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旅の汚濁

Posted by 高見鈴虫 on 01.2014 旅の言葉   0 comments   0 trackback
と言う訳で、そう、ドラッグである。

はじめてまりちゃんと会ったのは高校一年の時だったかな。
その頃既につきあいのあった地元の珍平さんから、
これやってみるか?と手渡されたその肥やし臭いタバコ。
そのときはたった一口だけだったが、
ふむふむこれがローリング・ストーンズのやっている毬花というやつか、
とちょっと感動した覚えがある。

がしかし、時は暴走族全盛時代。
既に中学生時代から、世界最強のドラッグであるアンパン、
つまりシンナーの洗礼を受けていた俺たちにとっては、
なんだこれ(笑 で済まされてしまうぐらいのものであつた。

その後、不良仲間の間ではすでに飲酒が常用化し、
と同時に人間辞めますか、のシャブ、つまりはかくせーざいなんてものも巷、
というか俺らの周りには当然のように溢れ始めていたのだが、
それは麻薬であってドラッグにあらず、
ロックよりはやはり、演歌の世界、
つまりあんまりかっこうよくないもの、という気もしていた。

と言う訳で、本格的にドラッグをドラッグとして経験したのは高校の2年の終わり、
つまりはバンド活動に深入りして、米軍キャンプに出入りしだした、その頃。

おりからのサーファーブームなんてのも手伝って、
それ以来、バンド関係者であった俺の元には、なんだかんだで、
おーい、手に入ったぞ、パーティパーティ、ってな誘いが、
割りとちょくちょくとやって来るようになった。

がしかし、まあその程度。

つまり、へえ、これがXXって奴か、と仲間達と一口づつ、
なんてのが堰の山。
いかにもやりちん、という面をしながら、
まあやっていたのは実際その程度だったのだ。


ワールドカップ・ニューヨーク ~ 今年のW杯は最悪だそうだ

Posted by 高見鈴虫 on 01.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
隣りの部屋のルーシーさんが出て行って、
そういう訳で、隣室が現在改装中である。

で、その改装作業に出入りしているワーカーの方達が、
すべてコロンビア人。

おお、ハメス・ロドリゲス、凄かったな、と言うと、
ははは、とはにかむようにして笑う。

がしかし、彼らに言わせるところ、今年のW杯は最悪であるそうだ。

ええ、なんでなんで?審判が?チームが?

いや、あの、そう、つまりは時間が・・・

そっか、時差のない今大会、試合中はみんな仕事中な訳である。

サッカーみたいけど、仕事休むわけいかないし。

という訳で、隣の部屋から、普段ならうるさいぐらいに鳴り響いているサルサが、ここのところまったく聞えてこない。

つまりみんな、そっと息を殺してラジオの速報を聞いている訳である。

さすがに、サッカーの中継を聞きながらの仕事はご法度らしい。

とそんな時、寝ぼけていたブー君がオンオンオ~ンと吠える。

なんだなんだ?と行って見れば、寝室の壁をコツコツと叩く音。

へい、アルゼンチン、どんな具合?

だそうだ・・

そんなことなら俺の部屋に来て見ればよいのに・・

ああ、次のコロンビアの試合の時にはそうさせてもらうよ、だそうである。

金でも取ってやるか(笑

ワールドカップ・ニューヨーク ~ 移民たちのワールドカップ

Posted by 高見鈴虫 on 01.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
そう言えば、小学校の時のことである、
珍しく家族揃ってテレビの前、
夏だか春だかの高校野球を観ていたのである。

対戦は我が神奈川対茨城
俺たち姉弟は、当然のことながら神奈川県校、
わいこー、だか、よたこー、だか、とーいん、だか、
あるいは、とーかいおおずもう、
なんてチームを応援していた筈なのだが、
ふと、神奈川大ピンチ、から、ついに憎き茨城が先制点を上げ、
俺たち姉弟がぎょええええ、と涙まじりの絶叫を上げた、その時、
いきなり鳴り響いた拍手!

なんだって!!

つまりおやじである。
そう、オヤジは茨城出身だったのである。
そう、だって俺たちの田舎は茨城だったのだから。

つまりそうか、そういうことか、と今更ながら当然の事実に改めて納得。

つまりこの人、うちの親は、いまだに茨城の人、であったのだな。


ワールドカップ・ニューヨーク ~ メッシ 史上最低最悪そして最強の悪魔くん

Posted by 高見鈴虫 on 01.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
やっぱメッシかあ。そう、やっぱりメッシなんだよな。

前戦に引き続いてのどろどろの硬直状態の中から、
まるで汚泥に鶴の一声、
まさに目の覚めるような電撃戦法、
メッシの一撃でまた試合が終わった。

これはこれは・・思わず頭がスパークである。
呆然として拍手することさえも忘れてしまい、
そして涙がジワーっ。

やはりメッシだな、と思わず。
この人が「神」と言われる由縁が判る。
まさに、救世主、土壇場での頼れるもの、な訳である。

このメッシの一点、この重さ。
世界中が奥歯を噛み潰すようにして見守っていた120分を、
いきなり1秒でひっくり返すなんて・・・

確かにコロンビアのいけめん・ハメル・ロドリゲスの華麗なシュートには思わず小躍りしたが、
しかしだ、やはりこのメッシの一点に勝るものはない、と思わず涙涙。

ちなみに友人は、会社のランチルームでブラジル人の同僚たちとこの一瞬に立ち会ったらしい。

ブラジル人たちのその落胆といったら凄かったわよ・・(苦

ああああああ~、嘘だろ・・・ぎええええええっ!
まさにあの911の際、崩れ落ちるワートレの姿を見つめていた人々を思わせる、
非業の叫びが巻き起こったのだそうだ。

ブラジル人にとって、メッシはまさに悪魔。

120分間の苦労を一瞬のうちに引っくり返してしまうまさに最低最悪そして最強の悪魔。

ブラジル人たちはすでに決勝における、このアルゼンチンとの頂上決戦を想定している。

そしてブラジル人たちが、アルゼンチン、負けろ~!メッシ、死ね~!と祈れば祈るほど、
この小癪な悪魔はそれを糧としてますます冴え渡って行く訳だ。

ブラジルも凄いが、アルゼンチンも凄い。
ネイマールも好きだが。。しかし、やはり、ここぞ、という時の強さはまさにメッシだろ。

がその前に、ブラジルは史上空前のいけいけ男・ハメル・ロドリゲスとの対戦が待っている。

いやあ、今年のW杯、本当の本当に面白い。

試験勉強に戻れる日はいつのことになるやら・・・

ワールドカップ・ニューヨーク ~ JAVIER AGUIRREの謎

Posted by 高見鈴虫 on 01.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
あの~、
わざわざメキシコ人に聞くまでもなく、
GOOGLEで、Javier Aguirre で一番最初に出てくるこの英語版のWIKIPEDIA!にさえ、
こーゆー記述がのっているんですが・・・

いったいなにを理由に日本サッカー協会がこの人を(わざわざ)選んだのか、よく判らないのですが・・

メキシコのガングの方々とお友達になって、
おみやげに毬花やら苔陰でも持ってきてもらうおつもりなのでしょうか?

Javier Aguirre 2010 World Cup controversy

Aguirre's decision-making during the qualifying stages and especially during the World Cup grew increasingly controversial, with the ESPN broadcaster José Ramón Fernández calling him the worst coach in the World Cup after France's Raymond Domenech.[11] In particular, his insistence on playing team-less striker Guillermo Franco while keeping Manchester United striker Javier Hernández on the bench bewildered many fans and commentators.[12] The 33-year-old Franco played poorly and failed to score a goal, while the 22-year-old Hernández scored two goals, once off the bench in the 2–0 victory over France and another as a starter in the 3–1 second-round loss to Argentina. Aguirre also came under fire for, among other things, leaving Toluca's creative midfielder Zinha out of the squad; for cutting 20-year-old Barcelona midfielder Jonathan dos Santos (brother of Giovani dos Santos) at the last moment, while the team was already training abroad, and keeping veteran Adolfo Bautista on the squad; for starting the 37-year-old Óscar Perez in goal instead of regular starter Guillermo Ochoa; for starting the 37-year-old Cuauhtémoc Blanco in the 1–0 loss against Uruguay; for rotating the captain's armband among three different players (Rafael Márquez, Gerardo Torrado and Blanco); for starting Bautista in the second-round match against Argentina}; for using the speedy and talented winger Pablo Barrera strictly as a replacement; for relegating Deportivo La Coruña midfielder Andrés Guardado to the bench and replacing him in the two games he did start; and for choosing Ricardo Osorio as a central defender over the younger Héctor Moreno(Osorio was responsible for a crucial error in the match against Argentina that directly led to Argentina's second goal).

Aguirre also came under criticism for his refusal to explain these personnel decisions.[13] This has led to the proliferation of rumors in Mexico concerning Aguirre's and others' various ulterior motives. These rumors referenced the financial interests of the two major Mexican TV stations, Televisa and TV Azteca, as well as those of various soccer promoters and of the owners of Mexico's first-division teams, all of which wield enormous influence over the Mexican national team. Another questionable topic for Aguirre was the role played by Aguirre's assistant Mario Carrillo, who was supposedly in charge of Mexico's tactical work, but whose real role was never fully explained to the public. During the run up to the World Cup Aguirre expressed his desire to coach in the Premier League in England but received no offers.[14]



ワールドカップ・ニューヨーク ~ 屈辱を額に刻み込め

Posted by 高見鈴虫 on 01.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
ちゅうわけで、ぶっちゃけ、
もし日本チームにメッシがいたら、日本は勝てていたのか?

