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「勇ましいことを言う前に」

Posted by 高見鈴虫 on 11.2014 旅の言葉   0 comments   0 trackback
近頃なにを勘違いしたか、どうにもわりと簡単に「戦争」なんてことを口にする輩がいるやうだな。

言わせて貰えばそういう人々は、いったいこの「戦争」というものにどんなイメージ、あるいは知識があって「戦争」なんてことを口にしているのだろう。

俺から言わせれば戦争とは、まさに暴力だ。極限の暴力だ。

血と砂と汗と涙と涎と鼻水と、時として汚物や内蔵にまみれたこの世でもっともむごたらしくもこ汚ない、思わず目を背けて胃の中のものをすべて吐き出してしまうような、つまりはリア充どころか、まさに有機体としての人間のリアルさの塊である。

そこには夢やロマンや格好良さなんてみじんもない。

あるのは、恐怖と狂気、それだけだ、と断言できる。

言わせてもらえば、世界中を歩いてきたが、日本人ほど夢見がちで弱々しい、
つまりは、そんな「戦争」のイメージとかけ離れた人々は他に例をみない。

戦争とは、日本人の大好きなアニメの世界とはもっともかけ離れた世界だと言い切れる。

そんなアニメなんていう幼稚な世界に耽溺して育ってきた現実逃避型、意志薄弱の幼児体質のとっちゃん小僧たちを量産してしまった日本という国。

つまり、日本人は世界でも並外れてダントツに「ケンカの弱い」国民である、といのが俺の絶対的な確信。

賭けても良い。

アニメなんてものに浸って育ったおたく世代の日本人は、一度戦場なんてところに行ったが最後、まともな神経を保っていられるものは、一人もいない、と言い切れる。

3キロも離れたところで響くズーンという爆音が腸に響いた時点で、
いやだいやだ、帰る帰るおうちに帰る、と泣き叫び始める筈である。
窓の外でガンガンガンガンと響く機関銃の音を聞いただけで、
あれ、もしかして本物?と膝が笑いはじめてまともに立っていることさえもできなくなる筈である。

ゲームと違って本ちゃんの戦争は不快なことばかりだ。
手にするものはなにからなにまで徹底的に重くごつい。
一発弾いただけで鼓膜が破けるどころかしばらく耳鳴りでなにも聞こえない。
砂埃が顔中に吹き付けて始終目が痛くて口の中はじゃりじゃり。
なにか判らないが咽るような悪臭に満ち満ちていて咳き込んでばかり。

そしてゲームと違って当然のことながらほんちゃんの弾丸は当たれば死ぬ。
一発で死ねればよいが大抵の弾丸は軌道を外れてそこら中を跳ねまわっている。
そんな迷い弾丸は当たったが最後、身体を引き千切って、それはとてもとてもとても痛い。
そして負傷者は、その後の断末魔をその引きちぎられた身体を引きずって生き延びなければならない。
つまりそれは、ゲームとは違う。
あるいは、その静かに閉ざされた安全な密室とはもっともかけ離れた世界である訳だ。

そんな中で育ってきた人々が、まさか「戦争」だなんて。。

日本人はそんなことを安易に口にしてしまえるほど、
それだけ「戦争」に対してリアリティのない、
つまりはまさに世界中のどの民族と比較しても、
ダントツ且つ徹底的にか弱い、まさに世界最弱の民族なのだ。
いやいや、そんなことはない、と誰かが言うかもしれない。

