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「あのなあ、犬じゃないんだぞ」

Posted by 高見鈴虫 on 01.2014 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback

先日の夜、久々に友人たちとアムステルダム通りのテーブルで飯を食っていたら、
通りを歩いてきた女の子からいきなり、指先でほっぺたを撫でられた。

その感触、思わずはっとして振り返ってしまったら、
赤いつま先をちらちら、とやりながら、きゃっほー、ばははーい、と。

思わずみんなで顔を見合わせてしまって、そしてニヤニヤ笑い。

あのなあ、俺は犬じゃないんだぞ、と。

あ、そっか、女の子たちにとって男はみんなパピーなんだよな。

ワンワンワン。ちょっと待って、もっともっと、と尻尾を振ってしまいそうになった。

ゴシップ・ママ 男の子を放っておいてやってくれ

Posted by 高見鈴虫 on 01.2014 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback



ニューヨークのお金持ち連中、
その理想的な目標は、まさに、子供たちを思い切りスノッブな私立高校に通わせること、
であるらしい。

つまり、ゴシップガールかよ、と。

つくづく虚しいな、と思う。

いくら金があっても、それぐらいの夢しか子供に託せないのかよ、と。

そんな次元の親に育てられたガキ。

特に男の子。かわいそうだな、と思ってしまう。

偏狭な母親の、そんな母親同士の見栄の張り合いに付き合わされてペットにされ続けた男の子たち。
ひっきーやゲイになってしまうのも判るよな。


ちゅう訳で、あのなあ、母親達。

男の子はあんたたちの思う着せ替え人形じゃないんだよ。

男の子ってのは実はあんたらの好きなお人形ごっことはまるで似ても似つかないもの。

野球やってサッカーやってちゃりんこ乗り回して、
泥だらけ、時として傷だらけになって、暴れまわって、
ギターかき鳴らして、ドラムぶっ叩いて、
酒の飲んでハッパやって、これでもかと騒ぎまわって、
喧嘩しまくり、女の子からかいまくり、
単車乗り回して、車で海に突っ込んで、
やばいことやりまくり、おまわりに追っかけまわされて、死ぬような目に何度も合って、
挙句に、けっ、こんな狭い街は住み飽きた、と冒険の旅に出て7つの海を一跨ぎ。
そして世界どこかで待っている宿命のシンデレラを探し続けるんだよ。

男の子って本来つまりはそういうものなんだよ。

どうだ、うらやましいだろ?

あんたらの言う、箱庭の隅を突付きあうような世界とは違う生き物。
あんたたちだって、そんなグジグジした世界に生きながら、
それがそれほど面白くもないと骨身に染みているはずだろ。

男の子にとっては、毎日が冒険であるべき筈なのだ。
男の子って本来、そんな羨ましい生き物である筈なんだよ。

そしてあんたたちだって、そんな男の子らしい男の子たちが、
死ぬほど羨ましい、と思っていたはずだろう。

ごジップ・ママ、男の子を放っておいてやってくれ。

男の子に男の子の遊びをさせてやってくれ。

うちの子供は馬鹿でねえ。
いくつになってもやんちゃ者の暴れん坊で、
まあ元気なだけが取り得だけどねえ、と笑いながら、

さあ、行っておいで、怪我するなとは言わないけど、
まあ、つまらない死に方だけはするんじゃないよ。

それが母親のあんたが男の子に言ってやれる唯一の言葉だ。

シルビア・テレスとボサノバ爺さん

Posted by 高見鈴虫 on 01.2014 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback



先日の図書館、休憩のトイレに行って戻ってみると、
長机の上に大きな図鑑大の本が置いてあった。

「BOSSA NOVA」 とある。

思わず手にとってページを捲ってみると、
古いBOSSA NOVA のレコード・ジャケットの写真集であった。

アントニオ・カルロス・ジョピンから始まって、
ナラ・レオンから、バーデン・パウエル。
セルジオ・メンデスからエリス・レジーナから、
まさに若き日のブラジルのボサノバ・シンガー達のオンパレード。

おおお、ジョアン・ジルベルトが若い!
いまとなってはどこぞの中古車屋のおやじ、みたいなジョアン・ジルベルトが、
まさに輝くような美男子ぶり。
ボサノバ美女たちを総嘗めにした色男伝説も、
この姿を見るとまさに頷ける訳だ。

そんで、おお、カエタノ・ベロッソとギャル・コスタのツーショット!
うへえ、若い。まさに元気ハツラツだな。

で、げげげ、ルイス・ボンファってこんな人だったのか、と今更ながら大驚愕。

と言うわけで思わずページを捲る度に息を呑んでいると、

ふと目をあげれば、ホームレスっぽい爺さん。
白髪の長髪にちょびひげを伸ばし、
図書館の中でもサングラスにカンカン帽という妙な風情。

あんた、ボサノバ好きかね、と一言。

ああ、好きだよ、と答えれば、

なんで日本人がボサノバを好きかね、と来る。

ボサノバ好きに日本人もくそもあるか、ほっといてくれ、
と適当に受け流しながらページを捲っていると、

あんた、そのおんな、誰だか知っているのかな、と聞く。

ああ、シルビア・テレスだろ?と答えれば、

あんたシルビア・テレスを知ってるのかね、と来る。

ああ、俺的にはボサノバの歌手ではシルビア・テレスが一番好きだな、と答えると、

ほう、と目を見張る老人。

日本人がシルビア・テレスを知っているとはな・・

おい、ちょっと貸せ、と本を取って、ほら、このアルバム、これは俺のものだ、という。

俺のもの?

つまり、そのアルバムの写真さ。俺の持っているレコードの写真を撮らせてやったんだ。

このシルビア・テレスも、このバーデン・パウエルも、このジョビンもアストラッドも、
みんなうちのものさ、俺が撮らせてやった、と言う。

こんなものもう世界中探したって俺しか持っちゃいないだろ。かっかっか。

という訳で、この爺さん、いったい何者だ?

ほら、ここに名前がある。これが俺の名前だ、と最後の参照ページを指差す。

で、嘘だと思ったら家に見に来るかね、と言われた。

まあ暇な老人の戯言、とも思うが、あまりの胡散臭さに言葉を濁していると、

ほらと、とばかりに電話番号を渡された。

生憎と携帯は持ってないんでな、家の電話だ。ボサノバが聴きたくなったら俺のところに来い。
俺のコレクションは凄いぞ、こんな糞図書館なんか話にならないぐらいにな。

という訳で、ひょんなことで声をかけてきたボサノバ・フリークの爺さん。

実はな、その昔、ブラジルは酷い状態でな。
軍人が威張り腐ってクーデーターを繰り返して、
でボサノバの歌手達、なんてのはみんなアメリカに逃げてきたんだ。

俺はその頃はビバップやってたんで、ボサノバとかはあまり好かなかったが、
うちのかみさんがブラジル系でな。
そんな関係からブラジルから逃げてきた連中がみんな俺のところ転がり込んで来てたんだ。

着の身着のままとは言いながらなんだかんだでブラジルからいろんなものを持ってきてな、
ポートフォリオ代わりに自分のレコードを山のように持ってたんだが、
そんなこんなで我が家にはブラジル音楽コレクションが出来上がったって訳だ。
で、捨てる訳にもいかず預かっておいたらその出版社から電話が来てな。
売れ、というから、断ったら、写真だけでもと言われた。
それがその写真集さ。
そうこするうちにサザビーズなんてのがやって来たんだが、
一から十までカネのことばかり抜かしやがって、
音はいいんだ、欲しいのはそのジャケットだ、と来る。
いい加減目障りな奴らなんですぐに追い払ってやった。

という訳で、こんなところでボサノバ好きの日本人なんてのに会ったのもまあ何かの縁だ。

俺が生きているうちならいつでも来い。

という訳なのだが・・・
が、しかし、いったいこの爺さん、いったいなにもの、そして俺をどうして知ったのか。
図書館で顔をみただけの人間を家に連れてくるなど、ここ最近は聞いたことがない。

という訳で、ああ、分かった分かった、と適当にうっちゃっていたのだが・・・

で、また久々に図書館に顔を出した折、先のボサノバ爺からまた声をかけられた。




と聞けば、ああ、実はその犬さ、といわれた。

その犬、あんたのラップトップにもあるその犬な。
実は昔うちで飼っていた犬そっくりなんだ。

こないだフェアウエアに買い物に行ったかみさんが珍しくはしゃぎながら帰ってきてな、
店の前でチャーリー、ってのはまあうちの死んだ犬なんだが、
チャーリーに会った、と大騒ぎでな。

東洋人のカップルが連れていた、というんで、
その後もフェアウエイに買い物に行く度に探していたんだが、
そうしたらところ、ひょんなことから図書館でそれを見つけたって訳だ。

しららそいつが、なんとシルビア・テレスのファンと来るじゃないか。
偶然にしてはちょっと出来過ぎだ。はっはっは。

という訳で、いつでも遊びに来てくれ。うちのかみさんが喜ぶと思う。遊びに来るなら犬も忘れずにな。
お礼と言ったらなんだが、うちにあるレコード、みんな持って行って貰っていいぞ。かっかっか。

という訳で、改めて、名前は?と聞かれて俺の名前を答えると、
いや、その犬の名前だ。

ああ、ブッチと言うんだ。

ブッチか、おいもう一回その犬の写真見せてくれ、と言う。

しげしげとラップトップに目を凝らす爺さん。
おお、ブッチか、ブッチ、ブッチ、とLAPTOPの画面に向けて呼びかけながら、
ふと見ればその目に涙が光っていた。

という訳で、妙な出会いだ。
ゲイではないと思うのだが、まったくわけが判らない。

まあこんな爺さんならいきなり埋められてしまうこともなさそうだし、
聞けば、往年のボサノバ・アーティストたちの未発表テイクのオープンリールが山のようにあるのだそうだ。

