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日本語放送という羊水に浸りきって

Posted by 高見鈴虫 on 05.2015 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
最近ずっとまた日本のテレビを観ていた。

またいつもの奴、というか、これもしかして恒例なのか?
とりあえず、TV-JAPANのお試し期間であった訳だ。

改めて日本のテレビである。
NHKの番組が中心なのだが、一度見始めるとついついダラダラと見続けてしまい、
そしてそれは、言っちゃ何だが、とても面白く、そしてタメになる。


ブラック企業?笑わせす

Posted by 高見鈴虫 on 06.2015 とかいぐらし


日本では、労働時間超過を取り締まる為、
あまり仕事をさせない、するな、という規制が厳しいらしい。

で、ついには、PCのLOGIN時間で判断するなんてことを初めて、
ゲームが複雑になっただけ、という評価。

今や時代は完全な売り手市場。
下手にブラック企業のイメージが喧伝されると、
会社に深刻なダメージを当たる、とかなのとかで、

残業は極力防止、なんていうなんともおめでたい社則が喧伝されているそうで、
そう、つまりそういう上層部からの指示ってのが、
実にぜんぜん現場に即していない、ってのはまあ今に始まったことではなく。

つまりはそう、建前と本音、マネージメントと現場の溝は深まるばかり。

まあ世の中そんなもの、という共通認識が、
ますますこの国のガラパゴス化に拍車をかけるわけで。

つまりみんなもっと仕事させてくれよ、ということかというとそんなことなくて、
つまり、早く仕事を終わらせて次に行かねば、って感じなんだよね。

とは思いながら、そこに「罠」が隠されているってのもいつもの話。

つまり、上場企業だけがクリーンなイメージを喧伝するがために、
全ての汚濁はその下請けに、下請けが孫請けに、孫請けがひ孫請けに、
とドブ川の汚水が下へ下へと流れ続けるような構造がすでに出来上がっている、
とまあそれだけの話だろう。

犬、という名の犬

Posted by 高見鈴虫 on 06.2015 犬の事情
会社の友人の飼っている犬。

犬種はと聞けばよく判らない、とのこと。
見たところ、ボクサーと、そして多分ピットブルの雑種。
で、いくつ?と聞けば、それも判らない、とのこと。
つまりシェルター・ドッグ?と聞けば、
まあ、そうらしんだけど、とそれも的を得ない。

でつまりこういうことらしい。

元々は元カレの飼っていた犬で、
別れた時に置いて行かれて、
で、仕方がないから自宅のあるニュージャージーに連れてきたのだが、
そのうち自分もマンハッタンのアパートを引き払って、
そして先に犬を連れてきた実家に出戻った、と。
で、その犬、元カレの置いて行った犬である訳だが、
でも実はその元はと言えば元カレが元つきあっていた彼女、
つまりは元カノの連れてきた犬。
なんだけど、その元カノも犬が好き、というタイプではなかったらしく、
つまり、それも元カノの元々カレが置いて行ったもの、らしく。

という訳で、この犬。
名前は?と聞けば、ドッグ。
DOG、つまりは犬。

で、そのDOG。
先日、犬好きの知人によくよく見てもらったところ、
もう十五歳は軽く超えている老犬である筈、とのこと。

まあ確かに、と指折り数えて見れば、
我が家に来てすで五年。
元カレと一緒にいたのが四年。
その前に元カレが元カノと付き合っていたのが三年と聞いていて、
その元カノが元々カレと一緒にいたのが判然としないのだが、
確かにそんな計算にもなる。

で、このDOG。

人から人へと渡り歩くこれまでのまさに数奇な運命。

ミッドタウンのレスキューシェルター(多分)から、
クイーンズへ。そしてブルックリンを経てアッパーウエストサイド。
と、そして今はニュージャージーのバックヤードでのうのうと暮らしている訳で、
そう言われてみればまさにニューヨーク・シティー・ドッグ。

その住居の変遷は、ニューヨークを生き抜いた人々が辿る一つの典型であったりもする。

とそんなDOG。

これまで飼い主という飼い主からことごとく捨てられてきたという事情からか、
まさになにがあっても、誰と居てもまったく意に関さず。
いたってマイペース。いつでもマイペース。なにがあってもマイペース。

つまりはこのボクサーという犬。
いくつになっても子犬のままで、懲りないというかなんというか。
日がない日に近所の猫を追い掛け回していたかと思えば、
隣りの家とのフェンスをくぐり抜けては裏口のゴミ箱を漁り、
その脚で勝手に隣家のリビングに押し入ってはそこで勝手に数日を過ごし、
そういえばうちの犬が居ないねえ、と思った頃にひょっこり帰って来ては、
ただいまも言わずに二階の小部屋で居眠り三昧。
で、ふと気が付くと姿が見えず、と、そんな繰り返しらしい。

散歩になど行ったこともなく、食事だけは与えているものの、
聞いてみればそこかしこの家を訪ねて行ってはそこでちゃっかり昼飯だか夕飯だかにありついてもるらhしく、
誰に見取られることもなくまさに気の向くままの風まかせな日々。

