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「不ィ屈」

Posted by 高見鈴虫 on 01.2014 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback


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土曜日の朝、
休みだと言うのにまだ暗いうちから起きて、
眠い眼をこすりながらいつものようにセントラルパークへ。

道すがらに顔見知りたちと出会う度に挨拶がてらの立ち話。
そのまま三々五々に遊歩道を回り、犬談義から始まり、
お気に入りのレストランからウクライナ情勢からかねてよりのアカデミー賞のことからと話題は尽きず。
と言う訳で家に着いたらすでに10時半。
じゃじゃじえ~、やばい!今日は歯医者の予定があった、と大慌てで風呂に水をため、
足を洗い、身体の泥をふき取って、ごしごしとバスタオルで擦り、
ドライフードの上からビーフビスケットをふりかけてその上から乾しレバーを粉々してふりかけて
とやっているうちに自分のことは全てないがしろ。
髭も剃らず髪もとかさず、犬の散歩の格好そのままで地下鉄に飛び乗って歯医者さんへ。

いやはやすみません、遅れました、と平謝りながらまたまた歯医者さんや助手さんたちと
とお勧めのレストランやらどこのだれがどうしてなにして、なんて話でいやはやせまい日系社会。
まさに部落というか村というか長屋というか。

で、治療が終わったとたんにまるで狙い済ましたようにかみさんから電話。
これからグラセンに出るからどこそこで待ち合わせ、という話で、行って見れば、
例の日本の津波・311からの写真の展示会。
あのとんでもない大災害から、日本がいかにして立ち直ってきたかの軌跡が、
さりげなくも実に感動的に陳列してある。

そうだ、大切なのは、いかにして立ち直ってきたか、なのだ。
こんな災害から立ち直った日本は本当に凄い。
がんばれ日本、負けるな日本、力の限り、と思わず小須田部長してしまって涙がうるうる。

がしかし、思ったとおりというかなんというか、
その中から例の原発のことがすっかりと抜け落ちているのである。

なんで?と思わず、???? である。

つまり、津波と原発は別ということ?

いやいやいや、いまさらそれはないでしょう、という気がする訳だ。

つまり、不屈の闘志で津波の被害から立ち直った日本が、
やはり、不屈のあつかましさで鎌首をもたげ始めた東電・財界・自民党にいまやすっかり丸め込まれ、
いつの間にやら再び原発依存の放射能漬け国家に逆戻り。
お家芸ともなった電通さんの巧みなイメージ戦略の末に、
いやあ、放射能はやっぱりぜんぜん大したことなかったみたいってことになっているのか。

で、結局この展示の目的って、
なのでオリンピックも大丈夫ですってことになるのかな?

と思わず、心の底から苦笑いである。

あんなあ、日本はともかく、世界中でそんなあからさまな騙しをくれることないだろう、と。
見る人が見ればその趣旨はすぐに判ってしまうと思うのですが。。。。

がしかし、そう、まあ、このように日本もすっかり立ち直った、と大手を振っておられるようなので、
東北でがんばった方々に敬意を表してまあ良いとしよう。

だがしかし、
次に来る大災害がいったいいつなのかどこになるのか知らないが、
下手をすれば東北の二の舞どころか、
ことによると、次こそが本ちゃんの原発が大臨界、
日本どころか世界が放射能漬け、なんてことになってしまったときにはいったいどうするつもりなのか。。。

つまりまたその時になってあわてふためいて、その場限りの言い逃れでお茶を濁せばよい、
と、復興の過程でそいういうことを学んでしまった、ということなのでしょうか?

その曖昧さ、というか、いい加減さ、というか、つまりはなあなあさ、
やっぱり日本なんだよね、確かに。



ペットにペットにされるペットの犬

Posted by 高見鈴虫 on 02.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback
今夜もまたご近所の問題児ばかりの集まった猛犬パーティ。

夜更けのドッグランを好き放題に暴れまわる猛犬たち。
飼い主がなにを言ってもそ知らぬ顔で、
気の触れたように吼えまくっている超野生児レミー。

まったくもう、と飼い主のアリーンが溜息をつく。
もう4歳にもなるのにまったくこの調子で。
このまま行ったら一生このままなのかしら・・

確かにその可能性はある。
人間で言えばすでに30歳。
30過ぎても馬鹿は馬鹿。
30過ぎても馬鹿であればそれはもう筋金入りの馬鹿。
まあそれはそれで個性であったり特性であったりもする訳だがしかし。。
この超野生児レミーの吼え癖。
これだけはまさに、心底やれやれである。

でもまあいいじゃないの、あんなに幸せそうなんだから、とまたいつもの苦笑い。

という訳で、果たして犬の幸せとはなんぞや、という話になった。

だったらさ、
大金持ちに飼われている犬と、
ホームレスに飼われている犬、どっちが幸せだと思う?

それはもちろん、大金持ちに決まってるじゃない。

ぶー!不正解。答えはホームレスの犬。

犬の幸せとはまさに、飼い主とどれだけ長い時間を一緒に過ごせるか、
それだけに集約されているんだからさ。

日がな一日道端に座っていようが
ゴミ箱で残飯を漁っていようが、
雪の公園で寒さに震えて眠ろうが、
飼い主とその苦労を共に分け合える限り、
犬にとってはそっちのほうが幸せなんだよ。

あらまあ、とアリーン。。
だったら正解はそれこそまさしく大金持ちじゃないの。

だって大金持ちに飼われたら
仕事が忙しくてそんなに犬とばかり遊んでられないだろ?

馬鹿ねえ、とアリーン。

大金持ちは働いたりしないわよ。
お金の心配もなしに一日中犬の散歩していられるって人を、
大金持ちって言うじゃない、ホホホホホ。

まあ確かにそうだな、と苦笑い。

この世には生まれてこの方、一度も働かない、どころか、
そんなこと、考えてみたこともない、ような輩が沢山いるのだ。
つまり、そう、ペットのような人々。

と、かくなるアリーンも実はそんな良家のお嬢様育ちで、
公園を見下ろす超高級コンドミニアムの4ベッドルーム、
億の値段の付き添うな現代絵画のコレクションに囲まれて暮らす大富豪婦人。
まさしく料理どころか自分で皿を洗ったことがないタイプの人な訳である。

だって、そういうのは家事のプロの人がやるべきもので、というのが彼女の人生観。
つまり生まれた時からナニーに育てられ、家政婦の作った飯を食い、
良家の御曹司とご結婚の後は、家事の全ては家政婦任せ。
子供の教育も全てそのプロつまりは家政婦さんに任せ切り。
という訳で当年とって70歳になるアリーン。
この歳になってもただのお嬢様。
少女のいたいけさそのものの屈託のない笑いを絶やしたことがない。

一生お金の心配をしたことがないどころか、
自分で自分の飯を作ったこともない彼女は、
まさにペットとして育てらタようなもの。

つまり超野生児レミーはペットにペットにされるペットの犬ということになる。

まあな、確かにそのほうが幸せなのだろうな、
という訳で改めてみる彼女のペットである超野生児レミー。

さっきからドッグランの柵の向こうを睨みながら、
道行く人々にいちいち気の触れたように吼えまくっている。
呼んでも来ないし、呼ばずにいると後ろから飛び蹴りを食らわし、
怒ると逃げ回り、隙を見ては誰かが拾い残したうんこを食べていたりする。

そんな我が犬に腕を振り上げながら、
この馬鹿犬が!これまで何人のドッグトレーナーにいったい幾ら使ったと思ってるのよ!
と喚き散らしている飼い主のアリーン。

いやいや、そうじゃない、と俺は良く知っている。
そんな馬鹿犬が、ドッグトレーナーの前ではまさに夢のような良い子であったりもするのだ。
それが証拠に、俺が一声でもかけると、
レミーっはいきなりすっ飛んで来て、
はい、お座り。はいお手、はいバレリーナのくるくる、とまさに自由自在。
つまりはこの超野生児、人によってその態度を豹変させる訳で、
自身の飼い主を舐めきった結果、自身の飼い主の前では、
あるいは飼い主の前でだけ、やりたい放題、やりまくっているだけの話。

まあ確かに、とその理由も判る。
実のところアリーンがレミーの散歩に出るのも、この夜の猛犬パーティだけ。
朝昼夜の散歩は全てドッグウォーカー任せ。
本人は昼過ぎに起き出してはお友達とランチに出かけて、
日も高いうちからワインを飲みながらおしゃべりして暮らす日々。
それが証拠にこのドッグランでもすっかり飲みすぎて足がふらついていると言う次第。

飼い主がそんなじゃ犬に何をいっても聞いてくれるはずもないのだが。

つまり、ペットはペットと遊んだり、あるいはペットにペットされることはできても、
ペットを幸せに育てることはできなかったりもする訳だ。

という訳でこのペットのような大富豪も、
そしてそんなペットのような大富豪にペットにされるペットも、
なかなかどうして大変のようだ。

という訳でいい加減レミーの吼え声に弱りきったアリーン、
ねえちょっと、早くレミーを黙らせてよ、気が狂うわ、と俺に頼みこむ訳だ。
やれやれ。。

「オスカーナイト」

Posted by 高見鈴虫 on 02.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback

本日はオスカーナイトである。

つまり夜のアカデミー賞の授賞式がある訳だが、
これはなんというか、女性版のスーパーボウルのようなもので、
テレビを前に女どもが集ってはぴーちくぱーちくとお喋りをする訳である。

と言う訳で、本年はブッチ君の大親友であるところの
ボーダーコリーのチェスの家にお呼ばれ。

アカデミー賞の開始が夜8時半という訳で、
事前に近所の日本食屋に集まって夕食を済ませ、
一度解散の後に改めて犬を連れてチェス宅に集まる、
ということだったのだが。

夕食から帰ったとたん、なぜか既に準備万端整って超いけいけ状態のブッチ君。
なにも言わないうちからまるでどこに行くのか全てお見通しと言った風で、
エレベーターに乗った時からもう待ちきれないとばかりにキャンキャン鳴きを始める始末。
アパートを出たとたんに吹き荒れる木枯らしもなんのその、
まるで荒波を走るオットセイのように天高く鼻先を突き出しては、
赤信号も突っ切ってチェスの住むアパートへとひた走る訳で、
そのハイパーさ、尋常ではない。

なんでこいつどこに行くか判るんだろう。
俺たちの話を全て聞いてるってことなのかな?
ええ、わたしなにも言ってないよ。。。

と改めて首を傾げるのだが現実問題としてブッチ君は、
すでにどこに行くか先刻ご承知といった風で、
驚くほどの確信を持ってまさにチェスの家に向けてまっしぐら。

ドアマンへの挨拶もそぞろにチェス宅のエレベータに飛び乗り、
5階のドアが開いたとたん、部屋番号何番だったっけ、
なんて俺たちの会話も尻目にいきなり廊下の奥に走りこんでドアの前。

