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ワールドカップ・ニューヨーク ~ LESSON LEARNED 敗北からなにを学ぶか

Posted by 高見鈴虫 on 25.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
奇跡を期待させる運命の試合。

W杯という大舞台で蓋を開けてみれば
二軍チームにさんざん練習台として弄ばれた挙句、
しまいにはゴールキーパーが交代(爆
それも引退前の記念撮影代わりに出場か、なんていう御人が登場、
結果それでも、1-4の大惨敗。
まあとどのつまり徹底的に舐められ切っていただけ、
これだけ舐められながら何一つとしてやり返すことのできなかった、
世界に恥を晒される、とは言っても、
これほどの屈辱的姿は早々と見られるものではない。

それはなにより、選手たちが一番思い知っていることだろう。




このW杯における日本チームと世界レベル、
現実問題としてその実力差がいったいどれほどのものであるのか、
その詳細に関しては素人の俺では計り知れないが、
まあどう贔屓目に見ても大人VS子供、
たぶん代わりにどこぞの高校生チームが出場したとしても同じような結果に終わっていただろうし、
あるいは、ブラジルやコロンビアのサッカー大国のレベルならば、
二軍どころかユースのチームと戦ったとしても、
似たような結果になっていたのではないだろうか、と思えてきてしまう。

つまり、この状態では、なにをどれだけ続けても結果は同じだろう、ということだ。

二軍選手、引退間近の、あるいは、ユースの選手を相手にこの惨敗なのである。
多少の努力をしてみても、1-4が2-3になりました、ぐらいのものだろう。

という訳で改めて、
なぜこのような無残な惨敗を事前に予想できなかったのか、なのである。

そして、現実問題としてこの歴然とした実力差を、
なぜ事前に十分に踏まえた上で、その実力差を前提とした上での対策がもたらされなかったのか、
ということな訳である。

LESSON LEARNED。
米国においては実に良く聞く言葉である。

学んだこと、という意味であるのだが、
それつまりぶっちゃけて言うと、失敗=敗戦からなにを学んだか、ということである。

失敗=敗戦の記録をしっかりと分析し、客観的データ=文章として残すべし、ということだ。

その根本原因究明から始まり、解析、つまりは、
なにが起こったのか、なぜ起こったのか、どう対処したのか、そして敗因はなんだのか、
を様々な視点から、当事者・関係者を含めて徹底的にブリーフィングを繰り返していく訳である。

当然のことながら、勝利からよりも、敗北からのほうが学ぶべきものが多い。
人間は失敗して初めてなにかを学ぶことができる。
それはまさに、噛み締める、ということだ。

今日勝利したチームにしても、最初から強かった訳ではない。
彼らもこうした敗北の積み重ねの中で、なにかを学んで来た、
その結果がこの勝利に結びついているのである。
勝利は敗北からの結晶なのである。
つまり、勝者が強くなれたその秘訣は、敗戦からなにを学んで来たか、による、ということだ。

という訳で、敗戦をただの敗戦、と忘れて済ませてはいけない。
次の試合に勝とうとする以上、この敗戦を糧にしなければいけない。
つまり、その敗戦から学べるものはなんでも学び取らねばならない、ということだ。

そして、この敗戦から学ぶ、という姿勢こそが、日本チーム、
強いては、日本という国そのものに決定的に欠如している点なのである。

なぜならば、この敗戦分析、当然のことながらかなりタフなものになる。

誰でも恥ずかしい経験は人に知られたくないことである。
苦い思い出は口にしたくない。
それを一般に向けて公言しなくてはならないとすれば尚更だ。

当事者たちは自身の責任回避と名誉挽回のために死に物狂いになり、
あるいは貝のように口を閉ざすことにもなる。

終わったことじゃねえか、
勝負は時の運、
人間である以上、間違いは起こす、
これ以上私を虐めないでください、と嘆願するものもいる。

それを武士の情け、綺麗に死なせてあげなさい、とやってしまうから、
結局その敗戦で学んだことがなにひとつとして生かされない。

改めて言う。
敗者には責任が残っているのだ。
敗戦後に自身の敗戦の理由を自分なりに分析し、それを客観的なデータにまとめること。
指導者、および、プレーヤーとしての大切な義務なのである。
彼らの報酬の中に、その敗戦分析の能力も含まれている、と理解させるべきなのだ。

そのために、失敗した人間をいたずらに攻めてはいけない。
ひとつの失言が、宝の山の詰まった鍵を閉じてしまうことになる。

彼らの失敗こそが次回への挑戦の糧になるのだ。
失敗者の証言こそがなににも代えがたい財産なのである。
その貴重な証言を取り逃すことは、これまでの戦いをすべて無に帰することに等しい。
そんな愚行を犯してはいけない。

よって敗将であるザッケローニを簡単に解任してはいけない。
あるいは、サムライを名乗った以上は切腹してお詫びを、と主張するであろう選手たちにも、
そう簡単に死んでもらっては困る訳だ。

この歴史的な惨敗をきしたチームの当事者に
LESSON LEARNEDを提出することは死活問題である。
そこからより多くのデータを引き出すために、
私たちは忍耐強く、そして厳しい目を持って彼らに対峙しなくてはいけない。

当事者たちの見解、そこには当然のことながら自身の責任逃れの言い訳がてんこ盛りになるだろうが、
それをはいはい、と手放しで受け取るなどというのは最もな愚行。
仕事でも聞いたことがあるだろう。
5 whys FISHBONE 又の名をイシカワ・セオりー、石川馨の特性要因図である。
全ての事象に、5つのなぜ?を繰り返すのだ。
それを、死者に鞭打つ行為、と自重してもいけない。
これは敗者の義務なのである。
失敗した人間に残された、唯一の存命の道なのである。
つまり、俺達、ほとんどすべてのビジネスマンは、
それを普段からの仕事で当然のように課せられているのだ。
サッカー選手がそれから逃れられるとは思えない。

ちなみにザッケローニはこの監督業の報酬として推定年間2億円以上の報酬を得ている。
その多額の投資を、こんな形で終わらせてはいけないのだ。
それは当人にとっても不本意なことであるに違いない。

どう考えても無能な指導者であったザッケローニの自身の査定から始まり、
日本チームの惨敗の理由がどこにあるのか、冷静に分析し、徹底的に協議を重ねながら、
今後の展開を練り直さなくてはいけない。

明らかに過剰投資であった彼の報酬分を、いまここできっちりと返して貰うまでは、
彼らの任を解いてはいけないのだ。

という訳で、ザック・ジャパンはこの惨敗からなにを学んだのか。

日本チームは言うに及ばず、日本サッカー連盟関係者、そしてサポーターも含め、
その惨敗原因を徹底的に究明・解明する必要がある。

少なくとも、バカやろうの一言で済ませられる問題ではない。
あるいは、ごめんなさい、の一言で忘れるべき問題でもない。

自分たちのプレーができなかった
やるだけのことはやった
実力が足りなかった、
間違ったアプローチだった、

そのどの言葉も、まさかプロフェッショナルの口から出た言葉とは到底思いがたい。

こんないい加減な言葉で、世界にこれでもかと恥を晒したこの歴史的惨敗の責任から逃げられるわけがない。
結果はどうあれ、銭はいただいた、あとはずらかるのみ、という輩をそうやすやすと逃がしてはいけない。

敗者たちの仕事はいま始まったばかりなのである。
敗者たちをその重大な責務から逃してはいけない。


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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