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シンガポールでの血も凍る恐怖体験

Posted by 高見鈴虫 on 12.2014 旅の言葉   0 comments   0 trackback
あの頃、俺は、その後にかみさんとなる女と二人
アジア諸国を貧乏旅行していた。

香港からタイを経て、そしてバリ島へと向かう道すがら、
立ち寄ったマレーシア、確かそこはマラッカだったと思うのだが、
身なりの良さそうな青年ふたりに声をかけられた。

大学の休みにシンガポールから小旅行で来ていると言う。

なんだかんだと話初めて、夕飯を一緒に食べ、
その後の二三日を共に過ごした末に、
シンガポールに着いた際には必ず連絡をしてくれ、
と別れた。

その後、シンガポールに辿り着いたのは良いが、
それまでのアジア諸国に比べてシンガポールの物価が異様に高く、
俺たちの予算で泊まれそうな安宿も見つからない。

という訳でそう言えば、とかけてみた電話。

おお、着いたか着いたか、だったら、とばかりにすぐに駆けつけてきた友人。

さっそくパゴダストリートの屋台で再会を喜び合い、
で、ホテル探し、と言ったところ、なにを言うんだ、といきなり怒り始めた。

俺の家に泊まってくれ。当然じゃないか、と言い張る。

が、しかし、と躊躇する俺たちの荷物を持ってタクシーに乗り込むふたり。

という訳で辿り着いた友人の家。

見るからに超高級コンドミニアムである。

タイ・パジャマにサンダル履き。
長髪をバンダナで縛って無精ひげを生やしたこの乞食旅行者が足を踏み入れるには、
ちょっとあんまりにも高級過ぎる。

いや大丈夫、気兼ねなく好きにしてくれ、という友人。

兄貴がアメリカの大学に留学していて部屋が開いているんだ。
トイレも風呂も別にあるし、何日居てくれてもかまわない、と言う。

それに、と友人。
実はこの部屋はいまは使っていないんだ。
家族はすでに郊外の家に引っ越してしまっているんでね。
メイドがいないのが悪いんだが、まあその分、なんでも好きに使ってくれてOKだよ。

なんだよなんだよ、おまえ実はすっげええ金持ちだったんじゃねえのか?!!

と言うわけでひょんなことで知り合ったその大金持ちの友人宅。
まさにこれまでの安宿暮らしに比べては雲泥の差、
まさに極楽気分。
久々にバスタブのお湯に浸かり、髪を洗い髭を剃り、
そしてふかふかのベッドの上に飛び込んで、
思わずくっくっくと、腹の底から笑いが込み上げてくる。

もしかして俺たち、とんでもない幸運の引き当てたんじゃないのか?


という訳で、シンガポールでの滞在はまさに夢のようだった。

毎朝友人から、いまから迎えに行くよ、と電話があり、
そして紹介された友人の友人の友人たちと連れ立ってシンガポール観光。
それがまさに、かみさんが目を真ん丸くするような、まさに目を見張るような美男子ばかり。

そんなアジアの粋を集めたような美男子軍団に囲まれて、
シンガポールのハイソサエティの間をはしごして過ごす日々。

久々の都会の雰囲気にきゃぴきゃぴしながら、
これまでの旅の話から始まって、
音楽の話、映画の話、アートからファッションから文学から、そして世界情勢から、と話題は尽きず。

選り取りみどりの美男子軍団に囲まれてかみさんもまさに夢心地。

なんかもう、旅行はこれで終わり。
こんなの見せられちゃうと東京に帰る気もなくなってきたし、
ずっとこのままシンガポールにいてもいいかな、などと戯けたことを抜かし始めた頃、

とそんなある日、実は、と言いにくそうに友人が口を開いた。

実は、今晩、俺の親父が、どうしても一緒に食事をしたいって言うんだ。

俺たちと?

