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UNA NOCHE を観る

Posted by 高見鈴虫 on 03.2014 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
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ハバナが舞台の映画。
ティーンエイジャーが古タイヤで作った筏で海の先、90マイル先のマイアミを目指す、ってな話なんだが、
舞台のほとんどはハバナの街中。

クーバに行ったのはもう十数年も前なのだが、いやはや相も変わらず懐かしい街並みである。

ハバナの街並みはあの頃から徹底的に廃墟であったが、その後もますます廃墟な風景。
御気楽なツーリストとしてはそのぶっ壊れ方がなんとも格好よかった訳だが、
住んでいる人々、それもそこから出れない人々にとってはちょっとたまらないだろうなあ、
とは常々思っていた。

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いまでもクーバの観光案内を見ると、

クーバの人たちはそんな暮らしの中でももちまえの陽気さを失わず、
やら、
海と太陽とサルサに溢れる街角、
やら、
幸せとはなんだろう、とつくづく考えさせられました、

やらやらやら、

なんとも能天気にも無責任な謳い文句が並んでいる訳だが、
行ってびっくり、そんな謳い文句の一つ一つが、まさにこれ以上ないブラックジョーク、
という現状を目の当たりにすることになる。

クーバと言えば、ラム酒とサルサとセックス、という訳で、
いやあ、酒と音楽とセックス、最高じゃねえか、と言うのは観光客だけ。

住んでいる奴らにとってはもう徹底的にラム酒とサルサとセックス以外には何もない、訳であって、
人生がそれだけで充足できれば良いのだろうが、
なかなかそういうわけにもいかない、というのが人間の難しいところ。

一皮剥けば、壊れたインフラ、街中に溢れる娼婦(そして男娼)とエイズの嵐。
そんな楽園の牢獄の中に閉じ込められて、
もう徹底的になにもかもがうんざり、となっているのは容易に想像がつく。

この映画の中にも、

ツーリストはすぐに判る。石鹸の匂いで・・・

というセリフがあったのだが、
そう、ハバナには石鹸がなかった。
それ以外にも、ビニール袋や電池がなかったり、とか、
あるいは、塩や砂糖や珈琲が無かったりなんていう、
思わず、えっ!? ってなものが普通に無かったりした訳で、
その滞在が一日一日と経つうちに、
なんだよ、この国、実は徹底的にぶっ壊れてるな、
という事実にいちいち思い知らされることになったわけだが、
そんな状態は今も変わっていないらしい。

という訳で、そういうクーバの現実にほとほと嫌になった若者たち。
いや、若者達に限らず、住んでいる人々はもう徹底的にほとほと嫌になっているに違いない。

そして若者達にとってなにが嫌かと言って、
つまりは、そんなほとほと嫌になって暮らしている人々に囲まれて生きることがなによりも嫌、
な訳なのだが、
いや、実は世界中どこに行ってもルーティーンなんてそんなものなんだぜ、
という事さえも、実はキューバの人々には知る術がないのである。

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という訳で、そんなやるせないハバナの現実がこの映画にも滲み出している。

で、改めて思うのは、こんな反カストロ的な映画をよくハバナでロケをさせたな、という訳で、
つまりはもう、政府もそんなことどうでも良くなっているのだろうな、と思う。
あるいは、それもクーバ政府お得意のブラックジョークなのであろうか。

ちなみにこの映画、2012のトライベッカ映画祭に出展された作品なのだが、
こともあろうにその祭典に出席する筈だった主役の二人が、マイアミで逃げた(笑

で、逃げた後どうなったのか、誰も知らないが、まあ想像はつく訳で、
そして逃げた二人がいまごろなにを思っているのかさえも安易に想像がついてしまう、というところ。


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ちなみに、ここニューヨークに置いて、次のバケーションの予定が決まらないとき、
車でマイアミまで行ってみようかな、というのがある。

で、行ったことのある人々は、やめとけ、なにもないぜ。悪いことは言わない飛行機にしとけ、
と口を揃えて言うのだが、そうやって口を揃えて言う人々も、一度は車でマイアミまで行ったことがある訳だ。

という訳で、敢えて人のやらかした失敗を周到するために出かける旅というものもある。

そんなところに行ってもなにもないぜ、と言われた場所に、
あえて、なにもないことを確認しに出かけて行く、というあれだ。

そして、その旅を終えた時にようやく仲間入りができる訳だ。

やめとけ、そんな苦労してもなにもないぜ、と一種「大人の余裕」を持ってそう言い切れるのである。

という訳で、クーバの人々。

クーバを出れば、石鹸も砂糖も塩も山ほどあって使い放題なんだぜ、というのが夢のような話なのだろうが、
いざマイアミに辿りついてそこに三日も暮らせば、石鹸や砂糖や塩に溢れた暮らしというものが普通になってしまう訳で、
そんなものがごく普通になってしまった時、改めて失ったものの大きさ、
マレコン通りの潮の香りや、流れていたルンバのリズムや、そしてラム酒の甘さをしみじみと思い出すことになるだろう。

という訳でこの映画、それがハバナであれ、あるいは、それが日本のどこかのしみったれた地方都市であったとしても、
ガキどもの抱えている問題というのはまあ似たようなものであって、
つまりはそう、これが政治映画であるか、という見方は敢えてしたくない。

つまりそう、まあよくある青春映画、そのハバナ版、と言ったところ。

そう言った意味で見ると、とてもよくできた青春映画でありました。

失業ハイパー ~ 勉強中のBGM

Posted by 高見鈴虫 on 03.2014 音楽ねた   0 comments   0 trackback
一日中図書館で資格試験の勉強。
冷房の効きすぎてまるで冷蔵庫の中に座っているようで、
この真夏の最中にダウンジャケットを着ては参考書を読みふける日々。

という訳で試験勉強である。
さすがに二ヶ月もこんな暮らしをしていると、正直飽き飽きしてくる。
で、ついつい、うとうと、としてしまうことが増えてきて、
下手をすれば、図書館に行く、ということだが目的化してしまい、
座ったとたんに眠くなって、なんてことにもなりうる。

という訳でリフレッシュで音楽でも聴いてみようか、とも思うのだが、
そう、俺にとってこの音楽というのが鬼門な訳である。

まずドラムの入っている音楽はいけない。
下手なドラムの音楽は端から身体が受け付けない。
上手いドラムの音楽はもう気がそればかりに行ってしまって、
目の前の参考書にまったく気が行かなくなってしまう。

がしかし、ドラムが入っていない音楽、ということになると、
つまりはリズムのない音楽という訳で、ついつい尚更に眠くなって来てしまう。

と言う訳、このリフレッシュの音楽をどうするか、
と考え始めたとたんに、BGMの音楽探しばかりに熱中することになってしまって、
改めて俺的には勉強と音楽は相容れないのだな、と思い知るのだが・・・

しかもこの21世紀である。

世界中のありとあらゆる音楽は、わざわざレコード屋に行かなくても、
あるいは、このパフォーミングアーツ図書館の秘蔵庫にうだっている訳なのだが、
しかし、この時代そんな面倒なことをする馬鹿はもうどこにもいない、筈、である。

そう、YOUTUBEなのである。
ありとあらゆる音楽がYOUTUBEな訳だ。

という訳で、この勉強中のBGMである。
それこそもう片っ端からありとあらゆるジャンルのミュージシャンの作品が視聴できてしまうことになる。

ちゅう訳で、この勉強中のBGM、その選択が無限大である分、良いの悪いの言い始めるとまさにきりがない。

まず下手ではいけない。
その演奏は、まるで流れているのか流れていないのか、忘れてしまうぐらいに滑らかでなくてはいけない。
がしかし、そこに主張があってはいけない。
少しでも、どうだ、俺は凄いんだぞ、というような安い気負いが見えるともうそれだけで嫌になるし、
その時代的には斬新であった筈の奇抜なアイデア、あるいは陳腐な電気音が入るともうそれだけでOUTである。
がしかし、もともとデジドラの音はNG。
デジドラの音を聴いているだけで勉強どころか生きているのが嫌になってくる。
そして、耳障りな衝撃音がないもの。
俺は高音系が苦手なところがあって、日本のジャリタレの鼻つまりのキンキン声や、
あるいは、管楽器のパッパーやらの音が入るとその場で脳みそがプツリと来てしまう。

という訳でその選択がかなり狭まる。

とりあえず、ロック系はいけない。
ドラムの良いの悪いの言う以前の問題である。
それがかかったとたんに完全にもっていかれてしまう。
そして帰ってこない。。(笑

あるいはJAZZである。

以前、仕事中に良くJAZZを聴いていた。

がしかし、コルトレーンとかになるともう完全にそっちに持っていかれてしまうし、
あるいは、チェットベイカーとかはもう脳みそがうねうねになって船酔い状態になってしまう。

という訳で、ながら的BGMにはピアノ系がいいようだ。

がしかし、俺はどうも、BILL EVANSが駄目なようだ。
聴きやすいのはあるのだが、あのリズム感の無さ、というか、
いかにも運動神経の悪そうな音に気が滅入ってくる。

あるいは、MICHEL CAMIROであるのだが、
昔聴きすぎたのか、最近はちょっと食傷気味。

という訳で、先祖がえりではないのだが、やはりハービーか、
あるいはそう、これ、チック・コリア。

Chick Corea - Now He Sings Now He Sobs

で、ここのところちょっとマイブームなのがこのあいだVVで見たブラッド・メルドー。

Brad Mehldau Quartet jazz baltica Live

実は柄にもなくクラッシックも色々試して、
オペラではヴェルディからワグナーから、
あるいは、ラフマニノフから始まって、ドビュッシーからマーラーまで。

がしかし、どうも俺はクラッシックを聴いているとどうしても鼻に着いてきてしまうか、
あるいは長く聴いていると欲求不満でいらいらしてきてしまうところがあって、
だったら、指揮者を代えてみようか、なんてことになるとまた泥沼。
なかなか上手くはまらないようだ。

とかやっていたら、ふと超絶的に心地の良い音楽が見つかった。



PACO DE LUCIA である。

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その超絶的演奏技術もさることながら、リズムの正確さ、音の強弱、そしてそこに流れるエネルギー。
禅にさえ通じるそのストイシズムの極致。
まさに、脳みそに直接パワーを注入されている気になってくる。

昔から思っていたが、どうも俺はこのジプシーの音楽が身体に馴染むようなのである。

幸いにもYOUTUBEには、彼の残した遺産が山のようにUPされている。

基本的にはやはりLIVEものが良い。LIVEでもこれだけの安定感である。
まさに超絶、どころか、ぶっちゃけ、やはりそう、神様、なのである。

あらためてやはりPACOだな、と思う。

PACOを聴き始めるともう他の音楽は聴く気にならなくなる訳である。

PACOの力を借りてなんとか今日も午後を乗り切ろうと思う訳だ。

がむばろー

「秘密の草原」

Posted by 高見鈴虫 on 03.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback



かねてより、カップルとホームレスと幽霊はいつも似たような場所に出没するな、
と思っていた。つまりは人目を偲んでいる訳である。

でここニューヨークにおいて、犬の散歩人と、
そしてヌーディストは似た場所を好む、ということにもなる。

実はアパートで犬を飼うものがいつも頭を悩ませている問題として、
日光浴と犬の運動量がある。

つまり、さんさんと降り注ぐ太陽の下で、犬に十分に運動をさせてやりたいのだが、その場所も時間も限られている。

ニューヨーク市においては、セントラルパーク等の限られたエリア内においては、
夜の9時から朝の9時までは犬のオフリーシュ、つまり放し飼いが許されていて、
その時間帯であれば、好き放題に犬達を走り回らせることができるのであるが、
問題はそう、オフリーシュをすることに不安の残る猛犬、
あるいは、寝坊してしまった飼い主、はいったいどうすればよいのか。

ちなみに普段、公園にはパークポリスという怖い連中が見張っていて、
もしもこのルール、つまり時間外に犬を放し飼いにしているのがばれると、
違反チケットが切られることになる。

この違反チケット、100ドル、である。

なぬ?100ドル?たかが犬をちょっと放しただけじゃないか。
そもそもうちの犬は人を襲った過去も無ければ、近所でも有名な名犬で、
と、実は飼い主の誰もがそう思っている訳で、
この100ドルの切符、実際にもらうと、非常に非常に気分が悪い。

そんな事情から、しまった寝坊した、と思った日には、
そんな目障りな糞パークポリスの目を盗んでは、
あまり人の来ないところを見つけてこっそりとボール遊び、なんてのをしている訳なのだが、

そんなわけで、今日も10時過ぎ。
昨日ついつい夜更けまで勉強してしまったために、今日は思わず朝寝坊。
燦々と降り注ぐ真夏の太陽の下、働く必要のない人々がひっそりと公園を独り占めにできる素敵な時間。

木立に囲まれた芝生の丘でこっそりとボール遊び。

実はこの場所、同じ悩みを抱える犬仲間に有名な秘密の草原で、人影を観ることもほとんどない。
つまりパークポリスがやってこない場所なのである。

犬の奴もギルティ・プレジャというやつか、そんな人目を偲んでやるボール遊びが大好きで、
おおお、そうか、あの秘密の草原に行くのか!よーし、と大ハッスル。


としたところ、さあ着いた着いたとさっそく放り投げたボールの転がった芝生、
ふと見ればその真中にシートを引いて寝転ぶ人の姿。

見たところ女性、それも若い女性。
しかも、なんと、そのおふたり、
見るからに北欧系の金髪の美女。

目にも眩しい白い裸体を晒しているのだが、
がそれもなんと、ふたりともにしてすっぽんぽん、な訳である。

公園の中、とは言うものの、一応ここはセントラルパーク。
世界一の大都会のそのど真ん中に位置する訳で、そんな摩天楼の渓谷のどまんなかで、
なんとすっぽんぽん、とは。

まあ確かに、ヨーロッパとかに行くと、まちなかにもヌーディストがたくさんいる、という話は聞くが、
ここニューヨークではまさそれは許されていない。

脱げる権利、を主張するヌーディストの団体が街を提訴している、という話も聞くのだが、
さすがにすっぽんぽん、という姿はあまり見たことがないのである。

としたところ、なんとそのすっぽんぽんのお姉さん、ボールを咥えて走りこんできたぶーくんに、

あらまあ、パピーちゃん、可愛いわね、と手をのばす。

という訳で、

ブッチくん、なんとうら若き全裸の女性の間に鎮座ましましてご満悦。

事もあろうにその胸元から首筋からに浮いた汗を、
ペロペロと舐め舐めしてしまったりもする訳で、
キャハハハ、と笑い転げるお嬢様方、
なんともねっとりしとした視線でそんなブーくんを見つめていたりもする訳だ。