答えは、YES、ではないのかな。

つまり、どんなチームでさえ、そこにメッシが居てくれれば勝てるのではないだろうか。

がしかし、現実問題として日本にメッシはいなかった。

という訳で、なぜカガワは、ホンダは、メッシのようになれないんだ、
という論法から、やっぱりストライカーの不在、という論法に至ってしまう。

でもさあ、と思わず。

そんなことははなから判りきっていた事だろ?と。

失業ハイパー ~ 夏の図書館で凍死寸前

Posted by 高見鈴虫 on 02.2014 とかいぐらし   0 comments   0 trackback


ちゅう訳で、資格勉強浪人中の失業者でござんす。

まあ家にいるとサッカーばっかり見ちゃうんで、あと犬から散歩だ散歩だ、とせかされるし、

という事情から、せっせと図書館に通っている訳だ。

でこの図書館。リンカーンセンター脇のパフォーミング・アーツ図書館。

正午から6時まで、と開館時間が短いのが難なのだが、なによりも清潔、そして椅子が良い。

昔、ディラー室とかにあったような、メッシュ製の超高級椅子。

ミッドタウンの図書館にあるような大時代的な木製の椅子では何時間座っているといい加減ケツが痛くなって、
下手するとまじで腰がしびれて痔になりそうである。

が、そう、このパフォーミング・アーツ、さすがアッパーウエスト、というか、そう快適度ではここがまさに最高である。

最高であるのだが、ここにひとつの問題。

つまり、最高すぎて、エアコンが効きすぎ、なのである。

確かに真夏の日差しの中から一歩足を踏み入れた図書館で、いきなりあの冷気の壁にぶち当たったときは、
まさに、ハレルヤ~! 思わずアーモンドグリコの万歳をしたくなる訳でもあるのだが、
そのハレルヤな涼しさの中で、じっくりと参考書なんて読んでいたりすると、
30分もしないうちに身体中に鳥肌。一時間と座っていれば確実に風邪を引く。

という訳で、この真夏の糞暑い中、俺はかのユニクロのライトダウン、これを持参している訳だ。

しろうとさんからは、なんだこいつ、真夏にダウンジャケット?ホームレスかしら?という怪訝な目つき。
ながら、ものの一時間もしないうちに、あの~、そのダウンジャケット、ちょっと貸してもらえない?となる訳だ。

がしかし、そう、白人種。実は寒さに強い。あるいは、強がり、が物凄い。

で、そんな寒がり強がりナンバーワンのアイリッシュ。

ちなみにこのアイリッシュ、どういう訳か、寒さに強い、ことを必要以上に誇示したくてたまらない、という伝統があるようで、
冬でもTシャツ一枚でビールを飲んで、がははは、どうだアイリッシュだろう、と威張っていたりする輩達。

今日もそんなアイリッシュのおっさんがひとり、ダウンジャケットを着た俺をさも馬鹿にした顔でニヤニヤしていやがる。

寒いか?へん、この糞暑い中でダウンジャケット?気でも違ってるんじゃねえのか?
と余計なちゃちゃを入れてきやがった。

という訳で、仕返し。

ああ、あんたみたいに毛むくじゃらじゃないんでね。

とそれを言ったとたんに、周りの女の子たちが、いきなり大爆笑!!

という訳でその毛深いアイリッシュ。
とたんに真っ赤な顔をして、これ見よがしに広げていた毛むくじゃらの胸元、さりげなくボタンをとめたりして、と可愛いところもある。

と言う訳で、ふと考えた。

果たして、胸毛って温かいのだろうか?

こいつらが暑がりなのは、まさかやはりそれが理由だったりもするのかな?

地獄の外人カラオケ

Posted by 高見鈴虫 on 04.2014 音楽ねた   0 comments   0 trackback
ひょんなことからパーチーに招かれて、
で、夕食の後、ひょんなことからよりによってカラオケ!!
なんてところに行くことになつてしまつた。

実は俺はカラオケが大の苦手である。
苦手どころか、憎んでいる、と言ってもよい。

かつて日本の生活において、なにが一番苦痛だったか、
と言えば、それはまさに「カラオケ」であった訳だ。

断っておくが俺はミュージシャンを志した者である。

物心ついてからずっと、音楽で飯を食う、ことを目指し、
この一生を、音楽に捧げようと誓った者である。

そんな俺が、しかし、ことカラオケ・・ 
これが実は、どうしても、なんとしても、いかんしがたくも、
徹底的にNGな訳である。

カラオケは音楽にして音楽にあらず。

カラオケを謡う誰もが、それを音楽として認識さえしていないのでは、と思う。
謡いたい歌をただ謡いたいように謡うだけ。
大切なのはその謡うという自浄行為そのものであり、
そしてその結果としてうたいだされた自身の歌声という産物には実はそれほど注意を払っていないのでは、
という気さえしてくる。

つまり、カラオケは音楽にあって音楽にあらず。
時として、そういうモドキこそが一番たちが悪かったりもするのだ。

という訳で、ミュージシャンである俺にとって、
そんな音楽モドキのカラオケはまさに地獄のような拷問に近いものとなる。

がしかし、そう、他人様の下手な歌になんとか我慢すること、
そのぐらいのことはもちろん俺にだってできない訳じゃない。
耳栓をして吐き気をこらえながら、適当なお喋りやら馬鹿騒ぎやらで水に流し、
ああお上手お上手と、やっと終わってくれたぜ、と適当にうっちゃることも可能ではある。

が、そう、しかしカラオケに置ける最大の問題は、
まさしくこの「俺」自身の歌な訳である。

言わせて貰えば俺の歌は凄い。
ついさっきまで、おいおい、まさか冗談だろうこいつは、とまさに絞め殺すどころか、
すり鉢でゴマといっしょにすり潰してくれてやりたい、と思っていたド下手なおさんの、
その二乗三乗の上前をはねるぐらいの超ド級のド下手やろうであるからである。

しかしながら、そんな俺自身が、
まさか自身の謡う自分の歌を耳栓をしてうっちゃる訳にはいかず、
自身の声帯から発せられるこの信じられないぐらいに醜悪なノイズを、
どうやって水に流すことができるのか、それができるほどの技量もない。

そして俺は、そのミュージシャンとしてのその耳が、
どうしてもどうしても、
この俺自身の謡う歌が、なんとしても、いかんしがたくも、
その声質からして、声量から、息継ぎのタイミングから、リズムから、
なにからなにまでが、徹底的に許せない、耐えられない、
ついには吐き気を通りこして、恐慌状態を起こしてしまいそうなほどに、
なにからなにまで徹底的に大嫌いな訳である。

そして俺はドラマーである。
ドラマーである以上、実は演奏中には徹底的に歌を歌っている。

それはまるで一人オケ、のように、ドンカンドンカンのドラム語、から始まり、
コーラスから、ともすると、自分のバンドの持ち歌に勝手に替え歌を作ったりしながら、
♪チャンチャコチャンチャコ・ががががががが♪てんてけちんてけ・んぱんぱんぱぱっ♪
などと伴奏そのものを歌にして謡い、
♪あそりゃさっと、そらそら、よし来い、そりゃどっこいしょっ♪
なんて妙な合いの手まで入れながら、
最初から最後まで、徹底的に歌い続けている、訳だ。

そう言えば過去に何度か、そんな俺の歌が、ドラム用のマイク、
あるいは切り忘れたコーラス用のマイクが拾ってしまい、
PAは通さないまでも、ライン録音にしっかりと入っていた、
なんてことがあって大恥をかいたことがあり、
極力、声に出しては歌わないように、とは思いながらも、
それはやはり、ドラマーとしての宿命からか、
やはり、どうしてもどうしても、歌わないわけにはいかない訳だ。

が、そう、問題は、である。
そんな俺の歌が、まったくもって酷いのである。

絶対音階のない俺は、伴奏なしでは最後まで同じキーを保つことができない。
そして、声楽の基礎の欠片もない俺は、発生方法からしてまさに滅茶苦茶。
音域が極端に狭く、タバコの吸いすぎですぐに息があがり、
そんな訳で歌にリズムを作ることができない。

つまり、致命的な音痴であることに加えて、リズム感さえも皆無、の、
まさにどうしようもない歌い手、当然のことながらこれまでのキャリアにおいて、
バックコーラスでの参加はことごとくNGされて来たわけである。

そんな俺が・・カラオケ・・・

という訳でそう、このニューヨークにおける外人カラオケ、
悪い予感どおり、まさに地獄の苦しみを味わうことになった。



ワールドカップ・ニューヨーク ~ これはまじ少林サッカー時代の幕開けか

Posted by 高見鈴虫 on 05.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
ブラジルVSコロンビア、
面子だけ見ればまさにすっげええ贅沢な試合であった訳だが、
蓋を開けてみれば歴史に残るような肉弾戦、
つまりは汚ったねえ試合であった。

たまたまコロンビア人と一緒に試合を見ていた関係で、
そんな事情からコロンビアを応援していた訳だが、

わっ酷え、あれ絶対ファウルだろう、やら、
ブラジル汚ったねえなあ、汚なすぎるなあ、
そして、
おいおい、審判八百長だ、てめえブラジルからいくら貰ったあ、
の連発だった訳だが、

今朝ほど、犬の散歩中、大のブラジルファンってのと立ち話した折、

もう腹が立って腹が立って、とのこと。

で、なにがかと言えば、
コロンビア、汚ったねえ、汚なすぎる、と。
で、審判完全にコロンビア寄りで、苔陰マフィアから恫喝されてたんじゃねえのか、
となんとなく我がコロンビア連合と似たようなご見解。

つまり双方が双方をそう思っていたという訳で、
まあどこぞの戦争とかもそうなんだろうが、
人間、結局徹底的に自分のことしか見えていない。
で、傍から見れば、結局は、
どちらも被害者どちらも加害者。

試合中、かのハメル・ロドリゲスも徹底的なマークに会い、
三人四人に揉みくちゃにされては、
ドサクサにまぎれて肘鉄から膝蹴りからチョウパンからをこれでもかと食らっていた訳で、

で、我がコロンビア陣営としては、
おうおうおう、気にいらねえブラ公、
あのスター気取りのナヨ系のガキ、
ちょっとかすっただけで、オンナみてえに大げさにぎゃーぎゃー騒ぎやがって、
あの野郎にもきっちり落とし前つけてやりや、

とか言っていたところ、いきなしあの真空飛び膝蹴りである。

真空飛び膝蹴り


やり~!けっ、思い知ったか、と思わないではぜんぜんなく、

んだよ、あれきしのことで担架だ?そこで一生寝てろ、馬鹿、
とか鼻で笑っていた訳だが、
げげげ、骨折?と聞いてさすがにちょっと心が痛んだ。

という訳で汚い試合であった。

かの釜本御大は、サッカーはスポーツと言うより格闘技、と言っていたし、
我が少年サッカーチームのコーチも、
まあやむ負えない時にはやむ負えないこともある、それがサッカー、
と繰り返していた。
つまり、いよいよ点を入れられそうになったら、多少のファールはしかたがない。
これを俺たちは、しかたがない時には生意気な野郎は多少しばいてもOK、
と勝手に拡大解釈していた節があって、
つまりサッカーとはそういうもの、と勝手に思っていた訳だ。

で、どうせなら、もう徹底的にそういう風にしちまわねえ、と、
そう、嘗てやっていたかの「アメリカン・バスケットボール」みたくさ、

とも思っていた訳だが、そうかそうなるとまじでアイススケート、
あるいはかの「少林サッカー」の世界になっちゃう訳で、
それはそれでなんとなく面白味がないかも。

という訳で、史上最低に汚い試合、と言われたこのブラジルVSコロンビア、

見ているだけなら本当の本当に面白かった。

がしかし、そんな訳で、今W杯は、ハメル・ロドリゲス、
そして、ネイマールといういけメン二人を同時に失うことになった訳で・・

いやはや、なんとも贅沢な試合であったが、
やはり格闘系はリングの中にとどめておいて、
ピットにはあまり持ち込まないほうがいいな、とは思った。

ワールドカップ・ニューヨーク ~ サッカーを観て泣いてしまつた

Posted by 高見鈴虫 on 05.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
オランダVSコスタリカ、観たよ~!

