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オーストラリアン・キャトル・ドッグの飼い主になるには

Posted by 高見鈴虫 on 26.2013 犬の事情   1 comments   0 trackback
「オーストラリアン・キャトル・ドッグは普通の犬ではない」

聞くところに寄ると、
オーストラリアン・キャトル・ドッグを、
リトル・シェパード、
などと称しているブリーダーがいるらしい。

シェパードを飼いたいが大きすぎるし怖い。
だったら、という訳で、
キャトル・ドッグはそのミニチュア版、
ということなのだろうか。

だとしたら、止めておいた方が良い。

改めて言うが、
オーストラリアン・キャトル・ドッグは普通の犬ではない。
あるいは、普通の人間では飼えない。

敢えて言えば、
日本における普通の家で、
普通の仕事をやっている、一般的な日本人には、
この犬を飼うことは到底不可能なのだ。

確かにオーストラリアン・キャトル・ドッグは最高の犬である。

一度この犬の魅力に触れてしまうと、もう他の犬種を飼うことはできない。

オーストラリアン・キャトル・ドッグの飼い主達が口を揃えてそう語るのを聞いて、
どうしてもオーストラリアン・キャトル・ドッグが欲しくなってしまう、
という気持ちも判らないではない。

が、しかし、改めて言うが、オーストラリアン・キャトル・ドッグは特別な犬なのだ。

ミチチュア・ダックスフンドや、チワワや、
フレンチ・ブルドッグやマルチーズを飼うのと同じような気持ちで
このオーストラリアン・キャトル・ドッグを飼ってしまったとすれば、
その飼い主は100%、確実に後悔することになる。

それどころか、
下手をすると部屋中を滅茶苦茶にされる、
どころか、
家そのもの、ともすれば人生そのものを、
メチャクチャにされることになる。


「オーストラリアン・キャトル・ドッグは最高の飼い主を求める」

オーストラリアン・キャトル・ドッグはまさに最高の犬である。

がしかし、彼らが最高の犬である限り、
その飼い主にもまさに「最高の飼い主」を求めるのだ。

繰り返す。
オーストラリアン・キャトル・ドッグを飼うと、
普通の人間としての生活をなくすことになる。

そしてどちらを取るか、との選択に迫られた時、
オーストラリアン・キャトル・ドッグがあまりにも最高の犬であるが為に、
飼い主は、己の人生を投げうってしまうことにもなりうるのだ。

それがなにを意味するのか、以下を参考にしていただければ、と思う。

という訳で、
オーストラリアン・キャトル・ドッグの飼い主になるための資格試験である。



「一日最低4時間、犬と一緒に思い切り走り回れますか?」

オーストラリアン・キャトル・ドッグの飼い主がオーストラリアン・キャトル・ドッグと聞いて、
まず思い浮かべるのは、まさにその運動量である。

もしオーストラリアン・キャトル・ドッグのオーナーでありながら、
オーストラリアン・キャトル・ドッグと聞いてまず、運動量、と答えない人があれば、
その人はオーストラリアン・キャトル・ドッグの事がなにも判っていない。
あるいは、
そんな人物に飼われているオーストラリアン・キャトル・ドッグはとても不幸、
ともすると虐待を受けているに等しい、と考えたい。

オーストラリアン・キャトル・ドッグのオーナーが、
オーストラリアン・キャトル・ドッグの特徴を上げるとすれば、
まずは、その凄まじい運動量、それを置いて他にはない。

オーストラリアン・キャトル・ドッグはアクティヴな犬である。

そのタフさときたら、真面目な話、まさに半端ではない。

生身の人間がどれだけ一緒に走っても、
オーストラリアン・キャトル・ドッグは決して満足する、ということがない。

一時間走ろうが二時間走ろうが、ケロッとした顔をしてついて来るし、
ほとほと疲れ果てて思わず顔を覗き込む度に、
なに?と不思議そうに首を傾げたり、
あるいはまたいつものニカニカ笑いで愛嬌を振りまいたりする。
あのなあ、と思わず膝が砕けてしまう。
つまり、生身の人間ではこの犬には到底勝ち目がないのである。

という訳で自転車だ。

飼い主が自転車に乗った途端、
オーストラリアン・キャトル・ドッグの目は初めてらんらんと輝くに違いない。

さて、と走りはじめた途端にオーストラリアン・キャトル・ドッグはその本領を発揮する。

オーストラリアン・キャトル・ドッグは足が早い。

キャトルドッグが本気になれば例え自転車が相手であろうが平地では到底追いつかない。
暫くリードを奪えるかもしれないが、いい加減にくたびれて来て後ろを向いた途端、
喜び勇んだキャトルドッグが、そのどんぐり目をらんらんと輝かせながら、
まるで踊るように駆けて来る姿が見える筈だ。

もしかして・・お前、遊び半分で走ってたのか?

