というものだろう。

反射でものを言う呟きが拡散されればされるほど、人間は思考や理性からますます遠ざかる。
そして、胸に貯めることができない人びとが増え続け、つまりは心の狭い、感受性の許容量の少ない人間ばかりを作り出していく筈だ。

改めて言う。

いまの問題のほとんどが、心の狭さ、人間としての度量の小ささ、つまりは人間のスケール自体が収縮してしまっているからによる、と断言したい。

赤ん坊の泣き声をうるさい、と思うのは、うるさいという受け手の気分の問題。
おおお、元気があっていいなあ。でっかくなれよ、となぜ感じてやれないのか。
ちょっと俺に貸してみろ、俺があやせば泣き止むかな、やら、
となぜそんな柔軟な対応ができないのだろうか。

受け手の気分が悪いからうるさいと感じるだけであって、つまりは受け手の度量が小さいだけの話だろう。

そんなバカバカしいことを公言してしまうセレブ気取りのブタ。好い加減しろ、と言いたい。

俺は坊主でも牧師でも先生でも、ましてや大人であるつもりもなく、
なので、他人がどうなろうと知ったことではないのだが、
敢えて言わせて貰えば、

心を広く持とう。他人を受け入れよう、と呼びかけたくはある。

つまりは、

印象や反射で生きるのをやめろ。
自分の気持ちをいったんは胸に収める努力をしよう。
短気は損気。

そう心がけて生きよう、ということだ。

性格が悪いことは美徳ではない。
視点が鋭い、感覚が鋭い、ことは、頭が良い証拠ではない。
ただ、
心が狭い、それだけ。

それを煽る奴ら、つまりは印象操作で金を稼ごうといういかさま師にカモられているだけだ。

それを日本語では、バカ、というだ。

一度口に出してしまった言葉は取り返すことができない。

この俺も、20年以上前のインターネットの創始期に、
試しに書き込んだ「おまんこ」という言葉に、いまだに付きまとわれている。
つまりはそういうことだ。

つぶやきは、少なくとも思考や理性が働くまえの印象は、
自分の胸に留めておくべきだ。少なくとも他人と共有するものではない、と思うがどうだろう。

「ROCKを葬り去る前に その29 ~ 減量開始から早一ヶ月」

Posted by 高見鈴虫 on 12.2014 ROCKを葬り去る前に ~ 大人のダイエット奮戦記   0 comments   0 trackback
減量開始から早一ヶ月が経った。
現在のところ132LBの上下1LBを行ったり来たり。
開始時の145LBからすると約15LBの減量に成功した訳だが、
開始後、みるみると体重が減って行きながら132LBに来たところで
ぱたりと進展が止まった。

たまに外食をしてバカ喰いをするたびにがーんと3LBぐらい増えるのだが、その後3日ぐらいかけて132LB代に戻り、
そして131LBを割りそうになると、なんとなく空腹を感じ始め、そろそろ外食で息抜きを、と出かけて、また戻る、と言った感じ。

でこの132LB、思いのほか快適である。

以前に比べ身体は凄く軽く感じる。
犬の散歩での疲労感もほとんどなく、
腰痛もなくなった。
きつかったシャツやズボンも適度に余裕ができて、
階段の登り降りにもなんの苦もなくなった。

思うところ、どうもこの132LBという体重が、
現時点での俺の適正体重なのではないか、と思う。

人間にはそれぞれ適正体重というようなものがあって、
それは年齢とともに変化していく訳だが、
俺の場合、20代は50KG=110LB
で30代に入って60KB=132LB
その後、なんだかんだで最近太ったな、と思っていたのは
だいたい65KB=143LBあたりをうろうろしてた訳で、
つまりは現時点での適正体重としては60KBということで打ち止め、
ということなのではないか、と納得している。

なんて話を普段からダイエットに悩む、友人のダンサーさん、にした訳だが、

どうも、その適正体重、
つまりは燃えやすい脂肪が燃え尽きてしまった後、
燃えにくい脂肪が減り始めるまでの間にかなり時間がかかる、
とのことである。
つまりそれが第一の関門らしい。

そのしばしの停滞の後、
それを越えるとまたがんがん減り始めるとのことので、
現在はその停滞期、ということなのか。

がしかし、現在行っているパレオ・ダイエット。

炭水化物・チーズ・甘みを我慢するだけで、
肉も魚も野菜も果物も食べ放題、という方式では、
その適正体重の壁を破るのが割と大変との話。

つまりパレオダイエットは、
身体にもっとも適した体重、つまり自然体にするためのダイエットで、
その適正体重を越える、つまりは、不自然な身体を目指す以上は、
この方法では限界があるのでは、という話。

ただ目指しているのは体重計の数字ではなく、
いかに余分な体脂肪を減らすか、ということにあるわけで、
パレオを続ける限り、体重は変わらなくても、付くべき所には筋肉が付き、余分なところ、つまりは筋肉として使用していないところは自然に減っていく、とのことで、まあ体重計の数字だけがすべてじゃないから、
というお話をお伺いした。

がしかし、である。

そう、俺はなにも健康体になりたくてこのダイエットを始めた訳ではない。

俺が目指すのはROCKERであって、それはHYDE君でありMICK JAGGERである。
つまり、とてもとても痩せている人、な訳であって、彼らはつまりは普通ではなく痩せている、痩せすぎている人々。
つまり・・・そのハードルは普通のダイエット以上。
健康体などで満足していてはいけないのである。

という訳で、

ダンサーさんの話では、
その適正体重から、普通人の限界を超えるのがめちゃ大変、
ということらしい。
本当のダイエットはここから始まるんだよ~ん、との話。

うーん、そうか、そういう訳なのか・・

こんなところでぼやぼやしていてはいけない、ということなんだね。。。


「ROCKを葬り去る前に その30 ~ なんとなくこれまでのまとめ」

Posted by 高見鈴虫 on 12.2014 ROCKを葬り去る前に ~ 大人のダイエット奮戦記   0 comments   0 trackback
とりあえず今までのところをまとめて見ることにした。


1.パレオ・ダイエット(無炭水化物ダイエット)

まずこのダイエットの内容としては

1)炭水化物
2)乳製品
3)甘いもの・ソーダ類

というこの3つを避ける。

あとは、つまりは肉やら野菜やら果物であれば、なんでもいくらでも食べれる。

ステーキから始まって、ハンバーグから、チキンソテーから、と、
肉も野菜も喰い放題に喰いまくって、そしてデザートは果物山盛り。

これならなんの不都合もない。

つまり減量時に一番辛い、あのひもじさ、つまり、肉喰いたい・・・・
という飢餓感を味あわなくても済む、ということ。

そして最も大切なのは、

「寝る時には必ず胃袋を空にしておく」ということ。

肉を腹いっぱいに食った場合、消化時間は約5時間、なので、
12時に寝るとすれば、7時には食事を終えておくべき、とのこと。

できれば、朝飯は野菜と果物、昼に肉を食べまくって、夜は野菜中心、
というのがよいのでは、と思っている。

それに加えて、脂肪燃焼スープ。

いまではかなりアレンジを加えてしまって、
ぶっちゃけ、玉ねぎときゃべつが入っていればあとは何でも、
という感じになりつつある。

これを食事の前、一番がっついているときに一杯、二杯、と食べて、
まずはスープだけで腹を落ち着かせてしまう。
で、山盛りのサラダ。で、ブロッコリーやらカリフラワーやらの温野菜をご飯代わりにして肉、ステーキやらハンバーガーやらをたらふく食べる。

と言っても、最初にスープ、そして山盛りサラダを食べてしまっているから、たらふくと言っても実はあまりお腹には入らない。

つまりこれだけでかなりの満腹感を得られるということ。

これだけ守れば、少なくとも適正体重までは一挙に痩せる筈。



2.痩せ方

1) 最初に痩せるのは顔。
一日でも飯を抜けば、顔がすっと小さくなる。

2) ぽっこりお腹。
実はこのぽっこりお腹の原因は、腹回りの脂肪ではなく、体内の内臓に付着した脂肪、であるらしい。
これがみるみると無くなって、つまりは腹がへこみ始める。

3) 一番脂肪がついているところ。
腹がへこみ始めたのは良いのだが、なかなか腹回りから脇腹の脂肪が減らず、その弛んだ脂肪を掴みながら、おかしいなあ、ぜんぜん減らないぞ・・と思っていたのだが、そうこうするうちにいつの間にか、足やら尻やら、もっと身体全体が徐々に徐々に細くなっていたようだ。

筋肉や本脂肪になる前段階の柔らかい、新しい脂肪が先に燃焼されるらしい。

4)そんで最後に腹、そして脇腹から背中、へと続く。

ここまで来てようやく腹に腹筋の筋が浮かびはじめたのだが、
やはり脇腹と、そして背中にかけてはいまだにぶよぶよしている。

背中が一番痩せにくい、というのはよくきく話で、この辺りに脂肪がついてきた時点でアラートを発しておくべきだったのだな、といまになって思い知る。

某ダンサーの友人の話ではここまでが一段落。ステージ1。

で、いまだに残ったこの脇腹と背中の脂肪は、ダイエットやら筋トレではなかなか消えないそうである。

一番の方法は、走ること、であるらしい。

やれやれだな。。


3.あらためて炭水化物について。

つまるところ、人類を飢餓から開放したのは、
まさしく炭水化物を手に入れたから、なんだよな、きっと。

保存が利いて持ちはこびができて、そしてこのまさに爆弾のような栄養価。

つまりは、人類に文明を持たせるそのきっかけとなったのは、
農耕の開始、というよりはこの炭水化物という食物を手に入れてからなのだな、と思い知った。

ただ炭水化物だけ、ではそれほど栄養にはならない。
あるいは、今回のパレオにもあるように、
肉と野菜だけ、ではそれほどには脂肪にはならない。

つまりは腹持ちがしない。

炭水化物が肉やらと結びついたところで爆発的なエネルギーを生むわけで、その使い残しが中性脂肪として蓄積されてしまう訳だ。

ぶっちゃけ、少ないおかずでより効率的にエネルギーを生み出す魔法の食物な訳で、安く早く美味しく必要な栄養分・エネルギー源を摂取するための最強食物であった訳だ。

つまり炭水化物とは、貧乏人の食べものなわけだな、と改めて思い知る訳だ。


「ROCKを葬り去る前に その31 ~ つまり、身体に悪いものほど美味しいわけだ」

Posted by 高見鈴虫 on 12.2014 ROCKを葬り去る前に ~ 大人のダイエット奮戦記   0 comments   0 trackback
あらためてこの現代社会。
まさに飽食の時代、というか、豊か過ぎる訳である。

