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「食事を残す人々」

Posted by 高見鈴虫 on 06.2013 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
食事を残す人が嫌いである。
これはもう習慣というよりは日本人としての性癖という奴だ。
なぜならば俺たちはそういう教育を受けてきたのである。

給食を残したら食べ終えるまで残された。
きれい空っぽの皿を前にごちそうさまをするまで食事の席を立つことは許されなかった。

もし残そうものなら、あるいは、こんなものまずくて食えない、
などと文句を言おうものなら、

次は飯抜き。
あるいは、その場でひっぱたかれた。

そのような教育を受けた日本人として、
俺はなにがどうあっても飯を残すことができない。
そして、飯を残す奴を許すことができない。

ここアメリカは飽食文化の国である。
機械で大量生産された食物しか知らない人々は、
まさに使い捨て製品をぽい捨てするように、
食い物を徹底的に粗末にする。

俺がこれほどに大好物のピザをあまり食べたがらないのは、
よくいるピザのヘタを残す奴をみるとどうしてもむかついてくるからである。

それが日本人であればなおさらだ。
日本人でピザのへたを残している奴を見ると、
思わずこの非国民が!と横面を張飛ばしたくなる。

そういう訳で日本人である以上は、
そこがアメリカであろうが東南アジアであろうが、
食べ物は粗末にしてはいけないのである。

集まりの席で盛大に料理が残った時には、
ドギーバッグにしてもらって持ち帰る。
あるいは店を出たところで最初に見つけたホームレスにくれてやることにしている。

と言う訳で俺は飯を残さない。

俺が飯を残すのはまさに敗北である訳で、
俺はこの点においてだけはとても負けず嫌いである。

結果、俺が残すのはカップラーメンの汁と魚やフライドチキンの骨、
天ぷらの海老の尻尾、ぐらいな物である。

最近、食い物にうるさくなったかみさんが、
忌々しげに取り分けた肉の脂身の塊りを、
そのまま一口で食ってしまったりするのはさすがに顰蹙ものではあるが、
それでも食事を残すよりはましだと思っている。

がしかし、
たまに行く高級レストランの席で、皿に残り汁一つついていない、
下手をすればそのまま別のテーブルに出されるぐらいにきれいに空になった皿に、
片付けにやってきたウエイターが唖然とする様を何度も見ている。

ウエイターたちはテーブルに並んだ白く輝く皿を見て、
いやはや、と苦笑いを浮かべ、
そしてテーブルの人々、つまり日本人客の顔をさらり、
と見るわけだが、
その視線の中に明らかに侮蔑の表情が見て取れる。

つまりここ米国においては、
料理を残すことはまさしくマナーなのである。

料理を残さず食べることは、卑しい、そして、はしたない行為である訳なのである。

そう言えば昔、中国人の友人から、
驚いたよ、噂には聞いていたが、日本人って本当に飯を残さず食べる人たちなんだな。
ああ、それがマナーだからな。残したら周りの人に失礼だし、神様から罰があたる。
あれまあ、と中国人の友人。
中国ではそれはまるっきりの逆。
出された飯をすべて平らげたりしたら、それこそ、お前のところの飯は量が足りなかった、
このみみっちい奴め、という意味になってとても失礼にあたる訳だ、という話。

だから中国では、
とにかく盛大にオーダーして、そしてそれを盛大に残す、
これがなによりも大切なマナー。

と言われて正直、目をぱちくりさせたことがある。

という訳で、ここニューヨークでもそのマナーは中国に近いと見える。

確かにニューヨークにおいて人々はほとんど大抵飯を残している。

汚らしく食い散らかした皿をウエイター達がうやうやしく取り集めるのを、
済ました顔をしてデザートのメニューなどを見ていたりするのだ。

日本の感覚から言えば、
あのなあ、お前ら、そんなことをして恥ずかしくないのか?
店の人たちに悪いと思わないのか?
お前らいったいどんな教育を受けてきたんだ。張り倒してやろうか、
と未だに思ってしまうのだが、

ふと見ると隣のテーブルの家族連れ。
金持ち、というほどではないが、それなりに品は良さそう。
だが、そんな中、
きかん坊ざかりの男の子が、最後に残ったハンバーガーの一口に手を伸ばしたところ、
子供に母親が冷ややかな声で言い放った。

やめておきなさい。ブタみたいにみっともない。一口分ぐらい残しなさい。

という訳で叱られたこどもを見ると、
それでもやはり未練がましくハンバーガーを見ていたのだが、
いきなり指の先でバンズの中から肉だけをつまみだしてパクリ。

残されたバンズとレタスの切れ端が転がっている様を見て、
母親がよしよし、と。

これにはさすがに苦笑いが漏れたのだが、
ふとそんな母親がちっと俺たちのテーブルに横目を走らせる。

まさに空。ブタが食ったようにまったくの空っぽである。

そうこうしてやってきたウエイターが、やあ、と笑う。
随分きれいに食べたな、と皮肉にも取れる一言。

ああ、おいしかったよ。ありがとう、と笑うのだが、
そう、そんなウエイターの目には確かに、
なんと声をかけて良いのか、という動揺と、
そして明らかに嘲りの表情が浮かんでいるのである。

バカタレが、と俺は思う。
俺は日本人だ。思い知ったか。

が、しかし、そう現在は既に飽食の時代だ。

そんな日本にも、
飯を食わない草食系の虚弱児童や、
徹底的にお菓子しか食わない全身アトピーの少女が増えたと聞く。

という訳で、飯を残さず食う、という昭和の伝統は、
既に世界の常識の中ではまさに非常識の中の非常識。

それならば、と思わず。
大いに食べ散らかして食い残しで一杯になった皿の上から
丸めた紙ナプキンを積み上げてやろうか、とは思うのだが。。。

が、どうも俺にはできない。
してはいけない気がするし、
している奴をどうしても許すことができない。

それはまさに悲しいサガである。

何年アメリカに住んでもこれだけは絶対に変えられないだろうと思うし、
妙にアメリカ化された日本人が食事を残しているのを見ると、
そのままスタスタと歩いていって後ろ頭を叩きたくもなるのは変わらない。

あるいは同席した人間が飯を残したら、
俺はそいつとは二度と飯を食わないだろう、と思う訳だ。

それがいかにマナー違反と言われようが、
品格に欠けると言われようが、
はたまたブタのようだ、と言われようが、
なんと言われようが、

俺はたぶん、いや、確実に、
それは一生変わらないであろし、
そして変えるつもりもさらさらない。

という訳である。

そしてあらためて言わせてもらう。

あのなあ、米粒一粒の中には八百万の神様が宿っているんだぞ。
残したりしたらバチが当たるんだぞ。


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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