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「WINTER'S SUN」

Posted by 高見鈴虫 on 01.2014 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
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真冬の朝、残雪の残るセントラルパーク

低く垂れ込めた雪雲の狭間から、
冬の太陽が憂鬱に輝いていた。

WINTER'S SUN

なんとなく70年代っぽい雰囲気だ。

と言う訳で、いきなりあの「HAIR」のテーマが流れてきた。

The Fifth Dimension - Aquarius - Let The Sunshine In

ヒッピー達。
あの過激な平和主義者たちの姿が、
無茶苦茶に格好よかったあの長髪の人々の姿が、
冬枯れの公園に踊っているのが見えた。

と言う訳で、フミさんである。

この歳になって、
あるいは、この歳になったからこそ、
あのひとが少年の胸に与えてくれた夢が、
まざまざと蘇ってくるように思える。

あたりに人の居ないのを確かめたあと、

思い切りの大声で、バカヤロウと叫んだ。

そう、あの嘗て観た、青春ドラマのように、だ。

バカヤロウ!なんで死んだんだよ!

あなたには話したいことがまだまだ一杯あった。
あなたには聞かなくてはいけないことがまだまだ一杯あった。
あれからもそしてこれからも。
ことあるごとにあなたの話を聞きたくなる。
そしてあなたを失った俺は、いまだに途方に暮れている。

抗がん剤で禿げになるのがそんなに嫌だったのかよ。
綺麗な姿のままで死にたかったのかよ。
死に際を美しく飾りたかったのかよ。

どんなことをしてでも生き抜いて欲しかった。

と今になってつくづく思う。

人間は生きるべきだ。
どんな方法を使ってでも、
どんなに醜く生き恥を晒しながらでも、
命の雫の残り一滴までも、
生きて生きて生き抜いて欲しかった。

あなたには死んで欲しくなかった。

だが、

この歳になるまで俺が生き延びれたこと、
そして、
この歳になった俺が、そう思えるようになったことこそが、

あなたが死を持って俺に教えてくれたこと、
ということなのか。

あなたに取り残されて途方に暮れた俺は、
迷い続けながらもせいぜい長生きさせて貰うぜ、と思っている。

「月曜の朝は運動会のテーマ」

Posted by 高見鈴虫 on 03.2014 とかいぐらし   0 comments   0 trackback
ったく朝から大忙しだ。
頭の中には、軽快なPOPSどころか、
運動会のテーマが鳴り響いてやがる。

俺は馬車馬か、あるいは、グレイハウンド?

やれやれだな、まったく。

やばい、世の中のすべてがスラップスティック・コメディのように思えてきた。

バカおまえ、ヘラヘラ笑ってる場合じゃねえ。早く仕事しろ。

結局南極・スーパーボウル

Posted by 高見鈴虫 on 03.2014 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback

毎年2月の初頭に行われる全米スポーツイベントの最高峰・スーパーボウル。
言うまでもなくこれは全米を挙げての国民的イベント。
米国の正月がしょぼい理由はまさにこのスーパーボウルこそが米国の正月だから、なんて話もあるぐらいで、
子供から老人まで、一族郎党、下手をすれば赤ん坊やら犬・猫にまでお気に入りチームのコスチュームを着させてテレビの前に大集合!
とまさにアメリカ人冥利に尽きる国民的一大イベントなのである。

で今年、2014のスーパーボウルはなにを何を間違えたこのニューヨークで開催されるということになっていた。

何故にこの真冬の糞寒い時期によりによってニューヨークの、しかも天井もない吹きさらしのGIANTSスタジアム(現名・METLIFE STADIUM)なんてところでこのスーパーボウルなんてものをやらねばならないのか。

まあぶっちゃけ、経済効果であらう。

全米の津々浦々が大注目するこのイベント。
このスーパーボウルを生きているうちに一度だけは見たいという人々がほとんどのこの国。

ここアメリカのほとんど男の子たちにとってアメフトこそがまさに人生の全てである。
その比重は田舎に行けば行くほど顕著で、まさに生活どころか人生そのものがまさにアメフト。

いま問題になっている全米の肥満の原因の実はほとんどが、
このアメフト信仰、でかい・重い・強い、ほど良い、という美意識に基づいているからで、
ちなみに女の子への巨乳信仰とも密接に関わっていると思われ。

そんなアメフトファンどもにとってまさにスーパーボウルこそがこの世の華。世界の中心、最高峰。

ちなみに選手が豆粒以下にしか見えないような席でもそのチケットは券面額で800ドル。
がしかし、まさかこの天下のイベントがそんな値段で買えるワケがない。
一般売り用の枠などは全席の8%と言うがまさかまさかである。
つまりは、ダフ屋が買い占めたチケットがその転売サイトで転売を繰り返され、
倍の倍の倍のに跳ね上がっていく訳でまさにその値段は天井知らず。
下手をすれば家一件どころか全財産を担保に入れてその一席を買ってしまう、なんていうハードコアが毎年現れるぐらい。

それに加えて焦点となるのがまさにスポーツベット。つまりは賭けである。
応援するチームに全財産を賭けるどころか、生涯稼ぐ金の全て、つまりは自身の人生そのものをアポンしてしまう輩がごまんといる訳で、
まさにそう、このスーパーボウルこそが天下分け目の大決戦となる人が全米にごまんといる訳なのである。

そんなアメフトキチガイたち、
年に一度、チケットが取れようが取れまいがとりあえずはスーパーボウルの開催地に向けて大移動をする習性があり、
つまりそんな人々たち、俗に言うテールゲイトの人々も含めこのスーパーボウルにはまさき空前の収益を見込める訳なのである。

がしかしよりによってこの冬、ニューヨークは史上始まって以来という大寒波。

連日マイナス10度、ことによるとマイナス15度なんていう南極日和が連日に渡り
それに加えて週に一度のドカ雪に見舞われるたびに全市がストップの大混乱を繰り返している訳で、
さしものハードコア・アメフト野郎と言えども、まさか大雪に没した露天のスタジアムで、零下マイナス15度の突風に煽られながらゲームを観戦、というのは・・・

いや大丈夫、と誰もが言う。

それがアメフト魂、というものだ、とは言いながら、
そう、そのアメフト魂によって天国に召される方々が続出するのも必至。

と言う訳で、この史上初めてとなる極寒地の露天スタジアムでのスーパーボウル。
この後に及んで、あまりにキチガイじみている、という批判も殺到していた訳だ。

果たして、もしもスーパーボウルの最中にドカ雪が降ったらどうするのか。

もちろん試合は行われる。いついかなる状況でも試合をすること、こそがこの戦闘訓練を基本としたアメフトの最もたるもの。
いついかなる場所でも戦うことこそがアメフト魂。これはもろに、アメリカ軍兵士の士気にも直結する。
がしかし、つまりは、そう、そんな経済効果を狙って召集するアメフトマニアの観客達が果たしてそんな状況でどうやって試合を観戦するのか、あるいは、どうやって会場まで辿りつくのか。

スーパーボウル開催日が近づくに連れ、白熱化する議論の中、スポーツ専門放送局であるESPNでは毎日一時間おきにニューヨークを中心とする天気図が現れ、2014年2月2日のお天気こそが、全米最大の関心ごととなっていた訳である。

そんな懸念を胸に、マンハッタンの中心・タイムズスクエアでは、開催日前の一週間、目抜き通りであるブロードウエイを「スーバーボウル・ブルーバード」と称して、すべてをイベント会場化。
巨大スクリーンからジャイアント滑り台から、とそんな経済効果を狙っての一大パーティ会場化が計られていたのだが、いやはやこれが連日連夜押すな押すなの大盛況。

しかもこのアメフトマニア。前述したようにまさにでかい・重い・強い、が心情の人々。通常のニューヨーカーの少なくとも二倍の体積のある輩、関取クラスの人々がひしめいている訳で、
しかもそんな人々、揃い揃って超田舎者で、都会暮らしに慣れていないどころかなにからなにまでまさに牛並にとろい。あるいはゴリラのように怒りっぽい。
そんな輩たちがいきなりTIMESスクエアを占拠してしまった訳でこれを地獄と言わずしてなんと言おう。

しかしながら、さて地元ニューヨーカー達の反応はと言えば、これが実は意外に冷めている。

ニューヨーカはアメリカではない、とまで言われるこのアメリカで唯一の都会であるニューヨーク。
そこに暮らす人々はアメリカ人というよりはニューヨーカー。
そんな生粋のニューヨーカーはあまりアメフトに興味がない、というよりは、
そのアメフトに象徴されるものを嫌って、あるいは、そんなアメフトに象徴されるアメリカ土着文化から逃げてきた、なんていう場合が多いのも事実で、

スーパーボウル?そんなもの知ったことじゃない、という輩も数多く存在するのではあるが、そこはやはりどうしてもアメリカ人。スーパーボウルはスーパーボウル。
好き嫌いは別としてそのスーパーボウルの意味することは十分すぎるほどに知り尽くしていて、まさに苦々しいばかり。
まあ好きにやってくれよ。俺は知らないけどね、とこの狂騒に背中を向ける連中も多かった訳だ。

と言う訳で、このニューヨークで行われた最初で最後のスーパーボウル。

まさか観衆5万人が大遭難。その被害はカトリーナ・サンディあるいは、911の比ではなく、全市民総出で捜索と雪かきに動員されて、

なんてことにはならなくて済んだのはまさに奇跡の中の奇跡。

蓋を開けてみればこの2月2日。
ここ数ヶ月間、見たこともないようなまさに降って湧いたようなぽかぽか陽気。
雲間から覗く久しぶりに見る明るい日差しの下、まさに、ああハレルヤ、と両手を広げたくなるぐらいの絶好のスーパーボウル日和。

試合そのものは開始早々から守備力に勝るシアトル・SEAHAWKSのワンサイドゲーム。
全米のJOCKたちの象徴的アイドルであり続けたベテランQB・デンバー・BRONCSのペイトン・マニングがまさかまさかの赤恥に赤恥を重ね、
生涯一度あるかないかの大失態試合の中、完膚なきまでに叩きのめされた結果、43-8という、
これも史上稀に見る大量得点差の超一大糞ゲームというおまけもついて、この世紀の一大祭典スーパーボウルは無事に幕を閉じたわけである。

と、そしてまた新たなる奇跡が起こった。

まさにスーパーボウルの終りを待ちかねていたように、試合終了と同時に空に白い雪片が舞い始めたのである。

そしてニューヨークに雪が降り始めた。

スーパーボウルの去った直後から夜を徹して降り続いた雪。

祭典から一夜明けた朝、街中がありとあらゆるものを白く埋め尽くされていた。

と言う訳で、飛行機は欠航、道路は大渋滞。

スーパーボウルの巡礼者たちはこの雪の都会の中に缶詰状態。
音も無く降り積もる雪を前になす術も無く、銀ラメの紙吹雪ならぬ、本まもの純白の吹雪を前にただ唖然と佇んでいるのばかり。
その足止め客の経済効果もまさにバカにならない訳で・・・

ニューヨークの神様、まさにやってくれるなあ、であった。

「こんなところでこけるわけにはいかない」

Posted by 高見鈴虫 on 03.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback

あのとき、俺は世界で一番幸せだった。
そして、もっともっと、
世界で思い切り、ぶっち切りで幸せになってやろうと思った。

その夢はいまになっては儚い幻想。
歳を重ねるごとに、
あるいは日を追うごとに遠ざかっていくような気もするのだが、

しかし、

だからこそ、

俺はまだその夢を諦めてはいない。

なにがあろうとも。いくつになろうとも。諦める訳にはいかない。

だから例え、なにがあったとしても、
こんなところでこけるわけにはいかねえんだよ、

と少年ジャンプのように奥歯を喰いしばる訳だ。

明日は倍返しだ

「戦いを知らない子供たち」

Posted by 高見鈴虫 on 04.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback


生きることが戦いである、という最低限の常識を教えられなかったガキが、
引きこもりなんてものになったのだ。

戦いたくない、戦わなくても良い、あるいは、戦うことは悪いことだ、
などとバカなことを吹聴されていたのだろう。

可愛そうなやつらだ。

改めて言う。生きることは戦いだ。

戦いである以上、誰かが勝ち、誰かが負ける。

勝った奴が良い思いをし、負けた奴はなにも得られず、誰からも相手にされなくなる。

それを「損か得」に挿げ替えてしまったところにそもそもの間違いがあったのだ。

損か得かはまずは第一ラウンドに勝ったものだけの言えるものだ。

なにも持っていないものには損か得かどころか、失うものさえもなにもないではないか。

がしかし、引きこもっていられる、という立場を得られている、という状況は、ある意味とても好条件にいることでもある。

その好条件を失わないうちに、なにか武器を手に入れることだ。

なんでも良い。なにか武器を手に入れろ。そして再び戦いに出るための準備を整えろ。

「どうしようもなくなってしまった奴らに」

Posted by 高見鈴虫 on 05.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
日本にもどうしようもなくなってしまった奴らが沢山いる、と聞いた。

つまり、

金も無く職もなく学歴もなく技術もなく親の資産もコネもなく、女どころか住処さえなく。

この先の人生になんのとっかかりもなく、突破口も見つけられず。
自暴自棄になり、生きる気力を失い、眼に映るものがつくづくバカバカしく、やるせなく。
世の中は不条理に満ち、自分は全ての快楽から見放され、
いったい全体この先、どうしたらよいのかまったく見当が付かない。