人類が飢餓から完全に解放された今、成長期を終えた人類、
今となっては食物があまりにも満ち足りてしまった挙句に、
この炭水化物が諸悪の根源、つまりは肥満の超敵になってしまった訳である。

そしてこの高度経済社会。
すべてにおいて効率が優先。
より安く、より大量に、より安定した品質の食物を供給するために、
農薬から始まり、成長剤から抗生物質から保存料やらが山ほど入った上に、

より美味しく、見栄えをよくする為に、
トランス・ファットから味の素等の化学調味料から、コーンシロップ等の人口甘味料からと、食品添加物が山盛り、
となる訳で、

安いものほどこの添加物の割合が増えていく

つまりは、貧乏人ほどに太る、という図式がなりたっていく。

と言う訳で、

ご飯やパンの代わりに、無農薬野菜と牧草だけで育った家畜の肉だけで腹を満たすこのパレオ・ダイエット。
まさに貴族のためのダイエット。つまり、その分、コストが偉くかかる。

がしかし、この現代において、健康こそが最大の先行投資だとよく言われる。

つまり、どれだけ金を持っていたとしても、一度病気になってしまうと、その貯蓄どころか、
全てを失ってしまう、と言う訳で、先々を考えれば考えるほどに健康に気を使う、
というのが最も合理的な生き方である、という考え方。

つまり、99セントのマクドナルドのスーパーバリューを食べて小銭をセーブしても、
後に病気になってしまっては、それこそハンバーガーが何万個も買える金額が一瞬のうちに消えていく訳だ。

つまり、あえて高価な健康食を食べることこそが、最大の節約である、という考え方。

かつて、

肉を食うと太る、やら、ご飯をなるべく沢山食べる、やら、魚を沢山食べる、やら、
挙句の果てに、
マーガリンはバターよりも健康的やら、
ダイエットコークで痩せる、やら、
植物油だから安心やら、
あるいは、
味の素を食べると頭が良くなる、なんてことまで言われていたが、

それはすべてが間違いなのである。

そして今、魚という魚は水銀が含有されている訳で、日本食は健康食、なんてとんでもない。

美味しく美しく安価で、そして宣伝文句に健康が歌われている食物はことごとく毒の塊である。

つまり、身体に悪いものほど美味しいわけだ。

それを踏まえたうえで、新たな生き方を模索するべき時期にきているのだな、と改めて思うわけだ。

「ROCKを葬り去る前に その32 ~ 超絶品脂肪燃焼スープ」

Posted by 高見鈴虫 on 16.2014 ROCKを葬り去る前に ~ 大人のダイエット奮戦記   0 comments   0 trackback
火曜日の夜、珍しく仕事がすんなりと終わったのだが、いざ家に帰ってみれば大雨。
レインコートを着せたブー君も、雨に叩かれながらご不満げで、
散歩の途中、15分も歩かないうちから、ちぇ、ボール遊びできねえならもう帰るよ、といきなりUターン。

という訳で早々に家に帰ってくることになったのだが、
ふとすると俺の生活の中で犬の散歩をしなくても良いとなると、いきなりやることがなくなってしまう。

なんか手持ち無沙汰だな、なんて話をかみさんとしてたら、
そう言えば自然史博物館のプラネタリウムのタダ券があったのだが、いってみようか、
という話。

そう、普段は仕事が終わって速攻で帰って夕飯までの間、これでもかというぐらいに犬の散歩。
帰って飯食って一息つく間もなくまた犬の散歩。
帰ってくればもうぐったり状態で、
こんな大雨でも降らない限りは、まさか美術館や博物館なんぞに行ける時間も余裕もまったくない訳だ。

という訳でこの降って湧いたような大雨の恩恵に与って、
自然史博物館の巨大プラネタリウムに映し出される宇宙の謎、なんてものを大堪能。
がしかし。。。

正直、なんか俺、宇宙ってあんまり興味がないような。。。
餓鬼の頃から実は隠れ図鑑小僧で、動物の名前から昆虫の名前から、と知らないものはないぐらいのこまっしゃくれた小僧だっわけだが、こと天体ネタ、となると一切に興味がなかった。
つまり、なんというか、そう、動物、つまりは地球が好きだったわけで、
それは今もまったく変わっていない。

人類が月や火星に移住するような時代になったとしても、
俺は多分、この地球ローカルで犬の散歩をしていると思う。

がしかし、プラネタリウム一面に映し出されるそのド迫力映像。
まさに堪能した訳だ。

そんな訳で、火曜日からなんとなく満ち足りた気分。
やっぱお出かけ良いよな、と大雨にも関わらず妙にゴキゲンで、
そんなちょっとした気の緩みから、どうせなら帰りがけに夕飯でも、なんて話になってしまった訳だ。

よーし、今日はちょっと早いが勝手にチート・デイ!

で、どうせ掟破りをするなら、とことん美味しいものを食べようぜ、ってなことでいきなりやる気満々。
という訳で、どうせならどうせなら、一番食べたいものを、と考えた結果、
やはり一番食べたいのは・・・まさしくピザ!

そしてNYCで一番美味しいピザ、と言えば、そう、それは知る人ぞ知る、BODRUM、なわけである。

という訳でこのBODRUM。

去年オープンしたばかりのトルコ料理のレストランである。

以前、マレーヒルに住んでいた頃によく行っていた純正トルコ料理の「アリババ」と違って、
このアッパーウエストサイドのBODRUMは、お土地柄もあってか、まさにNYC風にアレンジした現代風トルコ料理。
つまり、塩分控えめ、ながら、その微妙な味のバランスはまさに天下一と言ったところ。
がしかし、その値段はと言えば実に庶民的。
この味でこの値段、まさに大破格に近い。

そんな訳で、普段は予約無しでは絶対に座れない訳なのだが、
こんな大雨の夜、しかも火曜の夜の10時過ぎ。
予想通りバーの隅の二席に潜り込むことができた。

で改めてこのBODRUM。
なにが美味しいと言って、実はそのパンである。
いつも焼きたて熱々のトルコパンがテーブルを回って来るわけで、
ダイエットの前の頃は、まさに2回も3回もお替りをしてはパンだけで腹いっぱい。
まさに幸せ一杯であった訳だ。

がしかし、このパン。まさに炭水化物。つまりは天敵な訳で、
がしかし、このBODRUMに来てこの絶品パンを食わない手は無いわけで・・・

という訳で、今日もすっかりチート・デイ。
どうせなら、という訳で思わず前菜の地中海サラダと一緒に山のように頂いた訳なのだが、
そのモチモチ感、と言い、ほんのりと香る甘さと言い・・・うーん、美味しい!美味しすぎる。

そしてこの店。
実は隠れた絶品はと言えばそれがPIZZA。
実はピザの発祥の地はトルコである、ということをトルコ人は事あるごとに強調するのだが、
つまりそのピザの原型となったラマジュン。トルコ料理では前菜扱いで出てくる訳なのだが、
このBODRUMに置いてはピザはピザ。しっかりとNYCスタイルの薄い生地にチーズたっぷり系。
であるのだが、このBODRUMのピザ、なんというかもう、頭に超がいくつ付けても足りないぐらいの絶品ピザ。

一見して薄味。
普通の安いピザに慣れた奴だと、なんだよこのピザ、味がしねえな、とどうしようもないことを言うのだが、
この薄味のピザ、食べているうちにその奥に秘められた味の層が、打ち寄せる波のように次から次へと広がっては消えて行く訳で、
思わず、うううううううん、美味い、と立ち上がって叫びそうになるぐらいに美味い。

という訳で、今回頼んだのはマッシュルームピザ。
薄い生地の上にワイルドマッシュルームのスライスが乗っているだけなのだが、
なんだなんだ、なんなんだこのピザわ!と目をぱちくりするほどに美味い。
しかもこのダイエット中の身。
つまりは炭水化物にもチーズにも飢え切っていたわけで、
その味覚がまさに研ぎ澄まされている訳だ。
そんなところにこの天下絶品のピザである。
思わず卒倒しそうになぐらいに美味しかった。

そんなこんなで幸せ一杯の帰り道。
ああこれでまた一週間分の後戻りか、とは思いながら、
そう、どうせ〆切りのないダイエットである。
こうして一進一退を繰り返しながら、たまには美味しいものを食べて、そしてまた脂肪燃焼スープ生活、
でも別に良いじゃないか、とも思う訳で、
そう、このBODRUM級に美味しい店なら、それぐらいのことは十分にペイしている、とも思う。

という訳で改めて脂肪燃焼スープである。

最近ではもう最初のレシピからかなり逸脱。

玉ねぎとキャベツ、という大前提は守りながら、
もうトマトもセロリもチキンブイヨンもはしょってしまっている。

その代わりに、ベーコン、なんてものを入れてしまった日には、
まさに、玉ねぎキャベツのベーコン入りスープ。
こうなると、普通の意味でただたんにとても美味しいスープ。

で、そう、BODRUMで食べたマッシュルーム・ピザがあんまり美味しかったもので、
翌日の脂肪燃焼にはたっぷりとマッシュルームを加えてみた訳なのだが、
はてさて、とそこで思い至ったのは、あのBODRUMのマッシュルーム・ピザ。
あのなんとも言えず身悶えするぐらいの美味しさのあの隠し味はなんであったのかな、
と考え続けていたその答えが、いきなりふと閃いた訳である。

もしかして・・あの絶妙の香りの正体とは、まさにトリュフではなかったのか?