という訳で、ちょっとこんど、ブッチを連れて遊びに行ってみようか、と思っている。

「錦織ハグ」

Posted by 高見鈴虫 on 02.2014 テニスねた   0 comments   0 trackback
朝も早くからUSOPENにやってきたと言うのに、あくびばかりだ。

理由はと言えば昨夜の錦織である。

ラオニッチとのぎりぎりのガチンコ勝負のフルセット。
終了時間がまさに午前2時半である。
その後、あまりの興奮に寝付けず、
方々の奴らに、おおおおお、錦織、やったぜ、
とメールを書いていたら結局朝になってしまって、
このまま寝たら起きた時にはすでに夕方、
なんてことになっているだろうと、
どうせ寝るならテニス見ながら寝よう、
という訳で、
そんなこんなで、そのままこの会場に来てしまったのだ。

という訳で、辿り着いたアーサー・アッシュ、
朝一番で空席ばかりが目立つ閑散としたスタジアム。
席の番号も確かめず、適当に風通しの良さそうなところに
どっこししょ、と腰を下ろして、まずは大アクビ。

で、誰の試合やってるんだ?と周りの奴に聞いてみれば、
そんな俺をニヤニヤと見つめる人々。

で、おい、おまえ、日本人か?と聞かれた。
ああ、そうだが、と答えれば、

ぎゃはは、おまえ、もしかして昨日の晩からずっとここにいるんじゃねえのか?

思わず調子を合わせて、
ああそうなんだよ、そこで寝ていたんだ、と答えたとたんに周りの奴らが大爆笑である。

でもいい試合だったよな。ああ、俺たちも眠いぜ。興奮して朝まで眠れなかった。
まさに錦織さまさまだ。

そうか、おまえらみんな見ていてくれたんだな、あの錦織の雄姿。

という訳で、朝のフラッシング・メドウは眠そうな目をした奴で一杯である。

大アクビを噛み殺しながら、しかし妙に晴れ晴れとした顔つき。

次のテニス界の覇者になる若手のホープ同士のガチンコ大決戦。

それがあんなドラマチックな形で幕を閉じたのだ。

本当のテニスファンはみな感無量と言ったところだろう。

と言う訳で、錦織である。

まさに、真夜中のヒーロー。いまやUSOPENの「顔」になりつつある。

そうか、ついについに、日本人のプレーヤーがこのUSOPENに軌跡を刻んだのだなあ。

という訳で、昨夜はまさに歴史的な瞬間だったって訳だ。

おめでとう、の言葉に思わず握手。そして立ち上がって熱いハグ。
次から次へと、まさに会場中のテニスファンとハグ、ハグ、ハグ。

この錦織ハグ、今日一日のうちにいったい何人と熱いハグを繰り返したであろうか。

まさにテニサー冥利に尽きる。
そして、日本人であることをこれほどまでに誇りに思えたこともない。

という訳で、日本のテニスファンの皆さん。
このUSOPENにおいて、もう、日本人であることを恐れることも恥じ入ることもなにもない。

いまや錦織は立派なテニス界の顔なのである。

つまりここUSOPENはまさに俺たちのための会場、という訳なのです。

くうううう、苦節云十年。

なああああんだよ、日本人はまた予選落ちかよ、
から始まって、
なんで日本人はテニスが弱いんだ?から、
挙句に、
日本人の選手誰も出ていないのに、君はここになにをしに来てるわけなのかな?
なんて手酷い皮肉を言われることも、もうなくなった訳だ。

そっかああ、錦織、やってくれたんだよなあ、といまになって実感が湧いてくるこのテニスの殿堂・フラッシン・メドウ、
アーサー・アッシュの大スタジアム。まさに感無量。思わず涙が滲む思いだ。

そしていつの日にか、その真正面に、「KEI NISHIKORI」の金文字のプレートが刻まれる日を待つばかりだ。

行け~!錦織!!

「フラッシング・メドウのハーレムの母」

Posted by 高見鈴虫 on 02.2014 テニスねた   0 comments   0 trackback
今更ながらこのウィリアム・シスターズである。

ビーナス・ウィリアムスとセリナ・ウィリアムス。
このマサイ族然とするひょろ長体系のビーナスと、
そしてまさにどこからどうみてもただのゴリラのようなセリナ。
いまやまさにUSOPENの顔。
その二人の体系を見るだけで、いまや新たなテニス界のアイコン化しているな、とも思う。

特にこのセリナ。
齢30を越えてもなお実力ではナンバーワン。

ポーポーうるさいだけの白人系お嬢様プレヤーの中にあって、
このゴリラ女、まさに異彩を放ち続けている。

という訳でこのセリナ・ウィリアムス。

その言動に加えてその容姿。
如何考えても通常、テニスギャルで想像するあの長い足をさらした精錬とした姿とは
似ても似つかないものがある訳で、
テニス界がすべてこんな動物園みたいな人たちに占領されてしまったら、と思うと、
かなり複雑な気分にもなる。

とそして、そう、このウィリアム・シスターズの登場と共に、
USOPENの客層そのものにも変化が見られる。

つまりは黒人なのである。
ウィリアム・シスターズの登場からなんとUSOPENに黒人の姿が増えた。
まあしかし、アメリカにおいてテニスはごく一般的なスポーツである。
日本の爺婆たちが思うようなテニス=金持ち、というような変なコンプレックスは微塵もない。

このウィリアム・シスターズ自身、ホームレス同然の家庭に育ちながら、
ゲットーのひびだらけのテニスコートでショットガン片手にトレーニングしていた、という人々。
つまりそう、ゲットー生まれ育ちのプレーヤーがいてもなんの不思議も無い訳で、
事実、俺のテニス仲間うちでも黒人仲間は多い。

なのでまあこのUSOPENにおいても当然のことながら黒人バディは沢山いた訳だ。
がしかし、である。
このウィリアム・シスターズの登場から、いままでにないタイプの黒人ファンがどっと増えたのである。

それはつまり、ぶっちゃけ、普通の黒人達、なのである。

これまで、USOPENにやって来る人々は、人種国籍を問わず、
まがりなりにも多少なりテニスの素養のある人ってのが実に暗黙の了解としてあった訳で、
日々テニスコートでボールを追うことは勿論のこと、ジョギングにスクワットに腕立てに、
と割りとそんなハードコアなスポーツバカの巣窟という感じがあった訳だ。

つまりそんなスポーツ馬鹿たちにとっては、スタジアムのあの階段などは普段からのトレーニングの一環。
コートチェンジの間に嬉々として上がったり下がったりのトレーニングを楽しんで、という乗り。
屋根の無いかんかん照りの座席にしたって普段からあの真夏のテニスコート、フライパンの上でボールを追っている訳で、
つまりそう、そんなことからもこのUSOPEN会場ことは我らがテニス馬鹿たちの聖地であった訳だ。

がそう、ウィリアム・シスターズの登場からむやみやたらに発生した黒人ファン。
それも、普通の黒人の方々。
テニスどころか、スポーツそのものとも一切関わりの無い、
まさに「ハーレムの母」みたいな人々が大挙として押し寄せてきてしまった訳だ。

という訳でこのハーレムの母軍団である。
普段から生活保護浸り。ファストフードと缶詰とチップスで、ゴリラどころか力士のように越え太り過ぎた人々。
日夜テニスコートを走り回るスポーツ馬鹿とこのハーレムの母、まさに対極の生活スタイルをしている訳で、
改めてこのテニスの聖地、テニサーのテニサーによるテニサーのための会場において、
そんなハーレムの母たちが、そこかしこに混乱を巻き起こしている訳である。

まずは階段である。
このUSOPEN会場の階段は急である。そして狭い。このまるではしごのような階段。
普段テニサーたちはこの階段をまるで岩山のカモシカのようにひょいひょいと
なんの不思議もなく飛び渡る訳だが、
このハーレムの母たち。普段から地下鉄の階段さえもろくに登れない人々である。
そんなハーレムの母達がそこかしこの階段でつっかえてはぜーぜーと肩で息をして、
そして動けなくなってしまっているのである。

これは邪魔である。できる限りより良いシートで試合を観戦しようとするテニサーたちにとって、
この糞詰まりの時間のロスはまさに腸がねじくれるような苛立ちを感じる訳だ。

そして改めて、そういえばテニスコートにデブはいない。
朝から晩までテニスコートで過ごしているようなテニサーたちにとって、このデブ、
しかも、自身の力では歩行もできなくなってしまったようなデブはまさに奇異。
この人たちっていったいなんなんだろう、と異性物を眼にしたような気にさえもなる。

という訳でこのハーレムの母である。
テニスコートを囲むその通路でまさに動けなくなっている訳である。

そしてこのUSOPENの会場において、座席が狭い。
まあ俺たちテニサーはほぼ体脂肪ゼロ。まさに長距離ランナーのような体系の輩が多いのだが、
それように作られてしまったUSOPENの座席。
ハーレムの母たちはそのお尻が入りきらないのである。

そして匂いである。
テニサーは普段から汗まみれ。ながら、普段から水を飲む習慣と、
そして体重が増えることによるフットワークの減退を恐れることから、
始終食べ物には気を使っている人々が多い。
またテニスの後のシャワーがなによりの愉しみな訳であって、
つまりテニサーに体臭のきつい人はまずいない。
あるいは、そんな健康な汗のにおいには慣れきっているところがある。