30を過ぎてそんなことを言ってる奴はしかたがない。諦めなさい。

20代、つまりはまだガキで、なにも持っていない代わりに、
性欲や食欲や、苛立ちやら怒りやら、
あるいは、まだどうにかしようという気のある奴、への話だ。

一番手っ取り早い方法は、日本を捨てることだ。

そしてそのためには英語の使い方を覚えろ。

いかにして英語が使えるようになるか。

まずは手っ取り早く、
外人の女をひっかけるのも良い。
道端で麻薬を売るケチなディーラーを話相手に暇つぶしをするのも良い。
拾った英字新聞を読みちぎるのも良い
CNNやFENを聞きまくるのもよい。
旅行中のヒッピーの観光ガイドをやってお友達になるのいい。

とりあえずはまずは日本を捨てることだ。

日本に期待せず、日本を諦め、そして世界で一人きりで生きていくためにはどうしたらよいか、
についてまじめに考えることだ。

まだまだ日本が鎖国中である以上、英語が使える、というだけでもなんらかの武器になり得る。

改めていう。

俺が言っている英語が使えるとは、英語のお勉強がよく出来る、なんてことじゃない。

そこのところを日本は徹底的に間違えている。
それが日本が鎖国中である、という理由だ。

いまの日本が求められるのは、実はそんなお上品な英語の点数云々などではない。
つまりは、外人にびびらない、ということなのだ。

ビビらないだけなら英語の点数などなにも問題ではない。

英語のお勉強をするよりも先に、まずは外人にビビらないためにはどうしたらいいか、
その方法を学べ、ということだ。

そしてそれは、その昔、俺がまったくどうしようもなくなってしまったとときに取った方法でもある。


「こともあろうにあいつの名前」

Posted by 高見鈴虫 on 06.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback


ひょんなことから、
よりによって会社の他の部署にいる人間から、
こともあろうに高校時代のダチの名前を聞かされた。

ご出身が一緒なんで、もしかしたらご存知かと思いましてね、いっひっひ。

と皮肉交じりの慇懃さでそいつの名前を聞かされたのだが、
思わず顔がこわばるのを感じながら、無理やりに辛うじて、いや、知りませんねえ、とだけ答えていた。

あいつはいま西海岸にいるらしい。

がしかし、この期に及んでよりによってあいつの名前をこんな会社の中で聞くことになるとは。

まさに因縁を感じざるを得ない。

ただひとつ、その名前を口にした奴。
あいつがてめえなんざの前でどんな面しているか知らねえが、
少なくともあいつは高校二年の夏、地回りの本ちゃんさえもが避けて通るような
とんでもねえ反グレ野郎を、たったのパンチ一発でノックアウトした、そういう男なんだぜ。

その後も、あれしてこれして、なにしかにして、とまあ、
まさしくとんでもない男としてとんでもない人生を送って来たのだろうが、
つまりは、そう、少なくともてめえみてえのようなオカメミジンコのメガネ猿野郎なんかが、
良いの悪いの言えるような輩じゃあ、全然ねえ、ってことなんだよ。

と、かくなる俺も、つまりはまあ似たような者、つまりは同じ穴のムジナ。

いまとなっては、こんなこましゃくれた会社でこましゃくれた面を下げて、
虫も殺せぬおぼっちゃまたちに調子を合わせては、
餓鬼の時分から何不自由なくぬくぬく暮してきましたマザコンのとっちゃん小僧でごじゃります、
みたいにかまととぶっていはいるが、

蓋を開ければちーぱっぱ。

やらずに後悔するぐらいならやってしまっててんぱりこいた方がまだまし、
という、
あのカリフォルニア・ドリーミングにあった貴重な逸話をもっとうに、
人生たかが二万日、どころか、例に及んであのノストラダムスの大予言、
どうせ1999年の夏に終わる世の中。
やりたいことだけをやりたいようにやりつくすのがお天道様へのけじめだろ、
とばかりに暴走を続けた結果。。

伝説や、逸話、というよりは、つまりは恥の上に恥を重ねるような、
とんでもない大失態を積み重ねてきた俺の人生。
つまりはそう、あいつも似たようなもの、そうであったに違いない、
というよりも、ほぼ確信をもってそう言い切れる。

そして今、この齢を過ぎて、そんな悶着からようやく一息。
そろそろ猫を被ってはカタギの間に潜り込もう、と変装ごっこを始めた矢先、

いきなりあいつの名前を聞かされるなんざ、これはまさに血の轍。
まさに因縁と言わずとしてなんと言おう。

しかもあいつである。
よりによってのあいつである。

俺たちはその互いの大失態人生の、その幸先であり、きっかけであり、
そして、これまでの人生の中でも飛び切り、一番どうしようもなかった時代、
つまりはその高校時代を、互いに共有しているという訳なのだ。

と言う訳で、あのオカメミジンコの口からあいつの前で、

もしかして、なんとかさん、ってご存知ですか?
うちの会社の別の部署にいるものなんですがね。ご出身が同じならしくて、

なんて言われた日には。。その光景を思い描いただけで、あちゃあ、と思わず頭を抱えてしまう訳だ。

ええええ、あいつがああああ!! 
あんた、それはとんでもない、すぐに逃げた方がいいですよ。
いまはどんな顔しているかは知りませんが、
なんてったって、あいつはね。。。。

と言う訳で、あいつの名前を聞いたとき、
いまになって身の回りに仲間ができない理由がよく判った。

あの頃のダチのようなやつらが、この歳になって回りにいる訳がねえじゃねえか。

そしてあの頃のダチのようなダチ以外、わざわざ欲しいとも思わない訳だ。

と言う訳で、こんなちんちくりんなおぼっちゃま連中に囲まれることの代償で、
まあそれなりの月給を貰うこともできているわけなのだが、
がしかし、
だからと言って俺の人生がそんなおぼっちゃま連中と同化できるか、
と言えば。。。思わず鼻で笑ってしまうわけだ。

という訳で、そう、そうなんだよ、あいつのことだよ。

西海岸にいるらしい。

あいつらしい、と言えばあいつらしいが、
いったいどんな面して暮らしているのやら、
なんか、まじで、全てを放り出して会いに行きたくなったりもした。

日曜の朝にいきなり単車で乗り付けて、

よお、悪い、悪い。ちょっと遅れたがしっかり迎えにきたぜ。さあ冒険の旅に出かけよう。

世界中の女とやりまくって、世界中の生意気な野郎をぶちのめしてやんだ。

そう言って、途方に暮れるあいつをけつに乗せて、そのままメキシコの国境まで走り去ってしまいたくもなる訳だ。

「ROCKを葬り去る前に その34 ~ ピザの食い過ぎで下痢をしたらいきなり129LB!」

Posted by 高見鈴虫 on 08.2014 ROCKを葬り去る前に ~ 大人のダイエット奮戦記   0 comments   0 trackback
金曜の夜、ああこれでなんとか一週間を生き延びた、
とそれだけの達成感の中で、今日こそはまた自分にご褒美を与えてあげたい、
というまたどうしようもない甘えた自己賛美が頭をもたげてくる。

ぶっちゃけピザである。

そう、金曜であろうがなんであろうが実は知ったことではない。

俺はピザが喰いたいのである。

その狂しいまでの欲望。

ああ、俺はピザが好きだ。ピザが食べたい、ピザが食べたいのである。

そして金曜日である。

地獄と思った今週の、その危機一髪の山をひとつふたつと乗り越えた末に辿り着いた、
この切なくも痛ましいまでの充足感。

そうだ。今週も俺は頑張った。そしてこうしてしっかりと生きている。

ご褒美を上げなくては。今日ぐらいは自分自身を甘やかしてやらなければ、
という訳で、そう、ピザなのである。ピザこそが俺の一番食べたいもの、
つまりはこれ以上ない程の最高のご褒美なのである。

という訳で出かけたピザ屋。

言わずとしれたPATSY'Sである。

一頃の勢いはなくなったものの、やはりここのにんにくピザ、
つまりは、
モッツァレラチーズにトマトソースにベイジル、その上から必殺のみじん切りのにんにくをぶっかけた、
人呼んで「にんにくピザ」これこそが俺的に言わせるところのまさにニューヨークのピザの王道の中の王道。

前菜にはアルグラのサラダにハニー・ヴィネグレットとドレッシングを皮切りに、
このにんにくピザ、通常は4人分になるであろうラージピザをほとんど一人で平らげて、
ついでにホームメイド・ラビオリのピスタチオソース、これも通常4人分をほとんど一人で平らげて、
まさに世界中の幸福を独り占めにしてしまったような、得も言えない充足感。

バカタレ、食った食った食ってやったぞ。

これぞまさにリバウンドと言わずしてなんと言おう。

なあに、これでまた5パウンド体重が増えたとしても、また来週一週間玉ねぎスープで過ごせばよいだけの話。

知ったことじゃねえや、とまさにやけくそである。

がしかし、その翌日、明け方を前にはたと目が覚めて、やばいと思って飛び込んだトイレ。

便座に座ったとたん、まさに一瞬のうちに身体の中が空っぽになってしまうぐらいの強烈な下痢便の爆弾が破裂。

で試しに体重計に乗ってみれば。。。なんと、129.8LB おおおお、ついに130の往代を割ったじゃねえか!

それはまさに記念すべき瞬間であった。

あれだけピザ食いまくった挙句に130LBを突破!これぞまさに朗報。

これで良ければ、毎晩死ぬまでピザを食いまくってやるけどな。

「日本を出たとき」

Posted by 高見鈴虫 on 09.2014 旅の言葉   0 comments   0 trackback

初めて日本を出たとき、実は腹巻きの中に20万円持っていた。
全て友人達から借り集めた、あるいは騙し取った、脅し取った金。
つまりは香典代わりに毟り取った金であった。

そして実は、その後の数年後に日本に帰りついた時、
その20万はほとんどまるまる腹巻の中に残っていた。

つまり旅の間、ほとんど金を使わなかった、
あるいは、なんらかの方法で金を補充をしていた訳だ。

が、そんな金も、日本に帰り着いてから友人達に返す間もなく、
帰国後半月もたたないうちに嘘のように無くなってしまったのだが。

と言う訳で、俺が旅の間中、いったいどうやって無銭旅行をしていたのか。

コロシ以外はなんでもやった、とまえはいかないが、
なんだかんだでかなり肝の冷える思い、
時として完全に万事休す、諦めた、思いも何度かしたが、
びた一銭も失くして路頭に迷い飢え死に寸前、とならなかった理由は、
とどのつまり、旅の間中、俺は人の情けにすがって生きてこれたからだ、
と今になって思っている。

香港では残飯漁りに近い形で屋台の残り物を食らっていた覚えがある。
バンコクでは安い娼婦の部屋に居候しながら屋台のソバばかり食べていた。
カルカッタではストリートパフォーマーとして宿代と飯代をまかない、
カトマンズでは道中でひっかけたツーリストの女に寄生し、
ポカラでは地元で知り合った不良仲間の家に転がり込み、
再び舞い戻ったインド、
バラナシでは適当ないんちきアシュラムに紛れ込んでは結構ぬくぬくと暮していた。
デリーではひょんなことから手に入れたブツをさばいて割りとでかい金を手にし、
その金を元手にパキスタンに入り、ラホールからイスラマバッド、
そしてペシャワールまでヒッチハイクして上り、
アフガン系のハザラ族のキャンプに転がり込んでそこのお世話になり続け、
その後もハザラ族のコネクションでなんとか戦時中のイランを生き延び、
そして無事にトルコに渡ることができた。

が一度、準文明国であるトルコに入った途端、
生命の危機なんてものからは遠ざかったのだが、
これまでの後進国、あるいはアジア諸国では当たり前のように通用した人の情け、
あるいはバクシーシに頼った方法が早々に破綻を来たし、
ことギリシャに入ってからは、人の情けなどまったく期待できず。

がそんな俺の前にも、なんとも幸運なことにひっかかって来た地元の不良グループ、
かつあげされそうになったところを逆にかつあげ返してやり、
そんなこんなでなんだかんだと客人扱いされては美味しい思いをさせてもらった。

と言う訳で、まあ相変わらずと言ったら相変わらず。

世界中どこに行っても最低最悪の連中に囲まれ、
最低最悪の宿と最低最悪の食い物ばかりであったが、
それは日本においても同じこと。

その後、なんとか命からがら日本行きの切符を手に入れて
どうにかこうにか日本の土地を踏むことになった。

逆に日本に居たときよりもすっかりと健康的になって帰りついた。
つまりは、元気になって帰って来た、ということだ。

今だから言えるがほとんどただの犯罪行為のようなことも多かった筈だが、
少なくとも日本に居たときよりも心身ともに健全であったように思う。

がしかし、そう、日本に帰った途端に、
旅の間に培った元気もパワーも活力も、
一瞬のうちに吸い上げられて干上がって蒸発してしまい、
残ったものはなんとも居心地の悪い違和感とそして再び嵩み始めた借金の山。

