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徒然なるままに「才能」とはいったいなんなのかについて

Posted by 高見鈴虫 on 02.2018 音楽ねた   0 comments
「本物だから到れる音楽の聖域」

前回綴った矢野顕子+セイホー、
その勝手な思い入れに反して、
やっぱりすっかりスルーされてしまった感がある。
と言うわけで先ずは懲りずに性懲りも無くも、
蛇足的に付け足し的にダメ押し的に、
いやあ、だから、すごかったんだよ、矢野顕子とセイホー。

ジャズとテクノ、和と洋、アナログとデジタル、
その水と油のカップリングの中で、
唯一共通している点があるとするならば、
その超絶的なまでの映像的な旋律。
無意識下の中に封印されていた筈の原風景、
その扉を開け放っては凍った記憶の溶解を促す、
言ってみればこれ、ディフロスト、
夢の中を揺蕩うようなセイホーのデジタル音源の中に、
突然にして炸裂するアナログ・ジャズのテンションコード。
それはまさに、音色の衝突、旋律の戦慄、
音量の大小に関わらず、そこには確実に、
音と音の衝突と融合、その壮大なドラマがあった訳で、
その電磁波の津波の中で思わず電子レンジに頭を突っ込んでは、
脳みそをまるごと解凍モード。
途端に思考が記憶が、妄想が幻想が暴走しては、
思わず五感+@へのアルタード・ステイツ的異次元空間、
その新たなるインナートリップへの緒が、
垣間見えたような、そんな気がしたものであったのだが。

という訳で、
矢野顕子+セイホー、その宇宙的なまでの、
と同時に極々地球的マザーネイチャー的な土着感をも漂わせながら、
その旋律によって導かれる原風景的な映像。
午後の紅茶の香りを引き金に、
突如として忘れ去っていた筈の初恋の記憶がまざまざと蘇るスワンの恋。
そんな私小説的問わず語りの止めども流れる記憶の洪水。
幼少の頃に観ていた映像がモンタージュ的にコラージュ。
ヌーヴェルヴァーグとアメリカン・ニューシネマとマカロニ・ウェスタンと日活ロマンポルノとATG、
そのビビッドな映像シーンのコマ切れ。
そこに旅の中で垣間見た一瞬の奇跡、その詩的光景の記憶と混ざりあい、
そしてそれがあろうことか、
眼前に広がるニューヨークの町並み、
つまりは現実世界と溶解・混同を初めてしまっては、
眼の前の現実風景がすでに思い出のアルバムの中にあるかのような、
或いは遠い過去の記憶が未来と紐付いてしまったかのような、
そんな異次元世界のデジャヴ的現実の中に彷徨い込んでいた訳であったのだが。

という訳で、改めてこのセイホー氏の創造する無意識解凍電磁波サウンド。
敢えてYOUTUBEの映像を追うのはやめ、
作業中、読書中、あるいは睡眠導入の中で、
その音源だけに浸りきりながら、
果たしてその脳裏にいったいどんな映像が蘇ってくるのか、
そのインナートリップをお愉しみ頂きたい。






え!? お立ち台が3つ!? 謎のシンガポール公演でなにがあったのか? その詳細求む!

Posted by 高見鈴虫 on 04.2018 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments
という訳で、うかうかしているうちに世界は12月。
つまりは2018年、今年最後のツアーが始まる訳なのだが。
いや、実はさ、
例のユイのニュースからこの方、
或いは、2018年のスケジュールに、
マジソン・スクエア・ガーデンは愚か、
ここニューヨークでの公演が一切含まれていない、
なんてことが度重なるうちに、
いつしかベビーメタルと聞く度に、
どういうわけかどこかちょっとしたほろ苦さ、
なんてのがぽっと脳裏に広がってしまうようにもなっていて。

つまりはこのダークサイド、
俺的にはそれはイコール、迷走、ということなのだろうか、
なんて感じにも思えてしまったりもするのだが、
この何から何まで迷走を続けるご時世の中にあって、
唯一の希望のスターライトであったベビーメタルも、
やはりいつしかこの迷走の罠にはまり込んでしまっていた、
ということなのだろうか、と。

いや、まあ、そう、ただの、印象、である訳なんだが、
そう、つまりはこの脊髄反射的な印象、
理由やら説明がつかない分、始末が悪かったりもする訳でさ。

いや待てよ、ベビーメタルにほろ苦さ?
それ逆だろうが、と。

ベビーメタルと言えば、若く元気溌剌、
常識も通説もすべてをあっけらかnと覆す、
恐れをしらぬ怒涛のポジティブ・パワー、
その象徴であった、この奇跡の三人娘。

ベビーメタルと聞く度に、思わずアドレナリンが噴出しては、
胸がドキドキ頬が赤らんで、で、思わずそんな自分にニマニマしてしまう、
その印象があった筈、なのだが・・

それがいつしか、ほろ苦さ、
ともすれば、悲しみ、無力感、あるいは、不条理感、
なんてものに、すり替わって居たなんて・・

いや違う、それ違う、それわなにかの間違いだ、と。

そう、なにはなくとも我らがベビーメタルである。

それがベビーメタルである以上、
なにがあっても、応援しない訳にはいかない。

だってさ、と、思わず。

ベビーメタル、オレたちの、バンドじゃねえか、と。

そう、この、オレたち、というところが味噌。

その俺達、という共通認識。
それは、日本の、という意味でもあり、ロックのという意味でもあり、
或いは、もっともっと広い意味を込めて、
ベビーメタルというひとつの美学を、対象を、熱愛する、という意味での、
ある意味での共同幻想を共有する、という意味での、
オレたち、という言葉。
そんな、オレたち意識に支えられて来たベビーメタル。
俺達のバンドが世界を覆す、その世界征服の夢。
その夢を共有していた仲間たち。

そう、ベビーメタルは、オレたちのバンドなのだ。
それはなにがあっても、変りはしない。
その筈じゃなかったのか・・!?

