Loading…

超絶品の番茶に悶絶こくニューヨークの正月

Posted by 高見鈴虫 on 01.2016 ニューヨーク徒然
正月の午後、
例によって友人宅でのおせちパーティである。

故郷を遠く離れたニューヨーク。
孤独な流人の集うこの街において、
家族とはまさに「友達」を指して言うものだ。

という訳で、そんな家族である友達を誘い合っては、
互いに腕によりをかけた自慢の手料理を持ち寄っては、
マンハッタンの摩天楼を見下ろしながらの、
ニューイヤー・パーティと相成る訳だ。

でそんな中、ここぞとばかりに本領発揮のプロの料理人の方々、
その自慢の腕を振るったプロの作る家庭料理。

その絶品さと言ったらまさに目からウロコがボロボロ。
思わず、一口ごとにうんめえ、と身悶えてしまうような絶品ばかり。

で改めて思ったのは、この超絶料理の数々。
化学調味料が使われていない!

つまりそう、プロの方々、お客に召される料理には、
これでもか、とぶち込んでいる筈の料理酒から化学調味料からが、
こと家庭料理には鬼の敵のように一切使われていない訳で、

その控えめながら、噛みしめるごとにじんわりと広がっては打ち寄せる深い味覚の波。

いやあ、日本人って本当に凄いな、と思わず涙が滲むばかりである。

で、そんな中、そうそうそう言えば、と出された番茶、つまりはほうじ茶が一杯。

その何気ない茶碗を覗き込んだその時に、まさに、後ろ頭を金属バットで殴られるほどの衝撃を受けた。

な、な、な、なんだ、この番茶は!!!!

ああ、それ?それねえ、なんかこないだ来た京都のお坊さんとやらが、
おみやげにどうぞ、なんていう戴き物なんだけどさ、
ほら、普段はビールやらワインばっかりで番茶なんてあんまり飲まないでしょ?

こういう機会があれば好きな人もいるのかな、と思って持ってきて見たんだけど。

でその番茶である。

まさにその香り、コク、そして味の深さが、
一口すするごとに二層三層になっては、
波を打って押し寄せてくる訳で、
それはまさに、芸術品。

これか、これを茶の湯と言うのか。

茶の湯、お茶は抹茶でしょ?それはほうじ茶。つまりはただの番茶でしょう、と失笑を隠せない面々。

おまえ、これが番茶であろうが、屑茶であろうが、そんな看板はどうでもよい。
がしかし、このお茶が、とてつもなく素晴らしいことはこの俺様が一番良く知っている。

これ、凄い、この番茶凄過ぎる、と熱狂をする俺に、

あのなあ、ここ数日手間ひまかけて仕込んでは年越しさえも寝ないでこれだけの料理を作りながら、
いきなり番茶が美味い、なんて言われた日にはなあ、とヘソを曲げる板前某氏。

いやあ、だから、四の五の言わずにこれちょっと飲んでみろよ、と飲みかけの茶碗を差し出すに、

むむむむ、と板前某氏。ああ、これは美味い。確かに美味い。凄い。素晴らしい番茶だ。

という訳で、だったら全員にとばかりにポット一杯の番茶。

飲みかけのワインを脇に押しやって、思わず、両手を添えてずずずずっと一服。

うーん、美味い。
確かに良い香り。
ああ、酔っ払って無かったらもっと美味しかっただろうに。くっそう損した、
とまさに本末転倒ながら、いきなりのこの茶の湯的な瞬間。

思わずその深い風情の中に喉を鳴らしてはふと訪れる沈黙。

いやあ、日本人だよなあ、と。

見下ろすマンハッタンの摩天楼の夜景に、
風にそよぐ竹林の囁きが、さらさらと流れ行くような気がしたもので。

という訳で改めて、幸せとはなにか。

それは、暖かい友達と、そして、得も言えぬ良い香りのする番茶であったりもする訳か。

そうかほうじ茶か。ちょっと調べて見ようかな、とまた新年に向けて新たな課題が増えた。



正月早々スティービー・レイ・ボーンでブルースジャム!

Posted by 高見鈴虫 on 02.2016 音楽ねた
正月恒例、連日に渡ってのホームパーティのはしご。
そこかしことご招待先を回り、
いやあ、どもども、あけおめ、ことよろ!とやりながら、
目の前にずらりと並んだ腕によりをかけた料理の数々。

うへえ、これ凄い!絶品だ、美味し過ぎだ、とばかりに、
まさに美食三昧。

飽食に飽食を重ねては、今にも腹の皮がはち切れそうなぐらいに、
食って食って食いまくり続けるこの年の瀬。

とした時に、
やっほー、あけおめ、ねえ、遊びに来ない?
とかつてのバンド仲間から。
ああ、だったら、と、深夜も更けてから辿り着いたダウンタウンの安アパート。

ごめんね、食べ残しだけど、といまだにテーブルを埋め尽くした料理料理料理の山。
それをまた新たに温め直した料理の津波が襲う訳で、いやあ、今更ながらこの年の瀬、
喰って喰って食いまくりも、ここまで来るとまさに苦行に近い。

とそんな中、さすがに歳の功のバンドマンたち。

今となっては、その復職ばかりが幅をきかせてしまって、
世間的には一応の社長さんであったり、証券マンであったり、バーテンダーであったりもする訳で、
嘗てのあのステージで汗を飛び散らせていたいた姿がまるで悪い冗談。

そんな年老いたロッカー達の中にあって、
正月の夜を彩るのはまさにボサノバであったり。

で、仕事はどうだよ。
まあ、な、まあ、相変わらずだよ。
ああ、俺もそんな感じだな、そう、相変わらず。
と思わず顔を見合わせて、馬鹿馬鹿しいけどな、と鼻で笑ったりもしてしまう。

で、そう言えば、最近どんなの聴いてんだよ?とようやく音楽の話題。

ああ、去年はどういう訳か、ブラッド・メルドーばかり聴いてたな、と俺。
ブラッド・メルドー?どういうの?と言う訳で、
ああ、これこれ、とYOUTUBEで引っ張った古いトリオのライブ。






おお渋いなあ、ブラッド・メルドー。
本当に深いよな、こいつら。まさにジャズの真髄!

その極端な程に勝ち気を抑えたプレー。
虚栄心も功名心も歓心さえもかなぐり捨てた、
そのいぶし銀のように漂う深い深いグルーブ。

そう、なんか俺、去年一年、ずっとこんな感じだな。
俺達もいつの間にか歳を喰ったんだよな、と苦笑い。

と、そう言えば、
ついこの間、いきなりリビエラ・パラダイスを思い出してさ。

スティービー・レイ・ボーン?

そう、そのスティービー・レイ・ボーンのリビエラ・パラダイス。
犬の散歩の途中で浮かんで来て、思わず涙滲んでさ。

スティービー・レイ・ボーンかあ、昔良く聴いたよな、
なんて溜息を付く俺達に、
ねえ、どうしちゃったの?とキッチンから女性陣。

ねえ、なによ、お正月早々、そんなたそがれた曲聴いてるの?と。

ねえ、スティービー・レイ・ボーン聴こうよ、とエプロンにサエ箸を持った元ロック女史。

ねえ、IN STEP かけてよ。

IN STEP?


2016年の正月談義

Posted by 高見鈴虫 on 03.2016 ニューヨーク徒然
そんな訳でようやくの正月である。
日本に里帰りとは行かない分、
こんなニューヨークなんてところに取り残された流民たち、
互いに訪ね合っては各々に持ち寄ったご馳走やらどこぞからの貰い物やらをテーブルに並べては、
思い切り日本人に先祖返りする年に一度のチャンス。

そんな日本人連中の間に取り交わされる様々な情報、あるいはこぼれ話。
まさに、会社を越え業界を越え国境を越え、
あることないこと一切合切を喋りまくる訳で、
機密保全も糞もあったものではないわけだが、
そう、俺達は所詮の現地雇い。

愛社精神どころか、国籍さえもぶっちぎってしまうような、
そんな筋金入りの自由人であるニューヨーク流民たち。

会社の悪口から有りもしない儲け話から遠い日本の近況話から、
止めどもなく溢れ出るお喋りの洪水。

そう、なにがどうあっても、人の口に蓋をすることなど出来るわけがない。

とまあそんな与太話の中でちょっと気になった話題。

やっぱり中国だよなという話。


考えうる限り、最もおぞましい初夢を見た

Posted by 高見鈴虫 on 03.2016 日々之戯言(ヒビノタワゴト)


この正月、パーティ疲れのうたた寝の中で、
ふととてつもなく不吉な夢を見た。

まさしくその舞台は中国。

俺は何らかの仕事の現場統括責任者、とかいう役柄で、
中国人を相手に孤軍奮闘している訳なのだが、
そんな俺の周囲を埋め尽くした中国の方々、
まさに悪意の塊り、というよりは、
まさしく、人間の業の底の底をのたうつような、
末期的などろどろ世界。


思い切り自分を甘やかしたくて下町ロケット

Posted by 高見鈴虫 on 04.2016 読書・映画ねた
そう正月だ。
この日ばかりはもう英語なんぞ金輪際話したくない気分。

という訳で、思い切り自分を甘やかしてみたい、と思っていたのだが、
そう、このニューヨークに置いて、思い切り自分を甘やかす、とは、
まさしく、日本人に立ち返ること。

普段は英語力の妨げになる、と遠ざけている、
日本の本、日本語の会話、そして、そう、日本のテレビ。

ああ、たかが日本、されど日本。

正月ぐらい、誰に気兼ねなく思い切り日本人がしたい訳だ。

という訳で、一年に一度のこの日本人道楽。

この時ばかりは、と考えていたこの企画は、と言えば、

ぶっちゃけ、下町ロケットな訳である。



チカラ無いうどん ノー・グッド!

Posted by 高見鈴虫 on 06.2016 日々之戯言(ヒビノタワゴト)

日本に居た当時、良く行く駅前の蕎麦屋に、
週末になると決まって、おかしな外人客がやってきた。

その蕎麦屋の外人、白人の筋骨隆々たる大男。
いまにもはち切れそうなTシャツの袖から、
盛り上がった腕の筋肉の張り具合からすると、
たぶん空手か柔道かの修行にやって来ていたのではないか、と思う。

その一見、世界まるごとHOWマッチのケチャックさんこと、
チャック・ウィルソンに似た感じの、
まあ典型的な田舎のアメリカ人。

それがいつも一人。
まるで道場破りに来た、とでも言った風に、
のそりと蕎麦屋の暖簾の向こうからその巨体を覗かせるや、
のしのしと店を横切っていつも一番奥中央の壁際のテーブル。
椅子に座るなり、

チカラウドン、クダサイ!