そう、どうしてもって言い出してきかないんだ。
頼む、と友人。頼むから一緒に飯を食ってやってくれないか。

という訳で、招かれた夕食の席。

俺は友人から借りたジャケット。
かみさんは友人の姉のクローゼットの中から好きなものをどうぞ、
と出されたのだが、げええ、これ、シャネル、これ、ディオール、
ねえ、これベルサーチじゃないの、と大驚愕。

という訳で招かれた晩餐の席。
まさか大家族全員が一同に揃って、なんてことを想像していたのだが、
それは街で一番の高級レストランの個室に、
友人と友人の父とそして俺たち二人だけ、の四人。
その各自に、一人一人ずつにメイドが傅くような厳かな晩餐だった。

友人の親父は世界的に有名な弁護士とのことで、
シンガポール財界でも指折りの名士であるとのこと。

さすがに老師の話は巧みだった。
流暢というまでには行かなかったが、
それほど中国英語という訳でもなく、
どこか突っかかるようなその口調、
そうか、イギリス英語なんだな、と気がついた。

テーブルの上に所狭しとならんだ料理。
一口づつ食べてもすべて食べきれないぐらいんに、
箸を伸ばそうと思っていた手着かずの料理がすぐに片付けれて、
またすぐに目を見張るような料理が次々と登場する。

豪華であることに越したことはないのだが、
これはなにかあるな、とは思っていはいた。

老師の話はそれこそ尽きることのない泉のようにとうとうと続いた。
揺れていた東西情勢のことから始まり、
中国の民主化の行方からアメリカ、
およびは日本、そしてシンガポールという都市国家のその後を占う、
なんていう話をとうとうと聞かされることになった。

ヒッピー旅行者たちの、
こまけーことは良いんだよ、愛し合ってさえいれば、
という訳で、まずはセックス・ドラッグス・ロックンロール
なんていう馬鹿談義とはまさに雲泥の差の現実論を前に、
なんとなく一挙に目が覚めました、といったところ。

とそんな中、まるで潮が引くようにメインの食事が片付けられ、
デザートが並んで新たに運ばれたグラスに最高級老酒が満たされた時になって、

すっかりリラックスした感じのその老師、満面に笑みを浮かべたままおもむろに語り始めた。

実はね、私の父親は医者だった。母はシンガポールの地主の娘で、
私の兄弟はすべて医者かあるいは弁護士になるように教育を受け、
イギリスへの留学から帰った兄貴から、
ロンドンがどれだけ夢のような場所か、と聞かされて育ったんだ。
そんな我が家では中国語が禁止でね、と老人は笑った。
こうして家族での晩餐の時にはいつも両親とも英語で話あっていたんだよ。
いまでもシェークスピアの戯曲はすべてそらで暗じることができるよ。
そんな私もケンブリッジへの留学が夢だった。
身体が弱かったのでね。病気が治ってからと静養中だったんだが、
ケンブリッジからの入学許可の知らせを首を長くして待っていたんだ。

と、そんな時、日本軍がやってきた、と老師は言った。

英国軍はいとも簡単に日本軍にシンガポールを受け渡してしまった。

まさか、と思っていたんだ。
私はまだ若かったのでね。状況がよく理解できていなかったのだが、
しかし私の父も母も、そんな私と大して変わらなかったと思う。
いくらなんでもこの文明社会においてそんなことが起こるわけがない。
それに我が家は医者の一家だ。どんな状況においても必ず役に立つ、
つまりは有益な人間であった筈だった。

そして、と老師は言葉をつぐんだ。

父は、母は、兄は、妹は、一夜のうちに日本軍に連れ去られ、
そして二度と帰ってこなかった。
と、老師は品の良い笑顔を崩すこともなく、
まるで庭の朝顔が花を開きました、とでも言うように、
さらりとそんな言葉を放った。

私は兄に促されるままにマレーシア人の召使に連れられてね、
その後の混乱を、乞食の子供として過ごしたんだ。
生まれつき身体が弱かったのが幸いしてね。
背が低く身体も貧弱でいまにも死にそうな惨めな浮浪児が、
日本人の目に留まることはなかった。
がしかし、あの頃の暮らしはそれはひどいものだったよ。
死人以外の全てを食べて生き延びたんだ。
それにしても、あの頃の日本軍の狼藉と言ったらなかったな。
街中をぶち壊すだけぶち壊し、
人間と言う人間をそれこそ面白半分になぶり殺しにする。
同じ人間というものが、これほど酷いことができるものか、と目を見張るほどにね。
鬼、悪魔、いや、そうじゃない。つまりは、狂気だったんだ。
あの頃の日本軍はまさに狂気という熱病に犯されていたんだ。

