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ナオミ・オオサカ 世界の頂点! ~ 日本テニス界百年の執念がいま結実を見た!
おおおおおおお!!のオオサカ・ナオミ、
あまりにもあっさりというかなんというか、
二十歳にしていきなり、
TOP OF THE WORLD!!
極めちゃったよ、おいおい。
世界の頂点の表彰式に立った日の丸一本!
百年以上の長きに渡って夢の夢のまた夢とされていたグランドスラム ・チャンピオン。
この偉業がなんともまあ、これほどあっさりと実現してしまおうとは、誰一人として予想だにしなかったのではなかろうか、と。
いやあそう、ナオミ・オオサカ、
その実力のほどは昨年のUSOPENにおける快挙から、
-> 2017年USOPEN雑感
そして先日のインディアン・ウェルスの優勝でも立証されている訳で、
いつでもグランドスラムを取れる!とは確信していたのではあるが、
だがそう、今日に限っては初めてのグランドスラムのファイナルだしさ。
で、相手はまたあのセリナだし、
今回はまあ、予行練習というところで、
スコアとしては、6-3 6-2 ぐらいでも十分かな、
とかと思っていたのだがだがだが、
蓋を明けてみれば試合開始直後からいきなり、
実力そしてメンタルともに、女王セリナを圧倒に次ぐ圧倒!
まさにグウの音も出ないほどの、完璧な大勝利だったと思う。
でまあ、いろいろ言われている。
つまりはあの、セリナの混ぜ返しのぶち壊し、なんだが、
産休から復帰したこの不動のチャンピオン、ではあるものの、
試合直後からその実力差は歴然。
なにをやってもまったく歯が立たないそのストレスアウトの末に、
試合中にコーチからのアドバイスを受けるなってな警告に、
これでもかと混ぜ返しの恫喝的な文句を続けながら、
挙げ句の果てに自身のミスショットに逆ギレしてはラケット叩き折って、
留めとばかりに審判にくどくどと要らぬ暴言吐きまくっては減点1-2-3。
それもこれも、若き挑戦者に手も足も出ないことが、
自分自身でもどうしても認められなかった、
その断末魔の悪あがき、或いは確信的なまでの自滅行為。
ただまあそう、判るやつには判るというか、
テニスをやっている奴のほとんどが、そんなセリナと似たキャラをしている、というのもあって・笑
なにがあっても素直に負けることを許せないが故に、
あわよくば毒食えば皿までとばかりに、
てめえいちゃもんでい、とばかりの卓袱台返し。
試合そのものをぶち壊してでも劣勢モードのリズムを捻じ曲げようという揺さぶり作戦。
まあそう、なにもかもが言うなればこれ常套手段、と。
あるいはもしかしたら、あの病的なまでに負けず嫌いのセリナのこと、
もしもの時の為の自分自身への、
あるいはスポンサー連中への言い訳づくり、
という健気な自己防衛行為、ところだったのだろうが、
いやいや、今回に限っては、そんなセリナの我儘は通じない通じない。
つまりそれだけ、ナオミ・オオサカが完璧過ぎた、って事なんだけどさ。
で、改めてこのセリナ・ウィリアムズ、
実力では自他ともに認める不動のチャンピオン、でありながら、
なによりもその、キャラクターの凄まじさ。
→ マドモアゼル・ウィリアムス
調子の良いときはまさに誰も手も足も出ない大怪獣のようであるのだが、
ひとたび負けが嵩んで来るといきなり飛び出る耳を疑う暴言の数々。
審判から客席からラインマンからボールボーイに至るまで、
コートの上のありとあらゆる人々に向けてFの字を連発。
あんた、次にフットフォルトなんて言いやがったら、
この糞ボールをあんたの口の中にねじ込んでやるからそう思いな!
誰がどう考えてもチャンピオンとは思い難いゲトー丸出しのその言動に加えて、
そして負けた後になって野獣の絶叫諸共ロッカールームをぶち壊し、
挙句に記者会見では泣き言まじりの恨み辛みの大演説。
その見た目の凄まじさから為人のエゲツナサから、
そしてなによりもその試合中の負けっぷりのみっともなさ、というかなんというか、
スポーツマンシップの欠片もない、
アメリカの底辺的ゲトー野獣そのもの。
いやはや、ここまで来るともう、麻酔銃でも使わなくては誰にも止められない、
まさに世界テニス界の徒花でもある訳で、、
そしてなにより今日のファイナルマッチ、
いやはや、女タイソンの面目躍如というかなんというか、
そのあまりにも見苦しい七転八倒ぶりの中で、
幸か不幸か、日本人初のグランドスラム・チャンピオンの表彰式が、
観客席からのブーイングに包まれるなんていう珍事と相成った。
で、こちらの放送で解説をやっていたクリス・エヴァート。
この人も実は現役時代、氷の女王と謳われたその内心は、
実はセリナとまったく似たようなキャラをしていた、
ってもの有名な話ではあるのだが、
そのクリス・エヴァートが、犬猿の仲のセリナに向けて、
この時とばかりに毒々しいばかりのネガコメのてんこ盛り。
いやはや、試合から解説からが、
これ以上ない程に醜悪な決勝戦と相成った訳だが、
挙げ句の果てにセリナ・ウィリアムズ、
試合後の記者会見では、
すっかり傷心の悲劇の美女になりきっては、
負けた原因のすべてを審判の判定になすりつけて、
それもこれも女性の人権のための戦いの、
とまたまた、訳のわからない劇場を繰り広げる訳で・・
その全てが、現代米国の嫌なところの集大成という奴なのだが、
いや、それだからこそのセリナ、
まったくもって等身大のゲトークィーンそのもの。
そんなセリナの演じた醜悪な悪あがきも、
実は実にアメリカ的と言うか、
日々日常のそこかしこで見慣れたものであったりもして、
そんなアメリカの恥部をこれでもかと晒して見せたその姿、
まさにこれ、
アメリカの威信を声高に叫べば叫ぶ程にその凋落の様が浮き彫りになる、
現代トランプ時代の米国の象徴的な出来事、
なんて余計な事を言ってしまうとまた角が立つか、と。
で今回のUSOPEN、
開始前からテレビではチェイスがスポンサーになったセリナのコマーシャルがヘビーローテーション。
この尋常じゃない投資額から考えて、セリナには相当のプレッシャーがかかっていたとも思うのだが、
で、試合中もコーチの隣にはべったりとヴォーグの編集長:アナ・ウィンターが張り付いていた訳で、
つまりはそう、つまりはそういうこと、な訳なのだが、
さしものセリナも、この大人の事情的なプレッシャーには勝てなかった
というのが真相なのでは、と思ったりもしている。
で、ちなみにこのナオミ・オオサカ、
ご存知なようにハイチ人の父親と日本人女性のハーフ。
身長180CMで、あの見るも見事な靭やかなる筋肉。
汗の光るあの滑らかな黒い肌と相成って、
その姿まさに惚れ惚れとするばかりの理想的なアスリートである訳なのだが、
ただ、あの人を日本人とするのはどうにもこうにも抵抗がある、
ってのはわからないでもない。
ただ友人のハイチ人に言わせるところ、
ナオミ・オオサカは、完璧なまでのオリエンタル・ルックスであるらしく、
あの、エキゾチックな表情からセクシーなボディから、
あんな美しい人にハイチ人の血が流れているなんてまったく信じられない、
とまでの手放しの大絶賛の萌え萌えモード。
ナオミ・オオサカが典型的な日本人?おいおい、ともは思いながらも、
そう、ハイチ人に言わせると、やはりそういうことであるらしい。
という訳で、このナオミ・オオサカ、
黒人の身体能力と日本人の知力、
そして日本企業のスポンサーを引っ張ってアメリカでトレーニング。
そう、世界の良いところ取り、ということでOKではないか。
ただね、改めてこのあまりにも見苦し過ぎたファイナル・マッチでのセリナ・ウィリアムス。
幸か不幸か、その去り際の醜さ故に、
後々までも世界のテニス史上に語り継がれることになるのだろうが、
そんな訳で、妙な具合に味噌のついてしまったこのナオミ・オオサカの一世一代の晴れ舞台たる表彰式。
しかしながら俄かなブーイングに包まれた会場を、
またまたあの超絶天然キャラの大爆笑コメント一撃で完全に倍返しせしめた訳だが・笑
いやはやまったくもってこのナオミ・オオサカという人、その凄まじいまでの萌え萌え天然キャラ、
世界中がもうホエホエのメロメロであろう。
この神の贈り物たる天然キャラ、
今後どれだけ女王の名声を積み上げても、
この愛すべきキャラだけは絶対に失って欲しくない。
ただただ改めてこの記念すべき初優勝において、
去り逝く野獣女王の横槍に邪魔されては
素直にトロフィーを掲げられなかったこの無念を、
新たなモチベーションとして次の全豪、
そしてウィンブルドンの王冠につなげて欲しいと
切に願うばかりである。
うん、ナオミ・オオサカ、
あのサーブがあれば、ウィンブルドン絶対に行ける。
で、ついでにあのフットワークがあれば、ローランギャロスだって夢じゃない。
この女子テニスの暗黒時代、
日本人チャンピオンが、四つのグランドスラムを総なめのグランド・グランドスラム達成!?
そんなとんでもないことが、いままさに起ころうとしている、と。
という訳で、試合後のインタビュー席でいきなり巻き起こった、
ナーオーミ!ナーオーミ!のシュプレヒコール。
そう、テニスファンはみな気がついている。
このナオミ・オオサカこそは、テニスの完成形、なのである。
この瞬間、まさに、スター誕生、という奴なのであろう。
改めて本日のファイナル、
サーブ、フットワーク、グランドストロークのパワーヒットから、
なによりそのアングル、そのポジショニングの素晴らしさ。
パワーだけではない、まさに知的テニスの集大成。
そしてなにより、今回のナオミ・オオサカ、
そのあまりにも見事な変貌はまさにメンタリティ。
グランドスラムの王冠を前にして、微動だにしないその見事な風格。
そのなにをとっても、女王セリナを完膚なきまでに粉砕した、
まさにナオミ・オオサカの圧勝であった、と。
セリナの苦し紛れの混ぜ返しのぶち壊しにもまったく動ぜず、
審判のあまりにも無慈悲な判定に対しては、
武士の情けと、塩を送って寄越す、
そんなプロフェッショナルなマナーと、
そして鉄のメンタルを貫き通したこの二十歳の新たなるスーパースター。
この後も末永く不動の女王となることを運命づけられた、
その名に恥じない、見事なる圧勝であったと思います。
という訳で、ケイちゃん、錦織圭、
ブラック魔王ジョコビッチごときにフルボッコ食らって、
ため息ついている場合じゃねえぞい。
次の全豪、なんとしても、なんとしても、なんとしても、
グランドスラム・チャンピオン、狙ってくれ!
男女共にその表彰式に日の丸が翻る、
日本テニス百年以上に渡る執念の大成。
そんな夢のような快挙!期待してるぜい!
でさ、今更ながら二十歳と言えばまさに我らがすぅめたる。
我らがすぅめたる、ご存知なようにもう実力としては世界一確実なんだから、
コバさん、そして、大里さん、
早いところ、世界の頂点へのお膳立て、一日も早くご用意頂きたい。
それが、若き才能を担う大人たちの、責任でありますぞい!
と言う訳で、実は、ナオミ・オオサカの晴れ姿に涙しながら、
くっそお、すぅめたる、先を越されちゃったな、と思っていたのは、
実は俺だけではない筈だ。
あまりにもあっさりというかなんというか、
二十歳にしていきなり、
TOP OF THE WORLD!!
極めちゃったよ、おいおい。
世界の頂点の表彰式に立った日の丸一本!
百年以上の長きに渡って夢の夢のまた夢とされていたグランドスラム ・チャンピオン。
この偉業がなんともまあ、これほどあっさりと実現してしまおうとは、誰一人として予想だにしなかったのではなかろうか、と。
いやあそう、ナオミ・オオサカ、
その実力のほどは昨年のUSOPENにおける快挙から、
-> 2017年USOPEN雑感
そして先日のインディアン・ウェルスの優勝でも立証されている訳で、
いつでもグランドスラムを取れる!とは確信していたのではあるが、
だがそう、今日に限っては初めてのグランドスラムのファイナルだしさ。
で、相手はまたあのセリナだし、
今回はまあ、予行練習というところで、
スコアとしては、6-3 6-2 ぐらいでも十分かな、
とかと思っていたのだがだがだが、
蓋を明けてみれば試合開始直後からいきなり、
実力そしてメンタルともに、女王セリナを圧倒に次ぐ圧倒!
まさにグウの音も出ないほどの、完璧な大勝利だったと思う。
でまあ、いろいろ言われている。
つまりはあの、セリナの混ぜ返しのぶち壊し、なんだが、
産休から復帰したこの不動のチャンピオン、ではあるものの、
試合直後からその実力差は歴然。
なにをやってもまったく歯が立たないそのストレスアウトの末に、
試合中にコーチからのアドバイスを受けるなってな警告に、
これでもかと混ぜ返しの恫喝的な文句を続けながら、
挙げ句の果てに自身のミスショットに逆ギレしてはラケット叩き折って、
留めとばかりに審判にくどくどと要らぬ暴言吐きまくっては減点1-2-3。
それもこれも、若き挑戦者に手も足も出ないことが、
自分自身でもどうしても認められなかった、
その断末魔の悪あがき、或いは確信的なまでの自滅行為。
ただまあそう、判るやつには判るというか、
テニスをやっている奴のほとんどが、そんなセリナと似たキャラをしている、というのもあって・笑
なにがあっても素直に負けることを許せないが故に、
あわよくば毒食えば皿までとばかりに、
てめえいちゃもんでい、とばかりの卓袱台返し。
試合そのものをぶち壊してでも劣勢モードのリズムを捻じ曲げようという揺さぶり作戦。
まあそう、なにもかもが言うなればこれ常套手段、と。
あるいはもしかしたら、あの病的なまでに負けず嫌いのセリナのこと、
もしもの時の為の自分自身への、
あるいはスポンサー連中への言い訳づくり、
という健気な自己防衛行為、ところだったのだろうが、
いやいや、今回に限っては、そんなセリナの我儘は通じない通じない。
つまりそれだけ、ナオミ・オオサカが完璧過ぎた、って事なんだけどさ。
で、改めてこのセリナ・ウィリアムズ、
実力では自他ともに認める不動のチャンピオン、でありながら、
なによりもその、キャラクターの凄まじさ。
→ マドモアゼル・ウィリアムス
調子の良いときはまさに誰も手も足も出ない大怪獣のようであるのだが、
ひとたび負けが嵩んで来るといきなり飛び出る耳を疑う暴言の数々。
審判から客席からラインマンからボールボーイに至るまで、
コートの上のありとあらゆる人々に向けてFの字を連発。
あんた、次にフットフォルトなんて言いやがったら、
この糞ボールをあんたの口の中にねじ込んでやるからそう思いな!
誰がどう考えてもチャンピオンとは思い難いゲトー丸出しのその言動に加えて、
そして負けた後になって野獣の絶叫諸共ロッカールームをぶち壊し、
挙句に記者会見では泣き言まじりの恨み辛みの大演説。
その見た目の凄まじさから為人のエゲツナサから、
そしてなによりもその試合中の負けっぷりのみっともなさ、というかなんというか、
スポーツマンシップの欠片もない、
アメリカの底辺的ゲトー野獣そのもの。
いやはや、ここまで来るともう、麻酔銃でも使わなくては誰にも止められない、
まさに世界テニス界の徒花でもある訳で、、
そしてなにより今日のファイナルマッチ、
いやはや、女タイソンの面目躍如というかなんというか、
そのあまりにも見苦しい七転八倒ぶりの中で、
幸か不幸か、日本人初のグランドスラム・チャンピオンの表彰式が、
観客席からのブーイングに包まれるなんていう珍事と相成った。
で、こちらの放送で解説をやっていたクリス・エヴァート。
この人も実は現役時代、氷の女王と謳われたその内心は、
実はセリナとまったく似たようなキャラをしていた、
ってもの有名な話ではあるのだが、
そのクリス・エヴァートが、犬猿の仲のセリナに向けて、
この時とばかりに毒々しいばかりのネガコメのてんこ盛り。
いやはや、試合から解説からが、
これ以上ない程に醜悪な決勝戦と相成った訳だが、
挙げ句の果てにセリナ・ウィリアムズ、
試合後の記者会見では、
すっかり傷心の悲劇の美女になりきっては、
負けた原因のすべてを審判の判定になすりつけて、
それもこれも女性の人権のための戦いの、
とまたまた、訳のわからない劇場を繰り広げる訳で・・
その全てが、現代米国の嫌なところの集大成という奴なのだが、
いや、それだからこそのセリナ、
まったくもって等身大のゲトークィーンそのもの。
そんなセリナの演じた醜悪な悪あがきも、
実は実にアメリカ的と言うか、
日々日常のそこかしこで見慣れたものであったりもして、
そんなアメリカの恥部をこれでもかと晒して見せたその姿、
まさにこれ、
アメリカの威信を声高に叫べば叫ぶ程にその凋落の様が浮き彫りになる、
現代トランプ時代の米国の象徴的な出来事、
なんて余計な事を言ってしまうとまた角が立つか、と。
で今回のUSOPEN、
開始前からテレビではチェイスがスポンサーになったセリナのコマーシャルがヘビーローテーション。
この尋常じゃない投資額から考えて、セリナには相当のプレッシャーがかかっていたとも思うのだが、
で、試合中もコーチの隣にはべったりとヴォーグの編集長:アナ・ウィンターが張り付いていた訳で、
つまりはそう、つまりはそういうこと、な訳なのだが、
さしものセリナも、この大人の事情的なプレッシャーには勝てなかった
というのが真相なのでは、と思ったりもしている。
で、ちなみにこのナオミ・オオサカ、
ご存知なようにハイチ人の父親と日本人女性のハーフ。
身長180CMで、あの見るも見事な靭やかなる筋肉。
汗の光るあの滑らかな黒い肌と相成って、
その姿まさに惚れ惚れとするばかりの理想的なアスリートである訳なのだが、
ただ、あの人を日本人とするのはどうにもこうにも抵抗がある、
ってのはわからないでもない。
ただ友人のハイチ人に言わせるところ、
ナオミ・オオサカは、完璧なまでのオリエンタル・ルックスであるらしく、
あの、エキゾチックな表情からセクシーなボディから、
あんな美しい人にハイチ人の血が流れているなんてまったく信じられない、
とまでの手放しの大絶賛の萌え萌えモード。
ナオミ・オオサカが典型的な日本人?おいおい、ともは思いながらも、
そう、ハイチ人に言わせると、やはりそういうことであるらしい。
という訳で、このナオミ・オオサカ、
黒人の身体能力と日本人の知力、
そして日本企業のスポンサーを引っ張ってアメリカでトレーニング。
そう、世界の良いところ取り、ということでOKではないか。
ただね、改めてこのあまりにも見苦し過ぎたファイナル・マッチでのセリナ・ウィリアムス。
幸か不幸か、その去り際の醜さ故に、
後々までも世界のテニス史上に語り継がれることになるのだろうが、
そんな訳で、妙な具合に味噌のついてしまったこのナオミ・オオサカの一世一代の晴れ舞台たる表彰式。
しかしながら俄かなブーイングに包まれた会場を、
またまたあの超絶天然キャラの大爆笑コメント一撃で完全に倍返しせしめた訳だが・笑
いやはやまったくもってこのナオミ・オオサカという人、その凄まじいまでの萌え萌え天然キャラ、
世界中がもうホエホエのメロメロであろう。
この神の贈り物たる天然キャラ、
今後どれだけ女王の名声を積み上げても、
この愛すべきキャラだけは絶対に失って欲しくない。
ただただ改めてこの記念すべき初優勝において、
去り逝く野獣女王の横槍に邪魔されては
素直にトロフィーを掲げられなかったこの無念を、
新たなモチベーションとして次の全豪、
そしてウィンブルドンの王冠につなげて欲しいと
切に願うばかりである。
うん、ナオミ・オオサカ、
あのサーブがあれば、ウィンブルドン絶対に行ける。
で、ついでにあのフットワークがあれば、ローランギャロスだって夢じゃない。
この女子テニスの暗黒時代、
日本人チャンピオンが、四つのグランドスラムを総なめのグランド・グランドスラム達成!?
そんなとんでもないことが、いままさに起ころうとしている、と。
という訳で、試合後のインタビュー席でいきなり巻き起こった、
ナーオーミ!ナーオーミ!のシュプレヒコール。
そう、テニスファンはみな気がついている。
このナオミ・オオサカこそは、テニスの完成形、なのである。
この瞬間、まさに、スター誕生、という奴なのであろう。
改めて本日のファイナル、
サーブ、フットワーク、グランドストロークのパワーヒットから、
なによりそのアングル、そのポジショニングの素晴らしさ。
パワーだけではない、まさに知的テニスの集大成。
そしてなにより、今回のナオミ・オオサカ、
そのあまりにも見事な変貌はまさにメンタリティ。
グランドスラムの王冠を前にして、微動だにしないその見事な風格。
そのなにをとっても、女王セリナを完膚なきまでに粉砕した、
まさにナオミ・オオサカの圧勝であった、と。
セリナの苦し紛れの混ぜ返しのぶち壊しにもまったく動ぜず、
審判のあまりにも無慈悲な判定に対しては、
武士の情けと、塩を送って寄越す、
そんなプロフェッショナルなマナーと、
そして鉄のメンタルを貫き通したこの二十歳の新たなるスーパースター。
この後も末永く不動の女王となることを運命づけられた、
その名に恥じない、見事なる圧勝であったと思います。
という訳で、ケイちゃん、錦織圭、
ブラック魔王ジョコビッチごときにフルボッコ食らって、
ため息ついている場合じゃねえぞい。
次の全豪、なんとしても、なんとしても、なんとしても、
グランドスラム・チャンピオン、狙ってくれ!
