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「誰でも行ける戦争見物」

Posted by 高見鈴虫 on 12.2014 旅の言葉   0 comments   0 trackback
時代は進み、日本国民の中でも実際に戦争を経験した人々はもう極僅かだろう。

そして喉元過ぎれば、ではないが、旧戦争の責任者であるA級戦犯の孫が公家面をこいてまた口先だけで勇ましいことを言っているようなのだが、お笑いである。

自慢ではないが、とまた馬鹿自慢にはなるが、俺は実際に戦争を経験している数少ない現代人である。

まあ若気の至り。貧乏旅行の途中に見物に行った、というか間違って迷い込んでしまっただけなのだが、
あの実質半年にも満たない経験はいまだに悪夢となって俺の脳裏に克明に刻まれている。

以前にも書いたかも知れないが、戦争には明るい戦争と暗い戦争がある。

明るい戦争とはつまりはマシンガン担いで前線を駆け回るという奴で、
まあこれは必要以上にビビリさえしなければ、まさにこの世で一番面白いゲームである。
なんといっても実弾装備。そして賭けているものはまさに己の命。
これが面白くない訳が無い。

そんな明るい戦争に運良く生き延びて帰って来れたものは、
いやあ、戦争より面白いもんはこの世にないね、がはははは、と笑う訳である。

がしかし、そんな戦争には勿論裏の顔がある。

つまりは暗い戦争。

ぶっちゃけ暗い戦争とはなにかと言えば攻撃を受ける側、つまりは守り側である。

夜更けの空襲警報。見上げる夜空の雲の向こうから聞こえて来る敵機の轟音。
泣き叫ぶ子供をあやしながらじっと夫を見つめる母。
そして男たちはじっと闇夜の空に目を凝らすばかり。
そして爆音。腹に響く地響き。窓ガラスという窓ガラス、戸板という戸板がビリビリガラガラ。
次はどこか?逃げるべきかとどまるべきか。
逃げるとしたらどこへ、右か左か。

あれはまさに目隠しで地雷原を歩いているような、
いつ爆発するかわからない爆弾を背負っているようなもので、
つまりはこれ以上の拷問はない。

がしかし、戦争の恐怖とは実はそういうことでさえない。

戦争の恐怖の最もたるものは、まさに真綿で首を絞められるようなその戦時下の生活そのものである。

いつ頭の上に爆弾が落ちてくるか、も去ることながら、
その戦時体制を存続させるための、つまりは治安維持による統制なのである。

食料制限から医療品を含む全ての物資の不足。

そしてそれに文句を言う人々を片っ端からしょっ引いては見せしめに叩きのめし、あるいは電柱にぶら下げる治安維持軍の蛮行。

治安維持を理由にすれば全てが許されているこの治安維持軍は、
どこの国においてもどんな状況においても必ず暴走する。

そしてひとたび治安維持軍が暴走を始めると誰にもそれをとめることができない。

治安維持を理由の略奪、暴行、からとなんでもあり。
そしてその治安維持軍、大抵が前線からも取り残された最もどうしようもない連中ばかり。

つまりは、そう、世に言うネトウヨのようなどうしようもないクズが、
ひとたび治安維持の免罪符を手に入れてしまったことを考えれば、
なにがどうなるか安易に想像がつくだろう。

つまりは戦争ではそれが起こるのである。
世の中で一番どうしようもないやつにこれでもかと好き放題やられてしまうのである。
当然のことながらそれはあまり愉快ではない。

戦争の被害のほとんどは、つまりは敵とのドンパチよりは、自国内での統制力との軋轢によるものと考える。
そしてそれは、なによりも、なによりも、辛い。
腹が立ち、無力感に苛まれ、そしてなにもかもが本当にどうでもよくなる。
つまりは人格が倒壊する。倒壊でもしなくてはやっていけなくなるからだ。