うーん、羨ましい、羨ましすぎる、とは思いながら、

そんな姉ちゃんたちの色香に拐かされて、バタードッグになどされないうちに、
早々と退散申し上げた訳である。

いやあ、照れた照れた。

クバサンド

Posted by 高見鈴虫 on 03.2014 旅の言葉   0 comments   0 trackback
クバ、の名前を出すだけで、
妙に思い違いする人が多い訳なのだが、
あの、間違って貰っては困るのですが、
俺は別にクバの肩を持っている訳ではなく、
ましてやフィデロ・カストロ、および、
その世襲制の弟である現在のラウル・カストロが行ってきた政策を
指示するつもりなんかぜんぜんない、というか、
俺は政治家でも評論家でもなく、ただの旅行者。
ので、まあぶっちゃけ関係ないっていうか(笑

ただ、俺が目にしたCUBAの人たちは、
なんといか、まあやるせねえなあ、というか、
ったく、どうしようもねえな、これは、と全てに飽き飽きとしていた、
というのはありながら、
しかし他のラテン諸国の人々と違って、
その辺りのチンピラ風兄ちゃんがしっかりとガルシア・マルケスのことを話せたり、
まあ世の中、良いところもあれば悪いこともあるわな、というところをしっかりと理解している、
というか、まあいうなれば国民的に民意、というか、知的レベルの高さは感じた。


Even The Rain ~ 邦題:ザ・ウォーター・ウォー

Posted by 高見鈴虫 on 04.2014 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
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一昔前の南米・ボリビアでのお話。

コロンブスの歴史映画のロケでボリビアに行った連中が、
そこでかの「コチャバンバ水紛争*」に巻き込まれるってな話。
*知らない人はグーグルでサーチしてちょんまげ

撮影中の映画の中で描かれる五百年前のコロンブスによるインディヘナ虐殺**と、
**知らない人はグーグルでサーチしてちょんまげ
現代の水紛争に抗議する先住民系住民の困窮ぶりが見事にオーバーラップし、
映画作成者の傲慢と先住民系俳優がぶつかり合いがそれに絡み合い、
というタペストリー構造。

正直、南米、あるいは、
ぶっちゃけ途上国の貧困問題には軽々しく触れたくはない訳で、
とくに中南米の問題、俺的には非常に非常に非常に辛い訳だが、
いやはや、やはりこの映画の主張通り、
今の時代、コロンブスやらコルテスやらが面白半分に大殺戮、
なんてのを繰り広げていた時代から、
実はまったくなにも変わってないのかな、と改めて思い知らされたりもする。

せめてもの「救い」はこの映画が2000年のことであって、
現在のボリビアは既に先住民系のモラレスが大統領***な訳で、
***ご興味のある人はグーグルでサーチ
まあそれが良いの悪いのは別として、とりあえずこの映画に描かれていることが、
「過去の話」である、という大前提で本当に良かった、と(笑

ちなみにここで描かれているマヤ系、というか、インディヘナというか、
つまりは南北アメリカ大陸の先住民の方々。
なんといっても我々日本人にそっくり、というか、つまりはアジア系。
と言う俺も、テニスのやり過ぎで陽に焼けすぎていたのもあって、
彼の地に行くとあれまあすっかり現地人そのもの。

そんな具合から、メキシコを旅行中、まじで国境の南からの不法入国者、
あるいは下手をするとマヤ系の反政府ゲリラ、かのサパティスタと間違えられて拘束されたりと、
そう、まさに洒落にならない、というか、
日本人、そのまま黙っていれば、しっかりとあっち側。
彼の地の先住民系の人々がいったいどんな目にあっているのか、
そっくりそのまま疑似体験できてしまう、と。


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そして、そう、ここに描かれている水紛争問題も、
今後の世界を占う意味で、とてもとても深い問題であって、
そしてここに描かれているグローバリゼーション時代の無茶苦茶は
*****グローバリゼイション 弊害とか、Globalization suck とかでサーチ、
そのままそっくりと我が祖国日本さえも直撃する予定******なのだがな(笑
******TPP 真相、とかでサーチ

つまり、そう、この映画、まさにこの世の重さが全て凝縮されたような作品。

ぶっちゃけ、そう、俺もそろそろ、そういう重い問題に対して、
しっかりと対峙していかなくてはいけないのだな、とは常々思っている訳なのだが、
日本の原発と同様、この手の問題は、下手な口車に乗せらとまじであれあれと足元をすくわれて、
いつの間にかとんでもないところに連れて行かれてしまったりもするので危ない危ない(笑

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そんな意味で、この映画、いやあ、よく撮ったな、と言うか、
上手い具合に「お話」としてまとめましたね、とは思ったのではあるが、
やはりこういう問題をなんともご都合主義的なお涙頂戴で終わらせるというのは、
なんというか、まあちょっと拍子抜け。
で、まあそういう私小説的なお涙論で終わってくれれば本当に良いんだよなあ、
と思いながらも、まあ物語的には、まさに拍手拍手!思わずもう一度観てしまった(笑

しかしながら、そう、間違って貰っては困るのだが、
この映画を他人事、つまりは、こっち側の人として傍観しながら、
名誉白人気分でいる諸氏、
実は明日は我が身なのだ、ということを、よーく考えるべきなんじゃねえの?
と思った次第。


ハンサムぶりっこドッグ

Posted by 高見鈴虫 on 04.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback
先日、お食事した方(女性)から送られてきたこの一枚。


はんさむどっぐs



なんか・・・妙にすかしてないか、お前。。

俺たち飼い主の前では一度たりとも見せたことのないこんなよそ行きの顔を、
かの女性に対して向けていたのだなあ。。。

まったく相対する人によってその表情がまったく違う、というのも不思議なもの。

つまりそう、こんな思い切り手放しがははは笑いなんてのが見れるのも、
飼い主だけの特権という奴なのだろうな。


はんさむどっぐ2

うーん、たかが犬、されど犬、その飼い主だけに見せる最高の笑顔、その価値こそがまさにプライスレス。。。

失業ハイパー ~ なんちゃってオペラの日

Posted by 高見鈴虫 on 04.2014 音楽ねた   0 comments   0 trackback
今日はどういう訳かOPERAの日だった。

まずは必殺のLA TRAVIATA 

これはもう耳に馴染みすぎ、というか、ストーンズと同じぐらいに身体に染み込んでしまっている。
のだが、やはり何度聴いても飽きない、というか、ますます良くなっていってしまう訳で、
いやはや。

で、これがまあ2時間弱。

その後、なんとなく耳淋しくなって、
で、やはり同系路線で耳に馴染みの良い作品。
TURANDOT


これ実は、ステージそのものは鬼門というか、
ぶっちゃけ、舞台が中国ってのがなんとなく目障りで(笑

だが、そう、音だけで聞く分にはとてもとても心地よい。

で、これでまた2時間完全に持っていかれて、

としたところ、なんかここまできていきなりよりによって トリスタンとイゾルデなんてものを聴きたくなってしまって、

そう思いながらふと時計を観ればすでに5時近く。

お前、いまからワグナーなんかにはまったら、それこそ朝になっちまうぞ、と。

ちゅうわけで、、ふと参考書の開いたページを見れば、
おいおい、朝からまだ1ページも進んでねえじゃんかよ。。。

さすがに焦ってそれ以降は閉館まで音楽無しでお勉強してました。

ゆけゆけ ANIMAL COPS!

Posted by 高見鈴虫 on 05.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback
普段からスポーツ関係以外、あまりテレビは観ないのだが、
NGCのドッグ・ウィスパラー(の再放送)と並んで見逃せない番組。
ANIMAL PLANETの「ANIMAL COPS」である。

これ日本でもやってるのかな?


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ここニューヨークから始まって、デトロイトからフィラデルフィアから
ヒューストンからマイアミまで、
全米各都市のANIMAL COPたちの活躍を描いてゆくドキュメンタリー。

ぶっちゃけヘビーローテーションの再放送物なのだが、
そうと知りながらついつい観てしまう。

まあお決まりのストーリーとしては、
飼い主の虐待に会うペット達。
通報を受けて参上した正義の味方・ANIMAL COP。
危機一髪の救出劇の後にはお医者さんの献身的な治療によって
危うく命を救われた動物たちが、
その後、幸せな家庭に貰われてハッピーハッピー、
とまあ、そういう話な訳なのだが、
実は実は、、
そこに描かれる動物達のその受難ぶりの凄まじさ。

首にチェーンを巻かれたまま放置され続け、
食い込んだ鎖が毛皮と肉を切り裂いて血みどろになっているシェパード。

闘犬として育てられて身体中がくまなく生傷だらけのピットブル。

庭の片隅にほったらかしにされて骨と皮ばかりになった餓死寸前のロットワイラー。

身体中を蚤と、そしてまさに小豆どころかソラマメ大に膨れ上がったダニに覆われた子犬たち。

撃たれた犬、熱湯をかけられてケロイドだらけの猫、そして・・・たぶん面白半分に切り裂かれた骸・・

そんな動物達のあまりにも惨たらしくも凄惨な姿に思わず絶句。
ぐげえええ、と身もだえながら顔を伏せて、
思わず、

だ、だ、誰だ、この子をこんな目に合わせた奴はあああ!!
ちょっと来い、俺が同じ目に合わせてやるからそう思え!!!

と歯軋りをしていたところに登場する正義の味方、ANIMAL COP!
危険を物ともせずに瀕死の輩を危機一髪の大救出。
そして憎き無責任飼い主に正義の鉄槌、コート・オーダーを突きつける、ってな話。

でまあ、番組の終わりには、あれほど酷い状態であったこの子が、
いまや、ほら、こんなファミリーの元で幸せ一杯なのです。
という訳で、
ゆけゆけANIMAL COP!正義の味方、動物達を救え!と。

思わず涙ポロポロ。
隣りで呆れかえって大あくびをする我が犬を抱きしめて、
お前、良かったなあ、こんな目に会う前に俺に救われて・・
とまたまた涙なみだ・・

が、そう、
まあ、正直この番組を始めて見た時、

あのなあ、犬猫救ってる暇があったら、もっと他にやること、
つまりは、人間様で同じような状態になっている方々、
ネグレクトされて餓死寸前の子供たちを救うべきなんじゃないのか?
もしかしてそんな黒人のガキたちよりも犬猫の方が大切ってことなのか?
アメリカ人ってまじよくわからねえ、

と思ったりもしたものだが、
が、しかし、そう、少なくともこのANIMAL COPを見る限り、
俺はANIMAL COPに一票。

つまり、どうぞこの人たちのために税金使ってください、という気にさせられるのだ。

あるいはそう、この番組によって、

みなさん、
動物を虐待することは、とてもとてもとても、悪いことなんですよ、
という啓蒙になり得る、と。

という訳で、ちょっと惨たらしいシーンもあるが、教育上にもとてもよい番組、と
勝手に思っている。

つまりそう、動物愛護の精神は、すなわちは、民度の高さ、なのだ。

そう言った意味では、日本はまだまだだな、と思うがどう?

ちゅうわけで、YOUTUBEで、ANIMAL COPS と打てば山ほど出てくる筈なので
ご興味のある方は御一見の程を。



いぢめ国家の末路 そのいち

Posted by 高見鈴虫 on 05.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
あんまり時流には乗ったようなことは言いたくないのだが、
笹井氏、自殺・・・・これは惨(むご)過ぎるな。。。

まさにこれ見よがしに、名誉と抗議のために腹を切った、というところだろう。

自殺というのものの本質が「抗議」にあるとすれば、
笹井氏はいったいなにに抗議をしたかったのだろうか。

理研にか?おぼかたさんにか?あるいは・・

ぶっちゃけそれは、メヂア、
つまりこれは、糞マスゴミによってたかって嬲り者にされたことへの、
抗議の自殺、と考えるべきではないのか?


虚構新聞ではないが、

笹井氏自殺の責任を取って、マスゴミ各社のトップが連鎖自殺、

ぐらいのことが実際に起きて欲しい。

それぐらいにマスゴミの報道姿勢に対して、深い憤りを感じる。


あらためていう。いぢめはいけない。

日本の人たちはもう感覚が麻痺して判らなくなっているのだろうが、
日本のテレビにはまさにいぢめが蔓延している。


YOUTUBEでたまに
日本のTV番組、特にバラエティ系を見るたびに、
そのいぢめ的な要素の凄まじさに思わず絶句、そしてその醜悪さ、おぞましさに思わず鳥肌が立つ。

こんないぢめ番組を笑ってみている人々っていったいなんなのか?
と思わず我が目を疑うう。

そしてそんな日本のいぢめを煽っているのはまさにマスゴミだ。

いぢめをいぢりだ、なんだと言い換えているが、その本質はやはりいぢめだ。

マスゴミこそがいぢめの巣窟なのだろう。

こんないぢめ国家、誰が住みたいと思うものか。
つくづく情けなくなる。かわいそうな国だ。
そしてそんないぢめ社会で好き放題いぢめられ、
あるいはいぢめられないようにびくびくと暮らす人々、
本当の本当にかわいそうである。

これはまさにいぢめの牢獄だ。

日本の自殺のほとんどが、このいぢめの蔓延によるもの、と誰もが気づいているだろう。

職場で、学校で、テレビで。そしてそれを、とってつけたような馬鹿笑いを被せて煽り続けるマスゴミ。

これは狂気だ。まさに狂気以外のなにものでもない。

訳も判らずSTAP細胞事件を煽り続けたマスゴミ。
そしてその責任問題が顕著化した日には、
かならずその罪を現場の人たちに罪を被せるであろうTOP。

自粛して欲しい。

まじで、これは、とんでもないことになる。

日本はいぢめによって自滅する。

予言させて頂く。

いぢめ国家の末路、そのに

Posted by 高見鈴虫 on 05.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
嘗て俺がまだ日本におけるごく凡庸な不良日本人であった頃、
またいつものように仲間内の不良外人連中とつるんでいた折、
そう言えば、あの駅前にいる妙な連中はなんなんだ、
という話題になった。

なんかヨガ道場の勧誘というが、
なんとなく新興宗教というか、なんというか、
とにかく気味が悪いな。

確かにマヒカリから始まってインチキ詐欺商法から
自衛隊の勧誘から果てはヤクザのスカウトまで、
街を歩いていると実に様々な怪しい人々から声をかけられる訳だが、
その中でも例の連中、
駅前でおかしな音楽を流しているあの奇妙な人々は
まさにダントツに気味が悪かった訳だ。

という訳で、笑いながら、
ショーコー、ショーコー、とその不気味な唄を真似していたところ、
NO!と叫ぶ者がいた。

駄目!絶対にそれをやっちゃ駄目!そんなことをしているととんでもないことになるわよ。

ニューヨークから来た女の子だった。

駄目!絶対に駄目!ああいう人たちを虐めちゃ駄目!

