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「地下鉄のラブラドール・リトリーバー」

Posted by 高見鈴虫 on 25.2014 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
先日地下鉄に乗ったところ、混んだ車内に盲導犬が乗っていた。

クリーム色のラブラドール・リトーリーバー。

ちょっと緊張した面持ち。
ご主人の膝に身体を寄せるようにして、
お行儀良くきちんとお座りをしている。

その妙にかしこまった様がたまらなく可愛い。



思わず頭を撫で撫でしたくなるが、
犬はお仕事中である。
邪魔をしてはいけない。

そんな思いは俺だけによらず、
車両に乗っていた人々、
ついついそんな仕事中のラブラドルの姿を目で追っては、
そして思わず顔を伏せてニコニコ。

だが子供は正直で、幼稚園生ぐらいの女の子、
うわあ、ワンコだ、可愛いい、と手を出しそうになって、
慌てておかあさんから窘められている。

駄目駄目、わんちゃんはお仕事中なんだから、邪魔しちゃ駄目よ。
とは言うものの、このおかあさんも大の犬好きと見える。
可愛いわねえ。偉いわねえ。
あのわんちゃんは目の不自由な人を助けているのよ。
立派なわんちゃんねえ、とへろへろである。

でそれとなく、盲導犬を連れている人を見る。
初老の男性。
がどうも、その主人は盲人ではなさそうである。

なぜならそんな和やかな空気の中、
ただひとりちょっと厳しい目で我が犬の動向を観察している。
つまり、盲導犬の訓練士ってことか。

ってことは、この盲導犬、たぶん実地訓練中、
あるいはテスト中ってことなのか。

で、あらためて盲導犬を見ていると、
やはりどことなく頼りなさげ。

この人ごみでかなり緊張気味に
忙しなくあたりに視線を飛ばしては、
赤い舌を覗かせた口を開けて、
ハッハッハッと、浅い呼吸を繰り返している。

そんな時、いきなり車両がガタンと揺れた。

ああやれやれ、また故障、あるいは事故であろうか。

改めてニューヨークのこのポンコツ地下鉄。
乗るたびになんだかんだで故障が起きる。
ガタンと停まったが最後、
まるでそのまま事切れてしまったかのように、
うんともすんとも言わないまま、
例によって車掌からは何の説明もない。

やれやれ今日はついてないな。
乗客の中に苛立ちと溜息が広がる。

とそんな時、盲導犬と目があった。
瞳の中に困惑が見える。
いったいどうしたの?
この盲導犬も不安なのである。

大丈夫だよ、と笑いかける。

すぐに動き出すから大丈夫。

目があって盲導犬の表情が和む。
それを見て俺もちょっとほっとする。

やれやれだね。
でもニューヨークの地下鉄ではよくあることなんだ。
この街の地下鉄はすごくよく停まる。
そして一度停まったら、いつ走り出すか誰にも判らない。
まるで通り雨のようなもの。
そんなときには下手にうろうろせずに居眠りでもしているか、
あるいはIPHONEでゲームでもしているに限る。

だが、そう、盲導犬は仕事中だ。
居眠りをする訳にもIPHONEでゲームする訳にもいかない。

ねえどうしたの?と先の女の子がおかあさんの手を引く。
どうしたのかしらねえ。また何かの故障かしら。

5分が10分となり、押し黙った乗客たちに苛立ちが募る。
溜息が舌打ちに変わり、手元のIPHONE、
つながらないのは判っていながら、
一心不乱に呪いの言葉を打ち込んでいたりする。

とそんな時、盲導犬がくーんと鼻を鳴らした。

その瞳に怯えが宿り始めている。
だが盲導犬は地下鉄の動かないことに怯えているのではない。
つまり、苛立ちの充満したこの車内の空気に怯えているのだ。

俺は再びそんな盲導犬の顔を見る。
大丈夫だよ、と目で話しかける。
なにも怖がることはないよ。
そんな俺に縋りつくような視線を送りながら、
盲導犬が再びくーんと鼻を鳴らす。
訓練士がそれに気づいて、ちょっと手綱を引く。
と同時に、はい、と背筋を正した盲導犬。

偉いなあ、と関心する。
これがうちの犬だったら・・
多分必死の表情ですがり付いてきて顔中舐め舐め、
あるいは、下手をすると周囲の乗客に吠え始めていたかもしれない。
犬はまさに人間の心の鏡である。
周囲の不安や苛立ちの全てを吸い取ってしまうのだ。
盲導犬が再び鼻を鳴らす。
訓練士が手綱を引いて、
ごつい金具がかちりと鳴る。
はっはっは、と荒い息をしていた盲導犬、
落ち着きなく周囲を見渡しながら、
ねえ、どうしたのどうしたの、どうしてみんなそんなにイライラしているの?
と見るからに不安げである。