俺は息を呑まれたまま、そんな老師の話を黙って聞き続けた。
かみさんは、思わず涙をほろほろと流した。
友人は狼狽して俺を見つめては、堪えてくれ、と必死の形相で頷き、
まわりを囲んだ召使たちはまるで蝋人形のように微動だにしなかった。

老人の話が終わった後、かみさんの鼻をすする声だけが響くテーブルに、
手付かずだった老酒のグラスが退けられ、そして新たなグラスにまた新たな老酒が注がれた。

お願いがある。私の酒を飲んでくれ、と老師が言った。

私の父と、母と、兄と、妹と、そして日本軍に殺された全てのシンガポール人たちのために。

息子よ、と父は言った。

平和を守れ。それがお前を、この世に生み、育てた理由だ。

世界の平和を守ってくれ。どんな方法を使っても、世界から争いの火種を取り除いてくれ。

争いからは争いしか生まれない。憎しみからは憎しみしか生まれない。
世界はひとつの大きな輪だ。
富めるものが富を独占しようとすればするほどに世界には災いの種が撒かれ、
その災いはいつか必ずそんな欲張りの背後から襲いかかることになる。
世界の人々が幸せに暮らすためにはどうしたらよいのか。
それはとてもとても難しいことだ。
だから息子よ、その困難に挑め。
命をかけて、それを真剣に、毎日毎日、骨身を削って考え続けろ。

静まりかえった席の中で、涙を流し続けるかみさんに、
いや悪かった、と老師は言った。
お嬢さん、本当にすまなかった。そうだ、アイスクリームをもうひとつ頼もう。
ライチーのアイスクリーム、まさに平和の象徴だ。
いやね、俺の息子が、日本人と友人になった、と聞いてあまりにも嬉しくてね。
そう、それこそが平和の象徴だ。
悪い時代は終わったのだ。
私たちは一切の過去を忘れる。
未来のことだけを信じて生きる。
そう思ってこれまでやってきた。
だから君たちは、そんな不幸な時代が再び訪れることがないように、
この戯言の断片でも覚えていてくれるととてもうれしい。

あの時、俺はこのまま拉致られた末に、
かつてシンガポール人が日本軍にやられたその蛮行そのままに、
面白半分に八つ裂きにされてそして海に捨てられてしまうのか、と覚悟していた。
かみさんはそのまま良くてアラブの石油成金、悪くてマカオに逆戻り。
ああ、ただ飯、ただ宿の代償はあまりにも大きかった。
カルカッタのスラムもアフガン戦場もイラン空襲も生き抜いたこの俺も、
万事休す。悪運もこれまでか、と一足早く念仏でも唱えておこうかとさえ思っていた。

では、と席を立った老師が、日本風に深々とお辞儀をしてそして帰って行った。
その歩きふりがあまりにも矍鑠としていたことから、
老人に見えるのはつまりは顔だけで、
年齢そのものはそれほど歳をとっていないのだろう、と気がついた。

老師の姿が消えた途端、まさに椅子からずれ落ちてしまいそうなぐらいに身体中の力が抜け落ちた。

いやあ、悪かった、と友人が笑い始めた。

食いなおそうぜ、と友人がいった。いやあ、腹は一杯なんだが、なにを食ったかさっぱり覚えていない。

ねえ、本当の話なの?とかみさんが聞いた。

なにが?

だから、あのお父さんの言った日本軍の話。

さあな、と溶けかけたライチーにアイスクリームを頬張りながら友人がいった。

まあずっと昔にそんなことがあったらしいが、俺たちになんの関係がある?
そんな昔のことなんかより、俺たちにはこれからやらなくっちゃいけないことが山ほどある。

糞ったれ、いままで出てきた料理、みんな袋に入れて持ち帰りたいな。

問題ないぜ、と友人がいった。親父に電話してもう一回話を聞かせてくれ、言ってやれよ。
喜んでやってくるぜ。

その後、友人はアメリカに渡り、世界平和のために身を粉にして、という訳ではないが、
ゲイであることをカムアウトし、アメリカのゲイ・ライツ運動のために骨身を削る辣腕弁護士である。
いまでもクリスマスのたびにカードが届く。

カードに写るパートナーの写真がそのたびに違うが、
そこにはいつも、LOVE FOREVERのひとことがある。


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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