男女共にその表彰式に日の丸が翻る、
日本テニス百年以上に渡る執念の大成。
そんな夢のような快挙!期待してるぜい!
でさ、今更ながら二十歳と言えばまさに我らがすぅめたる。
我らがすぅめたる、ご存知なようにもう実力としては世界一確実なんだから、
コバさん、そして、大里さん、
早いところ、世界の頂点へのお膳立て、一日も早くご用意頂きたい。
それが、若き才能を担う大人たちの、責任でありますぞい!
と言う訳で、実は、ナオミ・オオサカの晴れ姿に涙しながら、
くっそお、すぅめたる、先を越されちゃったな、と思っていたのは、
実は俺だけではない筈だ。

悪い、久々に日本語で文章書いたら、思ったとおり無茶苦茶になった
実は最近になってまた、妙なドグマの底を這いずっていた。
ぶっちゃけた話、ここニューヨークにおけるプロフェッショナル・ミュージシャン、
あらゆるジャンルの、音楽という音楽、その酸いも甘いも噛み分けて来た、
筋金入りの糞ミュージシャンの藻屑たちとの間で、
世界最高のリズムセクションを誇るのは誰なのか、
なんて話から、そりゃやっぱり、エルヴィン・ジョーンズでしょ、から始まって、
ジョー・モレロからトニー・ウィリアムスからバディ・リッチからガッドから
ストーンズからレッド・ゼッペリンからロキシー・ミュージックから、
フランク・ザッパからパンテラからラッシュからACDCからストテンから初期のガンズから、
オールマン・ブラザーズからダブル・トラブルからTHE BANDからカルロス・サンタナから、、
そしてJAMES BROWN&JB’Sからパーラメンツからアース・ウィンド・アンド・ファイアーから、
果ては、セルメンからロス・バンバンからフェラ・クティから
とまあいろいろいろ、考えうる限りの名演という名演を並べ上げた末に、
やっぱり、音楽史上、最高最上のリズムセクション、
カールトン・バレットとアストン・ファミリーマン・バレットのバレット・ブラザーズ、
言うまでもない、ボブ・マーリィ・アンド・ザ・ウェイラーズの、
必殺のワン・ドロップ、これを置いて他にはない、と相成った・笑
という訳で、今更ながらここに来て、
俄にレゲエ・ブームの熱狂が再燃する我が家において、
YOUTUBEで発掘する山のようなボブ・マーリィ存命時の海賊版の数々。
このドラム、このベース、まさに、一糸乱れぬ、というよりは、
まさにこれ、語りかけるような、蠢くようなのたうつような、
トーキング、というよりは、有機的なまでのリズムの立ち方、踊り方、謳い方。
でさ、改めてこのレゲエのリズム、
その核となるのは、実にベースのライン、なんだよね。
で、その完璧なまでにダウナーでグルーヴィなベースのラインに、
ワン・ドロップで落とし込む、そのバスドラとリムショの溜めの凄まじさ、
と実はそこばかり気になっていたのだが、
いや、実はそれ、違う、と。
実はレゲエはダウナーの音楽に非ず。
このワン・ドロップの切れ味、そのビートを支えるのは、
実は、ハイハット。
このハイハットのレガートを、跳ね上げるだけ跳ね上げて、
そのアッパーの突き上げがあって初めて、
あの、ズドンというばかりのバスドラのワンドロップが効いてくる。
で、改めて、このカールトン・バレットのドラム、
ライブにおけるそのハイハットの切れ味、
その凄まじさと言ったらまさにカミソリのようで、
ああ、そうか、つまりはそういうことか、と。
レゲエにおいて、実はちょっとした脇役となりがちのギター、
実はあのギターのカッティングが、このハイハットとの間で絶妙のシンクロを醸し出し、
そしてベースのうねり、その隙間を鍵盤の裏音がみっしりと埋めていく。
そう、このレゲエという、一種スカスカのリズム。
でありながら、すべての音を、全ての楽器が、まさに絡み合って支え合って埋め会って、
初めてあの凄まじいばかりのグルーヴが生まれてくるのだ、と。
で改めて、ジョン・ボーナムのリズムが実はバディ・リッチのジャズテクと86に支えられていた、
その秘技に気づいた時と同じように、
このウェイラーズのカールトン・バレットのプレイ、
その極意が実は、音には拾われていないスネアのシャドウ、
そしてなにより、その裏打ちのハイハットのレガートにあった、というこの事実。
そのキレッキレのドラムがあって初めて、
あの、波長の長いベースのリフが、
そしてなによりあのボーカル、あの伸び伸びとしたどこまでの広がる大海原のような歌声が、
最高最強の威力を発揮することにもなる得る、と。
という訳で、嘗てのジャズ浸りの日々から一転、
クーバのサルサに目覚めた途端、いままで聴いていたフリー・ジャズのリズムが、
なんとも、曖昧でちゃらんぽらんでスカスカに聴こえて来た、というあの魔術的な開眼と似て、
一度このウェイラーズの秘技に触れてしまったが最後、
スライ&ロビーの名声は愚か、ロックがブルースがそしてサルサが、
どうしても、どことなく、微妙にズレて聴こえてしまう、そんな宿命を背負い込むことにも相成った。
という訳で、そんな筋金入りのレゲエの達人たちを連中に、
おさん、目を覚ませ、この時代、世界一はなんと言ってもベビーメタル、
と力説に力説を繰り返して来たこの俺が、ふとすればすっかりミイラ取りのミイラ。
いまになって、ベビーメタルと1970年代のボブ・マーリィと比べて、
我らがベビーメタル、いったいどこまで対抗しうるか、と思った時、
正直なところ、ちょっと背筋に冷たいものが走った。
改めて、このいきなり嵌まり込んだこのバレット地獄のドグマの中から、
救いを求めるようにヒロシマから、SSAから、ウェンブリーから、
そして先の、ROCK AM RINGのテイクなんてのを聴いてみるのだが、
バレット・ブラザーズのその、あまりにも神業的なまでのプレーに耳の慣れてしまった身にあって、
果てさて、このベビーメタル、あるいは、メタルというジャンルそのものに、
果たしてどれほどまでの価値を見いだせるのか、
正直ちょっと、曖昧な気分になってきたりもする今日このごろなのである。
で、改めてベビーメタルという人々、
その思い入れのすべてを敢えて削ぎ落としては、
ニューヨーカー的なプロフェッショナル的な、
そんなニートでミーンな視点に立って改めての再評価を重ねれば重ねるほどに、
このベビーメタル、こやつらがその後、長く音楽史上にその名を刻み込むための、
その可能性がどこにあるのか、と言えば、
それはつまりは、ボブ・マーリィだ、ゼッペリンだ、ストーンズだ、ビートルズだ、
そんな歴史的な大御所と対抗し得る最終兵器といえるのは、
ぶっちゃけ、すぅめたる、中元すず香の歌唱力、
あるいはその、あまりにもずば抜けたその声質にしかないだろう、と確信を深める訳で。
で改めて見直す、このベビーメタルの映像、
その中にある、中元すず香こと、すぅめたるのそのあまりの美しさ、麗しさ、可愛らしさ。
いやそう、またいつも聴かれる、てめえ、この偏向ドルオタ野郎が、の罵声を覚悟の上で、
ベビーメタルの魅力、その最もたるものって、やっぱり、なんと言っても、
すぅめたる、その人格に秘めた、人類美の真髄、あるいは、可憐さ、麗しさ、そのカワイイの極意、
そのすべてが滲み出ては透けて見えるような、その声質にしかない筈なんだよ、つまるところ。
で、そう思えば思うほど、現在のベビーメタルの運営方針。
ぶっちゃけ、あまりにもあまりにも、もったいぶり杉、ってか、ぶっちゃけ、露出度少なすぎ。
いや、なにも、あのAKBやらなにやらのように田2の奴隷、
秒刻みでテレビ局を回ってCMでヘビロテの奴隷使役ってのでもないんだけど、
そのベビーメタルの魅力の資質の可能性の、
そのすべてを駆使した上での、ファッションのバリエーションから、
そしてなにより、中元すず香の歌声を駆使しての、音楽的な多様性を含めた実験的開放。
俺、実は、ヒロシマのライブを聴きながらも、
やっぱりあの、ディストーション、あれはあれでやはり、名曲の中の名曲と疑わない訳で、
ダークサイド的なスピンオフとは判っていながら、
あの、ディストーションで展開した、ダンスアレンジのメタル、ってよりはその逆、
つまりは、メタルアレンジのダンス曲って方向性、絶対の絶対に行ける!と確信してるんだよね。
つまりは、HEAVY DUTYなリフを全開にしたゴリゴリなまでのリフレイン、
ぶっちゃけたところの鬼才・TAKESHI UEDA の路線、なんだけどさ。
ベビーメタルの謳ったメタルとアイドルの融合が、
実は、スラッシュメタルとキレキレ・ダンスの融合であったように、
ダンスフロアにおいてメタルのケイオスを創出する次世代サウンド、
その天空に高らかに響き渡る天使の歌声、まさにこの路線こそが、
21世紀のアンダーグラウン・ミュージック、その究極ではあるまいか、と。
ただね、そう、そういう決めつけ方が実は、中元すず香という世紀の逸材を前にしては、
実に実に勿体無い気もする訳で。
この独善的路線における封印モードを一挙に解禁にしては、
失敗を恐れず、あるいは、失敗を前提として、
もっともっと、不完全ながらも、斬新なアイデアに溢れた実験作品を、
次から次へと乱発してはそのRAWなソースごとリスナー側に投げ与え、
その中から、自然発生的な進化の過程に委ねていく、
そういうやり方も、ありなんじゃねえのかな、と。
改めて、この大切な時期、
待ちに待った、ブラック・ベビーメタルのご卒業の後、
本来であれば今頃は、世界中をツアーツアーで飛び回っている、
そのイケイケ絶好調であるべきその時に、このあまりにも長きに渡る沈黙。
心身共に脂の乗り切っている筈の中元すず香という逸材を、
ひと夏丸々に渡って封印せしめるというのは、
正直言って、中元すず香という世紀の逸材の、飼い殺しにも等しく、
ぶっちゃけそれって、宝の持ち腐れ以外の何者でもない。
そんなメイトたちの焦燥をあざ笑うかのようなコバメタルの独善に、
ちょっと本気で苛立ちが募っている、というのが正直なところ。
幸か不幸か、世界中にこれだけ熱狂的なシンパを勝ち得ているベビーメタルである。
そのオタクな完璧主義の中で、ひとりですべてを丸抱えにしては、
この大切な時期を丸潰しにしてしまう愚を避ける意味でも、
そろそろ本格的な意味での、グローバルな視点に立った世界展開、
検討していただいても良くないか、と思っている次第。
オオサカ・ナオミじゃないが、世界のすべてからちゃっかりしっかり良いところどり、
それこそがこの21世紀の正しいあり方なのでありなむ、と思っているのであるが、
いかがであろうか。
いや、悪い、久々に日本語で文章書いたら、思ったとおりむちゃくちゃになった・笑
すまそ、である。
ぶっちゃけた話、ここニューヨークにおけるプロフェッショナル・ミュージシャン、
あらゆるジャンルの、音楽という音楽、その酸いも甘いも噛み分けて来た、
筋金入りの糞ミュージシャンの藻屑たちとの間で、
世界最高のリズムセクションを誇るのは誰なのか、
なんて話から、そりゃやっぱり、エルヴィン・ジョーンズでしょ、から始まって、
ジョー・モレロからトニー・ウィリアムスからバディ・リッチからガッドから
ストーンズからレッド・ゼッペリンからロキシー・ミュージックから、
フランク・ザッパからパンテラからラッシュからACDCからストテンから初期のガンズから、
オールマン・ブラザーズからダブル・トラブルからTHE BANDからカルロス・サンタナから、、
そしてJAMES BROWN&JB’Sからパーラメンツからアース・ウィンド・アンド・ファイアーから、
果ては、セルメンからロス・バンバンからフェラ・クティから
とまあいろいろいろ、考えうる限りの名演という名演を並べ上げた末に、
やっぱり、音楽史上、最高最上のリズムセクション、
カールトン・バレットとアストン・ファミリーマン・バレットのバレット・ブラザーズ、
言うまでもない、ボブ・マーリィ・アンド・ザ・ウェイラーズの、
必殺のワン・ドロップ、これを置いて他にはない、と相成った・笑
という訳で、今更ながらここに来て、
俄にレゲエ・ブームの熱狂が再燃する我が家において、
YOUTUBEで発掘する山のようなボブ・マーリィ存命時の海賊版の数々。
このドラム、このベース、まさに、一糸乱れぬ、というよりは、
まさにこれ、語りかけるような、蠢くようなのたうつような、
トーキング、というよりは、有機的なまでのリズムの立ち方、踊り方、謳い方。
でさ、改めてこのレゲエのリズム、
その核となるのは、実にベースのライン、なんだよね。
で、その完璧なまでにダウナーでグルーヴィなベースのラインに、
ワン・ドロップで落とし込む、そのバスドラとリムショの溜めの凄まじさ、
と実はそこばかり気になっていたのだが、
いや、実はそれ、違う、と。
実はレゲエはダウナーの音楽に非ず。
このワン・ドロップの切れ味、そのビートを支えるのは、
実は、ハイハット。
このハイハットのレガートを、跳ね上げるだけ跳ね上げて、
そのアッパーの突き上げがあって初めて、
あの、ズドンというばかりのバスドラのワンドロップが効いてくる。
で、改めて、このカールトン・バレットのドラム、
ライブにおけるそのハイハットの切れ味、
その凄まじさと言ったらまさにカミソリのようで、
ああ、そうか、つまりはそういうことか、と。
レゲエにおいて、実はちょっとした脇役となりがちのギター、
実はあのギターのカッティングが、このハイハットとの間で絶妙のシンクロを醸し出し、
そしてベースのうねり、その隙間を鍵盤の裏音がみっしりと埋めていく。
そう、このレゲエという、一種スカスカのリズム。
でありながら、すべての音を、全ての楽器が、まさに絡み合って支え合って埋め会って、
初めてあの凄まじいばかりのグルーヴが生まれてくるのだ、と。
で改めて、ジョン・ボーナムのリズムが実はバディ・リッチのジャズテクと86に支えられていた、
その秘技に気づいた時と同じように、
このウェイラーズのカールトン・バレットのプレイ、
その極意が実は、音には拾われていないスネアのシャドウ、
そしてなにより、その裏打ちのハイハットのレガートにあった、というこの事実。
そのキレッキレのドラムがあって初めて、
あの、波長の長いベースのリフが、
そしてなによりあのボーカル、あの伸び伸びとしたどこまでの広がる大海原のような歌声が、
最高最強の威力を発揮することにもなる得る、と。
という訳で、嘗てのジャズ浸りの日々から一転、
クーバのサルサに目覚めた途端、いままで聴いていたフリー・ジャズのリズムが、
なんとも、曖昧でちゃらんぽらんでスカスカに聴こえて来た、というあの魔術的な開眼と似て、
一度このウェイラーズの秘技に触れてしまったが最後、
スライ&ロビーの名声は愚か、ロックがブルースがそしてサルサが、
どうしても、どことなく、微妙にズレて聴こえてしまう、そんな宿命を背負い込むことにも相成った。
という訳で、そんな筋金入りのレゲエの達人たちを連中に、
おさん、目を覚ませ、この時代、世界一はなんと言ってもベビーメタル、
と力説に力説を繰り返して来たこの俺が、ふとすればすっかりミイラ取りのミイラ。
いまになって、ベビーメタルと1970年代のボブ・マーリィと比べて、
我らがベビーメタル、いったいどこまで対抗しうるか、と思った時、
正直なところ、ちょっと背筋に冷たいものが走った。
改めて、このいきなり嵌まり込んだこのバレット地獄のドグマの中から、
救いを求めるようにヒロシマから、SSAから、ウェンブリーから、
そして先の、ROCK AM RINGのテイクなんてのを聴いてみるのだが、
バレット・ブラザーズのその、あまりにも神業的なまでのプレーに耳の慣れてしまった身にあって、
果てさて、このベビーメタル、あるいは、メタルというジャンルそのものに、
果たしてどれほどまでの価値を見いだせるのか、
正直ちょっと、曖昧な気分になってきたりもする今日このごろなのである。
で、改めてベビーメタルという人々、
その思い入れのすべてを敢えて削ぎ落としては、
ニューヨーカー的なプロフェッショナル的な、
そんなニートでミーンな視点に立って改めての再評価を重ねれば重ねるほどに、
このベビーメタル、こやつらがその後、長く音楽史上にその名を刻み込むための、
その可能性がどこにあるのか、と言えば、
それはつまりは、ボブ・マーリィだ、ゼッペリンだ、ストーンズだ、ビートルズだ、
そんな歴史的な大御所と対抗し得る最終兵器といえるのは、
ぶっちゃけ、すぅめたる、中元すず香の歌唱力、
あるいはその、あまりにもずば抜けたその声質にしかないだろう、と確信を深める訳で。
で改めて見直す、このベビーメタルの映像、
その中にある、中元すず香こと、すぅめたるのそのあまりの美しさ、麗しさ、可愛らしさ。
いやそう、またいつも聴かれる、てめえ、この偏向ドルオタ野郎が、の罵声を覚悟の上で、
ベビーメタルの魅力、その最もたるものって、やっぱり、なんと言っても、
すぅめたる、その人格に秘めた、人類美の真髄、あるいは、可憐さ、麗しさ、そのカワイイの極意、
そのすべてが滲み出ては透けて見えるような、その声質にしかない筈なんだよ、つまるところ。
で、そう思えば思うほど、現在のベビーメタルの運営方針。
ぶっちゃけ、あまりにもあまりにも、もったいぶり杉、ってか、ぶっちゃけ、露出度少なすぎ。
いや、なにも、あのAKBやらなにやらのように田2の奴隷、
秒刻みでテレビ局を回ってCMでヘビロテの奴隷使役ってのでもないんだけど、
そのベビーメタルの魅力の資質の可能性の、
そのすべてを駆使した上での、ファッションのバリエーションから、
そしてなにより、中元すず香の歌声を駆使しての、音楽的な多様性を含めた実験的開放。
俺、実は、ヒロシマのライブを聴きながらも、
やっぱりあの、ディストーション、あれはあれでやはり、名曲の中の名曲と疑わない訳で、
ダークサイド的なスピンオフとは判っていながら、
あの、ディストーションで展開した、ダンスアレンジのメタル、ってよりはその逆、
つまりは、メタルアレンジのダンス曲って方向性、絶対の絶対に行ける!と確信してるんだよね。
つまりは、HEAVY DUTYなリフを全開にしたゴリゴリなまでのリフレイン、
ぶっちゃけたところの鬼才・TAKESHI UEDA の路線、なんだけどさ。
ベビーメタルの謳ったメタルとアイドルの融合が、
実は、スラッシュメタルとキレキレ・ダンスの融合であったように、
ダンスフロアにおいてメタルのケイオスを創出する次世代サウンド、
その天空に高らかに響き渡る天使の歌声、まさにこの路線こそが、
21世紀のアンダーグラウン・ミュージック、その究極ではあるまいか、と。
ただね、そう、そういう決めつけ方が実は、中元すず香という世紀の逸材を前にしては、
実に実に勿体無い気もする訳で。
この独善的路線における封印モードを一挙に解禁にしては、
失敗を恐れず、あるいは、失敗を前提として、
もっともっと、不完全ながらも、斬新なアイデアに溢れた実験作品を、
次から次へと乱発してはそのRAWなソースごとリスナー側に投げ与え、
その中から、自然発生的な進化の過程に委ねていく、
そういうやり方も、ありなんじゃねえのかな、と。
改めて、この大切な時期、
待ちに待った、ブラック・ベビーメタルのご卒業の後、
本来であれば今頃は、世界中をツアーツアーで飛び回っている、
そのイケイケ絶好調であるべきその時に、このあまりにも長きに渡る沈黙。
心身共に脂の乗り切っている筈の中元すず香という逸材を、
ひと夏丸々に渡って封印せしめるというのは、
正直言って、中元すず香という世紀の逸材の、飼い殺しにも等しく、
ぶっちゃけそれって、宝の持ち腐れ以外の何者でもない。
そんなメイトたちの焦燥をあざ笑うかのようなコバメタルの独善に、
ちょっと本気で苛立ちが募っている、というのが正直なところ。
幸か不幸か、世界中にこれだけ熱狂的なシンパを勝ち得ているベビーメタルである。
そのオタクな完璧主義の中で、ひとりですべてを丸抱えにしては、
この大切な時期を丸潰しにしてしまう愚を避ける意味でも、
そろそろ本格的な意味での、グローバルな視点に立った世界展開、
検討していただいても良くないか、と思っている次第。
オオサカ・ナオミじゃないが、世界のすべてからちゃっかりしっかり良いところどり、
それこそがこの21世紀の正しいあり方なのでありなむ、と思っているのであるが、
いかがであろうか。
いや、悪い、久々に日本語で文章書いたら、思ったとおりむちゃくちゃになった・笑
すまそ、である。

あの日から17年目のチキンパイタン
あの日から17年目のメモリアルの日、
ニューヨークシティは霧に包まれている。
そう言えばあの時も、火曜日だったよな。
なにかこう、ぐるっと一回り、してしまった気分だ。
いまとなっては俺の周りに、あの日のことを知る人は極僅か。
それはすでに歴史上の出来事としてすっかりと封印されてしまった感があるのだが、
ただあの日をこの米国で過ごした者は、
あの一日のことだけはいまでも脳裏にしっかりと刻まれたまま色褪せることはない。
そしてあの日からいったい、なにが、どう、変わっていったのか。
それが現代のこの社会に、どう繋がっていくのか、
その漠然として複雑に絡み合った糸を解きながら、
改めてあの日の、あまりにも強烈な影響力を思い知るばかり。
そしてなにより、あれがどうして起こったのか。
そしてなぜ、それを防げなかったのか、
誰が損をし、そして誰が漁夫の利を得たのか、
それを改めて思い耽りながら、
だがしかし、
そんなことを露も知らない幼気な若者たちは、
自らの現実が、実はそんな歴史の仕掛けた罠の中にしっかり絡め取られたまま、
再び同じ轍を辿り続けるという事実を、知る好もない。
そしてあの日から17年目のメモリアルの日、
ニューヨークシティは霧に包まれている。
この不穏な霧に包まれたまま、人々は往く宛を見失い、
そして道を見失った人間は、その本能の赴くままに、
同じところをぐるぐると周り始めることになるのだろうか。
老兵は死なず、ただ消え去るのみ、であってはいけない。
老兵は、その生命の尽きるまで、語り続けなくてはいけない。
あの大いなる過ち、その真実を。
とそんなことを思っていたその時、
ふと見れば、手元のIPHONEにメッセージがひとつ。
元気か、おい、昼にラーメンを食わねえか?
