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闘犬ピットブル・テディベアの末路

Posted by 高見鈴虫 on 22.2014 犬の事情   0 comments   0 trackback
そう言えばこの間、
知り合いの犬、普段からまるで溶けそうなやさしい笑顔を浮かべたゴルディーがドッグランで噛まれたらしい。
相手はやはり、というべきか、そう、悪名高きピットブル・テリア、である。

飼い主たちが目を放した一瞬のうちに襲いかかって、あっという間に血みどろにされたゴルディ。
飼い主たちの絶叫の中で、当の犯人であるピットブルは、
悪びれなくドヤ顔、と思いきや、尻尾をまるめこれでもかと身体を縮めこめて、
ベンチの下でぶるぶると震えていたらしい。

飼い主はまたいつもの奴でまさにピットブルのオーナーというか、
つまりはそう、俺は強いんだぞ、というおめでたい自称タフガイタイプのバカ。
そのバカ面で、へん、なあに、お前の犬が弱いのが悪いんだ、
なんて風に嘯いてみたかと言えば、
やられたゴルディのそのあまりの惨状と、
そして自身のピットブルのその怯えきった姿にびびりまくって、
訳も判らないままに遁走を遂げた、という話。

翌日お尋ね者ではないが、
遁走を遂げるピットブルの飼い主の写真がドッグランに貼り出されて、
この飼い主は自身の犬の尻拭いもできないアホです、
とその姿をご近所中に晒されたという次第。
他人事ではない、とは思いながら、いいざまである。
そうやって晒されたバカな飼い主の間抜け面の写真を見るたびに、
バカタレが、とせせら笑ってしまう訳だ。
@@@@


という訳で、やっぱりまたピットブルなのである。
ドッグランでの流血沙汰の話、それはもう判で押したように決まってピットブル、な訳である。

そして今更ながらにそんなピットブルが原因の悲報を聞くたびに、
まさに身体中から力が抜けてしまいそうな無力感を味わうことになる。

なぜピットブルなのだろう。
ピットブルというのは果たしてそんなに危険な生き物なのであろうか。

そして今、そんな俺の膝の上に頭の乗せるのもピットブル。

三歳のテディベア。

まるで縫いぐるみのように滑らかな栗色の毛並み。
だがその身体中に残る傷痕。
短く切られた耳。
そして異常なぐらいに発達したその巨大な顎。

新品のテニスボールをたった一噛みでバスンと噛み潰してしまうその顎力。
子供の腕ぐらいなら一振りで軽く噛み千切ってしまうだろう。

そんなピットブル。悪名高き筋金入りの殺人マシーン。
犬に関する大事件が新聞を賑わすと、その犯人はまさに決まってこのピットブルなのである。

という訳でこのテディベア。
レスキューシェルターでボランティアをやっている友人が、
殺処分一歩手前、最後の望みとばかりに預かって来たとのことなのだが、
この子ね、やっぱりもう駄目みたいなの。頼むから助けてくれない?
と泣きつかれた訳なのだ。

改めて言えば、ピットブルは本来、まさに夢のように人懐っこい天使のような犬だ。
事実こうしている時にも、テディベアはまさに生きる縫いぐるみそのもの。
俺に身体を撫でられるのが嬉しくてたまらず、
まるで千切れるように尻尾を振っては全身をくねらせて甘えていたのだ。
だがそんなテディベアの顔には

だがしかし、そんなピットブルが一度なんらかのきっかけ、その多くは他の犬が視界を横切った、
なんてことで一瞬のうちに電気に弾かれるように、
そして息を呑む間もなく目の前は血の惨状。
この悪魔のような豹変振りこそが、このピットブルが恐怖の殺人マシーンとして名高い理由なのである。

そしてこのテディベア。
訓練もかねてこうしてリーシュをつけたままドッグランのベンチにいるのだが、
寝たふりをしているのか、じっと目を瞑り、傍目にはいかにもリラックスしているように見えながら、
しかしその耳先は休むことなくピリピリと震え、近くに犬の気配を感じるたびに、
その身体がびくりびくりと電流を流されたように強張るのが判る。

お前、怖いのか?とそんなテディベアの頭を撫でる。
これまでよほど怖い思いをしてきたのだろうな。

その栗色の見事の毛皮。しかし、そのいたるところに残された生々しい傷痕。
そんな傷痕が指先に触れるたびに、彼の生きてきたこれまでの道のりの、
そのあまりの過酷さを思わずにはいられない。

そんなテディベアの落ち着いた様子に騙されて、
やっぱりね、さすがだわ、と喜ぶ友人。
もしかして、もうちょっとリーシュを放してみてもいいかな、
などとまた能天気なことを言っている。

