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MET OPERAでシュトラウスの「Die Fledermaus~こうもり」を鑑賞

Posted by 高見鈴虫 on 04.2014 音楽ねた   0 comments   0 trackback
正月モードの抜けきらない土曜日、
またいつもの奴でかみさんがメットオペラの当日格安券なるものを手に入れてきて、
シュトラウスの「Die Fledermaus ~ こうもり」をみることになった。

と言うのも、
昨夜降った雪にやられて犬が下痢をして、それを言い訳にああ寒い寒いとソファでごろごろしていながらNFLのWILDCARDを眺めていたら、
いきなしかみさんから、はい起きて、これからオペラに行きましょう、と言われたのだ。

オペラ?

ヨガから帰ってからどうも姿が見えないと思っていたらメトロポリタン・オペラの格安当日券をGETしてきたとのこと。

聞くところによるとこのメトロポリタン・オペラ。
パーシャルビュー席やらのチケットを当日になって格安で販売しているらしい。
しかもこのなんの予定もない大型連休。これ幸いとかみさんは午後になるといそいそとメトロポリタンに出かけてはこの格安券を仕入れてくる。
近所に住む特権という訳で、買い物の途中にちょっと立ち寄って列に並び、小一時間ほど周囲の人々とおしゃべりをしてる間に今夜のチケットをGET、
となるらしく、そんな事情からここのところ、訳も判らず立て続けにオペラを鑑賞をすることになったのだが。

もともとパンクロッカーであった俺がオペラ鑑賞など笑わせる、とも思うのだが、
楽器の演奏技術という職人芸的なところで言えばこれはもう最高域、というか、
少なくとも俺たちが新宿ロフトやらウエブスターホールなんてところでやっていたそれに比べると、
まさに名人・国宝クラス。
その一部の隙もない演奏というか、ぶっちゃけ、チューニングのずれていない楽器の音にまるで心を洗われるような気がする訳で、
普段の言動はいざ知らず、実は俺は隠れオペラファンであったりもするのである。


という訳で、この「こうもり」

この演目は言ってみれば大晦日の夜の定番となる訳だが、
この年明けも犬の散歩以外なにもしていなかった後ろめたさから、
NFLのWILDカード第一戦・CHIEFS VS COLTSの激戦を途中をあきらめて
昨夜降った雪が凍り付いてぐしゃぐしゃになった舗道をリンカーンセンターへ。

先日の魔笛と同じく、この演目も「英語」でやるらしい。
はあ、シュトラウスを英語で?
なんとなくあのドイツ語の響きがないと有り難味が失せるな、
とは思ってみたものの、確かにこのオペレッタ、
音楽そのものに加えてその演劇性というか、台詞回しも魅力のうち。

ちゅう訳でこの数日遅れの「こうもり」なかなか、というかとても面白かった。

がしかし、改めて思うにこの「こうもり」である。

今回の英語版の設定では、舞台は「1899年」のウィーン。
19世紀最後の、そして20世紀への幕開けを記念する大晦日の夜、
ロシア大富豪のお屋敷における大舞踏会に招待された伯爵貴族の方々の茶番劇を題材にした痴話話。

その豪華絢爛たる舞台設定からいかにもブルジョワジーな方々のなんとも能天気なお話し振りからして、
いやあ、貴族っていいよなあ、と思わず垂れよだれ、な訳であるのだが。。

最近、暇に任せてまた例の読書中毒の再発している俺。
ついつい余計な屁理屈が多くなってしまって困る。
で、このこうもりにおいても、、1899年?。。なんかおかしくないか。。
といらぬ口を挟むことになる。

だってさ、と思わずうろ覚えの世界史の知識を紐解けば、

この記念すべき夜が1900年だったとすると、その僅か15年後には、かのオーストラリア皇太子の暗殺事件を発端に、第一次世界大戦が起こるわけで、
ロシアの大富豪に至っては17年後の1917年にはロシア革命なるもののために、ロマノフ王朝は滅亡。一族郎党は揃いも揃って鎌と槌を前に皆殺しの憂き目に会う筈。
ということはこの喜劇の登場人物たち。シャンパン!シャンパン!もっとシャンパーン!なんて浮かれ騒いでいるうちに、
その数年後にはまったくとんでもない運命が待ち受けている訳で、それを言ってしまえばこれに勝る悲劇はなし、と言ったところ。