その後、なんとか職にありつくも24時間徹底的に虐め抜かれ息も絶えだえ。
挙句に警察に呼ばれるヤクザに追われる共産党に泣きつく、
と散々な思いをさせられた挙句に、ついに我祖国日本での居場所を完全に喪失。
旅行者というよりは旅人、
というよりはほぼ喰いつめ移民、あるいは夜逃げに近い形でアメリカに渡った訳だ。

そんな訳で、今にして思うと、そんな最悪最低野郎にとって、
日本こそが一番きつい土地であったな、と思っている。

もうすでに日本を離れて20年にもなるが、いまでも日本には帰りたくない。

あれほど心の底から冷え冷えとする思いはなかった。
そしてそんな日本の記憶はいつになってもあまり思い出したくない。

日本は冷たい場所であった。

特に東京のあの冷たさ、意地の悪さは半端ではない。
許容量が極端に小さいというか、つまりは町に包容力がない。
あるいはそれが旅行者と在住者の違いなのか。

つまり旅人とは甘えで生きているだけの話なのだな。

旅にでれるうちに旅にでておいたほうがよい。
人に甘えて生きられるうちはそうするに越した事は無い、といまになって思う。

残雪のセントラルパークは凍結ウンコの山

Posted by 高見鈴虫 on 09.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback
残雪のセントラルパーク。

ロマンチック、というのは遠くから眺めているだけの人々のいう言葉。

その足元はと見れば、まさに犬のうんちとおしっこばかりである。

一応ニューヨーク市の条例では犬のうんちは必ず拾ってゴミ箱へ、とキメられている筈なのだが、

どういう訳か雪が降ったとたんにみなそのルールを守らなくなる。

なぜなんだ。なぜ雪が降るとみんなうんちを拾わないのか。

がしかし、それは思い違いであることに傍と気がついた。

つまり、普段から犬のうんちを拾わない人がほとんど、
とまではいかないが、かなりの数に上るのではないだろうか。

そして、雪が降ったことによって、
そうやってひりっぱなしの犬のうんちが凍結して残存し、
しかもそれが雪の上にあってかなり目立つ。

前に降ったドカ雪が先週の月曜日であったから、
そうすると訳一週間に渡る投棄うんこの姿がまさしくこれなのであろう。
とそして、
たぶん前の雪が溶ける前に新たな雪が降り積もっているとすれば、
この雪の下の幾層に渡ってその中にはまだまだ凍結したウンコが積み重なっている、
という訳なのだ。

がしかし、と改めて考えてみる。

もしも普段からこれだけの投棄うんこがあると仮定すると、
その投棄されたうんこは普段はどこに行ってしまっているのだろう。

つまりは一日もせずに乾いて土になる、ということなのだろうが、
改めて見るこの一週間分の投棄ウンコの山。

まさしくやれやれの状態な訳だ。

という訳で、つくづく思い知るのは、
そもそも理性に期待する取り決めは決して立ち行かないことがほとんどである、という事実。

つまりこれは犬を飼うもののマナーというかつまりは民度。

しかも、民度の高い低いは学歴の高低、あるいはお金を持っているかいないか、の問題ではない、
と思い至る。

そう、その証拠に、この近辺で一番汚い、つまり投棄ウンコの多いいドッグランは、
まさしく億万長者たちの暮らすあのトランプ・プラザの目の前にあるドッグランな訳で、
そんなトランプの億万長者たちがどっと繰り出すその週末などは、
我らが72丁目のドッグランでさえまさに投棄うんこの山。

たぶんそんなどうしようもない飼い主に飼われている犬。
飼い主の目を盗んでそんな投棄うんこを盗み食いしては、
そのウンコ臭い舌でベロベロと飼い主の顔を舐めまくっているに違いない。

という訳で犬のウンコに覆われたセントラルパーク。
この雪が溶け始めるに連れて、
この冬の間中に積もり積もった凍結うんこが一斉に溶け始める時を思いやって、
いまからやれやれと苦笑いなのである。

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流氷のハドソン川

Posted by 高見鈴虫 on 10.2014 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
極寒日の続くニューヨーク。
果たしてハドソン川がどうなっているか、と観に行ってみたら、
河一面を巨大な氷のオオオニバスが覆っていた。

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これを流氷と言うのだろう。

暗い水面にゆらゆらとたゆたうその姿。
なんとも薄気味悪い風景である。

そのうちこれが徐々に結合しては固まってしまって、
まさか対岸のニュージャージーまで歩いて行けるようになったりもするのだろうか。
そして最初にニュージャージーに辿り着くのはいったいどんな命知らずなんだろう。

と思ってみれば、なんとこともあろうに、
そんな流氷の上に、ブー君が危うく飛び乗りそうな気配。
バカ、やめろ、と思わず大声を上げそうになって、
いや、下手に驚かせてそのまま流氷に乗ってしまったら。。。
慌てておやつ袋を取り出して、こっちおいで~と猫なで声。

まじでちょっと肝が冷えた。

果たして、この犬を守るために、命を張って流氷の河の中に飛び込むことができるか?
いざそうなった時には、多分咄嗟に飛び込んでしまうであろう自分がちょっとこわい。。

いずれにしろなんとも邪悪な風景であった。

冬の夜の川岸には近づかないほうがよい。

なんとなく欠落間

Posted by 高見鈴虫 on 12.2014 とかいぐらし   0 comments   0 trackback
出張先からの帰り道。

なんか俺、忘れていないか?
という妙な気分に捕らわれていた。

なんだろう。
書類?財布?免許証?家の鍵?社員証?
IPHONE?チャージャー?ケーブル?

あまりに気になって、思わず途中のガススタで降りて、
かばんの中を引っ掻き回してみたのだが。。
あれ、全部あるぞ。

そう、テック時代、出張に出るたびに現場になにか忘れて来て、
それを思い出すのは決まって空港の待合室。
いまさらフライトをキャンセルするのも馬鹿馬鹿しく、
かと言って自分の間抜けぶりが許すに許せず、
そんな訳で帰路の機内ではきまってむっつりと不貞寝状態。
今のうちにやっておかねばの出張清算も報告書も、
すべてうっちゃってばかやろう、と眼をつむっていた。

がそう、そんな経験に懲りて、
今となっては俺はほとんど忘れ物をしない人になっていた筈。
いまでも場所を離れる前には、
地下鉄の座席を必ずもういちど振り返ったり、
あるいは、普段から身に着けているものは、
すべて所定の場所が決めてあって、
つまりなくなったものがあればすぐに気づくはず。

がしかし、なんだろうこの欠落感は、
とふと眼を上げた時、
マルボロ$3.99のサインにはたと気がついた。

タバコだ!

そう、タバコなのである。

アメリカの田舎への出張でまずなにを買うのか、と言えば、それはまさにタバコである。

ご存知のように長らくニューヨーク市長であったかの名君ブルーンバーグ氏の英断で、
ニューヨーク市のタバコの値段はある一夜を境になんと倍額に跳ね上がった。
通常市価は一箱13ドル。そのほとんどが税金。
がしかし、一度ニューヨーク市を出ると、
ぶっちゃけハドソン川を跨げばいきなりそのタバコは半額になる訳である。

ご存知のようにアメリカのタバコの値段は週によって違う。
ヴァージニア州のようなタバコの葉の産地なんかに行くと、
まさにニューヨーク州の3分の一。
つまり州を上げて喫煙を推奨している訳でそれもどうかと思うが、
わざわざ車でヴァージニア州まで出かけてタバコを山ほど買い漁っては
ニューヨークで密売なんてことをやっているケチな運び屋もいるぐらいで、
ヴァージニア州までのガス代と労力を考えてもその方が安い、
というのもニューヨーク市のタバコがいかに無茶苦茶な値段であるのかが判るというもの。

がしかし、そう俺は既に電子タバコ愛好者となってしまった訳で、
すでにこうしたタバコの呪縛からは徐々に開放されつつある。

なので、なんだ今回の出張はタバコを買う必要もないし、あまりおいしくないな、
とは思っていたのだが、そしてもうひとつ。

そうか、タバコか。。

これから15分も走ればペンシルバニアの州境を越えてニュージャージー、
そしてニューヨークはもう眼と鼻の先。

いまのうちにタバコ、買っておくか?
俺が吸わないまでも、誰かに土産として持っていってやっても言い訳で。。

という訳で、しばし悩むこと5分。

辞めてしまったタバコ。
その代わりに手に入れたこの電子タバコ。
正直いって味気ない。
もし手元にタバコがあれば。。。たぶん、吸ってしまうだろう。

うーん、さあ、どうするどうする?

と悩んだ途端、ふとみると暗い空からちらほらと雪が舞い始めた。

そら、雪嵐が近づいて来たぞ。

という訳で、いきなりぶん、とアクセルを吹かして、
不埒な気持ちを吹っ切った訳である。

さらばマルボロ。さらばナットシャーマン。さらば銜えタバコのいなせなロッカー野郎。

そんな次第でこの禁煙、もうしばらくは続きそうである。

「ROCKを葬り去る前に その35 ~ アメリカの田舎、恐るべし」

Posted by 高見鈴虫 on 12.2014 ROCKを葬り去る前に ~ 大人のダイエット奮戦記   0 comments   0 trackback
またまたご苦労様でご出張に出ていた。

朝6時に家を出て、開いたばかりのレンタカー会社のカウンターで車をピックアップし、
IPHONEにUSBケーブルを突っ込んでGOOGLE MAPのナビゲーションが始まれば、
あとはもうなにもすることがない。

マンハッタンからジョージ・ワシントン橋を越えて、
ニュージャージーを横断して山越え谷越え、
右だ左だ、のIPHONEの指示に従ってただひたすらにフリーウエイをひた走るだけ。

雪の積もった暗い山陰。
すっかりと凍りついた河。
氷に包まれた枯れた木立。

雪かきの最中で諦められた無人の駐車場をつっきって、
誰もいない吹きさらしのガソリンスタンドでガスを入れて、
そして誰の姿も観ぬうちにまた再び走り始め、
そして再びフリーウエイの上。

毎度のこととは言いながら、
このアメリカの田舎道。
この裏寂れた風景の侘びしさと言ったら半端ではない。

ニューヨークから西、
ハドソン川を越えるとそのまま太平洋を跨いで東京まで、
まるでなにもない、とは良く言うことではあるのだが、
このアメリカのど田舎。
行けども行けども目に見えるものはフリーウエイの車線と、
そして枯れた木立。
マクドナルドの看板と、そして、空、ばかりで、
見渡す限りなにひとつとしてなにも目につく物がない。

ニューヨークやシカゴなどの大都市部を除くアメリカ人たちは、
一日平均2時間半ほどを車の中で過ごすそうである。

いったい彼らはこんな車の中でいったいなにをしているのだろう、と改めて思う。

本を読むわけでもなく、IPHONEでゲームをする訳でもなく、
ただ呆然と見渡すかぎりの茫漠とした風景の中で、
空とフリーウエイの白い写真とそしてEXITのサインばかり。
考え事をしようにもこんな状態でなにをろくなことを考えることもできず、
つまりはただひたすらにぼーっとしている訳である。

日本人がなんだかんだ言って電車の中で過ごす時間がもっとも無意識に近いとすれば、
アメリカ人はまさにこのフリーウエイを時速80マイルでぶっ飛ばしながら
ただひたすらにぼーっとしている時間こそが、もっとも無意識、
つまりは普通の時間なのだろう。

という訳で、辿り着いたのは雪に包まれた原野の中に忽然と建ったデーターセンター。

いったい誰がなにを考えてこんなところにオフィスを作ったのか。
そしていったいどんな奴が、どんな事情があって、
こんな何ひとつとして何もない、こんな原野の真ん中に建ったオフィスに勤務しているのか。

同じ会社の同僚とは言いながら、
まったくもってそんな人々が何を考えているのかさっぱりわからないのだが、
がしかし、それは向こうも同じこと。

ニューヨークオフィスから来た、というだけで、
まるで宇宙人を前にしたかのように、皆さん、コチコチに意識しまくってしまって、
まあ確かにこちらは田舎出張とは言え普段着代わりのスーツにネクタイ。
で、あちらさんはと言えば、Tシャツにジーンズにフリースのジャンパー姿。

そして改めて目を見張るのは彼らの体型である。
そんな田舎人は決まって誰もが徹底的に太っている。
タイコどころか、まるで地球儀のようにまん丸になってしまった人々ばかり。

そんな俺はといえばここ一月ばかりのダイエットでようやく腹に6パックが浮いてきたところ。
そんな俺が、実は彼らの目にはまさに餓死寸前で死にかけているような骨と皮ばかり、
に見えることだろう。

とい訳で今更ながらお互いがお互いを、なんじゃこりゃ、と言った感じで思わず凝視してしまうわけなのだが、
どちらが特異か、と言えば、勿論それは俺。つまりはニューヨーク側。

なんてったって、数えるばかりの大都市を除くアメリカのほとんどが実はこの地球儀体型。
このじゃがいもに割り箸二本の体型こそがアメリカのスタンダードなのである。

がしかし、いまさらながらこの田舎と都会とのあまりにも大きな差異。
埋めるに埋められないギャップの大きさを改めて実感することになる。

という訳で、アメリカで出張と言えばまさに飯である。

アメリカ人というのは出張に出るとまさに朝から晩まで徹底的に食って食って食いまくる。

前回の会議では、朝にドーナッツ、昼にピザ、夜にステーキ。
その合間を埋めるチップスとクッキーとケーキとコーラとジンジャエール。
コーンフレークにワッフルにベーコンにオムレツにチーズバーガーにポテトチップスにパスタに
チーズにバターたっぷりのまさに揚げ物の山。

