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ゲットー・テニス

Posted by 高見鈴虫 on 02.2014 テニスねた   0 comments   0 trackback
俺がテニスを始めたのは、テキサスの貧民アパートに住んでいた頃だ。

俺は日本に居た時はパンクロッカーであった訳で、
ことテニスというイメージからはもっとも遠いところに暮らしていた人間だった。

そんな俺がテニスを始めたのは、まさにアメリカにやって来たからである。

訳あってテキサスの片田舎に辿り着いてからというもの、
その茫漠たる風景と、貧困とキリスト教と人種差別以外なにもないようなこの土地で、
まさに腐りきっていた。

心底、このアメリカというところにやってきた選択を悔やんでいた。
このアメリカ、あるいは、テキサスという土地、そしてその風景が、
まさに苦々しくも心の底から憎みきっていた。

という訳で、せっかくアメリカにやってきたというのに、
友達にいず、なにもすることがなく、暑い暑いと文句を言いながら、
休日は家で寝てばかり。

とそんな時、かみさんがいきなり、テニスをやろうよ、と言ってきた。

その当時暮らしていたアパートの端にゴミの積もったテニスコートがあった。

テニス・コートがあるぐらいだから高級か、というと全然そんなことはない。

アメリカには津々浦々、どこに行ってもテニスコートが存在する。

たとえどんなに貧乏なエリア、事実俺たちの暮らしていたアパートも、
お世辞にも高級感からは程遠い、まさにどこもかしこもゴミだらけの、
枯れた芝生とさびた車が放置された、まさにゲットー以外のなにものでもなかった訳で、
そんなゲットーの風景の中、無人のままに長らく放置され続けているテニスコート。
その荒れ果てた風景こそがアメリカの貧困の姿そのものであったりもした。

という訳で、アパートのテニスコートである。
いつ見ても無人のテニスコート。ネットは垂れまくり、枯葉積もりまくり、水溜りだらけで、
まるで見捨てられた沼地のように、気味の悪い虫が這い回っている。

俺たちのテニスはこのテニスコートを掃除することから始まったのだ。

だがしかしながら、テニスである。
元パンクロッカーの俺がなにが悲しくてテニスなどしなければならないのか。

がしかし、聞いたところによると、
うちのかみさんは元々日本にいるときから、やれFILAだ、エレッセだ、
とそんな人々とテニスをやっていた経験のある人であったらしく、
一応、ラケットの持ち方、ぐらいの知識はある、ってなことで、
という訳で、スポーツ店で買ってきた一番安いラケット。

最初はフェンス越えのホームランやら、空振りやらを連発していたのだが、
そんな俺たちを観るともなしに観ていたアパートの住人たちが、
これはもう、見てられない、ということなのか、
あるいは、いくらなんでもこいつらよりはましだろう、と舐めてかかってきたのか、
あるいは、普段からあまりの下手糞さにテニスをやるのが恥ずかしくて、
と言った手合い、つまりは、普通のアメリカ人たちが、
ひとりふたりとテニスコートにやってきて声をかけるようになり、
ねえ、なら一緒にやろうよ、となったのだが、
いつしか、それまで長らくゴミだらけの放置状態だったテニスコートに人々が集まるようになってきた。

その当時、仲間うちにまともにボールが打てるのはかみさんだけで、
そんなかみさんは、当時メキシコ系のTVで放送されていた大場久美子のコメットさん!
の影響で、シニョリータ・コメッテとして知られるようになっていた。

シニョリータ・コメッテのテニス教室。

街外れのゲットーアパートの一室で寝てばかりいた人々が、
テニスコートから響いてくる嬌声に誘われるように集まって来ては、
触ったこともないラケットを振り回し初めては、
いつしか全身汗だくになってボールを追いかけはじめる。

そうこうするうちに過去にテニス選手であった住人がコーチを引き受けてくれて、
バックハンドどころかサーブもろくにできなかった連中がめきめきと腕を上げ始め、
それに誘われるように外からもテニス好きの連中が訪ねてくるようにもなった。

という訳で、妙に人が集まり始めたこのゲットー・アパート。

隣りにあったこれも水が枯れたまま放置されていたプールもみんなで大掃除に取り掛かって、
枯れたままビニール袋の花を咲かせるままだった植木に緑の芽が吹き始め、
ゴミ捨て場にあった椅子やテーブルを並べるうちに、
いつの間にか、かのゲットーアパートの中庭がまるでリゾートホテル。

夜な夜なランタンからラジカセを持ち込んでは、
コートの順番待ちの時間にプールサイドでビールを飲みながらハッパを巻いて、
とやっているうちに、そのうちどこからともなくビキニのお姉さんの軍団が押し寄せてきて、
いつしか中庭は夜な夜なテニスパーティで大盛況。

それまで、アメリカにやってきて以来、
英語もろくにしゃべれず誰とも知り合いのいなかったこのゲットーアパートで、
ちょっと窓から顔を出しただけで、そこかしこから、へい、テニスやらないか、やら、
プールでパーティやってるからおいでよ、と誘いがかかるようになって、
いつしかアパート中の人間で知らない者はなし。
互いの部屋を訪ねあってはやあやあやあ、と過ごすうちにまさにアパート中が長屋状態で、
いつしか我が家はそんな人々の溜まり場となっていた。

右も左もわからなかった俺たちがこのアメリカという場所に居つき、
そして、アメリカっていいなあ、本当にいいところだな、と思えるようになったのは、
まさにこのゲットー・テニス。
そう、全てはこのゲットー・テニスから始まったのだ。

そして俺にとって、テニスとはつまりはそういうものなのだ。

いう訳で、いまさにテニスだけはちっとも上手くならないが、
おかげさまでどこにいっても友達だけは山ほどいる。


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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