ドア越しにワンワンと呼べば、すでにドアの前に待ち構えていたチェス君が
同じようにオンオンと答えて、おおやっぱりここだここだ。

と言う訳でドアが開いたとたんに挨拶もする間もなくいきなり部屋の中に走りこんだブッチ。
おおお来た~と大喜びのチェスと二人、縺れ合いながら部屋中を駆け回っている。

と言う訳で俺たちの話を聞いたエレンさん、あれまあやっぱりと大納得。
どういう訳か帰ったとたんにドアの前でがんばっていて、
まるで誰が来るか知っていたみたいで。。

改めてこの犬同士のテレパシー。
そんなものある訳ない、とは知りながら、
現実問題として起こっているこの現象をいったいどうやって説明するのか。

と言う訳で犬たちの大騒ぎする中、テーブルの上にはすでに所狭しとオードブルが並び、
ワインからシャンパンからビールから、ケーキからスコーンからクッキーからアイスクリームからと、
まさに盛りだくさん。やっほ~乾杯!といきなりの大騒ぎである。

ふとテレビを見れば既に始まっているアカデミー賞。
とは言いながら、実は誰もここで紹介される映画をなにひとつ観てはいない訳である。

だってさあ、今日日誰が映画館なんかに行くことある?普通映画はDVDでしょ?
だったら少なくともオスカーまでにDVDをリリースしておくべきだと思わない?なんか失礼よね。
と訳の判らない理屈で文句を言っている女たち。

でさあ、といちいちテレビに映し出されるセレブたちのあれが気に入らないあれがアグリーだ、
去年のドレスはどうだった一昨年はどうだった、誰と誰がくっついたの分かれたの、
誰がゲイで誰がバイで、受賞スピーチの話し方がどうだとまるで鶏小屋のような大騒ぎ。

そんな中、なんか姿が見えないぞ、と思っていたブッチとチェス。
いきなり寝室から走り出てきたおふたりさんはそれぞれにお気に入りのおもちゃを口に銜えている。
でふと寝室をのぞいてみればもう部屋中が犬のおもちゃだらけである。
つまりチェスのおもちゃ箱をひっくり返しては、
片っ端から遊び散らしていたらしい。
という訳で選び抜いたお気に入りをリビングのソファに持ってきては、
ふたりしてピーピーピーピーと煩いったらない。

おい、それいい加減にやめろ、と取り上げた途端、なんだよ返せ、とも言わずに再び寝室に駆け戻り、
次にはもっとでかい音のするスクイーカーを見つけてきては得意顔。

とやっているうちにあっという間にこちらのリビングも床中が犬の玩具だらけ。
さすがにやばいと思ったのか、チェスはそんなおもちゃのひとつひとつ咥えては玩具箱に戻し始めとお方付けを始めるのだが、それをブッチが追いかけて取り返しては改めてリビングにぶちまける、とそれを際限なく繰り返す訳で犬は犬で大忙し。

挙句にそれ返せ、やだよーん、とばかりに、
ソファからテーブルの下からリビングからキッチンから寝室からと問答無用に追いかけっこ。
なんの騒ぎだ、と猫が顔を出したとたん、今度はその猫を追いかけてまたひと騒動。
挙句の果てに飾りだなの誰かからの贈り物のぬいぐるみを咥えて振り回し始め、
それに便乗したチェスと二人、ぬいぐるみを挟んでうんうんと引っ張りあい。

おい、ばか、やめろもう、と取り上げるや、二人して返せ返せと大騒ぎ。

いやはや、ごめんなさい、と平謝りするするも、当のエレンはもう大喜び。
自分の家でありながら、やれやれ、全部ぶっ壊しちゃえ!と逆に囃したてる始末。

キャトルドッグを我が家に招いた以上、こうなることぐらいは覚悟の上よ。
それにみてよ、チェスのこの嬉しそうな顔!!
この子たちのこんな顔みていたら、家なんてどうなろうと知ったことじゃないわよ、ねえええ!
と言いながらアカデミー賞そっちのけで犬の写真ばかり撮っている。

と言う訳で、アカデミー賞。誰がなんの賞を取ったのか、さっぱり記憶がない。
ただただ問答無用にはしゃぎ回る犬たちに笑わされ騒がされと、
こやつらを追い掛け回しているうちにすべてが終わってしまった、
とまあいつもの奴であった。

ルビーの恋

Posted by 高見鈴虫 on 03.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback
夕暮れのリバーサイドパーク。
ここのところすっかり日が長くなって、
会社から帰ってのこの時間にも僅かに陽光が残っているのはありがたい。

普段ならこんな時間はドッグランは避けているのが正直なところ。
というのも、こんな普通の時間のドッグラン、
つまりは普通の飼い主に飼われる普通の犬たちの溜まり場的なところ。

がしかし、この普通の犬、そして普通の飼い主ってのが実は一番性質が悪かったりするものなのだ。

と言う訳で、今日もちょっとこの時間のドッグランは避けよう、と前を素通りしようとしたところ、
なぜか今日に限って、いや、どうしてもドッグランに行く、と言い張るブー君。

あのなあ、また妙な犬に絡まれて喧嘩になるのがオチ。やめておいた方がいいと思うよ・・・
と言っているのだが、よく見ればそのドッグランの中に、どうも見知った犬がひとりぽつねんと座っている。

なんだよあいつ、ポーちゃんじゃないのか?

まるで子牛のように巨大な体つきをしたゴールデンリトリバーのポーちゃん。
がしかしその性格はいたって温厚で、時としてあまりに温厚すぎてついつい他の犬の悪戯の対象になってしまうことが多々。

何度かの手痛い仕打ちの後に、ポーちゃんはもうドッグランには来ないほうが・・とそんな話を飼い主さんから聞いた覚えがあったのだが。

なあ、ブー、あれポーちゃんだよな、と言った途端、まさに確信をこめて、おいおい、ワンワンと呼ぶブー君。
その途端、まるで火がついたように、わーいわーい、というよりは、まさに地獄に仏、遭難者が救助隊にすがり付くように入り口目がけて走ってくるポーちゃん。

なんだよお前、こんな時間に珍しいな、とやっているそばから、いきなりそのポーちゃんの巨大な背中に向けて体当たりをくれるブラックラブラドルとそしてサイベリアン・ハスキー。
どちらも二歳のやんちゃ盛りのこのお二人さん。白黒の悪がきコンビでいつもドッグランを跳ね回っているのだが、ブー君とは子犬の頃からのお付き合いで、ポーちゃん相手にはしゃぎまわっていたところが、ブー君の姿を見た途端にいきなり改まってご挨拶。
ブー君はブー君で身体は小さいながらも既に貫禄十分の顔役面。
よおよお、おめえら元気だったか、と挨拶を通して、おお、こいつポーって言うんだ。俺のダチだ。よろしくな、と言った途端に、悪がきどもも改めてポーちゃんにご挨拶。
と言う訳で全ては丸く収まったという次第。

うっし、じゃあみんなでボール遊びでもするか?
と言った途端にずらりと整列した元悪がき大将と現役悪がきチーム。
最初はもちろんブー君に取らせて、そして次々に順番にボールを回してあげれば、
これでみんなの顔も立ってハッピーハッピー。

とそんなこんなでやってきたポーちゃんの飼い主さん。
あれまあブッチ君、こんな時間にどうしたの?と同じことを言う。

いやあ、この前を通りかかったらほら、このポーちゃんが居たんで。。

助けを求められたから、とはさすがに言わなかったが、そんなポーちゃんはもうブー君のそばを離れようとはせず、のたのたと巨体を揺らしながらそれでも必死にブー君のお尻を追いかけている。

あれまあうちのポーちゃんがボール遊びなんて珍しい。やっぱりドッグランも来てみるものね、と事情の判らない飼い主さんは相変わらず能天気なことを言っている。

まあよい、とりあえずみんなハッピーのドッグラン。

たまにはしゃぎすぎた悪がきが口元からボールを毟り取るという禁じてを出した途端、おい、とブー君の強烈な睨みを食らってはうひゃ~と飛び跳ねる。
そんな訳で、運動神経まったく無しのポーちゃんにもボールが回ってきては大はしゃぎ。

とそんなところにやってきたポインターのルビー。

いきなり俺の脚に飛びついて来ては、夢中になってキスをせがんでいる。

おおルビー、久しぶりだなあと俺も思わずハグハグ。

このルビー。実は悪名高いパピーミルからのレスキュードッグ。
出会った頃、救出されたばかりのルビーはまさに全身が痩せこけて骨と皮ばかり。
狭いケージの中に閉じ込められては次から次へと子犬を産まされて来たまさに繁殖マシーン。
ドッグランの真ん中で歩くどころか立つことさえもできず、身体中の毛は無残に抜け落ちてところどころに爛れた地肌が覗いている。その怯え切った表情のままいまにも砕けそうな痩せた身体をプルプルと震わせていたのだ。

救い主のサラさん。レスキューセンターで話を聞いたとたんにもう矢も盾も溜まらずにアダプトしてしまったとのことだったが、このあまりに悲惨な状態にいまになってから呆然としているばかり。

ご飯もまったく食べずに、無理やり食べさせてもすぐに吐いてしまって、痩せ細るばかり。
病院にも通いづめで、少しずつ運動をさせるようにとは言われているんだけど、散歩にも出たがらないし、ドッグランまで抱いてきてもこの調子。。いったいどうしたら良いのか。。

とそんなサラさんの相談を受けて、思わず、大丈夫!俺が力になる、と安請け合いをしてしまった関係で、それ以来、ブー君と一緒にボール遊びの練習から始めよう、とやっていたのがちょうど去年の春先のことだったか。

と言う訳で一年を経たルビー。
今となってはまさにコンテスト級に見るも見事なすばらしいお嬢様にご成長。
さすがは純血の血統証付きとあってその毛並みの輝きの美しさ。まさに芸術品。

いやあ、綺麗になったねえ。おめでとう、といったとたん飼い主のサラさんが思わず涙ぐむ。
どう?立派になったでしょう?言われた通り毎日鶏の笹身のお粥を食べさせて、サプリメントからなにから、本当に大変だったけど、ほら見て、今はもうこの通り。

事情を聞いた飼い主さんたちも思わず感動して涙ぐんで、そんな中でルビーちゃん、いまやまさにアイドル気分でおおはしゃぎである。

と言う訳で、お前ら一回休み、とルビーちゃんにボールを投げれば、踊るように弾けるようにボールを追いかけて、そして掴んだボールをはいどうぞ、と俺の足元に落とす。

あらまあ!とサラさん。どうして、いったいなにがあったの?この子、いつもボールを投げても怖がって追いかけもしなかったのに。。いきなりボールを返したわ、こんなの見たの始めて。

と言う訳で、いつのまにかルビーもボール遊びの仲間入り。
悪がきどもを見習って、さあ次は私の番、とわかったとたんに堪えきれずにキャンキャン鳴き。
そら行くよ、と投げたボール。悪がきどもに混じって必死に追いかけて、が思わず寸手のところでブー君に横取りされようとしたところ、そのボールをブー君ががっちりとブロックしてルビーに取らせて上げる、という心使い。

わーいわーいと喜ぶルビー。ボールを咥えたまま公園中を一回りして戻ってくる。

思わず大はしゃぎのサラさん。くそお、失敗したなあ、買ったばかりのGOPRO持ってくれば良かったわ、と泣き笑い。

と、ふと見れば、さっきからなんとも落ち着かない調子のポーちゃん。
すでにボール遊びに興味を失って俺の足元をうろうろしていたのだが、どうも見るところ。。。そんなルビーのことが気になって仕方がないようなのである。
あれ。。もしかして。。ポーちゃんルビーちゃんにクラッシュ?