まあでも、犬なんてそんなものでしょ?
としらっとして答えるその友人からして実にそういう人な訳で、
つまりそんな友人と付き合っていた元カレも、
そしてそんな元カレの付き合っていた元カノも、
実はそういう人であったのだとすれば、
まあ、この世の中なんて実にそんなもの、
とゆるーく構えた犬に育ったとしてもなんの不思議もない。

という訳で、そのDOG。
今日も今日とて風の向くまま気の向くまま、
野良犬気分での放浪人生を続けているらしい。

なんとも羨ましい限り。
というか、
ニューヨーカー、そうあらねば、とその見本を見るような気もする。

沖縄で起こっていること

Posted by 高見鈴虫 on 09.2015 日々之戯言(ヒビノタワゴト)



沖縄で起こっていることは、世界の秘密である。

日本国政府も、米国軍部も、中国首脳部も、
ウヨクもサヨクも、そして沖縄に暮らす人々も、
いま沖縄で起こっていることは、
世界の誰にも知らせたくないことであるに違いない。

ただひとつ言えることは、
沖縄という場所が、世界でも特別な場所で、
この世で最も美しい場所、
日本はおろか、人類の、そして地球の宝として、
記憶されるべき場所である、ということ。

その特別な場所を守る、ということは、
人類としての使命にもなりうる、ということ。

沖縄で暮らす人々は、
その目の前にある風景が、
あまりにも普通になりすぎてしまって、
もしかするとそんなありふれた沖縄賛美は、
こと迷惑なだけ。

それよりは米軍やら日本国政府からまわりまわってくる、
浮世の恩恵を宛てにしては、
放出品のスパムの缶を、その青い海に投げ捨てることを、
なんとなく、してやったり、という気分でいたりもするのかもしれない。

そんな現実派を自称する方々に
ただひとつ知っておいて頂きたいのは、
幸か不幸か、あなた達は、とても特別な場所に生まれてしまった、
あるいは、あなた達の祖先が、その沖縄という場所を、
とてもとても素晴らしい場所として育んでしまった、という事実。

そんな現代的沖縄人を自称される方々には大変申し訳無いのだが、
人類を代表として申し上げてさせて頂けるのであれば、
沖縄という場所が、世界でも類を見ないほどに美しく、
この地球の宝である、という事実を踏まえる上で、
その場所は既に、貴方たちだけの場所ではなくなってしまった、
ということ。

そしてそれは、あなた達の祖先があなた達、そしてこの地球上に残した、
貴重過ぎるぐらいに貴重な遺産である、ということ。

その事実を、そのありがたさを、実は世界の人々は既に知っている。

目先の現実にばかり目が眩み、それに気づかないままに、
その楽園の風景があまりにも普通になりすぎてしまった末に、
その楽園で暮らす幸せがあまりにも日常化し過ぎてしまったが為に、
その自然のありがたみを、あるいは祖先の声が、
あまりにもありふれてしまったものになってしまい、
放出品のスパムの缶を裏庭のガジュマルの木立に投げ捨てて、
ざまあみろ、とそんな気になっている。
その自身の愚かさを、
今一度、見つめなおしてみてはどうだろうか。



肥満とゾウガメ

Posted by 高見鈴虫 on 10.2015 ニューヨーク徒然

またまた不愉快なのはニューヨークの地下鉄。

それほど混んでいる訳ではないのになんとなく窮屈な車内。

ぶっちゃけそれはバックパック。

昔はリュックサックと言われランドセルと並んで子供の専売特許であったこのバックパックが大人社会でも市民権を得て久しい。

両手が空くしそのキャパシティが半端では無い。

勿論俺も愛用している訳で、俺の鞄は通常は横持ちながらその後ろにバックパック用のストラップが隠してあるもの。
が普段はやはり肩かけのバックパックとしてしか使わないのはやはりそれが便利だからだろう。
がしかしこのバックパック、そのゾウガメの甲羅に上に子亀が乗ったような形状が、混み合った地下鉄の車内では異様に邪魔になる。

当人にとっては背中で起きていることなので知ったことでは無いのだろうがゾウガメの子亀同士が噛み合ってしまうと通り抜けることさえできない。

しかも近年のアメリカ
貧困層に蔓延する肥満という名の疫病。
重症者は既にそこいらの関取などは軽く凌駕する訳で、そんなのが三人四人乗っただけで乗客は身動きも出来ない。
肥満とそしてこのゾウガメ。
ニューヨークの地下鉄にまた新たな大敵の登場である。

「人生を変えた十冊」

Posted by 高見鈴虫 on 11.2015 読書・映画ねた

先のTVJAPANサービス週間中、NHKでやっていた「人生を変えた十冊」
なんて番組を観ていて、うっしそれなら俺も、とちょっと人生を整理してみる気にもなった。


「白鯨」メルヴィル
子供の頃に児童なんとか文庫で読んだのだが、読み始めた夜に熱をだした。興奮していたのだと思う。
荒くれどもと共に冒険の旅に出る学者崩れの青二才。そのイメージが後の俺のテーマになったと思っている。
こんな本に子供の頃に出会ってしまったというのも運命なのかと今になって感じ入る。