という訳で、本日、シンガポール公演であった。

BABYMETAL☆シンガポール2018その全貌が明らかに~いやはやベビーメタルには勝てないよ、なにがあってもさ:

Posted by 高見鈴虫 on 05.2018 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments
だ、だ、だ、だ・か・ら、そう、そこなんだよ、そこ、
それこそが、俺が、ツイッターをやらない、
その理由、なんだよ。

どうだ参ったか、という訳で、
いやはやまたやらかしてしまいますた、と。

そうなんだよ、直情的且つ反射的に口走ったその言葉、
大抵においてそう言うのって、誤解であることがほとんどな訳で、
だがしかし、一度口に出してしまった以上、
いや、違う、そりわなぬかの間違ひで、
と弁明を重ねれば重ねるほどに深みにハマり、
であれば毒食わば皿まで、と開き直っては、
いつしか引っ込みがつかなくなり。
そこで詭弁に詭弁を重ねてシラを切り続ける、
なんてものを、コミュニケーション能力、
とかなんとかと勘違いしている輩も多いのであるが、
そういう不正直を繰り返せば繰り返すほどに、
無託な人々をいたずらに傷つけ、
そして、いずれは大切な人を失うことになる。
そんな浮世の悶着のほとんどが、
言わなくても良いことを口に出してしまったことに始まる、
と思い知っている俺としては、
極力反射的な発言は喉元を過ぎても奥歯を過ぎても、
前歯の裏側ぐらいのところでなんとか止めておく、
それに越したことはない。
さもなくば、俺は真面目にそのうちに、
良くて監獄、下手すりゃ棺桶、
とは常々思っているわけで・・・・

そう、そうなんだよね、時間がなかったんだよ。
そう、朝の7時の出勤前、その一番忙しい時間に、
焦りにまかせてはちゃかちゃかと、綴った駄文、
それを、出掛際の一瞬の血の迷い、
読み直すのも面倒だ、とばかりに、
あらよっとUPLOAD、としてしまったが為に、
もしかして俺、とんでもねえこと書いちまったんじゃねえのか、
と気づいた時には後の祭り。

ただ、このスピード時代。
この世に氾濫するニュース原稿のほとんどが、
そんな風にして、時間に追い立てられながら、
誤字脱字の訂正も第三者検証も、どころか、
ろくに読み返しもしないままに、
ほらよ、終わった、一丁上がり、
と、そんな感じにして、出来上がっているのではなかろうか、と。

という訳で、いやはや、失礼申し上げた、
いつもいつもあんたに迷惑かける俺がバカです、
などと今更誰に謝っても後の祭りなのであろうが、
なにはなくとも俺自身の良心の呵責。

例えなにがあっても、ネガティブなことは、
人前に晒すべきではない、のである。

だって、そのほとんどが誤解、
あるいは、それが果たして、どっちの方向に行くかなんて、
誰にも判らないのだから。

そう、ネガティブなコメントは、
その、もしかすると、の、可能性の芽までも、
摘み取ってしまうことにもなりうるのである。

より良い未来を信じる、という、
人間としての最低限のポジティブさを保ち続けたいなら、
ネガティブな反射コメントだけは、差し控えるべき、なのである。

という訳で、ツイッターの罠、
つまりは、直情的且つ短絡的な反射的暴言、
そんな無責任な呟きを続ければ続けるほど、
誤解と偏見を積み上げては、
友を失くし愛を失くし信を失くし心を失くし、
遅かれ早かれ地雷を踏んでは一貫の終わり。
そんなロシアンルーレットこそが、
いままさに世界中で巻き起こっている現実。

とそういった理由から、
ツイッターも、フェイスブックも、インスタグラムもやらない
それこそが、俺のこの、すれ違いの理由。
あるいは、そんな直情的且つ短絡的な反射的暴言が、
金魚の糞のように連なったまとめサイトは極力避け続けているのである。
確かにそれによってこの時代、
秒刻みで更新される最新の情報という奴から、
どんどんと隔絶されていくことにもなるのだろうが、
だからと言って、
ふと呟いた己の暴言によって大切な人を失う悲しみを考えれば、
あるいは人類の悪意の底、というよりは、
知恵足らずのあげる意味不明の怒声でも聞かされているかのような、
そんなネガティブコメントの亡者たちを怨念を前に、
人類の行く末そのものを見限りたくもなる、
そんな現代の呪いにみすみす冒されるぐらいであれば、
ツイッターもフェイスブックもインスタも、
やらない、いらない、見たくもない、
そんなガラ系の間の抜けたおさんで居続けるほうが、
まだまだ可愛げがある、
とそんなことを思っていたりもするのである。

という訳で、遅ればせながら、
色々と御中元ならぬ御忠言、ありがとうございます。
はい、目が覚めました、というか、正気に戻りました。

つまりはそう、その誤解のネガコメの悪意の霧を、
一挙に吹き飛ばす、怒涛のベビーメタル・パワー、
つまりは、これ、なわけですね、と。








ベビーメタル・メルボルンの大爆発!! ~ BABYMETAL 2018 GOOD THINGS FES AUSTRALIA その一日目

Posted by 高見鈴虫 on 07.2018 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments
うっす。
という訳で、
ベビーメタル・オーストラリア公演、その第一日目、
2018年12月7日 GOOD THINGS フェスティバル メルボルン。

そう、そうなんだよ、オーストラリア、なんだよ。

そう言えば、2017年のハリウッド公演のファンカムの中で、
カメラを回す兄ちゃんが、ふと、隣の奴に、
よお、兄弟、どこから来た?とその答えが、
さりげなくも、確信的に、
オーストラリア!

ええええ!?
オーストラリア?
地球の裏側からはるばるベビーメタルを観にハリウッドまで!?
→ アンビリーバボー・ベビーメタル! ~ 空前絶後のハリウッド公演 地獄の洗濯機の底で君はなにを観たのか!?