という訳でかみさんに、トリュフオイルを買ってきてくれないか、と言ってみたところ、
オイルはないけど、お塩ならあるけど、という話。

え?うちにトリュフのお塩なんかあったっけ?と聞けば、
あれ、今までにもよく使ってたけど。。とかみさんの苦笑い。

つまりそう、ダイエット前の俺。
ブタでさえ眉を顰めそうなぐらいの超大食い。
つまり、そんな隠し味、なんてものにいちいち気づかないぐらいに、ガツガツと飯をがっついていただけ、
というところなのだろう。

という訳で、ダイエットによって異様に味覚・嗅覚の敏感になっている俺。

出来たてのマッシュルーム入り脂肪燃焼スープに、
このトリュフ・ソルト、なるものをちょいちょいと振ってみれば・・・・・

じぇじぇじぇ~、である。

まさに、このスープ、まじでとんでもなく美味しい!と思わず立ち上がって身悶え、するぐらいに美味しい。
これ、下手をするとただの高級料理やんけえ。。

なんとも、とんでもないダイエットもあったものである。

トリュフ入りの絶品料理でダイエット?ありえねえ。

ここまで自分を甘やかしても許されるものだろうか、と思いながら、
トリュフの香りに包まれた脂肪燃焼スープ、思わずお替りを繰り返してしまう訳である。

いやあ、俺も良い身分になったものな、としみじみ感じ入ってしまった。











ホームレス中学生を読む

Posted by 高見鈴虫 on 24.2014 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
ホームレス中学生を読む。

正直言って読み始めた時、思わず唖然とした。
そのまるで中学生のそれもかなり程度の低そうな生徒が書いたような文章にである。

がしかし、現役中学生が作者というのでもなさそうである。
例え中学生であろうと、ひとたび本を出版するとあれば
わざわざこれほどへたくそな文章を人目に晒すことはなかったであろう。

ゆとりやなにやらで近頃の日本人がかなり馬鹿になっている、
ということは常々感じていたのだが、
果たしてこの文章、
嫌悪を通り越して船酔いを起こしたように吐き気さえ催してきた。

しろうとブログではあるまいに、こんな文章を出版してしまうというのは、
いかなるものか。この編集者、あるいは出版社は何を考えているのか。
売れればいい、というのにも程がある。ありすぎる。
とつくづく日本国の将来を憂うような気にさえなった。

作者は芸人だそうである。

もともとTVを観ない俺は、当然の事ながら漫才が嫌いである。
漫才が嫌いでTVを観なくなったというところもある。
あの大阪弁のあのがちゃがちゃとやかましい、
お笑いと言っても冗談のセンスの欠片もないバタ臭い話。
こいつら馬鹿だな、と頭を抱えたくなる。
馬鹿というよりもただの知恵足らずじゃねえか、と思う。
しまいには苛々が高じて思わずTVの画面に蹴りをぶち込みたくなったものだ。

ご存知のように東京は馬鹿に冷たい。
そしてルーティーンを嫌う。
つまり大阪の笑いのその馬鹿の馬鹿による馬鹿のための予定調和的なお笑いが、
心底受け付けない。
俺はそういう馬鹿とかっぺに冷たい文化にどっぷりと浸ってすごして来た訳だが、
それに加えて俺の漫才嫌いは実はもうひとつ深い理由がある。

俺は子供のころからTVを見せてもらえずに育った餓鬼だった。

頑固者だった俺の親父はTVは人間を馬鹿にするためにある、
と信じて疑わなかった人で、
それがフジテレビのお笑いであろうが教育テレビであろうが、
子供がTVを見るという行為そのものが気に入らなかったようで、
TVから笑い声が聞こえるだけでいきなり電源を引き抜いてしまい、
一言でも文句、どころか不満げな顔をしたたけで、
目の中に火花が飛ぶほどにぶん殴られた。

そんな影響もあってか俺はつくづくTVが嫌いだった。恨んでさえいた。
TVとはまさに世の不公平の象徴だった。
そんな俺は、そして特にお笑いが嫌いだった。
その象徴たるものだったのがまさにフジテレビである。
世の軽薄を絵に描いたようなフジテレビの漫才番組。
NHKさえ見せてもらえない俺がまさかそんな漫才など見せてもらえるはずもない。
そんな俺は当然のことながら大阪芸人の漫才が心の底から嫌いだった。
どこかの窓からテレビの音が、あのバラエティのわざとらしい笑い声が響くだけで、
耳を押えたくなった。
学校の友人が漫才のことを話題に上げるたびにん、
俺が親父にされたようにいきなりぶん殴ってやりたくもなった。

という訳でこの本、
大阪の馬鹿な芸人が書いた身の上話であるう。

あの馬鹿な芸人がどんな顛末からあれほど馬鹿になったのか、
という興味もないわけではなかったが、
果たして読み始めたとたんにそのあまりの低脳的な文章に度肝を抜かれた。

馬鹿だなこいつ、と思った。
つくづくことごとく徹底的に馬鹿。怒るどころか悲しくなるぐらいに馬鹿の書いた馬鹿な文章である。

やっぱりな、と思った。
あの馬鹿な芸人はやはり本を書いてもとことん馬鹿だったんだな、と思った。

がしかし、である。

この馬鹿な芸人作家が馬鹿なのには理由があった。

こいつはホームレス、というよりも、親に放棄された餓鬼なのである。

そしてこの本は、はい解散、の一言で家庭を放り出された中学生の、サバイバルと成長の話なのである。

公園に住んで乞食をしながら暮らしていた中学生が、
兄弟たちの愛と級友やご近所さんの愛と人情に支えられて芸人として成功する、
といういかにも予定調和的な話な訳だが、
がしかし、この本はそんなその辺の大阪人情話とはちょっと違っていた。

つまり、なんというか、リアルなのであった。

大阪弁の何が嫌いかと言って、大阪弁で話されるとなにからなにまで妙に嘘臭いのである。
大阪人特有のあのへらへらとした風体と相成って、あの大阪弁のうそ臭さがまさに間が抜けたどじな詐欺師、
を思わせる訳なのだが、
どうもこの本に書かれていること、実はなんとなく身に覚えがあるような、
そんな封印されていた記憶がよみがえってきた訳である。

実は俺も餓鬼の時分、ホームレスとは言わないまでも、
そんなDV家庭をおん出ては友人宅やバイト先を泊まり歩く放浪生活を送っていたことがある。

そんな関係から、この本の少年と似たような経験をした覚えがない訳ではない。

そんなホームレス暮らしの経験者としては、
こいつ、なぜパンのみみを貰いに行かなかったのか。
なぜスーパーの裏のゴミを漁らなかったのか。
シャワーは学校に忍び込めばいくらでもただで浴びれる。
金が欲しければ新聞配達という手もあるし、
あるいはどかちんぐらいの仕事なら歳をごまかせばいくらでもありつくことができるだろうに。
駅前のちょろいガキをちょっと〆ればそれほど金に困ることもない筈だ。

くそ、俺が一緒ならもっと上手くやってやったのに。

がしかしである。
正真正銘のホームレスになってしまっては、そんなことをする心の余裕さえも失ってしまうものなのだろ。
それが家出少年と、正真正銘本ちゃんホームレスとの違いなのである。
しかも中学生である。切ない年齢である。
俺はいまでも中学時代のことは思い出したくない。
自立できそうでできない年齢。
自分ではりっぱな大人のつもりでも大人にまじったとたんにやはりまだまだなんだかんだでがき。
つまりは弱いのである。
それをことあるごとに身にしみる年齢なわけである。

中学時代、家が揉めるたびに、家出と放浪と補導を繰り返していた。
くそったれ、もう我慢の限界だ、とバッグをひったくって家を飛び出たとたん、
三日もせぬうちに行く宛てもなくなりそうこうするうちに職質にあって家に連れ戻される。
くそったれ、この糞中学さえ出れば、あとは極道だろうが日雇いだろうが、知ったことか。
とりあえずこの家を早くおん出て自分の暮らしがしたい、と心からそう思っていたが、
それはつまりは、連れ戻される家がある、ということへの甘えだったのだろう。

という訳でこのホームレス中学生。

読んでいるうちにあの頃の怒りと、そして無力感をまざまざと思い出し、
その拙なすぎる文章への苛立ちもあって、何度も本を床に叩きつけそうになった。

こいつは腹が立たなかったのか。
腹も立たないほどに打ちのめされてしまったのか。

中学の同級生で、親が離婚し居場所を失くした末に失踪した奴がいた。
それほど目立った生徒ではなく、ましてや不良グループとのつきあいもなかったような、
そんな普通の子供であったのだが、卒業を前にしていきり学校から姿を消した。
卒業式にも出ずにそのままうやむやのままになってしまったのだが、
後になってふらりと不良仲間の溜まり場を訪ねて来て、
赤羽にいた先輩宅に転がり込んで新宿のディスコでトルエンの密売をして暮らしていたと聞いた。

公園で寝てたら袋叩きにあったやら、小便をかけられたやら、あげくにホームレスに強姦されかけたやら、
そんなこんなでなにかあるとすぐにナイフを出す癖がついちまった、と抜けた前歯で妙に寂しそううに笑っていた。

という訳でこの田村という芸人の漫才をYOUTUBEで見てみた。

ああ、こいつか、と思った。
いかにもだな、と思った。

つまりは、家を失った餓鬼特有の顔をしている。

あの怯えた野良犬のような顔。
知性に欠け、みるからにおどおどと気弱そうでしかし喧嘩になるといきなりナイフを出すような、
そんな奴だ。

そして俺は、そんな奴らに囲まれて育ったこともしっかりと思い出した。
そして俺は、実は今でも財布の中、クレジットカードの間にはそれとなくかみそりの刃が仕込んである。
靴の底には、なにもかもを奪われてしまったときのためのなけなしのもしも銭が仕込んである。
つまりは俺も、自分自身ではそれに気づかないぐらいに、つまりはそういう餓鬼だった。
そしてたぶん、いまでもあの頃のそういうがきを引きずっているのだ。

という訳で、読み終えた時、思わず深い溜息が出た。

雨の夜にびしょ濡れになったそいつが溜まり場を訪ねてきた。
行くところもなく、お袋が別の男と暮らすアパートの前で立っていたという。
ばかやろう、と俺は言った。
いまさら女々しいこと言うんじゃねえよ。
家庭を失った俺たちはタフに生きなくっちゃやりきれねえんだ。
かつあげでもかっぱらいでもなんでもやってとりあえずは生き抜くことだ。
あの糞いまいましい大人の奴らにしっかりと落とし前つけてやんだろが。
とかなんとか言いながら、言っているそばからつくづく馬鹿馬鹿しくなった。