思わず、泣いてしまつた。。

コスタリカ、本当に良いチームだったなあ。

思い切り感動させてもらつた。

ちゅうわけで、呆け状態でドッグラン。

としたらところ、似たようにサッカーを見ていた連中、

ほとんどがオランダ贔屓、なのだが、

が、みなホクホクと燃え尽き顔で犬を連れて歩いている。

サッカー観たか?

ああ、観た観た、凄い試合だったなあ、

コスタリカ、敵ながら天晴れだ、とみな一様に涙うるうる。


昨日のブラジルVSコロンビアと言い、
今日のオランダVSコスタリカと言い、

いやあW杯、本当の本当に面白いね。

ついにアメリカ人のサッカーの魅力に気がついたようだな。

ちゅう訳で、いまさらながらしつこいようだが、

日本のチームはこの試合をどう見たのだろう。

いつかこの命のあるうちに、日本チームが世界の晴れ舞台で、
こんな試合をやってくれることを心から待ち望んでいるのだが・・・


で、そうそう、

友人のメキシコ人たちの意見を総合すると、

アギレは金に汚い。

選手よりも試合のことよりも、まずはてめえのことしか考えないオレ様系監督。

妄想系独断系の勘違いしたアホ、

やることなすことむかつく嫌な野郎の典型、

選手の中にもファンの中にも、アギレを良く言う人はひとりもいない、

とのことで、メキシコの男たちの間では、アギレみたいな奴、という蔑称さえあった、とのこと。

つまり、本国メキシコでは相当に嫌われていた人のようだ。

という訳で、アミーゴ、アギレだけは本当にお勧めできない、メキシコの恥だ、汚濁だ、と言われた。

メキやん連中のその必死さが、とても心に引っかかった訳だ。

で、アギレ、本当に日本の監督になるの?

ってことは、4年後に、今度はW杯のGLどころかアジア予選落ちして、

自分達の~ なんて台詞を言っているような気がしないでもないが・・・

日本のクラッシック・ソウル

Posted by 高見鈴虫 on 06.2014 音楽ねた   0 comments   0 trackback
ずっと思ってたのだが、
日本の歌謡曲、それもすっげえ古い奴って、実は凄いクオリティだったりする。

俺は実は、サルサのビートをドラムで叩きながら、
よく、そんなふるーい、歌謡曲をあわせて歌ったりしていたのだが、
これが実は、実に実に、ばっちし合うのである。

サルサと歌謡曲、言いえて妙なり。

でさ、改めてYOUTUBEで穿り返したこの日本の歌。
あらためて、口があんぐり、である。
特に、歌唱力。この気合、やはりフルオケの生収録、つまりLIVEだからだろうか。

先日のカラオケショックから、日本人のSOULとは、なんて具合に
思わずおかしなところに迷いこんでしまったようだ。

ちゅうわけで、日本の歌、つまり、ジャパニーズ・クラッシック・ソウル、行け!


アッパー・ウエストサイド・ストーリー ~ 天使たちの溢れる街角

Posted by 高見鈴虫 on 08.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback
ここのところ、アッパーウエストの街中に子犬たちが溢れている。

それはまさに、春に生まれた子犬たち。
三ヶ月を経て、新しい我が家へと貰い受けられてきた子犬たちが、
夏の初めになってさっそうとストリート・デビューを果たした訳である。

子犬によってはまだ任意の予防注射がまだ、ということで、
飼い主の腕に抱かれて恐る恐ると初めての世界に目を見張っている。

その子犬たちの瞳の中はまさに輝きに満ちている。
世界を包む色々な匂い、その風景、その色彩、その音、そしてそんな世界を包むオーラ、
その一つ一つをまるでブラックホールのように吸い尽くしながら、
この世に受けた生のその衝撃に度肝を抜かれているのだろう。

そしてそんな時期を過ぎてちょっとお兄さんになった子犬たちは、
まるでおぼつかない手足で必死になって地面にしがみつく様に、
しかし千切れんばかりに尻尾を振っては、
全身をうなぎのようにくねらせながら、道行く人々の一人一人、
誰彼構わずにじゃれ付いては顔中を嘗め尽くそうとする。

その姿はもうこの世に生まれついたことが嬉しくて嬉しくて嬉しくてたまらない、と言った風だ。

ここニューヨーク、アッパーウエスト地区。
元々動物好きの集まったこのエリアである。
道行く人々もそんな子犬たちの歓待が嬉しくない訳がない。

あれあれあれ、ベイビーちゃん、と思わず足を止めてしゃがみこんでは、
抱きついてきた子犬に鼻先を舐められて嬉しい悲鳴げながら、
大きくなれよ、元気に育てよ、と全身を撫で回しながらこれでもかと愛情を注ぎこむのだ。

そうやって人々に愛されて来た子犬たちが生後4ヶ月を境にしてついにドッグランへの登場と相成る。

そんな訳で、ドッグランはまさに子犬たちの天国である。

大きな頭をして、きょとんとした目をした子犬たち。
しなやかな身体と、見るからに柔らかそうな毛並みと、
ぽてり、とした妙に大き過ぎる足。

ドッグランに放たれるやいなや、猛然とダッシュ。問答無用のぐるぐる旋回。
目に入った犬という犬、人間という人間に遮二無二に襲い掛かってじゃれついて、
小枝を咥えて走り回り、人のボールを掻っ攫い、飛び蹴り、噛み付き、追いかけっこ、
とまさに何でもありである。

その溢れんばかりのエネルギー、
まるでスパークを発して目が焼けそうなほどの溌剌ぶり。

その姿はまさに、犬として生まれたことの喜びの全てを、
これでもかとばかりに世界中にぶちまけているかのように見える。

走って、飛んで、噛み付いて、転げまわって、ジャンプして、うわああああ!

その姿はまさに生きる喜びそのものだ。

その一見するとまさに無茶苦茶なほどの元気ぶりは、
いま開いたばかりの自身の可能性の蓋から、
己に備わった能力のそのひとつひとつを試運転しているのかもしれない。

それはまさに、生まれて初めて乗ったモンスターバイクそのもの。

エンジンをかけたとたんにとてつもないエンジンがぶるるんと全身を震わせ、
ギアをぶち込んでアクセルをひねったとたんに、いきなりウイリー、
そしてそのままとんでもないスピードで疾走を始めるこのお化けマシーン。

ひゃっほー!うわあああ、凄い凄い、この僕って本当に凄い!

まさに有頂天、まさにはしゃぎ過ぎるぐらいにはしゃぎ過ぎ、とまるっきりそんな感じの子犬たち。

僕は走れる。僕は飛べる。僕は噛める。僕は嗅げる。僕は叫べる。僕はなんでもできる。まるでスーパーマンだ。

そんな子犬たちがドッグラン中をしゃにむに走り回っては、子犬同士で猛然と追いかけっこ。
転げ周り、ぶつかり合い、唸りあい、噛みあい、舐めあい、吠えあい、
しては、そら来た、と、右から左へとまるでピンボールのように飛び回っている。

そんな子犬たちを見つめる人々。そして先輩犬達。

普段は不機嫌な仏頂面をした先輩犬達が、
不思議なことにそんな子犬たちの暴虐武人な暴れ周りぶりを、
しかしまさに奇跡のような寛容さで、ああ、判った判ったと目を細めているばかり。

子供は世界の宝なのである。
子犬の姿こそは、この世で最もピュアな幸せの具現化なのである。
そしてそんな天使のような子犬たちは、犬といわず人間といわず、まさに世界の宝物なのである。

そして見ろ、その気難しさと頑固さでは並ぶものの居ないミスター・ハードノーズのブルーヒーラーでさえ、
顔中を舐めつかれて背中によじ登られ耳を齧られ、と好き放題にやられながら、
はいはい、判った判った、と困惑げなニヤニヤ笑いを浮かべているばかり。

そう、誰にもそんな時期があった。
怖いもの知らずの世界一のやんちゃ小僧たちであった時代があったのだ。
そんな子犬たちの姿に、先輩の犬達、そして飼い主達は、
自身のそんな時期を追体験しているのかもしれない。

という訳で、ドッグランの主役がすっかりと入れ替わったこの夏。

まるでいくつものつむじ風に襲われるように、
今日もドッグランには子犬たちが弾け飛んでいるのである。

いやはや、とはしゃぎ過ぎた飼い主達がちょっと照れたような笑みを浮かべて溜息をつく。

いやはや、まったくとんでもない怪物を貰い受けちゃったようで・・・

そうまさに子犬は怪物である。そしてこの世で最強の悪魔である。
何人たりともそのあまりの暴虐さにまったく歯が立たないのである。

そんな飼い主と話すたびに、ビデオに撮っておいた方がいいですよ、と俺はいつもそう言う。
日々刻々と変わっていく子犬たち。
そして来週には、あるいは来月には、まさにまったく違った犬、下手をすれば、
二倍三倍に膨れ上がった姿になっているかもしれないのだ。

