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「印度人論 その壱」

Posted by 高見鈴虫 on 20.2013 旅の言葉   0 comments   0 trackback
「印度人論 その壱」

幸か不幸かインド人との付き合いは長い。

古くは学生の頃にバイト先にいたインド人との付き合いから始まり、
その後のインド旅行ではこれでもかとばかりに辛酸を舐め、
そして最近になり、IT関連の職場ではそのインド人がパートナー、
時としてボス、あるいは顧客となりうる機会も増えた。

と言う訳で、これまでの私の経験に基づく、
独断と偏見に満ちたインド人論を展開してみたい。

とは言うものの、
私はステレオタイプが嫌いである。
あるいは、安易なステレオタイプに陥らないように、
と日々自身を戒めているところがある。

日本人にもいろいろなタイプがいるように、
アメリカ人にも韓国人にも中国人にも、
そして当然のことながら、
印度人にも色々なタイプがいる。

が、しかし、一般論というのも存在する。

とりあえずはこの一般論的な解釈における印度人論から始めてみたい。


「印度人はB型である」

B型にも色々いるのだろうが、
とりあえず印度人はB型気質の人間が多い。
よって、印度人の謎のほとんどは、
B型人間の謎としてそのまま流用してしまっても良い気がする。

そう、つまり、印度人はB型、それも超のつくB型気質なのである。
これだけでなんとなく理解のついた人も多いのではないだろうか。


「印度は奴隷と貴族の国」

印度人の中には2つの人格がある。
奴隷と貴族である。
それは例え、バラモン出身であろうがクシャトリアであろうがハリジャンであろうが代わらない。
印度人は押並べてその中に奴隷と貴族が共存しているのだ。

やたらと高慢に気位が高そうにしているかと思うと、
上の人間、とくに白人が加わると、
まるで手のひらを返したように奴隷に変身してしまう。

これはまさに、英国に統治されていた時代から身についてしまった、
奴隷根性の賜物である。

よって印度人は、そのB型気質と相成って、

立場が上、と見れば、限りなく威張りつくしては、
上の立場を利用して、ありとあらゆる特権、利権を独り占めにしようとする。

そしてひとたび立場が下になれば、
ここでは極端なまでの奴隷根性。
つまりは、表向きは嫌味なぐらいに媚びへつらいながら、
それはもう極端なぐらいまで仕事から逃げ回る訳である。

それを攻めたとたん、
印度人は突如として、あの印度人特有の訳のわからない印度英語でもって、
考えうる限りの言い訳という言い訳を捲くし立て始める。

この印度人気質を、まったくどうしようもない、
と表現するのが常であるが、
しかしそれは、やはり、印度人が、
まったくどうしようもない人々であるだからである。



「印度人は個人主義者である」

印度人が個人主義者である、という声はよく聞くが、
どうもそれは違うのではないか、と思っていた。
個人主義、というよりは、
極端に視野が狭すぎて、
自分のこと以外はまったくなにも目に入っていない、
と判断すべきである。
印度人には集団、あるいは、仲間の概念は、ない。
例え同じチームで同じ問題に取り組んでいても、
彼らは自身のパートを生めることだけが仕事であり、
基本的には個人個人の集まりなだけ、である訳だ。

ましてや日本のように、自分と他人が曖昧なところで、
互いが互いを補いながら力をあわせて、
なんてことは、まったく彼らは理解できない訳だ。

印度人は強調ができない。個人主義だからではない。
自分以外のことには一切目に入っていないだけ。
そこを間違えると大変なことになる。


「印度人にとってのベストウエイ」

印度人と仕事をしていると、良く「ベストウエイ」という言葉が使われる。
書いて字のごとく、最善の方法ということな訳だが、
上記したように、印度人は本来、個人主義というよりは、
自分自身以外はまったく眼中にない人々である。
よって、印度人が言うベストウエイとは、
その印度人にとってのベストウエイ、
強いては、その印度人以外のことはまったく関係ない意味での、
つまりは、俺にとってはそれが「ベストウエイ」なのである。
そこには、わがチームにとって、やら、わが社にとって、
やら、このプロジェクトにとって、という概念はない。

そしてまた、奴隷根性の賜物でもある印度人は、
まさに、もっとも自分が楽をできる方法、ばかりを模索している所がある。
よって、後先のことは考えず、これが一番、その場を、楽に済ませられる方法、
という意味であることが多い。

そこを間違えると、まさにとんでもないことになる訳だ。



「印度人は嘘つきである」

よく言われることだが、印度人は平気で嘘をつく。
なぜならば、印度にも多く存在するイスラム教は、
嘘も方便、であることを高々と歌っている宗教である。

商売のためなら嘘も方便。アラーの為なら嘘も方便。

それに加えて印度人の一般宗教であるヒンドゥ教は、
一神教という厳しささえもない。

つまり、嘘をつくイスラム教徒に対して言う、
「おう、そういうなら、アラーに誓うか?」
というあの伝家の宝刀の嘘発見方が使えないのである。

クリシュナには嘘をついたが、シバにはそれはOKだろう、となる訳だ。

まったくああ言えばこう言うの権化である印度人は、
その場限りの言い訳の方法がいくつ考えられるかが
頭の良さと判断されるような人々な訳である。

と言う訳で、契約は守らず、金は誤魔化し、
約束は全て反故、というあのはちゃめちゃな印度人ぶりが
目を離せばとたんに手を抜き、叱れば臍をまげ、
口を開けば言い訳ばかり、てんぱると途端にけつをまくって姿をくらます。
そんな印度人らしさがとことんに発揮されるという訳である。

がそんな印度人を攻めてはいけない。
印度人はつまりはそういう人たちなのである。
それを知らずに印度人を信用した側が無能なのである。

改めて言う。

極端なB型気質で、しかも奴隷根性の塊であり、
しかも、嘘つきである印度人は、
日本人の社会的信用に支えられた概念とはまったく種を異にする人々である。

それを十分に理解したうえで、改めて印度人との付き合い方を考えるべきなのである。


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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