あの日をともに生き抜いたニューヨークの古参たち。
なあ、折角生き残ったと言うのに、
性懲りもなくこんなクズのような人生を、
ただただ浪費するばかりの俺たち。
ただ、そう、このラーメン。
これ、これ、これ、これが食べれて、本当に良かったよな。
そうそう、こんな美味いラーメン、あの頃には無かったものな。
生きる喜びって、結局その程度のものであるべきなのかもしれねえな。
味わおう、このラーメン。
911の日のその日に。
死んでいったものの思いも込めて、
味わい尽くそう、このラーメンの残り汁の一滴まで。
おい、メガネ曇ってるぞ。
そういうお前も、鼻水垂れてるぜ。
愚者共はそうやって人は生きていく。
逝ってしまったものの想いを背負って。
「2018・9・11 鳥人拉麵 にて」
ニューヨークシティは霧に包まれている。
そう言えばあの時も、火曜日だったよな。
なにかこう、ぐるっと一回り、してしまった気分だ。
いまとなっては俺の周りに、あの日のことを知る人は極僅か。
それはすでに歴史上の出来事としてすっかりと封印されてしまった感があるのだが、
ただあの日をこの米国で過ごした者は、
あの一日のことだけはいまでも脳裏にしっかりと刻まれたまま色褪せることはない。
そしてあの日からいったい、なにが、どう、変わっていったのか。
それが現代のこの社会に、どう繋がっていくのか、
その漠然として複雑に絡み合った糸を解きながら、
改めてあの日の、あまりにも強烈な影響力を思い知るばかり。
そしてなにより、あれがどうして起こったのか。
そしてなぜ、それを防げなかったのか、
誰が損をし、そして誰が漁夫の利を得たのか、
それを改めて思い耽りながら、
だがしかし、
そんなことを露も知らない幼気な若者たちは、
自らの現実が、実はそんな歴史の仕掛けた罠の中にしっかり絡め取られたまま、
再び同じ轍を辿り続けるという事実を、知る好もない。
そしてあの日から17年目のメモリアルの日、
ニューヨークシティは霧に包まれている。
この不穏な霧に包まれたまま、人々は往く宛を見失い、
そして道を見失った人間は、その本能の赴くままに、
同じところをぐるぐると周り始めることになるのだろうか。
老兵は死なず、ただ消え去るのみ、であってはいけない。
老兵は、その生命の尽きるまで、語り続けなくてはいけない。
あの大いなる過ち、その真実を。
とそんなことを思っていたその時、
ふと見れば、手元のIPHONEにメッセージがひとつ。
元気か、おい、昼にラーメンを食わねえか?
あの日をともに生き抜いたニューヨークの古参たち。
なあ、折角生き残ったと言うのに、
性懲りもなくこんなクズのような人生を、
ただただ浪費するばかりの俺たち。
ただ、そう、このラーメン。
これ、これ、これ、これが食べれて、本当に良かったよな。
そうそう、こんな美味いラーメン、あの頃には無かったものな。
生きる喜びって、結局その程度のものであるべきなのかもしれねえな。
味わおう、このラーメン。
911の日のその日に。
死んでいったものの思いも込めて、
味わい尽くそう、このラーメンの残り汁の一滴まで。
おい、メガネ曇ってるぞ。
そういうお前も、鼻水垂れてるぜ。
愚者共はそうやって人は生きていく。
逝ってしまったものの想いを背負って。
「2018・9・11 鳥人拉麵 にて」
いまだに全米で沸騰中のナオミvsセリーナの一件についての付け足し
え?俺が、セリーナを冒涜してる?
あ、あ、あの、いや、そういう意味で言ったんじゃなくて、
なんて言い訳をするのもしゃらくせえ。
だったらそーゆーあんたがどれだけテニス知ってるのか、と。
言わせてもらえば俺なんかなあ、
セリーナがデビューした時から、
ずっとずっとUSOPEN、生で見てんだぜ、
とか、言ってしまうとまた面倒になるので、
ってか、ははは俺だってそれほどテニスのこと良く知ってるわけではない、
ってか、もっともっと凄い人、テニス以外になにもない人生送っているツワモノたち、
いくらでもいるのも知ってる訳でさ。
なので、俺ごときがうだうだと薀蓄ならべるぐらいなら、
そうだね、手っ取り早く証拠映像。
今回のあの、俺のちょっとした自虐的暴言
(なにより俺はセリーナのデビュー以来の大ファンなのである:)
その根拠になったのが、忘れもしない、
ってもう誰も覚えてないからこういうことになっているのであろうが、
そう、ここに、証拠映像がある。
はい、どうぞ。
2009年のUSOPENのセミ・ファイナル。
キム・クライシュテルスとの一戦。
スロー・スターター、というよりは、スタミナ温存のためか、
あるいはただの慢心か、
試合前にあまり熱心にウォーミングアップをなさらないという話の、
我らがセリーナ・ウィリアムス嬢
試合開始直後からねじ込まれて振り回されて、
挙げ句にラケット叩き折ってと、ストレスアウトしきり。
で、はい、2セット目もすでに首の皮一枚、
6-5まで追いすがったものの、
この勝負どころでいきなり、フット・フォルト!=サーブの時に線を踏んだ、
とラインマンの方。(ちなみにこの方、日本の方らしい)
この時、セリーナ嬢、思わずブチ切れて、
前回の駄文にちょっと混ぜ込ませた(そう判るひとは判る、のその暗号だったんだが)
あのテニス史上に残る大名言をお吐きになられた、
あんた、どこに目をつけて・・・次にフットフォルトなんて言いやがったら、
この糞ボールをあんたの喉に押し込んでやるからそう思いなよ!
ちなみにこちらがその原文。
"I swear to God I'll fucking take the ball and shove it down your fucking throat."
これによって、セリーナ嬢、減点分を加算されていきなりのあっさり試合終了と相成った訳で、
ついでに罰金100万円と、そして、あろうことか、全米テニス連盟から除名、
なんていう話も持ち出されて。。
ちなみに、ワタクシ、この試合を、会場の目の真ん前で見ておりまして、
当然のことながらセリーナを応援していた俺的には、
この無慈悲過ぎる判定に憤懣やるかたなく・・
思わず罵声の限りを浴びせていた覚えがあったり無かったり・・
で、あれ、もしかして、と思ったら、
なんとなんと、その時の観戦記が、こちらの古き駄文に克明に記されていた・・・おいおい・笑
→ 雨のUSOPENで「1Q84」を読み耽っていた
という訳で、どっすか?この2008年と、今回、
まったくもって、すげえ、そっくりな展開だった、と思いませぬか?
ってか、知ってる奴らはみんなそう思ってるんだけどさ・笑
とそんなことから、
はい、今回の決勝、セリーナがまたうだうだやりはじめたところから、
まーたーかーよー、と。
もうセリーナ・ファンとしては、
こういうの、正直、うんざり、というか、
おい、セリーナ、もう、恥ずかしいからいい加減にしてくれ!と。
もう、あんな思いはたくさんだ、と。
ちったあ、あんたを応援してきたファンたち、
そしてなにより、あんたに憧れ、目標にし、
あるいは、生きる糧としている少年少女たち、
特に、アメリカの黒人の子どもたちのことも、
考えてやってくれよ、と。
そういうあんた、ちょっと子供にみせらんねえ、ってのが、
古くからの筋金入りの事情通たちに共通する思いであった筈。
つまりは、うーん、なんというか、身内の恥をさらすようでなんなのだが、
つまりは、セリーナって、実にこういう人・・
ってか、セリーナに限らず、実はテニサーって、こういう人が実に実に多い。
あるいはテニスというスポーツがそういう人格を作り上げるのか、と。
で、改めて、他ならぬナオミ・オオサカご自身も、
長年に渡って筋金入りのセリーナ・ファンであった訳で、
おまけに、ナオミのコーチは、そんなセリーナの長年の練習相手だった、
なんていう事実もある訳で、
ってことは、つまりは、そう、
劣勢に立たされたセリーナが、往々にしてこういう状態になることは、
実は当のナオミ陣営が実は一番良く知っていた、
というのが、本当の本当の真相、と思っている・笑
でさ、これまで何度も書いているが、
テニスは、メンタルのスポーツ。
であると同時に、戦略のスポーツでもあって、
そして、なにより、戦略的なメンタル攻勢、というのも、
特にああいう大一番では、実に実に効力を発揮する訳で、
で、通常であれば、ファイナル初挑戦のルーキーが、
眼の前で、あれだけの大騒ぎをやられれば、
途端にリズムを崩してはすくみ上がり、
たちまちのぼせ上がって一挙にメルトダウン、となって当然のこと、だった。
で、セリーナのあの度々に渡る混ぜ返し、つまりは、揺さぶり作戦、
ああ、ヤバイ、これを真に受けたら、ナオミのメンタルは一挙に倒壊、
ああ、ここまで来ながら、きっときっとメルトダウンさせられてしまう・・・
と思っていたら、そう、ナオミさん、あの冷静沈着な対応ぶり。
で、それを、ナオミのメンタルが凄い!と絶賛する、ってのが
まあ、定番になっているのだが、
ははは、そう、ことの真相は、上に述べた通り。
そう、ナオミも、そして、コーチも、それが起きることを、十分に予想していた。
このどさくさに紛れの揺さぶり作戦こそが、
我らがセリーナの常套手段、それを長年のファンが知らない訳がない。
あるいは・・・
それこそがナオミ陣営の作戦、
セリーナをストレスアウトのドグマの底に誘い込んでは自滅に導く、
そんな作戦ってもあったんじゃねえの?と思っている。
実は、ナオミが今回のUSOPENで変貌を遂げた、
その、メンタル力、ってやつなんだけど、
俺は、実はそれ、戦略力、
それも、メンタル的な戦略を練りに練った結果だったんじゃね?と思ってる。
ご存知の通り、ナオミ・オオサカ、実はとてつもないIQの持ち主。
で、あの、いかにもトロそうな話し方ってのも、
実は能ある鷹は爪隠す、のそのままの世を忍ぶ仮の姿。
そんな高IQぶりを他に悟られては、
バカどもから妙な嫉妬を買っては足を引っ張られないがための処世術。
はい、そうなんですよ。頭の良い人に限って、バカの振り、
あるいは、なるべく目立たぬようにお暮らしになられている、
というのは、日本も米国も同じこと、であったりもする訳で。
ただ、今日のトークショウ出演でもそうだったけどさ、
ナオミ、あったまいいぜえ。
つまりは、司会者からの意地の悪い質問、
つまりは、炎上狙って、失言を誘い出すようなブービートラップ、
その罠をあの舌足らずな話し方で、実に巧みにかわしまくる、
で、思わず、このこ、あったま良いなあ、と、
実は全米の知恵者はそれに気づいている筈。
ただ、全米のメディアが、こぞってセリーナ擁護に回っている理由は、
いまや、全米を吹き荒れるMETOO旋風。
まさに、ヒステリックな大炎上に、全米中が戦々恐々としているご時世、
で、そんな時流に目ざとく便乗したセリーナ、
あんな暴言、男が言ったって別に罪には問われないじゃないの、と、
妙なところから、またまた、人権だ、女性差別だ、なんてことを持ち出す訳なのだが、
やれやれ、このひと、相変わらず、というかなんというか。
正直ちょっと、このあまりにもセリーナらしいセリーナ劇場、
満巻の想いをこめて、もう、良い、もう終わりにして、と心底思ったのは俺だけではない筈。
というわけで、
はい、ここまでの駄文をお読みいただいた方、
あの会場において、セリーナかわいそー、とばかりに、
表彰式で良い気になってブーイングをしていた方々が、
あるいは、先の俺の糞駄文に、あんたなんにも知らないね、
と腐った蓄膿鼻をブイブイ言わせたつもりのあなたが、
実は、これまでのセリーナの軌跡など、
なにも知らない、幼気なテニス音痴、であったのか、
十二分にご理解いただけるとおもいますが、いかがでしょうか、と。
でさ、そんな長年のセリーナ・ファンである俺の友人が、ボソリと、鋭いことを言っていた。
セリーナってさ、ホーム・スクールで育ったひと。つまりは、学校に行ってないんだよね、と。
つまり、頭の良し悪し なんてのとは関係なく
(ちなみにセリーナはフランス語ペラペラ)
学校において学ばされる社会規約、
例えば教師に逆らうと、
そのことの良し悪しは別にしても、
すぐに親の呼び出しを食らっては、
とてつもなく不愉快な目に合わされる、
そんな不条理な経験を、彼女はしていないのでは、と。
つまりはこれ、世の中には幸か不幸か法律と言うもの、
あるいはそもそも社会の決まりがあって、
その番人となるひとが、
例えどれほど理不尽なことを言ってきたとしても、
そういう輩とことを構えると、
とてもとても、不愉快な思いをさせられる、
そういう経験則を、彼女は学ぶ機会が無かったんじゃないのか、と。
それこそが彼女が、女タイソン、と呼ばれるその所以であって、
タイソンとセリーナその共通点はと言えば、
強ければ良い
勝てばすべてに凌駕できる、
その徹底した勝負師の理論。
幼き頃からスポーツのサイボーグとして育てられたがために、競技以外のことを、まったく知らない。あまりにも知らなすぎる。つまりまわりの大人の誰からもまったくなにも競技以外のことを学ばせてもらう機会がなかった、と。
この闘犬にも似た徹底的なファイター気質。
それこそが社会との大きな軋轢の元凶になり得る、と。
ただ、そんな筋金入りのファイターであったセリーナを心の底から愛してやまなかった一ファンとして、
最後にちょっと、付け加えなくてはいけないのが、
これまで、ラケット・アビューズ、あるいは、審判への暴言が原因で「警告」を受けたのはたびたび見ては来たが、
それがいきなり、得点に反映される、
ましてや、ゲームペナルティなんてもので1ゲームを丸取りされてしまうなんていう大技、
正直、目からウロコ、というか、
ええええ?まじ?とは思った。
そう、つまりはピープルズ VS セリーナ・ウィリアムズ
この徹底した勝者の理論で暴走するバケモノ的ファイターの軌跡は、それと相対する社会規約、つまりはアンパイア、或いはテニス協会との終わり無き戦い、その歴史。
先の2008年の大会を例にあげるまでもなく、
セリーナはこの理不尽且つ不条理な仕打ちと、事あるごとに、或いは試合のたびに闘い続けて来た。
つまりはセリーナは、世の不条理との闘い、その象徴的な人であった訳で。
と言う訳で半ばお決まり的に飛び出した、この悪役レフリー、ならぬチェアーアンパイアのあまりにも独善的な判定。
あのなあ、この糞審判、いい加減にしろ、と。
しかもファイナルのこういうシーンで、
ここまでしてその審判的特権をぶん回しやがって。
その予定調和的なまでの泥仕合であったのだが、
ただ、正直、そんなちょこざいなことで、
この世紀の一戦に水を刺して貰いたくはなかったな、と。
そう、何度も言うように、今回の対戦、
実力的に言っても、ナオミの圧勝。
例え、セリーナがどれだけゴネようが、
あるいは、彼女が絶好調のコンディションであったとしても、
その結果は変わらなかったのではないか、と。
実は、ナオミは、前回の対決であったマイアミの大会においても、
セリーナに大勝しているし、
なにより今大会のセミファイナルにおいて、
現在の全米テニス界において次期女王間違いなしと太鼓判を押されるマディソン・キーズ
(ちなみにこの方、昨年の大会のファイナリスト)を相手に、
圧倒的なワンサイドゲームで勝利した、ってのも周知の事実。
その際、マディソン・キーズの口から思わず、
ナオミこそはセリーナの後継者に相応しい、ってな発言もこぼれ出たりして、
そう、つまり、判る人にはずっと判っていた、このナオミ・オオサカの実力。
そう言えば、ビーナス・ウィリアムスは、もう4年も前から、
ナオミは子供の頃のセリーナそっくりだ。
ナオミこそはセリーナに変わる次期の女王になる、
と太鼓判を押されていた。
で、セリーナもそのことを、知らない筈が無かった、と。
ただね、はい、最後の最後に心情吐露。
セリーナは、そこまでしながら、実は心の底ではナオミを舐めていたんじゃないのかな、と。
なによあんな小娘、
あの見るからに気の小さそうな様。
決勝戦の重圧の中で、ちょっと脅しをぶっこめば、
途端にメルトダウンして総崩れ間違いなし。
みてらっしゃい、
その優等生風情を、世界中に向けてこれ以上ない大恥かかせてやるから。
そんな百戦錬磨の勝負師に立ち向かう紅顔の美少女。
負けるもんか、負けるもんか、負けるもんか!
あのナオミの表情の中に、
いまにも押し潰されそうになる重圧に、
必死で闘い続ける意志力。
その視線の先にある、お母さんとコーチと、
そしていままで自分を支えてくれた人びと。
負けない、わたしは負けない、
この人たちの為にも、わたしは負けられない!
そのあまりにも危うい綱渡り。
これこそがテニスの魅力、その神髄であった、と。
そう、テニスはまさにメンタルのスポーツ。
あの試合の裏側には、実に実にそんなドラマが展開されていたのです、と。
と言う訳で、
闘いの終わった夢の後、
あの、表彰式で、
USTAのCEOである、カトリーナ・アダムスが、ポロリと言ってしまったその本心。
(ナオミの勝利たことは) 私達の望んだ結果ではなかったけど・・
ええええ? なにそれ、と。
そう、これこそが、現代女子テニス界低迷のその真相。
この運営部の慢心こそが、テニスそのものを堕落させてきたその原因。
セリーナは、全米テニス協会から、
そして今大会の一大スポンサーたるチェイス銀行から、
勝って当然、とされるお膳立ての中で、
そんな私が、こんな二十歳の小娘に負けるものですか、と、
思い切り慢心してはろくな戦略も立てずに試合に望んでは、
いきなり目の前に120マイルを超すとてつもないサーブを決められて、
度肝を抜かれては、焦りに焦りまくった末に、
あれよあれよと、ナオミ(とそしてコーチ)の戦略に嵌っては、
マジギレして自己倒壊の底へと引きずり込まれた、と。
その結果が、あの、審判への暴言、と、
そうまでしてでも、わたしが主役なの! と言い張り続ける
このエホバの神もぶっ飛ぶワガママぶり。
つまりはそう、そういうことなんじゃねえの?と思っている。
(訂正: カトリーヌアダムスの発言は、
テニス協会がセリーナの勝利を望んでいた、という事ではないですね。
その言葉の前に、セリーナ、と呼びかけている以上、この発言はセリーナに対して、
この結果は、あなたにとっては望んだ結果ではなかったけれど、と言う意味ですね。お詫びします)
で、そう、だったら、と。
だったら、セリーナ、
次の試合で、実力で、ナオミに勝ってみろよ、と。
そう思いながら、改めて今大会のナオミのプレーをざっとおさらいした結果、
勝てないね、ははは、と。
はい、これが真実。
この試合こそが、女王が入れ替わった、その瞬間に間違いなし。
今大会でナオミ・オオサカが発揮したその底力。
120マイルを越える超高速サーブ(ちなみにこれ、錦織よりもずっと速い・笑)を、
好きな時に好きな所に叩き込める自信があった。
なので、わざわざ全てのサーブを思い切り打つ必要もなかった、と。
なので、ぶっちゃけ、負ける気が、しなかった、と。
で、なによりあの長い足とそのフットワークの素晴らしさ(減量の成果・笑)
で、なによりナオミの最大の武器は、その頭脳。
彼女、全てのポイントを克明に記憶しては、
得点パターンの使い所を駆使しては試合を組み上げていく、
ぐらいのことは平気でやってのける、つまりは天才肌。
同じ頭脳派プレーヤーとしては、
昨年のチャンピオン:スローン・スティーブンスもそのとおりで、
俺的には、ウィリアムス・シスターズの去った後、
女子テニス界を担うのは、ナオミと、スローンだと思ってるんだけど、
果てさて、どんな展開になることか、と。
でさ、実は俺、ナオミ・オオサカにご注文があって、
ダブルス、そして、クレイ、これに重点を置いて欲しいな、と。
あのサーブがあれば、多分、芝はもう手中に収めたようなもの。
なので、敢えて、サーブ一発勝負の芝よりはむしろ、
ある意味での戦略、そして、作り込みの必要とされるクレイ、
そしてなにより、ネットプレイ強化のためのダブルス、
この世界においても、チャンピオンを狙ってほしいな、と思ってる。
そう、ナオミ・オオサカこそはテニスの申し子。
テニスが、メンタルのスポーツであると同時に、頭脳のスポーツである、
それを世界に知らしめる先鋭になって欲しい、と。
嘗て、頭脳派の筆頭であったマルチナ・ヒンギスが、
筋力テニスのウィリアムズ・シスターズに敗れ去り、
そして、シャラポから先、バカのひとつ覚えのようなパワーヒッターたちが、
しかし次々にウィリアムズ・シスターズにその筋力において敗れ去り、
で、そう、ご存知のこの、セリーナ一人勝ちの時代が長く続いたのだが、
フィジカル、メンタル、そして、頭脳の三拍子、それにプラスして、美貌、も兼ね備えた・笑
このナオミ・オオサカ。
暗黒時代と言われて久しい女子テニス界を、この萌え萌えキャラがどこまで席捲するか、
乞うご期待、というところか、と。
という訳で賭けても良い、今回のこの茶番的なまでに醜悪であった表彰式、
これがいったい、この後、どのような意味を持ち得るのか。
俺としては、1997年のヴィーナスと、ヒンギスの決勝において、
ヒンギスの頭脳プレーにメンタルごけに誘い込まれたビーナスが敢え無く玉砕、
(その際、ステージパパのウィリアムズ父が、ビーナスが必要以上に萎縮してしまったのは、
USTAの人種差別対偶によるものだ、と抗議して失笑を買ったのだが)
その後、1999年において、ついに妹セリーナが姉の雪辱を果たしてヒンギスを粉砕。
その後の20年近くに渡って、このウィリアムズ姉妹の独壇場が続いたのではあるが、
で、今回のこの、ナオミ・オオサカ、
はい、あの、ビーナス、そしてセリーナの登場の衝撃に匹敵する、
テニス史上のエポック的な瞬間、と見ている。
ビーナス・ウィリアムズのサーブと、セリーナ・ウィリアムズのグランド・ストローク、
そしてマルチナ・ヒンギスの頭脳と、
それに加えて、恩師たる、クリス・エヴァートの鋼鉄のメンタルが加われば、
まさに、これぞ、テニスの完成形!
