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ALL IS LOST  ~ 漂流の美学

Posted by 高見鈴虫 on 22.2014 読書・映画ねた   0 comments   0 trackback
最近勉強ばかりで誰とも会話がなく、
そうこうするうちにどうもヒヤリングから始まって英会話の能力が落ちて来ているぞ、
と思い始めた。

で、たまには映画でも観てみようか、と思い立った訳だ。

幸いにも日々の勉強は図書館でやっているわけで、
つまりふと目を上げればまさにそこはDVDの山。

いったいどうしてこれだけの映画を作る必要があったのか、
というぐらいにこれでもかという映画映画映画の山である。

で、勉強の合間、息抜きがてらにそんなDVDコレクションを覗いてみる。

どうせ図書館というぐらいだから1930年代のサイレント映画や学術研究の
なんてものばかりかと思えば、いやいやそこはニューヨーク。
去年封切られた話題作なんてのも沢山あって、
それこそNETFLIXに会費を払ってDVDを借りるのが馬鹿馬鹿しくなる。

がしかし、浪人中の身の上、そうそうと映画ばかり観ているわけにもいかず、
まあ一本二本ぐらいなら、と目に付いたものをPICKして再び勉強机に戻った。

ちゅう訳で、何の気なしにPICKした映画。

ALL IS LOST という映画。

ALL IS LOST


たったひとりヨットで大海を航海する老人が、事故に合い嵐に合い、救命ボートで遭難し、という話。

実は俺は「遭難マニア」で、海山に限らず遭難に関する文献・映画があると必ず目を通してしまう、
というおかしな性癖がある。

人間の極限というか、まさにたった一人の力でどのように危機を脱しえたか、
そして敗れた人間は何ゆえにそれに敗れたか、
どの遭難を取ってみてもなかなか興味が尽きない。

で、この ALL IS LOST ~ オール・イズ・ロスト、
また、最後の手紙、なんていうどうしようもない副題がついているらしいが、
ってことあ日本でも封切られたのかな。

出演者はロバートレッドフォード一人。
既によぼよぼに近い年齢の筈のこの老人がヨットに一人、
次々と襲い掛かる困難に孤軍奮闘する訳だが、
こと遭難マニアの俺としてはとても楽しめた。

のだが・・・

この映画、言わせて貰えば、セリフがなにもない。

冒頭の、遺書を読み上げるシーン、からその後、クソッタレ、と怒鳴る、以外にはなにも、
そう、なにもセリフがないのである!

そう、人間ひとりでいるときにはあまり言葉を発しないものだ。

一人でいるときに言葉を発する、つまりは独り言の人、はやはりどこかおかしい人な訳で、
つまりそれは「弱さ」の露呈である。

強い人間は基本的に一人でいるときには喋らない。

なにも語らずにただ黙々とやるべきことをやっていく海の男の姿、
その徹底的な「無言」にまさに「強靭さ」を感じる訳だ。

という訳で、なんだよ、と思わず苦笑い。

ぜんぜん英語の勉強にならねえじゃねえか(爆

がしかし、で、ふと思い当たった。なぜ俺はこの映画を観たかったのだろうか・・

つまりそれ、今の俺がまさに、遭難中であるから、なのではないのかな、と。

俺が始終無言であるのは、まさに俺はニューヨークというこの人の海の中で、
たったひとり、黙々と、やるべきことをやり、そして嵐に備えている、のではないか。

ニューヨーク漂流か、とふと考える。
確かに割りとそんな感じかもしれない。

そう言えば昔、そういう本があったな、と思い出した。

そう、それはまさに、藤原新也の「東京漂流」である。

東京漂流

で、あらためて、藤原新也は、なぜ敢えてこの「漂流」という言葉を使ったのか。

つまり、そう、藤原新也も、まさに「遭難者」だったのだ、と思い当たった。

80年代、アジアでの長き放浪の旅を終えて母国に帰った藤原新也。
がしかし、バブル狂騒に沸く日本のどこにも自分の居場所を見つけることができなかった藤原新也が、
しかし、彼がこれまで世界各国を旅、放浪、つまりは、たったひとりで航海をしていた、
まったくその方法で、日本という母国で遭難し、そして「漂流」していたのだ。

まさのあの村祭り的日本文化の中において、たったひとりの遭難者としての藤原の視点が、
しかしそこには黙し続ける男の強靭さ、その単独航行における「個」としての「生存」への執念こそが、
あの「東京漂流」のパワーそのものであったのだな。

ちなみに俺は、大学中のアルバイト先の、その近所にあったラーメン屋の棚、
古新聞古雑誌にまぎれて置き忘れられていたこの「東京漂流」。
俺はバイトの昼飯時、あるいは、残業の合間のラーメン屋のカウンターで、
この本を読み始め、そして読了した。

うっし、俺も世界放浪にでかけるか、と思い立ったのも実にこの本がきっかけだったか。

いや、違う。
俺はこの「東京漂流」を読み終わるやいなや、もういても立ってもいられずに、
バイト先で貰った給料袋を引っつかむや、そのままほぼ無一文に近い形で日本を飛び出てしまったのだ。

あれから幾十年。そして俺は、いまだに航海を続けている。

このニューヨークという街に思わぬ長居、つまりは「沈没」をしているが、
それはこのニューヨークとい街が、世界そのものであるから、なのだ。

俺はそんな世界の箱庭であるニューヨークという街の人の大海の中で、しかしいまだに「漂流」を続けている。

つまり、一人黙ってモクモクと、やるべきことをやり、誰をも頼らず、何にも属さず、
船に持ち込む物は極力最低限に抑え、ありあわせの非常食ばかりを喰い、そして嵐に備える日々。

良いときもあれば悪い時もある、が、それはすべて己の胸のうちの中に認めるだけ。
メールや電話で古き友と「通信」をすることはあるが、このヨットに人を招くことは稀だ。

つまりそう、俺はこのニューヨークにおいてもいまだに「漂流」を続けている。
不要な独り言も、愛想笑いもせず、ただもくもくと、己一人の航海を続けているのだ。

という訳で、このALL IS LOST。

いったいこの老人は、たった一人で海を旅しながらなにをしているのか、どこに向かっているのか、
その目的はなんなのだ、と思った疑問、

つまり、それ、俺じゃねえか、と。

つまり、そう、人間ってそんなもんなんだよ、とも思っている。そして俺ってつまりそういう人間なんだな、とも思いをあらたにした。


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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