が、そう、そう言ってしまうと、
1881年にはすでに皇帝アレクサンドル2世の暗殺があった訳で、
この舞台の僅か5年後には血の日曜日事件が勃発。
ということは、時代はすでに舞踏会どころではないとんでもない状態であった筈なので、
その情勢を知っていながらのこの能天気ぶりというのはちょっとありえないのでは、と要らぬ気を回すことになって、
つまりこの時代設定を1899年にしたってのは、ちょっとあまりに無理があり過ぎないか?とも思ったわけだ。

ちなみにシュトラウスがこの作品を書いたのは1874年。初演も同年。
ものの本によれば各登場人物には微妙にその背景としての象徴的な意味が含められていて、
いまや没落を始めていたオーストリアの名家ハプスブルグ家と新興勢力であったプロイセン、後のドイツ。
そしてハンガリーの併合というわけで、もともとこのこうもり。
実はその時期の国際情勢を揶揄する実に政治的な意味合いが強いものであった、筈。

がしかし。。それはつまり初演であった1874年でのこと。
今回の舞台設定である25年後の1899年にはすでに国際情勢はますますのっぴきならない、ほとんど泥沼化の状況にあった筈なのだ。
という訳であらためて、1899年にウィーンのロシア富豪が大パーティ?ありえねえ、と思った訳なのだが。。。

がしかしである。
そういえばかのドクトルジバゴの中にもセント・ペテルスブルグで血の日曜日事件が勃発したその夜にも
ロマノフ王朝家では毎夜毎夜の舞踏会が開かれていたなんていう象徴的なシーンがあった筈。

かのマリーアントワネットではないが、パンをよこせ、という群集に向けて、パンがないならなぜステーキを食べないのかしら、
と言ってしまうぐらいに、特権階級の人々というのは世事に対して実はまったくなんの関心も持ってはない。
彼らがなぜ飢えているのか、どころか、なぜあんなに薄汚い格好をしているのか、と眉を顰めたりもする訳で、

そう、確かに、ドアの外一枚でなにが起こっていようが、まったくどこ吹く風で踊りを踊っている、というほうが、逆にリアリティがあったりもするのか。

という訳でそう、この貴族な方々である。

パンクロッカー上がりの俺もいつしか歳を取り、
幸か不幸か、そんな特権階級上がりのひとびと、つまりは自称勝ち組の人々に囲まれて過ごしているわけだ。

つまりは、飢えて汚い格好をした人々がなぜそれほど意地汚く汚れきっているのか、
さっぱり理解できず、知りたくもない、と言ったタイプの人々がほとんど。

格差だなんて信じられない。
富めるものがより富み、ルーザーが惨めになるのは当然のことじゃないか。
そうじゃない世界を知っているか?と俺の肩を叩く。
心配するな、お前はもう俺たちの仲間だ、とでも言いたげだ。

少なくとも俺がいままでいた世界からすると、いまにも目ん玉が飛び出そうなぐらいの高給を稼いでいる彼らが、
しかしまったくがっついた印象がないのは、上には上がいる、ということをしっかりと弁えているからだろう。

なあに俺なんかぜんぜん大したことない。世の中には俺よりもずっとがめつく意地汚い奴らがいくらでもいる、という訳だ。

という訳でそう、この世界大不況の真っ只中である筈の今日の今宵も世界のどこかで秘密の舞踏会が開かれている筈だ。
スポンサーは、中国のあるいはロシアの大富豪。
まったくうらやましい限りであるが、その存在をしらない俺には痛くも痒くもない。

あるいは、オペラの帰り道。この深夜の雪道の途中ですれ違った酔っ払い。
一日のうちファストフードの職場を二つも三つも掛け持ちし、
クリスマスも正月もなく働き続けてもろくにアパートの家賃すら払えない。
そんな奴らがこの街にはうんざりするほど居る、あるいは、ほぼ50パーセントの人々が実はそんな人々だとも聞く、そんな人々が、
くそったれ、こんな夜にオペラの帰りか、ふざけやがって、とくだを巻かれたとしても返す言葉もない。
あんたが大変なのは判るが、しかし、俺にいったいなにができるというのだ。
5ドル札でも恵んでやればいいのか?これでビールでも飲みな、とでも言って二コリと笑ってやれとでも言うのか。

