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なんでバンド辞めたの?

Posted by 高見鈴虫 on 02.2016 音楽ねた   0 comments
なんでバンド辞めたの?
と聞かれる度に、
ああ、はっはっは、そうですねえ、と笑いながら、
しかし内心では、
馬鹿かこいつわ、と正直思っている。

食えねえからに決まってるだろ

というのがそのあまりにもぶっちゃけたご回答な訳で、
そんなことはまあ当然のことだろ、わざわざ言わせるな、と。

という訳で、そういう失礼な質問をする奴ってのは、
結局は、なにかで食おう、とした経験がない人、な訳で、
あるいは、他人から命じられたこと以外のことに、
熱意を注いだことがない、つまりは、なんていうか、
基本的に自意識の希薄な人、
強いては、一度も自分の人生を生きたことのない人、生きようとしたこともない人、
であったりもするんだろう、つまりはまあ、人間もどき、
だったら、まともに相手をすることもねえか、
という勝手な判断から、
いやあ、貴族の家庭に産まれなかったからですよ、
なんていう、そのものズバリ!なんてことは露も漏らさず、
ああ、はっはっは、俺に才能がなかったからですよね、
などと思ってもない慣れ合いの言葉でお茶を濁す、ぐらいが、
ちょうどいいか、とも思っている訳だ。





頼むから一人で死なせてくれ

Posted by 高見鈴虫 on 06.2016 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
知人の歳の離れた兄弟が脳卒中で倒れ、今は植物人間。
その生命維持装置をいつ外すのか、という決断に迫られて、ってな話を聞いた。
辛い話である。
が、それは多分、もう誰にとっても他人事では済まされないのであろう。

この脳卒中の人。
どういう訳か、倒れる少し前から身辺整理を始めていた兆しがあって、
で、その遺書にはしっかりと、無理して延命処置をするな。
じたばたせずにさっさと死なせてくれ、と書いてあったとのこと。

近年の医療の発達が、下手をすると無理矢理にでもなんとしても、
人工的な生命維持をどれだけ長引かせるか、に焦点が置かれては、
医者同士で競い合っている、なんてところもあるらしく、
全身をチューブだらけにされてまさにサイボーグというよりは糞袋状態。
いったいこんなになってもまでなにを目的の延命か、と、
なんて話をたびたび耳にするのではあるが、
なかなかそう、こと命の問題なだけに、軽々しく物が言えないのも確か。

なんて話をボスにしていたら、洒落者のボスらしく、面白い話を聞かせてくれた。

余命あと数時間と宣告された頑固親父。
さっそく家族が呼ばれて病室のベッドを囲んで涙にくれていたところ、
ふと昏睡から目を覚ました時、頼むから部屋を出て行ってくれないか?というらしい。
こう、ビービー泣かれてはうるさく寝てられない、といつもの憎まれ口をひとつ。
なんだって?せっかく来てやったのに、その言い草はなんだ、と立腹した家族。
馬鹿馬鹿しい、でもまあ、こんな憎まれ口を叩く奴が早々と死ぬものかね、
とみんなで飯を食いにでてしまったところ、
その合間を見計らうように、一人静かに目を閉じた、らしい。
つまりそう、最後ぐらいは一人にしてくれよ、ってことだったんだろうな。
でもなかなか格好良いだろ?とウインクをひとつ。

そう、そういう人もいる。って言うか、
なとなく、男としてはそれが一番正しいというか、
猫じゃないが、死ぬときは一人、行方をくらませて、とか、
俺は畳の上じゃ死なないぞ、とか、
そういうイニシエの美学こそ、こんな時代だから尚更格好良く思えてくるのだがどうだろう。

という訳で、死に際にバタバタしないように、或いは女々しく嘆いたりしないように、
今日一日を思い切り生きる、生ききる、という姿勢、なかなか難しいのは重々承知だが、
そう、忘れないようにしておこう、とは思い直した次第。





パナマ紙、リトマス紙、触らぬ紙に名無しさん

Posted by 高見鈴虫 on 08.2016 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
実はここのところ、また村上龍の「愛と幻想のファシズム」を読み返していて、
つまりはなんというか、もうファシズムしかねえんじゃねえかな、なんていう、
そんな気がしていたのも事実。

そういえば、この「愛と幻想のファシズム」
出版時には書店に並んだと同時に速攻でぱくっては、
部屋に着いた途端に飯食うのも忘れて読み耽り、
かかってきた電話にふと正気に帰って時計を見れば午前二時。
ねえ、今から遊びに行ってもいい?という女に、
いや、今晩はちょっと。実はいますっげえ面白い本を読んでてさ、
と答えるや、いきなりブチ切れた女。
ねえねえねえ、いったい何が起こってるの?
あいつもあいつもあいつもそう。
どいつもこいつも金曜の夜に本なんか読んでてさ。
わけわかんない、と。

そっか、あいつもあいつもあいつもこれ読んでるのか、と思わず苦笑い。

で、なんなのその、愛と幻想のなんたらって、と女。

ああ、すっげえ面白いんだよ。
アメリカでハンターやってたファシストが日本をひっくり返す話でさ。

ハンター?ハンターって猟師のハンター?電線にスズメが三羽止まってたって奴?
それが独裁者?なにそれ、まったく訳が判らない。
ねえ、
どうでも良いけどさ、
その本、セックスやドラッグやロックンロールよりもおもしろい訳?
だったら読み終わったらちょっと貸してくれない?あたしも読んでみたいかも。

という訳で、まさにそう、
セックス・ドラッグス・ロックンロールよりも面白い小説、と言わしめたこの「愛と幻想のファシズム」。
あるいは、この本自体はがまさに、セックス・ドラッグス・ロックンロールそのもの。
こんな本は後にも先にもこれを置いて他には無かった気もするな。

という訳でこの「愛と幻想のファシズム」
ここに来ていきなり数十年ぶりに読み返している訳なのだが、
改めて思うに、この村上龍さん。
いったいどういう訳で、まさにバブルの最高潮であったあの時期に、
こんな小説を書いたのか、いまから思うとなんとも妙な気もするのだが、
がしかし、
ここに来て改めて読み返して見て、
その内容がまったく洒落にならない、どころか、殆どただの目の前の現実。
その不況のどん底の描写からが、実に実にリアルというか、
そう、まさに、デジャブの中を彷徨っているような、
あるいはそう、まさに五秒後の世界に迷い込んでしまったような気さえしてくる。

ただやはり予想通りというかなんというか、
日本人というこの人種、
村上龍の想像を絶するほどの徹底したロボトミーぶり。
もう、なにからなにまで、とことんまでの無気力ぶり。
羊、どころか、ここまで来たらただの虫。

たとえどんな理不尽なことを押し付けられ、
虐められ騙され蹂躙の限りを尽くされ、
身ぐるみ剥がれて奴隷にされようが、
果ては餓死させられようが、
放射能漬けにされようが、
ただただ、
敷石の下の気味の悪い虫のように蠢きながら、
誰にも聞こえない声でごちゃごちゃと呟いてばかり。

が、まあそう、そんなことは実は今に始まったことでもなくて、
そう、だからこそあの当時、
そんな苛立ちをつのらせていた俺たちの前に突如出現した、
この愛と戦争のファシズム。
弱者ばぶっ殺せ!の狩猟社とそしてクロマニヨンが、
どれほど魅力的に見えたか、
ということなんだけどね。

ああ、くっそおお、こんなファシスト、出てこないかな、
と思わず見上げる新宿副都心。

がしかし、そう、所詮はお伽話。
こんな糞みたいな国には、いつまでたったってこんな面白い世界はやってこねえだろう、
とさっさと見切りを付けた俺は、
されば勝手に面白いところに出かけるまで、
という訳で、
さっさと日本をおんでては世界放浪の旅にでたのだが。
その後、
希望の国のエクソダスの冒頭のアフガンの少年「ナマムギ」君。
んだこれ、俺じゃねえか、と思わず大笑い。

まあしかし、俺の場合は、
その後、旅の途中で会ったアメリカ人から、
いいか、ニューズウィークの表紙にサダム・フセインの写真が載ったら、それが合図。
その時は日本はおしまいだ。
だからそれ時までには、
アメリカ脱出の用意をしておけ。
なんて予言じみた話に引っかかっていた訳で、
帰国後、なんだかんだで我が母国、
そのネガティブバイブレーションに心底嫌気が射しては、
夜逃げ同然にアメリカに脱出。
そんなこんなでサダムの顔写真がニューズウィークの表紙を飾ったのを見たのは、
LAのスキッドロウの路上マーケットであったか。

ご存知のようにその後、いきなり始まった第一次湾岸戦争。
途端にいきなり日本のバブルが弾け飛んでは、その後はまさに奈落の底に真っ逆さま。
んだよ、これ出来過ぎてねえか?
と唖然としながらも、
そう、つまりは、あの旅行者の予言も然ることながら、
俺がまず一番に思ったのは、
アメリカにとって日本の友達でもなければ親分でもなく、
つまりはそう、属国、あるいは、奴隷に過ぎない、という、
かの「愛と幻想のファシズム」に貫かれていた予言、そのものであった訳で、
そう、そんな事情から、俺はそんな突如の崩壊の中にあって、しかししっかりと心の準備ができていたのだ。