戦争とはそんな人格倒壊者によって遂行される狂気なのだ。

そう、狂気。戦争とは狂気なくして成り立たないものなのだ。

改めて言う。

一度でも戦争を経験したものは、絶対に、絶対に、戦争に賛成などしない。

したり顔で、防衛論、などをぶっちゃけている連中は、
自分が決して行くことがないから、あるいは、実際に自分の目でそれを見たことがないから、
そういうことが言えるのだ。

奴らが考えているのは銭勘定だけだ。頭の中は銭だけ。
口ではなにを言ってようが一皮剥けば銭だけなのだ。
だからそんな馬鹿げたことを言ってられるのだ。
そしてそのおこぼれはほとんど全ての人々には決して回ってこない。
あるいはびた一文のおこぼれをこじつけられて戦場に送られるだけの話だ。

そこで提案だ。
戦争を語りたい奴はまずは戦争に行け。
戦争を語りたければ自身から戦争にに行け!行ってみろ。そして自分の言葉で戦争を語ってみろ。

自分で戦争にもいけないやつに、あるいは、チャカのひとつも弾いた経験もないひよっこに、戦争が良い悪いの言う資格はない。

行きかた?簡単だ。

HISでもなんても、格安航空券を仕入れて一度日本を出れば、戦争などどこででもやっている。

こんな簡単に戦争にいけるこの時代に、わざわざ行かないというのはどういう訳だ?え?言ってみろ、とその鼻の穴にスイッチブレードの刃先でも押し込んでやりたい気分だ。

で、そういう奴に限ってこういうだろう。暴力反対!

バカタレ、である。

つまり、そういう奴に物を言わせてはいけない。そういう輩の能書きを本気にしてはいけない。

改めて言う。戦争に行くのは簡単だ。本当に本当に簡単なのだ。行きたい奴がちょっと本気になればこの週末にでも行って帰ってこれる(まあ帰ってこれれば、だが)、まるでハワイに行くぐらいに簡単なのだ。

そしてそこで目にするものは、楽しかった旅行の思い出、どころではない。まさに一生ものだ。一生悪夢に苛まれてもまだ終わらないトラウマを背負い込むことができる。

そして、そんな戦場での最低最悪の思いを、他の奴、それも自分の親兄弟や恋人や、あるいは妻子供にもも味合わせてやりたい、と思う奴はただのきちがいだ。素直に病院にいってPSDの治療を受けないさい。

当然のことながら、戦争の本質は暴力だ。

そして巷の喧嘩、勇ましい姿を誰かに見せたくて、なんてそんな甘い世界は戦場にはない。

戦争の暴力の本質は、どんな方法を使っても敵を殺さなければ自分が殺される、ということだ。

戦争では人が死ぬ。
死体のなかった戦争は嘗て無い。戦争とは人を殺すことだ。

それは誰かの母や娘であり、誰かの親や兄弟。あるいは親友であり恋人だ。

死体からは血が出る。そして腐る。蛆に食い荒らされ酷い匂いを放つ。
自身の、あるいは自分以外の全ての人間のそんな変わり果てた姿を見たい、という奴はただたんにキチガイだ。
つまりだ、戦争に賛成する人間は、キチガイだ。そう言い切ってしまって良いと思う。
そういうキチガイに、己の将来を預ける気になるのか?
そうだとすればあんたも立派なキチガイ、あるいは人格倒壊者だ。
迷わず病院に行くか、
あるいは、その大口を塞いで、しっかりとその目で本ちゃんの戦争を観てきなさい。

簡単だ。本当に簡単なのだ。俺だってやったのだ。その気になれば戦争はすぐそこ。まるでどこでもドアを開けるように目の前に広がっているのだ。そして一度戦場に足を踏み入れたものは一生そこから逃げられなくなる。

それが戦争だ。

つまり、ネトウヨたちの住むインターネット上の妄想の世界とは一番遠い世界なのだ。




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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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