そう、オーストラリアン・キャトル・ドッグは人間などまったく相手にしていないのである。

そんな犬を相手に、毎日4時間、徹底的に走らせなくてはいけないのである。

それができる人間だけが、
初めてオーストラリアン・キャトル・ドッグの飼い主として認めて貰える、
という訳なのだが、
もちろんこれは正気の沙汰ではない。

つまり、正気ではオーストラリアン・キャトル・ドッグは飼えない、という事なのだ。



「オーストラリアン・キャトル・ドッグは部屋の中では飼えない」

オーストラリアン・キャトル・ドッグの魅力の中に、その見事な毛並みが挙げられる。

オーストラリアン・キャトル・ドッグの別名をブルーヒーラーと言うように、
銀色に近いプラチナ色の毛並みに、
黒いブチが見事なグラデーションになって滲んでいる。
その見るからに柔らかそうな、
ぬいぐるみそのものの灰色の毛並みが、
草原の下では空の青さを反射して青く光るのである。

それは本当に見事なものである。
つくづくこいつはなんて美しいんだ、
と自分の犬ながら思わず見とれてしまうことも度々である。

がしかし、そこにオーストラリアン・キャトル・ドッグの大きな罠がある。

そのオーストラリアン・キャトル・ドッグの見事な毛並みを保つために、
オーストラリアン・キャトル・ドッグのその毛並みは一年中、季節を問わず、
抜けては生えてを繰り返すのである。

結果、まさにセーターがいくつも編める程のとてつもない量の抜け毛の山が築かれる訳だ。

三日も家を掃除しなければまさに家中が毛だらけである。

ふとすればスーツからセーターからシャツからが徹底的に毛だらけとなる訳で、
そんな毛だらけのスーツやコートを、
いやあ、うちの犬は、抜け毛毛が凄いんですよ、と言いながら、思わずニヤニヤしてしまう、
ぐらいでなければオーストラリアン・キャトル・ドッグの飼い主とは認められない。

でもなんだか、この服についた抜け毛を見る度に、
なんかうちの犬と一緒にいれるような気がしてね、
と思わず頬が綻んでしまう、というのが
オーストラリアン・キャトル・ドッグの飼い主なのである。

まさにこれは正気の沙汰とは思えない。
つまり、正気ではこの犬は飼えないということなのだ。


「オーストラリアン・キャトル・ドッグはワンオーナードッグである」

オーストラリアン・キャトル・ドッグの飼い主が一様に口にするのは、
オーストラリアン・キャトル・ドッグが一度、飼い主と認めた人間には、
なにがあろうと徹底的に従順である、ということだ。

確かにちょっとワイルドなところや、
強情なところがなきしもあらずではあるのだが、
そのワイルドさや強情さは、まさに飼い主に対する愛の証なのである。

ちなみに我が家のオーストラリアン・キャトル・ドッグは、
自身がご主人様と定めたうちのかみさんの側をまさに片時足りとも離れない。

トイレに入ればトイレの前で、風呂の時には風呂場の前で、
いつまでもいつまでもじっと待ち続けているのだ。

おいで、と言えばすっ飛んでくる。
待ってて、といえば何時まで経ってもじっと待ち続ける。

まさに主人の忠実な下僕。まさに最高のバディである。

がしかし、そこに一つの盲点がある。

オーストラリアン・キャトル・ドッグは己の飼い主を唯一絶対の飼い主、と定めた結果、
それ以外の人間には愛想が悪いどころか、指一本触らせないようなところがある。

通りすがりのおねえさんが、あら可愛いわね、と伸ばした手を、
するりするりと交わしてニカニカと笑っていたりするのだ。

これはまさにこの犬特有の警戒心の表れで、
つまり飼い主以外の人間をおいそれとは信用しないのである。

と言う訳で、オーストラリアン・キャトル・ドッグは無茶苦茶濃い犬なのである。

その濃さが、時として重みとなって心を締め付けるのだ。

オーストラリアン・キャトル・ドッグはその濃い愛情の全てを、
これでもかとばかりに一人の飼い主に注ぎ込む。

その代わりに飼い主からもこれでもか、とばかりの愛情を欲するのである。

一度オーストラリアン・キャトル・ドッグを飼ってしまうと、
オーストラリアン・キャトル・ドッグと共に過ごしていない時間はまさに苦痛である。

いつ何時でも、ああ、あいつ今頃なにをしてるかな、とあのつぶらな瞳を思い出してしまう。
残業が長引く度に、ああ、あいつ、寂しがっているだろうな、と思うともう仕事など手に付かない。
たまに犬を置いて外でお出かけをしても、犬のことばかりが気になってちっとも楽しめない。

がしかし、例え外でどんなに辛いことがあっても、
ドアを開けた途端に飛び出してくるオーストラリアン・キャトル・ドッグのその溢れる笑顔を一目みただけで、
もうこいつ以外のことはなんにもなんにも気にならない、ぐらいに忘れさってしまうのである。

オーストラリアン・キャトル・ドッグは愛してやれば愛してやるほどに、
それを二倍三倍の愛情で返してくれる。

が、一度、ちょっとでも邪険にしようものなら、
まるで殺虫剤にやられたゴキブリのように、コテッと体調を崩してしまったりもするのだ。

それだけの愛情を、
このワンオーナードッグと共に、
まさに一生に渡って注ぎ注がれすることができるか。

オーストラリアン・キャトル・ドッグはまさにそういう犬なのである。





数年前に宝物のキャトルを天に返して、ペットロスどころではない位の悲しさを経て、こちらのホームに来た時にやっと、本当に数年ぶりにやっと気持ちが少し晴れました。キャトルの素晴らしさを語って頂き感謝するとともに、可愛くて愛おしいあの犬を思い出して、何度泣いたか・・・
キャトルは普通の犬ではない。まさにその通りで、他人に話してもどんな愛犬家に伝えても、理解はされなかった言葉をみた時に嬉しくて感動しました。
他のエピソードも伺いたいし、我が家の宝物を思い出したいからまた見にきます。本当にありがとうございました。
2014.02.21 12:58 | URL | ゆきえです #- [edit]


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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