そう、我らがベビーメタル、
実はオーストラリアでは前々から妙な大人気を誇っていた、
その噂は方々から伝え聞いていたのである。

で、改めて、オーストラリアと言う国は、どういう訳か、この俺とは縁が深い。

嘗ての長い旅行の間、
どういう訳だか旅のバディとなるのがいつもこのオーストラリア人。
陽気でガサツでお調子者で底なしの怠け者、
で、ありながら、
妙なところでやたらとセンチで義理堅く、
そんな田舎のあんちゃん気質と妙に気があっては、
インドからパキスタンからアフガンからの、
あの地獄のような珍道中において、
ともに命を預けあった義兄弟たち、であった訳で。

その後、ここニューヨークにおいて、
運命的な一目惚れから人生の唯一無比の伴侶となった、
この我が家のバカ犬殿が、
なにを隠そうオーストラリアン・キャトル・ドッグ。
かのオーストラリア映画の最高傑作であるところの、
「マッドマックス」にも登場した、
つまりはオーストラリアの代表的な犬種。





ただこのオーストラリアン・キャトル・ドッグ、
言わせて貰えばこの世にある多々の犬族の中にあっても、
とびきりにダントツの厄介者の悪名高い猛犬の中の猛犬。
だがしかし、これだけ飛び抜けた厄介者であるからこそ、
なによりもこの犬が可愛い、と惚れ込んでしまう訳で、
つまりは、憎みきれないろくでなし、の筆頭である訳なのだが、
そんな我が家の犬と散歩をしている最中、
そこかしこから、HOY!の一声。
おいおい、それはオーストラリアン・キャトル・ドッグじゃねえのか?
と、ニューヨーク中のオージーたちから、
思わぬ声がかかる訳である。

それはまさに、我が和犬の筆頭であるところの、
柴犬やら、秋田犬やらを見かける度に、
思わず、おいおい、それは日本の犬じゃねえか!
と声をかけてしまうのにも似て、
そう、この我が家の猛犬の中の猛犬、
そんなオーストラリアの方々には、まさしく、
これぞ、オーストラリアの犬!
オーストラリア人の隠れた気質を象徴し、体現する、
まさに、愛するべき厄介者、となる訳である。

という訳で、今更ながら、
我が家の駄犬に象徴されるオーストラリア人気質、という奴。

見かけはこれ以上ないひょうきん者で、
いつも満面の笑みを浮かべてはヘラヘラと笑ってばかりいながら、
一皮剥いたその実が、
筋金入りのハードノイズ:頑固者。
一度こうだと言い出したらテコでも動かず、
知能に優れ運動神経も抜群、ではあるものの、
プライドがやたら高く、自立心の塊りで、
そしてなによりやたらめったら気が強くそして喧嘩っ早い。

という訳で、この犬を連れているとそこかしこで、
ふとした隙きに大喧嘩、
下手をすれば、すれ違いざまの通行人に、
いきなり襲いかかっては大騒ぎ、
なんてことが頻発する訳で、
まったく以て油断ならない大馬鹿者である訳なのだが、
だがしかし、そんな猛犬の中の猛犬が、
ひとたび、ご主人様、と勝手に定めた人に対しては、
なにがあっても絶対服従。

そしてなにより、この犬のその蛮行のその理由というのが、
実はこのご主人様を、愛して愛して愛して止まない、
その限りない愛の、その大暴走。

飼い主を愛し過ぎては、護ろうとするばかりに、
通行人の中でちょっとでも、変な目つきで俺の母ちゃんを見やがった、
たったそれだけの理由で、この野郎、とばかりに飛びかかっては・・

ただ、言い訳をする訳ではないが、
このバカ犬の目に余る蛮行のそのすべてが、
実は飼い主に対する深すぎる愛、その現れなのである。

という訳で、このオーストラリアン・キャトル・ドッグ、
実に実に厄介者の中の厄介者、
でありながら、ひとたびこの犬を飼ってしまうと、
他の犬に魅力を感じなくなってしまう、
オーストラリア・キャトル・ドッグのオーナーたちが、
口を揃えてそういうのも、
つまりは、デキの悪い子ほど可愛い、
その偏愛的溺愛のすべて。

という訳で、言わせて貰えばこのオーストラリアという国。
そのオーストラリアにおいて、もっとも一般的な犬であるところの、
このオーストラリアン・キャトル・ドッグに象徴されるように、
そこに地に生きる動物たち、その全て、
カンガルーから、蛇から、蜘蛛から蟻からサソリから、
どういう訳だか、やたらめったらと、
陽気で意固地で好戦的な頑固者、
という特色を持ち合わせている訳で、
ただそう、改めて、だからこそ可愛い、
だからこそ愛せる、だからこその、オーストラリア万歳、
なのである。

とそんなオーストラリア気質をまるごと詰め込んだような、
つまりはオーストラリアのバンド。

メン・アット・ワークから、INXSから、ミッドナイト・オイルから、
そして言わずと知れた、AC/DC!!

その全てが、一見して奇抜でポップでイージー・ゴーイングで、
だがしかし、そのサウンド的には骨太なビートのガツンと入った本格派。
まさに陽気でお調子者の頑固なならず者。
そう、オーストラリアはまさに、そんな人達なのである。

という訳で、なぬ?
一見して奇抜でポップで陽気で愉快で、
だがしかし、そのサウンド的には、
まさに骨太なビートがガツンと入った本格派・・

それって、まさに、我らがベビーメタル、そのものじゃねか、と。

そうなんだよ、このオーストラリアの美意識が、
ベビーメタルにまさしくガン決まり、
これ以上なくばっちりと当てはまってしまう、
まさにベビーメタルとオーストラリア、
それはまさに、宿命的なまでのカップリング、なのである。







と言う訳で、待ちに待ったベビーメタルのオーストラリア公演。
遂に遂に実現、という訳で、
そしてこの来豪第一日目のメルボルン公演、
いやはや、どんなことになるのやら、とは思っていたのだが、
そう、それはすでに確信的なまでに、
オーストラリア人たちが、ベビーメタルを見逃す訳がない、
つまりはその大成功はすでに確約済でもあったのだが・・
いやはや、その蓋を開ける前からのこの大歓声のシュプレヒコール!
バイビーメロー!バイビーメロー!バイビーメロー!
まさか、これほどまで、とは思わなかった、
その、あまりにも爆発的なまでの、大熱狂大会!!!