と試しにポーちゃんにボールを投げてみれば、いきなり横から飛び込んできたルビー。そんなポーちゃんの手元からしてやったりとばかりにボールを掠め取れば、ポーちゃんは悔しがるどころか大喜び。
それから後はもうまさにルビーちゃんのしもべ状態。
後ろからくんくんと顔を寄せてはどこに行くにも着いていって、とまさに強烈な一目惚れ状態。
とたんにボール遊びも大ハッスルで、その巨体を踊らせながらなんとか良いところを見せようと必死である。

あれまあと飼い主たち。まったくもってドッグラン。
飼い主同士のお喋りをやめてちょっと犬たちの様子を見ているだけで、そこはまさにドラマの宝庫なのである。

と言う訳で暮れなずむ薄明かりに沈んだドッグラン。
薄幸の美少女ルビーちゃんの周りに、大きいのから小さいのから、悪がきどもが勢ぞろいしては盛んにラブコールをするようになって、あら、やだ、照れちゃうじゃないの、お腹を見せては大はしゃぎ。

ほらお前ら、お嬢さんを怖がらせちゃ駄目だよ、とそんなルビーちゃんを思わず俺が独り占め。

ルビー、お前、本当に綺麗な娘になったなあ、良かった良かった、と思わず転げたそのお腹、大きな乳首の並んだお腹に頬擦りをしたくなったりもするものだが、そんな俺の隣で、おい、とひとり不機嫌なブッチ君。

おい、早く、ボール投げろよ!と一声高く ワン!と一発。

まさに飼い主も大爆笑である。

と言う訳で、うっし、またやるか、と放り投げたボール。
うっしゃあーと一斉に走り出す犬たちを眺めながら、今日も長い一日が終わろうとしている訳だ。


バケーション、行きたい!

Posted by 高見鈴虫 on 03.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback


毎夜毎夜の猛犬パーティの主催であるジェニーが、
今週からバケーションでロンドンに行ってしまった。
サリーはいつものドッグウォーカーであるアマンダが世話をするそうだ。
こういう時のために定期的にドッグウォーカーを使っているジェニー。
だから安心なのよ、ということで、無人のドッグランでブー君も調子が外れたようである。

バケーションか、と改めてため息である。
俺もバケーション行きたいな。。
がしかし、問題はこいつである。

氷ついたドッグランで一人、ボールを咥えて来ない友を待ち続けるこのいたいけな猛犬君。

お前がもうちょっと聞き分けの良い子であったならなあ、
矢も盾もたまらずにそのままカリブ行きのクルーズシップに乗り込んでいただろうに。。

犬が可愛いに越した事はないのだが、可愛すぎるというのもまた問題である。
これも愛の代償という奴なのだろうか。

くそおおお、バケーション行きたい~!

鬼門・フレンチブルドッグ

Posted by 高見鈴虫 on 04.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback
夕暮れのドッグラン。
俺の姿を認めた途端、というか、すでに公園に足を踏み入れた時点から、
フェンスの前に並んで首を長くして待っている悪がきたち。

おおおおお!来た、ボールのおっさんやああ!と既に大騒ぎで、オンオン鳴き。
その声に呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃん。

ボールのおっさんは今日も悪がきたちのアイドルな訳である。

ではなぜこのボールのおっさんがこうも犬たちに人気があるか、と言えば、
もちろんそこにルールを授けるからである。

どの犬も公平にボールが取れること。

大きいのも小さいのも、足が速いのも遅いのも、
ひとりひとりがちゃんとボールに触れるようにと取りやすいボールを投げてやる。

この公平のルール。
やいやい、そんなものしゃらくせええ、俺が全部いただきだ、という無法者が出てくるか、
というと実はそういうことはない。

ひとりづつに順番でボールが投げられている、と判ったとたん、犬たちは一斉に走り出しながらも、
ちゃんとその番である犬にボールを譲ってやるのである。

そんな犬の社会性はまさに驚くべきものがあって、そのルールを乱しそうな輩は、しかしチームメイトたちにしっかりとお灸を据えられたりもする。

犬たちにとってはなにはなくともみんなで平和に遊べることが一番なのである。

犬は顔を合わせれば喧嘩をしている、好戦的攻撃的、利己的で弱肉強食の怖い生き物、というのはまったくの嘘。

強い犬も弱い犬も、ちゃんとルールにしたがって公平に遊んでいれば、必ず自分の番が回ってくる、とわかっている以上、むやみに諍いを起こすことはまずない。

ではいさかいがなぜ起きるか、といえば、つまりはえこひいきである。
強硬手段を取らなければ自分には番が回ってこない、と思い込んでいる輩、つまりは不平等な格差に怒りを覚えているものがそんな和を乱し始める訳で、公正なルールに基づいているという理解があれば犬は決してその和を乱そうとはしない。

そんな犬のすぐれた社会性。人間社会にとってはまさに一番耳の痛いところだろう。

がしかし。。ここにひとつの問題が発生する。

ロットワイラーがラブラドールが、ハスキーがラブラドルがポインターが、
そしてオーストラリアン・キャトル・ドッグなんていう耳慣れない犬も揃って、みんなで和気藹々とボール遊びに講じていたドッグラン。
その真ん中にいきなり走りこんでくる無法者がひとり。

まるで鞠のような体系をしたフレンチブルドッグである。

このまるで人間のような顔をしたフレンチブルドッグ。

その動作から表情から、どこかで見たようなヒョウキン者そのもので、人間にとってみればまさに可愛い可愛い、可愛すぎる輩である訳。まさに生きるぬいぐるみのような愛らしさな訳なのだが、実はこのフレンチブルドッグ、ドッグランにおいてはトラブルメイカーでもある。

そんなボール遊びの犬たちのなかに突如突進して参上したフレンチブルドッグ。

まずはそこにいる面々のひとりひとりにまさに熱烈なご挨拶。

いきなり飛び掛って顔中を舐め舐め。足に身体に纏わりついてはフガフガと鼻を鳴らし、これでもかとじゃれついては大はしゃぎである。
普段であれば、子犬のチビスケがそうやってじゃれついてくるのを嫌がる犬はいない。
犬にしても人間にしても子犬はまさにこの世の宝。
例えなにをされても、はいはい、わかったわかった、と尻尾を振っているもの。

が、しかしながら、つまりそれは、それが子犬であればの話。

つまりなんというか、いきなり髭面のおっさんが飛び掛ってきて、頬擦りをして顔中を嘗め回して、甘えた声で身を捩り始めたらいったいどういうことになるのか。

なんだこら、この気色悪いおさんは!!なに考えてんだよ、ばか、やめろ、気持ち悪いって、やめろったら、となる、というのも判るだろう。

そんなフレンチブルドッグひとりが大はしゃぎをする中、犬たちはなんとなく、ちとーっとしらけモード。
がしかし、このフレンチブルドッグ、そんなことを気にするような輩ではない。
回りの空気などいっさい目に入らず、ねえねえ、遊ぼう遊ぼう遊ぼう!!と誰彼かまわず纏わりつく訳で、さすがに気味の悪くなった犬たち、困りきった顔で俺の顔を見ては、やれやれ、困った奴が来ましたね、と肩を竦めて見せたりする。

がしかし、そう普通の犬であればそれで済む。ドッグランにいる普通の愛玩犬たちはまあそれぐらいのことはまあ多めに見てやるか、というおしとやかさが備わってもいる。
がしかし、それが普通の犬であれば、の話である。

と言う訳で、この中で唯一普通でない奴、と言えばまさしく我愛犬のブッチ君である。

この生まれながらの孤高の荒くれ者であるブッチ君。
最近はさすがに落ち着いてきてはいるがその昔はこの街にブッチあり、とまで言われた有名な鼻つまみもの。
どこにいっても誰とでも好き放題に喧嘩をしかけ、身体は小さいながらもその敏捷さと足の速さ、おまけに日々のボール遊びの鍛錬と猛犬パーティで培ったその体力。
そんなブッチ君は、実は見かけによらぬ気難し屋の短気者で、特にドッグランでべちゃべちゃとしてくるような奴が大嫌いなのだ。

と言う訳でブッチ君、このフレンチブルドッグの姿を見た途端、ボールを咥えたままじーっと俺の顔を見つめている。

考えていることは判る。つまり、なにがあってもそれは俺のせいではないぞ、と言っている訳だ。
がしかし、俺はやるときにはやるぞ、いいんだな?とまで言ってきている。

そんな時、俺にできることはと言えば、そそくさとその場を退散することな訳なのだが、ここまで盛り上がっていたボール遊び。いまさらもう終わり、帰るよ、とやっても他の犬たちが承知しないであろう。

それが証拠に、そんな気配を察した犬たちが、既に俺の周りに集まっては、ねえ、帰らないよね?まだやるよね?とおねだり顔でじっと妙に張り詰めた視線を送っている訳だ。

がしかし、問題はそのフレンチブルドッグである。
おい、だからやめろ!やめろってば!と既に声を荒立て始めた犬たち。
うろうろと歩きまわってはそんなフレンチブルのじゃれ付きをかわしながら、しかしその内心ではかなり苛立っているのが見て取れる。

これはブッチじゃなくても喧嘩になるに違いない、と見て取った俺。

慌てて飼い主の姿を探すが、思ったとおりこのフレンチブルのオーナー、IPHONEでの会話にかかりきりで自分の犬がなにをしているかなどまったく眼中にない風である。

どうしてなんだろう、と改めて思う。
どうしてフレンチブルドッグのオーナーというのはどいつもこいつもこんな奴ばかりなのだろう。
甘やかすだけ甘やかしておきながら肝心な躾けというものをまったくしていないのである。

人間には人間のルールがあるように、犬には犬のルールがある。
人間のように口先だけで不要な言葉をべちゃべちゃと並べ立てない代わりに、
互いの表情、目や耳や鼻や耳や尻尾を駆使して、実に明瞭かつ複雑なコミュニケーションを計っているのである。
そんな犬たちの会話の中には、愛と友情と怒りの悲しみと、そしてそう、警告もある訳だ。

という訳でその困ったフレンチブルドッグに対して、各自が懸命になって、
おい、あんた、何考えているのか知らねえが、俺はそういうのは好きじゃない。あまりやって欲しくない、と訴えているのだが、どういう訳かこのフレンチブルドッグという犬種、この犬同士の会話というのがまったく判らない輩が多すぎる。