そしてそんな子犬たちにとって、今日のこの日はまさに二度とやってこない今日のこの日、なのだ。

という訳で、はしゃぎ過ぎた子犬たちはベンチの下で居眠りを始めた頃、
ブッチを連れてそっとドッグランを後にする。

お前にもあんな時期があったよな、と思わず振り返る。
こいつは本当の本当に、まさに悪魔のようにきかん坊だった時期があったのだ。

いまとなってはまるで夢のような話だ。

なんだよ、また昔話か?とちょっと不服そうなブッチ。
道の途中で立ち止まって、いや、そっちには行かない、とまた強情を張りはじける。

おいおい、と溜息をつく俺。

まったくこの強情さだけは子犬の時、そのままなんだよな。

という訳でこんなブッチともそんなこんなで既に5年も経とうとしている。

こいつが遣ってきてから本当の本当に色々なことがあったわけだが、
ただひとつ悔やんでいること、と言えば、子犬の頃にもっともっと沢山のビデオを撮っておけばよかった、
ということかもしれない。

子犬の頃のブッチ、本当の本当に、まるで悪魔の申し子のように可愛かったあのきかん坊小僧。
この世で唯一絶対の存在であったブッチ。
あの問答無用のパンク小僧であった子犬の頃のブッチの面影が、
いまとなってはちょっと懐かしい気もしている今日この頃なのである。

ワールドカップ・ニューヨーク ~ ブラジルの崩壊。それはまさに911以来の衝撃・・

Posted by 高見鈴虫 on 10.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
この日、昼前になっていきなり、
かつてお世話になった方がNYを訪問中とのことで、
急遽ご家族との御夕食、
なんて予定がはいってしまった。

で、よりによって、かみさんの奴が、
6:30にミッドタウンのホテルにお迎えに、
なんて言ってしまったもので、
だから、遅れないでね、というかみさんに、

げげえええ、おまえ、なに考えてんだよ、と怒鳴ってしまって大喧嘩。

だって、おまえ、今日の午後にはさああ、な訳である。

つまりは、W杯、準決勝の、ブラジルVSドイツ。

この世紀の一戦を見逃す手はないではないか。

なにいってんの、とかみさん。

だって試合が始まるのは4時でしょ?
だったら余裕で6時には終わるじゃないの。
だから6:30ならちょうどいいか、と思ったんだけど・・・

あのなあ、そういうのを女の浅知恵って言うんだよ、と俺。

まさかブラジルVSドイツの試合が、そんな通常の予定時間で終わる訳がない。

良くて延長、下手をするとPK、ってことになったら、終わるのは7時近く。

PK?ブラジルとドイツが?だってネイマールいないんだよ、と利いた風なことをいうかみさん。

そう確かにネイマールがいない。がしかし、そこはブラジルである。まさに王国な訳である。
その分厚い選手層。ネイマールなど居なくても第二第三のネイマールが、
次から次へと出てくる、その筈なのである。

という訳で、かみさんと罵り合いながら、7:30、いや8時に変更だ。
レストランの予約も変更。車の手配も変更、と大騒ぎ。

とかなんとかやっていたのではあるが・・・

で、試合開始から30分、かみさんに送ったメッセージ。

サッカー、終わった。予定通りでGO。

そんなMSGを受け取ったかみさん、なに?なに?なに?それどういうこと?
と周りの同僚に聞いてみれば・・・

はははは、と淋しい笑い。
まあ確かに、終わったようなものだな、これは・・

ほら、と見せられたIPHONEに浮かんだその数字。

0-5 !! なにかの間違いでしょ?

これまで、なんども信じられない光景、という奴に遭遇してきた訳だが、
前半20分からの5分間のこの衝撃。

このまさかのブラジルの大崩壊の瞬間こそは、
まさに、かの911の際の、崩れ落ちるワートレの映像を映し出したCNNの実況、
あの瞬間を彷彿とさせるものがあったわけだ。

まさに悪夢。これほどの悪夢があるだろうか。

そうこういうことは起きるのである。「真実は小説より奇なり」

まったくもって、とんでもないものを観させてもらった。



ニューヨーク・フィルハーモニック IN セントラルパーク で悪夢再来

Posted by 高見鈴虫 on 11.2014 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback

本日はニューヨークの夏の風物詩、
ニューヨーク・フィルハーモニック IN セントラルパークの日である。

セントラルパークのグレートローンでのフリーコンサート。

まさに、数万人の人々が大挙としてセントラルパークを訪れ、
芝生の上にピクニックシートを広げては、
持ち寄った料理とワインと酒とビールとに舌鼓。

我が家は犬連れ、ということもあって、
ステージに近い際どい場所は取れないまでも、
まあとりあえず後ろの方の邪魔にならない辺りに集まっては、
寿司から巻物に始まって、これぞ一品!の手を凝らした料理のフルコース。

夕闇が辺りを滲ませるにつれてワインのボトルが次々と空になって
そしてあ~、食った食った、と芝生に寝転んで見上げる夜空。

風にのって聴こえるシンフォニーの調べに耳をそばだてながら、
ねえねえ、僕にもなにか頂戴、とおねだりする犬に顔を舐められているうちについつい居眠り。

とは言うものの・・毎回ながら、このシンフォニー、後ろ過ぎてぜんぜん聴こえない。
で、言わせてもらえば、人多すぎ。羽虫が顔の周りを飛び回り、トイレはどこだ、
と千鳥足の酔っ払いがシートの上に乗り込んで来て大喧嘩。
おい、うるさいぞ、と文句を言われ、どうせ聴こえねえよ、静かに寝てろ、と言い返し、
と、相変わらずの修羅しゅしゅしゅな風景。

という訳で、終了と同時に打ち上げられる花火に目を覚まして、
ああ、終わった終わった、と妙な疲労感。

毎度ながらこの催し。
妙に張り切ってでかけながら、毎回において感じるこの徒労感。
とは言うものの、
ニューヨーカーは、このセントラルパークのフリーコンサートが来て初めて、
いやあ、夏だったんだね、と思い知る訳なのである。

ちゅわけで、ああ、夏だったんだね。

ワールドカップ・ニューヨーク ~ 鷲とアライグマ

Posted by 高見鈴虫 on 12.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
鷲とアライグマが喧嘩をして、
だが、圧倒的に鷲が優勢。

だがどういう訳か、
フクロウが山を掘ったら子ねずみが沢山出てきて、
その力を借りたアライグマが鷲に圧勝する、

ってなおかしな夢を見た。

鷲=ドイツ
アライグマ=メッシ=アルゼンチン、

ってのはなんとなく判るが、

果たして、フクロウと、そして子ねずみとはなにを揶揄しているのか・・

おかしな夢であったが、そんな訳でアルゼンチンに一票

平成中村座・NY公演

Posted by 高見鈴虫 on 12.2014 音楽ねた   0 comments   0 trackback

平成中村座のニューヨーク公演に行って来ました。

また例によってタダ券が廻ってきて、
なんてものでは、今回に限ってそれはない。

つまり、ちゃんとお金を払って観て来ましたです。

実は恥ずかしながら、生まれてこのかた、歌舞伎、というのを観るのはこれが初めて。

確か10年近く前に、先代の勘三郎の公演があった筈、
なんだけど、その時には一瞬でチケットが完売、で、泣く泣く見損ねたのですが、
まさかそれが勘三郎御大の見納めになるとは、まさか思ってもみなかった訳で。

という訳で、今回だけは見逃さず、この歌舞伎という奴をとくとこの目で見極めよう、と出かけた訳です。

正直な話、俺はこの歌舞伎というものが、果たしてなんなのか、どういう愉しみがあるのか、
そんなごくごく一般的な予備知識もまるでなく、

ただ、知人のユダヤ人の日本マニアから、
あんたああ、カブキは凄いわよお、日本人の癖にカブキ観てないなんて、そんな馬鹿げたことないわよ、

と常々言われていた関係から、果たしてそれほどまでに世界を唸らせる歌舞伎というものの魅力がなんなのか、
まあ言って見れば、ちょっと緊張して出かけた訳です。

ちゅう訳で、平成中村座・NY公演 行って来ました。

Kaidan-master675.jpg



ちらほらと和服姿も目立つなか、これぞまさに、日本文化の面目躍如、とばかりに、
その公演、まさに天下一品。
邦人、米人ともども、まさにスタンディング・オベーション!
鳴り止まぬ拍手の中、文句なしで大成功であったかと存じます。

という訳で、いやあ、歌舞伎、まじ、凄く凄く面白かった。

あの早代わり、というか、七変化、というか、
一人の役者さんが、何役も、それも同じ舞台の上で3役、なんて、いったいどうやってる訳?
と思わず目を白黒白黒。

とそして、その芸の完成度の高さ。安定性、間、そしてテンション。
まさに、あまりにも贅沢すぎるほどのまさに芸術品そのもの。

いやあ、度肝を抜かれました。

また来てねえ、と手を振りながら、また来たら必ず行ってしまうだろうと確信。

あるいは、もしこれが毎晩やっていたら、もしかしたら毎晩通ってしまうことになったかも知れず。

いやあ、歌舞伎、良かった~。ちょっとまじで感動しすぎたかもかもです。


ワールドカップ・ニューヨーク ~ どちらが勝っても一筋縄では・・

Posted by 高見鈴虫 on 13.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
ちゅう訳で、今日こそはまさに、天下分け目の大決戦。

つまりはW杯、ドイツ対アルゼンチンの世紀の一戦。

ブラジル人に言わせるところ、

なにがどうあっても、
アルゼンチンにだけは絶対に優勝して欲しくない!
のだそうだ。

ブラジルとアルゼンチン、
その近親憎悪の凄まじさは、
同じ南米同士、あるいは、お隣さんよしみ、
なんて生っちょろいものではないらしい。

ただでさえ揉め続けたこのW杯、
これで、まさかアルゼンチンが優勝ってことになると、

これだけ金使って、アルゼンチン野郎を喜ばせただけかよ、

ってことになると、まじで、国中が騒乱の巷、
まさにとんでもないことになるらしい。

が、これだけ押し寄せてきたアルゼンチン応援団。

これでアルゼンチンが負ける、なんてことになれば、

帰りがけ、アルゼンチンの応援団の民族大移動の道すがら、
国中を大暴れして帰ることになるだろう、

とそれはそれで大変である。

W杯、いやはやである。

ワールドカップ・ニューヨーク ~ 信じられないことだが終焉は必ずやってくる

Posted by 高見鈴虫 on 13.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
W杯決勝、ドイツVSアルゼンチン。

結果だけ見ればなんともあっさりと予想通りというか、
ドイツの優勝で終わってしまった訳だが、
この脱力感、というか、燃え尽き感、半端じゃないな。

W杯が終わったいま、
これでもう心置きなく資格試験勉強に没頭できる、
ということなのだが・・ この祭りのあとの寂寥感、
なんとも耐えられないものがある。

実は当初からドイツの優勝を予想していた俺、

なにを間違えたのか、おめでとー、幾ら儲けた?