改めて、凄いなこれ、と。
これまでベビーメタルの巨大ロックフェスでの大蛮行の数々。
あのソニスフィアから、ダウンロードから、
そして、ロック・オン・レンジからと、
海外のマンモス・ロックフェスを丸ごとぶっ飛ばした、
その大狂乱の様はすでに定番的なまでに見慣れたもの、
でもあった訳なのだが、
いやはやこのオーストラリア第一日目のメルボルン公演。
大熱狂やら大成功とか、そんな次元のものじゃねえな、と
これ、まさに、大爆発! じゃねえか、と・笑







ベビーメタル・シドニー 大砂塵の女王ここに見参!! ~ BABYMETAL 2018 GOOD THINGS FES AUSTRALIA その二日目

Posted by 高見鈴虫 on 08.2018 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments
シドニーが終わった。
海賊動画、見てるだけで、マジ凄かった。

いつものヒヤヒヤドキドキ感がまるでなし。
ってか、もう最初から思い切りぶっ飛ばしまくり。

この超絶感、この不動感、この無敵感、
まさに、女王、まさに、王者、まさに、メインステージの覇者、そのもの!

もうベビーメタルは、少女でもアイドルでもなんでもねえよ。

まさに、ロックの覇者。

このフェスティバルで、ベビーメタルに太刀打ちできるやつがいるとは絶対に思えない。

昼の日中の三時から、いきなりの真打ち登場。
その大風格のステージであった、と。

まあこれからいくらでもファンカムが上がってくるだろ。
ので、その追いかけは後回しにして、
まずは、勝手ながら、海賊動画鑑賞のバイアスなしの反射的印象羅列、
いちおう、メモってかんじで。

という訳で、シドニー公演。
土曜日の大観衆を前にした、白昼のメインステージ、
で、いきなりなんだが、
おお、これ、スモークじゃないよね、
ええ、砂埃り? 

酷いな、これ。まじで、喉、大丈夫かよ・・・・



BABYMETAL 2018 GOOD THINGS FES AUSTRALIA ~ なあ昨日のシドニー、まじで凄かったみたいだな 

Posted by 高見鈴虫 on 09.2018 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments
という訳で、本日のGOOD THINGS FES 
その最終日であるブリスベンでの公演が、
刻一刻と近づいているのではあるが、

今更ながら昨日のシドニー公演。

あの煙幕のような砂嵐の原因が、
ステージ前で気の触れた牛カモシカのように暴れまわる、
あの狂乱のモッシュピットによるものであった、
なんていう謎解きがなされて、
そしてなにより、次から次へと浮かんでは消える泡沫のツイート。





まさに地平線までギッチギチのベビーメタル。

もっと前にいは行きたいけれど、
この見渡すかぎりの人の海、
ステージに辿り着くまで1マイル(1.6KM)はあるな、
そんな絶望の呟きを漏らしながらも、
そんな遥か彼方にまで、すぅめたるの声、
まさに、手に取るように、鼓膜が張り裂けるまでに、
ギンギンに響き渡っていた、というから驚きである。

フェスティバルの主催者からの思わぬ本音。
間違いなくこのベビーメタルこそが、
今回のフェスティバルで最も人を集めた、
まさにベビーメタルこそがこのフェスティバルにおける真の王者。
主役の中の主役であった、と。

そう、我らがベビーメタルである。
午後三時、なんていう一日のうちで一番暑い時間に割り振られながら、
そんな酷暑などものともせず、
会場中どころか、街中の人々を総なめにした、
あるいはそんな時間であったからこそ、
1マイルぐらいの人波で済んでくれたのだ。
これが、大トリ、なんてことになっていたとすれば、
1マイルどころかまさに、会場をはみ出して、
海岸線から海に落ちてサメに食われるまで、
と、と、とてつもない人々が集まっていた筈である。

改めて、ここオーストラリアにおけるベビーメタル、
その人気は、まじの本気のガチのシリアスリィに本物であるようだ。









ベビーメタル・ブリスベン ~ BABYMETAL 2018 GOOD THINGS FES AUSTRALIA千秋楽:さらばダークサイド。友よ、夜が明けたぞ!あとは突っ走るだけだ!

Posted by 高見鈴虫 on 09.2018 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments
観た?
ブリスベン。
すげえな、まじで。
エビバディ・ジャンプで、
本気の本気で、ステージの櫓が崩れるかと思ったぜ。

いやあ、すげえな、ベビーメタル、
オーストラリア、完全征服、ってか、
これ、まじで、出来過ぎだろ、と。

で、今回のブリスベン、ちょっと夢がかなったってか、
そう、そのコンサートの模様、
まさに、前から後ろからの、同時中継。


とりいそ、俺が観てたの、
これー> 

と、そして、
これー>  

と、そんで、
これー>  

あと、これー>


どう?まじで、ギャハハハハ!って感じで、
なにこれって、そう、ベビーメタル! 

我らがベビーメタルが、地球の裏側で、
見渡す限りの地平線の彼方まで、これだけ愛されている!
その実証!

そう言えば、ブロンディも、オーストラリアで火が点いたんだよな、実は。

いまオーストラリア、景気良いしさ。

このオーストラリア、これからのベビーメタルを支える、
大切な大切なパートナーになること間違いなし。

という訳で、
オーストラリア初登場の、GOOD THINGS の三日間、

まじで、これはもう、嘘偽りも、煽りもフカシもなく、

まじのまじで、大成功の大勝利だろ、と。

でさ、そう、このサヤ嬢を加えての三姫体制の復活、

なんか、すごく、吹っ切れたっていうか、

あのベビーメタルの持っていた、ハチャメチャなぐらいの明るさ、

そのパワーが、まじで戻って来た、ってか、倍増だろ、これ。

なんか、夜が明けた、ってか、
一足お先に、勝手に、三姫の方から、ダークサイドにおさらばしちゃった、

そんな感じがするのだが、どうだろうか、と。






ボヘミアン・ラプソディ ~ 孤独の流浪その旅路の果てに

Posted by 高見鈴虫 on 11.2018 音楽ねた   0 comments
オーストラリア風に言うところの、バイビーメロー、
GOOD THINGS FESの三連戦も、
未曾有の大成功の中で幕を閉じた日曜の朝。
普段であれば、ベビーメタルのツアー中は、
明け方まで動画漁りだ駄文綴りだに没頭する関係から、
朝の犬の散歩は代わってもらえる、
そんな紳士協定にあった筈の午前9時、
いきなり妻から叩き起こされた。

