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旅の汚濁

Posted by 高見鈴虫 on 01.2014 旅の言葉   0 comments   0 trackback
と言う訳で、そう、ドラッグである。

はじめてまりちゃんと会ったのは高校一年の時だったかな。
その頃既につきあいのあった地元の珍平さんから、
これやってみるか?と手渡されたその肥やし臭いタバコ。
そのときはたった一口だけだったが、
ふむふむこれがローリング・ストーンズのやっている毬花というやつか、
とちょっと感動した覚えがある。

がしかし、時は暴走族全盛時代。
既に中学生時代から、世界最強のドラッグであるアンパン、
つまりシンナーの洗礼を受けていた俺たちにとっては、
なんだこれ(笑 で済まされてしまうぐらいのものであつた。

その後、不良仲間の間ではすでに飲酒が常用化し、
と同時に人間辞めますか、のシャブ、つまりはかくせーざいなんてものも巷、
というか俺らの周りには当然のように溢れ始めていたのだが、
それは麻薬であってドラッグにあらず、
ロックよりはやはり、演歌の世界、
つまりあんまりかっこうよくないもの、という気もしていた。

と言う訳で、本格的にドラッグをドラッグとして経験したのは高校の2年の終わり、
つまりはバンド活動に深入りして、米軍キャンプに出入りしだした、その頃。

おりからのサーファーブームなんてのも手伝って、
それ以来、バンド関係者であった俺の元には、なんだかんだで、
おーい、手に入ったぞ、パーティパーティ、ってな誘いが、
割りとちょくちょくとやって来るようになった。

がしかし、まあその程度。

つまり、へえ、これがXXって奴か、と仲間達と一口づつ、
なんてのが堰の山。
いかにもやりちん、という面をしながら、
まあやっていたのは実際その程度だったのだ。

その後、世界貧乏旅行に出た俺は、
日本を一歩でた時点で、
それこそ恐ろしいぐらいに氾濫していたドラッグというものの洗礼を
まともに受けることになった。

毬花、あるいは、その樹脂であるショコラ、つまりはハシシ、は当然のこと、
魔法のきのこからピエロと呼ばれたアシッドから、
クラック・コケインから、ケシから栽培されるオピュームつまりは阿片と、
そしてその完成形であるへろいんまで。

そんな人間辞めますか、どころか、
まさに神様にタッチ!できるような気にさえなる悪魔のお薬りが、
実に、ほんとうに実にさりげなくまさにあたりまえのように巷に氾濫している様を見た。

と言う訳で、日本を出たその夜には鞠花とハシシで頭からんからん。
その後、バンコックに着いたその夜には噂に聞いたヘロインにさっそく手を出してもはや虫の息。

と言う訳でその後の旅先で、ナチュラル・ケミカル・ダウナー・アッパー、
まさにありとあらゆるドラッグというドラッグに触れてきた訳で、
日本に帰りたくなかった、その理由のひとつに、
この常用していたドラッグが上げられるのが正直なところ。

だがしかし、それはやはり旅行者の特権というか、
ドラッグはまさに、日本では体験できないこと、を前提とした訳で、
このメリハリがあったからこそ、日本を出たら思い切りドラッグをやろう、と思っていたのだ。

と言う訳で俺の旅はその最初から最後までまさにドラッグだった。
「海外の仲間達」といとも簡単にお友達になれたのは、
セックス・ドラッグ・ロックンロールという共通の目的があったから。
アジアンハイウェイのケンケンパ旅行する間にまさにありとあらゆるドラッグにまみれ捲った挙句、
そして遂に辿り着いたヨーロッパ。

イスタンブールのバス停を降りて、おおここがヨーロッパとアジアの架け橋、とガラタ橋を見上げた時、
よお、と声をかけてきたいかにもヨーロッパのヒッピー風なおさん。
なんでもあるぜ、買わねえか、と言う。
がしかし、そう、蛇の道は蛇。
そんないかにもいかにもな売人が実はおとりだってこともすぐに見抜けるぐらいに闇の世界に馴染み切っていた俺。
苦笑いで、心配するな、なにも持っちゃいないよ、と首を振ったところ、
やはり苦笑いで答えるその売人。
悪いことは言わない。このイスタンブールでは下手な薬に手を出すな。
例のあの映画、ミッドナイト・エクスプレスの影響で政府が躍起になって麻薬撲滅キャンペーンをやっている。
つまり、トルコ政府は悪くない。麻薬を持ち込むのは旅行者の方だ、って訳だ。
薬ならアテネに行ってからいくらでも手に入る。だからこの街ではクリーンに過ごすことだ。