「限りなく透明に近いブルー」 村上龍
高校一年だったか。ちょうど色気づいてきた頃。
なにが書いてあるかさっぱりわからなかったが、
どういう訳かこの小説に描かれている世界が「格好よい」と思ってしまったようだ。
住んでいたのが基地の街であったことからなんとなくまわりに似たような匂いを感じたのかもしれない。
もちろん高校一年生には及びも付かない世界ではあったが、勿論ちょっと真似してしまおうかとも思って、
あの時代、どこに行くにもずっとカバンの中に持ち歩いていたのを思い出す。


「気分はもう戦争」 矢作俊作・大友克洋
高校の頃、電車の網棚に忘れられていたスピリッツ。
その中にあったこの大名作。
後に駅前の書店で立ち読み読了したのだが、
まさに目からウロコであった。
暴走族やらパンクバンドやら受験戦争やら、
目の前の現実がとことん馬鹿馬鹿しくなって、逃避パワーが炸裂。
これはもうハチマキを締めて戦争に行くしか無いな、
と心に決めていたようなところがある。
後に俺は本気でアフガンの戦場を目指すことになったのだが、
ぶっちゃけこのマンガに感化されただけ。
色々な意味で俺の人生を決定したトラウマ的名著。


「東京漂流」 藤原新也
大学に入学したその日、ちょっと覗いてみた春の木漏れ日の射しこむ誰もいない教室。
その教壇に置かれていたこの本。
思わず立ったまま読み始めて身体中に電気が走るような興奮を覚えた。
後に旅行会社でアルバイトを初めたところ、
その近所にあったラーメン屋にその本が置かれていて、
結局、昼飯時にラーメンを食いに通いながら読了。
取り敢えずは「旅」に出るしかないな、と運命を感じた。


「悪魔を憐れむ歌」トニー・サンチェス。
嘘ばっかりだ、クソだ、タコだ、と糞味噌に言われているが、
ここに描かれた男同士の世界。まさにひとつの人間文学の結晶と言えるかと。
セックスドラッグロックンロールの真髄に触れる大名作と勝手に思っている。


「チベット旅行記」河口 慧海
当時の長期旅行者の間で、カルロス・カスタネダのドンファンと並んでまさに定番書となりえたという気がしていて、
安宿の隅の置き去り文庫でよく見かけた気がする。
カスタネダのペーパーバッグはあっという間にハッパの巻紙やらフィルターにされてしまったが、
このチベット旅行記だけは、思わず手を合わせながら
大事に大事に保管されていたような気がするな。
という訳で、帰国後最初に貰った給料でこの本を全て買い揃えたのだが、
今では青空文庫になっていてとてもうれしい。
という訳で、未だに事あるごとにIPHONE上で読み返すこと多し。
何度読み返しても学ぶところが多い。
まさに心が洗われるというか姿勢が伸びるというか、
人間こう生きるべしという見本を示した大名作。


「輝ける闇」 開高健。
俺的には開高健の最高傑作。
文体の切れ味。そしてその臨場感。なににもまして旅の文学の最高傑作と言えるかと。
最後のページを読み終えた時、飛行機の中であったのだが、おいおいと泣けてしまったのを覚えている。


「どくろ杯」金子光晴。
俺的にはまさに座右の銘。夫婦して世界ドサ回りを続けるその切迫さに、
うーん、これに比べたら俺たちはまだまだ大丈夫と勇気さえも与えてくれたりもする。
色々な意味でまさに不良の鏡。素晴らしい作品である。


「雪国」 川端康成。
俺的には日本語による文学の一つの頂点。その美しさに思わず涙が滲むことしきり。
日本語って良いなあ。深いよなあと抱きしめたくなるような珠玉の散文集。


「百年の孤独」 ガルシア・マルケス
旅の間、知り合ったカメラマンから死にたくなったらこれを読めと言われた作品。
後に帰国後本当に死にたくなってこの本を読んだが、
読み終わった時にはまさに頭がグラグラ、
世界が大地震に襲われたような気さえもした。
あれ以来なんど読み返したか知れない。
まさに座右の書。
これからも死ぬまで読み続けると思う。




タバコのパッケージに肺がんのリスクがうんたら

Posted by 高見鈴虫 on 12.2015 日々之戯言(ヒビノタワゴト)

タバコのパッケージに、
肺がんのリスクがうんたら、という記述が義務付けられているのだとしたら、
チョコレートのパッケージに、
糖尿病のリスクが、という記述がないのはおかしい、と思う。
と言ったらライターには、やけどのおそれが、
コンロには家事の恐れが。
冷蔵庫には凍傷の、
テレビやモニターにはことごとく、目の悪くなる恐れが、

