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Across 110th Street

Posted by 高見鈴虫 on 01.2013 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
Bobby Womack - Across 110th Street


よおよお、どもども。

その後、身体の具合はどうでしょう。
ちょっと危惧しておったが、元気そうでなにより。

なんか随分と懐かしい曲だが、
昨日、ちょうどこの110丁目のあたりで飯を食っていた。

現在この地域はものすごい勢いで再開発が進んでいて、
ハーレムはいまや西東を問わず、高級住宅街。
おしゃれな店が立ち並んでいる。

改めてここ数年のニューヨークの沸騰ぶりは凄いものがある。

ハーレムだけに問わず、ブルックリンはいまやマンハッタンを凌ぐほどに地価が高騰。
クイーンズも既に安住と土地とは言えなくなり、
あのブロンクスでさえ高級ハイライズのコンドミニアムが乱立を始めている。

この地価高騰の立役者となているのが、
中国・ロシアを筆頭とする海外からのバブルマネーの流入。

その中でも中国人とロシア人の進出が目に余るものがあって、
日本バブルの頃の地上げ屋を彷彿とさせるやり方で、
まるでイナゴの大群のようにほとんど全ての物件を
キャッシュで買い占めてしまうわけだが、
投機目的である以上、買ったは良いが誰も住むものもなく、
マンハッタン内に灯りの点くことのないゴーストコンドが増えている。

という訳で、ニューヨークからゲットーが消えつつある。

街中のありとあらゆるところに監視カメラが設置され、
いつしかドラッグ・ディーラーもドラッグ・クイーンも、ホッカーもジャンキーも、
ヒッピーもパンクスもアーティストもすっかり姿を消した。

街が安全になり清潔になり人々がおしゃれになるのはとても良いことではあるのだが、
街のダイナミズムというかエネルギーそのものが消え去って行くような気もして、
ちょっと寂しいところはあるんだがな。

という訳で、
この狂乱家賃のニューヨーク。
我々のようなニューヨーカー、つまり普通のニューヨーク生活者。
投機目的の地価の高騰の煽りを食らって、
まさにどこにも住むところのない状態に陥りつつつある。

アッパーウエストサイドの我が家も家賃が鰻上り。
いまやワンベッドの貧乏アパートの家賃が30万を上回る。

だからと言ってその分、給料がどーんと上がった、なんて話も聞かない以上、
果たしてこんな状態で人々がどうやって暮しているのか、
とつくづく首を捻っているのだが、
なんだかんだ言いながらなんとか凌いでいるのだろう。
まさに現代の七不思議である。

という訳で歌詞にもあった110丁目。

かつてショットガン・ギャラリーと言われたゲットーの風景が、
「風情がある」ということで外壁はそのまま残された状態で、
中はすっかり改装されておしゃれなカフェなんかが立ち並んでいる。

道行く人々も自然と白人たちが目に付いて、
小奇麗な格好をしたお嬢様たちが、
涼しい顔をしてピニャコラーダなんかを飲みながら、
夏のバケーションは、パリかカリブかハンプトンか、
なんて話をしている。

昨夜110丁目のレストランで一緒に飯を食った奴も、
実はブルックリンのBEDSTUYで生まれて、
ハーレムの130あたりで育ったちゃきちゃきのジャメイカ系である訳だが、
紆余曲折を経ていまやなんだかんだと言ってリッチ・ニグロの仲間入り。

このあたりもすっかりホワイト・ピープルに侵食されてきたな、
とは言いながらも、
そんな白人たちに囲まれても物怖じするような気配は微塵もなく、
逆に自身の育ったハーレムがホワイト・ピープルに持てはやされることで、
自分自身のステイタスが上がることを誇らしげに思っているようにさえ見える。

という訳で、ゲットーの住人たちだった黒人たちも、
自分たちの貧窮の理由を、黒人差別や経済的理由にできない事態が起こってきている。

その気になればいくらでもリッチになれる、という事態に、困惑しているのではと思うのだが、
そんな状態でさえ、敢えてゲットーの中でゲットー暮らしをすることにしがみ付いている人々を、
同じゲットーに生まれの黒人たちが、クズども、と吐き捨てるように言う時代が来ているというところか。

という訳でそんなクズな人々には、とりあえず、生きる気がないのならさっさとどこかに消えて欲しい、
というのが正直なところ。
いまや世界の一等地と化した元ゲットー地区のアパートに、
いつまでもクズどもにしがみ付いて貰っても困る訳である。

くっそう、こいつらろくな仕事もしないで生活保護で缶フードばかり食っていやがるくせに、
こんな一等地にのうのうと暮しやがって。
俺たちまともな労働者に住む場所がないのは、こういうクズがいつまでも居座っているせいだろう。
仕事もやらず生活保護貰うだけならわざわざマンハッタン内に居る必要もないだろう。
さっさと田舎に移れ、あるいは墓穴に入れ、とまじめに思われている訳だ。
という訳で、地上げ屋の皆様のドラスティックな活躍を望むばかりである。

なんてことを言いながら、
そんな俺でさえ、いつ何時レイオフを食らって梯子を外されるか判らない状態。
そんなことになったときの潰しは、まるでない。
まさに家賃を払うこと、つまりはマンハッタンにしがみ付くだけで精一杯の、
つまりは綱渡りの日々。

いまさらながらまったくとんでもない時代になったものである。
安息の場所にはいつになったらたどり付けるのだろう、とまじめに途方にくれているいま、

ゲットーに暮すことの嘆きを、素直に嘆きとして歌える状態に、
ノスタルジーさえ感じる今日この頃、である。

ちゅう訳で、なんだ。
好む好まざるに関わらず、生存競争が激化している気がする。
ただただ普通に暮すことの難しさに青色吐息の状態で、
落ちた人間への受け皿はどこにもないような気がするのだな。
この逼迫感は、まさに、医療保険によるもの。
明るく元気な勝者のみを前提として作られてしまったアメリカンドリームのこの社会。
ひとたび病気にでもなれば、あっという間にその恩恵から奮い落とされてしまう。
という訳で、先日日本に行った際には、
国民健康保険のあるなしでこうも心の余裕が違うものか、と正直目から鱗であった訳だが。。。
しかしながら、いんちきアベノミクスではないが、このところの日本の動向を見ると、
そうそうとのんびりとした事ばかり言っていられない状況が、
日本にも訪れるような気がしてならないが、どうなのだろう。

なのでそう、つきなみな言い方だが、金は二の次。まずは身体が資本だ。
あるいは、頼れるものは身体だけ。
身体がこければ金などいくらあってもぱっとなくなってしまうし、
身体がこけた途端、周りに居た人々もぱっと蜘蛛の子を散らすように逃げ去ってしまう。
健康には重々注意されたし。


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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