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「一日中音楽が聴きながら公園を散歩するだけの仕事」

Posted by 高見鈴虫 on 02.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback
ジャズベーシストのウィリー。
その道ではそれなりにキワモノ的な人気と尊敬を集めていながら、
やはりキワモノである以上、その道のその世界はまさに限られたもの。
かつてはニューヨークのジャズシーンを震撼させた天才少年も
四十を過ぎてもいまだ暮らしは成り行かず、

昔はあれだけ回りを取り巻いていた女たちや友人たちも、
夢の匂いのするおいしい話も、
いつの間にか掌の砂が落ちるように消え初めて、
そんなこんなでアルバイトを始めることになった。

一日中音楽が聴きながら公園を散歩するだけの仕事。

そんな夢のような仕事が舞い込んで来たのだ。

朝九時にアッパーウエストサイドのミセス・ゴールドバーグさん宅を訪ね二匹を犬を預かる。

公園に連れて行き、ドッグランに犬を放した後、
ベンチに座って一時間音楽を聴き、
そして犬を連れて帰る。

それを一日4回。朝昼夕方夜。

それで150ドル?凄い!と思わず目を見張った。

一日150ドルなら十分家賃と食事代が賄えるじゃないか。

これで全ての悩みから解放され、あとは思う存分音楽に集中できる。

これまで犬など飼ったことも触ったことさえもなかったウィリーであったが、
どういう訳か、それはまさに奇跡的に、犬はウィリーを好いててくれたようだった。

綱を引っ張ることもなく、おい、と呼べばすぐに駆け戻ってくる。

犬たちは喧嘩をする訳でもなく、しつこくボール遊びをせがむ訳でもなく、
二匹で勝手にじゃれあってはドッグラン中を飽きることもなく走り回り、
そして遊び疲れると、ベンチの彼の元に舞い戻っては、
ウィリーを真ん中に挟んで荒い息に舌を踊らせ、そして空を眺めている。

ロットワイラー、という犬種らしい。

ジャックとベティ。

二頭ともまるで鯰のようなひしゃげた顔をしている。
なんとなくどこかの土方のとっつぁんのようだ。

どっちが男でどっちが女かもその顔つきからだけではさっぱり判らない。

青い首輪がジャック、赤い首輪がベティ。

そのロンパリ気味の平たい顔。

そう言えば、なんとなく自身に似てないこともないと思うとそれなりに愛着も湧いてくる。

こんな仕事で160ドルか、と改めて思う。

週三回。
月曜日と火曜日と木曜日。
8時と11時に1時間半づつのステージで120ドル。
もしもアンコールが来た場合は一曲につき20ドル。

それが最近彼がやっている主な仕事。

ダウンタウンにあるちょっとしたレストラン。
ライブ・ジャズと言えば聞こえはよいが、
レストランの隅にしつらえた三角ステージ。

アップライトのピアノにベースにドラムのトリオ編成で、
モンクやらMQJやらのスタンダードをやる。

店のマネージャーからは特に注文はない。

ただ、でかい音を出すな、と言うだけ。
なるべく音を出すな。
静かに、静かに、なるべくお客の会話の邪魔をしないように。

ドラムはバスドラを踏まない。
滅多なことではシンバルを叩くこともない。
仕舞いにはスティックを取り上げられ演奏は始終ブラシだ。

ウィリーはそんなバンドでベースを弾く。

最初の頃はわざわざ自身の機材を運びこんでいたが、
いつしかそれもやめてしまった。

まるで置物のように転がったジャズベース。
弦が完全に死んでいるのだがその方が店としても都合が良いのだろうと気にしないことにした。

スポットライトどころか照明さえも当らない三角ステージで、
誰に看取られることもなく、
窓の外を流れる人々の波を眺めながら、
毎晩同じ編成で同じ早さ同じキー同じ構成で同じ曲をやる。

どういう訳か店には評判が良い。
そのやる気のなさというか、つまりは気負いのなさがよいらしい。

ピアニストのビリーはすでに六十を過ぎた白人の老人だ。
大して上手くもないがそれほど下手でもない。
クラッシック上がり特有でタッチが硬すぎるところがあるが、
奇をてらってリズムを外したりなんて心配はこれっぽっちもない。
ただ同じフレーズを毎晩毎晩そつなくこなす。