と店中に響き渡るような大きな声をあげる。



蕎麦湯?蕎麦湯ってなんだよ

Posted by 高見鈴虫 on 06.2016 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
恥ずかしながら、この歳になるまで、
果たして蕎麦湯とはなんなのか、判りかねていた。
と同時に、
蕎麦を食べ終わった後の、あの満たされぬ思いに、
一種の喪失感を味わっていたのも事実。

ザルにへばりついたそばの最後の一切れを箸の先で摘みとって、
ああ、ぜんぜん食べ足りない、とちょっと切ない気分。

いったい全体、こんな蕎麦ぐらいなもので腹が満たされるなんて、
この日本人という奴ら、どんな胃袋してやがるのか、
と思わず宇宙人を見るような気分にもなっていた。

俺は蕎麦が好きだ。
蕎麦は好きなのだが、蕎麦だけで腹がいっぱいになったことがない。
ああできることならいつの日か、
その後に届く勘定書きなど気にもとめず、
ざるそばばかりを、おかわり、おかわり、おかわり、と三つも四つも、
それこそ腹いっぱいになるまで食べてみたいものだ、
くっそお、早く金持ちってやつになってみたいぜ、
などと常々思ったりもしていた。

とそんな時、はーい、おあいそお願い、くそ全然腹一杯になんななかったな、
という俺の前に、あの、蕎麦湯戴かれますか?とやってくる店番さん。

蕎麦湯?蕎麦湯ってなんだよ、と俺。
つまり蕎麦を煮た後の残り汁だろ?
そんなもの持ってきてどうしようってんだよ。

と言いながら、試しにちょっと飲んでみた蕎麦湯。
やっぱり味のしない残り汁。
伸びた蕎麦のかけらなんてのも浮いていてまるで残飯じゃねえか。
こんなものいらねえ、と退けて、
はい、おあいそ、ごちそうさん、とやりながら、
うーん、これだけの金を払いながら満腹感は皆無。
やっぱり見栄張って天ざる、なんてしないで、
ミニ丼付きのお徳用セットにしておくべきだったか、
と悔やんでも後の祭り。




改めて財布とはつまりは勝負下着であったりする訳か

Posted by 高見鈴虫 on 07.2016 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
ふと気づけば、財布がボロボロである。

この財布、一応はVERSACEとある。
ニューヨークに着いた年に、どこぞのアウトレット店で買った覚えがあるのだが、
そうしてみれば、かれこれ20数年、この財布を使い続けていたということになる。
という訳でさすがにボロボロである。
縫い目という縫い目は既に限りなく解けながら、
しかし不思議なことに金とカードを入れるところだけはなんとか体裁を保っていることから、
まあお金落っことしちゃったりしなけりゃいいのかな、と使い続けて既にしばらく経つ。

がしかしこの見るからに年季が入った、というよりは既に倒壊寸前、
まさにぼろんぼろんの財布。
まあそう、この時代、早々とキャッシュを持ち歩くこともなく、
つまりカード一枚で事が足りてしまうわけで、
そんな事情から最近ではほとんどカバンの裏ポケットに突っ込んだまま、
あまり人目に晒す、という機会もない訳なのだが、
ひとたびそれを持ちだした途端、
周囲の人々から、ぬぬぬ!という反応を感じるようにはなった。

という訳でこのボロボロのVERSACEの財布。

いくら他人の目などまったく関係なし!の無手勝流おやじを気取っていても、
さすがに、財布を出す度に、ぬぬぬぬ!と目を見張られるのは、
あまり気持ちの良いものではない。

とそんな訳で、
改めてまた新たな財布を買わねば、とは思っているのだが、
果たしてこの財布。
いったいどんなものを買ったらいいのやら、まるで検討がつかない。


幸せな犬

Posted by 高見鈴虫 on 09.2016 とかいぐらし

午後出社の深夜帰りの生活が続いている。

こんな暮らしをしていてカタギに戻れなくなったらどうしようとも思うのだが、
ただ、犬は喜んでいる。

朝からセントラルパークをこれでもかと走り回り、
帰って食事の後、一休みしてからまた散歩。

俺が会社に出かけた後、
午後の昼寝を貪っていると、
そうこうするうちにかみさんが帰宅。
また散歩に出て帰って夕食。

一休みしていると猛犬仲間から電話でまたドッグラン。

帰ってすっかりお休みモード、と言うあたりで俺が帰宅。
寝際におやつをねだっては共に寝床に入り、

二人の間に挟まれては、うーんむにゃむにゃと夢の中。

犬ばかりが喜んでいても始まらないとは判っていながらも、

幸せな犬の姿を見るのはやはり良いものだ。
幸せって結局のところ、そのぐらいなものなのか、
と、そんな犬の寝顔を眺めながら思ったりしている。


DAVID BOWIE が逝ってしまつた冬の午後。

Posted by 高見鈴虫 on 11.2016 音楽ねた
正月ボケからようやく立ち直ってきた矢先、
ニュースが飛び込んできた。

デビッド・ボウイーが死んだ。

デビッド・ボウイーという人、それ自体に、
それほど特別な思い入れがあった訳ではない。

がまあ、普通な意味で、ZIGGY STARDUSTから、LET’S DANCEぐらいまでは、
当然のことながら、嫌というほど聴きこんだ覚えがある。





HEROES ~ DAVID BOWIEの死に添えて・・

Posted by 高見鈴虫 on 11.2016 音楽ねた
デビッド・ボウイに命を救われた、というと大げさになるが、
そう、デビッド・ボウイが好きだったか嫌いだったかは別として、
この曲への思い入れの度合いの程から、
その人間の過去の壮絶さが計り知れたりもする、
まさにリトマス紙的な不思議な曲。

DAVID BOWIEのHEROESは、まさにそんな曲であったりもするのである。






偽物かもよ、のベルサーチの財布

Posted by 高見鈴虫 on 14.2016 日々之戯言(ヒビノタワゴト)

と言う訳で、飽きもせずに財布の話である。

悩みに悩んだ末に、
なんて事もない、ただお札とカードが入るだけの、
極めてオーソドックス且つ機能的なだけの
黒革の財布って奴を購入した訳だが、
漸く届いたその財布。
いつもながらEBAYの廃価品、
どこぞの在庫一掃セールか何かから流れて来たであろう
なんの変哲も無いただの財布。

まあしかしその質感から機能性からは何も申し分無し。
値段の割りにやはり本物のBOSSではあるらしく
中国製でないのは幸いだった。

という訳で、長らくすったもんだの末のこの財布。
まあまあって事かな、と納得はして見たものの、
ふーんそう、まあただの財布。それ以上でも以下でもない。

まあいいじゃねえか。たかが財布だ。
と繰り返しながら、どうしてだろうこの一抹の寂しさ。

そうつまりは何の代わり映えもしないただの財布。
なにが悪い?財布なんてその程度のもの。
つまるところ、
そう結局はBOSSな訳だろう、なのである。



ねえ、もう、資本主義とか、やめねえ?って思ってるのだがどう?

Posted by 高見鈴虫 on 16.2016 嘗て知った結末
人間にとって一番大切なことって、
やっぱり、飯を食うこと、水を飲むこと、そして寝ること。
で、この飯、と水、が確保できれば、
もうそれほど苦労して働かなくてもいんじゃないのか、
とふと思ってしまった訳で。

つまりなんというか、この時代。
はっきり言って、人間が一日のうちに摂取しなくてはいけない栄養なんて、
実はたかが知れている訳で、
例えば、エナジーバーとか、あるいはエナジードリンクとか、
あるいは、いわゆるひとつの点滴とか、
だけで必要な栄養源だけを確保してしまえば、
人間死ぬことはない、ということなのであれば、
例えばその栄養源に、食欲抑制剤、なんてのも入っていれば、
必要な栄養源だけ摂取して、あとはまるまる一日中が自分の物、
となる訳で、食っちゃ寝、どころか、そう一日中、ただずっとなにもせずに寝てられる、
あるいは、ずっと遊んでいられる、という状況、
考えれば考える程、実はそれほど難しいことじゃないんじゃないの?とか。





多分もう作れると思うんだよね、そういう必要な栄養分だけの食料ってさ。
それを工場でがーっと大量生産しちゃって、
で、それに食欲抑制剤が入っていれば、もう色々な物を食いたいとか、
もっと美味しいものを、とか、もっとたくさん、とか、
そういう余計なことも考えなくなる訳でさ。

つまりは単食系を極めたエナジーバー、あるいは、点滴、
あるいはそう、宇宙食みたいなもので生命の維持だけを確保しちゃって、
で、あとはみんな遊んでましょう、で十分でしょう、と。

それぐらいのこと、もう人類には余裕でできると思うんだよね。

で、なに?性欲?
それにしたって、例えばもう、うちのブッチじゃないけど、
物心付く前に虚勢されてしまえば、もういっさい余計なことを考える必要もない訳で、
だとしたら、あんまりつまらない、とすれば、
例えば、俺、もう子供作りません、ってやつは、すかっとパイプカットしちゃって、
だったらもう、なんでもいいや、ってぐあいに、まさに種の保存からも、所有欲からも開放されて、
誰とでもやり放題、でも誰のものでもなく、誰をも求めずっていう、
まさにボノボ状態になるわけで。

つまりそう、ボノボって、食うに困らなかったと、ただそれだけなんじゃないのかな、
と思っていた。

そっか、結局は、食うこと、な訳なんだろ?
で、一日エナジーバー3っつで事足りる、のであれば、みんなそうしない?と思っているのだが、どう?

どうです?生きていて楽しいですか?

Posted by 高見鈴虫 on 18.2016 嘗て知った結末


改めて、
人間、美味いものを食いたい、ってな欲望を、
端から諦めて単食系に徹してしまえば、
それほど金を必要としないのでは、と思う。

或いは、
オンナ、なんてのも、もうどうでもいいや、
俺は一生オナニーで十分、
ってことになってしまえば、
それほど社会の軋轢で鬩ぎ合う必要もなし。

そう、人間諦めが肝心。
贅沢は敵だ。大切なのは諦めること。
さああなたも諦めなさい、諦めることこそ美徳です、
なんて感じでまたあの馬鹿なマスゴミがさんざん囃し立てれば、
みんな割りと、そうだよね、あぁ、やめた、やめた、
とあっさり諦めてしまったり、
なんてことにもなるのかな。

食事と言えば毎度毎度上手くもないシリアル。
一日一本のペットボトルと、ベッドひとつだけの部屋。

来る日も来る日も同じことばかりをやらされても、
なんとなく、ぼーっとしていられるのは、
空調に乗せられた幸せホルモン、オキシトシンの効果か、
あるいは、このペットボトルにシャブかモルヒネでも入っているのか。

で、そう、諦めることだよ。全ての欲望を諦めてしまえば、
生きていくことはさほど辛くもなく、と同時に、
死んでしまう、こともそれほど大したことでもなくなる。








とまあそんなわけで、あらためて、
欲望こそは資本主義の原動力であり、
あるいは、快楽こそが富める者の特権。

欲望を煽り、まだ見ぬ快楽の幻想を増幅させることで、
なんとか体裁を保ってきたこの資本主義というペテンが、
ついになんとなく、飽き飽き、といううか、
化けの皮がぺろりと剥がれてしまって、
というのがいまの状況なのだろう。

遅れてきた共産主義者たちが
そんな古き良き資本主義の幻影に狂騒するする姿が、
つくづく馬鹿馬鹿しく思えてしまう通り過ぎた人々。

もうあんたたちにできることと言えば、
諦めること、それ以外にはないのだよ、
と言われている気がする今日このごろ。

がしかし、どれだけバカバカしいと思いながらも、
辞めるにやめられないこの生活という轍。

働けど働けど、給料はバカ高い家賃とそして税金にほとんど全てが消えてしまう訳で、
余ったなけなしの金で買える食料は、最早徹底的に保存料と人工甘味料漬け。
ただただ、生きるために働き、働くために生きさせられてる、ただそれだけ。

まるでそう、どこかの映画で観た、
身体中に管をくっつけられて養分を吸い取られるイモムシにでもなった気分だろ?

