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レスキュードッグ・ブルース 「チェシー」

Posted by 高見鈴虫 on 22.2012 犬の事情   0 comments   0 trackback
アッパーウエストサイド、72丁目の公園を見下ろす
超高級コンドに暮らすエレンさん。

某有名雑誌と特約契約を結ぶ編集プロダクション会社の辣腕社長、
であるのだが、つい先日、飼っていたオーストラリアン・キャトル・ドッグ、
フレックルが5歳を待たずに癌で死んで以来、
仕事も手につかずの超欝状態。




部屋から見下ろす公園の遊歩道、
日々さっそうとした物腰でドッグランへと向かう犬たちを眺めながら、
去っていった我が犬を思っては泣き暮らす毎日。

同じキャトルドッグのブッチの姿を見かけると、
まさかフレックルが帰って来たのか、
と思わず公園に走り出てしまうようにもなって、
もうこれは限界かな、と思っていた矢先、

春を待たぬ3月のある日、知り合いの働くアニマル・シェルターから、
4ヶ月になるボーダーコリーの里親を探している、
という連絡を受けて、一も二もなく引き受けてしまったそうだ。

と言う訳でエレンの引き取ったボーダー・コリー。

まだ子犬の表情を残したものの・・
その表情はまるで冴えない。

どうやらこれまでの人生で、よほど辛い目にあっていたらしい。

さっそくドッグランに連れて来たと言うものの、
入り口を入ったとたんにペタンと腰が抜けてしまって、
やあやあ、と挨拶にやってきた犬たちを前に、
ブルブルと身体を震わせているばかり。

おやまあ、どうしたの?
と手を差し伸べた途端に、飛びずさっては、
金網に身体を押し付けるように震えながら硬直を始めるしまつ。

おまけに、その黒い毛並みのところどころに、
まるでやけどのケロイドのように地肌が覗き、
その引き攣った表情にも、子犬の溌剌さどころか、
生気そのものが完全に失せている。

まるで渋柿をつぶしたように表情を曇らせるエレンさん。
どうもねえ、かなり問題がありそうだ、とは聞いていたのよ。

4ヶ月でこれは、かなりなもんだね。

そうなのよ。昨日引取りに行って、で、その足でさっそく医者に連れて行ってね。
皮膚病の薬からシャンプーから、一切合財貰ってきたんだけど・・・
世話どころか、いまだに私に身体を触らせないのよ。
ごはんあげても食べないし・・・

ならなにも食べてないの?

いやね、でもお皿は空になってたの。私が見ていないと影で食べてるみたい。

ああ、捨て犬だったんだね。

そうなのかしら・・

と言う訳で、ねえ、ちょっとあなたが見てみてくれない?

まあ俺が見たからどうってこともないんだけど。

でもほら、あんたドッグウィスパラーだしさ。どうにかなるかもしれないし。

でもなあ、と改めて見る子犬。正直これはちょっと酷すぎるような。

もしどうにもならないようなら・・・

どうにもならないようなら?

シェルターに返すしかないわよねえ。

返してどうなる?

さあ、また新しい飼い主を見つけてもらうしか・・・

と言う訳で、改めて見る子犬である。

正直、こんな見るからに病気の子犬を引き取る人間がそうそうと居るとは思えない。
あるいは、なぜエレンがよりによってこんな子犬を引き取ってしまったのか・・

つまり・・・そう、この子犬、エレンが引き取らなければ、多分そのままガス室送り・・

うっしゃ、ならちょっと見てみるよ、と俺。

だからシェルターに返すなんてことは二度と言わないでくれ。

と言う訳で、
あらためて、さあおいで、と声をかけても、
怯えきった表情のまま、背中を丸めて地べたにへばりついているばかり。

まあそのうち慣れるさ、とは言ったものの・・
ここまでひどく虐待の傷跡を残した犬は正直見たことがなかった。

歓迎の犬たちもすっかり散っていった後、
その目の前に座り込みながら
あれまあ、お前はどうしたのかな、と、
改めて顔を覗きこんで見る。

怯えきった黒い瞳。
べったりと目やにの張りついた目尻。
よく見ればゴミだらけの毛と、
そして見るも無残な脱毛の後。

薬用シャンプーで身体を洗った、ということなのだが、
それでもこれだけ薄汚れているということは、
シェルターに来たときにはまさにゴミの塊のような状態だったのだろう。

お前、ほんとうに辛い目をみたんだな・・

もう大丈夫、もう怖いことはないよ。お前に酷いことをする人はもういない。
なにかあったら、ほら、このブッチが守ってくれるから。だから大丈夫。

そう言われたブッチ、さかんにその怯えた子犬をクンクンとやっては、
この子、どうしたの?と不思議そうな顔で振り返るばかり。

やれやれ、とため息をついていたところ、
背中に回したかばんの中にふんふんと鼻を突っ込んでいたブッチ、
いつものトリート袋をつまみだして、ねえ、これ頂戴、とニカニカ笑い。