のだが、このハーレムの母たち。
体臭が違う。
つまりぶっちゃけ、普段からこれでもかと詰め込でいるそのジャンクフード。
テニサーたちが見向きもしないそんな食物が身体中に充満してしまったその身体。
そこから発せられる体臭はまさに異臭。
少なくとも普段からのテニスコートでは決して嗅ぐ事の無い匂いな訳だ。

という訳で、ウィリアム・シスターズの登場以来、そんな人々がUSOPENを占拠しつつある。

なんでこの会場にはエスカレーターがないのか。
椅子が小さすぎる。
階段を登れない人用のシートはないのか?
とそこかしこで文句たらたら。
挙句に、ディスクリミネーションだ、やらと騒ぎ始めては、
試合中にはルールも判らずに変なところで奇声をあげ、
そしてのべつ幕なしなにかを食べている。

まあそう、しかし、これこそがアメリカの現実。
つまりはウィリアム・シスターズが生まれ育った黒人ゲトーの普通の風景なのである。

ちゅう訳で、黒人ゲットーの異臭に満ちたUSOPEN会場。
まさに目が点々。

かつてウィリアム・シスターズが登場した際に、
米国テニス協会があの手この手でウィリアム・シスターズの締め出しにかかっていた、
っていう噂は良く聞いていたのだが、
つまりはそう、こういう状態、USOPENが黒人ゲットーに占拠されてしまう、
ってな状況を危惧していたのだろうが、まあ、そう、そのうち通路にピーナッツ売りやら、
線香むんむんのラスタのビーズ売りやら、バケツ叩きやら、が出没しないのを望むばかり。

だが実は、そんな風景を当のテニサーたちはわりと喜んでいたりもするのだ。

えええ、だってええ、あんな太った人がこの世にいるなんて知らなかった、な訳である。
なんかすごく珍しい。いかにもアメリカって感じで~。

朝から晩までテニスコート以外では過ごしたことの無いテニス馬鹿たち。
それはそれでまさに異星人であったりもする訳だ。

という訳で、
金髪の長い髪にかもしかのような長い足を伸ばしたロシア娘たちと、
そして、まるで妖怪のように太りまくった肉袋のようなハーレムの母達が、
ならんで記念撮影をしていたりするわけだ。

これはこれで立派な異性物間の交流劇な訳である。

失業ハイパー ~ USOPENを観ながら試験勉強?

Posted by 高見鈴虫 on 02.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback


またひょんなことからUSOPENのチケットを貰った。
スケジュールを見れば、別にこれと言って観たい試合がある訳でもない。
だが、まあ、チケットはある訳だ。観ない手はない。
だが、失業暮らしも早三ヶ月を過ぎ、
試験勉強の滞りが著しきいま、おまえそんなことやってる場合かよ、とも思う。
うーん、と悩んだ末に、
そうだ、USOPENを観ながら勉強しよう、という妥協点を見た。

という訳で、普段はお菓子からお弁当から飲み物からクッションからと
割りと大荷物で出かけるUSOPEN。
今日に限ってかばんの中は参考書とIPADとノートに鉛筆。
この日の為に作っておいた、重要事項を録音したFLASHCARDの読み上げテープを耳に、
これを暗記しながらUSOPENを観戦すればまさに一石二鳥、とちょっと得意になっていたわけだ。

という訳でまたまた辿り着いた、というよりは舞い戻ってしまったフラッシング・メドウ。
いつものように迷わずアームストロングに直行。
チケットそのものはアーサー・アッシュなのだが、
わざわざ客席の一番上から米粒のような試合を眺めるよりは、
やはりコートサイドで迫力満点のアームストロング、あるいはグランドがメインな訳だ。

ちゅうわけで、 ウィリアム・シスターズのダブルスから、
シモンVSチリックのガチンコのフルセット。
その間に、かのマルチナ・ヒンギスの復活の晴れ姿、と、
なんだかんだで朝も早くから一日中、まさに陽がどっぷりと暮れるまで、
アームストロングとグランドを行ったり来たりしながら、
なんだかんだでUSOPENな一日を満喫してしまった。

という訳で、勉強?ああ、無理だろう、と。

テニスと勉強は共存できないな、という事実だけは身を持って知ることになった一日であった。

ゲットー・テニス

Posted by 高見鈴虫 on 02.2014 テニスねた   0 comments   0 trackback
俺がテニスを始めたのは、テキサスの貧民アパートに住んでいた頃だ。

俺は日本に居た時はパンクロッカーであった訳で、
ことテニスというイメージからはもっとも遠いところに暮らしていた人間だった。

そんな俺がテニスを始めたのは、まさにアメリカにやって来たからである。

訳あってテキサスの片田舎に辿り着いてからというもの、
その茫漠たる風景と、貧困とキリスト教と人種差別以外なにもないようなこの土地で、
まさに腐りきっていた。

心底、このアメリカというところにやってきた選択を悔やんでいた。
このアメリカ、あるいは、テキサスという土地、そしてその風景が、
まさに苦々しくも心の底から憎みきっていた。

という訳で、せっかくアメリカにやってきたというのに、
友達にいず、なにもすることがなく、暑い暑いと文句を言いながら、
休日は家で寝てばかり。

とそんな時、かみさんがいきなり、テニスをやろうよ、と言ってきた。

その当時暮らしていたアパートの端にゴミの積もったテニスコートがあった。

テニス・コートがあるぐらいだから高級か、というと全然そんなことはない。

アメリカには津々浦々、どこに行ってもテニスコートが存在する。

たとえどんなに貧乏なエリア、事実俺たちの暮らしていたアパートも、
お世辞にも高級感からは程遠い、まさにどこもかしこもゴミだらけの、
枯れた芝生とさびた車が放置された、まさにゲットー以外のなにものでもなかった訳で、
そんなゲットーの風景の中、無人のままに長らく放置され続けているテニスコート。
その荒れ果てた風景こそがアメリカの貧困の姿そのものであったりもした。

という訳で、アパートのテニスコートである。
いつ見ても無人のテニスコート。ネットは垂れまくり、枯葉積もりまくり、水溜りだらけで、
まるで見捨てられた沼地のように、気味の悪い虫が這い回っている。

俺たちのテニスはこのテニスコートを掃除することから始まったのだ。

だがしかしながら、テニスである。
元パンクロッカーの俺がなにが悲しくてテニスなどしなければならないのか。

がしかし、聞いたところによると、
うちのかみさんは元々日本にいるときから、やれFILAだ、エレッセだ、
とそんな人々とテニスをやっていた経験のある人であったらしく、
一応、ラケットの持ち方、ぐらいの知識はある、ってなことで、
という訳で、スポーツ店で買ってきた一番安いラケット。

最初はフェンス越えのホームランやら、空振りやらを連発していたのだが、
そんな俺たちを観るともなしに観ていたアパートの住人たちが、
これはもう、見てられない、ということなのか、
あるいは、いくらなんでもこいつらよりはましだろう、と舐めてかかってきたのか、
あるいは、普段からあまりの下手糞さにテニスをやるのが恥ずかしくて、
と言った手合い、つまりは、普通のアメリカ人たちが、
ひとりふたりとテニスコートにやってきて声をかけるようになり、
ねえ、なら一緒にやろうよ、となったのだが、
いつしか、それまで長らくゴミだらけの放置状態だったテニスコートに人々が集まるようになってきた。

その当時、仲間うちにまともにボールが打てるのはかみさんだけで、
そんなかみさんは、当時メキシコ系のTVで放送されていた大場久美子のコメットさん!
の影響で、シニョリータ・コメッテとして知られるようになっていた。

シニョリータ・コメッテのテニス教室。

街外れのゲットーアパートの一室で寝てばかりいた人々が、
テニスコートから響いてくる嬌声に誘われるように集まって来ては、
触ったこともないラケットを振り回し初めては、
いつしか全身汗だくになってボールを追いかけはじめる。

そうこうするうちに過去にテニス選手であった住人がコーチを引き受けてくれて、
バックハンドどころかサーブもろくにできなかった連中がめきめきと腕を上げ始め、
それに誘われるように外からもテニス好きの連中が訪ねてくるようにもなった。

という訳で、妙に人が集まり始めたこのゲットー・アパート。

隣りにあったこれも水が枯れたまま放置されていたプールもみんなで大掃除に取り掛かって、
枯れたままビニール袋の花を咲かせるままだった植木に緑の芽が吹き始め、
ゴミ捨て場にあった椅子やテーブルを並べるうちに、
いつの間にか、かのゲットーアパートの中庭がまるでリゾートホテル。

夜な夜なランタンからラジカセを持ち込んでは、
コートの順番待ちの時間にプールサイドでビールを飲みながらハッパを巻いて、
とやっているうちに、そのうちどこからともなくビキニのお姉さんの軍団が押し寄せてきて、
いつしか中庭は夜な夜なテニスパーティで大盛況。

それまで、アメリカにやってきて以来、
英語もろくにしゃべれず誰とも知り合いのいなかったこのゲットーアパートで、
ちょっと窓から顔を出しただけで、そこかしこから、へい、テニスやらないか、やら、
プールでパーティやってるからおいでよ、と誘いがかかるようになって、
いつしかアパート中の人間で知らない者はなし。
互いの部屋を訪ねあってはやあやあやあ、と過ごすうちにまさにアパート中が長屋状態で、
いつしか我が家はそんな人々の溜まり場となっていた。