やらなんたら、やたらと面倒くさいことに成る。
そうなったらすでに注意など誰も注意を払わず、つまりは無用化する。

という訳で、そんなものに意味はない、と敢えて言わせて頂く。

秋の夜長の残業中に「インド夜想曲」を観る

Posted by 高見鈴虫 on 13.2015 読書・映画ねた
嘗てからインド好きの友人から、これいいよ~と聞いていた、
タブッコの「インド夜想曲」

ひょんなことがから映画版を見つけてしまって、
秋の夜長、明日の会議用の資料作成の合間、
これぞ逃避力、思わず最後まで見ることになった。


インド夜想曲1989年フランス






笑って誤魔化すことの出来る能力、の欠如

Posted by 高見鈴虫 on 13.2015 日々之戯言(ヒビノタワゴト)


相手に明らかに間違ったことを言われた時に、
ああ、はいはい、確かにそうともいえますね、
と笑って誤魔化すことが、できない。
我ながら馬鹿か、とも思うが、ついつい言い直してしまう。
困った性癖である。
これで敵を増やすことになる、
が、しかし、それは止められないであろうことも判っている。
そして俺の周りはわりとそんな奴が多かったとも記憶している。
つくづく社会不適応者の集まりだったのだろう。
それがどうした、とも思っているがな。
という訳で俺の前で間違ったことを言うことは許されない。
パンチはくれないまでも、
鼻先にIPHONEをかざされて、
ほらよ、よく読め、知恵足らずが、と吐き捨てられることになる。
つくづく食えない男なのであろうが、まあつまりはそういう人なのである。

アメリカという沼

Posted by 高見鈴虫 on 14.2015 アメリカ爺時事



日本人がアメリカに馴染もう、とした時に、
最善の方法は太ることである。

アメリカ人の殆どは太っている。
痩せている奴はジャンキーか、
あるはあの底意地の悪いベジタリアンの健康オタクか、
あるいは神経症の病人だけ。
普通のアメリカ人はそれこそ95%はおしなべて太っている。
それほどまでにデブが普通になってしまったアメリカ。
なのでその基準から行くと、日本人は痩せすぎ、となる訳だ。
痩せすぎ?俺が?まさか、となる訳だが、
そう、アメリカ人にはどうにもそれが許せないようだ。

がしかし、そうは判っていながら、
やはりどうしても、太ることだけはどうしても受け入れることができない。
という訳で、今日も朝からドーナッツ。昼はピザに午後には山のようなクッキー。
そして常時、どこに言っても手の届くところにチョコレートやらキャンディーやら、
訳の分からないジェリーのゴムのような奴からが山になっているわけで、
思わずちょくちょくと口に運んでしまう訳だが、おいおい、である。
という訳で、この環境に毒されて仕事をすればするほどに太っていく、という現象がある。
そしてそれをアメリカ人たちはほくそ笑みながら見守っているのだろう。

という訳でそこはまさに綱引きである。
週日に太る。
そして週末になってかみさんと日本食を食べ始めるととたんに痩せる。
それを繰返しながらしかし身体中に脂肪が、
そしてベルトがいつの間にかきつくなり、
腹筋が落ち、脇腹に肉が弛み、ずぼんの尻がきつくなる。

そうやってアメリカ人化していく訳なのだろうか。

まさに沼にハマり込んだ気分ではある。

パリからのIMOK

Posted by 高見鈴虫 on 16.2015 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
土曜日の夜更けになって、
たまたま休暇でフランスに滞在中であった友人から、
IMOK のメッセージが届いた。

言わずと知れたパリの事件である。

聞けば聞くほどに陰惨な事件だ。

ロックコンサートの鮨詰めのオールスタンディングの会場で、
無闇矢鱈に機関銃を乱射して自爆?
ありえねえ。

嘗ての友人でも、全米ツアー中に興奮した客が拳銃をぶっ放し、
逃げ惑う客たちを尻目に演奏を続けたら、
終わった後に死ぬほど怒られた、
なんて話を聞いては、
そんな笑えないことに大爆笑をしていたり、
なんてのがまあロッカー冥利という奴なのだが、
機関銃乱射で自爆とは。

ロックが馬鹿の馬鹿による馬鹿のための音楽、とは知ってはいながら、
これはこれは。。。
いくらなんでもやり過ぎ、じゃない、やられ過ぎである。


捨神拾神犬の神

Posted by 高見鈴虫 on 17.2015 とかいぐらし
ようやく仕事が見つかった、というのに、
やはり予想通りろくなものではない。

つまりは日本対応。
ぶっちゃけ、夜勤、な訳である。

あれだけ苦労して資格と取りながら、
どうしてこんなカス仕事を押し付けられねばならぬのだ、
という愚痴をこぼすたびに、

あのなあ、夜勤でも派遣でも、仕事があるだけましだろう、という元同僚たち。

そうなのである。
嘗て、人も羨む一流企業で6桁の給料を稼いでいたあの極楽とんぼたち、
あれからすでに一年余、予想通りというかなんというか、
まだ一人としてまともな仕事につけたものはいない。