なんで俺たちはこんな若い身空でこんなろくでもない苦労を抱え込まなければならないのか。
まさにそれであった。

恨むに恨めず、泣くに泣けず、かといって誰も頼るもののない家出少年のあの心細さを思い出した。

くそ、女だったさっさと売りでもなんでもやっちまうんだけどな。
おっさんにおかま掘られるって方法もあるぜ。
ホモかよ。。それだけはごめんだな。
やっぱ痛えのかな。
知らねえよそんなこと。知りたくもねえ。
いずれにしろこんなことやっていてぱくられたら鑑別でお釜掘られることになるんだろうが。
いまのうちにちょっと練習でもしておこうかな。

うそなのか冗談なのかそんなことも言ったりした。

という訳で、すでに心の底に封印した筈の、あの弱かったころの自分の姿をこれでもか、と思い出した。

悲しかったな、と思った。
切なかったな。腹が減って、でも、ちょっと面白くもあったな。

そしてあの頃に感じていた、何不自由なく暮らすカタギの奴らへのあの意味もない怒りを思い出した。

こいつ、腹が立たなかったのかな、と思う。
腹を立てる余裕さえもなかったんだろうがな。がしかし。。心の底にはまさに世界中を黒く塗りつぶしたいぐらいの怒りが渦巻いていた筈だ。

そして、こいつ偉いな、と思った。
俺だったら、多分折れていただろうに。
あるいは。。
あの頃のたいていのやつが、折れてしまっていた筈だ。

彼が折れなかったのは、つまりは彼を支えた愛とそして人情である。
大阪か、と思わず思った。
それが大阪の人情というか、つまり懐の深さなのかもしれないな。

そしてその拙い、拙すぎる文章をもう一度読み返した。

へたくそな文章だ。まるで小学生の作文だ。
だがリアルである。
まさに溜まり場で枕を並べて寝ながら与太話を聞かされているような、
そんな感じである。

そのあまりにもやるせない現実の中で、とりあえずできることをやって生きていく、生き延びる、
と生きてきた人間の、見栄もてらいもない、まさに赤裸々な文章である。

こいつ、たぶん偉く良い奴に違いない。

こんな奴に、俺もな、昔ホームレスの餓鬼でな、公園でゴミ食ってくらしていたねん、
などといわれてしまったら、
うっしゃあ、お前のためなら一肌でも二肌でも脱いでやろうやんけ、という気にさせられる。

がしかし、それは実は手であろう。

ホームレスになった少年はたぶんそれを知っていた。

全てを失った少年が最後の最後に頼れるものはまさに人の情け以外にはないのである。
人の情けに縋れることこそが唯一の武器なのである。

くそったれ、そんなことさえも思い出してしまった。
人の情けに頼らざるを得ない自分自身の情けなさと、そしてそんな自分に手を差し伸べてくれる人々の人情。
照れくさくてありがとうさえも言えず、あまりにも自分自身かふがいなくて相手の目さえ見れなかったが、
俺もそうやって人の情けに頼って生きていくしかなかった時期があったのだ。

中学生だったのである。少年であったのである。か弱くふがいなく、そして実は見かけ以上にずっとずっとタフで狡猾だったのであるつもりでも、
やはり中学生だったのだ。俺たちが生き延びることができたのはつまりはそういう理由からである。

良い本だった。

ほかのかたぎの連中がこの本を読んでどう思うかは知ったことではない。
あるいは、この本にはかけなかったことがいくらでもあった筈である。

あの頃の仲間たち。
アンパンに溶けてしまった前歯を見せて笑うダチ。
らりってふらついていたところを隣町のグループに捕まってぼたくその袋叩きに合いながら、
仕返しどころかへらへらと笑っていたあの情けない姿。
夜更けの駅のベンチで、妙になれなれしく笑いかけてくるホームレスたち。
困ったことがあったらいつでもこい、と恩着せがましく近づいてくるやくざもの。
滲んだ街のネオン。冷たい風。雨。
つまりは健全な学校教育から隠された現実の中の裏の顔。
つまりは夜はルーザーたちの世界なのであった。
俺はそんな夜の街の中にうごめく不穏な大人たちの世界を返りみながら、
くそったれこうはならねえぞ、とは思いながら、
必然的にそんなルーザーの世界に自身が浸り込んでいく様も十分に予想していた。
家を失った少年にとって夜の街はまさに暗い海であった。
がしかし、それはとてもとても甘い海でもあった。

そんなことを知らずに育った奴らに心なんて開けない。
そんなことも知らずに育った友達など友達とは思えない。
俺はいまでもそう思っている。
あのやるせなさと怒りはいまでも俺のからだのどこかに生き続けている。

幸せになろうな、と思った。
意地でも幸せになってやろうな。
そう思ったことをいまでも忘れてはない。

残念ながら俺はそれほど胸を張れた人生は送ってこれなかったようだが、
少なくともあの頃の仲間うちのひとりだけでも幸せになってくれていれば、
それはそれでちょっと救われたような気もするかもしれない。

漫才はこれからも一切見ることはないだろうが、
もしこのホームレス中学生がテレビに出ていたら、
なんとなく観てしまうかもしれない。

2014全豪 フェデラVSナダル

Posted by 高見鈴虫 on 24.2014 テニスねた   0 comments   0 trackback
と言う訳で全豪が終わった。

いやいや、終わってない終わってない。
まだまだ決勝が残ってるwww
とは言うものの、
まあつまりは、俺の、と言うか、
ぶっちゃけフェデラの全豪が終わった、と。

今更ながらきついのは全豪。
メルボルンとニューヨークの時差が16時間という訳で、
第一試合の開始がこっちの時間で夜の7時。
で、メーンイベントの試合の開始はなんと夜中の三時半。

この大会が始まると毎回ながらの超寝不足。
おまけに北半球と南半球で冬と夏がまっさかさま。
零下15度のニューヨークで40度の炎天下で行われる死闘を観戦することになる訳で、
思わず体内時計に変調をきたすことになる。

がしかし、この準決勝。
フェデラVSナダル。
往年のテニスファンとしてはまさかこのマッチを見逃す手は無いだろう、というばかりに、
昨夜だけは思い切り気合を入れて、残業も早々に切り上げて、
晩飯も抜いて早めに寝ておこう、と思いながら。。。
やはりついつい期待に高鳴る胸に寝付けずにそのままずるずると三時半。

がしかし、テニスなんてものにこれほどまでに胸を高鳴らせるというのもまさに久々のこと。

フェデラとナダール。

因縁の対決、というよりは、
テニスの黄金時代を築いたこのふたり。

かの伝説のWINMBLEDONの5セットマッチ以来、
今度こそ、今度こそ、と思いながら。。。
結果はいつもナダール。
思わずがっくり、を繰り返してきたのだが。。

がしかし、
今大会のフェデラ、なにかが違う!

大会前に新たにタッグを組んだコーチ・ステファン・エドバーグ。
そう、かの七色のキックサーブと蝶が舞い蜂が刺すような超人的ボレーを連発してグランドスラムを連取したこのボレーの貴公子がフェデラのバックに着いた訳だ。
それに加えて、あろうことか長年使いなれた90SQのラケットから、なんと100SQのでかラケに変更。
むむむむ。。。
素人でさえラケットを変えるのは至難の業。
特に小さな面のラケットを使っていたものがいきなりでかラケを手にすると、
まるで中華なべを振り回しているような気にもなるものだが、
まさかあのフェデラがいきなりラケットを変えるなんて。。あまりにもリスキー過ぎる。。

がしかし、その効果か、今大会のフェデラ、かなりなにかが違う。
マッケンロー弟の解説では、ベースライン上でもヒッティングの位置がかなり前に来ている。これは物凄く良いことだ!
と大絶賛。
サーブでの力みを失せてセカンドサーブのポイント率がずば抜けて高い。
それに押されるように早め早めにネットに寄せては大胆に繰り出される必殺ボレー、
おおお、やった~!!!と思わず膝を叩いく。
これぞフェデラだ。これこそがフェデラなのだ!!

4THラウンドでは去年の全仏で苦杯を舐めたツォンガを、
そしてQファイナルではあの去年の全米の覇者・アンディー・マレーを粉砕。

まさに、新コーチと新ラケットで往年の無敗の帝王が復活、というところ。

それに引き換えナダール。
今回の、今回に限って、調子がかなりおかしい。

あの魔王のような勝負強さを持っていたこのマジョルカの闘牛士、というより闘牛そのもの男。
その人間離れした驚異的身体能力のこの超人テニスマシーンが、
まさかあの錦織ごときにぶん回しにあっては、
ここぞというときにまさかまさかのダブルフォルト、とこれまでのナダールからするとちょっと信じられないぐらいの大不調である。

掌にできた豆が悪化して、というよりは、たぶん古傷の膝がまた痛み出したせいだろう。

と言う訳で、こう言ってはなんだが、もしかして今回こそはフェデラにチャンス。
あの決勝戦のプレゼンの席で思わず泣かされたあの雪辱を、
いま、いまこそ、倍返しだ!

とひとりで力みまくっていたのだが。。


と言う訳で、2014年全豪大会の準決勝。
夜中の三時半から観たフェデラVSナダルの一騎打ち。
結果は・・・

なんとストレート。。。。フェデラの惨敗。。ストレートかあ。。

と言う訳で、

もしも5セットになったときには会社はぶっちしよう、と覚悟を決めていたのだが、
結果だけ見れば、7-6,6-3,6-3のなんとも凡庸なスコア。

つまりファーストセットのタイブレークを落とした時点で折れてしまった、
というか、つまりは万策尽きてしまった、ということだろう。

と言う訳で、幸か不幸か出社の時間に余裕に間に合うような予想外の結果に終わった訳で、
くっそお、まじちょっと期待していたのだが。。
ストレートかあ・・・とがっくりだ・・・

とそのまま寝ずに仕事に行ったら、
ちょっと早すぎるかとさえ思った朝の地下鉄を思わず居眠りして乗り過ごしそうになった。

そして改めて、ああ眠い、と思わず朝一から大あくび。

今日一日こんな調子か。あるいは。。5月の全仏までまさかこんなかんじ。。。
ああフェデラよ。。全仏とは言わない。が、全英、そして全米、待っているぞ!!


