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ニューヨーク・ファッション・ウィーク ~ 山の修験者とスーパーモデル

Posted by 高見鈴虫 on 11.2014 ニューヨーク徒然   0 comments   0 trackback
ニューヨークはファッション・ウィークである。

ファッション・ウィークだからと言って、
別にすべてのニューヨーカーがおしゃれをしなくてはいけない、ということではもちろんない。
ただたんに、リンカーンセンターにおいてファッション・ショーが行われている、ということなのである。

まあいずれにしろ浪人中の俺の知ったことではない。

ただ、そう、リンカーン・センターである。

よりによって俺の通っている図書館が、そのファッションショーの会場に隣接したりしている訳だ。

ここのところ失業中である俺は、
浮いた気持ちは厳禁、とばかりに日夜、固く固く心を引き締めて過ごしている。

どれほど、夏の装いに身を包んだ美女たちのその柔肌が輝いて見えたとしても、
脇目もふらずなりふり構わず、ただ我武者羅に資格試験の勉強に励むこと、
つまりは禅修行中の修験者、山籠もりのような心境な訳である。

山籠もりした修験者が外見の見た目、つまりはファッションなんてものに気を回す、
なんてことはまずないだろうことからも、
この俺、例え世界の中心・ニューヨークのそのど真中に暮らしながら、
果たして自分でも呆れるぐらいに徹底的に見た目に気を使わないスタイルで通している。

ともすれば、犬の散歩用の服、
汚れても良く、動き易く、そしていつなんどき、泥だらけの足で飛びつかれても、
涎だらけの舌で舐め回されても、時として引っ掻かれ、噛み付かれ、
ことによるとうんちなんてものをくっつけられたとしても、
ははは、お前ら元気でいいや、と笑って済むような、そんな服、
そんなドッグラン仕様の出で立ちのまま一日中を過ごしてしまう、ということもありな訳である。

つまりはそう、そんな俺にとっては、ファッションなんてものはまさに異次元の出来事、
最初から最後まで、まったく関わり合いのない、別世界の話、に過ぎない訳だ。

とそんなわけで、今日も今日とて図書館の机、
そんな他人の目をまったく憚らぬ暴虐武人なホームレスルックに身を包んだ俺。
一心不乱に顔を埋めたLAPTOPの画面に並ぶ、まさに呪文のように意味不明な解説文に四苦八苦しながら、
ああ、くそったれ、首がいてえ、と顎を上げた刹那、

なんとなく、むむむ・・・・

なんかいま、変なもの見なかったか?

で、改めて目を凝らしてみれば、いきなり、その目の前、まさに目と鼻の先に、
思わず、むむむ、と唸ってしまうような、
とてもこの世のモノとも思えないほどに美しいなりをした人々。

つまり、そう、ぶっちゃけ、あなた、たぶんファッション関係の人でしょ?
と思われる、どころかそれ以外にはありえない、おしゃれでシックな人々。
そしてこともあろうに、この山篭りの最中である禅修行者の周りを、
そんなまさに、人間の枠を完全に超越したスーパーマネキンモデルのような人々が、
とり囲んでいたりもする訳だ。

で、このファッション関係者。

言わずと知れたファッション・ウィークの関係者である訳なのだが、
そんな人々が図書館にやってくる理由というのが、
別にファッション・ショーの合間に読書に勤しみに来た、なんて筈もなく、
端的にいってIPHONEの充電。

どうもファッション・ショーの行われている会場には、インターネットアクセスが、
そして、IPHONEの充電のできる場所が用意されていない、ようなのである。

この21世紀、例えファッション業界者と言えども、インターネットは必要である。
フェースブックからツイッターは言うに及ばず、
メールも書けば、新聞も読むし、業界紙への絵柄の転送だって必要だろう。

そしてIPHONEである。

例えそれがスーパーモデルであったとしても、
そして、例えどんな服を着ていたにしても、
ヒトタビそれが人類である以上、IPHONEはまさにライフ・ライン、
生命存続の為の必携アイテムな訳である。

という訳で、果たして、このファッションショーに出演している方々のお洋服、
で、IPHONEはいったいどこに入れるわけ?
ということを、ファッションデザイナーの方々は考慮しているのだろうか?

IPHONEに対応していない服、
それこそまさに、仏作って魂入れず。
服は作れど、IPHONEを入れるポケットがない、のでは話にならない。

なんてことを考えながら、いかんいかん、勉強勉強、と頭を振るも、
そこかしこから漂ってくる、夢の様に刺激的な芳香。

で、なんだなんだ、この毒ガスは、と思わず目をやれば、
その視界の先に、むむむむ、と思わず視線がそのまま氷ついてしまうような、
まさに目を瞠るような神々しいまでにお美しいモデル様たちのお姿がある訳だ。

その艶かしさ、いやはやまったく、なのである。

髪を掻き毟りながら目を血走らせて修行に励むこの禅修験者の周りを囲む、
この美女たち。まさに、夢、というよりは、化け物、
つまりは妖怪变化にも近いような、限りなく美くしい創造物。

