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自分の幸せを自分で計れない人々

Posted by 高見鈴虫 on 29.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
なんか最近、
てめえの幸せをてめえで決められない困ったチャンが、
回りに増えてきたな、と思う。

自分の幸せを自分で決められない奴らは本当に厄介だ。




自分の幸せを自分で判らない奴らは、
自分の幸せを人に聞く、
あるいは、
他者との比較の中に、自身の幸せを計ろうとする。

とすると必然的に、
周りの人間を自分よりも不幸にすることでしか、
自分の幸せが計れなくなる、という、まあ簡単な図式。

とそんな、他人との比較でしか幸せを計れない奴らが、
幸せになろうともがけばもがくほど、
まわりの人々をなるべく不幸にすることでしか、
幸せは得られないわけで、
結果、自身の不幸を嘆き続けるか、
あるいは、
自分よりも不幸な人々に囲まれて過ごすこととなる。

とそんな不幸な人々に囲まれた人間が幸せである筈がない。

そしてそんな不幸せの海を漂いながら、いつも不安に苛まれ、
大丈夫、だってあいつはこんなあたしなんかよりずっと不幸なんだから、
と安心しようとするのだろうが、そうやって安息を得ようとすればするほど、
しかしますますと不幸になっていくのは当然のこと。

いつの間にかそんな悪のスパイラルに陥ってしまった奴らが、
周りに増え続けている気がしているといのは、
俺もいよいよヤキが回ってきたってことなのだろうか。

で、そう、
そんな人が向かう先にあるのものは、決まって「金」なんだよな。

金こそが幸せを計る一番のバロメーターと固く信じ込むことでしか、
己の幸せを確認できなくなってしまうのだろうが、いやはやまったく。

で、そんな奴らが下手に小銭をつかむと、
次に向かう先はコレクター。
そして、脱税だったり。

脱税、つまりは他人に対してお金を使わないことに異様なほどの執念を燃やし、
そして自分以外の「物」、つまりはブランドに幸せの偏差値を計り、
そこに他者との幸せに格差をつけようと躍起になる、と。

この悪のスパイラルの原因はまさに自閉であると思う。

そしてその閉じられた自己の周りを欲というベールが厚くコーティングする訳で、
まるでアル中が酩酊の末の二日酔いに迎え酒をぶちこむような、
そんな不幸の沼の中で喘ぎ続けている、と。

改めて言えば、
幸せに偏差値など存在しない。
幸せは形には表せず、目にも見えない。

幸せとは、ただたんに、「幸せ感」つまりは、幸福に感じられるか、のただのフィーリング、気持ちの問題。
つまり幸せとはただたんに主観。つまりは自己に内在するものなのだから。

つまり幸せとはてめえがてめえで勝手に決めること、勝手にそう思うこと、ただそれだけな訳だ。

でそう、そういうてめえの幸せをててめえで決められない奴ら、
まあ、とどのつまりは、
ガキのころに友達がいなかったか、
あるいは、人生において一度たりとも、
ああ、お前らといることで私はとても幸せだ、と思える他者に囲まれた瞬間を持ち得なかった結果。

そして、己の人生の伴侶をそんな悪のスパイラルの延線上でしか見つけられなかった人。
あるいはそんな伴侶をついに自分以上に愛することができなかった、
その結果なのであるだが、悲しいことに奴らはそんな簡単なことにも気づくことができない。

そう、幸せになることじたいはそれほど難しいことじゃない。
ただ、他人よりも幸せになろうとするのことに問題なんであってさ。

幸せに外野は必要ない。
そう、てめえでかってに、幸せだ、とあがってしまえばいいのだ。それだけのことだろ、と。

がしかし、それではいけない、という奴ら。
それはまさに、そうなった時には負けだ、とさえ思っているかのように。

つまりは、幸せになったら負け。
一生に幸せにならないことを目指しているかのように。
あるいは、幸せになろうと葛藤を続けることこそが幸せなんだ、なんていう風に。

という訳で、
幸せになりたければ、そういった種類の人間の価値観の中に、
巻き込まれないことだ。

巻き込まれたが最後、必ず不幸にされる。
他人に勝手に不幸にされて、はらわたを煮えくらせて、
なんとか巻き返しを図ろうと自分よりも不幸な人間を探すか、
あるいは、それ、つまりは幸せのバロメーターであるお金、
に狂騒することになるのである。

という訳で、この世の不幸の元凶たる、自分の幸せを自分で判らない人。

そういう人々に囲まれながら、
いや、俺は勝手に幸せである、と言い続けては嘲笑を浴び続ける、
というのが真の幸せ者の姿、という奴なのだろうが、
これはこれでなかなか辛い。

幸せ物の試練、といったところなのだろうが、
俺は敢えて言わせてもらう。

はたからどう見えるかは知らないが、
俺はこうしている時が一番幸せなのだ。
だから放っておいてくれ。

とそんな時、ふと胸に浮かぶあの風景。

あのいかした奴らに囲まれたあのテーブル。

俺さ、お前らといる時が一番幸せなんだ、と感じていた、
あの充足感に満ちたテーブルである。

あのテーブルを思うたびに、俺はこんなところでなにをしているのだろう、
と思うわけだが、
そう、そんな俺も、いつの間にかすっかりそんな不幸のスパイラルの中に巻き込まれているという証拠。

くそったれ、こんなところで終わってたまるか、と思ってはいる。


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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