2014全豪 ドジョウ子ビッチVSワウワウリンカ

Posted by 高見鈴虫 on 24.2014 テニスねた   0 comments   0 trackback
ちゅうわけでなんだ、
今年の全豪。

さすがに最近では昔のように毎晩朝まで、
あるいは仕事をぶっち切ってとまではいかなくなったものの、
やはり真冬の真っ只中に行われる地獄の炎天下での死闘、
なんだかんだで思わず持って行かれてしまう。

俺的に言えば、今大会のハイライトと言えば、
まさに、ワウリンカVSジョコビッチの準々決勝。

先の全米ではナダルに敗れたものの、
実力的にはこのジョコビッチがナンバー1であることは周知の事実。

そんなジョコビッチ、
今年こそは前人未到であるグランドグランドスラム、
一年のうちに豪仏英米の4大大会を全て制覇、
つまりは、クレー、芝、ハードコートのすべてのサーフェースを制覇するという
まさに絶対的な王者の証。

フェデラやナダルはおろか、歴代の超人たち、
サンプラスもアガシも、かのマッケンローもボルグもコナーズでさえも成し遂げられなかったこの偉業。

これをこの憎きブラック魔王・ジョコビッチが達成する姿、
これだけはなにがどうあっても観たくない!観たくはないのだが・・・
たぶん今年ぐらいに、どうもこのジョコビッチがそれを達成しそうだななな、
という悪夢に苛まれてきたのは確かに確か。

がしかし、去年の歳も押し詰まった頃に思わぬ朗報が届いた。

なんとそのジョコビッチが新任コーチにあのボリス・ベッカーを雇った、という大ニュース。

なんだそれ、と思わず????

だってよお、あのジョコビッチだろ?

徹底した安定志向。決してリスクを犯さず、
いつもカニのようにベースラインを右往左往しては来た球を打ち返しているだけのこの腐れベースライン野郎。

ああ判っている。俺のテニスは観ていても面白くないよな。
ただ、試合に勝つ、ということを優先させるとこの方法がベストなんだ、というジョコビッチ。

ボクシングで言えば徹底したボクサータイプ。
ディフェンスに終始してリング上を逃げ回っては、がしかし、細かいミスをついて得点を稼いで判定に持ち込む、
というまさに蛇の生殺しのようなやりくち。

プレーに華がない、というよりも、なんとなくその表情も相成って、卑しすぎ、というか、あさましすぎ、というか、
つまりは徹底的に面白みに欠けるわけである。

そんなジョコビッチが、かのボリス・ベッカー、
バカの一つ覚えのように弾丸サーブとジャンピング・ボレーを繰り返した究極のサーブアンドボレー野郎。
つまりは典型的なファイタータイプ。

そんな水と油の二人がタッグを組んだ、という時点で、???と言うよりも、
これは絶対に良い方向には転がらないだろう、とは予想はしていたのだが、
案の定、大会初めから、これまでのジョコビッチにはありえなかった凡ミスを連発。

アンフォースド・エラーが少ないことだけが取り得であったジョコビッチが、
まるで焼け糞のようにバカ打ちを繰り返しては訳も判らずネットに寄せて返り討ち。

と言う訳で今大会のジョコビッチ。
その締めくくりという訳で、最後の最後に見せたなんだよあの糞ボレーは!と大爆笑。

やた~!これぞベッカー効果!と思わず躍り上がってしまった。

そう、あのブラック魔王・ジョコビッチ。
こんな野郎にグランド・グランドスラムなど達成させてなるものか、
とは誰もが思っていること。

つまりはこのどじょっこ野郎の鼻を明かすのは果たして誰か、とそっちの方に興味が移っていたのだが、
正直言って今現在、フェデラもナダールも、そしてマレーでさえ、
ちょっとこのジョコビッチの勢いを止めるにはどうしても役不足。

もしそれを成し遂げられるとしたら、
つまりは究極のダークホースであろう、とは思っていたのだが。。。

そうそのダークホースこそまさしくこのワウリンカである。

このスイスの木偶人形、あるいは赤十字のハイエナ兄さん、
ジョコビッチにびびらないとしたらもうこの人しかいない、とは実は思っていたわけだ。

で、このワウリンカ。
実はほとんどランキング外であった頃からちょくちょく観ていた。

というのも、このワウリンカ、ご存知フェデラと同じスイスの出身で、
フェデラの練習を見に行くと、必ずというぐらいにヒッティング・パートナーとしてコートに立っていた。
がしかし、あの時代のフェデラはまさに無敗の帝王。

スピードから長さからそのスピンの回転速度から、
来る弾来る弾、まるでマジック・ボールのように変幻自在。
そんなフェデラの超癖球に目をくるくるどころか思わず足を取られて尻餅をついては、
くそったれ、と舌打ちしながら頭をかいて苦笑い。

がそんなフェデラに鍛えられ続けて早10年。
そのワウリンカがまさに兄貴分の雪辱を果たすとはまさにまさに兄弟仁義の鏡。
やってくれるなこのハイエナ兄ちゃん、と思わず。

俺はなにも要らない。
ただ、大好きなフェデラ兄ちゃんの仇を取りたいだけなんだ!とばかりに、
気合と気迫だけでもぎ取ったこの大勝利。

この勢いでなんとか、ナダルの頸も打ち取って欲しいものなのだが。。。

がしかし。。。ワウリンカがグランドスラム・チャンピオン!?

なんか。。。柄じゃねえなあ、とも思ってしまうわけで、
それを本人が一番知っている、というのがまたおかしい。

と言う訳であさっての決勝。

十中八九はナダルだろうが、俺はしかし、あえてこの赤十字のハイエナ兄ちゃんを押す訳だ。
だって、そう、フェデラの仇討ちなんだからさ。

2014全豪 やはりフェデラだろう

Posted by 高見鈴虫 on 24.2014 テニスねた   0 comments   0 trackback
別に狂信的というつもりもないのだが、やはりフェデラが好きだ。

デビュー当時、あのちょんまげに白はちまきの侍ルックの頃から、
むむむ、こやつにはなにかある!とにらんでいたのだが、
かの嵐の夜のアガシとの一騎打ちをコートサイドの間近に観るにあたって、
もうこの人しかいない!とまでに入れ込んでしまった。

という訳で、俺のテニス熱。

ベッカーエドバーグサンプラスと来てこのフェデラでついに上がりをみた、
というところなのだが、まあ寄る年波というか、
無敵と言われたこのフェデラ。
1セット落とすだけで新聞の一面に載るほどの超人的な強さを誇ったあの時代もいまや昔。

そしていま、普通のおじさん、というか、お父さんプレーヤーとして新たな時代を迎えようとしている。

という訳でまあ世代交代である。

が誰もが判っているように、あの全英決勝戦ナダルとの一騎打ち、
あの試合に勝る試合はもう今後も出てこないだろう、と確信しているわけで、
つまりはテニスはすでにあの試合をピークに再び平静を取り戻していくのだろう。

とそんな訳で、フェデラの次代を担う選手たち。

まさにナダル、そしてジョコビッチ、な訳なのだが、
こう言ってしまうといかにも親父くさいが、やはり。。フェデラに比べては、ひとつふたつみっつぐらい、役不足、
というか、まあ、技術的なとこを除いて、なんというか、やはりあのカリスマ性というか華がない、というか。

やはり落ち目とは言え、フェデラのプレーには華がある。

サーブが入らなくなるたびに胃が捩れるような苛立ちを感じるし、
バックハンドを外すたびに思わず青あざができるほどに膝を叩いてしまう。
つまりフェデラの試合を見るたびにはらはらドキドキでまさにストレスに内臓がひっくり返りそうになるのだが、
がしかし、やはりフェデラ。
ここまではらはらドキドキ。負けたときにはまさにちゃぶ台返しとなるわけなのだが、
がしかし、ここまで気を揉ませてくれるのもそれがフェデラだからなわけで、
やはり、フェデラの試合をなくしてはテニスは成り立たない、とまで思ってしまうのだ。

可愛さあまって憎さ百倍、というよりも、もうフェデラのことが好きで好きで、
すきすぎて思わず、なあああんだよ!!!ロジャー!しっかりしてくれよ!となってしまう訳だ。

俺はフェデラが好きだ。
キースリチャーズと同じぐらいに好きだ。
たとえ何があろうと好き、と言える数少ないヒーローな訳だ。

そういう100年に一人の天才野郎の隆盛を、10余年に渡って共に過ごせたこと、とても幸せであったと思っている。

「貧乏に生まれたガキへ ~ 普通にやっていても一生ろくなことはねえぞ」

Posted by 高見鈴虫 on 25.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   2 comments   0 trackback
ぶっちゃけ、貧乏な家庭に生まれた時点で、
その先の人生にろくな展開は望めない。

そんなことは誰にでも判っていることだ。そしてそれは今に始まったことじゃない。

世の中は金持ちが良い思いをするために出来上がっている。

がしかしこの世の富が無尽蔵でない以上、
誰かが良い思いをする分、誰かが損を食わされる。
それは当然の摂理である。
そしてそれはますます助長されていく傾向にある。

そんな状況に、
一生愚痴をいいながら過ごすのも良い。
どこかで聞きかじったろくでもない正論を振り回し、
いつか誰もが幸せな世界がやってくると信じ続けるのも良い。
苦労することこそが美徳と思い込むのも良い。
完全に諦めて徹底的に適当な人生と割り切るのも良い。

それはそれで選択だ。

が結局、たとえ何をやったとしても、
貧乏人ばかりが損を食い、美味しいところはすべて金持ちが吸い上げる、
そんな縮図にはなんの変わりもない。

ただ現実として、そんな不条理がまかり通る世の中である以上、
人よりも貧乏な家に生まれたお前は、
普通にやっていてはいつまでもそんな不幸な轍からは逃げ出ることができないことを
より深刻に受け止めるべきなのだ。

だからいまさら、自分と他人を比べて幸か不幸かなどと下らないことを考えるな。

どんな御託を並べようが、お前は貧乏な餓鬼に生まれた、という現実は変えることができない。

貧乏な餓鬼に生まれた以上は、
出来る限り早くその不利な現実を冷静に受け止めて、
それにどうやって立ち向かっていくべきなのかその方法論を考えろ、ということなのだ。



2014全豪 ワウリンカVSナダル

Posted by 高見鈴虫 on 26.2014 テニスねた   0 comments   0 trackback
テニスは好きなのだが、やはり好きな分、嫌いなプレーヤーもいる。

