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AMERICAN BITE その十八

Posted by 高見鈴虫 on 18.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback


なんだかんだで俺たちがのほほんとやってこれたのは、
やはり日本という母体がまだまだしっかりしていたからだろう。

なんだかんだ言いながら、アメリカには日本人が沢山いる

推定概算で、カリフォルニア州だけで30万人。
ハワイが20万人。
ニューヨーク州で4万人。

全米51州の津々浦々、ノースダコタやワイオミングなんてところにまで日本人が住んでいる。

アメリカにやってきた日本人は、とりあえずはそんな在米日系人コミュニティの内部だけでも仕事を見つけられ、収入の高い低いはあるだろうが、とりあえずは生活ができる。

友人のインドネシア人は、やって来たは良いのだが、
母国系企業やコミュニティに頼ることもできず、
英語の日常会話もままならないうちから、
とりあえずなんらかの仕事、しかもイリーガルで、探さざるを得なかった。

ファストフードの店員から始まり、ピザのデリバリから、
庭の芝刈りから洗車から大工仕事と、ありとあらゆる移民仕事に手を染め、
そしてなにをやってもどこにいっても判で押したように辛酸を舐めさせられ続けていた。

俺があのテキサスの片隅でなんとかやってこれたのも、彼の支えがあってのこと、だと思っている。

こいつの苦労に比べたら俺なんかまるで恵まれ過ぎているぐらいに恵まれている、と思っていた。
下を見れば切りがないのだろが、下の友達を見ることで元気が出ることもある。

そんな彼がいつのまにか、こと英語に関してだけは見る見ると俺を追い抜いていった。

ここ米国においては苦労した人間ほど英語が上手い。

この友人もやってきた当時は初歩的な文法知識さえままならないような状態だったが、
ものの一年と経たないうちにそれなりに会話が通じるぐらいにまで英語が使えるようになっていた。

発音は相変わらずふにゃふにゃと何を言っているか判らなかったが、
少なくともTVの内容は俺よりもずっと正確に理解していたし、
新聞だって苦もなく読めるようになっていた。

その後、俺たちのテニスサークルの付き合いから日本食レストランでウエィターの職にありつき、
そこでコツコツと貯めた資金でメキシコ人マーケットの一角にオートパーツを扱う店を構えるに至った。

かねてからの希望であった家族をインドネシアから呼び寄せ、
いまでは会員制高級テニスクラブの名誉会員だと言う。

なぜ俺がそうならなかったか、と言えば、
まさに気合の違い、つまりはテンパリ方の違い。
それがなぜ起こったか、と言えば、
ぶっちゃけもしもの時には日系社会という繭の中に逃げ込める
という心の甘えのせいであろう、と思っている。

良くも悪しくも日系社会、
日系、であるからしてその性質はまさに母性。
弱いものを癒し労わり育てるという優しさがある。

ニューヨークにおいて俺が感じたあの心のぬくもり、
それこそが日系社会の温かみそのものであったのではと思う。

そしてそんな乳の海にたゆたううちに、気合もテンパリもすっかりと消えうせていた、
というのが本当のところであったような気がする。

時として、あのままテキサスにいたらどうなっていただろう、と考えることがある。

そう思うたびに。。。いきなり脳停止状態に陥るような気がする。
思い出したくないからであろう。
俺にはあれが限界だったのかもしれない。
やはりなんだかんだ言いながら俺も日本人。
つまり母性社会の中で育った甘えん坊であった訳だ。

つくづく己の不甲斐なさを恥じるばかりである。


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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