まあそう、そういう理由から、俺がいまだに、まるで跳ね返りのドキュン高校生そのままに、
罰当たり的なぐらいまで元気でいられるのも、実はそんな理由、という訳なんだけどね。

とまあ、そんなこんなで、時代は巡り巡っていつの間にかグローバリゼイション、と来た(笑

つまりはそう、あのザ・ゼブンの世界奴隷化構想が、
まさに、目の前の現実として、あっけらかんと存在しているこのご時世。
今や、1%の超大富豪と、99%の貧民、つまりは奴隷たち。
多国籍企業が国家を越えて世界に君臨している訳で、
この米国大統領選の茶番を観るまでもなく、
そう、既に国家は多国籍企業の前には、何一つとしてなんの力も持ち得ない、
というのは誰の目にも明らか。

という訳で、冒頭のファシストである。
がしかし、近頃ファシストと言えば、かのドナルド・トランプ氏。

うーん、この人、ファシストを名乗るにはちょっとあまりにも格好悪すぎる(笑

愛と幻想の、どころか、抱腹と絶倒のファシズム、となってしまう訳で、
だがそう、笑顔のファシズム、ではないが、
実はこっちの方がずっとずっとリアルである分、気味が悪いのも確か。

ただね、そう、この自称・ファシストのトランプさん。
あまりにもそのなんというか、このご時世にファシストを気取るには、
いくらなんでも器が小さすぎる感がなきにしもあらず。

つまりそう、あのトランプさん、ファシストというよりは、ただの状況の奴隷。
その場の雰囲気でなんでも言っちゃう、ただそれだけの人である訳で、
民衆の本音を具現化している、と言ってしまえばそれまでなのだが、
それってつまりは、あの2CHやらの掃きだめ投稿掲示板の戯言、
それ以上でも以下でも無いわけでさ。

で、そう、我らがしんぞーちゃんを、ヒトラー呼ばわりする人々もいるが、
あれにしたって、独裁者、なんてのとはまさに180度違う人。

つまりは、独裁者呼ばわりされるまで、強引にことを進めなくてはならないぐらいにまで、
そのバックにいるこわーい親分、ぶっちゃけそれはアメリカさんなのだが、
そんな人達から、思い切り追い込みをかけられては、ビビくりまくって分別をなくしている、
ただそれだけ、という気がするんだよね。

まあ爺ちゃんからして、巣鴨で吊るされるかってなところを、
命乞いにオカマほってほってとわんわん尻を振っては、
対内的には昭和の妖怪、なんてのを気取っていたわけで、
まあそんな芸者外交のツケが回ってきている、というか、
アメリカの後ろ盾を嵩に着て調子こいていたら
ケツの毛を抜かれまくって、いまや完全な奴隷扱い。

そんなカスみたいな奴が独裁者?笑わせてくれるってのが正直なところなのだが、
まあそう、所詮日本なんてそんなもの、なんてのは、
俺たちのような基地の街の生まれの奴は、ガキの頃から骨身にしみていたことでもあるんだけどね。

という訳で、そう、世界は実にそんな感じ。

つまりはそう、ザ・ゼブンじゃないが、多国籍企業が国家を飛び越えて、
世界中で金を回しては、金が金を産むマネーゲームの中でウハウハやっているだけ。
で、普通の人々は、一切合財を毟られては、つんぼ桟敷に目隠しまでされては、
訳も分からずただただ、だまされてこきつかわれるためだけに生きている、ただそれだけ。

つまりはそう、MATRIXではないが、99%の人類は今や、奴隷というよりも家畜というよりも、
言ってみればただの資源。
すり潰されて鍋で煮られては、その脂をぎゅうぎゅうと搾り取られるだけの、
まさに、石炭やらとうもろこしやらと同じ、ただの素材、というか、
まあ、そう、そんな程度のものでしかなくなってしまった訳だ。

とかなんとか言いながら、そんな俺に何ができるってことも何一つとしてなにも考えられない訳で、
あぁあ、くっそお、世も末というよりも、
まじで、だれか、こんな世の中一思いにリセットしちまわねえかな、
なんてことをつらつらと考えていた訳ではあるのだが・・・・

と、そんな時、なぬ?パナマ?なんでいきなりパナマなの?








BABYMETAL 正直ぶっ飛んだ!

Posted by 高見鈴虫 on 10.2016 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments
かつてパンクロッカーであった俺は、当然のことながらメタルが嫌いであった。

同じライダースの革ジャンに黒ずくめのスタイルという近親憎悪からか、
まさに目の敵、というか、カツアゲの良いカモにしていた、というのが正直なところ。

この糞メタル、
その表層的に激しいだけの実に無機質な音から、
芝居じみたファッションから、うざってえ長い髪から、
社会性の欠片もない意味のない歌詞から、
ぽよぽよとしたいかにも喧嘩に弱そうなヘタレ面から、
なにからなにまで目障り、うざった過ぎる。

そして、そう、そんなメタルを一番舐め腐ったその理由は、
メタルがひきこもりのオタク野郎だったからである。
メタルをやっている奴は、馬鹿のへたれ、と決めつけていたところがあって、
そんな訳でメタル、なにからなにまでが徹底的に気にいならなかった訳だ。

がここにきて、
そう、ロックのステイタスとされていたその不良性。
反社会性やら暴力性やらに享楽主義やらの象徴されていたロックというイメージが、
これほどまでに茶番化してしまった今となっては、
いまだにロックなんてジャンルに拘っているのは、まさにこの糞メタルしか残っていなかった訳で、
そうこううするうちになんだかんだと言いながら、
ビジュアル系から始まってハードコアからデス系からと、
なんとなくそんな知人が増え始め、
あるいはそう、いまだにロックなんてやってるのは、まあそんな奴らしかいなかった訳だ。

とそんな俺のメタルへの偏見を払拭、どころか、正直ぶっ飛ばした!のがこのBABYMETALである。











俺がBABYMETALに涙するその理由

Posted by 高見鈴虫 on 12.2016 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments
最近になっていきなり、BABYMETAL 、すげえ、とか言い出した俺に、
おまえ、オツム大丈夫かよ、とまじで正気を疑われる、ってのが大方の反応である。

嘗ての俺の知る人々は、一貫してBABYMETALには批判的である。

が、そう、そんな中にも、ああ、BABYMETALかぁ、判る判る、と言ってくれる人々も居る。

ぶっちゃけそれは、ドラマー、そして、バンドがぽしゃった後、
やむやまれずしがないサポートの仕事を続けていた、
いわゆるひとつの、食えないプロ、の連中である。

つまりそう、
俺は別に、スーメタルの流し目がどうの、両脇のジャリのスカートのフリルがどうの、と、
そんなことを言ってる訳ではない。

ぶっちゃけ、BABYMETAL、バックの奴らが、上手い!
まさに、感動する程に、上手い!のである。

日本ではどうか知らないが、米国市場に挑戦する海外からのミュージシャンにとって、
その演奏技術はしかし必要最低条件である。

特に、メタルなどというオタッキーなジャンルに置いては、
そのテクニックこそは通行手形。
ぶっちゃけ、ミュージシャンの演奏技術がしょょぼいと、
なにをやっても絶対に受け入れられない。

日本の方々のように、
よく判らないが、これ売れるの?
やら、
なんかちょっとうるさいがそんなもんなの?
とかではなく、
一目見ただけで、あ、はい、ご苦労さん。
それは業界さんだけにとどまらず、
一般観衆、下手をすればそのあたりの犬の散歩のおばはんでさえ、
蓋を開けてみれば立派なロックフリークだったりもする訳で、
下手な演奏を始めたとたん、
あ、これはもう、この程度、と、即座にその力量を見透かされては、
見るに値せず。時間の無駄、とばかりに、
ぷい、と横を向かれては、通過されてしまう訳で、
そうつまり、ここ米国の聴衆たち、
ガキの頃から、チック・コリアからソニー・ロリンズから、
あるいは、ストーンズからガンズからマドンナからレディーガガ級の奴らを、
ともするとその辺りの公園のフリーコンサート、やらで普通に見てきた訳であって、
あるいは、事あるごとに、どこぞのガレージバンド、
なんて連中の糞演奏にこれでもかと付き合わされていることから、
そう、つまりは耳が肥えすぎているのである。

そんな耳年増の観衆を前に、
なぬ?ジャパニーズの?ジャリタレ・アイドル?それがメタル?
あれまあ、東洋のお猿さんたちは、どうせよく判ってないんでしょうね、
やら、
ははは、面白い冗談だな、と一言で失笑を買う、
あるいは、聞きもしないうちから、
ばーか、ふざけんじゃねえよ、と門前払いを食わされる、
ってのがまあ普通な反応な訳だ。