という訳で、見上げる深夜の街。この週末が終われば来週からまた仕事に復帰だ。
あれをやってこれをやって、また胃がひっくり返るようなストレスを抱え込まされる日々が始まろうとしている。
がしかし、いやいや、まだまだ俺は休暇中なのだ、と必死の思いで頭のシュトラウスのボリュームを上げる。
そう、俺はそれどころではないのだ。
舞踏会もホームレスも知ったことか。俺は俺だけでももう精一杯なのだ。

という訳なのだが、しかしながら大舞踏会である。
隣りで踊る女の顔さえも判別しかねるブラックライトのクラブなんてところで夜な夜な過ごしていたことはあったが、
仮面舞踏会というのには行ったことがない。
ついこの間、テレビで思わず見直してしまったアイズ・ワイド・シャットにも似たようなシーンがあって、
いやはやうらやましい限りだ、と思わず見入ってしまったものだ。

という訳でこの仮面舞踏会。ミラーボールではないが、天井から下がった大シャンデリアと吹雪のように舞い散る金箔の嵐。
着飾った人々とその間を縫うようなまるで涎が垂れそうにおいしそうな半裸のウエイトレスたちのその艶かしい肢体。
たった5ドルも払えばやらせてくれるらしいぜ、どの子がいい?と誰かが耳元でくくくと笑う。
5ドル?まさか。
いや、彼女たちにとってはそれでも大金なのさ。TIPであと5ドルでも出してやれば涙を流して喜ぶに違いない。さあどの子がいい?買ってやれよ。これも慈善運動だ。
鳴り響くワルツ。シャンパン、シャンパン、もっとシャンパン。
すべてはシャンパンの作り出した罪。そう言ってしまえばなにもが許される夜。
シャンパン、シャンパン、もっとシャンパン。

そうそう言えば俺もそんな立場にあったこともある。
かつて某中米の最貧国のひとつに滞在していた際、ひょんなことから彼の地の上流階級の人々が集うパーティに出くわした時のことだ。

着飾った人々の中でもとりわけ目を引いたのは期待に瞳を輝かせる少女たちの姿。
そんなキラキラとした少女たちを前にして思わずそわそわと落ちつかない男の子たち。
俺たち酔っ払ったおっさんたちは、すっかりそんなドキドキ感は卒業していて、
どの子が綺麗か。どの子はこの先もいろいろとありそうだな、やらとすっかり批評家モード。
で、誰がどの子をダンスに誘うのか、とそればかりが気になって、しまいには金を賭けたりなんてことをしていたのだが、
いやはやその華やかさと言ったらまさに古きよき時代の貴族階級そのもの。
がしかし、この会場に居る者誰もが知っているのは、この赤いカーペットの尽きるところ、つまりはホテルの玄関から一歩でも外に出れば、
そこにあるのは最貧国としての現実である。
裸足の子供たちが洗面器を手に残飯を集め、まるで沼の底から這い出してきたような妖怪ホームレス。
裸の拳銃を腹につっこんでうろつくチンピラと、人格どころか容姿そのものが崩れ切ってしまった娼婦ふう。
そしてすっかり酔っ払った警官たち。まるで強盗か盗賊のような面構えの兵隊たち。

眉を顰めるどころか、思わずう鼻をつまんで見ない見ない、こいつらはみないぞ、と窓の外の世界、すべてにたいしていないないばあしたくなる訳だ。

そんな国々を回ってスペイン語オペラのプロモーションをしている男と出会った。
オペラ?こんな乞食ばかりのような国でオペラなんか見る奴がいるのかよ、と耳を疑ったのだが、
貧しい国に限ってそのチケットがよく売れるのだそううだ。

貧困とはすなわち格差だ、と彼は皮肉な顔をして笑った。
貧しい国というのはただただ貧しい訳ではなくて、金持ちの特権階級の人々がその富を全て独占してしまっている状態を言うんだよ。
特権階級がどこまでがめつくその富を独占するか、つまりはどこまで民主主義を軽蔑しているか、それこそが貧困の形なんだ。

で、どう思うんだよ、と俺は思わず聞いてしまう。
この会場のあの煌びやかな少女たちをみんな引ん剥いて珈琲袋を被せて、誰もが一様に貧乏になればそれで誰もが幸せになるとでも言うのかよ。