虐め?誰も虐めてなんかいないじゃないか。ただ、ほら、ショーコー、ショーコーってさあ。

だからそれが虐めだって言ってるのよ。駄目、絶対に駄目、本当にとんでもないことになるんだから。

彼女の突如の剣幕に周りの連中はみな目が点々。
いったい何について怒っているのか、まったく検討がつかなかった訳だが・・・

まあ確かに俺もジム・ジョーンズの人民寺院のガイアナ集団自殺のニュースを知らなかった訳ではないのだが、
果たしてアメリカのカルト集団とこの日本になんの共通点があるのか、と思っていた訳だ。

イジメ、と彼女は言った。

日本人はこと、イジメの問題について無頓着過ぎる。

イジメはいけない。絶対にいけない。どんなイジメであっても、その芽は徹底的に摘み取らなくてはいけない。

そんな彼女の演説に、ああたぶんこいつユダヤ人なんだな、
やっぱホロコーストの記憶が骨の髄まで染み込んでいるんだろう、
可愛そうな奴だ、ぐらいにしか思っていなかった。

あなた達が彼らを嘲笑えば嘲笑うほど、そして社会が彼らを虐めれば虐めるほど、
日本中の虐められっ子をあの新興宗教が吸い上げることになる。
日本中のいじめられっこが集まったいじめられっこ集団は、
いつの日にかそんな虐めっこ社会に対して最後の牙を剥くことになる。
そうさせない為には、日本人はもっともっと真剣にいじめの問題について考えるべきだ。
さもなくばこの国は、虐めによって崩壊することにもなりうる。

それが彼女の論法だった。

正直、このバカなユダヤ人、なにを寝ぼけたこと言ってるんだ、と思っていた。
そう、日本中の誰もが、あのショーコー、ショーコーを見てそう思っていた筈だ。
そして俺たちと同じように、横目でニヤニヤとあの連中を馬鹿にしていた筈である。

あの事件はそうやって始まった。

そして、その後に起こったこと。知らない人間はいないだろう。

そしてあの時、ニューヨークから来た少女の言っていたことは、全て的確に現実化していったわけだ。

彼女が言うようにあの教団はほとんどがいじめられっ子によって構成されていた。

なぜ彼らがあれ程までに自閉していったのか。
なにが彼らをあれほどまでに追い詰めていったのか。
ぶっちゃけそれは、それほどまでにも日本社会の津々浦々に蔓延していた、
このいじめ問題、それこそがそもそもの原因であったのではなかったか?





この世で最も危険なぶーた

Posted by 高見鈴虫 on 05.2014 アメリカ爺時事   0 comments   0 trackback
ぶっちゃけこれだけ情報が氾濫する世の中にあって、
だがしかし、不思議なことに、いまもっともたいせつd大切で、誰もが注目せねばならないあの大にうすだけは、
世界中のメヂアがこぞって一切知らぬ存ぜぬを決め込んでいる。

で、つまり、いまこの21世紀の世の中で最も危険なぶーたと言えば、まさに・・・

伊豆さん方による画材地区への親交の事件、である筈なのだが、
はははは、どこにも出てないなあ、きれいさっぱりと(笑

この見事なほどの言論統制。いやはや。
ご存知のように、いまや世界最大のタンこぶたん瘤化しつつある伊豆さん方。

一言でもそのことに言及しようものなら、
壁に耳蟻、どこぞから押し寄せてきたスズメバチの大群、
あるいは妙な黒服もみあげくりくりの方々に拉致されて、
なんてのがまさに洒落にならず、
あるいは、あることないことでっち上げられて仕事干されて
あることないこと裁判沙汰を山ほどでっちあげられて、
それこそ山のようなトラブルが一挙に押し寄せてくるという状況も十分に予想がつく訳で・・・

そんな中、弱いものいぢめ商法にかかりきりの日本のマスゴミなんか、
まさかわざわざそんなところに首を突っ込んで正義のヒーローを気取る気概などみじんこもなし。
(メヂアが真実追っかけないんなら存在価値ねえだろって。そんな糞みたいな仕事さっさとやめて百姓でもしてろっての)

がしかし、待てよこの時代、そう、いんたあねっとがあるじゃないか、
と思いきや、このグローバリゼーション社会の象徴たるインターネットこそが、
まさに宇多屋さんがたの独断場。

そう言えば、昔バビロンってな翻訳ソフトがあってさ、
あのソフトというかツールバーをインすとすると、
妙なパケが彼の地に向けて飛び始めるってのは有名な話。

なので俺、ぐるぐるっててっきり彼の地関連の会社なのだろうな、
とずっと思っていたぐらいでさ。
つまり下手をすればぐぐるで検索かけただけで調べの手が廻るんじゃないか、
なんていう懸念がまじである、というか(笑

という訳で、砂漠の民は世界中から見捨てられたまま瓦礫の下に埋められていく、という訳か。

はたして、それを、民主主義というのかね・・・(笑

はっきりいって、そういう宇多屋人、
那智豚なんかよりもずっと性質が悪くねえか?と思うがどうよ。

がしかし、だからと言って、浜茄子の肩を持つのか、というとぜんぜんそんなことない。

俺は実は一番たちの悪いのは浜茄子だと思っている。

浜茄子が学校や病院を武器貯蔵庫にしているのは本当の話だろう。

あるいはそうやって子どもにはっぱ背負わせてつっこませようという腹なのかな。

そう言えば、むかし淫乱を旅していたころ、
居合わせた兵隊から、日本人は偉い、とかなんとか言われて、
なんでだ?と聞いたら、
カミカゼは偉い。あの方法はベストだ、とかなんとか。
その後、淫乱の少年兵が爆弾抱えて胃楽の戦車に突っ込んで、
なんて話を聞いて、あちゃーと思ったものだが、
それが後の、自爆テロへと発展していく訳でさ。

ちなみにこの浜茄子ってのはしーあ波で、
寸煮波の或快打とはまさに点滴同士。

でこのしーあ波ってのがまた性質が悪くて(笑
自虐自己犠牲を美徳とするなんていう妙な特質がある。
つまりそう、かの自縛てろなんてのがお手の物な訳で、
自縛でおっちんではやいところ天国の鍵を手に入れよう、
なんてことをまじめに言っていた連中。
そんな連中にとりつかれた画材の方々。
良い様に利用された上に学校から病院から全て無茶苦茶。
まさに踏んだり蹴ったりも良いところ、ってのが真相なんじゃないの?

がしかし、それがたとえなに人であろうとどんな神様を信じていようと、
子を想い親を想い友を想いあの子を想う気持ちは変わらない筈。
つまり、こんな暴虐をあえて見殺しにするようなことがあれば、
その怨念はまさに世界中に向けて拡散していくであろうことは想像に難くない。

がしかし、ではいったい誰がこの時代に自身の個人的名声から将来からをうっちゃってまで、
世界平和のために正義のヒーローを演じる気になるのか、と。

ちなみに米国系の映画・テレビ・音楽関係者、全員腰砕け(笑

メジャーどころでは、
かのペネロペクルスとその旦那であるハビエル・バルデムが声明を出したぐらいなのだが、
正直、
ぐげええ、ってことはもうペネロペ嬢の姿をアメリカで見ることはできなくなってしまう、ということなのか、
と絶句してしまった訳である。
そう、それだけ、宇田屋じんの執念深さにはだれもがびびりまくっている訳だ。
まさに世界のスズメバチといったところ。

という訳で、栗宮といいこの画材と言い、まったくなんでみんなもっと幸せになれないのだろうか、とつくづく首を捻ってしまう。



すわっ! エボラ熱 ニューヨーク上陸!?

Posted by 高見鈴虫 on 05.2014 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
今朝一番、散歩の最中にまた駅前でフリープレスをピックすれば、

じぇじぇじぇじぇ! ニューヨークにエボラ熱上陸!?


ebolaNy.jpg


どうも西アフリカから帰った人が、原因不明の高熱で病院(Mt.Sinai)に収容された、
ってな話。

知らない人はいないだろうがこのエボラ熱、まじ洒落にならない。

こないだ俺の友達もアフリカから帰って来て、
で、エボラまじ洒落になんねえ、と連絡してきたのだが、
馬鹿、お前、潜伏期間過ぎるまで部屋から出るんじゃねえぞ、
と俺も必死(笑

あるいはつい先日、
国境なき医師団の米国人で発病した患者が、
アトランタの研究所に輸送されましたってなニュースが届いたばかりで、
よりによってサリーママのジェニーがその渦中にアトランタ出張。
サリーのことは引き受けた。もう帰ってこないで、とメールをしたばかり。

なんかそう、このエボラ熱、まじで洒落にならないニューヨーク。

ってな訳でこのエボラ熱。
まさに致死率90%にも上る訳で、
人種のメルティングポットのニューヨークなんてところに上陸したが最後、
まじ目も当てられねえというか、
あるいは、そう、毎日毎日世界中からとんでもない人々が出たり入ったりする
このスーパー交差点のニューヨークという場所。
防ごうとしても防ぎようがあるのか、ないのか、
あるいは、一度ニューヨークなんてところに上陸したが最後、
もうその感染は一瞬のうちに世界中にばら撒かれていくだろう、と。

ちゅう訳で、このエボラ熱上陸のニュース。まさに、リバティー島にゴジラ現る!
ぐらいにびっくらこいた訳だ。

まあでも、そう、その時はその時だけどね。
一応、いつでも逃げれるようにZIPCARの予約ぐらいは取っておこうか。

でところで、エボラ熱って犬にも染るのかな?
と実はそっちのほうが心配

エリザベス・ブッチ

Posted by 高見鈴虫 on 06.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback
セントラルパーク・シダーヒル 午前9時30分。
燦々と降り注ぐ朝の陽光。
緑の芝生を独り占めできるこの時間。
いつものように芝生の真ん中、新聞を読みながら日光浴。
ブー君はボール遊びの休憩で、木陰に陣取ってまた芝生ごろごろ。

とそんな夢のように長閑な朝の一時に、その事件は起こった。

いきなり背後で、ギャン、というブー君の悲鳴。

なぬ?と振り返った途端に飛び込んできたブー君。

目を見開いてしがみ付いて来て、なにかに驚いた時のしぐさ。

何だお前、なにがあった?

びっくりしたびっくりしたびっくりした、とさかんに顔を舐めるブー君。

だから何があったんだよ、と辺りを見回せどなにも見えず。

ただブー君の身体がぐっしょり濡れている。

おまえ、どこに行ってたんだ?と行っても目を離したのはものの一分弱の筈。

おまえそこにいたんじゃなかったのか?


木陰の辺りにはメキシコ人風の若いカップルが芝生に寝転んでいちゃいちゃしていて、
まさか犬など目に入らない風。

とふと観れば、ブーの右の太股に妙な赤いマーク。
芝生でゴロゴロやっている時に、落ちていた口紅でも付けてしまったのか、
と観るとその赤いマークがだんだんと広がっている。

むむむ?

でよくよく見てみれば・・ なんだ、これ、血じゃないか・・・!!

お前、よく見せてみろ、とやれば、ブー君はその赤い点を痛い痛い、と隠したがる。

お前、噛まれたのか?なにに?もしかして刺し傷?誰が?
あるいは、蜂?でも蜂に刺されて血が出るか?

慌てて辺りを見回してみるが、誰もいない・・

もしかして芝生の上にガラスの破片でも落ちていたのか、と見れども、なにもなし・・
それに、この辺りはスプリンクラーの水も届かず、なぜブー君がこんなに濡れているのか検討もつかず。

おい、お前、何があった?と改めてブー君を振り返れば、なんか痛い痛い、とびっこを引いていたのが、
パニックから立ち直るに連れてそれほど気にならなくなったようで、さあボール遊び再開、と跳ね回っている。

なんだか、妙だな、とは思いながら、ぶらぶらとボートハウス・カフェへ移動。

いつもの面子、朝の散歩の途中で朝食を取っている犬仲間。

やあやあ、とご挨拶しながら、そう言えば、これ、なにかに刺されたみたいなんだけど、と聞いてみれば、

なぬ?ちょっと見せて?と集まってきた連中。

なんかこの傷・・深いよ・・と言われて改めて見れば、そう言えばそう。
白い短い毛並みに覆われた太股のその真ん中に、ぽつんとひとつの赤い穴。

なんかこれ、傷じゃないよ。穴、つまり刺し傷じゃない?なにがあったの?

いや、わからない。ちょっと目を離したらいきなりギャンって悲鳴上げて。

犬の喧嘩?

いや、犬はいなかったと思う。

それに・・ いきなりギャンって言ったんだよね。普通犬の喧嘩ならガウガウ、とかやるでしょ。
いきな、ギャンって悲鳴上げてすっ飛んできた。

でもこれ・・なんか犬の噛み傷みたいに見えるけど・・

でもひとつだよ。普通の犬の噛み傷なら二つ、あるいは上下のよっつの穴が開くはず。

それに、うちのブッチがまさかこんなところを他の犬に噛まれるなんて、あまり考えられない。

だったら蛇?まさか。
だったらラクーン(アライグマ)?あるいはねずみ?

うちのブーがねずみやアライグマに噛まれる?
いやまさか・・
この筋金入りにすばしっこいブッチがねずみやアライグマにやられるなんて、
なにがどうあってもありえないと思う。

という訳で、みんなで首を傾げながらしかしなにがどう考えてもなにかがおかし過ぎる。

がしかし、当のブー君は至って元気そのもの。
ただ、カフェのテーブルの連中に取り囲まれて身体中撫で回されて不振顔。
なんだよなんだよ、なにすんだよ、と逃げ回り初めて・・

でもまあ、ほら、こんなに元気だし、大丈夫なんじゃないの?とそのまま珈琲でも飲もうか、
と思っていた俺に、

ねえ、病院行ったほうがいいんじゃない?と言われて、むむむ、やっぱりそうかな。。

ほら、何に噛まれたか判らないしさ。

つまり、ラクーンとかねずみとかだと、狂犬病感染の危険もあるし・・

もしかして毒蛇とか?