だから、やめろって。やめろっていったらやめろって。

どの犬も思い切り迷惑そうで、グルグルと喉を鳴らしては、しかし喧嘩をしたが最後、この大好きなボールのおじさんに嫌われてしまう、とそう思っているのだろう、いまや泣きそうな顔をして俺の顔を仰ぎ見ている。

そんなフレンチブルドッグに背中によじ登られてほとほと往生していたロットワイラー、ああ、もううざったい、ああ気色悪い、もうまじで限界や、と今にも泣き出しそうな顔。

言わずとしれたロットワイラー。こんな茶坊主相手に困ってはいるが、こやつがその気になった日には、それこそフレンチブルなどは一瞬のうちに空の彼方に消え去っている筈。それをやらないのは、つまりそう、このロットワイラーなんだかんだ言いながら、人間たちとのつながりをとても大切にしているから、というところに帰着する訳だ。
そんなロットワイラーの苦労を労わなくてどうするというのだ。

がしかし、世の犬というものは実はそれほど寛容ではない輩も居る。
つまりはそう、我愛犬のブッチ君である
もしもこの茶坊主が、まさかブッチにそんなことをしでかしたら。。。
ブッチは黙ってはいない。
黙ってどころか、静止する暇などまるで与えず、それこそ一瞬のうちに哀れフレンチブルドッグは血だるま、とまでいかなくても、地べたに這いつくばされてギュウの音も出ないほどに〆られている筈。

そうなって困るのは、もちろん俺である。
またこの狂犬が、飼い主連れて来い、医者だ、弁償だ、警察だ、となるのは目に見えている。

と言う訳で俄かに焦った俺。
おい、と思わず怒鳴る。

おい、おまえ、そこのお前、お前だ、おい。てめえ電話なんてしてねえで早くこの茶坊主、じゃねえ、フレンチブルドッグをどうにかしねえか。こいつがまだ生きているってだけでも物凄くラッキーって状況がお前にはぜんぜん判ってないのか?

がしかし、その飼い主、一見してまた例のWALL街のエリート風の若い男。

ああ判った判ったと手を振りながら一向に電話を切ろうとしない。

あのなあ、と呆れ返る俺。

そうこうするうちに犬たち、いつのまにか入り口のゲートの前に集まって、ねえ、ボールのおじさん、そいつはもう放っておいて、こっちの小型犬用のほうで続きをやりませんか?とまで言ってきている。

さすがだ、と思わず感心する。この犬の社会性、この寛容さ、まさにどこから来るのか。涙ぐましいまでではないか。

と言う訳で、ほとんどの犬が出口あたりに集合した今となって、ドッグランに残されているのは、フレンチブルドッグとそして。。。我愛犬のブッチ。

ブッチはいやだ、と言っている。

こんな茶坊主野郎のためになんで俺が場所を譲らなくてはいけないのか、と激しくそう主張している。
そうブッチはそういう奴なのである。例え何があっても俺は場所をゆずらねえぞ。つまりそう、オーストラリアン・キャトル・ドッグ。筋金入りのハード・ノーズ。つまりは、そう頑固者な訳である。

そんな中、当のフレンチブルドッグはいったい自分の周りでなにが起こっているのか、まったく知る由もなく。
よーし、お次はこいつだ、とばかりによりによってそんなブッチに向けて大突進。

あああ、駄目だ、ブッチ、だめ、やめろ!!やめろ!!!

と駆け寄る間もなく。。。

キャ~!

それはまるで子供の悲鳴のようであった。
口に咥えたボールに突進してきたフレンチブルドッグ。
その鼻先寸前でひらりと身をかわしたブッチ。
はっと目にしたときにはすでに全てが終わっていた。

憐れなフレンチブルドッグは首元をこれでもかと咥えられたまま、
両足で地べたに抑え込まれ、ちょっとでも動こうものならその牙がぐいぐいと喉元に食い込んでくる。

キャンキャンの悲鳴も出ないほどに怯え切ったフレンチブル。
いまや瀕死の状態で喉の奥からガラガラと苦しげな吐息を響かせている。

途端にオンオンと駆け寄る犬たち。
うるせえ、邪魔するんじゃねえ、と睨みをきかすブッチ。

この臭えおさん、この際だ徹底的に教えてやろうか、おうおうおう、とまさに勇みきっている。

あちゃー。犬たちの吠え声と飼い主たちの悲鳴。

駆け寄った俺。ブー君、駄目だ、駄目!!!と怒鳴り声を上げれば、ちぇっと舌打ちするように身体を離そうとしたとたん、この隙にといきなり反撃に出るフレンチブルドッグ、がしかし、その抵抗が裏目に出て、次はもっともっと強烈な一撃を首筋にぶち込まれて今や虫の息。

やめろ!ブー君、それまで。

しばしの睨み合いの末、ついに諦めたブッチが身体を放した途端、キャインキャインと耳障りな悲鳴を上げながら脱兎のように逃げ出すフレンチブルドッグ。その後を追う犬たち。その姿はまさにもう猟犬そのもの。

慌てて駆け寄る飼い主たち。響き渡る唸り声の中、駄目だ、おい、駄目!やめろ!すでにフレンチブルドッグは噛まれ転がされ抑え込まれ、と散々な風。誰か調子に乗ったやつが本噛みをしたが最後、このぬいぐるみの茶坊は一瞬のうちに寄って集っての袋叩き。血だるまになっていた筈だ。

やめ、お前らやめ。おい!と俺の一括でようやく我に返った犬たち。

全員お座り。やめ!お座り。はい、いい子だ。

と言う訳でフレンチブル。俺の膝の下で丸くなっていはプルプルと震えているばかりなのだが、
みたところなんの手傷も負っては居ないようだ。

つまりまあ、みんなそれでもそれなりに手加減をしていた、ということなのだろう。

と言う訳でそのぬいぐるみ君。涎と埃りを払って飼い主のところに送り届けたのだが、当の飼い主、こんなことがあったのもそ知らぬ顔でいまだに電話に無我夢中。
つまりその、なんミリオンのビリオンの、と誠に景気の良い話であるようなのだが。。。

と言う訳で、子犬用のドッグランにフレンチブルドッグを下ろした頃には、平静を取り戻した犬たちがずらりと並んで俺を迎えに来る。

代表になったブー君。ひとりしゅんとした顔でねえねえ僕は悪くないよ、といつものように顔をぺろぺろ。

判ってるよ判ってるって、と膝をついて頭を撫でれば、安心した犬たちが一斉に俺を取り囲んで顔中を舐め舐め。
おいやめろって、やめろ、と言っているそばから顔中が髪の毛がまさに涎でびちょびちょである。
お前らこんな獰猛な顔をしていながらしっかりと一線だけは越えないやさしさを持ち合わせている訳だ。
えらいえらい、と思わずひとりひとりの身体中を撫で回しては鼻先にちゅっちゅとキスの嵐。

ねえいったいなにがあったんですか?と集まってきた飼い主たち。

いやだから、と説明するのももどかしく、さああ、みんなまたボール遊びやるか!?

と途端に跳ね上がった犬たち。一瞬のうちに公園中を走り回っては、さあこっちだこっちだ、とオンオン吠えを始めている。

まったくな、と思わず。

人間もこのぐらいの自制心と  があればなあ。

と言う訳でそのフレンチブルドッグ。気がついたときには既に姿が消えていた。

たぶん飼い主はなにがあったかさえまったく知らないに違いない。



「ドッグランの孤独」

Posted by 高見鈴虫 on 05.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback

夜更けのドッグランにひとり。

降り積もった雪が凍りついたまま。
どこを歩いてもつるつると滑って危ないったらない。
その上にはこれでもかと犬のうんこの散乱している訳で、
おちおちとボール遊びもできやしない。
もう3月だと言うのに相変わらず真冬日の続くニューヨーク。
吹き荒ぶ木枯らしの中、あああ、もう好い加減沢山だ!
と思わず地団駄を踏みたくなるのだが、
そんな無駄なことをしても足元の残雪に足を取られて
犬のうんこの上に尻餅をつくのが落ち。

ジェニーがロンドンに行ってからというもの、
猛犬パーティもすかっり閑古鳥だ。
普段あれだけ苦労をかけられている猛犬ども。
とは言いながら、こうして誰も居ないドッグランで風に嬲られていると、
今更ながらあの猛犬パーティもそれなりに交流であったのだな、
と身に詰まされる思いだ。

この季節、夜更けに一人で犬の散歩をしているとつくづく気が滅入ってくる。

この凍りついた残雪も、撒き散らされた犬のウンコも、
吹き荒ぶ風も、ボールを咥えて離さない強情な犬も、
もうなにもかもにうんざり、という気になってくる。

今更ながら今年の冬は辛い。
雪が降りすぎる。寒すぎる。毎夜毎夜風が強すぎて、
もうなにもかもがうんざりだ。
そんな公園のベンチに一人身をちじめながら冷たいパンを齧る男。
ホームレスかと思えば、仕事と仕事の合間の時間潰しらしい。

不況から脱っしかけたと言われるニューヨーク。
経済は上向きで失業率も下がってきている、とは言うものの、
この狂乱的な高騰を続ける不動産市場である。
なんてことはない、給料の安い仕事をみっつもよっつも掛け持ちしなくては、
アパートの家賃を払えない、という土壇場に追い込まれているのだ。

そしてこの冬である。この寒さである。
吹き荒ぶ風の中でつくづくこの街にしがみ付くことの意味を問い返すことになって、
改めて、さしものしぶといニューヨーカーたちも、
さすがにこの冬だけはかなり厳しい思いを強いられていることだろう。

いったい俺はこんなところでなにをやっているんだろう、とつくづく思う。
稼いだ金はすべて狂乱家賃と食費に消え、
やっていることと言えば犬の散歩ばかり。
来る日も来る日も凍えた風に煽られながら、凍りついた公園でボール投げ。
教えてくれ、俺はいったいなにが欲しいんだ。こんなところでいったいなにをやっているんだ。

とりあえずどこかに行こうと思う。マイアミでもLAでも、とりあえず寒くないところへ。
そうやってなけなしの金で南に落ちていく人々も多かっただろう。
もしそれが可能であれば、俺だって今すぐにでもペンステーションに向かってやるのに。。

とそんな時、いきなり犬が飛び上がった。
交差点の向こうに向けて、長く首を伸ばしてはぴんと立てた耳。
キュンキュンと甘い声で嗚咽を漏らしている。
なんだ?どうした?
とそんな中、着込んだコートを風に煽られながら、
やってきたのはエレンとそしてボーダーコリーのチェス。

おおおお、と跳ね回るブッチ。
おい、ここだここだ!とはしゃぎ回りながら、
ぐいぐいとリーシュを引っ張っては横断歩道の真ん中で、
ふたりしてくるくるダンス。

やあ、と俺。やあやあ、とエレン。
寒いわね、まだまだ寒いね。
もう帰るところ?
いや、付き合うよ。

という訳で再びドッグランへ引き返し、
凍てついた風の中で鼻水をすすりながらボール投げ。
だがしかし、いまとさっきまでとはまるで違うこのハートの温もり。

跳ね回るブッチとチェシー。
ああ寒い、と苦笑いを浮かべては、手袋忘れちゃって、
というエレンに右と左とひとつづつ。

まだまだ寒いわね。
ああ、まだまだ寒いよ。冬だもの。ニューヨークだもの。

仕事きまった?いや、まだ。
引越しは?いや、物件がなにも見当たらなくて。
バケーションは?この犬を置いてはどこにも行けなくて。

そして二人で苦笑い。相変わらずの苦笑い。
だが違う。
そう、苦笑いを向け合う相手がいるだけでもこれだけ違うのだ。

人間には他人が必要だ。
愚痴を言い合い、迷惑をかけあい、鼻を啜りあっているだけでも、
誰かが必要なのだ。

と言う訳で好い加減凍える切った身体で、
まだまだ遊びたい、とぐずる犬たちを急き立てて再び交差点。

じゃね、また明日。
ああ、また明日。

良かったなブー、お友達が来てくれて。
え?なに?と振り返るブッチ。さっきまでとはまったく目の輝きが違う。
こいつにも友達が必要ってことなんだよな。

ねえ、暖かくなったら、と通りの向こうからエレンの声が響く。

ねえ、今週末もし暖かかかったらまたドライブに行きましょうよ。
了解!と俺も声を張り上げる。

どこにでも行くよ。いつでも電話してくれ!

