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改めて言えば貧困は格差なのだ

Posted by 高見鈴虫 on 20.2013 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
改めて言えば貧困は格差なのだ。

貧困が格差を意味するということではない。
格差こそが貧困、つまりはその元凶そのものなのだ。
貧しい国ほどその格差が激しい。
つまり貧しい国がなぜ貧しくなるかと言えば貧しい人々を物ともせずに
一握りの裕福層がその利権を全て独り占めしてしまっているからなのだ。

それ以外に貧困に理由などないのである。

よって貧困者を貧困から救う方法は、
ボランティアで古着をばら撒くことでもカンパンを配ることでもない。

問題は貧困層にあるのではなく裕福層にあるのだ。
裕福層が民主主義を嘗めすぎているのがその原因なのだ。

貧困をなくしたければ裕福層に対して利権を平等に分配するように働きかけ、
あるいはなかば強制的にその利権を奪取する必要がある、
ただそれだけの話なのだ。

世界中を回ってその結論に辿りついた時、
しかしなぜか貧困の光景に接することがつくづく嫌になった。バカバカしくなった。

道端で埃にまみれた乞食に小銭をやって写真を撮り、
現地の人々の微笑みに触れました、なんてのにはもうほとほと愛想がつきた。

改めて、バカか、と言いたい。

貧困国の人々ほど貧困そのものを腹の底から憎んでいるのだ。
見たくない、と思っているのだ。
自分から貧困に接し貧困を救おうなどと思っている人間はいない。

その貧困が深刻であればあるほどにその憎しみも深刻なのだ。

その辛辣な現実に気付かないかぎりボランティアになどなんの意味もない。

がしかし、
では貧困層を救うためににはどうしたらいいのか。

貧困層を貧困者として甘やかすその姿勢そのものがまた新たな貧困を助長する。
貧困者が貧困から脱出する方法はまさに自助しかない。
その現実を貧困層が直視しなくてはいけない筈であるのに、
安易な人道主義的なボランティアはその芽さえも摘み取ってしまう。

貧困国が貧困である理由は、
貧困国の裕福層がその利権システムに胡坐をかいてまったく働こうとしない様子を見た貧困層が、
労働そのものを蔑み憎みはじめてしまうところにあるのだ。

労働をしない裕福層の姿ほどに貧困を助長させるものはない。

その姿はまさしく人々の労働への意欲を殺ぎ、
追っては労働に支えられるべき経済そのものを腐食させるのだ。

裕福層が労働をしている姿を見せることこそが貧困層から労働に対する侮蔑と憎悪を払拭する方法なのだ。

改めて言う。

貧困を救うために貧困者に古着を巻いてもなにも変わらない。

餓えた貧困者にカンパンをばら撒くことは貧困層の自助努力、自助意欲を根こそぎ殺いでしまう。

ただで配るぐらいなら貧困地域に会社を設立しその労働の代償としてカンパンを与えなくてはいけない。

そしてその貧困の姿を世界に向けて公開し、その貧困の原因が世襲の利権に寄生して、
富を独占する裕福層の堕落にあるという事実を知らしめなくてはいけない。

などと思っていたのだが。。。。

ここに来て、そう、あのグアテマラのインディヘアの人々の、
あの素朴に、徹底的な悪意に満ちた視線に晒された時から、
もうそんなことさえまったくどうでも良くなってしまったのだ。

いまこうしているこの瞬間にも、ソマリアでは持てるものに全てを奪われた、
持たざる者の哀れな子どもたちが干からびて蝿にたかられたまま目を閉じようとしている、
というのにである。

くそったれ。最悪なきぶんだ。ムラカミハルキでも読みなおしてやりたくなる。


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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