空手はどうだ、K1はどうだ、とまた夢の続きのようなことをのたまうかもしれない。

行っておくが、どんなに鍛え上げても、筋肉は金属には勝てない。

いくら気合を込めて、アチョ~とやってみても、馬鹿かお前は、でいきなりパーン!
その一瞬ですべては終わり、実に簡単なものだ。

或いは、少なくとも日本を一歩でも離れてみれば、日本人の考える「戦い」の概念などは一切に通用しない。

用意、初め、で始まるサシの勝負、あるいは、レフリーを挟んだ正々堂々した戦いなど、この世のどこに存在すると言うのか。

そもそも喧嘩=素手でサシの勝負、なんて概念を残したバカはこの世にはどこにもない。

何するんだこのやろう、言ったとたんに、ほらよ、とタバコでも出すようにチャカを取り出したり、

あるいは、てめえこのやろう、の一言も言えぬうちにいきなり背後からブスリ。

しかもそんな奴らが、ビビるどころか、へらへら笑っていたりもする訳で、つまりはその度量があまりにも違いすぎる。

ケンカ慣れ、というよりはまさに、人間狩り、つまりは殺人に精通した連中が満ち満ちている訳である。


それに加えて、我が日本人、平和主義だか民主主義教育だかなんだか知らないが、
子供の頃から、一度も戦い、というか、取っ組み合い、もしくはプロレスごっこに至るまでの、
そういう男の子の遊びを一切取り上げられて育ってしまった者ばかり。

外で運動もせずに部屋に篭ってゲームばかり。
その後は箸にも棒にもひっかからない受験勉強、つまりは塾通い、なんて、いうのが始まる訳で、
生まれてこのかた一度もまともに運動したことがない、なんていう、まさに未熟児の虚弱児童的にまでひ弱な人間が、
できるとしたらまさに、集団でのいじめ、ぐらいなものであろう。

そんなみっともない虚弱児の群れは、世界中どこをさがしても日本にしかいない、と断言できる。

ちなみに俺はこれまで、世界のそこかしこにおいて、
例えば小学生の低学年のようが鼻たれのガキがAKを振り回していたり、
それどころか、幼稚園生のような子供、それも女の子が、
無駄に馬鹿でかい軍用コルトを、おもちゃがわりにずるずると地べたを引きずって歩いていたり、
あるいは、車から出た腕をナタの化け物のような山刀で切り落とされそうになった、
なんていう、実にハードコアな風景を何度も見てきている。

そんな世界の常識をまったく知らない、どころか、縁もゆかりもなく、
想像さえもできないような平和な国のいたいけな羊たち、
あるいはロボトミーのような人々の口から、
まさかよりによって「戦争」なんていう勇ましい言葉が聞かれるなんて・・・

