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死にたくなったらこれを読め 「百年の孤独」 ~ ガブリエル・ガルシア・マルケスの死に添えて

Posted by 高見鈴虫 on 18.2014 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
ガルシア・マルケスの名前を聞いたのは、
長い旅の途中に知り合った戦場カメラマンからだった。

旅で一番辛いことは本が読めないことだな、という話題から、
一番読みたい本は?という話になった時だった。

ゆきぐに、とその戦場カメラマンは言った。
川端康成の「雪国」。
この糞暑いインドなんてところで、あの雪国の情景が懐かしくてならねえ。
梶井基次郎、と俺が返した。
梶井基次郎の「檸檬」。
このインド人なんていうとんでもなくデリカシーに欠ける奴らの中にあって、あの繊細さはまさに日本人の心のすべて。

レモンかあ、とその戦場カメラマンは呟いた。
なあ、檸檬より、城のある町にてのほうが良くないか?

~ 風が少し吹いて、午後であった、でしょ?この一文こそはまさにダイナマイトだったよね。
目の前に城下町から風の匂いからが、ほら、すーっと広がってくるようでさあ。
そう思うだけでなんだか汗が冷えていくような気がするよ。

おおお!とその戦場カメラマンが膝を叩いた。
なんだよ、なんだよ、おまえ、判ってるじゃないか。

思えばその戦場カメラマンの笑顔を見たのは、それが始めてだったかもしれない。

普段はまさに、やくざな死神を思わせるような陰鬱な表情で、
俺は見なくてもいい物を見過ぎてしまったとでも言うように、
まるで仮面のように貼り付いてしまった皮肉な笑いが消えることのない、
そんな男であったのだが、
そのときに限って、その戦場カメラマンはまるで子供のような笑顔で実に嬉しそうにはしゃいで見せた。

そうか、文学部か、と戦場カメラマンは勝手に俺をそう決めつけた。

なあ、文学部、お前、チベット旅行記読んだか?

チベットりょこうき?いや、まだだけど。

なら読め。チベット旅行記。河口慧海って坊さんがな、
明治時代に、その頃は鎖国だったチベットに密入国する話なんだがな、
それが凄まじいんだよ。
辛酸を舐める、どころじゃない、なんども死にかけるんだが、
そのたびにお経を唱えて生き延びるんだよ。
その精神力、というか、強さ、というかな、凄いんだよ。
読んでみろ。絶対に気に入るぞ。
あの本さえ読んでいればな、
この先、どんな辛いことがあっても絶対に大丈夫だ。
こんな人がいたんだから俺の苦労なんてまだまだだって思えるからな。
読め読め。

その後、その戦場カメラマンは、まるで食べたいものを上げ連ねるように、
読みたい本をずらずらと並べ立てては、まるで舌なめずりをするように、
この本の何が面白くて、と寸評を並べて行くのだが、
古典から始まり、西洋の哲学書から、マンガまで、
まさにとんでもない守備範囲である。

俺はそんな話を聞きながら、まさにお腹がぐーっと音を立てるように、
もう本が読みたくて読みたくて堪らない気持ちになっていて、
旅の間中、ずっとこの戦争カメラマンとくっついていて、
永遠と本の話をしていたいな、とまで思ったものだ。


そして最後に、とその戦場カメラマンは言った。

ガルシア・マルケスの「百年の孤独」

ガルシア?マルケス?

知らないだろう。南米の作家なんだがな。

南米?南米に作家なんかいたの?

南米の作家はいいぞ。ボスヘス、リョサ、ルルフォとかな。
南米の作家はいいぞ、読め読め。

で、その百年の何とかっていうのは?

ああ、百年の孤独か。うん、これがやはり一番だな。
南米のな、マコンドって村の、ブエンディア一族の盛衰の話なんだがな。
これがもう、奇想天外な寓話のタペストリー。

だが、なんか日本ではちょっと勘違いされている、というか、
文芸評論家みたいな奴らが偉そうな顔して、
幻想文学、やら、シュールリアリズムやら、と
なんだか訳の判らないことばかり言ってて、
それを鵜呑みにしたバカどもがまた判ったんだか判ってないんだか、
難解、なんて妙な見出しを付けたがるんだが、

俺から言わせればそんなものじゃない。

これはな、ガキの頃、夏休みに田舎に行くと、
縁側に座って爺ちゃんばあちゃんが昔話しをしてくれたろ?
あれなんだよ。
まさにあれ。
年寄りの口からとめどもなく流れる筋書きも脈絡のない昔話。
なんだがな、それがそれが、本当に面白いんだ。

まるで本当にコロンビアの埃り臭い田舎町で、
鶏追いながらそんな話をされているような気になってきてな。
俺はこの本が好きで好きで、本当に南米まで行っちまった。

この本のために南米に行ったの?