右も左もわからなかった俺たちがこのアメリカという場所に居つき、
そして、アメリカっていいなあ、本当にいいところだな、と思えるようになったのは、
まさにこのゲットー・テニス。
そう、全てはこのゲットー・テニスから始まったのだ。

そして俺にとって、テニスとはつまりはそういうものなのだ。

いう訳で、いまさにテニスだけはちっとも上手くならないが、
おかげさまでどこにいっても友達だけは山ほどいる。

錦織 VS ワウリンカ まさに感無量の対決

Posted by 高見鈴虫 on 03.2014 テニスねた   0 comments   0 trackback
俺はワウリンカが好きである。

このピットブル、というよりは、間の抜けたボクサーのような、
あるいは、ハイエナ、あるいは、熊、という感じで、
いずれにしろ、完璧なまでの犬系の顔である。

そしてこの汚い顔。にきびだらけの無精ひげ。
まさにキコリのあんちゃん、という感じの風貌である。

このワウリンカ、スイス人である。
つまり、あのフェデラの後輩、
そして、ダブルスのパートナーでもある。

見かけも性格も正反対、といった風情のこの二人、
このフェデラとこのワウリンカ、が実はとても仲が良い。
USOPENの際にはよく一緒に練習している姿が見られた。

という訳でそんな関係から俺は昔からワウリンカを良く見ていた。
つまり、フェデラの練習台としてのワウリンカである。

その当時、すでに不動のチャンピオンとして君臨していたフェデラに対し、
ワウリンカはまだ少年の面影を残した風貌で、
フェデラの繰り出す癖球に目を白黒させては、足を絡ませ、怒りの雄たけびを上げていた。

そんなワウリンカを、ニヤニヤと笑いながらまるでからかうように右へ左へ前へ後ろへ、
と振り回すフェデラ。
弾かれたボールがいったいどっちに飛ぶのか判らないフェデラのこのマジックボールに、
始終舌打ちを繰り返しながら、ねえお兄ちゃん、たまにはまともな弾打ってよ~、
と癇癪を起こしていた。

フェデラはそんなワウリンカが可愛くてしかたがないと言った感じで、
不貞腐れるワウリンカの頭をタオルでゴシゴシ擦っては鼻をつまんだりしていたものだ。

そんな訳で、この意地の悪いお兄ちゃんに鍛え上げられたワウリンカ。
いつの間にか、骨太のフェデラ、と言ったプレイスタイルでめきめきと頭角を現してきた。
がしかし、フェデラと比べて、というよりは、
どことなくフェデラの悪いところばかりを真似してしまったようで、

相変わらず馬鹿うちが多い。ここぞという時にはいつも力んでしまう。
バックハンドは安定性に欠け、そしてフェデラに比べて徹底的にプレイに花が無く、
決め球がないためいつもだらだらとフルセットになる。

このままがんばっても、まあ良くてMr.QTR FINALが良いところ、
かのトミー・ハースや、トミー・ラブレド、あるいはデビッド・フェレルなどと同じように、
まさに、アームスロトング、あるいは、グランドのスーパースター。
頑張って頑張って、いつもとてもよい試合をするのだが、
いざようやく勝ち上がって試合会場がアーサー・アッシュのスタジアムに移ると、
ここぞと言うところでトップ・プレイヤーに競り負けて、そしてトロフィーを手にすることはない。

そんな役回りを、本人も自覚していたようにも思う。
まあ、こんなものだろう、チャンピオンにはなれなかったが、
取りあえず喰いっぱぐれは無さそうだし、テニスが続けられるならまあいいか、
それに、俺がまさかフェデラ兄ちゃんに勝てるわけはないしな、と言ったところ。

とそんな甘えん坊の熊さんであったワウリンカに、事もあろうに2014のオーストラリア・オープンで、
グランド・スラムのチャンピオンの座が転がり込んできてしまった。

という訳でこのワウリンカである。
いまでは押しも押されもせぬグランド・スラマーである。

そんなワウリンカが、今年のUSOPENにおいて、こともあろうに我が錦織圭とぶち当たる。

錦織にとってはワウリンカはまさに百戦錬磨のベテラン選手である。

そんなワウリンカをこれまでずっと応援してきた関係で、
いつもワウリンカの側に立ってしか試合を見たことがなかった。

そしていま初めて、相手選手としてのワウリンカを見ることになった。

手ごわい相手である。
あの癖球大魔王のフェデラに鍛え上げられたまさに全身筋肉の熊男。
多彩な球種。パワープレイもネットプレイもお手のもの。
そして試合の抑えどころを知り尽くしていて、相手選手の心理を読むのも上手い。

そう、ワウリンカもこれまでそうやって、先輩選手たちから足元を見透かされた状態で戦って来たのだ。

あのやんちゃ小僧がついに中堅選手か。

そして若き新星・錦織にとって、その壁はあまりにも頑強にも思える。

良い試合になるだろう。
凄まじいラリーの続く、超絶な消耗戦になることだろう。
そして、精神的に折れた方が破れるのだ。

これからの錦織にとって、このワウリンカを倒すことこそが新しいステップへの登竜門となるのだ。

この対決、まさに感無量である。

正直、錦織が勝てるとは思っていない。ただ、なんらかの手ごたえを掴んで欲しい、と思っている。

錦織にとって、そんなワウリンカはまさに最高の先輩となってくれる筈なのだ。

錦織、やってくれたなあ

Posted by 高見鈴虫 on 03.2014 テニスねた   0 comments   0 trackback
ぐげげげげ、なんてこった!
錦織があのワウリンカを撃破!
俺の電話にはさっきから祝電が鳴り止まない。
ちゅうわけで、ニューヨークどころか世界中がぶっ飛んだぞ!

錦織、やってくれたなあ。
イチローと並んで今や世界に誇る日本人アスリート。
まさに感涙に咽ぶニューヨークである。

蜘蛛の糸

Posted by 高見鈴虫 on 04.2014 大人の語る怖い話   0 comments   0 trackback
ここのところ、USOPENにかまけて犬の散歩が遅くなる一方だ。

今夜もいい加減12時近くなってドッグランへ。
今年の夏は例年になく涼して過ごし良かったのだが、
ここのところ、まさにUSOPENが始まって以来、暑さが戻ってきたようだ。

灯りの落ちた公園。
さすがにこの時間になると他の犬の散歩人も見当たらない。
暗がりの中、深夜を過ぎてもむっとした生臭い熱気が絡みついてくる。

ふと犬が小道を外れて木立の中に入る。
野原でボール投げがしたいのだろう。
街灯の明かりの届かぬ木立の中、
濡れた芝生を通して靴の中にもじっとりと夜の湿気がしみこんでくる。

ふと顔に雲の糸が絡む。
感じるか感じないか、のその曖昧な感触が、
鼻先にそして無精ひげの伸びた口元に執拗に絡み付いてくる。

この時間は蜘蛛が巣を張る時間なのだろうか。
払っても払っても絡み付いてくる雲の糸。

ボールを咥えた犬はすでに木立を抜けて草原に走り出ている。

丘の上を走る国道、深夜の高速を走りぬける車の走行音が、
まるで遠くに聞く潮騒のように絶え間なく響いてくる。

なんどかのボール投げの後、ふと犬が足を止めた。

口にボールを咥えたままきょろきょろと辺りを見回し、
そして先に通り抜けてきた木立を覗き込むように首を伸ばしている。

おい、どうした。ボールやらないならもう帰るぞ。

そんな声も耳に入らぬようで、じっと木立の中に目を凝らしている犬。

ふと再び顔になにかが引っかかる。
さっきの蜘蛛の糸だろうか。払っても払ってそれは纏わりついてきて、
そうこうするうちに寄ってきた藪蚊が足元を飛び回っている気配だ。

さあ、もう帰ろう、と犬を促す。しかし犬は動かない。

再びあちこちに視線を飛ばし、そして振り返っては目を見開いている。

なんだよ、どうした。こっちにおいで。

普段なら、呼べば弾かれるように戻ってくるこの犬が、
なぜかそんな俺をじっと見つめるばかりで近寄ってさえもこない。

嫌な夜だな、と思った。
この暑さ、この湿気、そして纏わりつく薮蚊と、そしてなんだよこの蜘蛛の糸。
そのじっとりと重い空気の中に、言いようのない意地の悪さを感じる。
それが理由ではないのだろうが、今夜は珍しく人の姿を見ない。

がまあ、こんな不快な天気だ。
なにが悲しくてわざわざこんな深夜に犬の散歩になど出るだろうか。

さあもう帰るぞ。

言うことを聞かない犬を放っておいて、俺はそのまま出口に向けて歩き始める。

ボール忘れるなよ。もう探しにこないからな。

しぶしぶと後をつけ始める犬。がしかし、近くには寄って来ない。

公園を出て交差点に着いたところでようやく犬が追いついてきた。

あれ、やっぱりお前、ボール置いてきちゃったのか?

まああの辺りはあまり人の行かないところだ。明日の朝にまた探しに行けばよいだろう。

家に帰ると妻がちょうどシャワーから上がったところだった。

濡れた髪を拭きながら、あんまり暑くて、シャワーを浴びたところ、と言う。

ああ、外も凄く暑くてさ。薮蚊に食われに出たようなものだぜ。

浴室で犬の身体を拭いていた妻が、ええ、なにこれ、と声が響いた。

なんだこれ、あれ、髪の毛?