どうです?生きていて楽しいですか?

という訳で、そう、必然的にうつ病が大流行で、
医者に処方された抗鬱剤を飲んでいたら、すっかりバイポラ・ディスオーダー。
とそのうちに、痛み止めと騙されて処方されるのがなんとヘロインですっかりジャンキーさん。
で、その末路?
そう、死ぬことだよ。
つまりは、使い捨てにされただけ。棄民されただけの話だろうと。


さあ、みなさん、こんな世の中、いったい誰が望んでいるんですか?
と誰も言わないのは果たしてなぜなんだろう。



姥捨てソルジャー

Posted by 高見鈴虫 on 18.2016 嘗て知った結末
休日にふと目覚めればかみさんはお買い物にでかけた後。
で、そう言えば、年末もずっと仕事で大掃除をしていなかったな、
と、これ幸いに家具を動かして床掃除を始めた訳だが、
そんな中、テレビでやっていた名作映画劇場。
ダンテズ・ピークって言うの?

平和の村が火山の噴火で大騒ぎって言う、
まあ良く有るタイプの古き良きパニック映画。
そんなのを見るともなしに観ながら床掃除に勤しんでいた訳だが、

そっか、おばあさんは孫や子供を守るために、
己の命を投げ打ってしまった訳なんだよね、と。
親が子供を守り、親をじいさんばあさんが守る。
まさに美しき自己犠牲の美学な訳なのだが、
そう、そうなんだよね、
そういった自己犠牲的な美徳をより合理的に行う場合、
特攻やら、自爆テロやらで、まず最初に候補に上がるべきものは、
若者や子供ではなく、まさしく老人。

どうせこの先長くないであろう老人たちが、
子どもたちや孫達のために一命を投じて、なんて、
なんとなく美談でもあり、と同時に、
まさか時代がそれを要求し始めた場合、
子どもや孫達から当然のことのようにそれを強要されたり、
なんてしたら、うーん、かなり、というか、つくづくうら寂しいものがある。

が、しかし、これ、なんとも、有り得そうで怖い怖い。

ろくでもねえ爺婆に年金だ社会保障だなんてで貴重な国庫を使い潰されるぐらいなら、
自爆テロでも特攻でも押し付けて早めにおっちんで貰った方が世のため人のため。
で、いくばくかのお礼金がその遺族に渡される、なんてことになったらなったら。

戦争の最前線がよぼよぼの老人ばかり、まさに姥捨て戦争なんて、笑うに笑えない。
が、なんとなく、そうなったらそうなったで、思わず大ハッスルしてしまう老いぼれたちが、
実はわりかし多かったりしたら、それはそれでまさに、古き良き銀玉鉄砲やら、
あるいはかの土曜の夜のバリバリ伝説の思い出を辿るみたいで、
死に場所としては素敵かもな、とも思ったりもする。

と、そう言えば村上龍が、老人テロリストの話を書いたそうだね。
まだBOOKOFFに見かけないのだが、読みたくて堪らない、と思ってる。
読んだ人、感想はどうだったでしょう。






未来世紀ブラジルの悪趣味世界から時代はいつしかMATRIX

Posted by 高見鈴虫 on 19.2016 嘗て知った結末
という訳で、資本主義やめえねえ?

と言ってみて、ハタ、と気がついた。

そう、この世の中、資本主義をやーめた、
の最も安易な手段は、と言えば、
とどつまり、ホームレスになる、ってことか、と。

まあしかし、この寒空の下で、道端で暮らす、
なんてのは、インドじゃあるまいしできるわけもなく、
ひとたびシェルターに足を踏み入れた途端に、
身ぐるみいっさいむしり取られて、
裸一貫で配給のスープの列に並ぶ、
ってのもなかなかそれはそれで重労働。






だったらその辺りに山になってるゴミでも食って暮らせばよ、
となる訳で、そう言えば4時も過ぎてようやく昼飯にありつける、
と角のデリにベーグルでも買いに行くと、
あああなんだよ、捨てちまったよ、と言いながら、
ほらよ、これで良いならくれてやるよ、と捨てたばかりのゴミ袋の中から、
冷たいベーグルを手渡されることもあったりなかったり、
なので、そんな事情であれば、ゴミを食って暮らす、こと自体は、
それほど難しいことでもなさそうだ。

がしかし、問題は住処である。

この狂乱高騰地価の中で、
屋根のあるところを確保するだけでも大変な騒ぎな訳で、
前述の通り、深夜の地下鉄には、
資本主義を辞めたつもりもないのだが、
無し崩し的に住むところを追われてしまった人々が
わんさかいる訳だ。

つまりそう、辞めたくとも辞めれないのがこの資本主義。
まさに乗りたくもないジェットコースターに乗せられて、
ひゃーっと悲鳴を上げてる、とまあそんな感じ、ながら、
企業は今日も今日とて、大量レイオフを繰り返している訳で、
果たして、そうやってレイオフされた人たちって、
一体どうしてるわけ?という疑問は、
この俺様のブログを見れば一目瞭然。

そうつまりは、こんな感じ。
今日も今日とてありつける仕事にありついては、
日銭を稼ぎながら、
あぁあ、もうこんな資本主義とかやめえねエ?
なんていう戯言をつぶやいては溜息をついて暮らしている訳だ。

という訳で、そう、この資本主義。
辞めてどうなるものならみんなだって辞めてるだろ?
違う?
いまさら偉くなりたーい、とか、お金持ちになりたーい、とか、
そんな大時代的なことを思ってる奴、
もうそれほどいないと思うんだよね。

できることなら、どこか南の島で、
ジャングルにタワワに実った果物を食べながら、
一日中、海を眺めて暮らす、
なんてのが実は幻想に過ぎない、ってのも、
NAKED AND AFRIDEを見れば実証済み、と。

あわよくば、どこか限界部落の廃屋かなにかに潜り込んで、
投棄畑かなにかの作物を育てながら自給自足、
なんてのも、なんか現実的ではないな、と思う訳で、
そう、つまり、この世の中、逃げ場はどこにもないんだお、
ということなのかな。

実はさ、昔、某米系大手で割りと良い給料を貰っていたころ、
よく、未来世紀ブラジルのことを思い浮かべていて、
そう、なんか俺って、あの、サーム、みたいな感じじゃねえ?
と自分で思っていたわけなのだが、
幸か不幸か、セントラル・サービスからお呼びが来る前に、
さっさとそんな甘い世界からほっぽり出された訳で、
そして今になって、世界はすでにMATRIX。




身体中に管を通されては、
養分を吸い取られるイモムシと化している気分がするのだが、どうだ?

という訳で、最早断末魔に近いこの狂乱世界。
暴走する資本主義はどうとしても誰にも止めることもできず、
貧富の差が冗談のように拡大されていく中、
悲しき中間層はみるみると奈落の底に転げ落ちていくばかり。

こんな世界、誰が望んだんだ?
誰も望んじゃいないだろ。
だったらなんで?と考えながら、
ああ、もうこりゃ戦争だろうな、
と笑うお金持ちの方々を思い浮かべてみる訳だ。

誰も望んでいない世界になすすべもなく引きずり込まれてく人々。

なんだかなあ、と思う今日このごろ。

で、俺?
俺は大丈夫、とまだ笑っている俺がいる。
なあに、そうなればそうなったで、タタキでもなんでもしてやろうじゃねえか、
とは思いながら、みんながみんなそう思った時、
世界はいったい、どんなことになっているのかな、とも思っている。

ああなんか、この世の中、最早 END CREDIT が流れ始めてねえ?

糞の巨塔、あるいは、バベルの壁の落書き

Posted by 高見鈴虫 on 23.2016 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
こんなブログを初めてから、
いつの間にか十年が経っていた。

どうせ誰に読ませるつもりもない、
日記代わり、というよりはただの独白。

時として排泄にも近い、
まあ言うなればただ、
何かの拍子にふと思いついた戯言を、
このまま忘れてしまうにはちょっと勿体無い気もして、
話のネタ帳代わりに、と書き留め始めたのがきっかけではあったのだが。

それが十年。そうか十年か。十年ねえ。

早いと言ったらあっという間、
とは言いながら、
果たしてこの十年、
いったい俺の身になにがあったのか、
と思い返せど、
さっぱり実感が湧いてこない。

という訳で、
最も手っ取り早い方法はと言えば、
そうか、このブログを読み返して見れば良かったのだった。
と言うか、それが目的の書き置きだろうが、と。

そう言えばこのブログ、
排泄代わり、というだけあって、
一度書いてしまうとそのままさっさと忘れてしまってそれっきり。
読み返すことも稀であった関係で、
いったい自分がなにを書いたのか、さっぱり訳が判らず。

下手をすればかのアルツハイマー作家ではないが、
自分でも知らない間に、
同じことばかりを何度も何度も書き連ねていたり、
なんてことが、まさか起こってはいないだろうな、と。

そんな不安にも駆られながら、
何の気なしにこの十年間の書き置きをそこはかとなくも読み返し初めてはみたのだが、
おいおいその件数、実に2600余。

しかも、実は本当の本当に際どいやつ、
つまりは、これ、もしかして本人が特定された場合、
さすがにヤバイだろう、とか言うとっておきのネタに限っては、
DRAFTとして差し控えて、なんて事情もあることから、
この十年間に渡る切々とした排泄の山、
その数まさに三千に近い。

十年分、三千通の糞の山。

これはこれは、自分でひり出しておきながら、
その数を思うだけでうんざりである。

がそう、何の因果かいつの間にか溜まりに溜まり続けた十年もの蓄積である。
鼻くそで書いた絵ではないが、
それはそれでもしかしたら何らかの意味もあるのかも知れない。
という訳で、
この十年の糞の山。
つらつらと読み返した奴。
それにページの端を折り込むように、印がつけられないか、
と考えた末に、そうかCLAPか、と思いついた。

どこぞのブログの、あの気持の悪い、拍手をどうぞ、ではないが、
こんなクラップ=CRAP=まさしく糞の意味、なブログに、
拍手どころか他人が覗き見ている、
なんてことも更々想定していなかったことから、
自分で書いたブログに自分で拍手、なんていう
まさにピース・オブ・クラップ、糞の欠片、なことを初めてみたわけだ。

改めてそう、この糞ブログ、
まさに三千のピース・オブ・クラップ。

糞の巨塔、どころか、糞で作ったバベルの塔と化しつつ在る訳で、
まさに、自分で書いておいて、
こいつ一体何が言いてえのかさっぱり判らねえ、
ってのから、
なんだか薄気味悪い文体だな吐き気がするぜ、から、
この低能が、誤字脱字ばかりじゃねえか、から、
果てはこの調子こいたチンカス野郎、一度ぶん殴ってやりてえ、
と俄に怒り心頭になったり、と、
そう、まさに、バベル。