早く起きて、すぐ出かけるわよ。
出かけるって、どこに?
なによ、約束だったでしょ?クイーンよ、クイーン。
ベビーメタルのツアーが終わったら、
すぐにクイーンに行くって、約束してたじゃないの。
クイーン?女王様と言えば、すぅめたる様を置いて他にあらなし。
あるいはクイーンズ、と言えば、アストリア・シーフード?
バカなこと言ってないで早く服を着て。
朝一番の半額割引上映、10時からなのよ。もう始まっちゃうじゃないの。

という訳で、言わずと知れたQUEEN、
つまりは、映画:ボヘミアン・ラプソディ、である。

このボヘミアン・ラプソディ、
すでに全米公開から一ヶ月以上を過ぎながらも、
いまだにしぶとく上映が続いているこの未曽有の大ヒット映画。
公開当時から連続して観客動員数ナンバーワンを記録し、
なにより観た人々からの怒涛のように響く大絶賛の声声声。

ボヘミアン・ラプソディ、
泣いた、泣いて泣いて、泣きまくった・・

そんな噂が、俺どころか、カミさんのところにまで、
これでもか、と届いていたのである。

汝、見給うやボヘミアン・ラプソディ・・

いや、ただ、といつもの奴で気乗りのしない俺である。

だって、クィーン、だろ?
クィーン、好きじゃなかったの?
なんてったってパンクの天敵だからな。
そうだったんだ。
クィーンが好きか嫌いか、と言われて、
言われて?
好きだ、と言うやつは、
言うやつは?
芸だ。
ばかばかしい。芸だったらどうだって言うのよ。
あるいは。
あるいは?
童貞だ。
だからなんだっていうのよ。
でなかったら、そいつは、マザコン、それは確実。
男なんてみんなマザコンじゃないの。
いや、俺は違う。
あんただけよ。そうじゃないのは。
だから尚更タチが悪いのよ。
あのさ、言わせて貰えば、あなたのお母さんの代わりをやらされるの、心の底からうんざりなんだよね。もういい加減に・・
いや、あの、それは、クィーンの話題とはちょっと違う。
だから
だから?
だから早く服着なさいよ。10時よ10時。あと30分しかないじゃない。

おいおい、ベビーメタルのツアーが終わった途端、
日曜の朝から、ボヘミアン・ラプソディかよ・・












ボヘミアン・ラプソディのその後 ~ 蛇足的厄落とし的後追い解釈

Posted by 高見鈴虫 on 14.2018 音楽ねた   0 comments
いやあ、ははは、
お気づきの方、など、ほとんど居ないだろうが、
前作の、あの、ボヘミアン・ラプソディ、
いまだに、改竄に改竄を続けていて、
それはまさに、沼にハマったが如く。

ご承知のように、QUEENというバンド、
ある時期、つまりはあの少年時代:童貞期に熱狂的に聴き込んだ、
にも関わらず、その後、ある時期から(笑
まったく聴くことのなくなった、この特異なバンド、

そのあたりの不思議から始まって、
あのロックの魅力に目覚めたばかりの頃の熱狂から、
それと同時に必然的に、
ロックの魅力の中に引きずり込まれれば込まれるほど、
あるいは、このロックという美学に導かれながら迷い込みながら、
オトナへの階段を駆け上がる、
あるいは、足を踏み外して転げ落ちる、
そんな茶番的な青春模様と相成って、

そう、このQUEENというバンド、
ある年代の人々に取っては、まさに、開けてびっくり玉手箱、
その何十年ぶりに聴くことになった旋律に、
思わず、午後の紅茶に導かれる忘れていた初恋の記憶のように、
止めどもなく流れ出す、いまだから語れるわたしのロック自伝。

でさ、そうあの映画、
まあ、映画としては、うーん、どうなんだろう、と。
つまりは、ゲイ(あるいはバイ)の少年の持つ、家族、
特に父親との確執から始まって、

移民の子としての、社会的な隔絶から、

そしてQUEENというあまりにも特異な美学、
それを極め続けては、変化を繰り広げていくその様、

つまりは、フレディ・マーキュリーという永遠の少年の、
人生、あるいは、成長の様、
そのRISE&FALLと、そしてREBORNの物語り、と。

まあそう、言ってしまえば、ゲイの少年の苦悩と孤独、
そのハッピーエンド、ってのがテーマである筈なのだが、
そのLGBT的な視点に限定してしまうと、
なかなか一般受けを狙えない、
なんていうところから、

ゲイの移民が、バンドの中で初めて友達ができて、
そこで初めて、自己表現の可能性に気づき、
その美学を貫き通しながら、当然のことながら、
ゲイでもなんでもない仲間たちとの障壁を産み、
自己か、仲間か、あるいは、音楽性、なんてところも絡み、
それを、どうにかこうにか、
ロック的な意味でのサクセス・ストーリーにでっち上げる、
まあその苦肉の、つまりは、どっち着かずの、
その結果としての、開き直り的なまでにご都合主義的な映画に落ち着いた、
というのが真相なのだろうが、
まあそう、なにはなくともその匙加減、
それになにより、あの、主役を演じた ラミ・マレックの、その成り切りぶりが、
良い意味でも悪い意味でも、あまりにも印象が強すぎた、と。






転がる石のボブ・ディラン ~ 敢えて変り続けることこそが唯一生存の道

Posted by 高見鈴虫 on 16.2018 音楽ねた   0 comments
あ、そう言えば、と今更ながらの後出しジャンケンではあるが、
実はさ、こないだ、ボブ・ディランを観たんだよね。

実は近所の駅前のスーパーマーケット、
そのブロードウエイを挟んだ向こう側に、
ライブハウスというか小劇場があって、
ビーコン・シアターというのがその名前なのだが、
キャパで言うところの三千ぐらい、
普段から懐メロ的なクラッシックな大御所、
オールマン・ブラザーズやらスティーリー・ダンやら、
モータウン大全やら、ウッドストック・リバイバルやら、
まあそう、つまりはそんな感じの生きる化石たち。
妻が買い物をしている間、犬と待ちぼうけを食わされながら、
時間つぶしにその公演スケジュールなんてのを、
観るともなしに見ながら、
うへえ、こんな人達まだ生きてたんだね、と、
そんなところで驚かされることも多かったのだが。

とそんな中に、ちょっと前に、
かの、ノーベル賞を受賞しただなんだで、
妙な脚光を浴びることになった、
フォーク界・ロック界の大御所の中の大御所である、
ボブ・ディラン&HIS BAND
なんてひとの名前を見つけては、
ちょっと真面目に驚愕ぶっこいたり、したのではあった。