そんな声に吊られて浴室に行ってみると、ほら、これ、髪の毛。凄く長い髪の毛。

それは金髪の、いかに細くて頼りない、まるで蜘蛛の糸のような長い髪の毛。

ほら、ここにもここにも。

犬の身体を拭いていたタオルに、そんな髪の毛がいくつも絡みついている。
女の毛だろうか。そのあまりにも長い金髪の髪の毛。1Mは優にありそうだ。

あれ、やだ、あなたにも。

と言われてみれば、確かに俺の身体にもそんな髪の毛がいくつも絡みついていたようだ。

げええ、ここにも、ここにも、ここにも。やだあ、みんな髪の毛だ。いったいどこ行って来たの?

と言うことは、あの木立の中で絡み付いてきた蜘蛛の糸、実はこの髪の毛だったのか?

なんか気味悪いね。早くお風呂入っちゃいなよ。

まあ言って見ればそれだけのことなのだが、正直ちょっとぞっとした。

某大使館の幽霊話、と、それよりもずっとずっと怖い話

Posted by 高見鈴虫 on 05.2014 大人の語る怖い話   0 comments   0 trackback
先日、仲間内との夕食の際、世も更けた頃になって、
ひょんなことからおんな達がお化けの話なんてのを始めた。

まあよくあるタイプの、友達の友達の友達の、やら、
みんなで肝試しに出かけたら、やら、
れーかんの強い子がいてさ、やら、
深夜の学校に忘れ物を取りに言ったら、なんて奴、ばかり。

俺はそんな話にも加わらず、皿に残った料理を摘んでは温くなったワインをちびちびと飲んでいたのだが、
そんな俺に、思った通り、ねえ、と声がかかった。

ねえ、あなたスモーキー・マウンテンで幽霊の女の人を乗せたんでしょ?
あのハンドルがきかなくなって死にかけたって話、もう一度聞かせてよ。

いやあれは、と俺も苦笑いである。

まあこの目で見た訳じゃないしさ。ただちょっと寝ぼけていただけだろう。

だったら、あの飛騨高山のホテルの開かずの間の話は?

あれだって、見たって言ってんのは大旦那で、俺はただその部屋に間違えて入っちゃった、ってだけでさ。

でもなんかいたんでしょ?その気配がしたって。

だからずっと使われずに締め切ったままの部屋だから、妙な匂いがしたってだけでさ。

だったらあの、音楽スタジオでドラム叩いていると女の声が聞こえてくるっていうのは?

あれもまあ、ただの耳鳴りだろう。見た訳じゃないしさ。

でもほら、過激派にリンチ殺人されたショートヘアの女の子って。

まあそれもはっきりと写真とか見たわけじゃないしさ。まあそういう話があったよ、と。

なんだ、今日はなんか乗ってこないのね。

だって、と改めて俺。そんなものはっきり言って、この世にいる訳ないじゃないか。

本当にそう思っているの?

ああ思ってるよ。少なくとも目に見える、なんてものじゃないよ。空想。ただの想像の産物だよ。

じゃあ幽霊は信じない?

ああ、信じない。

だったら、ほら、あの予知夢、とか、幽体離脱とか、ドッペルゲンガーとか。

どうせなにかのでっち上げだろ?馬鹿馬鹿しい。それよりもっと別の話をしないか?

と言うのだが、どういう訳かその夜に限って女たちが諦めない。

ねえ、実はまだまだいろんなこと見てるんでしょ?なんか思い出して話してよ、と食い下がってくる。

あ、そう言えば、さっきのIPHONEの話。

なに、IPHONEで心霊写真が撮れた、とか?

まさか。ほら、IPHONEの電磁波は大丈夫かって話。

なによ、また技術系の話?そんなのいくら聞いてもわたしたち判らないもの。見てのとおりガラ系も極まれりなんだから。

そう、わたし、IPHONEじゃないけど、携帯で話してると頭痛くなるのよ。

それはほら、いまだにそんな古い携帯使ってるからよ。

だって、わたしf独り者だし、IPHONEとか買ってもどうせ使い方判らないもの。

で、なに、そのIPHONEがどうしたの?

いや、IPHONEじゃなくて、電磁波。

まあいいわよ、そのデンジハ、ってのがどうした訳?

ああ、実はさ。昔、訳あって、こんなこと言っても良いのかな。まあ何年も前の話だから時効だろう。
実は、仕事でワシントンDCの某国の大使館に行ったときのことなんだけどさ。



ニューヨーク・ファッション・ウィーク ~ 美人妖怪、現わる

Posted by 高見鈴虫 on 06.2014 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
昼下がりの図書館。

ちょっと息抜きにと、外の日差しの中をそぞろ歩き。

いやあ、図書館冷房キツ過ぎて、いつのまにか身体中がガビガビだ、

と屈伸運動、なんてものをやりながら、まだ夏の面影を残す眩しい日差し。

果たしてこの陽気がいつまで続くのだろう、などと思っていた矢先、

ふと目の前に、いきなり我が目を疑うような「異型の輩」の出現を目撃した。

異型の輩、それは女。

それも、恐ろしく背の高い女。

そしてその構成物のすべてが、ことごとく細く、そして、長い。

それはまさに異様な程の細長さ。

その手、その足、その首、なにもかもが、極端に細く、そしてあり得ない程に長い。

まるでジャコメッティの彫刻そのまま、非現実的なまでの痩身。

いったいこやつはなにもの?

そんな異型の輩は、ジュリアードからの桟橋からしゃなりしゃなりとやって来て、
図書館の前を通り過ぎてそこから広がる並木からオペラ座へと向かう。

その栗色の長い髪。その身のこなし。その歩き方、そして、夏の風に揺れるその薄手のワンピース。

なにをとってもまさに息を飲むほどに美しい。

それはまさに、この世のものとは思えない異型の輩。

化け物、というよりは、まさに、妖怪。

美人妖怪、現わる。

そんな美人妖怪の姿、思わず目に焼き付いてしまう。

その美しさを構成するすべてのもの。

指先から、爪から、手首から、

首筋から、その髪の生え際から、背中のラインから、

足の指から、膝小僧から、その裏側から、

耳の穴からヘソから鼻の穴の中まで、

そのなにもかもが透ける程に白く、そして艶かしく、

なにからなにまでが克明に手に取るように想像ができる程に、
実に生々しいのである。

つまり、そう、美貌の、あるいは、ファッションの基本とは、
その薄い布切れを剥ぎとった姿をいかに想像させるか、というところにある訳だ。

美人妖怪の姿にそんな美の本質を見たような気がした。

という訳でこの美人妖怪。

口をあんぐり開けたままの俺の前を、まるで夏の木陰に吹いた一陣のそよ風のように、
そのまままるで幻のように、オペラハウスの向こうに消えていってしまった。

という訳で、気を取り直して、あの異型の輩、いったいなにもの、と思えば、

そっか、ファッション・ウィークか。

今週から、図書館の隣接するリンカーンセンターにおいて、ファッションショーが開かれているのである。

ということは、あれこそが、ファッション・モデル、という生物であるわけなのか。

いやはや、世の中、綺麗な人というのは居るものであるが、

がしかし、果たしてあれ程までに細く長く、体脂肪のすべてをこそぎ落とした、
というよりは、生まれてこの方、一度足りとも箸よりも重いものを持ってこなかった、
あるいは、太陽の下に出たことがない、なんていうこの徹底的な超現実感。

果たしてあんな体型で一般的な日常生活がやっていけるのか、と他人事ながら心配になってしまうのだが、

まさに異型の輩、そう、妖怪に他ならない。

つまり美しさとは、あるいは、女の求める美しさとはそういうもの。つまり、超現実であったりもするのだろうなあ、

つまり、女のいうことをそのままへいへい聞いていると、
すっかりそんな幽玄世界に誘い込まれてしまうということなのである。

クワバラクワバラなのである。

ジョコビッチ VS 錦織 歴史が変わったその瞬間

Posted by 高見鈴虫 on 07.2014 テニスねた   0 comments   0 trackback
いやはや、これまで、信じられない光景ってのはいろいろと目にしてきたが、
この錦織が、まさかあのジョコビッチを倒すとは。。。

まさに唖然、というよりも、なんというか、つまりは、超ありえねえ~、な訳なのである。


改めてこのジョコビッチである。

何度も言うようだが、俺はジョコビッチが嫌いだ。

ジョコビッチは本当に嫌な奴である。
その底意地の悪さは、奴の顔つきにこれでもか、と表れている。

そしてなによりも、ジョコビッチのテニスは面白くない。

ジョコビッチ自身、己のテニスが面白くないことを明言して憚らない。

俺は観客を楽しませようとしてテニスをしている訳じゃない。勝つためにやっているのだ。

そう言い切るジョコビッチのプレースタイルは、まさに徹底的なベースライン・プレーヤーである。

派手なアクションも、華麗なネットプレイも、目を見張るようなウィナーもない。

まさに機械のように、来た弾を打ち返すのみ。
それを左右のコーナーからコーナーへと打ち分けては、
じわじわじわじわと、相手の体力と気力を根こそぎに奪い去っていく。

そしてひとたび敵の弱点を見つけるやいなや、
そこばかりに攻撃を集中させて、まさにこれでもかと執拗な攻撃を繰り返し続ける。

それはまさに、逃げ回りながら小刻みなパンチを連発する狡猾なボクサーのよう。
ポイントポイントを稼ぎながら、相手の内臓に響く意地の悪いボディブロウを繰り返し、
ひとたび傷ができればその上から畳み掛けるようなジャブを繰り返しては傷口をねぶり回し、
そして相手はみるみると体力と気力を消耗し、いつしか足が止まり、息が上がり、血みどろ、
まさにテニスをやることに心の底から嫌気が差してくる、そのときになって、
ジョコビッチはここぞとばかりにかさにかかっては、
そしてついには徹底的な滅多打ちの血祭りに上げるのである。