この十年、昔と今との間ですっかり話が通じなくなっている、
なんてことが所々に起こる訳で、
そう、つまりはそんなおかしなスレ違い、
ドッペルゲンガー現象を楽しむには、
こんな糞ブログでもちょっとはそれなりの面白味も、
あったりなかったりするのか、と。

あるいは、遠い昔に別れた魂の友たちへの、
溜まり溜まった三千通の絵葉書の山。

よお、ご無沙汰だったな。
あばよと別れて数十年、
出しそびれていた絵葉書が三千通、
この機会に一挙に送らせて貰うぜ。
じゃな、涅槃で待ってるぜ。

なんて風に、
死ぬ間際になって、
そんな感じにひょっこりと送りつけてみる、
ってのもなんとなく悪趣味で面白いかもな。

ってな感じで、そうか、十年だよな。

自分で書いておいてなんだが、たまには面白いのもあったりもなかったりもする訳だが、
つまりはこの十年の間に、通り過ぎた自分自身が既に他人と化している、
まさに自分自身の幻影、ドッペルゲンガーであったりもするんだろうな。

という訳でなんだ、
そんなドッペルゲンガーな糞の巨塔から、
他人のうんこに良いの悪いの要らぬ口を挟むんじゃねえ
と啖呵を切られている気さえもしてくる訳だ。

そう、過去の自分など地下鉄で隣に座った奴と同じ。
四の五の言わずにやり過ごしてしまうに越したことはねえと言うことなのか。

なんとなく心底うんざりしてきた気分だ。



ロック・ドラマー列伝 ~ ANDY NEWMARK 究極のグルーヴ

Posted by 高見鈴虫 on 23.2016 音楽ねた

俺的に、一番格好良いドラマー、というと、
まさに、この ANDY NEWMARK、を置いて他にはいない。

そのANDY NEWMARKの、最も脂の乗り切っていた時期。

ROXY MUSIC ~ THE HIGH ROAD



昔、それこそ、目を皿、どころか、
眼球が割れるぐらいにまで観続けた記憶があるのだが、
どういう訳かこの天国的に素晴らしい映像が、
ドラマー以外の人間にはこと評判が悪い。

なにこれ?格好わる~。
ムード歌謡?きもい!
げげげ、この中年、最悪~!
と鼻で笑われることしきり。
というわけで、
そうか、つまり、このHIGH ROAD、
ドラマー以外にはなんの見る価値もない、ということらしいのだが、
ことドラマーにとって、このHIGHT ROADの映像はまさに、
グルーヴとは、あるいはドラムとは、
つまりはこういうもの、の超絶的な教科書。

というわけで、そんなANDY NEWMARKの凄まじさの集大成であるところのこのLIVE映像。

そんなものが、ひょっこりとYOUTUBEに見つかって、まさに目が点々。

見ろよこの、このスネアの切れ味。
手首の返り方から、
椰子の木シンバルから、ライドのカップの使い方から、
バスドラの引っぱり方から、
なによりもこの凄まじいばかりのグルーブ、
思わず身体がゆらゆらと横揺れを始める。
ど、そんな大波のグルーブの中から、
いきなり転がりでる神業的シンコペ!
その切れ味、まさにカミソリのよう。
がしかし、このANDY NEWMARKの凄さは、
実はそんなオカズからの立ち直り。
つまりはそんなキワモノ的オカズにグルーブが弛まない!のである。
これがそう、これこそがこの人の本当の凄さ、
まさにと思い知るべし。

というわけで、まあ、そんな珠玉のてんこ盛りのHIGH ROAD。
ああANDY NEWMARK、まさに神様。
この人ほどにドラムと言う楽器を格好良く魅せるられる人はざらには居ないであろう。
という訳で、このANDY NEWMARKの至福の瞬間であるところのHIGH ROAD、
ドラマー的には永遠に不滅。
ドラマーたるもの、まずはこの演奏を三万回聴いてこのグルーヴを身体に刻みこむべし。

そのANDY NEWMARK、
一頃は、ERIC CLAPTON御大なんかと、こんなのをやってるな、とは思っていたのだが、



なんとなくこれ、今更自己コピー?という気もしないでもないが、
しかもなぬ?これ後半、走ってねえか?
ってことは、これ、ドンカマ使ってない?ってことは一発録り?

!!! おいおいおい!!!!である。
まさにバケモノ!

そう、これ、これこそがまさしくANDY NEWMARK、究極のグルーヴ。
このヒトがドンカマを使わない、ってのはまさに本当であったようだ(笑

このCLAPTONとのコラボでしこたま儲けたのか、
その後、はいつの間にかでっぷり太って引退モード。

バハマでサーフィンでもしているのかと思ったら、最近はテニス三昧の人生なのだそうだ

なにからなにまで格好良いな、このおっさんは、と本気で嫉妬を感じてしまう一人なのである。











我が麗しのトラウマ的名盤 ~ AVALON

Posted by 高見鈴虫 on 23.2016 音楽ねた
ちゅうわけで、激しく蛇足とはなるが、

色々な意味で思い出深きこのアルバム。
ああ、過ぎし日の想い出が蘇る、ロック史上究極の名盤

そして、俺的にはANDY NEWMARKのドラマーとしての最高傑作、と思っている。





実はこのAVALON、
ROXY MUSICがこのアルバムの制作中、
我が宿命のひとがその過程に深く関わっていたんだよ、
なんていう事実を後になって知らされた。

そんなことで、このアルバムはまさに禁手でありながら、
やはり、そう、色々な意味で人生的トラウマとなっている作品であったりもする。

そんな宿命のひとと過ごした嘗ての時間を含めて、
ああ、このアルバム、甘すぎる、美しすぎる、切なすぎる。
まさに、大人の恋、であった訳だ(笑

今になって、既に逝ってしまった魂の友を想っては、
夜を徹して聴き続けた頃のことをふと思い出したりもする。


友よ、愛とグルーヴの甘い霧に包まれて、安らかに眠ってくれ。

ロック・ドラマー列伝・ VINNIE COLAIUTAはドラム界のFRANK ZAPPAか

Posted by 高見鈴虫 on 23.2016 音楽ねた

知るひとぞ知る、かのFRANK ZAPPAのお抱えドラマーであったところの
この奇人変人、そしてまさにドラム界の生き神様であるところのVINNIE COLAIUTA。

良い意味でも悪い意味でもやはりドラム界のFRANK ZAPPA。

下手をすれば完全に主役を食ってしまったり、なんてことを繰り返しながらも、
上手くハマればまさに、これ以上の究極はない、ってなぐらいに、まさに魔神。

というわけで、そんなVINNIEの俺的に言わせるところの究極セッション。

Joni Mitchell Refuge of the Roads




えええ、なんで?
VINNIE だったらもっともっとすげえのあるじゃんかよ、とは言うなかれ。

JONI MITCHELL という類まれな奇人変人じゃじゃ馬おばさん、
かの JACO PASTORIUSとブレイクアップしてから、
すっかり世を儚んでしまったのか、と思いきや、
そう、このセッション映像、まさに奇跡の復活となった訳で、
新たな恋人となったLarry Klein、
そして、
何と言ってもこのVINNIE COLAIUTAのあまりに弾けすぎたプレー。
いやはや、まさに神業の連発、そして、そう、この凄まじきグルーヴである。

そう、このVINNIE COLAIUTA、はまったらまさに生き神様、であるわけなのだが、
外した時の凄まじさも半端ではないわけで、
白けるどころか、唖然。
バンマスの意向もどこへやら、ステージ自体をまったく違う次元に引き摺り込んでしまう、
悪魔のようなドラマーでもある。

というわけで、そんなVINNIE COLAIUTAの別の一面。

Chick Corea - Live at blue note, tokyo 1992



おいおい、これは、アバンギャルド、というよりは、もはや、ハードコア・パンク、
あるいは、もしかして、JOHN BONHAM? (爆

まあChick Coreaだったからまだ笑って済んだんだろうが、
あるいはそう、これがVINNIE COLAIUTAだから伝説にも成り得た、と。

というわけで、改めて言わせてもらえば、
このVINNIE COLAIUTA、俺は実に、嫌というほどLIVEにかよっているのだが、
一つとして、まともなLIVEがあった試しがない!(爆

で、そう、近年は難聴が進んで、モニターどころかドンカマの音も聴こえなくなってしまったらしい。

そう言った意味でも、この元気ハツラツ VINNIE COLAIUTAの神業プレー、
存在自体がすでに伝説と化している、という訳か。


ロック・ドラマー列伝 JOHN BONHAM とはKING KONG であったりする。

Posted by 高見鈴虫 on 24.2016 音楽ねた
JOHN HENRY BONHAM
んだよ、やっぱり、というかなんというか、
まあ言わずと知れたLED ZEPPELINのドラマー。
そのはちゃめちゃさ、というかぶっちゃけ、掟破りの手数の多さから、
かのKEITH MOONと比べる馬鹿もいるが、
まあ、俺から言わせれば全然違う、というか、なんというか。

でそう、この時代、ひとたびYOUTUBEでJOHN BONHAM、と叩くだけで、
それこそ星の数ほどに、JOHN BONHAMはこう叩け、なんていう自己流の解説ビデオ、
なんてのがUPLOADされている訳なのだが、
時として悲しくなるぐらいに、お前ら判ってねえなあ、というか、
そう、浅いの輩が多いのには改めて驚かされる。

で、そう、JOHN BONHAM?
ぶっちゃけ、なんちゃってBUDDY RICHでしょ?と。
終わり、というか(笑







なので、JOHN BONHAMについて学びたい、と思うひとが、
いくらLED ZEPPELINのプレイをコピーしてもなんとなく限界があって、
あるいは、妙な森の中に迷い込むのが関の山。

という訳で、JOHN BONHAMをやりたい、と思えば思うほどに、
ちょっとそのJOHN BONHAM当人からはちょっと距離をおいて、
そして、そのJOHN BONHAM自身がコピーを繰り返していた、という、
かのBUDDY RICHについて、まじめに学んでみようか、
と思った時点で、初めてJOHN BONHAMにちょっと近づける、
あるいは、
JOHN BONHAMが実はなにをやろうとしてたのか、
あるいは、なにがやりたかったのか、
なんとなくわかってくる、というのが実は正しいあり方、
という気がするのだがどうだろう。








なんだよ、違うのと言えば、
バスドラのインチ=ボリュームというか、マイクの録りが違うだけ。
あるいは、なんというか、
つまり、ジョン・ボーナム、実はこれをやりたかったのだが、
テクニック的に追いつかず、あるいはそのあまりにも粗野な性格が災いしてか、
あるいは、また酒が入り過ぎてしまったか、
思わずやり過ぎてしまった、と。
ただそれだけ、という気がしないでもない。

っていうかさあ、
ロックだジャズだ、とか、ジャンルを問わず、
やっぱり至るところは、ドラム、なんだよね。

つまりは、スネアとバスドラとハイハット。
あとはまあ、おまけ、というか刺し身のツマ、というか。

でそんなあまりにもシンプルなドラムって楽器を操ることを生業とするドラマーって種族は、
ぶっちゃけのところ、やればやるほどにその行き着く先は似たようなもの。
つまりはそう、スネアとバスドラで操るルーディメントの応用。
それだけ、というか。それ以上でも以下でもないんじゃない、ってのが
これを観ているとよーく判る、その良い例。

