Loading…

腰痛騒動記

Posted by 高見鈴虫 on 02.2013 チャーリーホースは真夜中に疾る   0 comments   0 trackback
「鍼治療とはいったいなんだったのか」
鍼治療とはぶっちゃけ究極のマッサージであった。つまり身体を走る筋肉の筋道、それが硬質化、あるいは緊縛しているところのその中核に向けてぶすっと針をぶち込み、そこに電流を流して筋道の血行を促進して緊縛した筋肉を解きほぐす。皮膚の上から脂肪の層を通して行われる通常のマッサージよりはより直接的にまさに筋肉の核そのものを解きほぐそうという究極治療な訳である。

「鍼がなぜ怖いか」
しかしながら俺にとってこの鍼治療はかなり不愉快な経験であった。あの不気味な小部屋で身体の中に針を刺されて電流を流される、なんていう拷問もどきの目にあうぐらいならほとんど大抵のことは自主的に行おうという気にもなってくる。なにがそれほど不快であったかと言えばまさにその治療法である筋肉そのものに電流ビリビリというのはつまり、俺が普段あれほど恐れていた筋肉の緊縛、つまり攣る、という状況を故意に現出させている訳なのである。
「攣るという状態」
筋肉の攣りは突然訪れる。それもいつも不意打ちである。なんか妙なところがピクピクするぞ、と思っていたら、いきなりガチン、と鉄の轡を嵌められるように筋肉が石のように硬直してしまう。まさにLOCKUPという状態。おおお攣った攣ったという時にはまずはそれを忘れることである。動かすな、動かすな、とまずは横になる。変なところを動かすとまた別のところが攣る。その攣りの連鎖を避けるため、とりあえず身体の筋肉をなるべく弛緩させようとする訳だが、その方法はと言えば筋肉が攣っているという事実を忘れることなのだ。忘れろ忘れろと自分に言い聞かせながら、空を見たり誰かと話したりしながらなるべく注意を攣った筋肉から気を反らそうとする訳だ。そうこうするうちにいつのまにか筋肉の緊張が解けそしてふっと風が吹くような静寂が訪れる、おお悪魔が去った、となる訳なのだが

「鍼治療と緊縛」
今回のこの鍼治療中とはまさにその攣った状態を故意に現出させているものに近い。しかもそれが永遠と続く訳だ。当然のことながら身体中の筋肉はすべて繋がっている。そのつながりが思いもしらぬ繋がり方をしている訳でその分岐点と言うのがツボという奴なのだろう。鍼の治療中、この訳の判らない筋肉のつながりから、妙なところを動かすと治療中の鍼を打った場所を直撃する訳だ。右足の小指をちょっと動かすと左足のしりたぼに激痛が走るという具合。つまり下手に動けない。しかも小指一本動かすこともできない。こんな状態でくしゃみなどしたらいったいどうなるのか、と思わず戦々恐々な訳である。今回の治療でそれが三十分続いた。

「鍼を刺されたまま放置プレー」
という訳で今回の奇跡の名医である。忙しいのは判るのだが、そうやって身体に鍼をぶちこみ電流を流し始めた途端、はい、どうもとどこかに消えてしまった訳である。えええ、これはいったいなんなのか?と疑問に思ったままそのままどれだけ待っても誰もなんとも言ってこない。カーテンの中で尻に針をさされたまま完全に放置プレーな訳である。知りたがりの俺としては、この治療はなにを目的としているか。どういうことをどのくらいの時間どのように行うか、と聞いてみたいのは山々なのだが、そういう説明は一切なし。えいやあ、と針をぶっ刺してみるからにレガシー風な装置を繋ぎ、おっとなんか始まったと思ったとたんにもう誰もが掻き消えていたわけだ。いったいこれはなんなのか。。。と疑問に思ったままちょっとでも身体を動かそうとすると不気味な痛みが電流に乗る。それが三十分ほど続いたわけだが、まさにいやはやであった。