まさに悪夢。これで太らないほうが徹底的にどこかおかしいというぐらいにまさに肥満食そのもの。

で、会議の間中、これが連日絶え間なく続く訳で、まさに胃袋どころか腹そのものが、
エイリアンの子供に食いちぎられるように破裂しかけた覚えがあって、
ニューヨークに戻って数日した日にはなんと腹一面に妊娠線のようなものが見えたりもしたものだ。

がしかし、今回に限ってはそんな状態を予想して事前に「ヘルシーフード」をリクエストしていた甲斐があって、
幾ばくかばかりの進歩は観られた。

つまりは朝はベーグルとフルーツ。
昼はサラダとハムとチキンのサンドイッチ。
夜だけはさすがにイタリアンでパスタ三昧であった訳なのだが、
これでも前回に比べてばまだまだましな方。
しかしながら。。予想通り今回のこの会議、
まさか食事のせいだけとは言わないまでも、
まったくもって完全に不評。

会議二日目には出席者の半分以上がなんやかんやで欠席。
だって~、ピザもチーズバーガーも出てこない会議なんか、
出る意味ないじゃない?
という声が聞こえてきそうである。

まあたしかにな、そういう俺も、確かにピザもチーズバーガーも出てこない、
と判った時点で、ほっとしたものの、ちょっと物足りないな、と思ったのも事実。
俺がそう思っている以上、他のメンバーは尚更。

昼食後に大幅に遅刻した一段。
どこに行っていたかと聞けば、実はみんなでメキシカンを食べてきた、
とのことでこのアメリカ人、まったくやれやれな人々である。

そして今回改めて思ったのだが、田舎の料理は塩辛い。

サラダからスープから出てくる料理全てが確実に塩の入れすぎ。
思わず唇がヒリヒリしてくるように塩塩塩。
山のように用意されたペットボトルの水を再現なく飲みまくっても、
やたらと喉が乾いてやまない。

あらためてこれで身体をおかしくしない方がおかしい訳だが、
田舎のアメリカ人たち。
そんな自殺行為的な食生活にどっぷり浸りながら、
わかっちゃいるけどやめられない、という妙な親近感でつながっているわけで、
そう、アメリカ人に親近感をもたれたければまずは太ることなのだな、と思い知った訳だ。

そう、つまり、アメリカの田舎から出る気がないならば、の話。
そして、そう、それこそが、彼らがこんな地の果て、ミドルオブ・ノーウエアに埋没している理由な訳である。

という訳で、たかが出張されど出張。
気をつけていたとは言いながら、なんだかんだ言いながらそれでもたらふく食べてしまって、
おまけにこの究極の運動不足。

運動といえば歩くだけ。それも駐車場から車までの距離だけ。
あとは全て車でスイスイな訳で、まったく徹底的に身体を使わない。

という訳で帰りの車の中、なんとなくズボンがきついことには気づいていた。

なんかもしかしてダイエットを始める前の昔に戻ってしまったのではないか、
と思うぐらいに身体が重い。

という訳で、帰り着いたニューヨーク。

家に着いて最初にやったことと言えば、
服という服を脱ぎ捨ててすっぽんぽん。
鏡を見ればまさにけつの穴からストローで空気を詰められたカエルのようにパンパンまん丸の腹である。

生唾を飲み込みながら恐る恐る乗った体重計。。。

出発前には129.8LBであった体重が、
たった2日間の出張から帰り着いた途端。。。。

なんと、137.8LB!!!!

じぇじぇじぇ~、なんと8LB?まさか。。。とは思いながら、
やはりこの身体の重さ、尋常では無いわけで。
たしかにな、そのぐらいは増えている可能性は大、
とは思っていたのだ・・

がしかし、いきなり8LBとは、とこれまでの苦労が、
たった2日間の出張ですっかり瓦礫と化してしまった現実が、
ずしりと重く伸し掛かってきた訳である。

もういいか。もう諦めるか。
そして普通のアメリカ人のように、まるで風船のような地球儀のような、
そんな体型でこのさきの人生を生きるということなのか。

という訳で、気を取り直してもう一度。
思わず霞む目で体重計の目盛を再び凝視すれば、
あれ、これもしかして1か。つまり、131.8LB
ってことは2LBの増量。それだけで済んだ訳か。

思わず床にヘナヘナとしゃがみ込んでしまうぐらいに脱力してしまった訳だが、
それにしても2日間で2LBか。しっかり一日1LBの増量という訳で、
果たしてアメリカの田舎。まさしく恐るべき、と言ったところである。

くそったれ、俺はもう何があっても絶対にニューヨークを離れないぞ、と心に誓った訳である。

「ROCKを葬り去る前に その36 ~ 魔境ミツワ」

Posted by 高見鈴虫 on 12.2014 ROCKを葬り去る前に ~ 大人のダイエット奮戦記   0 comments   0 trackback
出張に出るたびにちょっとした楽しみがある。

ぶっちゃけそれは「ミツワ」である。

この「ミツワ」。言わずとしれた巨大日系スーパーで、
ハドソン側を挟んだ対岸のニュージャージー側にある訳なのだが、
車がないとちょっと行きづらいこともあって、
出張に出るたびにここによってはしこたま日系物産を買い漁って帰るのが楽しみであった。

がしかし、そう言えば、ダイエット中の俺である。
果たして日系スーパーでいまさらなにを買うのか。

インスタントラーメンともお徳用冷凍餃子ともポッキーともおせんべいとも無縁となってしまった俺。

ましてやご飯=炭水化物を食べなくなってしまった以上、
納豆も明太子もお新香も刺身もコロッケもトンカツもまさに無用の長物。

改めて日本の食生活はご飯を中心に成り立っているのだな、と思い当たる訳で、
つまりはご飯を捨ててしまった俺はこのミツワにおいて、その膨大な日本食材つまりは、
まさに垂涎のご馳走の山、を前にしてまったく途方に暮れてしまうことになった。

そうか、俺はもう日本食ともおさらばな訳なのだな。
がしかし。。いくらなんでも、せっかくここまでたどり着いて、
そしてこのご馳走の山を前にしてなにも買わずに帰ることもなかろう。

という訳で、悶々としながら店内を巡ること30分。
お肌にやさしい牛乳石鹸やら、無添加シャンプーなどを物色しながら、
しかし、うーん、たかが日本食、されど日本食、やはり日本食、どうしても日本食な訳だ。

出張中あれほどのアメリカ飯に心底辟易していた反動か、
あるいは出張中に胃袋が膨張してしまったのか、
連日に渡るあれほどの暴食に身体中が鉛のような重さではありながら、
やれ松坂牛しゃぶしゃぶ用薄切り肉がまさに札束に、
いくらのつぶつぶが宝石に、
中トロに至ってはまさに金の延べ棒にも見えてくる。
くそったれ、世の中にはこんなものをなんの不自由も躊躇もなしに、
日常的に召し上がっていらっしゃるお金持ちのデブどもが沢山いるのだろうな。
それに引き換えこの俺。この歳になって中トロしゃぶしゃぶどころかご飯さえもろくに食べれない、
とつくづく裏寂れた気持ちになってくる。

ああ日本食日本食、と思わず頭がくらくらしはじめて、
ふとした血の迷い、まさに悪魔の囁きか、
あるいはまさに、ふらふらっと誘われるままに、わたしどうにかしてたんです、
とふとよろめいたその手元には、大売出し・ネギトロのお徳用パック、
そしてその隣りには、釜揚げしらす!!!

あああ、と思わず。
これだ、まさしくこれ。
俺はこの長きに渡るダイエットの中で、
まさしくこのネギトロと釜揚げしらすで巻き巻きする手巻き寿司、
これこそをまさに毎夜毎夜夢に見るほどに渇望していたのである。

ああ手巻き寿司手巻き寿司。されど手巻き寿司しかし手巻き寿司。

がしかしだ、なんなあ、とまた悪魔の囁き。

たかが手巻き寿司じゃねえか。
しかもネタはネギトロとしらすだぞ。
たかがネギトロじゃねえか。魚なんだぞ。
しかもしらすだ。立派な健康食じゃねえか。
こんなもの食べることにびくびくしていて、
俺はいったいなにをやっているのだ。
ネギトロも食えずになんの人生だ。
しらすさえ食べれぬ人生に生きている価値があるのか。

そしてふと気がついた時には、
ネギトロと釜揚げしらすにイクラにウニに甘えびサーモンイカ刺し、
海苔にキュウリにシソノ葉と、すっかり手巻寿司セット一式が勢ぞろい。

がしかし、
手巻き寿司がOKでなぜに豚肉生姜焼きは許されない?
はたして牛肉しゃぶしゃぶはどうなんだ。これだって立派な健康食だ。
違うか?違わねえだろう。

という訳で、一度切った堰はもう戻すことができない。

あとは怒涛のような食欲の虜である。

はっと気づけばカートの中には。。。
黒豚ソーセージから歌舞伎揚げお徳用パックから
ポッキーアーモンドクラッシュから高菜油炒めから
豚肉牛肉薄切り厚切り、生姜焼き用にしゃぶしゃぶ用に、
この期に及んで業務用パックポーク餃子なんてものまで、
まさに山盛りてんこ盛り。
お前なあ、こんなものいったいいつ食べるんだよ、と我ながら呆れかえる。

がしかし、
まあいいさ、いつか食べる機会もあるだろう、とかなんとか。
どうせ次の出張になる前に辞める会社だ。
これが見納め買い収め。
がしかし。。。
と心の中ではいまだに葛藤が続いているものの。。

とそしてふと気づけばすでに閉店近く。
もういい加減にきりがない。そろそろ帰ろう、そして犬の散歩だ、
とレジへの通路を目指した時。。。。
心に訪れる一抹の清寂感。。。

ああもう俺のダイエットも終わりなんだな。
つまりもう、見えかけていた6パックも、
ディーゼルのジーンズも、
そしてROCKという美学にも、
すべてもう俺の人生からはさよならなんだな。。。

つまり俺はこの一瞬に、
ここからあのレジまでのわずか10メートル足らずの間に、
ROCKを諦めようとしている。。。

さらばROCK。
さらばHYDEくん。
さらばミックジャガー。
さらばキースリチャーズ。

いや、と心の奥から叫び声が響く。

いやだ、俺はROCKを諦めたくない。
駄目だ、駄目だ、駄目だ、こんなもの食わねえぞ!食うものか!と思わず頭を振り、
人目さえなければそのまま頭を抱えてしゃがみこんでいただろう。

こんなもの、毒だ、麻薬だ、諸悪の根源だ。
がしかし、
ああ食べたい、食べたい、食べたい、日本食。
たかが日本食、されど日本食、やはり日本食、どうしても日本食。

このご馳走の山。
あれば食べてしまうだろう。そう決まっている。
捨てるわけにもいかない。いかない以上を食べてしまう。そうなればご飯だ。
食べ始めたらもう際限がないだろう。
歯止めが利かなくなってまた元踊り。
つまりそれはこのダイエットの終焉を意味し、
つまりはたぶん、もうこの先、
この後の人生において二度とシックスパックをお眼にすることはないだろう。

ROCKを捨てるのか。
いまこの瞬間にROCKを葬り去るのか!?

さあさあさあ、どうするどうするどうする!

という訳で、ばかやろう!と一言。
えーい、俺の人生など、もう20年も前に、あのアフガンの砂漠で地雷を踏んだときにすでに終わっていた筈。
あるいは10年前にメキシコのトップレスバーで酔っ払った兵隊から額にライフルの銃口を当てられたとき、
あるいはあのパナマの裏通りで暴漢に襲われて袋叩きにされた時、すでに死んでいた筈だろう。

それを今更なんだ。今更ななんなんだ。

俺はキースリチャーズと添い遂げるぞ。
ミックジャガーとイギーポップとジョニーサンダースと萩原健一と。
ROCKで生まれた俺だ。棺おけまでROCKを背負い続けるぞ。

そして俺は、あごを上げ肩を張り、
この世の全てをぶっ飛ばす、という面をして、
いま来た道を辿り始めた。

さらばポーク餃子。さらば豚肉生姜焼き。
さらばうな丼。さらばカツ丼。さらば大好きな日本食たち。

ポッキーも歌舞伎揚げもうなぎ蒲焼も黒豚ソーセージも、
うにもいくらも甘えびもイカ刺しも。
愛しの日本食材たちにひとつひとつにお別れを言いながら、
そんな心に響いてきた曲。。
ストーンズのLOVE IS VAIN?
いや違う。そんな格好よいものではない。
まさしくそのテーマ曲は、
オフコースの「さよなら」

もう終わりだね。君が小さく見える。。
さよならさよならさよなら~!!