というわけで、はい、良い子のみなさん、
余計な御託はそれまでにして、
あとはきっちりと基礎をやりましょうね、と(笑





ロック・ドラマー列伝 STEVE JORDAN 外れてばかりのキワモノ魔王

Posted by 高見鈴虫 on 24.2016 音楽ねた
どういう訳か、スティーヴ・ジョーダンはハズレが多い。

見るたびになんだこいつは、
と思わず唖然とするぐらいに下手に聴こえることが多く、
こいつ、ラリってんのか、普段からまったく練習してないのか、
あるいは、これ、わざとやってるわけ?
ってなぐらいまで、??? としてしまうライブを何度も観てきた。

がこのスティーヴ・ジョーダン、つまりはキワモノである。

当たった時はまさにすごい訳で、
その当たりハズレがあまりに極端なヒト、という意味では、
つまりはナマモノ、あまりにも生々しすぎるまでのナマモノな訳で、
その危うさ、不安定さ、こそが、ロック、あるいはライブの醍醐味、
であったりもする訳なのだがな。

ちゅうわけで、俺的にスティーヴ・ジョーダン、と言うとまさにキース・リチャーズである。




キース・リチャーズがソロ・アルバム制作の話を、ストーンズの盟友であるチャーリー・ワッツに持ちかけた際、
チャーリーからは、ばーか、俺とお前が一緒にやったらそれこそただのストーンズじゃねえかよ、と断られたってな話で、
だったら、ドラマー、お前が選んでくれよ、と言われたチャーリー・ワッツが、
こいつなら俺の代わりがつとまるかもな、と指名したのが、つまりはこのスティーヴ・ジョーダンってな訳で、
まあそう、確かに、このスティーヴ・ジョーダンであれば、相手にとって不足がない、という、
ぶっちゃけ、そのスネアの張り、というか、切れ味、というか、ぶっちゃけ重さ。
ジャズに裏打ちされたスティック・コントロールと、スネアとバスドラのコンビネーションで全てを物語る基礎力のある奴、
そんなチャーリー・ワッツのキワモノ的美学を網羅できるのは、
このスティーヴ・ジョーダンしか居ない、というところなのだろう。





俺から言わせれば、このスティーヴ・ジョーダン、元々はポール・シェイファーのところにいた、
列記としたオールマイティードラマー。
それがどういう訳か、つまりはまあ、ギャラの絡みなのだろうが、
キース・リチャーズやらエリック・クラプトンなんかと絡み始めて、まあそれなりに名前も成したが、
そのステージを見る限り、なんとなく無理してるなあ、というか、その無理やりさこそが、
その危うさを呼びこむのか、という気がしないでもないのだが。

というわけで、このひと、上手くきまってしまうと、こんなとんでもない演奏を繰り広げてしまったりもする。






が、そう、この当たりハズレ、という奴、外れたが最後、まさに目も当てられない訳で、
その当たりのところ、やっぱりなんとかする方法はねえのだろうか、と思った末に、
ドンカマなんてのに頼ってしまうと、とたんにステージのテンションが流れて、
思わず客があくびをするようなライブになってしまったりもするのだがな。






というわけでそう、ロックごときにドラムの上手い下手?知った事か、と。
ITS ONLY ROCK'N'ROLL.
たかがロックじゃねえか、と。騒げりゃいんんだよ、騒げりゃよ、と。
そう、そのぐらい、そのぐらいがちょうど良いんだよ、と思ったりもするのが、
ロックの正しいあり方、という気がしないでもない。






ロック・ドラマー列伝 CINDY BLACKMAN ドラマーの足が臭いのは男も女も同じ

Posted by 高見鈴虫 on 24.2016 音楽ねた

とまあ、そんな訳で、

ANDY NEWMARKから、JOHN BONHAMから、
あるいは言わずと知れたチャーリー・ワッツから、
STEVE JORDANから、と来てしまえば、
なんだよ、つまりはあんたの言うすごいドラマーってのは
結局こういうヒトな訳なんでしょ、という、まさに、ネタバレ、というよりは、
底が開けてしまう感があるのだが、
その底明けネタバレの究極、というのがまさにこのひと、

CINDY BLACKMAN!! 
大爆笑? やっぱそうかな。

そう、そうなんだよ。つまり俺ってそんな奴。あるいはその程度ってことか、はいはい(笑

というわけでこのCINDY BLACKMAN。
まさに俺的なドラム美学のひとつの典型であったりもする。





このCINDY BLACKMAN、初めて見たのはかのLENNY KARAVITZ
まさに店中がぶっ壊れるぐらいの大騒ぎになって、
OD泡吹き、酸欠卒倒者、どころか血みどろの奴までが担ぎだされ、
警察どころか救急車、挙句に消防車までが呼ばれるという、
とんでもないLIVEであった。



その後、このCINDY BLACKMAN、
やはりなんとなく気になってはいたのだが、
というのも実はこのヒト、元々はばりばりのジャズのヒト、
っていうかまあそのドラムスタイル見れば一目瞭然。

つまりは、8ビートをレガートで刻む、
あるいは、ハイハットを裏で切る人、な訳で、
そういうタイプのドラマーが至上とするスタイルが、
右手そして左足をハートビートとして固定し、
左手のスネアのタイミングと、
そして右足のバスドラとのコンビネーション、
これをまさに自由自在に操る、
あるいは、そう、誰にも聞こえないのだろうが、
そのビートの隙間をみっしりと埋め尽くすあまりにも微妙な裏音。
踏み込むハイハットの切れ味を頼りに、
そこに無理やりねじ込むシャッフル魂であったりもする訳だ。





というわけでこのCINDYさん、判ってるなあ、
というよりは、なんというか、
ジャズはとりあえず、ロック・ドラマーとしては、
俺の探し続けていた美学のその一つの形。

まさに他人とは思えないものを感じていたのも事実。

で、そんなこんなで、あの当時、
実はこのCINDY BALCKMANさん、
そこかしこでちょくちょくとお目にかかった(笑

よく通っていたスタジオの近くにあったとあるジャズクラブ、
練習の後、LATE NIGHTのステージにちょくちょく顔をだしていたのだが、
その際、ちょうど出演していたのがこのCINDY BLACKMAN。

で、よりによってそのステージ最中にフットペダルがぶっ壊れる、
なんてハプニングがあった際、
ちょうど俺の使っていたのと同じDW5000だったことから、
だったらほらよ、と借用してもらった事があった。

で、実はそんな俺のDW5000、実は思い切りいじってあって、
スプリングのセッティングが極限までゆるゆる、
つまりは限りなくビーターを重くセットしてあって、
結果、バネのバウンスをまったく利用できないことからすべてが足の動きそのもの。
そして、踏み込んだバスドラが微妙に重くなる、と同時に、とてつもなくでかい音がする、
というまあ言うなれば、グルーヴ系ロッカー、以外には誰も使いこなせないキワモノのフットペダル。

であったのだが、
そのフットペダルを踏み込んだとたんCINDYがにんまり。
がしかし、そのこじんまりとしたジャズクラブにいきなり轟くバスドラの音。
結果、いつの間にか深夜のしっとりとした大人のモードがいきなりファンキー。
マイルス・デイヴィスのつもりが、いきなりパーラメンツかJBSか。
テーブル席でワインを片手にシガーを燻らせていた紳士淑女が、
思わず踊り狂ってテーブルは転がす皿は砕けるの大騒ぎ、となってしまった。

で、ギグが跳ねた後にCINDY,思わずニンマリ。
つまり、CINDYもまったく似たようなセッティングにしていた、
ってのを聞いて、お互い、やれやれと苦笑い。
つまりそう、バスドラとスネアの爆音が好きで好きで堪らない、
つまりは筋金入りのロック野郎。
いやはやこんな血の気の多い性格じゃあ、
とことんジャズには似合わないってことなんだよね、
と大笑いをことがあった。




でまあそんな絡みからその後もそんなこんなで、友人のライブでばったりと見かけてたり、
あるいは、CUBA系アーティストのシークレットライブにでかけたらまたばったり顔を合わせて、
と一時期は出かけるEVENTで必ず顔を合わせるような、
つまりはそう、実に趣味が似ていた、というか、つまりは目指していたものが極端に似ていたのだろうか。
となんだかんだと妙な絡みの多かったヒトなのだが、いまやかのサンタナの嫁さんである。
思わず、へえ、と笑いながら、密かに舌打ち。

言わせて貰えばなんだが、CINDYってすっげえ足臭いんだぜ。
あのステージに脱ぎ捨てられたブーツから漂う得も言えぬ悪臭、
あるいは、ドラムケースの中にぶちこんだ汗みどろのライダースの革ジャン。
ジャズというにはあまりにも毒々しくも野獣じみた、
そう、つまり、それってまさにロックということでしょ、と。

というわけで、そっか、サンタナかあ。サンタナねえ、と思わず苦笑い。

今だから言ってしまおう。俺はCINDYが好きだった。
まさに一目惚れであった。
顔の作りが、おっぱいの大きさがどうのこうのとか、
そんなことではない。
つまりその存在自体が、まさしくドラマーの鏡。
限りなくも魅力的な女性、というよりはそう、
まさに、筋金入りのロック・ドラマーであったのだ。

というわけで、はーい、ネタがばれましたね。

はい、この路線、つまりはグルーヴ極道、
まさにキワモノ、つまり、当たり外れ大きすぎて、
当たれればまあ良いとしても、
外れればまさに最悪、つまりは、まったくドラマーとしての仕事にありつけません!

というわけで、はーい、良い子のドラマーのみなさん、
かつてYAMAHAの言っていたことは正しかった。

ELVIN JONES よりは、JOE MORELLO、
JOHN BONHAM よりは、IAN PAICE。
ANDY NEWMARKよりは、STEVE GADD。
CINDY BLACKMANよりは、DAVE WECKLE。

スティック上げ幅5CMのドンカマ・スタジオの世界で、
カラオケの伴奏でお金を稼ぐ、清く正しいドラマーとしての道を目指してください。

間違っても、GROOVE至上主義、などという、
ど下手ドラマーの戯言的な世界に足を踏み入れてはいけません。

というわけで、そのいけないドラマーの一つの典型であるCINDY BLACKMAN。

バスドラとスネアを思い切り叩き込んでは、
誰に聴かれる筈もないスネアの裏音に全神経を研ぎ澄まし、
小技と手数とタムとシンバルの数ばかりに狂騒するドラム界もなんのその、
ただひたすらに、グルーヴのグルーヴによるグルーヴの為の音楽を極め続ける、
まさにグルーヴ極道。

がしかし、あえて言わせて貰えば、なにが悪い?である。

手数だ、ツーバスだ、ドンカマだ、が聞いて呆れるぜ。

響き渡るバスドラのボディーブローに、リムショットぎんぎんのスネアの連打、
馬鹿野郎、ロックってのはなあ、格闘技なんだよ、格闘技!