よって、この東洋人のジャリタレのアイドルのヘビメタの、
なんてこんなふざけた企画物の糞バンドは、
どうせ宴会の余興程度。
最初からおトイレタイム、あるいは、退屈しのぎにブーイングでからかってやろう、
というのが大方の予想、であった訳なのだが、

だがだが、このBABYMETAL、

なんの奇跡か、
そのあまりの凄さを前に、今や全世界が騒然。
まさに、度肝を抜かれることになった訳だ。

改めてその成功の理由の中には、
確かに、あの子どもたちの可憐さや可愛さ、
なんてのもあるだろうが、
はっきりいってそんなのはこのアメリカにだって腐るほどいる。
そしてこれまでにだって、アイドル系でメタルアレンジ、
なんてバンドも腐るほどいた筈なのだ。

がそこに、ジャパニメが加わる。
そしてこの全米を席捲するコスプレのブームである。

がしかし、どんなに無理をしても、まあ普通であったらそこまでだっただろう。

あるいは、俺にしたってそこまでであったら、
なにもこんなアイドルバンドに興味なんてもつ筈もなかった。

という訳で、このBABYMETALの大成功のその本当の要因とは、と省みるに、
やはり、そう、そのバックに控える一見してキモい白塗り軍団。
その名前どころか顔さえも知られることの無い、
この白塗りのバックバンドの方々の、
その演奏技術のあまりの素晴らしさ!!
そして、サポートに徹し切った心意気、というよりは、まさに、そう、プロ根性!

つまりは、本当の音楽ファンを本気で熱狂させるほど、
正真正銘に素晴らしい演奏を繰り広げている、
その賜物なのでは、と言い切ってしまってもよろしいかと思う。







摩天楼に響き渡るBABYMETAL

Posted by 高見鈴虫 on 13.2016 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments
BABYMETAL、まじかっちい、とかそんなことを書き綴ってたいまそのたったいま、
なんとここ、ニューヨーク、マンハッタン、ブロードウエイの目抜き通りを、

まさしく、BABYMETALの KARATE を、カーステで大音響で流しながら走り去っていくBMW!

ニューアルバムが全米TOP40に入った、なんてニュースは聞いていたのだが、
なあに、今日日、いまさらCDなんか買うやつはいないだろう、だからさ、などと斜に観ていたところもあるのだが、
おいおい、マンハッタンの摩天楼に響き渡るBABYMETAL、もしかしてもしかすると、これ、本物かもしれない!!

ただ、もしも欲を言うならば、スタジオ版CDの打ち込みの演奏を、
神バンドの生演奏で収録しなおしてもらえないだろうか。

神バンドの演奏はまさにBABYMETALのキモ。

あのまさに神憑り的な演奏技術であれば、バックが安っぽい打ち込みである必要はなにもないではないか。

ああ、5月4日のニューヨーク公演、あいにくと仕事が入っているのだが、休んで行ってしまおうかとずっと悩んでいる今日このごろ。

まじでこのバンド、いま見逃したら、次に帰ってくる時にはマジソン・スクエア・ガーデン、どころか、
もしかしてジャイアンツ・スタジアムなんてところでしかお目にかかれないバンドになってそうな気がして怖い。

がんばれ、BABYMETAL!
世界中をぶっ飛ばしてやれ!このバンドならできる!俺はそう信じている。

この腐れ打ち込みのエレベーターのBGMみたいなのばっかりになってしまった音楽界を、
まさに、日本から来たアイドルと神業バンドがぶっ飛ばしまくっては席捲していくんだぜ。

がいずれにしろ、白塗りで固めた神バンド。
つまりは、挿げ替えがきく、というやつなのだろうが、
こんなことになった以上、まさに神バンドのメンバーのひとりひとりが、
世界中から引っ張り凧になるであろうことは必至。

だってこれだけ上手いんだぜ。しかも、このグルーヴ。まさに音楽の享楽の真髄。

大リーグやサッカーではないが、ついにこれで、日本のミュージシャンにも世界の扉が開いたわけだろう。

ついにやったな。

俺はちょっと生まれてくるのが早すぎた、あるいは、俺たちの力でその扉をこじ開けることができなかった訳だが、
このBABYMETAL、思わずニューヨークの雑踏を行く人々に、
おいおい、聴いてくれよ、ほら、このバンド、日本のバンドなんだぜ!
俺達のバンドなんだぜ、
なんて、いちいち自慢して回りたくなるぐらいに、
そう、つまりは、日本の音、でありながら、しかし世界レベル、それもトップクラス。

日本人よ、世界に向けて胸を張って歩ける時代がようやく戻ってきたぞ。

嘗てはバブリーな田舎成金、とバカにされた俺達だが、今度は違う。
俺たちはBABYMETALだ!

思い知ったか、と世界中にFOXサインだ!

来年ぐらい、まじで、セントラル・パークとかで、X-JAPANとVAMPSとBABYMETALの大共演、
それにコミック・コンがコラボして世界最大のジャパニメ・コスプレ・パーティー!
なんてやったら、まさにとんでもないこと、WOODSTOCKをぶっ飛ばすような、
そんなイベントになるんじゃないのか?

おい電通、そんなところで、腐れオカマ政治家の音頭取りなんてばかなことやってないで、
もっと世界に目を向けてでかい夢をみさせてくれよ。

日本はいまならやれるんだよ。いまだからこそやれるんだよ。

これはおい、まさに、日本の夜明けだよ、夜明け!

摩天楼にこだまするBABYMETALを聞きながら、俺はまじでそう思っているのでした。




川内原発いますぐ停めろよ。 九州の人間などいくら死んでもいいとでも思ってんのか?

Posted by 高見鈴虫 on 16.2016 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
かみさんが九州の人なので、
熊本の地震の被害がまじで心配である。

で、最も気にするとtころが、例の川内原発なのだが、
こんな事態が起こっているというのに、
この原発、なんで停めないのだろうか?

この期に及んで、いったいなにを考えているんだろう、とつくづく不思議に思う。

隣県でこれだけの地震が頻発し、
福島の二の舞、どころか、それ以上の被害さえ予想されているというのに、
この原発を止められない、という特別な理由でもあるのだろうか?

原発を止めるのってそんなに大変なことなの?

一回とめたら、また再起動するのに大変な手間がかかるとか?
あるいは、古すぎて、停止も再稼動も大変なリスクを伴う、とかだったら、
なんでそんな老朽化した原発をわざわざ稼動させてなくてはならないのかな?

この停める必要なし、と判断した人って、九州にいる人なの?
自分はとりあえずとして、
親兄弟から子供から奥さんから、友人知人、
そして自身の生まれ故郷を、
永遠に失うことになるかもしれないリスクを負ってまでも、
この原発を動かし続けなくてはいけない理由があってのことなのかな?

どうせ大丈夫、と思っているのだとしたら、
赤信号をかまわず特攻むのと同じことだろう。

自分ひとりで運転してるのだったらまだしも、
隣りにかみさんやら子供やらを乗せてそんなことやる馬鹿はいないはずだ。

これ、まじで、心中行為。あるいは、そう、立派な殺人行為だぞ。

あるいは、九州の人間などいくら死んでもよいとでも思ってるのか?

あるいは、停めなくてもよい、などと言っている人間、
いったいどんな奴が、と思ってみたら、
なんだよ、またこのカマキリみたいな性根の腐りきった顔した醜悪な婆あは!





こいつは自分が実際に現地に飛んで、そして次の余震に怯えながら、
いいえ、原発は停める必要はありません、と判断してるわけか?

そうでない、としたら、自分自身のリスクをまったく負わず、
なにかあったときにも責任など取るつもりもない、ってことだろ?

そんな奴らの指示にいちいち従わなくっちゃいけないって理由がどこにあるんだ?

そんなわけねえだろう。

改めて、こいつらつくづく懲りねえ妖怪どもだよなあ。
あの福島から、なにひとつとしてなにも学んでない、というか、なんというか、

つまり、徹底的に自分の都合のことしか考えてない、
あるいは、嘘しか言えない、ような人たちなんだろうな。

まあそんな奴らが何考えてようがこの際、どうでも良い。

隣県でM6規模の地震が多発している現状で、
原発を停止しない、というのは、立派なテロ行為。
九州どころか、日本どころか、地球そのものに対する立派な犯罪行為。

もしもの時の被害を考えたら、アイシスなんかよりも数億倍もタチ悪い、
正真正銘の大量殺人じゃねえか。

まったく、ふざけるにもほどがある。

もう、だめだな、こいつら。根本的に人間、おかしいってか、立派なキチガイだろ。

簀巻にして高速の真ん中に転がしてやればいい。
あるいは、ロシアン・ルーレットにでも付きあわせてやりてえ。

大丈夫だよ、運が良ければ死なねえって、とでも言ってやればいんだ。

が、そう、事態は全然洒落になっていない。

いまこの瞬間にいきなりピカドンとなるかもしれない原発と添い寝させられている方々のことを考えると、
そんな、妖怪どもの戯言に付き合っている場合ではない筈だろ。

川内の人、悪いことは言わない、勝手に停めちゃいな。

子供が、奥さんが、親兄弟が、自身の故郷が大切なら、
そんな妖怪どもの戯言なんていちいち聞くことはねえって。

俺正直、アメリカてんぱったら九州に住もうと思ってるんだが、
こんなことで、こんなやつらに、俺の安住の地になるべきところを、
むざむざ蹂躙されたくはないのである。

うちのかみさんも泣いてるぞ。
九州のやつらはみんな泣いてるぞ。

安部、オバマでも、ヒラリーでも、トランプでも、
プーチンでも、チンペーでも、愛死すでなんでもいい、

今すぐ、原発停めろ。

正気の沙汰じゃねえ、ってよ。

かんべんしてくれよ。


二十歳の頃 ~ 枯れ木も鶏ガラもシャンパンの泡に揺れ

Posted by 高見鈴虫 on 17.2016 ニューヨーク徒然
超野生児プードルのレミー、
その飼主さんであるアイリーン婆さんが、
なんと今年で八十歳になるという。