もしかしたらもう遭うこともないかもしれないけど、
この好きだった、大好きだった日本食。さよならだね、と思わず涙。

そして最後に残ったネギトロと釜揚げしらす。。。
食べたい。君たちだけはどうしても食べたい。。。別れたくない。。

とそんな時、かみさんからテキストメッセージ。

ご飯炊けたよ~、
ネギトロとしらす買ってきて手巻き寿司食べよ。
きゅうりと海苔としその葉を忘れずに!
あと余計なもの買わないでね。冷蔵庫入らないよ。

むむむむ!!!であった。。。。。

完全に読まれている。。。

がしかし、そう、ここで免罪符である。
もうなにも臆することはない。かみさんからのご容赦があった以上、
このネギトロとしらすだけとは添い遂げることができるのである。
それだけで十分だろう。それいじょう、なにが必要だ。

そして帰り着いた我が家。
そして待ち受けていたこの手巻寿司ディナー。

うーん、おいしい!おいし過ぎる。
ご飯が、海苔が、醤油が、わさびが、しその葉が、
ネギトロの脂にとろーっと溶けてまさに口中どころか、
頭骸骨の中から五臓六腑にむわーっと広がっては響き渡るこのおいしさ。
まさし珠玉。まさに至福。まさに天国気分である。

日本食だ、やはり日本食だ!!!

という訳でまったくお陰様である。

出張中に増えてしまった体重にまさに上乗せするようなこの暴挙。
出張出発前に129LBであった体重が、なんとまた131LB台に戻ってしまった訳で、
この増加分の2LB。
たかが2LBとは言いながら、これを落とすのはまたまた大変なようである。

くそったれ、と舌打ちしながらも、
さあ、また玉ねぎスープ作るか。
俺はROCKを諦めねえぞ、と性懲りもなく怒声を一発。

「出張の翌日」

Posted by 高見鈴虫 on 13.2014 とかいぐらし   0 comments   0 trackback


出張中、また新たなる雪嵐の到来のニュースは届いていた。

雪も降り出さないうちから遠方から来ている連中の元には
早々と空港封鎖によるフライト・キャンセルの連絡が入り始め、
ディナーの席で、やばい明日は午後には切り上げねば、
おいおい、俺の便もキャンセルだよ、どうしよう、なんて話にもなっていた。

と言う訳で、雪嵐に追われるように、会議も早々に切り上げて帰路に着いた。

予報ではあと3時間もするとこの地方は雪に覆われる。
そしてニューヨークに雪が降り始めるのは夜10時過ぎの予定。
フリーウエイをひた走りながら、背後から迫る雪雲と追いかけっこ状態。

お陰さまで無事にご帰還を果たし、顔を見たとたんに飛び掛ってきた我愛犬。

なんだよなんだよ、どこに行ってたんだよ、と顔中を舐められながら、
やはりこれ、そう、まさしくこの顔中舐め舐めの瞬間こそが、
出張中ずっと、心の底から楽しみにしていた瞬間ではあったのだ。

がしかし。。
なんか今回に限って、そのお帰りがやけにあっさりとしている。

で、なんだよ、こっちおいで、とやると、
かみさんの後ろに隠れてしまったではないか。

かみさんの後ろからそれとなく俺の姿を覗きみながら、
その表情に妙な違和感というか、ぶっちゃけ怯えが見える。


そう言えば出張前、ちょっとしたこと、
つまり、塩避けのブーツを履かせようとした時にさんざん厭々をされて、
思わず、おい!と大声を上げてしまったことがあった。

で、出張の道中、やれやれ、あんな大声を上げるべきではなかった、
ちょっと悪いことしたな、と気になってはいたのだ。

あるいは、
まあ確かに出張中はずっとかみさんと二人きりで、
甘やかされるだけ甘やかされていただろうから、
そんなデレデレの中にあって俺はすっかり乱入者ということにもなるのか、
つまりはそういうことなのか、
ぶっちゃけ、ハート・ブレイクとは言わないまでも、
なんというか、脱力感というか、
つまりはこれ、お父さんの孤独、という奴なのだろうな。

と言う訳で、
予報どおり一夜明けてみれば街は大雪、大吹雪の真っ只中。
出張の翌日ということもあって、この大雪を理由に自宅勤務。
ちょっと自分を甘やかしてずるをしてしまった気分。
がしかし、そう、自宅勤務にした本当の理由とはつまりお散歩である。

出張中、雪嵐到来の知らせを受けて、
おお、ってことはそれを口実に明日は自宅勤務。
思い切り朝から昼から散歩してやろう、とたくらんでいた訳だ。

朝の目覚ましが鳴った後、
普段ならジャケットを羽織って出かける俺をしゅんと肩を落として見送る筈が、
いきなりお散歩用の服を着始めた俺を見たとたん、
見開いた両目をらんらんと輝かせてはベッドの上を跳ね回り始める。

そうそうそうこなくっちゃ。これこそが出張後の楽しみなのだ。

おっし、大吹雪だぞ、よし出発、と喜び勇んで外に出てみれば。。。

なんと世界はまさに正真正銘の大吹雪である。
信号の灯りも見えないぐらいに世界は降り積もる雪の中に真っ白。

いちおういつものカシミア・セーターの上から黄色いレインコートを着せて、
足には塩避けブーツを履かせているのだが、
その上からみるみると雪が積もり始めて、払えども払えども一瞬のうちに身体中に雪が積もり始める。

凄いな、こんな雪見たことないぞ。

とそんなこんなで辿り付いた公園。

綱を放したとたんに待ってましたとばかりに飛び込んだ白い大平原。
がしかし、いきなりどぶんと身体中が雪の中に埋まってしまったではないか。
雪の上から頭だけ出して夢中になって雪を掻き分けるその姿、
まるで嵐の波間を行くおっとせいのよう。
せがまれて投げたボールが雪に落ちたとたんに一瞬のうちに掻き消えてしまう。

うへえ、どこだどこだ、と猛然と雪をかき始めるブー君。
顔中身体中を雪で真っ白。
それを見て走りこんで来た悪童どもが一緒になって走りまわり転げまわり。
にわかに始まった雪の中の大運動会。
まさにハッピー光線の炸裂する大吹雪である。

そんなこんなでようやく帰り着いた我が家。

危うく間に合った9時からの電話会議を聞きながら部屋中に濡れた服を干して一息。

最近残すことの多かった朝食も一瞬のうちに平らげて、
そうか、ここのところ食欲が落ちたと思っていたのは、つまりは運動不足ということなのか。

で12時までは一応仕事。ブー君はまるで死んだように眠りこけていたのだが、
正午になったとたんにいきなり飛び起きて、さあ、お散歩です!と眼を輝かせている。
相変わらずこの犬の時間認識の正確さ。まさに奇跡を見るようである。

朝の大吹雪がいつしか大雨に変わっていて、
吹き荒れる突風の中を雹交じり雨が降り注いでいる。
とたんに積もった雪がぐちゃぐちゃ。
レインコートなどなんの意味もないぐらいに犬も飼い主も身体中がぐちゃぐちゃ。
がそんなこと気にする風もなく、
公園についたとたんに集まってきた犬たちとさんざんにボール遊び。

2時に戻ってまた電話会議。を聞きながらまたまた部屋中に濡れた服を広げては乾かして、
身体を拭いたとたんにばたんきゅうと倒れこむブー君。
そのまま5時まで熟睡。
でふとするといきなり後ろにブー君。
ああ、もう五時か、と立ち上がればすたすたと玄関に。

と言う訳で大吹雪の去ったニューヨーク。
まさに街中がぐしゃぐしゃ。
交差点ごとに巨大な水溜りが広がっていて、足を突っ込んだとたんにいきなり膝の下までどぶんと水の中。
そして氷水がこれでもかとブーツの中に流れ込んでくる訳でまったくいやはや。

当然のことながらこの街はこんな大雪が降ることを想定して作られていない。
夏の台風も然り。
つまりこの21世紀になってから毎年毎年の異常気象。
つまりなにからなにまでが想定外な訳で、いやはや大変な時代を生きることになったものだ。

濡れた身体を乾かしていたらとかみさんも帰ってきて、
夕食の後にオリンピックの録画をみていたらいきなり雷が鳴り響き、
窓を叩く霙まじりの雷雨。

夜のお散歩はスキップとなった訳だが、それでも大満足のブー君。
ベッドに入ったとたんにいきなり隣りに飛び込んできて、
添い寝をしているそばからすやすやと寝息を立て始める。
そんな犬の寝顔を見るたびに、いやあ、家はいいなあ、帰ってこれて本当に良かった、
と心の底からにまにましてしまう訳である。

「つかのま祝い」

Posted by 高見鈴虫 on 14.2014 とかいぐらし   0 comments   0 trackback


と言う訳でまたひとつ大仕事が終わった。

日米間の大論争に取り合えず線引き会議が持たれ、
その後の出張から帰り着き、大ボスとの個別会談も無事終わり、
そしてEVPレベルが一同に介する大会議もなんとか無事に切り抜けることができた。

果たしてこのやり終えたつもりになっている仕事が本当にやり終えたことになっているのか。
報告書の作成から出張清算からこの後の展開予測から打てる手は早めに打っておくべきで、
つまりは仕事が終わったわけでもなんでもなく、
あるいは、
果たしてそもそも本当にこの仕事が、大仕事などと偉そうにできるものであったのか。

そしてそう、いま俺が最もやらなくてはいけないことが、
そんな日々の仕事にかまけていることではなく、
もっともっと抜本的なこと、つまりは新しい仕事を探さなくてはいけないこと、
であることも判ってはいるのだが。。。

がしかし、そうは判っていても、
やはりここ一月ばかり追い回されていた案件から開放されただけで、
ちょっと一息、というか、ちょっとしたお祝いぐらいはしたい気分にもなる。

まあ確かに、大仕事が終わったとたんにこれまでやり過ごしていたこと、
あるいはまた新たな大仕事がすぐに始まる訳で、
終わりがない、と言ったら終わりがない訳なのだが、
まあそう、お祝いはできる時に思い切りやってしまったほうがよい。

どうせまた多忙の糞壺の中に叩き込まれることは判っている。
仕事の節目の時にはいっちょうぱっと行こうぜ、と旨い物を喰いに行くぐらい、
それほど悪いことではないだろう。

と思ってみれば、
そう言えばここのところ、週末ごとに大仕事終わったパーティをやっていて、
つまりダイエットがまったく進まない、という理由にもなっている訳だが、
そう、なんというか、
食事のたびに神様に感謝のお祈り、という訳でもないのだが、
ああ、今週一杯、あるいは、今日一日を無事に生き抜くことのできた幸運を、
ちょっとお祝いしたくなる、という気持ちがない訳ではない。

そう言えば昔、バンドマンだった頃は、GIGのたびに勝った負けた、と自分で仕切っていた。
その後、テックだった頃も仕事に勝ち負け、をしっかりと記録していて、
そして当然のことながら、勝った勝負よりも負けた案件の方が学ぶべきものは多い訳で、
そんな勝ち負け査定の日々がやはり相変わらず続いている訳だ。

と言う訳で果たしてこの大仕事、勝ったのか負けたのか?
あるいはどれくらい勝ったのか負けたのか。そしてその理由はなにか。。

なんてことを考える前に、とりあえずは終わった。
つまりはお祝いだ。
今日の日だけは、自分を甘やかしてご馳走、つまりは身体に悪いものを、
たらふく食ってやろう、と思っている。

「喫煙家と嫌煙家の狭間で」

Posted by 高見鈴虫 on 15.2014 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback


昔タバコを吸っていた頃、
タバコの煙りを嫌がられるたびに、
うっせえバカ、と思っていた。

吸殻のポイ捨てを見咎められるたびに、
ああ、わあったわあった、と手を降りながら、
さりげなく中指一本。

そんな俺はいちいちタバコなんてものに目くじらを立てる嫌煙家のやつらを、
なんとも狂信的且つヒステリックな、環境至上主義のアホ、
つまりは、嫌な奴ら、と思っていたもので、
タバコを嫌がる奴らは嫌がる方が悪い。
タバコが嫌ならさっさと向こうに行きやがれ、
あるいは、タバコに文句を言う前に
てめえの神経症なり性的欲求不満なりをどうにかしろ、
と思っていた訳だ。

そんな俺が、タバコを辞めて早二ヶ月。
いや、辞めたという訳ではなくて、
それまでの火をつけて煙りを吸う、という動作から、
なんてことはない電子タバコ、
つまりは電気的に水蒸気を発生させて、
ニコチン入りの水蒸気煙を吸引する、
という方法に切り替えただけなのだが。

と言う訳でこの電子タバコ禁煙。
思っていたほどにそれほどの不満も不自由もない。
まあ確かに、生ピとシンセぐらいの違いはあるが、
まあ好き嫌いは別にしてシンセにはシンセで便利なところもある訳で、
煙りが出ない、つまりはばれにくいという特性を悪用して、
場所に捉われず仕事中でも電車の中でもスパッと行ける。
電池が続く限り、あるいはフィルターに味が残っている限りは
際限なくこのまやかしニコチンを吸い続けることもできる。

当初感じた喉へのイガイガ感もじきに慣れて、
気がつけば赤ん坊のおしゃぶりのように、
四六時中これを咥えている訳で、
下手をするとその中毒度は本ちゃんタバコよりもずっときついような気もする。

がしかし、ここに来てどうにも本ちゃんタバコの匂いが鼻につくようになってきた。
喫煙者が近くに寄るだけで、その焦げ臭い据えた匂いがツンと鼻につく。
地下鉄の中、混んだ車内でそんなタバコの口臭をまともに吹きかえられたりすると、
おもわずうっとして顔を背けてしまったりもする。
そして街の雑踏。
人ごみの中、特に犬を連れている時など、
先行く人の指の間にタバコが揺れているのを見ると、
思わず、この野郎、邪魔だなあ、と思う訳だ。