そんな限りなくフィジカルであるところのロックという音楽の、
その象徴であるところのロックドラム。
つまりは、暴力そのものであって然るべきもの。

ロックドラムってのはなあ、喧嘩なんだよ、喧嘩。
つまりはそう、そういうもの、であるべき、
という訳で、ロック道を極める者の思い切りの開き直り。

グルーヴ!グルーヴこそが全て!あとはなんにも要らない、入るべきではない!

というわけで、そんなロック道、グルーヴ極道たちの珠玉のプレー集。

この腐れ公家どものおままごと、手毬唄ばかりの時代に、
ちょっとは目を覚ましてみてもよくねえか、と思った次第。

どうだ、思い知ったか!

ドラマー諸君にどうしても言っておかなくてはいけないこと

Posted by 高見鈴虫 on 25.2016 音楽ねた
ちゅうわけで、激しく蛇足だが、余計なことを言わせてもらう。

ドラマー諸君にどうしても言っておかなくてはいけないこと。

1. ルーディメントには足をつけろ!

ドラマーたるもの、その生活というか、生きることとは、つまりはルーディメントに始まりルーディメントに終わる、
のはまあ、当然のこととして、ロック・ドラマーを目指す方々にどうしても言っておかねばならぬこと。

必ず、必ず足をつけねばならない。
どれだけ華麗な小手先テクを披露できても、それがビートに乗っていなくてはなんの意味もない。

必ず足をつける。その為には、歩きながら、あるいは、走りながら、ルーディメントを続けること。

このエアドラム、ならぬ、エア・ルーディメント。
これは筋トレにもなり、そして、そうやって鍛え上げたルーディメント。
これが実際にスネア、あるいは、木板を叩いた時に、
まさに夢のようにスティックが転がることに快感を覚える筈である。

あるいは、そうやって体感的なルーディメントの訓練をしておかないと、
いざステージの上で、モニターが聞こえない、
あるいは、ステージ上の爆音にかき消されて、
自身の出している音がさっぱり聞こえない、なんてときに、
思わず拍子がつまって前のめりのつっかかりビートが流れてしまったりする。

それを避ける為には、歩きながらルーディメント、これに尽きる。


2.姿勢を正せ。

基礎も固まらぬうちからステージばかりを繰り返してきた宿命か、
このなんちゃってライブハウス・ドラマーは、やはりどうしても姿勢が悪かった。

で、このステージでの姿勢を見るだけで、
ああこいつ、どれほどのものか、と瞬時で判断できてしまう向きもある、
あるいは、上手いドラマーは必ず、必ず、姿勢が良い、
そんな極意に気づいたのは不幸にもかなり後になってからである。

つまり俺がその程度で終わってしまった理由が、
つまりはこの姿勢の悪さであったのか、と思い知らされることにもなった。

そう言えば昔、楽器屋のデモドラムをぶっ叩いて調子に乗っていたところ、
いきなり後ろから、ぐい、と背筋を伸ばされたことがある。

そのコクジンのおっさん。
いいか、坊や、姿勢を正せ。腰をやられたらドラマーは終わりだ。

後になって店員がすっ飛んできて、その要らぬ説教をした人がかの、なんたらさん、ぶっちゃけ、ビリー・コブハムである、
なんてことを告げられて、へえ、そうかい、とも思ったのだが、
後々になってその言葉が、まさに血が滲むほどに思い知ることになった。

改めて言う。
そう、人間姿勢である。
そして、ドラマーに取って、最大の天敵はまさに、腰。つまりはヘルニアである。

ようやく脂が乗ってきてでかい仕事が取れるようになってきた、とその矢先に、
いきなり腰をやられて、という話を腐るほどきかされた。

そうならないためにも、腰である。
練習の前と後には、必ず腹筋百回。
そして歩く事、である。

普段からドラムセットの前に鏡を置き、先にあげたANDY NEWMARKの姿を思い浮かべるべきだ。

手元ばかりではなく、肘の上げ方、肩の入れ方、も一緒に確認することができる。

そして、シンバルを高く上げること。

これはちゃらちゃらと無駄なシンバルを入れる癖がなくなり、
アクセントにタメを入れる癖がつく、なんていうおまけもつく。

姿勢を正せ、それだけは言っておく。



3.練習には耳栓を忘れるな。

かのVINNI ではないが、ドラマーを殺す職業病の筆頭が、ヘルニアと、そして難聴である。

音楽を生業にする者が、聾になってしまってはさすがに成り行かない。

とそして、いざステージの上で、ぐげええこの小屋、なんにも聴こえねえじゃねえか、
ってのは実にままあることなのだが、そんな時、普段から自分の音に頼った練習をしていると、
まさに万事休す、となる。
とそんな時は、まさに耳栓である。
普段から耳栓に慣れ、音に頼らず、自身のプレーのムーブメントを体感的に把握しておくこと。

白状してしまえば、俺は耳がよく聞こえない。
その関係から、声の小さい奴と話している非常にイライラする。
ああ?聴こえねえよ、と、思わず場違いな怒鳴り声を上げては顰蹙を買うことになる。

今となっては、いついかなる時でもキーンと耳鳴りが鳴っている。

というわけで、耳栓を忘れるな。
チューニングキーを忘れても、耳栓だけは忘れてはいけない!
それだけは言っておく。


そして蛇足にはなるが、
これまで出会ったなかで、最も尊敬する巨人の一人であった、
アマディート・バルディスから、言われた一言。

4. ルンバ!

ルンバを聴け。
朝から晩まで、寝ても覚めても、一日中ルンバを聞き続けること。
ルンバを呼吸すること。ルンバが血となり肉となり、細胞のひとつひとつがルンバに満たされていること。

あるいは、そう、できることなら、一日中、あのルンバ・サークルのビートのコアの中で過ごすに越したことはない。

ドラムの全てはルンバの中にある。
ANDY NEWMARK、JOHN BONHAM、ではないが、
ジャズ、ロックに限らず、ビートのその根本はルンバなのだ。

ルンバのビートが身体に染み込んだ時、お前のドラムは変わる。
音に出てない音が脳内に広がり初め、
プレーに無理がなくなり、全てのノーツがイキイキと踊りを始め、
そしてドラムを叩くということがとてもとても楽になる。

つまり、こういう状態になる、ということ。





どうだ、至極だろ?

ドラムって面白いよな。
まあ叩いている奴にしか判らないんだろうが。
そう、ドラムを叩けるってだけで、凄く幸せなことなんだぜ。
それを思い知ろう。






大雪アナーキー ~ 大吹雪のニューヨークは犬どもの天下

Posted by 高見鈴虫 on 25.2016 犬の事情
大雪のニューヨークである。

水曜日当たりから、もう大雪だ大雪だ、
と誰も彼もがはしゃぎ回ってはいたのだが、
金曜の夜になってやって来ました、
ちらほらと降り始めた粉雪。
だったらまあ、と勝手に仕事をお開きにして家路に着いた訳なのだが、
その後、なんとなく、ロック・ドラマー列伝、なんてのを書き始めていたのだが、
なんとなく外が静かである。
そう、雪が音を吸い込んで、あるいは、雪の為に通行不能となったニューヨーク、
この24時間ざわざわガタガタと落ち着きの無いこの街が、
これほどまでに静まり返るというのも雪の効用という訳か。
まるで穴に落ちたような沈黙の底で、
窓辺にしんしんと降り続く雪の気配を感じながら、
音を消したテレビから真夏のオーストラリアン・オープンなんてのを観ているうちに、
いつしか一晩が明けてしまったのだが、
朝になって本降りとなった外はまさに大吹雪。

とそんな窓からの風景に首を長くしながら、
おおおおお、雪だ雪だ、と目をらんらんと輝かせている不届き者がいる。

なぬ?お散歩?この雪の中を?

という訳で、犬を飼う者の宿命というやつか、
まさにドアの向こうに一歩踏み出せば前後不覚となるような大吹雪の中を、
まさに遭難者のような具合で公園に辿りついたのだが、
見ればおいおい、こんな大吹雪の中にも人がいるいる、つまりはそう、犬の散歩の人々である。

そんな輩を一目見た途端に、静止も振り切っていきなり飛び跳ねた犬。

いきなり頭から雪だまりの中にダイブ。
すっかり全身が埋まってしまった中、
雪の上から鼻先だけ覗かせてしばしの沈黙。
なぬ?どうした?
と首を傾げてもそのままピクリとも動かず。
まさかいきなり心臓麻痺?
さすがに心配になって掘り起こすべきか、と覗き込んだところ、
その目の前にいきなりびっくり箱のように飛び出した犬。
ひゃっほー!と歓喜の叫びを上げながら、
あっという間に雪野原の中に飛び込んでいくや、
気の触れたように走る走る、
その姿、まさに壊れたロケットそのものである。

で、そのびっくり箱の空き箱、犬形にぽっかりと開いた雪穴の中を見てみれば、
なぬ?おしっこ?
そう、雪だまりの中でうっしっし、と長い長いおしっこを垂れていたようなのである。
つまりそれ、プールの中で人知れずおしっこをしていた、あの感覚なのであろうか。

という訳で、まあ今に始まった訳ではないのだが、この雪の中の犬たち。
まさに無敵。神をも恐れず、とはまさにこの事。

吹雪が大波となっては畝り狂う白い雪原を、
右から左へ、あるいは斜めに突っ切っては雪だまりの中に頭から飛び込んで、
とそんな中、雪の中からいきなり飛び出してきた黒い弾丸たち。
転げまわる我が駄犬と並走を始めるや、
雪の中に頭から突っ込んではもんどり打って、
まさに顔と言わず身体中が雪まみれ。
そんな犬たちが大口を開けては、ガハハハ!と大笑いを続ける中、
まったくこいつら、と苦笑いを浮かべては唖然とする飼い主たち。

まさに頭のてっぺんから上から下まで、睫毛から鼻の穴から耳の穴の中まで、
まさに雪まみれの雪だるま状態。

まあねえ、犬が元気ってことは確かに良いことなんだが。

とそんなことを言っていられるのも30分が限度。

最早、フードの中からコートの裏から、
身体中の穴という穴から雪を吸い込んでは呼吸困難状態。

おーい、もう帰るぞ、といくら叫べど、
知った事かと走り回る犬たちにつくづく嫌気が射して、
もういい、もう帰ろう、と勝手に家路についた飼い主たち。

足元がおぼつかないどころか、これはまさに八甲田山状態、そのもの。
よろめいて雪の中に倒れ込むたびに、
一瞬のうちに雪に埋もれては姿か掻き消えてしまう。

とそんな時、まさに脱兎、というよりは気の触れた鳶のような勢いで走ってきた犬たち。
そのまま公園の塀を飛び越えて、雪の中にダイブ。
で、全身雪まみれで転がり出ては、いきなり大通りの真ん中に走りでて、
あっという間に交差点を斜めに突っ切っては、
雪に埋もれた車と言わず、ところかまわずに小便を垂れ、
あるいは、こともあろうに扉を閉ざした店先にでかでかとうんこ。
とまさに街中がドッグラン状態。
まあね、こんな大雪の中、車なんか一台も通れる訳ないし、
犬の飼い主以外、こんな吹雪の中を歩いている物好きもいる訳もなく。