人混みの中から両手に買い物袋をぶら下げた妻を見つけては、
まるで戦地からの帰還兵を迎えるように大ハシャギの我が犬を尻目に、

なあ、知ってたか?そこでボブ・ディラン演るんだってさ。
ボブ・ディラン?この間、ノーベル賞もらった?
そうそう、そのノーベル賞のボブ・ディラン。
行きたいの?
行きたいのって言われても、ボブ・ディランだぜ。
観てみようよ、ボブ・ディラン。いかにももう先が長くなさそうだし、観れるうちに観ておくに越したことはないんじゃない?
そういう言い方ってのもなんだとは思うけど。
好きじゃないの?
ボブ・ディランが好きか嫌いかと言われて・・
ねえ、もうそうやってもったいぶるのやめてくれない?
わかった。好きだよ、ってか、ボブ・ディランが嫌いだと言い切れる人って、
この世にそれほど多くない、と思う。
つまりは?
つまりは、伝説というか大御所というか、
ぶっちゃけ、この人がすべてを初めた、というか、
そんなボブ・ディランに誘発されて音楽を初めた人たちを、
俺達が真似して音楽を初めた、と。
つまりはその、大いなる言い出しっぺ、というか。
ローリング・ストーンズよりも偉い人?
ローリング・ストーンズのお兄さんみたいな人。
へえ。そりゃ凄いお爺さんなんだね。さっすがノーベル賞っていうか。
ノーベル賞がどれほど偉いのかは知ったこっちゃないけどさ。

という訳で、ボブ・ディランであった。
このボブ・ディランを好きか嫌いかと言われて、
好きだ嫌いだ言えるほどに、
俺がボブ・ディランについて良く知っているというつもりもないのだがだが、

風に吹かれてやら、時代は変わるやら、
ミスター・タンブリンマンから、ライク・ア・ローリング・ストーンからと、
上げ始めるとキリがないほどのスタンダード・ナンバーの数々。

で、俺的には、
なによりに、HARD RAIN、
1976年のローリング・サンダー・レヴュー・ツアー、
その曰く付きのライブ・アルバム、
これのギターが、実はあのミック・ロンソン!なんてこともあって、
その粗雑な録音のスナッピーの全然きいてないパキパキのスネアの音、
それが妙に気に入っては、ある時期よく聴いていた記憶がある。






で、まあ、それになにより、
ボブ・ディランと来ればそれは勿論、THE BANDな訳で、
とその辺りを綴り始めるともうキリがなくなってしまうのだが、
そうだね、ボブ・ディラン、好きか嫌いか、どころか、
あの、ストーンズが、ジミ・ヘンドリックスが、
ニール・ヤングが、ジョン・レノンが、ルー・リードが、イギー・ポップが、
そしてあのガンズが、メタリカが、ニルヴァナが、
そんな伝説的大先生たちがこぞって、
最も影響を受けたアーティストの筆頭として持ち上げてきた、
このボブ・ディランという人。

そう、ボブ・ディランを好きだ嫌いだと言えるやつなど、
この世にいる訳もなく。

という訳で、ボブ・ディランであった。
まさに、フォークの、ロックの、そしてパンクの、
親玉の中の親玉、そんな神的なまでの存在、
つまりは、創造主、であったらしい、のではあるが・・

でまあ、そう、お歳だしさ。
ノーベル賞も取ったし、
そして、なにより家から5分、ご近所だしさ、
なんていう安易な理由から、
ベビーメタルのオーストラリア公演の直前の、
11月末のサンクスギビングの連休の狭間、
ちょっと買い物ついでにサンダルをつっかけてってなノリで、
出かけて見たわけだ。







AMORE ~ 漆黒の聖夜にスターライトを探して

Posted by 高見鈴虫 on 22.2018 ニューヨーク徒然   0 comments
なんとも糞ったれなことに、またもやクリスマスである。

子供の頃、帰らぬ父を待ちながら、
母と姉の三人で、電気を消して元気をチャージ、
そして囲んだクリスマスケーキのキャンドルライト。

そしてティーエイジャー時代、
仲間とのクリスマス・パーティにあれほどまでに胸を踊らせた
ウィスキーコークのその時代。

そしてバブルの頃の東京であった。
なにもかもがキラキラと輝いて見えた、
今にも砕け散りそうなガラスの街。

そんな記憶が嘘のように、
今年のクリスマス、妙に間が抜けてると思わないか?

そう、クリスマスも三十も四十も繰り返していれば、
それはそのうち飽きも来るというもので。

であれば、そう言えば去年の今頃はなにをやっていたか、
と思い返すに、
ああ、ヒロシマか、と。

去年の今頃は、あのヒロシマの衝撃、
あのすぅめたるの歌声の中にどっぷりと浸されたまま、
そして満を持してぶちかまされたWOWOW巨大狐まつり。
まさに世界最高のクリスマス・プレゼント。
夜空いっぱいに開け放った窓から、
天に届けとばかりの大音響で
ベビーメタルを流し続けていたものだった。

あらためてあの頃、つまりは2017年、
いまだ熱狂に包まれていたそんな時代が、
いまとなっては、妙に懐かしくも、
遠く思えてならないのは、
たぶん俺だけじゃない筈だ。



クリスマス前夜 犬の視点から見下ろす世界の頂点

Posted by 高見鈴虫 on 23.2018 今日の格言   0 comments
富豪宅で開かれたクリスマスパーティー
ロックフェラーのツリーを遥かに見下ろす
そこはまさにニューヨークの頂上。