ジョコビッチのその陰惨なプレイスタイルはまさに蛇、そう、マムシ、そのもの。

その見るからに残忍そうな面構えから、俺は勝手にそんなジョコビッチを、
「マムシのジョコビッチ」と呼んで来た。

そんなジョコビッチが、現テニス界のナンバーワンの地位にある。
その姿はまさに邪悪なキング・コブラ、そのものだ。

ジョコビッチには弱点がない。
フォアハンドもバックハンドも、ことボールを正確に弾き返すという技術においてはジョコビッチに勝るものはいない。

がしかし、ただそれだけ。そう、ただそれだけなのだ。まさに壁、あるいは機械。

そんなプレイをするジョコビッチ。当然のことながら人気はない。

チャンピオンでありながら、ジョコビッチの試合にはアッシュの大スタジアムが埋まらず、
隣りのアームストロングでプレイをする、なんてことにまでなる。

あるいは、そんなジョコビッチに滅多打ちに会う相手選手を応援する大歓声が場内を埋め尽くし、
ジョコビッチが得点を失うために響き渡る拍手の渦。
だがしかし、ジョコビッチはそんな歓声の中を、ひとり苦笑いを浮かべながら、
あるいは、そんな歓声こそがジョコビッチのサディスティックな嗜好に油を注ぐかのように、
途端に精力を盛り返し、そしてジョコビッチは、
観客一同のブーイングと悲嘆の溜息に包まれながら、勝利と言う勝利を片っ端からむしり取ってきたのである。

という訳でジョコビッチである。
ジョコビッチとはつまりはそういう男である。

がしかし、悔しいことに、いまのテニス界においてジョコビッチを打ち負かせる者はいない。

その憎々しいばかりのメンタルの強さ。
なにがあっても決して揺るぐことのない安定性。
時として小気味良いほどの狡猾さ。
そして底知れぬ、まさに気味が悪いほどの勝負強さと、
その内面から滲み出るような、いまにも身震いがするほどの加虐性。

このジョコビッチ。
まさに見事なほどのヒールぶりなのだが、
が、しかし、
そう、テニスとは本来そういうスポーツ、でもある訳だ。

という訳で、このUSOPENの準決勝の大舞台。

紅顔の新鋭である我が錦織も、そんなジョコビッチの格好の餌食。

大観衆の前で徹底的な滅多打ちにあい、
血みどろの上に泡を噴かされるぐらいにぶん回され、
世界の大観衆を前に、これでもかとばかりに赤恥を晒されながら、
なす術もないまま、徹底的ななぶり者にされる運命、と思っていた訳だ。


2014USOPEN~錦織決勝狂騒曲

Posted by 高見鈴虫 on 08.2014 テニスねた   0 comments   0 trackback
という訳で、錦織、たたたた、大変なことになってしまった。

この誰もが予想だにしなかったいきなりの決勝進出。

まさに、大事、言ってみれば、珍事、である。

がしかし、そう、この大事件。

まさかまさか、日本人で最初で、そしてもしかするとたぶん、最後、の決勝戦。

で、ことによると、そんな錦織が、まさかまさか、優勝、なんてことも十分にあり得ないわけではないわけで、

おおおおお、そうなったら、そうなったら、そうなったら!!!!

もう居ても立っても居られないわけだ。

と思ったその時には、まさに同じことを考えた奴らから電話が鳴り止まない。

おい、おい、おい、どうすんだよ、どうすんだよ、決勝戦だって?そんなもの行ったことないぜ。


WHO KILLED BAMBI ~ 俺達の錦織を潰したのは誰だ!?

Posted by 高見鈴虫 on 09.2014 テニスねた   0 comments   0 trackback
今更になってこんなことを言うのはとてもとても見苦しいことであることは分かっている。
そして、腹の虫がおさまらない、ということでもない、とは思う。

とは思うが、んなことは重々承知してはいるが、言って置かなくてはならないことがあるような気がする。

そう、WHO KILLED BAMBI ~ 俺達の錦織を潰したのは誰だ!?な訳である。



ピットブルを飼う理由

Posted by 高見鈴虫 on 10.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback
先日、いつもの獣医さんで健康診断の後、
受付で支払いを待っていた時、
待合室のソファにいかにもやんちゃそうなピットブル。
どうしました?と聞けば、
どうもドッグランの喧嘩で前足を噛まれたらしい。

まあ大事に居たらずに良かったけれど、
と苦笑いの飼い主さん。
見るからに品の良さそうなご婦人。

なんでこんな人がピットブルを飼っているのか、
とも思うが、そんなやんちゃ坊主が可愛いくて可愛くて仕方がない、
というのは様子を見ればすぐに判る。

で、そのご婦人が受付に呼ばれて、支払いの書類に目を通していた際、
診察室のドアの中から出てきた、これもいかにもやんちゃそうなピットブル。

いやはや、大変な目にあったぜ、と渋い顔ながら、
包帯だらけの身体をぴょこたんぴょこたん。

としたところ、ふと顔を合わせたその二頭のピットブル。

その瞬間、唸り声を上げる間もなく、いきなり二頭同時に飛び掛かって取っ組み合い。

獣医さんの待合室に響き渡る、がるるるる、と猛々しい怒声。

やめて、やめて、と双方から綱を引っ張る飼い主。

慌てて駆けつけた看護婦さんから技工士さんから獣医さんから、
必死の思いで引き離したのだけれど、巻いたばかりの包帯はずたずた。

おまけに前足を噛まれて治療したばかりのピットブル、
もう片っ方の方の足も噛まれてしまってそこから血が出ている。

どうも聴くところによれば、そもそもこの二頭がドッグランで大喧嘩をやらかして、
で、その二頭ともが同じ獣医さんで同じ時に治療を受けていた、ってな話。

という訳で、二頭ともにそのまま治療室に逆戻り。
で、それぞれの治療費の請求書。
4枚分の請求書を足して折半、となったらしい。

いやはや、笑えない話ではあるのだが、やたらとおかしい。


とそう言えば、そんな話、昔聞いたことがあるよね。

単車の事故で入院した友達、

で、見舞いに出かけてみれば、こともあろうに隣のベッドに敵方のチームの奴が、
これも単車の事故で包帯だらけ。

で、そんな包帯だらけの二人が、ベッドを挟んで、んだ、このやろう、ぶっ殺すぞ、
とやっていたらしいのだが。

そんなところに見舞いに来た俺達。そしてこともあろうに、
敵方のチームのメンツもお見舞いにやってきて、まさに鉢合わせ。

と言うわけで。。。。

いや、でもね、そう、それでも、昭和のその時代、

そんな俺達にみな迷惑そうな顔をしながらも、
まあ、男の子はそれぐらい元気があったほうが、
なんて妙な寛容さがあったのも事実。

さあ、お前ら、そこに並べ、と廊下に座らされて、
こしらえたばかりの青たんに看護婦さんから赤チン塗られながら、
そんな俺達を、白衣のポケットに両手をつっこんだお医者さん。
あのなあ、お前ら、本当にいいかげんにしろよ、としかし妙に嬉しそうに苦笑い。

あ、で、ねえ、看護婦さん、名前なんての?
なんてナンパまでしていた奴は、いきなりお医者から頭を叩かれて、
おまえ、暫く入院させてやっか?
おちんちん、切っちゃうわよ、と大笑い。

と、まあそんなバカバカしい逸話も、古き良き時代、という奴なのだろうか。

という訳で、そう、そんなやんちゃもののピットブルのオーナーたち。

まったくもう、うちの子は本当に本当に騒ぎばかり起こして・・
と溜息をつきながら、実はそんなやんちゃ坊主が可愛くて可愛くてしかたがないのだろう。

まあ気持ちは判る、とだけ言っておく。


ニューヨーク・ファッション・ウィーク ~ 山の修験者とスーパーモデル

Posted by 高見鈴虫 on 11.2014 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
ニューヨークはファッション・ウィークである。

ファッション・ウィークだからと言って、
別にすべてのニューヨーカーがおしゃれをしなくてはいけない、ということではもちろんない。
ただたんに、リンカーンセンターにおいてファッション・ショーが行われている、ということなのである。

まあいずれにしろ浪人中の俺の知ったことではない。

ただ、そう、リンカーン・センターである。

よりによって俺の通っている図書館が、そのファッションショーの会場に隣接したりしている訳だ。


さらばヤフジャ、ハロー朝日新聞 lol

Posted by 高見鈴虫 on 14.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
米国在住という関係から、日本のニュースは大抵、WEB上で見ている。

そんな事情から、ご多分に漏れず日本のニュースを漁る時にはYAHOO.CO.JP、
俗にいうヤフジャから拾い読みすることが多かったのだが、
正直言って、そんなヤフジャから日本の記事を読むたびに、
まさに、腸が腐りきるような暗澹たる気分にさせられていた。

近年感じて来た日本蔑視、というか、日本という国、あるいは日本人という民族に対する幻滅感、
ぶっちゃけ、こいつら、おつむ、大丈夫かよ、というか、まあ端的に言って、頭悪すぎ~!
つまり、思考能力欠如、論理的構築力皆無、
それに加えて恐るべきはその想像力が欠如。
というよりはその想像力に客観性がなさすぎ、
つまり自身の妄想に客観的な判断をもたらすまえにそれを直感的に絶対視してしまっている、
これ、もろもろのことのすべての原因が、実はただひとこと。