その後、本ちゃんのその道系から裏を取ったところ、そのニセ売人からの挨拶は本当のことで、
ほらほら、おたくの国の若者がこのように捕まりました、とのしをつけて大使館に売られるらしい、
ってな話。

がしかし、そう、正直言って、俺はもうその頃にはドラッグというか、
ぶっちゃけ旅そのものに対してかなり飽きが来ていたというのも事実。

世界の仲間とおともだちになろー、か。笑わせる。
見知らぬ人の人情も、愛も平和も、世界は一家も、なにもかも、
そんな取ってつけたようなキャッチフレーズがなんとなくもう心底うんざり、という気がしていたのだ。

という訳で、俺は終着点であるヨーロッパに向かう長距離バスに乗った。
俺はいったいこんなところでなにをやっているのだろう、と思った。
世界中を放浪してそしていったいどこにたどり着けばよいのだろう。

旅の終着点である筈だったアテネ。
この先まだまだ旅を続けるか、あるいは大人しく日本に待たせた女のもとに帰るか。

コイントスのつもりで日本の女に電話をした。
もしも女が恋しくなれば日本に帰る。そうでなければこのままアフリカに下る。

結果はつかなかった。女は電話に出なかった。
やっぱりな、と思った。これでせいせいした、さあアフリカへの旅を続けよう、
と思ったとたんに無性に日本が恋しくなった。

そんな時、ふとした罠にまた嵌り込んだ。
同宿していた不良イギリス人たちの底意地の悪い罠に嵌り込み、
俺は再びこの最終地点であるはずのアテネの地で、
やり納め、あるいは最後っ屁、とばかり、
これまでの無軌道の集大成というぐらいに、
ありとあらゆるドラッグと女にまみれきってしまった。

まさにこの世の汚濁の沼に頭から沈み込むような、
まさにどろどろの日々を送りながら、
やれやれ、俺はもうこれで一生日本には帰れないな、と思っていた。

ドラッグが、セックスがまだまだ輝いていたころが懐かしかった。
すべてが新しい体験で、それが身体に入ってくるとたんに、
まさに世の中がキラキラと輝いて見えたものだ。

がしかし、ここアテネにおけるそれは、まさに沼だった。

これまでの苦い経験で、ドラッグがどれだけすみやかにそして確実に身体を蝕むか、
ということも知っていたし、そしてそれから逃れることが、割とまじで大変である、ということも十分に判りきっていた。
がしかし、沼の甘さはそんな自重をあっさりと蹴り飛ばしてしまう。
手を伸ばした先にそれはそこにある。
吸いさしの鞠花。何物かが焦げ付いたままの銀紙。そして血の固まったままの注射器。
酩酊して尻をまるだしのまま寝崩れている女たち。鳴り響くロックンロール。
それを沼と知りながらよりいっそう沼の中に嵌り込んでいく感覚は、
まさに自暴自棄以外のなにものでもなく、それはまさに、緩慢な自殺行為の感覚だった。

珍しく目の覚めた雨の朝。
今日が何月何日かさえなにも知らないまま、俺は足をもつれさせながらシンタグマ広場までの道を歩いた。
すれ違う通行人の誰もが俺を見ている気がしていた。あいつがおまわりだろうか。こいつがオトリだろうか。
そう思って顔を伏せながら背後ばかりに気をやって歩くことがすでに習慣とさえなりつつあった。

俺はいったいなにをやっているのだろう、と思った。
俺はいったいなにを求めてどこに辿り着こうとしているのだろう。

ストーンズ、ピストルズ、チェット・ベイカーとアート・ペッパーと、

そんなものが、もう心の底から本当の本当にまったくどうでもよいものに思えていた。

たかがドラッグじゃねえか。たかがドラッグ。それだけだじゃねえか。

嘗て知った旅行代理店でアテネで日本行きの片道切符を買った。

カイロ経由、バンコック経由の南半球航路のエジプト航空だった。

それで何時乗るの?と聞かれた。

いや、あの、と言葉に詰まり、そして怖気づいた。
いや、あの、できれば、一週間先、あるいは、二週間先。。

今日の便があるわよ、と言われた。今日の午後の便。

すべてを判りきったように、その旅行代理店の女は俺にそのチケットを薦めた。
早く出なさい。この街は貴方にはタフ過ぎるわ。

運命だな、と思った。

ホテルに飛んで帰り、未払い分の宿賃を踏み倒したまま再び旅行会社に駆け込んだ。
旅行会社の床の上に荷物をばらまき、ありとあらゆるところに隠し込んでいたもしも銭。
なけなしのキャッシュとそしてトラベラーチェックをかき集め、それでも足りない分をなぜかすんなりとおまけしてくれた。
それは好意のサービスというよりは、あんたみたいなクズが一人でもこの街からいなくなることはとても良いことだわ、と言われているような気がした。