てめえ、俺の犬にタバコの火先なんて押し付けやがった日にはただじゃおかねえぞ、
とちょっと身構えてしまったりもして、
事前に身体を避けながら、ついついきっとした眼で睨みつけてしまったりもする。

と言う訳でここに来て、俺はなんというか、立派な嫌煙家になりつつある。

喫煙者が眼に付くたびに、臭え、邪魔だ、目障りだ、とカツンと来てしまうところもあって、
まさかそれだけで後ろ頭をどつく、という訳でもないが、
犬の歩くところに吸殻のポイ捨てなどしやがったら、
おい、てめえ、それ拾えや、犬が食っちまったらどうする気だ、
と文句の一言も言いたくなるぐらいに喫煙者がうざったくなって来ている。

つくづく人間ってのは自分の立場でしか物が見えないものなのだな、
と痛感する訳で、今になって昔の俺、
つまりは嫌煙家を心底子バカにしていた俺がいかに嫌煙家に嫌われていたか、
という事実なのであつた。

と言う訳でこの電子タバコ。
身体に良いのか悪いのかは別としても、
そんな意味でちょっと新しい世界を覗かせてもらった、という意味では感謝している。


可愛くなくっちゃ女ではない。 やせ我慢こそが男の糧。

Posted by 高見鈴虫 on 16.2014 嘗て知った結末   0 comments   0 trackback
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寝ているばかりでなにもしない!
とは常々かみさんの口癖である。
がしかし、
男たるものそんな小言をいちいち耳に入れてはいけない。
あるいは、
寝ているばかりでなにもしない、こそが、男の勲章と思うべし、というべきか。

では、果たして旦那の仕事の最も大切なこととはないか。

それは、口を出さないことである。

夫婦喧嘩のほとんどは、実はこの下手に口を出すことによって始まっている。
旦那である以上、かみさんのやることに口を出してはいけない。

出されたものは黙って食う。
それが例えなんであろうと、うん、旨い、ぐらいは言ってやる。
なんかさあ、なに出しても美味しい美味しいばかりで、全然参考にならなくて、
というのはつまりは褒め言葉。
男たるもの一度かみさんに家事を任せた以上、
決してそれに口出しをしてはいけないのである。
それは掃除しかり、洗濯しかり、子育てしかり。
外でいったい何様であろうとも、
家にあってはかみさんことが上さん。つまり神さん。
旦那は家における一切のことをすべてかみさんに一任し、
一任した以上は口出しは厳禁。
これこそが男尊女卑の日本文化を支えてきた秘訣なのである。


アメリカの地方都市を訪れるたびに泣きたくなる

Posted by 高見鈴虫 on 18.2014 旅の言葉
アメリカの地方都市を訪れるたびに俺は泣きたくなる。

その空虚さの中に途方に暮れ、
なにひとつしてなににも、なにかを感じることができなくなる。

街道沿いに並んだモーテルの看板。
ファーストフードの灯りと、そして車のライト。

そんなアメリカの田舎の風景ほどに空虚な光景を俺は知らない。

そのあまりに茫漠たる風景。
なにひとつとしてなにも見るもののない風景。

たとえ砂漠の中であったとしても、
そこにはなんらかの美しさが宿っているものである筈なのだが、
アメリカの田舎の風景にはそれがない。

まるで建設現場のようなだな、と思う。
荒地の中にパワーシャベルが地面を掘り返し、
そしてそのまま放置してしまったような、そんな風景。

なにが始まる予感もなく、なにを目指した後もない。

俺はそこに、神の不在を見た気がする。

この場所に神はいない。

日本のように、そこかしこに神の存在に感づくような、
そんな気配がまるでしないのだ。

そんなアメリカの田舎には、殺伐、という言葉が実によく似合う。

空虚、殺伐、茫漠、行き先も帰り道も失ってしまった場所、

そこは土地ではなく地点。

なにもかもが移動中で、しかしどこにも辿りつけない。

あらためてそこに暮らす人々に目を移す。

この人たちはいったいなにが悲しくてこんな場所に暮らしているのだろう。

アル中で鬱病の、これでもかと肥満した人々。

ここ数年、鏡など見たこともないような人々。

どこも見ていない視線でなにもみるものも無く、
かと言ってなにかを見ていないわけにも行かず。

そんな人々ばかり。
そんな風景ばかり。

前も後ろもなく、上も下もない世界。

それはまるで無重力。始めも終わりもない空間をただただ漂い続けるばかり。

そんなアメリカの田舎町において、唯一居場所を見つけられるのは車の中。

コックピット感覚の流線型の車体の中に身体を滑り込ませ、
やにわにアクセルを踏み込んでフリーウエイを突っ走る時、
そこで初めて孤独を孤独として許容することができる。

という訳で、アメリカの田舎に行くたびに、
俺は一晩中、下手をすれば朝まで、
意味もなくフリーウエイを走り回って過ごしていた。

ホテルにチェックインして、スーツケースを引きずって一人の部屋に入り、
点けたテレビをまた消して、そしてタバコを一本吸う間に、
このホテルの部屋という空間につくづく嫌気が差してくる。

さあ出かけるか、と車のキーをポケットに突っ込み、
そして俺は宛のないドライブに出かける。

巨大なモールの無人の交差点から、
街道沿いに並んだモーテルの看板から、
ファーストフードの灯りと、そして車のライト。

誰もいない赤信号でふと隣に並んだ車に目をやる。

空虚な瞳でじっと見るとも無く前方を見やる人々。

まるで顔中に染み付いてしまったような、空虚と茫漠。

そして次の交差点、そして次の交差点。

その誰もが、行く宛もなく、ただ車を走らせる為に車を走らせている人々であることに気づいた。

そうかあんたたちもそうだったんだな。

アメリカの田舎町の、あの泣きたくなるほどのその空虚さの中に途方に暮れながら、
そして宛もなくただ闇雲にフリーウエイをぶっ飛ばしながら、

車というまるでカプセルの中に封じ込められたような空間ごしに、
決して交わることのないままに、互いの孤独を共有する人々に、
初めてある種の共感を感じることができたという訳だ。



道を極めたキワモノたちの祭典

Posted by 高見鈴虫 on 22.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
という訳でこのたびのロシアでのオリンピック。

事前からテロだ、ピンはね工事だ、と暗い話題ばかりが先行し、
ふたを開けてみれば観客席を見ればどの競技もがらがら。

つまり、疑わしきは罰せず、のそのまったく逆。
テロを警戒するあまり、疑わしきもそうでないひとびとも、
いっさいがっさい誰も入場させなかったということだろう。

つくづくこのロシアという国はどうしようもない国だ、
ということを世界中に印象付けた訳で、
歴史的に観ても、
あまりにも恐怖政治に蹂躙される時代が長すぎたものだから、
いつのまにか国民の感覚もすっかり麻痺してしまって、
恐怖政治以外の世界が物足りなくなってしまったどマゾの人々なのだろうな、
と思ってしまったりもした。

がしかし、その開催国がどんな国であれ、選手たちにはそんなこと関係ない。
あるいは、関係があるべきではない。

この四年の間、人生の全てを犠牲にして生きてきた選手たちである。

そしてオリンピックとは世界中からそんな奴ら、
つまりは自分と同じようにこの日のために全てを犠牲にして生きてきた人々が
まさに大集合する訳で、そんな世界中からの似たり寄ったりのキワモノ揃い。
そんな集まりがうれしくない筈がないであろう。

国籍や言語や肌の色なんかよりも、
そういう互いの生き様への共通性のほうがずっとずっと親和感を持ちえるもの、
そうあるべきもの、と思う。

森が韓国がプーチンが、あるいはJOC会長の白痴息子がなにをいおうと、
道を極めようとする人々に尊敬の念を払わずしてなにが人間ぞ。
そんな人々の繰り広げるまさにキワモノ中のキワモノの姿を、
凡人どもは何も判らないままにただただご拝見させていただく訳なのだが、
そんなキワモノの皆様のなされることに、
素人がなんのかんのと口を挟むべきではないだろう、と思う訳だ。

改めていう。

メダルが尊いのではない。
ましてや、国旗が尊いわけでもなんでもない。
つまりはそうやって費やした己の人生こそが、尊いのだ。
そうやって道を極めてきたキワモノたちの姿こそが尊いのだ。


国の威光のためにやら、
国費を使ってメダルを取らなければ国賊だ、やら、
本末転倒も甚だしい。

少なくとも、
道を極めたことのないもの。
極めようとしたことさえないものが、
横から黄色いくちばしを挟むのことだけは慎むべき、
と思った次第。

ニューヨークの冬景色

Posted by 高見鈴虫 on 24.2014 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
いやはや、今更ながらまったく今年の冬は酷い。

一週間に一度ドカ雪が降り、その雪が溶けないうちに、
また次のドカ雪がやってくる。

全ての物を雪に埋まり、完全に途方に暮れている。

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(かつて自転車であったもの)


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(自慢のハーレーに乗れるのはいったいいつのことになるやら)



今年の冬、妙なことに気づいた。

なんと犬の爪が伸びているのである。

普段は、これでもかと散歩している関係上、

アスファルトで削れて爪を切る必要がないのだが、

この雪の為にすっかりと爪が伸び放題。

ブッチに爪だって!?ありえない!!

生まれてこの方、いちども爪を切ったことのないブッチも、

自身の爪を見て途方に暮れているという次第。


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(冬枯れのセントラルパークは今日も陰鬱な雪雲の下)



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(ゴミ収集車も来れなくなってゴミ箱はまさに犬のうんち袋が花盛り)


という訳で、誰もが心のそこから、THAT’S ENOUGH! のこのクソ冬。

元気なのは犬ばかりなのである。


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という訳で、今日もとぼとぼと真冬の遊歩道を彷徨う俺である。


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オリンピックブルー

Posted by 高見鈴虫 on 25.2014 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
という訳で、ついにオリンピックも終わってしまった。

実のところここアメリカではオリンピックはさほど熱狂的でもない。

時差の関係から放送がちょうど夜明けから午前いちまでの仕事時間にぶち当たるため、
朝の超多忙時もなんのそのヤフジャの速報を追いながらソワソワする俺に、
いったいどうした?と不思議そうな同僚たち。
なに?オリンピック?と判ると、
妙に悲しそうな顔をしてわかったわかったと頷いてみせる。

なんだよお前らオリンピック観てないのか?
いやあ、ホッケー以外にはあんまり観てないな。
とまあ、そんなものなのである。

その温度差を尻目に、
そう、例え世界のどこで暮そうとも、日本人である以上やはり心には日の丸。
オリンピックは絶対に欠かせないものなのだ。
と言う訳で、そんな冷めた視線を物ともせずに追い続けたオリンピック。
どうしても外せないものだけは、こっそりジムに下りて、
ジムの天井に並んだテレビのひとつで観戦することになる。
がしかし、スポーツラバーの集まりであるべきここジムにおいても、
信じられないことにオリンピックを観ている人は極稀。

天上からずらりと並んだ15台の特大モニター。
がしかし、そのどれにもオリンピックは映っていないのである。

と言う訳で、ジムのお兄さんに頼んでチャンネルを換えてもらっては、
ひとり口につっこんだタオルで声を噛み殺しながら、
がんばれ!日本!がんばれ!!ニッポン!
と必死の応援を続けている訳で、
まあこんな裏寂れたオリンピックも米系企業にいるからなのだろう。

そんな俺がしかし、男子のフィギュア・スケートの金メダルには思わず飛び上がり、
ジャンプの葛西の大健闘に、そしてかの浅田真央のウルトラ倍返し劇には、
思わず、不覚にもほろほろと涙が流れてしまった。

そんな俺を気遣う同僚たち。
そんな同僚たちも実を言えば海外からの移民の人々。
ここアメリカに住んで既に10年20年、
がしかし、
やっぱり何年たっても母国の轍は消えないんだよな、
というその事実に思わず血の重さを思い知る訳だ。

と言う訳でそんなオリンピックも終った。

ここに来てようやく、羽生や浅田真央の記事を平静に読めるようになり、
かの史上空前の大馬鹿・森元首相の大失言なんてのもおまけになって、
あるいはこれまでオリンピック以外ではスケートなど観たこともない連中が、
口角を飛ばして、キムヨナだソトニコワだ、と審査員判定に薀蓄を並べている訳だが、
まあそう、終ったことだ。オリンピックは終ってしまえばもうそのまま。
次の4年後まで、一般の人々の口にはほとんど上ることもないだろう。

そしてあらためてオリンピックの晴れ舞台に飛んだアスリート達のことを思う。
四年に一度の祭典が終わったいま、
選手の下にはふたたび日常の静けさに包まれているだろう。
いつのまにか蝿蚊のような取材陣やら野次馬も消え去り、
再び誰もいなくなった練習場にひとり舞い戻ったアスリートたちが、
果たしていったいその胸になにを抱えているのだろうか。

そう考えた途端、いきなり身体の中を風が吹き抜けていったような気がした。

タバコのとらぶるしゅうと

Posted by 高見鈴虫 on 25.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
最近電子タバコに挿げ替えてから、
というもの、実はタバコを吸うたびにトラブルシュートである。

つまり、なんかこれ、味がしなくなったけどどうしたわけ?