おお、トリートか、と取り出したビーフビスケットの一欠けら。

はい、ブー君、お座り、お手、ハイ・ファイブ、そしてくるくるバレリーナ。

とやって、はいよくできました、とパクリ。

なに?もう一個?うっし、じゃあ今度は、とやっていたところ、
ふと見るとその子犬、ちじこまった両手の間からじっとそんな俺たちを見ている。

なんだ、お前。おなかすいてるのか?ほら、とやった途端、駄目、とブッチ。
それは俺のもの、ととうせんぼ。

まあまあ、そう言わずに、と差し出した手のひら。

訝しげな表情のままクンクンクンと匂いをかんでいたのだが、
おもむろにおもむろにその冷たい鼻先を指の先につけてはひょっと飛びのき、
とやりながら、ついについに、勇気を振り絞ってオヤツの一欠けらを一口。

どう?おいしい?お口に合うかな。

とやっているその横で、さあ次は俺の番、と頼みもしないのにブッチがくるくると回っている。

で、ブッチに一つ、子犬に一つ、とやって居たところ、
ついにオヤツの魅力に打ち負けた子犬。
ようやく身体を起こしてお座り。
おお、ようやくお顔が見えたね、とその鼻先にオヤツを持っていくと、
パクリ、と食べた。

よしよし、よくできた。もうひとつ食べる?
と、オヤツを一欠けらごとに顎の下を撫で、胸を撫で、とやっていたところ、
そうこうするうちに、ねえねえ、とおねだりをするようになってきて、
そんな姿を見て、ブッチもはっはっは、と笑っている。

どうだ、弟ができた見たいだぞ。

とは言うものの・・うーん、こいつ、ちょっとブッチとキャラが違いすぎると言うか。

そう、この年頃のブッチ。まさに怖いものなしの超やんちゃ小僧。
喧嘩上等でドッグラン中の犬という犬に喧嘩をしかけては走り回り、
いよいよやばい、となると必死の形相で俺の元に逃げ帰って来ては、
追いかけてきた犬たちもろともにぐしゃぐしゃ。おい、おまえら、なにすんだ、と怒る俺に、
犬一同がそろってちーっす、と御挨拶。ほら、喧嘩すんなよ、行っておいて、
というたびにまた追いかけっこ再開。

あるいは、たちの悪い飼い主に貰い受けられて虐待され続けたうちに、
すっかりとこうなっていた、ということもありえない訳ではない訳で。

まさに捨て犬の人生。運次第だよな、と思わず。

なんてため息をついていたら、いきなり足元に擦り寄ってきた子犬。
とまあ、そんな調子の暴れん坊子犬だった訳なのだが、
だがしかし、そう、ブッチもあの時俺に出会わなければ、
相変わらずの怯えた目をしょぼしょぼとさせながら、ねえねえ、おやつもっと、
と小さな片足で靴の先をひっかいてくる。