黄金色の星を集めたシャンパングラス、
バカラに注がれた極上の赤ワイン。
テーブルの上には一口づつ食べても食べきれないであろう
世界各国からの銘品の数々。

そんな中、パーティーの喧騒に追い立てられるように、
部屋の隅に置かれたステインウェイのピアノの下に寄り添った犬たちの姿。

そんな犬たち、呆然として途方にくれた表情を見やっては、
おい、どうしたお前ら、元気ないな、と頭を撫でようと、
ピアノの下に潜り込んでみたその風景。

ピアノの下、犬の視点から世界を見上げたとき、
この虚栄と強欲に溢れた見栄張りの人たちが、
なんとも愚かしくも馬鹿馬鹿しく見えて来りもしたものだ。

なあ、見てみろよ、人間ってさぁ、
まったくもって、おかしな生き物だよなぁ。

ただこの極上のワインと、
そして美味しい料理を食いきれないぐらいに食べれる事は
それはそれで、素直に喜ばしきことだと言い切れる。

だがしかし、ごめんな、そのご馳走の全てが、
お前たち犬には食べれないものばかりなんだけどね。

しかしながら考えてみれば、
犬にとって毒であるものが、人間にとって毒でない筈がない。
つまりは、その塩っぱ過ぎる、辛すぎる、
甘すぎる、脂っこ過ぎる、美味しすぎる、
その美食のすべてが、
犬は愚か人間にとってさえ、体を蝕む毒に違いないのだ。

それがわかっていながら、見ろよこの人間たちの、この幸せそうな様。

人間の愚かしさもつまりは愛しさのひとつ。

誰も知らないピアノの下の、
犬の視点から見上げた、人間たちのその世界、
その愚かしさこそが、そのあさましさが、その馬鹿馬鹿しさこそが、
人間の愛おしさ、その全て、なのではないのか。

少なくとも、俺はこの犬の視点、
そう思って生きてやるぞ、
そんな気がした、このニューヨークの頂上。

そう言えば、
落語とは、人間の業の肯定である、
そう言ったのは確か、立川談志師匠、だったよな。

敢えて率先して、業に媚びる、そんなつもりは更々ないが、
少なくとも、許容、あるいは、面白がって生きるに越したことはない、

悪いが犬ども、俺はやっぱり人間だ。
さあ、死ぬまで飲んでやる、食い尽くしてやる、
毒を毒と知りながら、この幸せな刹那を、
せいぜい味わい尽くしてやる、そのつもりだ。

業を許容して生きよう、それこそが、人間の可愛げ、なのだ。

所詮は人間、たかが人間、だからこそ人間、なんだろ。

人生の達人からのそんな思いが、
ようやくわかった気がした、そんな夜だった。




セントラルパークの天才ギタリスト

Posted by 高見鈴虫 on 24.2018 ニューヨーク徒然   0 comments
ニューヨーク・セントラルパークのベセスダテラス、
このニューヨーク随一の観光スポットに、
ひとりの天才ギタリストがいる。

セントラルパークの中心地。
観光客の嬌声と喧騒に溢れた雑踏の中、
ひとり黙々とクラッシックギターを弾き続けるその男。
アコースティックのか弱い音色は誰の耳にも届かず、
そのあまりにもありふれた曲目は、
決して誰の注意を惹くこともない。
それでもそのギタリストはただひとり黙々と弾き続ける。
雨の日も、風の日も、酷暑の中でも、大雪の日であっても、
観客などひとりも居なくても、チップなど1ペニーも見込めなくても、
一年を通して一日も休むこと無く、
そのギタリストはひとり黙々とギターを弾き続ける。

ほとんど大抵のツーリストたちはそんな彼の姿を見て、
可愛そうなホームレス、と思うに違いない。
或いはニューヨーク在住の者たち、
セントラルパークに来るたびに見かける、
このなんともパッとしない薄汚れた姿を前に、
良くいる売れないストリート・ミュージシャン、
馬鹿の一つ覚えみたいに、
いつも同じ曲ばかり弾いている、
つまりはちょっとお頭の足りない、
あるいはドラッグ中毒あがりの、
このニューヨークには掃いて捨てるほどいる、
そんなゴミのようなミュージシャンの、その惨めな残骸。
或いは例え少しぐらい楽器の素養のある者であっても、
その妙に間の抜けたテンポから、そのわりに拙い指運びから、
そしてなによりそのあまりにも初歩的な曲目からを前に、
ひと目見ただけでこいつはド素人と即断するに違いない。
つまりはあの42丁目のジミヘンみたく、
その辺りのホームレスが拾うか盗むかして手に入れたギター、
コードも知らずスケールも知らず、
弾き方も楽器の扱いのひとつも知らず、
見よう見まねで一つ覚えの練習を繰り返す、
ただ頭のいかれた精薄野郎が、
ギターを、楽器を、音楽を、玩具にしているだけの話だろう。
そんなことを思っては、
小銭集めのギターケースに痰を吐いては舌打ちを返す、
そんなことだって、されかねない、
この天才ギタリストはそこまでもあまりにも、
パッとしない風体、なのである。

ただ百人にひとり、あるいは千人にひとり、
或いは、日々の日課の中で、
このギタリストの前を何度と無く通り過ぎては、
ふとなにかの拍子にその耳慣れたギターの音色の中に、
なにか別のものを感じた時、
このギタリストの中に眠るひとつの才能、その燻し銀のような輝きに、
はっと息を飲んでは、一種の衝撃さえも覚える筈だ。

そして世のミュージシャンたち。
酸いも甘いも噛み分けて来たそんな音楽の鉄人の中には、
このギタリストの音色、その中に潜んだ底知れぬ力を聴き取っては、
思わず足を止め、目を見張り、
まさか、こんな乞食のようなストリート・ミュージシャンがと、
無様な絶句を続けることにもなるだろう。

この乞食ギタリスト・・
こいつの、この音色は、ただ者ではない。

思わず走り寄っては、おい、そこの乞食野郎、
そのギター、それはいったいどこで手に入れたんだ?
そして見つめるそのギター、
名も知れぬブランドの、何の変哲もない、無刻印のギター。
或いはその弦、その弦が特殊なのか、と見れば、
それはやはり何の変哲もない、ガット弦、あるいは安物のナイロン製。
であれば、と思うだろう。
であれば、この場所に、なにか特別な仕掛けでも隠されているのか?

セントラルパーク・ベセスダテラス、
映画のシーンから絵葉書からで有名な、
ニューヨークのアイコン的なあの見事な噴水、
その明るい煉瓦色の広場に面した、
一種大聖堂を内部を思わせるこの薄暗いアーケード。
列柱に囲まれた天井に目を凝らすと、
一面に浮き上がるビクトリア調のモザイク。
確か19世紀のミルトン・タイルという模様だった筈。
このミルトン・タイルの反響の中に、
こんな乞食野郎のこのありふれたギターの音色が、
こうまで清らかに響いて染み渡る、
そんなトリックが隠されているとでも言うのか?