いや、状況は尚悪い、という。

あの後、次から次へと、これまでまさにニューヨークを象徴していたような大手企業が、
まるで沈没船から逃げ出すかのような慌ただしさで、
一挙にjこのニューヨークという街から移転を続けているのである。

つまりはそう、人減らし。そしてアウトソーシング、あるいは、地方へのコロケーション。

まあ予想はしていたのだが、いつかそういう日がやってくるだろう、とは予想していたのだが、
まさかそれが俺の身に降りかかろうとは、正直言って予想だにはしていなかった。

という訳で夜勤である。
夜人々の帰り着く時間に出社をし、夜通しをかけて誰もいないオフィスで孤立奮戦。
そして夜明けの街、朝の通勤ラッシュの中で、眠い目を擦りながら帰宅に着くのである。

がそんな中、俺の夜勤暮らしで唯一得をしている輩がいる。

言わずと知れた犬である。

夕方出社の俺が家を出た途端、それとすれ違いにかみさんが帰ってきて、
で、朝にかみさんが出社と一緒に、そのまま夜勤明けの寝ぼけた頭のままに散歩に出る。
つまり、ずっとずっと俺達のどちらかと一緒に入れる訳である。

うひょおお、なんか夢みたい、という我が家の犬。

まあ、昼間の殆どの時間は寝てばかりいる訳で、
がしかし、ソファの上で両手両足おっぴろげては、
まさに、幸せいっぱいで惰眠を貪る姿。

おい、そろそろ散歩行くぞ、と声を掛けても、え?あ、いいよ、あとでマミータと行くから、
などと豪勢なことを言ってみたりもする訳だ。

問訳で、捨てる神あれば拾う神あり。

つまりはそういうことなわけなのね、と自分を納得させる以外に方法はない。

パリという街に流れていたもの

Posted by 高見鈴虫 on 22.2015 日々之戯言(ヒビノタワゴト)


誰に聞いても、フランス人ほど嫌な奴はいない、というのは、
今やこのグローバル社会では常識にまでなっているのだが、

どういう訳か、ここニューヨークで付き合っているフランス人にはやたらといい奴が多い。

なんでなんだ?と聞くたびに、
パリに帰れば話は別さ、と苦笑いで返される。

つまり悪いのはフランス人じゃない。
パリという街が人間を腐らせるのさ、ということなのだろう。

そんなニューヨークのフランス人からパリの話を聴く度に、
露骨な程に表情を曇らせては、あんなところにはもう二度と帰りたくない、
と吐き捨てるように言う。








日曜の午睡

Posted by 高見鈴虫 on 22.2015 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
このところ、夜勤続きで体内時計が狂いまくってしまい、
結果、週末は寝てばかり。

そんな休日のうたた寝の中で、妙にリアルな夢を観た。

非常用グッズの入っているバックパックの中身を確かめろとのこと。

乾電池を補充しておくこと。
懐中電灯の動作確認、食料や水や万能ナイフや。
まあしかし、そうやって必死に逃げてもいずれは死んじまうんだけどね、
という話。

糞の役にも立たない嫌味を連発するちゅーざいを前に、
ぺこぺこ頭を下げ続ける上司を観ながら、
どうせお前らいずれは死んじまうんのによ、
となぜか達観している俺、という話。

瓦礫と化したダウンタウンを一路アッパーウエストに向けて急ぎながら、
ただもしもぶ~もかみさんも死んでいたとしたら、
もうこんなに急いで生きることなんてなんの意味もないんだよな。
それはそれでいいか。この辺りでお陀仏ってのも悪くはねえのかもな、
だったらもう急ぐのやめちまおうか、と思っている俺、という話。

つまり、なんか起きるぞ、ってことな訳で、
次は嘗ての911どころか、ニューヨーク中がぶっ飛ぶ、
みたいなことらしいな、と。

まあ夢だしな。しかしながらろくでもない夢。

例のパリの騒動で、911の頃のことを思い出していたのかもしれない。
それにしてもいやな気分だ、寝直すか、と再び毛布を被ったら、

開けた引き出しに上司のW2が入っていて、
その年収欄に178000ドル。
なんだVPレベルでもそんなもんかよ、
だったらこの先この会社に居てもろくなことはねえんだな、
と思ってる俺、という夢も見た。

なんとも殺伐とした気分にさせれる日曜の午後、
やはり休日に寝て過ごすとバチがあたるということか。

サイシンもおど 笑わせる

Posted by 高見鈴虫 on 23.2015 音楽ねた
最近流行りの、という言葉を聞かなくなってから久しい。

最近流行りの音楽、今年の流行はこのファッション、
最新モード、最先端の音。

そんなものをいまだに追いかけている奴がいるのかよ、と、
なんか不思議な気分にさえなる。

確かに嘗ては流行ってものがあった気がする。





流行ってものがある以上、それが向かっている先、というか傾向とかもあった訳で、
それを先読みすることがなとなく「通」の間での勲章でもあった訳で、
流行にどう乗るか、或いはどう距離を置くかで、
誰もが己の価値、というか権威を
必要以上に誇示していたような気もするのだが、
それも流行なんてものにまだ力があった結果だろう。

