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「愛の鞭」

Posted by 高見鈴虫 on 31.2013 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
ジローさんの与太話の続き。

ガキの頃、自他共に認める悪がきであった俺達は、
実によく殴られた。
まるで賞状でも貰うように、
教壇の上に一列に並ばされて端から一人一人ビンタを食らったり、
あるいはいきなりの職質の挙句に拉致されて、
耳をひっぱられて道場に引きずり込まれるや、投げ飛ばされて壁に激突、
あるいは、その職質の最中、
こっちの答えも待たないうちからいきなり腹に膝蹴りを食らって左フックから右ストレート。
公僕とは到底思えないどこぞのチンピラのストリートファイトそのものに、
頭真っ白、きれいにノックアウトされたり。
まあ、思い出すだけでも実によく殴られた。

まあとはいっても、
そんな俺達のガキ同士の遊びからして
プロレスから始まって剣道部のコテをかっぱらってのボクシング大会、
あるいは、
モップを切ってつくった自家製ぬんチャンを振り回してのブルースリーごっこ。
下手をすればバスケットにタックルを取り入れたアメリカン・バスケットボールなるゲームで、
鼻血青たん、骨折者続出、
なんてことを日常にしていた関係で、
たとえちょっとばかし教師に殴られたとしても、
くっそお、さすが大人のパンチは違うなあ、
と逆に関心したり、ぐらいが関の山。

半日もしないうちにまたまた騒ぎを起こしては呼び出しをくらう、
を繰り返していた。

悪さをするたびに、ああこんなことしたらまた殴られるな、
とは思いながら、
まあしかし、面子を守るためにはしかたがない、
あるいは、これだけ面白いのだから、
後で多少殴られるぐらいはしかたがないだろう、
ぐらいに思っていたものだ。

と言う訳で、
そんな健康優良不良少年達の中でも、
教師による体罰は、言うなれば代金。
素敵な悪戯の快感と引き換えに、当然受け取らねばならぬ負の代償、
と勝手に納得していた部分も多く、
また同時に、
普段からの経験から、
殴るほうは殴るほうで割りと痛い、
という事実も知っていたわけで、
まあみなさん、ご苦労様、これにて手打ち、
痛み分けでございます、
と実に軽快に考えていたものだ。

がしかし、
殴られる者は、その殴られた痛みの中で、
瞬時にして相手、つまりは殴る大人の人格を見抜くところがある。

あ、こいつびびっている、から、
手を抜いたな、
あるいは、こいつ、実はやさしい奴みたいだな、
やら、
下手をすると、
この野郎、本気で殴りやがって。夫婦喧嘩の腹いせか?

と言う訳で、一発のビンタの中でも、瞬時に本質を見抜いた、この悪がきたち。

殴るほうは殴るほうで事情がある、という事実は十分考慮したが、
あまりにもそれが理不尽であった場合、
当然のことながらこちら側にも、その行動に抗議をする権利はある訳で、
がしかし、俺達は純然たる悪がきであったわけだから、
その抗議の方法も、署名を集めたりPTAにちくったり、
なんていうまだらっこしい方法ではなく、
車がパンクしていた。ガチガチに傷つけられた、
あるいはフロントガラスを割られた、
から始まって、
まあこれはしかたがない、と判断した場合、
つまり、歯を折られた、やら、
肋に皹が入って次のトーナメントに出場できなくなった、
なんて時には、
しっかりと、俺達なりの方法で、落とし前をつけさせてもらった訳だ。

よお先公、
俺達もこんなことはやりたかねえんだがよ。
まああんたも俺達を殴りたくて殴っている訳じゃねえだろうしな。
だがまあ、
下手を踏んだ以上は落とし前はつけてもらうってのもけじめって奴でよ。
こいつもこの先の人生、こんな身体で生きなくっちゃいけない、
ってのもちょっと不憫でな。
この先、この欠けた歯をみるたびにあんたのことを思い出して、
くそったれぶっ殺してやりてえ、なんてけちな恨みを抱えて生きられるよりは、
ここできっちりと落とし前つけておいた方が、お互いの為ってわけでさ。
と言う訳で、
まあ、あらためて侘びを入れて貰えるかな。真心を込めてよ。

と言う訳で、袋叩きとは行かないまでも、
土下座から始まって、ストリップ、
あるいは、ヘドロのような玄関脇の池で寒中水泳大会。
屋根の上に上ってもらってから梯子を外してしまったり、
裸で校庭を10周、
とまあいろいろあったが、
教師たちは教師達で、あああの人、やっぱりやられましたね、
なんてことで実は事後承諾であったりもしたわけだ。

が、しかし、痛み分けとはいいながら、
実は本当はとても良い先公であったところが、
なにかの間違いで俺達に〆られてしまった場合、
後になって先輩、
それもいまではしっかりと本ちゃん街道を行くOBから呼び出しを食らって、
再びその教師の前で全員が土下座させられたり、
なんてこともあったりもした。

てめえら、この先生はなあ、俺の命の恩人なんだよ。
どんな理由があったにしろ、この人に手を出すのは俺が許さない。
きっちり落とし前つけて貰うからそう思えや。

と言う訳で、たとえ悪がきども、とは言いながら、
そんな中で、人の善悪、あるいは、
お互いの罪の比重をしっかりと学んでいた訳で、
言うなればそれも社会学習のうち。
殴られるほうにも殴るほうにもそれなりの洒落っ気、というか、
まあ言うなれば人間としてのけじめが存在していたのだと思う。

と言う訳で、あらためて思う。

日本には悪がきはいなくなってしまったのか?
つまりは、モッブ・ジャスティス。

たとえ先公と言えどもおまわりと言えども、
やりすぎたやつにはきっちりと落とし前を要求する、
そんな影の力はなくなってしまった訳か。

改めて言えば、この歳になっても、
俺はいまでもそのへんのけじめは自分なりに持っているつもりだ。
やり過ぎた上司、
あるいは、不用意に人を傷つけた野郎に対しては、
トイレに入るときには後ろを気をつけろや、
ぐらいの睨みはきかせたって悪いことはない、と思っている。

くどいてもなびかない女性社員を逆恨みしていびり抜いたはげ部長が、
トイレに呼び出されて便器の水で顔を洗わされた、ぐらいがなんだと言うのだ。
出世のためとは言え、汚えことをやったちんかすが、
靴を脱がされて裸足で帰った、なんてことはそれほど悪いことだろうか。
無礼講ですね、とやった飲み会で酔っ払った振りして投げ飛ばされたり、
あるいは、野球拳でいんちきをされてすっぽんぽん、
なんてことがそれほど悪いことか?

出世から外れた不良社員の俺が、しかし社内で妙に人気があったりしたのは、
実はそんなところで裏番、影の風紀委員を買って出たりしたせいだ。

世の中に悪をはびこらせないためには、
悪を悪でもってたしなめるモッブ・ジャスティスが必要なときもあるのだ。

モッブ・ジャスティスの基本は、愛の鞭なのだ。
愛を忘れてはいけないのである。
あるいは、愛を信じている限り、多少法律に触れてもまあ無礼講、
ぐらいの心の余裕を失ってはいけないのである。




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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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