「鍼は効いたか?」
という訳で鍼が効いたか効かなかったか。回答を言えば効いたのである。痛みが夢のように全て掻き消えた、という訳ではないが、ふと気がつくとこれまでできなかったことができるようになっている。つまり靴の紐を結んだり立ったまま靴下を履いたり、或いはストレッチの色々なポーズができるようになっているのである。

「ストレッチ」
腰痛改善に一番必要なのはストレッチである、ということは判っている。判っていながらそれをしないのは、つまりは腰痛が原因でストレッチができない、あるいはとても苦痛な訳である。ストレッチができない、苦痛であるからストレッチをやらなくなり腰痛を加速させるというこの悪のスパイラル。そして身体の筋肉はますます硬質化し硬質化した筋肉が腰をしめつけそして歪めて行く訳なのだろう。とりあえず今回の鍼治療によってこのストレッチができるようになったというのは確かである。これを礎にしなくてはいけない、と胸に沁みるわけである。
という訳でまずはストレッチである。そもそもストレッチができないというのからしておかしかった訳である。とりあえず筋そのものに電流びりびりやって解きほぐしたところがまた固まらないうちに十分に伸ばし始めるべきだと思い知る。

「ラジオ体操」
つまりは一日一回でも良いからあの薄らみっともないラジオ体操を始めるべきなのである。そしてもうひとつ。何ゆえの腰痛かとその原因をつくづく考えた結果、月並みな言い方ではあるがそれは姿勢ではないのか、と思い当たった。

「足を組む姿勢」
どういう訳か俺は脚を組む癖がある。メールを打ちながら電話をしながらチップスを食いながら、ふと気がつくと必ず足を組んでいる。ふとすると立っている時以外のほとんどの時間をそうして足を組んで過ごしているようなのである。その足を組んだままの姿勢で長時間居ると、身体は自然とでろりと背もたれにもたれかかってしまうか、あるいは上半身そのもので机によりかかってしまう。この姿勢こそが腰に負担をかける、というよりは、腰をゆがめているのではないだろうか。ほら、いまこうしている時にも俺は脚を組んでいるではないか。つまりはそうか、実はそういう事なのか。という訳でまずは足を組まないことではないのだろうか。なんだそんなことだったのか、とは思うのだが、思っていながら、ふと気がつくと俺は足を組んでいる。おっとしまったしまった、と思いながら、ふと気がつくとやはり組んでいるのである。まさに、これこそが問題であったのか、と今更ながらに思い知るわけなのである。

「姿勢を変えることの難しさ」
という訳で姿勢を変えなくてはいけない。しかしながら姿勢とはすなわち生きる上での態度つまりは根本にも関係する訳でそう思ってみると俺は普段からいつも足を組んでだらっとそっくり返って腰骨がゆがむほどにしゃにかまえて生きていたということだろう。しかしながら、俺はもうそういうのはやめた。やめたいと思っていながら今更やめれない状況にあったからなのだが、今はもう辞めても良い状況にあるので率先してそういう斜構え的な態度を改めようとしているわけだ。つまり不良はもう飽きた、ということだろう。姿勢を変えるとはつまりはそういうことだ。あるいはそれは、そっくりかえって座ったり人前で足を組んだりガムをかんだりするような安いポーズなどではないということか。

「足が組みたい」
とういうわけで昨日から足を組むのを極力辞めているのだが、しかしながらそれはそれで無性に足が組みたくなる。足を組む理由とはなにか。第一に楽だから。なぜ足を組むと楽か。身体がゆがんでしまっているから、となる訳で、足を組めば組むほどに身体がゆがむという悪のスパイラル。なのでこの足を組みたいところを我慢するのはつまりは矯正になるわけでつまりは治療、よって苦痛を伴うのである。ああ早くよくなって思う存分足が組みたい、と思っている。


  • password
  • 管理者にだけ表示を許可する

trackbackURL:http://shumatsuwotohnisugit.blog.fc2.com/tb.php/1321-8e54c0f0

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

月別アーカイブ

検索フォーム