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世界童貞のアホどもへ

Posted by 高見鈴虫 on 12.2014 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
改めて言わせて貰えば、
世界の標準において、
中国人と韓国人と日本人を見分けられる人はいない。

ともすると、フィリピン人もタイ人も、
インドネシア人もベトナム人も、
すべて一括して、アジア人、エイジアンな訳だ。

でそんな同じような顔をした人々、の中にあって、
反日だ、嫌韓だ、などとちんけなことを言っているのは、

つまりは似たような顔をしたもの同士の内輪揉め、
強いて言えば、兄弟喧嘩、のようなもので、

そんなコップの中の痴話げんかを、外に晒す、ということからして、
まったくもって、馬鹿馬鹿しくも恥ずかしいことな訳だ。




事実ここアメリカという多民族国家の中にあっては、
俺たちアジア人たちは、やはり、体格において、そして英語力において、
白人、黒人どもに劣る。

ともすると劣勢にならざるを得ないこのグローバル社会の中にあって、
そして俺たちエイジアンは、必ず助け合う。

これまで孤立無援のトラブルに叩き込まれたときに、
助けの手を差し伸べたのは必ずエイジアンであった。

あるいは、白人優越主義者たちの巣であった南部において、
助けが必要な時には必ず、黒人にそれを頼んだ。

助けてくれ、俺たちはカラード、同じ有色人種じゃねえか。

そんな俺を、無下にした黒人はひとりもいない。

あるいはそう、
荒野の真ん中のフリーウエイの途中で車がエンコして途方に暮れていた時、
テンガロンハットにテキサス・フラッグを翳した無法者、
革ジャンにハーレーに跨ったヘルス・エンジェルス野郎に、
助けてくれ、俺たちは同じロック野郎だ、
ロックには国境も人種もねえ、とばかり助けを請いて、
兄弟、よし判った、と家まで送ってもらったこともある。

要はどこが違うか、の互いのあら捜しをすることじゃない。

どこが同じか、どこでつながり会えるか、ということなのだ。

一人になったものでないとそれは判らない。
あるいは、誰かれかまわず助けが必要なぐらいに追い詰められたものでないと、
それは判らない、ということだ。

今更ながら、日本において俺はどうしようもないチンピラの糞野郎であった。

憂国烈士の特攻服をはためかせて日章旗をペイントした改造車で街中をぶっ飛ばしていた。
一日二万円の破格のアルバイト、右翼の宣伝カーの前でこれでもかと睨みをきかせていたこともある。
電車の中でチョウセンに囲まれて唾をかけられたこともあれば、
その落とし前に手ごろなチョン公を捕まえて半殺しにして川に捨てたこともある。
チョウセン系の女に手を出してその兄貴から包丁をつきつけられたこともあれば、
チャカを呑んで隣町のチョーセンガッコーに殴りこみに誘われたこともある。

つまりそう、どこにでもいるただの跳ね返りドキュン少年の青春を送っていた
半端なチンピラの糞餓鬼であった訳だ。

そんな俺がなんの因果か貧乏旅行の旅に出て、
生まれて初めて日本語の通じないであろう人々に囲まれて最初に発した言葉は、

チョウセンなんざ怖くねえぞ~、であったし、

旅のひよっこであった頃には、
中国やタイやラオスやフィリピンの女になど、
つまりは、貧乏な女にはなにをしても足がつかねえとばかりに
いい気になって遊び半分に食いまくったこともある。

がそんな俺が、いつしか旅先でひとりはぐれ、
そしてたったひとりになった途端に、
俺の周りを囲んでいた人々の顔つきが変わった。

にいちゃん、粋がっているのは良いが、なんか困ったことはないかい?

え、いや、あの、とどぎまぎとする俺に、
世界の人々はどういう訳か、実に、あるいは不思議なぐらいに
やさしくしてくれた。

そうやって世界中で世話になり続けたあのアジアの人々。

見ず知らずの人に飯を奢られた、
あるいは、言葉さえ喋れない俺を家に迎え入れてくれた。

あの、自分で言うのもなんなんですが、
俺は本当に、どうしようもない奴なんですよ。
物を盗むかもしれないし、娘さんを犯っちまうかもしれないし、
あんたら全員を縛り上げて有り金かっさらって逃げるかも、
なんていう、どうしようもないチンピラなんですよ。

が、そんな親切な人々は、俺の懺悔を笑って聞き流すだけ。

大丈夫、あんたがそんな人じゃないことは先刻ご承知。

腹が減ってるならいくらでも食べなさい。
眠りたければ何日でもここに暮らしなさい。
娘が欲しければくれてやる。
お金に困ってるって言われても、恵んでやるほどのものもないけどね。

そんな無償の慈悲、一宿一飯の恩は一生でも忘れない。

こんなどうしようもないチンピラの乞食旅行者に、
無償の慈悲の手を差し伸べてくれた人々への恩を仇で返す訳にはいかない。

そしてそう、人間、そうそうと捨てたものじゃない、
世界中どこに行っても、なにかの際にはきっと誰かが助けてくれる、
そんな信頼にすがって、ここまで生きてこれたのも、
そんな人々からの恩をいまだに信じているからに他ならない。

かくして俺は体験的アジア主義者になった。

それは、ちんけなえせ愛国やら自国自愛の利己的な愛よりも強い。
なんといってもこの俺自身の受けた恩なのだ。
そして俺のダチにもそう言い続けた。
右翼だ左翼だかは二の次だ。
ただ、俺の恩人たちに下手をかますようなことがあれば
この俺が容赦しねえ。

そしていま、ニューヨークに暮らしながら、
この糞憎たらしいアメリカ人たちに囲まれて、
文句を言い合い、時として本気で掴み合いをしながらも、
なんだかんだで仲良く暮らしている。

そう、なんだかんだ言っても同じニューヨーカーだから。
あるいは、同じドッグ・ラバー、あるいは、ロック馬鹿同士だから。

所詮人間じゃねえか。

という訳で、今日もドッグランのベンチには、なんちゃって英語のオンパレード。

ユダヤ人の飼う秋田犬。
フランス人の飼う柴犬。
中国人の飼うジャーマン・シェパード。
韓国人の飼うアメリカン・プットブル・テリア。
そして、日本人の飼うオーストラリアん・キャトルドッグ。

そう、同じ犬仲間じゃないか。

要はどこでつながり会えるか、なのだ。

そんなことにさえ気づくことのできない、可愛そうな人々。

つまりは、人と本気で通じ合える機会の持てなかった不幸な人々。

つまりは、世界童貞のあほ、ということだ。

目を覚ませ。そして自分の足で目で耳で、この世界を見てみろ。

日本も世界の中のひとつ。
そして、日本人もたかが人間のひとりなのだ。


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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