人間は結局、こうして支えあって生きている。
聞き飽きたつまらない会話と、不機嫌な顔で鼻を啜りあいながら、
ささやかな明日の予定に縋るようにしてまたこの辛い一週間を乗り切っていくのだ。

そしてこうしていつか、この冬も終わって行くのだろう。

日米の障壁 そのいち

Posted by 高見鈴虫 on 06.2014 とかいぐらし   0 comments   0 trackback
米系企業に勤めているのだが、仕事柄、電話会議がひじょーに多い。
下手をすると一日のうちに何件も。時として一日中、なんてこともありうる。

で、問題である。

まずは、英語の聞き取りである。
正直言ってなにを言っているか判らないことが多々ある。
会話の発端からして外してしまうとそれに続く意見の応酬そのものがさっぱり判らなかったりもする。

しかもこのグローバルな世の中。
会議に参加しているのは米国人だけとは限らない。
インド系中国系、フランス、イタリア、ドイツ。
同じ英語圏でも、イギリスとアメリカは随分違うし、
そこにアイルランド、あるいは、オーストラリアなんてのが入ると、
正直言って?!?!?!?!のオンパレードである。

一番辛いのはなんといっても人名である。
そして慣用語句。
発言者が普段言いなれている語句ほどにその発音が容赦ないほどに曖昧であったりもする。

私たち日本人の名前も、他国の方々からするとまさにチンプンカンプンなのだろうが、
ことインド系、そしてロシア系の方々の名前、これがもう必殺的にまったく訳が判らない。

中国系の方々は、ファーストネームに英語名=クリスチャンネームをつけてくれている場合が多いので、
その点は助かるのだが、ことインド系の方々。
あの独特のイントネーションに加え、彼らはいつも必ずドがつくくらいの超絶的な早口。
まるで怒涛のように流れるあのインド英語を聞いているうちに、まさに船酔いを起こしそうな気分にもなってくる。

がしかし、どうにもやはりアメリカ人にはそれが聞き取れているようである。
事実、会議はつつがなく進行している。
つまり判ってないのは俺だけ?と思うと、いつ質問を振られるか、とまさに戦々恐々である。

がまさか、この米国系企業に米国人として入社してしまった以上、言っている言葉が聞き取れない、では済まされる筈もなく、正直、毎日が薄氷の上を歩くような気分で生活している訳だ。

それに加えて会議中の発言である。
会議に参加した以上、聞いているだけ、では済まされない。
たとえなにがあっても、言っている意味がまったく判っていなかったとしても、とにかく必ずなにかを発言、つまりは口を挟まなくてはいけない訳である。

その点が、日本とアメリカとの仕事習慣の最も大きなところ、

日本での新卒時代、会議の後になって、あのなあおまえ、新人の癖に余計な口を挟むんじゃないよ、恥ずかしい!!
と先輩になんどド叱られたことか。

そんな経験からついつい会議中にはじっと口をつぐんでいる癖がついていて、
ろくに判ってもいない状態なら尚更。
あるいは、その後、ちょっと仕事になれてきたとたん、つまり会議で話されている内容のその裏の裏まで理解できるようになると、
思わず、あのなあ、お前もう一回言ってみろコラ、とかなんとか拳を振り上げてしまうところがあって、それはそれで大顰蹙。
たのむから黙っていてください。助けが欲しいときにはちゃんと言いますから、と後輩たちに念を押されるしまつ。

と言う訳で、俺にとって会議はまさに鬼門。

でこの米国での電話会議中もついつい合口の入れる間合いをミスってしまうことが多々。
余計なことを言って顰蹙を買うのではないか、
こんな質問はナンセンスだな、これはさっきに誰か言ったよな、どうせそのうち誰かが言うだろう、
などと考えているうちについついと発言のチャンスを失っていくことになる。

おまけにこれまで俺の生きてきた日本社会、
出る杭は打たれる、男は不言実行、なんていう習慣も災いして、思わずそんな会議の中で、透明人間化してしまう訳なのだが、
これがまさに、米国社会においては致命傷である。

とりあえず、判っているのか判っていないのか、その意思表示だけでもと思うのだが、まるでマシンガンのように繰り出される英語トーク。
Yeah,That's Right やら I hear it やら Understood やらのどうでもよい肯定的返事を並べているうちに、すっかり相手の話に丸め込まれては、しょうもない仕事を押し付けられたり、あるいはせっかくの苦労をすべて猫糞されてしまったり、なんてこともおきる。

くっそう、学生時代もうちょっと英語を勉強しておくべきだった、とは常々悔やんでも悔やみきれない訳なのだが、
しかし、日本においてほぼ最高学歴に近い一流国立大出身である我妻も、同じことを言っている訳で、つまりはこれ、日本人特有の現象というか、
ぶっちゃけ、俺たちって、ろくな英語教育を受けてこなかった、ということなのだろうという点に帰着してしまう訳だ。

がしかし、実は最も頭が痛いのが日本との間の日米会議なのである。

その会議が英語主体、ということであれば、まさに借りてきた猫のようにしゅんとしてしまう日本の方々が、
ひとたびその中に、英語使いがいる、と判った時点で、いきなり、まさに朗々と、日本語の日本語によるまさしく日本的なご意見を述べ始める訳で、それに日本語が重なり、綴れ織り、と永遠と日本語ばかりの論議が始まってしまったが最後、アメリカ側ではもうため息の嵐。そして日本側では、そうやって一番偉そうに日本語でまくし立てる奴に限って英語ができない奴が多いことから、まさに会議は分断されてしまった後に、この欲求不満に滞った会議をどこに着地点を持っていくか、ばかりを考えることにもなるのだ。

英語のヒアリング能力、英語の発音、英語的な思考回路の組み立て方、そして電話会議における上手な参加の仕方。

まさに課題は盛りだくさんな訳である。

と言う訳で、俺的な秘密兵器としてはもうこれ以外にない。

つまりは録音である。

電話をスピーカーにしてIPHONEで録音を録る、ってのをやっていたら、他の部署から文句が出た。
で、しかたなく、PCに音楽編集用ソフトをインストールし、電話のイヤフォンに星型蛸足アダプタを接続し、全ての電話会議を録音し、後でゆっくりと聞きなおすことにしているのだが、それによってかかる時間はまさに膨大。いつになっても家に帰れないという状況にもなり、しかも、重要な案件での重要な発言、これを何度繰り返して聞いてみてもどうしても聞き取れない。
ああ、くそ、会議の席で、聞き取れなかった、もう一度お願いします、となぜ言えなかったのか。
つまりは会議の腰を折りたくなった、リズムを崩したくなかった訳なのだが、そんなことは言い訳にさえならず、しかもこの会議を録音することは、法律上は禁止されていたりもする訳でつまり公にはできない。

まさに四面楚歌である。

そんな時、強い見方はMESSANGER。つまりはCHATである。
会議と同時進行でCHATの画面を開き、参加者同士で、電話=口 による会話とはまた別に、CHAT=指 での会話を同時進行するわけで、

???? What did he say? I don't know ask himやら、OMG it must be kidding やら、なんだよアメリカ人でも判ってなかったりするのか、とちょっと安心したりもして、まあこのCHATでのぶっちゃけ会話でどうにかこうにか内容だけは追っているという状態。

と言う訳でこの本ちゃん米系会社暮らし。既に一年半になるがまだまだ課題山積み。
まさに、毎日英語学校で実践ビジネス英語を叩き込まれている訳なのだが。。。

ちゅうわけで、米系企業でお決まりごとのレビュー、つまりは、上司からの評価な訳だが、うーん、正直言って、君の仕事、ぜんぜんレベルに達してないよ、と面と向かって言われてしまうにあたり、もうかなり凹んでしまったりもする。

あのねえ、それはほら、米系と日系のビジネス習慣の差、あるいは、米人と日本人のカルチャーギャップ、あるいは。。はい判ってます。ぶっちゃけ俺の英語力ってことなんだろ?

がしかし、あんたは良いわよ、専門知識っていう武器があるんだし。私は英語ができてもその専門知識がないからなにもかもが珍分、とはやはり同じチームにいる女性からの発言。

つまりみんな、人それぞれに苦労はしている訳なのだ。

改めて言いたい。

何を話したいか、だけで爆走するのをやめて欲しい。
会話の目的は話したいことを話す、ことではなく、いかにしてそれを相手に理解してもらうか、な訳である。
相手に理解してもらえる会話こそが、まさに会話上手な訳であって、
判っているのか判っていないのか判らないひとに、言いたいことだけをぶちまけて、はい、俺の話はこれで終わり。判っていないのはお前のせい、というのだけはやめて欲しい訳だが。
正直なところ、電話会議に参加するやつってまさにそんな奴ばかりなんだよねえ、本当に。。。

と言う訳で今日も今日とて、5時を過ぎて誰もいなくなったオフィスに一人、ヘッドフォンに齧りついて昼の会議の録音を繰り返し繰り返し聞き返している俺なのである。ためいき・・・

日米の障壁 そのに

Posted by 高見鈴虫 on 06.2014 とかいぐらし   0 comments   0 trackback
「日米の衝突」

なんてことを日々思いながら、果たしてグーグル翻訳の進化はまだなのだろうか。

がひとつ言いたいのは、日本語の何が抜けているのか、つまりは主語、である。
どの会話にも主語が存在していないのである。
つまりそれは、暗黙の了解として私、あるいは、私たち、あるいはあなた方、である訳なのだが、これがこと翻訳機にかけるとまったく意味のない言葉を作り上げる諸悪の根源。

はい判りました、を、はい私はわかりました、なんてことを言う日本人はいないのであるが、この、私はわかりました、とする習慣をつけない限り、英語、あるいは中国語との対話は成立しないのである。