そう、ナオミ・オオサカはそのすべてを兼ね備える可能性を秘めた、
まさに、逸材の中の逸材なのである。
改めて今回のこの糞のような表彰式、
バカどもが、いまに見ておれ、と思っている。
この先、10年、あるいは、20年、ナオミ・オオサカ以外になにもない、ような、
とてつもない時代がやってくる、その幕開けに過ぎない。
ナオミ・オオサカ、強いては、日本のテニス界の一大黄金時代、
それはいままさに、始まったばかり、なのでありなむ、と。
という訳で、遂に登場した女子テニス界の救世主:ナオミ・オオサカ、
思い切り持ち上げるだけ持ち上げさせて頂いた訳なのだが、
くれぐれも、怪我にだけは気をつけて頂きたいものです。
おわりです。
あ、あ、あの、いや、そういう意味で言ったんじゃなくて、
なんて言い訳をするのもしゃらくせえ。
だったらそーゆーあんたがどれだけテニス知ってるのか、と。
言わせてもらえば俺なんかなあ、
セリーナがデビューした時から、
ずっとずっとUSOPEN、生で見てんだぜ、
とか、言ってしまうとまた面倒になるので、
ってか、ははは俺だってそれほどテニスのこと良く知ってるわけではない、
ってか、もっともっと凄い人、テニス以外になにもない人生送っているツワモノたち、
いくらでもいるのも知ってる訳でさ。
なので、俺ごときがうだうだと薀蓄ならべるぐらいなら、
そうだね、手っ取り早く証拠映像。
今回のあの、俺のちょっとした自虐的暴言
(なにより俺はセリーナのデビュー以来の大ファンなのである:)
その根拠になったのが、忘れもしない、
ってもう誰も覚えてないからこういうことになっているのであろうが、
そう、ここに、証拠映像がある。
はい、どうぞ。
2009年のUSOPENのセミ・ファイナル。
キム・クライシュテルスとの一戦。
スロー・スターター、というよりは、スタミナ温存のためか、
あるいはただの慢心か、
試合前にあまり熱心にウォーミングアップをなさらないという話の、
我らがセリーナ・ウィリアムス嬢
試合開始直後からねじ込まれて振り回されて、
挙げ句にラケット叩き折ってと、ストレスアウトしきり。
で、はい、2セット目もすでに首の皮一枚、
6-5まで追いすがったものの、
この勝負どころでいきなり、フット・フォルト!=サーブの時に線を踏んだ、
とラインマンの方。(ちなみにこの方、日本の方らしい)
この時、セリーナ嬢、思わずブチ切れて、
前回の駄文にちょっと混ぜ込ませた(そう判るひとは判る、のその暗号だったんだが)
あのテニス史上に残る大名言をお吐きになられた、
あんた、どこに目をつけて・・・次にフットフォルトなんて言いやがったら、
この糞ボールをあんたの喉に押し込んでやるからそう思いなよ!
ちなみにこちらがその原文。
"I swear to God I'll fucking take the ball and shove it down your fucking throat."
これによって、セリーナ嬢、減点分を加算されていきなりのあっさり試合終了と相成った訳で、
ついでに罰金100万円と、そして、あろうことか、全米テニス連盟から除名、
なんていう話も持ち出されて。。
ちなみに、ワタクシ、この試合を、会場の目の真ん前で見ておりまして、
当然のことながらセリーナを応援していた俺的には、
この無慈悲過ぎる判定に憤懣やるかたなく・・
思わず罵声の限りを浴びせていた覚えがあったり無かったり・・
で、あれ、もしかして、と思ったら、
なんとなんと、その時の観戦記が、こちらの古き駄文に克明に記されていた・・・おいおい・笑
→ 雨のUSOPENで「1Q84」を読み耽っていた
という訳で、どっすか?この2008年と、今回、
まったくもって、すげえ、そっくりな展開だった、と思いませぬか?
ってか、知ってる奴らはみんなそう思ってるんだけどさ・笑
とそんなことから、
はい、今回の決勝、セリーナがまたうだうだやりはじめたところから、
まーたーかーよー、と。
もうセリーナ・ファンとしては、
こういうの、正直、うんざり、というか、
おい、セリーナ、もう、恥ずかしいからいい加減にしてくれ!と。
もう、あんな思いはたくさんだ、と。
ちったあ、あんたを応援してきたファンたち、
そしてなにより、あんたに憧れ、目標にし、
あるいは、生きる糧としている少年少女たち、
特に、アメリカの黒人の子どもたちのことも、
考えてやってくれよ、と。
そういうあんた、ちょっと子供にみせらんねえ、ってのが、
古くからの筋金入りの事情通たちに共通する思いであった筈。
つまりは、うーん、なんというか、身内の恥をさらすようでなんなのだが、
つまりは、セリーナって、実にこういう人・・
ってか、セリーナに限らず、実はテニサーって、こういう人が実に実に多い。
あるいはテニスというスポーツがそういう人格を作り上げるのか、と。
で、改めて、他ならぬナオミ・オオサカご自身も、
長年に渡って筋金入りのセリーナ・ファンであった訳で、
おまけに、ナオミのコーチは、そんなセリーナの長年の練習相手だった、
なんていう事実もある訳で、
ってことは、つまりは、そう、
劣勢に立たされたセリーナが、往々にしてこういう状態になることは、
実は当のナオミ陣営が実は一番良く知っていた、
というのが、本当の本当の真相、と思っている・笑
でさ、これまで何度も書いているが、
テニスは、メンタルのスポーツ。
であると同時に、戦略のスポーツでもあって、
そして、なにより、戦略的なメンタル攻勢、というのも、
特にああいう大一番では、実に実に効力を発揮する訳で、
で、通常であれば、ファイナル初挑戦のルーキーが、
眼の前で、あれだけの大騒ぎをやられれば、
途端にリズムを崩してはすくみ上がり、
たちまちのぼせ上がって一挙にメルトダウン、となって当然のこと、だった。
で、セリーナのあの度々に渡る混ぜ返し、つまりは、揺さぶり作戦、
ああ、ヤバイ、これを真に受けたら、ナオミのメンタルは一挙に倒壊、
ああ、ここまで来ながら、きっときっとメルトダウンさせられてしまう・・・
と思っていたら、そう、ナオミさん、あの冷静沈着な対応ぶり。
で、それを、ナオミのメンタルが凄い!と絶賛する、ってのが
まあ、定番になっているのだが、
ははは、そう、ことの真相は、上に述べた通り。
そう、ナオミも、そして、コーチも、それが起きることを、十分に予想していた。
このどさくさに紛れの揺さぶり作戦こそが、
我らがセリーナの常套手段、それを長年のファンが知らない訳がない。
あるいは・・・
それこそがナオミ陣営の作戦、
セリーナをストレスアウトのドグマの底に誘い込んでは自滅に導く、
そんな作戦ってもあったんじゃねえの?と思っている。
実は、ナオミが今回のUSOPENで変貌を遂げた、
その、メンタル力、ってやつなんだけど、
俺は、実はそれ、戦略力、
それも、メンタル的な戦略を練りに練った結果だったんじゃね?と思ってる。
ご存知の通り、ナオミ・オオサカ、実はとてつもないIQの持ち主。
で、あの、いかにもトロそうな話し方ってのも、
実は能ある鷹は爪隠す、のそのままの世を忍ぶ仮の姿。
そんな高IQぶりを他に悟られては、
バカどもから妙な嫉妬を買っては足を引っ張られないがための処世術。
はい、そうなんですよ。頭の良い人に限って、バカの振り、
あるいは、なるべく目立たぬようにお暮らしになられている、
というのは、日本も米国も同じこと、であったりもする訳で。
ただ、今日のトークショウ出演でもそうだったけどさ、
ナオミ、あったまいいぜえ。
つまりは、司会者からの意地の悪い質問、
つまりは、炎上狙って、失言を誘い出すようなブービートラップ、
その罠をあの舌足らずな話し方で、実に巧みにかわしまくる、
で、思わず、このこ、あったま良いなあ、と、
実は全米の知恵者はそれに気づいている筈。
ただ、全米のメディアが、こぞってセリーナ擁護に回っている理由は、
いまや、全米を吹き荒れるMETOO旋風。
まさに、ヒステリックな大炎上に、全米中が戦々恐々としているご時世、
で、そんな時流に目ざとく便乗したセリーナ、
あんな暴言、男が言ったって別に罪には問われないじゃないの、と、
妙なところから、またまた、人権だ、女性差別だ、なんてことを持ち出す訳なのだが、
やれやれ、このひと、相変わらず、というかなんというか。
正直ちょっと、このあまりにもセリーナらしいセリーナ劇場、
満巻の想いをこめて、もう、良い、もう終わりにして、と心底思ったのは俺だけではない筈。
というわけで、
はい、ここまでの駄文をお読みいただいた方、
あの会場において、セリーナかわいそー、とばかりに、
表彰式で良い気になってブーイングをしていた方々が、
あるいは、先の俺の糞駄文に、あんたなんにも知らないね、
と腐った蓄膿鼻をブイブイ言わせたつもりのあなたが、
実は、これまでのセリーナの軌跡など、
なにも知らない、幼気なテニス音痴、であったのか、
十二分にご理解いただけるとおもいますが、いかがでしょうか、と。
でさ、そんな長年のセリーナ・ファンである俺の友人が、ボソリと、鋭いことを言っていた。
セリーナってさ、ホーム・スクールで育ったひと。つまりは、学校に行ってないんだよね、と。
つまり、頭の良し悪し なんてのとは関係なく
(ちなみにセリーナはフランス語ペラペラ)
学校において学ばされる社会規約、
例えば教師に逆らうと、
そのことの良し悪しは別にしても、
すぐに親の呼び出しを食らっては、
とてつもなく不愉快な目に合わされる、
そんな不条理な経験を、彼女はしていないのでは、と。
つまりはこれ、世の中には幸か不幸か法律と言うもの、
あるいはそもそも社会の決まりがあって、
その番人となるひとが、
例えどれほど理不尽なことを言ってきたとしても、
そういう輩とことを構えると、
とてもとても、不愉快な思いをさせられる、
そういう経験則を、彼女は学ぶ機会が無かったんじゃないのか、と。
それこそが彼女が、女タイソン、と呼ばれるその所以であって、
タイソンとセリーナその共通点はと言えば、
強ければ良い
勝てばすべてに凌駕できる、
その徹底した勝負師の理論。
幼き頃からスポーツのサイボーグとして育てられたがために、競技以外のことを、まったく知らない。あまりにも知らなすぎる。つまりまわりの大人の誰からもまったくなにも競技以外のことを学ばせてもらう機会がなかった、と。
この闘犬にも似た徹底的なファイター気質。
それこそが社会との大きな軋轢の元凶になり得る、と。
ただ、そんな筋金入りのファイターであったセリーナを心の底から愛してやまなかった一ファンとして、
最後にちょっと、付け加えなくてはいけないのが、
これまで、ラケット・アビューズ、あるいは、審判への暴言が原因で「警告」を受けたのはたびたび見ては来たが、
それがいきなり、得点に反映される、
ましてや、ゲームペナルティなんてもので1ゲームを丸取りされてしまうなんていう大技、
正直、目からウロコ、というか、
ええええ?まじ?とは思った。
そう、つまりはピープルズ VS セリーナ・ウィリアムズ
この徹底した勝者の理論で暴走するバケモノ的ファイターの軌跡は、それと相対する社会規約、つまりはアンパイア、或いはテニス協会との終わり無き戦い、その歴史。
先の2008年の大会を例にあげるまでもなく、
セリーナはこの理不尽且つ不条理な仕打ちと、事あるごとに、或いは試合のたびに闘い続けて来た。
つまりはセリーナは、世の不条理との闘い、その象徴的な人であった訳で。
と言う訳で半ばお決まり的に飛び出した、この悪役レフリー、ならぬチェアーアンパイアのあまりにも独善的な判定。
あのなあ、この糞審判、いい加減にしろ、と。
しかもファイナルのこういうシーンで、
ここまでしてその審判的特権をぶん回しやがって。
その予定調和的なまでの泥仕合であったのだが、
ただ、正直、そんなちょこざいなことで、
この世紀の一戦に水を刺して貰いたくはなかったな、と。
そう、何度も言うように、今回の対戦、
実力的に言っても、ナオミの圧勝。
例え、セリーナがどれだけゴネようが、
あるいは、彼女が絶好調のコンディションであったとしても、
その結果は変わらなかったのではないか、と。
実は、ナオミは、前回の対決であったマイアミの大会においても、
セリーナに大勝しているし、
なにより今大会のセミファイナルにおいて、
現在の全米テニス界において次期女王間違いなしと太鼓判を押されるマディソン・キーズ
(ちなみにこの方、昨年の大会のファイナリスト)を相手に、
圧倒的なワンサイドゲームで勝利した、ってのも周知の事実。
その際、マディソン・キーズの口から思わず、
ナオミこそはセリーナの後継者に相応しい、ってな発言もこぼれ出たりして、
そう、つまり、判る人にはずっと判っていた、このナオミ・オオサカの実力。
そう言えば、ビーナス・ウィリアムスは、もう4年も前から、
ナオミは子供の頃のセリーナそっくりだ。
ナオミこそはセリーナに変わる次期の女王になる、
と太鼓判を押されていた。
で、セリーナもそのことを、知らない筈が無かった、と。
ただね、はい、最後の最後に心情吐露。
セリーナは、そこまでしながら、実は心の底ではナオミを舐めていたんじゃないのかな、と。
なによあんな小娘、
あの見るからに気の小さそうな様。
決勝戦の重圧の中で、ちょっと脅しをぶっこめば、
途端にメルトダウンして総崩れ間違いなし。
みてらっしゃい、
その優等生風情を、世界中に向けてこれ以上ない大恥かかせてやるから。
そんな百戦錬磨の勝負師に立ち向かう紅顔の美少女。
負けるもんか、負けるもんか、負けるもんか!
あのナオミの表情の中に、
いまにも押し潰されそうになる重圧に、
必死で闘い続ける意志力。
その視線の先にある、お母さんとコーチと、
そしていままで自分を支えてくれた人びと。
負けない、わたしは負けない、
この人たちの為にも、わたしは負けられない!
そのあまりにも危うい綱渡り。
これこそがテニスの魅力、その神髄であった、と。
そう、テニスはまさにメンタルのスポーツ。
あの試合の裏側には、実に実にそんなドラマが展開されていたのです、と。
と言う訳で、
闘いの終わった夢の後、
あの、表彰式で、
USTAのCEOである、カトリーナ・アダムスが、ポロリと言ってしまったその本心。
(ナオミの勝利たことは) 私達の望んだ結果ではなかったけど・・
ええええ? なにそれ、と。
そう、これこそが、現代女子テニス界低迷のその真相。
この運営部の慢心こそが、テニスそのものを堕落させてきたその原因。
セリーナは、全米テニス協会から、
そして今大会の一大スポンサーたるチェイス銀行から、
勝って当然、とされるお膳立ての中で、
そんな私が、こんな二十歳の小娘に負けるものですか、と、
思い切り慢心してはろくな戦略も立てずに試合に望んでは、
いきなり目の前に120マイルを超すとてつもないサーブを決められて、
度肝を抜かれては、焦りに焦りまくった末に、
あれよあれよと、ナオミ(とそしてコーチ)の戦略に嵌っては、
マジギレして自己倒壊の底へと引きずり込まれた、と。
その結果が、あの、審判への暴言、と、
そうまでしてでも、わたしが主役なの! と言い張り続ける
このエホバの神もぶっ飛ぶワガママぶり。
つまりはそう、そういうことなんじゃねえの?と思っている。
(訂正: カトリーヌアダムスの発言は、
テニス協会がセリーナの勝利を望んでいた、という事ではないですね。
その言葉の前に、セリーナ、と呼びかけている以上、この発言はセリーナに対して、
この結果は、あなたにとっては望んだ結果ではなかったけれど、と言う意味ですね。お詫びします)
で、そう、だったら、と。
だったら、セリーナ、
次の試合で、実力で、ナオミに勝ってみろよ、と。
そう思いながら、改めて今大会のナオミのプレーをざっとおさらいした結果、
勝てないね、ははは、と。
はい、これが真実。
この試合こそが、女王が入れ替わった、その瞬間に間違いなし。
今大会でナオミ・オオサカが発揮したその底力。
120マイルを越える超高速サーブ(ちなみにこれ、錦織よりもずっと速い・笑)を、
好きな時に好きな所に叩き込める自信があった。
なので、わざわざ全てのサーブを思い切り打つ必要もなかった、と。
なので、ぶっちゃけ、負ける気が、しなかった、と。
で、なによりあの長い足とそのフットワークの素晴らしさ(減量の成果・笑)
で、なによりナオミの最大の武器は、その頭脳。
彼女、全てのポイントを克明に記憶しては、
得点パターンの使い所を駆使しては試合を組み上げていく、
ぐらいのことは平気でやってのける、つまりは天才肌。
同じ頭脳派プレーヤーとしては、
昨年のチャンピオン:スローン・スティーブンスもそのとおりで、
俺的には、ウィリアムス・シスターズの去った後、
女子テニス界を担うのは、ナオミと、スローンだと思ってるんだけど、
果てさて、どんな展開になることか、と。
でさ、実は俺、ナオミ・オオサカにご注文があって、
ダブルス、そして、クレイ、これに重点を置いて欲しいな、と。
あのサーブがあれば、多分、芝はもう手中に収めたようなもの。
なので、敢えて、サーブ一発勝負の芝よりはむしろ、
ある意味での戦略、そして、作り込みの必要とされるクレイ、
そしてなにより、ネットプレイ強化のためのダブルス、
この世界においても、チャンピオンを狙ってほしいな、と思ってる。
そう、ナオミ・オオサカこそはテニスの申し子。
テニスが、メンタルのスポーツであると同時に、頭脳のスポーツである、
それを世界に知らしめる先鋭になって欲しい、と。
嘗て、頭脳派の筆頭であったマルチナ・ヒンギスが、
筋力テニスのウィリアムズ・シスターズに敗れ去り、
そして、シャラポから先、バカのひとつ覚えのようなパワーヒッターたちが、
しかし次々にウィリアムズ・シスターズにその筋力において敗れ去り、
で、そう、ご存知のこの、セリーナ一人勝ちの時代が長く続いたのだが、
フィジカル、メンタル、そして、頭脳の三拍子、それにプラスして、美貌、も兼ね備えた・笑
このナオミ・オオサカ。
暗黒時代と言われて久しい女子テニス界を、この萌え萌えキャラがどこまで席捲するか、
乞うご期待、というところか、と。
という訳で賭けても良い、今回のこの茶番的なまでに醜悪であった表彰式、
これがいったい、この後、どのような意味を持ち得るのか。
俺としては、1997年のヴィーナスと、ヒンギスの決勝において、
ヒンギスの頭脳プレーにメンタルごけに誘い込まれたビーナスが敢え無く玉砕、
(その際、ステージパパのウィリアムズ父が、ビーナスが必要以上に萎縮してしまったのは、
USTAの人種差別対偶によるものだ、と抗議して失笑を買ったのだが)
その後、1999年において、ついに妹セリーナが姉の雪辱を果たしてヒンギスを粉砕。
その後の20年近くに渡って、このウィリアムズ姉妹の独壇場が続いたのではあるが、
で、今回のこの、ナオミ・オオサカ、
はい、あの、ビーナス、そしてセリーナの登場の衝撃に匹敵する、
テニス史上のエポック的な瞬間、と見ている。
ビーナス・ウィリアムズのサーブと、セリーナ・ウィリアムズのグランド・ストローク、
そしてマルチナ・ヒンギスの頭脳と、
それに加えて、恩師たる、クリス・エヴァートの鋼鉄のメンタルが加われば、
まさに、これぞ、テニスの完成形!