という状況が多発する訳である。

理由としては、

1.カートリッジが尽きた
2.電気が尽きた

とその二つが考えられる訳だが、
がしかし、

1.バッテリー部分が壊れた
2.カートリッジが不良品

という可能性もあり、

果ては、

5.充電器そのものに原因

ということも考えられ、なかなか一筋縄ではいかない。

と言う訳で、かつて知ったとらぶるしゅうとである。

つまりは、デバイスとパーツのそれぞれを明確にし、
どれが正常でどれが正常でない可能性があるか、
のデータからその原因を実験によって導き出し、
推理の上でそれを立証する訳だ。

と言う訳でやっていることといえばそのパーツすげ替えである。
AのタバコにA'のカートリッジ、結果はOとか、Xとか。

と言う訳で、いつのまにか、すべての本体とカートリッジに番号が振られる結果になった。

なんかこれ、たかがタバコを吸う、という行為にしてはあまりにもややっこしすぎないか?
とも思うわけで、なんとなくばかばかしくもある。

教科書7回読むだけで

Posted by 高見鈴虫 on 25.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
東大卒の弁護士、山口真由さん。

まあその肩書きやら枝葉は良いとしても、
その勉強法ってのがWEBに乗っていて、
なんとなくひっかかったので載せておくことにする。



山口真由さんの勉強法は、意外なほどシンプルで安上がりだ。

基本は教科書を7回読むこと、ただそれだけ。

塾に通ったり家庭教師についたりしたことは一度もない。

教科書の理解度を目安にすれば、その勉強法は3段階に大別される。

まず1回目から3回目までは「土台づくり」。「出題範囲の見取り図を作る」作業。
4、5回目で理解度が飛躍的に高まり、6、7回目は、細かい部分まで含めた最終確認

 「1回目は意味をとろうとせずにサラサラッと読みます。大見出しだけを目で追うようにして、出題範囲の全体像を頭に入れるためです。この項目はこれぐらいの分量で、あの項目はこの程度かと、薄ぼんやりとつかむ感じです。そうすることで頭の中に出題範囲全体の見取り図をつくるんです」

 1回目を読むとき、何より大切なのは内容を理解しようとしないこと。最初から丁寧に読んで理解しなければと考えると、「大きなストレスになるから」だという。

 「意味にとらわれずにサラサラッと読むことで、『なぁんだ、この程度のページ数か』と、思うことができます。それが教科書を繰り返し読むことの面倒くささを、ある程度やわらげてくれるんです」

続いて、2回目もサラッと読む。すると、小見出しの語句くらいは頭に入ってきて、少しだけ意味がとれるようになる。彼女が言う出題範囲の「見取り図」が、やや具体的になってくる。

 「3回目になると、同じようにサーッと読みながらも、たとえば世界史の教科書なら、『次のページの右端には、耳にピアスをしたチンギス・ハーンの写真があって、その左ページはこんな記述があったはずだなぁ』といった、見当がつくようになります。ページをめくりながら、自分のイメージ通りかどうかを確かめるような読み方になってきます」

 3回目までは、あくまで「土台づくり」。だから、全体の理解度は2割程度らしい。回数を重ねることで、そこで築いた土台の上に、より具体的な教科書の情報を積み上げていく。いわば、「習うより慣れろ」式の読み方なのだ。

 4回目も同じようにサラッと読むのだが、山口さん自身の受け止め方に変化があらわれる。

 「それまでは、私の内側に川のようによどむことなく流れていた教科書の内容が、4回目ごろから川の中に柵のようなものができて、そこに教科書の情報が少しずつ引っかかるようになる。つまり、より細かな意味が、私の頭に入ってくるようになります。5回目に読むころには、教科書の理解度が2割くらいから、いきなり8割くらいにはね上がります」

 そのレベルに達すると、彼女が当初話していた「教科書の再現力」は一気に高まる。ページをめくる作業が、次のページの内容を自分の脳に喚起するためのスイッチになり、教科書に書かれたキーワードだけでなく、出題範囲全体の論理の流れもはっきりと見えるようになる。

 いよいよ、最終段階に突入する。6回目では、全体像が頭に入っているので、机の引き出しから必要なものを取り出すように、見出しを見れば、その説明がすぐ思い浮かぶようになると、彼女は話す。

 「最後の7回目は、斜め読みのような感じでも、自分が細かい部分まで理解できていることを実感します。しかも読むスピードをとくに変えなくても、ある部分については詳しく確認したり、ある部分については読み飛ばしたりすることが、自由自在にできるようになります。そのレベルに到達できれば、読むスピードも1回目の5分の1程度の速さになっているので、この段階なら、300ページ前後の法学の専門書を1日7冊ぐらいは読めてしまいます」