という訳で、大通りの真ん中を走り回る犬をそのままに放し飼い状態。

交差点の真ん中でゴロゴロと転がっては雪の中から鼻だけだして大笑い。
六車線の大通りのそのど真ん中を、どこまでもどこまでも走り続けていく犬ども。
まさに大雪アナーキー。
これは完全に無政府状態、まさに戒厳令の大雪騒動のニューヨーク。

そんなこんなで丸一日中、大吹雪が終わった後、一夜明けていきなりの青空。

途端に公園はまさに子どもたちで一杯。
歓声というよりは金切り声を上げながらはしゃぎ回る子供たち、
ミツバチの巣を蹴飛ばしたような大騒ぎである。

とそんな中、はしゃぎ回る子どもたちをちとーっと横目で見る犬たち。
その身体がなんとも重たい。

なに、どうしたの?雪が嫌いなの?と心配げな人々。

え?雪?もう飽きた、と重い足を引きずる犬たちなのである。

まさか昨日のあの大吹雪の中、
この街中を犬どもが我が物顔で走り回っていた、
なんてことを普通の人々は知る由もなし。

一足早く大雪を満喫してしまった犬たち。
重い足を引きずりながら、
なんか俺、下痢みたい。
ああ、俺も、と顔を見合わせてはため息をついている。

という訳で、大雪?ああ、そう、まあね、と言った感じ。

だってさあ、去年なんて、こんなドカ雪がそれこそ三日に一度は降り続いていた訳で、
そんな中を、毎日毎日、雪まみれになりながらお散歩を続けてきたあのあまりにも辛く長かった去年の冬。

あれを思えばこんなの、ちょろいちょろい、と妙に度胸の座ってしまっているニューヨークの達人たち。

がしかし、そうか、また雪か。
やれやれ、また面倒くさいシーズンがやってきた、と、

今日も今日とて、雪の中ではしゃぎ回る人々を尻目に、
長い長い溜息をつく犬の飼い主たちなのである。


大雪ニューヨーク ~ ニューヨークで犬を飼う者にとって、雪と言えばまずは「潮焼け」なのである

Posted by 高見鈴虫 on 25.2016 犬の事情
という訳で、またまた大雪のニューヨークである。

まあしかし大雪とは言っても、去年の冬のあの地獄のような大雪ラッシュを思えば、
こんなもの、全然大したことないし。

とは言うものの、犬を飼うものにとってこの大雪、なんとも頭の痛いものなのである。

そう、犬は元気だ。

雪、と見た途端に頭の回路が弾け飛んで、雪原の真ん中、
まだ誰も足を踏み入れてない真っ白いカーペットのど真ん中に頭から飛び込んでは、
もんどり打って、転げまわって、走り回り飛びまわり、
がははは、と大口を開けては、さあこっちまで来てみろ、さあボール投げろ、と大騒ぎ。

まあ犬が元気な姿を見るのは悪いことではないのだが、
そう、なのだが、
がしかし、ここに一つの盲点がある。

犬を飼う者達にとって、雪、と言えば、まさに塩、なのである。

雪に塩?なんだそりゃ、となるのがまさに普通人。

がしかし、この塩。

雪が降るたびにここニューヨークでは、舗道の雪除けの為、
降り積もる雪を溶かし、滑り止めにするが為に、大量の塩をぶちまける。

この雪の舗道の塩。

確かに一般人にとってこの塩はまさにありがたい。
つるつると滑る危ない雪道が、撒かれた塩の為になんとか街としての体裁を確保することができる。

しかしながら、そう、この塩。
犬たちにとってはまさに天敵。

普段から靴を履かない犬たちである。
パウ、という固い固い天然のブーツを履いている犬たちには、
靴なんていうしゃらくさいものは本来必要がない筈なのではあるが、
この塩、これが犬たちの天然ブーツの中に染み込んでは、
まるで傷口に塩をすりこむように激痛を伴うことになる。

雪の中を無我夢中で走り回っていた筈の犬たちが、
雪の除けられた舗道に着いたとたん、ヒャン、と背中を丸めてうずくまってしまう。

なんだ?どうした?と心配げな飼い主たち。まさか雪の中で足でもくじいたのか。
が、そう、この雪の舗道のヒャン、こそこが、この塩焼け、ソルト・バーンによるものなのだ。

という訳で、雪まみれの舗道の真ん中で動かなくなってしまった犬たち。
もう嫌だ、この道は歩かない、と必死の形相でがんばっているのは、
別に駄々をこねている訳ではなく、ただただ足が痛い。
まさに焼けた鉄板の上を裸足で歩かされているようなものなのである。

とそんな訳で、ただでさえ足元の覚束ない雪の舗道を、
なにが悲しいか、雪まみれの犬たちを抱え上げては、
その重さにうめき声を漏らしながらよたよたと歩く犬の飼い主たち。

そんな犬の飼い主たちの苦難に、
あれあれ、冷たいのが嫌なの?甘えん坊さんねえ、と要らぬことで囃し立てる一般人たち。
あのなあ、と思わず舌打ちである。

この塩、本当にどうにかしてくれないか、とつくづくこの滑り止めの塩が、そして降り積もる雪が、
恨めしく思える冬の季節なのである。

大雪ニューヨーク ~ 雪後の血便騒動、その理由

Posted by 高見鈴虫 on 25.2016 犬の事情


で、そう、このニューヨークの大雪の災い。
それはいわゆるひとつのソルト・バーン、
つまりは舗道の雪除け、滑りどめのために撒かれる塩が、
犬の足を焼いてしまう、という話なのだが、
そしてもうひとつ、大雪が犬たちに及ぼす弊害としてあげられるのが、下痢、である。

雪が降るたびに、近所の獣医さんは大忙しである。

うちの犬が下痢をした!
昨日まで大元気で走り回っていたのに、いきなり下痢をして。
おまけにびっこを引き始めて外に出ようともしない。
いったいどうしてしまったのか!?

そんな飼い主たちが、照れ笑いを浮かべる犬たちを抱えては、
手に手に雪に塗れたうんこ袋をぶら下げて獣医さんを訪れる訳で、

やれ、下痢便に血が混じっている!
歩行さえもが困難になってしまった!
いつもはあんなに元気な子なのに!

と口々に断末魔の悲鳴を上げ続けることになる。

下痢はいつから?と看護婦さん。
はい、あれは確か、この間、大雪の降った日の次の日から。
水は飲ませてますか?
え?水?ええ、水は飲ませてます。
食欲は?
はい、食欲もあります。
元気は?
はい、元気もあるんですが、いつもは下痢どころか出されたものは一瞬のうちに平らげる元気者。
舗道で道行く人々を跳ね飛ばすような勢いのこの元気な犬が、
今日に至ってはびっこを引きながらクンクンと悲鳴を上げる始末。。

ねえ、いったいどうしてしまったんですか?
と涙声の飼い主たちを尻目に、
便に血は混じっていませんでしたか?
え?うんちに?ああ、ハイ、確かにちょっとピンク色のものが。。

そんな飼い主のパニックを尻目に、
淡々と仕事をこなしていく看護婦さんたち。
唇をめくっては、脱水症状の兆候を調べ、
目の中をのぞきこんで、お尻の穴に体温計をつっこんでは、
もう、朝からこればっかり、とまさにうんざりモード。
がしかし、この雪後の大下痢、
時によってはすぐに点滴、なんてことにもなりうる訳で、油断は禁物である訳だ。

まあ確かに飼い主たち、そして犬たちにとっては一大事な訳なのだが、
果たしてこの雪後の大下痢が、実は舗道に撒かれた滑り止めの塩、
あの潮焼けを原因にしたものだ、ということに気づいている人が何人いるのだろうか。

滑り止めの塩が撒かれた舗道を歩いてその足がすっかり潮焼けを起こしてしまった犬たち。

で、家に着いてからも、なんか足がヒリヒリする、とばかりにその塩に浸った足を舐め続ける。
そうしているうちに、すっかりと塩分過多となってしまった犬たち。
元々塩分を消化吸収する力の弱い犬たちにとって、この潮焼けの足から舐めとった塩がまさに天敵。
とたんに塩分過剰摂取のオーバー・ドーズを起こし、それが肝臓を直撃する、ということらしい。

とまあ、原因が判ってしまえば簡単なものなのであるが、
この滑り止めの潮焼けを理由にした塩分過剰摂取、
時としては血便、そして、激しい下痢からの脱水症状を起こし、
下手をすれば命にも関わる大事に発展してしまうわけだ。

という訳で、この厄介な雪後の潮焼け、そして大下痢。

これを予防する為には、まずはブーツを履かせること、
そして、散歩から帰ったら、バスタブに水を張り、
まさに泥だらけのじゃがいもかごぼうでも洗うように、
四本の足をゴシゴシゴシゴシと良く洗うこと。

これを一日何回も、お散歩のたびに繰り返す。
一度でも怠ると、とたんに大下痢、に発展することにもなる。

とまあそんな訳で、大雪舗道の塩撒き。

まさに犬にとっては、毒を撒き散らされているに等しい、
ということを忘れてはいけない。


大雪ニューヨーク ~ 風船ブーツという苦行

Posted by 高見鈴虫 on 25.2016 犬の事情


という訳で、そんな厄介な雪の日の塩焼けから愛犬の身を守るには、
まずはブーツを履かせること。

このブーツ。
まあ色々な製品が出回っているが、一番良いのは実は使い捨ての風船型。

つまりあの風船の息の吹き込み口から犬の足を突っ込んですっぽりと包み込んでしまう訳で、
まあそう、いわゆるひとつのコンドームな訳であって、
まあ理屈から言っても、あるいは経験則から言っても、
これであればたぶん大丈夫、とは思う。

思うのであるが、そこにやはり盲点が存在する。

犬はこれを履くことを死ぬほど嫌がる。

普段から靴など必要のない暮らしを送っている犬たち。
それも、普段からお散歩だけは死ぬほどさせてもらっている元気いっぱいの健康優良猛犬児たちにとって、
極寒の中のコートでさえもがしゃらくさい、ところを持ってきて、なぬ?足にブーツ?冗談でしょう、となる訳だ。

そう、元気だけが取り得というような猛犬タイプに限って、身体に要らぬものをつけられるのを死ぬほどに嫌う。

おい、ブーツ履くぞ、というたびに、なんだよ、それ。
そんなみっともないもの誰が履くか、とプン、と横を向いては逃げまわる。

おい、だから、また潮焼け起こしてピーピー言っても知らないぞ!
といくらいっても、嫌だ、嫌なものは嫌だ、と逃げまわる訳だ。

まあなあ、気持ちは判るのだがな、がしかし、これをやらずにまた下痢を起こされて、
会社を休んで獣医さんに駆け込む、なんていう毎年毎年の大騒動は、
原因の判った今となってはもうあまりにも馬鹿馬鹿しい。

なので、嫌がる犬を抑えこんで、えいやあ、とこの風船ブーツを履かせる訳なのだが、
嫌だ、死んでも嫌だ、そんなもの要らない!と抵抗を続ける犬。
そんな犬をなだめてすかして抑えこんで、前後左右、四本の足にブーツを履かせるこの大労働、
いやはやこれが大騒動。

