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絶対見なけりゃよかった映画 「隣の家の少女」 その2

Posted by 高見鈴虫 on 04.2013 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback


映画を観終わってからもう3日も経つというのに、
いまだに心の底にしこりになって離れない。

これをトラウマといわずしてなんと言おう。

いやはやまったく、
今更ながら、観なければ良かった映画の筆頭に上げてみたい。

で、そう、
あの凄惨な話が、アメリカだから、あるいは、時代だから、
という言い訳で済まされないのはいまや誰もが知る事実。

つまり、そう、今日も三面記事を賑わしている、
LINEで悪口書かれた落とし前で、という例のあれである。

いやはや、人間ってのはまったく、東西を問わず、時代を問わず、
あの手この手で苛めのきっかけを探してくるというもので。

まったくこれを「業」といわずして何といおう。

つまり、あなたの隣の家のその少女が、兄ちゃんが、おっさんがおばはんが、
つまりは、人間である以上、そういう「業」を背負って生きている生物だ、
ということを忘れてはならない訳である。

殺す殺されにいたらなかったにしろ、
それに似た経験、あるいは、その類の話を聞いたことなら誰でも身に覚えがあるだろうし、
古くは村八分から始まって、けつバットから、リンチ殺人なんたらから、女子高生コンクリから、
あるいは、
歴史上繰り返される戦争も、あるいは文化大革命も、
そして、いま現在、シリアで、ソマリアで、メキシコで、
まさに、こんなような話が山ほど繰り返されているではないか。

この映画の題名、つまり、隣の家の少女、
ちなみに、英語の題名である、GIRL NEXT DOOR、というのは、
まさに、PLAYBOY的な、隣りのおねえさん、的なさわやか系エロな題名でもある訳だが、
まさに、その一見平和な日常の風景を、一枚めくれば、
まさか、と唖然とするようなそんなグロテスクな残酷話が、いくらでも出てくる訳だろう。

と言う訳で、
ふと、アニマル・レスキュー・シェルターに勤める友人から聞いたことばを思い出した。

本当にここに居ると、人間というものがつくづく判らなくなる。

つまり・・そう、そのアニマル・レスキュー・シェルターに運び込まれる犬・猫達の、
その虐待の現状な訳である。

熱湯をかけられた。
ナイフで切られた。
火で焼かれた。
風呂場で溺れさせられた。
餓死寸前まで放置。
無理やり妙な物を食べさせられた。
硫酸を欠けられた。

まさに、目を覆うような凄惨な状況にある犬猫たちが、
毎日毎日これでもかと運び込まれるらしい。

人の姿を観るだけで心臓が止るほどに怯えきった犬達。
そんな姿を見るたびに、さすがにもう慣れたけど、とは言いながら、まさに、奥歯を噛み砕くほどの怒りを覚えるのだそうだ。

が、しかし、それは生きているだけでもラッキーなんだよ、と友人がいう。

そうやって発覚しないうちに、つまり闇から闇へ、
バックヤードで、あるいは、地下室で、あるいはどこかの部屋の片隅で、
残虐の限りを尽くされて嬲り殺される犬猫。
そしてそのまま闇から闇へと、生ゴミシューターや、海や川や、公園や、
あるいは、フリーウエイの上に投げ捨てられて始末されてしまった
哀れな犠牲者たち。

その数、推定するだけで・・・・たぶん聞かないほうがいいよ、という話。

これは、と思わず息を呑む。

まあ、人間は別として、と、いきなりとんでもないことを言うが、
しかし、俺にとってみれば、
これだけは、どうしても、がまんならない。

キチガイといって頂いても結構だが、
俺的には、動物を虐待した人間は、動物愛護法などと言わず、
もろに極刑、つまりは、死刑を持って購っていただきたい、というのが正直なところ。
あるいはこの俺が天に代わって、とまでも思いつめてしまったりもする。

俺に言わせれば命に重いも軽いもない。
人間の命が大切なら、犬猫の命だって同じように大切なのだ。

あるいは、もしもそんな法の不条理をかさに来て、
無抵抗な犬猫をいたぶるようなやからがいたとすれば・・・

あるいは、もしも俺の犬が、そんな目に会わされた、と知ってしまったら。
俺はたぶん、正気を失うのではないか、と思ってしまう。
つまり、思わず衝動的に超法規的な処置を取ってしまうのではないかな、
たぶん、取ってしまうだろう、と思うのである。

と、そう書きながら、われながら、いやあ、俺は危ないな、と思うわけである。
そう、
なので、お願いだから、俺の前で犬猫、女子供、老人達をいたぶるようなまねはしないほうが良い。

それを観たとき、俺はまじで自分を制御できる自信がない。
そんな風景は見たくない。観てはいけない。
なのでその予防措置である。
観ないようにするためにはどうしたらいいのか、
という訳で、妙な具合から改めて初心に返ることにことになった。

俺がいま生きているのは、犬の殺処分をなくすためにあるのではないか?

そう、こうしては居られないのである。


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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