 「あえて言えば、1回目から3回目までは、教科書の内容を写真のように写し取る作業。それを自分の内側に入れます。出題範囲の全体像をつかんだうえで、4回目から7回目までは、ここにはこういう項目が書いてあるはずだ、と確認していく作業ということになるかもしれません」


~~~~~~~~~~~~~~~~~

そう言えば俺の回りにいる頭の良い女の子、
塾やら模試やら予備校やらでがりがりやってた奴等っていないなあ。
ほとんどがのほほんと学校の勉強してただけ、という輩。
がしかし、共通しているのはその「馬鹿」がつくぐらいの生真面目さ。
つまり言われたことを、なんの疑いも反発もなしに、はい、とそのまま丸々実行できるところのあるタイプ。
つまりは騙されやすい人、な訳なのだが、
その素直さが時としてとても可愛かったりもする訳で、
なのでお嫁さんにするならやっぱりそういうタイプの人がいいな、とは常々思っていた。

という訳で実はうちのかみさんもまったくこのタイプであったりもする。


アメリカはスポーツマンのお国柄

Posted by 高見鈴虫 on 26.2014 アメリカ爺時事   0 comments   0 trackback
いまさらながらだが、アメリカはスポーツマンのお国柄である。

優等生も不良も、どんながり勉でもゲットーの馬鹿でも、
なんだかんだ言いながらなんらかのスポーツをやっている。

いまさらながらだが、スポーツの基本とはスポーツマンシップである。
スポーツマンシップとは、ルールに則り正々堂々と力の限りに戦います、
という例の高校野球の宣誓、のその通りである。

スポーツである限り勝ち負けがあって、
強い奴が徹底的に勝ち、弱い奴は負ける。
勝者がトロフィーを手にし、敗者は肩を落とすが、
しかし両者はそのスポーツマンシップに則って、
さわやかに握手をする。

このスポーツマンシップ。

イスラム圏において、アラーに誓うか?という伝家の宝刀の一言がある。
どんな極道も人間の屑のようなうそつきも、一言、アラーに誓うか?
と言ったところで表情が氷つく。

このイスラム圏における最低限の倫理であるアラーに誓うか、
と同じことが、ここアメリカにおけるスポーツマンシップにも言えるのではないだろうか。

確かにスポーツにもずるはある。
トリックプレーもあればフェイクや八百長もつきものである。
インをアウトと言い張ったり、いや俺は負けてない、と駄々をこねる奴もいる。
がしかし、そこはやはりスポーツマンである以上、
スポーツマンシップという最後のよりどころがある。
なにより、ルールに則ってゲームをしなくては、やっている方だってつまらないではないか。

あるいはそんな方法を使って勝ったとしても、誰からも尊敬を勝ち得ない。

アメリカにおけるパワーエリートはつまりはそういう人々である。
スポーツマンシップに則り、スポーツを介して作った仲間の輪を大切にし、
ライバルたちと正々堂々と殴り合って出世の階段を登ってきた人々である。

出会った人には精一杯胸を張り、そしてがっちりと、相手の手を握りつぶすような握手をし、
そしてがははは、と豪快に笑い、そしてよくしゃべり、よく笑い、そしてよく食べる。

がしかし、そんなスポーツマンであるアメリカ人は、しかしスポーツを通じてあることを知っている。

それはつまり、人には人のそれぞれの限界がある、ということだ。

フィットネスクラブにおいても、デリバリルームで年収三万ドル以下で働く黒人のおっさんが
150KGなんていうバーベルをひょいと持ち上げる横で、
自称パワーエリートの俺たちは、たかが50KGの鉄アレイにひーひーいっている。

がそこで、へん、やっぱり給料の安い肉体労働者のニグロは脳みそも筋肉か、
などとうがった気持ちはまるでない。
ただ素直に、凄い、と褒める。凄いな、さすがだ。
そこには年収差も職種も地位も人種もない。
自身よりもすぐれている人間をただ褒める。称える。
そして、よし、俺もがんばるぞ、と50KGの重りを60KGに増やしてみる。
俺もいつか150KGを上げてやるぞ!
つまりスポーツマンシップだ。

あるいは、自身がスポーツをやらない、できない代わりに、
徹底的にスポーツを観戦しまくっている人々もいる。
テレビの前でご贔屓チームのユニフォームを着ては、
勝った負けたと一喜一憂してそれだけが楽しみに生きているような人々である。

確かにそうでない奴らもいる。
アメリカでスポーツマンでない人々。
特に日本人の女の子のまわりでひらひらしているあの頼りなくもずるがしこそうな連中である。
そんなジャパ専と言われる自称すけこまし気取りのおかま連中は、
実はこのスポーツマンシップを基本とするアメリカ文化から振り落とされたルーザーである場合が多い。

アメリカでスポーツマンでない人々は、日本においては自転車に乗れないガキ、のように、
つまりは徹底的に誰からも相手にされない少年時代をすごしてきたマザコンのガキが多い。
つまり、まったくもって橋にも棒にもひっかからないどうしようもない奴、ということで、
つまり、日本人のまわりでちゃらちゃらしているあのジャパ専どもが嫌われるのは、
そういう理由からなのだが。


という訳で本題である。

オバマ大統領もバイデン副大統領も、スポーツマンである。

多忙の合間を縫ってジョギングをし、ジムで汗を流し、機会を見つけてはバスケットやフットボールに高じる。

引き締まった身体。さわやかな笑顔にのぞく白い歯。

彼らこそは、アメリカの美学を象徴する人々である。

つまりはスポーツマンシップの塊り。その伝道者、と言ったところなのである。

で、そのオバマ大統領に、あるいは、その相棒であるバイデン副大統領を前に、

かの安部首相、やら、麻生なんたら、やらは、いったいどんな態度で接しているのだろうか。

あのスポーツマンシップのみじんもなさそうなよれよれのにわとりのような連中が、

ああ言えばこう言う、ならまだしも、言ったことを言わない、言われたことを聞いていない、を繰り返しては、
ネトウヨのようなほとんどまったくどうしようもないクズどもを相手に、タカ派を気取っている訳である。

そんなどうしようもない人々を前に、顔では笑顔をつくろいながら、その内心では・・・
こいつら・・と思っていたに違いない。こいつらまったく腐りきった人間のクズだな。

つまりその通りなのである。

あの永田町の妖怪どもを見るたびに、まったく心の底から暗澹とした気分になるのは、
つまり、そう、彼らにそんなスポーツマンシップがみじんも感じられないからであろう。

アメリカを舐めないほうがよい。

この人たちはやるときにはやる。

ルールを犯したもの、つまりは、反則をしながら態度を改めない輩には容赦はしない。

日本でまかり通る卑怯かつ愚劣な妖怪の魔法は、この国の人々には通じない。
なんてったって、スポーツマンなのだから。

死神の死 ~ 追悼 PACO DE LUCIA

Posted by 高見鈴虫 on 26.2014 音楽ねた   0 comments   0 trackback

生きているうちに神様に出会える機会というのはそうざらにあるものではない。

しかも筋金入りの無神論者であり幽霊さえも信じないこの罰当たりな不届き者は、
例え誰がなんと言おうと既存の神など信じたりはしない。

がしかし、神は確かに存在する。
そう認めざるを得ない状況に時として遭遇することもある、ということだ。
普段はどこにいるやも知れぬこの曖昧な神という存在が、
なんらかのきっかけに地上に降臨したが最後、その強烈なオーラの中に世界の全てを飲み込みんでしまう
そんな状況というものがこの世には確かにある。
そしてそんな瞬間に立ち会えることこそが、生きる喜びそのもの、まさに至福の瞬間という奴なのではと思い知らされる。

そしてこの世には、そんな奇跡的な瞬間を意のままに創出することのできるという、まさに生き神のような人物が存在するのである。

それを人々は天才と呼ぶ。あるいは、なんたらの神様、という表現を使う。

PACO DE LUCIAというフラメンコギタリストは、そう言う意味でまさに神であった。
そのあまりにも陰気な風貌から、時として死神、あるいは貧乏神と称されることもあったこのギターの生き神様。

改めて言えばことギターという楽器に関して言えば、このPACO DE LUCIAという人を以ってして完全に打ち止め。
これ以上の達人は、これまでにも、そしてこれからも決して出現することはないであろう、と確信している。

そのあまりにも偉大であったギターの神様。
そのあまりにも突然の死を悼む意味でも、この稀代の天才音楽家のことについて駄文を認めたい。



PACO DE LUCIAを初めて観たのは、90年代の初頭、とある南部の田舎街でだった。

なにを血迷ったか真夏のさ中に開かれた野外コンサート。
普段田舎暮らしの退屈に身を奴し切った人々が訳もわからずわんさかと集まっては来たものの、
気温が100度(摂氏40度)を上回る殺人的な炎天下の中、
誰もがうだりきっては悪戯にビールばかりを飲みすぎてすっかり悪酔状態。
慣れぬ人混みに辟易してはそこかしこでいさかいが始まり、悪ふざけを始める者にいつどこの馬鹿がショットガンをぶっ放すか、と気が気ではなかった。
そんな中、肝心のステージの上はまさにしらけ切りも甚だしく、
はなから期待はしていなかったもののそのあまりに間の悪い進行に促されては次から次へと出てくる凡庸かつ退屈な余興の数々。仕舞いにヤジまで飛び始めビールの空き瓶が投げ込まれるたびにお回りとのいざこざが起こり、それをちゃかす酔っ払いの罵声やら泣き叫ぶ赤ん坊やら。
少なくとも音楽を聴く上でこれほどまでに最悪の状況はありえないという中、
そのフラメンコギタリストはたった一人、
白いシャツに黒いベスト、あの陰鬱な死神のような表情をぴくりとも変えぬまま
用意されたパイプ椅子に組んだ足の上にいかにも身体に馴染んだという風なアコースティックギターを乗せて
そんな誰からも忘れ去られたステージのうえに静かに座っていた。

司会からはなんの紹介もなかった。
あるいは、あの状況ではそんなものは誰の耳にも入らなかったであろう。
主催者そのものにしたってプログラムの内容も知らずそれが誰であるか知らないかあるいはいかにもメキシコ人たちの喜びそうなフラメンコなんてものには大して興味もないが、とそんな感じだった。
どうせまたいつものラテン野郎だろう。
首から洗濯板をぶら下げて靴底のビールの栓でちゃんちゃかやかましい音をだす、どうせそんなものだろう。
聴衆も全くそんな感じだった。
あまりの無知に裏打ちされた独善さで世界の全てを白と黒とに即断してしまうこのあわれなほどにいたいけな馬鹿。
南部とはつまりはそんなところなのであった。

かく言う俺にしたってあのときは仲間の愚連隊ロッカーたちと一緒であったと思う。
そんな南部の保守性に徹底的に抗った箸にも棒にもひっかからないどうしようもないはぐれ者たち。
流れ者、ドラッグディラー、前科者、不法移民、逃亡者、そして、正体不明のブルースリー野郎。
連れていたトップレスバーの踊り子たちが悪酔いの果てに辺り構わずうくだを巻き始め、
冷やかした通行人にいきなりつっかかっては殴りかかり、挙句にゲロを吐きちらしは、
いたずらに吹かしまくった安いジョイントでバッドトリップ、まさに哀しくなるぐらいにどうしようもない状態であった筈だ。
つまりそれが南部におけるはぐれものたちの日常であったのだ。

そんな最低最悪の真夏の午後。悪酔いの果てに誰か景気付け派手な喧嘩でもおっぱじめねえか、なんて思っていた矢先、
そんな俺達の間を、いきなり冷たい風が一陣、さっと吹き抜けたような気がした。

その衝撃にはっと息を吸い込んだ時、耳、というよりは頭蓋骨そのものが、ビリビリと震える感覚があった。

そのステージの上の死神面のギタリストが、なんの挨拶もなしに唐突にギターを爪弾き始めたその瞬間、まさに電気、あるいは稲妻、あるいはそう、まさにエーテルのようなものが一瞬のうちに人々を包みむのが見て取れた。

誰もが思わず息を飲んで立ち尽くしていた。

突然訪れた静寂はまるで深い海の底に落ち込んだように冷たくそして澄み切り、
その空間に流れるギターの調べはあまりに鮮烈且つぎりぎりなまでに辛辣であった。

人々のざわめき、子供達の金切り声、酔っ払いの怒声、車のクラクション、
屋台のラジオから流れる安っぽい歌謡曲、クーラーのモーター音。
そんな物音の全てが一瞬のうちに静寂の中に吸い込まれ
そして奏でられるフラメンコギターの調べの中に、巻き取られ絡み取られ溶け込み混じりあい、
そして世界は完全な親和感の中に包み込まれてしまった。

ふと見れば、あたりを埋め尽くした群集たち、
メキシコ人の酔っ払いが、ハーレーに乗った無法者が、
音楽のおの字も知らないような田舎の赤首たちが、
ぐづつくガキが、性的欲求不満に気の触れかけたティーンエイジャーたちが、
いまにも死に掛けた老人が、臭い黒人が、テンガロンハットのKKK野郎が、
そして正体を失くすまで泥酔していたトップレス嬢が愚連隊ロッカーたちが、
その場にいた全ての人々が呆然と立ち尽くしていた。
ただただ硬く息を殺してステージの上のその一人のギタリストの姿を見つめていた。

意識が無くなるまで酔っ払っていた筈のミリアムが、いまにも崩れ落ちそうになる身体でもたれかかりながら、
おお、神様、と真顔で呟いた。

しっ静かに、と俺たちは言った。
こいつは本物だ。こいつこそは正真正銘の本物だ。俺たちはいままさに目の前にとんでもねえものを見ているんだ。

そこにあったのはまさに神の姿だった。
まさに生きる神。
ギターという6本の弦を張っただけの楽器を通じて、
世界を一瞬のうちに包み込んでしまう、まさに神の姿だった。

すげえ、と俺は呟いた。
OMG、世の中の全てを嘲笑しきった筈の無法者のジャンキーどもが、
まさに度肝を抜かれたままぽっかりと開けた丸まま。

そして水を打ったような静寂の中に、ギターの最後の音が吸い込まれていった後、
あまりのことに完全に我を忘れていた群衆の間に満ちていたあの不穏な沈黙。
誰もが拍手することさえも忘れて、思わず聞きほれるというよりは
まさに魂を抜かれた状態にされていたあの恐ろしいほどの静寂。

ステージの上の死神は、そんな観衆の反応にいっさいの関心を払うそぶりさえ見せず、
そしてまたなんの前触れさえもなしに新たなる旋律を奏で始めた。

とんでもねえよ、と俺たちは溜息をついた。とんでもねえものを見ちまった。。。
それは愚連隊ロッカーであった俺たちに限らずその場に居合わせた人々全てに共通するものであっただろう。

よくわからないが、この目の前で起こっていることがいったいなんなのかさっぱり判らないが、
まるで魔法にかかったみたいにこの旋律から逃れることができない。
そしてその旋律に浸っていることは、この世に生まれて一度たりとも経験したことのなかった、
まさに奇跡的霊的な経験。つまりは、至福、つまりはDEVINEであったのだ。

真夏の最中、まさに暴動寸前であった人々の前に忽然と姿を現したこの死神然としたギターの神様は、
そうやって一瞬のうちにありとあらゆる人々の魂を完全に抜き去ってしまったまま、
目くるめくようなフラメンコの調べを奏で続けていたのだ。

神は実在した。そして奇跡は確かにこの世に存在した。
いままさに、この目の前に展開されている状況こそがそうなのだ。
誰もがそれを認めざるを得なかった。

ジーザスもマリア様もいるのかいないのかわからないが、とりあえず神は存在する。
その名は、PACO DE LUCIA。
誰もがそうう認めざるを得ないほど、その存在は、そして彼の奏でるフラメンコギターの音色は、
まさに、絶対的にして圧倒的であった。

今日も今日とて極寒のニューヨーク

Posted by 高見鈴虫 on 27.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback
と言う訳で、連日の極寒日なれども、今日も今日とて、来る日も来る日も犬の散歩である。

いまさらながら今年の冬は厳しい。厳しすぎる。軌道を逸している。
なにかがおかしい、お天道様が気が触れてたとしか思えない、
と70歳を過ぎた筋金入りのニューヨーカーたちも一様に首を傾げる。

気温は連日氷点下10度。
毎週一回はドカ雪が降り、そのたびにばら撒かれる滑り止めの塩。
吹き荒ぶ氷の突風に加え、ガチガチに凍りついた舗道に足を取られて、
まったく犬の散歩も楽じゃない、どころか、時としてまさか生命の危機さえも感じるほど。

さしものブー君もさすがに今年の冬は堪えたと見え、
足の塩焼けに始まり、雪混じりの突風の中でブルブルと身体を震わせ、
凍りついたボールを咥えたまま、もういい、早く帰ろう、と着いたばかりのドッグランから退却する始末。

パウの塩焼けが悪化してびっこを引きずるようになり、普段つけているムーシャーズ・ワックスに加えて、今年からついにビニール製のブーツの着用を初め、かみさんのお古のカシミアのセーターの上からレインコートを羽織り、と普段の野生児ぶりから一転。なんともなさけないスポイルド・ドッグのスタイルで雪の公園を彷徨することになる。

そんな中、元気なのはサイベリアン・ハスキーである。

この寒さこそが彼らの正念場。分厚い毛皮一面に氷のツララの粒をぶら下げながら、問答無用に暴れまわっている訳で、そんな我犬のはしゃぎぶりの中、飼い主たちはまさに凍死寸前。
いまや紫色に変わった顔をフードの中から覗かせながら、鼻水が凍り、髭が氷り、とまさに雪山の遭難者そのもの。
はしゃいだ犬に手袋など奪われようなものなら、まじめに凍傷にかかる可能性も出てくる訳で、たかが犬の散歩とは言え、まったく侮れない。

背中を丸め足踏みを繰り返しながら、おーい、もう帰るぞ、という瀕死の叫びに、そんなことなど知ったことか、というハスキーたち。
いきなりベンチの上にに駆け上がったかと思うと、喉を鳴らして、ウォォォンと遠吠えを始める始末。
まさに絶好調な訳である。

まったくねえ、と凍りついた苦笑い浮かべるハスキーの飼い主たち。
人の気も知らないで。。
ああ、次に犬を飼うときにはチワワにしよう、と鼻をすする訳である。


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「ROCKを葬り去る前に その37 ~ 諸悪の根源はまさに炭水化物」

Posted by 高見鈴虫 on 28.2014 ROCKを葬り去る前に ~ 大人のダイエット奮戦記   0 comments   0 trackback
ここのところいつの間にか自分がダイエット中であることを忘れていることが多い。

確かに炭水化物を食わなくなった。
それはすでに習慣となってしまったようで、
がしかし、炭水化物を食わなくてもなんの支障も感じない。
その代わりに肉を食うからだ。
さすがに遅い晩飯での肉の大食いは控えるが、
昼飯時にはそれこそ、チキンからビーフからポークから、
これでもかというぐらいに肉・肉・肉を食いまくっている。

そんなに肉ばかり食って太らないのか?
と我ながら不安にもなるが、それが不思議なことに、
そうまるで魔法のように、まったく太らないのである。

毎朝、眼が覚めたと同時に飛び乗る体重計は、
どういう訳かこの2週間ずっと130LBのあたりを行ったりきたり。

それはなぜかと言えば、130LBを割って、129という数字が飛び込んでくるたびに、
さあ、130を割ったぞ、お祝いだ!とばかりに馬鹿食いしてしまうからで、
つまりはその週末のお祝い馬鹿食いを控えるだけで、129から128へ、
それがいつのまにか120台を割り切る、ことも十分に予想ができるわけだが、
なんとなくここに来て、
DIESELのジーンズも問題なく履けるようになったし、
鏡を見ればそれなりに割れた腹筋も浮かび上がってきているような気もする。

つまりはまあ、こんなもんでいいんじゃない?という気もしてきている訳で、
あとはまあ、次のステージが決まった時に、
あるいはグラビアの撮影でも入ったときに、
まあ十中八九今後そんなことが起こる筈などなにもない訳なので、
つまりはそう、もうこれで打ち止めでも別にOKという気にもなってきている訳だ。

と言う訳で、この肉食い放題のおかしなダイエット。
まったく不思議なことながら順調に進んでいる。

これまでまるで常識のように盲信していた
肉を食うと太る。野菜と魚だと太らない、という定理は実は大嘘。
なにを食おうが炭水化物さえ食わなければ肥満は回避できるわけだ。

なあんだ、と思わずずっこけてしまう。

それだけ?たったそれだけのことなの?

と言う訳でなんとなく魔が刺して、
ちょっと炭水化物パーティがしてみたくなった。

つまりはパスタとピザとラーメン焼きそばとカレーである。

うーん炭水化物、やっぱりおいしいい!
この胃袋にずーんとくる満腹感。やっぱりご飯はご飯がなくっちゃな、
と大満足。

がしかしである。
その翌朝、体重計を見て驚いた。
いきなりの134LB!!
なんだなんだ、体重計壊れたぜ。
そうとしか思えないぐらいのまさに激増である。

まさか。。それほど身体が重くなったような気もしないのだがな。

と言う訳でつまりは炭水化物なのである。
これが曲者、というよりは、ぶっちゃけ諸悪の根源な訳である。

それに加えて各種食品添加物、トランスファットとコーンシロップと
味の素にサラダ油にサッカリンに保存料な訳である。

驚いたな。まさにてき面だ。。。

と言う訳でこの4LBの増量分をすっかりとそぎ落とすまでまた一週間かかる訳だ。
一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩下がる、な訳だ。
やれやれ、あんなもん食わなければ良かった、な訳である。

  

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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