で、その八十歳の誕生パーティを、
今や凄腕の辣腕女社長であるところの娘が主催するってな話で、
普段から犬の散歩に借り出されている俺たち「犬仲間」も、
そのパーティのご招待を受けることとなった。

俺達にとって、このアイリーン婆さんは、
史上最低のバカ犬であるところのレミー、その飼い主さん、それ以上でも以下でもなく、
レミーの飼い主であった亡夫のピーターさん亡き後、
そんな哀れな犬たちがシェルター送りになることを防ぐべく、
犬のことなどなにも知らぬこの未亡人に変わって、
俺達犬仲間がなんだかんだと世話を焼き続けた、という付き合いである。

という訳で、そのパーティ、
で、犬は連れて行っていいの?
なんて質問を真顔でしていた俺達がつくづく馬鹿に思える程、
その会場はなんと、ミラーボールとシャンデリアの煌めく大ボールルームである。

このパーティの真の主役はと言えばまさに、
アイリーンの一人娘たるアビーである。
凄腕ファイナンシャル・プランナーとして、
某ユダヤ系財閥の資産管理を一手に任されては、
今やニューヨークの財界を震わせる泣く子も黙る辣腕女社長。
その権威を誇るかのように、
老いた母を主賓に添えては繰り広げられた大パーティ。

全米津々浦々は当然のこと、
ヨーロッパ各地から中東アフリカまで、
この時とばかりにかき集められた縁の招待客達。

そしてその正面の特大スクリーンに映しだされた、
アイリーン婆さん自身の八十年の軌跡。

エルヴィス・プレスリーに憧れて歌手を志した彼女は、
その頃流行であったシンガーソングライターとして、
フォークギター片手に反戦歌を歌っていたが、
あのジョーン・バエズを、生意気な小娘、と吐き捨てるように、
歌手としては泣かず飛ばず。
その後、アメリカン・ニューシネマの波に乗って女優としてデビューし、
数々の名作に脇役として登場。
あのジェーン・フォンダを、小賢しい雌狐、と嘲笑しながらも陽の目を見ず。
その後、一捻奮起して商業不動産業界に転身。
かのドナルド・トランプの片腕として巨万の富を稼ぎながら、
その嘗ての盟友を、あの油ぎった糞野郎、とばっさり。

とまあそんなアイリーン婆さんの与太話は、
ドッグランでの暇つぶしにちょくちょくと聞いてはいたのだが、
果たしてこの八十歳のパーティにおいて映しだされた彼女の人生路。

幼少の頃の邸宅住まいから始まり、
その後の歌手時代からアルバム・ジャケットから、
ジョン・レノンからミック・ジャガーからレーナード・バーンスタインから、
アルフレッド・ヒッチコックからエリザベス・テイラーからロバート・レッドフォードまで、
そのアルバムを飾るまさに錚々たる人々。

そしてそんなアルバムの中で、これ以上ないぐらいにハツラツとして、
と同時に神秘的なぐらいにまで妖艶で、
謎めいた理知的魅力に溢れたこの切れ長の瞳の少女。

まさか・・・とまさに目がぱちくりで口があんぐり。

スクリーンに映しだされるそのアルバムの一枚一枚が、
まさに、まさかまさかまさか、の連続。
新しい写真が映し出される度に、きゃあ、あれ見てみて私だわ、
と黄色い声を上げる老婆たち。

そして、そんなアルバムの中の随所に登場するあの人、この人、その人、
ええ、まさか、あの人もしかしてジェニファー?
で、あれがエレイン?げええ、この人、まさかあのルイーズさん?

みんなみんな、なんというか、とてつもないぐらいに若く、美しく、
まさに、そう、銀幕の女優、そのもの、の姿なのである。

そして極めつけは、そのアイリーンの出演した映画、そのシーンの寄せ集め。

長い足を惜しげも無く晒しては、スリムなボディにキュートなヒップライン。
スクリーン一杯にぶちまけるそのお色気。
あるときは謎の女スパイ、ある時は無法者酒場の歌姫、あるときは摩天楼のマドンナ。
上目遣いの流し目でカメラを睨むその視線、
濡れた睫毛に潤んだ瞳を泳がせながら、物ありげに赤い唇を舐めるその様、
サテンのドレスの裾を擡げては、これでもかと焦らし続けるそのビッチな微笑、
まさに悩殺パンチ、場内がひっくり返るぐらいの大爆笑である。

映画が終わり、DJが登場しては、ロカビリーから始まり、モータウンを経て、
そしてあの70年台のディスコブームの頃の名曲の数々。

まさに、アメリカのポップミュージックの歴史、そのもの。

もしや、と思わず。

もしかして、あんた達、あのケネディ暗殺から、ベトナム反戦から、
ウッドストックから、ジョンレノンの大集会から、そしてスタジオ54からまで、
あなた達はまさに、そんな歴史のエポックをリアルタイムに経験していたのか?

そんな俺達の驚愕をものともせずに、鳴り響くディスコに乗って歌い踊る老婆達。

まさにそう、アメリカの黄金時代を飾った、その全てを、このニューヨークという街でリアルタイムに体験してきた、
まさに生き証人。俺の憧れたアメリカの全てを担ってきたのはつまりはこの人たちだったのである。

鶏ガラのような老婆に、ねえ踊りましょうよ、と腕を引かれて転がりでたダンスフロア。

いまにも転んで骨を折りそうなシワだらけシミだらけの爺婆たちが、
あるいはついさっきまで、杖を片手に入れ歯を鳴らしていた御人たちが、
冗談のように見事なステップを決めては喉を開けてゲラゲラと笑い続けている。

チークダンスに頬を寄せたアイリーン。
いやあ、見違えたよ。昔のあんたを見て思わず恋に落ちちゃったぜ、
と言ってみれば、

なによ失礼な。いまだって全然変わってないじゃない、とまじめにお冠である。

そっか、この人たち、八十歳を迎えた老婆たちにも、確かに二十歳の頃はあったのである。
そして、そんな二十歳の頃の彼女は、いまでも確実に彼女たちの中に存在するのだ。

うーん、爺婆、侮れない、と思わず。

とは言いながら、ふとスポットライトに浮かんだ俺自身の姿。

なるべく派手な服装で、という条件どおり、昔とった杵柄とばかりに、
光物満載の嘗てのステージ衣装の上から、アルマーニのジャケットを小粋に引っ掛けてきた筈の俺。

まさに、歳を考えずに時代を間違えた若作りの勘違いのバブルおじさん、そのもの。

その醜態、まさに唖然である。

とそんな時、はい、交代、とやってきた我妻。

へへへ、あのおじいさんに真顔で口説かれちゃった。ハリウッドのプロデューサーなんだって。
女優にして上げるだってさ。ねえあたし、今からでもデビューできるかな?

そんな軽口を叩いてケラケラと笑う我妻。
最近の疲れきった姿とはまさに別人の、そう、つまりは出会った頃の彼女そのもの。

ふざけやがって、どこのどいつだ。俺が焼きを入れてやる、と眉間に皺を寄せるのもあの頃の俺そのものである。

そう、まわりを囲む全ての人々に、二十歳の頃はあったのである。
そしてそんな二十歳の頃は、彼らの中にいまでも確実に存在しているのである。

そんな二十歳の頃と、そしていま現在のこの姿の、そのあまりの格差に気づかないのは実は本人自身、ただ一人。

ふと見渡せばシャンパンの泡の中に包み込まれたようなダンスフロア。

嘗ての美男美女、それも、まさに、アイドル歌手や銀幕の美人女優であった頃の、そんな淡い夢の中に浸っては踊り続ける老婆達。

あの頃に聴いた曲とその思い出に満たされながら、八十歳のセクシースターの夜は更けて行くのであった。

セントラル・パークの春一番乗り

Posted by 高見鈴虫 on 19.2016 犬の事情
金曜の夜更けから、久々に転がり込んだ大仕事ですっかりと午前様。

家に着いた頃はすでに東の空に薄日の差す時刻。

このまま寝てしまうとまた休日を棒に振る、といつもの貧乏癖から、
倒れそうになるのをこらえながら7時過ぎまで頑張って、
ようやく起きてきたかみさんを犬と一緒になって急き立てては、
さあ、散歩に行こうとでかけたセントラルパーク。

春の訪れと共に、ようやく解禁となったシーダーヒル。
その目に鮮やかな新緑の芝生のカーペットには、
朝も早くからニューヨーク中の犬仲間たちが勢揃い。

とそんな中、勢い込んでやってきたのは良いものの、
差し込む朝日に目を瞬かせているうちに思わず眠気が押し寄せてきて、
ふかふかの芝生のベッドに横になっているうちにいつしかうつらうつら。

としたところ、いきなり二頭のラブラドールから生暖かい舌で鼻の頭をべろんべろんと舐められて、
としたところ、いきなり耳、それもその奥深くにまでふがふがふがと冷たい鼻先を押し込んでくるジャックラッセル。
あるいは、こともあろうにそんな俺の上によいしょ、と登ってきては腹の上に鎮座ましましたまま、
得意気になって遠吠えを始める迷惑なビーグル君。

まったくもう、次から次へと犬たちがやってきては、おちおちと寝ても居られない。

なんてことをしてたいら、おいっ!危ない!といきなり響き渡る絶叫!