つまり行く行くは、このグーグル翻訳機の仕様に合わせた会議用日本語、というものが新しく考案されるという状態、
あるいは、英語の文法に直した形での日本語、私は 見る 書類の会議を、なんていうおかしな日本語が飛びかうなんてことになると、まさに日本語倒壊にもなりうる訳で、いやはやである。

がしかし、問題は実は英語会話、それだけではない。


ぶっちゃけ日本人的な思考回路である。

日本人の会話、まあそれは俺も含めてな訳だが、論旨、つまりは、その言いたいこと、がいつも後回し。

でその結論に向けて、まるで渦を巻くように余計な枝葉をこれでもか、とくっつけた後に、と言う訳で、お分かり頂けただろうか、私の言いたいことはそういうこと、となる訳で、下手をすると、その結論を言わずに、それはそっちで勝手に解釈してちょんまげ、と丸投げされてしまう訳で、この論法こそがまさに米国間との会議の中ではキラー。

発言の途中で、あんなあ、だから結局、YESなのかNOなのか、とぶち切れられることも多々。
がしかし、そうやって話の腰を折られると、日本字はパタリ、と話すのを止めてしまったりもする訳で、これがもうひたすらに性質が悪い。

これまで、日本向け会議に出席するたびに、関係者には、日本人の思考回路は渦巻き、アメリカ人はヤリ一直線、ここが凄く違う。なので日本人の話は最後まで、かならず最後まで聞け、と口をすっぱくしていっているのだが、ことによると日本人の話。この渦巻きが際限なく続く訳でいつまでたっても結論が出てこない。

まあそれは日本流、というよりも、日本人の源泉であったりもするので、それが良いの悪いの言いたくはない訳なのだが、そう、つまり困るのである。

と言う訳で、今日も今日とて俺の元には山のような日本語の質問状が届いている。
俺はそれを直訳して担当者にホイ、とできるかと言えば勿論できない。

その主語も述語も目的語もはっきりとしないうねうねとした日本語文章を読み下し、内容を理解した上で、結局言いたいことはこれでしょ?というものを摘出して要約した上で英語に変換する必要がある訳だ。

なぜ最初から、私は 欲しい、なになにを。 なぜならば~~~。という直接的な文章にしてくれないのか、とは常々思っているが、そんなメールが日本人から来たら、うんじゃ、この失礼な奴は、と俺でさえ驚く訳なので、つまりはそれが日本人という奴なのだろうが。。


がここに来て、新たなるムーブメントが起こりつつある。

つまり、相手のことなど知ったことか、という人々である。

ぶっちゃけ、日本人が英語が判らない、英語的な思考ができない、のであれば、できる日本人を雇えばよい、というまさに直接的短絡的な米流ビジネスの原理主義者たちである。

実のところ、先の人事異動からそんな原理主義的なボスが上にきてきてしまってからというもの、日本語の翻訳など必要ない。そのまま英語で流して、判る奴だけを相手にすればよい、とまで言い切られてしまった日にはもう目も当てられない。

あの~、ぶっちゃけ、この人はなにを言っているのでしょう、の問い合わせが殺到することになるからだ。

しかも、原理主義的なボスはそういう日本とのやりとりに俺が時間を取られていること事態が気に入らなくて仕方がない。
やめろやめろ、そんな必要はない。日本を特別扱いするな、英語の判らない奴など放っておけ、などと言い切られてしまう始末で、つまり俺の日本向けの仕事は一切評価しない、とまで断言されてしまった日には、目も当てられない。と言う訳で、昨日のパフォーマンス・レビュー、まさに、この日本向けに労力を費やしすぎる、という理由で反感を買った結果が、まさにFAILEDであった訳で。。。いやはや苦笑いではすまない事態なのである。

なんとなく、香川や本田の外地での苦労がねたで済まされない自体が刻一刻と日本社会を覆いつつあるということなのでした。

犬の事件 ~ 犬の素行に文句を言う前に、ちゃんと散歩してやってくれよ!

Posted by 高見鈴虫 on 07.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback
今日は午後一時に会議が入ってしまってランチタイムのジムは見送り。
と言う訳で、珍しく昼飯時に机に座ってサラダを食いながら、
久々に日本のニュースでもと覗いて見たら、いきなり痛ましいニュースが目に飛び込んできた。

「7歳日本人少女が4頭の犬にかまれ重体 NZ」

悲痛な事件である。そしてまったく他人事ではない。

場所がニュージーランドとのことで、まさか。。。オーストラリアン・キャトル・ドッグでは、
と慌てて犬種を調べたら。。。
噛んだのはスタッフォードーシャー・ブルテリア。まあつまりは、そう、あの悪名高きピットブルの親戚筋。

実はこのピットブル。
毎夜毎夜の猛犬パーティでこれでもかと顔を合わせている。
飼い主の方、まさに、このピットブルの為に筆舌に尽くし難いほどに大苦労をして過ごしているわけで、
その辛酸に塗れた様を間近に見る、どころかまさに一緒に背負わされてしまっていたりもする。

つまり。。もう私では面倒見切れない。。助けてくれ、と縋られている訳だ。


「鮭のハラミ」とオノヨーコ

Posted by 高見鈴虫 on 08.2014 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
セントラルパーク、72丁目の入り口脇のベンチで、

「鮭のハラミ」を熱々のご飯に乗せて梅干を添えて、
という話をしていたら、
ふとするとそんな俺たちの後ろに小さなおばあさんとその娘が立っている。

それには構わず、
なにそれを塩で食べるの、醤油で食べるの、お茶漬けとか、
などと続けていたら、

むむむむ、と神妙そうに聞いていたサングラスのおばあさん、
いかにも生唾ごっくり、という風。

あ、日本人か、やあどうも、とご挨拶すれば
はいはい、どうも、と品の良い会釈。
やっと暖かくなってきましたね。
そうですねえ、やっと。

という訳でじゃねと別れたのだが、

え!?あれ、オノ・ヨーコ!?

そう言えば、ダコタハウスの住人なんだよね。

今度鮭のハラミを持って遊びにいってみようかな。

ジョンレノンに命を救われたガキども

Posted by 高見鈴虫 on 08.2014 音楽ねた   0 comments   0 trackback
あ、そんで、
なんでオノヨーコがいまだにダコタハウスなんていう、
いまや完全な観光名所、みたいなところに住み続けているのか、
と思ったのだが。。

つまりは。。ジョンレノンの面影と共に生きている、
そしてそこで死ぬつもり、ということなんだろうな。

つまりジョンレノンとの愛の思い出の中で、
一生を閉じようというつもりなのだろう。


ジョンレノン魂

Posted by 高見鈴虫 on 08.2014 音楽ねた   0 comments   0 trackback
二学期の中間試験の前日、珍しく実家に戻ったのを狙いすましたように
夜も11時を過ぎてからコージがスグルをケツに乗せて遊びに来た。
揃って身長180を越える長身の二人がのしのしと部屋に入ってくると、
散らかり放題の俺の部屋がなおさら小さく思えた。

俺とコージは同じクラスで席もいつも隣り同士。
なんてことはない一番後ろの窓際の端っこの席はなにがあっても俺たちの指定席。
クラスの席替えなど俺たちにはまるで関係なし。
そんなことぐらいで文句を言わせるほど俺もコージもやわではなかった。

と言うのもコージはその当時不良の王道であった暴走族、
地元では有名な名門チームの顔役。
でかい身体に物を言わせて武闘派の筆頭と言われた男で、
一年の時の隣街チームとの大規模抗争の際には、
既に本ちゃんの杯を貰ったと噂のあった敵の頭とタイマンの一騎打ち。
本人言わせるところはっと気が付いた時には相手が白目をむいて倒れていて、
すわ、殺してしまったかと焦って揺り起こしたところをいきなり石で顔を殴られた。
その時の残り傷で今も鼻が横にひしゃげたままで、
その赤いニグロヘアーと潰れた鼻という壮絶な顔立ちで、
どこから見てもプロレスラー崩れの本ちゃんそのもの。
そういう俺も新宿で名の通ったパンクバンドのメンバーで、
当時珍しかったライダース。鋲付きのダブルの革ジャンを肩に引っ掛けてのチンピラ風情。
そんな俺たちがどこへ行っても、まるでモーゼの十戒のように目の前に道が開けた。

スグルのことは誰もなにも知らなかった。
不良の格好もしておらず髪は無造作なサーファーカット。
校内の不良連中とも付き合いはなく中型の免許さえ持っていない。
ほとんど学校には顔を出さないがたまにギブソンを担いでひょっこりと学校に顔をだしては、
登校拒否児童にしては異様な熱心さで授業を受け、
良い子とも悪い子とも訳隔てなくニコニコと会話しては、
職員室に呼びだされてもそのはきはきとした受け答えに、
たちまち鬼の生活指導をも丸め込んでしまう。
おまけにテストの時にだけは出席してはそれなりの点数と取るものだから、
たぶん大学受験を目指し、学校を休んで受験予備校に通っているのだろうと、
その出席率は多めに見られているというところだった。
そんな訳で果たしてスグルがいったいなにをやっていたのか誰も知らなかったわけだが、
実は俺とスグルは裏の顔、つまりはバンドマンの世界においては既にそれなりの有名人。
俺はすでにロック雑誌やらテレビの音楽番組にも出演していたし、
スグルはスグルで凄腕のギタリストとして地元の音楽少年たちの間では憧れの的。
ジャンルは違うもののお互いに本ちゃんのミュージシャン志向、なんだかんだで意識はしていたのだが、
そんな俺たちが、たまたま小銭稼ぎで借り出された米軍キャンプのパーティバンドで顔を合わせてからは一挙に親近感が増し、それ以後ちょくちょくと俺のバイト先やあるいはライブの楽屋に顔を出しては、よおよおと親交を深めていたのだ。


レスキュードッグ・ブルース ~ ハードコア・レズビアンとアメリカン・ブルドッグ

Posted by 高見鈴虫 on 09.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback
朝の公園に不敵な輩が現れた。

子牛ほどの大きさもあるアメリカン・ブルドッグと、
そしてその子分のようなピットブルである。

公園に姿を見せた途端に辺りを見渡し、
カモになる小僧がいないか、と猟犬の目で探し廻っているのが判る。

飼い主は二人連れの中年女。
男のような短髪に黒革のジャンパーの襟を立て、
そのこれ見よがしに肩をいからせての歩き方から、
見るからにレズビアンのカップルであると判る。
互いのおしゃべりに気を取られているのか
自分たちの犬がどこでなにをしているのか、
まったく目に入ってはいないようだ。

その飼い主を見る限り、
犬の飼育に慣れているとは思えないとはどうにも思えない。
犬の散歩に革ジャンにロンドンブーツに特大のキャッツアイ。
馬鹿かこいつら。
犬を飼う間に自然と身についてくる犬を飼うものの能力が、
その二人からは根こそぎ抜け落ちている。