ドラムはチャイニーズ。日本人であるらしい。
小奇麗ななりをして、昼間は別の仕事をやっているようだ。
その顔に貼り付いてしまったようなにやにや笑い同様、
こいつの考えていることもまったく意味不明だ。
時間に遅れず、やれといわれたことはなんでもはいはいと従う。
スティックで叩くなと言われた時も、
何の躊躇もなくブラシに切り替えた。
海の向こうからやってきてこんなところでいったいなにをやっているのか。
音楽家として一山当てようという気ではないのだろう。
かと言って金に困っている訳でも無さそうだ。
たまにスーツを着てくることもある。
ステージ用の黒いシックなスーツなどではない。
客席のあのださい会社員が着ているようなぱっとしない
中古車屋のセールスマンのようなそんなスーツだ。

この編成になって既に二年になるが一緒に食事をするどころか、
まだろくに口を利いた事もないの。
のだが、この仕事、つまりは犬の散歩の仕事を紹介されたのは
実にこのチャイニーズのドラマーからだった。

一日中音楽が聴きながら公園を散歩する仕事。

問題は雨の日なのだが、そうこうするうちに
同業であろうドッグシッターのメキシコ人の男から、
雨に濡れないドッグランの存在を聞かされた。

そこの階段を下って左に曲がり、野球場ぞいにちょっと歩いた高速道路の下。
ちょっと歩くが、雨に濡れているよりは良い。

そしてこれで全ての問題が解決された。

そんな訳で犬を連れて外にでるとついつい帰るのが遅くなってしまう。
時間を一時間も過ぎてしまい、慌てて帰ったこともある。
がしかし、ミセス・ゴールドバーグさんもそんな彼の仕事ぶりに満足しているようだ。

ただ、と彼はひとつ気にかかることがある。
ミセス・ゴールドバーグさんからのおかしな注文である。

犬のした糞をビニール袋に入れて持ち帰ること。

青いビニール袋と赤いビニール袋。

ジャックが青でベティが赤。

それぞれの糞をそのビニール袋に入れて持ち帰る。

犬を引き渡した時、ミセス・ゴールドバーグさんに見せる。

はい了解、とミセス・ゴールドバーグさんは言う。

では捨ててきて。

夜、金を受け取りふたつの犬の糞の袋を手に提げて、
そしてウィリーはミュージシャンに戻る。

ミッドタウンのレストラン。
八時と十一時時に一時間半づつ。

客は観光客ばかりだ。
ドラマーのチャイニーズの影響、
どこかのガイドブックに書き込んだらしいのだが、
それ以来、チャイニーズの客が増えた。

ステージでフラッシュを焚かれることもある。
こんなプレーのどこが気に入ってか、
サインさえしたことさえもある。

たまに客の顔が犬に見えてくることがある。

あの二頭とロットワイラーの、きょとんとした瞳。
思いついたばかりのフレーズをくちづさんでいるとき、
小首を傾げては聞き入っているの二頭のおかしな顔。

ドッグランでウィリーはいつもスキャットを口ずさんでいる。
スキャットで流しながら、気の利いたフレーズを思いついたら
すぐに録音するためだ。

そんな時、あの二頭のロットワイラーがニヤリと笑う。

どうだ気に入ったか?とウィリーは言う。

がははは、と犬が笑い、顔をべろべろと舐める。

犬も笑うことをウィリーは初めて知った。

アンコールをせがむように片足を膝の上に乗せることもある。

時としてドッグランにいる他の犬が集まってくることもある。

そんな時ウィリーはちょっとうきうきしたりもする。

よしよし、と彼は頷く。客の反応は悪く無いぞ。

振られる尻尾が拍手のかわりだ。

そしてまたウィリーはフレーズを口ずさむ。
ドッグランのベンチがシンバル、
犬の糞の入ったビニール袋がスネア代わり。

アッパーウエストサイドのドッグランに今日も
セロニアス・モンクの調子はずれのスキャットが流れ続けている。


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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