外の世界のあの垢と泥に塗れた日焼けした女たちに比べて、この会場の少女たちのキラキラと輝く瞳。
透けるような白い肌と緑の黒髪はまるで燃えるよう。
これはすべてそんな特権階級のなせる業だろうう。

少なくともアメリカにはこんなに綺麗な子はいないぜ。

アメリカ?アメリカは駄目だ、とその男は鼻で笑って首を振って、あれほどおぞましい国を見たことがない、と吐き捨てて、
俺はそれを見て、同感だ、と握手をした。

俺たちはその夜、ホテルのバーが閉まる3時過ぎまで話し込んで、そして俺はいつものようにカウンターで群れている少女たちの中からひとりをピックアップして目配せとあごの先だけで部屋へと誘う。

今夜の少女はロザリアと言った。
20歳と言うが多分17,8。
白人が3で黒人が1、と彼女は言ったが、ざっと見はその逆。
恐ろしく長い足をした少女で、慎重は俺よりもずっと低いものの腰の位置が俺とほとんど変わらないというのはハイヒールのせいだけでもないだろう。
シャワーに入る前に服を着たまま一発決めて、一緒にシャワーに入って身体を荒い合い、コケインを決めてからまた一発。その後また飲みなおして酔いつぶれながらまた一発。
まだ幼さを残した表情とは裏腹に身体はすでに十分過ぎる程に熟れきっていて、こんなことは初めてだとは言いながらしっかり剃りあげた陰毛の場所にバラの刺青が彫ってある。
寝ている間に財布をかっぱらわれてドロンされるのも面倒なので、そのまま朝まで弄り回し、
明け方に帰る間際にいつものようタクシー代代わりに20ドルを渡してじゃね、と送りだせばなんの後腐れもなし。
今晩またバーで出会ったとしても顔も覚えていないだろう。
この街にはそんな女が掃いて捨てるほどいる。年頃の女はほとんどがそんな女だと言ってしまっても構わない程だ。
そんな街だからこそ、あの舞踏会で踊っていた特権階級の少女たちがあれほどありがたく思えるのだ。

なあにバナナと同じ。着ているチンチラを全部剥いでしまえば中身は同じだろう、と笑う奴もいる。だから俺は安い娼婦で十分なのさ。

いや、そうじゃなくて、と言いかけてにやりと笑う。そう、言うだけ野暮だ。誰にだって判っている。貴族の少女は服を脱いでも貴族の少女。安い娼婦はどんなに着飾ってもやはり安い娼婦に過ぎないのだ。逆に服を脱いでしまったほうがその育ちの差が残酷なほどにまで露呈してしまうものなのだ。

そして今宵もこのホテルのグランド・ルームではどこぞの伯爵家のご招待の大舞踏会が開かれる。
ワルツから始まり、12時を過ぎるとバンドがサルサに変わり、そして追いも若きも、スカートの裾から太ももを剥き出して踊り尽くすのだ。
くそったれ、と思う。こんな安い娼婦なんか一生抱かなくてもいいから、あの貴族面した少女の一人でも好き放題に遊んでみたいものだ、と思いながら、俺はしかしそんな貴族の少女たちに手は出さない。
手を出さないのが俺の流儀。最後の境界線とも思っていた。
あの国に滞在した半年間。俺はほぼ毎晩をそうして過ごしていたのだ。

そしてあれからすでに10年以上が経とうとしているが、あの国がその後どうにかなった、という話は聞いたことがない。
政府はますます無力化し、経済は完全に破綻し、警察も軍隊もそして政治家たちもすべてドラッグ・カルテルに買い取られてしまった。
そして新たに台頭したギャングの娘たちが今宵もあのホテルのグランド・ルームでシュトラウスを、そしてエル・グラン・コンボを踊っているだろう。

貧乏人は金持ちがどんな暮らしをしなにを思っているかなどなにも知らない。
金持ちは貧乏人がどうなろうと知ったことではない。
そうやって世の中は上手く回ってきた。そしてこれからもそうだろう。
いつかどこかの厄介な正直者、真実が人を幸せにすると勘違いした跳ね返りの、正義の刃なんてもので後ろからブスリとやられるまでは。。。

そしてパンクロッカーあがりの俺は、実はそんな日をひそかに待ち望んでたりもするのだが。。





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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

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