そしてバスがやって来た。
乗り込もうとしたとたんに怖くなった、いや、あの、と背後を振り返った俺に、旅行代理店の女が顎をしゃくった。

もう帰ってきちゃダメよ、と言われているような気がした。

走りだした窓に映る冬のアテネの閑散とした風景。
お別れだった。これですべてがお別れのはずだった。不思議なことにセンチメンタルな気分はいっさいなかった。

ストップオーバーで立ち寄ったカイロの空港のホテル。

シックはその夜から始まった。
最初は風邪をひいたのだろうか、と思っていた。
鼻が抜けず、どうにも身体がだるく、
しかしどこか神経が妙に逆だっていて、
眠るに眠れないのである。
そんな中、薄明かりの天井を睨みながら、
そしてまんじりともせずに朝を迎えた。

俺はこんな状態で日本に帰るのか、と、
戻りかけた正気の中で呆然としていたところ、
機材の不備からフライトが延期になり、
そしてその後の一週間を、
俺は見知らぬトランジット・ホテルの一室で過ごすことになった。

足止めを食った乗客たちには、
お詫び代わりのピラミッド観光やらが用意されたらしいが、
俺にとってはそれどころではなかった。
風邪が長引いているのか、とそんなことを思っていたのだが、
次第に本当に熱が出てきた。
頭痛、発汗、発熱、吐気、から始まり、
そんな苛立ちが焦燥感に変わり、
恐ろしいほどの不安感が身を引き絞り、
世界が脅迫概念と恐怖のオブジェに覆われ始め、
俺はドアの前に椅子と机を積み上げ、
大きな灰皿をタオルでくるんでブラックジャックをつくり、
ベッドにはシーツのなかに枕をしこみ、
俺は飛び出しナイフとメリケンサックを持ってドアの脇に潜んでは、
そんなベッドに飛び込んでシーツを噛み千切りながら
枕に顔を伏せては悲鳴に似た絶叫を上げ続けた。

壊れかけたクーラーのたてるカタカタという音を聞きながら、
閉じた窓の外から漏れる光に怯えながら、
俺はその一週間のうちに旅の汚濁の全てを洗い流そうとしていた。

そして最後の夜。ようやくドアの外に出れる勇気が出た。
閉じられたドアの向こう、そのすがすがしい空気。
足元がどうにも落ち着かず、何度も壁に手を付いた。
腹は減っていたが食べたとたんに吐きそうで、
俺は吐気に耐えながらコカコーラだけを喉に流し込み、
そしてすごすごと部屋に引き上げた。

部屋のドアを開けたときの、あの空気。
あの壮絶な臭気を俺はまだ忘れていない。

まさに旅の汚濁の全てが、ベッドから部屋の壁から、
浴室からトイレにまでべっとりと張り付いている気がした。

こうして旅は終わった。

シャワーを浴び、髭を剃り、ついでに前髪も切って、
そして俺は、真人間として成田行きの飛行機に乗り込んだ。

なんだよ、あんまり変わってないね。でも少し痩せたかな?

それが日本で出迎えてくれた友人達が口を揃えて言った言葉だ。

もっと仙人みたいになって帰ってくるのかと思ったよ。

俺はははは、と笑うだけで、なにひとつとしてなにも言えなかった。

何度も死に掛けたよ、地雷を踏みそこねてさ。
AKも撃ったよ。てんで当たらなかったけどね。
世界中のおんなとやって、ドラッグと言うドラッグはすべてやったよ。

ただ、それがどうしたと言うのだ。

旅の間にあったこと、それを全て説明するには、日本という国はまさに絶望的なぐらいに平和だった。

ただ、旅の先で知り合った筋金入りのヒッピーを尋ねた時、

おまえ・・・と絶句された。

おまえ・・・行きつくところまで行っちまったんだな・・

いや、と俺は口をつぐんだ。そこまで堕ちたつもりはなかったわけではないけど・・でも実際には・・

おまえ、たぶんもう駄目だぜ、と面と向かってそう言われた。

もうさっさと諦めろ。早く日本を出る方法を考えるんだな。

無理に日本に順応しようとするな。もうお前は日本では生きていけない。日本のことは忘れろ。

もしその気があるのなら、アメリカに行かないか?
知り合いにたのんで、アメリカのグリーンカードを取れる方法を探してやるよ。
取れるまでは大変だろうが、それが唯一の方法だ。
さもないとお前・・まじで、

まじで??