もしや、と思って起き上がるやいなや、その寸でのところで、
まさに俺の頭のあったその場所に向けて、ひょいと片足を上げている不貞の輩。

こいつら、まったく・・・

とそんな時に、輝くばかりの朝日の中から、
いきなりとてつもないスピードで飛び込んでくる銀色の矢。
全身を見事な程の躍動に包まれてはまさに神をも恐れぬ全速力の弾丸状態。
うわっと息を飲む間もなく、いきなり胸に向かってぶち当たっては思わず息が詰まる程に。
この不届きな乱暴者、言わずとしてれた我が愛犬のブッチ号。

あのなあ、おまえ、何するんだ、という声も物ともせず、
問答無用に抱きついて来ては顔中を舐め舐め攻撃で窒息寸前。

うわ、ばか、やめろ、やめろ、と引き離そうとすればするほどに、
辺り中から集まってきた犬たちが、はしゃぎ回っては襲いかかり、
それこそ顔と言わず肩と言わず背中と言わず、
飛びかかってきてはじゃれついて来て、
眉毛の先から髪の先から、ヨダレが糸を引いい滴り落ちるほどに、
もう身体中がぐしゃぐしゃである。

あのなあ、俺は、寝てないんだぞ。。なんて泣き言は、
この春の光にブチ切れた犬どもにはまったく知ったことではないというところ。








日本がバカと言われたその理由

Posted by 高見鈴虫 on 20.2016 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
んだよ、これだけの地震が続いてる時に、
いまだに原発停めらんねえのかよ。

地震が来たらまずは火を消すこと。
そんなこと、幼稚園生だって判るじゃねえか。

日本が、あのトランプから名指しで、バカ呼ばわりされたのは、
つまりはこういうことなんだろうな、と妙に納得してしまうこの事態。

なにからなにまで人に命令されなければケツも拭けない奴隷たちは、
こんな事態になってもやってる事は責任逃れと顔色伺いばかり。
自分一人ではなにひとつとしてなにも決断ができない、と。
まさにオカマ芸者、さもありなんってところだろうけどな。

ただそうやって馬鹿にされたり嫌われたりしてるのは、
勿論日本人じゃなくて、
つまりはそう、日本の政治家、に限られたこと。
ジャパニーズはみんなかわいくてセンス良くて頭も良いのに、
日本のあの政治家、バカでアグリーで、ホント最低。

とまあ、いまどき政治なんてのに関わってる奴が、
誰からも相手にされなくなるってのは、
まあ日本に限ったことでもないんだろうがな。

という訳で、
世界中にこれでもかと悪名を轟かすこのアグリーな日本の政治屋たち。
世界中は愚か、日本中からだって思い切り馬鹿にされ、嫌われまくって、
それで意地になってワガママ放題、結果、勝手にテンパって瀕死寸前と。
というこのネトウヨ政権。
ほとんど北ちょーせん、というよりもむしろ、
なんかあの当時の、オーム、そのものって感じしねえ?

せこいドツボの中に密封されては、キャビン・フィーバーの中でヒステリー。
こそこそゴソゴソと身内同士で利権の騙し合いと面子の潰し合いに終始しては、
バカがバカを相手にしたバカしかいない小部屋の中でぐるぐると同じ所を廻ってるうちに、
いまや世界中は愚か日本の誰一人からも相手にされずに孤立無援。

お可哀想に、と思わないでもないが、
でもなあ、そう、目と鼻の先で地震が頻発してる時に、

いや、大丈夫、たぶん大丈夫、きっと大丈夫、だって神風が吹いてくれるかも・・

なんて次花占いやってるようなアホども、だれも正気の人間とは思わないだろしな。
つまりやっぱり、トランプは本当のことしか言わねえってのはそういうことでさ。

という訳で、そんなバカ、今更気にするこたぁねえぜ。
原発なんてとっとと停めちゃいなよ。

生きているうちが花なのよ。死んだらそれまで。

例えなにがあったにしても、
まさか日本中を放射能漬にするよりはずっとマシだろう。


まあ、ネトウヨ政権にしたら、支持率が下がることやら、我儘が通りにくくなること、やら、
あるいは、スポンサーのご機嫌をそこねること、の方が、放射能漬よりも尚悪なんだろうが、
そんな奴らだけのご事情ってか戯言に、
日本中が付き合わされなくっちゃあいけない義理もへったくれもねえ訳でさ。

という訳で、今や世界に知れ渡る日本のバカ殿のその御威光。
バカどころか、キチガイだよ、キチガイ。
でその腰巾着、命令されれば犬のクソでも食らうようなそんあカスどもだろう。
そんな奴らの事情で、まさか日本の国土を放射能まみれにさせるわけにはいかねえよなあ。

ってか、そんなことまともに考えたらだれでも判るだろ。

政治家なんて所詮は季節物、部品、というか、まあ、アイドル歌手とおんなじ。
旬を過ぎたらお払い箱で、後は野となれ山となれ。
次のオリンピックの頃には、あべんしんぞー?なんかそんな馬鹿もいたよね、
程度のまあ水もの、みたいなもの。
その程度の輩が、ドブに浮かぶ泡のような奴らが、
ひとりふたりいなくなろうがなにしようが、
日本という国がある限り日本は残る。
ただ、それが放射能漬けとなると話は別なわけでよ。

そんなわけで、ネトウヨ政権、これでもかと嫌がらのつもりで、
丁半博打、あるいは、スポンサーの顔色が怖くてなにもできない、とまあその程度なんだろうが、
まさに、原爆クラスのバカぞろい、そんな知恵足らずに四の五の言われる筋合いもねえ、と、
そう割りきっちまうに越したことはねえよ。
まあこんなご時世、そんな奴しか政治家になんかなろうとしないんだろうが、
それにしてもこのクオリティの低さ、最低も最低、まじほくちょー以下だろうし、
それは既に世界のお墨付きだ。

そのうち、米国大統領閣下さまさまから、
このバカ、なにやってやがんだ、早く原発停めろ、と怒鳴られて、
なんてことになるのは目に見えてるが、
それまで地震様が待ってくれるのか、いまや秒読み、という気もするんだがよ。

正直、そんな日本が嫌で堪らずにアメリカに移住した手前、
そんなニホンジンが思った通り、
テメエで尻の一つも老けないようなロボトミーに成り下がっちまったってのも予想通りなんだが、
そんなロボトミーどもがどうなろうが、自業自得、今の言葉で言えば、自己責任って奴なんだろうし、
俺的にはそんな奴らがどうなろうともう知ったことじゃないんだが、
コテコテの九州人のかみさんの機嫌が悪くなるのが困りものでよ。

もうカルカンも白くまも食べれなくなる、とかなんとか、びーびーうるさくてしょうがねえ。

という訳で、
この期に及んで、日本の執政者の方々がバカであろうが知恵足らずであろうがロボトミーであろうが
どこぞの詐欺師、時代錯誤の操り人形であろうが知ったことじゃねえ。

そう、俺のかみさんの機嫌を直すために、とっと原発停め腐れ、このボケカスが。
他人の褌は愚か、他人様の命で下手な博打かますんじゃねえ、この腐れテロリスト野郎。




実写版・ジャングルブック を観る

Posted by 高見鈴虫 on 25.2016 読書・映画ねた
長く映画狂を自称していた俺が、映画館に足を運ぶことがなくなって久しい。
大抵の映画は自宅でDVDで観てしまうことが多く、
或いはそう、YOUTUBEではないが、なんらかの方法を使えば、
ほとんど大抵の映画はタダで観れてしまったりもする。

でつくづくわざわざ映画館に足を運び、早送りも巻き戻しもできない映画館、
前の奴の頭の角度や後ろに座ったカップルの下らない会話や、
あるいは隣りに座った親父の肘がじゃまだ、ポップコーンがバター臭くて、
やらと色々と不快な思いを差し引いてさえも、
映画館で観なくてはならないその必然性は、と考えれば考える程、
映画館に出向きそこで金を払うことの意義が曖昧になってしまう訳だ。