そう、ナオミ・オオサカはそのすべてを兼ね備える可能性を秘めた、
まさに、逸材の中の逸材なのである。
改めて今回のこの糞のような表彰式、
バカどもが、いまに見ておれ、と思っている。
この先、10年、あるいは、20年、ナオミ・オオサカ以外になにもない、ような、
とてつもない時代がやってくる、その幕開けに過ぎない。
ナオミ・オオサカ、強いては、日本のテニス界の一大黄金時代、
それはいままさに、始まったばかり、なのでありなむ、と。
という訳で、遂に登場した女子テニス界の救世主:ナオミ・オオサカ、
思い切り持ち上げるだけ持ち上げさせて頂いた訳なのだが、
くれぐれも、怪我にだけは気をつけて頂きたいものです。
おわりです。

流浪の果てに そのいち ~ 「コイの祟り」
俺がコイに祟られたって話はしたよな?
そう、前に話しただろ、
高校の時に家出して辿り着いた奥飛騨の温泉旅館で、
住み込みのアルバイトをしていた時のこと・・・
そこは北アルプス山渓に抱かれた秘湯の里の、
明治時代から続く老舗旅館。
さすがに長い歴史を刻み続けてきただけのことはあって、
そこで過ごしたひと冬の間、
いやはやまったく、本当にいろいろなことがあったものだ。
♪
あれは高校一年の秋を過ぎた頃。
例によってこじらせにこじらせた末に、
二学期目の期末試験を待たずに家を飛び出した俺。
やけっぱちの無頼の果てに、おかしなめぐり合わせの坂道を、
釘に弾かれるパチンコ玉よろしく、転がるに転がり続けて嵌り込んだ、
最果ての豪雪地の温泉旅館。
引きちぎったアルバイトニュースのページ、
風光明媚な温泉地での三食賄い付の社員寮完備、
誰にでもできる簡単な仕事です、
てなことであったのだが、
家をおん出た時のそのままに、着の身着のままボストンバッグ一つ。
すでに初雪の積もったこの極寒の地において、
膝の裂けたスリムのジーンズに、
Tシャツの上からライダースの革ジャンを羽織っただけ。
大学生と言い張っては見たものの、
青白い顔に赤茶けた前髪を伸びるにまかせた、
その妙に陰にこもった視線からも、
どこをどう見ても訳ありの家出少年そのものであっただろうに。
ただ、そんな見るからに胡散臭い青二才、
それを百も承知で雇い入れるだけのことはあって、
この秘湯の里の老舗旅館、
いざその仕事内容と言ったら半端ではなく。
朝も五時前に叩き起こされては厨房での板前の小間使いから始まって、
客室清掃から皿洗いから布団の上げ下げから
荷物運びから雪掻きから風呂掃除からと、
毎日毎日夜明け前から夜更けまで、
土日の休みもないままに徹底的にこき使われることになった。
宿付きと言ってもホテル暮らしとは程遠く、
その従業員用宿舎とされたのは、
旅館本館の裏手をしばらく歩いた木立の陰、
新館建設時の建築用飯場をそのまま流用しただけの、
見るからに斜めに傾いだプレハブ仕立ての掘っ立て小屋。
数年も前から雑魚寝用の煎餅布団を敷き詰めたままの、
ていの良いタコ部屋と言ったところ。
そして何よりも辛かったのがその食事。
三食の賄い付きとのことだったのが、
毎回出されるものは朝も夕も決まって生卵とお新香ばかり。
そのお新香をお膳の真ん中に鎮座ましました鉄板プレートの上で、
玉子とともに炒めて食べるというのが、
この土地の伝統的郷土料理との事だったのだが、
来る日も来る日も出されるのはいつも決まって笊に積まれた生卵と、
どんぶりに山盛りのお新香ばかり。
これではあまりにもあんまりだ、
とは思ってはみたものの、
ふと見れば従業員達は愚か、旦那小旦那大旦那からの経営者の一族も、
みんな揃って来る日も来る日もお新香ばかりの食事。
それに何の疑問を持つ風でもなく、
ただただ黙々と、時として嬉々として、鉄板プレートのお新香を、飽きもせず炒め続けていたりもする。
ステーキ?
お新香のステーキ?
この土地で言うステーキとは、
飛騨牛のビフテキなどではなく、
鉄板焼きにしたお新香、
それを指して言うのである。
なんだって揃いも揃ってこんなしけたものばかり食っているのか?
それはな、と老齢の番頭さんが言う。
見ての通りの雪深い山間の里である。
吹けば飛ぶようなどころか、
ともすればひと冬の間に、
すっかり雪に埋もれて消えてしまうようなこの最果ての限界集落。
峠の道に漸くトンネルが通るまでは、
それこそ毎年毎年十一月を過ぎた頃から翌年の五月の半ばまで、
毎日これでもかと降り積もるドカ雪の中にすっかりと閉じ込められては、
麓の村との音信の全てを断たれてしまったものだった。
そんな孤立した冬の間は保存食で食いつなぐのが常で、
食べられるものと言えば雪に凍ったお新香ばかり。
長い長い冬の間、白い牢獄の奥底に密封されたまま、
ただただこの凄まじい寒さと、
音もなく積もり続ける雪の重圧と、
日一日と迫り来る飢えの恐怖と戦い続けるばかり。
この土地は代々、そんなところであったのだ、と。
と言う訳で、
この限界村落における極限的常備食であるところの、
この来る日も来る日もお新香ばかりの日々。
だがしかしながら、
身体は痩せ細った都会育ちであろうともそれでも一応は育ち盛りである。
日々唯でさえ慣れぬ肉体労働にこれでもかと酷使される中、
ピザもグラタンもフライドチキンも、どころか、
ウィンナーもハムもコンビーフさえもない、
この究極の粗食続きには、
例え後ろ暗い家出少年であったとしても流石にやって行けず、
思わず里心がついては、
たった一口で良いからマクドナルドのビッグマックを思い切り頬張りたい、
夜な夜なそんな夢さえも見るようになって、
初めて知ったこのああ野麦峠のあまりにリアルな疑似体験。
その俄かな飢餓的状況の中にあって、
必然的にその代替の栄養源として、
客の食べ残しに目が行ってしまうのも当然のこと。
それを承知の仲居さんたちが、
気を利かせては広間の宴会の残りものを、
それとなく小皿に取り集めては、
御膳下げの隙を盗んで駆け込んだ給湯室のビールケースの陰、
冷め乾き油の浮いた残り物を、
立ったまま手掴みで貪り食っていたものであった。
とまあそんな事情から、
日々なんだかんだとお裾分けに預かり続けたこの老舗旅館の伝統料理。
毎夜毎夜決まって出されるその看板料理の中に、鯉料理、というものがあった。
こんな人里離れた山の奥地、
出せる料理と言っても山菜ぐらいしか採れるものもなく、
そんな中で生け簀飼いをした鯉料理が、
この秘湯の里の唯一のおもてなし料理であった、
ということであるらしい。
という訳で、毎日が鯉料理であった。
日々、鯉の洗いから始まって、
刺し身から天ぷらから唐揚げから、
そして絶品の鯉こくまで、
生け簀から上げたばかりの新鮮な鯉を使っての、
ありとあらゆる鯉料理が夕膳に並ぶのであるが、
そこで使われる鯉を、裏山の生け簀に取りに行くのが大切な日課のひとつ。
夕刻になって晩飯の下準備がようやく一区切りがつくころ、
おい、ちょっとひとっ走り行ってきてくれ、と出される本数。
普段着にしていたドテラ仕様に綿を詰めた丹前の上から二枚三枚とドカジャンを着込み、
笊を抱えて長靴を履き、
そして忘れてはならない棍棒を一本。
行ってきま〜す!とその時ばかりは元気良く、
裏口から続く雪の回廊へと飛び出していく。
風光明媚の、とは言うものの、
そんな悠長な景色を拝めるのは客室周りの布団の上げ下げの時だけ。
日々を丁稚奉公の下っ端小僧そのままに、
一日中寸暇の間もなくこき使われるばかり。
その間のほとんどを旅館の内部を駆けずり回って過ごしては、
夜も更けてタコ部屋の煎餅布団に眠るだけ。
そんな単調な修羅の日々の中にあって、
唯一その閉ざされた世界から抜け出すことのできる、この裏山への生け簀通い。
人気の失せた雪の木立から、
ふと見上げる空を囲む乗鞍連峰の絶景。
この時ばかりは誰の目も気にせず大っぴらにタバコを咥わえ、
思えば遠くへ来たものだ、と思い切り伸びをしては、ようやく生きた心地を取り戻す、
日々の唯一の憩いの時間であった。
裏山の雑木林の陰、見捨てられた古井戸を思わせる、その積み石で囲まれた小池。
格子柄の網目に雪の積もった生け簀を覗き込むと、
大小様々な鯉達が右へ左へと泳ぎ回っている姿。
どんな極寒の中でもこの生け簀にだけは氷が張らないのは、鯉にも体温があるからなのか、
あるいはそれもこの土地の秘技の一種なのであろうか。
生け簀の中の鯉、その一匹一匹に狙いを定めては、
素早く網で掬い上げて雪の中へと放り出し、
ピチピチと跳ねまわる鯉の、その頭に向けて必殺の一撃。
とたんにビリビリと電気の走るように震える鯉を、
すかさず笊に放りこむ。
良いか、殺すんじゃないぞ。
身が死んでしまうからな。
この棍棒でこの頭のところを、
コーンと叩いて気絶させて半殺し。
そして凍らぬうちに持って来るんだ、判ったな。
水揚げした本数を数え直しては、
そして改めてタバコを一本。
その時になると、逃げまどっては生け簀の端に身を寄せていた鯉達が、
危機は去ったと悟るや一斉にまた泳ぎ始めて、
生け簀の中にはまた束の間の陰鬱な平穏が戻ってくる。
手についた血ぬめりを妙に生暖かい生け簀の水で洗い流すと、
そんな鯉の何匹かが寄ってきては、
餌と間違えて歯のない口でさかんに突いて来たりもする。
そんな魚の見せる愛嬌を前に、
改めてこの生き残った者達とそして笊の中の鯉たち、
その間にいったいどんな運命の悪戯が働いたのか。
この出来損ないの青二才の気まぐれによって、
甘い生け簀の水から突然に掬い上げられては、
突如として頭を叩かれて半殺しの憂き目。
見開いた丸い瞳と、
虚ろに広げられた口をパクパクと震わせながら、
そんな鯉たちに待ち受けている運命。
まな板の上に乗せられたその鯉たちが、
板長であるテツさんの手にかかる時、
尻尾から真っ直ぐに切れ目を入れられ、
トンと頭を落とされたその口が、
パクパクと動いているその間に、
内蔵を取り去られ三枚に下ろされ皮を剥がれては、
みるみるうちに鮮やかな桜色の肉片へと化けていく、
その魔法のような妙技。
身体を失っても尚、虚ろに息を続けるその頭部を、
生きたままに縦真っ二つにかち割っては、
鯉こくの味噌鍋の中に放り込み。
そして俎板の上に残った血糊を洗い流されては、
鯉の生きた痕跡は跡形もなく拭い去られ、
そしてまた新たな鯉が、俎板の上に乗せられていくことになる。
気がつけば見上げる空にはすっかりと重い雪雲が立ち込め、
いつの間にかまた降り始めた雪が、
笊に積まれた鯉の上に薄っすらと覆っては微かに血に染まり始める。
今夜は吹雪そうだな。
そんなことも知らずに、水に入れた指先に、
乳でもを吸うように絡みついてくる幼気な生け簀の鯉たち。
明日はどの鯉が俎板の上に乗せられることになるのか。
その前に今夜の吹雪を生き抜く事が先決だが。
じゃあな、また明日。元気でな。
駆け足で暮れてゆく山の夕暮れのその一瞬の刹那の中に、
最後につけたタバコの煙りに目を焼きながら、
笊の中に抱えたその鯉たち。
いまにも消え入ろうとする魂の痕跡が、
舞い降る雪の空に流れるタバコの煙のように、
虚ろにかき消えて行くのが見えたような気もしたものだ。
ごめんな、悪く思うなよ。これも、仕事のうちなんだ。
♪
改めて、この奥飛騨という土地は奇妙な場所であった。
八方を高嶺に囲まれたその得も言えぬ閉塞感から始まり、
時として一晩のうちに数メートルも降り積もるという、
この雪という陰鬱な化け物、その例えようもないほどの重圧感。
そして何より天空を覆ったその分厚い雪雲にどっぷりと包み込まれては、
吹雪始めた途端に一寸先さえも定かではなくなってしまう、
そのあまりにも壮絶な雪の牢獄。
夜ともなればマイナス十度を軽く超える極寒の地。
仕事を終えて深夜に浴びた風呂。
その洗い髪が宿舎に帰る頃にはすっかり凍りついてカピカピのパサパサ。
濡れたタオルをそのままバットにして素振りができる、
そんな凄まじいばかりの寒気の中に、
睫毛から鼻先からありとあらゆるものが凍りついては、限界的厳寒の地。
山で道に迷った者は朝までにはすっかり凍りの彫像。
それどころか、酔った客が露天風呂にいく途中に、
中庭の途中に道を見失って、植木の中で凍死していた、なんて事さえあったと聞く。
改めてこの土地が世間から隔絶された雪と氷の牢獄。
山岳地帯の中空に取り残されたどん詰まりである事を思い知らされる。
ここが世界のどん詰まりだって?
いや実はその逆だ。
遠い昔、この飛騨の土地こそが日本の始まり。
この日本国の中心であったんだよ。
飛騨高天原伝承にもあるように、
ノアの洪水に唯一生き残った日本人発祥の地。
この飛騨と言う土地はまさに神話の時代の息づく古代世界の溺れ谷。
天と地のその境目であり接点、
それは言うなればあの世とこの世のグレイゾーンのようなもので、
神を呼び降ろすかのような、日抱御魂鎮から始まり、位山のピラミッド伝説、
或いは、まことしやかに聞かされた雪女を始めとする民間伝承の数々が、
ふとすれば窓の外を荒れ狂う雪嵐の中に、
或いは一歩戸外に出た途端に突如として巻き込まれるホワイトアウトの中にあって、
そんな神話的世界観そのものが、
ともすれば生々しいまでの現実味を持って周囲を包んでいる、
そんな気がしていたのは確かだ。
事実、武家屋敷を思わせる旧館の佇まい、
その至る所で妙な気配を感じることがあった。
八百万の神々の息吹と言うよりは、それはまさしく霊気。
ありとあらゆるものをみしみしと締め上げるばかりの寒気から、
じっとりと湿気を含んで膨らんだ家屋の息吹から、
そして黒光りしては氷のように冷え切った板間の廊下から、
それを支える柱の一本一本に至るまで、
その目に映るもののすべてが、
時として妖気さえも感じさせる程に蠢き初めては、
確かな存在を漂わせては絡みついてくる。
ここにはなにかがいる。
そんな俺の怖気をからかうように、
古参の仲居さんたちから事あるごとに聞かされるその手の話。
あの部屋は出る、あの部屋も出る、あの部屋もそしてこの部屋にも、
浴衣を着た女が、見知らぬおばあさんが、気の触れた芸者が、
血塗られた落ち武者が、赤いちゃんちゃんこを着た子供がひとりふたりと連なって・・
そんな冗談とも取れる戯言のひとつひとつが、
いざこの広大な古屋敷にふとひとり取り残された途端に、
明らかな実感を伴って闇の中からその存在が浮き彫りになってくるようにも感じられたものだ。
確かに近いな、と思っていた。
ここは天に最も近い霊場なのだ。
或いは地下に眠る豊富な鉱物資源による磁気の乱れなのか、
八百万と言わず、山の神と言わず、
目に見えぬだけの明らかなる気配が、
そこかしこに、あるいはこの里全体を、
すっぽりと包み込んでいるような、そんな気がしていたものだ。
あるいはそう、この土地に住み始めてから、
自然とその手の感覚と言うやつが、
研ぎ澄まされていったのかも知れない。
なあ雪女の由来を知っているか?
この場で唯一気の許せる存在であった、
見習い板前のカツさんが言う。
吹雪に巻かれた連中がな、
ようやく捜索隊に見つけ出された時、
その亡骸が、雪の中で決まったようにすっぽんぽん、であるらしい。
で、その魔羅がな、どれもこれも、ピンピンにおっ立ってるって言うんだ。
捜索隊はその魔羅の先、
あのホオズキの赤い灯りを目印にするってな話でさ。
さては奴さん、吹雪の中で雪女に拐かされては、
さぞかし良い夢を見て果てたらしい、と。
いいか、吹雪の中で道に迷ったら、悪戯に歩き回っちゃ行けねえ。
そんな時にはどっしりと気を落ち着けて、そして神木を探すんだ。
シンボク?
そう、山の木々の中に、一本だけ、神様の宿る木ってのがある。
それはちょっと見た目だけじゃ判らない。
時として、一番古い木であったり、一番立派な木であったりもするんだが、
大抵においてそれは、見栄えのしない、痩せた朴の木であったりもする。
ただ、お前がもしも山の神に愛されていた時には、
吹雪にまかれたお前を、その神木が呼んでくれる筈だ。
その時には神木の麓で神様に祈りながら、
吹雪の収まるのをじっと待つに限る。
さもなければ死ぬまでの間、吹雪の中を闇雲に、
同じところをグルグルと回らされる羽目になるからな。
実はな、うちの家系は代々、木こりの長:おさだったんだ。
で、前のあの、峠の工事があった時にな、
東京から来た建築会社の案内を、
この村の木こり連中が担うことになった。
で、その建設会社のお偉いさんの言うには、
この木とこの木とこの木を、切り倒さなければ工事が進まない、という。
ただ旦那、この木は、神木ですぜ。
これを切り倒しては神様の罰に当たりまさあ。
そう言って躊躇する木こり連中を鼻で笑った東京のお偉いさん。
だったらこんな木、この私が切り倒してやる、とばかりに、
斧を振り上げた途端に足を滑らせて谷底に向けて真っ逆さま。
危うく命綱一本で命をとりとめたのは良いものの、
ただ、そんな不幸が続く中、峠道の開通はなによりも村の悲願。
協議の末に、木こりの親方であった俺の親父が、
その損な役どころを引っ被ることになったらしい。
その夜、俺は親父に呼ばれてな。
神木をそうと知って切り倒した俺はもう命は無い。
家族を頼んだぞ。後はすべて木こり仲間が面倒を見てくれる手配だと。
それと同時に、親父は俺に、山を降りろ、と言ったんだ。
神木を切ったからには、うちの家系はもう木こりを続けることはできない。
学校を出たら里を降りて、そこで自由に暮せば良い。
子供ながらにまさかこの時代、そんな馬鹿げたことがあるものか、
とは思っていたのだが、夜更けを過ぎていきなりおふくろに揺り起こされては、
妹を連れて朝まで裏の納屋に隠れていろと言う。
そしてその夜、親父は枝払い用の鉈でおふくろの頭をかち割っては、
気の触れたまま褌一丁で山の中に消えた、ということだ。
朝になって外に出た時、
納屋の周りにぐるぐるぐるぐると何重もの裸足の足跡が残っていてな。
魔に憑かれた親父がいったいどんな様子で
俺たちの気配を伺っていたのかと思うと、
いまでもそんな夢に魘されて飛び起きることがある。
いいか、この土地はな、そういうところなんだ。
神話の世界のままに置き去りにされた時代の溺れ谷。
電話やらテレビやらそんなものがいくら増えたって、
この雪がある限り、この里は早々と変わるものじゃない。
そう、この雪、このクソ雪のおかげで、
人間はいつまでたっても野獣と似たり寄ったり。
雪の中に埋めたお新香で食いつないでは、
時として木の皮だって食い尽くす、
そんな生活から、まだ一歩も変わっちゃいねえんだ。
いいか、この場所は、いまだに神様の場所なんだ。
それはいまも昔も変わっちゃいない。
それを、忘れないことだ。
♪
とそんな山の暮らしにもようやく慣れ初めて来た日の事。
いつものように慌わただしい朝。
大広間でのご朝食の片付けが終わり、
チェックアウトまでの一瞬の隙をついては、
厨房の脇にあった賄い用の小部屋に走り込み、
いつものように生卵とお新香ばかりのおかずに味噌汁をぶっかけては、
掻き込むだけ掻き込むどんぶり飯。
ちょっと人の居ぬ間のお替りをもう一杯、と立ち上がったその時、
ふと、視界が、薄れた。
どこか遠くでサイレンが鳴っていた。
夢に見ていたのは夜更けの江ノ島。
駐車場の入口で大ゴケしたところを、
ケツにひっついてきた糞パーカーどもが、
ピラニアよろしく集まって来やがった、
やばい、逃げねば・・・
と、見る見ると近づいて来るその忌々しいサイレン、と思っていたのは、
実はと言えば俺自身の発していた奇声で、
そんな俺は、空のどんぶりを持ったまま朝食のテーブルの上に倒れ伏し、
身体中に味噌汁から醤油からソースからそしてお新香からを被ったまま、
まるで気の触れた怪鳥のような叫び声を上げていたらしい。
すわ、癲癇の発作か、と勘違いした大旦那が、
口の間に割り箸を突っ込もうとしていたところを、
交通機動隊に羽交い締めにされては喉の奥に警棒を突っ込まれそうだと勘違いしては、
てめえ、何しやがるんだこのやろう、と反射的に胸ぐらを掴んだところでいきなり我に帰った。
おまえ、いったい、どうしたんだ!?