いや、もう少し様子を見よう、と飽きずにテディベアの身体をさすりながら、
大丈夫、大丈夫だ、もうなにも心配することはない。
もうお前を痛めつける奴はいない。
なにがあってもお前を守ってやる。
だからもう心配することはないもない。
だらかもう大丈夫なんだ。
とおまじないのように繰り返していたのだが。

とそんな時、顔見知りのラブラドルがひとり、
ねえどうしたの?またボール遊びやろうよ、
と寄ってきたとたん・・・

いきなり弾かれたように飛び起きたテディベア。
反射的に掴んだリーシュを引きちぎらんばかりに、
ラブラドルに襲い掛かった。
まさに狂気、というよりは恐怖、生きる恐怖そのもの。
泡を吹いた牙をむき出して暴れ狂う断末魔の形相。
まさにその姿は悪魔の化身そのもの。
正直、全身に鳥肌が広がっていた。

それから優に15分、テディベアの気が静まるまでの間、
まるで間違って釣竿にかかった大サメに振り回される小舟のように、
大の大人二人が全身汗だくになってリーシュを引っ張っていたのだ。
念のためと思ってマズルをしてきたのが正解だった。
もしこのマズルがなかったら、
今頃リーシュを噛み千切り、このドッグラン中の犬と言う犬を血祭りにあげ、
あるいは、俺の片腕ぐらいは軽く噛み砕いていたように思う。

そんなこんなでようやくテディベアを押さえ込んで、
大丈夫、大丈夫、と念じながら胸をお腹を撫で回しながら、
その目を覗き込む。
その瞳にあるのは、狂気でも凶暴さでもない。
それはまさに、恐怖。あまりの恐怖に恐慌状態に陥っているのだ。

こいつ震えてるね、と俺が言う。
そう、震えてるの。いつも震えているの。
夜に寝ているときも、震えながらキャンキャンって泣き声を上げるの。
もういたたまれなくなってしまって。

という訳で、助けてくれとは言われたものの、
正直言ってここまで酷い子を見たのは初めてだった。

@ @ @ @ @


改めて言う。
バカな犬はいないように、生まれながらに攻撃的な犬なんてのはこの世に存在しない。

猛犬がなぜ猛犬化してしまうか、と言えば、
ぶっちゃけその飼い主が、自身の犬を猛犬化してしまっている、
というのが本当のところなのではないだろうか。

つまり、ピットブルが生まれながらにして気の触れた狂犬であるのではなく、
生きる凶器になるべく育てられてしまった、というのが本当のところ。

犬を飼う理由というのは飼い主それぞれに違うのだろうが、
こと、ピットブルやらロットワイラーやらアメリカン・ブルドッグやら、
俗にコワモテ、と言われている犬の飼い主たちが、
なぜ敢えてピットブルやロットワイラーを飼うか、と言えば、
つまりは、強い犬が好きだから、となる訳で、
つまりは、俺の犬は強い、しいては、俺は強いんだぞ、
ということを誇示したい、というそんな陳腐な欲望の表れ。

心の生き物である犬はそんな飼い主たちの期待に応えようと、
一生懸命に猛犬化しようと努力をしてしまう訳だ。

改めて言わせて貰えば、
人に限らず、犬に限らず、
そうやって己の強さを必要以上に誇示しようという心の根底にあるのは、
見栄や虚勢、というよりも、実は怯えに基づくものが多い。

殺られる前に殺れではないが、
心の底に襲られるという恐怖があるからこそ強さを誇示しないではいられないのだ。
心の底のそんな怯えが募れば募るほどに陳腐な虚勢に拍車がかかり、
そんな虚勢を張れば張るほどになおいっそうの虚勢を必要とする訳で、
つまりは虚勢と恐怖とそして底なしの猜疑心のなせる業。
まるで脅迫概念に頭の跳ねたシャブ中のようではないか。

そんなちんけな怯えを根底とする虚勢争いを、
心の動物である犬がしっかりと吸い上げてしまうのだ。

という訳で、そんな自称コワモテのサル野郎から、
これでもかとチンケな虚勢を学んでしまった挙句、
ついに飼い主の手にも負えなくなってしまった狂犬猛犬たちが、
今日も厄介払いされては、殺処分のガス室の順番を待っている訳だ。

改めて言う。
攻撃性の根源にあるものとはちんけな恐怖なのである。
殺られる前に殺れ、は、殺られるという恐怖があって初めて芽生えるのである。
一度芽生えた恐怖はそれを抑えようと思えば思うほどに暴走を始めていく訳だ。