まさに、冗談を通り越して、ただたんに絶句。ただの妄想としか考えようがない。

繰り返すが、戦争の本質とは暴力である。

暴力のもっとも原始的なものはつまりは喧嘩。殴り合い。

一度でも殴り合いをしたことのあるやつなら判るとは思うが、当然のことながら、人に殴られれば痛い。
そして、殴った方ももちろん痛い。

ヘタをすれば、殴った方が指の骨を折る、なんてこともあって、つまりは、喧嘩は、やってもやられても痛いのだ。

がしかし、そんな痛いですむ喧嘩をしているような人々はまだ稀。

世界には、始まったが最後、殺す、ことを前提とした喧嘩を数限りなくこなしてきた喧嘩屋がごまんといる。

そんな連中は、もう殴り合いなんてものは子供の頃から日常茶飯事過ぎて、度胸があるない以前にまさに朝飯前。

ハナから素手で、あるいは、サシで、喧嘩をしようなどとバカなことはこれっぽっちも考えてはいない。

最初のタンカ、どころか、いきなり、ハエでも叩くように腹に向けて石を投げつけて来たり、あるいは始まったとたんにさも当然のことのようにまずはナイフを抜く。

あるいは、わざとちょろそうに見せかけて逃げまわり、仲間のいるところに誘いこんでは、四方八方からバットで滅多打ち。

これが日本を一歩でも離れたところで展開しているストリートの常識だ。

そう、ひとたび文明の加護を飛び出した途端、つまりは世界はそんな感じなのである。

ちゅうわけで、なんだ、どこぞの公家面が聞いたようなことを抜かす前に、

それをよく、考えてから、勇ましいことを言った方が良いのではないかな、と俺からの細やかなご忠告。


あ、そう、ついでに、とここでまたまた俺自身のバカ自慢を披露したい。

それまで、世界中の至る所で危ない目には遭いながら、寸手のところでどういう訳かいつも生き延びて来た俺。

つまりそう、俺は地雷を踏まないように生まれついているのかな~なんてバカなことを考え始めていたのではあるが、

かの中米の裏通り、現地の奴らからは絶対に絶対に絶対に近づいてはいけない!と言われていたいわくつきのスラム街。ゲットーのその底の底。

なあに、大丈夫大丈夫、俺は地雷を踏まない星の元に生まれついている訳で、これまで世界中どこにいっても全然大丈夫だったから、そう、だからここのきっとだいじょうぶ、とバカ面下げて足を踏み入れた途端、

いきなり後ろから、HOLA、AMIGO! こんちわ、と声をかけられて、はいはい、どうもどうも友達、アミーゴとやった途端、いきなり後頭部をがつーんとそれはそれはきついきつい一撃。

思わず目の前に星がちーかちか、とやっている最中から、四人五人と湧いてきた連中に手足を掴まれて羽交い締めにされたまま、ボタ糞のサンドバッグ状態。

右左のストレートからフックからアッパーカットまで、代わる代わるもう好き放題にぶん殴られて、そのパンチの重いこと重いこと。

あの日本のチンピラーズの、まるでハエの止まるような、殴ったとたんにくしゃっと手首が折れてしまいそうな、そんな猫パンチとは訳が違う。

まさに、相手を殴り殺そうとするパンチ、そのもの。加減というものが一切見られない。

ものの三分と立たないうちに、けっちょんけちょん、どころか、ごみ袋のようになるまでぶちのめされて、持っていたものは一切合切ぶん取られ、頭ぐらぐら、目の前に星がちーかちか、ながら、カウントをされるボクサーそのもので、なんとか立とうとはするのだが、右へゆらゆら左へゆらゆら、膝が抜けてしまったみたいに、どうしてもどうしてもまっすぐに立てない。

ああ、これはもう完全に死んだな、とは思いながら、もうディフェンスどころか、殴られているのも蹴られているのも感覚がなくなってきた俺を、年端のいかない鼻たれのガキまでもが寄ってたかって蹴りつけては踏んづけてとやりたい放題である。
くそったれと思いながらもう身体は指一本も動かない。動かない動かない、と思いながら意識が遠のくばかり。

でふと気を取り直してみれば道の真ん中に見事に大の字。
なんの幸運か、骨の一本も、歯の一本も折らずにまたもおめおめと生き残こってしまったことを悟った訳だ。

これは奇跡だ、やはり俺は神様に愛されている、と思ったのもつかの間、

やれやれ、とずったらやってきた酔っ払ったおまわりに言われたことは、と言えば、

まあ、お前を見て、まじめに喧嘩をしようってやつもいないだろう。

この間、アメリカ人のごついのは、殴られるどころか、振り返る前に、パーンと一発で脳みそ撒き散らして終わりだったしな。

つまり、お前は、弱すぎたから助かったのだ。思い切り弱そうに生まれついたことを神様に感謝しなさい。

おおおお、つまりそう、そういうことなのであった。

俺は弱すぎたから、これまで生き残ってこれたのだ。別に神様に愛されていたからでも俺の気合が通じたわけでもなんでもない。

俺ほど弱そうな、そして実際弱い奴は、世界にもほとんど類を見ない、ということなのだろうとその時始めて悟った訳だ。

がしかし、それはそれで、才能、つまりは能力だろう、とも思ったが、そう気づいたとたんに、さすがに勇ましい振りをすることがなんとも恥ずかしくなったことは言うまでもない。

という訳で、あらためて、声を限りにしていいたい。

暴力反対!戦争も反対!



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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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