都会育ちのもやしっ子が慣れない力仕事に過労が重なったのか、
毎夜毎夜、板前のカツさんに付き合わされての飲み過ぎによるものか、
まあ確かに最近ちょっと風邪気味ではあったものの、
だがしかし、俺の知る限り我が家の家系において癲癇持ちなんて話は聞いたこともなく、
ましてや、都会育ちと言えども、これでも一応は健康優良不良少年の鑑とされてきた俺である。
これまでどれだけの無茶を重ねたと言っても、まさか貧血を起こして卒倒するなど、
俺自身にしてもまったく考えもつかないことであったのだ。
いったい、俺、どうしちまったんだ?
さすがにその日は一日休みを貰い、
頭から被った味噌汁を洗い流すために
デッキブラシを片手に掃除がてらの露天風呂で朝風呂に浸かっては、
誰もいないタコ部屋の真ん中にひとり、
カツさんの差し入れてくれた卵酒を啜りながら、
一日中をぐっすりと寝て過ごしたのだが。
その翌日、まるで昨日の騒ぎなどすっかりと忘れ去ったまま、
いつものように昼飯後の大掃除。
本日の客の到着を待つ間に、
電気掃除機を持ち出してはもつれるコードを引っ張りながら、
正面玄関の赤いカーペットに掃除機をかけていたそんな時、
ふと、おい、XX と名前を呼び止められた。
その老舗旅館は代々と続く家族経営で、
大旦那夫妻と、若旦那夫妻家族の、
親子二代で切り盛りしていたのだが、
その大旦那の祖父母、亡くなった先代の母にあたるところの、大婆、と呼ばれる
百歳を超える老婆がいまだに存命であった。
元々は越後商人であった創業者であるところの親旦那が、
神岡の鉱山景気に便乗して始めた商人宿。
その一人娘であった大婆は、
当時から野麦峠を越えて信州へ出稼ぎに出た村の娘たちの中にあっては、人も羨むお嬢様。
都会の女学校に遊学したハイカラさんであったらしい。
その大婆、すでに海老のように腰が曲がり、
牛乳瓶の底のようなメガネをかけては、
くたびれた和服の裾を引きずるようによたよたと歩く、
というよりは這いずるようにして、
人知れず影のように座敷わらしのように、
旅館内を徘徊して回っているのは知っていたのだが、
最早耄碌の峠を二つも三つも越えては、
いまとなっては、惚けが進んで、まともに口がきけないどころか、
意識があるとも思えず。
そしてそんな大婆が、玄関に午後の陽が差し込むころになると、
いつも赤いカーペットのその片隅に座布団を持ち出しては、
その日溜まりの中で居眠りをする猫そのままに、
うつらうつらと船を漕ぐ、そんな風景が日常となっていたのである。
掃除機の上げる爆音もいっさい気にならないのも、
すっかりと耳が遠くなっていたからで、
ほらほら大婆、掃除の邪魔だから早くそこをどけ、と通りかかった旦那に怒鳴られても、
何食わぬ顔でこっくりこっくりと転寝を続ける、
人というよりはまさに置き忘れられた招き猫のような存在であった。
そんな大婆の存在を気にも止めず、黒光りする板間の上に敷かれた、
場違いな古いカーペットを擦り上げながら、
さすがにあれだけよく寝るとすっかりと元気が戻っている、
自身の回復力の凄まじさに意気揚々としていたそんな時、
おい、XX、といきなり名前を呼ばれては、はっとして辺りを振り返った。
ちょっとこっちへ来い、と呼びかけた声の主。
まさか、この大婆が?
その初めて聞く大婆の声が、おまえ、コイを、殺したな、と耳の奥に響いた。
コイ?あの、生け簀の鯉?
情けをかけただろ?
情け?鯉をしめる時に?
殺傷をするときには、情けは禁物だ。
その情けに、憑り入られる。
憑り入られる?
一分の虫にも五分の魂。
鯉にしたってむざむざ殺されるのは無念な筈。
その最後の一念で、このやろうと食いついて来やがるんだ。
そこでお前にちょっとでも情けなんてものがあったなら尚更だ。
その情け、そんなお前の弱さに、奴らが憑いて来やがったんだ。
鯉ごときに祟られるとは、お前もつくづく弱い男だ。
覚えておけ。お前には殺傷は無理だ。気持ちがヤワ過ぎる。
生け簀の鯉をしめる仕事は、誰か他の者に代わって貰え。
それから、お前は鯉を殺した。そんな鯉どもに祟られた。
鯉は学問の神様。お前にはもう、学問への道は閉ざされた。
これからの人生、学にすがろうとしてもろくなことはないぞ。
それがお前の運命の器というやつだ。それを忘れるな。
ふと気がつくと、大婆はまるで重く垂れ下がる頭を膝の間に埋めるようにして、
鞠のように丸まりながらこくりこくりと細やかに身体を揺らしていた。
改めて掃除機のスイッチを切った途端、
轟音の吸い込まれた後の耳鳴りの中から、
人気の失せた午後の正面玄関、
開け放たれたガラス戸から吹き込むキリリと澄んだ空気と、
柔らかなな山間の陽射しの差し込む、
そんなありふれた午後の空気が戻って来た。
訪れた沈黙の中で、あの、と大婆に声をかけてみたのだが、
大婆は転寝に揺れるそのやせこけた身体をこれ以上なく丸めたまま、
古びた眠り猫の置物そのままに、安らかな沈黙を続けるばかり。
俺は鯉に祟られた。
昨日のあの癲癇は、鯉の祟り、であったのか。
その夜、またいつものようにカツさんを相手に、
酔いが回ったころを見計らって、午後の大婆の話を打ち明けてみた。
大婆が?まさか、俺だってここに来てもう四年になるが、
あの大婆が口をきいたなんて話は聞いたことがない。
だとしたら、まあ、山の神かもしれないな。
山の神?
言ったろ、この土地はそういう土地なんだ。
あの山々からどこもかしこも神様だらけ。
つまりお前の聞いたその大婆の声ってのも、
大婆の姿を借りての山の神のお告げってやつだろ。
まあ、どこまで真に受けるかはお前次第だが、
覚えておいても損はねえってことかも知れねえな。
あるいはもしかすると、お前はそのお告げを授かるために、
こんな山の奥まで、まんまと誘き寄せられたのかもしれないぜ。
まあせっかく授かった神様のお告げだ。
せいぜい大切に胸に刻むことだ。
♪
という訳で、そんな鯉の祟りにやられては、
すっかりしょげ返ってしまった俺。
ほんの出来心の気まぐれが、
ひょんなことから妙な方向に転がっては、
後はまるで坂道を転がるように、
次から次へと悪い目しか出やしない。
あるいはそれはちょっとしたボタンの掛け違え。
どこまで行っても平行線のすれ違い。
流れ流れて流れ着いたその先で、
挙げ句の果てに生け簀の魚の逆恨みを買っては、
祟りにあって一生が台無し。
俺の人生、つくづくツイてない、と思い切りのため息をひとつ。
そしてこうしてボタンを掛け違えたまま、
なにをやってもろくな目の出ないすれ違いばかりの人生、
その坂道をこのまま転げ落ちて行くばかりなのか・・
と、そんな時、おい、若いの、と背後から呼び止められた。
すわ、また山の神か、と思いきや、
それは、古巣の番頭のヤスさん。
見るからに好々爺のご老人、でありながら、
いつも決して外すことのないその左手に嵌めた手袋。
ただどんなときにも、その小指だけはピンと立ったまま。
聞く所に寄れば、戦争中にいろいろあって、ということなのだが、
良く良く聞いてみればこのヤスさん、
その仏のようなご容姿からは想像もつかないながら、
嘗ては北は北海道、南は沖縄まで、
日本列島津々浦々にその名を轟かせた、
暴れん坊の大親分であった、と聞いた。
なあに、昔のことさね、と肩を竦めながらも、
夜も更けて必ず最後に入るその湯けむりの中に、
背中一面に彫り込まれた鮮やかな般若の姿が、
毒々しくも浮かび上がる、と聞いた。
おい、若いの、大旦那が、外湯でお呼びだ。
外湯?外湯って、あの露天風呂?
さては、と思った。
さてはまた、お客の誰かが、湯殿の湯垢に足を滑らせて、
つまりは、徹底的に掃除をしておけと、そういうことだろう。
という訳で、デッキブラシにバケツを下げて、
雪に埋もれた日本庭園の敷石を飛びながら、
いったいこんな日々がいつまで続くやら。
ふと気がつけばクリスマスも過ぎて、
正月を目の前にしているというのに、
俺は相変わらず、そんな年の瀬ムードなどとはまったく切り離されたまま、
雪の狭間をデッキブラシひとつ。
今頃、新宿の街は師走の喧噪の最中。
色鮮やかなイルミネーションの煌めくガラスの街。
ジングルベルの名残りに歳末大売り出しの絶叫が重なり、
ビル街を吹き荒ぶ寒風に煽られては追われるように急き立てられるように
忙しなく犇めき合う人々が、まるでこの世の終わりのような狂騒に湧き返っている頃だろう。
俺が居なくても、俺など居なくても、
確実に世界は回っていく。
そんな当たり前なことに感じ入っては、
なんだかちょっと損した気分、なんてことを思っては、
おいおいどうしたんだよ、と思わず頭を振る。
あれ程まで倦んでいた新宿の雑踏が、
何故にかこれほどまでに懐かしく思い出されるなんて。
あいつら元気かな、と仲間たちを思う。
もう期末試験も終わっちまった。
赤点の確実な以上、これで留年も確定。
みすみすいっこ下の奴らと机を並べるぐらいであれば、
このままいっそ学校など辞めてしまうほうがせいせいする。
そもそもその覚悟で家を出たんじゃないのか、
とそうは思いながらも、
あの苦渋を噛み殺して見下ろしていた校庭の風景さえもが、
なぜか不思議なぐらいに瑞々しく蘇って来たりもするのだ。
湘南海岸の潮風、夜露に濡れた浜辺、
胸に膨らむあの生臭い磯の香り。
海が見たいな。
堪らないほどに海が見たい。
そしてあの犬だった。
いまとなっては裏庭につながれたまま、
誰からも省みられなくなった老犬の姿。
寂しがっているだろうな。
あいつもここに連れて来てやるべきだったのかな。
憎んで憎んで憎み切っていた筈の、
欺瞞と打算と退屈とに雁字搦めにされた、
あの捨ててきた風景の、そのひとつひとつが奇妙にも堪らない程に愛おしい。
そして見上げる空に飛騨の山々があった。
この風景も、いつか思い出の中の1ページとして振り返れる、
そんな時が果たしていつか、本当にやって来たりもするのだろうか。
珍しく晴れ上がった空の下、雪を湛えた生け垣の上から、
もうもうと立ち上る湯煙りが空に散った途端に凍りつき、
差し込む陽光の中にキラキラとダイヤモンドの粉が降り注ぐ様。
思えば遠くへ来たものだ。
そしてこの先、どこに流れていくのやら・・
この手を返すと、おれの人生が、
シカゴ、セントルイスまで、
甘い恋の浮名流し・・
と、そんな鼻歌まじりにデッキブラシを擦り始めた時、
ふと、その湯煙の奥に、人影があるのに気づいた。
お客? こんな時間にお客が風呂にはいっているのか。
長逗留の客だろうか・・
おい、と湯煙の中からしゃがれた声がした。
若いの、そんな掃除なんてどうでも良いから、
お前もちょっと、湯にでも浸かってみろ。
大旦那?大旦那ですか?
まあ、そんなことは良いから。
人間、裸になれば大旦那も小旦那もクソもねえや。
勧められるままに服を脱ぎ捨て、
そして恐る恐ると浸かった湯船。
どうだ溜まった疲れが一気に取れるだろ。
ここまで朝から晩までこき使われちゃあ、
いくら若いと言っても都会育ちのもやしっ子には、
ちょっくら身に応えたかもしれないな。
いや、そういう事では、と口ごもって、
そう言えば大旦那、大婆が話すのを聞いたことがありますか?と聞いてみる。
大婆?ありゃ駄目だ。もう何年も前から惚けが来てな。
日抱のお告げがどうの、白猿のお使いがどうのと、
妙なことを言い始めたかと思ったらあの通り。
ただ、身体だけは丈夫なようで、
寝たきり、なんかにならねえで早いところぽっくり逝ってくれれば大往生だろ。
で、会話能力というのは?
いやあ、ここ数年、まともな話をしているのは聞いたことがねえな。
いつも寝言のようなことばかりで、人間の言葉はすっかりと忘れちまったらしい。
で、なんでそんなこと聞くんだ?と大旦那。
いやあ、実は、と。
山の神だ?そんな訳はねえだろう、と高笑いをする大旦那。
でも、俺は本当に聞いたんですよ。
大婆の話す声を。
で、俺はそんな大婆の姿を借りた山の神のお告げで、
鯉の祟りを受けた以上、大学受験もお先真っ暗。
この先の人生、なにひとつとしてなにもろくなことがないだろう、と。
やれやれ、と大旦那。
カツの野郎、相変わらずだよなあ。
そんなことだから、いつまでたっても、
魚一匹まともに下ろせねえどころか、
天麩羅ひとつろくに揚げられねえ、って。
テツさんももうあの歳だろ?
そろそろ、譲ってやっても良いと思ってるんだろうが、
カツがあの調子じゃなあ、先が思いやられるというものだ。
そもそも、山の神だ、なんだなんて、
そんな迷信を信じることからして、
あの山の魔物どもに、すっかりやられちまってるってことなんだよ。
いいか、屠られる鯉が望んでいるのは、
要らぬ情けをかけられては、メソメソされる事なんかじゃねえんだ。
鯉の身体には山の精が籠もっている。
つまりは山の使いなんだ。
そんな鯉を、たらふく食って、
そして強くなれ。
強くなって強くなって強くなって、
鯉の生気を身体いっぱいに蓄えては、
山の神どころか、あの山の一つや二つ、
ぶっ飛ばせるぐらいの強い男になってみたらどうだ。
山がお前を呼び、山がお前を育ててくれるんだ。
お前に取り憑いたっていうその鯉を逆に使って、
この川から滝を昇って、あの乗鞍の山の頂上まで
遡ってみろってんだ。
心配するな。
お前がこの山を降りるその時まで、
そのもやしっ子のヤワな根性を、
徹底的に鍛え上げてやる。
大丈夫、春までここの仕事が続くのなら、
世界中どこに行ったって恥ずかしくはない、
鯉どころか山の神様だって
腰を抜かすようないっぱしの益荒男、
何があってもぜったいに負けない
そんな男になっている筈だ。
いいか、山の神様はお前にそれを課すために、
お前をここに呼んだんだよ。
青二才のもやしっ子の癖しやがって、
能書きばかりをこじらせてこじらせ続けたその身体から、
毒という毒をすべて洗い流す為に、
乗鞍の神さまが、お前をお呼びになったのさ。
さあ ぼっとしてる暇はないぞ。
湯から上がったら駐車場の雪掻き。
それが済んだら次は大浴場の掃除。
あ、それからな、
毎晩毎晩、カツの泣き言になんて付き合ってることはねえぞ。
家出少年だってまさか参考書の一冊ぐらいは持ってきているだろう。
この冬の間、その一冊だけでも隅から隅まで丸暗記するぐらいに、
徹底的に読み込んでみろ。
二階の奥に、朴の間って部屋があるだろ。
あそこに以前長逗留していた大学の先生が、
突然、脳溢血で逝っちまったことがあってな。
それ以来、あのバカな仲居の婆あどもが、
出た出たって騒ぎやがって、
今となってはすっかりと開かずの間。
あの部屋ならいつでも空いているから、
こっそり忍び込んでその大学教授の幽霊とやらに、
家庭教師でも頼んでみたらどうだ?かっかっか。
いいか、温泉宿なんてのはな、
人生の吹き溜まりの、そのどん詰まり。
ヤクザもの崩れから板前崩れから、
全国一斉指名手配なんてのまで、
世の中から転げ落ちた堕れ者ばかりだ。
お前はまだまだ、そんな世界を見るには早すぎる。
鯉の祟りじゃねえが、
人間どうせいつかは落ち着くところに落ち着くんだ。
無駄な足掻きも時には大切だろうが、
人の道だけは外しちゃならねえ。
それがどういう意味だか判るか?
自分にだけは、嘘はついちゃならねえってことだよ。
ここは俺の居るところじゃねえって、
お前の顔にそう書いてあらあ。
さあ、そろそろ逆上せて来ただろう。
さっさと湯を上がって、そこの雪で顔でも洗って、
綺麗さっぱり、戯言の毒を洗い流してしまえ。
湯から上がって、すっかりと逆上せた頭を振りながら、
あ、やばい、デッキブラシを忘れてきた、と引き返した露天風呂。
ふと通り過ぎた風が湯煙を舞い上げた中に、
おかしいな、大旦那の姿は既に無く。
デッキブラシを置いては、シャベルに持ち替えて、
駐車場の雪掻きを始めた時になって、
その目の前から入って来た見慣れたクラウン。
やあご苦労さんご苦労さん、
と、昼間からほろ酔い気分で赤ら顔の大旦那。
遂に遂に、スキー場開発の段取りが決まった、
次に来てみろ、この鄙びた温泉街が、
都会の女子大生たちで犇めき合うぞ、がっはっはっは。
はいこれ、ご褒美、と渡された千円札。
これでたまには、街で美味いものでも食ってこい、
と、そんな暇があったら苦労はない。
相変わらずというかなんというか、
この大旦那という人は・・
という訳で、あの露天風呂の大旦那、
あれはいったい誰だったのか。
思わず眼の前の大旦那をまじまじと見つめては、
声を上げて笑ってしまったものであった。
ったくもって、この飛騨の山里、
なにからなにまでがどこかおかしい。
まあどうでも良いけどな、と、
笑いしか出ねってのは、まさにこのことだ、と、
あの湯煙の中の大旦那を真似て、
かっかっか、と笑ってみた。
という訳で、
そこは北アルプス山渓に抱かれた秘湯の里の、
明治時代から続く老舗旅館。
さすがに長い歴史を刻み続けてきただけのことはあって、
そこで過ごしたひと冬の間、
いやはやまったく、本当にいろいろなことがあったものだ。
♪
二月、金毘羅の宵祭りを過ぎ、
三月も近くなってようやく寒さも緩み始めた頃になって、
珍しく振る舞われた季節外れのお雑煮、なんてものを啜っていると、
ふと裏口から人影が見えた。
あの、といかにもバツの悪そうな顔で、
その長身をこれ以上なく縮こめた痩せた男と、
その後ろに姿を隠すような小柄な女の姿。
あれまあ、と、箸と茶碗を持ったまま目を丸くして立ち上がる人々。
どうも、ご無沙汰しております、と。
以前ここで働いていた番頭と仲居、
ある朝ふっと姿を眩ませては梨の礫であったお二人。
母の背におんぶされたその幼子。
語り始めれば切りのないその積もる話の数々の中で、
日本中の温泉宿から温泉宿へと流離い歩く、
その現代の流浪の民たる温泉流人。
その頃になれば、これも人生それも人生、
と受け流せる処世も身に着けていた俺、
その夜になって思った通り、
悪いが、そう言った事情で、と、これまでの給料に、
ちょっとばかりの交通費を上乗せされた封筒がひとつ。
来た時と同じように、その時だけは、と表玄関からの出立の時、
ふと見れば、その見送りの人々の片隅に、
ちょこりと座った大婆の姿。
大婆、世話になりました、と頭を下げると、
あれまあ、大婆にまで、と笑う人々。
では、お達者で、と深々と下げた頭のそのすぐ後ろで、
このバカ者が。もう帰ってくるなよ、かっかっか、とそんな声を、確かに聞いた。
♪
幸か不幸か、俺の流浪は続いている。
その後の紆余曲折の果てに流れ着いたのは、
奥飛騨の温泉郷ならぬ、世界の都・ニューヨーク。
大婆の言いつけ通り、その後あの場所に帰ることもないままに、
ふと、夜更けの寝際に思い浮かんだあの老舗旅館の名前。
そうか、もう潰れちまったんだな。
北陸新幹線から、そしてなにより安房のトンネルの開通から、
半日足らずでたどり着けるあの天と地のグレーゾーン。
格安高速バスに揺られて次から次へとやってくる観光客たち、
その時代の激流の中で、いつしかあの老舗旅館も、
人手に渡ってはすっかりと近代化。
あのおどろおどろしくも物の怪の気配に満ちていた武家屋敷の佇まいも、
今となっては時代の狭間にすっかりと葬り去られてしまったようだ。
あの湯煙に包まれた露天風呂の湯殿で、
大旦那から言われた唯一の参考書であったデル単。
いまこのニューヨークにあってもページを開く度に、
深夜も更けた開かずの間の裸電球の下、
湿った畳の上で、窓を叩く雪の嵐を見つめていた、
あの時の切羽詰まった感傷を、生々しくも思い出したりする。
大婆の予言通り、学で身を立てることはなかったものの、
日本全国、どころか、世界の津々浦々を流浪を続けながら、
どうにかこうにか、こんなところにまで辿り着いてなお、
人間どうせいつかは落ち着くところに落ち着く筈の、
その落ち着き先の見当たらないまま、そんな人生を歩み続けている。
ただ、その後の七転八倒の世界流浪の旅路の中で、
奇跡的なまでの幸運に恵まれては辛くもこの生命を繋いで来れたのも、
いまにして思えば、あの奥飛騨の山の神ならぬ大旦那の言葉、
あるいはそう、大婆ならぬコイの祟り、それから転じたご加護が、
なんらかの力になってくれたのか、と思ってみたりもする。
あのいにしえの神話の国でのひと冬の体験、
ただ一つ、あの雪の山里で学んだ教訓があるとすれば、
今になっても釣りにだけは手を出さない、それぐらいなものだろうか。
そう、前に話しただろ、
高校の時に家出して辿り着いた奥飛騨の温泉旅館で、
住み込みのアルバイトをしていた時のこと・・・
そこは北アルプス山渓に抱かれた秘湯の里の、
明治時代から続く老舗旅館。
さすがに長い歴史を刻み続けてきただけのことはあって、
そこで過ごしたひと冬の間、
いやはやまったく、本当にいろいろなことがあったものだ。
♪
あれは高校一年の秋を過ぎた頃。
例によってこじらせにこじらせた末に、
二学期目の期末試験を待たずに家を飛び出した俺。
やけっぱちの無頼の果てに、おかしなめぐり合わせの坂道を、
釘に弾かれるパチンコ玉よろしく、転がるに転がり続けて嵌り込んだ、
最果ての豪雪地の温泉旅館。
引きちぎったアルバイトニュースのページ、
風光明媚な温泉地での三食賄い付の社員寮完備、
誰にでもできる簡単な仕事です、
てなことであったのだが、
家をおん出た時のそのままに、着の身着のままボストンバッグ一つ。
すでに初雪の積もったこの極寒の地において、
膝の裂けたスリムのジーンズに、
Tシャツの上からライダースの革ジャンを羽織っただけ。
大学生と言い張っては見たものの、
青白い顔に赤茶けた前髪を伸びるにまかせた、
その妙に陰にこもった視線からも、
どこをどう見ても訳ありの家出少年そのものであっただろうに。
ただ、そんな見るからに胡散臭い青二才、
それを百も承知で雇い入れるだけのことはあって、
この秘湯の里の老舗旅館、
いざその仕事内容と言ったら半端ではなく。
朝も五時前に叩き起こされては厨房での板前の小間使いから始まって、
客室清掃から皿洗いから布団の上げ下げから
荷物運びから雪掻きから風呂掃除からと、
毎日毎日夜明け前から夜更けまで、
土日の休みもないままに徹底的にこき使われることになった。
宿付きと言ってもホテル暮らしとは程遠く、
その従業員用宿舎とされたのは、
旅館本館の裏手をしばらく歩いた木立の陰、
新館建設時の建築用飯場をそのまま流用しただけの、
見るからに斜めに傾いだプレハブ仕立ての掘っ立て小屋。
数年も前から雑魚寝用の煎餅布団を敷き詰めたままの、
ていの良いタコ部屋と言ったところ。
そして何よりも辛かったのがその食事。
三食の賄い付きとのことだったのが、
毎回出されるものは朝も夕も決まって生卵とお新香ばかり。
そのお新香をお膳の真ん中に鎮座ましました鉄板プレートの上で、
玉子とともに炒めて食べるというのが、
この土地の伝統的郷土料理との事だったのだが、
来る日も来る日も出されるのはいつも決まって笊に積まれた生卵と、
どんぶりに山盛りのお新香ばかり。
これではあまりにもあんまりだ、
とは思ってはみたものの、
ふと見れば従業員達は愚か、旦那小旦那大旦那からの経営者の一族も、
みんな揃って来る日も来る日もお新香ばかりの食事。
それに何の疑問を持つ風でもなく、
ただただ黙々と、時として嬉々として、鉄板プレートのお新香を、飽きもせず炒め続けていたりもする。
ステーキ?