とそんな俺が、これだけはどうしても、と大枚を叩く気にさせられる、
そんな稀有な作品、そうざらにあるものではないのだが、
こいつだけは、この作品だけはなにがあっても、と思い込んだ、
この「ジャングル・ブック」はまさにそんな作品であった。






言うまでもなく、このジャングル・ブックこそは俺の原点であった。

嘗てのジャングル大帝から始まり、俺はその成長期を、
まさに動物に始まり動物に終わる、類まれな動物ファンのガキ、として育った。

ジャック・ロンドンから椋鳩十から、
動物作家こそが俺の読書への最初の扉であったあったし、
名犬ラッシーから、驚異の世界から、フリッパーまで、
まさに幼少の俺の興味は動物物に限られている感があった。

そんな幼き俺は、想像上と現実の区別が付かず、
動物は友達であり、動物たちとの会話は当然のように可能である、と信じこんでいた感があり、
ドリトル先生ではないが、俺はまさに当然のこととして近所の犬や猫たちと、
会話をしている、と思い込んでいたところがある。

そんな俺の動物妄想の原点となった作品がこのジャングル・ブックであり、
狼に育てられ、ジャングルのアイドルと成長するこのモーグル少年の物語は、
寓話どころかまさに人生の教科書にも勝るものであり、
そしてその後の世界冒険旅行から、究極のビーチを探し求める珍道中から、
その中にあった、手付かずのジャングルへの強烈な憧憬も含め、
その後の俺の人生の、その美意識の殆どを決定づけてしまった、
と言っても言い過ぎではない、まさにトラウマ的な作品である。

がしかし、どういう訳か、
幼き頃に見たはずであるディズニーのアニメーション版の印象が殊に薄い。
そのストーリーは古典的名作に対する一般的常識の範疇を出ず、
そのシーンのひとつひとつは、というとどういうわけだか記憶がないのである。

この実写版、そして3D版であるところのジャングル・ブック、
まさに先祖返りではないが、我が人格形成の原点への回帰という意味もあり、
できる限りの大画面の3Dと最強の音響システム、
俗世間から完全に隔絶された中、その世界にどっぷりと浸り込んで鑑賞すべき作品として、
宿命さえも感じるほどに思い入れていた感がある。

というわけで、朝も早くから早々に犬の散歩を切り上げて、
早朝割引のリンカーン・スクエア、
ガキ連れの家族やら、徹夜明けのナードたちに、
あるいは、ドラッグ・トリップの新たな次元を模索する酔狂なジャンキーたちも何のその、
特大IMAXに3Dのメガネをかけ、地を震わす大音響の中、
思わずどっぷりとジャングルの臨場感に浸り込む、
というよりはまさ疑似体験にも近い凄まじい経験をさせて貰った。

で、すべてをかっ飛ばしてこの「ジャングル・ブック」。
結論から言わせて貰えば、まさに絶対の五つ星の大傑作。

とても言葉には言い尽くせないほどに、超絶的に素晴らしい作品であった。

狼に育てられたジャングルで唯一の人間であるモーグル少年が、
ジャングルの動物たち社会の中、まさにあふれるほどの愛に包まれ、
がしかし、人間であるところの宿命からジャングルを追われ、
そして人間であるところの特性を駆使してジャングルを救う、
ってなストーリーである訳なのだが、
いやはや、まさに、その実写技術、素晴らしいの一言である。

そこに登場する動物たち。
まさに、生き、そして当然なことこのように会話をしている。

その特徴から動作から表情から視線から、そしてその語り口から、
飼いならされていない野生動物の刻印であるところの汚さ、まで、
まさにリアルリアル、リアルの一言。

狼やらクマやら黒豹達と、鼻と鼻を付きあわせては、
溢れるほどの愛に満ち溢れたその情感をこれでもかと注ぎ込まれる訳で、
いやはや、これはまさに、寓話というよりはむしろ現実。
それも、信じれば信じるほどにヤバイ、まさに危険な寓話そのもの。

鑑賞後、ふとREVIEWを観てみれば、軒並み大絶賛に祝されたこの作品に、
がしかし、と否を唱える論調があった。

子供にはショックが大きすぎる。とても危険な作品である、という趣旨である。

ショックが大きい?危ない?まさか、とかみさんが首をひねる。
だって、残酷なシーンなんてなんにも無かったし、
弱肉強食で狩り狩られる動物たちの、なんてことも全然無かったし。

そう、がしかし、俺には判る。そう、俺だから判るのだ。
この作品は危ない。
ある種の子供、それも俺のような現実逃避癖のある少年には、
本当に危険な作品であると断言できる。

嘗ては、テレビ、あるいはアニメーションであったにしても、
あれほどまでに寓話と現実の堺を逸してしまった俺である。
こんな作品を幼少の頃、あるいは、ラリって見せられたりしたものなら、
まさに、動物という動物が、家族であり兄弟であり、そして唯一絶対の仲間であり、
なんて世界を、心の底から信じこんでしまった筈で、
下手をすれば、クマは友達、なんて勝手な思い入れから、
アラスカで本当にクマに食われたかのグリーズリーマンの愚行を繰り返す、
そんなどうしようもない人間に育ってしまった違いない、
そんなトラウマ的悲劇を十分に予測できる、
それほどまでに、まさに危険なほどの出来栄えにして仕上がっていた、という訳なのである。

そしてこの実写版ジャングル・ブック。
その監督はと言えば、ジョン・ファヴロー氏。

見かけはまさにブルックリンのチンピラヤクザと見まごうほどの、
無骨を絵に描いたような見るからに猛々しい大男である訳なのだが、
かの名作であるCHEFにも観られたように、
その原点とするのはまさに愛。
それも子供たち、特に父親とその息子に対する熱き愛の塊である。

このジャングル・ブックにおいても少年を囲む動物たちの、その溢れるばかりの愛情、
それこそが、種族・人種のすべてを越えた、まさに生物としての宿命としての愛。
その素晴らしさが余すところ無く描かれている。

その種がなんであれ子供は地球の宝。
愛に育まれ愛に包まれ、そんな無常の愛に守られてすくすくと育つことが子供の特権であり、
それを守ることこそが、大人の、あるいは社会の、唯一絶対の使命なのだ。

その社会性の原点に立ち返る意味からも、
また、作品中に示唆された人間の独りよがりな文明のその弊害を凝視する必要も含め、
大人が観ても、いや、大人だからこそ観なくてはいけない名作と仕上がっている感がある。

という訳で、映画を見終わった途端、思わずもう一度見たい、
あるいは、
この作品に描かれた愛に満ちたジャングルから離れたくない、と心底思いながら、
と同時に、家でお留守番をしている筈の我が親友と、
鼻先をくっつけあいながら、悪い悪い、遅くなったね。
実はジャングル・ブックって映画を見てきてね。そう、ジャングルで狼に育てらた子供も話でさ、
なんて話を、したくてしたくて堪らなくなったのも事実。

という訳で改めて、幼き頃の憧憬に立ち返りながら、
人間と動物はなぜその会話を失ってしまったのか。
あるいは、人間、あるいは動物、この地球上に生きとして生ける生物たちは、
何故にここまで調和を失ってしまったのか。

物語で語られた人間の権力を象徴する赤い花、つまり「火」。
そこから連想される、人類の獲得した新たなる火、つまりは原子力の氾濫への警笛を含め、
改めて、地球としての共存の可能性を探るべき時に来ている、と考えないわけにはいかない、
そんな気にさえさせてくれた子供映画であった。

動物ファンは言わずもがな、まさに現代人必見の作品、と言わせてもらう、といきりたって、
思わず、ニューヨーク中の犬仲間に、大絶賛のメールをさし上げたところである。

いまだに大人になりきれないままに中年は愚か老年期を迎えつつある永遠のピーターパン達。
騙されたと思って見に行ってみるべきだ。忘れていたなにかをきっと思い出すはずである。


ジャングルブックを観る、の続編

Posted by 高見鈴虫 on 25.2016 読書・映画ねた
で、ジャングルブック、

映画鑑賞後、でそんな甘い香りに包まれて、思わず口ずさむのは、
ジャングル大帝レオのテーマ




おいおい、すれ違う散歩の犬たちがまさに今にも話しかけてくるようで、
そんな錯覚に襲われながら、改めて見渡すこの文明社会。

果たして、ジャングルの少年は、人間達の中に戻って幸せになれたのだろうか、
と考えるに、むむむ!?

そう、このお話し、少年は人間社会には戻らなかった、つまり、ジャングルに残ったのである。

このエンディング、考えれば考えるほどに、凄い!