まさか・・ でもそれだったらもう死んでるんじゃない?

あのなあ・・

いずれにしろ、これ掠り傷じゃないし、一応医者に行っておいたほうがよくないかな、

と促されるにつれて俺もだんだん不安になってきた。

という訳で、朝の珈琲をふっきって、慌ててセントラルパークを突っ切って掛かりつけの獣医さんへ。

なんだよなんだよ、なんで俺がこんなところに・・といきなりパニックのブー君を抱え上げて、
急患です!なんか公園でなにかに噛まれたみたいで。。

生憎今日は予定が一杯と言われながらも、救急扱いでスタンバイにします、と言われて待つこと30分。

さあ、こっちに、と綱を引かれて、じぇじぇじぇじぇ、と驚くブー君。

嫌だ、嫌だ、医者は嫌いだ、と思い切り抵抗しながらも、押して引っ張ってと大騒ぎの末に診察台の上。

いや、これ、犬の噛み傷だね、とお医者さん。

でも、傷はひとつでしょ?

まあ、そうなんだけど・・ この傷だけを見る限り、まさに犬の前歯。

それがひとつ?

そう。犬の前歯の穴がひとつ。それもかなり深い。

それってどういうことですか?

つまり、いきなりがぶっと噛まれた?

いやそれにしても・・

いやはや、と首を傾げるお医者さんと俺。。で、ブー君、いったいなにがあったわけ?
と聴けども、いや、そんなことより俺は早くここから帰りたい、とそればかりのブー君。
てんぱったへらへら笑いを浮かべながら、あわよくば診察台から飛び降りて闘争を図ろうとチャンスをうかがっている。

取り合えず、傷の洗浄をしないといけませんね、と先生。

そうかな、そんなたいした傷には見えないけど。家でちょっと薬塗ってじゃ駄目ですか?

いや、もし犬の噛み傷だとすれば、ほら、傷がこれだけ深いと必ず膿むと思うよ。そうなると熱が出て三日四日苦しむことになるし。

ふむふむ。

犬の歯って凄く雑菌が多くて、人に限らず犬に限らず、その噛まれた傷、といういか、穴、は必ず膿むらしい。
で、その感染症から二三日すると熱が出てくる、と。

妙な病気にならないうちに治療しておきましょう。

ついでに、と先生。一応、狂犬病の注射も打っておかねば。。

という訳で、診察室を出て奥の治療室に消えたブー君。

床に両手両足を踏ん張りながら、助けて助けてと後ろの俺を振り返りながら・・


そしてブー君を失った俺。一時間後ぐらいに連絡します、と言われてなんとも宙ぶらりん。
その間にも次から次へとやってくる患者たち。
下痢をした、喧嘩をした、熱がある、健康診断で、なんか食欲がない、と次から次へと。

という訳でそんな混みあった診察を追い出されればお昼時。

病院を出たところで、よお、と知り合いに声をかけられ、
どうした?え?噛まれた?ブッチが?誰に?いや、それはありえないな、だってあのブッチだろ?逆ならありえるが・・
とまさに、そう、俺と同じ意見。

そうなんだよ、考えてみれば、ブー君が噛まれた、というのはこれが初めて。

喧嘩となるといつも謝るのはこちらだった訳で、そうかこの妙な違和感とはつまりはいきなり立場が逆になってしまったことによるものなのか。

一時間というといったいなにをするつもりなのだろう。まさかいきなり麻酔を射たれてそのまま帰らぬ人、なんてことにはならないだろうな。

いきなりブー君がいなくなったとたんに、そんな不安が次から次へと湧き上がってくる。

というわけで、たまにはブー君が居ないときに美味いものでも食ってみようか、などという浮気心とは程遠く、もう心配で心配で食欲など吹っ飛んでしまっている。

という訳で、アパートに帰り、そわそわとテレビをつけたところ、いきなり電話。

ああ、いま終わりしましたよ。麻酔も打たずに大丈夫でした。すぐに迎えに来てください。

という訳で、取るものも取り合えずすっ飛んで行く。

見れば、首の周りにかのエリザベスカラーを巻いたブー君。おいおい、お前、まるで襟巻きトカゲ。


erimaki1.jpg



で、白い太股のど真ん中を四角く剃り上げられて、その真ん中に赤いかさぶたがひとつ。


erimaki2.jpg



抗生物質と痛み止めを渡されて、はいお大事に、と見れば請求書が250ドル。

傷の洗浄と狂犬病の注射、そして薬代、という訳だが、うーん、この請求額、果たして高いのか安いのか・・

がまあ、ブー君、どういう訳かこのエリザベスカラーがお気に入りのようで、右に左に振りながら、さあお散歩行こう、と大ご機嫌。

いやいや、この身体でドッグランは無理だし、とすごすごとアパートに帰る。

という訳で、いやはや大変な目にあったな、と改めて。

おっと、エリザベスカラーがひっかかってソファーに乗れずにこけるたびに、がはははは、と笑うブー君。なんか妙にお気に入りのようである。

という訳で、いやはや、いきなりのこの騒動に一日をまるまる持っていかれてしまったのであった。



超高級五つ星レストランでマグロ漁船を思う

Posted by 高見鈴虫 on 06.2014 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
レストラン・ウィークである。

ニューヨークの高級レストラン、普段はその値段から早々と手の出ない高級レストランが、
この期間に限り、プレフィックス・メニュー $39 の大奉仕。

で、そう言えば、犬の散歩仲間であるグレッグさん、実は知る人ぞ知るのカリスマ・セレブシェフ。

その手のテレビ番組にも多数ご出演なさっている方、な訳だが、俺たちにとってはまあ、犬仲間。

という訳で、このレストラン・ウィーク、

どうせならそのグレッグさんのお店で食べてみようよ、ということになった訳だ。

という訳で出かけたミッドタウンのレストラン。

まさに、おいおい、これ、どこぞの宮殿?というぐらいの壮健な佇まい。

がしかし、集まった面子は揃いも揃ってTシャツにジーンズにスニーカー、あるいはサンダル・・・
まさに、犬の散歩の途中のような連中ばかり。

としたところが、店に足を踏み入れた途端、お店の一同が勢ぞろいして、お待ちしておりました、の挨拶。

なんだなんだ、といきなりのVIP待遇。

で、店の一番良い席、であろう宝石色のシャンデリアの下、
頼みもしないうちからワインだマルガリータだシャングリラだ、が並び始め、
お店のマネージャーじきじきに、メニューのご説明、と同時に、
いきなり超大皿一杯のオードブルのスペシャル、おいおい、と目を丸くしながらも、
一口つまんでみれば・・・う、う、う、美味い!!!

舌の上にわっと広がるそのいかにも高級な香り。

これはまさに、キャビア、そしてそのとなりはトリフェ、そしてその隣りが、おお、これもしかしてウニ?

という訳で、なんだなんだなんだ、と目を丸くする中、いやはや、次から次へと並ぶに並ぶ高級料理の数々。

そのどれもがまさに、ぐうううう!@#$%の美味さ。

がしかし、、そう、人間の胃袋には限界というものがある。

テーブルところ狭しと並ぶ大皿の数々、
南仏の、イタリアの、チリのカナダのオーストラリアの、
で、もうアペタイザだけでもう既に満腹状態、

とその皿が消えたと見るや、いきなり並び始める特大ステーキとパスタとシーフード、
そしてまさに極めつけ、超特大お化けロブスター!!

がしかし。。まじでもうお腹一杯なんですが・・・

がしかし、そう、ここまでしてもらってしまっている訳である。
そのご感謝だけでも、まさに大感激である訳なのだが・・・
うーん、悲しいことに、そう人間の胃袋には限界というものがあるわけで・・・

がしかし、そう、そんなご好意に顔を背けるわけにも行かず・・・

という訳で、もう必死の思いで平らげたメインディッシュ。
いやあもう一年分食べた。あとはもうクリスマスまでなにも食べなくても大丈夫、というぐらいの満腹感。

としたところ、はい、お次はこちらです、と並び始めたチーズの山、山、山。

で、目がまん丸なところに、まさに駄目押し、とばかりに並び始めたデザート。

おいおいおい、これはいったいなんなんだ・・・・!@#$%


とそんな時、ふと脳裏をよぎるあの記憶。

かつて、新宿裏通りの「食い放題 1500円」ってな看板に誘われて足を踏み入れた妖しい焼肉屋。

で、食い放題?これがぜんぶ?おおおおおお!!!と盛り上がっては、頼むだけ頼んでしまった赤肉の山。

ああ、食った食った、大満足です、と帰ろうとしたところ、

ちょっとちょっと、お客さん、この食べ残した肉、この代金は別会計となりまっせ、と。

え?別会計?と見るや、んだんだんだ、この金額・・・

払えない?払えないってのはどういうことだいね、といきなり出てきた怖いお兄さんがた。

なぬなぬ、つまりそういううこと?というわけで、この肉食わねば一生皿洗い、
あるいは、そう、いきなりマグロ漁船に乗せられて遥か水平線の彼方ということか・・・

という訳で、もう必死であった。
食うということがこれほど恐ろしいことだとは知らなかった、というぐらいにまで食って食って食いまくらされたあの焼肉食い放題地獄。

まさに、これだけまでに満腹の上に満腹を重ねたのは、まさにあの焼肉食い放題事件、以来であった訳だ。

という訳で、必死であった。食べに食べに食べまくった。

それもまさに、すべてが5つ星の超高級料理。

幸にも不幸にも、こんな思いができるというのもニューヨークならでは、そしてそう、もつべきものは友達、あるいは犬・・
という訳なのだが、
まじで、胃袋がみしみしみし、と張り裂けて、内臓がどばーっと弾け飛ぶ映像が脳裏をよぎっていた訳だ。

五つ星超高級料理店でマグロ漁船を思う、なんとも稀有な体験であつた。

いやはや・・・

エリザベス・カラーの弊害

Posted by 高見鈴虫 on 07.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback
という訳で、にわかエリザベス・カラーのブー君である。
以前このカラーを着用したのは、いつのことだっただろうか。
取りあえず、前回の時のように、カラーをなにかのおもちゃと勘違いして日々格闘を演じる、
なんてこともなくなって、いまは落ち着いたもの。

一度外したカラーを着用するときにも嫌がりもせず、
自分から進んで頭を差し出すぐらいである。

ソファやらベッドやらに飛び乗ろうとしたときに、
おもわずカラーの端がひっかかってずるっとこける。
そのこけるのが面白いらしく、へへへへ、と照れ笑い。
不便さを面白い、と感じるその感覚の斬新さに、
うーん、こやつできる、と思わず関心してしまう。

散歩の時にも、どういう訳かそのカラーがちょっと得意げで、
ともすると、だれだれのお家に寄ってこのカラーを自慢しよう、
というつもりなのか、友達の住むアパートを次々と訪ねては、
ロビーの前でがんばったりもする訳だ。

がしかし、さすがにご飯を食べるとき、
ともするとご飯や水の入ったお皿がカラーに引っかかってしまったり。
いやはやこれには参った、と、その時ばかりはちょっと恨めしげに、
ねえ、これちょっと外してよ、と俺を省みる。

がしかし、それ以外には特に問題は無さそうだ、と思っていたのだが・・

どうもカラーをしてからというもの、ブルブルと首を振る動作が増えたな、とは思っていた。
多分、ちょっと邪魔なのか、
あるいは、ブルブルと首を振ってエリザベスカラーがくるくると廻るのを喜んでいるのか、
ぐらいに思っていたのだが。

で、本日、もう傷もかなり乾いて来たし、目を離さなければ傷口を舐める心配も無かろうとカラーを外してみた訳だ。

とした途端、待ってましたとばかりにまず始めたのがソファーの上で背中ゴロゴロ。
お腹を出して両手両足を思い切り広げて、ゴロロゴロゴロゴロと転げまわっては、
うーんと身体をゴムを引っ張るように身体を長く引き絞って伸びをしている。
ああ、カラーをしているとこれができなかった訳か。

そして顎の下をゴシゴシと擦り。
ああそうそう、ご飯を食べた後によくこれをしていたが、
カラーをつけていると口もぬぐえなかった訳だね。

とそして、後ろ足を上げて、首の周りをコリコリと掻きはじめ、
そして顔の右側左側と交互にゴシゴシとソファに擦っている。

で、そう、そう言えば・・・カラーをし始めてから、なんとなく顔がこ汚くなったな、という気はしていたのだ。

つまり、こいつはこいつで普段は色々と身だしなみをしていた訳なのだな。

で、ついに問題に行き当たった。つまり、耳が痒かったのである。

首とそして耳の後ろと、そして頭の上。

コリコリと後ろ足で掻くたびに、白い抜け毛がふわふわと漂っている。

そうか、抜け毛か。
よし、ちょっと待ってろ、とブラシを持ってきて、はいはい、どこが痒い?
と首の周りから耳から顎の下から首から、とブラシをかけて行くと、
なんとも恍惚とした顔で目を瞑り、もっともっとと前足を上げて催促をする。

そっか、やっぱりエリザベスカラーをしていると凄く色々なことが不便だったんだな。

と見れば、手元にはまさに毛糸の玉のような巨大な白い毛玉が出来上がっている訳で、
改めてカラーを着用することの不便を思い知った訳だ。

どういった事情でかエリザベスカラーをしている諸氏、たまに外した時に、身体中のブラシは忘れられませんね。

ではでは。

もしも「犬用のテレビ電話システム」なんてものがあったら・・・

Posted by 高見鈴虫 on 07.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback
ブーをひとり家に残して留守にするとき、
あああいつが一人でいるときになにかあったらどうしよう、と、
ふと不安になる時がある。

特になにか薬を飲んでいる時や、
あるいは朝にちょっと元気が無かったり、ご飯を残していたり、下痢をしていたり、
そんな時、ちょっと嫌な予感がふと胸をよぎったりもする訳だ。

仕事中は勿論のこと、
久々の友人と会ってゲラゲラと笑い転げているときなんかでも、
ふと、あいつ大丈夫かな。。と思うと、なんとなく落ち着かなくなったりもする訳で。。

がしかし、時代はすでに21世紀だ。

そんな心配など、てっくのろじいいの進歩でどうにでもなるだろう、と。

という訳で、犬でも使えるテレビ電話システム!