これはまさに、悪い冗談以外のなにものでもない。

という訳で、改めてこの美人妖怪の方々。

白人、黒人、ラテン系と人種は様々ではあるのだが、
痩せ型長身、とそしてまさに、一部の隙もないようなそのメイクアップ。

見れば観るほどに目が潰れそうにまで眩いその姿。

この歳になると、
あああ、もうこんな女と一発できるながら、何もいらない。何がどうなっても知ったことか!
なんて気持ちにさせられる女を見かける機会はさっぱりなくなってしまったのだが、
いやはやこの美人妖怪、思わず血迷ってむしゃぶりついてしまいたくなる、
というよりは、
やはり、ガラスケースの中に入れて陳列したくなるほどに、
まさにその存在自体が芸術品の域、な訳である。

で、改めて、なにがそれほど綺麗なのか、と、
思わず普段の図書館の常連である周囲の人間達と見比べてみる。

隣で新聞を読むシワだらけのおばさん。
受験勉強中なのであろう、失業中らしき元OLの残骸。
伸びたスポーツウエアから半尻をのぞかせた女子大生風。
ホームレス・シェルターから抜けだしてきたような挙動不審の黒人のおババ。
首から下は刺青だらけ、首から上は余す所なくピアスだらけのパンクの姉ちゃん。
あるいは、そう、もう見るも無惨なほどにまで醜悪としか言いようのない、
この男、という生物。。。

まあ普通一般的な意味では別にそれほど「ひどい」という訳でもないのだろうが、
その綺麗さのレベルにおいては、やはりこのファッション・ショーから抜けだしてきたようなお姉さま方、
どう考えても同じ種族とは思えず、そう、やはり異生物、と考えたほうがしっくりとくる、程の違いな訳である。

がしかし、なのである。
このリンカーン・センターの図書館。

場所柄もあって、普段から、図書館、という場所にはまさに似つかわしくない、
あるいは、宝の持ち腐れ、と思えるようなとんでもない美人、あるいは有名人が、
割りとそっけなくなんでもなく、鼻の頭を搔きながら、爪を噛みながら、あくびを噛み殺しながら、
本やらCDやらDVDやらを抱えていたりもするのだが、

そんな中で、ひときわ目を引くのが実はバレリーナであったりする。

バレリーナという人種は本当に美しい生物である。

このリンカーンセンターの図書館。
オペラ・ハウスであるメトロポリタン劇場、
及び、クラッシックの殿堂たるアベリー・フィッシャーホール、
そして、ニューヨーク・シティー・バレーの根拠地である、デビッド・コッチ・シアター、と、
そしてそんな芸術の神域を目指すアーティストの卵たちの最高峰・ジュリアード芸術院に囲まれた一角に位置する訳で、
そんな関係で、居並ぶ芸術家たちに混ざって、バレエ関係者、そしてバレリーナの卵たちが、
トレーニングウエア、あるいは、そうバレリーナそのものの格好のまま、
ポクポクと歩いていたりするのだが、毎度ながらこのバレリーナという人々。
まさに、妖精そのもの。愕然として頭がスパークしてしまうぐらいに美しい訳である。

そんな訳でかねてより、いやはや世の中には美しい人がいるものだ、
それも居るところにはがっつりと固まっていたりするものなのか、
と思わず、この図書館に通う目的が実はそこにあったりもするのか、
と自問したくもなるのだが、
まあ、そう、そんな訳で、そんな生きる妖精のようなバレリーナたちが、
実にこの図書館の中にも普通にDVDやらCDやらを抱えて歩いていたりもするのだ。

とそんな、体育会美人の究極であるバレリーナと並んで、
その双璧である知的美人の代表と言えばやはり女優である。

この図書館、パフォーミング・アーツ図書館、ということで、
違う階のフロアには、これまでの演劇関係の資料がごっそりと積まれているらしく、
ということで、演劇関係者とそして、そう、実際に舞台の上で歌い踊り泣き笑う女優さんたちも、
机の上に何冊もの関係資料を積み上げながら、
しっかりと役作りのお勉強などしていたりもする訳だ。

で、そう、その中でも多分、若手の新進女優さんたち。
もしかしてどこかの映画でも見たことがあるのかな、とも思うが、そうそうと芸能関係に詳しい訳でもないのでよく判らない。
がしかし、例えそのスタイルが、まさに寝起きのパジャマにシャツを一枚引っ掛けました、
あるいは、洗濯の途中に立ち寄ったとばかりに、伸びたジャージ、あるいは擦り切れたジーンズ姿であたとして、
その消すに消せない美人オーラたるや、まさに殺人的な物がある。

多分、舞台女優なのだろうが、
見るからにステージ映えしそうな目鼻立ちがはっきりした、若干はっきりし過ぎるその御姿。
別にこれと言って、なにがどう美しいか、と言われると、そのパーツパーツを分解して、あるいは組み上げて、
としたところで、やはり理由は判然としないのではるが、
やはりそう、その存在自体がまさに華がある、つまりは美しさの塊りな訳だ。