お新香のステーキ?
この土地で言うステーキとは、
飛騨牛のビフテキなどではなく、
鉄板焼きにしたお新香、
それを指して言うのである。
なんだって揃いも揃ってこんなしけたものばかり食っているのか?
それはな、と老齢の番頭さんが言う。
見ての通りの雪深い山間の里である。
吹けば飛ぶようなどころか、
ともすればひと冬の間に、
すっかり雪に埋もれて消えてしまうようなこの最果ての限界集落。
峠の道に漸くトンネルが通るまでは、
それこそ毎年毎年十一月を過ぎた頃から翌年の五月の半ばまで、
毎日これでもかと降り積もるドカ雪の中にすっかりと閉じ込められては、
麓の村との音信の全てを断たれてしまったものだった。
そんな孤立した冬の間は保存食で食いつなぐのが常で、
食べられるものと言えば雪に凍ったお新香ばかり。
長い長い冬の間、白い牢獄の奥底に密封されたまま、
ただただこの凄まじい寒さと、
音もなく積もり続ける雪の重圧と、
日一日と迫り来る飢えの恐怖と戦い続けるばかり。
この土地は代々、そんなところであったのだ、と。
と言う訳で、
この限界村落における極限的常備食であるところの、
この来る日も来る日もお新香ばかりの日々。
だがしかしながら、
身体は痩せ細った都会育ちであろうともそれでも一応は育ち盛りである。
日々唯でさえ慣れぬ肉体労働にこれでもかと酷使される中、
ピザもグラタンもフライドチキンも、どころか、
ウィンナーもハムもコンビーフさえもない、
この究極の粗食続きには、
例え後ろ暗い家出少年であったとしても流石にやって行けず、
思わず里心がついては、
たった一口で良いからマクドナルドのビッグマックを思い切り頬張りたい、
夜な夜なそんな夢さえも見るようになって、
初めて知ったこのああ野麦峠のあまりにリアルな疑似体験。
その俄かな飢餓的状況の中にあって、
必然的にその代替の栄養源として、
客の食べ残しに目が行ってしまうのも当然のこと。
それを承知の仲居さんたちが、
気を利かせては広間の宴会の残りものを、
それとなく小皿に取り集めては、
御膳下げの隙を盗んで駆け込んだ給湯室のビールケースの陰、
冷め乾き油の浮いた残り物を、
立ったまま手掴みで貪り食っていたものであった。
とまあそんな事情から、
日々なんだかんだとお裾分けに預かり続けたこの老舗旅館の伝統料理。
毎夜毎夜決まって出されるその看板料理の中に、鯉料理、というものがあった。
こんな人里離れた山の奥地、
出せる料理と言っても山菜ぐらいしか採れるものもなく、
そんな中で生け簀飼いをした鯉料理が、
この秘湯の里の唯一のおもてなし料理であった、
ということであるらしい。
という訳で、毎日が鯉料理であった。
日々、鯉の洗いから始まって、
刺し身から天ぷらから唐揚げから、
そして絶品の鯉こくまで、
生け簀から上げたばかりの新鮮な鯉を使っての、
ありとあらゆる鯉料理が夕膳に並ぶのであるが、
そこで使われる鯉を、裏山の生け簀に取りに行くのが大切な日課のひとつ。
夕刻になって晩飯の下準備がようやく一区切りがつくころ、
おい、ちょっとひとっ走り行ってきてくれ、と出される本数。
普段着にしていたドテラ仕様に綿を詰めた丹前の上から二枚三枚とドカジャンを着込み、
笊を抱えて長靴を履き、
そして忘れてはならない棍棒を一本。
行ってきま〜す!とその時ばかりは元気良く、
裏口から続く雪の回廊へと飛び出していく。
風光明媚の、とは言うものの、
そんな悠長な景色を拝めるのは客室周りの布団の上げ下げの時だけ。
日々を丁稚奉公の下っ端小僧そのままに、
一日中寸暇の間もなくこき使われるばかり。
その間のほとんどを旅館の内部を駆けずり回って過ごしては、
夜も更けてタコ部屋の煎餅布団に眠るだけ。
そんな単調な修羅の日々の中にあって、
唯一その閉ざされた世界から抜け出すことのできる、この裏山への生け簀通い。
人気の失せた雪の木立から、
ふと見上げる空を囲む乗鞍連峰の絶景。
この時ばかりは誰の目も気にせず大っぴらにタバコを咥わえ、
思えば遠くへ来たものだ、と思い切り伸びをしては、ようやく生きた心地を取り戻す、
日々の唯一の憩いの時間であった。
裏山の雑木林の陰、見捨てられた古井戸を思わせる、その積み石で囲まれた小池。
格子柄の網目に雪の積もった生け簀を覗き込むと、
大小様々な鯉達が右へ左へと泳ぎ回っている姿。
どんな極寒の中でもこの生け簀にだけは氷が張らないのは、鯉にも体温があるからなのか、
あるいはそれもこの土地の秘技の一種なのであろうか。
生け簀の中の鯉、その一匹一匹に狙いを定めては、
素早く網で掬い上げて雪の中へと放り出し、
ピチピチと跳ねまわる鯉の、その頭に向けて必殺の一撃。
とたんにビリビリと電気の走るように震える鯉を、
すかさず笊に放りこむ。
良いか、殺すんじゃないぞ。
身が死んでしまうからな。
この棍棒でこの頭のところを、
コーンと叩いて気絶させて半殺し。
そして凍らぬうちに持って来るんだ、判ったな。
水揚げした本数を数え直しては、
そして改めてタバコを一本。
その時になると、逃げまどっては生け簀の端に身を寄せていた鯉達が、
危機は去ったと悟るや一斉にまた泳ぎ始めて、
生け簀の中にはまた束の間の陰鬱な平穏が戻ってくる。
手についた血ぬめりを妙に生暖かい生け簀の水で洗い流すと、
そんな鯉の何匹かが寄ってきては、
餌と間違えて歯のない口でさかんに突いて来たりもする。
そんな魚の見せる愛嬌を前に、
改めてこの生き残った者達とそして笊の中の鯉たち、
その間にいったいどんな運命の悪戯が働いたのか。
この出来損ないの青二才の気まぐれによって、
甘い生け簀の水から突然に掬い上げられては、
突如として頭を叩かれて半殺しの憂き目。
見開いた丸い瞳と、
虚ろに広げられた口をパクパクと震わせながら、
そんな鯉たちに待ち受けている運命。
まな板の上に乗せられたその鯉たちが、
板長であるテツさんの手にかかる時、
尻尾から真っ直ぐに切れ目を入れられ、
トンと頭を落とされたその口が、
パクパクと動いているその間に、
内蔵を取り去られ三枚に下ろされ皮を剥がれては、
みるみるうちに鮮やかな桜色の肉片へと化けていく、
その魔法のような妙技。
身体を失っても尚、虚ろに息を続けるその頭部を、
生きたままに縦真っ二つにかち割っては、
鯉こくの味噌鍋の中に放り込み。
そして俎板の上に残った血糊を洗い流されては、
鯉の生きた痕跡は跡形もなく拭い去られ、
そしてまた新たな鯉が、俎板の上に乗せられていくことになる。
気がつけば見上げる空にはすっかりと重い雪雲が立ち込め、
いつの間にかまた降り始めた雪が、
笊に積まれた鯉の上に薄っすらと覆っては微かに血に染まり始める。
今夜は吹雪そうだな。
そんなことも知らずに、水に入れた指先に、
乳でもを吸うように絡みついてくる幼気な生け簀の鯉たち。
明日はどの鯉が俎板の上に乗せられることになるのか。
その前に今夜の吹雪を生き抜く事が先決だが。
じゃあな、また明日。元気でな。
駆け足で暮れてゆく山の夕暮れのその一瞬の刹那の中に、
最後につけたタバコの煙りに目を焼きながら、
笊の中に抱えたその鯉たち。
いまにも消え入ろうとする魂の痕跡が、
舞い降る雪の空に流れるタバコの煙のように、
虚ろにかき消えて行くのが見えたような気もしたものだ。
ごめんな、悪く思うなよ。これも、仕事のうちなんだ。
♪
改めて、この奥飛騨という土地は奇妙な場所であった。
八方を高嶺に囲まれたその得も言えぬ閉塞感から始まり、
時として一晩のうちに数メートルも降り積もるという、
この雪という陰鬱な化け物、その例えようもないほどの重圧感。
そして何より天空を覆ったその分厚い雪雲にどっぷりと包み込まれては、
吹雪始めた途端に一寸先さえも定かではなくなってしまう、
そのあまりにも壮絶な雪の牢獄。
夜ともなればマイナス十度を軽く超える極寒の地。
仕事を終えて深夜に浴びた風呂。
その洗い髪が宿舎に帰る頃にはすっかり凍りついてカピカピのパサパサ。
濡れたタオルをそのままバットにして素振りができる、
そんな凄まじいばかりの寒気の中に、
睫毛から鼻先からありとあらゆるものが凍りついては、限界的厳寒の地。
山で道に迷った者は朝までにはすっかり凍りの彫像。
それどころか、酔った客が露天風呂にいく途中に、
中庭の途中に道を見失って、植木の中で凍死していた、なんて事さえあったと聞く。
改めてこの土地が世間から隔絶された雪と氷の牢獄。
山岳地帯の中空に取り残されたどん詰まりである事を思い知らされる。
ここが世界のどん詰まりだって?
いや実はその逆だ。
遠い昔、この飛騨の土地こそが日本の始まり。
この日本国の中心であったんだよ。
飛騨高天原伝承にもあるように、
ノアの洪水に唯一生き残った日本人発祥の地。
この飛騨と言う土地はまさに神話の時代の息づく古代世界の溺れ谷。
天と地のその境目であり接点、
それは言うなればあの世とこの世のグレイゾーンのようなもので、
神を呼び降ろすかのような、日抱御魂鎮から始まり、位山のピラミッド伝説、
或いは、まことしやかに聞かされた雪女を始めとする民間伝承の数々が、
ふとすれば窓の外を荒れ狂う雪嵐の中に、
或いは一歩戸外に出た途端に突如として巻き込まれるホワイトアウトの中にあって、
そんな神話的世界観そのものが、
ともすれば生々しいまでの現実味を持って周囲を包んでいる、
そんな気がしていたのは確かだ。
事実、武家屋敷を思わせる旧館の佇まい、
その至る所で妙な気配を感じることがあった。
八百万の神々の息吹と言うよりは、それはまさしく霊気。
ありとあらゆるものをみしみしと締め上げるばかりの寒気から、
じっとりと湿気を含んで膨らんだ家屋の息吹から、
そして黒光りしては氷のように冷え切った板間の廊下から、
それを支える柱の一本一本に至るまで、
その目に映るもののすべてが、
時として妖気さえも感じさせる程に蠢き初めては、
確かな存在を漂わせては絡みついてくる。
ここにはなにかがいる。
そんな俺の怖気をからかうように、
古参の仲居さんたちから事あるごとに聞かされるその手の話。
あの部屋は出る、あの部屋も出る、あの部屋もそしてこの部屋にも、
浴衣を着た女が、見知らぬおばあさんが、気の触れた芸者が、
血塗られた落ち武者が、赤いちゃんちゃんこを着た子供がひとりふたりと連なって・・
そんな冗談とも取れる戯言のひとつひとつが、
いざこの広大な古屋敷にふとひとり取り残された途端に、
明らかな実感を伴って闇の中からその存在が浮き彫りになってくるようにも感じられたものだ。
確かに近いな、と思っていた。
ここは天に最も近い霊場なのだ。
或いは地下に眠る豊富な鉱物資源による磁気の乱れなのか、
八百万と言わず、山の神と言わず、
目に見えぬだけの明らかなる気配が、
そこかしこに、あるいはこの里全体を、
すっぽりと包み込んでいるような、そんな気がしていたものだ。
あるいはそう、この土地に住み始めてから、
自然とその手の感覚と言うやつが、
研ぎ澄まされていったのかも知れない。
なあ雪女の由来を知っているか?
この場で唯一気の許せる存在であった、
見習い板前のカツさんが言う。
吹雪に巻かれた連中がな、
ようやく捜索隊に見つけ出された時、
その亡骸が、雪の中で決まったようにすっぽんぽん、であるらしい。
で、その魔羅がな、どれもこれも、ピンピンにおっ立ってるって言うんだ。
捜索隊はその魔羅の先、
あのホオズキの赤い灯りを目印にするってな話でさ。
さては奴さん、吹雪の中で雪女に拐かされては、
さぞかし良い夢を見て果てたらしい、と。
いいか、吹雪の中で道に迷ったら、悪戯に歩き回っちゃ行けねえ。
そんな時にはどっしりと気を落ち着けて、そして神木を探すんだ。
シンボク?
そう、山の木々の中に、一本だけ、神様の宿る木ってのがある。
それはちょっと見た目だけじゃ判らない。
時として、一番古い木であったり、一番立派な木であったりもするんだが、
大抵においてそれは、見栄えのしない、痩せた朴の木であったりもする。
ただ、お前がもしも山の神に愛されていた時には、
吹雪にまかれたお前を、その神木が呼んでくれる筈だ。
その時には神木の麓で神様に祈りながら、
吹雪の収まるのをじっと待つに限る。
さもなければ死ぬまでの間、吹雪の中を闇雲に、
同じところをグルグルと回らされる羽目になるからな。
実はな、うちの家系は代々、木こりの長:おさだったんだ。
で、前のあの、峠の工事があった時にな、
東京から来た建築会社の案内を、
この村の木こり連中が担うことになった。
で、その建設会社のお偉いさんの言うには、
この木とこの木とこの木を、切り倒さなければ工事が進まない、という。
ただ旦那、この木は、神木ですぜ。
これを切り倒しては神様の罰に当たりまさあ。
そう言って躊躇する木こり連中を鼻で笑った東京のお偉いさん。
だったらこんな木、この私が切り倒してやる、とばかりに、
斧を振り上げた途端に足を滑らせて谷底に向けて真っ逆さま。
危うく命綱一本で命をとりとめたのは良いものの、
ただ、そんな不幸が続く中、峠道の開通はなによりも村の悲願。
協議の末に、木こりの親方であった俺の親父が、
その損な役どころを引っ被ることになったらしい。
その夜、俺は親父に呼ばれてな。
神木をそうと知って切り倒した俺はもう命は無い。
家族を頼んだぞ。後はすべて木こり仲間が面倒を見てくれる手配だと。
それと同時に、親父は俺に、山を降りろ、と言ったんだ。
神木を切ったからには、うちの家系はもう木こりを続けることはできない。
学校を出たら里を降りて、そこで自由に暮せば良い。
子供ながらにまさかこの時代、そんな馬鹿げたことがあるものか、
とは思っていたのだが、夜更けを過ぎていきなりおふくろに揺り起こされては、
妹を連れて朝まで裏の納屋に隠れていろと言う。
そしてその夜、親父は枝払い用の鉈でおふくろの頭をかち割っては、
気の触れたまま褌一丁で山の中に消えた、ということだ。
朝になって外に出た時、
納屋の周りにぐるぐるぐるぐると何重もの裸足の足跡が残っていてな。
魔に憑かれた親父がいったいどんな様子で
俺たちの気配を伺っていたのかと思うと、
いまでもそんな夢に魘されて飛び起きることがある。
いいか、この土地はな、そういうところなんだ。
神話の世界のままに置き去りにされた時代の溺れ谷。
電話やらテレビやらそんなものがいくら増えたって、
この雪がある限り、この里は早々と変わるものじゃない。
そう、この雪、このクソ雪のおかげで、
人間はいつまでたっても野獣と似たり寄ったり。
雪の中に埋めたお新香で食いつないでは、
時として木の皮だって食い尽くす、
そんな生活から、まだ一歩も変わっちゃいねえんだ。
いいか、この場所は、いまだに神様の場所なんだ。
それはいまも昔も変わっちゃいない。
それを、忘れないことだ。
♪
とそんな山の暮らしにもようやく慣れ初めて来た日の事。
いつものように慌わただしい朝。
大広間でのご朝食の片付けが終わり、
チェックアウトまでの一瞬の隙をついては、
厨房の脇にあった賄い用の小部屋に走り込み、
いつものように生卵とお新香ばかりのおかずに味噌汁をぶっかけては、
掻き込むだけ掻き込むどんぶり飯。
ちょっと人の居ぬ間のお替りをもう一杯、と立ち上がったその時、
ふと、視界が、薄れた。
どこか遠くでサイレンが鳴っていた。
夢に見ていたのは夜更けの江ノ島。
駐車場の入口で大ゴケしたところを、
ケツにひっついてきた糞パーカーどもが、
ピラニアよろしく集まって来やがった、
やばい、逃げねば・・・
と、見る見ると近づいて来るその忌々しいサイレン、と思っていたのは、
実はと言えば俺自身の発していた奇声で、
そんな俺は、空のどんぶりを持ったまま朝食のテーブルの上に倒れ伏し、
身体中に味噌汁から醤油からソースからそしてお新香からを被ったまま、
まるで気の触れた怪鳥のような叫び声を上げていたらしい。
すわ、癲癇の発作か、と勘違いした大旦那が、
口の間に割り箸を突っ込もうとしていたところを、
交通機動隊に羽交い締めにされては喉の奥に警棒を突っ込まれそうだと勘違いしては、
てめえ、何しやがるんだこのやろう、と反射的に胸ぐらを掴んだところでいきなり我に帰った。
おまえ、いったい、どうしたんだ!?