もしもそんなものがあれば、非常時には自分から電話してくれる訳ですっかり安心、
なんてことも考えてみないでもないのだが・・

がしかし、、むむむ、待てよ、もしもそんなものが本当にあったりしたら・・・・とふと考えてみる。



victor.jpeg





特大モニターの前、WEBカメラの前にドラ焼き大の巨大なボタン。
それに前足をポンと乗せると、ピピッピ、と自動ダイヤルが始まって、
あら不思議、俺の姿が目の前のモニターに映し出される、ってな仕組み。

という訳で、たまの外出先にいきなりIPHONEが鳴る。

で見ればブー君である。

おう、どうした?と出れば、カメラの前で、へっへっへ、といつものようにニカニカ笑いをするブー君。

なんだよ、起きたばっかりか。よく寝たね。

と言えば、あーあ、と大口を開けて大あくび。

はいはい、判った判った。で、どうした?

と聞けども、へっへっへ、と大口開けてニヤニヤ笑い。

なんだよ、判った判った、いま昼寝から覚めましたってことか。はいはい、もうちょっとで帰るからお留守番しててね。
じゃねー、と電話を切る。

だれ?と連れ。

ああ、うちの犬。

犬?犬が電話してくるの?あれまあ。

昼寝から目が覚めたよー、って。可愛いだろ?

なんて言ってるそばからまた電話。ふと見ればまたうちの犬。

はいはい、と電話に出る。どうした?なにかあったの?

と聞けば、へっへっへ、とまたニカニカ笑い。

だからなんだよ。お腹すいた?さっき家を出る前におやつあげたでしょ?水はちゃんと入れてきたし・・

と言っても、へっへっへ、と笑うばかり。

まあ笑っている分にはなにか非常事態という訳でもないようだし、だったら切るよ、とプツリ。

なんだって?

さあ、ニカニカ笑ってるばかりでさ。

へえ犬って笑うんだ。

犬は笑うよ。うちの犬なんか始終笑ってばかりいるよ。

へえ、見てみたい、と言ってるそばからまた電話。

はいはい、なんだよ、どうしたの?と何を聞いてもニカニカ笑い。

ほら、こうやってニカニカ笑ってばかりいてさ、と連れにIPHONEの画面を見せれば、

きゃははは、本当だ、笑ってる笑ってる。ハロー、ブッチ君、HOW RU !?とはしゃいだ声の連れ。

そんな連れの声に、むむむ、と怪訝な表情で首を傾げるブー君。

だからブー君、もうちょっと待ってて、すぐに帰るから、と言ったとたんにいきなりぶちり、と電話を切るブー君。

なんだよあいつ、嫉妬してるのかな。

としたところ、いきなりまた電話。

おい、だから何だっていうんだよ、と。そんな声にも、へっへっへ、と笑ってばかりのブー君。

やれやれ。。。

という訳で、犬用のテレビ電話。用もないのに5分はおろか、1分おきに電話がかかって来て、
でつながった画面にはいつも、へっへっへ、と大口開けてのニヤニヤ笑いばかり。

あのなあ、といい加減うんざりしてきて、居留守を決め込めば、
あれ、なんかかかって来なくなったけど、と逆に心配になってかけ直せど、
今度はちっとも電話に出ようとしない。

途端に心配になって、ちょっとやっぱり俺、帰るわ、とタクシーを拾って家に直行。

おい、大丈夫か、なにがあった、とドアを開ければ、

きゃっほう!帰ってきた帰ってきた!と大騒ぎするブー君。

なんだよ、お前、担ぎやがったな。。。

という訳で、せっかくの外出も敢え無く尻切れトンボ。

くっそう、こんな糞電話なんか覚えさしちまったもんだから、逆に四六時中気になって仕方がないぜ。

****

と、こうなることが既に目に見えているこの犬用テレビ電話システム。

そういえば昔、もしも犬が言葉をしゃべったら、なんて想像してみて・・・・

もうねえ、お腹すいた、なんか頂戴、ソーセージ頂戴、チーズ頂戴、クッキー頂戴、なんか頂戴、お腹すいた、
ばっかりでさ、ほとほと嫌になったよ、

なんて会話を想像してみたものだが、そう、この犬用テレビ電話システム、似たような理由であまり上手くはいかないと思う。

もしもうちの犬が人間だったら・・・ そう考えただけでもううんざりするぐらいのキャラだ、ということだけは知っておいたほうが良い。



アメリカ料理の真実

Posted by 高見鈴虫 on 09.2014 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
という訳でレストラン・ウィークである。
普段はちょっと敷居の高い一流どころのレストランが、
均一ランチセットが$29ドル、
ディナーフルコースで$39の大特価である。

でなんだかんだで連日連夜の高級レストラン巡り。

と言う訳なのだが、それがそれほどおいしいか、と言われると・・・(笑

なぜかといえば、ぶっちゃけ塩っぱいのである。

アメリカン、フレンチ、イタリアン、チャイニーズに限らず、
アメリカ人向けの料理は、決まって、極端に塩っぱいか、
あるいは、妙に甘い。

特に我が家の食卓は塩分極力抑え目、化学調味料厳禁の超健康食ばかり。

外に食べに出るたびにその料理の塩分の半端なさに驚かされることになる。


が、しかし、そんな俺たちにほんとど大抵のアメリカ人は、え?と首を傾げる。
塩っぱい?そうかな・・・正直に言えば、なんとなく味が薄いような気がする・・・

本当だったら、ケチャップ持ってきて、と言いたいところなのだろうが、
さすがにここはニューヨーク。それだけは勘弁、ということぐらいは判っているのだろうが。

そう、そうなのである。

ここニューヨークだからこの程度で済んでいるが、
この街を少しでも離れた、つまりはアメリカの田舎、
ひとたびニューヨークを出た途端、その料理の塩辛さと言ったら、まじでとんでもないのである。
もうまじで、これなにかの冗談のつもりか?というぐらいに、
舌の上から唇までひりひりするぐらいに、塩塩塩。

マクドナルドやバーキンにしたってそうなのである。
もう少しまともそうなアップルビーやデニーズなんてところに行ったら、
逆にその塩加減が倍増されたりもする訳だ。

で、改めて思うのは、なぜアメリカ料理はこれほど塩っぱいか、な訳である。

ちゅう訳で、種明かしである。

なぜアメリカの料理はこれほどまでに塩っぱいのか。

そしてアメリカの田舎に行けば行くほどに、MSGの量が増え、そして油っこくなっていく、
その理由とは、と言えば、まさに、

コーラ、である。

そう、アメリカの料理は、コーラ、あるいはビールを飲みながら食べることを前提として作られているのである。

つまり、アメリカの料理は全て、居酒屋のつまみ、のようなもの。

つまり、コーラをあるいはビールをおいしく頂くためのそのおかずである訳なのだ。

という訳で、そんな塩辛い高級料理。思わずコーラ、と言ったら、やはり出てくるコカコーラ。

そう、アメリカではたとえ5つ星の高級レストランであっても、コーラだけは絶対に欠かせないのである。

それはまさに、アメリカにおける前提であり、常識であり、マナーなのである。

白いテーブルクロスのキャンドルライトのテーブルに、クリスタルのタンブラーになみなみと注がれたコーラ(笑
それこそがまさにアメリカの真実なのであった。


失業ハイパー ~ BJ族

Posted by 高見鈴虫 on 09.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
今日も今日とて一日中、図書館に篭って試験勉強である。

冷房の効き過ぎた冷蔵庫のようなリーディングルームに座って、
LAPTOPとIPADとIPHONEと、そして参考書にノートにぷりんとあうと、
をこれでもかと積み上げて、真夏の最中からダウンジャケットのフードを被って、
とまさに山篭りの禅寺修行の気分の日々である。

ここの図書館、パフォーミングアーツ専門とのことで、
PCやIPADの電源とLAN用のJACKがあるのが嬉しい。

という訳でそんな図書館にいる人々。
こうして毎日通っていると、だんだんと集まるメンツの顔つきも覚えてくる。

まずは老人、これは完全な暇つぶし。
あるいは学生、これは完全な遊び半分、あるいはたたの待ち合わせ、
か、ただたんにIPHONEの充電に立ち寄っただけ、という感じ。

で、そんな中、一際糞まじめに一心不乱にページを捲る人々。
それこそはまさに、BJ、つまりはブロウジョブ、
じゃなくて、俺のような Between Job
つまり、失業中の人々なのである。

改めて、このBJ族がたくさんいることには驚かされる。

でそんなBJ族。神妙な顔をしてレジメを書いていたり、
あるいはそう、俺のようになんらかの資格試験の勉強をしているのである。

一応景気上向きの筈のNYC。
選ばなければいくらでも仕事などある筈、ではあるのだが、
だしかし、それだらこそ、この時期になんとかキャリアのアップグレードを狙っている訳だ。

なんだかんだ言ってアメリカも学歴社会である。
MBAなど持っていて当然の世の中。
だからと言って仕事がそれだけできるのか、というとまあそれは言わないで置くとして、
まあそう、そういう輩が多いのは確かである以上、それを持ってないということは明らかに不利なのである。

そんなアメリカのキャリア社会。
華々しくNYC生活を満喫できるような選ばれた連中はごく一握りのそのまた一握り。
でほとんど大抵の人々は、やはりルーティーンという檻の中。
ひとたび、はいあんたの仕事はこれ、と決められたら、
余程のことがない限りはその仕事をずーっとやり続けることになる。
仕事も変わらなければ当然給料もそれほど上がらない。
という訳で、アメリカ人は実によく転職をする。
レジメが二枚三枚でも足りないぐらいの強者がうじゃうじゃいる。
だからと言ってそれだけ仕事ができるかというと、はまあいいとして、
取り敢えずそういう世界な訳だ。

という訳で俺も、安易に前職の類似職を渡り歩くよりは、
前職の退職金が残っているうちに、ここらでなんらかの資格を取ってキャリアアップを狙わない限り、
いずれはジリ貧の先行き、あるいは、はい、今日でおしまい、と肩を叩かれる日が見ている訳である。

そしてまた、そうやって苦労してGETした資格も、
何年ごとにやってくる更新試験にパスしなければそれを持続することができない。
そう、アメリカはつまりは試験勉強社会である訳だ。

という訳で、図書館にはそんな試験勉強の人々が一杯である。

そして俺もその一人。

一心不乱、とまではいかないものの、YOUTUBEでオペラなどをピックしながら、
居眠り半分にコーヒーをすすり、ナッツを齧りながら、試験勉強を続けている訳である。

心底やれやれ、ではある。

失業ハイパー ~ パンクな金曜日

Posted by 高見鈴虫 on 09.2014 音楽ねた   0 comments   0 trackback
金曜日。5時過ぎ。。

カタギであれば、花の金曜日、
さあああ、一週間が終わったぞ~、どこに飲みに行こう!
のはずである金曜日が、

しかし、失業ハイパーの俺的には、
ああ、また一週間終わっちまった、しかもまだまだぜんぜん進んでないじゃないか、
のド焦り状態。

できればここまでは今週中に終わっておきたかった、というそのしおりまで、
あと・・・・30ページ・・・あのなあ・・

ちゅうわけで、
くぅぅぅっぅぅっそったれ、、もうやってられねえ、と思わず、LAPTOPを空高く放り投げ、
IPADとIPHONEを手裏剣のように壁に投げつけたい、そんな金曜日の夕暮れ。

ダメだ、完全に終わった。もうやってられねえ、限界だ、と思ったとたんにもうなにも頭に入らなくなった。

という訳で、YOUTUBEである。

もうここまで来たら、オペラだ、JAZZだ、ぱこでるしあだ、どころか、
ZEPもストーンズもイギーもちゃらくせえ、な訳である。

そう、もうここまで来てしまった以上は・・・
もうとどのつまりはセックス・ピストルズ、これしかない!!


sexpistols001.jpeg


ちゅう訳で、セックス・ピストルズである。

俺の十代を完全に呪縛していたこの史上最悪の糞バンド。

音楽史上、これほど世の中を舐めきっていたバンドというのは他に例を見ない。

絶望的なまでに投げやりで、腹の立つほどちゃらんぽらんで、そして徹底的なまでの暴力性。

暴力に始まり暴力に終わる、暴力以外にはなにもなかったというまさに史上最大の糞バンド。

楽器の上手い下手だ、やら、音楽性やら、なんて次元にはまるで関係のない、
ただがなって騒いで暴れまわるだけ。
そのうちには音どころかライブそのものまで完全にぶっ壊してしまった以上はバンドでさえもなかった、という、
なにからなにまでが徹底的にクズに徹しきったゴミバンド。
挙句に女ぶっ殺してシャブのODであの世行き、という訳で、
これほどまでにロックしたロックなバンド、やはりピストルズこそがその専売特許だろう。

そしてそう、そんなピストルズの持つ、まさに絶望的なまでの投げやり、
まさに狂気にも近いほどの自暴自棄なヤケクソのフルパワー、
それこそが俺たちが痺れていたもの、そのものだったのだ。

そう、長らく忘れていたが、そういえば俺はパンクであった。

不良やつっぱりや、そんなものじゃない。俺はただたんに、パンクであろうとしていたのだ。

そのパンクというのは、まさにこのセックス・ピストルズ。

あるいは、セックス・ピストルズ以外にパンクなどなかった。

俺から言わせれば、ジャムもダムドもクラッシュもパンクではなかった。

セックス・ピストルズこそが、唯一無二のパンク、そのものの体現。

という訳で、ピストルズにこそパンクの全てが集約されていた。

そしていま、このYOUTUBEにも、そんなピストルズのパンク魂の片鱗が残されてる。

不思議なことに、いまから見るとジョニー・ロットンはあまりにも無様過ぎる。見ていて痛い。辛い。吐き気がするぐらいにみっともない。
が、そこへ行くとやはりシド・ヴィシャス。
やはりこいつこそ、楽器の演奏など一からなにもできなかった、
つまりはミュージシャンでさえもなかったこのひとりのただたんなる知恵足らずの野獣、
その人こそがまさにパンクの体現者、そしてパンクの殉教者であった訳だ。

SidVicious001.jpeg


SID VICIOUS YOUTUBE MIX



いまだから言える。
パンクほどにどうしようもない奴らはいなかった。
あるいは、とことんまでどうしようもなくあること、こそがまさにパンク。
ドキュンもドキュン、がドキュンもここまで来たら天然記念物的にすげええ、というぐらい、
まさに、フリークス、あるいはただの狂人。