つまりその、まあ、良くて刑務所か、さもなくば病院ってことになるだろうな。

誘われて行った彼のアパート、というよりは下宿。
代々木上原から徒歩20分。
風呂なしトイレなしの木造二階建て、家具もテレビもなにもないがらんどうのその部屋で、
久しぶりに毬花を喫った。

ハッピー、どころか、泣けてきた。これまでの旅のこと。そして辿りついた日本という我が母国のこの風景。
そして、その後の俺の行く末を思って、さめざめと泣けてきた。

帰ってこないほうがよかった・・・帰ってこないほうが良かった・・帰ってこないほうがよかった・・・

やっぱり、北海道産はだめだな、とそのヒッピーは笑った。おまえ、つくづく日本とは波長が会わねえんだな。

日本を出たのはそれから二年後だ。

その間に、もう金輪際、この国にはぜったいに帰らない、というぐらいに無茶苦茶に嫌な思いをさせてもらった。

そしていま、俺は既に出がらしとなった人生を、ここニューヨークで生きている。

そんな出がらしの素浪人にも、この街はなぜかやさしい。

ちなみに、ドラッグであるが、俺はここ10年あまり、ドラッグにはまったく、いっさい手をつけていない。

その気になればいつでもなんでも手に入る。
誘われることもあるし、手渡されることもあるし、あるいは、自分でやらなくても、まわりの空気がもうむんむん、
という場所を出入りしてきたが、しかし、俺は不思議とそれを断ってきた。

なぜだろう、と自分でも思う。

がしかし、そう、まったくその気にならないのだ。
気分も、そして身体も、もうすでにドラッグなんてものはいっさい魅力も必要も感じていない。

これもまたなにかの罠なのかな、と思わないでもないのだが、
あるいはもう5年もするとまた狂ったようにそれにはまり込んでしまうことにもなるのかもしれないが、
しかしこの10年、俺の身体はまさにクリスタルクリーン。

やり過ぎたんだよ、というのが古くからのダチの言葉だ。

お前はまったく極端だからな。

カレーが好き、となったら毎日三食カレーばかり、なんてところがあるだろう。

と言う訳でそう、季節はすでに終わってしまったのだろう、と思っている。

とそんな時、最近日本から帰って来た某NGO団体の女性と話す機会があって、
でそう、どうした訳か、ドラッグの話題になったのだ。

ニューヨークはいいなあ、クリーンで、と言う。

クリーン?ニューヨークが?

そう、クリーン。ドラッグの匂いがぜんぜんしないし。

日本ねえ、凄かったよ、ドラッグ。老若男女。まさに狂ったように、ドラッグやりまくりって感じ。

まさか、と俺。まさかあの日本が?

そう。凄いわよ日本のドラッグ。

あんたの周りだけだろ?不良外人の周りにたまたまそんなのが集まっただけだろ。

まあそうなのかも知れないけどね・・・脱法ドラッグから始まって、
ピルからアシッドから、毬花コケインスピードヘロインエクスタシー、
抗欝剤から睡眠導入剤から、なにからなにまで、
まさに、なんでもかんでもって感じ。

おやおや、と俺、なんかそれ、まるでそう、海外に出たばかりの俺のようではないか。。

まさに、ドラッグ開眼元年からますますの暴走を続けているという訳か。

やれやれ、である。それを既に越えてきてしまった俺として・・まさに・・苦笑い・・

まあ確かに予想はしていた。
つまりそう、それは嘗ての俺。

ドラッグと言うものにまったく免疫がなかった分、何も知らずに暴走してははっと気づいたときには深みにはまっているのだ。
そう、免疫のなさ、まさにそれだろう。
つまり、これが日本に入ってきたら・・と旅先で俺はふと考えたなことがある。
つまり、それ、まさに大変なことになるだろうな・・


ただね、と俺は最後に言いたい。

がしかし、まだまだ大丈夫だよ、実は。

アンパン、そう、シンナーに手を出さないかぎり、人間早々と死ぬものじゃない。
もしも、そんなドラッグミーハーが、えええい、面倒くさい、
恥も外聞もあったものか、俺はもう、アンパンに返り咲く、
とけつをまくったとき、日本の本当の崩壊が始まる。

それだけは言っておく。

ちゅうわけでなんだ、脱法なんだかだか知らないが・・やれやれ、まだ若いね、という感じ(笑

俺もちょっとはそんなちゃめっけな気分を思い出してみたいものだ、とちょっとうらやましくもある。



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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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