そして改めて見下ろすそのストリート・ミュージシャン。
一見してホームレスそのもの。
頭からフードを被った見るからにパッとしないラテン系の小男。
こんな小汚い男が、まさか・・・

そんな視線を前に、その一見してホームレスと見紛う、
薄汚いラテン系の小男は、
ギターを弾く手を休めることもなく、
呆けた視線を虚ろに泳がせながら、
照れ臭そうにその髭面に無邪気な笑顔を浮かべては、
肩を竦めてウィンクのひとつも送って寄越すに違いない。

その小汚いなりで、その小さな指で、
そのありふれたギターと、安物のナイロンの弦で、
このギタリストは、ここまでの音色を、響かせているというのか。

この天才ギタリスト、
その一見して素人そのものの
拙い演奏の中にあって、
その音色に秘められた、その底知れぬ凄みに気がついた者にとって、
眼の前にするこの乞食まがいの小男の姿との、
そのギャップは一種の衝撃であるに違いないのだ。

まさか、それが本当であるならば、
これはまさに奇跡に他ならない。

思わず驚愕に身を凍らせながら、
しかしそのあまりにも美しい音色に聞き惚れながら、
そして辺りに犇めく雑踏の狭間に立ち尽くすばかり。

オラ・カルロス、コモエスタ?
ムイ・ビエン、グラシアス、イトゥ?
シーシー、グラシアス、マエストロ。

通行人たちとそんなさり気ない挨拶を交わしながら、
そしてこの天才ギタリストは、
今日もひとり、誰に気づかれることもなく、
その奇跡の音色を、奏で続けているのである。








見つけちゃったの小さな幸せ ~ 今更ながらのテックノロジー談義

Posted by 高見鈴虫 on 30.2018 技術系   0 comments
世間はもう、いくつ寝ると、の正月も近く。
お陰様で溜まりに溜まった有給処理ってな名目で、
この年の瀬は飛び石ではあるものの、
それでもちょっとしたお休みなんてものを頂いている。
まあとは言ってもかみさんの里帰りしたシングル・ダディ暮らし、
休みだからと言ってどこに出かける訳でもなく、
つまりは朝に夕に思い切りたっぷりと、
犬の散歩をしてやれる、ぐらいなものでしかないのだが。

という訳で、正月かいね。
高校の途中で家を飛び出てからと言うもの、
世に言う正月らしい正月なんてものを
迎えた記憶もない、なんていう事情もあって、
3-2-1 ハッピーニューイヤーのカウントダウン、
その翌日にはすぐに仕事始めとなるここアメリカの正月も、
さしてなんのギャップがある訳でもなく。

正月だって?知ったことじゃねえよ、
などと、また意味もない憎まれ口を叩くまでもなく、
まあそう、理由はともあれ休日である。
朝にちょっとゆっくりと家を出て、
セントラルパークをぐるりと回って昼前に帰り、
夕方の散歩までの間を午睡半分に、
またまた性懲りもなく資格試験の勉強なんてものを続けては、
夕飯の後はまったりと図書館で借りた古い映画なんてものを観て、
時間を過ごしている。

このなんとも間の抜けた休日を、
果たして幸せ、といえるのかどうかは別としても、
人気の失せた冬の公園の遊歩道、
どこからともなく、サティのジムノペディが、
ジェリー・ゴールドスミスのチャイナタウンが、
サイモンとガーファンクルのスカボローフェアが、
ビル・エヴァンスのブルー・イン・グリーンが、

あるいは若き日に観た古い映画のこんな映像が、
唐突にもフラッシュバックを繰り返したりもするのだが。








という訳で、クリスマスを過ぎて正月へと向う、
この甘い終末感の中で、孤独の羊水の中を揺蕩いながら、
まあそう、何はともあれ、なんの予定もない連休じゃないか。
こんな時ぐらいちょっとした命の洗濯、
この偏屈者の糞パンク爺風情にあっても、
ちょっとした幸せぐらい見つけてみたって罰は当たるまい。

という訳で、柄にもなくもこのボッチ続きの終末の巷、
見つけちゃったの、小さな幸せ、
なんていうテーマでちょっとした糞話を綴ってみる気になった。



ベビーメタル2018総括 ~ そして新たなる戦いに向けて!

Posted by 高見鈴虫 on 31.2018 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments
12月31日の朝、犬の散歩でセントラルパーク。

普段から犬仲間たちとの集合場所であるベセスダテラス近辺が、
今夜のタイムズスクエアでのカウントダウン、
3-2-1-ハッピーニューイヤー!
と同時に打ち上げられるあの花火、
その打ち上げ場所に指定されているらしい関係から、
新年を前にしてその拠り所、
つまりは聖地なるものを見失ってしまった犬たちが、
それはまるで、さまよえるオランダ人たちのように、
唖然呆然としながらセントラルパークの並木道、
そのそこかしこを彷徨い歩いているようだ。

9時を前にして世界各国、その津々浦々から、
ハッピーニューイヤー!のメッセージが届き初めている。
まずはオーストラリア、
シドニーから、そしてメルボルンから、
続いて、ブリスベン。

先日のベビーメタル・オーストラリア公演、
いまだ生々しくも記憶に新しい、
あの陽気でワイルドで底抜けに義理堅い、
そんなオージーたちからの新年のご挨拶。

そしてニューヨーク時間午前10時。
東京での年明けに合わせて、
世界各国津々浦々から、
あけましておめでとう!
~~~ から、愛を込めて!!

ロンパリローマ、
リオデジャネイロからサンパウロから、
メキシコシティからグアナファトから、
ロサンジェルスからシアトルからヴァンクーバーから
あけましておめでとう!
次々と新年のご挨拶が舞い込んでくる。

いきなりおめでとうと言われたって、
こっちはまだ朝10時、
起きたばっかりだぜ、と苦笑いしながらも、

世界中どこに居たって、、
俺達はやはり日本人。
例え昼と夜が逆さまになろうとも、
東京時間が世界の中心、
新年の、つまりは、魂の拠り所であることには、
なにも変りはしないのだから。



  

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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