そんなパンカーたちは、自分自身以外にはパンクを認めようともしなかった。
自分を含めて世間の一切合切をすべて嘲笑っていた。

ちょろいやつから、パンクが好きだ、なんて軽口叩かれると、
それだけでむかついて、あ?んだとこのやろう、ぶっ刺すぞ、と、いきなり飛び出しナイフ、
あるいはビール瓶かち割って、死ぬほどびびらせてやろうか、
と、まあそういうのが正しいパンクのあり方。

あの野郎、完全にラリってる。何しでかすか判らないぜ、と、
暴走族どころかヤクザさえもビビらすその無茶苦茶さ。

んだこのやろう、いつでも勝手におっ死んでやらあ、の自爆パワー。

なにが土曜の夜にち~ちーぱっぱだ馬鹿野郎、と族の集会に火炎瓶投げ込んで、
ヤザワもギンナワも小便くせえぞ、と手鼻飛ばして、俺たちはやっぱりピストルズ。

やっぱ部屋に単車があるようじゃなくっちゃダメだよな、と部屋の中に単車を入れるためにはどうしたらよいかと、
真剣に考えていたのだが、なんてことはねえ、ただガレージに住んでいた、ってだけの話だったんだがな。

という訳で、そんなピストルズもいまとなっては完全な道化。
勝手に死んでろ、と思っていたわけだが、
どうしたことか、
この失業ハイパーの最中、いきなり身体中をピストルズのパワーがみしみしと締め上げ始めている。

そういやあ、最近なんかパンクがつまらねえと思っていたら、
そう、ボリュームを最大にしていなかったからだろ。
もう低音も高音もむちゃくちゃに歪みまくった大爆音で聴くことこそパンクの醍醐味。
それでこそパンク。パンクが音楽であってはいけないのであった。

という訳で、カモン・エブリボディ~である。チャイニーズ・ロックである。猫殺しのNO FUNのアンチ・クライスタの、
そして徹底的なまでに NO FUTURE なのである。

ああ単車ぶっ飛ばしてえ、なんてそんな言葉を思わず。

ちゅうわけで、そう、
俺は実に、中学高校と俺の頭の中はこればっかりだった訳だ。

あの頃の俺はまさに朝から晩まで、この爆音が目一杯に鳴り響いていたのだっけ。

そんなガキがまともな社会生活が送れるわけがねえ。
そう、そうだった。俺はこんなだったのだ。
いま俺がこうしてこうなってしまっているのもつまりはこれが理由だろう、と。

ちゅうわけで、大爆音でピストルズを聴いていたらいきなり目が覚めた。
あるいは、パスが引けた、というところか。

ああ、くそお、思い切りぶん殴りてえ、と思いながらトイレへ。
鏡に向かってファックマークでつばを吐いて、できればそのまま、
鏡に映ったてめえの顔に蹴りを入れてこなごなに割ってしまいたかったが、
悲しいことにもうそこまでは足が上がらないであろう。

とそして、ふと便所の鏡に映る俺の姿・・・

なんかこれ、つまり、シャブ中の失業者そのもの、ではないか。

そう、俺はもうすでにパンクでもピストルズでもなんでもない。

SIDは19歳であったからパンクの体現者であれたのだ。

SIDがこの歳まで生きさらばえて、そしてこうして図書館の臭い便所の中で目を血走らせていたら・・・
それはただのぶちきれたシャブ中の失業者、ただそれだけ。

そしてそんな壊れたクズはこの世の中にはまさに履いて捨てるほどに沢山いて、
そしてそんなどうしようもないクズが意味も無くぶち切れて暴れ始める、
なんてニュースもまさに日常茶飯事。

なんだよ、俺もただたんにいわゆるひとつの類型に過ぎねえっことかよ、といきなりすーっと血の気が引いてしまった。

ちゅう訳で、なんだ、そう、徹底的に目が覚めた。

はいはい、そうと判ったらさっさと勉強に戻りなさい(笑

猛暑見舞い

Posted by 高見鈴虫 on 10.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
日本の友人(ダチ)から連絡がない。

普段は、てめえ、しつけえぞ、というぐらいに届くメールが、
ここのところ、まったくの音信不通。

俺と同じ世代というとつまり奴もすっかり中年である。
お互いに「不良」であった手前、ちょっと長生きをし過ぎた、というばつの悪さを感じている、
そんな年齢にある。

そして奴はいまだに独り身である。

女にもてない訳では決してない。
少なくとも大学時代にはそれこそモデル級の女をとっかえひっかえしていたことを知っている。
が、それがどうした、な奴であった。たかがそれしきのことじゃねえかよ、と何食わぬ顔で肩をすくめてみせる、
そんな奴であったことを俺は知っている。

単車とブルースと現代芸術をこよなく愛する男であった。
女も金も名誉も、その中にはきれいさっぱり含まれていなかった。

そしていまだに定職はない。

が、無能な訳ではない。

20代の半ばにはそれこそ普通の人間であれば10年は軽く食えるであろう泡銭を手にし、
したとたん、ふっと行方をくらまして世界放浪の旅に出てしまった、つまりはそんな男である。

いまだにその世界の人々には名前ばかりそれなりに有名な「伝説のなんたら」であるらしいのだが、
本名、ましてや連絡先を知るものはその世界の中でもほとんどいない。

そしてその男が、俺にとっては数十年の時空を超えて、
いまだに連絡を取り合っている数少ない日本の友の一人なのである。

その男から、珍しく連絡が途絶えている。

これまで、世界中のどこに居ようとも、一ヶ月以上電話、あるいはメールが途絶えたことの無かった男がである。
そのほとんどに俺は返信すら出さなかったが、それでも俺がそれを読んでいる、だけで奴は満足であったのだろう。
俺の返信を待たずまた新たな、時として、あるいは大抵の場合、意味不明な自分本位な極直感的な書付、ばかりであったのだがそんなメールをせっせと送り続けていた奴が、である。

という訳で、正直、これはもしや、と思わなかった訳ではない。

そして、もしもそんなことが起こったとしたら・・

きっとどこぞの貧乏下宿で発見された身元不明の腐乱死体、
あるいは、どこぞのコーナーを曲がりそこねて、とそんなことが脳裏を過ぎる。

あの男が、である。

まあそんな最期を本人も覚悟の上でそんな暮らしを続けているのであろうが、
しかしそれが本当に現実に起こった時のことを考えて・・正直ちょっと焦りもした。

という訳で、これはまさに、掟破りでもあるのだが、今回ばかりは俺の方からメールを出すことにした。

まあつまり、よお、元気かよ、ぐらいなものなのだが、しかし、この短いメールの中に込められているもの、
つまりは、まさに、俺からメールをした、という事実がなにを意味しているのか、は少なくとも奴にははっきりと判っている筈である。

が、返信がない。

どこかに行っているのだろうか、とも思う。これまでに何度か、インターネットや電話どころか、郵便さえも届かないような場所に長逗留していた、ということも無かったわけではない。

がそんなときには事前に、どこどこに行く、ぐらいの連絡はしていたと思う。

そして半月が経った。

さすがにちょっと、その事態、を覚悟しなかった訳ではない。

幸いにも、奴の兄貴の勤め先は知っている。
日本人なら誰でも知っている大会社のそれなりの役職に就いていることも知っている。
最悪の場合は、そこに連絡を取ることになるかもしれない、と覚悟は決めていたつもりである。

そして一ヶ月が経った。

思わず、
てめえいい加減にしろよ、俺はなあ、てめえなんざの安否を心配してくれてやってんだぜ、
という気持ちを込めて、
おう、生きんのかよ、とだけ送った。
これだけで十分である。少なくとも俺たちの会話はこれだけで十分に意味を成しうる。

が返信はない。

ついにか、と思わなかった訳ではない。

まあ、あいつにはお似合いの最期であった訳だがな。
つまりはそう、嘗て知った結末。それさえも十分に予想していたものであった筈だ。
後腐れなく送り出してやろう。
どうせここ十数年はメールの中だけの付き合いであった。
たまに会うたびに、おう、死ぬなよな。ああ、いちおうな、が別れの挨拶であった俺たちだ。
奴が生きていようが死んでいようが、俺の現在の生活にそれほどの影響があるとも思えない訳だが、
しかしだ。
そう、奴は、少なくとも俺の数少ない日本人のダチ。その残りに残った貴重な生き残りの独り、な訳である。

が、そう、ここまで来れば、多分そうなのであろう。

その最期が腐乱死体であろうと轢死体であろうと、それはそれ、魂の抜けた後の屍に過ぎない。
そして奴の魂はすでに、こんな糞くだらない俗社会はとっくの昔におさらばして、別天地において燦然と輝いている筈である。
奴が死んでいようが生きていようが、それはもう大した問題ではない。
あるいは、奴の肉体がどんな状態であろうと、と言い換えることもできる。
そして、その肉体が滅びた後にも、ふとメール、あるいは脳内へのメッセージを送って寄越す、ぐらいはする筈である。

そういう訳かよ、とふと思ったりもした。
まあ死に目に会えるとははなから思ってはいなかったが、
行方不明、というのも、まさに象の最期を思わせるようで格好が良いとも言える。

そして俺にとっても、こうして俺の過去を知る唯一の証人は消え去った、
という訳で、逆に言えば、もう奴に対するてらいも言い訳も考えることなく、
この後の人生を思う存分にじたばたと生き恥を晒せる、という気楽さを感じなかった、と言えば嘘になる。
つまり、俺もようやく普通のおじさんに戻って生きられる、という訳なのである。

こうして俺は、奴のいない世界におけるその最初の45日間を滞りなく生きた。
そしてこの先、こんな日々がどれだけ続くのであろうか、と考えて、
それがたとえ明日であろうが、あるいは10年後、20年後であろうが、大した違いはねえだろう、
という事実にも気づいてしまった。

それはなんとも空虚で、そして、妙に気楽さを伴った、ちょっとすがすがしさもある感覚だった。

という訳で、そうやって二ヶ月が過ぎた。
俺はいつのまにか、奴のいない世界とやらにもしっかりと適応を始めていたのだ。

とそんな時だった。

それはなんの予告も予感もなく、限りなくぶしつけな一行の文字。

あちいよ

つまり、涼やかな快晴日の続くニューヨークとは打って変わって、
日本は記録的な猛暑。たぶん奴の事だ、エアコンなど使ってもいないであろう、そんな奴の部屋では、
暑くてメールの返信など書いてられる状態じゃねえんだよ、ということ、な訳か。

つまり、それほどまでに今夏の日本は暑い、ということであったのか。

ささくれ立った古畳に新聞紙を敷き、汗まみれになってのたうつ奴の姿が一瞬で脳裏に像を結ぶ。

んだ、そんなことか。

そして、むらむらと怒りが込み上げてくる。

あのなあ・・・

が、そう、暑いのである。
そう、それだけで十分だ。

そうか、暑いのか。。。確かにメールの返信など打っている場合じゃねえよな。

そして俺は、ふっと、鼻で笑って、まあ死ぬなよ、とIPHONEをそのまま尻のポケットに突っ込んで、
また新たに始まった元の人生に対して、密やかな溜息を漏らした訳である。

失業ハイパー ~ ワグナー開眼

Posted by 高見鈴虫 on 11.2014 音楽ねた   0 comments   0 trackback
今日も今日とて図書館でお勉強である。

リンカーンセンター内にあるオペラの殿堂であるメトロポリタン・オペラ・ハウス、
それに隣接するパフォーミング・アーツ図書館にいるから、という訳でもないのであろうが、
勉強をしながら聴ける唯一の音楽は、というと、まさにオペラな訳である。




The-Metropolitan-Opera-House-of-New-York_Lincoln-Center-_14193.jpg




普段は聴きなれたVERDI。

LA TRAVIATAはそのキャッチーなフレーズと判りやすいストーリーでいかにも馴染み安く聴きやすく、
俺的には最高のお気に入りの逸品。
これまでちょっと退屈だった筈の二幕目・三幕目で思わず入り込み過ぎて涙が滲んでしまったり。
お次はAIDA。或いはRIGORLETTO。時としてIL TROVATOREかOTELLOとか。

ここまで来るとVERDIもお腹一杯。

で、ちょっとお口直しにプッチーニ。
プッチーニと言えば俺的にはやはりTURANDOTな訳で、
あるいは、LA BOHEMEとか、

という訳で、ここのところ柄にもなくオペラ三昧であった訳だが、

昨日、ふと、そう言えば、とちょっと聴き始めたワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」

それまでイタリアオペラ一色であった俺の脳内に、いきなり流れ込んできた「トリスタン和声」。


Richard Wagner "Tristan Und Isolde"


ぐぐぐぐ、と思わず、脳髄が痺れる、というよりは、身体中がひたひたとワグナーの溶液に浸されてしまったという感じ。

おおお、そういうことか~!