そんな訳で、生きる凶器とされたピットブル。

そんなピットブルたちは鍛えられた勇士でも、
筋金入りの闘士でもなんでもない。

そこにあるのはまさに恐怖。
脅迫観念の恐怖でちじみ上がって半狂乱のシャブ中そのものなのだ。

闘犬となるピットブルたちはまさに虐待の塊である。
生まれた時から徹底的に苛め抜かれ、
死ぬ気で攻撃に出なければ殺される、という恐怖をこれでもかと身体中に叩き込まれる。
戦わなければ飯が食えず、戦わなければこの痛みから解放されることがない。
そんな絶え間ない恐怖に苛まれながら、
殺られる前に相手を噛み殺すこと以外にはなにもないような環境に育てられてきたのだ。

それが犬でなくても人間でなくても、生き物であればなんでも、
そんな育てられ方をされたらまさに誰にもハンドルのできない殺人マシーンになることは誰の目にも明らか。

が改めて言わせて貰う。
犬は本来そんな生物ではない。
犬は寧ろ、愛に満たされた平和な社会で互いを敬いながら暮らすごく社会的な生き物なのだ。

犬の狂気、闘争心や凶暴さは、まさに人間から学んだ、と考えて間違いないと思っている。

という訳で、いまの俺はその逆の立場。

そうやって殺人マシーンにされてしまった犬たちを、なんとか殺処分の悲劇から救うべし、とは思いながら、
そんな恐怖心を胸の奥にこれでもかと焼き付けられてしまったこの可愛そうな天使たち。
心の底に爆弾を抱えたまま生きることを余儀なくされたまま、
いついかなるきっかけからその恐怖心と爆弾に火がついてしまうやも知れず、
そして今日も、ドッグランの中から、突然の悲鳴と、そして飼い主の絶望的な絶叫が響き渡ることになる。

改めて言う。
悪いのはピットブルではない。
バカな犬はいないように生まれながらにして狂気の攻撃性を持った犬などいない。
馬鹿なのは、そんな恐怖を植え付けたのは人間たちなのだ。

それが証拠に愛情いっぱいに育まれたピットブルは生きる狂気どころかまさに夢のような天使そのものだ。

飼い主が恐怖を植え付けない限り、ピットブルは恐怖という概念に気づいたりもしないだろう。

つまり、そんな恐怖の種をまいた者こぞがまさしく悪魔なのである。

@ @ @ @ @ @


という訳で、このテディベアである。
夢のような栗毛につつまれたまさに生きる縫いぐるみそのもの。
がしかし、その指先にひっかかる身体中に残された古傷の跡。
短く断たれた耳こそが痛々しい過去のその証。

いまこうしているときには夢のような天使の筈が、
一度他の犬と見るやまるで全ての抑制がショートして頭が真っ白。
気がついた時には襲い掛かっているという運命からは、
どうにもこうにも一生抜け出すことができないようだ。

いったい誰がこの天使をこんなにしてしまったのだ。
そしてお前は、なぜそんな悪魔のような飼い主を噛み殺してしまわなかったのだ。
思わず涙がこみ上げて来る。
こうしてまたひとりの天使がこの世にお別れを告げようとしている。
人間とは、かくも陳腐で小心でそして残酷な生き物かと思う。
人間であることがつくづく嫌になってくるというものだ。

そしてこのテディベア。いったいこの子をどうやって救えばよいのだ。
まだ三歳なんだぞ。まだ生まれてきたばかりじゃないか。
それをなんだ。誰だ。誰がこの子にそんな仕打ちをする権利があるというのだ。

嘗てはパンクロッカーであった俺が言うのもなんだが、
俺はここに来て心の底から、暴力やら虚勢やらのチンケなコワモテ面がつくづく嫌になってきている。

そして困ったオーナーたち。
俺の犬は強いんだぞ、そして俺は強いんだぞ、というドヤ顔でそんな大型犬を連れ歩くようなタイプの輩、
その身勝手な、そしてちんけな虚勢が、なんとも忌々しく思えてしかたがないのだ。

ADAPT MEのオレンジのジャケットを着せてからテディベアを乗せた友人の車を見送った後、
身体中を絶望的なほどの無力感が包んだ。

両手には先のテディベアとの格闘の後。両掌の皮がずるずるにすりむけて血が滲んでいる。

あの子はいったいどうするのだろう、と友人を思う。
あの子のことだから、まさか殺されると判っていてテディベアをシェルターに戻すなどできない筈だ。
つまりあのどうしようもなく病んだ狂犬と共にこの後の人生を生きるということなのか。
これもなにかの運命だろう、とも思う。

という訳であらためて我が家のブッチを連れて散歩に出た。

普段はおい、そんなに引っ張るなよ、というブッチのリーシュが、まるで羽を掴んだように軽く思えた。


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

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このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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