そう。つまり、このマコンド、というその舞台の村なんだが、
それがどうしても見たくなって。

本当にあるの?そのマコンドって村が。

いや、ない。ないんだが、南米の田舎を歩いていると、
まさにそこら中に、マコンドみたいな村がたくさんあるんだよ。
そこでな、しみったれたソカロのカフェかなんかで一日中ドミノやってる爺さんとかと話しているとな、
まさに、そう、この百年の孤独の世界、そのものなんだよ。

こないだ、ほら、あそこ、あそこの肉屋の娘がな、
いきなり空に消えちまったんだ、みたいな。

まさか。

そう、そのまさかなんだが。なんとなくな、信じられちゃうような気にもなるんだよ。南米にいるとさ。

南米かあ。。

日本の評論家はな、暗室に篭って本ばかり読んでて、
一度も外に出たことがないんだろう。
だからあんな根暗な解釈しかできないんだ。
自分で南米に行ってみろって。
それこそ、出会う奴、出会うやつ
アウレリャーノから、ホセから、アルカディオから、
ウルスラから、レベッカから、レメディオスまで、
まさに、お前がそうだろう、みたいな、本当にそう、そんな連中ばかりなんだ。

なんだよ、マルケスはつまりはただこういう奴らのことを、こういう奴らとして、
ただ脈絡もなく書き綴っていただけなんだろうってさ。

俺から言わせればそれだけ、なんだがな。

で、そんな年寄りの昔話のどこが面白いの?

愛だろうな、愛。あの作品ほど愛に満ち溢れた作品ってのを俺は見たことがない。

でも、孤独なんでしょ?

そう、孤独なんだよ。孤独だからこそ愛なんだ。愛の孤独というか、百年の孤立、というか。

いいか、これからの人生、お前もいろいろあるだろうがな、
もしも、本当にこの「人の世」、浮世の世知辛さが身に沁みてしまったら、
騙されたと思ってこの本を読め。
いいか、死にたい、と思ったらこの本を読むんだ。
読み終わった時、たぶん、世の中が違って見える筈だ。

死にたくなったらこれを読め・・か・・・


その後、日本に帰り着いた俺は、
しかし戦場カメラマンの予言どおり、
まさにこれでもかというぐらいな色々が押し寄せて来たのではあるが、
そんななか、別に死にたくなったという訳でもないのだが、
まあ確かに、こんな奴らといるぐらいなら死んだほうがましだと思いたくなるぐらいにまで
「その恐ろしく陰気な顔をした日本人の集団」に、
心の底から徹底的なまでうんざりさせられていたのは事実だ。

そしていくつかの仕事を渡り歩いては、
そのたびにこの浮世に暮らすことがつくづく馬鹿馬鹿しく思えてきて、
ああ、また旅に出てしまおうか、とため息をつく日々。

そんな中、またひとつの会社を辞めようとしていた時、
世話になったお得意さんの一人から、ああそう言えば、とこの本を渡されたのだ。

ほら、前に読みたいって言ってたろ?退職祝いって訳じゃないが、いまのうちに渡しておくよ。
読み終わったらで良いから、その時は履歴書と一緒に返してくれ、
とその営業部長はニヤリと笑った。

だがな、もしもアメリカに行くって言うなら、餞別代わりだ。アメリカまで持って行って貰って構わない。
この本も俺なんかのところで腐っているよりは、あんたみたいな人と世界中を旅していた方が幸せだろうと思ってな。

長いがな、一生かかってでも読み切るに値する本ってのはそうざらにあるものじゃない。
その本は、その類まれな一冊だ。
一度読みきったが最後、棺桶にまで持って行きたくなるぞ。


という訳で、その営業部長に渡された「百年の孤独」はまだ俺の手元にある。

これまでこの本と一緒にいったいどれだけの土地を渡りあるいただろう。
そして世界中の安宿のベッドで、いったい何度この本のページを開いただろう。

百万回ではとても足りないだろう。

今では、どこのページを開いても、そらでその内容を読み上げることさえもできる。

できるのであるが、また読んでしまう。読み始めてしまうとまた読み耽ってしまう。

まさに、俺にとっては聖書のようなものだ。

人が生まれ、人が生き、愛し、笑い、憎み、泣き、そして死ぬ。

その淡々とした、しかし、まさに抱腹絶倒のエピソードに満ち溢れた人々の生。
その人々の表情がまさに手に取るようにありありと浮かんでくる。

人物が立っている、というのはまさにこのことで、立ち過ぎた登場人物たちが、
目の前にいくつも立ち現れそうなほどに、リアルで、そして愛しい。

この人間って奴らは、まったくどうしようもない種ではあるが、もしかしたらまだまだ捨てたものじゃない。

つまりそう、あいつは、XXなんだろう、とその登場人物に擬えてみる。そしてくすっと笑うことができる。
許してやってもいいかな、と思う。

そうするうちに、俺はいつのまにか周りの人々をついつい、この「百年の孤独」と登場人物と重ねてみるようになって、
そしてほんのすこし、やさしい気持ちで周囲の人々を見れるようにもなるのだ。

そんな時、死にたくなったらこの本を読め、と言ったあの戦場カメラマンの言葉を思い出す。

生も、そして死者さえもが、まさに生き生きとこの物語から溢れでた現実の中にすんなりと溶け込んでしまい、
目の前に展開するこの浮世の茶番劇の、その怒りも、憎しみも、悲しみさえもが、
ふっと既に過ぎ去った、遠いアルバムの中に思い出を綴るようにさえ思えてきてしまうのだ。


そして、2014年4月18日、マルケスが死んだ。

天から舞い降りた花が降り積もったのだろうか、と思ったのだが、
奇しくもマルケスの死んだその日、メキシコシティーで大きな地震があったらしい。

まさに、マルケスらしい逸話だ。

ガブリエル・ガルシア・マルケス。

あなたの書いた作品がなかったら、俺はここまで生き延びれなかった。

そしてこの後も、俺はあなたの作り上げた幻想の村・マコンドに暮らし続けると思う。

ありがとう、と心から伝えたい。

GRACIAS


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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