と、そんな盲導犬に、
となりで新聞を読んでいた女性がさりげなく手を伸ばす。

多分同種のラブラドールを飼っているのだろう、
いかにも慣れた様子で耳の後ろをこりこりと掻いてやる。
盲導犬の緊張がみるみると解れていく。
盲導犬はその手を、ありがとう、とぺろりと舐めて、
片足を上げて、ねえもっともっと、と催促。
ふふふ、はいはい、と笑いながら女性客、
偉いわね、お仕事ご苦労さん、と頭を撫で撫で。
盲導犬の瞳にぱっと輝きが灯る。
ねえもっと撫でてと、鼻先を押し付けて、
身体をくねらせながらさかんに尻尾を振っている。

可愛いなあ。盲導犬と言えどもやっぱり犬なんだよな。

それがきっかけとなって、周囲の人々の緊張が緩む。
周囲の人々、それとなく、ではあるが、
そんな盲導犬の頭をあるいは身体に手を伸ばしてちょいちょいと撫でようとする。

くくくく、と身体をくねらせて喜ぶ盲導犬。
だが訓練士は敢えてなにも言わない。

そう、訓練の一環として、見知らぬ人から身体を撫でられても大丈夫であることを、
確認しているのだろう。

がしかし、見るところこの盲導犬、この仕事にはちょっと若すぎるようだ。
周囲の和んだ雰囲気に喜んで、訓練中の緊張が解け始めている。
だが、そんな事情もお構いなしに、
暇に任せてそんな盲導犬に手を伸ばす人々。
いまではもう誰も彼もが手を伸ばしては、
あからさまにゴシゴシと頭を撫でて、
そんな人々に盛んに尻尾を振って答える盲導犬。
振られた尻尾が訓練士を足をパタパタと叩いている。
そんなラブラドルをきっと厳しい目で見つめる訓練士。

だがそう、さっきまでの苛立った車内の雰囲気が、
少なくともこの盲導犬の周りだけは癒しのオーラで包まれている。

犬は凄いな、と改めて思う。
普段は不愉快でたまらないこの地下鉄の車内が、
犬が一頭でも乗っているだけでその雰囲気が一瞬で癒される。
それはまさに魔法を見るようだ。

そしてこの車内。盲導犬のオーラに浸された人々。
故障で立ち往生の車内に、なんと笑顔が満ちている。
もうその表情はさっきまでの不安は一掃されて、
まさに輝くような笑顔でいっぱい。

可愛いわねえ。名前はなに?いくつ?男の子おんなのこ?

そんな盲導犬の身体にいまや数人の手が伸びている。
わざわざ人垣の向こうから犬を触りに移動してくる人まで出始める。

こちょこちょこちょ。気持ち良いかい?だったらここだ、こちょこちょ。ここはどうかしら、撫で撫で。

くっくっく、と身を捩る盲導犬。
くすぐったいくすぐったい、といまや子犬の顔で目を輝かせている。

そんな盲導犬の姿を見るともなく目で追いながら、
で、それとなく訓練士の動向をうかがう。

車内で唯一、そんな盲導犬の癒しモードに厳しい目を向けている訓練士。
むむむ、やばいな、と俺はそんな盲導犬を気遣う。
いまや盲導犬は、ねえもっと撫でて撫でて、と甘えん坊モードに入って来ている。

そしてついに、先の女の子、、もう辛抱できないという風に、
こともあろうにそんな盲導犬の身体にいきなり抱きついては、キャッキャとはしゃぎ始めた。

身体をくねらせながら尻尾を振ってそんな女の子に答える盲導犬。

いまや立派なセラピードッグ、あるいは普通の愛玩犬そのもの。

女の子の顔をぺろぺろ舐めながら、ねえ遊ぼう遊ぼうとはしゃぎ始めている。

思わず訓練士の表情を伺う。
相変わらず厳しい表情である。

その訓練士に、ねえ、この子の名前はなに?と女の子が聞く。

この子の名前はマックスだよ、と訓練士が答える。
君の名前は?

わたしはカレン。

ハロー、カレン、とご挨拶。マックス、カレンにご挨拶、と言われた盲導犬、
少女のほっぺたに、ちゅっと鼻先をくっつける。

きゃっきゃっきゃ、とはしゃぐ女の子。

なんで地下鉄に乗っているの?とカレンが聞く。

この犬はガイドドッグの生徒なんだよ、と訓練士が答える。
目の不自由な人を助けるための盲導犬になるんだ。

ねえ、マックスがガイドドッグになりたいって言ったの?
いや、犬は話ができないからね、とちょっと口篭る訓練士。
そんな訓練士に周囲に微笑みが広がる。

でも、マックスはとてもお利口で立派な犬だからね。そういう仕事ができる才能があるんだ。

だれが決めたの?

つまりおじさんたち訓練士がそう判断したんだよ。

でもマックスが本当にその仕事をやりたいって言ったの?