なんて勘違い祝電がきたりもしたが、
もちろんのこと、俺はアルゼンチンを応援していたのである。。

そう、つまり、現実的な予想、と、心情的な希望がいつも食い違うこの実情。

そして俺は、いつも、駄目と承知で心情的希望に張り込んでしまうところがあって、
そしていつも失敗の憂き目を見る。

天邪鬼というか、判官贔屓というか、

巨人嫌い、ヤンキーズ嫌い、大手嫌い、王者嫌い、本命嫌い、勝ち馬嫌い。

この選択でなんど失敗してきたのか、とは思うのだが、
これだけは持って生まれた性癖というか、そう、やめられない訳だ。

という訳で、まあ当初の予想通りというか、
予定調和的な終焉を見た訳なのだが、この脱力感。

やはり最後の最後で、メッシの奇跡が観たかったな、と思っている訳だ。

がしかし、改めて言えば、今年のW杯、は本当に、心の底から満喫した。

これまで、時差の壁に阻まれて、いつも寝不足で卒倒寸前のような日々を送ってきたのだが、

この失業浪人という生涯またとないチャンスの中で、全試合を思い切り堪能する、
なんていう、とんでもない大贅沢をかましてしまった訳で、
失業から一ヶ月半を経過した今も、予定過程の半分にも至っていないというこの体たらく。

ここに来てから、おいおい、おまえ、どうするつもりだよ、と焦りまくっている訳である。

という訳で、W杯が終わった。終わってしまったのだな・・。

後は勉強あるのみか・・辛いな・・と思ったとたんに背中にずーんとのしかかるこの現実の重み。

思わず溜息をついている。







ユダヤ人という人々 そのなな

Posted by 高見鈴虫 on 14.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback

とりあえずこれまでの「ユダヤ人という人々」履歴一覧

ユダヤ人という人々 そのいち 
ユダヤ人という人々 そのに 
ユダヤ人という人々 そのさん 
ユダヤ人という人々 そのよん 
ユダヤ人という人々 そのご 
ユダヤ人という人々 そのろく 

という訳で、失業ハイパーの日々である我輩は、毎日せっせと図書館に通っている訳であるが、
ニューヨーク中にまるで星の数ほどもある図書館の中でも、我が家の一番近所にあるパフォーミングアーツ図書館、
がやはり色々な意味で一番ではないか、と思う、
ってな話を前にしたと思うのだが、
しかしながら、やはりここニューヨーク、ちょっとやそっとでは一筋縄ではいかない。

つまり、そう、ここはアッパーウエストサイド、つまり、そう、ここは、かのユダヤ人の人々の居住エリア、なのである。

前にも話したと思うが、ユダヤ人の人々のその特徴の中に、芸術への偏愛、というものがある。

つまり、文学、そして、美術、そして、ここパフォーミングアーツの膨大なる資料、
この図書館も、まさに、ユダヤ人の人々の築き上げた「偉大なる功績」のひとつ。

が、しかし、そこはユダヤ人である。
膨大な寄付金を投じては、このような公共施設を支えてはいるのだが、
あるいは、そう、ユダヤ人のこと、
口ぞえだけして、実際の金は他に出させて、なんてことをやっているだけという気もするが・・

とりあえず、ひとたびユダヤ人が絡んだ以上は、そこに一口二口、
口を出さないではいられないのもこのユダヤ人という人々。

という訳でその内容分、なんだかんだ言って、やはりユダヤ系のものが多い。
ほとんどが実はユダヤ系、あるいは、ユダヤ系に影響を受けた作品、であることが多かったりして、
とどのつまり、世界中のすばらしい出来事のほとんど全ては実はユダヤ人の功績、
なんてところで落ち着かせる、というところが暗黙の了解、であったりもする訳で、
ちょっとこれ、くどすぎねえか?と思わないでもないのではあるが、
しかしこれを、文化的洗脳的陰謀的ユダヤ主義の、なんてことで簡単に目くじら立てる馬鹿は、
少なくともこの街では生きていけない。

そこはニューヨーカー。

そんなユダヤ人たちのアクの強さも、まあ、そう、それって奴らのキャラだからさ、という感じで軽くいなし、
とりあえず表向きは、ハイハイ、判りましたよー、ユダヤ人お金持ちでえらいえらい、と遣りながら、
ちゃっかりその恩恵、つまりは、タダで本からCDからDVDやらが借りれる、ってなものにあずかっている、
という訳である。

という訳でそう、こうして世界はユダヤ人に買い取られていく訳なのだが、
そこはそう、大人、というか、世の中つまりはそんな具合、ってなぐらいで軽く流しておいた方が無難。

ユダヤ人という人々 そのはち

Posted by 高見鈴虫 on 14.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
失業ハイパーの図書館通い、というたびに、優雅なもんじゃないですか、
と皮肉を言われるのであるが、実はそう、ここニューヨーク、
そんな優雅な筈の図書館通いも早々と優雅という訳にはいかない。

つまりはそう、ぶっちゃけユダヤ人である。

前述したとおり、この近所、ユダヤ人の方々の居住区、ということもあり、
こうして図書館に通ってくる人々の中にも、必然的にユダヤ人が多く、
まあユダヤ人が多いのは別にここに限ったことでもないのだが、
そう、アッパーウエストサイドと言えばユダヤ人、という訳で、
こちらにいらっしゃるユダヤ人の人々も自然と、極ユダヤ主義的に成らざるを得ない、
というか、まあ地が出てしまうわけである。

という訳でユダヤ人の地とはなにか、と言えば、まさにそれは強欲・守銭奴・薀蓄、と、
そして、もうひとつ忘れてはならないもの。「文句」である。

ユダヤ人ほど気ままに他人に「文句」をつける人々を他に知らない。

こいつら、我慢、ということを知らないのか、あるいは、そう、
人に文句をつけることを、ごく当たり前に思っているところがある。

例えば、公園のベンチに犬と一緒に座っていたところ、
いきなりその隣りに座ったユダヤ人。
で、挨拶代わりに一言、あの、私、犬のアレルギーがあるのでどこかに行ってくれませんか?

はあ?と思わず。

俺たちが犬と一緒にいるのを知っていてそっちが勝手に座っておいて、
で、座ったとたんに、犬に文句、それも極自己中心的な文句を言うなんて・・

なんて正論をぶちかましても彼らは知ったことかである。
そういうことを言うユダヤ人が、実は自分がどうしようもないことを言っていることも重々承知の上。

つまり、そういうことをしてみたい、のである。
この筋金入りの文句癖、これぞまさに、ユダヤ人、の典型的な例である。

がしかし、馬鹿かこいつは、と適当にうっちゃって無視していると・・・

そう、薀蓄の人であるユダヤ人は、この時とばかりに、社会正義だ公衆道徳だ人種的平等だ、と遣り始め、
挙句の果てに、あんたタックスいくら払ってるのよ、なんてことまで言い出すした挙句、
捨て台詞に必ずいうことば、「告訴するわよ」なのである。

つまりまあ・・・まったく困った人たち。

かのパレスチナにおける愚行を、世界各地で、そしてこのセントラルパークのベンチの上でさえ、遣り始めるのである。

で、そんな人に文句を言いたくてたまらない人々、まあそれは人種を問わずどこにでもいるのだろうが、
そんな「文句」中毒の人々にとって、この図書館というのはまさに独断場。

本は静かにお読みください、の基本ルールを振りかざして、大手を振って人に文句の言える、
文句フリークにとってはまさに夢の別天地。

という訳で、そう、図書館におけるユダヤ人たちの蛮行、ほんとうに凄まじいものがある。

いきなり肩を突付かれて、LAPTOPの立てる音がうるさい、と言われた。
なぬ?と思わず。
なにも音がしないが・・と言えども、いや、する、と言い張る。
CPUのFANが、あるいは、HDDのスピン音がうるさい、とそんなことまで小賢しく言う。
まあ確かに、DELLの旧式LAPTOP。
いま流行りのMAC AIRなんかに比べればそういう不都合もあるのか、
と、で、思わずまわりの人々に、やっぱうるさい?と聞けば、
いや、俺はイヤパッドしてるから・・と、まあそれが実は21世紀の標準。
が、そう、問題はDELLだMACだ、とかそういう問題ではない。
つまりそれは、ユダヤ人特有の詭弁。つまり問題の挿げ替え。
彼らの目的は、ただたんにそうやって人に文句を言いたくてしょうがないだけ。
で、そんな人ってのは決まってそういう21世紀型標準に背を向けているタイプ。
世間から相手にされないその淋しさを、人に文句をつけて紛らわせようとでもいうように、
もう手当たり次第に片っ端から周りの人間に文句をつけているような手合い。

で、挙句の果てに・・

ピーナッツを齧る音がうるさい。
貧乏揺すりがうるさい。
イヤパッドから漏れる音がうるさい。
キーボードを叩く音がうるさい。
マウスのクリックする音がうるさい。
あげくに、ページを捲る音がうるさい・・・
とまあ、徹底的になにからなにまでに文句をつけまくっている。

で、まわりの人々。
はあ~、と深い深い溜息をついて、SOBやら、Fxxk なんたら、やら、
あげくの果てに、このくそジューが、ってなことをはっきりと言っては、
舌打ちしては違う席に移っていく。

で、そんな人々を、この世でここまで醜悪な顔はない、
というほどに醜い笑いを浮かべてうっしっし、と笑うユダヤ人。
まさに、してやったり。ユダヤ冥利につきるぜ、とでも言いたそうである。

でこの文句星人、いったいなにをしているか、と言えば・・
予想通り、別に大したことをしている訳でもなさそう。
つまりは、そう、退屈なのであろう。
そして、この図書館には、退屈紛れにやってきて、
そして周りの人々に文句を言って日ごろの憂さを晴らしている、だけ・・・

で、実はそういうユダヤ人、実に実に、沢山いる。
そこら中にいる。そこかしこにいる。
あるいは、そう、ユダヤ人を暇にさせると、すぐにそういうことを始める、と考えたほうが良い。

と言う訳で、ユダヤ人のこの「文句」癖。

なにを言われようと「はあ?英語はわかりません」と知らぬ存ぜぬ、
あるいは、さっさと場所を変えてしまうにこしたことはない、
そう、こんな奴らは蝿といっしょ。まともにかかわりあうことからして時間の無駄なのだから、
とは言うものの・・・
移った先にもまた、そんなどうしようもないユダヤ人がまた手薬煉引いて待っている、
というのも現実なのだが・・・

とそういえば、日本にも近年、ネトウヨ、とかいう似たような連中がはびこってるようだが・・

いずれにしろあまり相手にしないほうが良さそうだ。




グランマ・ルーシーのオーガニック・パンプキン・クッキー

Posted by 高見鈴虫 on 14.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback
夕食後の珈琲。

で、なんかデザートでもないのか、と探してみたところ、
むっ、なにか見慣れぬ袋。


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なになに、オーガニック・パンプキン・クッキー?