おやまあ、お前、お手はできるみたいだね、と。

その小さな手のひらを指の先に乗せて、はい、ごほうび、とまた一欠けら。

はい、ちゃんと顔を上げて、俺の見て、はい、よくできました、とまた一切れ。

で、オヤツをやりながら、そのまばらに毛の生えた身体を撫でて見ると、
まさに骨と皮ばかりである。

おまえ・・本当に辛い思いしてきたんだな・・

ねえ、ねえ、僕にもおやつ頂戴、と催促するぶっち。
いきなり俺のほっぺたを冷たい鼻先でぶちゅ。

なら、お前も、と子犬の前におやつをかざして見ると、あれあれ、どういう訳か、
俺の鼻先をぺろりと舐めた。

あれあれ、なんだよお前。

と見るや、その黒い瞳に徐々に生気が戻りつつある。
そのじっとみつめる瞳、
よくよく見ると、なんとなく、貰い受けた頃のブッチに似ているところがある。

さあ、はい、よく見て、はいはい、目を合わせて。
そうそう、なんだよ、お前、実はちゃんとした子じゃないか。

そっか、最初はちゃんと可愛がられてたのだろう。
それがどういう訳か、つまり、捨てられたのか・・

だとすれば、人間にアビューズされていた過去はない、ということだから、
ちゃんと育てていれば、それほど曲がった子にはならないだろう。

と、そうこうするうちに、ねえねえ、と膝の上に手を置くまでになって来た。

はいお手、とするとすぐにその小さい手を置いてくる。

よしよし、よくできました。

こ一時間でここまで慣れるならあとは大丈夫だろう。

と言う訳で、遠巻きにそんな俺たちを眺めていたエレンさん。

ちょっとちょっと、と呼ぶと、まるではしゃぐ子犬のように駆け寄ってきた。

まだまだ、その辺りで停まって、と5Mぐらいの距離を置いてもらって、

はい、トリートどうぞ。はい、お手、はいよくできました。はいキスキス、はいはい、どうもありがとう、の繰り返し。

途端に喚声を上げて飛び上がるか、と思ったところ、
エレンさん、そんな姿を見つめながら思わず目がうるうる。

この子、よほど辛い目に会ってきたのね。

ああ、あんたが見放したら、もうガス室送りだろう。こいつも今日が最後のチャンスだと思って、がんばってるんだよ。

とは言うものの、エレンの姿を見たとたんに再び身を縮こめた子犬。思わずそのまま後ずさりして地べたに張り付いてしまう。

ほら、こうしてしゃがんで、できるだけ目線を子犬に合わせて。

で、しばらくなにもしないで座ってるだけ。

で、ほら、おいで、この人も怖くないから、と、オヤツのかけら。

まるで穴倉から鼻の先を出すようにそろりそろりと顔を上げて、

はいどうぞ、と一欠けら。

はい、エレンさんもやってみて。いやいや、いきなり手を出しちゃ駄目だよ。
そう、そうやって、そのまま動かないで待つ。はいはい、そうそう、はい、よくできました。
いや、そのままはい、もう一欠けら。次は指先で顎の下をちょいちょい、と。

ねえ、私、いままでいろんな犬を飼ってきたけど、これほど手間がかかる子犬は初めてだわ・・

だとしたら、これほど素晴らしい犬は初めてっていうぐらいいい子に育つよ。

本当に?

本当さ。大丈夫。この子は大丈夫。だって、とその瞳、そのじっと人の表情を見つめる瞳、これはまさにブッチの、そして、頭の良い犬、特有のもの。

大丈夫。驚かせたりしないで、こうやって、ひとつひとつ、手からごはんを上げて、
で、そのたびに、やさしくなでていればそのうち絶対に慣れるから。

とにかく驚かせないこと。怖がらせないこと。大きな声も動作も駄目。

ただ、そっとしておいて上げて、環境に慣れさせて、で、なにかしてくれたら、視線があっただけでもすぐにオヤツを上げて褒めてあげる。

とりあえずやってみるわ。

なにかあったら電話して。大丈夫、この子は凄く良い子になるよ。

本当に?

本当に。約束するよ。この子はとても頭が良い子になる。保障します。


と言う訳で、夏が過ぎた頃、

ドッグランの扉を開けたとたんに、いの一番に駆け寄ってくるチェシー。
恐ろしく頭のよさそうな目をした黒い大柄なボーダーコリー。
いまやブッチの一回りもふた回りも大きくなって、
ドッグラン中の犬と言う犬にプロレスごっこを仕掛けては、
すぐにやられた、とおなかを見せてしまうひょうきんもの。
身体中から少年犬の溌剌さを漲らせた、
まさに人も羨むような名犬中の名犬。

相変わらず他の飼い主には人見知りをするものの、
そう、俺の姿をみつけた時だけは、息せき切って走り寄ってきては、
ねえねえねえ、と片足を上げてボールの催促。

下手をすると、もう、ずっと俺の膝の上に顎を乗せたまま動こうとはしない。

とその隣りにかけよって来たブッチ。
ねえ、遊ぼう、と一声かければ、行ってきます、どこにも行かないでね、
と二匹で駆け出すや、公園中を所狭しと走り回っては、
赤い舌を躍らせて駆け戻ってくる。

ボーダー・コリーねえ、と他の飼い主。本当に賢そうよねえ。

確かに、放任主義のエレンさんが躾という躾もしなかったというのに、
お座りからお手は勿論のこと、吠えない噛まない、喧嘩もしない。
やんちゃな子犬の遊び相手を引き受けては、
たとえどんなに無茶をされても決して怒らず、
ドッグランでいざこざがあれば居の一番にかけつけて、
持ち前の癒しパワーで一同を安心させてしまう、まさに魔法のような犬。

さあ、チェシー、こっちおいで、と呼べば、喜び勇んで駆けつけて来て、
ほら、あそこのボール持っといで、と言えば、はいはい、とばかりに取りに走る。

うちのかみさんに居たっては、あああ、うちのブッチもチェシーぐらいに性格が優しければよかったのに、とため息をつく次第。

そう言えばね、この間、ドッグランのベンチに忘れ物をした人にね、
後から追いかけて、それを届けたんだって。

さすがボーダー・コリー、まさに名犬の誉れ高いな。

今となっては、誰もが羨む名犬中の名犬、と言われるこのチェシー。

まさかつい半年足らずも前に、このドッグランの入り口で腰を抜かし、
剥げた毛をぷるぷると震わせていたなど誰が予想しよう。

そしてこのチェシー、なにがあっても、そんな自分を救ってくれたこのドッグランの犬たちに対しての恩義を忘れないのである。

さあ、チェシー、おいで、というたびにいの一番に駆けつけてくるチェシー。

うん、確かにチェシー、ブッチよりも素直で性格もいいし、と思わず、うちの子になるか?ブッチと取り替えようか?などと身体中を撫で撫でなどしてると、

なんだよ、とばかりに、後ろからとび蹴りを食らう訳である。


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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