そしてその犬達。
その太い首の周りには二重三重でスパンク・カラーが巻かれ、
これ見よがしに猛犬であることをアピールしているようだ。

そんな一団の姿を見た時、
それまでボール遊びをしていた犬たちの間に緊張が走ったのが判った。

ボールを咥えたまま走り回っていたブッチが、
その犬たちを睨みながらグルルルと低く喉を鳴らしている。

その見るからにやんちゃそうな二頭。
大きいほうのアメリカン・ブルドッグは多分雌。年齢は四五歳と言ったところだが、
問題はその子分役のピットブルの方である。
アメリカン・ブルドッグに比べるとまるで豆タンクのような大きさながら、
その始終落ち着きのない態度。年齢は一歳から一歳半、つまりはやんちゃ盛り。
しかもアメリカン・ブルドッグという頼もしい相棒がいることで、
ますます気が大きくなっているのが判る。

果たしてその飼い主たち。
その重装備のスパンクカラーの様子から日ごろから相当にこの犬たちには手こずらされているのが見て取れるが、
果たしてそんな犬を公園に放してしまうのである。
一度スイッチが入るとなにをしでかすか判らない操縦不能のジェット機のようなピットブルである。
なにかあったらいったいどうやってハンドルするつもりなのか。

普段から手のつけられないピットブルたちを相手にしている俺は、
この犬の飼い主たちの楽観振りに思わず呆れ返りながら、
がしかし、
そしてそんな飼い主たちの姿、
その犬を飼うにはあまりにも似つかわしくない態度、
まさに地球上の男たちの全てにその弛んだ脂肪の揺れる細腕で戦いを挑もうとしているような、
その無様にタフぶった態度。
誰からも相手にされなくなったレズビアンの人々に特徴的なそのネガティブが攻撃性の滲み出ているような、
その悲惨なほどに似合わないハードコアなファッション。

そして、そんな飼い主に飼われている闘犬二頭。

そのカップリングはまさに最悪。まさに悪夢のようなミスマッチだった。

俺はにわかに嫌な予感がして、おいお前ら、帰って来い、と廻りにいる犬たちを呼び寄せた。

ブッチ、お前はここを動くな。

そして他の飼い主たちには、あいつらどうにも妙だから、すぐにこの場を離れたほうが良さそうだ、と促した。

ブッチ、帰るぞ、と俺は言った。
触らぬ神に祟りなし。さあ、行こう、と足早にその場を離れようとした途端、
いきなり背後からギャン、と悲鳴が聞こえた。

あっちゃぁ、である。

最初に襲われたのは二歳になるいたいけなゴールデンリトリバーだった。

「ロンドンからテレパシー」

Posted by 高見鈴虫 on 09.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback

日曜の夜、ああまた明日から仕事だ、くそったれ、とそのまま不貞寝をしたいところ。
ああ、でも寝る前に犬の散歩に行かねば、と思いながらも、
しかし、そう、ジェニーがバケーションでロンドンに発ってからというもの、
猛犬パーティの誘い電話が来なくなり、ほっとしたのもつかの間、夜の散歩もついつい手を抜き勝ち。
だって、この寒さだぜ。まったく。。
ブー君にしても毎夜毎夜誰もいないドッグランに一人、凍てついた風の中で待ち続けていても面白くないと見えて、夜になってもお散歩をねだることさえしなくなった。

がしかし、どうした訳か、今日に限って、
10時を過ぎた途端に、いきなりソファの上に跳ね上がって、
さあ、行くよ、と突如、準備万端の表情。


「夢遊病の街 ~ 夏時間開始」

Posted by 高見鈴虫 on 10.2014 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback

先週末からまた夏時間が始まった。
時間が一時間早くなって
なんとなく一時間損したみたいだ。

と言う訳で、あれ、まだ暗いじゃないか、
と見上げる朝の空。
そうなんだよ、昨日で言えばまだ6時の筈なんだよ。

ブー君も眠そうで歩きながら欠伸ばかり。
普段はまるで決められたようにするおしっこもうんちも、
すっかりタイミングが狂ってしまっては出るものも出ない。

と言う訳で、ふらふらと歩くうちにふと見れば既に7時半。
え!?ありえない、だってまだこんなに暗いのに。
慌てて家に帰り、珈琲を淹れながら歯を磨き顔を洗い、
ぼさぼさの寝起きの髪をかき上げながら、服を着て。
いつの間にかブッチは足も洗わないうちから再びベッドの中に潜り込んでいて、
今更になってむむむ、と寝言を言うかみさんの隣りですやすや。
おい、もう時間だよ。俺はもう行くぜ。
なになに?と飛び起きたかみさん。
今何時?
もう8時前だよ。完全に遅刻だ。
えええ!だってまだこんなに暗いのに。
夏時間、夏時間だよ。

と言う訳で乗り込んだ地下鉄。
その乗客の誰もが、朝だというのに既に泥のように疲れ切って見える。
まるで夢遊病のようにふらつく人々。
読んでいた新聞に顔をうっ伏すように、誰もが不機嫌そうに大欠伸。

なんだってんだよ、この夏時間ってのは、といまさら俺も大不機嫌。
ああもうこの場に倒れ伏して寝てしまいたい、とそれだけを願う月曜の朝であった。

改めてBEATLESを聴く そのいち LET IT BE

Posted by 高見鈴虫 on 10.2014 音楽ねた   0 comments   0 trackback


LET IT BEってさ、
ジョン兄ちゃん、ごめん、本当にごめん、でも、僕はキリスト教だけは捨てられない、
ー>なので、あんな魔女みたいな女につき合わされるのはもうたくさんだ。
っていう歌だったんだよな。

なんかさ、ポールっていまさらながら凄くホモっぽいっていうか、
まあジョン兄ちゃんがやっぱり大好きだったんだろうな。

と言う訳で、ジョンは弟分たちをすべてブッチして東洋の魔女と政治運動に猛進。
ポールはマリア様にすがりながら泣く泣く恨み節を歌ってたってことか。
マザコンのポールらしいよな。

改めてBEATLESを聴く そのに 女王陛下のビーチボーイズ

Posted by 高見鈴虫 on 10.2014 音楽ねた   0 comments   0 trackback
果たして、BEATLESのメジャーな曲は実はほとんどがポール・マッカートニ。
がしかし、と考える。
誰かさんが言ったように、
もしBEATLESにジョンがいなかったら、それはただのBEACH BOYSと似たようなものだったのでは、
という指摘が、実はよく頷けたりする。
そう、BEATLEからWINGSになってから、PAULはしこたま良い曲を書いたのだが、
そのどれもが実はBEATLESほどに印象に残らない。

が果たしてJOHNの音楽的才能ってなんだったんだろう、と考えるとそれも疑問視である。

つまりは、レノン&マッカートニーがあって始めてのBEATLESだったんだよな、
と改めて思う。

改めてBEATLESを聴く そのさん キャロル

Posted by 高見鈴虫 on 10.2014 音楽ねた   0 comments   0 trackback

改めて聴くと、BEATLESって演奏が下手だな。
冗談かよ、と思うぐらいに下手糞。へたくそすぎる。
これだったら高校生以下、
つまり。。我らがキャロルと、演奏技術的には実は似たりよったり、
ぐらいだったんだな、といまになって気づく。

ってことはキャロルだってやろうと思えばやれたんじゃねえ、
という奴だ

俺はソロになってからの永ちゃんより、
実はキャロルの頃のほうが好きだったりする。
だって、キャロルはロック、永ちゃんは・・演歌だから。。

改めてBEATLESを聴く そのご 長生きの秘訣

Posted by 高見鈴虫 on 10.2014 音楽ねた   0 comments   0 trackback
BEATLESがなぜストーンズのように長生きできなかったのか。

仲が悪かったから、と言ってもストーンズだってそれほど仲が良いとも思えず、
いい大人が中年を過ぎてべたべたなんてしていられない、ってのがまあ正直なところだろうし、
TheWho のように憎みあいながらも黙々と仕事をこなしていたバンドもある。

で、結論としては、つまりBEATLESは演奏が下手だったから、じゃないのかな。
楽器が上手ければよい、という訳ではないが、
それにしても下手すぎた、ってのが本当のところだと思う。

確かに、ジョンもポールもジョージもリンゴも、演奏だけを見れば高校生レベル、あるいはそれ以下。

しかも育った環境も好きな音楽もまったく違う訳で、
ぶっちゃけジョンレノンというあのゴジラ級にメンヘルを抱えた化け物を相手に、
他の3人はもう辟易しまくっていたんだろうし、
ポールはポールで実はうるとらニート。
口うるさいお袋のようにいちいち細かい注文つけるんで誰もがうんざり。
スタジオでも苦痛だったんじゃないのかな。

と言う訳でそう、ストーンズのような適当さ、
けったかがロックじゃねえか、ぐらいがちょうど良かったりもする、
ってのが結論だろう。

改めてBEATLESを聴く そのろく 東洋の魔女

Posted by 高見鈴虫 on 10.2014 音楽ねた   0 comments   0 trackback
で、結局BEATLESがこれほどの伝説となれたのは、
まさにLOVE AND PEACE というか、
つまりはジョンレノンのあのMOVEMENT。
たかだかポップミュージックをファッションはおろか政治運動とリンクさせ、
社会現象化させるなんてところまで突き進んだのも、
実はこのジョンレノンのお陰なのだろうが、
果たしてあの暴力癖のあったウルトラDV男のジョンレノン。
田舎町のチンピラ風情がまさか愛だ平和だ、なんてことにそれほどの関心を持っていたとも思えず、
いったいなにがきっかけでこうも化けたのか、と考えると、
つまりは・・・あの東洋の魔女、オノヨーコか、と思う訳だ。

と言う訳で、改めて、ジョンレノンというゴジラ男を、
いつの間にかいいように利用しては開花させたオノヨーコという人は
実はいったいなんだったのだろう、という疑問に行き当たる。

もしかして。。オノヨーコってもっと違う次元の人々からの使い人でもあったのじゃないかな、
という気がしてきたりもする訳だ。

やはり。。この人は魔女であったのだろうか。。
あるいは。。

今度セントラルパークで会ったら聞いて見たい。

ひろいもの ~ たけしごろく

Posted by 高見鈴虫 on 11.2014 今日の格言   0 comments   0 trackback
人はいずれ死ぬんだ。
それが長いか、短いかでしかない。
どんなに長く生きたいと思ったって、そうは生きられやしないんだ。
「あきらめ」とか「覚悟」とまでは言わないけど、それを受け入れると、何かが変わっていく気がするんだよ。

オイラはバイク事故(1994年)で死を覚悟してから、その前とその後の人生が丸っきり変わっちまった。
今でもたまに、「オイラはあの事故で昏睡状態になっちまって、
それから後の人生は、夢を見ているだけなんじゃないか」と思うことがある。
ハッと気がつくと、病院のベッドの上で寝ているんじゃないかって思ってゾッとすることがよくあるんだ。

そんな儲けもんの人生だから、あとはやりたいことをやってゲラゲラ笑って暮らそうと思うんだ。

ビートたけし




最近、「自分が勝った」と思った瞬間に、相手をトコトン叩きのめしてやろうという感覚の人間が増えたような気がする。
自分のほうが有利だとわかった瞬間に居丈高になるんだよな。
絶対安全圏から、どん底に落とすまで叩きまくる。
「もうサンザンな目に遭ってるんだから、この辺でいいじゃないか」とか、
「もうこっちの勝ちは決まったから、それ以上ボコボコにする必要はない」なんて感覚はないんだよな。
人間、自分が圧倒的に優位な立場にいるときに、相手にどう振る舞うかで品性みたいなものがわかる。
「溺れた犬は叩け」じゃないけど、弱ってる相手、弱い立場の相手をかさにかかっていじめるのは、
とにかく下品なんだよ。

ビートたけし

強い人 ~ メンタル

Posted by 高見鈴虫 on 11.2014 今日の格言   0 comments   0 trackback
アメリカにおける意思の強い人だそううだ。 日本の社会では、つまりは困った人であったりもするが。。

1. They Don’t Waste Time Feeling Sorry for Themselves 自分を哀れまない


Mentally strong people don’t sit around feeling sorry about their circumstances or how others have treated them. Instead, they take responsibility for their role in life and understand that life isn’t always easy or fair.