ぶっちゃけそれはジョコビッチ。
そしてバーディッチ。

ナダルも嫌いではないが、
やはりフェデラと当たる時には思わず罵声を浴びせてしまったりもする。

とそして、

この全豪大会において、そんな嫌いなプレーヤーを一網打尽にしてくれたとんでもない輩がいる。

つまりは、スタン・ワウリンカである。

いまとなってはまさに晴れてグランド・スラム・チャンピオンとなったこのワウリンカ。

かつてはフェデラの弟分として練習につき合わされているのを良く見たもので、
あのニキビ面のでくの坊。図体ばかりでかいのだが、フェデラの癖球に目を白黒させては足を取られ、
涙目で悪態をついていたものだ。

そんなワウリンカがついに2014の全豪チャンピオンである。

フェデラの落日以降も、すぐに台頭してきた若手4強の影に隠れて、
このまま行けば一生をMR.QTR FINALとして終わるのだろうな、とは思っていたのだが、
そうは思いながらもフェデラのよしみでスケジュールの許す限り試合があれば応援に行ったものだ。

かの鬼才コーチ・ピーターラングレンが、フェデラのコーチを断ってこのワウリンカのコーチに就いたとき、
あの妖怪おやじはいったいまたなにを考えているのか、とは思ったものだが、
確かにこのでくの坊おぼっちゃまのワウリンカが異彩を放つようになったのもそれから、という気がする。

そしていま、彼はこの2014年全豪大会において、まさになすべきことを全てやり遂げてしまった。

つまりは、フェデラの宿敵・ブラック魔王ジョコビッチをまさにガチンコ試合5セットの末に粉砕。

そしてその次にはバーディッチ。

このの吸血鬼野郎のバーディッチ、記者会見のたびに大口叩いて、

なに?フェデラ?奴の時代は終わりだろ。まさに俺の敵じゃないね、なんてことを平気で言い放っては、
テニス会全体の大顰蹙を買ったこの嫌われ者を絵に描いたようなドラキュラ野郎。

フェデラもこいつにだけはあんまりに頭に来たのか、試合になると逆に頭に血が上って馬鹿打ちを連発してしまうところがあって、
他のプレーヤーも同じ気持ちなのだろう、こいつとの試合はいつも荒れる。
そして、そんな相手プレーヤーの憤怒をあざ笑うかのようなあの皮肉な態度。
まさに、この野郎な訳で、テニスファン多くともこいつのファンだけは見たことがない。
実際にUSOPENの練習コートを回ってみてもこのバーディッチの応援だけは皆無。
人ごみを歩いていても誰一人としてカメラを向けるファンもいず、
どちらかと言えばそのあまりに不釣合いな綺麗過ぎるガールフレンドにばかり注目が集まってしまう。

という訳で、我等がフェデラ弟、じゃなくてワウリンカ、
当全豪の準決勝においてこのバーディッチを完膚なきままに大粉砕。

まさに、やってくれたな、ハイエナのにいちゃん、というところでやんややんやであった。

がしかし。。。

さしものワウリンカも、まさかナダール相手では。。。

と首を傾げていたのも確か。

というのも、実はこのワウリンカとナダールは非常に仲が良い。

ナダールもフェデラの代替として重宝してたんだろうが、
ワウリンカにしてもそんなナダールにほいほい付き合ってしまう気安さがあって、
その間の抜けたところもワウリンカらしいのだが、そんな仲良しのワウリンカとナダール。
練習のたびにナダールにサイドを抜かれまくっては、いやあ、凄い凄い!と実に愉快そうに笑っている姿を見かけたものだ。

ちゅうわけでなんだ、そう、今回のこの決勝。

確かに今年のナダールは調子がいまいちであったのだが、
よりによって決勝のこの檜舞台でそれが出てしまったというのもまさにグランドスラムの決勝におけるとてつもないプレッシャーのなせる業。

試合中にぎっくり腰を起こしたナダールを気遣うように、トロフィーの授賞式でもなんとなく不満げに映っていたワウリンカ。

そう第一セットを見る限り、ナダールがぎっくり腰を起こそうが起こすまいが、実力的にもワウリンカが勝っていた、というのは周知の事実。

がしかし。。そう決勝におけるマジックとは技術的な実力も去ることながらまさにメンタル。

勝ちを目前にしたアンダードッグがもしかして俺があの王冠を!と思ったところでいきなり全身が硬直。その一瞬の隙に付け入られていきなりのメンタル総倒壊という様を何度も見てきただけに、
まさか、ここまで来て、と正直あの第三セットはかなりやきもきさせられた。

そう、パトリック・マッケンローも言っていたが、いまから10年前、2004年のフレンチオープンの男子決勝。

前日の女子の決勝の、ミスキーナとデメンティエバの試合があまりにしょぼかったものだから、
この男子決勝で当たったアルゼンチン人同士、ギジェルモ・コリアとガウディオの試合。
試合がコリアのワンサイドになってきたところで客が悪ふざけを始めた末にその異様な雰囲気に飲まれたコリア、
勝ちを目前にしながらまさかの両足痙攣。
結果、その一生に一度の稀に見る大チャンスを棒に振ってしまった訳だ。
ちなみにこのコリア。ルックスからプレースタイルからまさに俺は大ファンであった訳だが、
その翌年からまさに彗星のように現われたナダールによって後の10年間は完全に姿を掻き消された状態。
挙句の果てにドーピング疑惑にひっかかっては泣かず飛ばずのうちに選手生命を終えることになった訳だ。

という訳でそう、このナダルとワウリンカ。
ぎっくり腰を起こして立つのもやっとのナダールを前に、
ナーバスショットを連発するワウリンカ。
全身に流れていた汗が冷え切ってしまい、まさに肌には鳥肌が立つほどのパニック状態。
そうだよな、確かに。判る判る、判るんだよこの気持ち、とは思いながら、
このワウリンカが、あのコリアと同じ運命を背負い込むことになるのはあまりにも可愛そうだ。

それは観客も同じだったのか。
あるいはこの試合が、やはり前の試合のフェデラの弔い合戦であるという意味合いを十分に承知してい訳なのか、
その後、顔にパンチを入れながらなんとか気を取り直したワウリンカが、
ようやくとそのトロフィーを手中にすることができたわけだ。

くそったれ、こんな試合で勝ったからと言ってうれしくもなんともねえ、
という不貞腐れた態度、それも判る判る。
が、しかし、そう、貰っておけ!と思わず。

なにがあろうが、これで押しも押されもせぬグランドスラマー。
その名前は今後もテニス史上に燦然と輝き続ける筈。

という訳で、あのニキビ面のでくの坊がついにチャンピオントロフィーを手に入れた。
ランキングもいまやフェデラを抜いて第三位。

このナダルとの試合はまさに不完全燃焼であっただろうが、
しかし、この先、本当に本当のガチンコ試合のチャンスはまだまだ何度でも回ってくるはず。

次回は、多分、ローランギャロス、あるいは、ウインブルドン、そしてフラッシングメドウでは、
まさに、追われるもの、つまりは勝って当然のチャンピオンとしてコートに立つことになるのだから。

という訳で、ナダルファンのかみさんでさえ、ワウリンカの晴れ姿に思わず拍手拍手。

へええ、あのニキビ小僧がねえ、フェデラにおちょくられて悔し涙浮かべてたのにねえ。。

と思わず感無量である。

という訳でこのワウリンカ。

ジョコビッチ、バーディッチ、そしてナダール。

兄貴の仇を、まさに見事なぐらに立派に成し遂げた訳だ。

そしていま、その兄貴フェデラの落日を前に、再びスイスの国旗を上げるのはあなたしかいない!

フェデラ用に買ったあの赤地に白十字のTシャツは、次はワウリンカの応援に着ていってあげよう。




2014全豪 ナダール

Posted by 高見鈴虫 on 26.2014 テニスねた   0 comments   0 trackback
という訳でナダルである。

今年のナダル、なんかちょっとおかしいな、とは思っていた。

例の錦織との対戦が繰り返しテニスチャンネルで再放送されていたのだが、
おおお錦織すげえ!と言うよりは、
なんかこのラファ、おかしくねえか?と目を疑うことがしばし。

普段のラファに似合わず凡ミスが多すぎ。

その後、手のひらに肉刺をこしらえて、とその潰れた血豆を見せていたが。。
いやいや違うでしょう、と。

この猛牛男がまさか肉刺ごときでミスショットをするなど考えられない。

この人はそんな人ではない!と俺は断言してしまう。

つまり、また膝じゃないのかな、と思っていた。

そうミスショットの理由、というよりも、普段のラファのあの超人的ショットの秘密がどこにあるのか、
と言えば、その腕力でも握力でもない。

つまりはぶっちゃけ、その動体能力というか、ぶっちゃけフットワーク。これに尽きる。

その点において、これまでナダールの凄さ、と誰かの批評を読むたびに、
いやいや、違う違う、とずっと思っていた。

これまで幾たびとなくフェデラをそしてこのナダールをまさにコートサイド、
あるいは練習コートの袖から、下手をするとコートの上でも見てきたのだが、

このフェデラとナダールというテニスの黄金時代を創出した二人の天才、

この人たちがこれまでの常人プレーヤーとなにが違うか、と言って、
やれトップスピンだ、バックハンドだ、といろいろと眠たいことを良く聞かされたものだが、
俺から言わせればそれはもう簡単。
つまりは、まさにそのフットワークである。

フェデラのあのまるで宙を舞うような、一瞬軽業師を見るようなあの身体の動き。
かつてのマトリックス、あるいは、そう、クラウチング・タイガーではないが、
あのボールに向かって、すーっと身体が滑っていくようなあの滑らか過ぎる身体の動き。
あれを前にすると、全てのプレーヤーがすべて鈍足のキコリに見えたものだ。