で、見れば、あれ、これ、なつかしの動物クッキーじゃないか。

という訳で一口。

うんうん、なかなかおいしい。

ほんのりとした控えめな甘さ。軽い歯ごたえ。

あのアメリカのお菓子特有の、ギトギトの砂糖漬け、
いまにも口が曲がりそうに甘すぎる、なんてこともない。

なんだこれ、おいしいじゃないか!
アメリカ産でもこんなおいしいお菓子を作るんだな。
でも、かみさんの奴、なんでこんなものかくしておくんだ、
と見ると、

なんと足元にブー君。

え?これ?駄目だよ。これは犬用じゃないんだから、と首を振れば、
いやだ、いやだ、ひとつ頂戴、としつこく言い張る。

我が家では人間用の食事は決してブー君には与えない。

人間に良くて犬に悪いものも多いし、
なにより人間用の食事に含まれる食品添加物、あるいは保存料、
そんな害毒をブー君に与える訳にはいかないのであるし、
犬の肥満の原因のほとんどが、そんな人間用食品に含まれる過剰栄養によるもの、
と判断している為だ。

という訳で、ブー君のためを思って、その辺りのけじめはしっかりとつけている。

がしかし、今日に限ってブー君は必死である。

それ頂戴それ頂戴、としつこく食い下がる。

駄目って言ったら駄目、と首を振って、ひとつふたつと我が口に放りこみ、うんうん、これ行ける行ける。

という訳で、恨めしげな目をするブー君を尻目にパンプキン・クッキーを摘んでいたところ、

げげげ、とかみさん。

あんたなに食べてんの?

え?これ?おいしいよ、パンプキン・クッキー。どこで買ったの?

と言う俺の手からその袋を毟り取って、駄目だよ、これ、高いんだよ。

まあ確かにおいしいからね、という目の前で、はいブー君、お座り。お手、はいどうぞ、といきなり大喜びのブー君。

なんだなんだ。

つまり・・これ・・・ドッグ・フード?

という訳でこれ。

グランマ・ルーシーのオーガニック・パンプキン・クッキー。

なんだそういうことなのか。。

という訳で、ソファーにブー君と並んで座って、テレビを見ながらカウチ・ポテト、ならぬ、カウチ・パンプキン・クッキー。

ブー君にひとつ、俺がひとつ、かみさんがひとつで、仲良しこ良し。

なんとなくちょっと、夢がかなった、ような気がしたのでした。

アッパーウエストサイド・ストーリ ~ ウンチ巡回

Posted by 高見鈴虫 on 16.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback
夕暮れのドッグラン。いつものように大賑わい、

夏の夕涼みには絶好の時間とあって、
大きいのから小さいのまで、知った顔から見知らぬ輩から、
とりあえずう元気いっぱいに走り回っている。

いつものようにいつものところでブー君がウンチ。

人に寄らず犬に寄らず、日々のウンチは健康を測る大切なバロメーター。
はいはい、今日も健康健康、とちょっとほっとした気分。

そんなまだほかほかの立派なウンチをビニール袋に拾って、
そして俺はいつものようにウンチ巡回に出る。

ドッグランを一周ぐるっと廻って拾い残しのウンチを拾い集めていく訳だ。

誰に頼まれたというのではないのだが、
俺はドッグランに来るたびにこれをやらずにはいられない。

この時期は蝿がわっと飛ぶのでその場所がすぐに判る。
下手をすると、蝿さえも見向きもしなくなった化石のようなうんこもある。
大きいのから小さいのまで、そんなウンチをせっせと集めて廻るわけだが、
これがこれが、実に袋に一杯になるぐらいに集まるから不思議である。

ドッグランで自身の犬のうんちを拾わない人が実はとても多い、ということなのだろう。

うんちを拾うのは自分の仕事ではないと思っているのか、
どうせ誰かが拾ってくれるだろう、と思っているのか、
あるいは、人に見られていなければ、
どうせ誰の犬のものか判りもしないし、
ばれなければなにやっても良い、とでも思っているのだろう。

言わせて貰えば、犬は飼い主に似る。

自分の犬のうんちを拾わないタイプの飼い主の犬も、
飼い主の見ていないところで同じことをしている、と考えるべきだ。

つまり、そう、申し上げ難いことではあるのだが、
飼い主の目を盗んで、他の犬のうんち、
つまりは、拾い残しのウンチを食べているのである。

そうやってウンチを食べた犬に顔中舐められる飼い主。
まさに、げげげ、ものである。

が、ここでいいザマだ、などと言ってはいけない。

例によって俺は飼い主のことなどなんとも思っていない。
がしかし、そんな駄目な飼い主に飼われている犬。
例え飼い主がどんな人間であれ、犬に罪はないのである。

という訳で、犬の健康を考える上に、
例えそれが犬の本能的なものである、とは言え、
やはりウンチの拾い食いはあまりお勧めできない。

とそれに、そんな犬から顔を舐められる俺の身にもなって欲しい、
というものだ。

という訳で、まあそんな理由から、ドッグランに来るたびに、
このウンチ巡回をしている訳だ。

まあ俺一人がなにをやったからと言って、
ドッグランに拾い残しのウンチがなくなる訳ではないのだが、
だがしかし、
そうやって、各自が人のウンチまでわざわざ拾っている様を見れば、
自身のウンチを拾わないタイプの人も、
ちょっと居住まいの悪さを感じてくれたりもしないかな、
というかすかな期待もない訳ではない。

改めて言わせて貰う。

犬は飼い主に似る。

自身の犬のウンチを拾わない駄目な飼い主の姿を、
犬はしっかりと見ているのである。

それを忘れてはいけない。

やったのはピットブル。またしてもピットブル。いつも決まってピットブル。。。

Posted by 高見鈴虫 on 16.2014 犬の事情   1 comments   0 trackback
珍しくちょっと気が立っている。

何故かと言えば、犬の喧嘩である。

同じアパートに住むジェシカさんの飼うディエゴ。

このつぶらな瞳をした2歳の雄のジャックラッセル。

今日もドッグランに着いたとたんに、元気いっぱいに駆け寄ってきては、
足元からさかんにじゃれ付いて来て、抱いて抱いてとぺろぺろ攻撃。
もう可愛いいと言ったらない。

飼い主のジェシカさんとも、いやあどうもどうも、とご挨拶。
ディエゴくん、相変わらず可愛いね、と言えば、
もう顔中を真っ赤にして照れまくっている。
そう、ディエゴはドッグラン中の誰からも好かれるまさにアイドルなのだ。

とそんなディエゴをふん、と横目に見るブッチ。
このハードノーズの頑固者。
まさに愛玩犬のまったく逆を行くハーディングドッグ。
ディエゴとデレデレする俺の後ろから、ボン、と両足で飛び蹴りを食らわせて、
おい、ボール遊び!お前の犬は俺だ!と言わんばかり。

という訳で、はいはい、判りました、とバッグからボールを取り出したところ
ふとドッグランに、見慣れぬピットブルが一頭、入ってきた。

飼い主は、ラテン系チビグラのお姉さん。

馬鹿でかいキャッツアイのサングラスに、
EVERESTの黒のタンクトップに黒のショートパンツ。
ジムで筋トレをしているのが自慢らしいのだが、
まるでリーシュを引きちぎらんばかりに引っ張るピットブルに、
今にも転びそうな勢いである。

でそのピットブル。
ピンクの首輪をしているからには女の子なのだろうが、
通常のピットブルにしてはかなり身体がでかい。
それに加えて、断耳しているな、というのを見て、ちょっと気になっていた。

でそのピットブル。やはり、というか思ったとおり、
ドッグランの中に入ってからもリーシュは外さないでそのままベンチへ。
ドッグランに連れてきてリーシュをしたまま、というのも妙な話ではあるのだが、
正直それを見てちょっとほっとした。

と言うのも、誤解と偏見を恐れずに言えば、ピットブルである。
そして、そんなピットブルのような攻撃性の高い犬を、
女性の連れている場合、トラブルを起こす可能性がとても高くなる。

犬は社会性の動物である。
つまり、相手が自分より上か下か、と瞬時に判断する。
そしてピットブルのように攻撃性の高い犬は、
ぶっちゃけ、自分よりも強いか弱いか、がその社会規定の根本にある。

そんな犬の飼い主が女性であった場合、
下手をすると犬は自身の飼い主を舐め切ってしまうことになり、
自分自身がご主人様、あるいは、そんなか弱い飼い主を守ろうと、
必要以上に張り切ってしまう事にもなる。

しかも、よりによってそんなピットブルに、こんな自称コワモテぶりっこのちんちくりんなお姉さん。
世に狂犬の名前を轟かせるピットブルをこれ見よがしに連れ歩いては、
あたかも自分がよりタフになったつもりにでもなっているのだろうが、
誰がどうみても役不足である。