そっか、そうしてしまった訳だね、
と思わずあのジョン・ファヴロー氏の無骨な顔が浮かぶ訳で、
そう、そうなんだよ、少年はジャングルを出るべきじゃない、あるいは、
人間社会に戻っても十中八九、幸せにはなれない、ってことなんだよね。

あぁあ、俺もジャングルに暮らしたかったな、と思わず呟いたところ、

へえ、ジャングルで暮らしたいんだ、とかみさん。

だったら本読んだりとか、映画見たりとか、美味しいもの食べたりとか、
そういうこと、ぜんぜんできなくても良いんだ。

本?本かあ、と改めて。

そう言えば、嘗てタイの無人島のような島に暮らしていた時は、
この糞、ジャングル、どこもかしこも蚊ばかり虫ばかり。
なにからなにまで面倒くさいことばかりで、
やはり、ジャングルは人の暮らす場所ではないんだよな、
なんて話をつくづく語り合っていたものではないか。

だがしかし、もしもジャングルに生まれジャングルに育まれたとしたら、
人間はそんなジャングルで実際に生きて行けただろうか?

いや、それはやはり無理だろう。

生身の人間はジャングルで一人で生きていくにはなにもかもが弱すぎる。

そしてジャングルに住む原住民の人々は、押しなべてあまり幸せそうには見えなかったりもする訳で。

そう、一度、人として生まれた以上は人の世に生きるべきなのだ。

ではそんな脆弱な人間がこの世で生きていくべき術とはなにか、と問い直すに、

つまりはそう、TRICK なんだよね、人間。

人間の特性であり、諸悪の根源でもありえたこの諸刃の剣たる、TRICK つまりは知恵。

道具を使い、火を操るこの二足歩行の人間という生物のその宿命こそは、TRICK、な訳だ。

人間に生まれた以上、このTRICKをどう操るか、が問題なのであって、

つまりは、その使い方をよーく考えなくてはいけないよ、と。

そして人間社会。
知恵が知恵を操り、知恵ばかりが暗躍しては、そうして創りだされた道具によって、
いまや人間そのものが操られようとしているこの社会。

果たして、ジャングルの少年はそんな人間社会に戻って幸せになれるのだろうか。

俺的には、100%、否、である。

例え本が読めなくても映画が見れなくても、少年はジャングルで暮らすべきなのだ。

という訳で、この21世紀のジャングルブック。

そして少年はジャングルに戻りました。めでたしめでたし、というラストシーンに、
現代文明社会への根本的な失望の形を見てしまう訳である。



スポーツ界の堕落が目につく

Posted by 高見鈴虫 on 27.2016 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
スポーツ界の堕落が目につく。
大相撲のいかさまから始まって、
プロ野球界のシャブ漬け、賭博漬け。
バトミントンの裏カジノから、
スノボーのマリファナ疑惑。

へえ、と言ってしまうとなんだが、
正直なところ、それがどうした?
と言ってしまうと、
日本なんて国ではもう身も蓋もなくなってしまうのだろうか?

シャブはともかく、草ぐらいなら誰でもやってるだろうが、やら、
そもそもギャンブラー気質でもない男が、勝負事なんかに命張る筈もなく、
つまりはそう、オリンピック代表が違法カジノで乱痴気騒ぎ!?
なかなかやるじゃねえか、よし、その意気だ! 頑張れ~!
とはしゃいでしまった俺は、ぶっちゃけバカなのであろうか?

かの清原ではないが、あれだけの人なのだ。
つまりは、天才だ。
天才が普通の人である必要などなにもない。

ピカソに中古車を売らせてもろくな結果にならなかったように、
豪速の白球をバット一振りで空の果てまでかっ飛ばす
それを生業としてきた野球バカが、
そのあたりのうだつのあがらない銀行員のような、
ちゃちな接客対応ができなかったからと言って、
いったいなんの罪があるというのだ。

男なんて、あるいは、スポーツ選手なんて所詮はヤクザな博打打ち。
ここ一番に命を張って丁か半かで結果を叩き出す、
そんな勝負師であってこその大スター。
超人が超人であるべくして超人なり得た以上、
そんな超人に、てめえのおかめみじんこのようなチンケな価値観で、
良いの悪いのと聞いたような口を叩くことこそが言語ドウダン。

カスはすっこんでろ、と黙らせてしまうってのが正論なんじゃないのか、
と俺は思うのだが、あんたらぜんぜん違うよね(笑









長寿の秘訣は、睡眠と、そしてスキンシップ

Posted by 高見鈴虫 on 29.2016 犬の事情
我が家の犬も今年で8歳を迎えようとしている。

動物図鑑なんてのを見ると、犬の寿命は、8歳から12歳、とかになっていて、
最近は飼育環境の飛躍的な改善から、その寿命もぐーんと伸びている、とは聞くが、
そう、8歳、ということは、通常の犬年齢で言えば、
そろそろいつお迎えが来ても文句は言えない年齢に足を踏み入れている、
ということなのだろう。

あのやんちゃ小僧がねえ、と思えば思うほどにまったく信じられない気分だ。

確かに、最近はさすがに喧嘩もしなくなったし、
昔、あれほどハイパーだったのも嘘のように、ドッグランのベンチでも、
俺の隣りに座ってそんな子犬たちの乱痴気騒ぎを斜に見ていることの方が多くなった。

そんな犬の姿を写真に取ると、明らかにそこに年齢に相応した落ち着きというか優しさというか、
ぶっちゃけ老化の匂いを感じ取ることにもなる。

まったくなあ・・
ついこの間まで、公園中の犬という犬に片っ端から喧嘩をふっかけていたようなこいつが、
いまやもうすっかりと老人の仲間入り、ということなのか。

今日明日というのではないのだろうが、
そこには確実に、折り返し点を過ぎて坂道を下り始めていることは確かのようだ。
つまりそう、別れの日に向けてすでに一日一日と時間が刻まれていっているというこの現実。

そんな、いつか迎えることになるのであろう日を思う度に、
俺はこいつを失ってまでこの世に生きていたいとは思わないな、
とついつい不穏なことを考えてしまったり、
あるいはそう、こいつを失ったが最後、正気を保てる自信がない、というのが正直なところ。

という訳で、傍らに眠る犬の寝顔を眺めながら、
死ぬときは一緒だぜ、どうせなら一緒の棺桶に入ろうな、
などと洒落にならないことをつぶやいたりもしている訳だが、
それは実は割りと本気であったりもする。

という訳で、そう、そんな日が来ないに越したことはない。

そう、それがいかに非現実的なことであっても、
俺はその億に一つの奇跡に頼らない訳にはいかない。

俺の犬は死なない。俺の犬は永遠に死なないんだ。

という訳で、改めて犬の長寿について調べ始めている。

嘗て寝る子は育つではないが、寝る犬は長生きするよ、と言われたことがある。

いやあ、なんかうちの犬、家にいるときはそれこそずっと寝てばかりいるんだが、大丈夫なんだろうか?
と相談した犬の先輩から、言われた言葉。

寝る犬は長生きするよ。

人に寄らず猫に寄らず犬に寄らず、
長生きの秘訣ってのはつまりは睡眠時間であったりもして、
つまり、生きている、つまりは覚醒している時間ってのが、
だいたいどいつもこいつも似たようなもので、
寝てばかり居るやつ、つまり、覚醒時間が短い奴は自然と長生き、
寝ないで遊んでばかりいたやつってのはやっぱり早死する、と。

そして寿命を減らす原因と言えば、まさにストレス。
なぜならこのストレスが睡眠を阻害する訳だからで、
そう、ぶっちゃけ、
犬にとってもっとも必要なことは、愛情よりも安心。
つまりはストレスの無い中で安心してぐっすりと眠れる、
そんな状況こそが、犬にとって一番大切なこと。
それさえ守れば、犬はずっとずっと長生きするもんだよ、とのことらしい。

だから、寝ている犬を見ながら、
これはこれで長生きをするために大切な仕事をしているんだ、
と思うことにしている。

そう思えば思うほどに、
寝ている犬の寝顔が可愛くて可愛くて仕方がなくなる。

がんばれ~、頑張って寝て、どんどん寿命を伸ばせよ~!
と呪文のように唱えながら、
いつまでもいつまでも眠り続ける犬の寝顔を眺め続けていたりもする。

そんなこんなで八年がたった。
本当の本当に信じられないことなのだが、
この犬が、そしてふとすれば俺自身も、老年期、と言われる時代を迎えようとしている。

で改めて、知人の獣医さんに聞いてみた。

子犬期、つまりは4歳ぐらいまで一番大切なことは、まさに運動。
しっかりと運動をさせて健全な身体が作られているか。

その後、4歳から8歳までは、食事と健康。
健全でバランスの取れた食生活で病気にもならず、
適度な運動とそして良質な睡眠が取れているか。

そして老年期からの犬に必要なのはスキンシップ、つまりは愛情なのだそうだ。

十歳を過ぎた犬はもう徹底的にかわいがること。
もう手加減なしにベタベタにスキンシップ。
撫でまわしてキスして抱きしめて、を繰り返せば繰り返すほどに長生きするのだそうだ。

そっか、スキンシップこそが長寿の秘訣か。

だったら任せとけ、と思う。

そう、この犬をかわいがること、に関してなら誰にも負けない。

撫でれば撫でるほどに長生きしてくれるのであれば、
一日中だってずっと撫で回してやっても良い。
まさに渡りに船、望むところだ、というところ。

あと20年とは言わなくても、少なくともあと15年。
いやいやそれを言うならあと25年。

そう言えば、このあいだ三十歳を越えて大往生を遂げた世界最年長の犬、
あれもオーストラリアの犬であったっけ。

そうだ、素質は十分だ。ギネスブックに挑戦して貰おうではないか。

こいつが長生きをしてくれるなら、俺はなんだってやる。本当だ、なんだってだ。

何と言っても、俺はこいつが死んでしまったら生きて行く気がないのだ。
こいつが死んでしまった後に金などいくらあっても知ったことではない、とまで思っている。

そう、俺の人生など所詮はその程度。キャリアなど金など、俺にとっては所詮はその程度の物。

つまりは、犬の命とは比べ物にならないほどにチンケなもの。その程度のものなのだ。

さあ、こんな下らないことを書いている暇があったら、せっせと犬を撫でてやらねばならない。

撫でれば撫でるほどに長生きするのだ。
この先、何年でも何十年でも、一晩中でも一日中でも、撫でて撫でて撫で続けてやろうと思う。


黒人が寿司を食うと頭が良くなる?