そんなフェデラに比べて、ナダールのフットワークはまさに闘牛であった。

コートサイドにおいてナダールの試合を見ると、まじに恐怖を感じたものだ。

あの巨体がいつこの観客席に突っ込んでくるか、と思うと気が気ではないほど、
そのフットワークがまさに、ど迫力に満ちていた。

こいつは何者だ!と思わず目を見張ってしまう。
こいつは野獣だ、ケダモノだ!
まさにそれは人間というよりは、猛り狂った闘牛に近いものがあった。

あのデビュー当時、左の利き腕ばかりが岩石のように盛り上がったまさに弁慶カニのような体系。

そして、コートに出るやいなや、待ちきれない!とばかりに走り出すあの迸るようなパワー。

がしかし、そんな不自然な体系こそは、それまでの無理なトレーニングの賜物なのだ。

つまりは普段から鉄ゲタではないが、両足にずうっしりとウエイトを縛り付けてきたであろうナダール。
その鎖を解き放たれるのはまさに試合のコートの上だけ。
その姿はまさに、檻を解き放たれた野獣そのもの。
こいつはテニス界のマイク・タイソンか、と思ったものだが、
やはりタイソン同様、それまでのあまりに激しすぎるトレーニングがゆけに、
王座を勝ち得たときにはすでに身体中がボロボロであったのだろうう。

という訳でいまやナダルの生命線となりつつあるこの膝。

そしてその次に来たのがまさにこの腰。
膝を庇おうとするばかりに、その比重が腰に行ってしまった、というところだろ。

という訳で、フェデラの言葉を借りるまでもなく王座をGETすることよりは、
王座を維持することの難しさは並大抵のことではない。

心理的なプレッシャーも然ることながら、まさに怪我との戦いである。

アガシではないが、王冠を勝ち得たとたんに待っているのは、王座を守るための重圧と、
そして、みるみると倒壊していく己の身体と、そしてそれに伴う激痛との闘いな訳だ。

各なる小俺も、テニス狂いであった時分、
テニスエルボーは持病としてあきらめてはいたのだが、
その後、ひょんなことから試合中に足が攣り、
それ以降、このクランピングが癖になり、
試合中、それも最終セットに勝ちが見えてきたとたん、
あるいは、タイブレークなんて時になるときまって太ももやふくらはぎに
このクランピングがぴきぴきと不穏に跳ね始めるのだ。
それを気づかれたとたん、
相手方はチャンスとばかりにやれドロップショットだ、ロブだサイドだ、
と振り回しをはじめられ、そして遭えなく。。。くそったれ。
この悔しさ、思わず本気で硬直した足をラケットで殴りつけてしまったことも何度も。

その後、そのあまりの酷さから、ストレッチから食事療法からサプリメントから、
マイナスイオン水から水泳から鍼からヨガからと、ありとあらゆる手段を尽くしたが改善せず、
その後はお決まりの腰に来て万事休す、とまさに全身倒壊。

そんな俺にとっても、試合中に身体をやられることの辛さは知りすぎるほどに知り抜いてきたつもりなのだが。

今回のナダルを見て思っていたのは、こいつ・・・なんで立っていられるのだ、という訳である。

足の攣り、ならば痛みさえ我慢すればなんとかごまかしごまかし、立っていることもできる。
がしかし。。今回は腰だろう。
ぎっくり腰を一度でもやったことのある者なら、あの超人的な痛み、立っているどころか息を吸うことさえやっと、
というあの殺人的な痛みを知らないわけはないだろ。

がしかし、このナダール。まさに息もできないほどの痛みに襲われている筈であるのに、
なんと、サーブをし、リターンを返し、そして1セットを奪ってしまうのである。

こいつ。。。。

これにはまじで驚いた。

つまり、なにか?ぎっくり腰を起こしても、その気になりさえすればテニスを続けることもできるという訳か?

いや、無理だろう、と思う。

つまり、それができる、ということからして、この人はまさに人間を超えているわけだ。
そんな姿を見て、つくづく、心底、この人はまったく普通の人ではない、まさに化け物。まさに野獣そのものである、
ってな認識を新たにしたわけだ。

がしいて言えば。。。なぜそれが決勝であったのか。。

できることなら、フェデラの試合に、あるいは、錦織の試合中にこれが起こってくれれば。。
などとしょうもないことを思ってしまうわけだが。。

という訳で、我等が錦織。

このナダールに勝つ、ということは、つまりは、普通の人間をやめることになる、ということ。
つまりは、人間である以上はこいつらには勝てない、ということな訳で。。

重々承知されたし、と思うわけだ。

BITTER COLD ~ 苦寒

Posted by 高見鈴虫 on 28.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback
今年の冬は寒い。

そんなこたあ冬になるたびに挨拶代わりに言われることではあるのだが、

この冬、前代未聞の大寒波に襲われたニューヨーク。

今年に限って、そんなことをわざわざ口に出す輩もいない。

ニューヨークに住んで早20年になるが、いままでこれほどまでに凄まじい冬を経験したことはなかった。

一週間に一度ドカ雪が降る。

そのたびにバスだ地下鉄だタクシーだが無茶苦茶になり、
流通が滞り学校が休みになり、そして人々は際限なく降り続く雪の中で終わり無き雪かきを続ける。

そして雪が降り止んだ途端に零下15度の凍りついた突風が吹き荒れ、
それが終わるとすっかり凍りついた残雪に街中がスケートリンクと化す。
二三日ようやく零下5度ぐらいの日がやってくると、
おおなんかまるで小春日和じゃないか、と感じるぐらいに、すっかり体内の温度計がバカになっているのに気づく。

そしてようやく道々の氷りついた残雪が取り除かれた頃、
まるで見計らったように次のドカ雪がやって来るという次第。

そんな中、さしもの我が家の猛犬、
この問答無用のお散歩マシーンである我ブッチ君でさえ、今年のこの寒さには思わず目をぱちくり。

アパートのロビーから吹き荒ぶ雪嵐を見るに当って、唖然として雪舞う空を見上げた後、やばっとばかり、ぶるりと身体を震わせてそそくさと回れ右。

そこをなだめる賺してなんとかおしっこだけでも済ませて貰うのだが、それだけでも全身が雪まみれ。
まつげについた雪辺にしょぼしょぼさせた情けない顔に、そのスリムな短毛の身体をプルプルと震わせて見るからに哀れである。

何だよお前、どうした!いつもの元気はどこ行った。さああお散歩出発だ!といくらカツを入れても微動だにせず。

うーん、もしかして、これは元気やら、根性やら、という次元ではなく、すでに常識的な範疇、つまりはその犬種における許容量の限界を超えてしまっているのではないか。

という訳で、ここに来ていやはや、今年の冬の寒さのあまりのとんでもないさを改めて思い知った訳だ。

と、そんな姿を観るに見かねたかみさんが、着古したカシミアのセーターを改良して特性ブー君セーターを作成。

犬の体系に合わせておしっこ用にお腹の弛みをたくし上げたりとしているうちにまるで田植えに向かうもんぺ姿そのもの。
その上から黄色いレインコートを羽織る訳で、ステテコを履いたおっさんが黄色いマントをはためかせているようだ。

まるでどこぞの山の神がマンハッタンに降臨したようでもあり、観ているだけでも笑わせてくれる。

がしかし、この特性・山の神セーターのお陰か、吹雪の中でも零下15度の極寒の中でも物怖じすることもなくなりハッピーハッピー。

本人もよほど気に入ったのか、散歩に出かける前にセーターを出すと嫌がるどころか自ら率先して片手ずつを差し出してくれるようにもなった。

と言う訳で、この100年に一度の大寒波でさえ、我らが猛犬たちは恐れるに足りず、というばかりに、雪の公園を我が物顔に走り回っている訳だ。

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ソルト・バーン ~ 塩焼け

Posted by 高見鈴虫 on 28.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback

がしかし、この冬の真の強敵は実はこの雪でも寒さでもない。

そう、そんな犬たちの真の強敵と言えば、まさに塩。

つまりは雪が降るたびに、滑り止めのために巻かれるこの塩。

これが犬たちのパウに染み始めるや、ひりひりと痺れてとても痛いらしいのである。

そんなソルト・バーン~塩焼けを防ぐために、我が家では必殺 MUSHERS WAXという、
エスキモーの橇犬ご用達の特性クリームを塗って来たのだが、今年のこの寒さ、そして雪の量、
まさしくそんな今までの常識の全てを覆すまさにクライシス・シチュエーションの極限状態。

さしもMUSHERS WAXも、通りに出てワンブロックも行かぬうちから、
ぴょこたんぴょこたんと足が攣ったようにびっこを始める訳で見るからに痛々しい。

がしかし、この塩々も公園に着くまでの我慢。

公園の雪の原野に辿り着けばもう元気いっぱいであることは判っているので、
さあがんばれ、あと少しだ、と綱を引くのだが、
どうにもこうにもこの塩焼けの辛さ、さしものお散歩大魔王もぐうの音を上げては
雪の最中に一歩も歩かなくなってしまった。

と言う訳で、この雪の中、いまや40LBになろうかという中型犬を
よいしょとばかりに胸の中に抱え込んで吹雪に霞む公園までの道のりを行く訳で、
その姿、まるで世界最悪の旅のスコット隊長をさえも思わせる。

お前なあ、橇犬の分際で人間様に担がせるとはなにごとか、とぶーたれながらも、
いざ公園に着いたとたんに、さっきまでのピーピー声もどこへやら、
行ってきま~す、とばかりにあっという間に白い雪原に消えて消え去ってしまうう訳で、
ひとり取り残されたこの俺。。まったくなあ、と苦笑い。

だがしかし、この塩焼けである。

いつまでも橇犬を担いで散歩をする訳にもいかない訳で、
凍りついた交差点で足をとられるようなことがあればまさに死活問題。
なによりも、可愛い我が子が苦痛に顔をしかめている姿は見ているだけで胸が張り裂けそうにもなる。

と言う訳でついに近所のペットショップに出かけて、スノーブーツを購入することになった。

このスノーブーツ。

ちょうどゴム風船のような格好で、ゴム製の提灯形のゴム袋にその足を突っ込む訳で、
ちょくちょくこのゴムブーツを履いた犬を観るたびに、なんだこの軟弱者は、足にコンドームなんかしやがって、
とせせら笑ってはいたのではあるが・・・

ついについに我が家のブー君もそんな軟弱犬の仲間入り。

がしかし、このスノーブーツ。

これまで子犬の時代からお散歩だけは十分すぎるほどにさせてきた関係で、
生まれてこの方、たった一度、それも子犬の時代にシェルターから出された直後、にしか爪を切ったことが無いぐらいで、
つまりはその自慢の俊足を支えるこの4つの足にそんな邪魔臭いものを着けた覚えもない。