これまで俺の周りのクラッシック通たちが口を揃えて、

ワグナーだよ、ワグナー聴けよ、と言っていたのだが、

そうか、そういうことなのか、な訳である。

という訳で、いきなり目が覚めた。まさに、ワグナー開眼、と言ったところ。

なんとなくこれは、歌謡曲ばかり聴いていたガキが、いきなり洋楽に目覚めた時と同じ衝撃に近いものがある。

たしかに凄い。
がしかし、それは良い、でも、美しい、でも、ましてや聴きやすい、なんてものではない。
そう、凄いのである。

つまり、別の次元。マッケンローとフェデラーの差。
あるいは、ロックンロールがチャック・ベリーからローリング・ストーンズに。
そしてエアロスミスからニューヨークドールズ、
そしてセックス・ピストルズを経てガンズに至ってニルヴァーナですべてぶっ壊されたように、

そう、進化の過程において、ワグナーこそが最終形。
これに比べたら、VERDIなんてまるで歌謡曲。モーツアルトなんて童謡だな。

つまりこれがオペラの打ち止めなのか、とふと思った。
ってことは、もしかするとクラッシックはワグナーで打ち止めであった、って訳なのか。

で、ふと思い立って、ラフマニノフやらマーラーやらも聞いてみたのだが、なんか物足りない。
というか、いまだ頭の中に鳴り響くワグナーの衝撃に比べると、
なんとなく粗悪品、あるいは、私小説的解釈の模造品という気さえしてくる。

つまりその後の音楽は、ワグナーがトリスタンとイゾルデにおいて辿りついた聖域。
そのインパクトにはまったく届いていない、という気がしてくるのだが・・

そっか、やっぱワグナーだったのか。

という訳で夜の8時の閉館までの4時間。思い切り持っていかれてしまったぞ、トリスタンとイゾルデ。

で、勉強も進む進む、と思っていたのだが、ふと巻末の練習問題をやってみれば・・・あり、なにも覚えていない・・・

つまり脳みそみんなワグナーに持っていかれていた、ということかよ。おいおい。

これも禁じ手だな。やれやれ。

失業ハイパー ~ よろめきの夏

Posted by 高見鈴虫 on 12.2014 音楽ねた   0 comments   0 trackback
聴くところによると、トリスタンとイゾルデは不倫の話であるらしい。
で、この楽曲を作曲当時、ワグナー自身も不倫の真っ最中で、
禁じられた恋に身を焦がしながら、
その報われぬ情熱の全てを注ぎ込んだ、なんて記述をWEBで拾い読み。

でそんな不倫パワーにほだされた訳ではないのだが、
なんとなく今日は朝から下腹の方がむずむずとする訳だ。

で、ふと開いたページから顔を上げて眼を移した窓の外。

今日は雨か。リンカーンセンターの街路樹が鮮やかな緑に濡れている。

と、そんな時、ふと脳内に流れたこの曲・・


「Vivre pour Vivre」 Soundtrack


うーん、いったいなんの曲だったっけかな。。。

昔懐かしい、そう、ずっとずっと昔のその昔、
俺がまだ物心着く前に、こんな曲がテレビから聞こえてきて、
そしてそれをすっかり記憶していたような、そんな甘い甘いメロディ。

で、21世紀。判らないことがあったらすぐにグーグル、そしてYOUTUBE。

という訳で、深層心理の中に仕舞い込まれていたこのトラウマ的な映画。



vivrepourVivre.jpeg



邦題は、「パリのめぐり逢い」 作曲はフランシス・レイ

ストーリーなどまったく覚えていないのだが、どうも元祖よろめき映画という奴らしい・・・

そっか、俺は小学校の洟垂れの頃から実はこういう映画を観ていたりしたおませなガキだったんだよなあ。

という訳で、ふと見回す図書館。

普段は、かぼちゃやら茄子やキャベツにしか見えない人々が、
どういう訳か今日は、どこかちょっと妖しげに生めかしく見えてくるというもの。

そっか、夏だったんだな。

そんな時、ふと、つぶやいてしまった言葉・・

・・・・ ああ、恋がしたいな ・・・・・

いやいや、いかんいかん、俺はいまや崖っぷちの失業者。
まさかそんなことをやっている場合じゃない、とトイレに立って顔を洗う。

でふと顔を上げた鏡に映った俺の顔・・どこかで、どこかで会ったことがあるぞ、このひと・・


しむらけん


おおおおお、それは、志村けん!あの「へんなおじさん」そのものじゃねえか!!

真夏の午後のアンニュイな恋のムードから、いきなり水をぶっかけられた気分。

いやあ、目が覚めたぜい


という訳で、席に戻ってから無性に志村けんが見たくなってしまって、

思わず、YOUTUBEで、だいじょうぶだぁ、に持っていかれてしまった・・・

いやはやのよろめきの夏であった。

忘れられたトラウマ映画 そのいち フレンズ ~ ポールとミシェル

Posted by 高見鈴虫 on 12.2014 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
既に万能、つまりは神に近づいてきたインターネット社会。

とりあえず、グーグルで検索すれば判らないものはない、っというぐらい
なんでもかんでもがWEBのどこかに転がっていたりする訳だ。

がしかし、このなんでもかんでもな21世紀にあっても、
どういうわけだか、ぽろり、と取りこぼしに気づかされることもある。

で俺の場合、それは音楽、あるいは映画であったりもする訳だ。

俺的には割りとポピュラーな、誰でも知っているであろう名作である筈のものが、

えええっ!なんでえ、的に取りこぼされていたりもする訳だ。

つまりそれ、一般的には名作でもなんでもなく、ただたんに俺のトラウマ的映画であっただけ、
であったりもする訳なのだがな。

ちゅう訳で、文句も込めて、そんな忘れられた作品の羅列。


その一. FRIENDS ポールとミッシェル

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これ、昔は日本のテレビの名作映画劇場とかでよくやってたよねえ。

が、いざとなると見つからないってのはどういう訳?

ちなみにこの映画、ストーリーとしては、
俗に言う、ティーンの駆け落ち・妊娠出産物、の走り。

お金持ちのボンボン少年と、親に死なれて孤児になった少女が、
駆け落ちして、逃げた先の農場で下働きしながら、
そこで子どもを産んで愛を育んでしまうって話。

今でこそ、なあんだ、良い話じゃないか、と思うが、
あの時代、実はこの映画がテレビで上映される、ってのに全国のPTAから
大反対運動なんてのが起こったんだぜ。

つまり、こんな映画やられた日には、少年はみんな家出、
そして、少女は一人残らずお腹が大きくなって帰ってくることになる、とかなんとか(笑

で、先生からは、観てはいけません!と固く固く申し渡されたのだが、
そう言われれば言われるほどに見たくなる、ってのも子ども心。



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ちなみに、同じようなティーンの駆け落ち物で、
小さな恋のメロディがビートルズ、つまり良い子派、だとすれば、
不良はやっぱり、ストーンズ、じゃなくて、このフレンズ。
だってえ、ミッシェルのおっぱいが丸見えになるんだぜ、
ってだけで、もう、一大センセーションであった訳だ。
が、しかし、それにしてはサントラがエルトン・ジョンってのはどういう意味だよ、
とそんな意味でもちょっと不幸な映画ではある。


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ちゅう訳で、この映画を観るために家出をした、って訳ではないのだが、
割と命張って、一大作戦、つまり、サッカーで疲れた、寝る、と部屋に逃げて、
布団の下に枕を仕込んで窓から屋根伝いに脱走。
ダチどもと示し合わせた神社の裏で密会して、そのままちゃりんこ二人乗り三人乗りで、
躾のゆるい奴の家に集まって、ってな訳でまあ、あの時代のガキにしては大冒険であった訳だ。

という訳で、日本中が騒然とした(あるいは俺の周りだけ?)この超問題作、

フレンズ ポールとミッシェル

が、そう笑ってしまうのだが、正直、この映画を観た俺。

もう一撃で、ミッシェル、つまりは、アニセー・アルビナ嬢に恋してしまった訳である。


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そして、そんな俺は、うっし、こうなったら俺も駆け落ちだ、と固く決心を固めていた訳で、

俺の家出放浪癖というのも、実はこの辺りから来ているのかな、と思わないでもない訳で。


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ちなみにその後、数十年を経て、いきなり出張中の飲み屋で、
このミッシェルことアニセー・アルビナそっくりのホステスさんに出会ったが最後いきなり頭がスパーク。
思わず銭金を使い込んで、俺が身請けしてやる、とばかりに、通いつめてしまった、
ということなんかもあって、いやあ、この映画、もう一度観たい!
とは常々思っているのだが、どこにも見当たらない。


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誰か知ってたら教えてちょんまげ。

忘れられたトラウマ映画 そのに フェデリコ・フェリーニの「カサノバ」

Posted by 高見鈴虫 on 12.2014 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
フェリー二と言えば、8 1/2であり、甘い生活~DORCE VITA である訳なのだが、
俺的に言うと、
フェリー二といえば、アマルコルド、あるいはこの、カサノバ、な訳である。


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ちなみにこのカサノバ。
映画史上的には、フェリー二の大失敗作、となっているらしい。

その理由は、と言えば、インターナショナル・キャスト。

主役のカサノバ役を、アメリカのドナルド・サザーランドが
そして、その他の出演者、謎の超絶美少女役のティナ・オーモンを始め、
フランス・イタリアからのインターナショナル・スターたちの夢の競演であった訳なのだが、

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その作中のセリフが、アメリカ人は英語、イタリア人はイタリア語、で撮影されて、
劇場公開時は、その国にあわせた「吹き替え」で上映されたらしい。


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という訳で、このカサノバ、国によってそれぞれの吹き替えのため、役者の声が違う・・

で、俺の探しているのはアメリカ版。

つまり、主役のドナルド・サザーランドのあの深い湖の底から地鳴りのように響き渡る野太い声、
あの声が聞きたい訳である。

が、どういう訳か現在発売されているDVD、あるいは、YOUTUBEにアップされているのは、
すべてイタリア語吹き替え版。

つまり、主役であるドナルド・サザーランドの声のバージョンがどこにも存在しないのである。


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がそう、実は、ここだけの話、俺はそれ「持っている」のである。

つまり、日本のテレビ、それも深夜枠の字幕付きで放送された時のVTR。
この日本で放送されたバージョンが、英語版、つまりは、ドナルド・サザーランドの声、であった訳だ。
その貴重な 米国版のカサノバを、俺はしっかりと「VHS」に録画していたのである。

がしかし・・・ この21世紀、どこでそのVHSなんてものを観ればよいのだ・
しかも、3倍速のダレダレ録画。そしてそのVHSは、20年近くの時を越えてずっと物置の靴箱の中に保存されてきた、
という代物である。

ちなみに米国の映画会社はこの米国版を既に紛失してしまったらしい。

ちゅう訳で、そう、もうこのカサノバ 英語版は、日本にしか存在していないのである。

もしも日本で再放送された暁には、お願い、お願い、誰かYOUTUBEにUPしてちょんまげ!



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忘れられたトラウマ映画 そのさん シャーロット・ランプリングの 「THREE ~ 夏の日の体験」

Posted by 高見鈴虫 on 13.2014 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
かつて、土曜日の午後の確か2時半ぐらいだったからか、
この誰一人としてテレビなど見ていないであろう時間帯に、
確か東京12チャンネルだったか、
再放送の再放送、出がらし的な洋物映画が人知れず放送されていたのをご存知か。

でこの名作映画で流れていたタイトル。

どういう訳だか、昼の日中に観るにはちょっと赤面してしまうような、
地味線ながら、ちょっと艶っぽい感じのフランス映画、
なんてものを、白昼堂々とONAIRしていた訳だ。


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で、どういう理由でか、俺はその土曜の午後の名作映画劇場というのをよく観ていたのである。

年齢はたぶん、7歳か8歳ぐらいだったか。

つまり、子どもも子ども、なああんにも判らない年齢である。

がそんな、なあんにも判らない筈の子どもが、実はそんな艶かしいフランス映画を、実に実に、楽しみにして観ていたのである。

で、そんな少年の胸に、おおおおお、と突き刺さったこの作品。

「夏の日の体験」


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ストーリーなどなにも覚えていないのだが、
二人のアメリカ人大学生が夏休みにヨーロッパ旅行していて、
そこで摩訶不思議な魅力を持った謎の美少女と出会う。

で、なんだかんだで三人が一緒に旅をする。

で、なんかいろいろあって、で、最後にどっちかとしちゃう。
で、残された方が淋しく去る、みたいな、そんな話。

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あのなあ、7歳8歳のガキがそんな映画みてどうするんだ、とも思うが、
と同時に、そんな子どもが見ている時間帯にこんな映画を流してどうするんだ、
とも思うが、

そう、それはまるで棘のように、俺の身体にチクリ、と入りこんだが最後、
ずんずんと肌の奥にのめり込んで血管に達し、そして、ついには心臓にブスリ、と突き刺さってしまったのである。

という訳でシャーロット・ランプリングである。

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誰がなんと言っても永遠の女性なのである。

後に紆余曲折を経た結果、好みの女性のタイプも二転三転、
そしていまのかみさんは、そんな宿命の女であるシャーロット・ランプリングとは似ても似つかないタイプである訳なのだが、
だがしかし、そう、この幼い日に見たこの映画における若き日のシャーロット・ランプリング。
この姿こそが地上に落ちた女神、と心に刻み込まれてしまったのである。

がしかし、ここに間違えが起こった。
そしてその後、その究極の理想であるシャーロット・ランプリング嬢が、
こともあろうに、ジャンポール・ゴルティエ張りの黒革変態ヌードを晒している姿に大衝撃を受けたのである。


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いやあ、凄い。
物凄い変態臭である。
がしかし、美しい・・・そう、これこそが禁断の美。まさに危ない世界。
そして、それは、小学生にはあまりにも危なすぎる訳である。

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それがその後、俺がパンク・ロッカーとして新宿ロフトにデビューするきっかけとなった、と言っても過言ではない。

がそう、この夏の日の体験、これはそんなシャーロット・ランプリングのほぼデビューに近い作品で、
まだ初々しい少女の面影を残しながら、そのなんというか、冷たいアンニュイな表情、まさに、知的派美貌の固まり。


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という訳で、いまだに太った女が嫌い、やら、巨乳に興味がない、やら、
天真爛漫系の美少女よりは、ちょっと暗い影のある優等生派系のビッチに惹かれてしまう、
というのも、つまりはこのシャーロット・ランプリングのトラウマなのだろうか。


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とそして、俺が、大学生になったらぜったいに旅に出る。
そして、シャーロット・ランプリングのような外人の女の子をGETする、
ことを宿命としたのも、まさにこの映画の暗示が効いていた、というところか。

という訳、そんな俺の人生を大きく左右したこの映画。
もう一度見て見たいのだが、YOUTUBEにもないし、DVDも出ていない。

ってことはもしかして、やっぱり日本のTV局にしか残っていないのかな?