という訳で、いつのまにやら、そんな流行も今や昔。
そうか、俺もすっかりと歳を食って、
とことん世の中の流れから取り残されてしまったと言う訳か、
と思ったりもしているのだが、
あるいは、
そんなものいまだにあるのかよ、という気もしないでもない。

つまりは、最近の流行ってものがない、そんなものに惑わされない、
ってのが、最近の流行っていう穿った見地、というやつ。

ちゅうわけで、いいんだよなんでも。

既に音という音、思想という思想、モードというモードは出尽くしてしまった訳で、
これまでの文化的遺産をとっかえひっかえ、切り貼り、或いは順列組み合わせして、
さあ幾多のバリエーションがありますか、なんてことにはなんの意味もない、
と誰もが判りきっていることな訳だから。

ただな、そう、なんか全て飽き飽きした、っていうか、
音楽という音楽も、なんかどっかで聞いたことのある、つまりは聞き飽きた音ばかり。
つくづく世の中、新鮮さに欠けよなあ、とは思いながら、
つまりはそれだけ無駄に長生きしちまったってことでもあるのだろうが、
だからと言って、そんな聞き飽きた音を聞き続けなくてはいけない義理も道理もない。

まあいんだよ、なんでも、自分が良ければさ、ということなのだろう。

ちゅうわけで俺は俺、世の中がどうあろうが俺のスタイルを通させて頂く、
と言うのは、まあ今に始まったことではなく。

ちゅうわけで、かのパリの事件からなんとなくマイブームのこのひと。





ZAZ っていう人なのだそうだ。へえ(笑
どんな人か、なんて今更調べたりする気もないのだが。

BIG CALM 午睡の邪魔をしないでくれ

Posted by 高見鈴虫 on 23.2015 音楽ねた

結局そう、耳当たりの良い曲ばかりを聞き集めているだけの話なのかよ。

俺的にはすでにキューバは愚か、ブラジルブームも去って久しい訳だが、
がしかし、いつの間にかそんなクーバやブラジルの音も、
いまや血となり肉となり、つまり目新しい感はなにもなし。





がしかし、それをリミックやらなにやらで、
妙にこねくりまわしたが最後まったく興味が無くしてしまう訳で、
この時代、デジドラの音が入っただけでNGってのなんとも生き難くはある。

で、そうそんな俺でも許せる音楽っていうのが、
とどのつまりは、
耳当たりが良ければそれで良し、ということ、ただそれだけな訳かい。





ただ、そう、長く太鼓叩きなんてのをやっていた俺としては、
耳当たりの良い音、あるいは、邪魔にならない音、
ってのを作るのは、実はとてもとても大変なんだぜ、
ということも知っているつもりではあるのだがな。





まあ良い。

世間がどうあれ俺は俺というのは今に始まったことではない、筈なのだが、
最近の音でなにひとつとしてなにもとっかかりが無いってのもまあそれはそれで手持ち無沙汰、
というのも感じていたのは確かなのだがな。

がしかし・・・ないな(笑






いまもライブハウスで血だらけ、
あるいは、クラブで踊り狂って汗びしょびしょ~、
なんて奴ら、居るのかな?居るんだろうな。
どうせ、ちゅーごくじん、とか、いんどじん、とか、ろしあじんとか、
んなのばっかりなんだろ?

そんな遅れてきたバブルなひゃくしょーたち、ごくろうーさま、としか言いようがない(笑

俺は今日もカウチで午睡だ。
邪魔しないでくれ。
じゃな。





「似た者同士」

Posted by 高見鈴虫 on 24.2015 犬の事情


セントラルパーク、西72丁目の入り口を入ったところで、
いや、そっちには行かない、と犬ががんばり始めた。

行き交う観光客達の人目も憚らず、座り込んでは前足を踏ん張って、
いや、そっちには行かない、とダダを捏ねている。

なんだよ、いったい、とその一途な瞳を見つめた途端、

なに?ユニクロ?


かみさまからの電話

Posted by 高見鈴虫 on 25.2015 犬の事情
ケンタが逝って十日が経った頃、
悲しみの中で眠れずに過ごしていた深夜の3時過ぎに、
携帯に妙なメッセージが届いた。