と言うわけで、一目見た時から、悪い条件が揃い過ぎているな、と思ってはいた。

ヒストリー・オブ・バイオレンス

Posted by 高見鈴虫 on 18.2014 犬の事情   1 comments   0 trackback
やあやあ、この間は大変だったそうだね、

朝のドッグランに顔を出したとたんに人々から声をかけられた。

は?なんのこと?と言えば、そうか、例のディエゴがピットブルに噛まれた件。
いつの間にかドッグラン中の常連達に知れ渡っているらしい。

ああ、あの人か、ピットブルの耳を噛んだのは。。

犬を噛んだ男、なんて妙な噂が立たないように、
え?なんのこと?いやいや、それは俺じゃないよ、
と惚けてはみるのだが、
問題はそう、このブッチ。
白い元気な中型犬で、そうそう、お腹に大きな黒い真ん丸をつけた、
と言えば、どんな馬鹿でも、ああ、そいつはきっとブッチだよ、
とすぐに素性が知れてしまう。
まあそうやって皆様にお見知りおき頂くのは良いのだが、
下手なことをしでかすとあっという間に面が割れてしまう、というのもどうしたことか・・

で、そうそう、それで、例のピットブル、である。

まさに、ヒストリー・オブ・バイオレンス、
聞くところによれば、これまでたびたびに渡って同様の事件を引き起こして来たらしい。


ガッジ~ラ GODZILLA 2014 を観る

Posted by 高見鈴虫 on 19.2014 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
遅ればせながら、GODZILLA 2014を観て来た。

この映画、封切りが5月16日であった訳で、
ああ、観なければ観なければ、と思いながらも、
やれ、失業だ、フレンチ・オープンだ、
ワールドカップだウィンブルドンだ、に忙殺されて、
いまのいままで観にいけなかったのである。

だがしかし、W杯もそしてオールスターも終わったいまになってから、
この見逃したガッジーラがどうしてもどうしても観たくなってしまった訳だ。

改めてFANDANGOでスケジュールを観てみれば、
すでに封切り後2ヶ月とあってほとんどの映画館では打ち切り済み。
唯一タイムズスクエアのAMCエンパイア25のみがかろうじての上映、
と言った感じ。

まあ日落ちも甚だしいので、3DIMAXはおろか、
そのあたりの自主上映で見るのと変わらないような扱いであろう、
とは思いながらも、やはり、ゴジラである。

幼い頃のあの「想い」が蘇ってくる訳である。

そんなゴジラ映画。やはりゴジラだけは自宅でDVDよりは、
少しでもスクリーンで観たい、というのが切実なる気持ち。

そう、ゴジラなのだ。

ウルトラマンよりも仮面ライダーよりも、やはりゴジラなのである。

男の子である以上、ゴジラだけは、映画館で観なくてはいけないのである。


Godzilla_(2014)_poster.jpg



ゴジラの帰りにゴジラ・カレー

Posted by 高見鈴虫 on 19.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
ちゅう訳で、土曜の朝からタイムズ・スクエアなんてところでガッジーラなんてのを見ていたのだが、
見終わって1時近く、そう言えば腹が減った。

と思っていたところ、場内を出たところのエスカレータの前で、またもたもたしているオタク風のドン臭いガキが二人。

おい、そこどけ、と押しのけたところ、あ、あの、ちょっと、と呼び止められた。

あの、RU ニホンジン? と聞いてくる見るからにどうしようもない地方高校の白人系オタクの少年二人連れ。

そのニホンジン、という言い方がおかしくてああそうだよ、と振り返ってやった。

ところ、

あの、ゴゴゥカリイにはどうやって行ったらいいの?と聞いてくる。

ゴゴゥカリイ?ああ、GOGO-CURRYか、と思わずニヤニヤ笑い。

おまえ、ゴーゴ-カレーなんかどこで知ったんだ?

このGOGO-CURRY、NYの日本人社会では知る人ぞ知る。
つまり、普通な意味での普通のカレー屋。そのニューヨーク版。

そのあまりにも文句無しにただ日本風に日本のカレーそのもの、という思い切りの良さと、
そして良心的な値段、そしてまさしく情け容赦の無いそのボリュームから、
俺的にはタバタラーメンと並んで、ニューヨークで堪能できるジャパニーズ・ジャンクフードの最骨頂、
と思っている訳だ。

そう言われてみればカレーが食いたくないこともない。

ゴジラを観たあとにゴジラ・カレーか、なかなかいいアイデアだ。

という訳で、おう、着いて来な、と顎をしゃくって、そのオタク高校生を連れてゴーゴーカレーに行ってきた。

GOGOCURRY02.jpg



ALL IS LOST  ~ 漂流の美学

Posted by 高見鈴虫 on 22.2014 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
最近勉強ばかりで誰とも会話がなく、
そうこうするうちにどうもヒヤリングから始まって英会話の能力が落ちて来ているぞ、
と思い始めた。

で、たまには映画でも観てみようか、と思い立った訳だ。

幸いにも日々の勉強は図書館でやっているわけで、
つまりふと目を上げればまさにそこはDVDの山。

いったいどうしてこれだけの映画を作る必要があったのか、
というぐらいにこれでもかという映画映画映画の山である。

で、勉強の合間、息抜きがてらにそんなDVDコレクションを覗いてみる。

どうせ図書館というぐらいだから1930年代のサイレント映画や学術研究の
なんてものばかりかと思えば、いやいやそこはニューヨーク。
去年封切られた話題作なんてのも沢山あって、
それこそNETFLIXに会費を払ってDVDを借りるのが馬鹿馬鹿しくなる。

がしかし、浪人中の身の上、そうそうと映画ばかり観ているわけにもいかず、
まあ一本二本ぐらいなら、と目に付いたものをPICKして再び勉強机に戻った。

ちゅう訳で、何の気なしにPICKした映画。

ALL IS LOST という映画。

ALL IS LOST


たったひとりヨットで大海を航海する老人が、事故に合い嵐に合い、救命ボートで遭難し、という話。

実は俺は「遭難マニア」で、海山に限らず遭難に関する文献・映画があると必ず目を通してしまう、
というおかしな性癖がある。

人間の極限というか、まさにたった一人の力でどのように危機を脱しえたか、
そして敗れた人間は何ゆえにそれに敗れたか、
どの遭難を取ってみてもなかなか興味が尽きない。

で、この ALL IS LOST ~ オール・イズ・ロスト、
また、最後の手紙、なんていうどうしようもない副題がついているらしいが、
ってことあ日本でも封切られたのかな。

出演者はロバートレッドフォード一人。
既によぼよぼに近い年齢の筈のこの老人がヨットに一人、
次々と襲い掛かる困難に孤軍奮闘する訳だが、
こと遭難マニアの俺としてはとても楽しめた。

のだが・・・

この映画、言わせて貰えば、セリフがなにもない。

冒頭の、遺書を読み上げるシーン、からその後、クソッタレ、と怒鳴る、以外にはなにも、
そう、なにもセリフがないのである!

そう、人間ひとりでいるときにはあまり言葉を発しないものだ。

一人でいるときに言葉を発する、つまりは独り言の人、はやはりどこかおかしい人な訳で、
つまりそれは「弱さ」の露呈である。

強い人間は基本的に一人でいるときには喋らない。

なにも語らずにただ黙々とやるべきことをやっていく海の男の姿、
その徹底的な「無言」にまさに「強靭さ」を感じる訳だ。

という訳で、なんだよ、と思わず苦笑い。

ぜんぜん英語の勉強にならねえじゃねえか(爆

がしかし、で、ふと思い当たった。なぜ俺はこの映画を観たかったのだろうか・・

つまりそれ、今の俺がまさに、遭難中であるから、なのではないのかな、と。

俺が始終無言であるのは、まさに俺はニューヨークというこの人の海の中で、
たったひとり、黙々と、やるべきことをやり、そして嵐に備えている、のではないか。

ニューヨーク漂流か、とふと考える。
確かに割りとそんな感じかもしれない。

そう言えば昔、そういう本があったな、と思い出した。

そう、それはまさに、藤原新也の「東京漂流」である。

東京漂流

で、あらためて、藤原新也は、なぜ敢えてこの「漂流」という言葉を使ったのか。

つまり、そう、藤原新也も、まさに「遭難者」だったのだ、と思い当たった。

80年代、アジアでの長き放浪の旅を終えて母国に帰った藤原新也。
がしかし、バブル狂騒に沸く日本のどこにも自分の居場所を見つけることができなかった藤原新也が、
しかし、彼がこれまで世界各国を旅、放浪、つまりは、たったひとりで航海をしていた、
まったくその方法で、日本という母国で遭難し、そして「漂流」していたのだ。

まさのあの村祭り的日本文化の中において、たったひとりの遭難者としての藤原の視点が、
しかしそこには黙し続ける男の強靭さ、その単独航行における「個」としての「生存」への執念こそが、
あの「東京漂流」のパワーそのものであったのだな。

ちなみに俺は、大学中のアルバイト先の、その近所にあったラーメン屋の棚、
古新聞古雑誌にまぎれて置き忘れられていたこの「東京漂流」。
俺はバイトの昼飯時、あるいは、残業の合間のラーメン屋のカウンターで、
この本を読み始め、そして読了した。

うっし、俺も世界放浪にでかけるか、と思い立ったのも実にこの本がきっかけだったか。

いや、違う。
俺はこの「東京漂流」を読み終わるやいなや、もういても立ってもいられずに、
バイト先で貰った給料袋を引っつかむや、そのままほぼ無一文に近い形で日本を飛び出てしまったのだ。

あれから幾十年。そして俺は、いまだに航海を続けている。

このニューヨークという街に思わぬ長居、つまりは「沈没」をしているが、
それはこのニューヨークとい街が、世界そのものであるから、なのだ。

俺はそんな世界の箱庭であるニューヨークという街の人の大海の中で、しかしいまだに「漂流」を続けている。

つまり、一人黙ってモクモクと、やるべきことをやり、誰をも頼らず、何にも属さず、
船に持ち込む物は極力最低限に抑え、ありあわせの非常食ばかりを喰い、そして嵐に備える日々。