こころが狭すぎ。

そう、ぶっちゃけこの一言。
この一言ですべて言い得てしまうことごとを、
ああだこうだと妄想の中で勝手にこねくり回して、
重箱を突き回す、ように、他人の背中をまち針でつつきまわしたような結果がこれ。

そんな人々の妄想的な記事を読まされながら、
下手をすると、もうこの国、わが祖国はもうおしゃか、
つまり、駄目なんじゃないか?というような極論に達していたのも、

なんだよ、

つまりはヤフジャ、そして、そこから導かれるように誘い込まれる、
まあ、言うなれば、サンケー、やら、ヨミウリ、やら、普通であれば手に取る機会もないはずの、
与太記事専門のアル中スポーツ新聞、と変わらない提灯メディアの糞記事、を読まされてきたことに原因がある訳なのだな、
とはたと気づいてしまつた。

と言うのも、そう、例の、朝日新聞の謝罪問題、な訳である。


ニューヨークにもネトウヨは居る

Posted by 高見鈴虫 on 15.2014 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
実はニューヨークにもネトウヨは居る。

でニューヨークのネトウヨ、たいていが、日系ドボン、というか、
ここニューヨークに居てさえなお、「村」と言われる狭い日系社会に閉じ籠った人々。
つまり、なんというか、ぶっちゃけ、英語が喋れない人々。

という訳で、そう、ネトウヨの特徴というか、
ネトウヨがネトウヨたる原因のその根本的なところには、
「閉塞」ぶっちゃけ外国語に対するコンプレックスがある、と断言できる。

日系会社の駐在員の中でも、
こと、相手が日本人だと判ったとたんに異様なほどに横柄な態度を取り始める人、
つまり、妙にえばりたがる人は、100%英語がうまく喋れない、そのコンプレックスの裏返し。

つまりその程度、と言えばそれまでなのわけで、
当の本人もそれを重々承知しているのだろうが、
そう、これが実は、とても根深い。

というか、そう、ぶっちゃけこの英語の壁、に痛めつけられている人々の傷は、
こう見えて実にやっかいな物であったりもする訳だ。

失業ハイパー ~ いまどきそんな眉毛

Posted by 高見鈴虫 on 16.2014 とかいぐらし   0 comments   0 trackback
朝起き抜けにかみさんから、

いまどきそんな眉毛してる人って、あんまり見ないよねぇ、

と言われた。

眉毛?

確かに、ここのところろくに鏡を見ない暮らしが続いていた。

あるいは、そう、この浪人暮らしの間に、
他人の目を気にする、というシチュエーションから完全に隔絶されていた、と言ってもよい。

他人の目など知ったことか、と思う、思わねばならない、と思うばかりに、
あえてそういう自分を作り上げようとしている、とも言える。

会社を退職する際、友人のグレッグから言い渡された失業者の心得。

失業者たるもの、必ず守るべきは、
1.朝7時前に起きる。
2.毎朝必ずシャワーにはいる。
そして、
3.毎日必ずヒゲを剃る。

この三か条だけはしっかりと守ってきたのだが、そうか、眉毛か。

確かに眉毛どころではなかったのである。


まあけっと・りろん

Posted by 高見鈴虫 on 17.2014 音楽ねた   0 comments   0 trackback
つまりビートルズやローリング・ストーンズは、
それまで手付かずのマーケットであった、
ティーン、つまりはガキの市場を、
新たに開拓した、ということな訳で、

ガキ?ガキがなんで市場になんてなりうるんだ。
ガキが金持ってるわけねえだろ。
金の無い奴など相手にしてもしょうがない、

とばかりに、
まったく相手にされていなかった市場を、
コア的に開拓したら、その市場が爆発した、と。

リバプールやらロンドンやらのチンピラが、
路上の石ころを蹴ったら、
いきなり石油が出てきた、みたいなところだったんだろな。

エルビスが開拓したのは、アメリカの中間層、
あるいは、ブルーカラーと言われてる人々。
モータウンは黒人層。

つまりはシェールガスじゃないが、
手付かずの市場層をいきなり掘り当てた、
という理屈は変わらず。

どこにどんな層、
つまりは似たような趣味をした人間たちが、
なにでつながっているのか、というのが味噌な訳でさ、

というところなんだろな。

つまり、いまだにカテゴリーとして分類されていない、
なんらかの共通項を探し当てるってのが必要で、

いまやそれが世界規模になっている訳だ。

世界中の人々のなにかが、
実は同じ趣向でつながっていました、
それを掘り当てたのでした、

ってな成功物語が、
今日もまたYOUTUBEのどこかで生まれているに違いない、
って思えば、この21世紀もそうそうと退屈ってわけでもねえだろ?

「海とドアーズ」

Posted by 高見鈴虫 on 18.2014 音楽ねた   0 comments   0 trackback
高校の頃、俺は毎晩海に行っていた。

別にサーファーであった訳でも、まして土曜の夜にバリバリ、の暴走族であったつもりもない。
ただ、夜になると海に行きたくなった。
だが、海に行ったからと言ってなにがあるわけでもない。
暗い海。夜露に濡れた砂浜。そして生温い潮風。
物ありげなカップル。暇そうな族風のガキ。夜釣りのおっさん。
防砂林を抜け、暗い砂浜に立つと、やあ、ついたな、と深く息を吐いて、
そしてタバコを銜える。
火がつかねえな、と肩を寄せない、やっぱ誰もいねえな、と苦笑いをし、
そして、波の狭間で小便をする。
街道沿いのファミリーレストランでコーヒーを飲み、
生欠伸をしながらくだらない世間話。
そして、さあ、帰るか、と車、あるいは、単車に戻る。
ただそれだけのことを、俺は毎晩繰り返していた。

という訳で、そんな昭和末期の少年たちが毎夜毎夜海に通って、
いったいなにをしていたか、と言えば、
つまりはそう、、音楽を聞いていた。

矢沢永吉、萩原健一、
アラベスク、アース・ウインド・アンド・ファイアー、スティービー・ワンダー、
ドゥービー・ブラザーズに、
横浜銀蠅に、小泉今日子に、松田聖子に、
そして時として、ユーミン。

確か、そんな時代だった。

普段からのクソやかましい俗世を抜けだして、深夜の街、夜の明かりの中を疾走するのは実に清々しいものだった。

特にバンドの練習の後、汗の冷えた誰切った身体で、練習の録音を聴きながらなんとなく海に向かう。

パンカーであった俺達は、ダブルの、つまりは今で言うライダースの革ジャンに、安全靴。
膝の破れたスリムのジーンズに安全ピンと首からさげた錠鍵のネックレス、
かと言うと実は全然そんなことはなく、
俺は学校帰りの制服、はさすがにまずいとワイシャツを脱いで紫のTシャツ。
バンドの連中も実に普段着、つまり、雪駄に甚平、であったり、
あるいは来がけにちょっとひっかけてきた、先の右翼のバイトでぎってきた特攻服に、
シルバーの編サン、であったりしたわけだ。

バンドのメンバーということで、それなりに全員が音楽通。
担当の楽器によってそれぞれ好みの音楽も変わったりもしたのだが、
やはり、クラッシュ、ダムド、あるいは、イギー・ポップ、と来ればセックス・ピストルズ。

がしかし、スタジオの地下室で目いっぱいにそんな音楽をギャンギャンとやり続けてきたその後、
海に向かうときはふと、もっと違う音楽が聞きたくなったりする。

という訳で、人気の失せた夜更けの湘南。

さあ、どうする?もう帰るか、という時に、
いや、もう少し走ろうぜ、とタバコを投げ捨てる。

俺、ドアーズが聞きたくなった。

そう、海と言えば、ドアーズである。

俺はドアーズが好きだった。

疾走する深夜の海岸通りに、ドアーズは実によくマッチした。





いまでも海と聞いて一番最初に思い浮かぶのは、このドアーズである。

そして、ドアーズを聞くたびに、あの夜更けの江ノ島の生ぬるい潮の匂いを思い出す。

あるいは、あの時の夜の湘南に満ちていた、
あのいかにも危なっかしく、そして、奇妙なほどの開放感。
あるいは予感。
女の髪の匂い。駆け抜けていくチンピラたちのきつい視線。
持て余した性欲と、身悶えるほどの苛立ち、
先々への不安、なんとはないやるせなさ、そして有り余るほどのエネルギー。

つまりは、俺達は高校生であったのだ。

どこにいくべきかなにをするべきか、なにからなにまでさっぱりなにもわけがわからなかったが、
とにかく俺たちは生きていた。
いつでも死んでやらあ、と無茶苦茶なスピードでぶっ飛ばしながら、そうやって俺たちは生きていた。

そしてドアーズである。

夜の湘南と、そしてドアーズ。

高校時代、俺が死ななかったのは、つまりはこれがあったからだ。

あるいは、これがそんなことだがかこんな道を歩むことになったのだろうか、とも思うが。

とりあえず、いま思えばあれはあれで、素敵な瞬間だった。

なにひとつとしてなにもろくなことがねえ、と、
日々鬱屈に鬱屈を重ねていたような気がしていた高校時代において、
唯一の、まさに詩的な時間であった。

そしていま、ニューヨークの図書館で資格勉強に励む失業者の俺。

この先どうなるのか、
どこにいくべきかなにをするべきか、なにからなにまでさっぱりなにもわけがわからないが、
そしていま、再びドアーズを聴いている。

ああ、ジム・モリソンの歌声が、そして、レイ・マンザレイクのオルガンの音が、
まさに身に沁みるよう、思わず涙がにじむようだ。

ああ、海に行きたい、とふと思う。

それは、カリビアンでも、ハワイでも沖縄でも、地中海でもない。

あの、夜更けの江ノ島、そこでもう一度、ドアーズが聴きたい、と思っている。

そして、俺も歳をとったものだ、と苦笑いをしている訳だ。

失業ハイパー ~ ネトウヨ・ピストルズ、メンバー募集中。

Posted by 高見鈴虫 on 18.2014 音楽ねた   0 comments   0 trackback
この失業ハイパー、浪人暮らしもすでに3ヶ月半。
そろそろ退職金の蓄えも底をついてきた、ってなところだが、
かみさんにしても、
毎日図書館に通ってなにをしているんやら、とは思えども、
まあ夜中までゲームをやって昼間過ぎまで寝てる訳でも、
ダチとツルんで夜な夜なクラブまわりと言う訳でも、
あるいはヤクでぶっ飛んで、やら、
女のところにしけこんで、
というのでもなさそう。