思わず車内に笑いが広がる。

そうだそうだ、犬の自主性はどうなんだ。動物虐待ではないのか?誰もが耳をそばだてている。

うん、マックスはこの仕事が大好きなんだよ。ほら、こんなに喜んでいる。

周囲の視線を一身に浴びたマックス。
ちょっと誇らしげに大きく口を開けてニコニコと笑っている。
でも、とカレンはまだ納得のいかない風だ。

でもマックスは本当にこの仕事が好きなの?だってうちのココなんてね、と自分の犬の話を始める。

いつも寝てばっかりいて、私のこと噛んだり吠えたりするけど、いつも一緒に寝ててすごく可愛くて、でもわたしのおもちゃをすぐに取っちゃうから嫌いな時もあって。。

はい、もう十分、とおかあさんが女の子の手を引く。あんまりマックスを困らせちゃ駄目よ。

なんかかわいそう、とカレンが言う。本当はもっと遊びたいのに。マックスが可愛そう。

そんなカレンに、訓練士が答える。

これはね、仕事なんだ。
マックスにはその能力があって、その能力で人々の力になろうとしているんだ。

でもうちのココはそんなことしなくてもいいんだよ。うちでおやつ食べて寝るだけだよ。

車内に笑いが広がる。
そう、うちの犬もそうだ。一日中寝ているだけでおやつをせがむだけだ。

ねえ、なんでマックスだけ仕事してるの?なんで働かなくっちゃいけないの?

それはね、マックスがそれを求められているからなんだよ。
人々がマックスの能力を必要としているからなんだ。

でも、マックスは、と盲導犬を見やる女の子。

としたとき、訓練士が、こほり、と咳払いをして、そして背筋を正した。

いいかい、この世界、人もそして犬も猫も、何かのためになるために生きているんだ。
このマックスは、こうして目の不自由な人のためになるために生きている。
みんなそうやって、誰かのためになるために生きているんだ。

おじさんもそう?とカレンが聞く。

そう、おじさんも誰かのためになろうとしている。そしてこうしてマックスの先生をしているんだ。

おじさんはマックスの先生なの?

そう、おじさんはマックスが目の見えない人のために働けるように、こうやって一緒に訓練をしているんだ。

それがおじさんの仕事?

そう、それがおじさんの仕事だ。

おかあさんは?とカレンが聞く。

君のおかあさんだってそうだよ。おかあさんというとても大切な仕事をしている。
そしてこの電車に乗っている人たちもみんなそうなんだ。
そうやってみんな誰かのためになるようにとても大切な仕事をしている。

へえ、とカレンが言う。
その、へえ、に思わず笑いが漏れる。

訓練士は続ける。

自分の力が誰かのためになるってことは、とてもとても大切なことなんだよ。
そしてそれはとても幸せなことなんだ。
そしてこのマックスが、こうやって目の見えない人のためになることができるということは、
とてもとても幸せなことなんだよ。

じゃあココは?と聞くカレン。
うちのココはなんのためになっているの?

それはね、ココは君を幸せにするために生きているんだよ。カレンちゃんはココと一緒に遊んで幸せでしょ?

うん、と答えるカレン。ココ大好き。

うんうん、と頷く訓練士。

君も、カレンちゃんも大きくなったら沢山の人のために働く人になるんだよ。
誰かのためになることができるというのはとても幸せなことなんだ。

うーん、と車内の人々が唸る。
思わず拍手。そして、誰もが耳が痛いと苦笑いを浮かべている。

そっか、マックスは幸せなんだね。そして立派なんだね。
それに引き換え・・・と誰もが互いの顔を見合わせる。

俺は、あんたは、盲導犬ほど誰かの役に立っているだろうか。

ただ自分のやりたいことをやりたいようにやるために生きているだけ、
ただそれだけなのではないのだろうか。。。

いまさらながら、目から鱗だった。

という訳で、誰もがあらためてそんなマックスの姿を見やる。
なんとなく、このクリーム色のラブラドル・リトリバーに後光が刺しているようにも見えてくる。

人はみな、誰かのために立つためにこうして生きているんだ。
それはとてもとても立派なこと、そして幸せなことなんだ。

その時、がたん、と地下鉄が動いた。
そうこうするうちに地下鉄がタイムズスクエアの駅に滑り込んでいく。

したとたん、マックスの表情から甘えが消えた。

さあ、と促されて、さっそうとして開いたドアからプラットフォームの中に足を踏み出す。

立派だ、と誰かが言った。
しっかりと誰かの為になっている。なろうとしている。

うーん、と唸る人々。思わず拍手が響く。

そうかあ、俺たちはみんな誰かの為になるために生きているのか。。

このニューヨークの地下鉄の中にあって、
その言葉にまるで目が潰れそうなほどに、
眩しい光りを見たような気がした。


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

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このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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