Posted by 高見鈴虫 on 30.2016 ニューヨーク徒然
ひところまで、黒人の食べ物と言えば、
もうこれは、徹底的にというぐらに、
フライド・チキン、と相場が決まっていた。

黒人と言えばフライド・チキン。

いつでもどこでも、そこに黒人が集まれば、
そこには必ず、フライド・チキンがある。

そう、黒人とはつまりはそんなものであった訳で、
それは人種差別とかなんとかそういうものでもなく、
事実、これだけ黒人=フライド・チキン、と揶揄されながら、
しかし黒人は、むきにでもなるように、
あるいは、どんなもんじゃい、と言った風に、
正々堂々と、徹底的にフライド・チキンを食っている。

そう、がしかし、実はそれは一昔前までの黒人である。

今日日、黒人の主食は、と言えば、これはもう、徹底的にチャイニーズである。

チャイニーズ?黒人が?

そう、ここニューヨークに置いて、黒人たちの暮らすゲトー街には、
必ずと言って良いほど、こ汚いチャイニーズ・レストランがあり、
テーブルから椅子から壁からがすっかり油まみれのゴミだらけ。
時として食い逃げされ、時として強盗に合いながらも、
そんなゲトー街のチャイニーズ・レストラン、
なんだかんだ言って必ず繁盛している。

で、そんな黒人街のチャイニーズ、
なにが人気か、と言えば、勿論フライド・チキン、である。

ポーク・フライド・ライス、つまりは炒飯の上に、
フライド・チキン・ウィング、つまりは手羽先のフライを乗せて、
それに、エキストラ・グリース、わざわざ油を注ぎ、
そのギトギトの奴に、黒人たちはかぶつりつくのである。

このフライド・チキン・ウィングと炒飯のコンビネーションは、
実は、カリブの島々でも定番化していて、
それを逆手に取って、ラテン系のゲトー街には、
ラテン・チャイニーズと称して、この手羽先+炒飯が不動の地位を占めている。

という訳で、カップラーメンからチャイニーズから、
アジアのメニューが完全に市民の生活に密着している訳なのだが、
ここに来て新たな風潮が広がりつつある。

近所にある安売り自慢のなんちゃって日本食レストランに、
なんと黒人の家族が行列を作り始めているのである。

黒人が寿司?ありえねえ~、と思うのはシャローなステレオ・タイプである。


NY米系企業内に伝染するBABYMETAL熱

Posted by 高見鈴虫 on 30.2016 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments
元はと言えばキッチンで出くわしたプログラマー部門のその男。

既にかなり薄くなり始めたロン毛をポニーテール。
金曜ともなれば、いきなりダブルの革ジャンのバイカー・ルックである。
見ればその尻のポケットにこれみよがしにぶっ刺したスティックが二本。
いくら米系企業のシステム部と言っても、
このあまりにも世間体をぶっちぎった傍若無人なそのスタイル。

思わず面白がって話しかけてみれば、
今なおニュージャージー奥地の自宅の地下室に自前のスタジオを作っては、
いつか世界をあっと言わせる名曲を、と日夜音楽活動に精を注いでいる、という。

なあに、こんな会社、世を忍ぶ仮の姿。
俺は、そう、ミュージシャンなんだ。つまりそう、ライフ・ミュージックって奴。

自宅録音マニアって奴か。
で、ドラムも?と聞けば、勿論、と胸を張って答える。

ギター、ベース、そしてドラム、なんでも自分でやる、とのことで、
やおら手にしたスティック、まるで和太鼓のように鷲掴みしては、
空手チョップでもくれるように拳を踊らせ始める。

まあそれを見ただけで、そのレベルは知れてしまう訳なのだが、
しかし、それでもリズムマシーンだけは絶対に許せない、
なんていう妙な拘りがいかにも時代遅れのロック野郎である。

が、しかし、そう、前述の通り、俺はこの会社においては、
スーツにネクタイ、七三分けに銀縁のメガネ、
絵に描いたような、いけ好かねえジャパニーズ・リーマンである。

そんな俺にすっかり兄貴風を吹かせたこのバイカー野郎。
まあ日本なんてところから来たお前らジャパニーズ、
社畜揃いのお前らには、
ミュージックがどれだけ素晴らしいものか、
なんてことは判りもしないのだろうがな、
人生において一番大切なものは、そう、ミュージックなんだよ、ライフ・ミュージック。

聞けば未だにレッド・ツェッペリンがアイドルであるらしい。

知らねえだろう、昔アメリカにはレッド・ツェッペリンって凄いバンドがいてよ、
そこのドラマーが俺は今でも一番好きなんだ、今度一度聞かせてやるぜ、
なんてことを言われてしまったりもするのも、
つまりはそう、俺のこの変装があまりにも完璧、ということなのだろう。

がしかし、例え別人に変装をくれているとは言っても、
よりによってこの俺の前で、ミュージックがどうの、
なんてことで威張られるのはちょっと癪に触らない訳でもなく、
で、思わず、馬鹿、レッド・ツェッペリンはイギリスのバンドだぜ、
と言い返してしまう。

という訳で、人の居ないのを見計らって、
だったらお前、これできるか?とキッチンのシンクの上、
なにげにタラララ、と片手ロールからパラディドルのコンビネーション、
なんてのを見せてやったのだが、
一瞬見開いた目、がしかし、すぐにチッチッチ、と舌を鳴らす。

なんだよ、お前、鼓笛隊か?と一言。
可哀想になあ、ジャパニーズ。
あのなあ、でもそんなマーチング・バンドみたいなのはミュージックとは言えないんだよ。
やっぱりロックだろう、ロック。
俺の好きなそのレッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムってドラマーはな、
などと言いながら、相変わらず空手チョップのような動作でエアー・ドラムを繰り返している。

あのなあ、違う違う、鼓笛隊であろうがレッド・ツェッペリンであろうが、
スティックはこう持って、で、そう、ジョン・ボーナムならハーフ・ノーツだろ、あれはな、

なんてことを言うのも面倒くさく、

思わず、お前、ベビーメタル知ってるか?と聞いた見た。

なんだそれ、ベビーメタル?そりゃお前、ヘビーメタルだろ?
そんなことも知らないのか、ジャパニーズ。
いいか、ヘビーメタルってのは、
とかなんとか要らぬ講釈を始める前に、

いやだから、B-A-B-Y METAL 。ロックやっててそんなことも知らねえのか?

BABYMETAL?聞いたことねえな、とバイカー野郎。
日本のバンド?日本のメタルバンドか?へえ、と鼻で笑う顔がなんとも憎たらしくもなる。

お前なあ、つくづくアメリカのど百姓。日本と中国をごちゃにしてるアホということだろう。

いいか、お前、騙されたと思ってベビーメタル、YOUTUBEを観てみろ。
と、あのスティーヴン・コルベアのLATE SHOWのリンク送って見れば、
音を聴く前から、なんだこれ、ガキじゃねえか、と一言。
学芸会の京劇で曲芸でもやるつもりか?

いやあ、ジャパニーズ、お前らつくづく判ってねえんだな、と首を振っては、
話にもならねえ、とばかりに、じゃな、と向こうに行ってしまった。

馬鹿め、と思わず。
このステレオタイプの田舎者が。アメリカの百姓はこんな奴ばかりだ。
お前は一生に一度の大チャンスをいま不意にしたんだぞ、可哀想なやつだ、
とは思いながら、まあそう、奴の不幸は俺にはなにも関係ないわけで、
とうっちゃっておいて一週間。

いきなりそのバイカー野郎、俺の机を訪ねて来るや、
ぐい、と突き出したその拳、髑髏の指輪の並ぶその無骨な手が、
なんと、フォックス・サインである。

BABYMETAL?



  

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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