が、あ、そうそう、誤解を招かないように言わせて貰えば、
シャーロット・ランプリングが宿命の女だからと言って、
俺はSMの化はまるでないからね。それだけは言っておく。


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という訳で、まだまだ出てきそうだな。思いついたらまた書く。

ろくきんろおる

Posted by 高見鈴虫 on 15.2014 音楽ねた   0 comments   0 trackback












おまけ まさにゴッドファーザー




おまけのおまけ。やっぱり元祖




ウルフ・オブ・ウォールストリート を観る

Posted by 高見鈴虫 on 17.2014 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
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古き良きローリング・ストーンズの記録フィルムの中に、
コックサッカー・ブルースという曰く付きの物があって、
当時、全盛期であった若きローリング・ストーンズの、
全米ツアー中の内輪的なドキュメンタリーである訳なのだが、
この映画、そのできの悪さも然ることながら、
そこに当たり前のように描かれるあまりのえげつない風景に
さすがにメンバーからさえもNGが出てお蔵入りとなったまさに大失敗作。

で、特筆すべきは、そのシーンの至るところで、
実にさりげなくカメラの前を横切る裸の女とそしてドラッグ・・・

プライベートジェットの中で、ありとあらゆるドラッグでぶっ飛んで、
その上を飛び交う裸の女たち・・・



その当時のストーンズの生活の中に、
セックスとドラッグがどれだけありふれたものであったのかが、
そのあまりのさりげなさの中に逆に浮き彫りになっている訳で、
この映画を観た当時17歳であった俺は、
正直、身体中からぶすぶすと煙が立ち上がるくらいに
羨ましくて羨ましくて、夜も眠れず。
くそったれ、こうなれば、もう、なにがなんでもローリング・ストーンズになってやるぞ、
と固く心に誓ったものだが、
この映画、まさに、そう、そのコックサッカーブルースのウォールストリート編という奴であろうか。




ウォール街の狼、と言われたいかさま株屋、その自伝的風雲記の映画である。

その業界は問わず、
成功に向かって我武者羅に暴走する男たちの姿はいつもどこかギャングめいていてとても素敵だ。
そして、成功を勝ち得た男の繰り広げる好き放題の滅茶苦茶さは、
まさに、セックス・ドラッグス&ロックンロール、これに尽きる。

という訳で、この映画、まさにコックサッカー・ブルースの中におけるストーンズ、
成功の頂点に立った男達のあまりに滅茶苦茶な乱痴気騒ぎが、
まさにグロテスクなほどにまで油ギトギトに描かれている。

それが良いだ、悪いだ、とかそういう次元はまあお門違い。

奴らは取りあえず、ぶっ飛んでぶっ飛ばしている訳で、
そんないけいけ真っ最中の輩にいくら下らない説教をかましても聞く耳など持つ訳もない。

そして、正直、これが羨ましい、と思わない男は逝ってよし、とも思う。

これを同義的道徳的衛生的云々、という奴は勝手に坊主にでもなりなさい。

改めて思うのは、男の最高の快楽とは、セックス、ドラッグス、ロックンロール、これに尽きる。

そしてそういう奴以外を、俺は信じない。
だからよお、と思わず頭を小突きたくなる。

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んだよてめえ、正直に言えよ、ただ羨ましいだけだろうがよ?
ただの嫉妬にかられるばかりの小心者の癖をしやがって、
いまさら良いだ、悪いだ、など、聞いたような御託を並べるんじゃねえよ、ばーか、GO FUCK YOURSELF!と。

がしかし、である。
改めてこの超悪趣味的な大成金映画。

まさに金歯ギラギラ、コケインきらきら、
セックス ドラッグ ロックンロールが万歳過ぎて窒息寸前。
その宿酔いの迎え酒で辺り構わず吐き散らしながら、
ばかやろう、どうだ、羨ましいか、と怒鳴り続けるような光景が、
まさに3時間、永遠と続く訳で、その高揚の中の至福感、よりも、
その宿酔いの恐ろしさに、こっちまでゲロゲロを吐きたくなってくる.

という訳で、つまりはまあ、やりすぎ、な訳である。

あるいは、そう、時期が悪かった、というか、
アメリカは2008年のサブプライムからの大崩壊の記憶がいまだに生々しい。

膨大な家族が住む家を追われ路頭に迷った訳で、
その傷からはまだまったく立ち直っていない訳である。

そんな中、
馬鹿やろう、なにが悪い、金持った奴の勝ちだろうが、
とドヤ顔を決めるにはちょっとあまりにも痛すぎる。
がしかし、
だからと言ってこの男(たち)の乱痴気騒ぎこそがまさにアメリカン・ドリームの体現な訳であって・・

という、なんともどっちつかずの映画になってしまったところがとても残念ではある。

正直、超成金であるデカプリオ、
フェラーリを乗り回し、セックスドラッグスで浮かれまくる姿が、
しかしがそれほど格好よくも、楽しそうにも見えなかったし、
また、落ちぶれた姿もそれほどまでに不幸そうにも見えなかった。

あるいは、彼らのやった犯罪がなにがそれほど悪いことであったのか、
その被害者側の姿さえもいっさい描かれてはいない訳で、
で、なにが悪い訳?と思わず首をかしげてしまいたくもなる。

という訳で、まるまる3時間、
ただただ一方的に、それほど羨ましくも思えない馬鹿騒ぎに次ぐ馬鹿騒ぎばかりを
これでもか、と見せ付けられた、それだけ、という気がしないでもないのだが・・

ちゅう訳で、薄い映画であった。
三時間もかけてこれだけかよ、と苦笑い。
後に残ったのは疲労感ばかりである。

あるいは、例の格差社会批判ではないが、
株成金どもを、馬鹿かこいつら、と思わせるために作ったのであったとしたら、
もっと別の方法もあっただろうに、とも思う。

キャビアだウニだロブスターだと材料だけは一級品、
原作も役者もこれだけ特上のものを揃えておきながら、
できた料理はまさに脂でゴテゴテ、と言った感じで食えたもんじゃねえ、
ってなかんじで、
かなーり残念な仕上がりでした。

ウルフ・オブ・ウォールストリート 雑感そのいち

Posted by 高見鈴虫 on 17.2014 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
ウルフ・オブ・ウォールストリート、あれはぶっちゃけ、
日本向けにリメイクをすれば、

エリートばかりの集う大手証券会社の中に、
ひょんなことから迷い込んだ純朴な高卒の青年。

生まれも足立区やら荒川区やらで決して裕福な育ちではない。
が、そうやって迷い込んだ一流企業の中で、
営業成績ナンバーワンの鬼営業部長から目をかけられる。

俺も実は高卒の叩き上げでな、とふかしながら、
ほら、お前もやるか、といきなりシャブを出される。

これをいっぽんパーンときめてな、どうだ、ほら聴こえてくるだろう、
と仁義なき戦いのテーマを唸り初めて・・

なあに、世の中所詮は切った貼っただ。
やってることはどこぞのチンピラとかわらねえ。
殺るか殺られるか、つまりは、カモるか、カモられるか、だ。

いいか、どんな方法を使ってでも銭を掴むんだ。
銭こそが全て。銭こそが正義だ。
それ以外のものは信じるな。
銭、銭なんだよ。銭こそが。。。

青年はそんなヤクザ部長に惚れこんで、
そしてその道を爆走することになる。

地元のチンピラを集めて、いんちき金融会社を設立し、
いいかてめえら、世の中、殺るか殺られるか、どんな方法を使ってでも銭を掴め、
とぶち上げる。

セールスはナンパだ。嘘八百並べ立てて、口説いて口説いて口説き倒せ。
それでも嫌がれば、なあに、腕づくでもなんでも一発決めちまえ。
そして骨の髄までしゃぶりつくすんだ。

という訳で、朝から一升瓶で酒を浴びながら、
あるいは、会社内でシャブはうち合い、
毎晩、銀座だ赤坂だ、を練り歩いてはブイブイどころか、
街中をぶっとばす勢い。

挙句に会社にキャバクラ嬢からヘルス嬢からAV女優からを呼びまくって、
朝から晩まで会社中の至るところでやりまくり。

とまあ、そう、嘗て聞いたどこぞのXO金融、やら、
なんたら商事、やらももしかして似たような状態だったのだろうか。

つまりそう、ウォール・ストリートとはそういうところであった、という訳だ。

嘗て十数年間、見上げてきたあのウォール街のビルの渓谷。
あの窓の奥でまさかそんなことが起きていたなんて・・・
まるで知らなかった。

という映画で、いまさらながら、はははっ、と冷や汗がたらり、である。

ウルフ・オブ・ウォールストリート 雑感そのに

Posted by 高見鈴虫 on 17.2014 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
そう言えば、ウルフ・オブ・ウォールストリート。

あれだけありとあらゆるドラッグをやりながら、そう言えばマリファナを吸うシーンがひとつも出てこなかった、
と思うがどうだろう。

やっているのは徹底的にコケイン。あるいは錠剤である。

つまりそれは、アッパー系ばかり、ということなのか。

その時代、ディーラーの連中が、まさに魔に憑かれたように猛然と仕事に突っ込む時、
アッパー系のドラッグでカピカピになるようにドラッグというドラッグを総動員して完全武装する、
ってな話はよく聞いていた。

そのアッパーのパワーで、夜を徹して騒ぎまわり、そして翌朝、
睡眠不足と過労で朦朧として脳みそに、またガツンと一発コケインをぶち込んで目を覚ます。

まさに、狂気の世界であるが、なかなか格好良い、とも思う。

そして、マリファナ、別名をウィードをやらない、ということが、つまりは、
ウィードこそが、ルーザーのものであるからなのだろう。

そう言えばひところから、マリファナ、つまりはウィードというものに興味がなくなった。

吸うか?と差し出されても、いや、いらない、と断ることが多く、
そしてウィード(など)吸わない、というスタイルにちょっと格好よさも感じていた。

それはつまりは時代の為せる業。

いまさらそんな肥やし臭い草、かったるくて吸っていられるか、というところなのである。

がしかし、アッパー系ばかりでカピカピになっているとついつい神経がささくれ始め、
睡眠障害を生じてくる筈だ。眠い。眠いのだが眠れない。眠ってもすぐに目が覚めてしまう。
そしてまさに砂袋を抱えたようにどんと圧し掛かってくる重い重い疲労感。

ウルフ・オブ・ウォールストリートの登場人物たちがさかんに回し飲みしていたのは、
まさか精神安定剤なのだろうか。
筋肉弛緩剤をODして立てなくなったシーンではもう笑いが止まらなくて死ぬかと思ったのだがな・・

まさに、ドラッグというよりは、薬。そう、薬くすりクスリ漬けの世の中である。

嘗て、ありとあらゆるものを差し出されるままに口に放りこんでは、
自分がいったいなにでらりっているのかさっぱり判らない日々、
というのを長く続けたことがあったのだが、
あんな状態で日々を過ごしている人間がまだいるとはまったくの驚きである。
で、そんな狂気のような連中が世界の経済を牛耳り、そして破滅に導いた。

がしかし、そう、当の本人たちはそれが悪い、どころか、まさに男の美学の王道を行く、
まさに美談の中の美談、と思い込んでいるのである。

いやはや、考えれば考える程に、とんでもない話であった。



STUDIO 54 で「CABARET」を観る

Posted by 高見鈴虫 on 18.2014 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
遅く起きた日曜日の朝。
昨夜は深夜まで、DVDでウルフ・オブ・ウォールストリートを観てしまったからだ。

で、いい加減に犬に起こされてセントラルパークに散歩。
時刻は11時近く。
普段ボール遊びをしているシープスヘッド・メドウの緑の芝生も、
いまやすっかり観光客や家族連れに占領されている。

頭の中はいまだウルフ・オブ・ウォールストリートの超成金モードのままの俺たち、
いやあ、つくづく貧乏人の姿は見たくないな、とばかりに、
そのままタバーン・オン・ザ・グリーンの裏手のカフェに避難。
木陰のテーブルで遅い朝食を取った後、いざ帰ろうとすると、犬が嫌がる。
いや、そっちにはいかない、と言い張って聞かない。

どうせ大した予定がある訳でもなく、
こんな良く晴れた午後に家で掃除洗濯をするのも気が引けて、
ならばと犬の言う方向に連れられていけば、
そのままずんずんと手綱をひっぱられ、いつの間にかコロンバス・サークルからブロードウエイを南下を始める。
どうもカフェの店先から誰かの姿を見て、その後を追いかけているらしい。
日曜の雑踏の中をくんくんとその痕跡を追いながら、
喜々としてこっちだこっちだ、と引っ張って行ったのだが、
いい加減にタイムズクスエアの混雑に入り込んだところでその足跡を見失ってしまった。
どうもこの辺りで地下鉄に乗ったということなのか。

という訳で、いきなり取り残されてしまった雑踏の中。
ふと観ればシアター街である。
この辺りにはよほどの用がない限りは足を踏み入れることのない地獄の観光客用地域。
地図を片手にきょろきょろするおのぼりさんの行き交う通りは、いつ犬の足を踏まれるかと気が気ではない。
へへへへ、ごめんね、と照れ笑いを浮かべる犬と見詰め合って途方に暮れながらも、
まあそれなら西側の川沿いに抜けてリバーサイドパークにでも行くか、
と54丁目の角を右に曲がれば、
ふとSTUDIO54の正面のドアが開いている。

STUDIO54と言えば、言わずと知れたCABARETである。
これまで何人かの日本から友人から、
ニューヨークに行ったらCABARETが観たい。チケット取っておけ、
とリクエストを貰いながらも、良い席は常時完売状態。
当日券を探す以外に方法はない、と諦めてきた演目。

その「CABARET」に、どういう訳か犬がその扉から奥を覗き込み、
さかんに振り返っては中に入ろうと促す。

で、ちょっとした悪戯心からそのまま中に入り込んで見れば、
BOXオフィスの中に灯りが見える。
で、またまたちょっとした悪戯心から、そのチケット売り場のガラスの向こう、
売り子のお姉さんに、
もしかして、当日券、ある訳ないよね、と話しかけてみれば、
実は本日のマティネの席にキャンセルが出たらしい。

がしかし、このSTUDIO54のキャバレー。
席が取れなかった理由はと言えば、
まさに、テーブル席、である。

この「CABARET」
物語りの舞台であるベルリンのキャバレー「KIT-CUT CLUB」を、
それをそのまま再現した趣向で、
ステージの前のテーブル席、と、
それを取り囲む観客席との間にまさに雲泥の開きがある。

でこの「CABARET」
関係者の全てから、どうせ観るのであれば絶対にステージの前のテーブル席にするべし、
との提言を受けていたのだ。

そう、観客席であればいつでも席は空いている。
問題はその、ステージ正面のテーブル席。
これが開いてなければ見る意味がない訳である。

で、物は試しと聞いてみれば、なんとステージまん前のテーブル席がちょうど2席だけ開いている、とのこと。

値段は162ドルとかなり高額ながら、サリー・ボウルズ役である人気女優ミッシェル・ウィリアムスの降板が囁かれているおり、観るならこの時期を逃して他はない。

昨夜のWOLF OF WALL STREETの煽りを食ってか妙な成金気分。
まるで魔が刺すように、
うっし、どうせなら特等席でCABARETを観るか、とそのまま大枚を叩いてしまった訳である。

  

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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