と言う訳でその姿、まるで四本足のガチョウそのもの。
まるで焼けた砂浜を歩く時のように、ぴょこたかぴょこたか、とまるで舞踏病患者の嫁入りのようでもある。

そんな姿に思わず笑い転げるたびに、なんだよ~、といかにも恨めしげな表情。
クソッたれこんなものこんなもの、と剥がしてしまおうと暴れ始める訳で。
そこをなんとかなだめ賺して、でもほら、塩の上を歩いても痛くないだろ?とやれば、
あ、そう言えば、そう言えばそうそう、痛くないぞ、と首を傾げてはしげしげとその青いブーツを眺めている。

どうだ、凄いな、文明の利器は。それに割と似合うぞ、そのブーツ。
と騙し騙ししているうちに、なんとかブーツを履いての歩行も慣れてきたようで一安心。

がしかし、その途端にボールを追って無茶をやり始めたものだから、
散歩から帰ったとたんに、ふと見ればその風船ブーツにすっかり大穴が開いている。

あのなあ・・と。

この風船ブーツ。

12個入りで18ドル。

朝夕晩の三回の散歩でそのたびにブーツを破られてしまうと、なんと一日のお散歩代が18ドル・・・
これはまさにちょっと頭の痛くなる大出費である。

がしかし。。いまさらブーツを履かせないわけにも行かず、かと言ってお散歩に出て運動をさせない訳にも行かず。
と言う訳であっという間に穴の空いたブーツの山が築かれてしまった。

これ、接着剤で止めてみようか、あるいは二枚重ねたらどうだろう、と浅知恵を働かせながら、
まったく今年の冬は心底やれやれな訳である。


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雪下痢の原因が解明

Posted by 高見鈴虫 on 28.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback

そう言えばうちの犬、

雪が降ったとたんに喜び勇んで走り回るのだが、
そのあとになって必ず下痢。

酷い時になると血便まで出る騒ぎで、そのたびにやれ救急病院だ、点滴だ、入院だ、で大騒ぎ。

まったく金がいくらあってもなりない、

なんて話をしていたところ、

あれまあそれはね、と簡単な種明かしをしてくれた犬仲間。

それはあんた、塩よ、と一言。

ほら、雪が降るとそこら中に塩が撒かれるでしょ?
その塩がね、下痢の原因。

でも、と俺。

うちの犬ちゃんとWAX塗っているし、

と言えば、

お散歩のあと、ちゃんとお風呂で洗ってる?

あ、いや、一応、パウは洗ってるけど。

パウだけじゃ駄目なのよ。
走ったりした時に、足から腕からお腹から、いろんなところが塩だらけになってるの。
それをね、一人になったときにぺろぺろ舐めてたりするとたちまち喉が渇いて水飲んで、
それを繰り返しているうちに、すっかりお腹が塩焼け起こして下痢下痢になる、
って次第なのよ。

ああ、そういうことか・・と。

どうりで雪が降るたびに下痢をすると思ったぞい。

でも・・それならそうとどうして獣医さんはそういってくれなかったんだろう。。

まあねえ、それが原因で本当に身体をおかしくしている犬もいるだろうし、
原因はなんであれ、下痢が続いて脱水症状を起こしちゃっていたらまじめに命に関わるし。

だから大事をとってもらうに越したことはないんだけどね・・
でもまあ、本当の理由はと言えば、やっぱり向こうも商売だから。

つまり・・

つまり、雪が降るたびに、朝も早くからあんたみたいな慌てん坊が、
やれ、血便だ、救急車だ、って青くなって駆け込んでくる
っていうのがまさに定番なのよ。まいどありーって感じ。

なあんだ、そういうことか・・と今更悔やんでも遅い。

こないだなんか・・やれ点滴だ、心電図だ、とか言って200ドルも取られたんだぜ、
その前には・・うちの犬が重病だ。いますぐに診察しなかったら全員ぶっ殺すぞ、なんて大騒ぎして・・
くしょー、すっかり騙された・・と思わず涙目になるがしかし。。

でもそうと判っても、だからといって下痢しちゃった子を獣医に連れて行かないわけいかないでしょ?

まあたしかにそういわれてみればそうである。

だからね、なるべく獣医さんの手を煩わせないように、
あるいは下痢で辛い目をみさせないように、
雪の日に散歩に出たら、帰って必ず足からお腹からをシャワーで流す、ってこと。

おおお、そういうことか、と今更ながら目から鱗のため息である。

と言う訳で、この犬仲間同士の情報網。まさに侮れない訳である。

南極日和下の最強グッズ

Posted by 高見鈴虫 on 28.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback
実は今年の冬が寒くなる!ってな情報を掴んでいた俺は、
その極寒の季節に向けて準備を怠らなかった。

つまりはこの冬に向けての最強グッズを用意していたのである。

まずはグースダウンのロングコート。

秋を過ぎたあたりに、暇に任せてEBAYなんぞをつらつら観ていた時、
ふとグースダウンのロングコートなるものを見つけた。

その中古のロングコート。写真を見る限りまさに雪だるま。
でその値段がぽっきり100ドル。

その値段の安さも然ることながら、そのダウンのロングコート。

見るからにやりすぎ、というか、まさか南極探検隊じゃあるまいし、こんなものいったい誰が着るんだ、
というような一物である。
たぶん、一生に一度行くか行かないかのスキーバケーションやらに過剰反応してしまったのだろが、
もう二度と着る機会もないだろうし、クローゼットの中に置くにもかさばってしかたがない。

がしかし、買ったときの値段を考えれば考えるほど捨てるには惜しすぎる、という
売り手のジレンマをひしひしと感じるような、まさにEBAYならではの掘り出し物。

がしかし、捨てる神あれば拾う神あり、とはこのことで、

そう、いるのである。そんな無用の長物を喉から手が出るぐらいに必要としている輩。

そんなものを着るのはまさにニューヨークのドッグラバー、これを置いて他にはない!

改めてこのドッグラバー。

矢が降ろうが槍が降ろうが、真夏の炎天下も、ハリケーンの暴風雨下でも、
そしてマイナス15度の超絶の極寒日であろうとも、犬の散歩だけは怠るわけにはいかないという、
実に実に特殊な境遇に生きる人々。

という訳で、この文明世界においては完全にやりすぎの無用の長物であろうこの南極探検隊仕様のロングコート。

思ったとおり誰もBITが現われずたった一人の引きさえもない。

という訳で、期限終了ぎりぎりの直前になってから、

ねえねえねえ、良かったら半額にしてくんない?

とふっかけてみたところ、なんと一撃でOKサイン。

うほほほ、やってみるもんだな、という訳で、なんとその最強ギアがいきなし50ドルで手に入ったという次第。

でさっそく届いたこのグースダウンのロングコート。

届いた時には大きな靴箱ぐらいの大きさであったものが、取り出した途端にみるみるとふくらみ初めていきなりの雪だるま。
いかにもいかにも見るからに暖かそうである。

でこの冬一番と言われた極寒日の到来。

待ってましたとばかりにさっそく着て出てみれば。。。
なんとなんとこの膝下まですっぽりと入るロングコート。まさに最強!!!
まるで分厚いダウンのコンフォーターをそのまま頭からずっぽり被っているようなもので、
しかもダウンだけあってその見た目とは裏腹にまるで羽のように軽い軽い。

下手をすればこの零下10度を割り込んだ南極日和のこの極寒の日に、
思わずベンチに座って居眠りができるぐらいに暖かいのなんの。

いやあまさに掘り出し物のお買い得品。最強グッズを手に入れた訳だ。


「犬の効用」

Posted by 高見鈴虫 on 29.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback
世の中、腹の立つことはいろいろある。

そう思うと、いかにも世界は不条理に溢れているようにも思える。

地下鉄のホームで問答無用にぶち当たってくる不穏な輩。
巷に溢れ返る失礼な発言から不遜な態度から八つ当たりから意地悪から当てこすから、
鯱ばった官僚主義から投げやりな態度から責任回避から虐めから意地悪から、
仕事の押し付け、誤魔化し、嘘、騙し、そして裏切り。
エゴと個人主義を間違えたアホ。
自分の都合でしか物事を判断できない人々。
効率と利潤を理由にまかり通る非人間的なやり口。

まるで悪意が雪だるまのように肥大化して世界を押しつぶして行くようだ。

なぜ人は威張りたがるのか。
なぜ人は愛し合えないのか。
なぜ自分ばかり得をしようとするのか。

他者を敬い自分を敬い自分がされたら不愉快なことは他人にもしない、
という原則をなぜすぐに忘れてしまうのか。

がしかし。。。そう、世の中そうそうと理想通りにはいかない。

ひと昔前であれば、
おい、てめえ、ちょっとこい、と胸倉を引っつかんで校舎の裏側に引きずっていってやるところなのだが・・・
大人の世界、そうそうとそんな簡単な訳にはいかないのは周知の事実。

この実に単純明快なモッブジャスティスのルール。
悪いことをしたら警察を呼ばれる前に勝手に裁かれる、
という基本的なルールが希薄化し、
人は法律にさえ触れなければどんな汚いことでも平気でやってしまうようにもなった。

そう、大人になって世の中いろいろと複雑になった。

この妙に入り組んだ仕組みに胡坐をかいて、
意地悪な奴はより意地悪に、
ふんぞり返る奴は尚更にふんぞり返り、
そして良い人は必ずバカをみる。

がしかし、
妙な勘違いで因縁をつけられて有無を言わさず袋叩き、
なんてこともなくなって、まあそれもどっちもどっちなのだがな。

そう、怒りに怒りで立ち向かってはいけない。
憎悪に憎悪で対しても結果は油を注ぐだけ。

そうは判っていながら・・・

が、そんな時、俺は犬のことを思う。

WINDOWS7のDESKTOPには、次から次へと我愛犬の姿が映し出される。

あるいは、友人から送られてくるYOUTUBEの映像。

愛らしい子犬の姿から、見事な犬の曲芸から、あれ、この犬はうちの奴に似ているぞ、
とそんな映像を見ただけでいきなり持っていかれてしまい、
そしてさっきまでの怒りや苛立ちは、まるで悪い冗談であったかのように掻き消えている。

犬は世界の役に立っているか?

もちろんYESである。

皆さん、もっと犬の映像を見よう。

動物を愛するその気持ちを、あなたの隣人にも投影してみようではないですか。

とふとすると・・・おいおい、俺は今日は朝からずっと犬の映像ばかり見ているな。。

仕事しようっと。

  

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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