都会育ちのもやしっ子が慣れない力仕事に過労が重なったのか、
毎夜毎夜、板前のカツさんに付き合わされての飲み過ぎによるものか、
まあ確かに最近ちょっと風邪気味ではあったものの、
だがしかし、俺の知る限り我が家の家系において癲癇持ちなんて話は聞いたこともなく、
ましてや、都会育ちと言えども、これでも一応は健康優良不良少年の鑑とされてきた俺である。
これまでどれだけの無茶を重ねたと言っても、まさか貧血を起こして卒倒するなど、
俺自身にしてもまったく考えもつかないことであったのだ。
いったい、俺、どうしちまったんだ?
さすがにその日は一日休みを貰い、
頭から被った味噌汁を洗い流すために
デッキブラシを片手に掃除がてらの露天風呂で朝風呂に浸かっては、
誰もいないタコ部屋の真ん中にひとり、
カツさんの差し入れてくれた卵酒を啜りながら、
一日中をぐっすりと寝て過ごしたのだが。
その翌日、まるで昨日の騒ぎなどすっかりと忘れ去ったまま、
いつものように昼飯後の大掃除。
本日の客の到着を待つ間に、
電気掃除機を持ち出してはもつれるコードを引っ張りながら、
正面玄関の赤いカーペットに掃除機をかけていたそんな時、
ふと、おい、XX と名前を呼び止められた。
その老舗旅館は代々と続く家族経営で、
大旦那夫妻と、若旦那夫妻家族の、
親子二代で切り盛りしていたのだが、
その大旦那の祖父母、亡くなった先代の母にあたるところの、大婆、と呼ばれる
百歳を超える老婆がいまだに存命であった。
元々は越後商人であった創業者であるところの親旦那が、
神岡の鉱山景気に便乗して始めた商人宿。
その一人娘であった大婆は、
当時から野麦峠を越えて信州へ出稼ぎに出た村の娘たちの中にあっては、人も羨むお嬢様。
都会の女学校に遊学したハイカラさんであったらしい。
その大婆、すでに海老のように腰が曲がり、
牛乳瓶の底のようなメガネをかけては、
くたびれた和服の裾を引きずるようによたよたと歩く、
というよりは這いずるようにして、
人知れず影のように座敷わらしのように、
旅館内を徘徊して回っているのは知っていたのだが、
最早耄碌の峠を二つも三つも越えては、
いまとなっては、惚けが進んで、まともに口がきけないどころか、
意識があるとも思えず。
そしてそんな大婆が、玄関に午後の陽が差し込むころになると、
いつも赤いカーペットのその片隅に座布団を持ち出しては、
その日溜まりの中で居眠りをする猫そのままに、
うつらうつらと船を漕ぐ、そんな風景が日常となっていたのである。
掃除機の上げる爆音もいっさい気にならないのも、
すっかりと耳が遠くなっていたからで、
ほらほら大婆、掃除の邪魔だから早くそこをどけ、と通りかかった旦那に怒鳴られても、
何食わぬ顔でこっくりこっくりと転寝を続ける、
人というよりはまさに置き忘れられた招き猫のような存在であった。
そんな大婆の存在を気にも止めず、黒光りする板間の上に敷かれた、
場違いな古いカーペットを擦り上げながら、
さすがにあれだけよく寝るとすっかりと元気が戻っている、
自身の回復力の凄まじさに意気揚々としていたそんな時、
おい、XX、といきなり名前を呼ばれては、はっとして辺りを振り返った。
ちょっとこっちへ来い、と呼びかけた声の主。
まさか、この大婆が?
その初めて聞く大婆の声が、おまえ、コイを、殺したな、と耳の奥に響いた。
コイ?あの、生け簀の鯉?
情けをかけただろ?
情け?鯉をしめる時に?
殺傷をするときには、情けは禁物だ。
その情けに、憑り入られる。
憑り入られる?
一分の虫にも五分の魂。
鯉にしたってむざむざ殺されるのは無念な筈。
その最後の一念で、このやろうと食いついて来やがるんだ。
そこでお前にちょっとでも情けなんてものがあったなら尚更だ。
その情け、そんなお前の弱さに、奴らが憑いて来やがったんだ。
鯉ごときに祟られるとは、お前もつくづく弱い男だ。
覚えておけ。お前には殺傷は無理だ。気持ちがヤワ過ぎる。
生け簀の鯉をしめる仕事は、誰か他の者に代わって貰え。
それから、お前は鯉を殺した。そんな鯉どもに祟られた。
鯉は学問の神様。お前にはもう、学問への道は閉ざされた。
これからの人生、学にすがろうとしてもろくなことはないぞ。
それがお前の運命の器というやつだ。それを忘れるな。
ふと気がつくと、大婆はまるで重く垂れ下がる頭を膝の間に埋めるようにして、
鞠のように丸まりながらこくりこくりと細やかに身体を揺らしていた。
改めて掃除機のスイッチを切った途端、
轟音の吸い込まれた後の耳鳴りの中から、
人気の失せた午後の正面玄関、
開け放たれたガラス戸から吹き込むキリリと澄んだ空気と、
柔らかなな山間の陽射しの差し込む、
そんなありふれた午後の空気が戻って来た。
訪れた沈黙の中で、あの、と大婆に声をかけてみたのだが、
大婆は転寝に揺れるそのやせこけた身体をこれ以上なく丸めたまま、
古びた眠り猫の置物そのままに、安らかな沈黙を続けるばかり。
俺は鯉に祟られた。
昨日のあの癲癇は、鯉の祟り、であったのか。
その夜、またいつものようにカツさんを相手に、
酔いが回ったころを見計らって、午後の大婆の話を打ち明けてみた。
大婆が?まさか、俺だってここに来てもう四年になるが、
あの大婆が口をきいたなんて話は聞いたことがない。
だとしたら、まあ、山の神かもしれないな。
山の神?
言ったろ、この土地はそういう土地なんだ。
あの山々からどこもかしこも神様だらけ。
つまりお前の聞いたその大婆の声ってのも、
大婆の姿を借りての山の神のお告げってやつだろ。
まあ、どこまで真に受けるかはお前次第だが、
覚えておいても損はねえってことかも知れねえな。
あるいはもしかすると、お前はそのお告げを授かるために、
こんな山の奥まで、まんまと誘き寄せられたのかもしれないぜ。
まあせっかく授かった神様のお告げだ。
せいぜい大切に胸に刻むことだ。
♪
という訳で、そんな鯉の祟りにやられては、
すっかりしょげ返ってしまった俺。
ほんの出来心の気まぐれが、
ひょんなことから妙な方向に転がっては、
後はまるで坂道を転がるように、
次から次へと悪い目しか出やしない。
あるいはそれはちょっとしたボタンの掛け違え。
どこまで行っても平行線のすれ違い。
流れ流れて流れ着いたその先で、
挙げ句の果てに生け簀の魚の逆恨みを買っては、
祟りにあって一生が台無し。
俺の人生、つくづくツイてない、と思い切りのため息をひとつ。
そしてこうしてボタンを掛け違えたまま、
なにをやってもろくな目の出ないすれ違いばかりの人生、
その坂道をこのまま転げ落ちて行くばかりなのか・・
と、そんな時、おい、若いの、と背後から呼び止められた。
すわ、また山の神か、と思いきや、
それは、古巣の番頭のヤスさん。
見るからに好々爺のご老人、でありながら、
いつも決して外すことのないその左手に嵌めた手袋。
ただどんなときにも、その小指だけはピンと立ったまま。
聞く所に寄れば、戦争中にいろいろあって、ということなのだが、
良く良く聞いてみればこのヤスさん、
その仏のようなご容姿からは想像もつかないながら、
嘗ては北は北海道、南は沖縄まで、
日本列島津々浦々にその名を轟かせた、
暴れん坊の大親分であった、と聞いた。
なあに、昔のことさね、と肩を竦めながらも、
夜も更けて必ず最後に入るその湯けむりの中に、
背中一面に彫り込まれた鮮やかな般若の姿が、
毒々しくも浮かび上がる、と聞いた。
おい、若いの、大旦那が、外湯でお呼びだ。
外湯?外湯って、あの露天風呂?
さては、と思った。
さてはまた、お客の誰かが、湯殿の湯垢に足を滑らせて、
つまりは、徹底的に掃除をしておけと、そういうことだろう。
という訳で、デッキブラシにバケツを下げて、
雪に埋もれた日本庭園の敷石を飛びながら、
いったいこんな日々がいつまで続くやら。
ふと気がつけばクリスマスも過ぎて、
正月を目の前にしているというのに、
俺は相変わらず、そんな年の瀬ムードなどとはまったく切り離されたまま、
雪の狭間をデッキブラシひとつ。
今頃、新宿の街は師走の喧噪の最中。
色鮮やかなイルミネーションの煌めくガラスの街。
ジングルベルの名残りに歳末大売り出しの絶叫が重なり、
ビル街を吹き荒ぶ寒風に煽られては追われるように急き立てられるように
忙しなく犇めき合う人々が、まるでこの世の終わりのような狂騒に湧き返っている頃だろう。
俺が居なくても、俺など居なくても、
確実に世界は回っていく。
そんな当たり前なことに感じ入っては、
なんだかちょっと損した気分、なんてことを思っては、
おいおいどうしたんだよ、と思わず頭を振る。
あれ程まで倦んでいた新宿の雑踏が、
何故にかこれほどまでに懐かしく思い出されるなんて。
あいつら元気かな、と仲間たちを思う。
もう期末試験も終わっちまった。
赤点の確実な以上、これで留年も確定。
みすみすいっこ下の奴らと机を並べるぐらいであれば、
このままいっそ学校など辞めてしまうほうがせいせいする。
そもそもその覚悟で家を出たんじゃないのか、
とそうは思いながらも、
あの苦渋を噛み殺して見下ろしていた校庭の風景さえもが、
なぜか不思議なぐらいに瑞々しく蘇って来たりもするのだ。
湘南海岸の潮風、夜露に濡れた浜辺、
胸に膨らむあの生臭い磯の香り。
海が見たいな。
堪らないほどに海が見たい。
そしてあの犬だった。
いまとなっては裏庭につながれたまま、
誰からも省みられなくなった老犬の姿。
寂しがっているだろうな。
あいつもここに連れて来てやるべきだったのかな。
憎んで憎んで憎み切っていた筈の、
欺瞞と打算と退屈とに雁字搦めにされた、
あの捨ててきた風景の、そのひとつひとつが奇妙にも堪らない程に愛おしい。
そして見上げる空に飛騨の山々があった。
この風景も、いつか思い出の中の1ページとして振り返れる、
そんな時が果たしていつか、本当にやって来たりもするのだろうか。
珍しく晴れ上がった空の下、雪を湛えた生け垣の上から、
もうもうと立ち上る湯煙りが空に散った途端に凍りつき、
差し込む陽光の中にキラキラとダイヤモンドの粉が降り注ぐ様。
思えば遠くへ来たものだ。
そしてこの先、どこに流れていくのやら・・
この手を返すと、おれの人生が、
シカゴ、セントルイスまで、
甘い恋の浮名流し・・
と、そんな鼻歌まじりにデッキブラシを擦り始めた時、
ふと、その湯煙の奥に、人影があるのに気づいた。
お客? こんな時間にお客が風呂にはいっているのか。
長逗留の客だろうか・・
おい、と湯煙の中からしゃがれた声がした。
若いの、そんな掃除なんてどうでも良いから、
お前もちょっと、湯にでも浸かってみろ。
大旦那?大旦那ですか?
まあ、そんなことは良いから。
人間、裸になれば大旦那も小旦那もクソもねえや。
勧められるままに服を脱ぎ捨て、
そして恐る恐ると浸かった湯船。
どうだ溜まった疲れが一気に取れるだろ。
ここまで朝から晩までこき使われちゃあ、
いくら若いと言っても都会育ちのもやしっ子には、
ちょっくら身に応えたかもしれないな。
いや、そういう事では、と口ごもって、
そう言えば大旦那、大婆が話すのを聞いたことがありますか?と聞いてみる。
大婆?ありゃ駄目だ。もう何年も前から惚けが来てな。
日抱のお告げがどうの、白猿のお使いがどうのと、
妙なことを言い始めたかと思ったらあの通り。
ただ、身体だけは丈夫なようで、
寝たきり、なんかにならねえで早いところぽっくり逝ってくれれば大往生だろ。
で、会話能力というのは?
いやあ、ここ数年、まともな話をしているのは聞いたことがねえな。
いつも寝言のようなことばかりで、人間の言葉はすっかりと忘れちまったらしい。
で、なんでそんなこと聞くんだ?と大旦那。
いやあ、実は、と。
山の神だ?そんな訳はねえだろう、と高笑いをする大旦那。
でも、俺は本当に聞いたんですよ。
大婆の話す声を。
で、俺はそんな大婆の姿を借りた山の神のお告げで、
鯉の祟りを受けた以上、大学受験もお先真っ暗。
この先の人生、なにひとつとしてなにもろくなことがないだろう、と。
やれやれ、と大旦那。
カツの野郎、相変わらずだよなあ。
そんなことだから、いつまでたっても、
魚一匹まともに下ろせねえどころか、
天麩羅ひとつろくに揚げられねえ、って。
テツさんももうあの歳だろ?
そろそろ、譲ってやっても良いと思ってるんだろうが、
カツがあの調子じゃなあ、先が思いやられるというものだ。
そもそも、山の神だ、なんだなんて、
そんな迷信を信じることからして、
あの山の魔物どもに、すっかりやられちまってるってことなんだよ。
いいか、屠られる鯉が望んでいるのは、
要らぬ情けをかけられては、メソメソされる事なんかじゃねえんだ。
鯉の身体には山の精が籠もっている。
つまりは山の使いなんだ。
そんな鯉を、たらふく食って、
そして強くなれ。
強くなって強くなって強くなって、
鯉の生気を身体いっぱいに蓄えては、
山の神どころか、あの山の一つや二つ、
ぶっ飛ばせるぐらいの強い男になってみたらどうだ。
山がお前を呼び、山がお前を育ててくれるんだ。
お前に取り憑いたっていうその鯉を逆に使って、
この川から滝を昇って、あの乗鞍の山の頂上まで
遡ってみろってんだ。
心配するな。
お前がこの山を降りるその時まで、
そのもやしっ子のヤワな根性を、
徹底的に鍛え上げてやる。
大丈夫、春までここの仕事が続くのなら、
世界中どこに行ったって恥ずかしくはない、
鯉どころか山の神様だって
腰を抜かすようないっぱしの益荒男、
何があってもぜったいに負けない
そんな男になっている筈だ。
いいか、山の神様はお前にそれを課すために、
お前をここに呼んだんだよ。
青二才のもやしっ子の癖しやがって、
能書きばかりをこじらせてこじらせ続けたその身体から、
毒という毒をすべて洗い流す為に、
乗鞍の神さまが、お前をお呼びになったのさ。
さあ ぼっとしてる暇はないぞ。
湯から上がったら駐車場の雪掻き。
それが済んだら次は大浴場の掃除。
あ、それからな、
毎晩毎晩、カツの泣き言になんて付き合ってることはねえぞ。
家出少年だってまさか参考書の一冊ぐらいは持ってきているだろう。
この冬の間、その一冊だけでも隅から隅まで丸暗記するぐらいに、
徹底的に読み込んでみろ。
二階の奥に、朴の間って部屋があるだろ。
あそこに以前長逗留していた大学の先生が、
突然、脳溢血で逝っちまったことがあってな。
それ以来、あのバカな仲居の婆あどもが、
出た出たって騒ぎやがって、
今となってはすっかりと開かずの間。
あの部屋ならいつでも空いているから、
こっそり忍び込んでその大学教授の幽霊とやらに、
家庭教師でも頼んでみたらどうだ?かっかっか。
いいか、温泉宿なんてのはな、
人生の吹き溜まりの、そのどん詰まり。
ヤクザもの崩れから板前崩れから、
全国一斉指名手配なんてのまで、
世の中から転げ落ちた堕れ者ばかりだ。
お前はまだまだ、そんな世界を見るには早すぎる。
鯉の祟りじゃねえが、
人間どうせいつかは落ち着くところに落ち着くんだ。
無駄な足掻きも時には大切だろうが、
人の道だけは外しちゃならねえ。
それがどういう意味だか判るか?
自分にだけは、嘘はついちゃならねえってことだよ。
ここは俺の居るところじゃねえって、
お前の顔にそう書いてあらあ。
さあ、そろそろ逆上せて来ただろう。
さっさと湯を上がって、そこの雪で顔でも洗って、
綺麗さっぱり、戯言の毒を洗い流してしまえ。
湯から上がって、すっかりと逆上せた頭を振りながら、
あ、やばい、デッキブラシを忘れてきた、と引き返した露天風呂。
ふと通り過ぎた風が湯煙を舞い上げた中に、
おかしいな、大旦那の姿は既に無く。
デッキブラシを置いては、シャベルに持ち替えて、
駐車場の雪掻きを始めた時になって、
その目の前から入って来た見慣れたクラウン。
やあご苦労さんご苦労さん、
と、昼間からほろ酔い気分で赤ら顔の大旦那。
遂に遂に、スキー場開発の段取りが決まった、
次に来てみろ、この鄙びた温泉街が、
都会の女子大生たちで犇めき合うぞ、がっはっはっは。
はいこれ、ご褒美、と渡された千円札。
これでたまには、街で美味いものでも食ってこい、
と、そんな暇があったら苦労はない。
相変わらずというかなんというか、
この大旦那という人は・・
という訳で、あの露天風呂の大旦那、
あれはいったい誰だったのか。
思わず眼の前の大旦那をまじまじと見つめては、
声を上げて笑ってしまったものであった。
ったくもって、この飛騨の山里、
なにからなにまでがどこかおかしい。
まあどうでも良いけどな、と、
笑いしか出ねってのは、まさにこのことだ、と、
あの湯煙の中の大旦那を真似て、
かっかっか、と笑ってみた。
という訳で、
そこは北アルプス山渓に抱かれた秘湯の里の、
明治時代から続く老舗旅館。
さすがに長い歴史を刻み続けてきただけのことはあって、
そこで過ごしたひと冬の間、
いやはやまったく、本当にいろいろなことがあったものだ。
♪
二月、金毘羅の宵祭りを過ぎ、
三月も近くなってようやく寒さも緩み始めた頃になって、
珍しく振る舞われた季節外れのお雑煮、なんてものを啜っていると、
ふと裏口から人影が見えた。
あの、といかにもバツの悪そうな顔で、
その長身をこれ以上なく縮こめた痩せた男と、
その後ろに姿を隠すような小柄な女の姿。
あれまあ、と、箸と茶碗を持ったまま目を丸くして立ち上がる人々。
どうも、ご無沙汰しております、と。
以前ここで働いていた番頭と仲居、
ある朝ふっと姿を眩ませては梨の礫であったお二人。
母の背におんぶされたその幼子。
語り始めれば切りのないその積もる話の数々の中で、
日本中の温泉宿から温泉宿へと流離い歩く、
その現代の流浪の民たる温泉流人。
その頃になれば、これも人生それも人生、
と受け流せる処世も身に着けていた俺、
その夜になって思った通り、
悪いが、そう言った事情で、と、これまでの給料に、
ちょっとばかりの交通費を上乗せされた封筒がひとつ。
来た時と同じように、その時だけは、と表玄関からの出立の時、
ふと見れば、その見送りの人々の片隅に、
ちょこりと座った大婆の姿。
大婆、世話になりました、と頭を下げると、
あれまあ、大婆にまで、と笑う人々。
では、お達者で、と深々と下げた頭のそのすぐ後ろで、
このバカ者が。もう帰ってくるなよ、かっかっか、とそんな声を、確かに聞いた。
♪
幸か不幸か、俺の流浪は続いている。
その後の紆余曲折の果てに流れ着いたのは、
奥飛騨の温泉郷ならぬ、世界の都・ニューヨーク。
大婆の言いつけ通り、その後あの場所に帰ることもないままに、
ふと、夜更けの寝際に思い浮かんだあの老舗旅館の名前。
そうか、もう潰れちまったんだな。
北陸新幹線から、そしてなにより安房のトンネルの開通から、
半日足らずでたどり着けるあの天と地のグレーゾーン。
格安高速バスに揺られて次から次へとやってくる観光客たち、
その時代の激流の中で、いつしかあの老舗旅館も、
人手に渡ってはすっかりと近代化。
あのおどろおどろしくも物の怪の気配に満ちていた武家屋敷の佇まいも、
今となっては時代の狭間にすっかりと葬り去られてしまったようだ。
あの湯煙に包まれた露天風呂の湯殿で、
大旦那から言われた唯一の参考書であったデル単。
いまこのニューヨークにあってもページを開く度に、
深夜も更けた開かずの間の裸電球の下、
湿った畳の上で、窓を叩く雪の嵐を見つめていた、
あの時の切羽詰まった感傷を、生々しくも思い出したりする。
大婆の予言通り、学で身を立てることはなかったものの、
日本全国、どころか、世界の津々浦々を流浪を続けながら、
どうにかこうにか、こんなところにまで辿り着いてなお、
人間どうせいつかは落ち着くところに落ち着く筈の、
その落ち着き先の見当たらないまま、そんな人生を歩み続けている。
ただ、その後の七転八倒の世界流浪の旅路の中で、
奇跡的なまでの幸運に恵まれては辛くもこの生命を繋いで来れたのも、
いまにして思えば、あの奥飛騨の山の神ならぬ大旦那の言葉、
あるいはそう、大婆ならぬコイの祟り、それから転じたご加護が、
なんらかの力になってくれたのか、と思ってみたりもする。
あのいにしえの神話の国でのひと冬の体験、
ただ一つ、あの雪の山里で学んだ教訓があるとすれば、
今になっても釣りにだけは手を出さない、それぐらいなものだろうか。

プロフィール
Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集
*お断り
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁
©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ
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