良いときもあれば悪い時もある、が、それはすべて己の胸のうちの中に認めるだけ。
メールや電話で古き友と「通信」をすることはあるが、このヨットに人を招くことは稀だ。

つまりそう、俺はこのニューヨークにおいてもいまだに「漂流」を続けている。
不要な独り言も、愛想笑いもせず、ただもくもくと、己一人の航海を続けているのだ。

という訳で、このALL IS LOST。

いったいこの老人は、たった一人で海を旅しながらなにをしているのか、どこに向かっているのか、
その目的はなんなのだ、と思った疑問、

つまり、それ、俺じゃねえか、と。

つまり、そう、人間ってそんなもんなんだよ、とも思っている。そして俺ってつまりそういう人間なんだな、とも思いをあらたにした。

Like Father, Like Son ~ そして父になる、を観た

Posted by 高見鈴虫 on 24.2014 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
なんかゴジラから妙に映画づいてしまっている。

で、ずっと気になっていた映画、
Like Father, Like Son ~ そして父になる、を観た。

そして父


がそう、正直、なんかしっくりこなかった。
全編を通じて、思わず首をかしげてしまうことしきり。

確かに、日本人の感覚では十分にお話にはなるのだろうが、

ニューヨーカー的な感覚、
そして、世界旅行者的な常識の範疇においては、
なにからなにまで、なぬ?の映画であった。

まずここアメリカにおいては、子供をアダプトする、という話が実に普通である。

ユダヤ人の家族にチャイニーズの子供がいたり、
あるいは、白人の一家にひとりだけ黒人の子供、
あるいは、そう、スコット藤田ではないが、
日本人夫妻に日本人として育てられたという白人著名人、
なんてのもいるぐらいで、
そう、そういう話が割りとざら、というか、そう、ごく普通なのである。

そして、これまで歩いて来た国の中で、
ちょっとこちらの目が点々になるぐらいにまでゆるい家族という奴をこれでもか、と見てきた。

隣近所の家族、あるいは親戚連中の家族がもう入り乱れてしまって、
ほとんどの時間をあっちの家族とこっちの家族を行ったり来たりしている間に育ってしまった、
なんていう子供たち。

兄弟4人、父親と、そして人種までもがすべて違う、なんて家族。

あるいは、同じ村の中で、あいつとあいつは父親が同じ。
あいつとあいつは母親が同じ、なんてだったり、

あるいは端から、父親なんて誰にも判らないじゃない、からからから、と笑われたりもした。

そう、父親というのはなんとも心もとない、つまりはとてもとても曖昧な存在なのである。

それを世界の人々はそれをとてもよく知っていて、
そんなドサクサを割りと楽しんでいる、というか、笑うしかないじゃない、
ぐらいのところで生きていたりもする訳だ。

あるいは、そう、日本でだって、戦後のどさくさぐらいまでは、
養子とかが割りと普通に行われていた、と聞くし、
もしもわざわざDNA鑑定をやる気さえあれば、
あり?なんてケースが多分これでもかと出てくるのは必至なのだろうが、
誰もわざわざそんなことしないでしょ?

という訳で、
このドラマの設定そのものが、ちょっとあまりにも現代日本的常識に限定しすぎ、
核家族化がどんづまった閉鎖された家族の図式、そのものが前提となっている訳で、
この人たち、なんで素直に二つの家族を一緒にしちゃわないのかな、

おい、まあそんな事情で、お前には家族がふたつできてしまった。
どうだ嬉しいだろ?これからはふたつの家族でがんばって息子をやりなさい。

それで十分ではないか、と思っていたのだが・・

がしかし、かといってこの俺が、人種の違う子をアダプトして養子として迎え、
我が子として育てる気があるか、というと、それはそれでまた難しいところなのだがな・・

うーん、なんか煮え切らない映画であつた。

フレディ

Posted by 高見鈴虫 on 24.2014 大人の語る怖い話   0 comments   0 trackback
別に怖い話でもなんでもないのだが、ちょっとした不思議話。

セントラルパークの木立の中に、普段あまりパークポリスが来ない草原があって、
そこでよく犬とボール遊びをするのだが、
たまに、フレディ、と女の子の声がすることがある。

その声が割りとはっきりと聞こえて、そんな時は、犬も一緒に、あれ!?とそっちの方向を振り返る。

が、誰もいない。

まあ確かに、古代の野外劇場のように、
風に乗ったり、あるいは角度の関係で、遠くの音が妙にはっきりと聞こえることがある。

多分そんな理由なのだろう、と思っているのだが、
今日も同じところでボール遊びをやっていたところ、また同じ声で、フレディ。

犬も、びくり、としてそちらの方向を向いたのだが、やはり誰もいない。

念のため、声のした方向を歩き回ったり、
ハローと呼んでみたりもしたのだが、やはり誰もいなかった。

ちなみにジョーイもよくそこでボール遊びをするらしいのだが、
いや、そんな声、聞いたこと無いよ、空耳じゃないの?
と言われた、ということは多分やはり空耳なのだろう。

まあ犬が嫌がっている風にも見えないし、
どんな理由であれパークポリスに捕まらずにボール遊びができるので、
ちょくちょくお邪魔するつもりなのだがな。

ブッチはもしかして前世でフレディーという名前だったのだろうか。

確かにブッチよりもフレディの方が似合っている気もしない訳ではないが、
妙なところに連れて行かれても困るので、知らない人はあまり相手にするな、
とは言ってある。

Kapringen / A Hijacking 邦題:シージャック を観る。

Posted by 高見鈴虫 on 25.2014 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
Hijacking.jpg


デンマーク船籍の貨物船がソマリの海賊にシージャックされる、という話。

物語り大筋は人質となった船員と実行部隊の海賊、つまりは「現場」
とそして、
船会社首脳部と海賊側との身代金交渉、つまりは「ネゴシエーション」の話。

双方にネゴシエーションのプロが存在し、
テレカンを通して幾らまでなら出せるか、の腹の探り合いをする訳だが、
そこにはやはり、コストの問題が主流を占め、人命とコストの鬩ぎ合いの中で、
交渉は熾烈を極め・・・

これは実に大人の映画だった。
つまり物凄く現実的な映画。
派手なバンバンも無ければ、馬鹿げたヒーローも存在しない。
そこにあるのはまさに「ビジネス」なのである。

いま勉強している資格試験の内容ともガチでマッチしていて、
いやはや実に面白かった。

このグローバル社会、
世界を巻き込むビジネス最前線の辛辣さが様々なシーンにまさに浮き彫りにされる。

現場と管理者側との隔絶、
人質と海賊側の文化の違いによるコミュニケーションの隔絶。
とそして、
ネゴシエーションを請け負ったプロ同士の金額交渉合戦。

人質は早く開放されたいがために、
海賊側に加担して親会社への身代金支払いを嘆願。
実行部隊の海賊は海賊でさっさと仕事を終えて家に帰りたい。
現場の人間は双方共にどうみてもそれほど仕事熱心には見えず、
あるいはそう、人的な資産的価値が高そうな人々とも思えない。

とそして、海賊側のネゴシエーターも、
海賊達に比べては暮らしぶりのよさそうな体系をしているが、
実は家族の命がかかり、
本社側の雇われ社長もコストとリスク、そして社会的信頼の板ばさみで青色吐息。
まさに全ての人々がそれぞれの立場で土壇場、と。

あのなあ・・まさにこれ、俺たちの日常じゃねえか、と。

がしかし、ここにおいてついつい見過ごされそうなっているのは、
このコストと天秤にかけられているものがまさに人命なのである。
銭勘定ばかりが先走っていく現代社会の中で、
果たして人命とはなんぼや、と。
長引くに連れもはや賞味期限切れを目前とした質草をどう身請けするか、
現場もネゴ側もぎりぎりの極限状態な訳であるが、
その極限状態の焦点はまさに身代金の金額・・・おいおい、と。

現実にあった話が元になっているということなのだが、
いやはや、まったくである。

ちなみに冒頭に置いて、
辣腕社長のネゴシエーション能力を示す逸話として、
日系会社との交渉シーンが挿入されている。

どうだ、俺の手にかかれば日本人なんてちょろいもんさ、
というところなのだが、
それと対比されるソマリ海賊の交渉のプロのタフさ。

そこにこのグローバル社会の競争の熾烈さが浮き彫りになる、という訳だ。

という訳で改めて思ったのは、

やるほうやられるほうに限らず損を喰らうのは現場。
がしかし、交渉側は交渉側でとてつもないストレス。
ビジネスって結局そういうものなんだよな、と。
どの立場においても楽はできないぜ、というか、なんというか・・

そして最後の最後になって勃発する指輪のくだり。

つまりそう、人の気持ちほど高価なものはないよ、ということか、
そう、人間って本当に割があわない生き物なのである。
管理部、実行部隊ともども、それを一番に考慮すべき、というオチであったかと。

とそして、そう、
このシージャック・ビジネス。
コスパとしては非常に割りがよさそうだ。
つまり、海賊でもやらねば食っていけない人々は
こぞってこの手のビジネスに知恵を絞るにちがいない。
そのルートコーズ:根本原因、
強いては世界中をこれでもかと蹂躙し続けるこの凄まじい格差社会を、
どのように是正するかを真剣に検討しない限り、
この誘拐ビジネスはますます、それこそ世界中で大盛況になりまっせ、
という警告でもある、と。

がしかし。。。
俺が個人的に感じたのは、そのうち必ずコストが勝つであろう、と。
つまり、会社側は身代金を払うぐらいならば、人質にされた社員は見殺しにする筈、
だってそのほうがコスパが良いもの、となるのではないかな、と思う訳だがどうだろう。

嘗て世界中のあちこちの現場を渡り歩いてきた経験があるのだが、
それってつまり、親会社の人間には行かせられないところに、
下請けとしてすっ飛ばされていた訳で、
つまり、親会社の社員に比べて、俺のこの人命が安値で見積もられていた、
ということなのだな、ははは、くそったれ、とは重々ご承知のうえであった。

つまりそんな俺がもし誘拐でもされようものなら、
もちろん海賊側とつるんではそんな糞親会社からどれだけ身代金ふんだくれるか、
率先して交渉した筈(笑
で、おい、俺にもマージン寄越せよな、ぐらいなことは平気で言ったと思うのだが・・

ちゅう訳で、現場に行かされる人、そして、人命を現場にすっ飛ばす立場の人、ともども、
海外を相手の仕事をする方々にはまさに必見、洒落にならない映画です。
  

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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