いまから電話します。

リプライを返す間もなく電話が鳴った。

もしもし、と男の声がした。

天国から電話しています。 かみと申します、と男が言った。



秋の夜長のブラッド・メルドー・トリオ

Posted by 高見鈴虫 on 25.2015 音楽ねた

ニューヨークは秋である。

という訳でもないのだろうが、
ここのところ、よりによってブラッド・メルドー・トリオが、
またまたリバイバル的にマイ・ブームである。

ブラッド・メルドー・トリオ
言わずと知れた、ベースがラリー・グレナディールと、
そしてドラムはジェフ・バラード。

俺的には考えうる限りの最強のトリオである。


聖人たちの仕事

Posted by 高見鈴虫 on 25.2015 音楽ねた

好きなジャズ・ミュージシャンのツアー予定を調べる度に、
その凄まじきスケジュールに思わず絶句をすることになる。

ニューヨーク、ボストン、ワシントンDC、
シアトル、サンフランシスコ、LA、
ダラス、ヒューストン、ニューオリンズ。

そしてパリス、そして、ストックフォルム、
ベルリンにデュッセルドルフにフランクフルト、
ウィーンにローマにミラノにマドリッド。。

そのどれもが、お客が100人も入れば一杯のような小さなジャズバー。

そんな生活を一年間、休みなく続けるのである。


ドラマーの不運

Posted by 高見鈴虫 on 25.2015 音楽ねた
いまだから言えるが俺にはドラマーとして致命的な欠落があって、
ぶっちゃけ、バスドラを強く踏みすぎるが為に、
下手な店でやると、ことによるとライブの最中に、
バスドラとそしてそれに乗ったセットごとが
ずいずいと前進を初めては遠のいて行ってしまうなんてことが良くあった。

そんな時、気の知れたメンバーであれば、
演奏中にも目配せだけで、ほいよ、と足で抑えておいて貰ったり、
も出来るわけなのだが、
トラで参加した客人ばかりのバンドであったりすると、
早々と気楽にそんなお願いもできずに大往生。

と毎度毎度、同じ過ちを繰り返して来た訳である。

がまあ、それでも良いか、という気もしていたのは確か。

やはりロック上がりの悲しさか、スネア、そしてバスドラの音が大きい、
のは一種の勲章、と思っていた節もあって、質が悪い。

嘗てのジョン・ボーナムが26インチのバスドラの皮をぶち破った、ではないが、
あのエルヴィン・ジョーンズにしたって、
思わず踏み込んだバスドラが滑ってステージから転げ落ちたり、
なんて信じられない光景も目撃したし、
シンディー・ブラックマンはDW500のチェーンがすっ飛んで、やら、
或いは、
現存する世界のドラマーの中で、正真正銘にナンバーワン、と信じて疑わない、
クーバは、プピー・イ・ロス・ケ・ソンソンのドラマー、ボンボンにしたって、
前進するバスドラに手を焼いては、ダンサーの女の子に、おい、それ抑えておけ、と怒鳴っては、
うるさいわね、とあっさりと断られたり、なんて無様な光景も目撃してしまった訳で、
そして客たる俺が、こともあろうにステージ袖から飛び込んではそのバスドラを直し直し、
なんてことさえもしてしまう訳だ。

そう、ドラマーにとって演奏中のトラブルはつきもの。

特に旅烏のドラマー、毎度毎度、自身のイチオシドラムセットをツアーに持っていくわけにもいかず、
そして楽器の移動中には事故がつきもの。

見も知らぬ店の見も知らぬ観客の前で、
考えもよらなかったトラブルに見まわれて、なんてことは実はざらにある。

スティックが折れた飛ばした、なんてのはまあ序の口、というか、
そういう時の為に素早くステッィクケースから新たなスティックを取り出す練習さえもしている訳で、
タムが落ちたやら、シンバルが横向いたやら、フロタムが傾いたやら、椅子が抜けた、
とそして、そう、まだ大丈夫だろう、と気を抜いたスネアのヘッドが、
よりによってライブの最中にパーンと行ったり。

と、
そんなトラブルが次から次へと連発、なんてことも十分にありえる。

そんなときの為にドラマーには付き人、つまりはボーヤ、なんてのが居て、
ステージの脇でじっと待機、なにかあればすぐに飛び込んで修復、ということも必要になったりならなかったりする訳だが、
人気アイドルバンドじゃあるまいし、今時ボーヤを連れてツアーに出る、なんて輩が早々と居るとは思えない。

という訳で、困った時にはお互い様、とばかりに、
客の俺がこともあろうにちょこちょことステージに這い上がっては、
いつもキーホルダーにぶら下がったチューニングキーで、ちょいちょい。

ことによると、
かの超有名ドラマーのライブの最中に、フットペダルのバネが飛んで、
断末魔に蹴り渡されたフットペダルをステージ脇でちょいちょいと直して、
演奏の切れ目なしにそれを交換したり、なんてこともあったりなかったり。

そんなおせっかいが縁で実にいろいろなドラマーたちから
お礼代わりに友情の乾杯なんてのをしてきた訳で、
そう、そういう気持ちもドラマー同士じゃないと分からないだろう。

とそんな時、遥かマイアミからスペイン語のメールが届いた。
クーバのあの人がまたニューヨークにやってくるらしい。
ので、その時はまた宜しく、なのだそうだ。
おいおい、俺はボーヤじゃねえんだぜ、とは言いながら、
OK、ゲストリストに載せておいてくれ、ぐらいのことは平気で言ってしまったする。