という訳で、
まあ、試験に受からなかったとしても、
そのうちどうにかなるでしょ、
というか、まあ、いい加減に飽きるんじゃない?
とたかを括っているのだろうが。

そう、毎日図書館に通ってお勉強にせいを出している筈のこの俺、
一心不乱に解説書のページを睨み、
いんちきサイトで入手したチーティングシートを丸暗記して、
裏口購入した練習問題に歯ぎしりをしている、
ってのは表向きには確かにその通りではあるのだが、
そんな俺が、
実はまさか、一日中、こんな音楽を聴いている、とは思ってもみない筈。








いいわけ宣言

Posted by 高見鈴虫 on 19.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
ああ、だからさ、
なんども言ってるように、仕事はしてねえんだよ。
なぜか?そう、レイオフ。クビじゃないが、まあほっぽり出された。
で?仕事探してるのかって?
探してねえよ。
糞のようなインド人の人ハケからうだうだ電話は来るが、うるせえからとらねえ。
あんなあ、
日銭に釣られていまさらそのあたりの雑魚仕事にありついたとしてもいずれは追い込まれるだけだろ。
歳食ってから追い込みかけられると後が無え分、とことんやられるのは目に見えてるからな。
そうならないために、今のうちに潰しを作っておかなくっちゃならねえってことで、
いまそのつぶし、つまりは資格試験の勉強をしてるんだよ。
資格をとったら仕事があるのか?さあな。それは判らねえ。
が、しかし、この国で俺みたいなマイナリィさんが、まともな金を稼ごうとしたら、
そのマイナリィさを武器にできるところに足がかりを作っておかねえと、
誰にも相手にされ無えってことでさ。
でその武器を作るには、いまが最後のチャンスって訳だよ。
金?かねなんざねえよ。
でもまあ犬の散歩だけで金は使わねえからな。
どうするつもりか?しらねえよ。そんなこと俺が知りたいぜ。
だがよ、この世のどこにこの先どうするつもりかなんてことを判ってる奴がいる?
知り合いのガキに大手を振ってダイガイシャに入った奴がいたが、いまどうなってる?
どうせダイガイシャで公家みたいな仕事しかしてこなかったんだろ?
似たような公家会社を選ぶ以外に方法はねえだろうが、
いまさらそんな公家しかやってこなかった公家のようなガキを雇うおめでたい会社もねえだろうし、
そんなめでたい会社に入れたとしても、どうせそんな公家みたいな会社は遅かれ早かれ沈没するに決まっているしな。
それは誰にしたってそうだろ?
日本はちょっと目を放すとすぐに公家化したがる奴らだからな。
どうだ、見てみろ、まわりみんな腐った公家みたいなのばっかりだろ?
公家化こそが衰退、つまりは腐敗なんだよ。
この期に及んで日本国中、いまだにそんな腐れ臭がぷんぷんするぜ。
が、日本がどうなろうと俺はしったことじゃねえ。
俺は野武士ってよりほうろうびと、放浪人だからな。
ゴミ食いながらでも、どこに行ってもひょうひょうと生きてきた、そしてこれからもそうだ。
諸行無常の人である俺は、
すべての物はいずれは壊れ、花は色あせ、船は沈み、そして人は死ぬ。
つまり、永続的に続く何かなんて物は存在しない、とそう思い込んでいる。
安定を求めれば求めるだけバカを見るということだろが。
こんな歳になってまでそんなことしか考えられい?
そう、それが俺だよ。俺はそんな奴なんだ。だから放っておいてくれ。
つまり、俺の好きな様に勉強をやらせてくれ。
資格がとれたらどれたでどうなるか、
取れなかったら取れなかったでどうなるか、
そこでまた、その意地の悪い面をして見物でもしてろって。

聞かないやさしさ、言わないやさしさ

Posted by 高見鈴虫 on 19.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
失業中の俺に対して、
どうなるのか、どうするつもりか、
なんてことをいくら聞いてもしかたがねえだろが。

そっちには、聞かない優しさっていうオプションにはねえのかよ。

あいつのことだ、まあどうにかするだろう、ってな心の余裕こそが、
信頼、あるいは、本人の自覚を促すんだよ。

聞かない。それこそが優しであり、信頼、つまりは愛なんだ、
ってことが判らないのかよ。

そう思ってなにも言わない俺の、言わないやさしさ、ってのにも気づかないわけだろ?

あのなあ、だから頼むから放っておいてくれ。

俺はずっと俺の好きなようにやってきた。
早々と簡単には行かなかったし、
それはこの体たらくを見れば十分お分かり頂けるだろうが、
それでも俺はいまだに、この歳こいても、
俺は好きな様にやってきた、と嘯くぐらいの気概は持ってるつもりだ。

そんな俺に、いまさら、どうするつもりか、なんて愚問もいいところだ。

俺はこれまでもそしてこれからも、好きなようにやっていく。

ただそれだけだ。

俺自身、なにが好きで、なにが嫌いか、は俺自身もわからねえが、
まあ嫌なことはやらない、が、嫌だと思ったこともそのうちに好きになるかも、
というケースもあることも知っているし、
と、まあそんな具合だ。

人間だ、ナマモノだろ、そうそうと思ったとおりにばかりはいかねえが、
はなからそう思って生きているから、コケたところで早々とめげたりもしねえって。

なあに、なにがどうなったってゴミ食ったって生きていくぐらいなことはできるだろう。
がしかし、みすみすそう簡単にこけたりはしねえつもりだけどな。
ゴミよりも美味いものがいろいろあるってのは俺もいろいろ知っているしな。

ってわけだ。
いくら稼いでいようが、あるいは稼いでいなかろうが、
俺はこの調子。なにも変わらねえ。
だから頼む、放っておいてくれ。
おれが望むのはそれだけだ。

People's Climate March ~ New York

Posted by 高見鈴虫 on 21.2014 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
日曜日、たまの朝寝坊。
待ちくたびれたぶーくん、いやあ悪い悪い、と慌ててセントラルパークへ。

としたところ、なんだなんだなんだ、この人の渦。

気候温暖化問題へのデモ行進

People's Climate March

だそうである。



エベレスト山頂でホームレスオペラ

Posted by 高見鈴虫 on 22.2014 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
今日も今日とて、図書館でかりかりとお勉強をしていると、
かみさんからメッセージ。

今晩オペラ行くよ、な訳である。

オペラ?

どうもメトロポリタン・オペラのタダ券が当たったらしい。

のだが、開始時間が6時15分。

げえ、だったら間に合わないじゃないか。

これから家帰って、犬の散歩して、ご飯あげて、
シャワー入って髭剃って着替えて、
いや、もう完全に無理だ、とパニクっていたところ、

いいのよ、外で見るんだから、だそうなのである。

外?野外でオペラ?

失業ハイパー ~ がっこう行ってきま~す!

Posted by 高見鈴虫 on 23.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
かつて会社員であった頃、
よく、会社を「学校」と言い間違えていた。
朝に、がっこう行ってきま~す。
と言うあれだ。
でいまになって失業者。
で、毎日、図書館に通っているのだが、
ついつい、会社に行ってくる、と言ってしまう。

この図書館通いの方が、
俺にとってはより仕事っぽい生活、
ということなのだろうか。





こんなに見事な夕焼けだっていうのに。。

Posted by 高見鈴虫 on 24.2014 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
こんなに見事な夕焼けだっていうのに、
ブーくんは相変わらず、
そんなこと知ったことかとボール遊びばかりか。

つくづく風情のない奴だな。

(2014-09-23) 3


あるいは、明日が雨になることを知っていて、
いまのうちに明日の分までボールボールをやっておこう、
という訳なのかな。

Death in Central Park ~ セントラルパークの無法者

Posted by 高見鈴虫 on 24.2014 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
先週のことである。
いつものように朝のセントラルパークを散歩。
平日の朝のこの清廉なる静寂、
緑の芝生の青い空をまさに独り占め、
と貴族の時間を満喫した後、
家に帰る前にまたタバーン・オン・ザ・グリーンのカフェで珈琲でも飲むか、
と思っていたところ、なんと向かう先に黒山の人だかりである。

なんだこいつら、と訝しがりながらも、
NYPDからテレビ局からと、朝も早くから大変な騒ぎである。

で聞いてみたところ、事故。
それも、通行人が自転車に跳ねられたらしい。

で、犬は?と思わず聞いてしまったのだが、
どうも跳ねられたのはジョギング中のご婦人で、
しかも頭を強く打って重体、とのこと。

まったくいやはや、である。

いつかそんな事が起きるのではないか、とは思っていたが、
ついにどなたかが貧乏クジを引いてしまった、というところか。

がしかし、これは誰もが予想していたこと。

つまり起こるべくして起こった、まさに人災という奴。





  

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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