いやはや、やはり女優ってのはすごいオーラだな、と関心させられていた、訳でもあるのだが、

がしかし、そう、ここに来ていきなり乱入してきたこのファッション業界の人々。

バレリーナがその踊り回る技術こそが売り物であるのなら、
女優がその、泣き笑い、つまりは演技する、ことこそが売りである、
とするのならば、

このファッション関係の方々、
まさに、そう、綺麗であること、そのものが売り、つまりは存在価値、な訳である。

そんなバレリーナや女優さんたちと比べる上でも、
このファッション関係者の方、綺麗さ、という意味ではやはりそれでもかなりの差をつけてダントツに美しい。

そう、見た目の美しさ、だけで見れば、やはりファッション業界の方々こそは、まさに見た目の綺麗さこそが独壇場。

綺麗に見せる、あるいは、そう綺麗を作り上げることに全身全霊、己のすべてを注ぎ込んでいる訳で、
いやはや、その見た目の美しさに対するプロ根性、
まさに、超然、というぐらいに、綺麗キレイ、きれいの塊りである。

という訳で、そんな妖怪的に美しいファッション関係者の方々に囲まれながら、
そんな業界人たちの特徴について考えてみた。

そう、業種によって人は違う。

それはまさに、匂い、というぐらいに、その業種に特殊な匂いをすぐに嗅ぎ分けることのできる人々がいる。

俺は長くバンドマンをしていた関係から、音楽関係者だけはすぐに見分けることができるのだが、
読書が趣味という関係で、本読みの人間を見分けるのも早い。
で、しばらくテニスに没頭していた関係で、テニサー、あるいは、スポーツ競技別に見分けることもできたりもする。

という訳で、ピアスの姉ちゃんはどこぞのパンクバンドのベーシスト、
鼻先に黒縁のメガネをひっかけた眠たげなおねえさんはどこぞのオフブロードウエイの女優の卵。
擦り切れたUSOPENのTシャツの袖を捲ってペン先を舐めているのはテニスのインターハイの選手。
その長い足を惜しげもなくむき出しにして椅子の中であぐらをかいたゴム人間少女はまさにバレリーナ、
とすぐに判別がついてしまう訳なのだが、

が、そう、こと、このファッション業界、そう言えば俺はファッション業界の人々との付き合いだけはなかったな、と思いついた訳だ。

という訳で、このファッション関係の人々。その匂い、というか、特徴はなにか、と言えば・・・

その異様な程に研ぎ澄まされた外的感受性なのではないのだろうか。

ファッション関係の人々、そのどの人も度の人も、恐ろしいまでに、そして悲しいまでに共通しているのは、
まさにこの、いつ何時でも、どんな瞬間でも、己の外観のあらゆる部分、あらゆる角度からの視点に、
異様な程にまで神経が行き届いている。

これほどまでに、「見た目」を気にしている人々を見たことがない、ということだ。

まさに肌そのもの、全身の細胞そのものに目があるかのように、全身全霊を持って、
自分の外見がどう見えるか、ということに全神経、そして全能力を使いきっているのである。

まさに徹底的な視的主義。
徹底的な表層主義。
完璧なまでの感覚主義。

いついかなる瞬間にも、多分寝ている時にも、トイレで尻を拭いている時でさえ、
まさに他人の目の中、鏡に囲まれて生きているのである。

そっか、こいつら、もう徹底的になにからなにまで、見た目だけ、つまりは、表層だけ、なんだなあ。。

まさに究極的な表層主義者なわけである。

禅修行中、つまりはすべての雑念と煩悩から逸脱し、
集中するは脳みそのみの世界で生きていた俺にとって、
この、外見の見た目だけで生きている人々、といのはまさに衝撃的であった。

という訳で、そんな高嶺の花も、こうして隣合わせに席を並べているとだんだんと鼻につき始める。

どうでもいいけど姉ちゃん、もうちょっとは落ち着いたらどうだ。

そう、このファッション関係の人々、なによりも落ち着きがない。

まるで小鳥のように、キョロキョロきょろきょろと、辺りを気にしすぎて心の休まる間もないのだろう。

その分断された思考と、ぴりぴりと逆だった神経が、妙に気に触り始める。
くっそう、どうでも良いが、お前ら、もうちょっとはじっくりとなにかに集中する、とか、
ぶっちゃけ、なにかもっと脳みそを使うことをしても良いのではないか?

と一言苦言を言いたくなるほどにまで徹底的に感覚の中にしか生きてないのが丸わかりである。

そっか、あんたらの仕事には、思考能力ってものは含まれていなんだよな。

まったく世の中、いろいろなことに特化した人々が居るものであるのだが、
才能とは大きな欠落を意味する訳でもあって、
確かに、いくら綺麗でも、こんな人々と一緒にいたら多分30分でもうゴメンだ、と思ったに違いない。

という訳で、そう、人間、人種によって棲み分けが必要なのである。



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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

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