で、散歩から帰ったらまずはそれを脱がさねばならず、塩まみれの雪に濡れたブーツをまたいちいち脱がしては、
さあ、次は風呂だ、とバスタブに放り込んで、はい、右前脚、左後ろ脚、次が右後ろ脚、最後に左前脚l
と一本一本、ゴシゴシごしごしと石鹸で洗ってはお湯で濯いで流してとやるわけで、
これを散歩のたびに永遠と繰り返すのである。

でしかも、この風船ブーツ。
一度使ったが最後必ず穴が空いている訳で、つまりは使い捨て、である。
使い捨てと言っても一回分4っつで6ドルはするこの風船ブーツ。
散歩のたびに、ということは、一日4度の散歩の度、という訳で、一日24ドル。
これを毎日毎日繰り返す訳で、その積もり積もる出費が実は馬鹿にならない。

で、これはまだ大丈夫、洗って使おう、と馬鹿な気を起こすたびに、
散歩の途中で、なんかこのブーツ、水が染みてない?と迷惑げな犬。
なんか、中に塩水がはいってずっとヒリヒリするんだけど、と。
という訳で、そういうブーツ、やはり飼い主の居ない間に知らぬうちに脱ぎ捨ててしまう訳で、
ああ、やれやれ、せっかくブーツ履かせているのに、また潮焼けかよ、となる訳だ。

という訳で、どうだ、犬の飼い主の苦悩がちょっとでもお判りいただけただろうか。

がそう、改めていう。
犬への愛情とはつまりはこういうこと。
ベタベタとお菓子を上げては猫かわいがりをしたり、なんてのは、甘やかしているだけ、
あるいは、自分が犬に甘えているだけで、なんの意味にもなりえはしない。

毎日毎日、朝も早くから深夜遅くまで、
吹雪の荒れ狂う公園で永遠とボール遊びに付き合わされ、
挙句に潮焼けを起こした巨体を抱え上げて雪の舗道をよいしょよいしょと家まで歩き続けることも、
あるいは、
嫌がる犬を抑え込んではブーツを履かせ、
そして散歩から帰るたびに風呂おけに叩き込んで、
四つの足をゴシゴシと洗い続けること。

そういう苦労をたゆまずに繰り返すことこそがまさに犬への愛情、となる訳なのだが、
判ってはいるがこれ、まさに、苦行にも等しい。
つまりは、可愛いだ、なんだ、とか、そんな次元ではやってられないのである。

という訳で、雪の舗道でブーツを履いて、ぴょこたんぴょこたんと歩く犬と、それを連れた不機嫌な飼い主。

あれまあ、可愛いわんちゃんですねえ、などと聞いてあきれる。

くっそう、この糞雪、はやくどうにかならないかな、と舌打ちをしながら、
そんな俺達の目の前で、新たに塩を巻き始める働き者のハンディーマン達。
思わず、てめえ、余計なことするんじゃねえ。
転びたい奴には勝手に転ばせておけ、と怒鳴りつけたくもなったりする。

という訳で、大雪のニューヨーク。
くそったれが、余計なもの降らせやがって、の雪原の中、
今日も今日とて、ひゃっぽー、とはしゃぎ回る犬たちを、
まさに苦虫を潰したように見つめる飼い主たちの姿がある。


えええ、圭ちゃん、なんでえ? と悔し涙の全豪テニス

Posted by 高見鈴虫 on 26.2016 テニスねた
俺はご存知のように錦織圭のことが大好きなので、
余程のことがない限り彼に腹をたてたりはしないのだが、
この全豪、この糞ジョコビッチとの試合、
これは、これは、ちょっと、まじめに、
なんだよ、錦織、てめえ、なにやってんだよ、
と、ハラワタが煮えくり返った。

なんで!?なんで、圭ちゃん、この試合、完全に勝てたじゃんかよ、なのである。

馬鹿なマスゴミはまた訳も判らずいい加減なことを書いているようだが、

あのジョコビッチ、まさにテニス・サイボーグである筈のジョコビッチが、
これほどまでに調子が悪い、精彩を欠いた姿を見たのはまじ、初めて。

まあ確かに、シモンとの試合で調子悪かったみたいだしな、
でも、
へえ、あのシモンに散々に傷めつけられたのか、
なんかでは、ない!

シモンはランキングこそ振るわないが、まさに大物食いの達人。
そして、知る人ぞ知る知性派。つまりは、策士なのである。

ジョコビッチは、あのシモンに、徹底的に逆を突かれては足を止められた。
つまりは、自分のプレーに疑いを持ち始めていた。
つまり、自信を失っていた。
あのミスショットはその結果なのだ。

そんな腑抜けのジョコビッチを相手に、我が錦織選手。
なにを間違えたが、ガチンコで勝負に出ては、
頼まれもしないのに無理なショットを繰り返して自滅するに至った。

ちょっと冷静になれば、十分に気づいていた筈だ。
むむむ、今日のジョコビッチ、なんか違うぞ!

ジョコビッチには迷いがあった。
動きがぎこちなかった。
普段からの、あの憎々しいまでの自信満々ぶり、
水も漏らさぬような徹底的な正確さをとことん欠いていた。

つまり、錦織は普通にやっていれば、あるいは多少手を抜いても、十分に勝てていた。
少なくともあのツォンガやら、ガルシア・ロペスなんていうガチンコファイターに比べても、
十分に楽して勝てるレベル。
この大会のジョコビッチは、少なくともあの試合でのジョコビッチはその程度でしかなかった。

それをそれを、なんでええ、なのである。

という訳で、テニス仲間のクリスから、やれやれ、と苦笑いを返された。

勝ててたのにな。メンタルだな。
下馬評を真に受けて、勝てるわけねえとでも思ってたんだろう。かわいい坊やだな。

図星である。

まさにそう、そのメンタル、というよりも性格の素直さ、こそが良い意味でも悪い意味でも、錦織。
そして彼が、どうしてもグランド・スラムに手の届かない、その理由なのだ、と確信した。

という訳で、そう、いつもながら修造さんは本当に手厳しい。
そして本当の本当に、心の底から暖かい!

焦った、力んだ、悔しい。。

つまり、敗因はジョコビッチという後光に、勝手に気後れして、勝手に自滅させられた。
ただそれだけ。

裏を返せば、なあんだよ、勝ててたんじゃないかよお、なのだ。

あぁあ、勿体無い、と正直そう思う。

まさに、自滅、というよりは、宝くじの当たり券を騙されて捨てちゃった、
あるいは、棚から落ちてきたぼたもちを、おっと、と手を滑らせてドブに落としてしまった、
みたいなもの。
おいおい、なにをやってるんだよ・・・

まあねえ、でも、あの素直さがあっての錦織。
だからこそここまでになれたのだろうが、
これから先、世界中の海千山千を相手に、
総力戦を強いられる中、
これぐらいの安いはったりに引っかかるようでは、
いやはや、まだまだですな、と言わざるを得ない。

という訳で、そう、錦織、
実力的にもう十分にグランド・スラムを狙えるレベル。
あるいは、もう取れて当然のレベル。

それをそれを、どうしてどうして・・・

勿体無い!すっげええ勿体無い!

自分のミスで負けました、なんてそんなこと全然ないってば。
調子最悪のジョコビッチに、揚げ足取られてただけ、ただそれだけ。

という訳で、正直、すげええ腹が立ってるぜ。

もっと自信を持てよ。もう十分に行ける。もうあんたはチャンピオンの実力持ってる。

そう思ってないのは、世界であなた一人だけってことに早く気がついてくれ!

という訳で、コーチ変えたら?

もうマイケル・チェンの役目は終わった。
次はもう、グランド・スラムを取るため、それだけが目標。
だとすれば、

トニー・ローチ?
ピーター・ラングレン?
あるいは、最近失業したらしき、ステファン・エドバーグ?
まさかまさか、

俺が思うのは、まさに、イヴァン・レンドル!

あのビビビのねずみ男、あるいは、怒涛の馬男。

あれほど厳しいコーチはいない。
つまり、テニス界随一のお坊ちゃま君である錦織に、
グランド・スラムの厳しさを叩き込めるのは、もうこの人しか居ない!

どう、良くない?

イヴァン・レンドル、まさにぴったりって感じしない?


錦織よ、魔神たれ!

Posted by 高見鈴虫 on 27.2016 テニスねた
という訳で遅ればせながら全豪である。

日本向けのジェットラグ=時差ボケ勤務の関係上、
この全豪大会の錦織選手、
ずっと11時からの初戦が多かった関係で、
観ることができなかったのであるが、
ここに来てようやく、といった感じで、
かの世界ランキングナンバーワン、
ノバク・マムシの・ジョコビッチの試合になって、
ようやく観ることができることになった。

で世間の下馬評は、と言えば、勿論ジョコビッチである。




何度も言うが俺はジョコビッチが嫌いだ。

こいつがチャンピオンになってからつくづくテニスを観るのが苦痛になった。

顔が陰気だ、プレーがつまらない、性格が悪そうだ、
と、なにかにつけて全く人気の無いこの世界チャンピオン。

がしかし、やはり実力から言えばダントツのナンバーワン。
我が紅顔の貴公子・錦織選手といえども、
やはりこのマムシのジョコビッチとはあまりにも格が違いすぎる、
とかなんとか。

確かに二年前のあのUSOPEN。
今でもありありと思い出すあのうだるような暑さの中での準決勝の死闘。
あの夢をもう一度、と期待しない訳ではないのだが、
あの試合以来、ジョコビッチはそんな錦織をまさに目の敵にしているようなところがあって、
それ以後の対戦は、まさに錦織の完敗に次ぐ完敗。
ぐうの音も出ない程に叩きのめされるばかりで、
一セットも取れないどころか、ブレイクすら儘ならぬ、
まさに圧倒的な力の差をこれでもかと見せつけられるばかりであった筈だ。

がしかしこの全豪、良い条件が無かった訳ではない。

錦織選手、前戦でのあのキングコング・ツォンガとの試合が、
あまりにも圧倒的なストレート勝ちであったこと、
そして、対するジョコビッチ、その前戦において、
あの智将・シモンとの5セットの死闘。
それもあのテニス・サイボーグのジョコビッチが、
なんと100以上の凡ミスを繰り返した、なんて話を聞いて、
もしやもしや、我が錦織にもチャンスがあるのか、
と甘い期待をしていなかった訳ではないのだが・・・

がしかし、
結果だけみると、ストレート負け。つまりは完敗である。

うーん、やっぱりな、と思ってしまうところもあるのだが、
うーん、やっぱりな、と思っているのは俺だけじゃなく、
つまりは、かの錦織選手自身が、
うーん、やっぱりな、と思ってしまっていた向きがある。

で、改めて言えば、
テニスはメンタルなスポーツ。

気力で勝る選手が必ず勝利を呼び寄せる。

つまり、勝とうとする、事自体がすでに負けている訳で、
この俺が負けるわけがない、と思っていて正解なのである。

なので、こうでもしなくては勝てないだろう、というその力み、
こそが、錦織の真の敗因だったのでは、と思う訳だ。

だってさ、と。


  

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

月別アーカイブ

検索フォーム