そう、これでも立派な身内、ということなのだ。
できればそのままハバナまで連れて帰って欲しい、と今度言ってみようと思う。

たかがジャズ だからこそのジャズ

Posted by 高見鈴虫 on 26.2015 音楽ねた
厚かましさだけが取り柄の俺は、
ことジャズのライブに行った際、
気に入ったミュージシャンがいればなんのてらいもなく、
よおよおよお、と訪ねて行くことにしている。

まあ俺のことだから、
それほどまでに気に入るミュージシャンと言うのはおしなべてドラマーな訳で、
古くはあのエルビン・ジョーンズ、あるいはトニー・ウィリアムスなんていう伝説の巨人から始まって、
デニス・チェンバーズからデイブ・ウェックルからダフニス・プリエトから、
そんな人々にさえ、よおよおよお、すっげえ良かったぜ、と握手を求め、思わずハグをして、
全身から滴る汗にびっちょりと浸ってしまったりもする訳である。


いままで観てきた人の中で一番格好良かった人は誰?

Posted by 高見鈴虫 on 30.2015 音楽ねた
ついこないだのホーム・パーティの席で、
日本のロックファン、なんてガキから、

いままで観てきた人の中で、
一番格好良かった人は誰?、と聞かれて、

思わず、シゲルさん、と答えてしまった。

見るからに遅れてきたビジュアル系のそのガキ、
X-JAPANの誰々とか、ラルクのなんとかさん、とか、
或いは、TMなんちゃらの、、ボーイの、ミスチルの、やら、
ヤザワのショーケンの、なんて、
まあそういう答えを期待していたのだろうが、

俺はそう、実はそういう人ではない。

シゲル?シゲルさんって?

と聞かれて、決まってるじゃねえか、アナーキーの仲野茂だよ、と一言。

まさか、とそのガキ。

どこで聞きかじったのか、俺の経歴をある程度知っていたらしいそのガキが、
憧れの大スターの後光に預かりたい、とでも思っていたのだろうが、
つまりそう、俺はそういう人ではない。

確かに嘗ては、このガキが実際に見たら座り小便をしそうな連中とつるんでいたこともある。
伝説の、やら、今となっては電話どころか、取次さえもして貰えないだろう銀幕の大スター、
あるいはどこぞの大先生、なんてのになっちまった奴らもちらほらいるにはいるが、

だがしかし、そんな連中を全てひっくるめても、

そしてあろうことか、あのローリング・ストーンズやらとくらべても、

やはり俺的には、一番格好良かった人は、まさしく、アナーキーの仲野茂、これを置いて他にはいない。

足が長いの短いの、背が高いの低いの、お肌が綺麗だ、髪の形がどうだ、ファッションセンスがどうだ、
そんなものはすべて、完全にぶっちぎった上で、

仲野茂、あのひとだけは、まさに本気の本気で、超絶に物凄く格好良い人だった。
少なくともあんなだった俺達に、思い切り何かを与えてくれた。

アメリカに来てすぐに、イギー・ポップのギグに行ったことがあったのだが、
イギーはイギーで凄く良かったのだが、やはり、俺的な正直な感想では、

やっぱ、アナーキーだろ、な訳であった。

そう、野音のショーケンも、マジソン・スクエア・ガーデンのストーンズも、
アーヴィンプラザのイギーもローズランドのレニー・クラヴィッツも凄かったが、
やっぱり、新宿ロフトのアナーキーでしょう。あれ以上のライブは絶対にありえない!

えええ、どうして、とまったく納得のできない、というガキ。

シゲルはな、俺達の、まさに俺達の等身大のヒーローだったんだよ。

アイドルでもねえ、スターでもねえ、
ただ、アナーキーのシゲルこそは、
生身の人間として本気の本気で憧れることのできた、
本当の本当に格好良い人だったんだよ。

見た目に騙されちゃいけない。タレントロボットの幻影やら喧伝に騙されちゃいけない。

シゲルはそう歌い続けて、そしてたぶん、いまもあのままの人だ。

そんな奴が他にいるか?シゲルこそは真実なんだよ。
そうあり続けようとしてくれた、類まれな正真正銘のパンカーだった。

と、熱く語るこの糞オヤジを差し置いて、

なーんだ、つまんねえの、とガキはいつの間にか姿を消していた。

ちゅうわけで、現在のロックファンのガキってのは、
ロックってものに全く別のものを見てるのだろう。
つまりは、幻影、つまりはそう、タレント・ロボットなのだな

自ら率先して幻影に騙されようとするガキ。

それこそがまあなんというか、ロックが潰えた一つの象徴的原因であった気がする。

という訳で、日本のロック史上、最初で最後の等身大ヒーローであった仲野茂さん、

誰がなんと言おうと、アナーキーこそは日本一、世界一、
と言い続けることが俺の俺による俺のためのロックであると再認識した次第。

という訳で、最近のガキ? クソッタレ、知った事か。

俺たち最高、YEY アナーキー、俺達こそ真実、の天皇ぴー、どどんどどんどんどーん!

一生やってやらあ、と思っていた訳だ。


  

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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