全て自己責任と考えてれば人にやられたことや起こってしまったことにくよくよして時間を無駄にしたりしない。
人生は辛いもの、不公平なもの、と最初から覚悟している、ってこと。


2. They Don’t Give Away Their Power 被害者意識を持たない

They don’t allow others to control them, and they don’t give someone else power over them. They don’t say things like, “My boss makes me feel bad,” because they understand that they are in control over their own emotions and they have a choice in how they respond.

人からやられた、させられたとは思わない。すべてを自身の決定と割り切る。


3. They Don’t Shy Away from Change 変化を厭わない

Mentally strong people don’t try to avoid change. Instead, they welcome positive change and are willing to be flexible. They understand that change is inevitable and believe in their abilities to adapt.

新しいことはすべてチャンスなのだ。



4. They Don’t Waste Energy on Things They Can’t Control 言ってもしょうがないことに文句を言わない

You won’t hear a mentally strong person complaining over lost luggage or traffic jams. Instead, they focus on what they can control in their lives. They recognize that sometimes, the only thing they can control is their attitude.

自分になにができるか、を考え、どうしよもないことにうだうだ文句を言って無駄なパワーを使わない。

強い人 ~ ストレス

Posted by 高見鈴虫 on 11.2014 今日の格言   0 comments   0 trackback
きょう日、強い人、と言われて、喧嘩の強い人、をイメージする奴なのどいないだろう。
現代社会において、もっとも現実的な敵とは、
駅前のチンピラでも性質の悪い酔っ払いでも通り魔でもない。
そんなものはその気になればやり過ごせる。

現代におけるもっとも手ごわい敵とはまさに「ストレス」である。

現代において、ストレスに強い人、こそが、昭和の時代に腕っ節が強かった人、に相当するのだ。

つまり、強い人になりたければ、ストレスの耐性を鍛えなくてはいけない。

ストレスが強い人の共通点 6項目
1.パッと切り替える。くよくよ考えないようにしている。
2.上司に怒鳴られても自己成長できるチャンスとポジティブに考えることにしている。
3.困ったとき「助けて」といえる人を何人も持っている。社内だけでなく社外にも。
4.嫌いな人を作らないようにしている。敵は絶対に作らないようにしている。
5.人が困っているときは自分が助ける番だと心得、極力協力するようにしている。
6.仕事を離れた趣味を持つ、共通の仲間がたくさんいる。

ストレスに強い人の特徴
1、「まあいいか」と受け流す 
2、マイペースを保てる
3、人生は思い通りにならないと思う
4、タイミングが悪かったと考える
5、相手の事情も想像できる
6、何事も経験と思う 
7、周囲に頼れる
8、現実逃避が上手"

扁桃体 を鍛える
「自然を感じ、空を見る」
「感情を吐き出す」
「鏡を見て笑う」
「たんぱく質を摂る」

なんかあまりどれも役に立たないな。

つまり、ストレスことは強敵のその上、つまりは超敵なのだろう。

はーどでいずないと

Posted by 高見鈴虫 on 11.2014 今日の格言   0 comments   0 trackback
この最悪な経験も、いつかなにかの役には立つのだろう。
そのためには、しっかりとその最悪な経験の本質を見極めておくことだ。
それが転んでもただでは起きない、ということなのだ。
失敗しないひとはいない。
違いはその失敗からなにをまなんだか、ということなのだ。
特に、失敗からしかものを学べないタイプの俺には、
それはまさしく絶好の機会だろう。
失敗の中で後悔をしない人などいない。
だが、あの時ああしておけば良かった、は、
次はしくじらない、の同義語と考えるべきなのだ。

どれだけ最高の思いをした、というのも財産ならば、
どれだけ最悪の思いをした、というのもまた貴重な財産。
それを無駄にしないためには、前に進み続けることだ。

前に進み続ける限り、いつかは、いつかは、いつかは、
きっとその経験が活かせる機会があるはずだ。

ただ、そしてまた新たな失敗の中にはまり込むだけではあるのだがな。。

つまりはそれを人生というのだ。

生きるということはつまりはそういうことなのだ。

はなからそう思っていれば、少しは諦めもつくというものだ^_^

打落水狗

Posted by 高見鈴虫 on 11.2014 とかいぐらし   0 comments   0 trackback
溺れた犬は叩け、ではないが、
一度でも立場が悪くなった途端、
いきなり豹変するまわりの人々、
これでもか、と石を投げ、棒で叩き、
やりたい放題にやりつくす、
という輩が、出るわ出るわ。

まあ人間って本来そういうもの、
ぐらいにしか思っていないし、
自分でも不思議なぐらいに腹も立たないのであるが、
その叩いている奴が、自分の上司であったりすると、
いやはや、と苦笑いを通りこして相手の正気を疑うことにもなり、
心底気味が悪くもなる。

まあ人間そんなもの、とは思ってはいるが、
そんな人間を見なくてはいけなくなった自身の不遇が、
ちょっと恨めしくもある。

改めて言う。

溺れたが最期、だれも助けてはくれない。

人間とは本来そういう者なのだ。

ひとたび溺れれば、残る道は自力で這い上がるしか方法はない。

石を投げる奴、棒で叩く奴、手を差し伸べる振りをして足蹴にする奴。

まあいろいろ居るが、これも人間、それも人間。

がしかし、溺れている奴は溺れながらそんな奴らを相手にしている暇はない。

まずは岸にたどり着くこと。
それが先決なのだ。

石を投げる奴には投げさせておけ。棒で叩く奴は叩かせてやれ。

そして奴らが溺れたとき。。。 俺はいったいなにをするのだろう。。

多分、なんだかんだ言って、助けてやったりするのでは、と思ったりもする。






不幸は落ちてみないと判らないもの

Posted by 高見鈴虫 on 12.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback
友達が死んだ後、
友達が死んでいない奴を見ると、
ああ、こいつはまだ友達を失くした経験がないのだな、
とは思うが、
だからといって、お前も友達を失くしたときになって、
俺が言ってる意味がわかるさ、というのも馬鹿な話。

失業したことのない奴は、
失業をしたことのある奴の人生観になど興味は持たないし、

車で事故ったことのない奴は、
事故ったことのある奴から、いくら運転気をつけろ、
といわれてもうるさいだけだろう。

女にふられた事のない奴は、そんな奴がもし居たらとすれば、だが、
女にふられ続けた奴の言い草になど、なんの興味も持たないに違いない。

つまり、お前が悪い、となるわけだ。

お前は、馬鹿で、貧乏で、ちびの不細工だからそうなったのだ。

俺は違うぞ、と言われるのがおち。

そうさ、俺だって昔はそうだった。


おやじの嫉妬が醜いのは

Posted by 高見鈴虫 on 12.2014 嘗て知った結末   0 comments   0 trackback
ったくどうしようもない上司からいらぬことを言われるたびに、

ああ、可愛そうに。こいつどうせこんなだせえオヤジじゃあ、
いままでにもろくな女とおまんこできなかったんだろな、と思ってしまう。

かく言う俺がそれほどS級ばかりを相手にしてきたというのでは勿論ないが、

つまり不幸の源泉って得てしてその程度のもの、

つまりおやじの説教の理由もそんなものじゃないのかな、と思ってしまう訳だ。

で、そういうろくでもない上司に限って、

俺は偉くなった、偉くなったから女にもてて当然、とか思ってしまうところがあって、

その勘違いが、またまた哀しくなるのだが、

まあそんなこと俺の知ったことじゃねえし、

そんな次元の奴にいまさら関わり合いを持ちたくもないのだが。。

どういうわけかそういう奴に限って、

かまって、かまって、じゃないが、

可愛げのない嫌がらせを仕掛けてきたりするから面倒くせえ。

ったくおやじの嫉妬ほど面倒くさいものはねえな、、

と、若い頃には常々思っていた。

で、いまになって言える。

それは、まったく事実だ。

がしかし、ひとつ言えることは、

そんなうぜえおやじ上司が、実は、こいつどうせ俺のこと、そのぐらいに思ってるんだろうな、

と考えていることもお見通しであったりもする。

なぜかといえば、そのうぜえおやじ上司だって、若い時分にはてめえの上司をそう思っていたからだ。

時代は繰り替えすように、世代も繰り返すのである。

おやじを舐めてはいけない。

「壊れ行く街 ~ FIX AND THE CITY」

Posted by 高見鈴虫 on 12.2014 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
朝寝坊して慌てて飛び込んだシャワー。
なんと水!
頭に来て温水の栓を思い切り捻ればいきなりの熱湯。

この冷水と熱湯が交互に噴射するシャワー、まったく性質が悪い。

で、石鹸の濯ぎもそこそこにスーツを着こんで慌てて飛び出したドア、
おっと、電気を消すのを忘れた、と玄関のスイッチを切れば、
いきなしバシッと音がして・・・ああ電球がまた切れた。。

どういう訳かここの電球、下手をすると一月に一回は切れている。
電気の配線がおかしいのは、果ては漏電?

おいおい。。これまじでやばくないか。。。

で、次なる障壁はエレベーター。

これがもう、徹底的に壊れきっている。
まさに、呪いのなんとかまで愛想をつかすどファンキーぶり。

自画自賛人生

Posted by 高見鈴虫 on 13.2014 今日の格言   0 comments   0 trackback
ここだけの話、実は俺はわりとすっげえ面白い奴である。

ガキの頃から放浪癖があって全国を転々とした。
その後バンドマンになってライブハウスでドラムを叩き、
不良ではないがいつも不良のダチとつるみ、
生まれ持ってのお祭り男で、
切った貼ったの騒ぎには必ず首をつっこんだ。
勉強はできないが誰よりも沢山の本を読み、
喧嘩は弱いが場数だけは踏み過ぎるぐらいに踏み続け、
ちんちんは小さいが女が好きで好きでたまらず、
が、女か野郎同士の遊びか、と言えば必ず野郎を選んだ。


  

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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